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中央教育審議会

 2000/4 議事録 
中央教育審議会第230回総会 (議事録) 

 中央教育審議会  総会(第230回)

  議  事  録


平成12年4月17日(月)16:00〜17:00
霞が関東京會舘    35階    ゴールドスタールーム


    1.開    会
    2.議    題
          「少子化と教育について」(報告)提出
    3.閉    会


出席者
委  員
根本会長、鳥居副会長、河合座長、川口委員、木村委員、志村委員、木委員、田村委員、俵  委員、土田委員、永井委員、中島委員、松井委員、森  委員、横山委員
事務局
河村総括政務次官、小此木政務次官、佐藤事務次官、小野官房長、富岡生涯学習局長、御手洗初等中等教育局長、佐々木高等教育局長、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○根本会長  それでは、ただ今から第230回の中央教育審議会総会を開くことにいたします。
  皆様、大変お忙しいところを御参集賜りましてありがとうございます。
  本日お配りしております資料1の「少子化と教育について」(※1)、この内容につきましては、前回、大綱は皆様にお諮りしてございます。その後、私の責任において、内容的に取りまとめたものでございまして、これをもって私ども中央教育審議会の報告ということにいたしたいと思っております。
  本日、中曽根文部大臣は、有珠山の噴火対策で北海道に御出張しておられまして、後ほどここに駆けつけられるというふうにお聞きしております。
  したがいまして、本日は、この報告は、私から河村総括政務次官にお渡ししたいと思っておりますので、御了承ください。
  それでは、報告の提出に当たりまして、一言、私から御挨拶を申し上げたいと思います。
  御案内のとおり、この報告は、内容的には文部大臣からの諮問があってつくられたものではございませんで、委員の皆様方からの自然発生的な発意で作業が重ねられまして、特に河合座長さんのもとで一年有余にわたって大変御熱心な御討議をされた結果でございます。この少子化問題というのは、先進諸国において共通の問題でございまして、いずれも社会的な問題にも関連するということで、いろいろな面で問題を引き起こしておりますけれども、この少子化の弊害を教育的にいかにしてミニマイズしていくか、あるいは少子化をめぐる環境に対してどういうインフラストラクチャーの整備をしていけばいいのかという観点で、御論議をしていただいたわけでございます。その行き着く先は、少子化問題のみならず、我が国の教育問題すべてについて言えることでございますが、社会全体のパワーで子どもを教育しようと。つまり、その内容は、この報告の中にもるる説明してございますけれども、家族の力、そして地域社会の力、さらに学校の力というこの三つが三位一体化して、子どもを育てていかなければならないという提言になっているわけでございます。そのおのおのについて具体的項目にわたって報告を行っております。
  したがいまして、この報告をベースに、今、国民会議でもいろいろと論議が進められると思いますけれども、これが一つの引き金になりまして、国民的な論議を引き起こすことになれば、私ども中央教育審議会のメンバーとして大変結構なことではないかと思っております。行政におかれましても、これをお受けになりまして、ひとつ真摯に吟味されて、そして極力早く具体的な手を打っていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  それでは、河村総括政務次官に報告をお渡しいたします。どうぞよろしく御覧ください。

