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中央教育審議会

1997/3
中央教育審議会第1小委員会(第23回) (議事録) 

                     中央教育審議会第1小委員会(第23回)
                                  議    事    録


                          平成9年3月27日(木)13:00〜15:30
                          霞が関東京會舘  35F  ゴールドスタールーム 

      1.開    会
      2.議    題
        「学校間の接続の改善」について
      3.閉    会



        出  席  者

          委  員
            河野座長                        遠藤審議官(初等中等教育局担当)
            有馬会長                        工藤審議官(教育助成局担当)
            鳥居副会長                      富岡総務審議官
            市川委員                        鴫野政策課長
            木村委員                        その他関係官
            國分委員
            小林委員
            坂元委員
            高木委員
            田村委員
            永井委員

          専門委員
            油井専門委員  
            佐々木専門委員
            薩日内専門委員
            末吉専門委員  
            那須原専門委員
            蓮見専門委員  
            増井専門委員  
            牟田専門委員  
            中  専門委員  
            山極専門委員  

○  それでは,議事に入らせていただきます。
  本日は,第15期としては最後の第1小委員会となりますので,「中高一貫教育」及び「大学・高等学校の入学者選抜の改善」について,きょうはあわせて御議論をいただくことにしております。前半を「中高一貫教育」,そして後半を「大学・高等学校の入学者選抜の改善」について,御議論いただきたいと考えております。
  この場合,「中高一貫教育」については,前々回,2月19日,第21回の会議でお示ししました「素案」について,総会や小委員会でいただいた御意見を踏まえて,修正を行ってお配りしてございます。修正箇所には下線が付してあります。
  前回の「素案」に対していただきましたいろんな御意見をできるだけ盛り込んで文案をつくったつもりでございますが,忌憚のないいろいろな御意見をこれから自由にお願いできればと思います。大体2時ぐらいまでを目途をに,「中高一貫教育」について御意見をいただきたいと思います。後半で「大学・高等学校の入学者選抜」の問題について御議論をいただきますので,2時までを目途にということで,よろしくお願いいたします。どうぞ。

○  中高一貫教育について,非常に丁寧に,多方面に気を使って書かれており,概ね結構かと思います。ただ中高一貫教育の利点として,高等学校入学者選抜の影響を受けずにゆとりのある安定的な学校生活が送れることとありますが,そのような視点は無視できないにしても,このようにはっきり利点として出されると,現行の制度は高校入試があるがために,ゆとりのない問題のある制度ととられがちになります。また,高校入試がゆとりを無くしているのであれば,いっそう現行の高校入試制度を廃止したら問題は解決するのではないかともとられます。
  そういうことから,学校教育を通して「生きる力」を6年間一貫してはぐくむ学校か,それとも,3年ごとに異なった環境や多彩な教師や生徒との触れ合いのなかで「生きる力」をはぐくむ学校かの選択として位置づけることも考えられると思います。

○  今のような御意見も勘案しながら,中学校と高等学校に区分されてなされている,これの利点と意義を書いたつもりでございますが,そういうことも考えて今の御意見を伺いました。

○  全体的に今までの議論を踏まえて提示されたんだろうと思いますが,私がちょっと斜めに見過ぎるのかどうか知りませんが,中高一貫教育というのをどうしても仕上げたいという執念みたいなものを強く感じるんです。
  前回申し上げましたが,多線化あるいは複線化という論議もわかるわけですが,結局,例えば6年制中等学校がどの程度の数で設置されるかによって,その後にあらわれてくる子供たちあるいは父兄の反応も違った形でとられてくるだろう。その辺をどのように読み込んで,とりあえずスタートを切らなければ何もわからないじゃないかということも含めて,どう見極めていくのか。
  一方では,6年制,あるいは中高一貫というんでしょうか,やろうということをお訴えになるわけですけれど,一方で3・3の高等学校の存在意義みたいなものを強調されている。中高一貫の場合の選抜については,抽選等を中心に考えるというようなことをお書きになり,では3・3のほうも抽選や面接中心になっていくのか。その辺の相互に影響を与え合う関係について,これからどんなふうに考えていくべきなのか,その辺をもう少しクラリファイしておかないと,混乱のもとになるのではないか。
  それから,どの程度の調査なのか知りませんが,ある新聞社が中高一貫について,各県教育長さんのアンケートを取られたのを見ましたら,半数以上の方々が  ―聞き方,質問の中身なんか知りませんから,新聞の記事だけなので,とらえ間違っているかもしれませんが−  あまり積極的に中高一貫を,それぞれの県の具体策として取り上げていこうという気がないというか,そういう気が起きないという趣旨のお答えをしておられたように新聞で拝見しました。そういう意味で,複線化という発想,あるいは選択肢の多様化という発想やよしなんですけれども,もう少し吟味をしなければいかん点が残っておるんではないかと感じるわけでございます。
  エリート校づくりならエリート校づくりが必要だということをはっきり言ったほうがいいのではないか。それはまた一方で,そうは言えないと。今までの経緯もあって,そう簡単にいかんということなんでしょうが,そこのところをものすごく無理するものだから,という気がしてなりません。
  そういう意味で申し上げれば,「中高一貫教育を導入することが適当であるとの結論に達した」と。これは大方の方という意味であればいたし方ないですが,その下の段落の「共通理解を得た」という書きぶりはいかがなものでしょうか。この辺の書き方は,本当に共通理解なのかという意味で,表現ぶりももう少し吟味をしていただかないといかんのじゃないか,まとまりませんが,感想みたいなことを申し上げました。

○  実際に中高一貫の学校を設立していく場合,どんな形態が考えられるのかと考えてみますと,今,総合学科という新しい高等学校が,全国で高等学校全体の1%くらい設立されているんではないかと思います。恐らく6年制中等学校を設立するということになった場合も,総合学科と似たようなペースで進んでいくのかなと思うわけです。
  総合学科をスタートさせてみて,今,一番の悩みは,進路が中学校卒業段階で皆目見当がつかない,こういう子供たちがたくさんいるわけですが,そういう子供たちを受け入れて,1年程度で,いわゆる高校卒業後,どういう方向へ進むかということを見定めさせて,2年生,3年生の教科・科目の選択をさせていくわけです。高等学校というのは実質2年半しかございませんので,そういう進路が定まってから,1年半くらい勉強するのがやっとということではないかと思います。そんなことを考えますと,総合学科タイプの高等学校が,中学校段階から連続していれば,もう少し充実した指導ができるのではないか。したがいまして,全国的にそういうタイプの6年制中等学校がスタートしていくのかなと思っているわけです。そんな見通しもここのところに書き込むことも可能ではないかと思います。
  それから,今,いわゆるエリート校にしないというのではなくて,あってもいいではないかという御意見がございましたけれども,私も現在の全国的な高等学校の状態を見ておりまして,公立学校でそういう学校もあっていいんではないかと思っております。積極的にそれを書き込むことは難しいとしても,私は結果としてそういうものが出てきてもいいのではないかと思っておりますので,この程度の記述でその辺はよろしいのではないかと思っております。
  それから,もう1点ですけれども,「入学者を定める方法」としまして,学力試験は行わないと。これは原則ではないというふうに明確に記述されておりますけれども,私はこれで結構だと思います。ただ,日本の現状を考えますと  ―よく西ドイツの例が出されるようですけれども,西ドイツの場合ですと,小学校4年か5年ぐらいで,ごく自然に三つぐらいのコースに子供たちが分かれていくようですけれども,その背景に階層間移動の少ない安定社会ということがあるのであって,日本の場合ですと,入りにくいところに子供を入れてやりたいという親の願いが非常に強く子供の教育に反映するものですから,学力検査を実施するところとしないところで,同じ能力の上下の序列化ができてしまうのではないか。この問題についてはやはりしっかりと指摘し,そうならないように,「国私立中学校に対しては,その改善を強く求めたい」と書いておりますけれども,ここのところはもっとはっきりと書いておかないと,結果として学力試験を実施するところと,そうでないところで,同じ能力の上下の序列化がついてしまうのではないか。この子供はこういう能力が優れている,この子供はこっちの面で優れているというようなコース分けではなくて,同じ能力で,この学校に入っている子は優れているという評価が社会的に生まれてくる恐れがある。そういう意味で,ここのところはもう少し強力に強調して記述していく必要があるのではないかと考えております。
  それから,教育課程について,現在また改訂が進められているわけですけれども,現行の中学校,高等学校の教育課程をそれぞれ活用していくという記述がございますが,私はそのとおりでよろしいのではないかと考えます。文案に書いてございますけれども,これでよろしいのではないかと思っております。以上でございます。

