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中央教育審議会

 1998/8 議事録 
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第25回)議事録 

 地方教育行政に関する小委員会(第25回)

  議  事  録

  平成10年8月5日(水)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘  34階  ロイヤルルーム


    1.開  会
    2.議  題
        今後の地方教育行政の在り方について
    3.閉  会


    出  席  者

委員 専門委員 事務局
河野座長 安藤専門委員 富岡生涯学習局長
市川委員 石原専門委員 銭谷審議官(初中教育局担当)
薄田委員 岡田専門委員 御手洗教育助成局長
國分委員 小川専門委員 加茂川財務課長
坂元委員 尾木専門委員 徳永地方課長
永井委員 佐野専門委員 高 総務審議官
横山委員 藤波専門委員 杉浦政策課長
堀内専門委員 その他関係官
鱒渕専門委員
村松専門委員
山極専門委員
和田専門委員


○  ただいから、第25回地方教育行政に関する小委員会を開催いたします。どうぞよろしくお願いいたします。初めに、本日の配付資料の確認からお願いいたします。

<事務局より説明>

○  それでは、議事に入ります。前回の小委員会では、中間報告以降の審議での委員の皆様方の御意見や中間報告に対する関係団体の意見等を踏まえながら、私の責任で作成した答申の文案をお示ししました。そして、中間報告からの修正点等について説明をした上で御意見を伺いました。
  その結果、全体の構成、そしてこの案を基礎に今後の審議を進めていただくことについては、基本的に御了解を得たところでございます。きょうは、この答申文案について、中間報告から大きく変更のあった「第3章」と「第4章」を中心にして、さらに前回までの御意見の中でいろいろと出てまいりました学級編制と教職員定数に係る見直しと具体的改善方策の部分について討議をお願いしたいと思います。討議は、各項目ごとに進めていきたいと思います。
  まず、「第3章」の「学校の自主性・自律性の確立」の総論部分であります「1」の「現行制度の概要と課題」の部分については、委員の方々に一通り各項目についての御意見をいただいた後に、まとめて検討をしていただくことにさせていただきます。
  そこで、まず項目ごとにということから、初めに「2」の「教育委員会と学校の関係の見直しと学校裁量権限の拡大」の部分について御討議をお願いしたいと思います。この部分に関しては、前回の御意見の中では、校長のリーダーシップというのは確かに重要であるが、校長の権限の光と影をよく踏まえる必要があるといった御意見などが出されております。このことについて、御討議をお願いしたいと思います。

○  ちゃんと見直していただいているように思いますので、今のところ特段異論を申し上げる点はございません。

○  「教育委員会の支援機能の拡大」のところでございますが、学校に緊急の事態が生じたときということで、教育委員会の支援機能の拡大について努めるように、ここに改善策として書かれておりますが、現状において緊急の事態が生じようと生じまいと、むしろ過剰に教育委員会が学校に行き、また派遣をしたりして支援、指導しているというのが実態だと思います。
  私は、基本的に学校の自主性・自律性をこれから確立していくときには、危機管理能力を学校が持ち得るということが条件だろうと思います。危機管理能力を持つという意味では、まず学校が第一義的に対応し、教育委員会はある意味で内々にその支援を常にするわけですが、改善策というよりは現状がこうである。その中で、結局、学校と教育委員会の責任範囲の不明確化、あるいは責任体制の確立がしにくいという意味で、この点について意味はわかりますが、緊急の事態といいましても、いろいろなことが考えられますが、基本的な教育委員会と学校との責任範囲と、常に設置者、服務監督者として学校への指導、支援をするということなので、少しここがわかりにくいなと思っております。

○  ただいまの御指摘のところに関連しては、今、御指摘があったとおり、学校が危機管理能力を高めて、主体的に対応するという側面と、しかしながらそこが十分にできない面があるので、教育委員会がこれを支援するという趣旨がここに盛り込まれているんだと思うんです。
  その趣旨を生かすために、例えばこの文言の中の「……マスコミへの対応等が必要な場合には、」の後に、やや限定を加えて、例えば「事件の内容に応じ、学校と連携をし」という文言を一つ加え、その次の行の「……直接対応するとともに、」のところを「……直接対応する場合や、学校に……」というふうにして、今の御指摘も生かし、そしてここに盛り込もうとしている趣旨も生かすようなことはどうかなと考えております。

○  それでは、次は同じく「第3章」、「校長及び教頭の任用資格の見直しと教員の資質向上」の部分について、今から御意見をいただきたいと思います。このことに関連しましては、前回は教頭に関する記述が不十分であるという御意見をいただいております。さらにこのことについての御意見をいただきたいと思います。

○  校長、教頭の任用資格の見直しということでは、「……改め、10年以上教育に関する職に……ある者」ということになっておりまして、これは私どもにとっては大変ドラスチックなものなんですけれども、これに対して我々も自らが高めていかなければならないと考えております。その場合、ただ、任用に当たっては免許があろうがなかろうが、同じスタートラインで任用試験を受けるというようなところをはっきりさせておいていただかないと、多少誤解が生じるのではないかと感じております。
  それから、教頭に関しましては、校長とはまた別の職務、職責というものもあるわけですけれども、これまでの教育界の流れでは教頭を経て校長になるという人物が大変多うございますし、今後もそういうような方々が多いということであるわけですので、教頭の選考に当たって、試験の比重を縮減するということは大変結構なことですけれども、必要な知識、技能といいますか、そのようなものも基本的なものとして十分備えておく必要があると考えております。

○  まだこの文案を十分読みこなしていないんですけれども、全体的な構成そのものは、「第6章」まであったのを「第4章」までまとめてもらって、かなり読みやすくなったと思うんです。新しく「第3章」になった部分で、全体的な私の感じなんですけれども、学校の裁量権の拡大という大きな流れについては非常に結構なことだと思うんです。もちろん、学校の裁量権の拡大ということは、おのずから自己責任を伴うということを前提にした上ですけれども、全体のトーンが、もちろん最終的に学校運営の権限が校長やあるいは校長を助ける教頭を含めてあるということについては、私も別に異論を挟むものではありません。
  ただ、校長、教頭が学校を運営していくに当たって、どうもこの文章をずっと見ていくと、校長、教頭というのが一つのパラグラフに3回も4回も出てくる箇所もあるんですけれども、学校教育法第28条でいう教諭は児童生徒の教育をつかさどる、つまり学級担任や教科担任をして日々子どもと接している教諭のことが、これは行政という形で書いてあるから、どうしてもこうなる面もあるのかもしれませんけれども、ほとんど教諭が何をするかということがこの文脈に出てこないんです。校長、教頭、指導的教員、中核的教員、その他一般の教員と、こういう新たなヒエラルキーをつくろうというふうに考えているのではないかということを強く感じているわけです。
  具体的には、校長、教頭の任用資格のところに関連しては、一つは「学校の責任者である校長及びそれを補佐する教頭に、教育に関する理念や識見を有し、地域や学校」云々とあるんですが、例えば「教育に関する理念や識見を有し、」の次に、文章にはあまりこだわりませんが、「所属教職員の意欲を引き出し、地域や学校の状況……」という、やはり全体に教職員がやる気を起こすようなことが、校長、教頭のリーダーシップの最たるものではないかという意味で、そういう趣旨の文言をそこに入れたらどうかというのが一つの意見です。
  2つ目は、今も言ったように「中核的役割を果たす教員」。今までは文部省が研修なんかやるときに、経5年とか、経10年とか、あるいは中堅教職員ということでの文部省の研修が全国的な規模であるんですけれども、そういう言葉はありますが、ここではあえて「中核的役割を果たす」というふうなこと、それから指導的役割を果たすというのがほかの部分にも載っていますが、唐突に「中核的役割」という。
  すべての教職員がそれぞれの経験、ライフステージに合わせて研修をやるということが必要なので、あえて「中核的役割」ということをここに入れる必要はないのではないかというのが意見です。
  それから、教職員の処遇改善の部分ですが、全体的にこれだけ校長、教頭を中心にして教職員の責任が問われているから、それに見合った処遇をするという意味では大いに結構なことだと思うんですけれども、ここで職務と責任に見合った処遇の改善を図る必要があるという趣旨のことが書いてありますが、このためには今の公務員の給与制度からいって、人事院なり、あるいはその財源措置をする大蔵省との関係等も含めて、一定の見通しがあって書くのであればそれなりに結構なことなんですけれども、あえてこういうふうに書いてしまって、その後、一体、本当にこれはどうなるのかという、そこらのところの見通しもないままに書けば、あえて中教審の責任を問われるようなことになりはしないかという、一方で私もちょっと不安な面があります。「いや、絶対こういうことをやれる」という確信のもとに、座長の責任で出されているということであれば、あえてこだわりませんけれども、やはり関係者と協議してやらないと、かえってあだになるような結果になるのではないか。
  具体的改善方策の中では、「教頭の複数配置を推進する」というところです。今も大規模校の場合は、地域によって教頭は複数配置されているんで、特にあれですが、定数改善がかなり進めば、もっともっと教頭の複数配置が可能になると思うので、その辺の定数改善とあわせて、実際に教壇に立つ教員の枠を食って教頭を複数配置するというのであれば、これは現場はかえってゆとりがなくなるという点も危惧されるという意味で、もう少し慎重な書き方をしたほうがいいのではないかと思います。

○  「校長及び教頭の選考」というところですが、今後、地域に開かれた学校運営をしていくには、私は生涯学習というのは切り離せないものだと思っております。そういったときに、生涯学習に関する研修とか ―いろんな研修があるんでしょうけれども ―こういうものを義務づけていくことが必要ではないかと思います。

○  前回もちょっと論議があったかと思うんですけれども、「指導力不足の教員等への対応」のところでございます。
  「適格性を欠く者」についてですが、その前の限定が「指導力が不足し授業が成立しなかったり、子どもとの信頼関係を築くことができないなど」ということなんですね。今問題になっていますいわゆる学級崩壊等を意味していると思うんですけれども、最前から論議されましたいわゆる不適格教員のイメージとこれは一緒かなというのが、ちょっと疑問に思ったわけです。社会通念上、組織的に物がこなせないような教員ですね。かつて何年も車の中に閉じこもって云々というのがあったんですけれども、そこまで極端ではないにしましても、社会的に人間関係に携わるような仕事には向かない。ちょっと抽象的な言い方になりますけれども、そういったイメージで、一般的に不適格教員というものを私は考えてきたんですが、ここまで広げちゃうと、学校に何人も不適格教員が出ちゃうのではないか、そんなイメージに取りかねないのではないかという気がしましたので、ほかの先生はどういう御意見かわかりませんけれども、もう少し適格性の問題については限定をしたほうがいいのではないだろうかという気がいたしました。