          〔根本会長から報告を河村総括政務次官に手交〕

○根本会長  それでは、河村総括政務次官から一言ご挨拶をお願いいたします。

○河村総括政務次官  総括政務次官の河村建夫でございます。御挨拶を申し上げますが、その前に、ただ今根本会長がお触れになりましたように、本来中曽根文部大臣がお受けするところでございますが、有珠山の関係で北海道へ出張しておりまして、今、こちらへ向かっておるはずでございますけれども、時間的に間に合いません。ちょうど学校も今始まっております。また、あそこには北海道大学の火山地震研究所もございます。そういうこともございまして参っておるわけでございますので、御理解を賜りたいと、このように思います。
  ただ今、会長から立派な報告書をちょうだいいたしました。「少子化と教育について」ということでございまして、これまで15回以上にわたって会議をお開きになり、また、学校現場にもお行きになり、大変御努力をいただいたと伺っております。また、私どもも折に触れ、こういう話が進んでいるというようなお話もこれまでいただいてきながら、注視をしておったところでございますが、大変立派におまとめをいただいたと思っております。
  少子化問題というのは、考え方によっては、日本がこれからかかる最重要課題になっておるのではないかと思っておるわけでございますが、いち早く委員の皆さん方がそのことを察知されまして、諮問がありました初等中等教育と高等教育との接続の問題という審議を抱えながら、やはりこれは急ぐと。しかし、急ぐけれども、ここで提言をしなければいけないということで、時間をかけておやりをいただいたわけでございます。
  政府も、少子化問題については、内閣の中にもこういう懇談会を設け、報告書も出ておるわけでございます。特に皆様におかれましては、少子化というものが教育にどのような影響を及ぼすのかということを中心にしながら、少子化問題のあらゆる角度からおまとめになったと思っております。
  今、会長が御指摘になりましたように、社会全体が子どもを育てていく、また社会全体が子どもを守り育てていくという懐の深い社会をつくっていかなければいけないという一つの哲学のもとに、家庭・学校・地域社会、それぞれの役割を踏まえて、具体的な取組について御提言をいただいていると思っておるわけでございます。文部省といたしましても、この少子化という問題の教育への影響を最小限に抑えるにはどうしたらいいかということを念頭に置きながら、この報告をしっかり吟味をさせていただいて、具体的な政策として推進していかなければと、このように感じておるわけでございます。
  私は、この報告について、少子化が直接教育へ及ぼす影響として、子どもが少ないということは切磋琢磨の機会がなくなるであろうとか、あるいは親が過保護になりはしないかとか、学校行事や部活が非常に難しくなるだろうという具体的な現実的なお話がこの中にもありました。
  実は私ごとを申し上げて恐縮ですが、私は昭和20年代後半から30年代前半に義務教育を終えた者でありますが、私は少子化の最たる経験といわゆる今の40人学級以上の貴重な経験をしました。小学校3年までは、本校まで往復10キロ以上ありますし、山道でありますし、遠かったものでありますから、分教場だったわけであります。しかも、複々式でございまして、5人、7人、5人の17人のクラスを先生1人でやるという授業であります。これは今の法律に当てはめたら、そんなことはあり得ないそうでありますけれども、昔でありますからそういうことがあった。3年間それをやったわけです。山道を歩きながら、時々本校に行く。小さな社会の中におるわけでありますが、時々本校に行きますと、向こうにたくさんいる。それに対して非常に緊張感を抱きながら、この中の切磋琢磨でなくて、あっちにおるんだという思いを非常に抱いた。本校に4年から行きますと、一クラス45人ぐらいのクラスだったと思います。今から考えるとあり得ないような体験を小学時代に一遍にいたしました。
  実は今、少子化問題というのは、こういう現象になっています。都市型では40人学級をどうするんだということから、これを30人学級にしろとか、今度教育改革国民会議でも、24人が適当ではないかと、こういうような議論を今からされるというように聞いております。一方、地方へ行きますと、既に30人学級どころの騒ぎじゃなくて、これからまた複式をつくっていかなければいけないところがたくさん出てきております。こういうアンバランスが、今、教育界の現場には起きておるわけでございます。こういう問題をこれから念頭に置きながら、こうした少子化対策を一緒に考えていかなければと思っております。ただ、文部省といたしましては、ここにもいろいろ御指摘をいただいておりますが、こういう時代でありますから、先生の目がきちっと行き届くような少人数学級の方向というのは確保していく努力は最大限していかなければいけないだろうと思います。
  また、社会現象として未婚化・晩婚化の大きな問題があるわけでございます。この中にもお書きいただいておりますが、結婚された夫婦は2.2とか、3とか、今の人口を維持するだけの水準を持っておられるけれども、結果的に未婚化・晩婚化の現象は、一方ではパラサイト・シングルというような大きな問題もございますが、そういう現象が今日の問題を起こしておるということも指摘をいただいております。
  いろいろ突き詰めていきますと、教育の早い段階で、子どもを育てること、家庭の温かさとか、愛情とか、そういうものは子どもを持った家庭の中で生まれていくんだということが、子どもたちの中に小さいときからインプットされていかないと、そういうふうになっていくのではないかという指摘も受けておるわけでございます。
  この中にあらゆる問題を指摘いただいておるわけでございますので、しっかりそれを踏まえて、文部省としても真正面からこの問題に取り組んでいかなければと、このように思っておるところでございます。大変御苦労いただいて、立派な報告書をいただきましたことを重ねて感謝を申し上げまして、ご挨拶にかえる次第であります。ありがとうございました。

○根本会長  それでは、小此木政務次官から、一言お願いいたします。

○小此木政務次官  皆さんこんにちは。御紹介をいただきました政務次官の小此木八郎でございます。
  昨年の10月に拝命をいたしましてから、早半年がもう過ぎたわけでございます。ふだんの議員としての活動も含めて、これまでどおり地域の国民の皆さんと語らう機会、あるいは文部政務次官として学校の現場にも何校か行かせていただきました。教育の問題は、いろんな御意見を持っている方々がいらっしゃいまして、教科書問題なんかを取り上げましても、修身を復活せよなんていう御老人もいらっしゃれば、あるいは少子化問題であれば、人口過密なところにもっともっと保育施設を充実すべきだ、あるいは子どもを産まない家庭からは税金をもっと取るべきだなんていうちょっと乱暴な御意見もあるようでございまして、しかしながら、ずうっと考えてみますと、そういう一つ一つに本当の答えがあるかもしれないという中で、私も日々議論をさせていただいておるところでございます。
  今、会長からいただきましたように、今日は大変な御提言を各種各様、委員各位からいただきました。早急にこれを実現すべしという御挨拶もございました。責任は我々政治家にあると考えております。とにかく今から生まれる子どもたちは、これからの21世紀で活躍する人間ばかりでありますから、その子たちが立派に活動できるような環境を我々がつくらなければならないと思っております。
  各先生方の御努力に対しまして心から感謝を申し上げて、一言御挨拶にかえたいと思います。ありがとうございました。

○根本会長  それでは、皆様の御意見を承りたいと思いますが、今回はお手元にございます資料2(※2)に、小委員会の委員の方からメッセージをいただきまして、それを取りまとめてございます。これはこれといたしまして、ひとつ御意見を承りたいと思います。

○河合座長(少子化と教育に関する小委員会)  少子化問題は、根本会長も、あるいは河村総括政務次官もおっしゃいましたが、日本の非常に大きい問題だと私も思っています。ただ、非常に多くの要因がこれは絡んでいることでございまして、簡単に割り切った答えが出ないのではないかと考えておりました。ただ、当面やれることで、何か考えられることをしていこうというわけで、こんな案がまとまったわけでございます。
  私としましては、専門委員の方々など私よりもはるかにお若い方々の意見を直接にたくさん聞くことができまして、それも大変勉強になりました。