○  おっしゃった総合学科のことについては,総合学科タイプ,そういうことも有効であると考えられるという言い方でしています。
  それから,エリート校の問題は,そのことについていろいろ議論していただいて,詰めた論議をしているわけではございませんので,いわゆる「受験エリート校」という言い方で出しているということは御理解いただきたいと思います。

○  先ほどからいろいろエリート校の問題が出ておりますが,話を戻しますけれども今までの御議論を伺っておりますと,「入学者を定める方法」の中で,「学力試験は行わないこととし」というのは,そういう御意見の方が多くて,その意味はよくわかりますけれども,先程言われたような問題が起こる。これは建前と本音といいますか,あえて本音という形の意見を申しますと,現在,エリート校というのはあると私は思っています。それが少数の私立学校に偏っているというのが現実である。それを解消するといっても,学力試験を偏重するのをやめろと申しましても,私立学校というのはいろいろ方針もございますから,「うちは学力を好む私立学校なのだ」と言われたら,「やめろ」と言うわけにはなかなかいかないだろう。
  そうしますと,片一方では公立学校は学力試験を行わないというと,またこの間に序列ができてしまう。ですから,「行わない」と言っていいのか,それとも「学力試験の比重を非常に小さくし」というようなことにするのか。完全に「行わない」とここで断言していいのかどうか,ちょっと私は迷う。なぜかと申しますと,その趣旨は,エリート校を全くなくすということができないならば,エリート校の数を増やして薄めるより方法がないと私は思うんです。
  現在,公立学校というのは,エリート校というのが何だかわからないけれども,要するに大学受験成功確率の高い学校と仮に仮定しますと,そういう学校は,東京の場合,あるいは京都が最もひどいと思いますが,公立から皆無になっていくというのに対して,別に昔のように公立のほうが優れているようにしろとは申しませんけれども,授業料が相対的に安い公立学校からも,学力の強い者が出得るという道は開いておかないといけない。

○  いろいろ御苦心をいただいたことがよくわかりますが,中高一貫教育の必要性を出せば出すほど,主張すればするほど,現在の制度のもとの公立中・高校は問題がありという表現として受けとめられるということがまだ直っていないという感じを受けます。ここでは,その点は繰り返しません。
  私自身が本日の資料を拝見して一番問題だなと思ったことは,今,おっしゃった「入学者を定める方法」の部分ですが,「特に,地方公共団体が設立する学校にあっては」という表現が中に入っています。要するに,私立についてはしょうがないという遠慮がそこのところで見受けられるという感じがしております。第一次答申以来,今回の教育改革が目指したことは,知識の量を競う教育はやめようということが大前提になっているわけですから,ここで私立に遠慮するのは,中教審の姿勢としていかがなものか,思い切ってここのところは言っていいのではないかと思います。私学の問題はいろいろございます。望ましい経営をされている学校もございますが,一部の私学の経営については非常に問題があるということも,嫌というほど肌身に感じておりまして,例えば学校週5日制の実施の問題,学習指導要領を無視した教育課程編成の問題,入試の出題等,同じ義務教育の中学校でありながら,いわば勝手な教育をやっているという実状がございます。ここらあたりで,今回の教育改革の流れをとめないためにも,ここの部分は十分に注意して,むしろここのところで遠慮がちに私学は除くというような姿勢ではなく,公立も私立も一緒になってやるべきだというような提言が欲しいと考えます。ある意味で,今回の中教審の主張の目玉の具体的な部分がここに出てくるものと思われます。
  例えば,入試問題にしましても,中学校の入試問題が難問奇問として,民間のテレビの題材になるような時代です。それから,高等学校の試験の逸脱問題は,例えば東京都の中学校長会が10年以上,全部で200校ほどの高等学校の問題の分析をやって,これはこれだけ逸脱しているという指摘を続けて申し入れておりますが,これが一向に直りません。非常に志望者が多いから,むしろ逸脱した問題でないと差がつかないから,受験生のために必要なのだということを平気で公言するような状況が続いておりますので,ここらあたりを含めて,中教審としての識見をぜひここのところで盛り込んでいただきたいと思います。「入学者を定める方法」は,私立までぜひ入れていただきたい。
  改めまして,ここの考え方の根本にあるもの,義務教育とは一体何だ,これから目指す教育というのは一体何だということが反映できるような表現に,むしろ強調していただきたいと私は考えます。かなり失礼なことを申し上げたかもしれませんが,お許しいただきたいと思います。

