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中央教育審議会

 1998/4 議事録 
中央教育審議会第215回総会 (議事録) 

 中央教育審議会  第215回総会

議  事  録

平成10年3月16日(月)13:00〜17:00
霞が関東京會舘    34階    ロイヤルルーム


      1.開    会
      2.議    題
            幼児期からの心の教育の在り方について
            今後の地方教育行政の在り方について  
      3.閉    会

      出  席  者

        委  員                            事務局
        有馬会長                          長谷川生涯学習局長
        木村座長                          坂本審議官(生涯学習局担当)
        河野座長                          御手洗教育助成局長
        薄田委員                          佐々木高等教育局長
        沖原委員                          高  審議官(高等教育局担当)
        河合委員                          徳永地方課長
        川口委員                          富岡総務審議官
        小林委員                          杉浦政策課長
        坂元委員                          その他関係官
        高木委員
        田村委員
        横山委員


○  ただいまから中央教育審議会第215回総会を開催させていただきます。本日は、大変お忙しいところをお出ましいただきましてありがとうございました。
  本日は、幼児期からの心の教育に関する小委員会及び地方教育行政に関する小委員会、この二つの小委員会で御審議いただきましたことについて、中間報告の文案を説明していただくことにいたしたいと思います。そして、御審議を賜りたいと思います。会議は、17時までということになっているのですけれども、15時30分までをめどに進めさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
  それではまず、座長及び事務局に幼児期からの心の教育に関する小委員会の審議状況の報告及び中間報告文案につきまして御説明を賜りたいと思います。随分長い間きちっと御議論を賜りましてありがとうございました。その後に、今後の地方教育行政の在り方につきましても御報告をいただきまして、両方お聞きしたところで、少し議論をしていただきたいと思います。
  これまで、幼児期からの心の教育に関する小委員会及び地方教育行政に関する小委員会におきましては、中間報告の文案につきまして御審議をいただきました。本日は、両小委員会で御審議いただいております中間報告の文案について御説明いただき、これについて御審議いただきたいと思います。本日の御審議を踏まえまして、両小委員会においてはさらにもう一度審議を行いました後、3月27日に「今後の地方教育行政の在り方について」、また3月31日に「幼児期からの心の教育の在り方について」、それぞれ本中央教育審議会といたしまして文部大臣に中間報告を提出いたしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  今までは、両小委員会をまとめまして一つの報告にいたしましたけれども、今度はかなり内容が違いますので、分けることにいたしたいと思います。
  それでは、まず初めに、幼児期からの心の教育に関する小委員会の審議状況及び中間報告の文案について、座長より御説明いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

○  それでは、私ども幼児期からの心の教育に関する小委員会のこれまでの経過並びに中間報告の内容について、御説明申し上げます。
  本小委員会は、昨年9月以降、各方面から幅広くヒアリングを行う一方、子ども・保護者の皆様方と話し合う機会を設けるなどしながら、15回にわたる会議を重ねてまいりました。各委員、専門委員の皆様方には、3月末の中間報告の取りまとめに向けまして、その文案について精力的に審議をいただいてきたところであります。本日は、皆様方から頂戴しました御意見などを踏まえて、私の責任で修正しました文案をお示しさせていただきました。
  それでは、まず、文案全体の趣旨について御説明申し上げ、大変分量が多くなっておりますので、後ほど適宜事務局から詳しく説明していただくことにしたいと思います。
  全体的なポイントでありますが、これまでの我が国の社会の歩みについて、どちらかというとネガティブな面ばかりが強調されてきた嫌いがありますので、この文案では評価すべき点はきちんと評価した上で、地球環境問題などの様々な問題に取り組み、新しい時代を切り開く積極的な心を持った子どもたちを育てていこうという、前向きな姿勢を打ち出すように努めております。
  それから、家庭・地域社会・学校のそれぞれに対して、今、何をなすべきかということを、様々な現状分析の上に立って具体的に提言し、直接呼びかける方式を取り入れました。その際、様々な調査データ等の資料を盛り込みまして、説得力ある内容とするように努めております。
  「第1章」では、社会全体に対して社会のモラルの低下を問い直そうという趣旨を特に強く訴えております。我々は子どもの問題を議論しているのでありますけれども、実際には大人の社会の問題だというとらえ方をしております。また、この問題が子どもたちの豊かな人間性をはぐくむ上で深刻な影響を及ぼしているという認識のもとに、副題として取りあげましたように、大人社会が「次世代を育てる心を失う危機」に直面しているという点について注意を喚起しております。この「次世代を育てる心を失う危機」という副題に対しては、小委員会でもかなり議論がございましたけれども、東京国際大学教授の小此木先生から、大変啓発されるプレゼンテーションをいただいたものですから、あえてこれを採らせていただいた次第です。
  「第2章」でありますが、子どもの人格形成の最終的な責任を負っているのは家庭である、そうした認識に立って、従来、国が言及することに慎重であった家庭のしつけの在り方についても、最低限なすべき基本的なことを具体的に提言しております。
  「第3章」では、地域社会における取組について、例えばどの親も通過いたします母子保健の機会を活用した家庭教育に関する普及啓発、それから、長期の自然体験プログラムの提供、さらにはそうした情報を国民の皆様方に提供する情報提供システムの工夫に対して新しい提言を行っております。
  最後に、「第4章」では、学校における取組として、道徳教育の見直し、地域人材の活用、教材の改善、カウンセリングの充実、問題行動への毅然とした対応などについて、様々な具体的な取組や施策について提言をいたしました。道徳教育の見直しについては、当初、マスコミを中心にかなりリアクションがありましたけれども、記者レク等でも割合に真正面から我々の議論を受けとめてくれたように思います。
  私のほうからの要点の御説明は以上でございますが、事務局から引き続き説明をお願いいたします。
(事務局から説明)

