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中央教育審議会

 1998/9 議事録 
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第27回)議事録 

 地方教育行政に関する小委員会(第27回)

  議  事  録


  平成10年9月2日(水)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘  34階  ロイヤルルーム


    1.開  会
    2.議  題
      今後の地方教育行政の在り方について
    3.閉  会


    出  席  者

委員 専門委員 事務局
鳥居副会長 安藤専門委員 富岡生涯学習局長
河野座長 石原専門委員 辻村初等中等教育局長
市川委員 大山専門委員 御手洗教育助成局長
國分委員 小川専門委員 徳永地方課長
小林委員 児島専門委員 早田主任体育官
坂元委員 金剛専門委員 高   総務審議官
田村委員 佐々木(初)専門委員 杉浦政策課長
永井委員 佐野専門委員 その他関係官
横山委員 蓮見専門委員
藤波専門委員
堀内専門委員
村松専門委員
山極専門委員
和田専門委員


○  それでは、ただいまから第27回の地方教育行政に関する小委員会を始めます。お忙しいところを御出席いただいてありがとうございます。
  きょうで小委員会としては最終とさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
  それでは、きょうの配付資料の確認からお願いいたします。

<事務局より説明>

○  それでは、本日の議事に入ります。本日も、前回の小委員会に引き続いて、答申の文案について御討議をいただきたいと思います。本日お配りしております答申文案は前回の小委員会でお示ししました文案に、委員の皆様の御意見を踏まえまして、私のほうで修正を加えたものでございます。後で御説明をいたします。
  また、以前からお話ししておりましたように、これまでの皆様方の御意見を踏まえながら、答申を取りまとめるに当たっての基本的な考え方を述べる、前文であります「はじめに」を私のほうで作成しましたので、あわせてお示ししてございます。
  それでは、事務局から、まず答申文案について修正点を主に説明してもらって、引き続いて前文、基本的な考え方を出している部分については朗読をしてもらいますので、よろしくお願いいたします。

<事務局より説明及び朗読>

○  これから答申文案についての御審議をお願いいたしますが、次のような形で進めさせていただきたいと思います。まず初めに修正点について説明しましたいわゆる本文に当たるところについて御審議をいただきたい。この部分については、いろいろ御意見をいただきながらも、さらにきょう朗読をしてもらいました「はじめに」のところとも関連しますので、答申の本文については御審議をいただいた上で、きょうの審議はどちらかといえば「はじめに」のところについていろいろと御意見をいただくという形で、こちらに時間を主に充てさせていただきたいと思います。
  それにしても、なおお気づきになっている点、どうしてもという点があろうと思います。そして、これを答申文案として認めるにしても、関連して言っておきたいという御意見もおありかもしれませんので、これについてまず前段で簡単に御意見を承りたい。その上で、「はじめに」のところについて、いろいろと御意見をお伺いするという形で進めさせていただこうと思いますが、そういうお願いを兼ねた進め方でよろしゅうございますか。
  それでは、まずきょうお出ししました答申の本文に当たるところについての御意見をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

○  きょうで27回という非常に長い期間、座長を初め、委員の皆さん、専門委員の皆さんを含めまして、今の日本の教育の様々な課題をどうやって克服していくかということで、かなり真剣な議論がなされ、私などの意見についても、やや少数意見的な部分も含めて、全体的にどうまとめるかということで、非常な苦労をいただいて取り入れていただいたりということで、その点については、座長、委員の皆さんに心から感謝しているということを、冒頭に表明しておきたいと思います。
  ただ、100%それぞれの委員の意見が入るということは、物によってはできませんので、そのことを私はとやかく申し上げるつもりもありません。ただ、一、二ちょっと危惧する点、危惧すると言ったら語弊がありますけれども、全体的なトーンを私は以前申し上げたつもりですが、どうやって今の学校を再生し、また地域の教育力を再生していくかということから、分権、規制緩和ということで、できるだけ子どもや保護者、地域住民に近い市町村や学校の裁量権限を拡大するという流れについては、私は全面的に支持し、またそれがかなり具体的に改善策としても示されていると基本的には受けとめているんです。
  また、「第3章」の「学校の自主性・自律性の確立」という点の、とりわけ校内組織の問題についても、前々から職員会議、主任制、あるいは住民の参画、住民の意向を学校運営にどう反映させるかというようなことで、学校評議員制度を日本で初めて導入することについても、基本的に異論はありません。
  ただ、前にも申し上げましたように、学校裁量権限の拡大、即校長・教頭といいますか、管理職の権限拡大というふうに、やや平板的に読めば受けとめられるような要素も若干 ―私の意見もだいぶ取り入れていただいて、「指導的教員」とか、「中核的役割」という問題についても、誤解のない適切な表現に改めていただいている点は多とするんですけれども、私も周辺の人に個人的にいろいろ意見を聞いたりすると、具体的に日々子どもたちと向き合っている学級担任とか、教科担任という教員の問題が確かにあることはあるんですが、そんな困難な中でも、いろんな工夫をしてやっている人たちを励ますようなものが、なかなか読み取りづらい。
  したがって、今、学級崩壊、その他の中で、小学校なんかでは、学級担任を忌避して、なかなかクラスを持とうとしないような傾向すら一部地域では見られるということで、日々の授業をやっている学級担任や教科担任の人たちが、もっと自分たちの仕事に誇りを持って、生き生きとした学校にしていくという意味で、そういう苦労をしている担任等に対して、例えばクラスを持っている人と持たない人では担当の時数そのものにも差が出てきますし、クラス担任等の授業時数の軽減とか、そういうものを今後の定数改善、その他の中で考慮していくとか、何かその辺のことを ―もうこの段階ですから、私、具体的改善方策にぜひ入れてくれなどと言いませんけれども、中教審としても、あるいは文部省としても将来的にそういうことを考えているんだということが浮かび上がるようなことを、どこかにちょっと工夫はできないかということが一つ。
  それから、職員会議については様々議論がありましたが、小委員会案としては大体ここが調整の落としどころだなということで、別に異論を申し上げるつもりもありません。
  ただ、主任制度の問題については、議論をいろいろ重ねてきて、意見の違いがあったところを、ある意味で克服しながらここに到達しているということで、この小委員会自体としてこれ以上の一致点が議論を尽くしても見出せる状況にないということも、私は議論に参加してよくわかっているつもりです。
  ただ、今後、これはいずれにしても、20数年にわたる長い抗争にもなっている問題ですから、関係団体ですね、校長会とか職員団体の間で、この答申が決まったから、即ある時間を期して見切り発車ということでなくて、そういう関係団体とも十分な協議をしながら、やはりコンセンサスを得ながらやらないと、過去の経験もありますので、私はこの文章だけだとその辺のところがうまくいくのかなという意味で、不満足な点が残されていると申し上げておきます。しかし、ここまで議論を尽くしていますから、きょう基本的にこの原案で決めるということについてまで反対ということは申し上げません。今後の進め方として、そういう点に十分配慮した協議の進め方をしていただきたいということを申し上げておきたいと思います。なお、主任制についての私の意見を議事録に残していただくよう、座長に申し上げておきます。
  それから、定数の問題、その他は、この前御意見を申し上げたことも十分くみ取っていただいて、個人的にはもうちょっと強い調子ということもありますけれども、学級編制の在り方ということを入れて、「はじめに」の締めくくりのところにもその趣旨が一応生かされていますので、この前、他の委員の方々からもサポート意見が出まして、会長さんからもそんな趣旨のことがありましたので、その点が「はじめに」の最後の段落で取り入れられていることについても評価しておきたいと思います。
  学校評議員制度についても、この前、ご意見もありましたけれども、いろんな問題があるということは私も承知していますが、答申案では「必要に応じて」ということになったり、予想される地域によってはトラブルが起こりかねないということも含めてこういうふうにされたのかもしれませんけれども、地域コミュニティの拠点に学校をしていくという観点からすれば、もう少し前向きな結論になってもよかったのではないかということは私の個人的な意見としてありますが、これもまたいろいろ議論してきたことですから、今回はこれでやむを得ないのかなと思います。しかし、将来的に4年か5年たったらもう1回その辺のところを見直すということも含めて、様々な地域による取組を踏まえて、研究課題としてやっていくぐらいのことを行政としても当然考えてもらいたいということを、全般的な意見として申し上げておきたいと思います。

