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中央教育審議会

2000/12/25 議事録
中央教育審議会  総会(第241回)  議事録

        中央教育審議会  第241回総会  (議事録)

  1.日    時        平成12年12月25日(月)  15:00〜17:00

  2.場    所        霞が関東京會舘    「ゴールドスタールーム」  (35階)

  3.議    題        「新しい時代における教養教育の在り方について」(審議のまとめ)の提出

4.出席者  【委  員】  【事務局】
根本会長 町村文部大臣
鳥居副会長 河村総括政務次官
木村座長 小野事務次官
河合委員 近藤官房長
國分委員 本間総務審議官
小林委員 寺脇政策課長
坂元委員 崎谷生涯学習局長
杉田委員 御手洗初等中等教育局長
木委員 工藤高等教育局長
田村委員 石川私学部長
土田委員 その他関係官
永井委員
長尾委員  【説明員】
松井委員 銭谷内閣官房教育改革国民会議担当室長
横山委員

  5.議    事


○根本会長  それでは,ただ今から第241回の中教審総会を開催いたします。

  本日は,町村文部大臣及び河村総括政務次官にも御出席いただいております。皆さん,大変お忙しいところを御出席賜りましてありがとうございます。これから,お手元の資料2の「新しい時代における教養教育の在り方について」の「審議のまとめ」を町村文部大臣に提出したいと考えております。前回総会の御議論なども踏まえまして,私の責任で若干の修正と文章上の整理を行いまして,その内容は後ほど事務局から説明をしていただきます。また,本日は「審議のまとめ」を提出いたしました後で,去る22日に提出されました教育改革国民会議報告について,銭谷内閣官房教育改革国民会議担当室長から簡単に説明をいただきたいと考えております。それでは,配付資料の確認をお願いいたします。

○事務局  本日の配付資料を確認させていただきます。資料1が,本日の会議次第でございます。資料2が,おまとめいただきました「新しい時代における教養教育の在り方について」の本文でございます。資料3が,今ほど会長からのお話のございました,去る22日に出されました教育改革国民会議の報告書でございます。以上でございます。

○根本会長  それでは,次に審議のまとめに当たっての変更点の説明をお願いしたいと思います。前回審議の際にもお話がございましたが,「はじめに」と「おわりに」を新たにつけ加えました。そのほか若干の修正を私の責任で行いましたので,御了承を賜りたいと思います。それでは,事務局より説明をお願いします。

○事務局  ただ今,会長から御紹介がございましたように,「審議のまとめ」の基本的な性格をはっきりさせる必要があるということで,「はじめに」というものと,それから一番最後に「おわりに」という部分をつけ加えさせていただいております。
  次に,順を追って内容について言及をさせていただきます。
  まず,「第1章 今なぜ『教養』なのか」という部分の変更でございますが,2ページの二つ目のパラグラフ,上から14行目以降になりますが,「家族や地域共同体」などの役割が前回の文章でございますとやや否定的に書かれているのではないか,この点を少し改めるべきであるという意見を踏まえまして,必要な修正を加えております。
  それから,「第2章」関係,具体的には5ページの9行目以降でございますが,教養は一部の者だけが身に付けるものではない,国民全体が身に付けるべきものであるという視点をより明確にするべきである,という前回の御意見を踏まえまして,必要な修正を行っております。
  次に,「第3章 どのように教養を培っていくのか」という部分でございます。これにつきましては,6ページの8行目以降でございますが,新たに家庭教育の重要性についての前回の御指摘を踏まえまして,必要な修正を加えております。
  それから,同じページの12行目以下でございますが,ここで自然の摂理,古典,歴史などを学ぶことの重要性について,生涯学習,初等中等教育,高等教育の全般にわたって当てはまるということでございますので,この部分につきましては,「第3章」の総論部分に持ってきております。
  それから,同じ6ページの下から6行目でございますけれども,ここで子どもの学ぶ意欲が減退する要因として,学校教育と職業生活との接続が円滑でないということも挙げられるのではないかという意見を踏まえまして,新たに文言を追加しております。
  それから,同じ6ページの一番下から次のページの1行目以降でございますけれども,ここで異文化との接触について触れております。異文化との接触は重要でございますが,その前提として自国の伝統や文化を知って初めて外国のことを知ることができるということを,この場所でも明記すべきであるという意見がございましたので,所要の文言を追加させていただいております。
  次に,7ページの9行目でございますが,ここで前回,「性,世代,国籍,言語,文化,宗教等の様々な違いを忍耐と寛容の精神をもって受け入れ」ということで,「忍耐と寛容」とあったわけでございますが,ここでは「忍耐」という言葉はややなじみにくいのではないかという意見がございまして,これを踏まえまして,「忍耐」という言葉を削除いたしております。
  次に,9ページの13行目以下でございますが,ここでは前回のバージョンでは狂言を例示いたしまして,基礎・基本の重要性を強調しておりましたが,この部分につきましては前回の御指摘を踏まえまして,一般的な表現に改めております。
  次に,同じページの下から8行目,読書について触れている部分でございますが,教養を培う上で,読書は大事ではございますけれども,新しいメディアを通じた知識の獲得も重要であるという意見を踏まえまして,所要の文言を追加させていただいております。
  次に,しばらく飛びまして,12ページの下から4行目でございますけれども,ここで「カリキュラム外の教養教育」として挙げられている具体例の一部でございますが,カリキュラムとして組み込むことも可能であるという意見を踏まえまして,文言を追加させていただいております。
  主な点は以上でございますが,このほか特に言及はいたしませんでしたが,表記・表現上の整理を図るということで,文言あるいは文章を修正しております箇所がございますことを申し添えさせていただきます。以上でございます。

