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中央教育審議会

 1998/4 議事録 
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第15回)議事録 

   地方教育行政に関する小委員会(第15回)

  議  事  録


  平成10年4月8日(水)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘  34階  ロイヤルルーム


    1.開    会
    2.議    題
        今後の地方教育行政の在り方について
    3.閉    会

    出  席  者

委員 専門委員 事務局
河野座長 安藤専門委員 富岡生涯学習局長
有馬会長 石原専門委員 御手洗教育助成局長
市川委員 岡田専門委員 伊勢呂審議官(教育助成局担当)
薄田委員 佐野専門委員 早田主任体育官
國分委員 蓮見専門委員 梶野生涯学習官
小林委員 藤波専門委員 高   総務審議官
坂元委員 堀内専門委員 杉浦政策課長
横山委員 村松専門委員 その他関係官
森元専門委員
山極専門委員
和田専門委員

    説明者
      芦立地方課補佐


○  それでは、ただいまから、第15回地方教育行政に関する小委員会を始めます。どうぞよろしくお願いいたします。
ろしくお願いいたします。それでは、議事に入ります。
  これから後、この小委員会では、中間報告で今後の見直しの基本的な方向性を示してあります「第4章」の「学校の自主性・自律性の確立」以降の部分を中心にして、具体的対応方策について審議を深めていきたいと思います。これは前回、中間まとめをするときに、そのように御了解をいただきましたし、これから後の具体的対応策の審議について、委員の皆様方には並み並みならぬ御関心と意欲を示していただきました、その部分についての審議に入ろうというわけです。
  本日は、「学校の自主性・自律性の確立」の中で、中間報告の冊子の20ページから22ページのところを御覧いただきたいと思いますが、「学校と教育委員会との関係の見直し」の事項について討議をしていただきたいと思っております。そこで、討議に入る前に、事務局からきょうの審議の参考になる資料を用意しておりますので、説明をしていただきます。
  (事務局から説明)
  これから、ただいまの説明をももとにしながら、討議をお願いしたいと思っております。この「学校と教育委員会との関係の見直し」につきましては、中間報告では「指示・命令、指導・助言の見直し」、それから「学校管理規則の見直し」、そして「学校の予算・人事等に係る校長の権限」の拡大、今の負担軽減の問題等も含めながら、5項を挙げておりましたが、小委員会での基本的な大きな方向性はこういう形で出してあります。これについて、具体策をこれから後の審議で御検討いただくということでございます。
  いろいろお考えになっていることを、御議論いただければと思います。これは初めに申し上げてはいかがかと思いますが、この小委員会で具体的方策にかかわることとして、かなり大きな関心の的であったことは、一つには学校管理規則の見直し、位置づけの問題、それからもう1点は学校の予算・人事等に係る校長の権限の拡大の問題、これと縦軸・横軸の関係で出てくるのが、指示・命令、指導・助言の見直しということでとらえられていくのかなという気もいたします。
  そういうことをお含みの上、ひとつこれから活発に御議論をいただきたいと思います。

○  それでは、トップバッターを切らしていただいて、お話をさせていただきます。私、財源という問題を絡めて幾らかお話を申し上げたいわけであります。
  まず一つは、現行の教育委員会と学校との関係ですが、教育委員会と学校の中でも、とりわけ学校の自主性や自律性、あるいは主体性を発揮させる取組を、いろいろ仕掛けの中でやっているわけであります。しかし、今後、学校のそういうことを確立する、あるいは主体性をかなり拡大していく、あるいは権限を拡大していくことになりました場合に、ちなみに例を挙げますと、特に教育活動にかかわっては予算を伴う問題が非常に多いわけであります。
  例えば、野外活動という学校行事をやる場合に、今ですと、教育委員会がある基準を定めまして、引率の人数から、あるいは行っていただく期間も含めて、それはすべて教員が付き添うということになりますから、さすればそれに予算が必ず伴う問題があるがゆえに、特に義務教育の諸学校ではある基準を定めて、その範囲の中で学校へ配当しております予算の中で御実施をいただく。もちろん中身論については、かなりの部分、学校長裁量でおやりいただくことになります。
  しかし、例えば私どもは2泊3日の基準でもって野外活動をやっておりますが、地域の実態や学校実態を踏まえて、あるいはいじめや不登校等の問題を考えれば、少し自然体験的な学習を子どもたちにやりたい。今まで2泊3日という基準の中で、あるいは3泊4日、4泊5日、あるいは10日間ぐらいかけて、じっくり野外活動でもやりたいということになりました場合に、そのことを、例えば校長が自主的な判断として、学校の教職員や保護者の理解を求めておやりをいただくについても、それについていく予算を私どもは用意をしなくてはいけない。そういうことになりますと、いずれにしても、あるところで歯どめをかける。その仕掛けで、野外活動実施承認願なんていうのが出てきて、それで承認いたします。それはなぜかというと、予算を伴う問題があるがゆえに、そういうことをやらざるを得ないという状況があります。
  したがって、理念的にはそういう方向で、学校長が裁量として学校教育活動について自発的な活動をなさるということになりますと、それに伴う手立ての問題、特に財源的な問題がついていかなくてはいけない問題が教育委員会としてありますから、現行の承認制度であるとか、届出制度の部分で、財源を伴うような教育活動については、かなり慎重を要してやらなくてはいけないという現実の問題がございます。教育活動にはそいうことが非常に多く混在するわけであります。
  もう一つは、そういう活動も公費負担でやっている部分と、受益にかかわる部分で保護者負担になっているものが結構あります。特に義務教育の無償制度とか、それにひっかかるかどうかということは別にしまして、少なくとも義務教育は限りなく無償に近いということになりますならば、かなりの部分で公費で保障をしていかなくてはいけない。そういうことと、受益にかかる部分について、私費負担、保護者に負担を求めることができるのかどうか。ここの部分は、学校長が裁量でおやりになればなるほど、かなりの部分を保護者に御負担を願わなくてはいけないことが起こってまいります。そこの部分も財源の問題として、「公」の部分で、いわば教育委員会がそれを追っかけていくことができるのかどうか。いずれも財源の伴う問題が実はその裏の問題としてありますので、かなり慎重を要することは確かでありますが、理念的には私はよくわかりますので、一方では賛成でありますし、そこの範囲の中で、各教育委員会が主体的に学校と協議をする中で、ある一定の線を出しつつ、学校管理規則等の改正をしていけばいいということになりましょうが、いずれにしてもそういう問題がかかわっているということであります。
  もう一つは、いじめ、不登校、あるいは校内暴力等も含めてでありますが、学校と教育委員会との関係の中で、特にそういうことにかかわって、今、市民の方々、あるいは県民の方もそうでありましょうが、例えばいじめの事例、校内暴力の事例を、あるいは教育課程もそうでありましょうし、あるいは入試事務、指導要録もそうでありましょうが、いずれにしても、これからは学校のディスクロージャーといいますか、情報公開が必ずその中に入ってまいります。
  だから、報告であるとか、承認であるとか、あるいは届出であるとか、特に個人情報にかかわるようなもの、さらには大綱的な基準で教育委員会が示し、それぞれの学校が自発的におやりいただいた事柄についての報告もそうでありますし、公文書公開、個人情報の公開もそうでありましょうが、いずれにしてもそこの部分を若干整理をしておきませんと、承認、届出、報告等も含めて、先ほど御説明がありましたが、国が実態把握をおやりになるもの、さらに教育委員会としても各学校の実態がどのようになっているか、地域実態はどうなっているかということの状況把握をしながら、ある施策を打っていかなくてはいけない。そういうことになった場合に、情報を市民、県民から求められる状況が、これからますます起こってまいります。さすれば、そこの部分をどう取り扱うかということは、規定上、しっかり定めておく必要があると私は思います。そこの部分についてはしっかり踏まえておかなくてはいけないというのが2点目であります。
  一つは財源の問題、もう一つは今言いましたように、これからディスクロージャーにどう耐えられるかということをしっかりやっておかなくてはいけない。
  それと同時に、校長の権限としてそのことをやらせるならば、学校の運営や経営や、あるいは教育内容等々を踏まえて、苦情処理というのはまた後ほどの議論になるんでありましょうが、かなりの部分が教育委員会にやってまいります。そうすると、その部分で指導・助言という部分をどうするのか。さらには、私どもは新聞紙上でしかわかりませんが、所沢で今起こっているような問題等も踏まえまして、学校長にかなりの部分その裁量を任せますと、教育委員会がどれだけ関与するかという非常に難しい問題も起こってまいります。そこらあたりも含めて、住民の意識として学校長に権限をゆだねられるということになりますと、それに耐えられる  ―もちろん校長、教頭の任用の問題等も絡まる問題でありましょうし、学校内組織の問題もありましょうが、そういう問題と絡まって、より慎重な議論がそこに要るという感想を私は持っております。
  もう一つ言わせていただきますと、学校の自律性や主体性を尊重すればするほど、先ほど言いましたように、財源がどうしても伴う問題があります。今ですと学校に配当されております予算の枠の中で、それぞれの学校に応じた一定の基準は示してありますが、かなりの部分校長裁量に任せてやっております。その部分をさらに拡大するということになりますと、ただ単に教育活動に堪能ということでなくて、行政能力といいますか、その部分で校長さんに識見を持ってもらわなくてはいけないことが起こってまいります。それは、例えば監査に耐えられる運営をしていただくとか、あるいは会計検査院等を含めて、予算を使うというそのことに対して、確かに事務能力を校長自身もお持ちいただかなくてはいけないということになりましょうから、ただ単に事務当局がやった事柄を追認して判を押すだけの作業ではなくて、予算を執行するという識見を持つ。事務能力といいますか、それもある意味では大変重要なことになろうかなと。でないと、心配でたまらないといいますか、何が起こるかわからないような状況が起こりやせんかなという危惧をいたしております。