○  どうもありがとうございました。
  それでは、次に地方教育行政に関する小委員会の審議状況及び中間報告の文案について、座長から御説明いただきたいと思います。

○  私どもの地方教育行政に関する小委員会は、昨年の10月以降、関係団体からのヒアリング、教育委員会や学校等の実地調査などを行いながら、13回にわたる会議を重ねてまいりました。最近3回の会議で、この3月末の中間報告の取りまとめに向けて、その文案について精力的な審議を行ってもらいました。きょうは、前回の小委員会で各委員からいただいた御意見なども踏まえながら、私の責任で修正した文案をお示ししてあります。
  まず、私から文案の基本的な考え方について説明しながら、内容のポイントについては事務局から説明してもらいます。
  第1に、文案の検討の視点でございます。大体三つございます。
  第1には、教育委員会を中核とする我が国の地方教育行政制度は、教育の機会均等や教育水準の維持向上などに大きな役割を果たしてきたということは明確に出しながら、一人一人の子どもの個性を尊重した教育を実現するためには、各地方公共団体や各学校において、地域の特色を生かし、創意工夫を凝らした様々な施策・取組を主体的な推進していくことが必要であり、地方教育行政制度の在り方の見直しが、この点から必要になっているということ。
  第2に、もう一つの、今御報告のありました小委員会のテーマでもあります心の教育の充実を図るためにも、学校・家庭・地域社会の連携を充実強化して、地域に開かれた自主的・自律的な学校運営を進めることが求められていること。
  第3に、さらに、現在、地方公共団体において大きな政策課題となっております地域コミュニティの育成や地域振興に関して、教育委員会が主体的かつ積極的にその役割を果たすことが求められている。
  大体この三つを検討の視点として挙げております。
  そして、全体の文案の構成でございますが、こうした視点から、文案は次のような構成になっております。
  「第1章」が「今後の地方教育行政の在り方」とする総論でございます。そして、「第2章」でそれを受けながら、「教育行政における国、都道府県及び市町村の役割分担の在り方」、そして「第3章」に「教育委員会制度の在り方」を続けまして、さらに「第4章」として「学校の自主性・自律性の確立」、「第5章」に「地域コミュニティの育成と地域振興に教育委員会の果たすべき役割」、そして「第6章」に「学校以外の教育機関の運営の在り方」という構成でまとめております。
  文案を作成するに当たって留意したことでございますが、文案のうちで、「第2章  教育行政における国、都道府県及び市町村の役割分担の在り方」、さらに「第3章  教育委員会制度の在り方」については、具体的に改善すべき事項を盛り込んだものになっております。しかし、「第4章  学校の自主性・自律性の確立」以下のことについては、中間報告の後、引き続き具体的な改善措置、方策について、審議を深めていくということを前提にして、主な事項についての検討の方向性を示したものになっております。
  このために、文案は、項目によって審議の程度が異なっておりますが、今挙げましたすべての項目は相互に密接に関連しております。したがって、今後の地方教育行政の全体像を明らかにするということのために、これらの項目はどれ一つとっても欠かすことのできない重要な項目だと考えまして、地方教育行政全体にかかわる検討課題について文案を作成しております。
  以上、まず私のほうから申し上げまして、内容のポイントについては、事務局のほうから説明をお願いします。
(事務局から説明)

○  ありがとうございました。
  先ほど両座長及び事務局から詳しく御説明いただきました中間報告の文案につきまして御審議をお願いいたしたいと思います。「心の教育」にかかわるものと「地方教育行政」にかかわるものについて、あわせて御意見をいただきたいと思います。どちらの文案からでも結構でございますので、まとめて御意見をいただきたいと思います。

○  「心の教育」のほうで、「心を育てる場として学校を見直そう」というところで、幼稚園と保育所の役割を同じように併記してくれて、私は本当にうれしく思っております。ただ、この問題について、厚生省との関係とか、そういう問題はどのようになっているのか、一つ伺いたいと思います。
  もう一つ、いろんな面で、とにかく家庭教育が大切だということはわかっているし、私たちもしっかりしなければということはわかっているんですけれども、これは今後、「地方教育行政」のほうではこれからの課題になっているんですが、「心の教育」のほうでもいろいろな言い方で、連携しながら助言を得ることが必要であるとか、手を携えて取り組んでいく必要があるとか、また保護者や地域の支えによって確立していくことが必要であるとか、いろんな言い方がされているんですけれども、この三者の連携に関してそれこそ何十年来と言われてきていることですが、それがなかなか実現できないですね。例えばここの言葉の中で、「校長先生の判断により、必要に応じて」ということが書かれているけれども、もう一歩何とか踏み出すことを、最終的な報告までの間にまとめていただければという期待を持っています。学校は、学校の先生たちだけではだめなんだということをはっきりとあらわして、地域・家庭の人たちがみんなそこに入らなければならないんだということを、学校以外の人たちもわからなければならないし、校長先生自体もそういう面をもっと積極的に考えなければならないことを、もっと前向きにこれから審議をしながら何か書いていけたらと思います。

◇事務局    厚生省ともすり合わせをしております。厚生省のほうも、大変結構ではないかと。「心の教育」のほうにつきましては、厚生省と連携して取り組んでいこうというものが随分多うございますので、この辺は大事な視点だということで、すり合わせをしておりますので、御紹介だけしておきます。