○根本会長  ありがとうございました。何か御意見はございますか。それでよろしければ,ここで大臣に「審議のまとめ」を提出したいと思いますが,その前に一言御挨拶申し上げます。
  御案内のとおり,今年の去る5月,大臣から「新しい時代における教養教育の在り方について」審議を重ねてくれという御要請がございまして,それから半年をかけて今日に至ったわけでございます。その間,11名の有識経験者の方に御出席賜りまして,いろいろと御意見を伺いました。そして,11月に入りましてから,ワーキング・グループを発足いたしまして,ここで取りまとめ作業に入ったわけでございます。
  この間,最初はこの問題,教養とは一体どういうことか,果たして我々は教養があるのかとか,いろいろな御意見もございましたが,皆様の大変な御尽力で一つのものがまとまったと思っております。私は,会長として,皆様の御尽力に感謝申し上げたいと思う次第でございます。
  申すまでもなく,もう数日にして21世紀ということになりますが,国際的にも,国内的にも非常に大きな変革の時期に来ていることは御案内のとおりでございます。そして,我が国,あるいはほかの先進国もそうでございますが,社会の底流に人間性を疎外するような非常に困った現象が起きているというのは共通の現象でございまして,この一種の閉塞された状況をいかにブレークスルーするか。その原動力の一つが,私どもは教養と思っているわけでございます。22日に提出されました教育改革国民会議報告の中にも,「社会生活において必要とする基礎的な知識と教養とは,あらゆる教育の基礎にあるべきだ」という文章がございますが,全く我々と同じ認識の上に立った御意見と思っております。
  そしてまた,私どもは新しい世紀に日本が国際社会の中で存立し,国家として全うしていく上で,一番必要なことは揺りかごから墓場まで,幼時から生涯に至る学習社会という中で,いかにして教養教育を全うするのか。そのためには,家庭,そして学校,地域社会,こういったものが三位一体化してこの運動に参加すべきだという問題意識を持って,この審議を重ねてきたわけでございます。先ほども事務局のほうから説明がございましたが,教養とは一体何なんだと。その前に,なぜ今教養をと。「Why」「What」「How」という3つについて論議を重ねてきたわけでございます。
  ただし,教養教育の視点から,これまで行われてまいりました教育改革を検証する作業と,その結果,こういう点を改善すべきではないかという提言は,残念ながら私どもは時間切れとなりました。この作業をぜひとも明年の1月から発足します新しい中教審の場において真剣に討議をしていただきたいというのがお願いでございます。
  そして,同時に,我々はこれまで中教審で幾つかの提言を重ねてまいりましたけれども,それが現場にどういう形で移譲されて,その結果は一体どうなっているのかという,「plan-do-check」の仕組みをぜひとも行政の側においてもお考えいただきたい。これは官民合同でやらなければならない作業だと思いますけれども,最後に当たりまして,この点を特に町村文部大臣にお願いしたいと思います。
  それではどうもありがとうございました。

<根本会長から町村文部大臣に「審議のまとめ」を手交>

○根本会長  それでは,文部大臣から一言よろしくお願いいたします。

○町村文部大臣  このたび文部大臣を拝命いたしました町村でございます。一言,中教審の委員の皆様方に御挨拶をさせていただきます。
  ただ今,会長から,「新しい時代における教養教育の在り方」というおまとめをいただきました。この資料の厚さだけから見てもまず圧倒されるわけでございますが,大変熱心に10回にわたる御審議をいただき,ヒアリング等々もしていただいた皆様方の御尽力によりまして,立派な報告書をおまとめをいただきましたことに,まず心より感謝を申し上げます。中曽根大臣が諮問をし,大島大臣を経て,半年ちょっとたつと大臣が3人目というのも甚だ申しわけない気もいたしますが,私がこういう形で報告を受け取らせていただき,大変にありがたいことでございまして,心から委員の皆様方には御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
  今,会長からお話がございました,なぜ教養なのか,「Why」「What」「How」という御指摘があったわけでございますが,大変に重要なポイントを挙げていただいたと受けとめております。そして,お話があったようにまだ残された検討課題があるということで,教育改革を教養教育の観点に立って検証すること,それから検証の上に立った具体策をこれからどうしていくのかということにつきましては,根本会長からお話しのように,来年1月からの新しいメンバーのもとでの中央教育審議会で,これを引き続き御検討いただくことをお願いしたいと思っているところであります。
  また,これも御挨拶いただきましたが,12月22日に,後ほど御報告がございます教育改革国民会議の最終報告の内容,さらには中央教育審議会をはじめ,数多くの審議会からいろいろな御提言,御答申をいただいてまいりました。こうしたものを踏まえつつ,現在,教育改革プログラムというものを4年ほど前に策定いたしまして,それに基づいて具体的な施策を今進めておりまして,それを何度か改訂をしてまいりましたが,来年の1月からはさらに新しい,何という名称にするかまだ検討中でございますが,具体的なアクションプランをもう一度再構成いたしまして,新たな政策の展開,教育改革の推進に全力を挙げていきたいと,このように考えておりますので,皆様方にはどうぞ今後とも御指導をいただければ幸いだと,心からお願いをする次第でございます。
  なお,皆様御承知のように,来年1月6日から文部省と科学技術庁が一緒になりまして,文部科学省ということになるわけでございまして,同時にいろいろな審議会も統合するということになってまいりまして,中央教育審議会を含めた文部省の7つの審議会を統合いたしまして,新しい中央教育審議会というものが発足をする運びになってございます。中教審は,皆様御承知のように,従前は教育刷新委員会というものがありまして,それを前身として昭和27年6月に教育,学術,文化について調査審議する諮問機関ということで,文部省としては中心的な役割を果たしていただいてまいりました。昭和28年1月に第1回総会が開かれ,それから48年の間に,本日が第241回でございますから,大変な回数を重ねていただきましたし,その間35の答申などをいただいてまいりました。そうしたものの一つ一つの積み重ねの上に立って,日本の教育というものがあるし,また,現在の教育改革が進んでいると私どもは考えております。そういう意味から,この中教審の役割は本当に大きかったし,その中核を担っていただいた大勢のこれまでの委員の皆様,そして現在,委員をお務めをいただいている皆様方に,心から文部大臣の立場として御礼を申し上げる次第でございます。本当にありがとうございました。
  今後とも変わらざる御指導をいただきますように心からお願いを申し上げまして,一言御挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。