○  少子化対応は社会全体でやっていくべきものという趣旨は本当にそのとおりで、すばらしい報告だと思っております。
  私はそもそも少子化というネーミング自体が間違いではないだろうかとずうっと思っておりまして、基本的には晩婚化・未婚化の問題だというふうに本来呼んでいれば、対策系が割にすぐ結びつきやすかった。少子化と呼んでしまいましたので、ちまたには何となく保育園を増やせばいいんでしょうとか、子どもが3人目が生まれたらもう少しお金を払えばいいんじゃないだろうかというような話で、それでは根本的な解決にはならないと思っておりましたので、結婚をしないという問題にも焦点を当てていただいたことは非常にいいと思っております。
  それから、この報告書の範囲を外れるんですけれども、ということは、教育を外れるわけですが、それと同時に少子化というのが現実問題であるので、少子化の結果起こる社会への悪影響、年金問題とかございますけれども、それにできるだけ早く手を打つということが、日本全体としては大事で、それは教育の範囲を超えたところでもっと考えていかなければいけない。できるだけ早く対応策をとらなければいけない問題だと思っております。

○  今から数年ほど前、国立の病院の院長をしておられた方の少子化問題についての講演を聞いたことがあります。ほうっておけば人口は必ず戻ってくるというようなことをおっしゃってたんで、その時はそうかなと思ったんですが、最近はなかなかそう簡単な問題ではないなと思うようになりました。
  また、未婚の問題、いろいろあると思いますが、一つ、私が非常に気になっておりますのは、「心の教育」のときに出ましたデータで、この中にも入っておりますけれども、日本人の親の子どもに対する満足度が生まれたときから非常に低いという問題です。本当だろうかといつも、私、気にしております。アメリカ、イギリス、スウェーデンという国は、生まれたときから満足度は90%近くあります。ところが、日本の親は既にこの時点で60%切れるぐらいの満足度しか持っていない。それが長ずるに従って、このデータだと10〜12歳になりますと、満足度が実に40%を切れてしまう。それに対して、先ほど申し上げたアメリカ、イギリス、スウェーデンという国々は依然として80%以上ある。子どもとか、人間に対する愛情といいますか、日本に本来あったと思われるそういうものが、今ではなくなってきたのではないかと少子化にからめて最近強く感じています。

○  この審議会に加わらせていただきまして、いろいろな背景や立場の委員の方々の御意見を伺い、とりわけ現場で教育に当たっていらっしゃる専門委員の方々とか、委員の方々で、父親や母親として子どもに接していらっしゃる御経験からの御発言など、いろいろ勉強をさせていただきました。そのようないろいろな御意見の中には、かなり傾向の違う、そして強い御意見がありまして、これがどのようにまとめられるのかと、時に懸念したこともございましたけれども、河合座長、その他多くの方々の指導力と御尽力によりまして、いろいろな点でバランスのとれた、中でも個人の生き方と社会の責任とのバランスですとか、そういう点でバランスがとれていながら、非常に強い主張を持った報告になったと感じて、非常にうれしく、またありがたく思っております。
  というふうに、非常にポジティブに受け取っておりましたところ、ただ今大変気になるデータにお触れになりまして、私もそれは非常にショックでございまして、これは少子化とか、愛情だけではなくて、より広い特に戦後50年の日本の、日本人の生き方、自分というものをどう見ているのかという大問題ではないか。それはまた当然、教育とか、子どもの育て方に大きな関係を持ってくるわけでございますので、まだまだ日本社会が取り組むべき課題は大きいと感じているところでございます。

○  これは少子化という問題だけでなくて、縦型社会的なしくみが、今、壁にぶつかっているというか、疲労してきているのではないかと思います。とりわけ企業社会は縦型社会の典型の一つだろうと思うのですが、教育のように総ぐるみといいますか、横型の要素が強い社会の営みに対して、縦型の社会が無関心、時には傲慢というか、そんな存在であり続けてきたという視点も必要かなと感じています。そういう意味では、企業も変わっていかなければいけませんし、横型の社会へのかかわり合い方みたいなものが、今、とりわけ教育についても問われているのではないか、そんなことを最近思うことが多い。そのことだけ申し上げさせていただきます。

