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中央教育審議会

1997/2
中央教育審議会第1小委員会(第21回) (議事録) 

                                 中央教育審議会    第1小委員会  (第21回)
議  事  録

                          平成9年2月19日(水)13:00〜15:20
                          霞が関東京會舘  35階  シルバースタールーム 


        1.開    会
        2.議    題
          「学校間の接続の改善」について
        3.閉    会
                                                                                
        出  席  者

            委  員
              河野座長                        遠藤審議官(初等中等教育局担当)
              有馬会長                        若松企画課長
              市川委員                        板橋審議官(体育局担当)
              薄田委員                        富岡総務審議官
              木村委員                        その他関係官
              國分委員                                                      
              小林委員                                                  
              坂元委員                                              
              高木委員                                          
              田村委員                                      
              永井委員                                  
                        

            専門委員
              油井専門委員
              佐々木専門委員
              薩日内専門委員
              里中専門委員
              末吉専門委員
              増井専門委員
              牟田専門委員
              中  専門委員
              山極専門委員
                                                        

○  本日は,中高一貫教育の導入について,これは前々回,1月17日,第19回でございましたが,そこでの討議に基づいて御議論をいただきたいと思います。既にお話ししましたとおり,本日は前々回お出ししました「検討課題のメモ」を,運営懇談会の方々とも御相談しながら,さらに具体化し,文章化して,「素案」としてお配りしてございます。本日は「座長素案」を参考にしていただいて,中高一貫教育の導入についての議論をさらに深めていただきたいと思います。中高一貫教育の導入の意義,特に選択的導入を図っていくのだということについては,前々回御議論いただいて,大体の御理解を得ていたと思います。
  「素案」の中で,例えば「中高一貫教育の実施形態」のところについては,これまでの御意見も踏まえて,事務局とも相談しながら,結局,「・1」が市町村立中学校と都道府県立高等学校のいわば連携の形,それから「・2」としては,これを「a」と「b」に分けまして,「・2―a」は「同一の設置者」が中学校と高等学校を併設する形,そしてもう一つは「・2―b」としましていわゆる「6年制中等学校」を同一設置者が新しく構想する場合,この三つを掲げましたが,これについては前々回もいろいろ御意見もいただいておりますが,さらによく検討する必要があると思っておりますので,これはとりあえずの整理だということで御理解いただきたいと思います。
  また,さまざまな試行錯誤をしたり体験を積み重ねるなど,[ゆとり]のある学校生活を送ることができる中高一貫教育の趣旨の実現を図るという観点から,中高一貫校と大学入学者選抜とのかかわりについて,例えば推薦入学を活用するなどといった点に関して議論を深めていただくことが必要かなと,この「素案」をお出しする段階でそんなことも考えておりました。
  また,例えばその中で,教育内容のタイプでございますが,「普通科タイプ」とか,「専門学科タイプ」,それから「総合学科タイプ」ということを挙げてございますが,ここのところについても,いろいろ御議論をいただけるのではないかと思います。
  そして何よりも,一番心配されております受験競争の緩和の中で,受験競争が低年齢化するのではないかということがあるわけでございますが,そうしないためにどのような方法が考えられるか。そういうことについては,「素案」で,これはお気づきいただいたと思いますが,「入学者を選抜」という言葉はここではなるべく使わないで,「入学者を定める」というような言葉で,ここらは苦労したところでもございます。前々回の論議では,「入学者を受け入れる方法」についてというような言葉も出てまいりました。この辺は一番問われるところだと思いますので,この点についても御議論を深めていただければと思います。
  いろいろ申し上げましたが,これを参考にしていただいて,ひとつ御自由に忌憚のない活発な御意見をお願いしたいと思いますので,よろしくお願いいたします。どうぞ,どこからでも,どなたからでもお出しいただければと思います。

○  この「座長素案」は非常によくできているなと思って,感心して読ましていただいたんですが,一つだけ,これはつけ加えたほうがいいんじゃないかと思いますのは,中高一貫であって,小学校・中学校の一貫でもなく,高校・大学の一貫でもないという意味をもうちょっとはっきり書いておいたほうがいいんじゃないかという気がいたしました。
  それはどういう意味かといいますと,12歳から18歳年齢を一定の安定した教育環境において,安定した学習を続ける中で,人間的な成長も図れる,一番変化の激しい時期だという,その中高一貫の教育の特徴を,特色の中に掲げられておいたほうがいいんではないかという気がいたしました。12歳から18歳という特殊な年齢になります。

○  中高一貫について,座長メモは,非常に丁寧に,気を使って書かれていると思います。
  中高一貫については,入学者選抜の低年齢化が一番気を使うところだと思います。「メモ」にあるように,原則として学力テストを行わないとするのは良いと思います。調査書については,原案で良いと思いますが,調査書のうち五段階評定,すなわち成績だけが選抜に使われますと,小学校において新たな競争が起こりかねません。むしろ,小学校からの推薦書の中に,学業やその他の行動などを総合的に書かれていることも重要な要素だと思います。また,作文なども,選抜の方法として入れてもいいと思います。いずれにしても,多様な選抜方法,選抜尺度を多元化することを強調する必要があると思います。

○  今の御意見ですけれども,確かに5段階なり,3段階なり,評定を調査書の中に書き込んだものを選抜の材料にすることについては,検討の余地があるかとは思いますけれども,やはり入学者を定めるために,この子供が小学校6年間でどのような学習をしてきたか,学習歴・活動歴を知る上には何らかのものを……。推薦文だけでは不十分ではないかと思います。
  恐らく中高一貫教育では,入学者を定める方法について,いろんな御意見が出てくるのだろうと思いますけれども,私もここに書いてありますように,応募者が相当の倍率になった場合でも,少なくとも国語とか,算数とか,社会とか,理科などのペーパーテストは行わないということを明確にしておくべきだろうと思います。あと作文とか,あるいは自己推薦文とか,あるいは小学校長が作成する推薦文とか,そういったものを材料に定めていけばよろしいのではないかと思います。
  ただ,これと同時に,今問題になっているいわゆる受験競争の低年齢化の問題ですけれども,これは基本的には大学の入学者選抜とか,あるいは優良企業の採用の在り方などに大きな原因があるのだと思いますが,ここにも触れておりますように,一部私立の中学校の選抜の在り方が,受験競争の低年齢化,過度の受験競争に非常に大きく影響していると私は考えます。
  したがいまして,この低年齢化の問題を解決していくためには,ここに書いてある内容は,どちらかというと公立学校に大きな影響力を持つわけですけれども,私立中学校の選抜の在り方についても,相当強力な協力をお願いする形にしていかないと,この問題の解決はできないのではないか。特に都市部におきましては,小学生が一貫校の中学校に入るために,学習指導要領の内容を超えた学習を  ―私,10時,11時ごろ駅へおりますと,リュックをしょった塾帰りの小学生が乗ってくるんですね。そういうような現状があるわけですので,このことについてどうしてもしっかりと触れておく必要あるのではないかと思います。

