1998/2 議事録 |
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第12回)議事録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地方教育行政に関する小委員会(第12回) 議 事 録 平成10年2月25日(水) 13:00〜15:00 霞が関東京會舘 34階 ロイヤルルーム 1.開 会 2.議 題 今後の地方教育行政の在り方について 3.閉 会 出 席 者
○ それでは、地方教育行政に関する小委員会、第12回を開催いたします。それでは、これから審議に入ります。 本日は、中間報告に向けて、文案についての審議をお願いしたいと思います。 ○ 文案については、方向としては大変結構だと思っております。 幾つか申し上げさせていただきますと、教育委員会と学校との関係で、教育委員会の機能の見直しについてですが、緊急の事態や法律より対応が求められる場合の役割はきちっと残して、学校が野放図にならないようなことの歯どめは一方で必要ではないかと思っております。 そして、校長の権限の拡大について、人事・予算ということでの検討も大変ありがたいことであります。現段階において、私は予算については裁量はかなりあると考えておりますが、人事面がなかなか難しいところでありまして、やはりよい人はどこの学校でも欲しいということでありますから、ここのところをどのようにしていくかということを、実務的な面で考えていかなければならないと思っております。 また、校内組織の見直しについて、前にも職員会議のこと、あるいは主任制のことなどについてお話を伺っておりますけれども、そうした観点で改めて学校に勤務する者全員が納得できるといいますか、そういう組織の在り方について、今後、考えていく必要があろうかと思っております。責任者としての校長、またそれを補佐する教頭、また一方で学校はラインがなかなか確立していないということも感じるわけでありますけれども、そういうラインもつくっていく必要があるのではないかと思います。 それから、校長、教頭への適材確保ということですが、その根底になるのは何かといいますと、教育に関する理念や識見が一番ベースになるのであって、ただ単に経営がうまい、対外折衝がうまいということだけでは、教職員や児童生徒はついてこないのではないかと思っております。 また同時に、管理職の任用資格等についてはもちろんですが、それ以外に、実際に子どもたちの前面あるいは側面に立って支援をしていく教員の資質についても、どこかでやはり触れる必要があるのではないかと思っております。現職研修の体系整備、あるいはもうちょっと踏み込んでいくと、当初は教員になって大変優秀な仕事をしてきた人たちが、何かの理由で教壇に立てなくなっているという人も現にいるわけでありまして、そういう人たちをどのように改善していただくか、あるいはほかのところに移っていただくかということも含めた、教員の認定資格ということについても必要になるのかなと思っております。 それから、教員以外の専門性を有する人材の活用については、だれでもいいのか、それともある程度の資格要件等が必要なのか、またそれらの方に対する処遇をどうするかということについても、さらに議論を深めていただきたいと思っております。 そして、校長が責任を果たす、あるいは学校の自主性・自律性の中で、説明、自己評価、報告ということに関しても、これはただこの作業だけでいいのか、それを何らかのものに反映をするのかというところまで、今後考えていく必要があろうかと思っております。 最後に、教職員の配置など関連する行財政制度の見直しについては、定数改善等も含め、学校にさまざまなスタッフ、あるいは学級の子どもたちの人数等も含めまして、ぜひ財政的な措置をお願いしたいと思っております。 ○ 方向として非常にいいという印象を持ちました。 校長の権限を拡大するとすれば、校内組織の在り方を見直すことがどうしても必要であろうかと思っております。 それから、校長・教頭の任用資格の見直しについては、具体的な方向性はまだ示されていないと思いますけれども、どういう方向にいくのかということに重大な関心を寄せております。例えばですけれども、いい先生がいい校長になるということはイコールではないと思っております。ただ、いい先生で一生懸命やっている先生は、今の状態だと大体教頭になり、校長になりというふうになっていくような現状だと思います。私は、校長・教頭というのは経営の観点が非常に大事だと思っております。教諭のある段階、教頭・校長になる前段階で、経営に関する研修を十分に積んで、その上で教頭や、校長の選考試験をやるような形がいいのかなと、そんなようなことを考えております。 試験に合格して後に、1年くらい任用前研修があることがありますが、合格した後の研修でなくて、合格する前に研修をして、それから試験をして、適格な人を選んでいくことが現在行われておりませんので、そういったことをやってみて、その結果をみてあらためて外部からの登用を検討していただくのがいいと考えております。 ○ 内容はこの方向に沿っていってくれればという思いであります。 ただ、いろいろな連携をする面において、「開かれた学校」ということについて、外面的な、例えば体育館とか、いろんな施設のことで「開かれた」ということのみでなくて、学校が持っている独特の垣根をもっと低くするための取組がまだ盛り込まれていないような気がしてなりません。難しいのかもしれませんけれども、そんな面が不足しているかなという思いがしました。 また、先ほどの話の中にも出てきたとおり、先生方の人事の面の問題か、先生方のそれぞれの資質の面の問題かはわかりませんが、地域としては、保護者としては、あまりにも先生が代わり過ぎるということに対して考えさせられます。例えば、先ほども出ましたけれども、いい先生ならば何年いてもいいけれども、その逆もあるというような、みんなそれぞれの思いがあるわけですので、その辺をいかにするかというのが非常に難しいところになってくるのではないかと思います。しかし、私が思うには、一般的にいい悪いという言い方をすると、大変語弊がありますけれども、運営に関して満点を与えられない先生でも、長くいることによって、その地域の人たちと融合していって、ちゃんとそれができるようになるというのは私も経験しておりますので、そういう面も一つどこかに配慮していただけたらと思います。 また、学校やコミュニティーセンター、そして公民館が、それぞれ関連を持たなければということですけれども、どこでということがなかなか理解しにくいなという感じを持ちました。地域の人たちは学校とも関連を持ち、コミュニティーセンターとも関連を持ちながら、また公民館とも関連を持ちながらとあるんですけれども、その学校、公民館、コミュニティーセンターがどこで結ばれてくるかということもはっきり打ち出せたらと思います。 そして、学校、コミュニティーセンター、公民館などというものについても、高い予算の中でそれぞれの施設がつくられているんですから、ダブるようなことのないように、それが十分に活用できるような方策を考えていく必要があるのではないかと思います。