○  具体的改善方策の「校長及び教頭の任用資格の見直し」のところで、先ほど来何人かの方からありましたが、ここで「10年以上教育に関する職に就いた経験がある者」ということが出ているわけですが、私もわからない部分があったものですから、あわせてお願いします。
  この「10年以上」というのは、教員免許状がない方を含めてということで、今までの法規定と違って書いてきた部分で、「10年」というのが出てきたのかなと単純に考えるわけです。今までの「5年」というのは、大学を卒業して教員になって、そして「5年」ぐらいというと、大体30歳前後になるということで出ていた「5年」なんでしょうが、今回はその「10年」というのは何をもってして出てきたのか、一つ自分でわからない点がありました。
  次に、「10年」ということですが、今までの規定では問題なのかどうか。今までのを生かすならば、ここの「10年以上」云々を除いて、「特に必要がある場合には、都道府県教育委員会等がこれと同等の資質・経験を有すると認める者について任用できる」という形ではどうなのか。ですから、「10年」云々を取る方法が一つ考えられるのかなという感じがしました。
  それから、「校長及び教頭の選考と人事の在り方の見直し」の部分です。非常に単刀直入に、またかなり切り込んだ形で具体策が書かれているんですが、今の流れとしてそうなのかもしれませんが、「年功序列を排し」というのが書き出しのところに出ているわけですが、教職を長年経験された先生は非常に大きいものがあるのではないか。そうしますと、この「排し」というのが頭にあるということは、私の考え方なのかもしれませんが、それをかなり否定している部分があるように受け取られます。ですから、ここの書き出しを強烈な表現とせずに、「単に年功で行われるのではなく」という形とか、あるいはこれを省いて、その後に具体的な部分が、若手教職員とか、学校運営の人材云々という形が出ていますので、これをあえて入れなくてもいいのかなということで、2通り考えられるのかなという気がします。
  それとあわせて、「30歳代等」という形で、具体的には「30」という数字が出ているわけですが、この辺も入れる必要があるのか、自分としてはその辺がわかりませんでした。
  最後に、先ほどからもありますが、文頭に「指導力不足の教員等への対応」ということで、ちょっと露骨に出ているような気がするんですが、その文章中にあるように「教員として適格性を欠く者への対応」とか、もうちょっとやんわりと書いたほうがいいのかなと、個人的な考えでしたが思いました。

○  「指導力不足の教員等への対応」に関連する意見です。先ほどから御指摘があるように、もしここを、人事上の配慮というところにアクセントを置くのでしたら、ここに焦点化するような表現にしたほうがいいのかなというのが一方であり、それからむしろ指導力不足の教員に対する対応を一般化してここで表現するのであるならば、「人事上の配慮」の前に、例えば「研修体制の一層の強化」ということで、「人事上の配慮」と同時に、やはり研修についての配慮を求めるという表現にする。一般化するなら、そういう表現を加えたほうがいいと思います。

○  「校長及び教頭の選考」にかかわってですが、「校長の選考に当たっては、教育や法令に関する知識等に偏った筆記試験」という限定をつけた表現になっているんですが、その下の教頭については「筆記試験の比重を縮減」というふうに限定をつけない表現になっております。法令の細かい条文なんかを試験するようなものも全国的に見た場合に見られるんですが、それも筆記試験ですし、それから識見なんかを見るような場合に、作文のような試験もあるわけです。私は識見を見るのには作文なんかは非常に重要ではないかという認識を持っております。そういう点で、教頭の場合に、ここでただ「筆記試験」と書くと、そのあたりの微妙なニュアンスが飛んでしまうなという感じがいたしますので、改めていただければありがたいと思います。
  それから、指導力不足の教員について、「法令の規定に従って」という文言が入っておりますけれども、実際問題として指導力不足の先生は、法令に従って、今、一所懸命指導するんですが、どうしようもないという現場の実態があるわけです。これはやっぱり「法令の規定に従う」というのをもう少し書き込んでもいいのではないか。この文言を削除するとか、「適切な措置を加えられるように検討する」とか、そういうことが必要ではないかという感じがいたします。

○  指導力不足の教員について、前回も申し上げたんですけれども、今お話を聞いていると、もう少し和らげたほうがいいのではないかという意見が幾つか出ているように聞こえるんです。先生のやる気を起こさせるという面で、これをやわらかくしたほうがいいのか、きつくしたほうがいいのかは少し問題があるかと思うんですけれども、ただ、子どもを預けている保護者の立場から考えたら、こういうふうな書き方は当然であると私は思います。厳しいのではないかということがありますけれども、私はやはりこのぐらいのことが書かれなければいけないのではないかという思いをしている一人です。

○  今の指導力不足の教員の件ですが、これは内容を見てみると、二つ書いてあるわけです。一つは人事上の配慮を行うということと、もう一つは非常勤講師を配置するための支援措置。どっちにウエートがあるのかということですが、前段のほうは各県とも程度の差こそあれ、それなりの対応をしていると思うんです。十分ではないかもしれません。なぜ十分でないかというのは、非常勤講師等の支援措置が十分行われないから、やりたくてもできないというところに限界があるわけです。
  そういうふうに考えますと、前段の規定は、私は個人的にはかなりラジカルで、今お話がございましたように、「法令の規定に従って適切な措置」なんていう生ぬるいことではなくて、現行制度の改正も含めて思い切ったことをやらなければどうにもならないだろうと思います。しかし、それはまた別途大問題になりますので、ここで1日2日でもってやれるような問題ではないだろうと思うんです。
  したがって、ウエートはどちらかといえば後段のほうにあるんで、だとするならば、前段の書き方をもう少し工夫する。これは私がそう思っているんで、皆さんはどう思っているかわかりませんが、そんな気がいたします。

○  いろいろ御意見をいただきましたが、次回に再度検討することとして次に進めさせていただきます。「第3章」の「4 学校運営組織の見直し」の部分について御意見をいただきたいと思います。このことに関連しては、前回は主任制、職員会議について、改善策をもっと踏み込んで書くべきであるなどの御意見が出されておりましたので、引き続きお願いいたします。

○  主任制と職員会議の在り方が現在の学校運営の中で一番大きな問題点になっていることは、先生方、御承知のところであろうと思うわけであります。
  まず、「主任制の在り方」のところで、ちょっとわかりにくいのがあるんですけれども、これは2種類お考えなのかなと。一つは「全国的に共通して置くもの」ということの文章と、それから「状況等に応じて各学校ごとに置くものとを明確に区別し」と。これはどのような趣旨なのか、ちょっと具体的な形がよくわからないのでありまして、御説明をいただければ大変ありがたいのであります。
  主任という者は、校長が日々の学校の運営をする、あるいは学校教育を進める上で、各パート、パートの中にあって重要な役割を果たしてくれている存在であると思っております。一つの考えでは、主任も新任も同じだというような考えの方もこれまでなかったわけではないんですけれども、やはりそうではないのであって、ある一定の経験年数、またノウハウを知っている方が、校長や教頭とともに進めていくという大事なことであると思いますので、主任の在り方についてははっきりとさせていただきたいと思います。
  また、「処遇の改善」についての検討ですが、現在も主任手当というものが出されておりますけれども、これを改めるのか、あるいは別なものを考えるのかということがありますが、ある程度職層的な位置づけをしていただいて、固定給といいますか、本給に反映、あるいは手当として反映されるような、率として反映されるようなものをお願いしたいというふうにも考えております。
  もう一つ、職員会議の在り方は、私も新任校長として着任したときにいろいろな洗礼を受けたりいたしましてやった経験があるんですけれども、「校長の職務の円滑な執行に資するため」とのことですが、これは大事なことで、ここのところはぜひ強調していただきたいんです。といって、校長がすべてワンマンで独断的にやるということは絶対あってはいけないものでありますし、またそのような権限を自分で自覚してしまうと、もろ刃の剣にもなりかねないという自覚は私持っておりますし、また校長会の各会員の先生方もそのような自覚は持っております。
  職員会議については、ここに書いてありますように、法律の中でこのような性格ということはなかなか難しいと思うので、それぞれの教育委員会の管理規則の中で、どのような性格のものかというようなこと。ただ、根本的には、くどくなりますが、ここにあります「職務の円滑な執行に資するため」ということはぜひ強調しておいていただきたいと考えております。

○事務局  具体的改善方策の「主任制の在り方」のところで、「主任制については、校長及び教頭を助ける経営スタッフとして全国的に共通して置くものと、学校の種類や規模、地域の状況等に応じて各学校に置くものとを明確に区別し、その在り方を抜本的に検討すること。」とございますが、これについて、私ども座長のもとで御指示いただきながら作成するに当たりまして、おぼろげながらこんな方向でということで考えているわけでございます。
  具体的に申し上げれば、現在、学校教育法施行規則により置かれている主任等及びそれ以外で、学校管理規則によって置かれているその他の主任がございますが、そのうち全国共通に置くべきものと考えられるものを改めて整理し、新たに学校教育法施行規則などの法令により規定をすることとしてはいかがであろうか。それらにつきましては、学校の経営スタッフとしての機能、位置づけを明確にするとともに、これらの経営スタッフの人事及び配置等については、各教育委員会が責任を持って行うこととする、そういったことを考えているわけでございます。
  また、新たに法令により全国共通に置かれる経営スタッフ以外の者につきましては、学校の種類、規模、地域の状況に応じて、設置者が定める学校管理規則におきまして、従来の主任と同様に校務分掌の一環として主任等を置くことができることとするということでいかがであろうか。これらの主任等の設置、種類及び命課等については、各学校設置者の判断にゆだねることとするということではいかがであろうか。また、当然、これらの主任等の職務は従来と同様とするというふうに考えております。要すれば現行の主任等のうち、全国共通に置かれるものを再整理して、新たな位置づけを行うとともに、その他の主任等については従来どおりの性格とし、その設置等については各設置者に任せること、こういったことを考えているわけでございます。
  なおその場合、まだ、○○主任は全国共通というような、明確な考えを持っているわけではございませんが、各主任ごとの職務内容なり、現在の状況に即して、例えば教育関係者のほうから御意見があり、学校現場の状況がそうであれば、現在ある、例えば教務主任であるとか、そういったことについては、全国共通のものとして定めるというようなことと考えております。