○  用意周到にこの文章が書いてあるので,大変感服して見ているわけですけれども,6年制の中高一貫の学校というのは,本当に何を意図して設立されるものであろうかということですね。
  もちろん,カリキュラムの精選がこの6年制の中で図られるのは間違いないでしょう。それから,[ゆとり]ある教育もできるかもしれません。確かに成長にはいろいろ幅がありますので。ただし,普通科の6年制中学の場合ですけれど,18歳まで普通科の中高一貫校の場合は,学力試験を外したとしても,何らかの形で一つのエリート的な生徒を養成するということなんでしょうか,この目的は。そうならざるを得ないのではないかと思うんです。
  それのプラス面というか,日本全体をリアルに見詰めた場合に,そういうエリートを養成するということが,あるいは現実問題として必要なのかもしれないとは思いつつも,私はいつも,その他の子供たちを見るという視点から物を見ますので,選抜の方法  ―「選抜」とは言わないということですが  ―決め方の方法にも深くかかわることではありますけれども,単なる受験競争の低年齢化というよりは,地域からある種のリーダー的な役割を果たす生徒がいなくなる,つまり,ある一定校に集まることによって,その他の学校の子供たちがシラケるというか,活力がなくなるのではないかということをちょっと心配するわけです。ですから,単なる受験競争の低年齢化というより,そのほかの学校とのバランスで,元気のない学校が周りにできるということを,これは杞憂なら幸いですが,心配するものです。そこで,この選抜  ―結局,選抜ですよね,いろいろ言いましても。この決め方のところに深くかかわるという気がいたします。
  選択の幅を広げる機会を与えるという中教審の善意の意図が,子供たち全体の中で,過渡的に混乱を招くことのないように希望するものです。やはり決め方の問題は,自然体験やボランティア体験など,体験学習を重視したいと言っておられますが,新設校にはよりいい先生が集められ,推薦にしろ,面接にしろ,よい生徒が集まってくる。やはり何らかの形で指導者層を集める学校として機能するのだと思います。そういう学校が必要だということを,中教審ははっきり言わないけれども,言っているという結果になる。第一次答申で家庭・地域と共にある教育と言って,ちょっと迷うところです。

○  実は今おっしゃったことは,これから起こることじゃなくて,今まで起こっていることを,どうしようかということを議論していると私は思っているんです。
  なぜかと申しますと,私立の中学,高校,とりわけ今おっしゃったように,都市部ではもう一貫制になってきているわけですね。例えば東京都は159校の中・高がある。そのうち126校は外の中学からも採っていて,全部一貫は33校となっています。これを見ますと,高等学校から大勢採っているように見えるんですが,実は中学から高校にそのまま入ってくる生徒と,高等学校から採る生徒とを比較しますと,高校からはたぶん補欠程度,あるいは10人とか20人で,ほとんどが6年制になっているわけですね。ですから,進学競争に巻き込まれた人は,皆私立中学を目指して,私立の受験難というのが大変なことになっている。これは今始まったことではなくて,今から20年ぐらい前からそういうことが起こっているわけです。
  それで,公立に一貫校がない,あるいは極めてまれである。国立に少しあるというくらいなので,これを破るということを考えると,中高一貫という学校を公立でも相当数つくるほうがむしろいいんじゃないかと私は思っています。

○  中高一貫教育をやっていて,12歳から18歳まではその教育をやりますよ,それは動かさないから,それに入りたい人を入れますというふうにしている学校があるんです。これは明らかに教育内容として中高一貫ということが言えると思います。つまり高校で入れるところで,附属中学から来た生徒よりもかなり学習進度がおくれている場合は,1学期または2学期ぐらいのところまでは,外部中学から来た生徒は特別の時間割で追いつかせるようにするわけです。ですから,卒業段階では中高一貫の成果が全体に及ぶような仕組みで教育をしているという形の学校が,中高一貫校の中にあります。
  それから,実は中高一貫と言いながらも,中高一貫で受けている生徒のほうが,外部から高校で入ってきた生徒よりも進度がおくれているという学校もあるわけです。その場合には逆の別枠で授業をするという形になります。
  数の上でどうかと言われますと,率直に言って126校のうち,4分の1くらいがいわゆる中高一貫という形で行われている学校で,外部から入れるのが少しあるという感じですから,私の全くの感じなんですけれども,4分の3ぐらいは,今御説明をした後者のほうの例ではないか。つまり,中高一貫と言いながらもほとんどは,中高一貫があるけれども,外部から入ってくる生徒も入れて,つまり経営上の安定を図っているという学校が実態としては多いということです。
  ところが,世の中で議論される場合は,少数側が目立つわけです。これは本当に目立っちゃうわけです。ですから,そういう状況だということですので,一律にこうだと言い切れません。
  また,大学の附属というのは,いわゆる受験を目標にしたような中高一貫,つまり大学と連携してない中高一貫とはちょっとニュアンスが違うんです。これはどうにでもできるんですね,はっきり言うと。ですから,中高一貫教育をしないといけないという部分は,それほど強くは感じてないわけでして,自由自在なんです。中学で採ろうか,あるいはちょっと高校でも採ったほうがいいかという感じでやっているわけでありましてね。それが中高一貫,6年間教育を売り物にして生徒募集するという意味で言うと,それは大した意味を持っていないわけで,それは大学に入れてやるということですべてが解消しちゃっているというのが実態なんです。
  ですから,非常に有力な大学の附属の中高一貫校を,一般の公立の中高一貫が必要となるという意味で,ちょうど対照になっている私立の中高一貫と比較した場合は,ちょっと性格が違うわけなんです。
  私は結論から言えば,公立の中高一貫をつくったほうがいいという意見なんですが,私立がこうだからということはあんまり言えないと思っているんです。公立の中高一貫というのは,公立の中高一貫らしさを発揮してつくるということを目標にされたらいいんじゃないかと思うんです。そうでないと,私立の中高一貫もみんな違うんですよね。今言ったように,大学附属の中高一貫と,受験を目標にしている中高一貫,それから経営的に安定させるために中学から生徒を採っておこうという中高一貫,これは実は全部内容が違うわけです。
  そういう意味でいえば,公立の中高一貫というのがあってもおかしくないと思うんです。とにかく12歳から18歳を一つの考え方で教育することがすごく意味があるということは,経験してきた者として非常に痛感するもんですから,そういう仕組みを提案されるというのは,全国的にプラスの意味があると考えているわけです。あまり私立の状態を気になさらないほうが,むしろいい形が提言できるんじゃないかと思っているんです。

○  今まで出た御討議との関連,それから今の御意見との関係ですが,私立と違うんで,
あまり私立を気にしないで,公立として考えるべきということについて,基本的には私も賛成であります。
  先ほど,エリート校をつくるのかというお話がありまして,これは私自身は少なくともそういうことで考えていたわけじゃないんで,私立の中にも,受験エリート校を目指してというところもあれば,いろんなタイプがあるというのは今のお話のとおりなんですが,私個人の考え方からすれば,公立の中高一貫というのはあくまでも大事な時期に個性の伸長を目指すというか,もう少し拡げて言えば,真の意味での人間教育を施すという点で,どちらかというと今まで受験競争,偏差値教育にとかく目を奪われていたものについて,新たな道を開くんだという発想をしたいなということで考えております。
  それから,地域の核になる,あるいは地域の中心になる人物が行っちゃうんじゃないかというお話がありました。しかし,これは地域によって違う。大都市部,例えば東京の場合に公立高校210数校の中に1校,2校あったって問題外であって,私立が現に大変多いわけですから,とてもとてもそういう論にはなりにくい。そのことよりも,どういう一貫校にするかということがポイントになる。ただ,数は将来の問題と思いますが,個人的に言えば,やはり通える範囲に1校ずつぐらいはそういうのがないと,これはよくないなと。ですから,当面はどうしてもパイロットスクール的な意味にならざるを得ないというのはやむを得ないことです。その際のやり方として,先ほどの入口論についていろいろありました。おおむね私も賛成でございます。
  ただ,あえて言えば,ここに「原則として学力試験をしない」という,この「原則」というのをどう考えるかなというのは,実はちょっと頭を悩ましているところで,そこのところは少し考えたい。
  ほかにいろいろあるんですが,関連したことだけとりあえず。また後で発言させていただきたいと思います。