○  私立の話が出てきましたので,少しお話をさせていただこうと思います。中高一貫教育というのは,基本的には昭和22年(1947年),学制改革のときに,都内の私立の何校かが始めたといわれています。実は私は昭和23年(1948年)に,その最初にやった学校の2期生で中高一貫を経験していますので,たまたまいろいろ調べて,その当時の苦労を自分の経験も踏まえて申し上げると,当時は義務教育でしたから,GHQから,入試はしてはいかんという通達があって,しかし,10倍とか7倍という希望でしたから,どういうふうにしたかというと,面接で学力試験に類することをやったという記憶があります。私もやらされた記憶がありますので,随分苦労したんだなと思います。
  それからスタートしまして,50年になるんでしょうか,現在,公立でも中高一貫をやったほうがいいんじゃないかと言われるような教育的な成果を,ここに書いてあるように,国立なり私立が実験的にやってきたということは無視できない事実だと思います。そのことは一応よく考えて,公立の制度を導入するという際にぜひ考えていただきたいと思います。考えていただきたいというのはどういう意味かというと,今,中先生がおっしゃったように私立に行き過ぎがあることは事実です。ですから,それをもとのほうに直すという方向に努力すべきなのが国のとる姿勢であって,その行き過ぎに合わせるようなことを公立の新しい中高一貫がやるという提言はするべきではないだろうと思います。
  その一つとしては,入試についていわゆる学力試験というのはやらないで,ほかの方法で入学させる工夫をしろということは譲らないで,きちっと提言すべきだろうと思います。公立もやるとなったら,今の行き過ぎと言って問題になっていることが,さらに加速されてしまう危険が十分考えられますので,そこは崩さないでやらないと,大変なことになるのではないかと思うわけです。
  それから,受験に偏する教育をしているからということで私学に集まっているわけではないと私は考えています。今,受験で目立っている学校が一,二ありますが,それは本当にごく一部の例外的な存在であって,そのことをあまり意識する余り,全部がそっちに引っ張られないようにするべきだろう。
  ですから,書き方としては,学力試験はしないということははっきり書いたほうがいいと思いますし,一部の国私立中学校で行き過ぎといいましょうか,やり過ぎというところがあるから,それは直していくように努力をしていくということははっきり書いたほうがいいと思うんですが,それにはここに至るまで50年,60年の歴史があったわけですね。ですから,各学校が血と汗を流してつくり上げてきた歴史,伝統を変えなければならんわけですから,それは変えるということを提言するのはいいけれども,強制的にやるという書き方をすると,ただ反発だけが出て,効果が出ないということは知った上で書くべきだと思いますので,その辺は冷静に,本来あるべき姿をきちっと提言して,着実にやっていくという道を選ぶべきではないだろうかと思って,発言させていただきました。
  ですから,書き方としては,これは大変よくできているなと思って,この案は基本的にほとんど直すところがない,ほとんどじゃなくて,全然直す必要はないと思って読ませていただきました。これでいいんじゃないかと思うんです。これで書いたって,結局,地方公共団体が設置する学校で,中高一貫が幾つかできれば,これは必ず志願者が増えますから,何らかの形の選抜をやるわけですよね。最初から学力試験をやることを認めちゃったら,今の状態をさらに加速させるだけになっちゃうという気がしますので,それで工夫をしながら,なおかつ国私立のほうにも何か工夫はできないかという提言をしていくほうが正しいやり方ではないかと思います。どういうふうに書いても,選抜は結局行われるだろうと思いますし,その選抜が世の中が受け入れられるような選抜であれば定着していくだろうと思います。私立はそういう形で,入試の方法を定着させてきたんだというのが歴史的にあるわけですので,その辺は冷静に書いたほうがいいのではないかと思って,発言させていただきました。

○  先ほど新聞記事の御紹介があって,教育長さんがあまり積極的でないという御紹介がありまして,私もその記事は読ませていただきました。今回の案を拝見しましても,まだ中高一貫校のイメージがどうもあまりはっきりしないような感じがする。なぜそれをつくることがいいのか。制度の多様化ということは確かにあるけれども,多様化してどういうものができるのかイメージがあまりはっきりしなくて,さてそういうものを我が県でつくらなきゃならないと思われるのかどうかということになると,そのあたりの積極性がどうも読み取れないような感じがするんです。
  つまり,それは直接的に言いますと,「教育内容」について,中高一貫教育でどういう教育をするのかということが書かれているんですけれども,その一つは,選択を重視して,できるだけ多様な教育が提供されるように,子供たちが発達をしていくのに応じて,いろいろな興味や関心が出てくる,それに対応するということが書かれている。これは確かに一つの方向だと思うんですが,それはある意味で,今まで高等学校で考えられてきた総合学科ですとか,あるいは単位制の高校ですとか,そういう最近の高校の多様化の中で既にある程度試みられてきている。それと同じことではあまり意味がないのではないかという感じがするわけです。
  その下のほうに書いてありますのは,体験を重視して,今まででは見出しにくかった生徒の能力・適性を見出していくということですが,この辺,具体的なイメージは何を考えておられるのか,私,ちょっと読み取りにくいんです。体験を重視して,どういう能力・適性が見出されるのかということ,それをどう伸ばしていくのかということがもう少し書き込まれないと,中高一貫の中で,どういう特色のある教育内容ができて,そして3年・3年と分かれているものとはこういうふうに違った子供が育っていくんだというところが見えないのではないか。
  中高一貫のほうを強調するほど,今の3年で分かれているほうがぐあいが悪いという指摘になるというお話なんですが,それはある意味で今申しましたようなことで,両方の違いをはっきり書くことによって,今の3・3の教育の中ではこういうふうに育っていって,そして大学へ進んでいくんだ,あるいは社会人として活躍していくんだ。6年一貫のほうではこういうふうな教育で,こういう人間が育っていって,それがこう伸びていくんだという,その違いがもうちょっとはっきり出てこないと,積極的に6年制,中高一貫校をつくろうという気持ちにならないのではないかという気がするんです。かなり遠慮してお書きになっているからなんだろうと思うんですけれども,読み方が悪いのかもしれませんが,そんな感じがしております。

○  今まで出てきた御意見と非常に関連をするんですが,一つは,中高一貫校の設置について都道府県の教育長さんはどうもあまり手を挙げてなさそうだという話がありました。なぜ挙げないかという幾つかの理由があるんですが,今までも出ましたように,どうも焦点が必ずしも定まらないというのも一つあることはある。それともう一つは,中高一貫校をつくるというのは,総合学科の高校をつくるというようなこととはかなり違う。つまり,総合学科の高校をつくるというのは,既設の高校を変えるということですから,その1校限りでの関係でできる。ところが,中高一貫というと,本来,中学校というのは都道府県がやることではないですから,そのままやるということについて,今の中教審の審議状況で,都道府県の教育長がサッと手を挙げるというのは,よほど確信のある人たちだけであって,あまり手を挙げないから云々というようなことを,今の時点であまり問題にすることはないのではなかろうかなという気はいたします。ただ,そうは言うものの,これから,じゃ大いに手を挙げてくるかどうかというと,「いや,挙げてきますよ」というふうには必ずしも言えない。ここは難しいところ。ただ,今の数字で断定するのはちょっとどうかなという気がいたします。
  それから,学力試験について,「原則」を入れるか入れないかということですが,何回目か前に,私も「原則」というのがどういう意味で入っているかというのはちょっと考えてしまうということで,後で,教育内容の型はいろいろあるから「原則」はあったほうがいいという意見を申し上げた記憶があるんです。中高一貫の高校を全国一律の視点で考えるというわけには到底いかないだろうと思うんです。私立の多い大都市における中高一貫と,私立がほとんどないところの中高一貫の公立というのはかなり違うはずであります。その論からいくと,中教審で考え方を出すというのは大いに必要なんですが,ちょっと気になっているのは,中教審ではっきり書くべきか,それともこれはあくまで地方公共団体立ですから,旧来の偏差値教育的学力試験はもちろん否定しますが,ペーパーテストでないもの,専門将来指向的なものについては地方公共団体や学校にある程度裁量をゆだねてもいいじゃないかという気もいたします。それだといわゆる受験エリート校化してしまう危険があるということが断定的にあれば別ですけれども。
  これは「原則」ということと,それからもう一つは,これまでも御意見が出ましたように,あくまでも「生きる力」をということの前提だということをこれからもまだ大いにする必要があると思うので,完全に学力試験はしないよと。それじゃ,私立はどうなんだという先ほどの御意見もありましたし,それじゃ国立はどうするんだと。国立には大変なエリート校があるわけですけれども,それじゃ国立と私立は学力試験をやって,公立だけ何でやってはいけないんだと。これはちょっと論理的にも説明がしにくいかなと。そうすると,この辺を私も断定的に意見をなかなか言いにくいんですが,「原則」はやっぱり入れておいてもいいんじゃないかなという気持ちのほうがかなり強いです。以上です。