○根本会長  それでは,引き続きまして河村総括政務次官,ひとつよろしくお願いいたします。

○河村総括政務次官  このたび文部総括政務次官を拝命いたしました衆議院議員の河村建夫でございます。
  ただ今,根本会長から町村文部大臣に立派な報告をいただきました。この「新しい時代における教養教育の在り方について」は,実は私は文部総括政務次官が再任でございまして,大臣は3人代わられたわけでありますが,あのとき,私は中曽根大臣とともに諮問をさせていただいた立場でございました。それだけに文部省を離れましてからも,審議の状況等に関心を持っておったわけでございますが,今日はこのような立派な報告となってお受けすることができて,本当にありがたく喜んでおるところでございます。
  この中にも,教養というのはまさに社会の様々な場面で,生涯を通じて培っていかなきゃならんという指摘があるわけでございます。最近の家庭教育,あるいは地域教育,学校教育の低下ということが言われておりますが,こうした教育力を上げることによって,そういうものが培われていくんだなという思いでございます。根本会長も,一体教養とは何なのか,教養は一体あるのかという話もしたというようにおっしゃっていました。我が母校の慶應義塾では,我々がまず入学いたしますと,「君たちは気品の泉源で知徳の模範たれ」と,このようにたしか教えられたと思うんでありますが,それがまさに教養であろうと思うんであります。我が身を振り返って内心忸怩たるものを感じながら,まさに21世紀を担う次の青年たちが教養深い,世界に向かって誇りを持てる青年に育っていく,その一つの方向を大きくお示しをいただいたと思っておるわけでございます。これが新しい審議会に引き継がれて,さらに深められながら,方向性をきちんと打ち出して,具体的に教育現場に落としていかなければならない重要な役割をこれから担っていかなければならんと思っております。まさに次の国会は教育改革国会と,こう言われておるわけでございます。これまで中央教育審議会の先生方にいろいろ御努力をいただいたことを,さらに教育改革の中で具現をしていく役割を私どもは担っていくわけでございます。
  これまでの皆さんの大変な御努力に感謝を申し上げながら,さらに21世紀の日本の教育がしっかり進みますように心から祈念をし,また,そのことに努力することをお約束申し上げまして,御挨拶にかえる次第であります。ありがとうございました。

○根本会長  それでは,冒頭申し上げましたように,教育改革国民会議の報告につきまして,御説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

<銭谷内閣官房教育改革国民会議担当室長から説明>

○根本会長  それでは,13名の方に,それぞれ5分の時間がございますけれども,これが最後の中教審総会でございますので,審議を振り返って御感想なり御意見を賜りたいと思います。

○  まさかトップバッターで発言するとは思っていませんでしたので,特段何か言おうと思ってまとめているわけではありませんので,やや感想的,散発的になるかもしれませんけれどもお許しください。
  まず,私は16期と17期と3年9か月ぐらい委員を務めさせていただいております。率直に言って,私が中教審の委員になるということについては,当時,社会的にもある意味では関心を持ってマスコミも報道したということもありまして,また,48年の中教審の歴史の中で教職員団体の中から委員を出すというのが初めてのケースでもあっただけに,私が長年所属しておった組織の中にも,果たして中教審の委員になることがいいのかどうかということも,率直に言えばないわけではありませんでした。しかし,むしろ教育界の長い間の55年体制のもとでの対立構造を払拭していく上では,やはり政策決定に関与する場に機会があれば出ていく,参加するということは,長い目で見ればプラスになるのではないかということで,一部反対する意見もありましたけれども,中教審の委員にという声がかかったので,私はあえてお引き受けをしたということです。
  そういう立場からすると,できるだけ教育現場,子どもの目線からできるだけ意見を言おうということで,時と場合によって若干意見が対立する場面もなかったわけではありませんけれども,今の教育の現状についての認識は,他の委員とさほど異なるわけでもありませんので,自分自身にとっても学びといいますか,勉強の場であったと同時に,教職員団体などが考えている考え方をある意味で,公の審議会の場で申し上げる機会があって,だんだん認識が共有できる部分が拡大していったことは,それなりに意味があったのではないかと思っております。
  もちろん,これからがいよいよ新しい世紀を迎えて,今日のまとめの中で,会長自身が指摘をされておりますように,これまで1984年から87年の臨時教育審議会以降の教育改革について,必ずしもレビューといいますか,検証が十分なされていないのではないか。そして,やや否定的な意見が教育学者の中にもありまして,そういう問題について,初等中等教育と高等教育との接続の審議から,中教審でもそういう問題については率直に意見交換をしてきたと思いますけれども,なお,かなり根強く,全体ではありませんけれどもありますので,今後,次の中教審がどういう形になるかわかりませんが,そういう点についても率直に,先ほど会長が言われた「プラン・ドゥ・チェック」という観点を大事にして,教養教育の残された課題の問題も含めて議論をしていくのは大変重要ではないかという印象を持っております。大変気持ちよく議論する場に加えていただいた他の委員の皆さん方に心からお礼を申し上げまして,一言感想にかえさせていただきます。

○  私どもPTAも中教審とか,教課審とか,そういうものには全然無縁でございまして,平成7年に両方に入れてもらいました。そのときに保護者の立場でもって,教育をどういう形で考えていくかということで出てきたわけでございますけれども,従来,保護者も無関心であったところがあったかと思います。それがこういう形でもって出させていただきまして,微力ながら中教審とか,いろいろな審議会で行われていることを,私どもの組織の中に持って帰って,それを現場でどうやって理解したらいいかということが若干でもできたのではないかという感じがします。
  重要なことは,我々保護者の立場に立ちますと,意識という問題と,それからシステム的にどうやって作動するかということが重要でございまして,それを私どもの組織の中でも,中教審等の対応を受けて,保護者としてどのように考えたらいいかというような機会を与えていただいたことは大変ありがたいと思っています。
  また,これからいろいろな答申が出てきて,保護者だけではなくて,地域住民あるいは市民としてそれをどうとらえて,その立場でどうやって実践していくか。また,市民とか,あるいは保護者とか,そういうレベルでもって,それをどうやってウォッチしていくかということも重要だと思っております。
  そういう中におきまして,こういうところに出させていただいたことは大変勉強になりましたし,私も組織のほうから出てきておりましたものですから,なるべくわかりやすい言葉でもって組織の中に少しずつ伝えていけたことは大変ありがたいと思っております。大変勉強になりました。ありがとうございました。