○  3点ほど意見を述べさせていただきたいと思っております。
  第1点は、歴史といいましょうか、日本民族の伝統文化みたいなことが基盤になって、その中の何を次の世代に伝えていくかという視点を明確にされているのは非常に大事なことだと思うので、非常によかったと思うんです。その際にもうちょっとはっきりと、日本民族の伝統的なよさというのでしょうか、外国人が日本に来て日本人をすごく褒めたという歴史的な記述がいっぱいあるわけですから、それを活用されたらいかがかという気がします。古くは、フランシスコ・ザビエル、あるいはフロイスの手紙にもありますし、近くで言えばペリーの日本に来たときの『日本遠征記』には、かの有名な「喜望峰以東では最も優れた民族である」と、いわば日本のことを非常に褒めたわけです。
  その褒めた理由は、庶民の生活が、ここがポイントですけれども、清潔で、礼儀正しくて、誠実に働いて、嘘をつかない。両親、子どもを大事にする。それ以外にも、新しいことを知るために命をかけるという、例の二人の青年が黒船に乗りつけてきたということが書いてあるわけです。その意味で言うと、「清潔」というのが非常に重要なポイントのような気がしてならないわけです。
  つまり、日本人にとって心というのは、「いい心、悪い心」というのではなくて、「きれいな心、汚い心」という伝統があるわけです。それがいい意味ではちょっと問題な点があるんですけれども、本居宣長の有名な和歌に、心というのはいつも変わるんだ、それが本当の心だということをうたっている和歌があるんです。さらに言えば、彼の『古事記伝』には、いい神様も時々悪いことをする、悪い神も時々いいことをするということが書いてあるわけです。これはまさに大和心の特徴でありまして、汚い心が悪いことをするということですから、きれいに洗い落とせばよくなるわけですね。そういう意味では、日本人はあいまいな心の扱いをしているんですが、「きれいだ」ということは、日本人にとっては非常に大事な要素だったと思うんです。
  実は、今、現場にいまして生徒の様子を見ていますと、ブランド物を身につけたり、お化粧したりということが現実にあるんですが、変な話ですが、これは私が直接見たわけではないんですけれども、先生方の話を聞くと、下着などは汚いものを平気で着ている。不潔なんだそうです。環境が異様に衛生的に完璧になっているものですから、病気にならないものですから、そういうことをあんまり気にしなくなっているということがあるのではないかという気がするんですが、とにかく非常に不潔で。つまり、つくろってあっても、きれいに洗濯して、きれいに着るということがだんだん薄れてきてしまっている。汚くなったらすぐ捨てる。外面だけちょっと格好をつけるという部分が、若い世代にかなりあるんです。
  私は、「清潔」ということは、そういった歴史、伝統を考えた場合には、どうしても一つの重要な要素として考えるべきではないかという気がしてならないわけです。ベンジャミン・フランクリンの『自伝』を読んでも、彼の有名な「13の徳目」の何番目かに「清潔」というのを挙げていまして、毎日の生活を清潔に送るということに非常に心がけるわけですが、その部分がどこにも出てこないものですから、その辺は何とか表現をしていただけないものかなというのが1点です。
  2点目は、道徳教育というのは、ポイントはそれをいかに習慣にするかということだと思うんです。ですから、道徳教育は学校でできるんですけれども、習慣にまではできないわけです。というのは、子どもの生活の中心部分といいましょうか、かなりの部分は地域社会なり家庭にあるわけですから、習慣にする作業を分担してもらいたいという言い方を明確にしたほうがいいのではないかと考えるわけです。学校でも、習慣にならなければ、教えたって何の意味もないわけですから、習慣にするという部分をもうちょっと強調できないものかなと、そんなことを感じました。
  3点目ですが、先ほど「地方教育行政」のところでも出たんですが、外国語が大変多いんですね。「カウンセリングマインド」というのは、これ以外に言いようがないのかもしれないんですけれども、「聞き上手」とか、何か日本語で言ったほうがいいのではないか。「家庭の中におけるルールづくり」と書いてあるんですが、私はこれは「家風」でどうだろうかという気がします。そのようなことで、いろんな人が読むわけですから、外国語を入れることに反対はしないんですけれども、日本語を括弧で入れる  ―どっちを括弧にするかは別として、何かそういうことはお考えになられたほうがいいのではないかという気がします。

○  片仮名語について御指摘をいただきまして大変ありがとうございます。私もいつも至るところでそれを言っているんです。便利なんですね。でも、今、二、三いいお言葉をいただきましたので、考えさせていただきましょう。今回間に合わなくても努力させていただきます。

○  私は「地方教育行政」の文案を読ませていただいて、本当に行き届いて書いてあると思って、むしろこれを実現するのにどうしたらいいかなということのほうに気持ちがいっております。だから、文章としてはあまりありません。
  ただ、ちょっと心配になるのは、実際に我々が教育の現場の人たちと接しておると、むしろ地方の教育委員会のほうが細かいことについてかたいことを言っておられるので、地方に任すことによって、自由化するようなイメージを持っておられるかもしれませんが、逆の現象が起こらないかという心配を実は持っているんです。具体例は言いませんですけれども、あるところでは弾力的に運営しておられる。ところが、ある教育委員会は非常にかたいことを言っておられるということが実際起こっているわけです。この問題はどのように解決したらいいのかなということも考えております。ただ、文章表現に関しては今何もございません。