○  実はかなり昔の話になるんですが、東京都が女性問題にかかわる審議会をつくられて、そのころ「婦人と言わないで、女性と言うんだ」ということを初めて聞いて、審議会の委員になったという経験がございます。大変懐かしい話なんですが、その審議会の議論の流れの中で、婦人会館ができたというようなこともあったのですが、そこで既にして少子化の問題が議論をされておりました。当時の議論というのは、意識の上でも、女性が子育てをしやすいような社会的条件を整えろということが中心でありました。ですから、そういった条件が議論の中心になっていたということが思い浮かぶわけでございます。
  現在、少子化というのはその部分はもう乗り越えてきて、違った面で取り上げていかなければいけない時期が来たという率直な感じを持っております。つまり、昨年の同様な調査で、これは国民性もあるとは思いますが、「21世紀のある時期に、日本人が国際社会のリーダーになると思うか」という質問がございまして、それに対してアメリカ人の80%、イギリス人のたしか79%が「イエス」と答えている。自分の国が国際的リーダーを輩出するということについて、「イエス」と答えているわけです。日本の人は20何%でした。ドイツとか、フランスとか、スウェーデンも調べられていましたが、それも50〜60%の人が「イエス」と答えているんです。日本人だけは文化的にあまり自分のことを言わないという面もあるのかもしれませんが、将来に対してはっきりした、自信のある意識がなかなか育っていない。少子化を考える場合には、どうもそこのところまで考えないといけないのかなという感じが、最近、つくづくしております。
  子どもを持つことについて希望が持てないということを言う人によく会います。ですから、そのことに対しては、我々の今の大人の社会が責任があると思うわけです。客観的に言って、日本ぐらいに豊かで、いい生活ができて、こんなに自由に幸せに生きているはずなのに、どうして幸せと思えないのか、私などは率直に不思議に思うところがあるんです。やはり一つの物の考え方をこれから日本の国として考えていかなければいけないのではないかと思います。
  もし勝手なことを言うことを許していただけるとすれば、私たちの国は50年間、物質的な豊かさが何しろ第1の願いでありまして、これは合理性という意味では大事なことではありますが、行動の基準が損するか得するかだけで動いていた時代が長く続きすぎたのではないか。もうちょっと人間として生きるということを考えた場合には、人間が幸福になるためには物だけではないんだという考え方を社会として打ち出していくことをしていかないと、この状況はどんなに豊かになっても解決しないのではないか。それによって少子化ということに答えが出てくるのではないかという気がしてしょうがないわけです。つまり、将来に夢が持てないということになりますから、子どもをつくろうとしないということになりかねないわけであります。とは言っても、経済的なことも大事なことですから、いろんな条件は考える必要があると思います。しかし、根幹には日本の将来の、日本の民族としてのこだわりみたいなもの、日本民族は地球の中で存在価値があるんだということが自覚できるような価値観みたいなものを持てるようにしていくことが、今の私たちの大きなテーマになるのかなと考えているんです。
  あまりにも大づかみな話を申し上げましたが、基本は未来に夢が持てる日本人を何とか育てられないだろうか。他の委員の方がおっしゃっている日本における家が変わっちゃったというか、次が何かという見通しがないわけですから、不安になる。そうすると、それを基盤にしてきた社会そのものも見通しがなかなか持てないということで、その辺のところが最終的には問われなければならないのではないかと最近考えております。並行してぜひ検討を続けていく必要があるのではないかと思っております。

○  私はこの審議会に参加しておりまして、毎回、議論がすごくおもしろく刺激に満ちていまして、会合が終わった後、エレベーターの中でもまだまだ話が続くというような感じでした。大変珍しいことではないかと思います。私なども未婚化・晩婚化を進めている世代の張本人の一人のような感じなんですけれども、ただ問題は本当に個人の生き方にかかわることですので。個人、そして特に女性の生き方ですね。男性で、今、結婚したくないとか、子どもを持つかどうか迷っているというような人はあまりいないと思うのですけれども、そこで立ちどまっているのは女性のほうかなと思います。その女性の生き方がすごく多様化している中で、一つのモデルケースを示して、みんなでこれを目指せばいいんですよという答えの出し方ができない問題ゆえに、議論もあっちへ行ったりこっちへ行ったりもしましたし、なかなか難しいなと感じました。
  その中で、何度も話題になって、シングルマザーの話が出ていたんですけれども、結局、資料1のほうにはあまりうまく取り込まれなかったように思うのですが、資料2のほうで、私も含めて何人かの委員が書く場所を与えてもらいましたし、資料1と資料2をあわせて読むと、ここで話し合われていたことの輪郭がより伝わるのではないかと思いました。資料2というのはとても珍しい形だとは思うのですが、それほど一つのモデルケースで示して解決できることではないということの結果なのかなというふうにも思いました。

○  私、思いますのに、戦後、社会や経済だけでなく思想や倫理にまで徹底した価値変動がございました時代に、新しい方向について多様な形で多くの人たちが各個人に教育として結集して頂きました。そういった世代の方がみんな一人前になられ、立派に生計を立てていかれるようになりました後で、よく見たらあちこちに大変大きな欠陥が見えて来た。この事実をどう認識し、対応するかという処から始めないとなかなか難しい、そんな気がしております。いろいろな御指摘がありますが、まず家庭が変わってしまった、社会も変わってしまった、価値観も変わってしまった、旧来の倫理に基づく躾も脱落してしまった、例えば愛情というようなことを前面に押し出すといたしましても、個が優先するのか、それとも家族の存在をどう扱うのか、あるいは地域の問題は、これらは当然みんな絡んでくるわけです。
  今の状態を別な言葉で言えば、日本人同志は相対温度が非常に下がり、冷たい感覚の持主の割合が増えてきているのではないか。つまり、自分のことや身近な対象は考えるけれども、周辺のことは一切気にならない。子どものことについては、古い時代には当然女性の役割であるから、女性の役割として考えて貰わなければどうにもならんということで、長い時間を費やして今日まできたと思います、しかし、そのような発言は今日到底許されない。したがいまして、男性も家庭の成員として非常に責任があるわけですが、温かさと申しますか、具体的な作業内容の分担を超えて精神面、情操面での愛情や心の交流の問題を取り上げるべきではないか、つまり換言すれば、暖かい愛情に溢れた献身とか、奉仕とか、あるいは家庭という単位の集まりとしての社会の活力はどうすれば出てくるのかという処までを原点からもう一度組み直して考えるべきではないか。人間とか、道徳とか人間の基盤についても議論の必要がある、端的に言えば温かみがある、現在欠落している情操面の教育配慮の必要も指摘しながらという気持ちです。家庭の、また、社会の問題も、多面的な配慮がいる、勿論教師側だけでなく家庭、地域それに行政までも一丸となった対策を立ち上げることが必要と考えねばならない。
  幸い沢山の御指摘を頂戴できておりますので、すべての関係部局、関係者を挙げて「志を高く持って」推進する以外にはないでしょう。子どもにはすべて天賦の才能があり、その才能が教育の努力をしなくても自然に発生してくるとの錯覚に捉われた在り方、また、人間としての躾を忘れた自己中心(利己主義)のみを伸ばすような頭撫で教育の問題点と失敗点の反省に立った教育を徹底的な見直しが必要。行き過ぎた偏向教育のとがめが今出てきていることを、率直に認め、反省に立った教育の立て直しが重要と見ております。