○  私は,中教審の委員になりまして2年あったかなかったかちょっと覚えませんが,全くの新米でございますが,最近のいろいろな答申とか,ディスカッションに,道徳教育であるとか,あるいはまだエリートという言葉はなかなか使いにくいようで,リーダーとかいう言葉が使われておりますけれども,本当に議論しなければならないことをしっかりと議論をするという雰囲気が徐々に中教審の中に出てき始めているのは大変結構なことだと思っております。
  もっと言いますならば,中教審は対学校だけでなくて,社会全体に対してもっとアピールしていく必要があるのではないか。一般社会の家庭であるとか,社会全般に対していろいろなことをアピールしていかなければ,単に学校教育をいじくるということだけでは物事は解決しないのではないかと思っておりまして,これから大いに頑張っていただきたいと思っている次第でございます。

○  かなり長い期間,中央教育審議会に参画させていただきました。生命倫理とか,環境問題を踏まえた生き方の模索であるとか,芸術,文化を語れる日本人を育てる,あるいは参画する市民教育という,この三つぐらいの論点で私は教養教育というものをイメージしておりましたんですけれども,今後の議論の中身は,今後の新しい方々に期待するわけでございますが,私もジャーナリストであると同時に,今,世田谷という東京都の中では一番多くの人たちが住んでいる方々のところで,一つの生涯教育のようなものを推進いたしておりますので,市民の皆様の活動をプッシュするという形で,このような生き方の模索を社会にアピールしてまいりたいと思います。そういうことを運営するときに,ここでの議論は私にとっては大変ありがたいものでございまして,まさに教養は身に付けるというものでございまして,この御議論の中に,私は遠慮して申し上げなかった演劇というようなことも,一言入れていただきまして大変ありがたいと思っております。今回のこの機会を十分生かして,私自身臨んでまいりたいと考えております。以上でございます。

○  私も15,16,17期でしょうかだいぶ長く委員をやらせていただきましたが,あまりお役に立たなかったのではと反省いたしております。しかし一番最初に,委員になりましたときに,未来の理想像とかそのための制度改革について焦点を絞った議論ができると思っておりましたのに,必ずしもそうではなくて,正直なところ何となく不充な感じを残しております。例えば,教育改革国民会議が誕生し屋上屋を重ねる,あるいは別に傍流ができ混乱を招くのでは,との異見もありません。あるいは審議から間どろい感じをうけるので,この際,別の角度から議論をさせたほうがいいとお考えになったのか,という疑問も持ちました。
  しかし,正直な気持ちといたしましては,もっと赤裸々に率直な意見をぶつけて熱のこもった議論をする場所が欲しかったとも思います。中教審での議論も3期になり時間がかかりましただけに蓄積もできてきており,混乱の時代の中でどう対応したらよいかという模索についても,本当の大道ができたわけではない少し明るくなった。したがいまして,我が国の現在の矛盾や混乱を摘出するだけでなく,具体的にどう対処したらよいかという議論がゆっくりではありましたけれども,幾つも結晶してきた印象を持っております。文部科学省として行政の立場から何をどう推進するかについて思い切った御尽力を願いたいと存じます。最初,委員にしていただいたときに,私は文部省は重要な行政官庁でありながらあまり法律をおつくりにならない役所と感じておりましたので,それを率直に申し上げたこともあります。行政を考えれば,当然法制化して世に問うていくことが,重要なお役目と思います。したがって,煮詰まったところで,どう制度化していくか,あるいは国民にアピールしながら具体化するのかが,重要になります。
  先ほど他の委員からの発言もありましたが,この点は今まで確かに,タブーといいますか,禁句といいますか,一つの縛りに合ったような部分が,戦後の日本社会や私どもの頭,行動の中に,実は重くのしかかっていたと私は思っております。それをはねのけて率直な意見として発言すること意外に勇気が必要で,重要な問題であるとの認識もようやく一般化してきたように思われます。これからもっと率直に取り上げて議論をしながら,目標に向かってはっきりした方向を行政に反映させる方針を打ち出していくべきと思っております。
  今回の中教審答申も,国民会議の報告も,全く同じ意味合いのところへ集約されてきている様に感じますし,またこれからがむしろ肝心で,一番力を入れるべき時期に差しかかると思います。この目標が達成できるかどうかは,日常的にいろいろな場で私どもが勇気を持って発言し行動すべきと存じます。それだけでなく地域の輿論も集めまして,文部科学省,行政が先頭に立って,サポートしていただくことも極めて重要です。役割分担がそれぞれ決まっておりますので,それがなければどうにもならないわけです。今強く感じておることを専越ですが卒直な意見として申し上げました。