○  主任制の在り方については、現状をよく押さえて書かれていると思います。ただ、この中で、「現在では概ね定着し」という表現がされております。確かに実態は、主任制闘争は収束したところが多いようにも思いますが、一部の地域ではまだそうではありません。また全体的にこれほど多く学校の管理運営組織について、あるいは教員の研修についての問題点が挙がるということは、主任制の機能化阻止、形骸化ということが職員団体の闘争目標になっている結果として、そういうことが起きていると思っています。
  実態においては、機能化の阻止、形骸化ということが現実に行われている場合が、大変多いということでございます。その中で、なかなか研修がしっかりできない。それから、校務分掌がはっきりわからない。したがって、先ほど私が指摘申し上げたように、危機管理能力に対応した学校の管理運営組織が確立できない。こういう実態が現にあるということを踏まえた上での議論が必要ではないかと思っております。
  今回、このような形で、いろいろと多くの方々から御指摘され、私は21世紀に向けた学校の管理運営の在り方、校務分掌の在り方の中で、主任の問題はそれぞれ全国の都道府県の格差、同じ県内における取組の格差等、非常に多様であることを踏まえまして、この見直しについては、学校現場での現実の機能などをきちんと踏まえ、また実態がどうなっているかを地道に詰めていくことが大変重要ではないかと思っております。
  この問題は規則で改正するとただちに定着するものではなく、そもそも必要があったから主任制が導入されたわけですが、その導入に当たって闘争が組まれ、今に至るまで学校の現場が通常の組織経営としても、あるいは教育環境のいろいろな観点からいっても、多くの課題を抱え続けてきたという実態を踏まえ、改善すべきものはきちんと改善し、将来に向けてのことはまたそれぞれどうなっているかをきちんと詰めながら、慎重にやっていくことが大変重要ではないかと考えております。

○  内容的なことではなくて、文章がちょっとわかりにくいということです。「校務分掌に係る様々な機能を一律に主任として位置付けているため、」という表現は、ちょっと何を言っているかよくわからないんです。
  その次の「包括的な職務命令の付加という主任の位置付けが中途半端」というのは、日本語としてわかりにくいんですが。

○事務局  「校務分掌に係る様々な機能を一律に主任として位置付けている」ということは、いわば主任という職務の中には、図書館の担当でございますとか、教育課程の編成でございますとか、あるいは生徒指導でございますとか、そういった様々な機能を期待される分野があるわけでございますが、そういうことの中で、そういったものをすべて主任という一つのカテゴリーでくくって、同一の機能を位置づけているということを書いているわけでございます。
  また同時に、主任というものが、従来いろいろな中で、これはどういう位置づけなんですかと聞かれたときに、それは主任という職務を包括的に命令として与えたものだということで、通常は主任の命課という言葉を使っております。命課というのは、普通の発令行為なんですかとか、任用なんですかとか、単なる命令なんですかといろいろ聞かれるんですが、包括的な職務命令を付加したものだというふうな位置づけをしているということが、逆に言うとわかりにくかったり、そういったことによって様々な位置づけが学校の中であいまいとなっているということを、中途半端ということであらわしたものでございます。

○  「各学校ごとに置くもの」とありますけれども、前にも申し上げたんですが、先ほどの校長、教頭の選任の際の生涯学習の問題からいくと、やはり生涯学習主任というのを、これは学校の規模とか何かによって違うでしょうけれども、クラス数が多ければ学年で一人とかいう置き方はあると思いますが、それも1年交代でやってもらうというふうにすれば、各先生の生涯学習に対する認識がさらに深まっていくのではないか。また、採用時に生涯学習についての試験とか、あるいは研修とかを義務づけることもやったらいいのではないかと思います。

○  「学校運営組織の見直し」のところは、特に現状と課題といったことについてかなり分析されているというのは、見直しをするという前提に立てば、当然、そうあらなければならんと思うんですけれども、校務分掌のところも、主任制のところも、職員会議のところも、三つ、四つ分析されているんですが、私から見れば、やや一面的な見方になっている嫌いが、全体的な印象としてあると言わざるを得ないんです。確かに先ほど御指摘があったように、現在、一部を除けば、いわゆる主任制闘争というのは収束していることは間違いないんですけれども、20数年たってもなおそういうトラブルというか、対立が起きているかということも、一方で考えていかないと、「いや、それは闘争しているほうが悪い」と言えばそれまでですけれども、それで事態の解決策が何か見出せればいいんですけどもね。
  まず主任制について言えば、先ほどもちょっとわかりづらいというお話があって、確かにいくつかの記述は非常にわかりづらいんですけれども、専門的な者から見ればなるほどと思える節があるんですけれども。そこで、ここにも書いてありますけれども、従来、昭和51年にこの省令主任が置かれた以前も、全国的に言えば小・中・高、それぞれ○○主任というのはかなりあったわけです。これは学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法第3条の財源配分とかかわって問題が起きたわけで、人事院を動かすためには、省令主任を置かなければ手当が出ないということから、苦肉の策として。全国的に一律に学校種別に応じて主任を置いたというところに、伝統的に、慣習的に置かれておった従来の主任と違って、新たな抗争を生じたというふうに私は見ているんです。
  したがって、ここでも「校務分掌に係る様々な機能を一律に主任として位置付けている」という、そこにかなり混乱というか、対立抗争の一因があったと思いますから、「一部の職員団体の強い反対運動があり」という、これも事実ですけれども、なぜ反対運動が起こったかというところについて、若干の指摘をしないと、文部省のほうから見れば確かにこれは当たっていると思うんですが、一方のほうから見れば、やや一面的に記述されているという感があるんで。その辺のところについて、修正案文まできのうのきょうで私も考えつかないんですけれども、次回までにもしつくれということであれば、私なりの分析をした上で、修文をしてもいいんですけれども。
  それから、職員会議については、これは今まで議論してきたことを非常にうまくまとめてあるというふうに、私はそれなりに評価しています。ただ、後半「しかし・・・」の部分は問題ですね。確かに一部の地域で校長との対立が起こりというのはあるんですけれども、これは全国小・中・高、3万5,000近い学校の中であるのは、日の丸、君が代をめぐってとか、ごく特別の地域で特別の学校で行われていることであって、全体的にそんなに子どもの問題等でしょっちゅう対立が生じているということでもないんで、対立が生じているということを非常に強調して見直しのところにつながるというのであれば、ここも表現を妥当な線に書き換える必要があるのではないか。
  それから、具体的改善方策のところで、「その在り方を抜本的に検討すること。」について、先ほどご意見がありましたけれども、今の段階で、これは共通して置くものと、学校の種類や規模、地域の状況等に応じて置くものを明確に区別するとは書いてありますが、現に置かれている小学校の教務、学年、生徒指導、中学校はまた進路指導とか、高等学校では教科主任とかありますけれども、それをどこまで必置の全国共通として置くのかということについては、よほどこれは関係者の合意を得なければ、それでもって新たなまた対立抗争を生じかねないと思うので、この辺のところは、「関係者との協議を尽くし、その在り方を抜本的に検討する」とか、これから協議を重ねていくという趣旨のことを書けるのか書けないのか。私は書いたほうがいいのではないかと思うんです。
  それから、処遇の改善については、先ほども言ったように、今の段階でここまで、どういう座長の考えがあるのかよくわかりませんけれども、これを書いておくと、非常に足かせになるのではないかと思うので、在り方の見直しは別にしても、それを処遇の改善とすぐつなげるということについては、ここでは書かないほうがむしろいいのではないか。
  それから、職員会議の具体的改善方策については、前段の表現と、ここに書かれていることと少し整合性を持たせたほうがいいのではないか。私が知っている限りでは、10数県で学校管理規則の中に職員会議の規定があるんですけれども、これは補助機関というふうに明確に言っているところと、諮問機関になっているところとありますが、そこは事実上、校務の重要な運営に当たって、校長の諮問に応じて云々ということで、その職員会議は校長が招集し、これを主宰するというのが大体の傾向です。全国的に今しかれているところの状況からすれば、ここに書かれていることがそう突飛なことでないということは理解しつつも、やや校長の方針の教職員への伝達ということがトップに出てくるというのは問題ですね。教職員相互の連絡調整とか、校長の方針についての共通理解を深めるということで、伝達ということもあってもいいんですけれども、何か伝達だけがトップにくるというのは、職員会議についての理念的なものを書いているところと、整合性に欠ける嫌いがあるのではないかと思いますので、そこのところは表現上留意していただければと思います。
  それから、企画委員会等については、校長のアドバイザー的な企画委員会というのが必要だという議論は、この小委員会の中では何回かありましたから、企画委員会等をつくるということはいいんですけれども、ここも何か「中核的な役割を担っている教職員により構成」するというところは、ちょっと言葉がきつ過ぎるのではないかということだけ申し上げておきます。