○  意見は補足的に、感想みたいなものになると思います。少子化そのものの現状に対しましては、社会全体のパワーを地域社会にどうやって還元するかということに尽きるような気がいたします。つまり、働くという、収入ですね、経済的なインカムだけにエネルギーを向けて、地域社会というものを忘れてしまったら、そのよって立っているモラルを失うんだという哲学者の話を聞いたこたがありますけれども、足るを知って、そのエネルギーを地域社会に還元していくということが、少子化社会の一つの解決になるんだろうと思います。
  日本というのは西洋のように教会というものを持たないわけで、昨今、西洋も教会のパワーが低くなっておりますけれども、地域社会に精神の支柱を持たないというのは非常に残念なことで、ひょっとすると地域の学校あたりが一つの鍵になるのかもしれないという感じがしないこともございません。
  もう一つ、少子化自体は、未婚率と非常に関係があるのでして、結婚した人は必ず子どもを持つ、あるいは、今、結婚という制度は、子どもを持つということを考えないとあまりしたくないという感じすらあるのではないかと思います。その場合に、結婚という法制度が今の先進国の若い人の心情に合わなくなっているようなところがあるのかもしれない。フランスでは今緩やかな結婚制度が導入されるようになりました。これは昨年からです。結びついて相続権を与えるということでして、本当の結婚よりはいろんな意味で束縛が少ないというような制度でございます。こういう制度的な改革も必要だろうと思います。
  なぜならば、日本では結婚しませんと正式な  ―個性、個性と言いながら、固定観念がございまして、そういうことから逃れられない。ましてや子どもを持とうとするときには、子どもが差別されるというようなことがありまして、なかなか婚外で子どもを持つことができないのだろうと思います。
  それから、結婚率が低いのは、最近の現象として男性がダントツに増えてまいりました。女性だけではなくて、本当にびっくりするほど、男は結婚をするのが面倒くさいということだろうと思います。これは教育的な問題から考えますと、人との接触不良といいますか、人との関係が取り結べないというようなこと、それからとにかく面倒くさいということだろうと思いますし、もう一つ言えば、自分の遺伝子を伝えたいと言うと変な言い方ですが、自分を肯定できない、したがって子どもを持ちたくないというような人が増えているのかもしれません。こういうことそのものは、もし少子化にしたくなということであれば大変な問題であろうし、日本人全体が自己を肯定しない、そういう若い人が増えていることは日本の大きな社会問題であるという感じはいたします。

○  この報告の最初に、「子どもは社会の宝」であって、「社会全体で子どもを育てていく」ことが大切であるということを強調するということで、ある意味では非常に大切な視点が入っております。非常に豊かになって、将来的な希望といいますか、自分の希望の実現に夢が持てないという中で、子どもというのは自分だけの子どもではないということを意識していくことが必要だろうと思います。今まで自分が育ってきた、そして今現実に社会からいろんな面で恩を受けている、そういう人生を過ごしてきたからには、社会に子どもをかえしていく必要があるんだという意識を植え付ける必要があると思います。これがやはり教育の原点ではないかと思います。
  そのためにどうすればいいかというのが問われているわけですけれども、今できることというのは、一番大きなのは、いろんな体験の場を数多く用意して、あらゆる経験ができるような場を設定していく必要があるのではないかと思います。現実にはテレビゲームでの疑似体験はありますけれども、実際の体験をする場がないということで、現実とそうでないものとの見分けがはっきりつかないような状態があるということもございますので、今、文部省でやっている「全国子どもプラン」等々のいろんな体験学習の場を活用するなり、あるいはこの中にも入っていますが、保育実習を充実していくことが大切だと思います。中学生・高校生の特に男の生徒の場合、乳児、子どもを見た場合の感覚というのが普通ではないと思うのです。赤ちゃんを見たときに、だれでも本能的にかわいいという意識はあると思うのです。そういうものを大切に育てられるような教育をするということだろうと思います。そういう意味で、この50年間かかってこういう状況になったわけなので、今の若い人たちがそういう体験をし、意識を変えていくということで、少し時間はかかりますけれども、50年後にはまたきちっとしたそういう、子どもは宝であるという意識が徹底できるようなことにしていく責任があるという意を、この報告を読んで強くしたところでございます。