学校については、管理棟、子どもが現に使っている教室以外の、特別の教室とか、体育館、プールに関しては、すべて住民が使えるような施設とすれば、新しくコミュニティーセンターをつくるなどということよりも、もっと安く、そして効率よく物事が進んでいくのではないかという思いがしてなりません。 それから、カルチャーセンター等の民間教育事業者との連携については、民間の教育事業者との連携というのは、これは営利を目的にしてやっているところですので、そういうところとの関連をいかにするのかというのもまだちょっと見えてこないんですが、これからの話の中でいろいろ持たれてくるかと思います。 大まかな方向性はこれでいいと思いますけれども、第一次答申の中に三者が連携をするということが書かれておりますので、そういうものをもっとはっきりとした形で、3月以降には出せたらと思っております。 ○ 具体的な内容はこれからということで、この先の議論が大変楽しみという点で、大事な方向性を出していただいているということで、大変すばらしいものだと思います。 今後の具体的な議論をしていく上で、そしてまた従来のありようを変えていく上で、幾つかのケーススタディーなどをしてみるのも一つかなと先ほど来思っております。といいますのは、私よりも御専門の皆さんが多くいらっしゃるわけですが、ちょうど6年ほど前に、福岡県の宗像市を訪問したときに、そこに「ユリックス」という、法律上の位置づけは公民館なんでございますが、大変立派な施設がございました。全国に立派な施設はあるんですが、ほとんどだれもいないという施設も多い中で、私はその「ユリックス」で行われた講演会に招かれてお話をするという役割で、その教室の一つでやっておりましたら、ロビーにバレエの格好をした子どもたちが10何人おりました。これは何だと聞きましたら、地域の少女のバレエ団をつくっている。非常に興味を感じまして、館長さんにぜひ会いたいということでいろいろ伺ってみると、例えば「ユリックス」という名前は、その市の花がユリで、木がクスで、市民と一緒にユリとクスノキで「ユリックス」とつけた。 やはりどなたかが中身の運営上、先頭を切って中心的にやっていただかなければいけないので、館長さんにマスコミ出身の方をお招きをして、その方にみんなで協力しようという体制をとった。幾つかの仕掛けがございまして、例えば青年会議所は講師を招くというのは得意中の得意でございますので、月に1回、地域の方々に講演会をやる。そして、ある学校とタイアップして、いわゆる市民オーケストラをつくって、オーケストラの学生たちが子どもたちに教える。地元で囲碁を楽しむ会の人たちに頼んで、1人1回500円でだれでも参加できるそういう教室をやる。いろんな仕掛けがあります。 何を申し上げたいかというと、6年も前ですから、その後どうなっているかというのは定かではございませんけれども、一人のそういう発想を持った、その場合には館長さんですが、その役割の大事さと、それから必ずしもプロフェッショナルという点でレベルが高くなくてもいいから、市民が市民を教えるような地元に根差したネットワークづくりというか、そんな協力体制が実を結んでいて、まさににぎわっている公民館を見ました。 校長の権限の問題や、公民館を含めた生涯学習の拠点づくりということも大事ですが、いわゆる館長さんの役割、またそれを支援する地元の、垣根を越えたあらゆる人たちの集まりを、教育委員会が具体的に支援することも大変大事だと思います。その上で、全国には幾つか、今の中でも弾力的にすばらしい成果を上げている事例があると思いますので、そういう事例を研究し、そこから学ぶ、そんなありようもあるのかなと思いました。以上でございます。 ○ さまざまな角度から問題点を提起していただきまして、こういう方向で今後議論を深めていただければよいのではないかと感じております。 ただ、常日ごろ感じますのは、学校の予算・人事等にかかわる校長の権限の拡大の問題とかかわるのかと思いますけれども、親の立場から申しますと、学校の先生を見ておりますと、非常に頑張っておられる先生と、手抜きばかりですっかりサラリーマン化してしまっている先生等、先生の質に非常に差が大きいような気がいつもしております。多くのお母様方がやはり同じことをおっしゃっておられますのをよく耳にしますが、いつも4月になりますと、今年は、いい先生に当たったとか、そうでなかったから1年間我慢しようかとか、そういうことが実際問題、今の現場では多いと思います。やはり頑張る先生には頑張り甲斐のある何らかの待遇というか、具体的にどのような方策がよいのかはよくわかりませんのですが、さらに頑張ってやっていこうと思えるようなシステムを、今後、議論の中で何か探っていただけると大変ありがたいと感じます。 ○ 校内組織の在り方の見直しについて、学校運営が円滑かつ機動的に行われるようにする観点を打ち出しており、大変ありがたい指摘だと思いますけれども、機動的に行われるようになるかということについては、教育委員会からの事務等をあまり持ち込まないようにしようとか、それから事務の共同実施という形が考えられますが、それだけで学校が機動的になるのかどうか、まだ必要なことがいろいろあるのではないかと思われます。 例えば、非常に皮肉なことですけれども、学校や家庭、地域との連携を深めれば深めるほど、持ち込み行事が増えてしまうということで、「こういうことをやりますから協力してください」というのが、次から次へと入り込んできてしまう。ただ、連携を図る以上、断れないということがありまして、かえって本来の仕事のほうにしわ寄せがきてしまったりするということもありますので、学校運営が機動的に行われるための方策について、もう少し具体的に検討をしていただきたいというのが一つであります。 それから、校長・教頭の任用資格の問題で、優れた人材を得るということは当然でありますけれども、優れた人材の資質は一体どういうものなのかということをもう少し検討する必要があるのではないかと思っております。一つは、教育だけではなく、幅広い見識を持っている方。これも非常に大事なことですけれども、もう一つは校長なのにカリキュラムの管理運営が十分にできない人がいるということで、学校の創意工夫といっても、創意工夫をつくり出す力が十分にないというような、人を動かすことばかりに熱心な人なんていうのは大概そういう人がいますので。学校の一番中心はカリキュラムの管理運営でありますので、ここらあたりをきちんとやれる人も欲しいということで、広がりとともに専門性みたいなものがありますので、一体、校長・教頭というのはどういう力を持った人が本当に望ましいのかということを、もう少し検討していったらどうかなと思っております。 さらに、地域コミュニティの拠点としての学校の在り方については、大変結構なんですけれども、もうちょっと加えていただきたいのは、最近そうなっておりますけれども、これから新しくつくる学校は地域コミュニティーの拠点としての在り方を念頭に置いて学校をつくるようにしようという指摘があれば、そのような学校が非常に増えていくのではないかと思います。