○  「学校運営組織の見直し」ですけれども、全体的には私はこれでいいのではないかと思います。現状の検討もかなり綿密に書かれて、若干立場によって気になるところもあるかもしれませんけれども、非常によく書かれているかなと思います。
  それから、具体的改善方策の「主任制の在り方」ですけれども、人によってはもう少しきちっと具体的に書いたほうがいいのではということがありますが、中教審の答申という側面から見れば、要するに主任制について見直すということははっきり言っているわけですから。そして、見直す観点も一応ここには書かれているわけです。具体的に、共通に全国的に置くものと、それから学校等に置くものと明確に区別するという見直しの観点も書いてあるわけでありますから、答申はむしろこのぐらいで、これから具体的に行政当局でもって考えていくということが大事かと思います。
  なぜならば、例えば主任制といっても、今の校務分掌そのものも時代とともにかなり変わってきていると思うんです。例えば教務主任も、前のように時間割をつくったり何とかということから、例えばこれから選択が増え、15期の中教審でも論じた「総合的な学習の時間」なんていう教科を超えたものが入れば、ますますカリキュラム・コーディネーターとしての教務主任の役割はものすごく大きくなって、それによって総合的な学習なんていうのはうまくいくかどうかが決まるぐらいのあれを持っていると思うんです。
  それから、進路指導主任なんていうのは小学校にはありませんけれども、何も上級学校への進路だけではなくて、例えば子どもたちが将来への夢や希望をいつも考える、そして目標に向かって「生きる力」を小学校時代からどうつけさせるのか。中学校以上になれば、当然、教科の選択とか、それから小学校からの総合的な学習における選択ということを考えると、まさにガイダンス機能がものすごく大事になってくるわけです。日本の場合には選択なんていうのを非常にやるんですけれども、その割にはガイダンスというものが非常に弱い。せいぜい高等学校の総合学科の「産業社会と人間」あたりでは割合やっています。そうやって見ますと、校務分掌そのものについても検討が必要で、これはここではとてもできる問題ではなくて、行政当局でこれから大所高所から見ていただければと思っております。
  職員会議につきましても、いろいろありますけれども、要は校長のもとに各教員が本当にどんなことでもざっくばらんに言い合える、そういう雰囲気を学校全体に持っていくというところに一番のポイントがあるのかなと思っておりますので、大体こんなものかなと思っております。

○  学校運営の見直しのところで、前回は何となく物足らない印象を受けたという発言だけしておいたんですけれども、改めてここを読み直してみますと、じゃどこをどうすればいいのかというのはかなり難しい話だと思うんです。
  まず主任制ですけれども、主任制自体の問題点あるいは課題と、主任制を運用する問題とやはり分けて考える必要があるのではないかという気がいたしました。主任制自体は、今、お話がございましたように、発足してから相当たって、世の中も動いていますから、それ自体を検討するということは必要だと思うんですが、ここでも議論になりました、例えば適格性ではなくて、単純に持ち回りで主任をやるとか、あるいはまた実質の主任と名目上の主任が違うというのは、主任制のせいではないので、それを運用する教育委員会なり校長さんなりの運営上の問題だろうと思うんです。その辺を区別して考えないといかんのではないかと思います。
  主任制自体について申し上げれば、事務局の説明がありましたが、そのままとは言えませんが、現場の先生が見てもよくわからないというのでは困るので、今説明にあったようなことをもう少し書き込んだらどうかなという気がいたします。もちろんこれからの検討でしょうけれども、全国的に共通に置くものとして、例えば現行の教務主任のごときものとか、何かしないと、非常にわかりにくいのではないかという気がいたしました。
  それから、さらに言えば、ここでは別に否定していないんですけれども、そうだとするならば、ここでも前から議論がありましたように、少なくとも全国的に共通して置くものについては、職として位置づけるというようなことも考えられないのかということが、その次にございます。
  それから、処遇改善の問題がありますけれども、先ほど、これはちょっと足かせになりはせんかという御心配がありましたけれども、それを言い出すと、あらゆることが宿題を負うことになるわけで、むしろこの機会に職として位置づけるということもその一環ですけれども、今のような日額何ぼという形は、極めて制度としても適当とは思えませんので、これは文部省だけでなくて、人事院とか、自治省とか、あるいは大蔵省といろんな協議が必要でしょうけれども、やはり処遇の改善ということからすれば、どの主任にどうするかというのはいろいろ議論があると思いますが、新たな等級をつくって、職責に見合った待遇の改善を図る、あるいは手当の増額を図るというようなことは必要なのではないだろうかと思いますので、そこのところはやはり残しておいたほうがいいだろうと思います。
  それから、職員会議ですけれども、これまたいろいろな議論があり、その議論の中身が問題点のほうに書かれておりますけれども、確かに全国のすべての学校で校長と教職員が対立しているわけではないと思いますが、よく読んでみると、これでも不十分かもしれませんが、「場合もある」とこう書いてあるんで、全部がということではない。もう少し和らげるかどうかというのは別として、「場合もある」となっているので、やはり問題点としては指摘しておく必要があるだろうと思います。改善の具体的な中身については、今まで言われていたような問題点を解決するために、職員会議の性格、意義、あるいは役割を明確にする。あるいは、どこかに書いてありましたかね、法令上の位置づけをするということは最低限必要なことではないだろうかと思います。

○  まだおありかとも思いますが、お気づきの点は、項目ごとに一通り済んでから、後でまたお出しいただくことにして、ここで終わらせていただきます。
  このことに関係の深いこととして、「学級編制、教職員定数に係る見直しと具体的改善方策」の部分が資料5として出ていると思いますが、これについては、今御論議をいただいた「学校運営組織の見直し」と大変関係の深いことでもございます。そして、この部分については、今回の答申文案の作成に当たっては、申し上げておりますように、項目ごとに現状と課題、見直しの方向性を示して、具体的な改善方策を囲みにして出すということで、わかりやすくなるということで全体を考えさせていただいた中で、この教職員定数に係る部分については、項目ごとに分けて書いている面もありまして、前回の御意見でもわかりにくいという御指摘もいただいておりました。その点を考えながら検討しておりますので、まず事務局から資料について説明することから始めていただきたいと思います。

<事務局より説明>

○  それでは、ただいまの説明をもとにして、いろいろ御意見をいただきたいと思います。

○  質問も含めて意見を述べさせていただきたいと思います。一つは、学級編制とか、教職員定数の運用については、私自身もこれはぜひやるべきだという立場ですので、ぜひ進めていってほしいんです。そこで、質問というか、確認の意味でも、今の資料の「地方分権の推進の観点からの見直し」のところで、定数ないしは配置の弾力的な運用をする主体はどこなのかということが、例えば最初のところについては、市町村が都道府県から充当される枠の中で運用していくということで、市町村ということを明確に述べていたんですけれども、同じように残りの部分についても、市町村というふうに考えてよろしいのかどうかということを確認したいと思います。
  二つ目は、「都道府県の役割及び都道府県と市町村との関係の見直し」のところで、学級編制の事柄について、今の認可制を事前協議または届出制にするというふうに見直しの方向が出ていますけれども、この「又は」というのをどう理解していいのかというのが、よくわからないです。つまり、今の段階で事前協議にするのか、届出制にするのかということがまだ確定できないという意味で「又は」を使っておられるのか、事前協議にするか届出制にするかというのは各地方で自由にやってくださいという意味で「又は」を使っているのか、その辺の説明をもう少ししていただければと思っています。
  あと、学校事務職員制度について、特に学校の事務・業務の効率化、共同化にかかわって意見を述べさせてほしいんですが、標準法の弾力的な運用は、先ほど言ったように、私自身はぜひやってほしいし、その中で職種の枠を外して、職種間の融通ができるようにするということは、私はこれはこれとしていいと思っているんですが、ただ、このような文言自体が、きっと栄養職員とか、特に学校事務職員に対してはかなりの不安とか、危惧を招くのではないか。
  特に学校事務の共同化ということがもう一方で言われている中で、小規模学校から学校事務職員が引きはがされるのではないかという事態が進むというふうな危惧が、関係者の間では出てくるのではないかと推案します。これからの学校裁量権限の拡大に応じて、各学校単位の学校事務の役割は非常に重要になりますので、できればこれは、「学校の事務・業務の効率化」のどこに書けばいいのかわかりませんけれども、各学校の校務分掌などにおいて学校事務の位置づけの明確化を図るという措置を講ずることによって、学校事務職員が抱くであろう不安に対応できるような文言上の工夫がもう少しあっていいのかなと考えます。
  もう一つ、学校事務の共同処理にかかわって、ここの文言では「学校の事務を共同処理するセンターを設置すること」と明確に書かれていますけれども、実はこれは、今、ある地方に学校事務のセンターがありますけれども、共同処理するセンターというのはこの学校事務センターを直接イメージするくらい、いわば固有名詞に近いくらいこの学校事務センターを連想させるような文言なんですよね。このある地方の学校事務センターの評価については、今、関係者の間での論議の中で、評価がだいぶ大きく分かれていますので、果たして「共同処理するセンターの設置」という文言をここに掲げることが果たしていいのかどうかということは、ちょっと心配しています。
  「共同処理するセンターの設置」というふうなことを書かなくても、最後のほうに「共同実施を推進するための方策を検討する」という文言がありますので、関係者に非常に対立的な状況を及ぼしている「共同処理するセンターの設置」という文言を、ここにわざわざ入れる必要がないのではないか。例えば、ここの文言については、「特定の学校に複数の事務職員を集中的に配置することや、学校間の連携を支援するためのシステムづくりなど、学校事務・業務の共同実施を推進するための方策を検討する」という文言でも十分趣旨が伝わると思いますので、その辺もちょっと工夫していただければと考えます。

○事務局  お答えします。まず、採用権限がどこまでおりるのかという御質問の第1点目でございますが、基本的にはこの記述してある箇所が「国の役割と地方公共団体との見直し」という部分にもございますように、今、国にある権限を、まず第1には都道府県におろすということを念頭に置いておりまして、具体に標準法で言いますと、県が基準を定めるわけでございます。ですから、まず県に基準の定め方としておりる。ただ、県の基準の定め方によりましては、先ほど申しましたように、より市町村にその裁量権限がおろせるような定め方も可能なわけでございまして、そういう構成になっておることを御理解をいただきたいと思っております。
  また、認可制の見直しにつきましては、事前協議制または届出制、いずれかの選択肢を想定しながら、まだ決めかねておる。御議論をいただきながら絞り込んでいきたいという段階にあることをお話しさせていただきます。

○  一つお尋ねいたします。「教職員人事等の在り方の見直し」についてですが、先ほどの御説明で、中学校の教員が小学校へというような例示でお話しされまして理解できたんですが、例えば中学校間、A中学校で音楽、B中学校で美術というような交流も想定できますでしょうか。そういった場合の、最初の事例で事務局が紹介した、中学校の教員が小学校へと。これはやはり最終的な責任者というのは中学校の校長になるんでしょうね、小学校における事故等があった場合に。

