○ 高齢化、少子化の問題を、広い視野から捉える必要があると思います。この問題を公立の小・中・高校の空き教室が増えてきた問題の対策、また一方では高齢化対応の施設の不足対策として考えるというだけにとどまるのは充分ではありません。
学校の教室があいてきたことに対する対策としては、そのほかにもまだ色々な対策を考えるべきで、ミュージアムなどに転用していくことも考えられますし、それからまた払い下げて、私立学校を増やしていくことも考えられると思います。小学校は今、日本全体で2万5,000もありながら、全国に、私立の小学校は174校しかないという極めて少ない状況なんです。例えば、そういう問題の解決にも使えるはずだと思います。
ところで、高齢化、少子化が進んだことによって、我が国の社会が失ったものがたくさんあると思います。各委員のお話にも出てきましたと思うんですが、日本の社会が失ったものは、やはり先ほどお話にありましたように、高齢者に対する尊厳、高齢の方々が持っている偉さや、すごさというものに敬意をはらうことを子供たちが忘れている。それから、長幼の序や、挨拶、あるいは宗教を通じて人の成長、老い、死というものを扱う方法を子供たちが忘れたということ。それから、自分たちの社会をつくってくれた歴史に対するレスペクトを忘れたということがあります。こういうものを取り戻すための対策はどうあるべきかということは、やはり中央教育審議会の大きなテーマで、これを校舎の中で、高齢者の施設と子供たちの教育が同居するという狭い問題に押しとめることはできないと思うんです。
2番目に大事なことは、これも先ほど来、各委員の御発言に出ていますが、今の日本の教育で欠けているものの一つが、できるだけ色々なことを経験させるということです。英語で「アーリー・エクスポージャー・プログラム( early exposure program )=EEP」というのがあります。例えばEEPの一つとして、高齢者の施設に対するかかわりも取り入れるというのであればわかりますけれども、最初から高齢者と子供のつき合いというところに絞ってしまわないで、EEPという広い視野の一つというふうに捉えることはできないのかと思います。
もう一つ、最後ですが、介護の仕組みは、一般の社会で誤解されています。公的な介護保険制度ができると、公の力でこれをやっていく時代が来たと、こう誤解されているんですが、これは全然間違いで、一番理想的なのは民営の競争が起こることなんです。資金の支出が公的に行われ、良質な介護サービスが民間で作られる。それがこれからの時代の目標になっているわけです。そうすると、いい介護というのは、いい民間企業や、民間のボランティア団体がやる時代になりますから、子供たちがそこにどうかかわるのかというのはとても難しいんです。市町村役場が開設する介護施設の場合には、子供たちは簡単にそこに参画させてもらうことができるわけですが、民営のものだとなかなか入っていけないんですね。これもこの問題を考える上で一つの問題です。答申の中でこのような点を配慮したいと思います。