○  この「メモ」は大変心配りをしていただいて,よくできていると思いますが,今の御議論と関係しまして,もう少し強調していただきたいと思いますのは,実際は入っているんですが,[ゆとり]をもって学習するということの中身に,子供の中には大器晩成型の,ゆっくり学んで開花するというようなお子さんたちがいらっしゃる。ゆっくり学ぶお子さんたちが,3年で高校試験ということに悩まされないで,6年間落ちついて勉強できる点とか,それから盲とか,聾とか,特別の中・高の対応ができるお子さんたち,そういうことを選ばれるお子さんがあっていいんですけれども,障害を持ったお子さんたちが,中学から高校へ行くときに,試験なしに,ゆっくりと勉強して,個性を生かしていかれるといった形の生かし方が十分考えられるだろう。
  そうしますと,障害を持ったお子さんたちに特別枠を設けるというような論があるいは起こるかもしれませんが,少なくともそういうお子さんを排除しない。先ほど,どなたかがおっしゃったように抽選,面接,小学校からの推薦などで入学者を定めるようにすれば,そういうお子さんも入ってきて,6年間かかってゆっくりと個性を磨いていくこともできるんじゃないか。受ける先生方は大変かと思いますが,それは公立校ですので,そうした対応をすることを検討できるんじゃないかと思います。しかも,ある中高一貫校で,障害を持ったお子さんとか,ゆっくり学ぶお子さんちたちが入って,伸び伸びと勉強して,入った当時はもたもたなさっていたけれども,卒業時にこんなにすばらしい方になったよというような例が出てまいりますと,大変すばらしいなと思います。

○  きょうのこの「素案」をもとにして,また繰り返しになるかも知れませんが,何点か  申し述べたいと思います。
  まず,中高一貫校の利点ということから考えますと,今まで公立学校では,特に中学校に行く3年間,高校に3年間,これが圧倒的に多くの道として存在しているわけです。そのほかに中高一貫校を望む場合には,国立とか,あるいは私立の学校を選ぶということですが,今度公立の中高一貫校ができるならば,進路選択の多様化という面からも新しい道が開けるのではないか,進路の幅が開けてくるのではないかいうことです。
  また,6ヵ年間集団生活をする立場から,上級生と下級生で集団的なつき合い,あるいは人間的な交流といいましょうか,異年齢間の交流が深くなり,今心配されているいじめの問題,あるいは登校拒否の問題も,6年間の上級生と下級生との人間的な交流によって鍛えられていく面も評価できるのではないかと思います。
  また,質的に,一芸に秀でる面をより伸ばし,個性を発揮させる側面を考えると,[ゆとり]のある教育という良さが指摘されますが,さらにプラス面で,専門的な内容に近い能力も,6年間でじっくりと身につくのではないか。例えば科学的な素養とか,あるいはコンピュータなどを使った教育活動とか,そういったものもじっくりと鍛えられていくのではないかと思います。
  そして,このようなことを利点とする学校と,小学校教育との関連で,受験の低年齢化が生じるのではないかという危惧も指摘されますが,これは第一次答申の趣旨の中で,[生きる力],あるいは[一人一人の能力・適性]を大切にする教育がうたわれており,基礎的なもの,あるいは個性的なものを大事にしていく小学校からの接続を考えた場合には,むしろ新しい答申の趣旨を生かした中で,一人一人が個性・能力を発揮できる場が一つ選択できるというよさもあるのではないか。そういう意味で,過酷な入試体制を打ち破れる面も出てくると思っています。
  それから,入学の「定め方」の問題が出ていますが,私どもが調査書というふうに申し上げたのは,必ずしも評価された点数を書くということではなくて,学校生活のさまざまな活動の様子とか,あるいは個人の適性とか,能力といったようなものを,記録としてまとめて提出する。そういうふだんの学校での様子を書く調査書と考えています。広い意味から面接を重視して,一人一人をよく理解していただき,最終的には抽選という形の中で,学力試験を外すような方向で定めていくことはできないか。そうしていただくことによって,小学校からの教育と結びつく流れができるのではないかと思います。
  それから,中高一貫校に期待する意味から,これはこれから「素案」の中につけ加えることになると思うのですが,新しくできる中高一貫学校でありますので,子供の個性とか,能力を伸長させることができる教職員の配置といいましょうか,人的な配置面が一つ必要ではないかと思います。二つ目には,それを支えていくだけの施設の充実の問題。そして三つ目には,個性,能力を発揮できるような教育課程の編成,多様化された教育課程の編成。これをいかに組み合わせていくという問題があると思います。
  そして,その条件整備の中には,現行の学校教育法など,法的な整備を進めていく必要があると考えます。
  小学校で,受験の低年齢化に問題があるとよく指摘されるのですが,今提出されている第一次答申の趣旨を含む流れの中で,多くの子供たちの個性を尊重する教育を重視しながら,進路選択の場を多くしていくことは大事なことととらえています。

○  皆さんおっしゃるように,このたたき台をつくっていただいて,完璧じゃないかなと私も思って,敬意を表します。
  これが社会的にどういう影響があるかというふうに考えると,ボトムアップしていこう,つまり自由化していこうという方向なのかなと。そうすると,今まで国からのどっちかというとトップダウンでいろいろなことが行われましたけれど,それに慣れてしまった学校が,お任せしますよという形で,地方のそれぞれの各県にお任せするような方向をつくることだと思いますけれども,地方での意識改革というんでしょうかね,いまだに県立高校に入らないとみたいな。そして,県立高校からどれだけ大学に入るかという数をターゲットにして,いろんなことが行われているようなところに向けて,どういうアプローチができるのか,その辺がとても心配なんです。
  我々は結果を発表するということだけではなくて,プロセスの問題をこういうふうに考えて,こういうふうになったんだと。このプロセスをオープンにしたほうがいいんじゃないかなという気がするんです。そういうことによって,今の心配というんでしょうか,地方でのいろんな問題に対処できるんじゃないか。だから,こういうことを公表していって,皆さんに結果の前にそれぞれ考えていただいて,考えた結果,我々はこういう結論に達したということであっていいんじゃないかと思うんです。
  それときのう,私,テレビを見ていたら,アメリカのベンチャー事業がアメリカの今の好景気の原因をなしているみたいな報道がありまして,それぞれの若い方々がいろいろ主張しているのを見ていると,実にいまだに金持ちになって,楽をしようという方向の発想を持って,インターネットを使ってのいろんなことが行われたりしてるわけですよね。今の若い方々を見ていると,どうもあっちのほうの発想にまたいっちゃう。つまり,そういう発想で,バブルがあったんだろうと思いますけれど,そういう方向にどうもいくんじゃないか。その辺,これから日本の企業がどういう哲学を持つか,あるいは日本の学校がどういう哲学を持つかというあたりが,とっても重要じゃないかなという気がして,そういう意味での心配があるわけでございます。
  もう一つ心配があるのは,前から私申し上げててあれですけれど,教育課程審議会で厳選するということの中で,本当に厳選できるのかなという心配。完全5日制に向けて厳選が行われればいいんだけど,その辺のところがどうなるか,とても心配で,その辺のところを中教審としてくぎを刺す方法はないかなという気がしております。
  それで,前から申し上げているのを繰り返させていただいて申しわけないんですけども,逆に学校制度改革としては,義務教育を1年延ばしたらどうかという方向でございまして,中学校を4年制にすることによって,そして高校の入り方が受験勉強しなくても入れるような方向が考えられれば,時間的な[ゆとり]を子供たちにあげられるんじゃないかと考えているんですけれども,ずうっと前の中教審からの論議の中で,何で1年延ばすという発想が生まれないのか,その辺がとても私はわからない点でございます。一定の6・3・3・4という枠内で考えてしまっている部分が我々はあるんだけれど,その辺はどうなのか。中だるみなんていう話もありますけれど,私は中だるみしたほうがいいんじゃないかという気がしているわけで。そういう意味での[ゆとり]みたいなものが,これで本当にあげられるのかなという心配をしております。
  そしてまた,これはタブーではないんだけど,タブーみたいになってしまっている,受験産業の問題ですよね。この問題で,親の教育費の負担が非常にあるわけで,これを解決すれば,逆に例えば1年延ばしたってその教育費の負担というのは,これは国が負うわけでしょうけれども,親たちの経済的な負担も軽くなるというんでしょうか,そういう方向を目指せるんじゃないかという気もいたしまして,とても本質的なところで,今,私はいろんな心配をしているところでございます。そういう意味で,教課審に中教審としてどういうくぎを刺せるのかというあたりに,何か方法がないもんでしょうか,と私は思います。

