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中央教育審議会

 1998/2 議事録 
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第11回)議事録 

       地方教育行政に関する小委員会(第11回)

          議    事    録

  平成10年2月20日(金)    13:00〜15:00
  東海大学校友会館  33階  望星の間


      1.開    会
      2.議    題
          今後の地方教育行政の在り方について
      3.閉    会

      出  席  者

委員 専門委員 事務局
河野座長 安藤専門委員 長谷川生涯学習局長
有馬会長 石原専門委員 辻村初等中等教育局長
鳥居副会長 大山専門委員 御手洗教育助成局長
薄田委員 岡田専門委員 富岡総務審議官
國分委員 小川専門委員 杉浦政策課長
小林委員 尾木専門委員 その他関係官
坂元委員 如月専門委員
永井委員 児島専門委員
横山委員 蓮見専門委員
藤波専門委員
堀内専門委員
鱒渕専門委員
村松専門委員
山極専門委員


○  それでは、ただいまから地方教育行政に関する小委員会、第11回を開催いたします。
  本日は、御多忙な中、御出席いただいてありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。
  これから審議に入りますが、本日は、全体の総論に当たる部分と、「教育行政における国、都道府県及び市町村の役割分担の在り方」、そして「教育委員会制度の在り方」の部分の審議でございます。

○  「ナショナルカリキュラムセンター」についてですが、これは第一次答申で、私も、社会の変動に対応してカリキュラムを修正、改善していくような常置的なものが必要だということを、何人かの方とともに強調させていただいておりましたので、その方向を打ち出していただければいいのではないかと思っております。
  それから、指定校とか、調査統計を絞るということについてですが、これは大変結構だと思うんですが、予算等々がありますれば、私は必ずしも研究指定校を減らさなくてもいいし、調査統計も絞らなくてもいいような気がいたします。各地方が独自にいろんな指定をなさるんですけれども、それを横並びで全国的に見たいというときに、各都道府県が指定されるものもあってもいいし、国が共通のテーマでいろんな県でやってくださいよと指定するものがあってもいいような気がします。これはこれで結構ですが、予算とか、それに対する対応が十分できるならば、国のサービスですので、必ずしも減らさなくていいような気がします。特に調査統計ですと、各都道府県でバラバラな調査統計があって、国として横並びで見たらどうだろうというときに、一見むだであっても、お金と労力があるならばですが、各県へのサービスとして必ずしも減らさなくてもいいかなという気がします。ここは御議論をいただければと思います。
  それから、現行でも教育委員会が、教育、文化、スポーツの振興等にかかわる事務を管理執行しておりますが、知事部局等で芸術、スポーツ、文化等、かなりてこ入れしてやっていただいている。そのときに、教育委員会が主としての責任があるということを尊重していただきながら、首長部局との連携といいますか、協力関係が維持できるような形で、教育委員会の主体性をどこか後ろのほうででも主張しておいてほしいなという気がいたしております。

○  地方教育行政の在り方を今なぜ見直しをしていくのかというときに、いろいろの観点があり得ると思うんです。今回の整理は地方分権でありますとか、あるいは学校の自主性の確立でありますとか、そういうことで進めていくのだということでとらえられていて、そのとおりでありますけれども、中央教育審議会で今これを扱うというときには、恐らくそれ以外に二つのことがあるのではないかと思います。
  一つは、これまでの中教審の第一次答申、第二次答申とのつながりの中で、「生きる力」を育てる教育を実現していくということとのつながりをもう少し明確に出したほうがよくはないかということが一つ。
  もう一つは、3月にこれが出されるということですが、その際もう一つの分科会のほうで取り上げておられる「心の教育」という問題とセットになって、両方が同時に総会にかけられて審議されていくということがある。そこで両者のかかわりはどうなるのかという問題があるのではないかという感じがしております。
  後のほうの「心の教育」についての問題は、今、学校が抱えております非常に厳しい状況があって、それに対して一つは「心の教育」ということでもって対応していくのだということであろうかと思うんでありますけれども、そういった今の学校が抱えております非常に困った問題について、この教育行政の改革がどうプラスに作用するのかということが一つは要るのではないだろうか。
  この流れの中でもちろん読み取れることは読み取れるので、それぞれの学校が自主性・主体性を持った取組を強化していくということがその方向につながるのだと思いますけれども、もう少し脈絡がはっきりしたほうがいいのかなという気がいたします。例えば、非常に厳しい緊急な事態が起こったときに、どういう形で情報提供をして、どういう形で援助をしていくのかという筋道が多少書かれてもいいのではないかという気が一つはしております。
  前の方の、第一次答申、第二次答申との絡みについては、全体としてもちろん学校の自主性・自律性を確立するということがそれにつながるわけでありますが、さらにつけ加えれば、第一次答申の中で、家庭・地域との連携の中で学校教育が役割を発揮していくということでありますので、地域の問題が、ここでは、やや一般的に都市化・過疎化の進行の中でのコミュニティの形成の問題ということでとらえられておりますけれども、例えば5日制の完全実施といった学校教育のこれからの動向という中で、地域がどういう意味を持ってきて、それに教育委員会がどうコミットするのかということをもう少し加えていただいてはいかがだろうかという気がしております。
  そういう形で、中教審のこの問題に対する取り組む方向性をもう少し具体的に最初の部分でお出しいただいたらいかがかなということを感じております。