○  学校の自主性・自律性の確立のために、学校と教育委員会との関係の見直しということでございますが、まず初めに、そもそも子どもたちに自主性を身につけさせ、自律性を身につけさせる教育機関である学校に、なぜ自主性と自律性の確立という議論が出るかということが、一番大きな課題とではないかと思っております。それは結局、学校が自主的でなく、自律性がないと思われているからなのだと思います。
  そのことについては、今、事務局のほうから御説明がありましたように、現状において、校長は、十分にそれが運営できる権限は持っておられます。教育課程も決定することができますし、校内人事のこともできますし、子どもたちの懲戒や教職員の服務監督も当然できます。ただ、それがうまく機能しないというところに大きな問題があるかと思っております。
  では、なぜ機能しないかといいますと、一つは、戦後50年のいろいろな経緯の中で、校長が権限をじかに行使するというよりは、教育委員会を通して行使するほうが学校運営がやりやすかった、あるいはそうしかできなかったということがあります。具体的には、校長はそう思わないけれども、教育委員会がそう言うから、してほしい、というスタンスが、やはり長い経緯の中であります。そういう意味で、実際には校長に権限があっても、それが行使できない。あるいは、何が権限であるかということがはっきりとわからないということがあるかと思っております。
  その意味では、校長の意識改革がまず第1に必要ですし、同時に校長が持っている権限を、教諭も、地域もはっきりとわかることが必要だと思っております。その上で、それが行使できる校内組織の見直しがなければ、校長に権限があっても、そのことは具体的に動かないだろうと思っております。
  また、これに関連いたしまして、学校管理規則の中で承認事項は、例えば私どもの場合は3項目、つまり校長の出張と休暇等に関することぐらいで、ほとんどが報告、届出でございます。報告、届出は、私どもが服務監督するときに、知らなければ把握できないということですが、その様式や回数等については、このようなコンピュータが入る時代、電子決済みたいなものを入れてもいいのではないか。そういう工夫をこれからもっとして、敏速にできるようなことが必要かと思っております。
  ただ、管理規則で先ほどございましたが、例えば学習帳や副教材等について校長が決めることもできるのですが、これに関して、校長が決めるといいましても、実際は教諭が決めているわけです。どうやって決めるかという手続は極めてあいまいな部分があります。例えば、普通、行政ですと、起案決済というのをいたしますが、そういう根拠がない。保護者から「なぜうちの学校はこれを使っているのか」と聞かれても、「担当の先生がいいと決めたから」という場合もあります。つまり、そういう実態が教育機関としてある中で、校長がこういうことについて責任を持ってできるようにするときには、責任の所在がはっきりし、その決定のプロセスがはっきりわかるようなシステムを、学校の事務の中に取り入れる必要があるかと思っております。
  また、学校も情報公開等の対象になってまいりますが、具体的に学校の教育機関としての公文書とはどんなものかということも含めてきちんとした整備が必要であると思います。基本的に説明責任というものをきちんと確立して、学校として教育委員会に届け出る学校管理運営の計画がございますが、それは同時に保護者や地域にもきちんと公表すべきではないかと思っております。
  本年度、そのために、各学校が学校情報紙を発刊する取り組みを支援してまいります。保護者や地域全体の方に、学校の教育目標、教育課程、時間割、教職員の紹介も含め、学校行事等、いろいろと地域の方にきちんと説明し、情報を公開したほうが、より地域の協力を求められるということで、それを年次計画で予算化いたしました。学校のいろいろのことに対して透明性の確保は、自主性・自律性という意味では大切な分野ではないかと思っております。
  学校が教育委員会の管轄の中で、裁量権を持って教育活動をするときの裁量権の意味が、実質的に校長権限でなく、教員の裁量権になりがちな場合が多いかと思います。それは校長が管理職として、同じ身内から出ているということにもかかわるわけで、その点をきちんと考えていく必要があると思います。
  その意味で、「学校の人事等に係る校長の権限の拡大」とここに書いてございますが、具申権をできるだけ尊重するということは必要だと思っております。ただ、具申のときにお話をお伺いいたしますと、学校は毎日顔を合わせる教職員の人事を校長自らがするということにおいて、難しさがあるのではないかと思っております。そういう意味では、実質的に教頭に上げたくない人でも上げておいて、教育委員会が落としてほしいというような具申になるわけです。つまり、人事は、毎日顔を合わせていれば、校長がしなかったということになると、実質的に学校運営が難しいわけです。人事権を校長が持つことは、非常に難しいことも含みますので、そういう意味では、校長の任用資格の問題にも関わり、管理職としてクールに人事ができるかどうかということにかかわってくるのではないかと思っております。