○  ありがとうございました。まえがきのところにも関連するような御意見もいただいたと思います。いろいろお気づきの点、御意見をさらにお出しいただければと思います。

○  この答申案は、私は全くこれでいいと思います。
  あと関連の問題ですけれども、情報網の整備の具体的改善方策のところでありますが、ここのところをどうするか。これはこれで私はこのままで賛成なんですが、問題はこれについてどういう視野を持つかということが今後の課題になろうかと思うので、ごく手短に私の参考意見を述べさせていただきます。
  もう20年以上前になりますが、世界中の学校の教科書で、日本についての記述に非常に変なことが多くありました。例えば、日本は熱帯だから、この国には冬はないとか、それから日本人という絵が描いてあると、どう考えてもベトナム人であったりですね。それを片っ端から直そうということのお手伝いを私はしました。フランスに行ったときに、日本についての教材はどんなものがあるか出せと言って文部省へ行きました。
  そのときにフランスの文部省の、正確に言うと教材センターというところへ連れていかれて、そこの課長に聞いたのですけれども、少なくとも日本の教育を私が説明する限り、「それは古いよ」と言われたんです。「どこが古い?」と言ったら、「教科書中心過ぎる」と。教科書を読み上げて教育をすると、一番つまらなくなってしまうと言うのです。フランスでは、極端に言うと教科書を使わなくてもいいと言うのです。しかし、先生は百科事典ではありませんから教科書がなかったら困ることもあるわけで、実際は使っております。
  フランスの文部省の国立の一つの団体として、日本で言えば教育会館なのか、教育研究所なのか、相当大きな教材センターというのがありまして、非常によくできた教材を、歴史でも、地理でも、化学でも、物の考え方について子どもが興味を持つような教材をたくさんつくっております。もちろん、それを先生が採用するかしないかは、その学校の、あるいは先生の裁量であると言うのですけれども、事実上そんないい教材は先生が一人でつくれませんから、非常によく使われているようです。その中に「明治維新と現代日本」というパンフレットがありまして、日本学者が書いた非常に立派なものです。しかし、時々、あまりそうでもない人が書いたものに、東京は大気汚染がひどいので、みんなマスクをしなければ歩けないということが書いてあって、マスクしている人の写真がありました。私がそれを見て、「この人はマスクをしているけど、遠くにいる人がしてないのはどういうわけだ」と言ったら、「それは私の責任でない」とごまかされたんですが。それはともかくも、そういう教材を非常にたくさん出しているセンターがあります。
  現在の教育を私が見ますと、学校を楽しくして、意義あるようにするには、教科書朗読型から問題発見解決型というふうに変える必要があるでしょう。つまり教科書・暗記・試験型教育からよい教材を開発して、ものを考える教育に変えることではないかと思います。教育改革が行われて、教育行政の改革が行われていくと、次の問題が起こって、それがこの部分にちょっと出てきているというふうに私は受けとめたのです。ですから、そういったような構想を、そろそろお考えになったほうがいいと思います。

○  答申の本文の内容については、大変わかりやすくなりましたし、いろいろな意見を取り入れていただき、また前回お願いしたようなことについても、都道府県と市町村との関係のところや事務処理体制のところ、また、学校運営組織の部分、あるいは地域の教育機能の箇所に反映していただいて、本当にありがたいと思っております。
  学校のチームワークということの重要性は、この後の議論といいますか、前文のほうに関連してきて恐縮ですけれども、第2パラグラフの第1行目に「著しい発展を遂げてきた」とありますが、それを支えていたのは教職員の努力であり、学校のチームワークであるということ。
  さらに、「何よりも……重要である。」というところは、より校長中心あるいは教職員間の相互理解を深めた学校づくりという文言で膨らましていただくことによって、訴えることができるのではないかと考えております。

○  質問なんですけれども、「新たな情報手段を用いた地域コミュニティの拠点の整備」というところですが、これはどういうイメージなんでしょうか。「衛星通信の受信システム」というのは、例えば……。
  実はこのことに関連して感想を申し上げますと、こういう情報手段というのは大事ですけれども、とかくこういうふうに書かれますと、機械のほうの整備を大体すぐ始めるのですね。そのソフトがどこからくるのかというところと関連して書かないと、実は機械だけそろえて、中身は空っぽということになりかねないのです。ですから、これはどういうおつもりでお書きになったのか。「子ども向け番組の提供」などというソフトをどこでつくるというおつもりなのか。個別にそれぞれ地域で買えということなのか、この辺のところですね。「大学等との連携」というところはよくわかりますが、そのほかのところがちょっとわからないので、教えていただきたいと思います。