○  「今後の地方教育行政の在り方」の中間報告の文案で、学校運営だとか、地域教育への住民参加というんですか、例えば学校の運営につきまして、仕組みを検討する必要があるという表現をしている。かなり抑えた弱い書き方ではないかという印象を持ちました。もちろん、いろんなことが重なっているんでしょうが、これだといつ実行するのかなという印象がするわけでございます。その辺の表現はもう少し強めにされたらいかがなのかなと思います。
  もう一つ、学校施設のとらえ方で、これから子どもさんの数も減ったりしていく中で、学校施設にいろんな意味で物理的・空間的な余裕も生まれる中で、学校施設の複合的利用という議論がいろいろあります。これはたぶん「首長部局が」云々というのが、そういうところをみんなフォローしておられる表現かもしれませんが、例えば保健福祉施設とのかかわり合いとか、災害対策のかかわり合いとか、いろんな複合目的のために、コミュニティの一つの拠点としての空間として使われるべきだということを書いておいていただいたほうがいいのではないか、そんなことを感じました。

○  実にあらゆる問題をきめ細かく、大変立派なものができたと私は思っております。
  ただ、こういうことを言うと変ですが、私は自分のうちの家庭で、子どもたちが小さな頃に、この中に書かれていることのかなりを実行していたと思います。それにもかかわらず、私のうちの子どもはいじめなどの問題と全く関係がなかったわけではありませんし、不登校にもなりました。ですから、きめ細かく考えるということはもちろん重要で、これは本当に本にして、全国の父兄に配りたいと思いますが、同時にこれを実行しても、いじめがなくなるとも思えませんし、不登校がなくなるとも思わない。ここが問題なわけですね。
  私の経験で申しますと、子どもが不登校みたいになったときに、随分議論もしましたが、ある晩、私と話していたときに、突然、子どもが「あ、それも、パパわかっていたの」「それもわかってたの。それで黙ってたの」ということがあったんです。逆に言いますと、つべこべ言うより、黙ってるほうがいいこともありまして、「あ、そこまでわかっててくれたの」と言ったら、突然、回復した。突然ではないんでしょうが、それが回復の時期だったのでしょうが、少なくとも回復のきっかけを与えることができたのです。
  そういう反省から考えまして、これは非常にきめが細かいけれども、どうやってこれを実行するかということで、どこかに書ければいいし、書けなければ無理には申しませんが、これだけ一生懸命衆知を集めて、委員も文部省も考えた、ただ実行に当たっては、「地方教育行政」との整合性もありますから、地域によって、学校によって、同じことに対する対応も違い得るということです。それから、一人一人の子どもについても、一見同じような問題に関しても対応が違い得る。先生の個性にもよるということを書きませんと、これは下手すると、きめが細かくなればなるほど、逆に画一的になってくると思います。
  例えば、あいさつを教えようというときに、「『こんにちは』と言おう」というと、みんなが一斉に「こんにちは」と言い出したら、私はちょっと気持ちが悪い。若者は精神不安定なところがとてもございますから、機嫌の悪いときは黙ってて目礼したっていいわけで、あるいはたまにはお辞儀もしなくても、〈あ、きょうは寝不足だな、あいつは〉というふうに、地域・学校・家庭はすべてのことを知っておきながら、一番大事なことだけをちょっと教える。細かくつべこべつべこべ百の理屈を並べると、学校がつまらなくなるという気がするんです。これが現在の学校のつまらなさの基本的な問題ではないかと思うので、知っていることは全部知っているけれども、一番大事なことだけを一つ教えるということが、教育で最も大切ではないかと私は思います。

○  今、非常に大切なことをおっしゃってくださったと思うんですが、我々としては実際に不登校も、いじめも、なくするように努力しなくてはならない。ところが、だれでもそうですけれども、人生にはつまずきがどこかにあるんですね。今の例は非常によい例を出してくださったと思いますが、それによって、かえって子どもさんとの間に深い理解が生じているということがありますので、なくすることに努力しているんだけれども、どこかにつまずきがあるということは、これはまたプラスの意味も持っているんですね。それをどこかに表現しておくかどうか。何にもないなんて、本当は全然おもしろくないんですね。しかし、それがまたあるほうがいいということにしてもいけないしという、非常に難しいところを、なくするほうに努力するんだけれども、つまずきをステップとして成長することもあり得るのだということを、もし書けましたらと思いました。