○  今,おっしゃったとおりだと思いますけども,地方では,直ちに中高一貫の方法を採り入れるということにはいっていないと思います。まず,どういった内容であるかということを見てから,地方では考えていくというふうな,大方はそうではなかろうかなと考えます。特に県によっては,中高一貫のシステムを採り入れなくてもいい,その必要性を強く感じてないところも結構あると思います。ただ,これが実施された中で,「あ,これは非常にいい。中学校の生徒にとって,いわゆる「生きる力」という面からも重要だな」ということがはっきりしてくれば,ピシッとそれに照準を合わせるということになるのではないかという考えであります。以上です。

○  先ほどちょっと暴論みたいなのを申し上げたりして誤解があってもいけませんが,何もエリート校をつくれなんていうことを申し上げたつもりはないんです。今,何が問われているのかという意味で,コンセプトが多元化・複線化の中で問われていてということであれば,コンセプトの多元化が形態の多元化・多様化をつくっていくという道筋になるわけでしょうし,コンセプトは今までのもの,あるいは形態論の前に共有できるコンセプトがあり,今,形態論を問われているのか,ということで,前回及び今回御提示いただいているものは,コンセプトをたぶん多元化していくべきじゃないかということが問われているにもかかわらず,そのコンセプトの多元化を問われていることについてはっきり書かれないで,その部分をちゅうちょして,ないしはいろいろお気遣いの上で書かれている。ですから,何となく形態論を正当化するというか,理屈づけるというか,くどいようなんですが,そんな印象なもんですから,今,コンセプトの多元化・複線化を世の中は求めているんじゃないかという立場で,少し整理してみる必要がありはしませんかという印象を申し上げた次第です。

○  今のことをちょっと補足させていただきたいと思ったんですが,さっきの入試の「原則」を入れるか入れないかという話なんです。これは私もよくわからないところもあるんですが,現状で言いますと,県立高校でも新しくつくる県立高校というのは,大学入試を目標にして,全部それでやるという感じでやっているところが,どんどん出始めてきているんですね。地方で私立の中高一貫ができて,それが大学受験に偏してやっているという実態も出始めてきている。地方の幾つかの県では予算を組んで,大学受験のための特別授業をやる県立高校にはお金を出しましょうということで,そういう流れが非常に強くあるわけです。そこで,入試をやってもいいよというので,中高一貫という提言をすれば,間違いなくできるのは県立の受験に偏した中高一貫ということになることを心配するわけです。
  はっきり言うと,既に国立なり私立の中高一貫校の有力なところがあるのは,入試をやって中高一貫の公立ができても,それほど大きな影響がないと思うんです。ですけれども,全然ないところに,公立の中高一貫が入試をやってやるよとできたときには,明らかにないところに新しいのができるわけですから,非常に大きな影響が出る。県として有力大学の進学者数を競うなんていう話になっちゃっているものですから,そういう学校をつくってやるというような動きが非常に心配なわけです。だけど,「原則」ぐらいは入れてもいいのかなという気も少しはあるんで,どういうふうに書いたらいいかなというのが一つあります。
  それから,一番無難には「原則」というのを入れないで,「学力試験をやらない」というふうに書いておいて,実際の現場ではいろんな工夫をして選ぶわけです。私立はそうやってきたわけですから。GHQから指令があったのをくぐり越えて,学力試験に類するようなことをいろいろ工夫してやってきたというのが記録に出てきていますんで,そんなようなことがもしかすると起きるかもしれません。しかし,それは学力試験を表立ってやることを認めちゃうことによる弊害よりは少しは弊害が少ないと思うわけです。
  もう一つ,ぜひ書いておかなければいけないことは,実は中高一貫というのが,大学の進学エリートを育てるというのは,本当にごく一部なんです。中高一貫校のほとんどの学校は,いわゆる中・高のところで試験がなくて,伸び伸び育つよという学校がほとんどなんですね,分量的には。多くの場合は女子大の附属とか,そういうところが多いんですけれども,数からいえばそれが圧倒的に多いんです。そういうチャンスを公立学校が提供することは私は大変いいことだと思うから,やったほうがいいと思うんですけれども,これが受験だけになってしまったら,国立や私立の行きすぎたところを公立がまねるみたいな話になっちゃうんで,本当に考えなきゃいけないという気がするんです。そこのところはしかし,表現をどういうふうにしたらいいか難しいんですけれども,気にしているところなんでございます。

○  私は高等学校段階の子供が進路を決定するために相当厳しい競争をやるというのは決して悪いことだというふうには考えておりません。現在の高校生,96%ぐらいの進学率ですが,私から見れば,もっと勉強してほしいと考えているわけです。ですけれども,小学校段階の子供が放課後あるいは夜遅くまで,塾通いをするというのは異常だと考えざるをえません。ですから,小学校から中学校に上がるそこの接続のところで,塾通いをしなければ競争に勝ち抜けないという制度はどうしても改めなきゃいけない。そのためには,現在,そういう選抜をやっている私学に対して,明確に記述してよろしいのではないかと思うんです。私学も公立も日本の子供たちを育てるという,いわゆる公教育の立場は変わらないわけですから,同じわけですから,そういうところを十分理解していただいて,この審議会が目指している方向をぜひ実践してほしい,全面的な協力をしてほしいというふうな書き方ですね。義務教育段階では,国語,算数,理科,社会というようなペーパーテストは原則やらない。「原則」をつけるとすれば,そういう書き方があるのではないかと,こんなふうに思うんです。公立の6年制中等学校が,いわゆるペーパーテストは実施しないと致しましても,私立の中学校が現在のような選抜方法を続ける以上,受験競争の低年齢化の問題は全く解釈できないと私は考えます。

○  今までの中教審の考え方からしますと,飛び級にしても,大学の入試改革にしても,
子供の個性を生かすために少しずつでも規制緩和をして多様化しようということですので,この提言はそのまま出していただければと思います。
  私は,選抜も本当は自由に,各中学・高校の見識によって,好きな選び方をしていいと思いますが,弊害があるし,一方では過度な入試についてのコメントも出しているわけですから,原則としてということで,学力試験はしないというのはあってもいいと思います。ただし,遅れて進む子とか,いわゆる落ちこぼれる子が伸び伸びと勉強できるように中高一貫というような,大器晩成型とか,いろいろなことがあったような気がしたんですが,その辺はうまく書き込んであるんですが,何か前向きだけの書き方になっちゃっているかなという気がしております。イメージとして,落ちこぼれている子が伸び伸び勉強できるんだよというプラスの面もあるし,できる子も個性を生かせるんだよと。それに対して,中だるみを嫌う子はこちらのほうの今のシステムがいいんだよとか,その辺のことを格調の高い表現で書いていただければと思います。たぶん落ちこぼれが伸び伸びと勉強できるということが,自己を確立していくとか,現在の文案でも読み取れるとは思うんですが,一般の方が拝見した場合に,そういうイメージで取ってもらえるのかなという若干の懸念を持っております。以上でございます。