○  先ほど事務局から御説明いただきまして、学校長の裁量がかなり認められていることを改めて認識しましたけれども、そのことについて一つの事例を申し上げます。それは教育課程の届出ですが、これは届出ということになっていますけれども、学校から教育委員会へ出したときに、それでは済まないという場合がかなりあります。例えば授業時数についてとか、学校行事についてなどです。短縮授業等については、指導・助言に当たることでしょうけれども、指示・命令に近いとらえ方を現場はするのではないかと思います。
  それから、校外へ出ての活動ですね。修学旅行の事例が出ておりますけれども、修学旅行はこういう手続でよろしいかと思いますが、例えば選択の時間に、学校の外へ出て観察活動とか、あるいは調査活動をするといったときにも、届出を強いている教育委員会もあるようです。ですから、「きょうの午後、選択で、ヨシッ、外へ出て学習しよう」というときにも、そういう手続が必要だということで、教員のほうが面倒くさがるという状況もあるようです。ですから、教育活動にかかわる教育委員会と学校とのかかわり、その辺の見直しをもう少し柔軟にしてほしいと思います。
  それから、予算にかかわってですが、確かに他の委員の方がおっしゃったような、校長にすべて予算の裁量を任せられると大変ですけれども、そのために事務職というのがあります。事務職の資質向上とのかかわりで、予算に係る校長への職務を軽減することはできると思います。
  それから、学校の説明責任ですけれども、これについては東京都では学校評価のモデルが出ています。特に中学校の事例には、学校評価を校内だけではなくて、校外と一緒にやろうというようなモデルがあります。これによって保護者の方々と一緒に1年間の教育活動について評価をするということを実践している学校もかなりあります。私は、指示・命令、指導・助言、この辺の言葉のとらえ方に、教育委員会と学校との間にズレがあるという点を論点にしたいと思います。

○  校長としては、だいぶ信用されていないなということで、大変寂しい思いをしていますけれども、あえて暴論を言わせていただければ、そういう校長を育ててきたのも教育委員会の責任ではないかという思いもしないではないわけであります。
  おっしゃるとおりに、私どもは教員から上がって、教頭、あるいは行政を経て、校長になるというシステムはとっておりますけれども、その中で、校長がこういうことをやりたいということを、例えば教育委員会にお願いしに行ったときに、こういう規則がある、こういうことで抵触するから難しいよという、最初のところで意気阻喪してしまうわけです。ですから、そういうものをバックアップしていただけるように、今後進めていただきたいということがあるわけであります。
  そのために、私どもとしてもできるだけ教育委員会の指導主事さんなり、担当の方々に学校に来ていただきたいということはしょっちゅう申し上げていますけれども、忙しくて学校現場をなかなか見ていただけない。また、教育委員会に勤務する方の忙しさもわかるわけでありまして、そこのところが現状はコロコロといいますか、学校の子どもたちも、我々も、日々の時間の中で変化する部分なども、我々が意見を申し上げると同時に、また担当の方が実際に見て把握をしていただきたいという思いを持っております。
  校長に予算権を持たしたらばどうなるかという御心配もありますけれども、そういうことについてはぜひ育てていきたいと思いますし、今、私どもが勤務しているところの場合には、校長になる前に1年間しっかり勉強してというシステムを取っている中で、ぜひ今後育てていきたいと思いますし、また中間報告の中に出ている学校運営協議会というものの性格づけ、あるいは位置づけ、権威づけということについて、今後、システムを固めていっていただければと思っております。
  もう一つは、他の委員の方がおっしゃるとおり、例えば教員が何かするときに起案ができていないという事務処理にうとい面はあります。一つには、学校教育法の中で、教諭は児童の教育をつかさどると、それだけの項目である。我々は教育だけやっていればいいんだということが、かつてから根強くあって、まだまだ尾を引いている面もあるのかなと思います。いわゆる事務的な面はうとくてもいいのだという教員の認識も、どこかで改めていく必要があるかと思っております。

○  さっき説明がありましたように、これは昭和31年ころ決まった制度なんだそうで、それ以降ずうっとこの制度できておりますから、この制度以外で考えにくい状況になっていますから、今の状況を取っ払って、では何ができるかということになると、なかなか着想がうまくわかないというのが本当のところでございます。
  そうでありますけれども、ちょっと感じたことを申し上げますと、例えば予算につきましては、生徒数割、学級数割、各学校幾らの予算がということになっておりますから、例えば今、4月の初めですけれども、来年度予算が大体どのくらいくるかということは、通常は学校はわかるわけですね。そういうように、学校にくる予算というのは、どの程度だというのは金額がある程度固まっているわけです。その中で、学校の中でどのように使おうかという発想で今動いているわけです。
  そうしますと、例えば学校が特色を持つというような場合に、これはよく聞く話ですけれども、例えば国際交流をしたい、外国のどこかの学校と姉妹提携を結びたい。その場合に、例えば2年か3年に一度ぐらいは実際に行って交流をしたいという場合に、その旅費、あるいは生徒を連れていく引率の旅費がなかなか出にくい。予算の中からはそういうことは無理である。そういったこともありまして、これからは学校がこういうことをやりたいから、こういう予算が必要であると。そのような申請を先にして、それで予算がそれに対してつくかつかないか、そういう考え方に変えていく必要があるのではなかろうかと思っております。これは大きな変革になるんだろうと思いますが、予算についてはそういう感じがあります。
  それから、人事についてですが、基本的には校長の権限を拡大する方向がいいんだろうと思います。ただ、問題はいろいろあります。校長の具申を最大限尊重するということになりますと、かつてはあったんですが、「校長は、あの学校のこの人をぜひ連れてこい」ということで、各教科から突き上げがありますから、みんなの言うことを聞かざるを得なくなってしまう。そういうふうになってしまいますから、ただ校長の権限拡大ということではうまくいかないのではないか。
  その場合に、どういうものが必要かと申し上げますと、スタッフが必要だろうと思います。今は校長に権限があるということになっておりますけれども、やはり校長は学校で一人なんですね。例えば、全日制の職員が教員だけで48人おります。定時制が14人おります。これは教員だけですから、そのほかに全日制には10数人行政系のスタッフがおります。定時制にも四、五人おります。そういう中で、決断をするとすると、校長が教頭に相談をする程度なんです。本当に腹を割って相談できるとしたら、そこどまりなんですね。今までと違う決断をしなければならないとなったら、それでは校長は重要な決定はできないのではないかという感じを持っています。ですから、少なくとも何人かはそういうスタッフを、今の状況と違う状況でそろえられる必要があるのではないかと思っています。
  現状だと、校長が、こうしたいということを教育委員会に反映して、教育委員会がこうしたからこうするんだという、教育委員会を隠れみのにして、教育委員会の権限で校長の意思を校内で実現していかなくてはいけないような状況があると思うんです。それをなくするには、スタッフの問題が重要ではないかと思っています。