○  感じた点を二、三、最初に「幼児期からの心の教育の在り方について」の部分で述べさせていただきたいと思います。
  一つは、書かれていることについては、私も基本的にそう異存はありません。ただ、100ページを超える文章で、しかも大体1ページに一つの提言がなされて、70から80近い具体的な提言がなされているんですけれども、かなり重複もあるし、総花的で、単品メニューがあちこちに散りばめられているという感じを受けて、特にこれを読んでいただかなければならない若い父親とか、母親という方々が、今の若い人の感覚からいって、あれでもかこれでもかということで、あまり網羅的に言い過ぎると、かえって反発して受け取るのではないかということが一つどうしても気がかかりになっております。
  したがって、やや絞り込んで  ―私、どこをどうと、まだそこまで読み切っていないんですけれども、中教審ということで、家庭まで踏み込んで、踏み込むことはいいんですけれども、あまりにも押しつけがましくお説教調ではないかというふうに若い人は受け取るのではないか。それでも必要なものについてはやらなければなりませんから。ただ、もう少し重複を避けたりして絞り込んだほうが基本的にいいのではないかという感じを、読んだ印象として持っているということを最初に申し上げておきたいと思います。
  それから、最近、ネガティブなことを社会全体が言い続けるので、前向きの提言形式をとったということは、私もそれは結構だと思うんです。ただ、例えば「第1章」の「未来に向けてもう一度我々の足元を見直そう」というところでは、日本の歴史や伝統的な文化、伝統的な諸価値を継承しようということで書いてあります。その後、未来に向かって希望を持って、人類が共に平和と幸福を享受して生きていける世界を創っていくという、大変夢のあることを書かれているんですが、前段のパラグラフと真ん中のところで、現状、なぜこういう状況になっているかについての分析的な書き方が全くなされてなくて、直ちに21世紀の明るいビジョンを指し示すというところで、そこにちょっと飛躍があり過ぎるのではないかという感じがしました。
  それから、各論になって恐縮ですけれども、特に学校の問題について、道徳の時間を有効に活用しようということで、できるだけ体験的なものとか、地域の方々とか、スポーツ選手などの力をかりるというのは、従来、副読本を棒読みするような指導等が多かったということの反省も含めて、そういう方向は結構なんですけれども、私も読んでハッと思ったんですが、全体として必ずしも有効に活用されていなかったということは、それはそれとして事実です。特にちょっと気がかりになったのは、教育界における一部の団体が反対して云々というくだりがあるんですけれども、今からみんなが力を合わせてやっていこう
というときですから、あえてこの言葉をこういう提言の中に書くのはいかがかなという感じがします。読むほうから見ると、前向きの志向とは逆行するのではないかということで、ここはできれば削ってほしいなという感じをもっています。
  それから、学校と警察なり児童相談所なりが緊密な連携体制をとるという部分は結構なんですけれども、ただ、警察に通報し、必要に応じては警ら活動をするという部分について、私は現状においては、中教審がここまで具体的に書き込むことについては、安易に警察に要請したりするというような  ―一時期、卒業式が荒れたりして、ありましたけれども、中教審ということをお墨つきにして、事前の段階での教育的な指導が必ずしもなされないまま、安易に警察を要請することが日常化するということになると、アメリカなどでスクールポリスというのがあって、だんだんイタチごっこでエスカレートしていくような感じになるのではないかということをちょっと危惧しますから、もう一度その辺のところは検討していただけないかというのが、ちょっと感じた点であります。
  なお、両方に共通する問題で、用語を統一してもらいたいと思っているのは、国、都道府県、市町村、そして学校ということで、特に全体として設置者や学校の裁量の余地といいますか、それを拡大することによって、創意工夫を凝らした個性ある、特色ある教育をするという全体の脈絡になっていますので、国、都道府県、市町村、学校ということで、学校の裁量権の拡大を校長を中心にした協力体制でもって発揮していくという感じにということと、「教員」という言葉と、「教師」という言葉と、「職員」という言葉は、特に「心の教育」では、そこのところはいろんな使い方がされているので、その辺も用語の統一をしていただければいいと思います。

○  「心の教育」のところが盛りだくさんであるということを言われた後で、もう一つつけ加えることを申し上げるのは大変に言いにくいんですが、薬物のお話が出ていまして、それは結構なんですけれども、未成年の喫煙、それから未成年の飲酒については全く触れられていません。別にたくさんの言葉を費やしていただく必要はないと思うんですけれども、薬物のところがあって、そこがないということがまたある種のメッセージになってもいけないという気がしますので、それを入れていただいたらいかがかというのが1点です。
  地方教育行政に関する小委員会のほうで、これはちょっとねらいがよくわからないので、質問及び意見ですけれども、カルチャーセンター等民間教育事業者との連携について触れられていますが、何をねらいとしてこれを書かれているのかというのがよくわかりませんので、教えていただきたいと思いますが、「地域の学習活動を総体として充実していくためには」というのが抽象的でして、よくわからない。
  民間企業の観点からすれば、自分たちが必要と思うことを、ということは、すなわちそれだけの需要のあることをやっているわけでして、需要のないことをやるわけにもいきませんし、あるいは消費者が希望していることをやらないということにも問題があるわけでして、民間教育事業者にこれ以上何を求めて連携を図ろうとなさっていらっしゃるのかということです。今の行政改革という観点からすれば、民間は民間、国は国、地方公共団体は地方公共団体ということでして、むしろ地方公共団体あるいは国は情報の開示をきちんとしていただければ、それでいいんではないかという気がいたします。

◇事務局    今の点をちょっと御説明申しますと、往々にいたしまして教育委員会サイドでは、生涯学習行政を展開するに際して、民間教育事業者については営利中心だからというような意識が往々にしてございますので、地域全体の生涯学習の機会を盛り上げていく上では、ぜひ教育委員会も民間で行っているカルチャースクールとか、そういったものを視野に入れて、そういった意味での情報提供をするといったことを積極的に行う必要があるという趣旨で、この記述をしたものでございます。

○  民間企業の立場からすれば、まさにそこは自分たちがやるから、極論すれば、国あるいは地方公共団体にやっていただかなくてもいいということなんだと思うんです。民間として自分が自分のビジネスをやるということであれば、それを宣伝するということは、もちろん一番注意をすることですし、プラスアルファで何かやってくださるというなら別に拒否はしないまでも、そのために例えば時間を割いて会合を持たなければいけないとか、方針を伺わなければいけないということであるんだったら、たぶんこれを読んだ民間の教育事業者の方は「ほっておいてくれ」と言うのが、今の時代の流れではないかと思うんです。そこをあえて逆行  ―と言うと言葉が悪いかもしれませんが  ―してそれをやる必要があるんだとおっしゃるんであれば、それなりに必要性が明確に出ていないと納得されないのではないかという気がいたします。

