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中央教育審議会

 1998/4 議事録 
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第17回)議事録 

 地方教育行政に関する小委員会(第17回)

  議  事  録

  平成10年4月24日(金)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘  34階    ロイヤルルーム


    1.開    会
    2.議    題
        今後の地方教育行政の在り方について
    3.閉    会


    出    席    者

委員 専門委員 事務局
河野座長 安藤専門委員 富岡生涯学習局長
有馬会長 石原専門委員 御手洗教育助成局長
鳥居副会長 大山専門委員 早田主任体育官
木村委員 岡田専門委員 杉浦政策課長
國分委員 尾木専門委員 その他関係官
小林委員 佐々木(初)専門委員
坂元委員 村松専門委員
田村委員 森元専門委員
永井委員 山極専門委員
横山委員 和田専門委員


○  それでは、ただいまから第17回の地方教育行政に関する小委員会を始めさせていただきます。本日は、お忙しいところを御出席いただきましてありがとうございます。それでは、ただいまから本日の討議に入ります。
  本日は、前回申し上げてありましたように、「学校の自主性・自律性の確立」の問題の中で、中間報告の「4  地域住民の意向の把握・反映などの連携協力体制の充実」のところを中心にお願いしたいと思いますが、前回から続けております学校の管理運営の問題等とつなげて御議論をいただければと思います。
  前回の小委員会で、事務局から参考となる資料の説明はいただいております。この資料を適宜参考にしていただきながら御論議をいただければと思います。この問題のことも含めて、学校の運営の問題全般について、きょうは御討議をお願いしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

○  前回の小委員会で他の委員の方から、公立高校207校の学校運営の実態について、アンケート結果などをまじえて詳細な御報告がありました。できるだけそれにかみ合わせる意味で、若干意見を申し上げたいと思います。
  今の学校の実態として、アンケートの公立高校の学校運営の状況について、それは特異な例ではなくて、そうした実態というのは全国的にかなりあるのではないかという御意見等もありました。
  いつか、教職員の人間関係がどうなっているかという調査結果の中間まとめの冊子を配らせていただきましたけれども、私がいろいろ聞いている限りでは、確かにそのような高校等の実態もありますが、全体として言えば、教職員が今の難しい教育現場の状況を反映して、かなり孤立化し、同じ学校に勤務している同僚としての連帯感が非常に希薄になってきているという実態があることを、幾つかの調査結果から認識させられているんです。
  したがって、ここにも現行制度の現状が書かれておりますように、学校教育法第28条で、校長は校務をつかさどり、所属職員を監督するという意味で、学校の教育計画なり、教育課程の編成、あるいは学校のいろんな行事、人事管理、施設の管理等を含めて、最終的な権限が校長にあることははっきりしているわけです。問題は、同じ学校に勤務して、その学校の抱える様々な教育課題について、すべての教職員が、職員も含めて情報を共有し、課題を共有して、問題解決に校長を中心に結束して当たることが、今、強く求められているのではないかと思います。
  そうした意味からして、確かに校長の権限と、全体が同じ職場で仕事をしている、そして学校運営に参画しているという参加意識を教職員が持つためには、職員会議を活性化させる必要があるのではないか。
  現状、確かに他の委員のおっしゃるような問題が、地域によってはかなりありますけれども、私が聞く限り、全体的には形式化しているというか、マンネリ化しているというか、そして発言者も最近は少なくなってきている。ほかの会議も含めて、いろんな会議が学校内に多いものですから、できるだけ短時間で終わらせるということで、完全学校5日制を視野に入れると、そういう点が一層激しくなる可能性もある。
  したがって、伝達機関化して、結果の報告が非常に多くなって、実際に話し合いをする、また職員会議というのはある意味では研修の場でもなければいけないんですけれども、そういう機能を必ずしも果たしていないという意味で、一時、職員会議が意思決定機関といいますか、あるいは決議機関なのか、校長の諮問機関なのか、校長の補助機関なのかとか、そういう法律的な論争が学校で華やかにありまして、それが若干尾を引いていることもあります。
  問題は、どういう機関かという法律論争よりは、同僚としていろんな悩み、自分のクラスに不登校の子どもがいるとか、いじめがあるというようなことについて、職員会議の中で報告し合ったり、いろんな経験を先輩、同僚の教師からサジェスチョンを受けたりということで、もっと自由に活発に協議ができるような場にすべきだと思うんです。
  そういう意味で、法律的な職員会議の性格・位置づけを優先させるよりは、事実上教職員が同僚としてお互いに信頼し合い、学校の中がもっと生き生きするような関係に持っていくという意味で、過去いろいろ論争がありましたので、そういうものを一遍整理する意味で、何らかの形で職員会議についての性格・位置づけを、法律そのものでやるのか、あるいは省政令でやるのか、都道府県に任せて都道府県の管理規則でやるのか、いろんな手法があると思いますが、あまり画一的に学校教育法そのものでするということはむしろ避けるべきだと思いますが、地域の慣行だけに依拠しているような扱いは必ずしもそぐわないのではないかという意味でですね。
  ただ、どこまでそういうことを答申に書くのかという書き方の問題はあると思います。市町村教育委員会や職員団体等からのヒアリングが5月以降に予定されていますので、それらのヒアリング等を通じて、関係する団体・組織等がどういう意向を持っているかということも十分見極めながら、どの辺のところまで書くかという問題はテクニカル的なものがありますけれども、私は一定この段階で整理して、職員会議の位置づけについては、方向性だけぐらいでも最終報告の中に書いたらどうかというのが、私の今の段階での意見であります。
  それに関連しまして、よく校内組織をどうするかという問題が、職員会議の問題とあわせてあるんですけれども、この前、事務局から説明がありましたように、1975年から76年にかけまして、いわゆる省令主任というのが置かれました。
  あのときの議論を私も思い返しているんですけれども、当時、三木内閣の永井道雄文相の時代でしたけれども、主任制施行に当たりまして、なぜ主任制を今しくのかということで、学校には教育機能と管理機能という二つの大きな流れがあって、管理ということを一方で強調すると、管理の強化に反対という意見が強く出てくる。したがって、主任というものについては、教育機能の面から、指導、助言、連絡調整という任に当たるということで、教務主任とか、学年主任とか、生徒指導主任等を置くということであります。ただ、管理強化なのか、教育という面での指導、助言、連絡調整をやるのかということで、議論が手当の問題を含めてふくそう化してきて、地域によって相当程度混乱した状況が続いたんです。
  そういう点からいって、それぞれの立場にあまり拘泥しますと、なかなか前向きの議論になりませんので、状況によって、これを一旦廃止をするぐらいの立場で、本来の調和のとれた学校運営はどうあるべきかということで、校長、それを補佐する教頭、そして教務とか、生徒指導とか、どうしても必要なそうした職を、どういう形で確立するかということについて、それぞれの団体の意見なども聞いた上で、最終的にここらで、職員会議の問題とあわせて一定整理をする状況にきているのではないかというのが、2点目の私の意見であります。
  それから、校長・教頭の適材確保のため、私も二、三、中間報告が出た後、学習会等に呼ばれて幾つか意見を聞いているんですけれども、今の校長・教頭が去年の11月ごろの「一日中教審」で、たしか高校教師から見直しの意見が出たことを記憶していますが、いわゆるすごろくでいう上がりみたいな感じで、30年、30何年たったベテランの教師が、最後はせめて校長になってという意味で、任期も二、三年ぐらいというのが特に高校の場合は多いと。したがって、その任期中、とにかく事が起こらないで無難に終わりたいという意識が働いて、新しい試みを学校でやることにについて、校長なりが躊躇する。それでは今の閉塞感に満ちた学校に新しい風を入れていくという意味では、民間からでも取り入れたらどうかという、そんな意味でたしか問題提起があったように記憶しているんです。
  そういうことについては、地域によっても若干実態は違いますけれども、すべて民間でというわけにはいきませんが、新しい風を吹き込んで、みんながチャレンジ精神みたいなものを学校の中でも持つようにする意味では、任用資格をどのようにするかという問題はもうちょっと議論しなければなりませんが、一定程度そういうことがあっても、学校が変わるという、校長が変われば学校がそういう意味では意欲的なことができるんだというモデルを幾つかつくるという意味で、さほど反対すべきではないと私が行った中では、相当反対論が出るのかと思って私もそれなりに構えて行きましたけれども、意外とその点についても、現場の中にも理解が広まってきているなという感じを持っています。
  あと、今の学校は、授業とか、教育活動の中心になるティーチング・スタッフと、学校の事務職員とか、用務員さんとか、直接は授業にタッチしないノン・ティーチング・スタッフといいますかね。明治以来、どうしても教員組織のほうが重視されて、それの一定の下請と言うと言葉が悪いですけれども、そういう立場に職員のほうが置かれてきた。したがって、この前の説明にもありましたが、これから学校が小規模化してくることも考えられますし、事務の処理ですね。教員がもっと子どもの指導に専念できるようにするという意味で、事務部門というか、マネジメントといいますか、経営面を教頭を中心にして、事務職員とか、用務員さんも含めて、あるいは市町村費負担の職員の方もいらっしゃるので、そういう点で、もう少し経営面についてもきちっとした体制をとっていく。しかも、小規模化してきますから、場合によっては一つの学校で全部事務を処理するというのでなくて、共同処理を可能にするようなシステムを中学校区単位ぐらいにつくるということについても、検討する段階にきているのではないかと思っています。
  あと地域住民なり保護者の意見を学校に反映させるという意味では、前回、大学の例などのお話も出まして、参与制度みたいなものも一つの方法ではないかと言われましたが、学校の場合、校内的な体制として、校長さんが一人だけで味方が全然いないという意見も前に出ました。校務をつかさどる校長の経営責任を明確にした上で、私なんか教員をしたときには、規模がかなり大きかったこともありますけれども、校務運営委員会とか、略称企画委員会という形で、校長、教頭と教務主任と学年主任ぐらいで校務運営委員会というのを持って、そこが職員会議の議題の整理をしたり、事実上校長を助けるアシスタント的な役割を果たすということを、当時はやっていたんですが、今、実態的に全部がそうなっているとも必ずしも思いません。
  と同時に、ある意味で、学校を地域に開くという意味で、住民代表とか、地域の有識者を含めました一定の恒常的な、名称はこだわりませんけれども、参与という大学の組織よりは、もうちょっと恒常的な機関として、イギリスの学校理事会とか、イタリアの学校評議会という形には、政治的な風土も異なりますからいかないと思いますけれども、何らかの恒常的なそういう機関を、校長の諮問機関として設置することは必要なことではないかと考えております。