○事務局  基本的に現在の国立教育会館を中心に衛星通信の送信をするような整備を行っているわけでございます。それと同時に、各県の教育センター等におきましても、衛星通信の送受信施設を整備するという試みが行われております。
  そういう中で、当然、委員おっしゃいましたように、具体的にそのプログラムを充実していくことが大事でございます。そういう意味では、そういうプログラム自体について、例えば各都道府県でございますとか、市町村でございますとか、あるいは教育センターでございますとか、あるいは民間のものを様々活用するといったことが考えられるわけでございますが、そういったことを含めて、プログラム及びハードシステムそのものを全体として整備していこうということでございます。

○  それでは、答申の本文について、まえがきにもわたるような御意見も出始めておりますので、まえがきのところについていろいろ御意見を伺ってから、最後に改めて答申文案としてお諮りをしたいと思いますので、これからの御意見は、ひとつまえがきのところに関してお願いしたいと思います。

○  これは形式的なことですけれども、「はじめに」の第2パラグラフのところで第一次答申のことが書かれておりまして、次に、先般出ました「心の教育の在り方について」の答申のことが出ていますけれども、第二次答申については何も触れられていないんですが、あえて触れる必要がないという何か意図があったんでしょうか。ちょっとお聞きしたいと思います。

○事務局  意図的に抜いているということではございません。御承知のように、第一次答申、第二次答申も「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」ということで答申をいただいたわけでございますけれども、その一番基本的なコンセプトというのは、ここに書いてございますような「[ゆとり]の中で子どもに自ら学び、考える力や豊かな人間性などの[生きる力]をはぐくみ」ということではないかということで、ここですべてを代表したということでございます。

○  よろしいですか。私はこれで通したのは、第一次答申と第二次答申は一体のものなんですね。個性の尊重だとか、一人一人の能力を生かした教育というのが第二次答申のねらいですから。そういう御意見をいただいたということです。

○  「はじめに」のところは、幅広くいろいろな問題を取り上げてまとまっていて、結構だと思うんですけれども、二、三点もし加えるのであればということで申し上げさせていただきたいと思います。
  一つは、第2パラグラフの終わりのほうにもう少し書き足していただいてはどうかという気がするんです。それは第一次答申といいましょうか、今お話がございましたような21世紀を展望した答申を出してきて、それに基づいて教育改革が進められてきてということで、最後の段落のところが、そのために教育行政の改善を図ることが不可欠であるということで、これでわかるといえばわかるんでありますけれども、もう少し積極的に書いていただいてはどうだろうか。
  子どもたちの個性を育てていく、[生きる力]を育てるような教育を進めていくためには、もっと学校の自主性が重要であって、そのためには現在の教育行政制度を改めていくことがどうしても不可欠だという、最後の1行のところをもうちょっと強調していただいてはいかがかという感じがします。
  もう1点は、第一次答申の中で、[ゆとり]の中で[生きる力]を育てるということと並びまして、いろんなことが言われているわけでありますけれども、完全学校週5日制ということも言われているわけでありますが、もう1点、この答申の中で強調されましたのは、学校と家庭、地域との分担といいましょうか、その連携を図っていくということで、学校だけではなくて、家庭や地域の教育についても、これからかなり重要視していかなければいけないんだということを提言していたかと思うんであります。
  そのこととのかかわりの中で、これは直接的にはたぶん第4パラグラフのところにかかわって、そこをもう少し膨らましていただいたらというお話になろうかと思うんでありますけれども、家庭の教育力については、ある意味では「心の教育の在り方について」というこの前の答申がかなり家庭教育のところを重視して強調しておられたわけでありますが、地域の教育力を高めるということがないと、学校との分担関係、連携についても十分進められないだろう。地域の教育力を高めるためには、教育委員会がその分野での学校教育にかかわる部分ではなくて、地域の文化とか、スポーツというふうなものを振興していく、そういう役割をもっと果たしていかなければいけない。そこのところの重要性をもう少し強調していただいてはどうか。そういう観点でもう少し膨らませていただけないかということが1点でございます。
  もう一つは、先ほどお話のございました事柄でありますが、確かに校長・教頭という方々だけでなくて、それぞれの先生方をもっと元気づけなければいけないということがありましょうし、あるいはこの答申が出されまして、学校現場で十分理解をしていただかなければならないということがある。そういうあたりのことを、「はじめに」の中に書き込んでいただくということがあってもいいのではないだろうかという気がしております。そういう点で、3点ほどもう少し膨らませていただけないかという感じがしております。

○  今回の修正点ですが、情報網の整備のところに「国立教育会館を再編整備」となっていますが、以前に審議の過程で「教育会館を活用する」という文言があったような気がするんですが、もしこれ間違っていたらごめんなさい。もし入っていたとするならば、だいぶ違っちゃうのではないかという気がいたしました。
  それと地域の活力の導入・活用のところにあります「……首長部局所管の青少年関係施設、」、その次に「社会福祉施設の機能の活用」となっておりますが、青少年関係の施設というと、自治体で備えているところは少ないのではないか。むしろ社会福祉施設のほうがあるのではないか。そういうことを考えると、首長部局の施設というようなもっと大きなものでとらえて、「首長部局の施設の機能の活用」というふうにしてもよろしいのではないかと思います。
  それとこれは既に書かれておることで恐縮なんですが、「4章」のはじめに「地域コミュニティの拠点としての学校・公民館の活用が十分ではない」というのと、その次のことですが、学校は拠点としての活用が十分でなかったと思うんですが、私はコミュニティの拠点として公民館が果たしてきた役割は大変大きいものがあると思います。むしろ首長部局のほうがそれを怠っていたのではないか。これは私の反省も含めているんですが、そのように感じます。というのは、私どものような新興市ですと、人がどんどん増えてきて、新旧住民の融和が保てない。そのときに行政としてどういう手を打ったかというと、あまりやってないんですね。ところが、公民館活動を通して、新しい方も今まで住んでいた方もみんな一緒になって活動してきた。そういう点からいけば、ここの文章は、私は公民館をもう少し褒めてあげてもいいのではないかという気がいたします。
  それと、地域振興に必ずしも積極的でなかったと言いますけれども、地域振興というのはまちづくりで、そういう意識がまた特に職員にもなかったと思うんです。まちづくりという意識はなかった。ですから、やることをやってないんじゃないかと感じたわけであります。
  これは一番最後のほうになりますが、私の感想ですが、「地域コミュニティの育成と地域振興」の中で、「いくつかの市町村において、生涯学習を中核としたまちづくりの取組が進められ、地域コミュニティの育成や地域振興に大きな役割を果たしているが、このような取組が全国の多くの市町村で展開されていくことが望まれる。」と。これは私としても本当にうれしい、すばらしい言葉であります。ことしの11月には、生涯学習市町村協議会という市町村単位の会を設立する予定でおりまして、またそのときには文部省にもいろいろと御指導をいただくことになっております。すなわち、教育改革は人の問題でありますし、生涯学習を通じて改革が進められ、また地域がよくなっていけば、もう申し上げることはないわけでありまして、このようなことがさらに進んでいくことを私も大いに期待いたしております。まえがきのところについては特にございません。