○  一つの指針を出していただいたことはありがたく感じております。というのは、私どもの組織の立場から申し上げますと、私どもは公立の小中学校の保護者の集まりでございます。その関係上、どうしても地域というものを避けて通れない。その中で、学校教育をいわゆる学業のみに限定して、消費者選択を優先しまして、どこの学校を選ばせるという形にいくのか。その結果、教育の責任を保護者のみに帰属させるのか。あるいは、そうではなくて、学業だけではなくて、社会性とかを地域の中で育てるという、いわゆる教育を保護者と地域住民と適当に案分してやるのかによってだいぶ違ってまいるわけです。私どもの組織の考え方というのは、地域の中での義務教育、小学校、中学校でございますので、それを念頭に置いてやっているわけでございます。
  そういう中で、今回の報告は、地域の中で子育てをする。で、「私」ではなくて、「私たち」の子という形でもって、地域で一体となって子育てをするということを明確に出していただいたことは非常にありがたいと思います。
  現在、子育ての当事者は、1,200万世帯おるわけでございますが、特に、どうしてもそれだけで、PTAでやっているような感じを受けますけれども、そうではなくて、子どものいる人も、いない人も、地域の人たちが一緒になってという形でもって、新たな例えばPCAというのをこの中に入れていただきましたので、私ども組織もまたこれの具体的な実現に向けて頑張っていきたいと考えております。
  その中で、私どもの組織で具体的に行うということでは、今、二つありまして、6月18日にアジア子育て親子サミットを横浜で開催します。先進国の問題というのは共通しておりまして、いわゆる少子化、それから離婚率の増加とか、結婚する人が少ないということについて、共通の認識を持っておりますけれども、アジアの国はどうなっているかということで、アジアの国の保護者と児童生徒を横浜にお呼びしまして、そこでもって意見交換をやろうということを考えております。
  もう一つは、前にもお話ししましたように、私どもは子育ての当事者でございまして、今、1,200万世帯といいますのは、1,200万会員でございますけれども、夫婦で結婚していますから、2,400万人いるわけです。その親が子育ては楽しい、結婚するのは楽しいということを、私ども自ら実践しませんと、私たちの子どもたちは将来、大きくなって家庭を持ちたい、あるいは子どもを産みたいという気になれないわけでございます。そういう意味で、明るい活動をしようという形で、子育て3行詩キャンペーンというのをやる予定でございまして、全国から子育てはこんなに楽しいということを集めまして、それをいろんなところでPRしていこうかと思っております。
  それから、先ほど経済的な問題で小此木政務次官からお話がありましたが、実はあれは私どもの理論でございます。これは乱暴な言い方かもしれませんけれども、「私どもは子どもが大きくなったら、私どもは年金は要らない。子どもたちにその年金分ぐらいはもらいたい。そのかわり、今、子どもたちに教育費がかなりかかるので、例えば年間50万とか、100万というのをくれよ」というのが我々の議論でございます。ですから、その分を今独身の方とか、あるいは子どもを持っていない方から少し税を多くとっていただいて、その方たちが高齢になって年金をもらうときには、どうぞ年金を優先してくださいと。私たちは、乱暴な言い方かもしれませんけれども、子どもたちに面倒を見てもらうというぐらいなものがあってもいいのかなという形で、そういう発言を私どもはさせてもらっているわけでございます。

○  4点ほど気づいたり気になることを申し上げたいと思います。
  第一点は、我が国の人口の適正規模はいくらかという議論なしに、「少子化、少子化」と言っていることの問題点です。ある委員は、少子化がなぜ悪いと公然と小委員会でもおっしゃるし、そうするとどのくらいがいいのか、だれも答えられないんです。そういう意味で、特殊出生率がどのくらいになるのがいいんだと明確に言えない。これは小委員会の宿題ではないんですけれども、そういうことを政府のほうで少子化でどうして考えていないのかということが一つ疑問になりました。これが第1点です。
  第二点は、育児支援は結構ですが、経済的な育児支援をいくらやっても、少子化と教育の答えにならないのではないかということであります。例えば補助金を出すとか、駅の近くに保育所をつくるとか、そうなると、働きやすくなるだけで、ますます働いて、働くことを助長しているようになるわけで、教育的支援ならもう少し育児のための教育の質、中身、優秀な保母さんをたくさん用意するとか、メンタルなといいますか、質といいますか、それと関連してくるのではないかと思います。そういうことをもうちょっと強調してもよかったのではないか。書かれてはいるのですが、そういう感じがいたしました。
  第三点は、家庭教育の問題ですが、「子どもは社会の宝」というキャッチフレーズ、これはなかなかいいと思うのですが、その社会の宝が今減少しているわけです。その社会の宝を受けて、社会全体で子どもを育てなければいけないというのがポンときますと、家庭はどうだということになるので、家庭教育が前提で、その基礎の上に社会全体でというこの両輪でなければいけないので、そこのところを誤解されたら困ると思いました。
  そういう意味で、男女共同参画はいいのですが、こういう言い方をするとまた誤解を招きますが、大変いいと思います。しかし、家庭教育となりますと、どういうふうに男女が参画するかという分業論といいますか、役割分担、教育機能論がないので、例えばシングルマザーやシングルファザーになったときに、どういう子育てをするのかというのは、教育論としてわかっていないから問題が出るのではなかろうか。うまくいかないのではないかという懸念があります。といいますのは、現在の少年非行とか、少年犯罪を調べますと、ほとんど家庭に問題があるというんですが、そういう態度調査、研究がないので、今、私は「犯罪教育学」の提起を法務省でやっていまして、研究助成を出してくれと言っています。そういうときに、シングルマザーやシングルファーザーの家庭ではどういう点に注意しなければいけないかということを提案  ―これからますます増えるわけですから、そうしないと非行になりますよという少し脅かすぐらい言っておかないと、子どもにはバラ色の可能性がありますなんて未来のいいことばかり言っているから、可能性には危険の可能性もあるのに、みんなよくなる可能性のことだけ連想していますが、そういう点が家庭教育についてであります。
  最後ですが、これは気になる点で、私はまだよくわからないんですが、いろんな論文を見ていますと、日本の将来のことを考えるときに、少子・高齢化とセットで言われているんですが、今、ここで少子化だけを考えたんですが、高齢化というのは年をとる人、みんな長生きしたということであって、大事なことは高齢者が増えるという多高齢化なんです。少子化のほうは、子どもは大きくなるから年齢のほうはいいんですが、少子化・多高齢化ということで、高齢化を視野に入れた少子化対策というのはどういうものなのかということが気になる点です。
  もう一つは、移民の問題です。少子化になれば労働力が不足するので、移民のことを私はワーキング・グループでもちょっと申し上げたんですが、移民が増えると移民の子どもが来ますから、移民の子どもの教育も問題になる。これは先進国で非常に苦労しています。ドイツなんかはトルコ人労働者の子どもの教育は、ドイツで見るのか、ECで見ろとか、いろいろ議論があるわけです。これからいろんな問題が起きてくるなということが、今、気になっていることであります。