○  職員会議についてですが、今、お話にあったように、何らかの方向を出して、何を書くのかはいろいろ議論があると思いますが、きちっとその性格づけをする必要はあるのではないか。確かにおっしゃるように、法令で書いたからといって物事が解決するわけではないんですね。しかし、それ自体が争いになるということではまずいので、既にこの問題は、たしか私の記憶でも、何年か前のどこかの高裁の判断でも、職員会議の位置づけというのは出て、これも創設的な判決というよりも、確認的な判決だと思いますが、出ているわけで、法的な性格についてはやはり書いた上で、しかしそれで解決するわけではないので、そこが単なる報告の場ということでなくて、大いに議論の場となり、それを頭に入れながら、最終判断は校長さんがするということが必要ではないかと、職員会議については思います。
  それから、主任制の問題ですけれども、一旦現行の主任制を御破算にして、新しい校内組織を構築したらどうかという趣旨のことを言いましたけれども、新しい校内組織がどういうものかというのは、正直言ってまだ私自身まとまっていません。ただ、約20年前に動き出した主任制について、その趣旨のように運営されているところと、それから見かけ上はされているけれども、どうもはっきりしないところと、現にそれ自体を争っているところとあるわけですので、やはり今のままでいいかどうかというのは問題があるという意味合いがまずあるわけです。
  どうするかということについて、例えば教務主任というのは、現在は市町村の教育委員会が行うか、校長が行うかは別として、職務命令という形で主任を発令しているわけですけれども、例えばこれを職務命令でなくて、任命の職にするということをすれば、前回も議論が出ましたように、実態と形式が食い違っているとか、あるいは校内でのいろんなことで妙な人が選ばれているとかということも避けられる。発令すれば、それは外にもきちっと出ることですから、地域の人も、保護者も、〈ああ、あの人が主任なんだ〉ということがわかるメリットがあると思います。
  現実に、主任手当の拠出闘争というのが、部分的にかもしれませんが行われているわけで、今は日額幾らという形で出されていますけれども、管理職手当とは言いませんが、今のような金額でなくて、もっと大幅にアップしたものをきちっと支給する。あるいは、さらに進めば、給与表上の位置づけをもう一つ設けるということがあってもいいのではないかという気がいたします。全体像がまだ私自身もまとまっていないわけですが、ちょっと感じていることを申し上げたいと思います。

○  今のお二方の御意見に、私も賛成です。職員会議、それから活性化ということで、お話がありましたけれども、ある意味で職員会議というのは学校をどのように方向づけていくかということについて、参加者全員が共通に理解して意思を統一する場という位置づけで、日ごろの悩み、あるいは子どもをどう扱うかということについては、私の学校ではまた別な場でもって、生活指導協議会、あるいは保健ということで子どもの体の話し合いを持っています。そこはざっくばらんな形で情報交換したり、先輩から話を聞いたりということがございますので、多少その辺のところは分けて、何らかの形で明記するならば、職員会議ということでいくことが望ましいのではないかと思っております。
  きょうも私どもの組織の中で、そのことについて情報交換してきたんですけれども、地域によってまだ争われている部分もありまして、何らかの形で職員会議とはこういうものなんだということを、はっきりお互いが理解できるものにしていただきたいと思っております。
  それから、主任に関しましては、私も10数年前に主任というものをいただいたときに、早速ある団体から、こういうお金をもらえるんだから、我々のほうによこせというようなお手紙もいただいたりしたこともございます。それについてはお答えをしたんですけれども、実際に学校の現場へ行きますと、おっしゃったように実態と合わないような中でいることは大変不幸なことですので、この辺もきちんと整理をしていただきたいし、できるならば給与表に位置づけをしていただいて、現在、日額200円ということで、勤務日数に応じて支給されていますけれども、そうではなくて、一つの資格として位置づけていく。そのためには、今、教員の給与表が4級までですので、もっと給与の等階を増やした中で、上っていくという言い方がいいかどうかわかりませんけれども、それぞれの職に応じた処遇を考えていただきたいと思っております。

○  職員会議は、学校によっていろいろ違いはあると思うんですが、先ほど孤立している先生が結構大勢いるので、自由活発に協議する場が必要だという趣旨のご意見がありましたが、私が今までいた学校では、いわゆる職員会議と、それから名称を変えまして「特別職員会議」という名称を用いていたんですが、その場では、例えば生徒の指導についてどのようにしたらいいかとか、あるいは教科の指導の上でどういう指導がいいのかとか、具体的な課題を挙げまして、特別職員会議でかなり活発に意見交換をしておりました。そういうこともありますので、学校によって、先生が孤立して、会議の場で発言もできないような学校は考えにくい。大体はいわゆる職員会議と特別職員会議ということで、性格を変えてやっておりますから、発言の機会は充分にあると思います。
  前回問題になりましたのは、特別職員会議でないほうの職員会議。で、職員会議で決めたことが、校長としてどうしても覆せない実態がある。それは私も何遍も経験しておりまして、そのあたりが、さっきお話が出たような形で、職員会議の性格とはこうなんだということを想定して位置づける必要があると思います。。
  それから、主任のことについてですが、これは私はスタッフが欲しいということで前から発言させていただいたんですが、先ほどお話の出たような任命の職にするというのが必要ではないか。校内で何人必要なのかというところを吟味する必要があるのかなと。例えば、教員の数で何人以上は何人くらいということも一つの案であろうかと思いますけれども、そのあたりで任命の職にすることは必要なことではないかと思っております。それに応じて、給与表上の位置づけもあればなおいいと思っています。