○  いろいろおっしゃった御意見の中で,プロセスのところを理解いただくのが大事じゃないかということについては,申し上げまでもなく,前回御確認いただきましたように,「議事録」を公開ということになっておりますから,それはプロセスそのものが出されていく。それらをもとに,いかに結果的にまとめていったのかというここのところが問われるので,これはまとめるほうからいって,私にできるかなという気がいたしますが,そういうプロセスを大事にしながら考えていっているんだということは言うまでもないわけで,その点では,「議事録」公開というのは私は大変よかったんじゃないかと思っております。
  それから,いろいろいただいた御意見の中で,さらに御意見をいただきますけれども,そういう意味からも,今おっしゃった義務教育を1年延ばしてというような大胆な御意見も,御遠慮なくひとつお出しいただいてというふうに思います。
  もう一つ,いろいろ出されている御意見の中で,私なりにこれからさらにまとめに向けてということを考えますと,今出ましたように,「何のためか」というところを,いかにパンチをもって出していくかというときに,メリット・デメリットを普通に挙げるわけですけれども,一番強調しなければならないメリットは何か。それを主張するとすれば,デメリットがいろいろ挙げられるわけですが,そのデメリットを克服する方法は何かというふうに問うていかなきゃならないわけで,その点は,きょういろいろ御意見をいただいて,さらに詰めていかなきゃならないことだなという感想も持ちました。

○  「座長素案」の指摘するメリットはよくわかるし,理念はそのとおりだし,問題はデメリットとされているところをどう克服できるかということだと思うんです。
  じゃあ,今のままでいいのかというと,現実は,東京を初め,大都会で,私学の中高一貫というのも先ほどお話がございましたように,実態はいろいろあるようですけれども,それが全国に広がって,しかも量がどんどん増えていくという実態が一方であるわけですね。そうすると,今のままでいけば,私立の中高一貫がどんどんできて,いま以上に小学校段階から受験に走り回る  ―ちょっと大げさかもしれませんが  ―という実態にだんだんなっていくだろう。私は私学をもちろん否定するものではありませんけれども,義務教育,そしてまた高等学校が事実上義務教育化している実態を見ると,初中教育は公立学校があって,それが基本になって,それを前提に私学が特色ある教育を展開するというのが,日本の公教育制度としては健全なんじゃないだろうか  ―これは異論があるかもしれませんが  ―と思っております。そうすると,いろいろデメリットがあるとしても,やはり公立でもこういうものを設けていかなきゃならんのかなという,やっとそういう結論に達したわけです。
  ただ,その場合に,じゃあ中高一貫がいいんなら,全部一斉に中高一貫にしたらどうだということになりますが,そうすると,今の中学校はほとんど通学区でもって選択の余地がないわけですが,それが今度は高等学校レベルまで選択の余地がなくなるわけですね。そうすると,自動的に特定の高等学校に入るのと同じことになるんで,これは前回も申し上げましたように,東京の学校群の悪い面と同じものが出てくるということからすると,これは全く私の個人的意見ですけれども,現行の3・3と,それから一貫とが,量的には相半ばするような形で存在して,今の制度でもいける,こっちでもいける,二つに一つ選べるというような状況になるのが一番いいのかなという感じでおります。
  しかし,当面,そんなにできるわけがないわけで,じゃパイロット的にというお話がありましたけれども,設置形態はいろいろあるようですが,設けるとしたときに,問題は当面,県内で一つとか二つとか,あるいはブロックに一つとかということになると,とんでもない競争率になる。とんでもない競争率になるということは,いかに抽選でやったとしても,やっぱり選ばれた人なんですね。そこを目指そうという人は,バラツキのある平均的な子供群よりも,若干上のレベルの人たちがやってくるであろう。そこに,調査書であろうが,面接であろうが,学校側としては,変な言い方ですが,いわゆるできのいい子を入れたいという形になるわけで,さらに中高一貫でかなり効率的に授業を展開するとすると,結果としていわゆる大学受験の成績がよくなる。そうすると,ますます殺到してくる。
  こういうような状況が想定されるわけですから,そこのところを少なくとも  ―将来,どうなるかわかりませんが,半々くらいになるまでは,パイロット的にやっている一貫校が,できるだけそうならないような手だてを講じていくべきではないだろうか。とすれば,ほかのことを何も考えないで,もう抽選よりないんですね。
  そうするといろんな子が入ってくる。そこで,問題は,今度は高等学校レベルになると,能力・適性が多様化しますから,いろんな子供がいるということになると,相当徹底した習熟度別といいますか,適性別といいますか,そういうクラス編制を思い切ってやらないと,高等学校レベルでは対処のしようがないということになってきやせぬか。
  さらに言えば,最後のほうに「入退学の自由」ということがありますけれども,これもほっておけば,学力でついていけない子がほかへ移っていくということに,傾向としてはなるんですね,適性がないからではなくて。そうすると,残った子供はいわゆるできのいい子ということになる。それから,高等学校レベルで入学を認めると言っても,これもガラガラポンでやるのか,それとも何らかの試験をやれば,またできのいい子が入ってくる。その辺も考えると,受験に適さないような教育をここではやる  ―極論ですけれども  ―というくらいのことをやらないと,デメリットを克服するために,うまくいかないんじゃないかという気がいたします。

○  私も皆様方の御意見を伺って,徐々に洗脳されてきまして,大体,ただ今の御意見と同じような考え方になっています。
  先ほどおっしゃられたエリートということなんですが,どうしてそういう考えが出るかというと,大学受験の問題があるからですね。中教審は大学受験の問題も込みで考えますから,大学受験の方法を工夫すれば全部なくなるとは私申しませんけれども,その辺の問題は相当緩和できるのではないでしょうか。いずれにしてもこの問題は,大学受験の改革と一本で考えないとうまくいかないんじゃないかなと思います。この場は中高一貫ということで議論していますが,かなり大学受験の方法も変えていくということを視野に入れて議論しないといけないと思います。