○事務局  兼務の実態にもよるわけです。主たる勤務校であるのが中学校ですから、その中学校の管轄ということになろうと思います。

○  重要な方向が示されていて、私は全体的にはこの記述のとおりでいいと思うんです。
 ただ、ちょっと細かい点になりますけれども、これから教育活動が非常に大きく変わっていくとするならば、そういう新たな事態にも即応して、ここに盛り込まれた趣旨が生きるように細かい配慮をしたほうがいいのではないかと思うんです。
  そういう趣旨から、具体的には「国の役割及び国と地方公共団体との関係の見直し」について言いますと、「算定された定数を用いて非常勤講師を配置できるようにする」とのことですが、「非常勤講師」の後に「等」を入れておいて、少し幅を広げておいたほうがいいのではないかという意見です。
  同様趣旨で、教職員人事のところですが、「連携を促進するため」のところの「教職員」にも「等」を入れておいて、新たな事態にも即応できるようにしておいたほうがいいのではないかという意見であります。

○  ただいまのお話のところの、兼務のことですが、実は教課審の答申ともかかわっているんですが、芸術に関して必修が現行3が2に減ったわけであります。芸術は今までの3単位だと、普通の学校では大概4単位授業をしていたわけであります。それが2単位必修ということになりますと、一つで学年でやればでいい。だから半分に減ってしまう可能性があるわけです。学校は今後どういうふうになっていくかわからないんですけれども、仮に半分に減ってしまえば、現在、普通規模の学校で単位が音楽でも美術でも一人いるわけです。それが半分になりますと、2校で一人でいいのではないかという考え方が出てまいります。この兼務のことをそういうところにも援用していくと、例えば音楽の先生はきょうはいるけれども、1週間のうち半分しかいないということが出てくる可能性があるように思います。
  音楽は授業が減っても、例えば生徒のクラブ活動では音楽だけでも通常四つくらいの部がある学校があります。合唱と管弦楽と軽音楽と吹奏楽というところが結構多くあります。そういうところが兼務だということになりますと、これは情操教育に与える影響がかなり大きいのではないかということを懸念します。
  そこで、こういうことはここのところでは必要ですが、そういうようなところに影響するのかしないのかというのは非常に重要なことですので、何かそういうところまで影響しないような歯どめを考えられないかというのが、私の気持ちであります。

○  前回も発言させていただいた箇所ですが、学校事務の話でございます。他の委員の方からの発言もあったんですけれども、具体的にこれはどういうイメージで考えたらいいかということで、少し問題を感じております。
  といいますのは、今回の答申全体の方向の一つの大きな柱で、学校の自律性の問題は当然あるわけです。個々の学校が自律的な経営をしていくという場合に、事務職員の在り方はどんなふうに考えたらいいんだろう。具体的な地方の話もありましたけれども、例えば小さな町村で、小学校が2校、中学校が1校というところは、たぶんこういった選択は出てこないだろうと思うんです。結局、大都市で、例えば政令市で区単位でセンターを置くとか、中核市以上のところでこういう問題が出てくる。
  そうしますと、特に大都市部でドーナツ化が進んでいまして、統廃合等が進んでいるわけですけれども、小規模化して事務職員がいなくなる ―そこまでいっていないわけですけれども、そうなった場合に、これから個々の学校の経営機能を高めていこうという方向に対して、事務職員のない状態でどういった経営戦略が立てられるか。そこまで踏み込んで考えますと、そう軽々しくといいましょうか、簡単な問題ではないのではなかろうかという気がするわけです。この文面をそこまで読み取るのは行き過ぎだとおっしゃるかもわかりませんけれども、具体化してシミュレーションをすると、どうしてもそういう問題が出てくる。
  他方において教職員定数の問題ですが、これ自体は全く大賛成ですが、別の観点からしますと、大学という場所は違いますけれども、我々も同じように教育職にいるわけです。そうした場合に、単純に子どもの数を減らすと、それで先生方の負担が軽くなる。絶対的にそうなんですけれども、人によりましてとか、角度を変えますと、今持っているいろんな仕事をほかの人に代替してもらった場合に、仮に40人でもいいのではないかという意見だって私はあると思うんです。その代替の部分は学校事務だと思うんです。ですから、一つの学校を想定して、教育職の人と事務職の人の分担関係みたいな問題は、もう少し長期的なスパンでこれから考えなければいけない問題だろうと、私見ですがそう思っているんです。
  だから、センター化というのは、そういきなりというわけではないんでしょうけれども、いろんな問題が絡んでくる要素があるということで、慎重に扱っていただきたいと思っております。

○  大体今まで出た各委員の方々と共通するんですけれども、教職員定数について「職種ごとに定められている」云々の「義務標準法の第6条を見直し、弾力的運用を可能にすること。」という、その「職種の枠を外し」というところは、はかなり許容されているような感じのご意見もありましたが、学校事務職員とか、養護教諭、学校栄養士等、1校に1名とか、少数の職種が、今までかなり長い間かかって学級数を下げてきて、ようやく事務職員がかなりの学校に、ほとんど9割近くおるような状況になって、これから少子化の影響をもろに受けて、それが外されるのではないかということで、非常な危機感を持っていらっしゃる職種が、特に事務職員とか、栄養士とかに多いです。
  そういう状況の中で、今、たしか私の記憶では第6条を受けて、7条、8条、9条でそれぞれの職種ごとの県単位の積算の基礎できちっとされているんです。これを全部職種を外してしまったら、都道府県までは何とかなるかもしれませんが、市町村になったら外された場合に、どことどこが共同するのかというのをめぐっていろんなトラブルが起きかねないのではないかということで、ここは外すということについては、私は反対です。
  ただ、どうしても一定の弾力的運用をする必要性というのは、一方で私もよくわかるので、例えば小・中学校の定数を、「それぞれの専門性を確立する観点、地域の教育課題等に応じた観点から、配置を重点化し、職種間の一定の人数を可能とするようにする」とか、何かちょっと少しそこのところを。一律的に全部外してしまうというふうにするについては、私は疑問も持つし、職種間でトラブルが起きかねないのではないかということが一つです。
  2点目、学校事務職員の問題については、ご意見が出たように、共同処理については、当面、学校間の連携による共同処理とかということで、センターを今すぐ設置するということについては、時期尚早ではないかということと、学校の裁量権の拡大に伴って、学校事務というのが非常に重要になってきますから、校務分掌の中における学校事務の位置づけを明確にするというようなことを1項この中に入れてほしいという意見には全く同感であります。

○  今のお話にも関連するんですが、事務処理体制の問題ですが、口はばったいんですが、一ころは事務を集中処理するということで、大きなセンターをつくるということがある種の傾向でしたが、今はむしろより現場に近いところで、手間をかけずに、簡単に事務処理をするというのが基本だろうと思います。
  そんな観点でこれを見ますと、今の御意見も踏まえながら、集中処理をするという言葉自体が、本来の学校に教育とそれをサポートするための事務の主体を置くという大前提からすると、そういうふうに読み取ると、ちょっと逆行しているような感じが私自身はいたしますので、少し工夫をしていただいたらと思います。

○事務局  ごもっともな御心配、御指摘をいただいて、私ども表現は座長のもと、十分これから工夫させていただきたいと思っておりますが、その前に、実態で、私どもが座長のご指示のもと原案を書いたときのイメージと先生方の御指摘と食い違っている部分もありますので、そこのところについて、今後の文章を直すときのために一言だけ私のほうから御説明させていただきます。
  前段の「職種の枠を外し職種間の融通ができるよう」にと、この表現は確かにこのとおり読みますと、皆様方の御指摘のとおり、養護教諭を外して教諭にするとか、事務職員を外して教諭にするとか、その逆が自由にできるというような書き方ですので、もっと慎重にする必要があろうかと思います。
  ただ、ここでイメージしておりましたのは、実は義務教育国庫負担法の負担の仕方の問題が一つございまして、技術的になりますけれども、教諭の定数が100、養護教諭の定数が10と決まったときに、今の仕組みですと、養護教諭の定数を12にして、教諭の定数を98にする。こうしたら、98のほうは98で負担します。12のほうは10しか負担しませんと。大蔵省との間でもこういう厳格な仕組みになっております。
  ところが、同じ義務標準法の中でも、特殊教育諸学校については、100と10で110。110の中でそこに出入りがあったりしても、それは教諭も養護教諭も込み込みで110を負担します、出入りがあってもよろしいという仕組みになって、法律の書き方が違うものですから、そこの規定を特殊教育諸学校と同じようにして、例えば計画数があったときに、どこから先にとるか。教諭の部分は大きいから、養護教諭のほうから先にとって、教諭のほうは少し後にいきましょうとか、そういうことかなかなかできないような仕組みになっております。
  主として私どもが念頭に置きましたのは、法律の規定をもう少し弾力化して、県教育委員会の判断にゆだねるという程度のことを考えてございましたので、融通して自由自在という表現になっておりますが、ここは制度の仕組みを含めまして、もう少しわかりやすく表現するということで、御理解いただけるのではないかと思っております。
  それから、事務職員の部分も、これは大きな都市の事務職員の配置、あるいは大きな学校の事務職員の配置、それから3学級でも実は事務職員を一人を配置することができます。中学校ですと3学級ですから100人近く田舎の学校でもおります。あるいは、場合によっては60人ぐらいの中学校ということもございます。小学校で3学級となりますと、これは複式学級になりまして、実際子どもは15人あるいは20人。それでも一人の配置。そういう標準法の定め方がありますので、ともすれば現場ではそれをすべての学校に配置すべきであると。標準法の規定どおり ―これは教育委員会ということではなくて、学校のほうがきちっと配置すべきであると。
  こうしますと、本当に僻地点在の町や村の中に小学校が10校もあって、3学級とか、6学級という子どもの数が小さいところで、一人ずつ配置するということのほうが合理的なのか。あるいは運動場を挟んで、そういったところは多少調整もあるんですけれども、近いところは一人が小学校と中学校を兼務して、一人余った部分が例えば中心校の10学級とか9学級ある中学校に配置されておるということも、少し考えさせてはどうなのか。現場にもう少しその判断をゆだねたらいいということも考えて、こういう表現にしてあります。今の御心配はごもっともでございますので、そこを含めて。
  ただ、私どもイメージしているのは、そういう部分についての人材の効率的な使い方も今後考えていきませんと、ただ増やすというだけでは、先ほど横山委員から御心配いただきましたけれども、財政的にもなかなか責任が持てないということもございまして、そういった点については少しイメージがあったということだけ御説明させていただきたいと思います。