○  私も、校長先生方あるいは教頭先生方の研修会に寄せていただきまして、職員会議に関して、あるいは校内の指導組織に関して、様々なお考えや意見や感想、あるいは実態をお伺いする機会があるんですが、そういうことを通してまず感じることは、まず一つ実態が非常に多様でありまして、なかなか一くくりにすることが難しいなというのがまず最初の感じなんです。しかし、その中で、さらに方向を出すとすれば、例えば職員会議につきましても、それから校内の指導組織についても、先ほどから御指摘があるような様々な問題がありますし、これを何とか活性化しなくてはいけないということについては、強い共感を持っております。
  ただ、私の感じで言いますと、その活性化ということを論じるとするならば、位置づけの問題というよりも、むしろ機能としての活性化をどう図るかということで論じ、あるいは今後の報告の中にも盛り込むとすると、そういう報告を中心にしたほうが効果的ではないかと私は考えております。
  もう少し掘り下げて申し上げますと、私は必ずしも職員会議の性格を明確にすることに反対と言っている意味ではありませんで、それはそれで一つの方向ですけれども、そこで位置づけを明確にすれば、職員会議が活性化するかといいますと、今現在、先ほどから指摘されておるような、先生方が自分たちの意見についてなかなか本音で話し合えない、あるいは職員会議が伝達機関化しているという問題点に、必ずしも近づくのかどうかというのは疑問なしとしないところがあるように思います。
  むしろ私が機能の活性化という方向で位置づけたほうがいいのではないかと申し上げましたのは、実際に非常に成果を上げている学校では、職員会議の中の伝達の部分と協議の部分を実によく整理していまして、伝達の部分については打ち合わせをするとか、あるいは資料化の工夫をすることなどによって、できるだけ職員会議が機能できるような条件を整えているんです。そして、協議の部分についても、先ほどからこれもお話のありました、名称は特別職員会議という名称のところもありますし、いろんな名称がありますけれども、そういったものだとか、あるいは運営委員会とか、企画委員会というものを機能させたり、あるいは学年会とか、あるいは学校には様々な重層的な校内組織がありますから、こうしたものを機能させることによって、先生方が自由に発言ができるし、一番問題にするところを本音で話し合えるような条件を整えているように思います。
  したがって、今後は、そうした効果を上げている例なども整理して、それを示唆するような形で、どうやれば機能的に活性化するかということでまとめていくことが、職員会議を活性化させる一つの重要な側面かなと思うわけであります。

○  御発言の機会をいただきましたけれども、制度的な面についての可能性とか、枠組みとか、そういうことを考えるぐらいの知識でありまして、学校の現場の詳細については、私、残念ながらここで十分に申し上げるだけの知識がございません。
  が、この専門委員になってからか、協力者会議のころからか、そういうところにいるということで、情報が自然にある程度入ってくるところがありまして、その限りのアドホックなというか、偏った知識なんですけれども、一つ私が感じているのは、職員会議の位置づけをするのであれ、主任制の位置づけを新たにするのか、かつてのものを強化するのかということも、結局は全体として今考えている、より分権化していくという仕組みの、その全体の中でどういうパートを担うのかということだろうと思うんです。学校管理規則がどういうふうに柔軟化するのか、地域ごとの裁量がどう働くのか、そして校長先生にどの程度の権限があるから、職員会議との関係はどうなるのかとか、結局はどこかで均衡点が出るというような問題だと私は思っておりました。
  そんなことを言ってもそれだけのことなんですが、職員会議を明確に何らかの形で位置づけるということの意味は、たぶん職員会議が責任を明らかにするということであろうと思います。それは私の感じでは、今、少しずつ詰めをしている各部分のことを考えますと、プラスである。ですから、位置づけを明確にすると、責任が明らかになるということはいいことだと思います。
  しかし、他方で同時に、校長先生にそれでも責任があるんだということが、そのときにどういう形になるのかということがあるわけで、例えば助言的、諮問的な職員会議の意見に基づいて、校長がさらにそれと違った実施ができるのか、実際にできるのかということは、どうなるのかなと。方向としては、今皆さんから出ている御議論はそうだなと思いながら、詰めのような問題は残るし、それがやはり重要かなという感じがいたします。
  また、ここでは焦点になっていないわけですけれども、地域の問題について、先ほど参与の制度とか、もうちょっと恒久的な機関とかいう御議論が出ているのを伺っておりましたけれども、地域のそういう機関が何回会議を持つかということで、たぶんその実力のようなものが決まりますので、それとの関係で  ―これは全く地域によって異なるであろうと思いますけれども、校長先生のほうにサポートがいくのか、職員会議と一緒になって校長先生と意見の違うことを推進することも、私の見ている幾つかの学校ではあり得ると思っておりますけれども、そういうようなことで、なかなか複雑であります。
  主任制の問題についても、いずれにしても、そのときに校長先生と一緒に、適切な言葉かどうかわかりませんけれども、執行部というようなものをつくって、校長先生が一人ではなくて、同時に制度的に保障されながら、共同して学校を運営していく体制ができることはいいことだと思いますので、主任制も今までのような運用ではなく  ―運用というか、制度はちゃんとあって運用が怪しいのか、そこまで詰めた制度にしなかったのかという問題はあるのかもしれませんけれども、やや強い制度になっていくのはいいことである。校長先生に権限と責任を与えていく以上、必然的な方向かなと私は感じておりました。

○  今問題になっておりますことは、結局、校長、教頭、職員会議、主任の権限と機能を明確化するということですので、この報告のどこかにそういうものは明確に書いたほうがいいと思うんです。
  それから、給与表に関しては給与表が変わってもいいし、3%ぐらいの手当が出て発令するという形があると、組織が動くかなという気がしております。
  今の議論と若干関係があって、校長さんの権限との関係について、いろいろ校内組織がうまくいっているところの実例をたくさん挙げる。これはサクセスストーリーのデータベースをつくっておいて、それを完備しておくことが非常に必要なわけです。
  そこで、幾つか具体的な提案があって、これを検討していただければありがたいと思うことがあるんです。一つは中央なり県なり市に、校長相談室みたいなものを置く。つまり、校長カウンセラーみたいなものですね。これは退職校長さんでもいいし、弁護士さん、大学人、経営者とか、そういう方々が何人かいらして、校長さんが校内の運用に関して困って、相談相手がないということがありますので、その相談室が強力な相談相手になる。校長室にテレビ電話を置いて、相談室にもテレビ電話を置いておく。テレビ電話は、今、9.8万円ですから、4万2,000校置いたって40数億で置けちゃいます。ただ、ISDNを引かなくてはならないということがありますけれども、投資としては大したことはない。それで校長先生同士、それから校長相談室がかっちり結びつきますので、校長さん一人ではないぞと。うまくいった校長さんを相談室に置いておくし、弁護士さんもついている。大学人とか、弁護士は非常勤かもしれませんが、そういうものをつくりまして、テレビ電話訪問というので、相談室が「校長さん、何か困ったことはありませんか」とやってもいいし、それが嫌な校長は断ればいいわけです。一つの提案は、校長相談室みたいなものを置いて、校長さんが校内組織を上手に運営するための手助け部隊を公的につくってしまう。
  第2の提案は、自己責任認定校長制度というようなものを設けてしまう。つまり、ある校長さんが組織運営とか、学校運営の実績を上げた。それは県教委なり市町村のどこかに申請をしまして、審査会で審査してもらう。そこで、この校長はいいぞと。学校と校長がペアになって申請してもらうわけです。学校か、あるいはまた校長さんがその学校での申請をしてもらう。そこで、いろいろな規制を1ランク緩和してあげる。例えば人事権とか、予算使用権とか、それから寄附を集めるとか、いろんな権限を校長に集める。それから、主任を任命して、この人に何%給与を上げろとかというような任命権等を持つ。それはやりたくない校長さんはやらなくていいわけです。やれる道を開いてみる。つまり、自己責任認定校長  ―言葉は何でもいいんですけれども、何かそういうことは考えられないだろうか。これは校長さんに関してなんでございますが。一律に全部そうしろということではなくて、「いや、私はそんな認定をもらわなくて、指導・助言を県教委から受けてやったほうが気楽でいいですよ」という校長さんもいらっしゃるし、「わしはひとつ任してもらってやりたい」という校長もいらっしゃる。そういう自由をお任せするのが活性化につながるのではないか。
  同じような意味で、組織運営にたけた経営者とか、いろんな人が民間から校長とか経営陣に入ってくることも、道は開いていいだろう。ただし、その場合には、例えば校長・教頭の採用試験を民間からでも受けられる。ただ、受ける前の資格として、特別非常勤講師で1年か2年学校に慣れててもらうとか、教育界と全く浮いた人が来ないような手だてを講じながらやって、最初は副校長で入ってもらうとか、幾つか教育界に慣れてもらう手だてをしながら、民活を導入していく。そうすると、組織運営に非常にたけて、教員組織ではない別の組織で経営の力のある人が学校の中に入ってこれる。現在いらっしゃる校長さんとか、教頭さんとか、あるいは副校長さんとか、その辺と最初は協力しながら、次第に学校に慣れてもらって、自分が学校を取り仕切って、そのときには自己責任認定校長みたいに申請してもらって、バリバリやってもらう。
  そういう幾つかの規制緩和の方向を具体化する案を、いいということではございませんで、現場の先生方とか、教育委員の先生方が、これはやはりまずい点があるよというのが幾つかあり得るかと思いますので、議論をしていただく価値はあるのではないかと思っております。