○  最初に,こういう中教審という場に参加をする機会を与えていただいたことに,関係の先生方に心から感謝を申し上げたいと思っております。ちょうど中教審の審議をしている最中に,いわゆるグローバリズムという考え方が出てきまして,世界的に見ますと,サミットという会議で,それまでは産業と経済しか論じていなかったんですが,初めて議論の中心が教育になって,ケルン,沖縄と続いたわけであります。ちょうどそのときに中教審の委員をさせていただき,グローバリズムという考え方の中で,教育を変革していく作業に少しでもお手伝いができたのかなと思いながら,今,話を思い返しているわけでございます。
  グローバリズムという観点で言いますと,日本の社会が今まで築いてきた伝統の重みを感じ,そして大事にしながらも,しかし新しい時代に向けて考えていくという新しい観点が必要だというこの部分に関しては,明らかに教育が意図的にかなり働かなければならない。つまり,伝統,文化という動き方と,新しい時代に向けての新しい社会の構成は,教育がまさに意図的にやらなければうまくいかないことではないかという気がしていますので,これからまさに教育の正念場といいますか,次の時代に日本国民が人類社会で何らかの形で寄与できる民族として活躍できるかどうかは,これからのそういった意味での教育にかかわってくるのかなという気がしております。
  例えば,世界的に言うと,問題は人口爆発ですけれども,我が国では人口減少が大きなテーマになっているわけです。明らかにこれはグローバリズムという意識を日本に持ち込まない限り,日本国民と世界とのつながりはうまくいかないことは目に見えているわけでありまして,いろいろな問題でそういうことがあると考えているんです。その辺のところをまさにこれからは意図的に提言をして,国民が考える政策を見せることができるかどうかが私たちのテーマになっていくんだろうと思うんです。文部省もそれが中心のお仕事になると思います。
  また,国民会議が提言した中で,個人的に一番よかったと思っているのは,教育振興基本計画ができたということであります。これは財政なんか全然考えないでバンと出せるものですから,国民会議のような組織でないとできなかったと思うんです。こういうものができたということは,それさえできればあとはどうでもいいぐらいに思っていることでありまして,基本計画をつくれという提示をされたことによって,この議論の中でも,国民一人一人が外交官になるような考え方で,日本社会が教養教育に努力するというお話がありましたが,そういう時代になっていくとしますと,教育に関しても基本計画のような形で提示をして,国民の参画を求めて議論を重ねた上で,政策の実行を確実にしていくという方向がこれから求められていくのではないかと思いますので,いろいろな意味で基本計画ができてよかったなとつくづく思っております。これはぜひひとつ今後いろいろな場で議論をして,しっかりしたものを提言して,まさに文部省が21世紀,文部科学省になって,政策官庁として活躍される場合の柱になるのではないかと思っているんです。
  感想めいたことを申し上げさせていただきましたが,一応20世紀のお手伝いが今日で終了するようでございますので,心からそういった場に参加させていただいたことを感謝申し上げて,まとめとさせていただきます。どうもありがとうございました。

○  4年7か月ほどお世話になりました。ちょうどこの数年間を振り返ってみますと,国際的にその影響を受けた日本も,大きな時代の曲がり角を回っている時期かなと思います。具体的には政治改革,行政改革,司法改革,こういった国の三権にかかわります改革の論議が,経済構造,あるいは金融,社会保障,そういった大きなテーマと並んで教育の問題が論議の俎上に乗せられた時期であったのではないか。もちろんまだその時代は続いているんだろうと思っております。そういう中で,日本の社会全体が,事前規制型の社会から事後にチェックをされていく時代に大きく変わる中で,その変わり様に日本の社会全体が戸惑っておる。そういう中で,教育もそのらち外ではない。そんな時代感覚が論議の端々に出ていたのではないかと思います。
  私自身は2次にわたります答申と二つの審議のまとめというんでしょうか,具体的には少子化と教養教育の議論に参加をさせていただきました。学校5日制の問題,あるいは中高一貫校の問題,飛び級の問題,さらには「ドラえもんのおなか」と言われてだいぶおしかりを受けたんですが,総合的な学習の時間の議論等,それぞれ議論の節々でいろいろなことを考えさせられました。雇用労働者は父であり母でもありますし,また一人一人は生涯学習の当事者でもあるわけでございまして,そういう立場で不登校の問題とか,いじめの問題とか,青少年犯罪の凶悪化の問題だとか,また違った観点からは,家庭や地域の教育力が落ちているという御指摘,いろいろございましたが,雇用労働者の感覚で企業や職場というスコープで教育の問題を考えていくのが私の役割だとずっと思ってまいりましたが,果たしてそういう役割がきちんと果たせたのか。たぶんあまりよく果たせていないのではないかと反省をいたしております。
  途中で教育課程審議会に2年ほど参加をさせていただき,教育課程審議会ではこういう議論をして,またこんなことで学習指導要領なるものがつくられていくのかというのも,いろいろ感じたところでございます。
  感想のようなことになってしまいましたが,4年7か月この審議会の中でいろいろ御指導をいただきましたことに感謝申し上げて,コメントにさせていただきます。ありがとうございました。

○  私は途中から入れていただきまして,また,今日のこの会も途中から参りまして,本当に申しわけございませんでしたけれども,会長をはじめ,すばらしい委員の皆様に囲まれまして,私自身が大変いい勉強をさせていただいたという感謝の気持ちでいっぱいであります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

○  有馬委員会以来,いくつかの審議に加わらせていただきまして,勉強させていただきましてありがとうございました。教養以前の委員会というのは,大体おぼろげながらでも筋が見えて,何とかお手伝いできそうだなという感じがあったんですけれども,今回の教養教育というのは大変難問で,一体どうなるのかなと初め思っていたんでございますが,ワーキング・グループの最初の討議のまとめが出て,うーんとうなっていたんですが,何回か先生方の総会とかワーキング・グループの議を経て,本当にびっくりするぐらいよくなっていくんですね。すばらしい先生方の集団思考の効果というのがあるんだなということを痛切に感じました。今日拝見しまして,また何か一段とまとまったなという気がいたしております。これはいろいろな御意見が委員の方から出るのを,事務局が大変上手におまとめくださったというお力が非常に大きいと思います。その点についてもお礼を申し上げさせていただきたいと思います。
  今回の教養教育の中身につきましては,日本の社会がおかしくなりかけていて,それが教育のせいだと言われるようなことがいろいろ起こっていて,その根本には人間が生き方のマナーとか,モラルを失ってきているので,そこの最低限のところは取り戻し,また国際社会で日本人が尊敬されるような品格,風格を育てるという,いわゆるエリートといいますか,リーダーですね,そういうものを備えるという,両面の教養を今回押さえていただけたのではないかと思っております。いい審議のまとめをしていただけたのではないか。
  「How」のところに関しましても,21世紀の現実を踏まえて,自主性,自発性を育てるとか,そために読書と並んで,21世紀に向かってのインターネットまで加えたメディアの虚の体験といいますか,情報の中での体験と実体験と両方を強調していただいたのは,これからいい方向に教育が向くのではないかと感じております。また,グローバル化に対応して,異質なものを尊重する。そのためには,自分自身の伝統,自分の立つ立場と周りの事柄を大事にして,その特色を踏まえて異文化との対比をするといったようなところが,初等中等教育あたりで強調されております。高等教育でも,カリキュラムと同時に,カリキュラム外の教育が大変大事である。カリキュラム外の教育の中からカリキュラム化されることも大事だということもうたっていただいております。
  中教審の答申というのは,現実に教育が動いていて,その教育を変えていくのに大変大きな力を持っておりますので,フィージブルなプランを提示するというところを飛び越えていない,そこが特色であって,これから文教行政でこうした提言を一つ一つできるところから実現していっていただけるのではないかと思っております。
  ただ,私は自分の今やっておる仕事の関係で,IT革命とか,ITによる教育革命というところにどっぷりつかっておりまして,先進的なところでは相当な動きが示されている。こういうところの審議では,それが最先端過ぎるので,全部そこへ持っていっちゃうのは,現実の動きが重いので,かなり無理なんでございますが,そういう中から少しずつフィージブルに21世紀を目指して,IT教育革命といったようなものに向かう施策をとっていただければ大変ありがたいと思っております。
  いずれにいたしましても,大変いい勉強をさせていただきまして,皆さんの仲間に加えていただいたことを光栄に思っております。ありがとうございました。