◇事務局    これから生涯学習社会ということで、公的な、例えば公民館などにおける学級活動ということで、学習機会を充実するだけではなくて、民間で行われているカルチャーセンターのような文化活動、学習活動、そういったものを全体としてとらえて、市町村全体の学習活動を振興しようという観点でございます。
  そのために、民間事業にいろいろお願いをするということではなくて、むしろ民間教育事業がやれるようなものについては、公民館あるいは教育委員会の学習活動は、方向としては任せていいのではないか。ただ、その場合に連携すべきこととしては、例えば市町村の住民の学習意欲、学習活動の希望はどういったところにあるかとか、あるいは公民館、その他のところでどういう学習活動をやっているかという情報などについては、逆に民間教育事業のほうへ提供するとか、あるいは場合によっては民間教育事業者が公民館などを使って学習活動をしたいという場合には、これまでは営利事業だからということで、やや消極的でありましたけれども、そういったところは連携を取りながらやっていこうということで、民間教育事業に対して行政がブレーキをかけるようなことでの連携ではなくて、お互いに学習活動を活発にしていくような方向で連携をしていこうということでございます。

○  二つの中間まとめの案が出てきまして、それぞれ、片方は専門家向け、片方は国民一般に訴えるという目的に合った表現をしていただいておりますし、きょう見せていただきましたものをこのまま御発表いただいて結構だと思っております。私は「心」のほうがけさ手に入りましたものですから、詳しく読んでおりませんので、きょうの御説明を伺っただけですけれども、この後、例えば発表されるときの記者レクだとか、本答申に向かっていろいろとお願いしたいこととか、若干の質問がありますので、申し述べさせていただきたいと思います。
  まず第1に、感想ですけれども、いろんな方がおっしゃっているように、日本の教育は相対的に非常によかった。それから、21世紀へ向かって生き抜く力を育てるということから、「心」のほうですが、前向きの姿勢を貫いていただいて大変結構だと思います。特に地域・家庭・学校・企業・マスコミに対して、あらゆるところの複雑に絡み合った原因になっているところへの提言といいますか、要望をまとめていただいたことは、大変すばらしいことだと思うんです。
  これをできますれば、社会教育とか、PTAでテキストにして、学校、企業でもいいんですけれども、使っていただくようなお話を、会長に記者レクあたりでしていただけると大変ありがたいし、こういうものを上手な漫画にして、子どもに漫画にしてくださいよというようなことを、中間報告のときに言って、中間報告のときにテキストにしてもらって、そこからの反映で答申を書くというような、そんなことができないだろうかというのが一つでございます。
  それから、これをいかに実現するかということが大事ですから、それに関して幾つかお伺いしたいこと等もあるんです。
  一つは、「心の教育」のほうですが、年次計画でどういうふうに進めていくのか。例えば、教養審であるとか、教課審にどのように反映させられるのかということです。
  それから、地域その他で実現していくときに、皆さん「企業がやってください」「やってください」というだけでは、みんなそれぞれ責任を押しつけ合って動かないということが起こりがちですので、文部省としては、あるいは文教界としては主体的に動く必要がある。そのときに何を主体にするか。首長部局を主体にするのか、教育委員会が主体になるのか。この「心」を育てる主体は、みんなが主体なんだけれども、みんなが主体だと言ったら、だれも主体がないわけですから。やはり文部省の立場としては一番密接に関係するんで、どこを主体として、どう動かしていくかということの筋道が欲しい。今の中間まとめではありません。中間報告は中間報告で、これで結構なんです。その後の段階として、これは専門家がお考えいただくと思いますけれども、そこについて、こんな方向だというお話がいただければ大変ありがたいと思います。
  少し具体的な点で気がついたことを申し上げますと、一つは、先ほど警察の話が出ておりましたけれども、これは医者とか、消防とか、警察官が学校へ入ってくるのはあたりまえのことでございまして、学校も社会の一つだから、別に全く構わないと思うんですが、何か雰囲気的に警察が学校へ入ってはいけないというムードがあって、これは決まりで決まっていないですよね。この原因は一つ、大学紛争にあるような気が私はしております。大学紛争のときにバリケードをつくって、学生が入れなかったというのを、大学の先生のかなりの部分も支持したりする。私なんか初期のころに、「学校の中で人殺しが起こったら、警察を入れるのはあたりまえじゃない」と言って、みんなにたたかれた覚えがあってね、〈アレッ、何か常識と違う世界があるのかな〉なんてびっくりした覚えがあるんです。普通の社会で行われていることを普通にやるということが大事なことで、そういうムードがあるとすると、それを打ち消すために言っていただいて大変よかったと思います。
  そういうときに、大人の社会にいろんなことを言っているんですが、子どもを悪くする大人の、例えばアングラ犯罪だとか、アングラのポルノを出すとか、それから援助交際とか、これは大人がやるから子どもが乗ってくるわけですね。例えば、シンガポールだったら、街でたばこを吸っても大変なことになりますよね。ああいうふうなことまではやらなくてもいいのかもしれないけれども、警察庁のほうへそうしたものの取り締まりのアクションを起こすのか起こさないのか、どの辺まで起こすのか。これも具体策との関連でございます。いろいろやっていただく。
  それから、通信制の高校とか、サポート高校ですね。これは今の不登校であるとか、いじめられる子どもたちを引き受けていらっしゃる。学校数が98校で、15万人ぐらいそういう学校へ行っている子どもがいるわけです。昔、勤労学生に学んでもらうのが通信制の高校だったわけですけれども、今、それが大衆化によって、放送大学とか、大学に上がっていますので、通信制の高校というのは、普通の学校に受け入れない子どもたちを引き受けているという部分が非常に高い。そこから落ちればまたサポート校へ行ってしまうわけですけれども、そこのところの心の教育というのがいつかどこかであれといいなという気がいたしました。
  もう一つですけれども、地方を論じていますときに、うまくいっている場合とうまくいかない場合がある。それはうまくいかない場合は運用の問題なのか、規則・基準等の決まりの問題なのか。決まりなら決まりを変えましょうという提言をすればいいですけれども、運用だったらサクセスストーリーを見せて、その情報を取って、上手に指導をする。コンサルタントとか、そっちのほうの提案になるわけですね。「心の教育」のほうを拝見しますと、かなりの部分が運用でいく。つまり、うまくいっているところを参考にしてやってくださいというので、かなりいく部分がある。警察を入れろなんていうのだって、今の運用でいくわけでしょう。基準とか決まりを、幼・保の問題であるいは変えなければいけないことがあるかもしれない。どこのところを心の教育をするのに決まりまで変えなければいけないのか。それがどこにあるのかというのを教えていただければ大変ありがたいと思います。