○  今、両者の御意見をいろいろ伺いながら考えておりまして、幾つか感想があるんですが、いつかも申し上げたんですけれども、昭和31年につくられたモデルというのを改めて拝見しまして、〈いや、すごいもんだな〉と思ったんですが、もはや戦後は終わったという時期から今までモデルが変わっていないというのは、果たしてどうなんだろうか。高度成長を経ながら、それがずうっと続いてきたということは、やはり根本的に見直さなければいけないということを改めて感じているわけでございます。
  乏しい経験ですが、何人かの校長先生のお話を伺って感じるんですけれども、どの程度権限があって、どういうことができるのかということについての認識が、校長先生によってバラツキが非常に大きいように思います。それは市町村の教育委員会が違うということもあるのかもしれませんし、県が違うということがあるのかもしれません。教育委員会の違いがあるのかもしれませんが、校長先生御自身のお考えも相当あるようで、何かやろうと思うと、とにかく非常にたくさん書類をつくらなければならなくて、そんなことはとてもやってられないんだということで、「ほとんど権限はない」とおっしゃる方と、「やる気だったらできるんですよ」とおっしゃる方と両方ありまして、本当のところどっちなのかよくわからない状況があります。それは制度そのものの見直しと同時に、どこまでできるのかということをかなりわかりやすく示す必要があるのではないかということを感じております。
  もう一つは、予算のお話が先ほどございましたが、結局、足りなくなったときにどうするかということになるわけでありますが、これは国立大学やなんかでも同じことでありますけれども、費目が決まっていて、その費目の中では使えるけれども、費目を超えて使えないという、そこのところが一番ぐあいが悪いんですね。その費目でしか使えないものですから、場合によってはむだ遣いをすることになりまして、必要なところが買えないということが起こってくる。どうするかというので、これは会計法やなんかがありますから、非常に難しい話ではあるんですけれども、くくりが細かければ細かいほど流用が難しくなってくるわけで、何とかくくりを大きくする方法はないものなのかという気がいたします。「款」「項」「目」「節」があって、その下がまたさらに細かく分かれていてというふうな、目的別、性質別にいろいろ細かく分かれて予算が決まっているということになっている、そこのところをもう少し大きなくくりにして、それで裁量がきくような形は組めないのかということが一つ。あるいは、金額が大きければ足りなくなることはないということはあるんですが、どっちも難しい話ではあろうと思うんですが、何かゆとりをつける方法を考えなければいけないのだろうと思っています。
  もう一つは、きょうのお話は、要するに今の制度の中で、どこをどう変えていくかということですけれども、もう少し別のこともあるのかもしれない。これはこの次に議論があるいはされるのかもしれませんけれども、例えば教員の人数は定数が法律で決まって計算されるということになるわけですが、そこから先、例えば学級をどう編制するかということは、もう少し自由裁量があってもいいのではないか。例えば、42人になれば必ず2クラスにしなければいけないということですけれども、そうしなくてもいいかもしれない。先生が二人いて、それをどう使うかは校長に任されるということがあってもいいのではないか。計算方式と実際の編制とは少し遊離をしてもいいのではないか。そういう少し別の観点からも検討すべきことがあるのではないかという気がしております。

○  私、かねてから学校運営に経営感覚をというふうに思って言うんですが、先ほど来の御説明を伺って、これは大変だと。私もグループ企業の中の一つに、高度に標準化されたフランチャイズシステムの店の一つをやっているわけでありますが、これですらここまで、ある意味では手とり足とり、ある意味では一つ一つ報告をしながらと。これでは好きにやれと言ったって、そのことを消化するだけで、時間も神経もいってしまう。これが真実ではないかと、そんな気がするわけです。
  経営感覚というのは、自らの努力が正しく報われて、かつある意味では厳しく評価されるというところにあるわけです。そのためには、財源はどうしても必要です。これは素人の思いつきのような発想なんでございますが、仮にですが、今、それぞれの学校に与えられる予算、例えば小さいところで年間2,000万円ぐらいの予算なんでございましょうか。その各項目を一律1割カットしてしまって、1割を校長裁量予算というふうに決める。そうすると、それぞれの項目の節約マインドも生まれますし、場合によっては節約しきれなければ、もとへ戻してもいいわけです。
  校長裁量予算の使い道については、恐らく後の議論になるであろう、学校をサポートする地域も巻き込んだ運営組織のようなものと相談をしながら、校長がまずそこに説明をしてみる。自分が持っている予算で、うちの学校は例えば環境教育をやってみたいとか、こういう講師を呼んでこういうことをやってみたいとか、はたまた最近の経営にならって、職員を評価して、これは極端な例ですが、「S」「A」「B」「C」ランクで、教育の成果を上げた人にはインセンティブをあげるぞという使い道でも、極端に言うといいかもしれません。
  教育委員会と言うと、ちょっと遠くなりますので、学校を取り巻くPTAと学校側と地域社会と、ある意味では教育委員会の関係者が入った、私に言わせれば「PTCA」になるわけですが、そんなようなところでひとまず説明をして、やってみて、その評価を受ける。そして、校長の発揮した権限や個性ある運営はどうだったのかということを、また反省をしながらやっていく。そんな仕組みがあってもいいのかなと。いきなり全部任せるという議論は不毛の議論だろうと思いますし、今の教育委員会の役割は大変大事なものがありますので、そんな一つのトライを、全国的にでなくても結構ですから、あるモデルケースでも結構ですからやってみる。私は、今の校長先生が必ずしも経営マインドがないとは思っておりませんで、そういう仕組みをつくってやってみることのほうが大事ではないか、そんな感想を持っております。

○  私も話を聞いていて、〈これはちょっと違うな〉という思いを抱いた一人なんですが、教育委員会と校長先生という関係、そして教員という関係の中で、私が思っているのは、あまりにもみんな仲間意識が強過ぎるということを、現場を見ていて感じるわけです。
  そして、今お話を聞いていると、教育委員会を隠れみのにして使っていると。予算のほうを話されましたが、私からは人事のほうにかかわる問題かと思いますが、普通で考えたら、よくないことは改めていくということが本当なのに、そういうものを隠れみの的に使いながらやっていくという。確かにそうしないと、毎日顔を合わせるというところではやりにくいというのがあるんだろうけれども、それは割り切っていかなければならないのではないかと思います。現に私は、不適格な先生を、校長先生とともに「あなたはほかのほうの仕事が合っているんじゃないか」ということで、退いてもらった経験を持っている一人ですけれども、そういうことができる校長もいますし、仲間意識でやっていたら、いつまでたっても変わっていかないのではないかと思います。
  教育委員会は先生たちともちろんパイプを結んでいなければならないんですけれども、仲間からそっちへ行ったりということが、一つの病巣になっているのではないかという思いも一つありました。それぞれをよくしていくために、こういう問題が起きている中で、隠れみの的なものがあるというのはよくないのではないかと思います。根本的には、同じところからみんな給与をもらっているんだからというのがあるのかもしれませんし、こういう問題の中で出てきていること自体がうまくいっていれば、こういうことは起きてこない。人間の体の中でも、だれも健康なときには意識していないけれども、足が痛いということになって初めて足があることに気がつき、目が痛いということで、目があることに気がつくということですので、こういう問題が出てくるということは、もっと根本的なものを直さないとだめではないかという思いを持った一人です。