○  私ももともと少子化問題について、教育的に及ぼす影響を考えて、どう対応するかというのを中央教育審議会で議論すべきではないかという意見を言ったほうの立場でしたけれども、結果として接続のほうに所属をすることになりまして、少子化問題についての意見をそれほど詳しく申し上げる機会がなかったんです。
  確かに今まで各委員の方から指摘されるように大変難しいテーマで、それだけに切り口がたくさんあるので、どうしても多くの切り口からこの問題について言及していけば、そういう意味では、1年間でこういう取りまとめを、しかも大臣諮問という形でなくて、委員の発意を受けて一つの報告提言をまとめたというのは、「はじめに」のところを読めば、中央教育審議会始まって以来初めてだということで、ある意味では画期的な、これからの中央教育審議会が、いろいろな審議会が整理されていく中で、文部省の審議会として大臣発議以外にも、いろいろ委員の中から自発的に取り上げるテーマについて一定の取りまとめをして、社会的にそれをアピールしていくというのは、そういう一つの例をつくったという意味も含めて、大変意味のあることだと一つ思います。河合座長はじめ、小委員会のほうに所属された委員の皆さんに、そういう意味では敬意を表したいと思っています。
  なお、委員の発議によって一つのテーマを取り上げていくという場合の審議の仕方とか、そういうことについては必ずしもルールがあるというふうにも思えませんで、これはこれとしてまとめていただいて大変結構なのですけれども、私は当初、普通の答申みたいに中間報告を出して、一定関係団体を含めて、広く国民にさらして意見を求めて、多少手直しをするという手法かなと私は勘違いしておったんですけれども、委員の発議ということでそういう手続は今回取られなかった。それはそれでいいんですけれども、ぜひ大臣から諮問されて答申を出したのと同じような扱いで、今後、これを具体的に施策化する段階で、できれば教育関係団体に広く意見を聞いて、施策に移していただくようなことを、事務局、文部省として考えていただければと思います。
  なお、委員の皆さんからいろいろありましたように、この報告の中では少子化が教育に及ぼす影響を最小限にとどめるための政策的対応を図る。少子化のもとで可能な限り教育条件の充実を図るとともに云々ということになっています。その点でも、前回、若干意見を申し上げまして、その点は修文していただいて、私の意見も取り入れていただいているので、具体的にそのことが、とりわけ少子化のもとでの教育条件の整備ということで、ポジティブにこの問題を受けとめて、少人数学級の問題を含めて教育条件の整備に向けて、来年度の概算要求の時期も差し迫っていますので、総合的にそういうことを加味していただいて政策化していただくように特にお願いをしておきたいということです。
  もう一つは、「第5章  教育面以外からの方策」ということで、これも現状において考えられることについて、住宅政策を含めて地域社会におけるまちづくりとか、いろんなことで少子化対応を考えて、幅広く御意見を取りまとめていただいています。ただ、その中の1番目に、固定的な性別役割分業の考え方を是正をする必要があるという指摘ですが、子育てなり家事を含めて男女共同でやっていく。特に若い最近の御夫婦を見ていると、ごみは朝早く男性のほうが通勤途上に持っていって、ごみ置き場に置くとか、子どもが2人いるときに、1人は男性のほうが通勤途上、駅の近くの保育所に預けていくとか、比較的若い御夫婦の場合は、文字どおり共同参画社会をやられていると思います。今の学校教育の中で、家庭科が男女共修になったりいろいろしているので、もう少しその辺を小さいときから、学校教育の中で男女共同で子育てや教育、家事等をやるような面で、今の教科書を見るとやや固定的な役割分業のあれがまだ残っているような箇所があるという指摘もあるので、ぜひそういった点について施策化するときに少し検討していただきたいということを意見として申し上げておきます。