地域の人にいろいろインタビューしますと、コミュニティーセンターよりも学校のほうが望ましいという意見が強くみられます。買い物かごを提げたまますぐ立ち寄れるのは学校だ、地域のコミュニティーセンターは買い物かごではどうも行きにくいということを、よく地域の人は指摘します。そういう意味では、学校というのは一つの大事なよりどころですので、これから新しくつくる学校はなるべくこういう考え方を持ってつくっていこうということが指摘されてもよろしいのではないかと思います。 ○ 私は、基本的には今の教育委員会制度というのはよくできていると、そう思っております。ですから、例えば地域コミュニティの育成、教育機関の運営の在り方等については、今もやっていることがたくさんありますので、私はよくできていると思います。 ただ、学校の自主性・自律性の確立についてですが、基本的にはあまり学校が過剰に陥らないようにしていきませんと、学校本来の目的というのがあるわけですから、それをきちっと押さえる上で、地域なり、あるいはその他のコミュニティーなりということを考えていく必要があると思っています。 なお、学校の予算・人事等に係る校長の権限の拡大については、予算は例えば首長部局とのかかわりで非常に難しい、学校が自由にできるという面では技術的に難しい面があると思います。人事についても、県全体という観点から、校長への権限というのは難しいと思います。一つ、人事について、私、いつも思うのは、特に臨時採用ですね、お産とか、病気のときとか、あるいは今後民間からの登用が出てくるときに、今は学校に配置するのに1ヵ月とか1ヵ月以上かかるんであります。これは校長に任せてはどうかと思います。校長は自分が採用するんですから、変な人を選ぶわけはありません。変な人を選べば校長が困るわけでありますので、思い切って校長に、人がおれば二、三日なり1週間ぐらいで、その学校に配置できるような方法ができるのではないか。この辺の改善が必要であろうと思います。 それから、校内組織の在り方の見直しについて、学校運営の透明性を確保し、保護者や地域住民に対して学校運営に係る責任の所在を明らかにする観点から見直すことが大事だと思います。むしろ教育委員会よりも地域の人や親さんたちにしっかりとした学校の様子を知らせることによって、職員が別な意味で真剣になってまとまっていくということがあると思いますので、ここの観点は大いに大事にしていただきたいと思っております。 そういう意味で、校長による自己評価を保護者や地域に説明することは、今後、非常に工夫されるべきであると思います。 ○ これから内容的には深められていくということなので、その時に議論した方がよろしいのかと思いますけれども、学校の自主性を確立していくという場合に、一つは校長の見識といいましょうか、校長の自主性にゆだねていくということが1点と、もう一つはそれぞれの地域の独自性といいましょうか、地域性をもっと発揮できるような形が考えられていくべきだろうというのが、学校の自主性・自律性ということの内容だと思います。 その意味で、校長につきましては、任用資格だけではなくて、やはり校長としての研修というんでしょうか、管理職としての研修が重要だということを触れていただいたほうがいいだろうという感じがしております。 もう一つの、地域性の発揮についてですけれども、地域の保護者に対して、学校がどういうことをしようとしているかということを説明する。それから、地域の人材を活用する。それから、この仕組みはよくわかりませんけれども、地域住民の意向が把握できるような仕組みを工夫するといったことと並びまして、それぞれの学校が特色のあるカリキュラムを組んだり、特色のある教育内容を編成していく場合に、それを外から援助する仕組みが必要なのではないか。これは、かなり専門的なことが必要であろうと思うので、住民がというのはなかなか難しいだろうと思います。ナショナルカリキュラムセンターが提案されていますが、それに相当するようなものを地域でも考えていくべきではないか。例えば、各県に、教育内容や教育方法について研究するような専門的な機関があって、それが情報提供するという仕組みを考えていくべきではないか。学校に対する教育委員会あるいは国の規制を緩和していくということは、もちろん一方において必要ですけれども、学校に対するそういう意味での情報を提供したり援助したりするシステムをこしらえることをもう一方で考えていくべきではないかという気がするので、そのあたりをもう少し考えていただいたらどうかという気がしております。 ○ 最初に、全体の問題ですけれども、国と地方との関係とかといった場合には、どの法律をどういじるかというイメージが割とつきやすいんですけれども、学校の自主性とか、自律性の確立、あるいは学校経営の在り方といった場合に、どこをどういじったら変わっていくのかというものが、抽象的あるいは理念的に終わるのではないという気がしているわけです。 前回のように、国から地方に対する指導・助言の在り方とか、こういった文脈で考えますと、もし仮に理念的な方向だけを示していった場合に、また変な言い方をしますけれども、国から地方に対していろんな指導をしなければいけないということにもなりかねないのではないか。そういうことが全体の雰囲気としては気になっているわけです。 特に、現在の我が国の学校経営の在り方を考えますと、これはたぶん大変日本的な特徴だと思いますけれども、ほとんど法制度として明確性を持っていないわけです。地教行法の第33条に、いわゆる学校管理規則に関する規定があるわけですが、それを除きますと、あとはどういう法システムで動いているのかというのが大変不明確であるわけです。前回までも出ましたように、例えば職員会議というものを一つとりましても、広く解釈しましたら当然学校の内部組織の管理運営にかかわるわけですから、地教行法の第33条がそのことは触れている。だけれども、「職員会議」という言葉はどこにも出ていないということになるわけです。こういった在り方の学校経営の仕組みがかなり行き詰まりを見せているのではないかと私は思うわけです。 学校の管理運営を考えた場合に、三つのアスペクト(局面)を持っているだろう。 一つは、対行政機関、教育委員会とのかかわりがどうであるのか。これは今言いましたように、管理規則をどういじるかという話で、割とすっきりいくだろう。あるいは人事や予算の問題も、ここに提起があるわけですけれども、どういった法的な制度として制定していったらいいのか、こういう問題であるだろう。 二つ目は、地域、親とのかかわり。これは何度も言っていると思いますけれども、全く法的なシステムを持っていない問題があるわけです。恐らく先進国では我が国だけだろう。これも論議としては明確にしていただければありがたいのではないかと思います。「参加」という方向性で、この問題をどう扱ったらいいかということが大変大きな課題になってくるのではないかと思います。 