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中央教育審議会

 1998/4 議事録 
中央教育審議会第217回総会 (議事録) 

     中央教育審議会  第217回総会

      議  事  録 

  平成10年3月31日(火)12:30〜14:30
  霞が関東京會舘    35階    ゴールドスタールーム


    1.開    会
    2.議    題
          「幼児期からの心の教育の在り方について」中間報告
    3.閉    会

    出  席  者

    委  員                            事務局
      有馬会長                          町村文部大臣
      鳥居副会長                      佐藤事務次官
      木村座長                          長谷川生涯学習局長
      河野座長                          辻村初等中等教育局長
      市川委員                          御手洗教育助成局長
      河合委員                          高  審議官(高等教育局担当)
      川口委員                          崎谷審議官(学術国際局学術担当)
      小林委員                          富岡総務審議官
      坂元委員                          杉浦政策課長
      高木委員                          その他関係官
      田村委員
      俵  委員
      土田委員
      永井委員
      横山委員


○  ただいまから、中央教育審議会第217回総会を開催させていただきます。皆様、大変お忙しい中を御出席賜りましてありがとうございます。
  本日は、「幼児期からの心の教育の在り方について」の中間報告、「新しい時代を拓く心を育てるために―次世代を育てる心を失う危機―」を文部大臣に提出いたすことになっております。
  中央教育審議会は、去る平成9年8月4日、文部大臣から「幼児期からの心の教育の在り方について」諮問を受けて以来、小委員会を設置し、幅広い観点に立って審議を進めてまいりましたが、ここに中間報告がまとまりましたので、これより町村文部大臣にお渡しいたしたいと思います。どうぞよろしく。

          〔有馬会長から町村文部大臣に中間報告を手交〕

○町村文部大臣    大変ありがとうございました。また今後ともよろしく。どうも委員の先生方、大変にありがとうございました。

○  それでは、町村文部大臣より御挨拶を賜りたいと存じます。よろしくお願いいたします。

○町村文部大臣    ただいま、有馬会長から、「新しい時代を拓く心を育てるために」、幼児期からの心の教育の在り方につきまして中間報告をいただきました。一言御礼の気持ちを込めまして御挨拶を申し上げたいと存じます。
  昨年の8月、ちょうど神戸の事件のしばらくたった後でございましたが、この諮問をさせていただきまして、前大臣のことではございましたが、なかなか難しい厄介なテーマだなと、率直に言ってそういう感想があったのでありますが、皆様方の精力的な御議論、またいろいろな方へのヒアリング等々によりまして、大変立派な中間報告をおまとめをいただきました。
  既に、座長さんの中間報告ということで、その骨子をあらかじめ国民の皆様方に出していただいたわけでございますので、そうした反応も含めながら、さらにこの中間報告をおまとめいただいたわけでございまして、本当にお忙しい中、ありがたく思っております。
  特に中身につきましては、今まで政治の場なり、あるいは行政の立場で触れることの非常に少なかった家庭の在り方、この家庭の在り方については本当にどこまで入っていっていいか、いささかの戸惑いを覚えたりもいたしますが、昨今の悲惨な事件などを見ていると、いつまでもそこに臆病であり過ぎてはいけないのかなと、そんな思いから、私自身も3月10日に緊急アピールという形で、子どもたちあるいは親、先生たちにアピールを出させていただきましたが、期を同じくしてこういう形でおまとめをいただいたことは、最良のタイミングでおまとめをいただいたと感謝をしているわけでございます。
  しかも、各界に対する提言という形で、今までの文部大臣に対する答申という形はとりますが、実際には世の中の皆さん方に対する御提言という形でおまとめをいただいたのも大変にユニークで、ありがたいと思っております。
  さらに、皆さん方から御意見をいただきながら、6月ごろに最終答申をいただければと思っておりますが、できるだけ幅広く多くの皆さん方に御議論をいただく貴重な素材でございますから、これを積極的に広報、PRにも努めていかなければならないと思っております。実際国会の議論でも、この心の教育に関する御質問あるいは御意見が多うございます。それだけに国民の関心を広く集め、本当に国民的な議論の中から、一つの方向が大きく生まれてくることを心から期待をしているわけであります。
  委員の皆さん方、会長あるいは副会長、座長、大勢の皆さん方に、御多忙の中にもかかわらず、貴重な御意見を精力的にお取りまとめをいただいたことに、心から感謝を申し上げまして、一言御挨拶にさせていただきます。大変にどうもありがとうございました。今後ともよろしくどうぞお願いいたします。