○  先ほどからのいろいろな問題に直接かかわることではないのですが、全般的に感じることは、教育においては、教師が中心的な役割を果たしていることです。その教師が生徒に刺される、あるいはなぐられる、そういうことが頻繁に起こっているようですが、そうしたことを学校で許しているわけではないでしょうけれども、やむを得ずそういうことを排除できないようでは、今後、ますますそうしたことが全国的に広がり、我が国の教育が大変心配になるのであります。
  昔、教員になるためには、御承知のように師範学校や高等師範学校に学び、1年間3学期のうちの1学期間は教育実習が課せられていました。そうした教育を受けた者が、正規の教師になったのです。ところが、最近は、「教育実習は出身校へ行ってやってこい」とい大学もあるようです。出身校というのがどんな学校なのか。ものすごく山奥の学校もあれば、教員の少ない学校もある。少なくとも教員養成については、国の仕事の一つとして充実した教員を養成することが、これからの教育を充実発展させることになるのではなかろうか。ましてや、生徒が教師を刺すとか、馬鹿にするとか、そういうことは絶対に許されないことである。そのためには、教員に期待するところは誠に大きいのです。
  いろいろ話したいこともありますが、やはり教師と生徒の関係はどうあるべきかということが大切です。戦前はそれなりに教師と生徒の関係は安定していたのではないかと思いますが、第二次世界大戦に敗北して、戦後、アメリカの占領下において我が国の新しい教育が出発しました。その中で、教師と生徒の関係がはっきりしなくなってきているのではないか。私は、やはり教師と生徒の関係は「尊敬・信頼」でなくてはならないと思います。教師は、生徒から尊敬され、信頼されてこそ真の教師となり得るのである。
  御参考にさせていただければと思います。以上、最近の所感の一端を述べさせていただき、厚くお礼申し上げます

○  専ら「心の教育」のほうに議論が集中したようでありますが、出していただいた御意見は全くごもっともだと思います。ただ、いろいろ作業をしていく上で、こちらも全体を見渡して、どうしてもこうせざるを得なかったという点があったことも御理解いただきたいと思います。
  例えば、第1章について御指摘のところは、確かにおっしゃるとおりではありますけれども、その辺の問題意識については、既に15期、16期の答申のところで詳しく書き込んでおりますので、重複を避けたためにこうなったということです。この点については、時間もありませんけれども、少し考えたいと思います。
  それから、実際につまずいてもいいんだという点については、当初は随分書いてあったのですが、ボリュームが多いということで、かなり切らせて頂きました。しかし、例えば「ギャングエイジ」のところでも、そういうのがあって当然なんだということが書いてありますので、その辺のところをおくみ取りいただければと思います。
  全体的に総花的になっているというご指摘については、私もそう思わないでもありません。しかし、読んでいただき方として、国民の皆様に自分の目についたところを読んでもらえばよいという考え方をしておりますので、どうしてもこういう書きざまにならざるを得なかったのであります。御指摘のとおり、重複したところがまだかなりありますので、その辺はさらに工夫してみたいと思っております。
  それから、警察との連携についてですが、これはヒアリング等でも述べられましたが、先生方の中にはこれを、タブー視するという雰囲気があるということで、先生方を応援する意味で、「ためらうべきではない」という表現にしております。
  アメリカの優れているところは、警らもやっていますが、同時にこれを補完するような試みをやっているところだと思います。例えば昨日の放送の内容で言いますと、ジュニアコートですか、ああいう優れた実験をやっている。今回は、そこまでこれに書き込むことはできませんけれども、教育の現場の方のご判断で、是非新しい試みをやっていただければと思っております。
  あと外来語の問題ですが、先ほどの「カウンセリングマイド」は確かに問題があるんですが、「家庭のルール」の代わりに、「家風」と言うと、今の人には理解してもらえないと考えてあえてカタガナ文字を残しました。ロジカルではないんですけれども、その辺を少しおくみ取りいただくために残したということで、少し考えさせていただきます。