○  この間のヒアリングのときに,中学校はどうも腰が引けてるのではないか(笑声)という御指摘がございました。今回の座長案では非常に細かいところまで配慮していただきましたが,これを通して読ませていただいても,まだ腰が引けてる部分が出てきてしまうような感じです。
  まず第1に,最大限のメリットは,高等学校入学者選抜の影響を受けないということですが,この審議会のもう一つの課題に,高等学校も含めた入学者選抜の改善ということがあります。したがって,入学者選抜の影響があるのならば,入学者選抜の改善で解決策は求めるべきで,矛盾した理論構成になるのではないかと思われます。
  2番目に,6年間の計画的・継続的な教育指導については,教育課程の組み方,あるいは学習指導要領の編成でかなり解決できる部分があるわけです。要するに,受験の影響ならば入学者選抜の改善で,それから指導上の,教育課程編成上の問題ならば,教育指導の展開の部分でかなりの解答が出てきてしまうのではないかと考えます。
  一番困惑しておりますのは,どなたかもおっしゃっておりましたが,普通科の中高一貫教育のイメージがどうもわかないということです。恐らくこのままの状況で中高一貫教育の方向が進みますと,激烈な受験競争が起こることは想像に難くないと思います。当然そこのところで抽選とか,面接とか,作文であるとか,あるいは調査書というような方法が取り入れられたとしても,受験競争の激化はやはり避けられないと思います。例えば,面接の受け方はどうするべきかとか,(笑声)調査書についても,どのようなボランティア活動を日常やっておけば調査書は上がるのかとか,あるいは作文はどのように書いたら採点者の覚えがめでたいのかというような,今までのものとは違った観点での受験競争が,必然的に避けられない状況が出てくると思います。
  もう一つ,今現在の段階ではあまり行われていない小学校の進路指導を,果たして小学校で受け入れてもらえるのかという心配が中学校側としてはございます。
  ただ,一番評価したいことは,学校制度,特に中等教育を多様化しようという考え方は,非常に支持できることですし,まとめ中で例示として挙げていただきましたものの中では,芸術科,体育科などは非常に優れた効果が出てくるものと期待されます。第2小委員会で,いわゆる教育上の例外措置の中で話題となりましたが,17歳では芸術や体育は遅いのだという問題点も,12歳ならば,これは十分に対応きて,それぞれの個性というもの,あるいは稀有な才能とまでは言えないけれども,優れた特性を持った子供たちの個性を伸ばすためには,非常に有効・適切なシステムであると考えられます。
  したがいまして,ヒアリングの中でも,幾つかの団体から出てきました,やはりこのまま中高一貫教育を推進したのではかなり問題はあるけれども,当面は学校数や,あるいは教育内容を非常に限定した,先ほどパイロットスクールというようなお話がありましたけれども,このように限定して進めるという考え方ならば,腰が引けなくて,ぜひお願いしたいということを申し上げられると思います。以上でございます。

○  メリットの中の一番として,「高等学校入学者選抜の影響を受けずにゆとりある安定的な学校生活が送れること」とあります。このことがどれほどの説得力をもって国民に受け入れられるか,現場の先生方に受け入れられるかということが,非常に気になっておりました。
  というのは,それならなぜ高等学校への入学を希望する生徒がすべて試験なくして入学できるようにしないのか,そういう方向への努力をしていただけないだろうかと考えるからです。要するに,約3%の子供たちだけが高校へ進学できない。その中には高校へ行きたくないと考えた子供もいるだろうが,大部分の子供たちが進学したかったという気持ちを抱いていたが実現できなかったのではないかと思います。そういうわけで将来的には,希望する子供たちすべてが進学できるような仕組みがつくられていくことを願っております。
  現在,総合学科や単位制の高校などが新しく設立され多様化が進んでいるといわれております。しかしながら,規模としては各都道府県に1校ないし2校という現状でありまだまだの感を持ちます。そのような中に,中高一貫校をつくっていくことになります。私としては,このような高等学校教育の多様化が今後さらに推進されることによって,子供たち一人一人の能力,適性,個性が生かされ,主体的な進路の実現につながっていくことになればと思っています。やがてはこのことが希望する生徒がすべて進学できるシステムを生み出すことになればと考えております。
  先ほど来危惧される発言が幾つか出ておりましたように,新設された総合学科の高校,単位制の高校,今後に新設されるだろう中高一貫校などが,再び学校間格差,序列化につながっていく方向になっては困ります。受験競争の緩和ということを念頭に置いて打ち出していることが,結局は蓋を開けてみたらその逆の方向に進んでいってしまったということのないようにしなければならない。
  そういう意味で,中高一貫校の導入には慎重であってほしい。入学者を定める方法も,ここにありますように,ペーパーテストにはよらないで小学校からの内申書,校長の推薦書,面接,抽選などを組み合わせた方法で入学者を定めることが重要だと考えます。中高一貫校の教育内容については,多様な特性等を持った子供たちが入ってくるということで,「総合学科の方向を目指す中高一貫校」がよいのではないかと思います。

○  公立学校の中高一貫ですが,どのような性格の学校になるか,注目されるところです。
座長メモにあるように,普通科を中心にした学校,総合学科を中心にした学校,専門学科を中心にした学校など,設置者が判断して設置することが良いと思います。
  中高一貫校を私立に負けない,進学率を上げるための受験指向の学校だけになるとは,必ずしも思いません。最も,どの程度の数の中高一貫校を設置するかにもよりますが。
  例えば,地方では,場所によって,生徒数が極端に減少している所もあります。そのような場所に中高一貫校を設置することも考えられます。
  また,県立大学を設置している県では,県立大学の活性化の観点から,県立大学に中高一貫の附属学校を設置することも考えられます。東京の都立大学はその例かと思います。大学との関係を重視する視点でもあります。
  答申を得た後,文部省で具体的な政策を立てるに当たっては,十分,地域の実情等に配慮して設置するよう指導して頂きたいと思います。

○  第一点は,今まさにおっしゃったことで,簡単に申しますと,非常に都会的な発想で,
エリート校かどうかとおっしゃっているんですが,私は都会から始めるよりは,むしろ都会から遠いところから始めろということを申し上げたいです。それだけです。
  第2点は,皆さんのお話を伺っておりますと,結局は問題は受験競争の低年齢化に対する懸念だろうと思うんです。私は,皆さんもそうだと思いますけれども,子供を持った親としての経験を顧みますと,とりわけ私立の中学,高校の受験競争というのは,これからひどくなるんではなくて,今30代後半の私の二人の子供が小学生のときに始まっているのです。私の子供は毎日ように,小学校の5年のころ,学校から帰ると,バットとグローブを持って近所へ出ていくんですが,みんな友達に断られてしまうんです。きょうは家庭教師の日です,これから塾ですと。うちへむなしく帰ってきて,ソファーの上にひっくり返っているんです。これを見て私は驚いたんです。私の子供は,家庭教師も塾も無縁だったからです。
  私はそのときに,日本の教育というのはこんなことをやっているのかと。しかも,問題の質を見ますと,もう20年以上前ですから忘れましたけれども,「次の法案はどこで決まるか。1.国会の決定。2.大臣の署名」とか,そんなことを小学校で教えなきゃいけないんでしょうか。ですから,先ほどの御意見のように,課程審で徹底的に刈り込む必要がある。そうしなければ,どんなことをやっても,受験戦争は激しくなるばかりで,既に20年前にそんな問題を出しているわけですから,十分激しいわけですが,そういうものに対してだんだん参加者が増えてきているのです。ですから,そういうようなことを小学校で教えなくていいようにしなければ,これはだめだ。結局,小学校で基礎・基本を厳選するということをきちんとやれば,受験戦争というのはある程度の緩和はできる。しかし,今のように「次の法案はどこで発効するか。1.国会の決定。2.大臣の署名。3.県知事の署名。そのどれか」というような問題をやっている限り,日本の教育は救われない。
  ですから,教える内容をもうちょっと削って,物を考えるような教育を,課程審でしっかりやっていただくことをここで要望しないと,これはどんなにやっても受験戦争は避けられない。そうしませんと,どんなにいい制度をつくっても,それがまた受験戦争の道具になってしまう。教育課程を非常に簡単にする。そうしたら,程度が下がるんでなくて,上がると私は思っております。