○  実は、前回の議論を聞いていて、私もちょうど主任制が制度的に起こりましたときに、高等学校の教員をやっておりまして、そのときのことを思い出しながら、今日の状況を思い、さらには皆さん方の御意見をいろいろお伺いさせていただきます中で、教員という立場からすると、本当に情けないなという気持ちを持ちつつ聞かせていただいておりました。
  というのは、私がそうであったからということではないんですが、先ほど他の委員の方がおっしゃったように、本来、学校というのは、主任制という制度もそうでありますが、まさに機能する集団として、こういう制度がよかろうという形で導入をされようとしたことが、どうも教職員の中でうまく理解がいかなかった学校現場の状況が、当時を振り返りましてあります。
  私は昭和40年に教員になりました。そのときに、ある高等学校へ参ったわけでありますが、そこの学校では、職員会議もそうでありますし、主任もそうでありますし、先ほどからいろいろ御議論が出ておりますが、まさに校長をサポートする  ―私どもの学校では運営委員会と呼んでおりましたが、学年主任であるとか、分掌主任等が加わって、校長・教頭とともに職員会議に出す議題であるとか、大綱的な事柄について、校長さんの思いを受け入れながら、いろいろ議論をさせていただいて、そして構成員である全教職員にいかにそのことを共通認識として持たせるか、まさに機能する集団としてあったと思っておりました。結果として、それぞれの学校がその教育目標に、構成員すべてが向かっていけていた環境が実はあったと思っています。
  ところが、主任制の議論が起こり始めてややおかしくなってまいりまして、そのときに同僚の教員とかなり議論をいたしたわけでありますが、教員社会というのは、今でもそうでありますが、真の民主主義というのがどうも理解できていない、と私は思ったわけであります。子どもたちには、民主主義、あるいは民主的な運営というようなことを教えたり、あるいは学ばせたりします。その民主的な運営というところで、実は今まで機能していた、従来主任制度がなくても、主任があって、校長をサポートするような組織があったわけであります。しかし、主任制度が導入されるや否や、そういう主任はなくなってしまって、あるいは運営委員会的なものもなくなってしまいまして、さらには一人一人がすべて主任のごとくな状況が生み出されました。
  当時は、機能する集団としては、職員会議もそういう流れの中で決まっていきますから、時間もかからない。しかも、構成員みんなが例えば運営委員会から出された案を審議するということで、手間暇が随分省けるような状況が生まれたわけであります。その後、学校にいます教職員のすべての者がそういうものに加わっていく、一人一人が物を言うのが民主的なものだと。従来、1時間でやっていたような会議も、2時間も3時間もかかってしまう。みんなに発言をしてもらいましょうということになるわけでありますから、なかなかうまくいかない。
  これは、今、私はこういう立場にいまして、教員自らが自助努力をしていく、機能する集団としていかにこの集団があるべきかということを教員自身が考えれば、少し工夫が出てくる。あるいは民主主義といいますか、そこがもう少し理解できれば、こんなことはたやすくわかることであります。
  したがって、情けないと私が言ったのは、本来ならば学校という社会は、そのことが一番理解されなくてはいけない集団だと私は思っているわけであります。ところが、真反対であります。それをここで御議論いただいているように、制度だとか、規則だとかで、本当はそのことをもって規制をかけていくということは、私は本来の姿ではないと実は思うわけであります。しかし、結果としてそのことを言わなくては、やはり機能する集団になっていかないという学校社会があるとするならば、教員であった私も、あるいは教育行政におります私どもも、情けないなというのが率直な思いであります。
  したがって、制度であるとか、規則であるとか、そのことにすぐいくのがいいかという議論は、もう少し考えてみたいと思うんですが、何らかの形で、そういう視点から職員会議であるとか、あるいは主任制を見ていくのはとても大事なことだろうと思います。
  もう一つは、やはり常識的でない社会を見る機会が教職員の中にはない。したがって、教頭とか、校長の任用等の問題にかかわって、民間人の登用、それは学校という閉鎖された社会の中に、民間の風を入れましょうとか、民間の状況はどうだということを、学校社会の中に少し風を吹き込みましょうというお考えだろうと思います。
  一方で、これはまた次のことにもかかわる問題でありましょうが、学校運営委員会みたいなものは、地域の有識者の方とか、あるいは保護者の方に伺って、外の風が入ってくるような仕組み。これは前回にもそんなニュアンスのご意見もありましたが、そういうものが何か仕組みとしてできれば、そういう風も入るのかなと。任用の問題については、それぞれやっておられますこともございます。
  さらに、例えば学校管理規則で、補助機関であると明確に言っていくことがいいのかどうかというのは、少し議論が要るのかなと。もう一つ土壌の中でそこのところの高まりがないと、結果としてはうまくいかないということが現実問題起こってくる可能性がありますので、そこを何か変えていくような。これは教育行政をあずかっている私たちの責務でもありましょうが、もう少し積極的にそういうことができる仕掛けなり仕組みが要るのかなと、感想として実はそんなことを思っております。

○  一つは先般の中間報告の「学校の管理運営組織の在り方等」の中に、「関連する制度の見直し」というのがあります。中間報告をまとめるときにもう少し具体的に書けないかという議論があったように思うんですが、特に「教職員の配置など関連する制度の在り方について」ということで、よくご意見があるように、実現可能な案ということでいくと、私も実現可能かどうか正直言ってよくわからないんですけれども、例えばこんなことは考えられないだろうか。部分的には何人かの委員から出たかと思いますが、例えば小学校でも中学校でも、定数が1人あるといたしますと、それを今は国庫負担制度なり何なりでもって1人しか採用できないわけです。しかし、それを地域、まさに学校の実情によって、それを非常勤の形になろうと思いますけれども、2人分、3人分というふうに分割して教員を採用する。
  例えば、小規模校で音楽の専科の先生がいたとしましても、小規模校でそんなに担当時間はないわけですから、音楽の先生を非常勤で雇うにしても、あと1人分、あるいは場合によっては2人分を別の教科のあれに割り振るというようなことができないか。その判断は校長がやる。まさに学校の責任者である校長が学校の必要に応じてやるというようなことができないだろうか。
  実現可能かどうかとこう申しましたのは、一つは現在の教職員定数制度がかなりカチッとできていますし、しかもそれを国庫負担制度が裏づけしているというようなことがありますから、ちょっと難しい要素がある。さらに、定数管理というような観点からも、退職者が何名で、今度はどれくらい増えるから、新採用を何名にするというようなときに、やってみなければわからんというような要素が出てくるので、その辺の運用上の難点等々があろうかと思いますけれども、現場にとってみると、かなり必要性があるし、有益な問題ではないかと思います。ただ、どこまでできるか。当面できないにしても、先々可能なものかどうかということをひとつ考えたらどうかと思います。
  もう一つは、地域との関連で、先ほど来、参与会とか、いろんな議論があります。名前はいろいろあろうかと思いますが、これもどの程度必要かということは、学校、地域の実情によって変わってくるので、必ず置けというような形はいかがか。まさに学校なり教育委員会の判断で、その種のものを置く。そして、一つの性格しか持っていないものでなくて、いろんな性格のものを置き得るようにするということと、それから他の委員の方から恒常的云々というのがありましたが、恒常的はいいんですけれども、それが何とか委員会みたいになって、逆に校長の権限行使を束縛するような機能にならないように配慮しないと、おせっかいな応援団ができるようなおそれが多少あるのではないか。その辺を注意する必要があるんだろうと私は思いました。