○  次回に小委員会をもう1回やって、それで発表ということになるんでしょうけれども、その際に、会長はどうお考えになるかですけれども、やはり考えていかなければならないことは、中教審が今回の中間報告について、その後どうするのか。答申ということになるのかどうかわかりませんけれども、それに向けてどのようにしていくのかをそろそろ考えておいて、中間報告の発表に向かっていかないと、きょう、いろいろ危惧されて出たようなことが、そこで問題になってくるのではないかと思います。
  私は、いろいろ御論議いただいた地方教育行政の在り方について言えば、中教審が出しております第一次答申、第二次答申との連続的一貫性を持っていると思います、心の教育の面でも、地方教育行政の在り方でも。
  その中で、例えばということで申しますと、地域教育連絡協議会という具体的な措置改善策を提言し、それはいろんな形で既にいろんな地域で実践され始めているんですが、それとこれから中間報告を出し、その後出していく、特に我々の小委員会の場合は、先ほどから何回も申し上げましたが、第2章と第3章については、具体的な改善措置を出している。しかし、第4章の自主性・自律性  ―私はこれには前から「責任性」という言葉を出さなければならんと言っているわけですが、そういったことが実現できていくための方向性を示したものであって、そのためにいかなる具体的な改善措置、改善策を打ち出していくのかを申し上げているものですから、中間報告後、これをやっていくんだということをはっきりと示さなければならない。「心の教育」についても、総花的とか、いろいろな意見もありますから、そこら辺がどうなってくるのか。
  それをこれまでのように、全部とは申しませんが、中間報告が出されて、各方面からの意見を聞いて、それが修正されて、答申となるという図式で人々にとらえられるとすると、これは今回の我々が考えているものとはかなり違ってくるのではないかという気もします。そのことを次回には我々の小委員会でも少し考えていくことかなと思います。

○  これはまた申し上げます。しかし、少なくとも「地方教育行政」に関しては、後半の部分は書き足さなければいけませんね。そのときに、前半の部分もある程度直すかどうか。それから、特に「心の教育」はさらにどこを増やし、どこを削るか、皆さんの御意見、それから世の中の反応も見て、どこまでそれを組み込むかというあたりが今後問題だと思います。ですけれども、少なくとも今回は中間報告である。そして、6月には本答申ということは心づもりしてよろしいのではありませんでしょうか。しかし、本答申の際に、せっかく今度出す中間報告をかなりまとめましたから、大幅に直すなんていうことはないのではないかと思いますけれども、その点、いかがでしょうか。

○  その前に、言わずもがなのことですが、きょう、両小委員会の中間報告の文案を伺って、これはどの程度言えることかどうかわかりませんが、私はやはり「心の教育」について出されていることを実現していくためにも、今、我々のほうで検討してきた地方教育行政制度の在り方が大きく見直されなければならんなということで、両方はつながっていると思うんです。そういう点から、次なる具体的な改善策を考えていくということで。

○  本来だったら、私は率直に言えば、両方を一緒にしたほうがよいだろうという気がないわけではなかったんですけれどもね。ですけれども、トーンが違うし、内容がかなり違うから、少なくとも中間報告は分けて出す。ただ、今おっしゃられた相互の連関は、今後、もう少し詰めていく必要があろうかと思います。ですから、心の教育を実現する際には、学校現場、それから家庭・地域社会との連携というところで、どうしたって地方教育行政と関係してくると思います。逆にそちらのほうから心の教育に対する要請も出てくると思いますので、これはそれぞれの答申を有機的に相互関係を持たせるようにまとめていくよう努力をさせていただきたいと思います。

○  警察の問題なんですけれども、現場にいますので、その立場で申し上げますと、やはり何か書いてもらわなければしょうがないだろうというのが率直な感じです。ただ、これは実際に経験しましたので、そのまま申し上げますが、痴漢の被害に遭った生徒がおりまして、それは当然届けまして、調書を警察がとるわけです。そうすると、警察が、中・高生ですけれども、どういう色の下着を着ているんだということまで調べるわけですね。つまり、警察官というのは悪い人ばかり相手にしているから、習慣的にそうなるのかどうかわかりません。それは後で問題になりましてね。その刑事の上役が学校とおうちに謝りに行きまして、それで事なきを得たんですけれども、子どもはすごく傷を受けたような感じで、一時大変だったんです。
  ただ、私は現場にいますので、中・高の校長さんは公私立を問わずいっぱい知っています。日常の活動を見ていますと、今や警察のことをちゃんと書かないと、現場の先生のほうからはかえって、実際何も知らないで、理想的なことばかり書いているのではないかと言われかねないような気がしますので。ただ、タブー視するという面もないわけではないんですけれども、今やそれはかなり昔の話ですから、それほど気にしていないと思うんです。ただ、警察の態度が、教育の現場に来てやってくれるようにやってほしいということがありますので、そういう意味で、横山委員の心配もよくわかるんですが、そこは何か書いていただいて、警察のことを絶対触れないわけにいかないという、率直な感じでございます。私の現場での感想でございます。

○  まだまだ御議論を賜りたいと思いますが、討議はここまでとさせていただきます。
  中間報告につきましては、本日いただきました御意見を踏まえまして、おのおのの小委員会で御審議いただいた後に、「幼児期からの心の教育の在り方について」は3月31日の第217回総会で、「今後の地方教育行政の在り方について」は3月27日の第216回総会で、文部大臣に提出いたしたいと思います。
  それでは、これで本日の会議は終了いたします。
  次回の会議は、3月27日、金曜日、12時30分から、霞が関東京會舘、35階、ゴールドスタールームで開催いたしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  なお、小委員会につきましては、幼児期からの心の教育に関する小委員会を3月19日、木曜日、13時から、34階、霞が関東京會舘・ロイヤルルームで、地方教育行政に関する小委員会を3月24日、火曜日、13時から、同じく霞が関東京會舘・ロイヤルルーム、34階で開催いたしたいと思いますので、お忘れなくお願いいたしたいと思います。
  きょうはどうも長い間ありがとうございました。

(大臣官房政策課)

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