○  私も4年半以上中教審の委員を務めさせていただきまして非常に勉強になったと思っております。委員の先生方,あるいは文部省の方からもいろいろ教わることが多くて,まず最初にお礼を申し上げて,感謝の念をあらわしたいと思います。
  中教審というのは,私はなぜ委員になったか,いまだによくわからないわけでございますけれども,昔から非常に偉い人がやる委員会だろうと思っていたので,私が入るところではないと思っていたわけです。ただ,中教審の答申というとは,何十年も前ですが,東大のあるクラスで――当時,自治会が中教審路線反対ということを盛んに言っていたわけでございます。私がフランス語を教えているクラスでも,中教審路線反対を決議しようとしていた。ところが,私が「答申をみんな読んだのか」と言ったら,「いや,読んでいない」「何で読んでない者が反対できるのか。読んでからにしたらどうだ」と。18歳の学生というのは純情で,「なるほど」というわけで,「どうしたらいいでしょう」と言うから,「文部省にでも行ってもらってきたらどうだ」と言ったわけです。そしたら,文部省に行ったんです。文部省のどなたが応対してくださったかわからないですが,非常に喜んで,『文部時報』か何かをかなりの部数いただいてきた。それで学生と手分けして読むことになった。それが私が実は中教審答申というのをまじめに読んだ最初なんでございます。私自身も大きなことを言ってて読んでなかった。ところが,非常にいいことが書いてあるんです。路線反対と言っていた学生が,当番を決めて1章ずつ読んでいったわけですが,「いいことが書いてある」「そのとおり,そのとおり」「何だ反対じゃないじゃないか」ということになったわけです。私はそのとき,中教審というのはさすがに英知を集めたすばらしい委員会だと本当に感心したわけです。それに入れたというのは非常に光栄だと思っております。
  ただ,一つ問題は,すばらしいことが全部書いてあって,何がどこなんだかよくわからないというところがございます。今度の国民会議は,その欠点を多少補っているような気がいたします。非常にわかりやすく,17と決めているわけです。本当は探せば25とか,35も40も出てくるんだろうと思うんですが,とりあえずこれと。17でも多いわけですけれども,これは今後の中教審の行方を国民会議がサジェストしてくれたような気がいたします。ただ,教育というのは複雑なものでありますから,なかなか文章をもって直すことが一体可能なのかどうか,私は多少の疑念も持っておりますけれども。
  一つだけ最後に。学生が路線反対とか何とか言っているときに,何だろうと考えたんです。やはり若い人にもっと大胆に意見を聞いてみることが必要ではないか。多少の冒険かもしれませんけれども,現役の学生とか,大学院生から意見を聞いてみて,取り入れるものは取り入れる。だめなものは,理由を言って,そうは言うけれども,そうはいかないんだということを言ってみるということをやると,あるいは今後の中教審の審議がもっとよくなるんではないか。これはたまたま学生が路線反対と言い出したときからの考えでございますけれども,最後にそれを一つつけ加えさせていただきます。どうもありがとうございました。

○  48年間続いた中教審の最後の日でございますので,若干個人的な感慨になることをお許しいただきたいと思います。中教審が歴史の中で時には政治の渦に巻き込まれそうになりつつ,その主体性,独自性を最後は貫いたという歴史もございますし,あるいはまた,節目,節目でいろいろな提言をして,教育行政の上で歴史的な役割を演じてきたということもあります。あるいはまた,御案内のように昭和46年の,俗に四六答申と言われておりますけれども,今,読んでみると非常に今日的な答申ですが,昭和46年当時ですと,余りに時代を先取りして,かえって実行しにくかったという答申もあったように思います。
  いずれにしても,今度幕を閉じて,新しい中教審に衣がえするわけでございますが,まずかった点もあろうかと思いますけれども,中教審のそういう歴史的意義を踏まえた,新しい未来の教育を切り開くような議論を新しい中教審に期待したいと,こんなふうに思っているわけでございます。

○ 私も随分長い間,委員をさせていただきました。日本の教育が今改革されねばならないということはよくわかるんですけれども,実際は非常に難しくて,片方のことを考えると,片方が立たないというか,みんなが関連しているので,なかなか発言がしにくくて,あれこれ考えてばかりで,なかなか発言できないような様子でおりました。その中で,皆さん方の発言をお聞きして,随分勉強させていただいたと思います。本当にこれはありがとうございました。
  ただ,私の考え方になると,どうしても人間が変わらねばならないということを思いますので,それを制度のほうからどう考えていくかということがなかなか難しくて,あまりお役に立つような発言ができなかったのではないかと思っております。ただ,それでもその中で制度的に少しでも変えられることといいますか,考えられることを考えてきたわけでありますけれども,中教審が出していることも,文部省の言っていることも,読んでいないんだけれども反対だという方が案外多くおられます。こういう人たちは,こちらの言っている本質がわかったら,むしろ賛成される方が多いと思うんですが,そういう人たちをどのようにして動かして,日本の教育を全体的に盛り上げていくかということが,むしろこれからの課題ではないかと思っております。
  例えば,ゆとり教育もそうだと思うんですが,はっきり本質がわかっているのではなくて,ねじ曲げて反対するというようなのが多くて,そのときに,いや,こういうことを言っているんだということがちゃんと伝わって,みんながそれをやる気になれば意味があるのにと思うことがありまして,その点,これから何かそういう努力をしていきたいという気持ちを持っております。以上です。