○  本文について前々回の段階でいろいろお願いした部分を半分程度入れていただいたかなということで、ありがたく思っております。総論的には今日の冒頭に他の委員のおっしゃったことに近い感想を持っているんですけれども、私の言ったことと違う文脈の御発言もあったもので、やむを得ないというか、こういったものだろうと理解しております。
  今回、初めて「はじめに」の部分が出たんですけれども、今お知らせいただいた段階ですから、あまり深めたことは言えないかと思いますが、第7パラグラフで終わっているんですが、終結感が不十分ではなかろうか。これで終わっていいのかなと。もうちょっとこの後にあってしかるべきというような文章的な感想を持ったわけです。
  それはどういうことかといいますと、「はじめに」の趣旨は、前回の御提案もあって出てきたものかと思っておりますが、私、昨年の2月でしょうか、ここにいらっしゃる村松専門委員を座長とする協力者会議から参加させていただきまして、そのとき感じましたのは、最初は10年前の協力者会議のやり残しをやる程度のつもりで顔を出させていただいたんですけれども、文部省のほうからの御説明で、これはかなり思い切ったことをお考えになっているということで、私自身も主体的に参加したいと思ったわけです。
  一言で言いますと、もちろん今の様々な教育問題状況、さらには社会経済的な問題状況の中で、公教育においてもう1回、本質的に国民主権制というものをどう確立していったらいいのか、このように考えられるような改革を志向されているのではなかろうかと、私なりに理解をしたわけです。その文脈としまして、文字どおり地方分権というものを教育行政の中で制度的に根づかせる、あるいは学校の自律性を制度的に確立していく、さらには親、保護者、地域住民の教育参加を制度化していく、こういう文脈だろうと私は理解してきたわけです。
  さらに、その手段としては規制緩和という手段が行われるでしょうし、あるいは情報公開というものをより積極的にしていく。ちょうど今の財政や金融の改革と同じような文脈で教育も考えられると、こう理解をしてきたわけです。
  そうしたときに、これからがお願いの部分になるわけですけれども、ヒアリング等でもいろんな御意見を承ったんですが、その一つとしまして、なぜ改革しなければいけないかという御意見といいましょうか、感想でしょうか、まだまだ特に地方の行政実務者の間にかなり根強く残っているなと思いました。実際にそういう率直な御意見を述べられた代表の方もいらっしゃったかと記憶しております。
  この小委員会では、この本文を含めまして全員の委員の方がたぶんこういった方向でという同意を与えることになると思うんですけれども、これが地教行法の改正あるいは各地方段階での学校の管理形態の在り方というふうに普及していくだろうと思うんですが、そのときに一番心配されますのが、地方分権ということは地方に権限を任せるわけですから、その段階になって地方においては、ここの趣旨といいましょうか、今申し上げたように地方分権であったり、学校の自律性確立であったりということについて、本質的に理解していただけない部分がこれから出てくるのではなかろうか。これを危惧しているわけです。
  そうしたときに、「はじめに」の性格としましては、言ってみますと、唐突な話で恐縮ですけれども、明治5年の学制の学制序文ではありませんけれども、国民に向かうアピール文であってしかるべきであろうと思うわけです。特に親、保護者が積極的に自分の子どもを中心に地方の教育行政や学校経営にも参画をするような視点を持ってもらいたい。何よりも地方の教育行政担当者が今回の改革の趣旨について理解を深めて、自らのこれまでの在り方を見直してもらいたいという部分があってしかるべきではなかろうかと思っているわけです。いきなりの文章ですので、違った趣旨のものがあったかと思いますけれども、私個人としましては今危惧しております、地方の行政担当者が今回の改革について主体的に、また前向きに取り組んでもらいたいということを、この委員会あるいは審議会からお願いしていくような文章であっていいのではなかろうかと思っております。

○  今の御意見に私も賛成ですが、この答申は、「心の教育」のほうの問題と違って、かなりプロに向いている。つまり、教育関係者を中心にして、それを取り巻く人たちに焦点が当たっていると思うんです。そこで、全体的に三つほど感想があります。
  一つは、中央から地方へと権限を移していくという方向、これは大事だと思います。地方というのは複数あるわけです。トータルとしては国の教育行政が保持されるわけですから、国の権限を地方に移すけれども、地方と国とがより協調して日本の国全体の教育をよくしろというようなアピール的なものがちょっとあったらいいなという感じがいたします。
  それから、地方にそれぞれの権限が移りますと、地方が個性を輝かせたすばらしい教育を営む可能性と機会が与えられるわけです。地方と地方との間の協力関係をしっかりとって、頑張ってくださいという観点がちょっとあったらいいなという気がしております。
  その事柄が本文にも関係しているかと思うんですが、先ほど出たお話はたぶんCNDPだろうと思いますけれども、いろんな教材をつくってやっているんですが、日本の場合、中央でそういう教材をつくって、配布するということもありますけれども、今、地方はいろんなデータベースといいますか、教材になるすばらしいデータベースを持っている。それをここにこういう情報があるぞというのをリンクできるようなことが可能になっております。地方自身がつくっている自作の教材であるとか、それから市販の教材でいろいろいいのがありますから、そういうもののネットワークを作り、地方にいろいろ分散している情報を分散協調という形で利用していく。
  そうしますと、先ほど通信衛星のほうの問題でも、一方的にいくというのを、ソフトが地域にも分散してある、それを凝集する。地域の図書館とか、公民館とか、科学博物館というところからの情報も、ほかの地方が使うという手だてを講ずるということに絡まります。中央・地方の協力と地方・地方の協力という二つの協力関係、つまりトータルとしての教育へのサービスはコンスタントなわけで、その重点を国から地方へ移していくということですから、両者の協力でもって国全体の教育改善をしろと、そんな発想が一つ欲しいなという気がしました。
  二つ目は、地方に権限が与えられますと、大変フレキシブルになる。つまり、個性を輝かせた特徴的な教育を各地方ができるわけでございます。そこに住民の方々なり学校の先生方なりが積極的に自主的に参加できる。これは裏返せば、本文にはあるんですけれども、責任を持つということになるわけです。そういう参画の自由と、しかしそういうことの裏腹に責任を持ってやってくださいというアピールがもう一つ欲しいなという気がいたします。これが2点目でございます。
  3点目は、これは当然やっていらっしゃると思うんですが、私ども入試問題をつくっているときに、問題をつくりましても、送り仮名とか、こっちが漢字になって、こっちはその漢字が仮名になっているということがありまして、それを全部、国語の専門家に何度も何度も見てもらうわけです。そういう御配慮で、日本語の専門家に一番最後のときには見ていただいて、送り仮名とか、章の間の漢字・仮名の違いがないような御配慮をお願いしたいと思います。これは余計なことで申しわけありません。