そうしますと、学校の教育目標等の説明、自己評価、報告という問題も、当然これは双方向性を持っているわけであって、対教育委員会だけではなくて、対親・地域住民というかかわりの中の一体性を担保しなければいけないだろう。 常に学校を軸に置いた場合に、今言いました対行政機関と対地域や親といった場合に、学校自身がどれだけの権限を持って、どれだけの責任を果たしていくのかという話になろうかと思います。これも例えば地域に対しては単に責任だけではなくて、今、大変あいまいになっているところの親との関係で、学校はどれだけ権限を持てるのか。これは今、制度がありませんから、変な話ですけれども、私の感じているところでは、学校というものは我々がというか外部から見ている以上に、親や地域住民、保護者に対していろんな意味で神経を使っている。それが制度化されていませんから、大変ねじ曲げられてしまっている。親からしましてもこれは大変不幸なことだろうという気がしているわけです。ですから、この辺を整理していく法の仕組みが必要ではなかろうかという気がするわけです。 三つ目の問題は、学校内部の問題で、校内組織をどうするか。さっき言いました職員会議の問題もございましょうし、教職員の問題とか、こういったことにかかわってくるだろうと思います。 こんなような見取図を考えましたら、少し重複しますけれども、4点ばかり検討を深めていただきたいという気がします。 1点目は、管理規則の見直しであり、これは今の地教行法第33条の規定をいじるものかいじらないものなのかということを考える必要があるだろう。いろんなものを並べて、今、こういったものについて規則を設けなさいという規定の仕方ですけれども、やはり前回問題になりましたように、第49条、いわゆる準則規定のところがなくなるという方向を受けた場合に、地域の実態においてつくっていくんだというところを明確にしていただく。各市町村が独自のものをつくっていくんだというところが強調されてしかるべきではなかろうかと思います。 二つ目は、校長の権限で、人事・予算。これはいろんな先生からおっしゃっていただきましたから、重ねるところはないんですけれども、どのような具体的なイメージで校長の権限が強まっていくのか。逆に言いますと、これをチェックしていきますと、恐らく何も出てこないのではないか。今のままでいいですよという御意見もあったわけですけれども、具体的にどのような制度の改定が可能なのか。例えば人事の問題でも、前回論議がありましたように、今、広域人事の問題がありまして、中核市にも人事権は移せませんよという話になっている。ましてや個々の学校でどれだけ人事権を持てましょうかという話になってくる。 これはちょっと次元を変えていきますと、定数問題とかかわりまして、いわゆる学級編制等についてもっと大胆な権限を学校に与えられないか。要するに40人学級の問題ですけれども、この改善はともかくとしましても、例えば20人学級、30人学級、50人学級というぐらいのバリエーションが学校の裁量でできないかというイメージを私は持っているわけですが、それも含めまして、今の制度の中で、学校、校長にどこまで本当の意味での権限を譲渡できるのかということの検討が必要であろうと思います。 それから、教職員の配置の問題で、やはり定数の問題。何か今の行政改革の流れの中で、教育委員会制度、あるいは学校の制度改革をしなければいけない。そうすると、自縄自縛といいましょうか、もうお金の問題を言ってはいけませんよというイメージが何かあるような気もするんですけれども、今、40人学級の問題というのは、いろんなところでその問題が生じている。これはまさに中教審、教育の審議会ですから、教育の論理、立場に立ったときに、定数改善をもうちょっと明確な形で打ち出していってもいいのではないか。ここが言わなければ、ほかに言うところはないのではないかという気がしているわけです。「定数改善をすべきである」ぐらいの話があってもよかろうと私は思います。 最後の点ですけれども、学校が地域住民や保護者の意向を把握、反映するための仕組みについてですが、これは先ほども言いましたように、制度の導入ということで、ここの論議としましては、私は「参加」というイメージを何とか持ちたいと思っていますけれども、保護者・親と学校のかかわり方の制度の在り方のイメージは、もう一つ具体化していっていいだろうと思います。 ○ 分権化改革をやっていくときに、一般的な不安というか、そういうことなんですけれども、一方では分権化していって、校長先生に権限がいったその目的に合うように、積極的に校長先生がやってくれるであろうかということがあると思うんです。他方で逆に、校長先生かどうかわかりませんけれども、全体として分権化された権限や役割の働かせ方が、先ほどどなたかがおっしゃった言葉で言うと、野放図になって、あまり予定のとおりではないということがあると思うんです。 前のほうの私の心配から言うと、この前申し上げたことですけれども、分権化して何ができるのかということを、今、この段階で文章に書けという意味ではないんですけれども、将来のこと、実施に移っていくときのことだと思うんですが、相当はっきり書くのかどうかわからないんですけれども、してあげないとなかなかできないと思うんです。今、他の行政分野でも、分権化ということで、例えば従来の機関委任事務が自治事務ということで、非常に広範に自治事務化されるような提案があるわけです。そのときに、地方自治体は条例をつくらざるを得ないことが多いわけです。そういうときに、本当にうまいこと条例をつくるだろうか、議会はしっかりしているだろうかという議論が既にあるわけですが、それでもやらざるを得ない。そのときに何ができるのか、どんなことが問題なのかということですね。そういうオプションの具体性があるといいなと。先ほどおっしゃられた臨時の先生を雇用する権限のお話が出ましたけれども、そういうことが現場でははっきりあるのがわかっているのかどうか知りませんが、他の分野から言うと、具体性がないと、思うようにやらないのではないかということであります。 もう一つの、反対のほうの野放図になったときのチェックですけれども、一つは住民組織ということを考えているんだと思うんですけれども、もう一つは教育委員会がちゃんとするということだと思います。そのときに、教育委員会がきれいに教育委員会の機能と学校の役割とを分けて、教育委員会がそれでもなお必要なときに干渉というのか、関与する、助言をする。求められれば助言は当然するでしょうけれども、求められなくても、場合によったら、あるケースでは関与せざるを得ないかもしれない。そのときに、先ほど「緊急の事態」という言葉があって、そういうケースあるいは専門的な問題ということでカバーしているのかもしれませんけれども、そういうときのことがどのように処理されるのかということを、もう一つの方向で感じておりました。 