○  どういった次元で問題を考えたらいいか大変錯綜しているんですけれども、まず中間報告が出まして、きょうもお配りいただいていますが、いろんな新聞が論評している。全般的に審議会の方向といいましょうか、趣旨についてはおおむね肯定的であったけれども、果たして実態がどう変わるかということについて、いろんな疑念といいましょうか、疑問が出されていた。私も全くそうだと思うんです。ですから、これからの論議というのは、具体的にこういった部分をなぶったら、実態はこう変わるんだという見通しを持ちながら考えていくことが必要ではないかというのが1点です。
  2点目は、これは前にも何度か申し上げたんですけれども、我々の課題といいましょうか、どういう方向で行政なり学校経営の見直しをしていくかという場合に、地方分権であり、規制緩和でありということだろうと思います。そういった場合に、国から地方、地方においても府県から市町村、また行政から学校へという形に、下のほうにより権限をおろしていく。その場合に、権限を行使するだけの責任であったり能力がどうしても問題になってくるだろう。きょうのこれまでの御論議も、校長に権限をおろす、あるいは拡大していくことを前提としながら論議が進んでいるんですが、そのために校長がそれを受けとめるだけの能力といいましょうか、責任を遂行できるだけのものを持っているかどうかというところにいろんな問題がひっかかってくる。
  ですから、前にも申したと思いますけれども、現状を見た場合に、地方よりも国、学校よりも教育委員会のほうが、いろんな意味での専門性を持ってきている。そこで、今言ったことを実現するためには、より下位のほうに専門性を高めていくような措置をどうとったらいいだろう。これは大変息の長い話になってくると思うんです。校長の問題も、新聞ですと、いきなり民間人登用ということが見出しで飛びかったんですけれども、たぶんこれは暴論だと私は思うんですが、先ほど小学校の校長先生のほうからお話がありましたが、東京の場合、御存じのように、校長に就く前に1年間でしょうか、事前研修をされている。何らかの形でこういった措置を制度的に考えていくようなことが必要ではないかと思います。これが2点目の問題です。
  3点目は、皆さん方御論議いただいたように、教委と学校の関係、具体的な問題だと思います。きょうの配布資料で、教育委員会の職務と校長の職務を示していただいたんですけれども、恐らく問題は、教育委員会の職務と校長の職務を分ける黒い線が引いてありますけれども、この線が文字どおり左右に分けるだけの線になっているかどうかということだと思います。この線が、要するに従来の指導・助言という形でグレーゾーンをつくってきたのではなかろうかと思うわけです。
  学校管理規則の問題も、3月前の論議で、例えば第33条だけではなくて、第49条との関係、すなわち都道府県の準則設定ですね。これは地方自治法の改正がほぼ確定されているので、見直すことになるだろうという話もあったわけです。きょういただいた資料から申しますと、昭和31年の地教行法の制定のときに、府県の教育長協議会のモデル案をつくられた。きょうは出ていませんけれども、その前に実は文部省のモデル案があった。要するに、文部省が大枠をつくって、さらに府県の教育長さんの協議会がモデル案をつくる。それを受けて、各府県で準則をつくる。準則に基づいて、市町村の教育委員会が自分の市町村の規則をつくるという、実は4重構造ぐらいでこれは動いてきているわけです。それが40年も続いたというのは、皆さん方の御指摘のとおりだと思います。
  今回、その見直しをする場合に、例えば第49条をなくす。表現を変えるかもわかりませんけれども、準則的なものはしないという場合に、どこかがまた同じようにモデル案をつくることにならないか。そうすると、さっき言ったように実態はあまり変わらなくなってしまうわけです。本当に市町村に任せきるような措置をどういう形でつくっていったらいいのか。これは大変重要になってくるのではなかろうかと思います。
  具体例をいろいろ事務局のほうからお示しいただいたんですけれども、例えば一番上にあります教育課程の問題でも、幾つか具体例が挙がったと思いますが、多分に指導・助言というところにかかわって、かなり拘束的な枠づけといいましょうか、これが教育委員会から学校に与えられているのが実態だろうと思います。例えば行事の問題でも、最近、運動会をいつやるかということが随分問題になっているんですが、従来、9月、10月、体育の日前後にやっていた。ところが、いろんな関係で、6月にやってみたいと、ある学校が言い出した。それを教育委員会に持っていった。そうすると、「うちのまちとしては従来から9月にやっていて、一つの学校だけそれは認められない」という形で突き返される。あるいは、これは全国的に問題になったことですが、さきの指導要領の改訂があったときに、単位時数について小学校は45分を常例とするという形になりました。関西のある市ですけれども、ある学校はどうしても40分でやりたいというので、2年間トラブったという問題もあります。
  個々の問題はいろいろ解釈するところはあると思いますけれども、きょうのテーマに即して言いますと、学校がそれなりの根拠を持って、自分の学校についてこういうことをしたいという場合に、市町村単位で足並みをそろえなければいけないというのが、従来の行政のやり方ではなかったのか。そうしますと、第33条の規定は、こういったものを教育委員会規則で制定するという文言ですけれども、それをどうなぶったら、今言ったような形が取り払われて、学校の主体性が確立できるのか。技術的な問題もかかわると思いますけれども、その辺の含みを込めて考えなければいけないだろう。
  先般のヒアリングのときも私は質問した記憶があるんですけれども、学校管理規則はこうなっていますよという論議自体が、一つの異常事態だろうと思うんです。趣旨どおり言いますと、市町村の教育委員会が市町村の実態に合わせて、その所管する範囲内において定めているはずなのが管理規則なんですが、大変僣越な言い方をしますけれども、全国組織の校長会の代表の方が、あたかもそれが同じかのような形で発言をされていた。そういう大変奇異な状況があったと思うんです。むしろそういったような認識を、今、学校関係者はみんな共有しているのではないだろうか。その辺から取っ払っていかなければいけない。そうしますと、一番最初に提起したように、実態を変えるためにどこをなぶっていったらいいのか。極論すると、例えば第33条をなくしてしまうのか、それとも本当に各学校でここまでできるんだというような、かなり具体的な書きぶりにしなければいけないのか、そういった論議がこれから必要ではなかろうかと思っております。

○  事情をわからない人間が、少し暴論かもしれませんけれども、先ほどからのお話を伺って、自分の感想を述べたいと思います。
  規則といいますか、管理のシステムですね。これはシステムが悪いというより、運用の問題が大きいのではないかと思うんです。私は、小学校、中学校は、大日本帝国憲法のもとの教育を受けた者ですけれども、この規則で、先ほどいろいろ細かい実例を伺っていると、何か昔のほうがむしろのんきだったと思います。例えば、私が小学校のときに、私は東京都の日本橋におりましたけれども、先生が、「何月何日はお相撲を見に行く」と言うと、5年生、6年生は全部国技館へ午後行ってしまいます。国技館の一番上の階というのは、当時、小学生がいっぱい入っておりまして、先生が「私は○○山がファンだから、みんな○○山が出てきたら全校挙げて応援しろ」というようなことをやっていました。同時に、当時、後楽園の野球場に連れていかれたこともあります。今の管理規則で、先生がそんなことをやろうとしたら、とても教育委員会は「うん」と言わないだろう。一体、日本帝国下の教育は、どうしてあんな自由ができたんだろうと思います。そう考えますと、管理や規則が今はきめが細かくなった。それは一方ではいいことですけれども、どんどんきめが細かくなると、身動きできなくなるということがあるのではないか。
  私自身の教師としての経験は、これは私立学校でございますが、私は自分の教科書に何を使っているかというのを、校長に言ったことがありません。これは信頼関係ですから、すべての先生がそうではないかもしれません。ただ、若い講師も言っていないような気がするんです。私立学校のほうが、そういう点で、はるかに管理運営は教員の裁量に任され、さらに校長の裁量に任されているので、のびのびとしています。公立が魅力を失った理由の一つではないかと私は思います。ですから、規則が悪いというよりは、運用の問題ではないかと思います。