○  小委員会も最終回ということで、別にどこをどう修正しろということをこの段階で申し上げるつもりはございませんが、最後の機会ですので、全体の印象的なことを申し上げたいと思います。
  まず、当初の原案に比べて、わかりやすくなったと思うんです。ただ、ちょっと解説的なところがかなり入っている。それでもなお一般の方には難しいということで、それはそれで結構ではないかと一つは思います。
  それから、国、都道府県、市町村の役割分担を、全体として地方分権という趣旨に沿ってきちっと仕分けをした。また、市町村段階などでは教育委員会と学校との分担を、特に学校に権限を委譲するという視点でずうっと貫かれているわけで、そのことも私は結構だと思います。特に教職員定数、あるいは学級編制の弾力化が最後のほうの段階になって入ってまいりましたが、これも大変いいことだと思うんです。
  ただ、一つ私は心配というか懸念がありますのは、これは小委員会でもしばしば申し上げたんですが、学校に権限を委譲する、その方向自体は大変結構だけれども、同時にそのことは、学校の責任が重くなるということを意味するので、特に最終責任者である校長の権限ということをきちっとしないと、かえって校長さんは大変なことになるということを申し上げました。
  そういう視点から言うと、学校の校内の運営組織という点について、いろいろな意見がある中でまとめたわけですけれども、率直に言って、ややあいまいな点があるというふうに感じます。これで十分かな? という気が正直言っていたしまして、校長の権限、学校の権限が大きくなればなるほど、校長さんは逆に苦しくなるのではないかという懸念もいたします。先ほど、教職員全体ということで、校長・教頭をちょっと強調し過ぎているのではないかというお話がありましたが、私は教育論としてはまさにそのとおりだと思いますが、組織論としては最終責任を負うのは校長ですので、やはり校長というものをもう少しやったほうがよかったのではないか。その線に沿って整理したほうがよかったのではないか。これは懸念でございますし、その結果どうなるかということは、今後の学校経営、学校運営の実態を見ていかなければわからないわけですが、そんな懸念が若干いたしました。最後の機会でございますので、ちょっと感想的なことを申し上げさせていただきたいと思います。
  ただ、一つ質問がありまして、教職員定数のところの記述が2ヶ所にあるわけで、私、前回休んでおりましたので、あるいは議論があったんだろうと思いますが、最初のほうは学級編制のことで、これは理解できるんですが、次のほうは教職員定数の弾力化ということで、「都道府県が弾力的な教職員配置基準等を定めるなどにより」という記述があります。例えば、僻地に対する特別の配当であるとか、あるいは小規模校における何学級のときは何名とかというようなことを基礎に、国の定数をはじくわけですけれども、都道府県はそれを参考としつつも、現在も各県ごとにいろんな基準を設けているんだろうと思います。それをより弾力的にするという意味合いなのか、あるいはまたさらに職種ごとの流用と言うと言葉があれですが、職種ごとに事務職員、教員、あるいは栄養職員というようなことまで含めているのか。職種ごとの記述はその後にありますが、これはどちらかというと国庫負担の計算事務の話のように受け取れるので、その辺はどのように理解したらいいのか、前回欠場していてわからなかったものですから、教えていただきたいと思います。

○事務局  教職員定数の弾力的な措置につきましては、この趣旨といたしましては、現在でももちろん行われているわけでございますが、基本的に義務標準法等に定める教職員定数の標準が教職員定数を算定するための基準であるという性格をより明確にする。そのことを中教審として改めてここで宣言をしていただく。そのことによって、従来、もちろんやっている県はあるかもしれませんが、都道府県がそういったことをより踏まえて、きちんと弾力的な運用を行えるということを改めて明らかにしようという趣旨でございます。
  ただ、そのことを逆に言いますと、教職員間の何か融通ということを ―前回、一緒にしておりまして、そういう中で、教職員間の融通もできるのではないかという誤解をいろいろ招いたわけでございますが、そういったことについては、あくまでも職種間の定員管理は今後とも維持をするということでございます。したがいまして、各県ごとに教諭何名、養護教諭何名という定数管理、そういうシステムは今後とも維持をするということでございまして、そのことについて誤解がないようにその趣旨を後ろに移したものでございます。

○  そうすると、職種間の融通というのはやらないということですね。いい悪いは別として、この記述は。

○事務局  最初の御議論をいただいた後、特にマスコミ等の報道によりまして、例えば40人学級が直ちに35人にこれで移るんだというような御議論が中教審でされているかのような受けとめ方がされたり、あるいは御指摘の点にかかわりまして、教職員職種間の移動が全く都道府県なり市町村の自由になるかのような受けとめ方がされるというようなことで、現場にかなり混乱がございまして、私どものほうにも事務的なレベルで反響がございましたので、後のほうから申し上げますと、職種間の問題として前に書いてあった部分は、基本的には委員御指摘のように、国庫負担事務をもっと簡素化したいという、国と地方の事務の削減という観点に重点を置いて、そこに焦点を当てた形で書かせていただいたということでございます。
  したがいまして、その部分も結果として、国は多少の職種間のでこぼこがあっても、トータルとして100という算定をされた範囲であれば、国庫負担をできますということに結果的になりますので、その範囲内では都道府県は、多少今までよりも職種間の配置の順序を入れかえたりという形で、計画の先送りや先倒しをやってくるということが結果として考えられるだろうと思います。基本的には、義務標準法、高校標準法ともそれぞれ職種ごとに定数を定めておりますので、あくまでその標準はそれなりの基準を持つだろうと考えられます。
  それとはまた別途、全般の基準の弾力化は今御説明申し上げましたように、基準そのものは各学校種ごとの基準を積み上げておりますので、今の各県のやり方を見ますと、いわば端数計算部分的なところでしか基準配置をしないという実態がございますので、もう少し地域なり学校の規模等々も、それぞれ各県の実態に即して配置の基準を考えていいのではないかという趣旨で、全体として100の中の定数であれば、その中の各県の基準は弾力化してもいいという形で、標準法を整理したらどうだろうかと考えているわけでございます。それは義務標準法の定数を、100の定数の中で、ある部分1とか2ぐらいを利用しながら、非常勤で配置できる。そうしますと、当然、本来の配置基準をどうするかといったような問題も、そこで県が自分なりに考えて、その上で、非常勤をどう配置するかということも考えるということになります。この二つのことでございますが、結果的には全体としては緩やかになるんだろうと考えております。