○  次に、「第3章」の「学校の事務・業務の効率化」の部分でございます。ここにちょっと目を向けていただきたいんですが、これに関連しては、前回は研修を一律に削減するのではなく、新しい時代に対応するための研修などは必要である。今後ともしっかり実施すべきであるといったような御意見が出されておりました。
  なお、この件については、先ほどから教職員定数等の問題と関連しながら御意見も伺っておりますので、これはその御意見をもとに私のほうで検討させていただくということで、これはよろしゅうございましょうか。
  次に、「第3章」の「6」が「地域住民の学校運営への参画」のところになります。ここの部分について御意見をいただきたいと思いますが、これに関連しては、学校評議員の構成にPTAを入れる必要がある。また、評議員会という組織体も考えられるのではないかなどの意見が前回は出されておりました。さらにこのことについての御意見をお伺いしたいと思います。

○  学校評議員という言葉、あるいはあるところでは学校運営協議会というような名称がございますけれども、性格としては具体的改善方策に書いてあるように、校長に対して意見を述べる、助言を行うと同時に、学校運営を円滑に進めるための支援をするというものであってほしいと思っております。校長が職員会議を主宰し、職員会議の中で意見を十分聴取し、共通理解を図った中で、さらに学校としてはこのように進んでいきたいということを、地域の方々、あるいは保護者の方々に説明する中で、助言をいただくということで、決して校長の足を引っ張るような評議員会になってもらっては困るということが率直な願いでございます。
  あと学校評議員の構成につきましても、前回、ご意見が出ましたように、「保護者など」ということになっておりますが、「保護者など」とするか、あるいは「PTA、保護者」という言葉にしたほうが、よりPTA組織としての責任ある対応などもいただけるというふうにも考えております。

○  学校評議員ということで、いろいろな人の考えを校長が聞き、また学校運営にそれを生かしていけることは非常にいいことではないかと思っています。
  ただ、このとき、「学校評議員の設置」のところでかなり細かく「教育課程の編成、生徒指導、道徳教育」というふうに書いてございますが、「校長の行う学校運営と学校の教育活動」ぐらいにしてもよろしいのではないか。「など」が書いてあるからいいかもしれませんが、評議員は、校長にいろんな意見を言い、それらを校長が取捨選択して自分の学校運営をきちんとしていくということであろうと思いますので、あまり細かいことの事例を挙げないほうがいいのではないかという気がいたします。

○  先ほどのご意見に賛成です。いろんなところでPTA活動の活性化を図るということが書かれていますので、こういうところにきちっと書かれていたほうが、団体としての在り方をまたもう一度見詰め直せる場所になるかと思いますので、ぜひともそういうふうに入れていただきたいと思います。

○  今お伺いした御意見を私も繰り返すだけなんですが、私も地域のほうから学校運営に参画するということがいいなというふうには言ってきたほうなんです。校長先生の権限委譲が行われたときに、地域に問題を投げたほうが問題を解決できるというケースがあるに違いないということは、かねて感じていたわけです。
  ただ、今のように書いてあればたぶん大丈夫なんでしょうけれども、私がちょっと気になったのは、先ほど御指摘になったように、やや細かく学校運営の内容が書いてあるということで、発言と責任の関係が地域の評議員の場合には、校長先生や職員とは違って、校長先生や職員の場合には責任を取りきるということになるわけですけれども、地域のほうはどういうことになるのか、その辺がわからないところがあるわけです。大いに発言してもらって、参画してもらうのがいいと思うんですけれども、他方で足を引っ張るという表現がありましたが、校長先生の運営がしにくくなるようではぐあいが悪いということが重要なことだと思っているんです。
  そのときに、最後の「意見交換の機会の設定等」のところで、定期的にこういう機会をつくるんだということが書いてありますけれども、それでもいいのかもしれません。支援をするように運営上の工夫を講ずるんだと後で書いてありますから、そういうことでいいのかもしれませんけれども、定期的に意見を聞いているということがうまくいくかどうかというのは、いろんなケースがあるなという感じがしました。
  それと一言だけ、話を戻してしまいますが、主任制のことです。主任制については、全国共通に必要と考えられるものについては、しっかりと法令レベルで位置づけるということが事務局から御説明があったと思うんです。そのときに教育委員会のほうでも、経営スタッフとしてちゃんとそこを配慮するんだというふうにも御説明があったと思うんです。
  私、実態について十分に知らないまま申し上げておりますので、あまりピタッとした意見でなければそれまでで結構なんですが、校長先生が人事・予算で権限を持っていくというときに、主任制というのも一つかなと思ったんです。自分のやれる体制を自分でつくるということもあるかなと思ったものですから、教育委員会と校長先生の権限関係がこのあたりでどうなるのか。あるいは校長先生が推薦するということで、教育委員会がそれをほぼ認めていくのか。あるいは、このあたりになると、教育委員会がガッチリ決めなければいけないのか。その辺は、私、意見があるのではないんですけれども、今まで考えていたことからすると、どうなるのかなと思った点があるということでございます。
  それと「教育委員の選任の在り方等の見直し」のところですけれども、1行だけ、〈これはちょっと、そうかな〉というのがあるんです。それは「行政委員会の委員については……選挙により選出」されるのが「通例であるが」という言葉があるんですけれども、農業委員会なんかもそうですが、通例というほどに強調する必要があるのかなというのが、私、よくわかりませんでした。

○  「学校評議員の構成」と「意見交換の機会の設定等」について申し上げたいと思います。学校評議員が導入されるとしますと、恐らく当分の間というか、混乱する場面が想定できるだろうと思います。混乱が新しいことを生むという、そういう期待で導入するんだろうということが一つあると思います。そのメンバーですけれども、校長の求めに応じて、校長が推薦して教育委員会が決定する。日本においてはこのぐらいであろうと私も思いますが、「保護者など」ということで、教員代表というのが出なくていいでしょうかね。これも御審議いただけたらと思います。場合によっては、中学などは中学生の代表が出てもいいかなと。
  そして、「意見交換の機会の設定」は、定期的にと書いてありますけれども、そう年に何回もできないであろう。たぶん総会じみたことになるのではないかと思います。場合によっては、特定の課題に対して小委員会の招集というようなことも考えられたら、うまく機能するかなという気がいたします。

○  実は私、今までの議論からして、朝日の見出しが「住民が授業内容について校長に助言」とか、何かそんなふうな大きな見出しを、特に外国で見たものですから、30人ぐらいの団員の団長を私はしておったものですから、ほかのいろいろな団体の人が「これどうなってるの。中教審で、教育の内容についてまで、住民がこの授業はどうするとか、そんなことまで言うようになっているの」と言うから、「いやいや、そんな議論をしたつもりはないけど」と言って事情は説明したんです。朝日が何であんな見出しをつけたかよくわかりませんけれども、今まで積極的にこれを導入すべきだと言っておった人がかなり心配して、私のところにもファックスが入りまして、「あんなことならつくらんほうがいい」という議論があって、「いやいや」と言って説明しているんです。
  したがって、先ほどもご意見がありましたように教育課程の編成、生徒指導、道徳教育、云々という、教育の中身の課題をこんなふうに個別には書かないほうがいいのではないか。地域との連携とか、ごく一般的に三つを一緒にした形でまとめて書くとか、何かそんなふうにしないと、ここに書いてあるから、それぞれについて、「教育課程の編成で、うちは英語の時間をもっと増やしてくれ」とか、そんなことまで言われ出したら収拾がつかなくなるので、そこは整理したほうがいいのではないか。
  また、学校評議員の構成については、いろいろあると思うんですけれども、「例えば」ということで、町内会長、民生委員とか、こんな書き方をすると、まあ保護者とか、PTAとか、有識者というのはいいんだと思いますけれども、あまり固定の民生委員とかと言ったら、民生委員にならなかった人は「何で?」というふうなことが起こるのではないか。そこのところは慎重な書き回しをしたほうがいいのではないかと思います。

○  前回も言わせていただいて、少し重複すると思いますけれども、一つは「評議員の構成」のところで、今も御意見があったんですけれども、「学校区内外」という表現になっているわけです。今回の場合は、校長を中心として学校運営体制を強化していくという文脈の話ですので、「外」というのは一体どういうイメージをしたらいいんだろう。たぶん有識者にかかわって、区外にいる何とかかんとかさんをということかなと思うんですけれども、やはり私は学校の内にとどめるべきではなかろうかという意見を持っています。
  2点目は、「意見交換の設定等」のところで、これは前回と全くそのとおりなんですけれども、これでしたら何か校長と評議員が1対1で、本当に年に1回か何か総会をやってというイメージなんですね。やはり恒常的な組織として機能していく。今、ご意見があったように、場合によっては評議員自身がもう少しアクティブにいろんな問題を自ら処理していくというところまで含めて考えていいのではないか。これは明確な組織体として置いたほうが校長にとっても役に立つのではないか。学校によっては、評議員を発令したけれども、年に1回シャンシャンで終わってしまう。実質的に何もやらないということだって危惧されるわけですから、組織体としての評議員会というイメージをどこかで入れていただく必要があるのではないかと思っております。