○  今のお話はおもしろいなと思いました。100のうち五つぐらい何かがあったときに、それをどのくらい神経太く受けとめるかというのは、これから分権化をして、新しくその制度を運用していく場合にはすごく重要なことだという気がいたします。
  それに関連があると思いますのは、特に教育委員会側が神経太く受けとめるだけでなくて、文部省がどのくらい神経太く受けとめるかということがあるだろうと思います。例えば、ナイフ少年の問題が起きたときに、これはもしかすれば、いや、今はこれは日本全体の現象ですから、文部省レベルでも対応すべき問題なんだろうと思いますが、分権化に関して問題が生じて、小さい事件でも何か起きるとそのに、全部文部省が国会で答弁をして対応するというのでは具合が悪かろうと思います。恐らく文部省がどう言うかを待つということが、府県や市町村で起こるだろうと思うんです。ですから、運用という意味で、その意味の意識がかなり重要だろうということを感じております。先ほどの学校管理規則をつくりかえるときなどでも、文部省がどう出るだろうかということで、文部省が「自分でやりなさい」と言っても、気にするだろうと思うんです。そういうことを検討していく場合でも、少なくともオプションがかなりの数あって、それぞれの教育委員会なり学校なりで、幅のある中で自分が適切なものを選んでいくような、実際に分権化を実行していくときのプロセスですけれども、そういうノウハウ的なことが重要なのではないかという気が私はしております。
  特に気にしておりますのは、分権化して困ったときに、校長先生をサポートする制度が一体どうなるかということを私は一貫して気にしております。もちろん学校内部でも従来よりもちゃんとしたサポート体制が必要になるでしょうし、教育委員会のアドバイス機能はなくならないだろうし、地域に問題を投げかけてやるとうまくいくときがあるだろうと思うんです。そういうときの手続や組織について、地域はいろいろですから、いろんなバラエティーを考えておかなければいけないのではないかという気がしております。24ページの問題ですね。ここではこのくらいで次の段階の改革過程へいくのかどうかわかりませんが、本当は実施のときには、計画段階の次のステップが重要なんだということであります。
  それと抽象的に言えば、裁量が大きくなるほど、責任は大きくなるということだろうと思うんです。先ほど仲間同士の中で権限をふるって、特定の人を評価する、評価しないという差をつけることは困難であるというお話が出ましたけれども、たぶんそうだろうと思います。しかし、権限が実際にあるということが一番よくわかるのは、権限を上手に行使しなかった人に対するサンクションがあるときだろうと思うんです。校長先生への人事が厳しくなるという可能性があるわけで、これからこれを文字どおり実行していく場合には、そのレベルでまず厳しくなって、したがって、校長先生も自分がちゃんとやっているということを証明するために、いい人をいい、悪い人を悪いと言うことがたぶん必要になってくるんだろうという気がします。
  それと予算ですけれども、概算要求というのを学校レベルでやるようになるとものすごく大変でしょうね。私も学部長を2年間やりまた。大学ではブロックで校費という形で予算がきて、かなり裁量的なんですけれども、数十年の運用をしている間に、細かく運用の仕方を決めてしまうわけですね。実は、大学は長い間、新しい希望を概算要求で出すことをしなかった。最近この活動が活発になっていますが概算要求をやる場合には事務職員も大変だけれども、事務職員ではどうしてもわらないカリキュラムに関連することが多いですから、教官の間でサポート体制をしっかり持たなければいけない。なかなか大変なことだったので、予算を自由にできるということは、結構考えておかなければいかんことが多いなという印象を持っております。

○  幾つかあるんですけれども、分権化であるとか、校長への権限という基本的な方向をお認めいただいているので、少し暴論なんですが、ワンランク権限委譲案というものを検討してみる。つまり、許可願、承認願、申請書、承認、届出、報告、いろいろランクがあるみたいです。私は、どのランクが一番きついのかよくわからないんですけれども、例えば許可願と承認願だったら、許可願のほうがきついだろう。そこで、許可願でいいものは承認願に下げてみる、承認願は申請に下げてみる、申請は届出に下げてみる、届出はなしにするというように、ワンランク下げる。そのときに、他の委員の方が御心配になっていたようなことが起こる。ここはどうしても教育委員会のほうから見ると譲れない部分がある。校長さん側から、ここはやっぱり譲ってほしいと。それについて一覧表をつくって、具体的に一つ一つ、これだけ表が出ているんだから、吟味してみるというのも一つのやり方ではないかという気がします。素人ですから、こういうことを言えるんですけれども。
  予算に関しては、「項」「目」「節」がある。これもワンランク自由度を上げちゃう。「項」の自由度を10%というのがありますよね。いきなりそこがだめなら、「目」の自由度を10%、あるいは「目」の自由度を5%にするという、段階的な動かし方があり得るわけで、いきなり10%校長裁量といくより、「目」間流用を5%とか、いろんなやり方があるので、そこを考えていけば、教育委員会側、校長先生側、いろんな経験者がいらっしゃるし、文教のプロもいらっしゃるんで、詰められるところはかなり詰まってくるのではないかという気がいたします。
  クラスの担任でも、一人の先生が1クラスを担任しなければいけないのか。二人の先生で三つぐらいのクラスを一緒に、大人数複数担任みたいにして、科目によって自由にあんばいするということを、先生なり校長さんなりの自由裁量で  ―これは今でもできるかもしれませんけれども  ―自由度を増やしていくというようなこと。
  それをやりますと、校長先生がどこまでできるかという権限が明確でないですから、校長でできる権限と、教頭さんと、それから教員の方の権限は、ここまではできるという権限を明確化する。それを教育委員会なり、校長なり、教頭なり、教員なり、PTAなりが、皆さんそれぞれの権限を了解するという必要があろうかと思います。そして、いろんな運用がされたときに、評価システムをきちっとしておかなければいけない。監査というのは会計監査がありますけれども、それ以外の教育監査であるとか、出欠席とか、いろんな形での評価項目があって、それをPTCAみたいなところが監査して、監査報告を教育委員会に上げるとか、そういう仕組みにしてあげないといけない。
  それから、校長には仲間がいるでしょうから、校長会というものをしっかり強化して、校長同士が相談し合って、おまえのところはどうだ、うちのほうはこうだと。教頭に相談することはもちろん大事でしょうけれども。
  基本的な概念としては、できる校長の足を縛らないということと、少ないと思いますが、できない校長は支えてあげるという、この両方の仕組みを手当てできるような考えが必要なのではないかという気がいたします。