○  特に何か議論があるということではございません。いい内容のものができたと思っております。それが意図ではあったんですけれども、校長先生が忙しくなるなという感じがつくづくいたします。権限で何か保障してあげるのか、どういう形になるのか、校長先生に与えられた権限が本当にいいように行使される実際上の仕組みというのか、ここに書いてある以外の何かがあるんだろうなという気がちょっとするんです。その辺がどうなのか、私、まだよくわかりませんけれども。
  強いて意見といえば、終わり方というのが、私もこれで終わって、何かちょっと物足りないところがあったんですね。よくわからなくて考えていたんですけれども、一つは、これは書けることではないのかもしれませんけれども、こういうものの場合に、スケジュールのことがあるんだろうと思うんです。地教行法の改正に取り組むことは間違いないわけです。そのほか、どれだけのことがどれだけ行われると、ここに書いてあるようなことが実現するのかというのは、いろんなレベルでの積み重ねがあってのことだろうと思うんです。そういうことと、関係者への十分理解をしてほしいという働きかけみたいなこととがごっちゃになっているのかもしれませんが、そういう内容の結び方がもう一、二行あるかなという感じがしているということだけ申し上げたいと思います。

○  主に「はじめに」に関することですけれども、一つは第6パラグラフのところにかかわることですが、私としてはこの答申全体の趣旨というのは、国、都道府県、市町村、学校という教育行政機関ないしは教育行政と教育機関との権限関係とか、制度の見直しが軸であって、それが地域住民や保護者にとってどのような意味を持つのかという説明というか叙述がもう少しあっていいのかなという感じがしています。
  もう一つ、先ほどもあったんですけれども、学校への権限委譲ということは、それだけ学校の地域住民や保護者に対する一層の責任が問われるんだと。その制度見直しが今回本答申のほうでもかなり意識されていたと思うんです。その辺をただ単に学校への権限委譲とかなんかということに終わらせないで、地域住民とか、保護者への説明責任というか、教育責任というものをより一層明確にして、より地域住民や保護者の要求に沿って学校運営をするような制度運用の見直しを図ることが今次改革の趣旨、ねらいであるということを、より明確にメッセージとして伝えることが必要ではないかと考えます。その辺が一つポイントかなと思います。
  二つ目は、本答申では学校の新しい進み方として、地域や家庭との連携ないしは役割分担ということがいろんなところで言われており、それも今回の中教審のポイントだと思うんですけれども、「はじめに」というか、前文のところでは、その辺があまり触れられていないので、バランスも考えて、これからの学校改革のポイントは、家庭、地域、学校との連携協力ということをもう少し「はじめに」のところで触れられていいのかなという感じがしました。
  三つ目は、確かに地方分権とか、規制緩和ということが今回の改革の趣旨ですけれども、基本的にはそのことを通じて、国や都道府県、市町村、各学校がそれぞれの役割と機能、責任を果たしながら、全体として教育行政のOut-Put、活力を高めて日本の教育に取り組んでいくんだという趣旨だと考えます。国の権限や地方への関与を編成することを自己目的化するのではなく、あくまで国、都道府県、市町村、学校のそれぞれの役割、責任をより明確にして、連携協力しながら21世紀の教育問題に取り組んでいく仕組みをつくることが、今回の中教審の趣旨であるということ、その辺の基本的なトーンは押さえておいていいのかなという感じがします。
  最後に、あくまで今回の中教審というのは、国ないしは都道府県レベルの法制度改正あるいはシステムの基本的な運用見直しが中心であって、そのもとで各地域や学校がどのような内実をつくっていくのかというのは、これから来年度の法改正を踏まえて、おのおののところで努力していくということなわけですので、その辺を押さえた上で、各地域や学校の、試みや取組を期待するみたいなアピール性があってもいいのではないかということであれば、そういう趣旨で何か書き込んでもいいのかなと思います。

○  今の意見とほぼ同じですけれども、どちらかといえば規制緩和の、いわゆる国、地方、学校という関係で、るる述べられておりますけれども、特に地方教育行政上の問題として出てきたのは、新しい学習のネットワークをどうするかという問題でありまして、学校と地域社会、それから地域住民の中における学習の問題、さらに情報支援の問題等を含めまして、生涯学習の問題で出てくるネットワーク化の問題が、地方教育行政の新たな重要な役割なんだということが、第6パラグラフのところに出てきてはいるんですけれども、そういうことで少し強調して、新しい方向を打ち出す。一方には見直しとしての規制緩和というような大きな座標軸が、ここで提案されてよろしいかという感想を持ちました。