○  「地域住民の学校運営への参画」ですけれども、「このような観点から、学校の教育目標とそれに基づく具体的教育計画、またその実施状況についての校長による自己評価を、それぞれ、地域住民や保護者に説明するとともに、教育委員会へ報告することが必要である。」。これはどっちかというと、学校から地域住民、保護者への説明義務というか。これについて、具体的改善方策のところには何も触れてなくて、具体的改善方策では専ら学校評議員のことが出ているわけです。この学校評議員はどちらかというと、外の地域住民やなんかの意向をどう学校に反映するかというスタンスで出ているんですけれども、学校からどのように地域に説明するか。ここにも学校評議員というのが介在するかどうか。ここの具体的な改善方策をやはり書いておく必要が一つあるかなと思いました。
  それから、学校評議員の考え方ですけれども、ここでガチッとした組織体にすることによって、メリットもあるんですけれども、それによって、例えばPTAとか、外部の人材を活用するというのは非常にいいし、またその方向でいかなければいけないんですが、実際に学校にああだこうだ文句を言ってくるようなのは、保護者にしても、地域住民にしても、運動団体みたいな人がやたらに来るんで、普通の人なんていうのはあまりかかわり合ってないんです。学校にみんな任しているのが普通なんで。そういう面では、PTAとか、何とかとか、あまり組織体みたいなことによって、学校の主体性・自律性、校長のリーダーシップと一方で言いながら、それを阻害するようなものであってはいけない。むしろまさに学校が閉ざされた学校でなくて、地域や保護者とのパイプを広くして、学校経営にも参画するという面で言えば、組織体みたいなものによってかえって学校が無責任、あいまいになってはいけないという感じを持っております。
  それから、教育課程の編成、生徒指導、道徳教育という具体的なものは書かないほうがいいのではないかという面がある一方、地域と学校との連携とかなんかがあいまいですと、学校評議員というのは何のためにやるのか。例えば学校でこんな行事をしますから、どうでしょうかなんていう程度だったら、こんなものは要らないと思うんです。私はもっと強く、例えば今度やる「総合的な学習の時間」というのは、実質的には学校で決めるんですけれども、あれはまさに地域の実態に応じて考える学習なんですね。学校である程度考えたものを評議員を通して意見を聞く、あるいは地域や住民の総合的な学習についてどういう希望を持っているかというのを評議員を通して聞く。あるいは、例えば小学校で外国語会話をやりたいということがあったときに、それをやってくれるボランティアの人たちをどうやって集めるかなんていうのは学校でできませんから、学校評議員を通して、そういったものにボランティアの参画を求めるとかですね。教育課程とか、道徳教育とか、それからもっと言えば学校活動の成果について、きちっとこういうものを通してアカウンタビリティーをしていかないと、ただあいまいな形での学校へのかかわり合いであれば、こんなものをつくってどれほど意味があるのかという感じを私自身は持っております。

○  今の発言に関連して、全体構成の問題なんですが、自己評価とか何とかあって、それは改善方策に書かれてないではないかと。これ全体について、どうなんでしょう、前書きと括弧の中というんでしょうか、一体的に理解していいのか、改善するのは囲んだ部分だけなのか。その辺、統一的に見直して、意思統一しておく必要があるのではないか。これは全体についての話です。
  それで、学校評議員の設置の問題ですが、私は何人かからのお話がありました、事項を個別にゴチョゴチョ書くのはいかがなものか。やはり包括的に、先ほどお話があったように、学校運営と教育活動 ―別に文言はいいんですけれども ―程度の漠としたものにしておかないと、これは皆さん御意見、理解は違うと思いますが、私は校長を外から助けるという位置づけで考えるべきだと思っておりますので、校長が負担に思ったり重荷になったりというものであっては基本的にいけないのではないか。だから、校長が自分で新しい教育方針を立てる、学校運営上悩みがある。地域の人は何を考えているんだろうか。最終判断をするに当たってのいろんな材料を提供してくれる。そういう仕組みでないと、校長が「いや、あそこに手続上伺いを立てなきゃ」ということになってはいけないんだろうと私は思います。
  そういう意味合いにおいて、一種の組織体といいますか、評議員会という組織をつくれば、それは特定のものについては意見集約をしたり、意思統一をしたりして、校長に「我々はこういう意見だ」という形の運用がなされる恐れがあるので、ある意味ではバラバラの意見で、それはそれでいいというふうな運用をすべきではないかと思います。
  それから、構成員の問題ですけれども、いろいろお話がございましたけれども、外の意見を聞くのであって、そこに学校の先生はメンバーにしない。それは内部で個別に聞けばいいので、外の人の意見を聞くということからすれば、教員が評議員になるというのは、これは何か議決するとか何とかということなら別ですけれども、メンバーになるのは ―当然、そういう会が開かれれば、教職員は校長さんだけでなくて全部出て、そこの話を聞いたり、あるいは校長の補助者として出たりということになるわけですので、教員をメンバーにするというのは趣旨からしておかしいのではないかと思います。
  そういう意味で、PTAという話が出ましたけれども、PTAというのは先生と保護者の会なわけで、先生が入らないとすれば、残りは保護者ということなので、私は保護者は少ないほうがいいと思うんですけれども、どうしても自分の子どものことだけを考えて、あの先生はどうだとか、あの授業はどうだとかという話になりがちですので、少ないほうがいいと思いますが、いずれにしてもPTAというより、保護者というほうがいいのではないかと私自身は思っております。
  そういう意味合いにおいて、どなたかからございましたように、構成でゴチャゴチャ書かないほうがいいのかなと思ったりもします。これは校長さんが自分のところでどういうのが必要なのかということで推薦するわけでしょうが、書きますと、「おれはなぜ落ちたんだ」という議論になりかねないので、その辺は一工夫要るかなと思います。大体以上です。

○  今のご発言のとおりだと私は思っておりますものですから、特につけ加えることはないんですが、この趣旨というのは、校長が困ったとき、あるいは学校を取り巻く地域の意見を聞いてみたい、それを参考にしたいというためにつくるべきものなんだろうというのが第一義的な意味で、もう一つはいわゆる開かれた学校ということがあると思うんです。したがって、確かに何でこんなものをつくるんだというために詳しく書けという御意見もございましたが、私はそういうことでなくて、やはり包括的に書いたほうがいいし、構成員についても包括的に書いたほうがよろしいんだろうと思っております。

○  ありがとうございました。いろいろ貴重な御意見をいただきました。これについても私のほうで預からせていただいて、検討して、修正すべきところは修正して、次回にまたお諮りするということにさせていただきたいと思います。
  一番初めのところで、きょうの進め方として、一通り各項目ごとに論議をしてもらって、「第3章」の「現行制度の概要と課題」のところに戻ってというふうに申し上げておきましたが、今まで各項目ごとでお出しいただいた意見をも含みながら、もう一度「現行制度の概要と課題」のところについて私のほうで検討いたしまして、先ほどご意見のありました現状と課題のところと具体的改善方策との一体性という観点も含めながら検討させていただいて、そこについても修正すべきところは修正して、次回の論議に付するということにさせてもらってもよろしいでしょうか。
  もう1点、やはりきょう御意見をお伺いしなければならない重要な点が一つ残っております。それは「第4章」の「地域の教育機能の向上と地域コミュニティの育成及び地域振興に教育委員会の果たすべき役割」のところでございます。ここについて一通り御意見をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  さて、「第4章」については、ここは従来のものを統合した形で、特に地域の教育機能の向上というところを全体的な視点として個々を修正したぐらいに、改めてここのところを書き上げていっているわけです。この部分に関しては、前回、地域の教育機能の向上に関連して、公民館が中心的役割を担うべきであるという御意見などが出されております。これに関連して、さらに御意見をお伺いできればと思いますので、よろしくお願いいたします。

○  学校の先生方というのは、地域にとって貴重な指導者であると私は思っております。学校開放講座とか、そういうもので、地域住民の学習ニーズにこたえられる体制の整備を努めることで、地域と学校の関係というのはいいものが築いていかれるのではないか。
  そういうことを考えたときに、「学校の教育活動への地域の活力の導入・活用」のところにありますけれども、外部の人たちを学校のいろんな活動に取り込んでいくということは確かに必要なんですが、私は一方通行ではなく、逆に学校の先生方が地域の人たちへの今申し上げた学校開放講座とか、あるいは出前講座とか、交互通行 ―教育委員会のこれは仕事ですから、そう書いてあるんでしょうけれども、やはりお互いの協力体制が必要であると思います。
  それと家庭教育の問題ですが、PTAの活動を見ていますと、大体がお母さん方が多い。そうしますと、お父さん方の参加が少ないので、私は父親の家庭で果たす役割はもっと重要なものがあるのではないか。ですから、お父さん方が家庭教育にかかわりを持つきっかけづくりの場の提供とか、そういったものをこれから積極的にPRをしなければいけないのではないかと思います。
  それと家庭教育というのは、どうも親から子への教育という意味合いが強いと思うんですが、逆もまたあって家庭教育ではないか。というのは、前にも申し上げたかもしれませんけれども、例えば川の水を汚す大きな原因は家庭排水が全体の74%を占める。このときに、私どもがやっている出前講座で小学校の授業にそれを持ち込みまして、「あなたができる川にやさしいまちづくり講座」というので、子どもたちにそれを理解してもらってお母さん方に話してもらう。あるいは、子どもたちがすばらしい税金の標語をつくっているのに、親が滞納しているわけですから、そういったことも子どもから親へ、「お父さん、こういうのができたよ」と、そういう逆の家庭教育があってもいいのではないか。そういうものを明記して、今回は教育委員会のほうへのいろんなあれが多いんですが、こういう中に、地域の住民の役割も課してもいいのではないかと思います。

○  一言だけ。全体的なことなんでございますが、心の教育の在り方に関する小委員会の答申などを見てみますと、項目を見ただけで何を意図しているのかわかるということでございまして、今回はかなり画期的な内容が盛り込まれておりますが、その中身が一般の方にどのように伝わるだろうかというのが大変心配でございます。解説をしていただいて初めてそういうことかと。親、それから今回一番大事な地域の人々に伝えるために、例えば「校長に権限を与えよう」とか、「地域ぐるみで教育に取り組もう」とか、見出しなのか、頭文なのか、そういう項目的なわかりやすい言葉の工夫が、もしこのまとめの中ないしは頭文なのか、附則なのかわかりませんが、整理をしていただくことがもし可能であれば、今回の画期的な中身がより伝わることになるんではなかろうか、そんなことを感じておりまして、御検討いただければありがたいと思います。