○  簡潔に3点であります。
  一つは,選択幅を広げる。そして,[ゆとり]を生徒に与えるという趣旨で,中高一貫を考えることはいいことであると考えております。しかも,実施形態の中で,必ずつくれというのではないということも明記されておりまして,これも私は大変いいことだと思っております。先ほどもお話がありましたが,中央と地方では中高一貫教育について若干異なるんであります。必ずしも地方では直接的な課題ではないと考えます。案外,[ゆとり]をもって中高一貫教育は地方では考えられるのではないか。必ずしも受験,受験ということにだけ考えなくていい。
  第2点目ですが,それは先ほどお話がございましたけれども,中高一貫の趣旨の中に[ゆとり],大器晩成型,ゆっくりした子供もいるんだという趣旨を強調するとか,それから障害を持った子供もいるんだから,そういったものを救う意味からも大事だということを,きちっと趣旨の中に盛り込んでいけばいいのではないかと考えております。
  3点目ですが,このような趣旨の中高一貫の学校をつくっていくのであれば,その他の今までの学校についての受験の在り方,受験競争を相当緩和するような形で,あわせて考えていきませんと,大きくバランスを欠くことになりはしまいかという危惧を持つものであります。以上であります。

○  まず,感想を申し上げます。二つの論理がある。一つはいわゆる平等だとか,公正だとか。もう一つは,能力というか,才能のある人たちを,より高いレベルにと。その二つの論理に対していろんな御意見があり,そのどちらにもうまいこと弁解をしたいがゆえの無理が全体にあるんじゃないか。これは率直な印象なんで,あれでございますが。
  二,三の各論を申し上げさせていただきますと,一つはどの程度の学校数になるのか。それによって社会の反応はものすごく変わるだろう。非常に少数で行われるということであれば,ある種の選択肢の一つということでしょうし。けれど,当初は少ないものからスタートしても,定める方法といいますか,抽選等をお入れになられたら,抽選というのは,くじですから,その結果の感じ方は非常に複雑なものがある。ラッキーに赤い玉の当たった子供と,黒い玉しか出てこなかった子供の,ラッキー・アンラッキーは,結局,数を増やせという社会の世論に当然なっていくものだろうと思います。そうなったときに,一貫学校の数を増やしていくということになると,どういうことが起こるのか。少ない数のままでいたら,必然的にまさにエリート校化すると思います。
  そういう意味では,将来,どういう展開になっていくのかということも,そのときになってみないとわからない面はあるにしても,よく吟味をした上で,先ほど冒頭申し上げました論理矛盾にならないように。もしこれをやるんなら,幾分こういう弊害が出たとしても,こういうメリットを強くとらえて,こういうことをやってみたらどうかと。ちょっと失礼な言い方で恐縮ですが,こういうのをもし世の中に出されたときに,特に学校の先生方等は,どんなふうにそれを受けとめるのかと考えてみましたときに,ある種クラリファイしておいてあげないと。で,各県教育委員会の御判断でということであるにしても,ある種Q&Aみたいなものを含めて,いろいろはっきりさせておいてあげなきゃいかんところがあまりにも多いのかなというのが一つでございます。
  もう1点は,私,第2小委員会のほうの議論をあまり存じませんのであれですが,特に科学技術の進歩等の牽引力たり得る優秀な人材の育成という視点が日本の教育の中に今求められているという御議論が当然闘わされているんだろうと思います。で,17歳受験のことなんかも御論議になっておられるというのを新聞で拝見しましたけれど,この中高一貫教育の議論は,17歳受験みたいなものとセットで受けとめられる要素ですね。ですから,これも何となくおためごかしみたいなことで済ますんではなくて,もしそういう必要が本当に社会的にあるんなら,そういうのをはっきり書かれて,それに対していろんな御批判があり,賛成・反対がいろいろ出るんだろうと思います。
  そういう意味では,私個人的には,飛び級という1年早く大学へ入って,そのことのゆえに,本来皆さんが意図されるような成果に結びつくのかどうかは非常に疑問だと思っている一人なんです。それよりも大学における教育の仕方,あるいは大学院も含めてでしょうか,それから大学生なり大学院生の意識の問題,この辺はちょっと失礼な話かもしれませんが,もうちょっと違った視点での論議もあるんではないか。存じませんので,失礼があったらお許しいただきたいと思います。
  いずれにいたしましても,18歳という年齢でいや応なしに試験というものを,あるいは現在では15歳で試験があるわけですけれど,6・3・3の部分は18歳時点での受験にどうやってつながっていくかというその道程だという一面は,どうしてもぬぐい切れない。そういう面も含めて,もう一度というか,今までいろんな論議をしてまいりましたのであれですけれど,これからの論議の中で論理を整理していく必要がありはしないか。乱暴な印象だけで恐縮ですが。

○  これは私からここで言うのが適切なのかどうかわかりませんが,第1小委員会で今検討している中高一貫教育の問題,そして第2小委員会で検討されていること,これはあくまでも小委員会で検討していることでして,これが総会に持ち上げられて,そこで関連し合いながら総合的に検討されていく。それがこの次の総会に期待されている。それに向けて考えているプロセスということだと思います。
  ここで私の意見を申し上げるのもどうかと思いますが,きょうの「素案」を私なりにつくらせていただきながら,二つの小委員会で検討していることの両方にまたがるといいますか,その基底にあるのは諮問事項であります「一人一人の能力・適性に応じた教育」ということがかぶって,そのための学校間の接続だし,その点からの中高一貫教育の提言だと,そのように私なりにとらえております。そういうところがこれから総会で検討されるときの大きな方向と申しますか,基本的な考え方のところで,また総会で論争されることになるのだろうと考えております。その点で,貴重な御意見をいただいたと思います。

○  まさに今言われたことは大きな問題であると認識しております。17歳で大学に入れてはというような議論を第2小委員会でしておりますが,それは現行の体制の中の議論であって,中高一貫になった場合にどうするか,その辺のことはまだ具体的に考えておりません。この問題については総会ですり合わせをして議論をしていく必要があろうかと思います。
  それから,先ほどからエリートという表現が何度も出ておりますが,それは大学受験のエリートということですね。現在のシステムを変えていくことによって,今おっしゃっているようなエリートではないエリートを出せる可能性がある,即ち,12から18歳の健全な発展を促せるようなシステムとしての中高一貫教育があり得るという御意見が出ておりますが,これと並行して,大学の受験のほうも抜本的に考え直す必要があろうと思っています。これも総会で御議論いただかなくてはなりません。