○  学校予算の話がありましたけれども、大体年間の予算が決まっておると。決まった予算の中で、いつも年度末になると、余ったから何か買うというのがあるようですけれども、それも努力して安く買ったから残ったのと、消化しなかったから残ったというのでは、えらい違いだと思うんです。そういった点で差が出てくると思うんです。
  あと足りなくなったときに、款項目の中で流用ができないというお話がありましたが、御承知のように、3月議会においてその年の予算が承認される。そうすると、緊急を要するというものは、そうすぐには出てこない。ですから、6月議会あたりで補正を組むというのは、まず私らのほうから言うとおかしな話ですが、場合によってはそういう問題が起きた場合に、そのために補正を組む。財源をどうするのかというと、財政調整基金を崩すとか、取り崩せる基金を崩すということになろうかと思います。ですから、本当に必要なものならば、財政当局は出すと私は思います。
  学校と教育委員会との関係で、やはり予算についての話し合いはもっと積極的にやるべきだし、なおさら教育委員会と財政当局ではやるべきではないか。私は、財政から「金がないから、だめだよ」と言われて引っ込んじゃうような担当者ではしょうがない。こうこうこうで、これだけ必要なんだから、欲しいんだという議論を闘わせれば、財政の当事者だって「うーん、それじゃこれはつけなきゃいけないかな」というふうにもなっていくのではないかと思います。
  そういった中で、先ほど他の委員から、学校予算の1割を校長裁量にというお話がありましたが、私どもでは1割まではいきませんが、予算とは別に、今年度、校長先生が自分の裁量で使えるお金をつけました。そうすることによって、校長先生同士の競争心が働くのではないか。そうすることによって、学校の活性化にもつながっていけばいいのではないかと思っております。
  そういったことで、教育委員会と学校との関係の中で、学習ということを考えたときに、学ぶ人というのは、子どもから大人までが学習者だと。義務教育の場合には児童生徒であるわけですけれども、子どもたちが学習しやすい環境をつくるのは、学校、教育委員会  ―これは地域住民の協力もありますけれども  ―がやるべきことではないか。それもやはり楽しく学ぶようにしなければいけないのではないか。私どもの生涯学習の都市宣言文には、「私たち市民は、生涯にわたり楽しく学ぶ」とあります。楽しいということは、物事が続いていくもとにもなるわけですし、子どもたちだって楽しければ学習意欲ももっとわいてくるのではないか。ただ、いつも楽しいことばかりではありませんで、つらいこととか、悲しいこと、嫌なこともありますけれども、子どもたちにも「生きる力」をということで、自分たちで問題を解決していく力を育てていくわけですから、そういう問題があったときに、自分たちで解決したときの喜びとか、あるいは充実感とか、満足感というのが楽しみではないかと思っております。
  ですから、「学校の自主性・自律性の確立」の中にも、子どもの実態に応じて「創意工夫を凝らした学校づくり」ということが言われましたけれども、そこにプラスするならば、「楽しく学べる学校づくり」ということを入れていただきたいと私は思っております。

○  学校と教育委員会との関係ですけれども、教育委員会の立場として共通的にきちっと学校に指導しなければいけない部分は当然あるので、これはいささかとも大事な部分は重視していかなければいけないわけですが、全体的なこれからの姿勢としては、学校をより一層活性化させる、あるいは各学校に勇気を持たせる、あるいはもっと学校の特色を出させるとか、ほかの学校との違いをもっと前面に出すというか。ややもすると今までの横並び的、画一的な指導から、そういった方向に少しずつシフトしていくことが非常に大事かと思います。今でもやっているかと思いますけれども、そういう視点があるかと思います。
  それから、中間まとめは、学校と教育委員会との関係で、主として管理運営という視点から述べられていると思うんです。ですから、学校としてみれば、校長、教頭、管理職と教育委員会との関連、学校運営規則の問題等々、そういう問題があるかと思います。そういったところはできるだけ簡素化していくことが大事かなと思います。
  もう一つ大事なのは、教育委員会の専門的機能としての指導行政というか、教育課程行政、そういう側面があると思います。特に一般の学校の先生にとって、教育委員会とのかかわり合いは、むしろそういう指導行政、教育課程行政の側面だと思うんです。そういう視点から見ると、今の例えば教育委員会の指導主事とか、あるいは現職教育をやっている研修センターの主事、こういった者が本当の意味で学校の先生方の日ごろの指導に力を発揮しているかどうか、その辺のところはもう少し見直していく必要があるのではないかと思います。
  教育課程行政でも、文部省で学習指導要領をつくって、今、かなり大綱化しているわけですけれども、教育委員会ではさらにそれを教育課程の編成要領とかいって非常に細かくつくるわけです。それを学校にやっていく。そのために、ややもすると学校へ行っても、教育委員会の指導主事よりも文部省の担当官に来てもらったほうがよっぽど大綱的で、助かるという声も聞かれるわけです。これはそうは言っても、文部省の教育課程の基準というのは、天気予報でいうと全国天気概況みたいなことを言っていまして、その後の各地方の天気となると、やはり地元に密着しますから、教育委員会の場合にはもう少し現実的になるというのはやむを得ないわけですが、その辺の指導行政、教育課程行政の充実が、学校の先生方にとってこれからかなり必要になってくるかなという感じがいたします。

○  先ほど来、いろんな方の御意見を伺っておりまして、総論的に一つの方向は出しながらも、各論になってくると非常にいろんな問題があるなということをつくづく感じております。現場に近い方ほどいろいろ心配されているということ。例えば、校長は、何十人の教職員の中のただ一人で、辛うじて教頭さんが相談相手になる。あるいはまた、補助教材などの選定についても、校長は、極端に言うと何も知らないで、担任教官が決めたところでやっている。あるいは、人事についても、教頭にしたくない人をいろいろおもんぱかって、教頭に推薦するというようなことがあるとのこと。要するに、それは権限と権限の行使の実態がかなり違うということだと思うんです。お話しになった幾つかの例は、極端な例、珍しい例でなくて、程度の差こそあれ、かなりの学校でそういう実態にあるということを認識しなければいかんだろうと思うわけです。
  先ほど、校長の権限でいろいろありましたが、かなり校長はできるわけですね。もちろんこれで十分だとは思っておりませんけれども、できることをやっていないという実態、あるいはやらないという実態。例えば、校務分掌の決定、校内人事の決定というのは校長の権限になっておりますけれども、実態は校長が決めていないという実態もあるわけです。したがって、権限だけを論じたのでは仕方がないので、権限を持てば責任を伴う。同時に、責任を伴う以上、責任が果たせる体制をつくってやらなければいけないだろう。ということは、次回以降になるんでしょうか、その議論といわばセットでなければ、権限だけがひとり歩きしてもしょうがないではないか。したがって、次回以降議論するところのある程度の方向を踏まえて、もう1回前に戻るということが必要かなと思います。
  それから、個別の話になりますと、学校管理規則でいろいろ具体例が出ましたけれども、その一つ一つをこの中教審の場でやることは、実際上、時間的にも無理だろうと思うんです。だから、中間まとめ以上に多少詳しくやるにしても、あとそれ以上は中教審で議論するのは困難なので、かといって、各市町村が自分のところの実情に合った管理規則をつくっていくのが理想ですけれども、さあそれを全部やりきれるかどうか。そうすると、先ほどありました教育長協議会とか、そういったところが一つのモデルをつくるということで、私はそれを否定すべきではないと思うんです。ただ、どなたかからありましたように、チョイスをうんとつくって、それを参考にして、県なり市町村なりというものが実情に合ったものをつくっていくことが必要ではないかと思います。
  もう一つ、中間まとめには出ていないんですけれども、許可、承認、届出、報告等々ありますが、私も実態を知りませんけれども、かなり煩瑣な手続と、例えばかなりの書類などを必要としているのではないだろうか。ごく簡単なものにして、場合によってそれで足りなければ、教育委員会が「ここのところはどうなんだ」と聞くような仕組みにすることによって、その手続もスピーディーになりますし、学校側の負担も軽くなるのではないかということが、ちょっと中間まとめでは落ちていたかなという気がいたします。
  それから、次から次ですが、財務の関係では、何人かからもお話がございましたように、例えば国立大学などでも、委任経理金なんていうのはかなり弾力的にやっているわけですね。ただ、それが弾力的であるがゆえに、時々問題も起こすわけですけれども、そういったような工夫が、これは各市町村だけでは処理できないので、財務会計規則というのは、私も知りませんが、恐らく自治省あたりからモデル例を出しているんだろうと思うので、その辺からして、もう少し款項目というものを大くくりにして、学校、あるいは教育委員会が、実情に応じて動かしていけるような仕組みも考えたらどうだろうか。同時に、先ほどの例にあった学校の配当予算でも、クラス数、生徒数等で機械的にやるのではなくて、概算要求的な、つまり学校によって必要度が違うと思うんです。需用費が必要なところと、ほかのが必要なところと、それぞれの学校は違うわけで、その辺も配当に当たってプールしておいて、必要に応じて出すとか、そのような工夫ができないだろうかという気がいたしました。