○  地域の活力の導入ということでお話をさせていただきたいと思います。私の町でやっていることよりお話しできないわけですが、学校教育、社会教育が連携いたしまして、管内の小・中学校で地域の特色を生かした取り組みをやっているわけですが、ある地区の小学校の例を御紹介させていただきたいと思います。
  その地区では、学校に子どもが行っていない家庭でもPTA会費を納めていただいているわけです。学校では、「遊友スクール」というのを年10回、農業とか、福祉の体験を年間を通してやっております。地域の住民と一緒に小豆を植えたり、もち米を植えたりしてもちつき大会を開催したり、それからシイタケが大変とれるところですので、シイタケうどんを地域住民と子どもたちが一緒になってつくって食べるとか、冬になりますと、地域に題材をとりましてジャンボかるた大会というのを雪の上で、地域住民と一緒になってやっております。子どもたちは、ひとり暮らしの老人の方々の除雪をやっております。体験学習をするときは、地域の住民の方々が大勢学校に来て手伝ってくれております。地域住民の方々は、その地域は過疎になり、複式学級になってきているわけですが、地域の学校ということで、大変誇りに思っているという感じがいたしまして、大変うれしいなと思っております。
  前にもちょっとお話しいたしましたが、そういった体験学習を通しまして、子どもたちが感激したり、感動したりする姿というのは、人間生きていくうえで大切なことであり、そういった体験を多く持った人は幸せではないかと思います。学校教育の中でもそういった感動する場面を多く持っていかないといけないと感じております。
  すばらしい報告が出ましても、結局、我々市町村でそれを受けて、どう生かしていくかにかかるのではないかということで、実は管内の校長先生方ともいろいろ意見を交換したりいたしております。校長先生方が集まって、教育がどういう方向に変わっていくのか、我々はどう考えないといけないのかという研修会みたいなものを持ちながら、この答申が出された段階で頑張れるように、今から少しずつ勉強しております。

○  住民の意向のところでございますが、既に中間報告で書いてありますように、「地域の実情に応じて設置者の定めるところ」、私はこれは大変重要なことではないかと思っております。地域の住民といいましても、いろいろな方がおられますので、どういう方がどんなスタンスで、どんな責任を持って、学校へ参画するかということは、やはりきちんとした考え方が必要ではないかと思っております。また同時に、地域を単に学校の通学区域だけでなく、同時に広い意味の地域社会の観点からの人もお入りになったほうが、地域エゴ的な実質的な運営がされにくいという点では大切ではないかと思っております。
  なお、先ほどのことでございますが、学校は教育機関として、やはり校長がきちんと責任を持つべきで、校長が学校運営をするに当たって、校内組織がどうあるべきか、あるいは地域の方の御意見をどうお聞きするかということが重要ではないかと思っております。その意味では、他の委員の方がおっしゃいましたように、主任制の中で、特に教務主任は任命行為のほうが私は機能すると思っております。初任研は教育委員会の任命でございまして、それはそれなりに機能しますが、主任制が校長任命のところは、いずれも主任制闘争の中で実質的に形骸化、あるいは今現在も難しいということを考えますと、任命行為できちんとするべきところと校長の職務権限でするところを、この際きちんと分けたほうが、学校がこれから校長のきちんとした責任のもとで、自主的に自律的に学校が運営されるという点では明快になるのではないかと思っております。
  地域の意見を聞くという点も、その観点から、地域の方たちが学校の中にどのような形で参画するか。私はできるだけ授業や、あるいは卒業式とか、入学式とかについても、地域の方がそういう意味では合意形成ができたほうがいいかと思っております。そういう意味で、地域の方の意見のときには、校長あるいは教育委員会で、それぞれの地域の実態に応じてということは大変重要ではないかということを申し上げたいと思っております。

○  私は株式会社の企業人でございますので、実は専門的なことはわからないままに、ささやかな経験から申し上げておりますが、さっきの話にも少し触れてもよろしゅうございますか。
  前回の締めくくりで、校長をひとりぼっちにしないで、応援してあげる仕組みこそ、まず現実的であり、大事であるという趣旨のご発言がありました。私も感銘深く伺いまして、先ほどの校長相談室などというのも非常にわかりやすいですし、今に合った制度だろうと思いますし、心から賛成をするものでございます。
  しかし、先ほど来から、組織などを見ていますと、大変くだらない言い方なんでございますが、校長先生というのは大きな会社で言えば社長なのか、支店長さんなのか、はたまた現地法人の責任者なのか、いろんなことを考えてみますと、これはどう考えても支店長であろう。そうすると、もとを言えば、国の教育勅語はともかくとして、大きな方針の流れの中で、ある範囲を任せられ、その方針の中で進めていくことになるわけであります。今の本社方針が地域に開かれ、そして個性ある学校の運営をという方針であれば、今申し上げた校長の支援組織や相談室という制度よりも一歩突っ込んだ、前回も含めて私のほうで、ねばならぬということではございませんが、御提案しておりますのが、わかりやすく言えば校長への権限の拡大と、もう一つは、やりたくない人はやらなくてもいいということではあるんですが、やらなかった方は何となく肩身が狭いというふうにするように、いわゆる学校レベルで、校長のやろうとしていることを明らかにし、それを評価するような何らかの仕組みが必要だと考えているものの一人でございます。
  そんな点から考えましても、現実的にはなかなか難しいという御指摘は、全くごもっともでございまして、あなたが学校の何らかの運営組織に入って、本当に期待される役割を果たせるかというと、「いやいや、ちょっと仕事が忙しい」というふうになりがちでございます。しかし、せっかくの第一歩でございますので、サポート施設やいろんな制度もさることながら、校長がそんな制度を使って、一歩でも二歩でも何らかの工夫をせざるを得ないようなことにするためにも、私は必ずしもPTAを中心にとは思いませんが、何らかの地域に開かれた方々による校長のサポート体制とはまた別の、校長は今こんなことを考えているというようなことを、父兄以外の方も含めて明らかにする制度、組織が必要なのではなかろうかと考えております。
  なお、組織の問題等について、私自身も不勉強でわからないんですが、そんな組織も含めて、普通の会社の場合には組織図に、物事を遂行していくための会議体が位置づけられております。先ほど来、私も伺っておりますと、職員会議というのがあたかも会社でいう経営会議のようでもありますし、方針伝達会のようでもありますし、労使協議会のようでもありますし、わけがわからない。これをこうしてはいかん、ああしてはいかんということよりも、むしろ校長の権限強化や自由裁量権や個性ある学校づくりのために、例えば校長のもとにこういう会議をこういうメンバーでまず置いて、物事を進めていくことを決めると言うと語弊がありますが、一つのモデルとしてはいかがですかと。
  前回の資料の組織図に、実際の運営の会議体を組織の横に、校長がそれを主宰するのであれば校長のもとのラインのわきにというような、会議体も位置づけて示していくことにすれば  ―私はかねてから、ここに皆さんいらっしゃるからではないんですが、必ずしも実務経験者のみが経営感覚にあふれているとか、またその逆であるというふうには思っておりませんで、そういう仕組みさえつくれば、いろんなことができていくと考えております。小学校・中学校別でも結構でございますから、ぜひ一度、こういう案件はこういう構成で、この議長のもとにこういうふうに決めていったらよろしいのではないかと、そんなモデルプランなども御提示をいただき、そこに漸次権限とか財源を与えていく、そんな仕組みがあるのかなと、不勉強ながら感想として持ちました。