○  まだいろいろ御意見がおありだと思いますが,一番初めに申し上げましたように,きょうは15期としては最後のということでもございます。
  いろいろ伺っておりまして,別に言いわけするつもりはありませんが,中教審のこの第1小委員会で,あるいは中教審全体として,中高一貫教育は打ち出すということを前に置いていろいろ審議を積み重ねてまいりまして,それについて御意見を伺いながら,「検討課題のメモ」,そして前回お出ししました文案という形で積み上げてきて,そこでのいろいろな御意見をお伺いしながら,修正したものを,きょう,再び文案としてお出ししていると思います。
  その面から言いますと,いろいろ御意見がございましたけれども,中高一貫教育というのは一つの大きな方向として出していくんだということまで否定された御意見ではなかったように受け取らせていただきたいと思います。その点で,先ほどおっしゃいました,そういう結論に達したとか,共通理解に達したという言い方がちょっと早かったのかもしれませんが,私は,大筋の方向としては共通理解を得ていたと思いまして,それを「素案」にして,文案として出していく段階で,いろんな御意見をいただいたというふうに受け取らせていただきたいと思います。
  そこで,これを結論として,ここでお認め願うという段階ではないように思いますし,次の総会に上げるということがありますから,総会に上げる段階では,一応きょうお出ししましたこれを,審議の途中段階のものとしていろいろ議論をしたということで,総会にはこれをこのままお出ししたい。そこでいろいろまた御議論をいただいて,今後,どのように審議され,論じられていくか,それは総会でお出しになることでしょうし,16期へのということもございましょうから,そういうことで,さらにこれは審議を続けていくというような形で,きょうお出ししました文案を次の総会には出して,私のほうで報告させていただくということで,さらに審議は続けてお願いしたい。
  つきましては,きょういただいたいろんな御意見をも整理しながら,さらに審議を続けていく場合の一つの貴重な材料とさせていただければと思いますが,そういう運びでよろしゅうございましょうか。まだ御意見を伺わなかった方もいらっしゃいますが,これから後,さらに審議を続けていくことになりますので,そこでいろいろお出しいただければと思います。よろしゅうございましょうか。

○  結構です。ただ,総会の際に,一番問題の入試をどうするかというあたりをもう少し掘り下げていただきたい。私の感じでは,何も「地方公共団体が」って書かなくたっていいような気がするんですけどね。「原則として学力試験は行わない」でも十分じゃないかと思うんですが,また総会の際に申し上げます。

○  それでは続いて,「大学・高等学校の入学者選抜の改善」について御審議をお願いしたいと思います。この「大学・高等学校の入学者選抜の改善」については,前回,3月14日,第22回でございますが,「素案」をお配りしました。その「素案」をもとに,きょうは引き続いて御議論をいただきたいと思います。
  ただ,今の「素案」をもとにして,いろいろ御議論をお願いしたいと思いますが,なお議論していただくに当たって,おこがましい言い方になりますが,この「素案」に掲げている基本的な考え方や記述の流れが適当であるかどうか,特に改善の具体的な提言が十分であるかという二つの観点から,御意見をいただければ大変ありがたいと思います。私自身のこの「素案」を書きながらの印象としては,基本的な考え方や記述の流れは,これまでの議論を振り返りまして,ほぼこういう方向だったのではないかと思いますが,具体的な改善点,手だてについては,きょうお出ししましたように,現在もさまざまな努力が払われているところではありますけれども,依然として大きな社会問題であり,国民的な関心事でもありますので,さらに一層の改善に向けて,中央教育審議会として新しい内容の提言をお出しいただく必要があるのではないかということを考えております。大げさに言えば,中央教育審議会の真価が問われているというような問題でもございますので,きょうは特に具体的な改善の手だてを中心にして,活発な御意見をいただければ幸いでございます。
  そのことを初めに申し上げまして,どうぞひとつよろしく御議論をお願いしたいと思います。

○  大学入学者選抜についてですが,(2)  のi)で様々な改善が行われていることが書かれています。現に,多くの大学で入学者選抜の改善がなされているのは事実です。しかし,現在,大学入学者選抜が,我が国の学校教育に大きな影響を及ぼし社会問題になっていることは,ここで挙げたような事例もさることながら,いわゆる有名大学の個別入試の在り方,それが国立大学の場合,圧倒的に受験者の多い前期試験の在り方が問われているわけです。また,ごく短期間で選抜判定・発表する私立大学の入学者選抜の在り方も問題があります。
  具体的な改善策としては,個別試験は原則として学力試験は課さない,その代わり小論文(専門科目についての論述試験を含む)と高校の調査書を核にして,適宜,面接や実技試験などを組み合わせつつ,選抜することの必要性を強調したいと思います。
  今までは,採点の客観性や公平性を重視し,採点に多くの時間をかけないといった視点から,調査書や論文(論述試験を含む)は避ける傾向,また,例え実施しても定員の少ない後期試験で行うといったことでしたが,これからは,手間,ひま掛けた丁寧な入学者選抜を行う必要があります。
  また,アメリカを始め,他の国々が高校の調査書を重視している理由は,一発勝負のペーパーテストによる学力試験よりは,3年間の学習の積み上げの成果としての内申書の方が,大学に入学した後の学習意欲,研究能力等に大きく影響していることを認めているからです。
  「生きる力」をはぐくむ教育を徹底するためには,従来のようなペーパーテストによる学力試験に頼り,短期間に大量処理方式の入学者選抜から脱却して,「手間ひま」かけて受験生の自己教育力を見る選抜方法をとることが大切であり,そのためには,入学者選抜の期間が4月にまで及ぶことは当然のこととしてとらえなければならないと思います。そのためには,大学の体制をどう整えるかを考えることも大切です。
  また,春に年一度の入学者選抜を行うだけでなく,高校時代クラブ活動等に熱中したり,ボランティア活動等に力を入れたため春の入試に間に合わなかった生徒等に対して,また,真にその大学,学科に入学させたい能力と情熱を持った生徒に対して大学独自の考え,大学独自の選抜方法で6〜7月に選抜し,9月に入学させる制度を新たに設けることも極めて大切なことと思います。これによって精神的な圧迫感がかなり薄れることと思います。
  いずれにしても,入学者選抜に関しては,かなり思い切った改革案を中教審で示さない限り,世の中の納得は得られないと思います。

○  今,お話があった点について,私も大賛成です。私自身,大学のほうで具体的にどのようなシステムの中で行われているのか熟知しておりませんが,できる限り受験生に多くのチャンスを与えていく,受験機会をもっと拡大していく必要があると思います。また,個別試験は,学力試験でない多様な方法で選抜するのがよいと思います。
  6月,7月の選抜,9月入学についても,ぜひこの方向で進んでいくことができたらと考えます。
  次に,大学入試センター試験の資格試験化という意見に対する考えをもっと書き込んで,もう少し立場を明確にしていったほうがいいのではないかと,以前,申し上げたわけですが,かなり書き込んでいただいてあり,中教審の立場をはっきりさせることができているのではないかと思いました。
  高等学校の学力試験の実施教科の指定や教科数について述べているところがあります。高等学校の入学試験は現在,5教科のところが多いのではないかと思います。教科数をもう少し弾力的に各都道府県,各高校がとらえていったらよいのではないかと考えておりましたので,このように表現していただいてありがたく思っています。中学校の場合は,学校間格差は少なく,調査書の信頼性は高いので,調査書をもっと重視すれば科目数を減らしても選抜は可能だと思います。
  ところで,センター試験の科目数については,試験教科・科目数を現状かもう少し増やしたほうがよいのではというご意見が多いように感じました。私はどちらかというと,一,二教科,非常に苦手な科目を持つ受験生が救われなくなってしまうことがあるので,センター試験の教科・科目数にもう少し幅を持たせ,かつ,試験教科・科目数を減らすことはできないものかと考えています。個性・特性等を発揮でき,評価されるセンター試験を望みます。
  それから,最後に文章表現の問題についてですが,前回の答申と同様,いろんな方が読まれるので横文字の言葉はできる限りわかりやすい日本語に置き換えるか,一番最初に出てきた時,括弧書きで日本語に置き換えるとこのような言葉になりますということを入れていただければ,親切になるのではないかと思います。いろいろ申し上げましたが以上です。