○  それぞれ各委員が出された意見については、分権なり、規制緩和、許認可とか、そういうものの手続をできるだけ簡素化して、学校の自主性・自律性とそれに伴う自己責任を持たせるという大きな流れでは、大筋、これまでの中間報告をまとめる段階でも一致していましたから。
  ただ、現実問題として、その後の新聞の論調、その他を見ても、息苦しいとか、閉塞感にあふれているとかと言われる学校が、もっと明るく伸び伸びとして、子どもも生き生き、教職員も生き生きするような、そういう意味での自主性・自律性の確立が本当にできるのかどうか。方向としてそういう方向を目指しているのはわかるけれども、実際できるのかどうかということで、必ずしも行き着く先が見えないという論調が、新聞社によっては一、二出ていると受けとめています。
  問題は、今の学校を全体として見れば、横並びとか、画一性とか、あるいは特に指示待ちなり、上の機関に対する依存心といいますか、そういうものが現状においてかなりあることは否定できないんですね。それは上からの管理が強くなったから、事なかれで従っていたほうがいいという、ニワトリが先かタマゴが先かという議論もありますけれども、確かにそういう現状は全国的に相当ある。それをどのようにして変えるかということは、本音と建前の問題で難しいところだと思うんです。ただ、私なんかもかなり責任があるというふうに、若いころを振り返ってみるとですね。校長先生に対して、特に昭和33年の勤務評定あたりから、校長が評価権を持つということで、権力の末端という位置づけをして、反権力、校長が交渉相手だということで、ずっと長年やってきたそういうものが、現場を非常に息苦しく、校長さんをサポートするのはせめて教頭ぐらいだという関係にしてきている。いわゆる55年体制のもとでの学校のそういう対立の構図というのは、結果として子どもも不幸にしたしということで、かなり思い切ってそういう反省も含めて、俗に言う文部省なり行政とのパートナーシップで、子どもを真ん中にして、日本の教育をどうしてよくしていくかという観点にしようではないかと言って、必ずしもそれが下まで徹底しているというふうには、私は現状においてはまだ確信を持てませんけれども、変わりつつあるということは間違いなく言えると思います。
  したがって、どのように自主性・自律性を持たせるかということでは、校内の組織体制、校長を中心にして学校全体をいかに協力・共同の関係にしていく体制にどう持っていくかということが、一つのポイントだろうと思うんです。その辺のところは、ドロドロした現状もあるわけですけれども、私はできるだけ子どもに近い学校や学校の設置主体である地方公共団体に、全体として裁量権を拡大して、権限をワンランク委譲するという方向で。ただ、きょうの説明を聞いても、これを一つ一つやるというのは、時間的に大変ですから、特にここはこういうふうに変えるべきだということについては、次回あたり、私もまだ全部目を通しきれていませんが、少しやる必要があるのではないか。あとは文部省なり教育長協議会なりで、ある程度のものは一定つくらなければなりませんが。
  ただ、変えたからといって、変えることをまた全国画一的にやるというのもあれですから、かなりのものは県なり地教委に責任を持たせて、学校に責任を持たせるということで、あんまりモデル的なものを数多くつるのはいかがなものかというのが、皆さんの意見を聞きながらの私の感想です。
  そういう自主性・自律性を本当にやって、問題は学校の一番中心はどうしても指導行政といいますか、教育課程行政ですから、その辺のところで本当に創意工夫を凝らした特色ある学校づくりができるかどうか。それに必要な予算は、次年度の予算編成をするときに、特に必要な需用費なんか一定程度、生徒数とか、学級数で決まるんでしょうけれども、来年はうちはここに特色を持たせたいということで、事前に教育委員会に申請をしてやるようなシステムなり、学校の予算の問題は、教育委員会と首長部局との関係も含めて、自由裁量ができる、しかもかなり思い切ったことも場合によってはできるようなことを、踏み込んで議論する必要があるのではないかということが、各委員さんの意見を聞きながら感じた点であります。

○  今まで各委員の先生方から、私が言いたかったというか、問題だと思っているお話が全部出たので、本当の感想なんですが、何人かの委員さんから、これはあるいは素人の暴論かもしれないけれどもというお話がありましたが、私はそれは暴論でも何でもないと思うんです。要は、100分の5がだめになるのか、100分の20がだめになるのか、それを許容するのかしないのかというところが問題なんだろうと思っております。例えば、今もお話が出ました管理運営規則の、かつて教育長協議会でつくった案みたいなものを準則みたいな形で、あるいは幾つか複数つくってというお話があるんですが、これなども情報公開条例というのは、各自治体によって温度差ぐらいの違いはあるわけでして、その辺のことを考えると、リスクを負うことも覚悟の上で、各自治体に任せる部分が多いようなモデル案を示す必要があるのではないかという気がします。
  それから、資料の一番最後のほうにあったのではないかと思うんですが、教育委員会での調査みたいなもの、あるいは国が指定する調査みたいなものですが、これは何をやめろというようなことではなくても構わないですが、大幅に整理する方向でという答申が出せれば、我々教育委員会の人間としては非常に楽だし、教育委員会独自でやっている、例えば給食の食器具の使用状況調査みたいなものは、これも自治体の議会で、「そんな調査もしてないのか」ということで、いじめられるのでやるような部分もあるんでしょうけれども、そんなようなのは例を挙げて、こんなのはやめたらどうだということを書いていただけるとありがたいと思います。
  次回のほうで、いろいろときょうのほうに戻って議論をする必要があるという國分委員のお話がございましたけれども、私もそう思っているので、次回はもう少し発言をさせていただきたいと思っております。

○  それでは、議論はここまでにさせていただきます。きょう結論を出すわけではございませんので、次回に引き継いでさらに発展させていただきたいと思います。
  次回は、同じく「学校の自主性・自律性の確立」の問題について、さらに議論を発展させていただきたいと思います。恐らく出てくる問題としては、学校の管理運営組織の問題、新しい視点からの人材登用の問題、さらに特にこれまでまだ十分やっておりません、地域住民の意向の把握・反映の問題、そういったことが考えられようかと思いますが、これはまた考えさせていただきます。
  会長に最後にお願いしようと思いましたが、何か一言言いたいんだとおっしゃっていましたが、たぶん財政というようなことにかかわる問題だったのかもしれません。次回に会長にはお伺いいたします。
  さて、今後のスケジュールでございます。3月31日の第217回総会で、4月から5月にかけまして、中間報告に対する意見を広く募集することが決定されましたので、お知らせいたします。
  次回、4月15日の第16回小委員会におきましては、きょうに引き続いて、「学校の自主性・自律性の確立」について御討議をお願いいたします。
  また、次々回、4月24日、第17回小委員会では、「地域コミュニティの育成と地域振興に教育委員会が果たすべき役割」及び「学校以外の教育機関の運営の在り方」について御討議をお願いしたいと思います。
  次回の小委員会は、4月15日、13時から、霞が関東京會舘・ロイヤルルーム、34階、この部屋で開催しますので、よろしくお願いいたします。
  きょうは、どうも長時間ありがとうざいました。

(大臣官房政策課)

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