○  どうもありがとうございました。
  それから、お配りした資料にあるように会長の「お願い」というのを社会に対して出そうと思います。要するに本中間報告に当たりまして、中央教育審議会の意を体しまして、私より広く国民に対して、本中間報告を契機として活発な議論が展開され、改革の機運を高めていただきたいこと、特に家庭に対して、先ほども大臣がお触れになられましたが、この提言を手がかりとして、できることから取り組んでほしいということなどを訴えるお願いの文章を発表いたしたいと思います。
  それでは、中間報告の提出に当たりまして、各委員から本中間報告に関します全体的な御感想や今後の審議に期待することなどについて御意見をいただきたいと思います。全員の方に御発言を賜りたいので、よろしくお願いします。

○  中間報告に当たっての「お願い」で、その趣旨が書いてあるわけですけれども、現場では、こういったあたりまえのことが書かれていてということが言われているんですが、しかし、そのあたりまえのことができていないというか、そこが一番必要なんだというところが問題なんであってという感想を持ちましたし、そういう声が上がるたびに、私は、あたりまえのことをあたりまえのこととしてやることができていないのではないかということを言ってまいりました。そういう意味では、現場にいる者として大変ありがたいことだと感じております。

○  大臣からも言われましたが、家庭教育、家庭のことについて、相当思い切ったことを書いてもらって、私は非常にうれしかったです。このことが一般の方に徹底するようにしたいと考えております。

○  これからの世の中を考えたときに、ますます今よりも個人の魅力とか、個人の力とか、個人の競争力みたいなものが重要になってくる社会に日本はなっていくことと思いますし、そうならないといけないだろうと思いますが、その反面、個人に逆に大きな責任があるとか、ストレスがかかるということになると思います。そういう意味で、心の教育の重要性がますますこれから高まっていくと思っております。

○  これは大変よくできたと自画自賛しておりますけれども、この答申の実現に当たりまして、これをまた一生懸命実行しようとすると重荷になりますので、気楽に実行すべきである。ここに書かれていることを、全部細かく実行しようとすると、かえって窮屈になります。それよりも、学校を楽しくするために気楽に改善を行うことが大切だと思います。

○  もう一つ興味があったのは、「君たち」とおっしゃいましたね。この前、大臣は「君たち」とおっしゃって、新聞社がだいぶたたいていたけれども、あれを褒めている人がいますね。「君たち」というのがどうしていけないのか、私はわからなかったんだけれども。余計なことを申しました。

○  私は、地方教育行政のほうに関係しておったものですから、幾つか感想を述べさせていただきたいと思います。
  今回の「心の教育」のほうは大変によくまとまっております。特に全国民に向かって訴えている。家庭に向かっている。社会に向かっている。教育界に向かっている。産業界に向かっている。政界にも向かっている。大変すばらしいと思いますし、マニュアル時代に適合して非常に具体的で、しかも「何々しよう」と、きょうおっしゃっていただいたようなまとめ方ですね。この審議が始まったときに、私は別の委員会ですから、〈どういうふうにお進めになるのかな〉と思っていたんですが、大変よくまとまったと思います。
  今後、ちょっと検討していただきたいなと思う点が二つほどあるんです。入ってはいるんですが、こういう形で入っていないような気がしたものですから。つまり、今、大変大事なのは、学校を開くということです。学校を開くと、世の中に伝統工芸をやっている人もいるし、おじいさん、おばあさんもいるし、体の不自由な人もいる。そういう方々はそれぞれ個性を持っている。そういう個性を持っている人、異質な人とつき合いながら、異質のものを尊重するという心を持つ。子どもたちがいじめるというのは、昔はいじめというのは、だれかがいじめられたら、ボスがいじめるやつを「コラッ」とやったんですが、今は集団の中の弱いやつをいじめるという形に変わってきているので、その集団を開くことが大変大事ではないか。近隣社会へも集団を開くし、ネットワークを通して世界に開く。開かれた世界にいる学校の子どもたちが非常にうまくいっているように私は見えるものですから、それが1点です。
  もう一つは、これは書いていただいているんですが、非行を起こすときに、前もっていろんなサインがある。我々が重大な病気になるときでも、手の平が赤くなったとか、空腹時に胃が痛いとか、いろんなサインがあるわけです。それに気がつかなかったり、ほっておくとえらいことになってしまう。同じように、今、幾つかの新聞ダネになっている子どもたちは、サインを出しているわけです。要するに、何がサインかということの社会教育が必要ではないかというのが、一生懸命探したんですが、どこに入っているかわからなかったんですが、もし入っていなければ、そういう観点で入れていただければと思います。
  実はこれを公表するときに、この前申し上げたんですが、大臣や会長から皆さんに向かって、これをテキストとして、学校や教育センター、PTA、社会教育、企業などで使ってほしいということを訴えていただきますと、非常に広がるのではないかと思います。
  もう一つ、文部大臣賞とか、中教審会長賞を出すコンテストができないだろうか。これはまとめの後でもいいんですけれども、例えばいろんな項目の標語コンテストであるとか、ポスターコンテストであるとか、あるいは小学生なり大人にビデオをつくってもらうコンテスト、それからマルチメディアの作品をつくるのも上手な子がいますし、大人もいるし、そういうコンテストをしていただいて、せっかくですから、これを盛り上げていただく方法が幾らでもあるので、何か大臣賞と会長賞のコンテストをお願いできればと思います。
  本当の感想は、私は、こういうものを中教審が出さなければならない、大臣が言わなければならない日本は、情けないと思います。一日も早くこういうことを改めて言わないで済むような社会にしたいというのを痛感しております。