それと先ほどから何度も出ております、助言を求める制度についてですが、住民の役割がどのあたりのものなのかということについて、校長先生に権限が移って、校長先生が困ったときに、やはりサポートしなきゃいかんだろうというコンテクストで議論が出ているのかなと思うんですが、制度化あるいは制度を導入するという以上、この段階でもう一歩踏み込む必要がありはしないか、あるいはすぐに詰めておかないと、公表した後に、この問題についての質問が多数くるであろうという気がいたします。 ○ 全体的には基本的な方向を、今後の方向も含めて示すものとして、これまでの議論が的確にまとめられていると思いました。二つ、こんなふうなことはどうだろうかということで申し上げさせていただきます。 一つは、これまでの御発言の中にも触れられた内容と関係しますけれども、緊急の場合に学校ではなく教育委員会が直接対応したり、積極的に支援する体制を整備するようなことについて、今後、この点について、様々な場面を考えて検討することが必要なのかなと思いました。それが1点です。 2点目は、学校と家庭・地域との関係にかかわることでありまして、学校が教育目標や教育計画の実施状況を説明するということですが、学校は意外に家庭や地域に対して基本方針とか、教育計画のよって立つところについての説明が必ずしも十分でない面がありまして、それを十分にすることによって、参加を求めていく、協力を求めていくということを明らかにする意味では、例えば実施状況の他に、その趣旨についても説明をすべきではないかと思いました。 そのことと関連をしまして、地域社会が一体となって家庭教育を支援する取組を推進していくことが、現在の学校教育では非常に重要な課題になっております。学校と家庭との連携がある部分では非常に図られるんですけれども、図られない部分があって、そこから困難な問題が生じているという実態がありますので、ここのところは少し工夫して、特に今後の検討課題を明確にする意味で、例えば家庭教育を支援する体制を整備していくことについて提言するなど、どうやれば今の状況に踏み込んでいけるかという方向性を打ち出すことができるようにしたほうがいいのではないかと思いました。 もう1点、学校と学校以外の教育機関が連携を図る例として、施設やその指導者を学校の部活動のためにというのみでなく、部活動等の教育活動というふうにして、連携の範囲を少し広げておいたほうがいいのではないかと思いました。 ○ 私も、3月末に中間報告という形で出す内容ということでは、全体としてはこれでいいのかなと考えます。幾つかの個別的な点について意見はあるんですけれども、きょうはそれを述べることは差し控えさせていただきますが、一つ、3月末の中間報告を意識した場合に、もしも可能であれば、次のような留意点を何らかの形で報告に反映できないか。 教育改革にかかわる財源措置への配慮について、国レベルでも、地方レベルでも、そうした「財源措置への配慮」という文言を、もしも可能であればぜひ入れてほしいという気持ちが非常に強くあるんです。といいますのも、これも御承知のとおり、1971年の中教審答申の内容は、幼稚園から大学院まで学校体系全般の制度改編を打ち出した答申だったんですけれども、そうした制度改革に必要な財源はどの程度なのかということを計算して、資料として添付したという点でも、71年の中教審答申はユニークであったと思います。確かに1971年ですから、高度経済成長の最後の時期ということで、高度経済成長という状況があったからこそ、そうしたことも可能であったということが言えると思うんですが、ただ、私たち中教審でやっているような議論を含めて、教育課程審議会の議論とか、2002年からの学校5日制の完全実施とか、そうした課題を含めると、今回の改革というのは71年の中教審の答申と比較しても、また、戦後の改革にも匹敵するくらいの大きな意味を持つような制度の見直しではないかと考えています。 そういう点で、これを成功裏に進めていくために、国レベルでも、特に地方分権という形で地方自治体がかなり主体的に取り組んでいくわけですけれども、地方レベルでも最後は財源措置の配慮がどうしても必要になってくるので、そのあたりは行政改革という時代の中での制度改革であるからこそ、そうした財源措置の工夫はぜひやってほしい、そうした意向が反映するような報告の工夫があっていいように考えます。 というのは、私、この間、全国の学校とか、教育委員会レベルでの施策、優れた実践活動をやっているところを、1週間に1回ぐらいの割合でいろいろ見に行っているんですが、私たちがここで議論しているような学校改革とか、学校参加とか、地域との連携ということでは、かなり優れた実践は全国あちこちあるんです。そうした実践事例を見てみますと、最後はいろんな点で、スタッフをどうやって確保するかとか、お金をどうやって確保するかとか、その辺で現場の方々は非常に苦しんでいる。それを何とか措置できないのかというのが、この間の思いです。 これからそうした地域との連携、父母の参加、それにかかわる校内の先生方の仕事の組みかえがどんどん進んでいくと思いますので、それに対応するような教職員定数の改善の見直しとか、学級編制基準の弾力化とか、地域ボランティアの活用にかかわって予算がやはり必要になりますので、そうした問題を含めて、今の制度改革を進めていく上では、行政改革という事態は深刻に受けとめながら、行政改革であるからこそ、学校、教育改革にかかる予算については何とか配慮するというような報告上の工夫をしていただくようお願いしたい。 ○ 大変よくできておりまして、今の時点での中間まとめに微調節をしていただけてばそれでいいと思うんです。今後、微調整していただくとか、これから後の議論に対しての視点が四つばかりあるかと思いましたので、お話しさせていただきたいと思います。 まず一つは、かつてお話があったんですが、これは国と教育委員会、学校の運営、すべてですけれども、うまくいっている運営の事柄に関係するところと、法規・規則をいじらなければならないということを仕分けして議論しましょうと。そういう視点で、きょうのものをもう一度見ますと、運営にかかわる事柄が、幾つかお話が出ております。中教審の答申として勧告だの提言として入れること自身は私はいいと思いますので、それは入れるんですけれども、もう一つは規則類に関することは、先ほどもお話が出ておりますが、ある部分では緩やかに外す部分はどことどこか。それから外すだけではなくて、社会と学校との関係では、むしろ新しく決まりをつくったほうがいいような部分も感じられますので、そういう決まりを外す部分とつくる部分と運営の部分という視点で、これをもう一遍見直す必要があると思います。 第2点は、トータルプランというんでしょうか、きょうの審議だけでなく、もっと前のほうにもかかってくると思いますけれども、15期、16期の中教審を通じての基本コンセプトというのは、「ゆとり」の中で子どもの「生きる力」を育てるということです。そのために地域・家庭・学校の全体が協力して「生きる力」を育てる。