○  今後の地方教育行政の在り方につきまして、多様な意見、多様な立場をきちんとまとめていただいたと思っております。地方教育行政に携わる専門家たちがこの答申案を熱心に読むというのは事実だと思います。その意味では、この「はじめに」が、逆に専門以外の方々にPRできるという観点から大切だと思います。今後の地方教育行政は21世紀の教育を展望するときに、こういう行政の仕組みがあり、このように変わるので、学校もこのように変わっていくというPRがもう少しできたほうがよいのではないでしょうか。せっかくこれだけのしっかりとした答申を出すに当たって、「はじめに」を読んで大体わかったというような方々も多く、全部を読みこなす方はそれぞれの専門の方以外はあまりないというのが実態ではないかと思うだけに、せっかくの機会でございますので、単に地方分権や規制緩和だけでなく、21世紀のこれからの教育を担っていく教育行政が、こういうスタンスで、こういうことをこれから考えていき、その結果、学校というものがこういう教育機関として新しい役割を担い続けていくんだということが、「はじめに」でPRでき前面に出たほうがよろしいのではないかと思っております。
  ここに書いてある文章は非常に正確で、そしてきちんとしているんですが、一般の方にちょっと難しい面もあるのではないでしょうか。ただ、答申案の要約であるというスタンスであればそれでもよろしいんですが、どちらかスタンスを決められたほうがいいのではないか。私個人の意見としては、せっかくの機会ですので、「はじめに」の部分は多くの方に読んでいただいたほうがよりいいのではないかと思っております。
  もう一つ、地方教育行政のことでわかりにくいのは、例えば市町村立小・中学校に県費教職員がいて、設置者や服務監督の責任・権限がどうであるというようなことです。とくに保護者の方には極めてわかりにくいと思います。「何で県の先生が市の学校にいるんですか」と。教員自身も、「私は一体、県の職員なんですか、市の職員なんですか」というような質問をします。公務員制度の中で極めてイレギュラーな部分でございます。そんなことも含めますと、細かいことはまたいろんな法律上のことがありますのが、例えば県が高校を設置し、小・中は市町村が設置している。設置している者が基本的に監督責任を担うんだと。そして、国が全国のきちんとした基準と義務教育の公平性の観点から果たすべき役割を今後ともきちんと担い続け、県は全県下の教育水準をきちんと確保するとか、そういうわかりやすい書き方のほうがいいのではないでしょうか。せっかくの機会なので、地方分権というときに、一体、何が分権だったのかということがわかりやすいほうがよろしいのではないかと思っております。
  もう一つ、第2パラグラフのところに、「戦後、我が国の教育は、量的にも質的にも著しい発展を遂げてきたが、」と書いておられまして、その後に問題点を2行ほど書いてございます。戦後担ってきた教育を、画一的に全部否定する必要はないわけで、学校の先生方は努力して学校教育を充実してきたことも事実でございます。また、公教育として全国どこにいても同じ水準の教育を受けることができたというようなことなど、長所も挙げながら、今の時代の特有の問題等を挙げたほうがよいと思います。何か悪いことがいっぱい出てきたから、地方教育行政を変えるんだというイメージになりがちではないかと思います。学校の教員が担い、公教育が担って頑張ってきた部分も、こういうところで取り上げればよろしいかと思っております。
  同時に、地方分権は、実は地方に行けば行くほど、中央の議論とはやや裏腹に、その権限がきても責任をどうとったらいいのか、権限がきた場合に一体何がどうなるのか、むしろ現場を含めて不安に思っている部分もございます。それから、保護者からしますと、特色ある学校づくりと言われて、どんどん頑張ってほしいのは事実ですが、隣の学校が非常にいい、うちの子どもの学校はだめだ、そのときに子どもは向こうの学校に行けるのか、公平でないのではないかと、こういう素朴な議論が行われているのも事実でございます。そういう中では、ぜひ国、都道府県のそれぞれの役割の明確化ととともに、公教育であり、義務教育であるという点から、全国どこに住んでいても、子どもたちが義務教育という意味での一定の教育の機会均等と公平さが確保できるというのは、やはり国の責任だろうと思いますので、そういうことを明確にしながら、それぞれの地域の特徴を生かして、それぞれが自分のところの教育をしっかりと責任を持って担えるという部分を強調していただけたら、なおわかりやすいのではないかと思っております。

○  この答申案、それから「はじめに」という文章ですが、私はこれは非常によくできていて、これでいいだろうと思っているわけです。
  ただ、確かにいろいろな委員がおっしゃられたような意味で、会長談話のような形でおっしゃる必要があることはあるかなと思っております。
  それはどういうことかというと、これは先生方皆さん御存じのことですが、よく言われることですが、民主主義には2種類ある。一つは共和主義体制というやつで、もう一つは多元的自由主義体制。共和主義体制というのはフランスがその典型ですけれども、中央に民主的な手続を経てつくられた民主的な政府が、国全体を直接統括する。ですから、中央政府が国民と直結して、特に教育については全権を持って教育をしていく。それをちゃんとやらないと、反政府、反革命的な勢力が出てきて、民主政体をひっくり返すようなことをやるから、直接国がやる、ほかは一切口出させないという形でやっていくという一つの民主主義の教育のシステム。
  今、私たちが議論している地方教育行政の改革は、それとちょっとニュアンスが違う多元的自由主義という考え方を日本の教育制度の中に入れていこうという考え方だと私は思うわけです。ですから、今度は地方が主役。ということは、アカウンタビリティーの話もありましたが、地域、地域が支えない限り、いい教育は生まれないんだということを伝えないといけないと思うんです。それが国民に対するアピールだと思います。多元的自由主義思想の典型はイギリスであり、アメリカであるということが言われています。つまり、中央政府と国民との間に中間団体の存在を許す。その中間団体が国民に支えられながら、いろいろな活動をしていく。国は最小限のことで、できるだけそれに対して干渉していかないという考え方であります。そういう流れをはっきりさせないと、地方教育委員会の先生方が混乱を持っておられる。「学校にできるわけがない」という言い方をすぐされるんですが、それは学校がやるのではなくて、それを支える地域住民のやるべきことができていなかったからできていないだけの話だろうと私は思っているんです。
  ですから、その辺のことを明確に、会長談話でいいと思うんですけれども、きちっと伝えて、これがうまくいくかいかないかは、すべて国民にあると。アピールとしてはそのことを言わないと、ちょっと混乱する面が確かに出てくるのかなという気がしないでもありません。ただ、文章に書かなくても、会長談話でいいのではないかと思うんです。

○  「はじめに」は全体的によろしいかと思うんですけれども、第2パラグラフの中で、いろいろな答申とか、教育課程審議会の答申から若干引き出していると思うんですが、その引き出し方に自分なりに疑問があるのは、例えば「教育課程審議会においては」云々というのがあって、そこに「豊かな人間性や社会性の育成」とか、「自ら学び、考える力の育成」とか、「基礎・基本の徹底」とか、「厳選」とか、このように出しています。これはまさに教育課程審議会の取りまとめそのものだと思うんですけれども、地方教育行政の在り方の「はじめに」の中において、基礎・基本の徹底とか、何とかということがあえて必要があるのか。
  ということは、教育課程審議会の改善の基本のねらいには四つあるわけです。1番目がここに書いてある「豊かな人間性や社会性」、2番目が「自ら学び、考える力」、3番目が「ゆとりの中で基礎・基本」とか、「個性を生かす教育」とあるんです。しかし、実はねらいの中の4番目に、それぞれの学校は地域の実態に応じて創意ある学校づくり、創意ある教育づくりをしてくださいということを挙げたんです。その肝心の4番目がここになくて、ほかの三つがある。あの4番目の、各学校が創意工夫してください、まさに選択履修の幅を拡大してくださいと。基礎・基本の徹底よりも、選択の幅の拡大なんて学校はなかなかやらない。しかし、学校の実態に応じてやってくださいと。あるいは、ここに書いてある「総合的な学習の時間」にもっともっと工夫してくださいということを4番目に書いてある。そういったことをピシッと書いておいたほうが、学校の自律性・主体性という本文との関連で結びつくかなという感じがいたしました。