○  一つ質問がございますが,最近の17歳の少年が起こす様々な問題について,心理学的にどういうふうに考えていらっしゃいますでしょうか。

○  まず大きいほうから言いますと,実はそんなに増えていないんですね。これがまず第1です。だから,少年の凶悪な犯罪を統計的に見ましても,そんなに増えておりません。それと私は思いますけれども,みんな物が豊かになって余裕ができてきたから,そういうことを真剣に考えるようになったというプラスのほうですね。おそらく新聞を調べていただくとわかりますが,今から何年も前に途方もない犯罪を子どもがやっても,記事は小さいんです。中学生がだれかを殺したというぐらいで終わりになるんですが,一遍,17歳というのができますと,何とかして新聞も探すし,子どものほうも何かそれに乗せられてしまう。大まかに言えば,みんなが言っているほど心配ではないんです。これは非常に大事なことだと思います。
  特にこれは,皆さん御存じのように,ほかの先進国と比べる場合,問題にならないぐらい日本は安全な国です。そういうことをまず押さえた上で,それでももちろんああいうことが起こっていいというわけではございませんので,考えねばならない。そのときに言えることは,ここでも何度も話題に出ていますけれども,家族の人間関係にしろ,地域の人間関係にしろ,今までの古いのはどうもだめだとみんな思いかけている。といって,新しいのがわからないというそのはざまに入った人は,何か人間関係からプツンと切れたところへほうり込まれるというか,そういう気の毒な人がどうしてもむちゃくちゃせざるを得ないという感じがします。
  今が多いと言う人は,急に昔は人間関係があったし昔はよかったような論議をされるんですが,私は反対で,確かにずっと昔だったら,日本人としての昔の家族関係もあったし,地域の関係もありましたけれども,それは悪い面もありましたね。ボスが威張っているとか,おやじが威張り過ぎるとか,嫁さんはいつもトイレで泣いているとか。そうなんですよ。必ず裏側の人がいた。そういうのが今はだんだんなくなってきているんです。これは非常にいいことだと思うんです。そのかわりに難しくなってくるんです。
  そういうふうなことを全体的に見ると,今が特別悪いんではない。しかし,今,我々がしなくてはならないことは人間関係の回復であるというように私は思っております。

○  平成7年だったかと思いますが,突然,中教審の委員をやれという打診がありました。中教審というのは名前だけは知っていましたが,どういうことをやる審議会かよくわからなかったので,仰天してしまいました。それまで高等教育の世界にいて,中教審はどちらかというと初等中等教育に関することを議論するということで,この審議会で随分勉強させていただいたと思っております。
  中教審の委員であったがために,英国のデアリングさんに数度お目にかかって議論を持ったり,ドイツ,フランスの教育大臣の方とも議論する機会がありました。また最近では,いつもここで申し上げておりますが,フルブライト・メモリアル・ファンドで来ている小・中・高の先生方,1年間600人,もう1,800人来られましたが,そういう先生方と濃密な議論を交わす機会を持って,初等中等教育についても随分勉強できたと思っております。
  このような審議会形式については,私は必ずしも良いとは思っていませんが,歴史的に見ますと,46年の答申等は大変な答申だと思います。あの時代に多様化ということをいち早く審議会で提唱した。残念ながら実現しませんでしたけれども,そういう先駆性も大いに出されていることを考えると,このような審議会方式というのも意味のある方式なのかなと思います。
  また,大学審議会が平成3年に自己点検評価の答申をおずおず出しました。当時の大学審の委員の方々に伺いますと,実は,審議会では第三者評価が非常に真剣に議論されたと伺いました。それがまさか自分の身に降りかかると思いませんでしたけれども,とにかくあっという間に我が国で評価が実施されるという方向に動いています。このことについては審議会形式の議論のすごさみたいなものを感じている次第です。
  再開直後の平成7年のテーマは「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という,どちらかというと議論しやすいものだったのですが,その次は「幼児期からの心の問題」がきて,これはえらいことになったと思いました。そうしたら,今度は「教養教育」ということですから,だんだん諮問が難しくなって来ました。この形の中教審はなくなるようですが,先ほど大臣がおっしゃいましたように,「教養教育」は続けて議論することになりそうです。今度出てくる諮問は一体どういうものなんでしょうか。多分非常に難しいものになるであろう,一体答えるすべがあるんだろうかと,そんなことを感じている次第でございます。
  もう一つついでに,教育基本法の問題です。教育基本法はヨーロッパ,アメリカにはないんですね。フランスにジョスパン法がありますが,あれは教育のやり方について説いているのであって,哲学を述べているのではない。デアリング・レポートも,フィロソフィーの部分はほとんどありません。実際にどう教育をやるべきかということの議論です。これに対して我が国では,たとえば中教審のレポート等について,必ず出る批判は,フィロソフィーがないというものです。そういうことから,日本の教育に対する考え方と,欧米の教育に対する考え方は根本的に違っているのではないかと感じています。日本では教育は難しい。非常に難しいと思います。人格とか,心とか,そういうところへ教育が入りこんでいます。ヨーロッパは簡単で,教育というのは世の中へ出るための手段だと割り切っていますから,そういう点で議論がやさしいのではないでしょうか。世界がグローバル化している中で,将来接点が生ずるのだろうか,そんなことを考えております。いろいろ勉強させていただいたと感謝しております。