そうしますと、地域の教育委員会があるとすると、その教育委員会が支える対象として学校があり、社会教育の施設があり、それから企業の人たちがあり、それから個人個人があるという、そういう全体のシステムの中の関連として、企業・学校・社会教育・地域住民等の代表からなる地域連絡協議会的な地域全体の教育のトータルシステムを考えて、そこで学校と個人、学校と企業、学校と社会教育の関連について、年間教育計画みたいなものを立てていくような仕組みですね。その責任主体をだれが持っていくのかという観点でございますね。 そのそれぞれの中で、例えばボランティアをどのようにして登録して採用するか、研修をどうするか、校長を選ぶところの資格はどうであるかとか、全体のトータルプランの中で営まれてくると思いますので、トータルプランという観点から今後まとめていく。具体的にはどのように文言にあらわれるかは別としまして、見方としてそういう見方で、どの章も見ていく必要があるかなという気がします。 第3点は、地域の異なる組織主体の連携を求めるときには、情報の流通が非常に大事だ。それぞれの学校とか、地域社会とか、企業が、教育なり文化に貢献する部分でホームページを出している。そういう情報システムの整備が行われますと ―今、福島県のある村は、全家庭でしたか、テレビ電話を置いて交信するとか、富山県のある村はインターネットで全家庭がつながる。学校だけではない、公民館だけではない。そういう状況が生まれてきて、地域・家庭の連絡がネットワークを通して大変充実するような方向がある。21世紀を目指すと、今、社会がそちらの方向へ動いておりますので、これは国から地方、都道府県、市町村にかかわる縦と言ったらいいんでしょうか、国が一番下で、地方を一番上に置く縦でございますが、その縦の系統と、それからそれぞれの地域の横の系統で、そうした情報のネットワークを確保しておきますと、これは人材の面であるとか、イベントの面であるとか、クエスチョン・アンサーであるとか、困ったことはとか、運営がうまくいっている例はとかという情報が随分提示もされるし、取り出すこともできる。そうした見方を全体的な構想としてどこかに、まあ、まとめか頭かどこかに要るかなという感じです。 4番目の視点は、評価と利用度という視点。すべてに関して、学校と教育委員会の関係であっても、学校の運営であっても、すべてのところに評価が絡むし、それに対する利用度が絡んでくるわけでございます。評価の観点、例えば学校と地域・家庭との連絡であれば、学校が主催する地域への公開ものもあるし、地域の方をお招きするものもあるし、共同の行事もあるしという、六つか七つか学校と地域の連携がいろいろありますね。そういうものをタイプ分けしておいて、各学校がどれだけ年間にやっているかということを調べますと、それぞれの協力関係の事業の型分けとそれが直ちに評価基準になります。自己評価をして、利用度が出せる。例えば個人の方で学校にうんと貢献してくださった方には、感謝状とか、表彰状とか ―公務として教育に携わる方はこれは公務でございますから、特別にそういう利用度といいますか、表彰なり謝金なりという形のものはないかもしれませんが、そうでない、違った組織の方々が協力し合うというところには、やはり評価と利用度のシステムを入れなくてはいけないだろう。 少し大きいんですけれども、まとめるに当たって、そのものをそのまま書き込むというのではなくて、そうした観点から、それぞれ個々の項目を見て、つけ加えられる文言はつけ加えていけば、中身がもうちょっと見えたり充実したりするかなという感じを持ちましたので、直接きょうの文言のここをこう変えろということではありませんけれども、全体的な物の見方としてそういう視点があり得るかなと思った次第でございます。 ○ 大変よくまとめていただいていると思います。ただ、学校の自主性・自律性の確立は自明のこととして、大変重要なことだという議論でございましたが、一般の人にとって、何のためにこれが必要で、このことが確立すると、何ができるのかということが明確に見えていたほうがわかりやすいのではないかと思います。学校の自主性・自律性を確立することが、21世紀を担う子どもたちにとって、よりよい教育環境をつくる責任主体として大切だということは、具体的にはそのひとつとして、「特色ある学校づくり等」が出てきます。そうしますと、例えば通学区域の弾力運用とか、教職員の定数問題、加配等も含めまして、行財政の問題もセットになってくるかと思います。学校選択のようなことがこれに絡むのか、こんなことももう少し見えやすいほうがわかりやすいのではないかと思っております。 コミュニティの育成やそれから地域の教育機能の向上ということについてでございますが、特にコミュニティの育成は、コミュニティの振興というよりも新しい視点ではないかと思います。このためには、開かれた学校づくりというのが、従来、学校に地域の方が入ることによって開くという視点が強かったのですが、むしろこれからは子どもたちが地域に出ていくという意味でコミュニティが育成され、地域が教育力を担うことができるという視点も必要ではないかと思っております。それは学校という教育機関の中だけでなく、子どもたちが例えば実際に地域の体育館を利用することによって、挨拶や施設の利用や公共マナーや入場券を買うとか、いわゆる常識的な市民の育成を義務教育は担うわけですから、そういうことが実際にできるようなシステムとしても、必要であると思っております。 また、校長の任用資格や教員の資質向上の視点がございましたが、これから一番問題になるのは、少子化時代に育った教職員と保護者は、つまり自分の成長過程において子どもにかかわることのない成長過程を送るわけで、そのような大人たちが子どもを育てるという時代が既にきているわけです。その点に対しても、子どもたちが実際に地域に出ていくことによって、子どもたちを育てることを地域自身が担っていけるような、そういう中でコミュニティが教育力をつけていくことも非常に重要ではないかと思っております。 学校やPTAの方々からいろいろな調査やお話を聞きますと、要するに子どもをあやしたり、育てたりすることとかかわったことのない人生を送っていく中で、ある日突然親になり、教師になって、子どもにかかわらなければならないことによるいろいろな戸惑いや不安がございます。子どもを育てるというのはやはり学習行動ですので、そういう意味では、少子化時代における地域の教育力、家庭の教育力をこの際見直し、それに対する支援をもっと強く打ち出してもよろしいのではないかと思っております。 また、学校の中におけるジェネレーションギャップはこれからの重要な課題です。義務教育は子どもの年齢が非常に若いわけで、中高年の先生が子どもの感覚や体力についていけないということが、時代の変化が激しければ激しいほど大きくなってまいります。例えば、体育やコンピュータなどは子どものほうがはるかに上手な場合がある。そうしますと、先生の指導力に子どもとのギャップが出てしまいます。そういう中における具体的な指導とは一体どういうことなのか、こんなことも、大変重要なことではないかと思っております。 なお、ついででございますが、学校のいろいろな問題を考えますときに、先ほど出ましたがカリキュラムに対してのきちんとした取り組み、管理が、現場では意外になされていないという場合もあります。