○  一つは,入学者選抜の改善の状況でありますが,こういう状況で変わってきているということが,非常にわかりやすく書かれていると思うんですけれども,全体の流れからしますと,一番最後のところに「課題が依然として存しており」と書いてあるわけですけれども,そのあたりをもう少し具体的に,何が残っているんだということをこの後にさらに示していただいたらどうかと思います。課題として,特に二つあるわけで,一つは,いわゆる影響力のある特定の大学でどういう問題があるのかということと,それからもう一つは,私はこの前申しましたように,入試日程をあまり後へ引っ張るのはよくないと思いますけれども,日程の問題を論じられるのであれば,今,入試の日程のところでどういう状況になっていて,どういう問題があるのかということを,やはり記述をしていただいたほうがわかりやすくなるのではないかという感じがいたします。それが一つです。
  もう一つは,センター試験があって,そして各大学の独自の試験,個別試験を組み合わせて,入試が行われている。その個別試験のほうをいろいろ工夫して,ペーパーテストではなくて,面接をしたり,あるいは論述をしたりということで考えていくべきだ。そして,そこでなるたけきめ細かいことを考えていくべきだと。これはそのとおりだと思うんです。ただし,それをやっていくためには,人数の問題というのがどうしてもあるわけです。そんなに大勢は面接もできないし,あるいはその実務も非常に難しいということになるので,人数をしぼらなければならない。その場合に,センター試験をいわゆる足切りに使うことに対して,一方で非常に批判があるわけですが,そのことをどう考えるのかという問題は議論していただく必要があるのではないかと思います。センター試験も一つの入学試験であり,それから個別試験も一つの試験であるということからすれば,センター試験だけで足を切ってはいけないんだということが,本当にそうなのかどうかということですね。そこで,丁寧な入試をやるのにマネージャブルな数の受験者数にまで絞り込むことのメリットと,それからセンター試験だけでいわゆる門前払いするということのデメリットと,そのところの評価をどういうふうに考えるのかということについては,やはり一度議論をしていただいて,あるいはこの中でも記述をしていただく必要がありはしないかと,そんなことを感じております。私としては,個別試験で丁寧なことをやっていくという意味からするならば,センター試験で足を切るということに対しての批判は少し考えていただきたいと思っております。

○  それでは,手短にやります。この文章全体の流れは非常によくできているんで,流れとしてはこういう形でいいと思うんですが,3点ほどお願いしたいことがあります。
  1点は,結局,何か目標を持って高校生が頑張って,入試にパスするというこの作業は私は意味があると思うし,そういう時期が人生にあって大いに意味があると思うんですが,結果を見ていると,集中しているということが問題だと思います。つまり,日本の教育のシステムとしては,影響力のある特定の大学に100人も200人も入っちゃう学校が1校あるよりは,5人か10人入る学校が20校,30校あったほうが健全だと思うんです。それがどうして起きるかということを考えてみると,いろんなことがあると思うんですけれども,基本的には入試の科目の内容が大きな影響を持っているのではないか。つまり,すべての教科に,受験何とかというやつがあるんですね。私が一番困っている問題として申し上げているのは,受験英語なんですけれども,これは受験英語に限らず,受験数学も,受験国語もみんなあると思うんです。ですから,その辺のところは書かれているんですけれども,大学の入試問題をつくられるお立場の先生が,その辺のところをもっと細かく研究していただくことを,もうちょっと詳しく強く要求しないといけないのではないか。つまり,受験何とかというのはなるべくやめてほしい。将来につながる学習をすることで大学に入れるんだという工夫があれば,かなりそれは改善されるのではないかというのが一つございます。私は英語についてそういうことを非常に言いたいんですけれども,英語はいろいろとありますんで,これ以上言いません。言ってもいいですかね。(笑声)まあ,私の言っていることはわかっておられると思いますので,これ以上言いません。
  それから,センター試験なんですが,センター試験には大学の先生だけじゃなしに,高校の人も関与するということをはっきりさせたほうがいいんじゃないかという気がします。というのは,数の上ではかなりの数になっている短大の進学者については,センター試験は,今,全く考えていないわけです。しかし,高校へ入れば,高校の卒業生の進路としては,短大というのは重要な量を占めていますし,大事な要素ですから,どうしてもそれは意識に入れざるを得ないわけですので,難しいセンター試験とやさしいセンター試験ができるとか,どういうふうになるかわかりませんけれども,高校の人がそういう観点からも関係したほうがいいのではないかと思っているもんですから,それが2点目です。
  3点目は,大学に入った後,大学でどういう教育を受けているのか。それがどういう社会的な評価とつながっているのかということが,入試のことを議論するときは無視できないんですね。ですから,卒業を難しくしてくれというようなトーンで書かれていますけれども,大学の講義の内容というんでしょうか,具体的に言えばチュートリアルというんでしょうか,「先生と学生とのつながりをもう少し密接に持つ等の努力によって」というようなことを,何か具体的なことを書いていただかないと,どうも上をなぞっただけになっちゃうのではないかという気がします。3点だけ申し上げました。

○  今,試験問題について何か工夫をしろという御意見が出ましたが,私は,たぶんこれはできないと思うんです。もっと論述形式にせよとおっしゃいましたが,例えばある有力大学の世界史の問題等は,すさまじい論述問題になっています。私共が受けたときとはまるで違う。時代背景等も完全にわかってないと文章を書けないような論述試験になっている。しかし,それだって反復練習で何とかなってしまう。結局,いわゆる学力試験ということだけに頼っていたのでは,入試はどうしようもないと思うんです。ですから,先程御意見が出ていましたけれども,スクール・レコードみたいなものをもっと徹底的に日本で定着させて,それを大学側が全面的に使うようにする。さらに,大学側がどういう人を採りたいかということを世の中にはっきりアピールして,インタビューを時間をかけてたっぷりやる。こういうことをやらないと,試験の問題だけをどんなに工夫しても,絶対に受験競争はなくならないと思います。問題は,もっと時間とリソースをかけるという点に尽きるんじゃないでしょうか。
  そういうことで,前回申し上げたかったのは,とにかく今,センター試験が1月14日とか,15日とか,17日とか,18日とか,異常な時期に行われているわけですね。こういうことをやめて,もう少し後ろへ持ってきて,時間をかけて入試をやるということを考えるべきじゃないか。これを言おうと思ったんですが,時間がなくて発言できなかったものですから,今日発言させていただきました。
  もう一つ,ペンディングになっていました9月入学のことなんですが,私学の学長先生といろいろ議論してみると,割合前向きな方が多いですね。9月入学の絶対の条件はセメスター制を実行しているかどうかですが,それが驚くべきことに,平成7年度で全学部でセメスター制を実行している大学は179もあるんです。国立が41,公立18,私立120。平成6年度は130だったのが,平成7年度に179に増えてきているということは,9月入学みたいなものも大学として受け入れができる準備はできつつあるのではないでしょうか。