○  先ほどから伺っておりまして,このまとめの「素案」は,本当にいろんな配慮がされていて,すばらしい文章だと思いました。ただ,世の中の人が受けとめるときの効果も考えて世に出さなければいけないということを,今,いろいろ皆さんの御意見を聞いておりまして,余計感じたんですね。
  こういう議論もあった,ああいう議論もあったというのを,宣伝じゃないですけれども,もっと言うことによって,一般の方々にわかっていただけるのではないか。「議事録」を幾ら公開してといっても,一部の方しか読んでくださいませんし,わからないと思うんですね。アピールの仕方というのが,実は人をその気にさせる重要なことだと思うんです。ですから,配慮もいいんですけれども,先ほどからいろいろ意見が出てますように,言いたいことはいっそはっきり言ってしまえばどうだろうか。
  しかも,何のためにみんなが議論して,何を考えているかというと,未来を担う子供たちがより幸せに人生を選べるようにという,この1点だと思うんです。中には,まあ,私もいろいろ思ったんですけど,エリート,エリートってさっきから出てますけれども,つまり,国の科学の下地を担う子供たち,そういうエリートたちがどうやってつくられるかというと,これまではいわゆる有名大学のいいところに入って,いい研究所に進んで,そういう人たちがエリート科学者になるわけですけれども,有名国立大学に入るためには,やっぱり中学入試からかかわってくるわけですね。そうしますと,そういう親たちは受験料とか,塾の費用とか,家庭教師の費用とか,それを払える,ある程度経済的ゆとりのある親。もちろん,ローンを抱えて大変で,子供の教育費というのが一番家計を圧迫しているということになってはいるんですけれども,それでもそれすらかなわない親の子供が,もし仮に科学的能力があったとしても,数学的能力があったとしても,彼らはその大学に入る道筋を中学入試の時点で絶たれてきたわけですね。ほとんどは私立に進んで,その上での国立大学の理工科系ということですから。
  ですから,今回,このように公立で能力に応じて,エリートじゃなくて,できる子  ―できる子というのも難しいんですけど,そういう子たちが救われる道があるということは,これはなかなか築きにくいことですけれども,要ると思うんです。それが救えると思う。ただ,それが救えるというのは,前提として今の大学受験制度というのがありますので,またいろいろ矛盾が出てくるんですけれども,とにかくアピールの仕方として,みんなが幸せになって,口あたりのいい言葉というのは,そのときはウケるんですけれども,実現しにくい。適性ということをもっときっぱり表現して,ごく少数かもしれない能力のある子の能力を伸ばそうと,そういうことも言い切っちゃっていいと思うんです。そうじゃない子は,それなりに[ゆとり]を持てるようにという,変な言い方ですけれど。
  あと重大なことは,受け入れ側の教師ですね。教師の人材,これがすごく気になります。今,教師採用も何か削られているというようなことで,少子化に伴って,公立の教師の数を減らすとか,あるいは廃校にするとか,学校の規模を小さくするとかいうことですけれども,お金をかけるのであれば,学校の規模をそのままおいておいて,行きたい子は全員,今の高校程度の教育を受けられるということは,受け入れられると思うんですよ,予算を減らさなければ。
  世間の人は,例えば中教審がこういうのを出しますと,これは国がやっているとか,文部省そのものがやっていると,みんな誤解しているんですけれども,中教審として,行きたい子はすべて行くことができるという前提で,普通科に行きたいとか,芸術に行きたいとか,スポーツに行きたいとか,行きたい子が行きたいところへ行けるためには,受け入れ側の人員の配置ですね。学校の規模とか,先生の配置とか。そういう予算に関して国に最大限の努力を求めると言い切っちゃっていいんじゃないかと思うんです。国家予算の大部分を教育にかけてもいいという意見もあったぐらいのことは言っちゃって,一般の方に対して,イコール国ではなくて,国に対してもお願いしているんだというイメージを与えないと,「お上からの押しつけで,公立でまでエリートを育てようと思っているのか」などと言って,早とちりしたマスコミがまた何か言うと思うんですね。(笑声)「私立だけではなく,公立でも受験戦争ですか。ますます子供たちは灰色どころか,真っ暗な青春期になりそうですね。では,次のニュース」とかって(笑声)言うわけですよね。ですから,そういう誤解がないように,日本語の使い方は難しいんですけど,日本語の読解能力を高めるということも,教育の大切なポイントだと思いますけれども,アピールの仕方は遠慮しないでどんどん言っていただければうれしいなと思います。
  それと未来に向けて,こういうところに一言,例えばこういう教育を受ける権利のある者は,日本国籍を有する者にとどまるのか,あるいは日本に今住民票がある子供も受け入れるのかということも,先のことを考えて議論しても  ―どこかで私が欠席したときに議論なさったのかもしれませんが,聞き漏らしていたら許してください。そういうことも一言入れておくと,国際化社会に向けてということの真の意味を,アピールしやすいのではないかと思います。長くなってすいませんでした。

○  このまとめに関しては本当によくまとまっていると思います。私は中高一貫がカリキュラムの精選などにより,[ゆとり]のある6年間,そしてまた異年齢とのかかわり,また6年間の人との交わり,先生なども通して,それは非常に有効であると私は考えております。
  これがエリートづくりということになるととんでもないと思っておりますし,またそういうおそれがあるという,入試制度の低年齢化ということが言われております。総務庁から小中学校の通学区域の規制緩和というものが出されました。既に各教育委員会には報告されているはずです。それを実施するかどうかはそれぞれの教育委員会に任せられていると私は聞いておりますが,それが本当に実施されたときには,まさに始まるんですね。あっちの学校がいいとか,また,そうでないうわさのある学校には行きたがらない。そういうことも,ここではあわせて考えていかなければと思います。私らは中教審でやっているが,総務庁では小中学校の通学区域の規制緩和といって,親や子供が自由に通学する学校を選びなさいということを言っています。そういうことも踏まえながら,物事を進めていかなければならないと思います。

○  今日までの議論をまとめていただいて,大変よくわかるようになり感謝いたします。
第一次答申で,豊かな人間性を育てるために,[ゆとり]と[生きる力]が必要だということを高くうたって,そのことが学校・家庭・社会のすべての領域で受け入れられたということを考えますと,ここでは学校について集約された形で記述がなされているとは思いますけれども,家庭の問題とか,地域社会との連携にも触れていただくことが大切と考えます。
  その具体策の一つとして,「入学者を定める方法……」のところで,「抽選や面接,小学校からの推薦,調査書,実技検査など……」という表記がありますが,ボランティア活動や団体活動を奨励している立場にたって地域の教育力を育てるという意味からも,団体からも推薦書を出すことができる道も開いておいていただくことが大切と考えます。そのことによって,長い年月を要するでしょうが,地域全体が子供たちを育てる土壌が生まれてくると思います。
  子供たちが育つ過程において,学校・家庭・社会が相互に信頼し,交流を深めることができる具体的な方法が位置づけられることによって,それぞれの機能を発揮しつつ,連携を深めることになると考えます。