それぞれの教科等において時間数等が決まっておりますが、私どもが調査した限りでは、大変に多様でございます。つまり、今のように非常に画一的だと言われる中で、個々の学校は大変に多様な実態の中で、学校がこれから自主的にきちんとカリキュラムを作成し、特色ある学校づくりをするときは、その成果についてはもちろんカリキュラム等についてのチェックも大変重要ではないかと思っております。 ○ 全体として、体系並びに検討する方向という点については、今まで各委員が出されたものをうまく取り入れていて、賛成できるものだと思います。 ただ、2点だけ申し上げてみたいと思いますが、1点は学校管理規則の見直しの問題です。全国レベルあるいは都道府県レベルで、「さあ、どうやろうか。勉強会を開こう」ということで、まとまったものが一つの準則という形になって、全国あるいは市町村すべてが右ならえして全く同じものになってしまうということが懸念されるわけです。本来そうでないので、北海道と沖縄とは事情が違いますし、あるいは同じ県内でも市町村ごとに違うでしょうし、あるいは同じ市町村でも、例えば小学校と中学校、あるいは大規模校・小規模校、みんな違うわけですので、一律的なことになってしまったのでは、学校の自律性を尊重する余り、市町村の自主性がなくなってしまうという嫌いがあるわけです。地域・学校等の実情に応じる観点がなければ、まさに管理規則レベルで画一化がなされるという変なことになってしまわないかという懸念が一つあります。 もう一つは、いわゆる学校外の人たちの意見を聞いたり助言を求めることについて、私もこういう提言の発言をしたわけですけれども、これはこれからの議論ですが、こういう組織が何か校長先生に対する圧力団体になったり、圧力的存在になったり、あるいはごく一部のPTAが今言われているように、学校のことに細かく口を入れるというようなものになってはいけないので、少なくとも校長が困ったときに相談をする、助けてもらう。もちろん最終責任は校長であるという前提に立った存在でなければならないだろうと思いますので、その辺はこれからの議論で考えていかなければならない点ではないだろうかと思います。 ○ 既に何人かの委員の方から御指摘を受けたことですが、少なくとも4月以降は教育のための財政要求の問題についてもっと強く主張すべきだと思います。行政改革のときだからこそ、教育予算が横並びに削られては困るということをはっきり書いたほうがいいと思います。 ○ 今までのそれぞれの発言者からありましたように、学校の自主性・自律性を確立していくという基本的な方向性については、私も全く異存がありません。積極的にこういう方向で進めていただきたいと思うんですが、二つほど意見を申し上げたいと思います。 一つは、学校の自主性・自律性なり、それを高めるために校内組織の見直しや校長・教頭の適材確保の任用資格の見直し等、具体性の問題については、これから議論するということですけれども、今、なぜ学校の自主性・自律性の確立が必要なのかということについて、これはこの委員会が始まったときから、学校を地域に開く、子どもに開くということと、それぞれが独自のカリキュラムをつくって創意工夫を凝らした特色ある学校づくりをするという点については、ほとんど全体で共通に確認されていると思うんです。その辺のなぜ見直しをするかという目的意識みたいなものがやや分散して書かれているということで、どこかに見直しのための視点といいますか、考え方みたいなものを少し強調して、現行制度の概要はこのとおりですが、見直しに当たっての基本的な物の考え方を何かまとめて書いたほうがいいのではないかという感じがするんです。これはこだわりませんけれども、どこかにもうちょっと強調するということであればそれでも構いませんけれども、それが一つです。 それから、今、教職員が子どもたちの大きな変容に対して非常に戸惑いを持っているし、15年、20年やった教師が、どのように指導していいか非常に悩んでいるという深刻な事態が一方である。しかも、小・中・高で3分の1から4分の1が、同僚の教師間でなかなか相談できないというか、人間関係が保てないという状況が調査(教職員の悩み調査−中間報告−別紙資料)からも明らかです。そういうことを考えると、端的に言って、教職員がいかに元気を出して、同じ学校に勤務する同僚の教師として、今のさまざまな現場の悩みを相談し得るような ―聞いてみると、職員会議も非常に形骸化しておって、ごく伝達・報告だけで、いじめの問題とか、不登校の問題とか、学校がさまざま抱える問題について、議論する場が率直に言って非常に少ないという、私がこの調査をみる限りそういう実態で、またそういうことをよく聞いているわけです。 したがって、学校の責任者としての校長の権限を拡大することも必要ですけれども、教職員が今のさまざまな教育課題についてどうやって情報を共有するか、そのために校内で悩み事を十分相談できるような体制にどうやって持っていくかということで、ぜひやっていただきたいということが一つです。 私も2週続けて土曜日に講演を頼まれて、2ヵ所へ行ったんですけれども、質問の時間になると、今の教職員定数の第6次が2年延長になったというか、事実上完結年度が延ばされるという、これはある意味で財政構造改革会議の結論でありますし、やむを得ない面もあるんですけれども、現場としては今の教職員定数が次はどうなるのかということについて、ある意味では悲観的な見方をしている部分がかなりあります。 したがって、もう少し明確に次の教職員の定数改善、ティーム・ティーチングとか、グループ指導とか、特に二次答申で強調された、回り道をしながらついていくような、どちらかというと学習進度のおくれがちな子どもたちに対する手厚い指導などをするためには、どうしても教職員の配置の改善が必要なのだということを少し強調してもらって、次の改善計画も必ずできるんだという期待を現場の人に持たせるような表現をしてもらう。と同時に、これは総会で中間まとめがどういう形で公表されるのか、私もよくわかりませんけれども、二次答申のときに、私も何回かこの議論は会長にもお願いして、まとめの最後のところに書いてもらったり、会長談話の中で強調してもらうとか、そういうことをお願いした経緯を今思い出しているんですけれども、何かそういう一工夫をこの部分についてはぜひお願いしたいという意見です。2点だけ申し上げておきます。 ○ 全体的には非常によくできておりまして、中間の報告ということであれば、私もこの線で、あと多少つけ加えることがあるぐらいで、大体これでいいんだろうなというふうに読ませていただいております。 ただ、学校の自主性・自律性の問題の核は、学校にゆだねるということで、人事・予算という具体的な話が出てきて、実際やるとなるといろんな問題が出てくるなという感じがします。それをどこまで書き込むか。つまり、現場が伸び伸びと野放図になっていってしまうという方向と、逆に非常にシュリンクというんでしょうか、怖くなってしまって何にもやらなくなってしまうという方向と、実際上は両方考えられるものですから、想定としては両方を考えておかなければいけないんだろう。