○  「第4章」というのは、地域コミュニティという言葉が出てきたわけですけれども、これは今まで縦割りで行われていたことを、つまり橋を横にかける作業なんですね。なかなか具体的に見えにくいんです。みんなこれの重要なことはよくわかっているんですけれども、だれがかけて、だれが責任を持つのかというのをもう少しはっきり、つまり一つあるのは、コーディネーターが要るということを教育委員会にお書きになったことは大変いいわけですけれども、教育委員会のほうにコーディネーターと書いて、じゃ首長部局のほうの施設はどうするのかとか、生徒が学校の中に大量にいるわけですから、例えばクラブ活動とか、表現活動を、教育課程の改革で、ほかの文化施設などが学校へ行ってやってもいいんだろうし、スポーツなんかもそうですが、その辺の仕組みというのがひとつ見えにくいんです。
  何か事があったらと、どちらが責任を持つのかとかね。私立の子どもなんかを見ますと、1年生のときから遠距離通学しているので、バスに乗って出かける途中のことは、子どもの責任にしたらどうかと思ったりもするんですが、その辺の問題の整理もしなければいけないかと思います。
  実はコミュニティの問題は非常に難しくて、ここの小委員会も、教員とか、教育委員会とか、教育にかかわる専門の方がおいでになる。この中でネゴシエーションをするのは割合 ―それでも難しいですが ―しやすいんですが、コミュニティの場というのは本当にバラバラな人たちがいて、この中でコンセンサスをつくるというのは実は大作業なんです。
  先ほどの「第3章」のところで、地域住民の意見を聞くとか、参画ということになると、学校の先生とか、教育委員会の方々は、恐らくこぞって反対なさる。教育課程に口出すなとか、そうなると思うんです。でも、私は諮問の内容をはっきりあそこまで書かないと、とても遠慮して住民は何も言わないと思うんです。だれも教育の専門性について阻害しようとか、足を引っ張ろうというふうには、常識ある人だったら思いません。むしろそこは学校の責任よと言って教育をほうり出していた今までの社会に問題があって、教育というのは実は地域のみんなのものですよということをこのリポートは言おうとしているわけで、そこを手続上、住民の話をただ聞くのだとか、そういうことだったら全然意味がないと私は思うんです。
  もちろん、ヨーロッパのいろいろな学校参画の仕組みというのはもっと民主主義的なものです。それこそ教員、校長の罷免権などもあるというような委員会です。そこまではもちろんいかない。校長の諮問機関という格好で恐らく日本は落ちつくわけです。地域コミュニティのことを「第4章」で語りながら、評議員のほうをあまりにも漠然とした書き方にしようというのは逆なんだと私は思っております。
  クラブ活動とか、部活動というのも、課程審の報告を見ますとある程度整理されてきています。もうちょっと明確に、コミュニティーベースの教育はどこの責任の所在になるのかあたりを書いたほうがいいのかなという感じはしております。

○  「学校・家庭・地域社会の連携の推進」のところで、「地域教育連絡協議会」というのが出ているんですが、実はこの答申原案の中では「第2章」「地域住民の意向の積極的な把握・反映と教育行政への参画・協力」のところで1言だけ、中教審の第一次答申で触れている地域教育連絡協議会と言っているだけで、何の説明もないわけです。この場では随分論議があったと思うんですけれども、例えばこの文面の中で学校評議員との関係を触れているんですが、学校評議員のほうはもちろん学校単位。じゃ地域教育連絡協議会というのは、この間、中学校区というイメージで大体語られたと思うんですけれども、市町村単位であるのかないのかとか、これはほとんど触れていないのがいきなり出てきているわけです。しかも、「……の場などを活用する」と既存のものとして扱われているので、ここは少し書き込みが必要ではなかろうかと思います。

○  多少趣味みたいな話なのかもわからないんですが、「学校の教育活動への地域の活力の導入・活用」の部分です。これは文章を改めるというのではなくて、言葉は何とでもつなげていただければと思いますが、「……一層活用する方策について検討すること。」となっているんですが、その次に「また、保護者……」ぐらいにして、「……教育活動の多彩な展開に努めること。」という部分をつけ加えていただいたほうがわかりやすいのではないかという気がするのが一つです。
  以下の「特に運動部活動……」については、これは再三私も申しましたし、この場でもいろいろ意見が出たと思うんですが、この部分を独立させたらいかがかなと。そうしていただくと、運動部活動について悩みを持っているわけですから、そういう部分で、同じ文章でも違ったふうな受けとめ方ができるのではないか。趣味の問題ですので、強くは要望いたしませんけれども。

○  ありがとうございました。それでは、そろそろ以上にさせていただきますが、特に御意見のおありの方。

○  ワーディングのことで大変恐縮なんですが、一つは学校管理規則の見直しのところに例として「宿泊を要する学校行事について教育委員会の承認を届け出に改めるなど」とこうあります。私も学校管理規則を子細に見ていませんし、実務を知らないものですから、「宿泊を要する学校行事」というのが例示として適当なのかどうかというのがわからないんですが、もしこれでよければこれでいいんですけれども、果たして例示としていいのかどうか。これはワーディングの問題です。
  それから「学校の事務・業務の効率化」のところでちょっとわかりづらい文章がありますので、恐縮ですが申し上げておきたいと思います。

○  少し前に戻ってもよろしゅうございますか。教育委員会制度の在り方についてですが、この中で、教育長の選任につきまして、例えば「人材の育成・確保」というところで、「ふさわしい人材を職員や教員の中からも確保することができるよう」と書いてございますが、現実には県の場合はそれしかできないはずですし、市町村でもむしろ教員OBが大変多いということもあり、もっと幅を広げた人材確保をしようということで、特別職化をしていくという趣旨とあまりよく合わないのではないかと思います。将来特別職化していく立場に就く人を、計画的人事によって養成などできるだろうかということが、ひとつにはございます。
  そういう意味では、ここのところは、職務にふさわしい人がきちんと確保できるような研修は必要ですけれども、現実に今、職員や教員の中でしか確保できないのに、そういうことをわざわざ改善策として書くのも意味がよくわからないということを、御質問させていただきたいと思います。
  なお、学校の管理規則について、今、宿泊等とかございましたけれども、管理規則全般のことで言えば、学校の管理規則そのものに基づいて学校運営がされていないということの問題点はもっときちんと出していったほうがいいと思います。また、管理職等も学校の管理規則を読んだことがなくても、特に差し支えがない。学校全体に学校管理規則があったのかというようなことが、今回の中教審の議論の中で初めてわかったというようなことが現実の問題としてあります。そういう意味では、学校管理規則を見直す中では、それに基づいた適正な運営がしっかりできるようにということも大切です。あたりまえのようですけれども、とかくそういうことがなかなかできないのです。届出とか、報告ということの整理だけではなく、それに伴うきちんとした責任体制を持つということが必要です。よく教育委員会は学校の現場のことについて説明せよと言いますが、教育委員会は規則上も校長の報告等があって初めて把握し動けるのであって、何かあったから直接現場に行って陣頭指揮をとるという仕組みではありません。今回の検討の中で学校は地域に対してまた、教育委員会は学校に対してどういうことをし、服務監督とはどういうことかということを、一般の方にわかりやすく説明できればと思っております。
  最後に、地域の教育力の向上のことで、いろいろとここに書いてございますが、私立の学校との関係も含めまして、地方において学校の自主性・自立性というのは地域の網の目の中で、地域のしがらみの中から、ある意味で教育機関として自立し、責任を持って子どもたちの教育をしようというその部分も大きいということでございます。地域の参画がないとか、そういうことの視点は、ある意味で大都市の状況の中の御指摘のようにも思えることは事実でございます。その点もまた御配慮いただきたいと思っております。

○  中身自体ではないんですけれども、全体の構成にかかわってお願いなんですが、中教審の内容自体は、これまでの法制度改正についてかなり大幅なものを含んで、画期的だと思うんですけれども、これをどのように一般の国民とか、マスコミに理解してもらって、支持してもらうか。そのアピールの仕方というのは、先ほどもご意見が出ておりましたが、少し工夫したほうがいいのではないかという思いがあります。この中身自体を教育行政関係者とか、学校関係者とか、あと政府、各省庁、地方分権推進委員会に理解してもらうのであればこれでいいと思うんですが、普通の国民の方に中身をきちんと理解してもらうために、もう少し前文か答申後の広報などで工夫したほうがいいのではないかという気がします。
  この間、マスコミ等は、中教審については、校長の民間登用とか、そういうふうなトピックめいたものしか取り上げておらず、中教審審議の内容が正確に国民や社会に伝わっていないのではと危惧しています。この中教審は、国から地方教育委員会、地方教育委員会から学校へ、学校の自主性・自律性というふうな、ある意味では教育行政機関内部の権限委譲とか、法制度上の見直しが中心なので、それが保護者とか、国民にどのようにかかわって、身近な教育や学校が変わるんだろうかということのイメージやメッセージを、伝えられるような宣伝や広報上の工夫をしていただければと希望します。

○  1点だけお願いしたいと思います。「第2章」に戻りますけれども、「地域住民の意向の積極的な把握・反映と教育行政への参画・協力」の具体的改善方策ところです。囲みの一番最後の部分ですが、小見出しが「地域住民の教育行政への参画」になっているんです。ところが、この三つを見まして、本当にこの見出しでいいのか。要するに、参画という意味合いがほとんどないのではないかと思うんです。一番最後のところで、新しいのがつけ加わっているんですけれども、言ってみると、教育委員会のやっている事業実施、あるいは施設運営に参画するということだけなんです。それにすると、住民が教育行政へ参画するという見出しが大き過ぎるのではないかと思います。見出しをもし生かしていただくならば、もう少しここは膨らまして、実際の委員の選任云々というのは上のほうで片づいていますので、例えば公聴のシステムとか、傍聴の在り方とか、議事録の公開の問題とか、参画の中身としてはいろいろあってしかるべきではなかろうかと思います。もしそういったことは言わないというならば、この見出しが大き過ぎる。私は前者のほうでやってもらいたいという意見でありますけれども、やはり参画の中身を少ここで入れていただきたいという意見でございます。

○  全体の構成は、「今後の地方教育行政の在り方」というテーマですから、「第1章」から「第4章」の並び方でやむを得ないかなと思うんですけれども、国民の関心という面で言えば、むしろ「学校の自主性・自律性の確立」というやつを最初に持ってきて、それをバックアップするためには教育委員会はどうあるべきか、そしてその次にそれをバックアップする国や都道府県の役割はどうあるべきかという並び方のほうがアピールするかなと思うんです。今、国、地方教育委員会、学校という順番できているわけですけれども、「地方教育行政の在り方」というのがテーマであれば、これなのかなと。そんなように個人的に感じます。

○  ありがとうございました。まだおありかもしれませんが、本日は以上にさせていただきます。これからの審議のスケジュールでございますが、次回、8月21日、第26回の小委員会ですが、前回と今回の小委員会で出された意見等を踏まえて、「座長案」について見直すべきところを見直し、修正案をお示ししたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。これで本日の会議を終了いたします。
  次回の小委員会は、8月21日、13時から、霞が関東京會舘・ゴールドスタールーム、35階で開催いたしますので、よろしくお願いいたします。
  きょうはどうもありがとうございました。

(大臣官房政策課)

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