○  二つ問題があると思うんですね。一つは、校内でどのように運営をうまくやっていくかということだろうと思います。そこで、一つは校長先生を校内で支える体制をちゃんとしていかなければならない。大学でも同じことがあるんですけれども、以前、私が大学でやっていましたことは、補佐会議というものを開いていた。これは古参の助教授と若い教授を各学部から一人ずつで補佐体制をつくっていました。これが大変ありがたい。大学のほうも問題がありまして、これが法制的に決められたものではないのですけれども、大学の中でみんなで合意して、そういう制度が大学紛争以来つくられていて、これが大変いい機能を発揮しているわけです。
  ですから、先ほどご意見があったように、全部が同じような体制をつくる必要はないと思うけれども、つくれるようにしておいてあげるということが要るのではないか。すなわち、校長が欲しければ何らかの主任なり教頭なりの、あるいは先ほど特別教職員会議とおっしゃっておられましたが、そういうものでもよろしいかと思います。何か内部で校長を支えてあげる組織が要るだろう。これが1点です。
  もう一つは、学校というところの教育がいかに効果を及ぼしているかということを考えますと、地方自治体、周りの人たちとの関係が大きな問題になりますので、これは一部の大学なんかは参与会という  ―先ほど参与会ということを言ってくださいました方もありましたけれども、同窓会であるとか、卒業生であるとか、あるいはその地方の有力者であるとか、そういう人々による参与会をやる。この二つをやれば、小学校、中学校、高等学校までの学校の運営では、校長先生を初め、学校全体がやりやすくなるのではないかと思います。
  ですから、問題が二つあると申しましたのは、一つは中から支えること、一つは周りから支えること、この二つについてうまい仕組みをおつくりいただければ、非常にいいのではないかと思います。

○  この前、事務局から、現行の校長・教頭の任用資格の法令について説明があったわけです。あれは非常に限定されています。教員経験5年以上というのと、高校でいえば専修免許状、1種の免許状を持っていなければならんということ。そのほか、少年院というか、支援組織の教官みたいなものをやっていた経験があるとか、そういうことですけれども、今の校長任用資格をそのままにしておけば、事実上、具体的に民間から登用するというのはほとんどできないに等しいような状況ではないかと思うんです。
  ただ、それをある意味で緩和するとした場合に、よく周りに、ボーイスカウトとか、ガールスカウトとか、青少年の事実上の教育活動を何十年も地域でやっている人とか、高校で言えば野球部の監督や、そこの卒業生で事実上クラブの指導を長期にわたってやっている人とか、いわゆる民間人についてどこまでというのは、私もここで即座には出ませんけれども、広い意味での教育経験が全くないというのでは困るんでしょうけれども、今の任用資格を一部緩和するということを考えないと、これは事実上はできない。
  ただ、マスコミは、民間人登用がすべてみたいな形で書くけれども、そういう実態にはなかなかならないと思うんですけれども、一定程度民間や地域の風を教育界に吹き込むという意味では、何か突破口みたいなものをつくる必要があるのではないか。私もまだ厳密に任用資格をどの程度まで緩和するかということについて細かく検討していませんけれども、感想的に言えばそんな感じを持っています。

○  先ほど大学の例ですけれども、補佐会議というものがあるというお話がありましたが、私はその補佐をやったことがあります。ただ、私は割に年とってからやったのですが、周りの人は若い方が多くて、私自身も勉強になりました。
  教員の参加意識が必要だということを他の委員の方がおっしゃったわけですが、私は学校の先生をやっている人にいろいろ聞いてみますと、参加意識が薄い人はどちらかというと若い人に多いんですね。それはあたりまえなので、発言権もあまりないから。しかし、元気は一番ある先生なんですね。
  ですから、いろいろな組織をつくるときに、同じことを繰り返して言うようで申しわけないんですけれども、年長者が集まってやっても、あまり活性化しないのではないか。学校の校長を支えるためには、やはり教頭とか主任という人が支えざるを得ない。一人の校長の周りを囲んでサポートするんですけれども、それとまた別個に、うんと若い先生  ―このごろ若い先生が減ってきているんですけれども、元気のいい人に、時に応じて校長にある程度意見を言ってもらうということを考える。こういうものを組織図として入れていいのかどうかわからないと思いますけれども、そういうことを校長がやったときに、教育委員会がいかんと言わないように見守ってあげるという形をとるほうが、むしろ組織化するより大事ではないか。うっかり組織化しますと、それ自体がひとり歩きしまして、「あれは校長の補佐だから、管理側だ」とか、そういうことになってしまうと、せっかく活性化しようとしたのが、またまたゴタゴタのもとになってしまうと思います。
  また、私は管理職で学部長という仕事をやったことがあるわけですが、学部長というのは大体学校の校長ぐらいだろうと思うんですけれども、教授80人ぐらいを相手にして大変に面倒なんですが、何か面倒が起こったときには、学部長室に呼ばないで、こっちからその人の研究室に即座に訪ねていって、「あなたはこんなことを言ったけれども……」と言って、時に向こうが帰りたいのを引きとめて、夜まで徹底的に二、三人相手に議論をして説得する。そうしないと、最後はこれは私の権限だから、譲ってくれとなかなか言えないんです。納得をとるというのは大変なんですけれども。そこで、校長を補佐する若い人が3人ぐらいいると、校長先生は随分楽だろう。そういう人がじかに飛んでいって議論して、「あの人たちのああいう考えは、今の筋では納得できませんよ」とか、「納得とれますよ」とか、そういう形の補佐をする人は、元気がいい、エネルギーにあふれている人でないとだめではないか。そうしないと、学校の活性化、あるいは自律化ができないのではないか。
  それから、付近の住民の意向というのは、大ざっぱに言いますと、学校がうまくいっている場合は、住民は文句を言わないだろうと思います。そしたら、あまり要らないのではないか。ただし、地域によって、地域の特殊性を学校の中に生かすというときは、地域の中の有識者とか、教育経験者などのお知恵を拝借することはいいと思いますけれども、これも組織として決定いたしますと、参加が少なかったり、なかなか活性化しないのではないか。そういう意味では、学校に子どもを送っている親が、どうしたって自分の子どものことですから熱心にならざるを得ないので、やはりPTAをもう少し大事にしたほうがいいのではないかと私は思っております。

○  私は自分では封建的な人間ではないと思っているんですけれども、小・中学校の教員も経験したり、行政も経験したりしていて、先生方というのは案外知らないことが多いということが言えそうであります。授業のこととか、指導のことは非常にベテランでありますが、その他のことにはあまり頭が向いていないと感じております。例えば、主義主張について凝り固まっている先生でも、教頭になるということで、試験のために地教行法をちょっと勉強します。ちょっと見ただけで、いかに自分が無知であったかということに気がついたという人たちがほとんどであります。そして、変わっていくんであります。
  そういったことを考えますと、先ほど来の職員会議等についても、正しい意義を知らないんであります。常識的な学校の組織はどうなければならないか、校長というのはどういう責任を持って、任務を持っているかということがよくわからないということがあろうかと思います。そういう職員がたくさんいる現状では、校長さんにいかにいい権限を与えても、あるいはよい校長が選ばれたとしても、校長は力を出せないということがあると思いますので、公務員としての組織人とすれば組織の在り方を自覚することは基本でありますから、これは先ほどから言われているように何らかの形で、どこかではっきりと示していく。そして、まず基本的にわからせる。そういうことが必要だと思います。
  主任制については、私はもともとあった制度をそのまま意識化したと言えばいいと思います。ただ、任命制のほうがやはりいいと考えています。
  なお、最後に、いわゆる地域住民の意向の把握・反映などにつきましては、「4、地域住民の意向の把握・反映などの連携協力体制の充実」を見てよく理解できますし、こうなければならないと思いますので、賛成であります。

○  先ほど申し上げればよかったのかなと思いますけれども、校長先生に関する議論が出たところで、一つ感じていたことを申し上げたいと思うんです。
  それは校長先生にいい人材を得るという議論が一つあるわけですね。従来のパターンと違った任用まで考えて人材を得るということがあるんでしょうけれども、もう一つは、適切な校長先生であった場合に、それぞれの学校で任期をどうするのかという問題があると思っているんです。ある程度その学校のスペシフィックな問題もありますし、熟達してまいりますと管理運営の能力は増してくるんですね。そして、そのポジションで成長するということもあって、一般的に政治行政の制度で任期というのはものすごく重要な問題だと思います。が、校長先生でもこれは同じだろうなと考えております。
  そして、実際そういう問題意識があって、この二、三ヵ月、関西地区の教頭先生方とお会いする機会があったんですけれども、私が問題を投げかけたのではないんですが、任期の問題が重要だというふうに出ていました。先ほど学部長経験のお話が出ましたけれども、私もやっていたときに、2年目は軽く済んだという感じがするんです。ちょっと申し上げておきたいと思います。