私の意見はそれに対しては、いろんなやり方があると思いますけれども、透明性を高めるという方向で、結果責任のような形で対応していくことが、最終的には現場に活力を与えていくことになるんだろうと思うんですが、なかなか難しい書き方になるなという率直な感じでいるわけであります。 先ほど小千谷小学校の現場の実態のお話がございまして、毎日7時、8時というお話がありましたが、実際7時、8時まで毎日やっているような学校はあります。幾つも私はよく知っております。「帰れ」と言っても、先生方が帰らないでやるというような、非常に活気のある学校が実際にあるわけですので、特殊な学校だとは思いません。ある条件があれば、現場の先生というのはやるんだろう。お金ではないような気がしております。 ○ 今までの議論の中で、私は、「子ども」という言葉とか文字が出てこなかったのではないかと思います。学校教育の主役はだれなんだろうか、子どもであるわけです。「地域住民」という言葉について、地域住民の中には本来は「子ども」も含んでいるわけですけれども、何かこの中では「子ども」は含まれていないという気がしました。ただ、きょうのこれを見させていただいて、「子ども」という字がいっぱい出てきていますので、安心をいたしました。 それから、学校の自主性・自律性の確立の問題ですけれども、私はこれらを進めるについて、生涯学習の視点で学校の自主性・自律性の確立を進めていくことが必要ではないかと思います。といいますのは、中教審で子どもの「生きる力」をはぐくむということを打ち出しました。これは前にも申し上げましたけれども、「生きる力」というのは、子どもが自分で考えて、自分で判断して、自分で学んでいくことと伺っております。こういうことは、生涯学習の基本というふうに私は認識しております。生涯学習というのは、自分で考え、自分で判断して、自分でやっていくものだ。ということであるならば、私は生涯学習の視点に立って、子どもたちの「生きる力」をはぐくんでいくべきである。すなわち、学校の自主性には特に必要ではないかと思っております。 私ども行政の中におきまして、生涯学習の進め方として、行政の生涯学習化というのをやっております。これは三つの柱でとらえていまして、その一つに「市民が主役のまちづくり、職員参加の推進」ということがあります。これは言葉を置きかえるならば、「教育行政の生涯学習化」とも言えるわけで、行政全般にわたって言っていますけれども、これは「市民が主役のまちづくり」を「子どもが主役の学校教育、職員参加の推進」というふうにも置きかえられるわけです。 その中で、私どもでは全国に先がけて出前講座を以前からやっているんですが、それを進める上で、行政編の中では職員が出ていくわけですが、例えば消防の職員の場合、阪神・淡路大震災以後、一番売れているメニューは「応急手当て講座」です。これが行きますと、市民の人からも喜ばれる。消防の職員がそれから帰ってきて、こういう話を私は聞きました。「今までおれたちは火よけしたり、市民の生命・財産を守るのが仕事だ。でも、おれたちの仕事がまちづくりにかかわっているんだという意識が今までなかった」と言うんです。これは教育委員会の職員も同じことを言っておりました。やはり出前講座の講師として出ていって、自分たちは今まで教育ということをいろいろ考えておったけれども、教育がまちづくりにつながるという意識はなかったと。そういったことを考えると、先生方も学校開放講座とか、出前講座の講師等をやることによって、先生の意識も一部変わってきていると私が思ったのは、学校開放講座は相手は大人だけです。出前講座の場合には親子が対象のものもあります。そういった中で、先生が言っておったのは、「今まで教えるばかりだったと思うけども、何か僕も学ぶということが本当に楽しくなった」ということでした。 私ども、先ほど申し上げた「行政の生涯学習化」というのは、職員の意識改革を求めております。ですから、これはもちろん市民にも意識改革を求めていくべきであるわけですけれども、人を変えるには、まず自分たちが変わらなければ人を変えることはできないのではないか。そういう考え方で、私は学校の先生方にもそういったものに参加していただくことによって、意識改革ができるのではないかと思っております。以上です。 ○ 今までのお話のように、3月までの方向性という面では、今まで十分審議し尽くされたものが網羅されていますし、これでよろしいかと思います。また、あと6月までの具体的な考え方はその後に出てくるかと思います。 一、二その視点で言うならば、説明責任のこととか、地域住民の意向の反映等がありますし、それから校長を含めて自己評価して、そういったものを説明する等々があると思いますけれども、果たして学校の中で自分の学校のことについて自己評価して説明するというだけで、機能が本当にうまく動くのかという疑問は若干あります。そういう面では、例えばもう少し外部の、もちろん学校、校長を初めとした内部を含めて、第三者的な組織でもって学校を支援すると同時に、評価していく。そういうきちっとした組織をつくっておかないといけないのではないかという感じがいたします。 もう一つは、学校の自主性・主体性は全くそのとおりで、これから非常に大事なんですけれども、自主性・主体性というのは今でもあるからこそ、道徳教育をやらない学校もいっぱいありますし、ティーム・ティーチングで加配できたのにもかかわらず、全然やっていないような高校もあるという感じで、実際には自主性・主体性のもとにひとりよがりの教育になっていく可能性も十分あるわけです。そういう面で、先ほどから出ているように、結果責任をどういう形で明確にしていくかということをはっきりしておかないといけないのではないかと思います。 もう一つは、各学校がどんどん特色を出してユニークなことをやったときに、子どもや保護者を含めた学校の選択がもう少し緩和していくということになっていかないと ―これは義務教育ですからもちろん限界があります。例えばある中学校で、本校は定期試験はこれから一切やめますという学校が出てきたときに、その中にいる子どもたちは強制的にそれに従わざるを得ない。しかし、定期試験等々でもう少し勉強の活力を持ちたいという子どもにとっては、結局動きが取れないということを、これからどういうふうにして考えていくのか、そういったことも非常に必要になってくるかと思います。 ○ それでは、きょうは以上にさせていただきます。 さて、今後の審議の進め方でございます。次回、3月6日、第13回の小委員会になりますが、ここでは前回及び今回の御審議に基づいて修文を行った上で文案全体についての審議を行いたいと思います。 これで本日の会議は終了いたします。 次回の小委員会は、3月6日、金曜日、13時から、霞が関東京會舘のゴールドスタールーム、35階で開きますので、よろしくお願いいたします。 |
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