○  私も中央教育審議会では大変勉強させていただきました。今回の答申で教養というところまでようやくたどりついたことについては,大変大事なテーマを最後に取り上げさせていただいたと思っています。
  それから,中教審全体を通じて振り返ってみますと,言い残したことといいますか,自分の心の中で不完全燃焼だったものがたくさんあるように思うんです。その不完全燃焼だったものは,ほとんどすべて実は,自分の大学を変えようとするときに,なかなかわかってもらえないことと同じだったと思います。これは日本の社会のいまだに抱えている弱点ではないかと思います。
  一番わかりやすい例が,今進んでいる行政改革,あるいは司法制度改革,どれをとってもその出発点は,結局,55年前の終戦のときにまさに天から与えられたようにして受けとめざるを得なかった憲法をはじめとする制度もろもろを,かなり長いこと我々はかたくなに守り続けている。もう変えたほうがいいという部分がたくさん出てきているのに,なかなか変えることができない。コンセンサスが形成されない。しかし,もうそろそろ本当に変えないと,科学技術は爆発的な進歩をしていますし,産業はどんどん競争力を失い,いろいろな意味で新しい展開をしなければならないところにきていると思っています。
  教育に関して考えますと,学校の教員の後継者の養成は一番力を入れなければいけないと思いますが,我々は,これは比較的後ろのほうに持っていく癖があるんです。
  それから,社会的なリーダーの養成の問題も,エリートというと特権階級と理解されがちですが,そうではなくて,どんな分野にもリーダーが必要であると思うんですが,そのリーダーの養成は大切にしなければいけないと思います。専門家の養成も非常に重要なのに,今の日本の教育システムでは,例えば医療の専門家とか,司法の専門家とか,行政の専門家とか,安全保障の専門家とか,立法の専門家と考えていくと,そういう教育がほとんど存在しなかった55年だったと思います。これからの日本の大きな課題だと思います。
  それと同時に,国民全体としての教養のレベルを上げるという教育もまた必要だと思います。
  一方,今の17歳問題,あるいは学級崩壊等に象徴される現象は,私自身小学校から大学院までのいろいろな学生と日々一緒に暮らしてみて,つくづく思うんですが,やはり若者は弱くなっています。彼らを強くするいろいろな手段を講じなければいけないと思って,いろいろ工夫しているんです。私は正攻法がよろしいのではないかと思っています。誠に私的なことになって恐縮ですが,私の大学ではラグビーが昨年連戦連勝,野球は今年連戦連勝です。ところが,あの選手の中に司法試験を受けた者がいるんです。次の日が決勝戦という前の晩も,司法試験の勉強を夜中に起きてしているんです。それでちゃんと優勝しているんです。もう一人は国家公務員試験を今受けています。若い人たちは変わり始めています。だめだ,だめだと言わないで,いろいろな形で若い連中を元気づけてやるその方法は,結局,私たちが若いときに経験したやり方ではないかと思っているんです。

○小野事務次官 先生方には中教審で熱心な御論議をしていただきまして,「教養教育の在り方」というすばらしいものを出していただきまして,心から感謝申し上げます。
  実は私,教育改革国民会議のほうも裏方でございまして,側面からサポートする立場であったんでございますけれども,国民会議は,今の学校や教育の具体的な課題についてどうするかということを方向づける17の提案をいただいたわけでございます。私は,これをどういうキャッチフレーズでPRするんだと言われまして,学校をよくするんだ,教育を変えるんだということで売り出してはどうでしょうかということを御進言申し上げたことがあるんでございます。
  今,学校,教育が様々な悩みを抱えているんですが,その根本には,これは私個人の意見でございますけれども,学校の先生方がどういう人間を育てていくべきかということについて確固たる自信を持っていない,どういう子どもを育てらいいかわからないから,とりあえず受験に有利なように勉強しなさいと言っておるというのがどうも現状のような気がするんでございます。その根っこに何があるかというと,今の日本人全体がバブルが崩壊して以来,どうも自信を失ってしまっておりまして,1980年時代は,まさに日本の経済はものすごく調子がよかったわけでございまして,アメリカはものすごく悩んでいたんですけれども,今,アメリカはものすごく景気がいいわけです。実はそのアメリカは80年代に日本の企業経営の制度を猛烈に学んで,そのいいところをとってずっと努力してきて,それが恐らく今の繁栄につながっている部分があると思うんでございます。
  いずれにしても,今の時代が非常に不安で,政府も国民の不安にこたえることをきちんとやっていないということもございますし,大人自身が子どもをどう育てていったらいいかよくわからないという点があるんでございまして,そういった問題に答えを出す一つが,教養教育ではないかと思うのでございます。個人的な意見でございますけれども,学力が低下してしまうのではないかとか,あるいは倫理性や道徳観が失われてしまうのではないかとか,父母や国民の皆さんがいろいろ不満,不安を持っております。それに対する一つの答えがこの教養教育ではないか。知力や知恵,あるいは倫理性とか,道徳観,こういったものがまさに教養教育の中に入っているわけでございます。そういう意味では,この御報告は21世紀にふさわしい一つのものではないかと思うわけでございます。
  一方で,国民の皆さんがどういう人間を育てていいかわからないという点については,やはり国民会議が御提起いただきました教育振興計画と教育基本法が一つのキーワードになってくるのではないかと思うのでございます。もちろん,いわゆる国家主義的な国の目標とか,そういうことを言うのではなくて,21世紀に日本は経済的には豊かで,科学技術や学術が発達している国でなければいけないし,一方で国際貢献をし,世界の平和に貢献する国でなければいけない。それから,今,日本が誇るべき安全性といいますか,社会が非常にセーフティーな社会になっているわけですが,これはぜひ維持しなければいけない。一方で,スポーツや芸術や文化,こういったものもさらに発展していかなければいけない。さらに,一人一人の国民が幸せで生きがいを持っている社会にしなければいけない。一言でなかなか言えないんですけれども,そういう望ましい国にするために,一人一人の子どもたちが公のためにも尽くしていこう,あるいは国のためにも働こう,自分のためにも楽しい生活をしようということで,そういった人間のあるべき姿といいますか,教育の根本の方向を目指していく必要があろうかと思っているのでございます。
  そういう意味では,この教養教育の在り方を踏まえつつ,新しい文部科学省になった時点で,中央教育審議会がそういったことについての一つの方向なりサジェスチョンをいただければ本当にありがたいと思うのでございます。勝手なことでございますけれども,先生方のすばらしい御意見は,私ども事務局も参考になりましたし,将来に残る報告になるのではないかと思っているのでございます。ありがとうございました。

○根本会長 それではちょうど時間になりましたので,これで終了いたします。皆様の大変に御熱心な御審議,本当にありがとうございました。


以    上


(大臣官房政策課)

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