○  私も当初、どういうものになるのかなということで、イメージがなかなかつくれなくて議論に参加したわけですが、網羅的という御批判もあるのかもしれませんが、かなり大部のものができて、内容は一つの方向ではないかと思っております。
  もう1点は、この中間報告、あるいは6月に出します答申を、今の坂元先生のお話もそうかもしれませんが、社会全体がこういうものを受け入れるという意味での地力を非常に低下させている。別の言い方をしたらこういうものに対する認識とか、感度とか、そういった意味で、そのレベルをだいぶ下げてきている現状の中で、中間報告の内容がどの程度具体的に受け入れられていくのか、かなり時間のかかる共同作業ではないかと思っております。そういう意味では、きょうの会長の「お願い」でいろんなところへの呼びかけというんでしょうか、ああいった活動がこの種のものには極めて大切ではないかと思っております。

○  実はことし中学1年になった子どもたちが、高校に入る年が21世紀になるわけです。まさに世紀末のこの時期に、日本という国でこういうことが議論されて、社会に問われるということは、世紀末の状況をあらわしているとも言えますし、先ほど川口委員がおっしゃいましたが、21世紀と言うまでもなく、これからの社会は個人の力が非常に要求される。その際に、中間報告の中に書かれているようなことが、実は個人の力の中核に必要なんだということを、こういう形で示さなければならないのは、ある意味で大変情けない話なんでありまして。しかし、昨年出された『タイム』の日本特集によりますと、迎   という編集長が日本人の特徴として挙げておりましたのは、ほかの国の国民には見られないことだそうですが、重要な問題になればなるほど自分で答えを持とうとしない。だれか偉い人が教えてくれるだろう、それに従おうという性格が非常に強いんだそうです。そういう意味でいうと、時宜に適した適切な内容が示されていると考えまして、大変よかったと思います。
  ただ、これを実際どうやってPRして、一人一人の人に対して自分の問題にどうさせるかということについて、これから後半の審議で具体的な議論をぜひお進めいただきたいと思います。私は、それを習慣化するにはどうしたらいいのか、「心の習慣」という言い方をしているんですけれども、その辺のところがこれからの提言の課題かなと思って拝読させていただきました。私は地方教育行政に関する小委員会のほうに属していましたので、時々しかこれを拝見していなかったんですが、とてもいいものができたと思って喜んでおります。

○  会長の「お願い」の中で、「完全無欠な家庭を要望しているわけではありません」というところに、大変共感を持ちました。こういうことがプレッシャーになってしまってはまた逆効果だと思いますし。
  もう1点、最近、その比較についていろいろ現場のことを調べている人が、意外と完全無欠に見える家庭の子どもが、突然非行に走ったりすることもあると聞いて、子どもって難しいなと思ったんです。本当に親は教養があって、子どもと外で遊び、勉強も無理強いしないし、何でこんな家庭の子どもがこうなるんだろうというようなケースもありますよという話を聞いて、〈ああ、なかなか難しいものだな〉ということを改めて思いました。この中間報告については、コラムなども充実していて、大変親しみやすい読みやすいものになったなと思います。