○  「座長素案」が大変よくできておりますので,特に意見はなかったんですけれども,
1点だけ申し上げたいと思います。
  その前に,今,お話がありました団体での活動,その団体が推薦母体になるというお話でしたけれども,現に高等学校等で推薦入試をやっているところでは,中学校から相当長文の推薦書をいただいているわけですが,その中には,その生徒が地域の団体でどのような活動をし,どういう活躍をしてきたかというようなことが非常によく書いてございます。そういう意味で,現在は,そういう団体の推薦を受けた小学校なり中学校が,一つ上の学校に推薦するという形がよろしいのではないかと思っております。
  それから,1点申し上げたいと申したのは,「入退学についての配慮に関してどう考えるか」というところで,この全体がそうなんですが,子供をどう育てるかという観点から,いろいろと工夫がなされているという形で書かれているんですけれども,例えば一次答申で,[ゆとり]ということと,多線化というか,選択の自由というようなことをいろいろ書いた上で,自助の精神の育成ということもたしか書き込んであったかと思います。現在,高等学校は準義務教育になっておりますので,そういう考え方があまり出てこないのかなと思うんですけれども,原点に立ち戻って考えれば,高等学校というのは自ら志願し,自ら選択し,自ら志を立てて学ぶところではないかと思うんです。したがいまして,自由意思で入ったのであれば,当然やらなければならない義務を果たしていく責任がある。これからの教育は多線化の道に進んでいくわけですから,選択の幅が非常に拡大されていく。子供たち自身がいろいろな人と相談しながら,自らの道を選択していくわけですけれども,その自由の裏に責任が伴いますよといった,そういう問題の立て方というか,考え方にもちょっと触れてもいいのではないかと,そんなことを感じております。以上です。

○  時間が過ぎてまた御発言させていただいて恐縮でございます。
  大学入試との関係で,6年制中等学校というのは個性の伸長を図る学校であるということで考えれば,大学への接続については,6年制中等学校で一貫した教育を受けた者が,これをさらに体系的というか,発展的な学習ができるように,必要に応じて大学入試でも不利にならないような措置を講ずることがぜひ必要かなと。その意味で,例えば推薦などということも必要になってくるであろうと思っております。
  もう1点,たしか教育内容,タイプについてどうかというお話もあったと思うんです。これはここでは普通科タイプ,総合学科タイプ,あるいは専門科タイプということでございまして,これ自体はもちろん異論がありませんが,これはどちらかというと既成の概念を引っ張ってきているという問題なので,これ自体は重要だとは思うんですが,それにプラスして,今後,中教審の中でというよりも,あるいはさらにそれを受けてということになるのかなという気もしますが,6年制中等学校というのをせっかくつくるとすれば,その教育理念に基づいて,新たな発想の新たな教育課程を考えてしかるべきであろうというふうにも思っております。
  あと関連して,幾つかの御議論があって,私もなるほどと思いながら聞いていたんですが,先ほどの議論の中で出た,完全に抽選だけというのはいかがなものか。やはり小学校での実績というか,そういうものも見ることが必要だろうというふうに思います。ですから,これは必ずしも抽選だけと限定しないで,ここに書いてあるようなものを選択するということでいいのかなと思っております。この件については,大いに意見がありますので,次の機会に申し述べたい。
  冒頭に私,「原則として学力……」という,その「原則」というのはどういう意味か,ちょっと考えちゃうということを言ったんですが,結論から言いますと,この「原則」はあっていいなと思っております。というのは,普通科の場合は別として,専門学科の場合は,そこで6年間やっていこうというのは,学校教育を受けるのに,必要最小限度のものは見ておく必要があるという場合もあろうかと。義務教育ですから,これはあまり厳しくやるというのはいけないんですが。専門学科の場合などは多種多様でございますんで,原則としてでさえあれば,その程度はあってもいいのかなと。あとは運用の問題だというふうにも思っております。
  それから,エリート教育論が一番核になるんだろうなと思うんですが,これも再三出ていますように,俗にいうエリートって何だというのは,本来の意味でのエリートと,銘柄大学へ入る意味でのエリートというのは,基本的に違うんだろうと思いますが,一般的に後者というふうにどうしてもとられるということなんで。あくまでそういうことのための学校であってはならないということで全体が貫かれているとは思いますんで,私はこれは結構だろうと思います。
  あとはトータルとしては,大勢としていろいろ御意見,御注文があったのは,おおむね運用でやれる問題かなと。だから,後でどう残すかという問題。文案としては,一部に,もうちょっとその意義なんかをきちっと言えないかということ。私も若干そういう希望がないわけじゃありませんが,また次の機会に申し上げます。

○  公立の中高一貫とは何なのかということは,もう一度きちっとイメージを合わせる必要があろうかなと。地方の教育委員会に任せるから,勝手でよろしいと。地域振興型のそういうものもあるかもしれないんですが,あまりにもイメージが違うかなと。現実問題としてとして,公立のエリート校をつくって,私立の,ああいう小学校の小さいときからの,塾通いを加速させないのか。この辺はもうちょっと教育改革の進むべき道を議論したほうがいいかなというのが私からのお願いです。

○  全体的な流れについては,この「素案」に賛成ですが,世の中の人がこの部分で何を一番気にするかというと,一つは入試をやるかどうかということが非常にはっきり問題になるだろうと思います。
  二つ目は,どういうタイプの高校と接続するのかということだろうと思うんです。
  それは両方とも,公立の中高一貫という学校が,どういう学校になろうとしているのかということを示す指標だと思うんですが,その点で言うと,少しその辺をぼやかしているところがあるんですね。それはぼやかしたほうがいいのか,はっきりしたほうがいいのかですね。はっきりしたほうがいいということであれば,私としては,「原則として学力試験は行わない」というこの「原則」は取るべきだと思います。
  それから,私の個人的な意見で言えば,6年制中等学校ということで,新しい公立の中高一貫校を目指すということを明示しないと,例えば従来の都道府県立の高等学校と連携させますと,それが進学を目指すような都道府県立の高校になるとすると,そこにつながる中学校は当然そういう中学校になることになりますので,新しくつくらないとイメージがぼやけているというか,危険な方向に行くことも予測されますので,それが一番議論されるんじゃないかという気がします。その2点は,議論して,はっきりさせていただいたほうがいいんじゃないかと思っているんですけど。

○  それでは,きょうは大変貴重な御意見をいろいろといただきました。時間の都合もございますので,きょうの議論はここまでにさせていただきます。
  中高一貫教育のきょうのテーマについては,次の総会での全体的な議論を経て,次々回で御議論をいただきたいと思います。これは3月27日になります。その際には,きょうの議論も踏まえて,きょうお配りした「素案」を修正したものをお示ししたいと思います。
  今後の審議の進め方でございますが,2月27日の第20回総会において,第1・第2両小委員会の審議状況を報告した上で,審議事項全体にわたる議論が行われる予定になっております。第1小委員会の審議状況は私から報告させていただきますが,その際,「中高一貫教育の導入」については,本日の「素案」,それから「大学・高等学校の入学者選抜の改善」については,前回お出ししました「検討課題のメモ」を,それぞれ配付して説明させていただきたいと考えております。いずれについても,第1小委員会で合意されたものとしてではなくて,審議の途中経過として御紹介したいと考えておりますので,よろしくお願いいたします。また総会の席でいろいろ御意見をいただければと思います。
  次回は,3月14日,金曜日でございます。13時から15時まで,今度は変わりまして,虎の門パストラル・橘で開催をいたします。そして,「大学・高等学校の入学者選抜の改善」について,「検討課題のメモ」をさらに具体化して文章としたものを,きょうのような形で「素案」としてお示しして,それをもとに御議論をいただきたいと思いますので,よろしくお願いをいたします。
  きょうはどうもありがとうございました。
                                                                                 

(文部省大臣官房政策課)
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