○  今回、「はじめに」を読ませていただきまして、ちょっと感じましたんですけれども、今回の答申が教育のプロの方に主に向けたということで、こういうはしがきで結構かなとも思いますんですが、先ほど他の委員の御意見にもありましたんですが、やはり大きな改革ですので、国民全体に向けてアピールするようなこともぜひともしていただきたいという個人的な感想を持っております。
  そういう意味でいきますと、この答申が発表されたときに、本文全部を読む方は稀だと思います。一般の方は、やはり「はじめに」というところで判断する方が結構多いのではないかと思います。そう思いますと、トーンが全体的におとなしめというか、ちょっと弱いのではないか。戦後50年続いてきた教育が、ここで地方分権ということで根本から大きく変わるんだという、やはり大きな改革だと思いますので、親の一人一人もこれから元気を出してまたやろうというか、もちろん学校の先生もそうなんですけれども、そういうPRができるような文章にしていただきたいなと。うまく表現できませんが、そういう感想を持たせていただきました。

○  私は、本文のほうですけれども、全体がわかりやすく大変よくまとめられたと思っております。「はじめに」も読んでみまして、非常にわかるということで、細々したことはまた加えるにしても、よかったと思っています。
  全体としまして、地方教育行政の在り方について、先ほども、行政関係の地方の人たちたはあまり必要性を強く感じていないのではないかというお話がありましたが、まさにそのとおりだと思うんです。しかし、今の時世の流れから、やはりここにもメスを入れていかなければならないということはわかっているわけであります。「第1章」から「第4章」までの中で、特に「第3章」が現場、直接学校教育にはかかわってくると思うんですが、言えば、今、地方などの反応を見ますと、「校長先生、しっかり頼みますよ。責任も重く、大きくなりますよ」ということを、それぞれ中間報告等で感じていると思うので、私はこれはこれで今後の学校教育あるいは教育全体の中で、制度として非常にいい形で出されてきたのではないか。実際具体的に難しいのはいろいろあるとは思いますけれども、全体としては「しっかりしてくださいよ」ということへの一つのアピールにもなっていると思います。
  ただ、これは直接全体とは関係ないんですが、今後、文部省のほうにお願いしたいと思いますのは、校長さんの責任も大きくなるわけですので、待遇等についても、ここには直接関係ありませんが、考えていただきたいもんだなと、そういうことをお願いして、感想にさせていただきます。

○  お話しさせていただいたことを答申に盛り込んでいただきまして大変ありがとうございました。最初のうちは東京に出てくるのがちょっと大儀だなと思っていたんですが、最近は楽しくて、委員の方々の御意見をいろいろと伺えるというので、メモしていたのも1冊まとまるなという感じです。欠席も多かったわけですが、こういう機会を与えていただきまして本当に勉強になりました。お礼を申し上げたいと思います。本文等のことではないわけですが、本当にありがとうございました。

○  さっきの「はじめに」の第2パラグラフで、教育課程審議会のところの引き出しだけ言いましたけれども、同じように、例えば中教審の第一次答申を引き出すのであれば、確かにここにある[ゆとり]と[生きる力]というのも大事でしょうけれども、地方教育行政との絡みで言うならば、あそこで言っていた完全学校週5日制、あるいは地域や家庭との連携ということが本文とも関係しますし、それから第二次答申でいえば、例えば中高一貫とか、あるいは例外措置は、今までのシステムに対して風穴をあけていく、一種の弾力化とかかわり合ってくると思うんです。ですから、同じ引き出すのでも、なるべく内容との絡みで出していくと、もう少しパンチがきくかなと思いました。

○  ありがとうございました。ほかにございましょうか。それでは、きょうの議論は以上にさせていただきたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。
  長時間いろいろありがとうございました。本日の小委員会での委員の皆様の御意見等を踏まえて、これから考えていきますが、答申の、きょうしばしば使っている言葉で言えば、本文については、ほぼこのとおりということで大体お認めいただいた。なお、出されたいろんな御意見に対して、さらに修正をすることが必要ならばということで、これは私に預からせていただきたいと思います。
  それから、きょう初めてお出ししました「はじめに」について、いろいろ貴重な御意見をいただきました。これも私に預からせていただいて、どれだけ取り入れられるかわかりませんけれども、できるだけ出た御意見を取り入れるということで考えさせていただきたい。
  その中には、先ほど出ましたが、大体、「はじめに」と「本文」ということで答申案は構成されることになるわけですが、これに対して「はじめに」に関連して出ました、例えば会長談話ということを考えるか、そういうことも含めて、この問題は検討させていただきたい。
  そして、きょうお出しいただいた御意見に基づいて必要な修正を加えたものを、9月11日に予定しております総会において、小委員会としての答申文案として報告させていただきたいと思います。そこで御討議をさらにお願いする。その文案については、私に御一任いただくことにさせていただきたいと思いますが、それを前提にして、きょうのこの答申文案、私に預からせていただいたものを、次回の総会への小委員会としての最終の答申文案として報告させていただく。このことを最後に御了承を得たいと思いますが、よろしゅうございましょうか。
  副会長が出ていただいておりますが、そういうことで総会に上げますので、どうぞよろしくお願いいたします。
  何か一言最後におっしゃっていただくことがございましょうか。

○  あえて一言いわせていただければ、教育改革の道のりは長いということ。これはいろんな切り口の一つの切り口だということ。したがって、教育改革全体から見れば大事な第一歩であるということを書かれてはいかがかと思うんです。たぶんいろんな切り口というのは、例えば施設の問題、新しい時代に向けての施設はこれからまた別のところで議論するでしょうし、教員の社会的地位がどんどん低くなっているという問題もほかのところで議論しなければいけないでしょうし、「心の教育の在り方について」の問題は既に当審議会でやりましたということで、今、文中で紹介されているわけですね。だから、紹介すべきことと、まだ我々はやっていないけれども、やらなければならないということを書いてもいいのではないか。これはそのうちの一つであり、審議会の答申ですから、社会に球を投げて、最初に読む人にわかりやすくしたほうがいい部分は、試みに案の中に入れてみてもいいのではないかと思いました。

○  さて、これからの審議スケジュールについては、先ほど申し上げた通りですが、会長の御意向としては、答申の文案について審議を尽くしたい。そのために、次回の総会については専門委員の皆様に御出席いただくこととしたいということでございますので、どうぞよろしくお願いいたします。
  また、9月21日に予定されている、これは第222回の総会になりますが、ここでは答申を文部大臣に提出することとしたいということですので、よろしくお願いいたします。
  それでは、これで本日の会議を終了いたします。第221回総会は、9月11日、13時から、霞が関東京會舘のゴールドスタールーム、35階で開催いたしますので、よろしくお願いいたします。
  本日はどうもありがとうございました。

                                                    

(大臣官房政策課)

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