○  全体として大変よくできたというお声が多かったように、私も全く同感でございます。具体的にわざわざ指摘をしなかったことも含め、要件は大体網羅されてきております。こういう作業は、一般論と申しますか、100年先の理想論はできますが、今日、明日の話をどう具体的に織り込むべきかについて、心配しておりましたし、懐疑的でもございました。然し見事に片づけて頂けましたので大変うれしく存じておる次第です。
  考えてみますと、戦後50年、全国民は一生懸命やってまいりましたが、ここへ来て種々の綻びが目につくように成ってきたということも事実だと思います。この答申が契機になって、新しい日本を創造する一つのよすがになればという気が強くいたしております。将来、日本はこれからますます落ち込んでいって、経済も、それに世の中のあらゆる活力が低下し、徐々に後進国にも追い抜かれてだめになるのではないかという危惧を持つ人が漸増しているように見えます。一番基本のところから立て直しを図っていくことは、何といっても教育から始めるよりしょうがございません。その意味でも、この答申が極めて重要な指摘になるものと評価できると思います。
  御褒美もたくさん準備していただくという意見もありましたが、それも大切でしょうが、何と申しても国民各自がその気持ちになっていただくということが、まず第1番に何よりも大事ですので、その方向でぜひ実行に移して欲しいものです。
  それから、教育の問題は、法律とか、規則、行政などに直接の関係がないと、私自身も感じておりました。しかし、それは間違いで人間社会の根幹でございますのでもっとしっかりと結びつけて考え、具体化することが必要です。特に学校の先生方の役割とか、責任の問題、あるいは保護の問題や、経済の問題とか、その他実にたくさん派生してくる問題があり、しかもそれらが同時進行して出現して参りますので、同時に多面解決が要求されることが殆どです。従いまして扱い方や方策がはっきりしておりませんと、結論はなかなか出ない、あるいは効果が見えないという結論になってくるのです。ですから、ぜひ文部省、行政側におかれまして、どのようにそれを法制の上で反映していって戴けるのかについて具体的御見識、あるいはお力を尽くして頂きたいと、併せてお願い申したいのです。