○  今の御発言の中に,9月入学のお話がございましたけれども,ぜひ各大学で積極的に進めていただければありがたいと思っております。7月でなくて,8月入試でもいいと思うんですが,7月か8月入試,9月入学ということで,一つの大学の一部の定員についてはそういう制度があってもいいのではないか,積極的に進めていただきたいと思います。
  それから,春の入学についてですが,前回,私,4月いっぱいぐらい時間をかけて選抜していただきたいというお話をしたんですけれども,せめて4月上旬ぐらいまでずれ込んでもいいような制度にしていただければと思います。
  それから,センター入試と個別入試との関係ですけれども,確かにセンター入試については,共通1次と言われたころから,足切りに対して高校現場から強い反対が出ておりました。しかし,時代が変わってきておりまして,丁寧な選抜をするためには,各大学におけるボーダーラインというのはやむを得ないのではないかと私は考えております。ある定員の1.5倍とか,2倍くらいまでの受験生に対して別の尺度で,相当丁寧な選抜をしていただければと思うわけです。それに,先ほど憲法上の問題もあるというお話がございましたけれども,やはり地域性をある程度加味してもよろしいのではないかと思います。ある地域から,ある有力大学にほとんどの合格者が出るということではうまくない。もう少し地域性を加味してもよろしいのではないかと思っております。以上です。

○  私はこの中教審の冒頭に申し上げたんですが,今,欠けているのは論理性と倫理性だと思います。それをどういうふうにこれから修正していけるのかということを考えた場合に,自分の意見をとにかく表現する,論述するということが,非常に未熟ではないか。私もレポートを書いてもらっていますけれど,これが大学生かという論述の現実がありますよね。だから,論述というものが,例えば大学受験の中で重要な部分を占めるんだという方向がもっとはっきりしてくると,それは高校時代,そして中学時代,あるいは小学校時代からの方向が変わっていくんじゃないかという気がいたします。
  ですから,ホームルームとか,そういうところでいろんな意見のやりとりをやっているようで,我々のころよりは自分の意見を言えるようになったのかなと思っていたら,そうではなくて,わからないとか,そんなことどうでもいいとか,そういう形で論述を避けていくという風潮がどうしてもあると思います。ですから,そういうことを評価していく方法をつくっていくべきではないか。
  それから,今,私立大学の中では,私の知っている限りでは,どうも短期間に選考している現実を耳にします。国公立のほうは,いろいろ資料を拝見して,かなり変わってきていると思いますけれども,私立のほうはどうも短期間でやらなければならない理由があるんじゃないかと思うんです。それは何かというと財政的な問題じゃないかと思います。ですから,財政的にかかるかもしれないけど,これはかけなくちゃいかんなという方向がどうやったら生まれてくるのかなということですね。それは大勢の何万という人を一気に判定していくわけですから,それは労力からいうと大変なものであるということは重々わかります。だけど,国公立だけでそれを一生懸命やっても,私立のほうが相変わらず変わらないということであれば,実質的に大学に入ることがこういう評価を受けるのかということのほうに,受験生並びに父母は考えてしまうと思うんでね。その辺のところを,私立に対してどういう言い方が中教審でできるのかなという気がしております。
  これは私学助成の問題もございましょうし,いろいろ国とのかかわりはお持ちでしょうから,ある意味ではっきりその辺のところを,こういう方向を目指してほしいと。国公立も変わっているんだから,ひとつ私立のほうもこういう方向を目指してほしいみたいな言い方は出来ないものかと私は思うんです。
  先ほどの中高一貫の問題ですけれども,私はこれで大変よく書かれていると思いますし,その方向というのはどちらかというと自由化の方向で,自由化していく中で,そこにいろんなものが生まれてくる。どうなるかわからないけれども,自由化するという方向をつくっていくことは,一つの大きな前進だろうと思いますから,これはこれでいいんじゃないかと思います。以上です。

○  1点だけ申し上げます。前回も少し申し上げたことですが,先ほど受験の科目が少ないほうが生徒の負担が少ないという御意見がございましたけれども,大学で実際に私が教えている経験から言いますと,例えば国語と英語と社会,社会は1科目・日本史というのを取ってきまして,私の授業へ出ると,世界史は全くやっていない。それでも堂々と入ってしまうということが起こっているわけです。この場合,人文科学,社会科学の場合はそういうことが非常に起こっていますので,私は受験科目を減らすというのは,入学試験の手間は楽であるけれども,受験難を緩和するわけにはいかない。傾向と対策というものはどうしても起こるだろう。科目が少なければ少ないほど,その対策は微に入り細をうがって発達するだろうと思うわけです。あるいは,どうしても科目を少なくせざるを得ないならば,例えば私は昔,大学の文学部を受けたときに,外国語はあるんですが,哲学  −哲学,論理学,心理学−  が出るか,歴史  ―日本史,東洋史,西洋史―  が出るかというのは11月ごろに決まりました。受験科目が11月まで決まらない。となれば,前々から準備を周到に進めても,それが受験科目にならないということがあったんです。そういうようなことでも工夫すべきです。科目を逆に絞れば絞るほど,受験産業というものは最も発達し,受験術が最も熱心に行われるということがある。それが一つ。
  実際,入学以後,日本史だけはやったけど,世界史を知らない,あるいはその逆という人が入ってくることは,文科系の学科にとっては非常に好ましくないということを申し上げたいです。

○  皆さんから御意見が出ているんで,言おうと思ったことは大体出ておりますので,最小限だけにとどめたいと思います。
  一つは,先ほどセンター試験の足切り云々の問題がありまして,やむを得ないかなと。私もこれは必要悪というわけではありませんけれども,これは何らかの形でやむを得ない面がある。多くの受験生を対象にするとセンター試験の方式も不可避な面がある。  −もちろん改善は必要ですが,1点刻みというのはまずい。希望者の多い一部特定校の受験競争もある程度やむを得ないというふうに考えざるを得ない。問題はその中身が前向きの問題で苦しむのは結構なんだけれども,ただ知識優先で,マルバツだけでということは極めて好ましくない。そういう線で考えれば,基本的に割り切るべきところは割り切らないわけにはいかないなと思っております。
  その辺を基本にして,先ほど来出ている4月の半ば,あるいは上旬,その辺までは丁寧にやるという意味でいいんじゃないかということについて,全く私も賛成でございます。問題はアドミッション・オフィスをどうつくるかということとも大いにかかわりがあるということが一つと,ちょっと心配しているんですが,一部で青田刈りの危険性がなきにしもあらずかなと。その辺のところをどうするかという問題がちょっと不安な点として残っております。原則的には大いに賛成でございます。
  それから,9月入試がいろいろ問題を抱えているようではございますが,前の臨教審のときにこれはかなり打ち出されて,そのときは今回と全然違うんで,全面的に9月入試にしたらどうだということについて大いに議論があって,結果的にいろんな状況があって,そうはならなかったという経緯がある。社会状況をよく見極めてというようなこともあった。そういう点から見れば,例えば会社の採用も4月採用だけで入れないということでなくて,かなり弾力的にもなっているし,あくまで4月を基本にしながら,複線化をするというためには,また国際化のことも考えて,むしろいいチャンスではないか。これもできるところからということで,ぜひそういう道を開きたいと思っております。
  それも4月まで入試を引き延ばしてもということとの関連でいくと,1年間,かなりの期間そういう余地もあるわけで,そうすると,ゆとりのある教育,あるいは受験競争の緩和という点でも,大いにプラスになるということもあると思いますので,決して画一的に進めるということではなくて,選択の機会を増やすということで,しかも加えて言うならば,これから大学入学の枠もだいぶ広げていただいているということもありますので,別枠でそういう余地をつくりやすいんじゃないか。そういう意味で,再三申し上げますが,むしろ絶好のチャンスなので,ぜひ実現してほしいと思っております。時間の関係もありますので,これだけ申し上げます。