○  私も、このような立派な報告をつくってくださいましたことをまず感謝申し上げると同時に、敬意を表したいと思います。
  この報告書は一つの完結したものだと思いますが、これの外側にいろいろな問題が残っていることは、今、委員の皆様が感想として述べられた通りだと思います。特に私が感じますのは、今回取り上げたテーマは、それこそ何千年もの人間の歴史の中でずうっと残っている問題、つまり女性の地位の問題が、今、特別な形で吹き出している、そういう人間の長い歴史の中の一時期をあらわしていると思います。私は経済学者ですが、イギリスの王立経済学会の最初の雑誌が出たのが1890年です。その第1号から10年間の主たる議題というのは、なぜ男女賃金格差があるのかということで、いろんな議論が続きました。最近になるにつれて難しい数学の議論が増えるのですが、昔は簡明直截でして、「それは男女差別があるからだ」というのが普通の論文の論調なんです。このごろ、男女差別、女性蔑視を言い逃れすることが、だんだん人間どこの社会でもうまくなってきた。しかし、それは存在している。そのことが、今回のような、例えば未婚の原因というところにも本当はひそんでいるのではないかと思います。ですから、私はその観点から言うと、結婚しない自由、する自由、子どもを持つ自由、持たない自由、あるいは産む自由、産まない自由というのは、どうしても避けて通れない議論で、議論したほうがいいし、今回の報告のような書き方は一つの立派な書き方だと思います。
  ただし、この問題には実は裏側がありまして、産み落とされてしまった子どもにとっては、権利とか自由という言葉では表現できない何かが残る。それは私は人生の重荷だと思います。産み落とされてしまった子どものほうは、親が自由の結果、重荷のみを負わされる。その重荷が今日では、日本のような豊かな社会では偏差値競争の重荷といったたぐいの重荷として感じられますが、もっと根源的な重荷を背負わされている子どもがいっぱいいるんです。例えば、日本国内でもいろんな施設がありますけれども、知能のおくれたまま捨てられた子ども、あるいは身体の障害を持ったまま放置された子ども、子どもといっても、その方たちはもう70、80才なんですけれども、そういう女性たちがあつまっている場所があります。日本の近代社会の中で、結婚した親から生まれた子どもも、親のない子どもも、どんな重荷を背負わされているかという観点から、一度取り上げないといけない。その問題を今回取り上げなかったからいけないという意味ではなくて、いずれは取り上げなければならない問題として残っているということは、我々は認識しておくほうがいいのではないかと思います。
  それから、未婚の理由についても、先ほど他の委員から、人との関係がつくれないというお話がありましたが、本当に人との関係がつくれない世代がだんだんに増えていく。最後には自然との関係がつくれない世代も発生する。バーチャルリアリティーの世界にのめり込む世代とか、そういうものがあと一世代、二世代と積み重なっていったときに何が起こるんだろうかということを考えますと、50年たったらもしかしたら戻るかもしれないとおっしゃる方もおられますが、私も本当にそう思いたいんですが、何か恐ろしいような気がします。
  もう一つは、国際化の問題です。国際化の問題は深刻な問題をいずれは巻き起こす。それは今回の審議では残ったのではないかと思います。
  私が一番申し上げたいのは、現時点でとにかく我々が抱え始めている青少年問題の根源は家庭にあるんだということです。私の学校の場合、小学校・中学校・高校段階で問題を起こしている学生は、ほとんど例外なく不和家庭、あるいはどっちかの親が何かの理由でいなくなった家庭なんです。その場合、逆は必ず真ではないんです。不和家庭だと必ず子どもがだめになるとは決して言いませんが、だめになっている子どもを調べると必ず不和家庭とか、あるいは母親だけの家庭とか、父親だけの家庭です。この問題は中央教育審議会の問題としてはこれからの問題と思います。

○根本会長  それでは、佐藤事務次官から一言、御感想なりをひとつお願いします。

○佐藤事務次官  大変難しい課題でありましただけに、社会全体で子どもをはぐくむという視点から、具体的な御提言をちょうだいいたしましたことを厚く御礼を申し上げたいと存じております。
  個人の意識とか、あるいは家族の在り様とかいったことは、伝統的な行政手法は全く無力てございます。そういったことから考えますと、今回のような御提言やメッセージが積み重なりまして、空気が動いていくということもぜひ期待をしたいものだと考えるところでございます。どうもありがとうございました。

○  内容的には、皆さんお話のとおり、画期的な提言であるのではないかと思っております。河合座長の大変な御尽力でこういった立派なものができたことを大変喜んでおります。内容的に申しまして、大きく言って二つほど、私からコメントをしたいんでございますが、まさに社会の力で子どもを教育していくという視点は、私も常にそのように思ってまいりましたし、非常にはっきりしとした一つの提言ではないかと思っております。
  ここに提示された三つのコンポーネントといいますか、家庭、そして地域社会、学校。問題はそれを取り巻くもう一つもっと大きな、日本社会の底流の問題、これは一言で言いますと、人間性の疎外というような問題があるんではないか。人間性の疎外という問題は、経済的に言えば、今、盛んな市場主義について、抑制がなければえらいことになるわけでございまして、大人の社会は企業、その他で市場主義にどっぷりつかっておる。そこにおのずから一つの抑制がなければならないのに、しばしば抑制なき市場主義というようなものがひとり歩きしておるという問題。それから、IT革命、あるいは遺伝子革命といったものが、これから非常に大事な問題になってまいりますけれども、これには影の部分としてバーチャルリアリティーのもたらす人間性の疎外といいますか、そういうものも秘めているということでございます。社会の力で子どもたちを育てるというポジティブな面と同時に、今、私が指摘したような、これから日本の社会が抱えていく大きなマグマに対して、どのように大人社会は対抗していくのかという問題が出てくると思います。これは政治の問題にも非常に関係してくると思います。
  それから、個性の重視ということを一貫して言ってまいりましたけれども、つまり個性の重視というのは、他人の個性も尊重するというのが本当の個性の重視だと思いますし、その自律と他律が合一されるような、そういった個性に対する考え方をしっかりしないと、少子化でますますアイソレートする子どもたちが、自分の個性だけを重視していくような教育は絶対に排撃しなくてはならんと私は思っております。
  3番目は、日本の優れた文化、伝統、そういったものを掘り起こして、子どもたちに教え込んでいく必要がある。私、この年になって遅まきながらディスカバー・ジャパンで日本列島を、チャンスがございますといろいろ古いものを見ながら回っておりますが、それだけでも随分自分自身がある面では国際化されるというような錯覚に陥りまして、日本を知らない者が何で国際社会で「国際化、国際化」と言えるのかという、逆説的な表現にはなりますけれども、何よりも日本というものをあまりにも知らな過ぎるのではないかという感じがしております。
  そして、私たちが受けた教育については、いろんな御批判もあるかもしれませんけれども、よく学び、よく遊ぶということで我々は教育を受けてきたわけでございまして、そういった観点で、広義の教養教育を子どもたちのころから授けるというような方向に、ぜひとも文部省は頑張っていただきたいと思います。


※1、※2  この資料については、文部省大臣官房総務課広報室にて閲覧できます。

(大臣官房政策課)

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