○  私も地方教育行政に関する小委員会に入っておりましたので、これを非常に新鮮な感じで読ませていただきました。これは心の問題ですので、要旨というのは簡にして要を得ていいんですけれども、なるべく厚いほうを、いろんな資料とコラムなどを見ながらお読みになるほうがいいのではないかと思いました。
  心のいろいろな問題といいますと、私が考えますのは、時代を支配している一つのリズムと、それからちょっとばかり脳の重い動物としての自然のありようとの間に何かギャップが出てきているという印象を私は強く持っているわけでございます。恐らくここに書かれておりますのもこのとおりだとは思うんですけれども、そういう意味では、その時代のギャップの影響を恐らく一番受けておりますのが、敏感な心を持つ子どもなんだろうと思います。
  そういう意味で、我々は子どもの動静といいますか、心のありよう、何を感じているのかということについて、聞く耳を持つことが一番大事なのではないかと思います。後半の先生方のところでは、カウンセリングマインドということが書いてあるんですけれども、結局、極力聞く耳を持つ。韓国でしたか、ほかのアジアの国で、親のほうが子どもに相談する場面もあるという資料などを見まして、これも非常におもしろいと思いました。小学校の高学年ぐらいから、親と子どもとの間の関係性が違ってくると思うんです。そこから、どういうコミュニケーションが生まれるかということが一つのかぎだと思いますが、その辺のところがちょっと薄いかなという感想を持ちます。学校の先生に提言していることと同じようなことが、親の一人一人にも当てはまると思います。
  もう一つ、これはマスコミでも書いておりますけれども、非常に新鮮に感じましたのは、警察との連携ということでございます。私の取材によりますと、警察の少年係というのはなかなかプロフェッショナルでございまして、今までは私どももある種の警察といいますと、身構えたような思いを持っておりましたけれども、あの人たちが本当にいい人であることによって、どれだけ多くの少年たちが立ち直っているのかということを考えますと、そちらのプロフェッショナルと連携することは大事で、よくお書きになったと思います。○  何人かの委員もおっしゃられましたように、昨年8月、小杉前大臣から諮問が出たときの最初の総会では、何か唐突に心の教育が諮問されたという感じで、非常に難しい問題だなという印象が、かなり多くの方から出されましたけれども、半年ぐらいの短時日の間に、多岐にわたる提言方式ということでまとめられたことについては、私は地方教育行政のほうに属していましたが、心の教育のほうの委員なり専門委員の方が、この間、多数の有識者の意見なり、関係団体の意見を聞いてまとめていただいたことについては、その労を評価しています。
  問題は、家庭教育まで踏み込んで提言をなさっている  ―それは会長談話にもありますように、座視できないところまで事態がある意味で危機的に進行しているということで、それはそれとしていいんですけれども、果たしてこれをどれだけ国民一人一人が自らの問題として受けとめて、一つでも二つでも実行できるかということにかかっていると思うんです。昨年の神戸事件以来、これだけ国民が教育問題に大きな関心を示している時期はないので、その意味では、大胆な提言を含めて、これが一つの素材となって、文字どおり国民的な議論が広がっていけば、大きな意味を持つのではないかということは基本的に思っております。
  ただ、新聞の最近の投書なんかを比較的丁寧に読んでみますと、それでも若干異論のある意見があるわけで、どれだけ国民的な合意といいますか、コンセンサスを得ていくのかという意味で、中間報告が出された後の審議は3ヵ月ぐらいしかないわけですけれども、より多くの方のヒアリングとか、前にも出たようにあまり形式にこだわらずに、今、国民が中教審に大きな期待を示している問題について、幅広くさらに議論を進めていただければいいのではないか。
  それから、やや心構えの問題とか、どうしても心の教育の問題ですからそうなるんですが、子育てとか、あるいは親の家庭でのしつけの問題での不安とか、自信のなさというのがあります。一方で、父親がもっと家庭教育で、母親任せでなくて、父親の復権ということが広く言われているわけですけれども、そういうことを可能にするように、例えば子育てから中学校を出るぐらいまでの間は、学期に1回ぐらいは有給で父親参観なり学校に出かけていけるようなことを、システムとして企業や行政官庁も含めてサポートできるようなものを、この機会に打ち出すのは非常に意味があるのではないかという感じを、この中間報告を読みながら感じております。

○  この「心の教育」の小委員会にできるだけ出させていただきましたが、難しい問題をよくこれだけまとめられたなというのが、まず第1の感想でございます。
  先ほど他の委員から御褒美といいますか、そういう話が出ておりましたが、そのことに関連して、私、思い起こしましたのは、少し前になりますが、あるPTAの人たちの全体協議会というようなところに出たことがございます。そこで、健全育成に関する標語を親たちからそれぞれ募集して、1等賞、2等賞という賞をやるというのがございました。そのときに、1等賞になった標語は、なるほどと思いました。それは次のような標語でありました。「言いたいの。後でじゃなくて、今聞いて」。これは子どもの身になってつくった親御さんの標語なんです。それは自分の家庭における反省でもあるでしょう。子どもが「これはどうして?」「どうしたの?」と聞いてくると、台所のほうへ逃げながら「後でね」「後でお父さんにね」ということを言っている。これは子どもにとってみれば信頼感の確立という上でも非常に大事なところではないか。そのことを「言いたいの。後でじゃなくて、今聞いて」という標語で出されたんですが、このことを思い起こしました。
  恐らくこれは人々に対する提言として出されているわけですから、先ほどおっしゃいましたように、どの家庭でもこれを総花的に全部完全にということで我々は提言しているのではない。恐らくそれぞれの家庭で、うちの家庭ではここで提言されていることのこれを我が家の家風として、このことに努めていく。あるいは、それが地域というところで広がっていくかもしれません。あるいは、学校という形でこの提言を材料にして、それぞれの家庭で目標が定められていくということにつながればなということを、まず思いました。
  そうなりますと、地方教育行政に関する小委員会との関連もあるわけですが、あそこで打ち出している学校の自主性・自律性、そして私が申しました責任性と並んで、家庭の自律性・自主性の中で、この提言がそれぞれの家庭で個性的に立てられていくのではないか、そのことを期待したい。そして、委員会で打ち出しておりましたように、学校の自主性・自律性と同時に大事なのは、それが教育委員会の支援、パートナーシップによらなければ実現できていかないんだということで、教育委員会の果たすべき役割をもう一度改めて問い直していきたいものだと思いました。
  3番目に、「小さな親切運動」が、この「心の教育」についてのいろんな提言を受けながら、全国の各地でそれぞれの課題について、親切運動というのは画一的に全部同じではないと思います。先ほど申し上げましたような、「後でじゃなくて、今聞いて」というようなことを取り上げる地域もあるかもしれません。そういう形で、全国的にこれを材料にして取り上げられていくようになればと思います。
  最後に、マスコミとの関連の問題でございます。マスコミと一緒にこの問題を前向きに取り上げ、考えていくんだということを、これから6月までの中で特に考えていく必要があるのではないか。私、聞いておりましたら、新しく番組が変わるということの中で、NHKだったと思いますが、今まで学校の悪い面ばかりを取り上げてきたけれども、これから先生方に元気づけを与える、自信を持たせるということのためには、よく取り組んでいるところ、苦労しながら一体になってやっているところを取り上げていくようにしますということを、たしかプロデューサーかなんかが言っておられました。こういう方向で、この提言が前向きに取り上げられていくようになればということを感じました。