○  幾つかあるんですけれども,まず入学者選抜の改善の状況について,大変よく書いていただきましてありがとうございます。ただ,私立大学で,今,5万5,000名,定員過剰に採っておりますね。国立大学だけで個別試験の学力検査6割弱となっていますが,私立の状況はどうかというのが欲しいという気がいたします。それから,例として挙がっている大学については,個別大学名をここに書けないでしょうけれども,記者レクなんかのときに,そういう個別大学名で,有力大学がこういう工夫をしている,そちらの方向に動いているということは強調していただいていいんじゃないかと思います。
  それから,センター試験の「教科・科目やその配点」というのがありますが,ここの「配点」はゼロを含めた傾斜配点のことなんで,センター試験の中での配点も自由だし,センター試験と個別試験の配点も自由という2種類あるんで,読み取れるとは思いますけれども,その辺がきちっと読み取れるようになっていたほうがいいかなという気がいたします。
  それから,4月入学なんですが,これはいい面,悪い面,いろいろあるんですけれども,1月15日ぐらい,半ばからセンター試験が始まって,4月までというと,3ヵ月間入試時期が続くわけてす。私大が一番早く試験を始めて,国立が入り,有力私大が入り,ドンドンドンと将棋倒しになっていって,私立短大が落ちつくのが4月末になっちゃうということを,私大の短大連盟とか,私大協会がいいというふうにおっしゃるかどうかということが,フィージビリティの問題としてあると思いますので,簡単に大きく延ばすことは,私大のほうの  ―ここは私立短大関係の先生があまりいらっしゃらないので,その辺の御意向も伺う必要があるんじゃないか。それから,今,夏休み前に前期が終わっている大学が結構あるわけです。7月いっぱいやって,9月の半ばか終わりぐらいから後期になりますので,そうすると,前期が成り立たなくなっちゃうということになりますので,そういう大学が幾つあるかということを調べて,提言をする必要があるかなという気がしております。
  それから,9月入学に関しましては,この前申し上げましたんですけれども,高校3年生が受けてもいいというくらいの規制緩和ができないものか。そうすることの弊害か何かは一度検討しておく必要があるんじゃないかという気がいたします。もし現役の子供が受けられないのであれば,4月に大学に入った学生さんは9月には受けられないというような規制をしないと,4月の後で私立短大からドンドンドンと流れ出るような同じことが起こり,半年間大学に入って,また半年で抜けちゃって,よその大学を受けるということが起こります。今,国立大学では,前期を受けた者は,後期が受けられない,後期は採点できないという制約がありますから,その種の制約をきちっと確保しない限り,かなり危険だと思います。ただし,9月に何かの形で少人数,外国の留学生とか,いろんな形の方を対象にしたものがなされることは意義があることだと思います。いっそのこと,高校3年の2学期に入れる子が出てきていいというくらいになったほうがもっといいと思います。

○  それでは,高校入試のほうでなんですが,登校拒否のことに関して書かれています。
登校拒否をした子というのは,義務教育を終わって,どこへ行こうかというのが大きな不安材料になりますので,この段階で,「高等学校で学ぶ十分な意欲」がある子については,「適切に評価していくことが望まれる」とあるんですが,もう一つ踏み込んで,評価して,どういう方向でその子たちが学んでいけるかという提言ができないのかなと思います。積極的にその受け入れ方法,どういう形でその子たちが学べる,ということも書いていただければと思います。以上です。

○  全体を通しまして,「生きる力」をはぐくむ立場から論述されており,筋が通った文章にまとめられました。なかでも「基本方向についてどう考えるか」というところが一番大事なような気がします。いろいろな部分で改善策が述べられていますので,ここではそれを集約して,これからの在り方をどう進めていくのかという記述に当たる一番注目されるところです。そういう点から見ると,この中身を改善の視点を中心として書いていく必要があるのではないかと思います。単なる留意事項的なもので終わってしまう内容になってしまわないように,選抜から多様な選択を考える方向,生徒の個性・能力のより伸長を図る方向,各大学での入試の一層の工夫・改善の強調などの観点から整理していくことが大切ではないかと感じました。

○  大きな方向としては,この通りであると考えます。ただ,優れた人々にとってはよいと思いますが,大部分の子供,そして親の立場に立って考えるとき,現在の進路指導,入試選定の際の種々の課題と比較して,どこが,どのように改善されるのか,無理をしないで安全なところにおさまればいいのではなく,子供も親も,もう一つ上へチャレンジすることが許される条件と環境をつくるために,具体的にどのような工夫・改善がなされるのかを分かりやすく打ち出す必要があるのではないでしょうか。

○  大変時間を延長させていただいてありがとうございました。大学入試・高校入試選抜の問題についても,いろいろ御意見をいただきました。
  実は大学入試のほうを心配していたんですが,こちらのほうは,きょういただいた御意見をもとに修正して,次の小委員会に引き継いでいけるかなという感じでございます。
  先ほどの中高一貫教育の問題については,先ほど申し上げました。恐らく総会を経ての小委員会の審議に引き継いでいく形で,きょうの御意見をもとに修正して,次の小委員会に引き継がせていただきます。
  第15期としては本日が最後の第1小委員会になります。長期間にわたって御多忙の中を御出席いただいて,本当にありがとうございました。第15期の任期内に最後の報告をまとめるところまでは至りませんでしたが,皆様の御協力をいただきまして,かなり議論を深めることができたと思います。来る4月7日には第15期の締めくくりの総会が開催されますが,その際には私のほうから,きょう御了解を得たと思います,「大学・高等学校の入学者選抜の改善」「中高一貫教育」について,きょうの段階でお配りしました文案をそのままの形でお配りして,第1小委員会の審議状況についの報告として総会に上げさせていただきたいと考えております。
  その後,第16期において,「大学・高等学校の入学者選抜の改善」「中高一貫教育」について引き続き審議を進め,議論を詰めていくことになるのだと思いますが,そのために第15期から第16期へ円滑な引き継ぎを行うことが大変重要であります。また,そのように期待したいわけでございます。4月7日の総会では,審議会として,9月以降の会議の「議事要旨」「議事録」などを取りまとめたものを添えて,会長談話という形で発表し,円滑な引き継ぎを期するということになるのではないかと思います。
  それでは,きょうはどうも本当にありがとうございました。またよろしくお願いいたします。

(文部省大臣官房政策課)
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