○  お話を伺っていて、私なりに組織図みたいなものを書いてみたんですけれども、今、私たちが話していることは、校長の意思決定のプロセスとコミュニケーションのことを話しているんだろうと思います。校長が何かやりたいということが確信を持ってあったとしても、これからの校長というのは、地域住民、学校区の住民の支持なしには運営はできないと思います。
  したがって、最終的に聞くか聞かないかということは、もちろん校長が教育委員会などと相談して決めるわけですけれども、地域、学校区の住民の意向  ―これはPTAよりもっと幅広い有識者及びその地域内の公的施設の長ですね。つまり、教育というのは学校だけでやるわけではなくて、恐らくいろいろな社会教育施設等と連携をとるという意味からも、そういう方々の意見、意向を聞きながら、校長は意思決定していかなければいけないだろうと思います。また、中学校や小学校でも高学年の生徒代表が参加できるかどうか、私は機会を与えてはどうかと思います。つまり、そこのメンバーが決定権を持つというのではなくて、一つの諮問機関として地域内にそういうパイプを持つことが必要だと思います。もちろん意見を聞くと同時に、校長は自分がやっているということをPRする、コミュニケーションを持つことが、外では非常に重要だと思います。
  それから、内部ですが、私は教職員会議というのをよく知らないわけですけれども、教職員の先生方は教育の専門家なんですから、その専門性を生かした議論をしなければならない部分があると思います。それを受けて、そこが決定の場に往々になると聞くんですが、それは決定権があってはおかしいのであって、最終的には校長が決定すればいいことで、校長は、先ほどもご発言がありましたように、中間的に運営委員会のようなものを設けて、そのメンバーは恐らく教頭、あるいは任命制の主任ということになれば、その人たちの助言を受けて校長が決定する。決定するに当たっては、校長にもある程度の予算の権限があるやに聞いていますけれども、大きな予算は教育委員会が持っているわけですから、そこと相談しつつ決定していく。内外の意思決定のプロセスは、企業などがやっていることと同じようなプロセスをたどっていくのが、これからの学校の在り方ではないかと思います。

○  私の学校に小学校、中学校、高校がありますが、卒業式に私が挨拶に行って、壇の上で挨拶しますと「○○学校から理事長先生が御挨拶にお客様としておいでになりました」と紹介する習慣がありました。つまり、各学校の教員から見ると理事長はお客様なんです。私は「いや、私はお客さんではありません。私の名前で皆さんの卒業証書を出しているのですから。」と挨拶をします。こういう状況は日本の教育界にまだ残っているんです。
  私はよく言っているのですが、私立学校の校長先生には理事会から与えられた任務がある。公立学校でいえば、教育委員会から負託された任務がある。その任務を遂行する必要がある。もう一つは、校長先生自身が校長として掲げた目標がある。この任務と目標のうち、任務のほうは、校長はこれを遂行しなければならない。一方目標のほうは、これは校長だけでなく教員会議の合議で、いろいろな新しい目標を生み出すことはいいことだ。
  さて、この任務と目標を実行するのは、教員の組織です。組織の上位者が組織に対して命令をするとき、命令や指示をする者とそれを受けとめる者とがどうしても必要です。そのとき、Aさんは命令する側、Bさんは命令を受ける側という関係が成立するのは何故なのかというので、私はいつも、タイの山の中で工場開設にかかわったときの経験を引用するのです。
  1970年ごろ最初の段階では、職場で指導権を発揮したのは、カリスマ的人物でした。数年するとそのカリスマ的な人物にかわって腕力の強い人物が指導者になりました。1980年頃には会社側が指名した部長の言うことを聞くようになりましたが、その理由を労働者に聞いてみると「彼は私より給料が高いからだ」と。つまり、給料の上位者が自分の命令者であるという進展がみられました。
  数年後には、上司が上司である理由として「彼は人事権を持っている」と言うようになりました。今同じことを質問すると返ってくる答えは「これはルールだからだ」と答えるようになっています。つまり、上司が上司である根拠が力とか、金による支配関係から、人事権による支配関係に変わり、最後にはルールに基づく支配関係に進歩してきたのです。
  日本の戦後50年の職場もこれと似たような進化の過程をたどりました。しかしもう一つの何かある種の職場民主主義の慣行が大きな要素でした。30年、40年前の組合運動にはそれなりの社会的理由と理論がありました。しかし、今、学校の若い教員の間には、教員は職場民主主義をこういうふうにしてやるもんだと思い込んでいるという側面がある。それが大きな問題ではないかと思います。
  もう一つ大事な問題は、公立学校の場合は、学校は納税者の負託にこたえて教育をしなければならないわけで、それには納税者の期待が正常でないとまずいわけです。納税者の期待が、いい学校に進学させてくれ、いい進学校であってくれという期待だけであれば、それは正常な期待とは言えません。子どもたちの体育と徳育と知育に関する健全な標準的な考え方をコミュニティみんなが持ってそれを学校教育に期待する。それに学校がこたえるということが、正常な地域と学校との関係です。
  校長が大事な権限を執行できないとすれば大きな問題です。例えば、進級判定。例えば生徒が暴力を働いた、あるいは成績が悪い。教員会議が、これは退学にしましょうとか、放校にしましょうとか、よその学校に移しましょうと決めたとき、校長先生が「いや、この子は最後まで面倒を見るべきだ」と言っても、押し切られてしまうというのは正しいのでしょうか。要するに、進級決定、あるいは卒業決定という一番大事な教育上の権限を、校長が行使できないという極限状況が起こることが一番いけないことです。またそれを裏返すと、この子は立派な子だから入学させよというと、校長は横暴だとか、やみ入学だとかという話にすぐなってしまう教育風土も考え直す必要があります。

○  私立という立場もありますが、日ごろ感じていることを少し申し上げさせていただきたいと思います。
  基本的には、学校教育を活性化するために、地方分権とか、校長のリーダーシップという議論が始まっているわけですが、校長先生がかぎを握ることは事実だろうと思います。私立学校の場合には、まさにいろんな学校がありますから、一律に言えないという面もありますが、一般的に言えば、校長が優秀である学校はいい学校になっていますね。ですから、校長の力というのはすごくあると思うんです。
  ただ、公立の場合は、校長先生には任期がないんですね。1回校長になると、ずうっと校長なんですね。校長先生もいていただかないと困る校長先生と、いていただくと困る校長先生といらっしゃるわけで、すべての生徒に合う校長先生とすべての生徒に合わない校長先生がいらっしゃるわけです。そういう意味で言うと、この部分をもう少し考えて提案する必要があるのではないか。お互いに不幸だろうと思うんです。校長さんがどういう役割を果たせる人なんだろうかということをチェックできるような、評価というんでしょうか、そういうものを提言して、別に校長以外であれば非常にいい先生であったり、非常にいいおじさんであったり、非常にすばらしい人だったりするわけでありますから、無理に校長として続けさせる必要もないという気がしますし、その辺のことが議論できるんでしょうか。
  最後にもう一つだけ申し上げますと、先ほど学校の校長は支店長というお話がありましたが、私の感じではどうも公共機関の運転手さんぐらいではないかと思います。
  つまり、どこから始まってどこに到着するというのは路線が決まっていまして、その上を走る以外に道がないわけですね、学校の場合は。ですから、支店長さんほど幅の広い選択権があるわけではありませんし、かといって会社の支店長とは違って、学校の場合は全員が必ず来るわけですから、そういう意味では責任がものすごく重いわけです。そういう意味で、校長先生をどうチェックするか、任期の問題と、あとは透明性というんでしょうか、評価のわかりやすさみたいなことをここで提言して、地域で工夫していただくことなのかなと感じております。