○  昨年、この小委員会の座長を引き受けましてからしばらくの間は、全くサンドバッグ状態でありまして、教育関係者、それから私の先輩、後輩から、「あんなものはやめろ」と随分プレッシャーをかけられました。その人たちのイメージは、「心の教育」といったときに、道徳教育の強化ということがまず頭に浮かんだようですね。私はある程度割り切っておりまして、大臣から諮問が出たときは、大変だなとは思いましたが、かねがね、戦後50年、日本は子どもを伸び伸びと育てるシステムをなくしてしまったと思っておりましたので、社会としてのそういうシステムをきちんとつくるような提言をすればいいと割合気は楽でありました。
  多少ですけれども外国で住んでみて、日本の学校というのはいろいろ言われていますけれども、大学は別として、小・中はヨーロッパ、イギリスやなんかに比べると、平均値ははるかに高いと思います。ところが、家庭と地域が教育力をなくしているという点では、第一次・第二次答申で言ったとおりでありまして、その辺のところを何とかしなければいけないという思いがありましたので、家庭と地域について、殊に家庭について思い切った記述ができたのではないかなと思っております。
  途中、英国に行かせて頂いて小委員会4回ほど御迷惑をおかけ致しましたが、文明の利器というのはすごいもので、事務局からEメールが次々と入ってきました。英国にはポータブルのプリンターしか持って行きませんでしたので、30枚の出力をするというのは大変なんです。ほとんど半日仕事になってしまいました。それをまた訂正して送り返すということで、英国に何しに行ったかわからなくなり、これなら日本にいたほうがよかったかなと思ったこともあります。
  もう一つ、これはヒアリングに来ていただいた小平ウタさんもそうおっしゃっていたし、それからシェパードさんもおっしゃっていたことですが、この「心の教育」というのはなかなか外国の人にはわかってもらえないんですね。さはさりながら、アメリカにしろ、イギリスにしろ、ヨーロッパもそうですが、日本と同様「心の問題」について大きな問題を抱えている。そういうことから言うと「心の問題」は、文明社会といいますか、高度産業社会というものの必然かなという気もします。ですから、これをうまく翻訳といいますか、日本から出たメッセージとして発信することができれば、世界的にも相当大きな反響を招くし、また彼らからいろんなフィードバックがあるのかなという気がしております。
  それから、気がついてみたら私は本日で定年退職になりますが、そのことを自分で完全に忘れておりました。それぐらい中教審にのめり込んでいたということかと思います。

○  私も、中間報告をこのようにまとめてくださったこの小委員会の先生方の御苦労に感謝したいと思います。
  皆様おっしゃったことですが、踏み込まなければいけないことにようやく踏み込んだと思うことが多々ございます。小学生から大学生まで、またその親たちを見ておりますと、子どもたちよりも親の世代がわりが進んでいます。親が今迄とは全く違う世代になっているところが問題なので、親たちに問題の所在をはっきり指摘することはどうしても必要なことだと思います。
  私は二つの点を指摘したいと思います。一つは、「道徳」という言葉で呼んでいるものを、これから日本でどう呼んでいくかということではないかと思うんです。人間の精神活動をあえて分類すれば、「感性」「徳性」「理性」「知性」になると思います。「徳性」を高めるために、何をすればいいのかについて、時代がものすごく変わっていますから、何か新しい呼び名、また新しい方法論が必要だろうと思います。
  例えば、自動車交通のルールでありますとか、あるいは飛行機に乗り降りするときのルールであるとか、それからインターネットで交信するときのルールとか、そういうことを教える新しい徳性の教育の分野も視野にいれる必要があります。
  道徳のもう一つの側面は、規律をどう教えるかということで、これも非常に重要だと思います。私、今月、小学校から大学院までの卒業式をいたしましたが、中にはひどく騒々しい卒業式があります。そこで一昨年から式の席上で静かにするように言いました。さらには先生にもきつく言いました。それを繰り返しているうちに今年はほんとに静かになりました。一人も寝ている者や横を向いて私語をする者もいないし、以前は卒業式に本を読んでいる生徒もいたのですが、それが一人もいなくなりました。つまり、きつくしつけをすれば、結果として全部が規律を覚えるのです。
  この現象は、私に言わせれ、生徒たちは決して私がうるさく叱るから静かにしていたのではなくて、静粛に卒業式ができてかえって気持ちがよかったのです。規律というのは教えなければいけないという側面があるということを、私は強調したのです。
  最後に、今回のこの報告書では書いていないものの一つが、歴史教育です。これは本当に頭の痛い問題で、私も実は高校生たちとこの間話し合いをしたんです。大きな質問が二つきまして、一つが歴史教育、もう一つが自分たちは何でむかつくんだろうと。この二つの質問はどちらも非常に答えにくい質問なんですね。この問題はいずれ我々は解決していかなければならない。

○  大変重要な御指摘であったと思います。私も実は氷川丸に乗って初めて西洋便所に直面したんですが、前を向いて座るのか、後ろを向いて座るのかわからなくて、つい上に乗っかってするのかと思ったこともあるんですけれども、絵があるといいですね。今回のも、いい絵のついたパンフレットをつくっていただきましょう。
  さてここで、事務局からも一言ずつお聞きしたいと思います。

○事務局  これを受けとめて、すぐ自分の仕事に引き写しまして、どう学校で実現していくかということだろうと思っています。そういった意味で、もう一つの中間まとめのほうの、学校をできるだけこれから子どもと教師と親という3者の構成ではなくて、地域社会を含めた4者の構成でどう運営していくか。そういう学校運営の在り方を実現する中で、地域と家庭と学校を、私のほうの仕事からいえば、木村先生からも御指摘がございましたけれども、今の社会の中でシステム的に力を持っている、あるいはスタッフもあり、あるいは少ないとはいえそれなりに予算も持っている学校を核にして、どう受けとめていくかということを、引き続きこの4月から6月まで、もう一つの地方教育行政の小委員会のほうで御議論をいただきまして、実現に向かって努力をしてまいりたいと、こう受けとめさせていただきました。

○事務局  おととしの中央教育審議会の第一次答申で、先ほどもちょっとそのお話が出ておりましたけれども、「生きる力」をはぐくむ教育という理念のもとに、家庭教育、あるいは地域における青少年に対する教育の重要性を非常に強く強調されておりまして、正確には覚えておりませんが、その中に出てくる家庭教育というのは、子どもに基本的な善悪の区別とか、あるいはやさしさとか、人に対する思いやりとか、そういうものを身につける最初の場所であり、すべての教育の出発点である。かつ、親の教育観、あるいはライフスタイルに基づいて行われるものなんだ。したがって、行政は、そこで行われる教育を支援していくと、それが基本的な認識であるというふうに書かれておりました。
  今回の中間報告で、家庭教育に踏み込むという表現も言われておりますけれども、一次答申における私の理解では、基本認識は何ら変わっていない。しかし、迷っている親、困っている親が非常に多いということもあって、共通に日本という社会、あるいは地球という場所で存在しておる人間あるいは子どもである限り、だれでもがここは守らなければいけない、そういうものが当然あるんだと。家庭教育が幾らライフスタイルとか、親の教育観に沿って行われるものであったとしても、共通にやらなければいかんことがあるのだということをまとめ、しかもその言い方も提言という形で、「こうしなさい」という形ではなくて、「こういうふうに考える必要があるのではないか」という呼びかけの形をとっておられる。そういうことで、今、私が理解しているようなことで、家庭教育を私どもの局は所管しているものですから、そこの認識がそれで構わないかどうかは確認をしたいと思います。
  それから、生涯学習審議会には、去年の6月に、青少年の生きる力をはぐくむ地域の環境の充実方策という諮問をしております。この諮問をした直後に、「幼児期からの心の教育の在り方について」の審議が中央教育審議会で始まったものですから、しばらくその審議の成り行きを生涯学習審議会は見詰めておりまして、今回の中間まとめを経て、これを一つの重要なものとして位置づけながら御審議を進めていただいて、特に他省庁との連携等をメインの事柄に据えつつ、示された中間まとめを地域においてどう実現していくかという形で、審議を進めていただこうと考えております。
  もう一つは、このおまとめいただいたものを、先ほどからどのように家庭に届けていくかというお話がございました。私どもとしましても、地方公共団体、都道府県、あるいはPTAを初めとする青少年団体等を通じて、このことをもとに大きな議論の渦を巻き起こすといいますか、そのような方向で努力をしてまいりたいと考えております。