○  主任制とか、職員会議については、今まで多くの委員の御意見と私も大体同じで、もうそろそろある程度はっきりと定義づけることをしたほうがいいのではないかと思っております。
  それとは別に、これからの学校教育というのは、教育課程審議会等々でもうたっているように、一言で言えば、各学校の創意工夫を生かして、いかに特色ある教育を展開するか、これにかかっていると思うんです。そうしますと、当然、保護者や地域社会との連携、開かれた学校というのは当然出てくるわけです。そのときに、二つのポイントがあります。一つは主任制とか、校長の権限云々という学校内の問題は当然ありますけれども、創意工夫を生かして特色ある教育を展開するとなったときに、いろいろ教育活動が学校においてなされていくと思うんです。それはすばらしいことですし、そこにまた先生方のやりがいも今まで以上に出てくると思うんです。
  その中で、一つ押さえておかなければいけないのは、ちょっとかたい言葉で言えば結果責任、すなわち教育の成果についてだけはきちっと調べておく必要があると思うんです。どういう活動をしているかなんていうのは、各学校に任せればいいことであって。ただ、教育の成果といってもいろいろな意味があるでしょうけれども、例えば学力でいえば、基礎学力が本当に到達しているかどうかといったような教育の成果を客観的に調べて、それを開示していく。各学校の教育の成果について開示していく。これはすぐに保護者や地域住民に開示する前に、例えばさっきから出ている学校運営協議会みたいなところに開示していく。そこでは、なぜうちの学校はこういう状況にあるのか、どこに問題があるのか、我々が少しでも支援するところは何なのか、そういったところをはっきりしていくということをしておけば、あとは先生方の創意工夫を生かした教育活動をどんどん展開していけば良いと思います。
  第2番目は、創意工夫を生かした教育というのは、ややもするとひとりよがりの教育になることもあるわけです。それに対して教育アドバイザーと言いますけれども、イギリスは視学官制度が非常に充実していまして、学校へ行って、かなりの権限を持って、場合によっては改善勧告をするぐらいの力を持っているわけです。そういう教育アドバイザー的な人は、何も教育委員会の人だけでなくても、校長先生のOBでも何でもいいんですけれども、そういう人たちが各学校へ行ってつぶさに教育活動の状況を見て、その状況を把握するとともに、場合によっては改善勧告をする。その辺のところをしっかりと持っておけば、あとは学校で先生方が伸び伸びと自分の信念に基づいて教育をしてもらえばいいと思っております。
  そういう意味で、さっき他の委員の方からご意見がありましたように、内部の組織をしっかりすると同時に、外から教育の成果や状況について、定期的にチェックする組織が必要です。アメリカなんかの証券でいうSECには多数のスタッフがいて、証券会社等に行って不正についてチェックする。日本よりもはるかに大勢の人たちがかかわり合っているのと同じように、管理とか、検査するということではなくて、いい意味でよくするための指導勧告が必要と思います。

○  ここで議論されていることは、大学審議会の組織運営部会で議論していることと非常に似ております。実際の意思決定のプロセスとかそういうことがわからないで申し上げるのですが、学校運営上で問題なのは、執行機関と審議機関がどこかということがはっきりしていないことではないでしょうか。これは大学でも同じでありまして、本来審議機関であるはずの教授会が決定権を持っております。これが大きな問題で、そこのところを直そうと努力しているところです。
  執行機関というのは、学校の場合は校長、教頭並びに主任ですか、そういうオフィサーと言われる人たちがやらざるを得ない。審議機関は、先ほどから問題になっている職員会議だと思うんです。そこが決定権を持ったようになっていることが問題で、執行機関が審議機関の意見を聞きながら、執行については責任を持つという体制をとれば、相当いろんなことができるのではないでしょうか。
  校長の権限の問題ですが、大学についてはかねがね学長は権限がないと言ってまいっておりますが、実はやり方によっては随分いろんなことができるんですね。校長もたぶん同じだと思っています。最近、文部省でもいろいろ議論していますが、校長も相当なことができる。できないのは、やはり執行機関がないからだと思います。そこのところをきちんとすれば、たぶんいろんなことができるのではないかという印象を持っています。
  もう一つは、先ほど私の思っていることと全く同じことをおっしゃって下さった方がいらっしゃいましたが、学校をやっていく上で、外から見てアドバイスをする機関がどうしても要る。私はそれはPTAではだめだと思うんです。英国の経験で言いますと、地元の、しかもその学校に子どもをやっていない有識者、そういう人がたくさん入っていて、校長に相当激しいことを言う。「おまえのやり方はおかしい。こうしろ」と、一種の評価機関になってしまっているんです。そういうものをつくっていかないとだめなのではないでしょうか。ある場合には校長を猛烈にサポートする。しかし、ある場合には校長のやったことに対して厳しい批判もする。そんな組織が要るのかなと思います。
  ついでにもう一つコメントさせて頂きます。大事なことは、一般の先生方の意識が低いので、これを高める必要があるということです。それには今の執行機関、審議機関、外部の機関とは別に、大学等では持っているところもたくさんありますが、企画をするグループを作るのが良いと思っています。これは決定権も執行権も何もないんですが、自分たちの学校をどうしよう、どこが問題だということを議論して建設的な提案をするような、委員会でも懇談会でもいいんですが、そういうものをつくる必要があると思います。その中へ若い人をたくさん入れて、そこで教育をしていく。大学でも、最近、そういうところが出てまいりまして、そういった努力を通して、若い人の意識がかなり上がってきております。

○  要するに、やるようにするかしないかですよね。大学でも、今言われたように同じような問題があるんですけれども、断固としてやればやれるんです。だから、校長先生たちも同じだと思うんですね。
  ただ、たびたび同じことを申し上げますけれども、一人でやるといってもとてもできませんから、若い教員の方も、年配の方も一緒になって校長先生を支える。それから、地域社会が支えるという、両面をぜひ実行していただきたい。これはやはり何かちゃんと書いておいたほうがいいですね。それを採用するかしないかはそれぞれのところでお考えいただきたい。
  もう一つ、全く違うことを言っていいですか。これは学校の先生たちにぜひお願いしたいことなのですけれども、いろんな学校、あるいは地域社会の人たちとお話ししていると、特に小学校の1年、2年の教育を何とかしてくださいと。ベテランの人にお願いできないだろうか。ところが、実際、1年、2年の先生には、新任の方が大変多いので、子どもたちがどうもそこでうまく育たないという訴えをなさる方が多いので、これはちょっと実態を調べて、もしそうなら少し手を打っていただいたほうがいいかなという気がしました。あるいは、既にベテランの方に1年、2年を教えるようにしておられるのかどうかわかりません。ちょっと違う話をして申しわけありません。まとまりかかっているところで、余計なことを申しましたが、ちょっと気になりましたので、申し上げておきます。

○  次回もございますので、きょうの御議論はよろしゅうございましょうか。それでは、ありがとうございました。
  今後の審議の進め方について申し上げます。次回の5月13日の第18回小委員会では、主に「地域コミュニティの育成と地域振興に教育委員会の果たすべき役割」、そして「学校以外の教育機関の運営の在り方」、この件についての御討議をお願いしたいと思います。
  また、次々回、5月18日の第19回小委員会以降は、関係団体からヒアリングを行うことといたします。まず、5月18日の第19回小委員会では、教育委員会関係の5団体からヒアリングを行うこととしたいと思います。その後、各学校種別の校長会、教職員団体及びPTA関係団体等からヒアリングを行いたいと思いますが、具体的な日程及びヒアリング対象団体等については、私のほうで考えさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  なお、いろいろ御心配いただいていると思いますが、答申の時期についてでございます。これまで6月をめどにということで考えていただいてまいりました。しかし、考えてみますと、取り組んでいる学校の自主性・自律性の確立の問題は、言うまでもなく極めて重要な課題であります。まだまだ検討をしていかなければならない問題がございます。さらに、関係団体からも十分にヒアリングを行う必要があると思います。そういうことから、これまで考えてまいりました6月をめどにということに必ずしもこだわらないで、夏ごろまで十分御審議をいただいたらどうかと考えております。
  したがって、答申の時期については若干遅くするということも含めて、今後、会長、事務局とも相談の上、私のほうで考えさせていただきたいと思いますが、そういうことでよろしゅうございましょうか。非常に重要な問題であるということと、関係団体等からのヒアリングを十分に行う必要がある、この2点からでございます。よろしゅうございましょうか。ありがとうございました。
  これで本日の会議は終了いたしますが、次回の委員会は5月13日、13時から、虎ノ門パストラル・鳳凰西の間、新館1階で開催いたしますので、よろしくお願いいたします。
  

(大臣官房政策課)

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