○事務局  この中間報告の広報でございますけれども、先ほどからもちょっとございましたが、できましたらなるべくわかりやすいエッセンスを記述したパンフレットのようなものをつくることにいたしまして、会長と最終的によく相談いたしますが、里中先生に御協力いただくということで御了解いただいておりますので、わかりやすいパンフレットをたくさんつくりまして、いろんな機会にお送りいたしたいと思います。それから、『文部広報』の特集号にも刷ったり、インターネットに乗せましたり、それから『文部時報』の臨時増刊号という形で、買い求めいただくようなシステムを導入いたしまして、なるべく広報周知をやりたいと思っております。
  それから、この後の中教審として、国民の議論の輪を広げていただくために、いろんな形で会を設けたりするということを用意いたしたいと思いますので、これは会長、座長とよく相談しながら進めたいと思っております。

○事務局  現在、高等教育の大学のほうの改革の担当をしておりますので、大学のほうは今、頭を育てるというか、頭の訓練をいかにするかということをしておりますが、心が育った上に頭の訓練がなされなければならないと思っていますので、ぜひ一体として進めばいいのではなかろうかと思っております。

○事務局  短時間の間にこういうおまとめをちょうだいいたしましたことを、改めて感謝を申し上げたいと存じております。
  何よりもこういう難しい問題にがっぷりと取り組んでいただいて、一つのお答えをちょうだいしたことをありがたく思っております。物事を斜めに切って、切り口のおもしろさを示すというやり方もあるんでございましょうけれども、中教審という存在は恐らくそうではなくて、真正面に物事をつかまえて答えを出していくというのが役割だろうと思っておりまして、そういう意味で、こういうおまとめをちょうだいしたことを本当にありがたく思っている次第でございます。
  この上は、PRでありますとか、条件整備でありますとか、あるいは教育課程の改訂の作業とも結びつけ、そういったものについて、省内での検討を深めてまいりたいと思ってございます。どうぞ引き続きよろしくお願いを申し上げます。

○  一つ私が気になっていることは、お父さんやお母さんや先生や社会にはだいぶ問いかけたんですが、子どもたち自体に問いかけなくていいのかなという気もしていましてね。これはできるのかどうか、中教審としてそこまでいくのか、これは問題なんですけれども、子どもたちがこれを読んだときに、自分の問題だと思うか思わないか心配なので、その辺についてはまた御相談申し上げたいと思っています。
  今後のスケジュールについてでございますが、本審議会といたしまして、6月の答申に向けまして、4月から5月にかけて国民から広く二つの中間報告に対する意見を募集したり、公聴会などを開催いたしたいと考えております。
  なお、公聴会に全員の方がおいでいただくとか、一部にするとか、いろいろなやり方があると思いますので、公聴会等の実施方法、開催時期、場所などにつきましては、私のほうにお任せいただき、事務局、両座長と御相談して決めさせていただきたいと思っております。今後、固まり次第、皆様に御連絡申し上げますので、よろしくお願いいたしますが、こういうやり方でよろしいでしょうか。もし何か御意見がありましたら、どうぞ直接に事務局のほうにお伝えいただければ幸いであります。
  公聴会等につきましては、皆様大変御多忙のところを恐縮でございますが、お時間の許す限り御協力をお願いいたしたいと思っております。
  さて、一応これできょうの準備したことは全部終わりましたが、何か緊急な御発言があれば。よろしいでしょうか。
  それでは、きょうの会議はこれで終了させていただきます。大変長い間ありがとうございました。

                                                         

(大臣官房政策課)

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