○  一点は、調査統計のことです。文部省の統計資料がどんどん少なくなっているのではないかという気がしているわけです。刊行の仕方、アクセスの問題もあるかと思うんですけれども、一例を挙げますと、「文部統計要覧」が昭和53年度から半分になってしまいまして、あれは一番コンパクトで、学生なんかにも買わせて使わせていたのが、利用価値が半減してしまった。一例でございますけれども。
  これは趣旨として、府県なり市町村の教育委員会に国からこういう調査をやれという形で、煩雑になっていることもあるかなとも思うんですけれども、この委員会の中でそういったような御意見はあまり出なかったので、実態はわかりませんけれども、もしそういったことがあるならばこういった書きぶりでもいいかと思いますが、それほど煩雑に地方機関の制約を伴っていないならば、逆に私はもっといろんな調査統計を提供していただきたいという希望がありますので、御留意いただければと思います。
  二点目は、関係法令の見直しを行う際に、学校教育法の第106条の「当分の間」を外すだけの形になってしまうとちょっとまずいなと。たぶんそうではないと思うんです。地域における主体的な取組を促進する観点から、地方教育行政機関に権限を委譲する方向で強調していただければより趣旨がはっきりするのではないか。
  もう一点は、教育委員の選任の在り方で、もう少し踏み込んでいただけないかという個人的な希望を強く持っております。今の首長任命を大枠としながらも、もう少し柔軟なというニュアンスであろうと理解はしているんですけれども、何らかの形で住民の意向を確かめる観点という視点があってもいいのではないだろうか。これは何度も私は発言させてもらっていますので、趣旨は十分御理解いただいていると思いますけれども、全体のこの委員会あるいはヒアリング等での御意見の共通項が、現行制度の維持であるということは十分承知はしているんですが、全体の方向としては住民の意向をより直接に反映するような措置を、首長のレベルで考えていただくような方向があってもいいのではないかといまだに思っております。

○  ナショナルカリキュラムセンターと生徒指導研究センターに関して発言させていただきます。
  この二つとも、私は、大変大きな意味があると思います。ナショナルカリキュラムセンターのほうにつきましては、教育課程の実証的な研究開発を促進する観点から、教育課程の基準の改善のための研究開発を都道府県等において主体的に実施することができるようにすることとの関連を明確にすることによって、もう少しナショナルカリキュラムセンターの性格を明確にして位置づけたほうがいいのではないかと思いました。
  生徒指導研究センターでございますが、これも最近、児童生徒の抱える問題、あるいは問題行動が大きく変わってきていて、それに対して特に教育委員会も、各学校もどのように指導を展開するかということについて戸惑いが見られるということもございますので、ぜひこのセンターが機能して、特に一つはこうした問題の傾向の分析と、それから実践事例の情報の収集と、そしてその情報をもとにした、効果的な助言や支援が大事だと思いますので、少し効果的な助言や支援の内容を明らかにする。例えば、「最近の新しい傾向に対する基本的な指導」、あるいは「最近の児童生徒の抱える問題あるいは問題行動等の未然防止、あるいは対応に関して効果的な助言、指導を行う」というような方向で、少し内容を明確にしていくことが望ましいのではないかと考えます。

○  全体的には何人かの方もおっしゃいましたように、これまでの小委員会でのフリー討議やヒアリングの結果等も踏まえて、十分うまくまとめられているというのが、全体的な私の感想ですけれども、今まで出された委員の御意見との関係も含めて、二、三の意見を述べさせていただきたいと思います。
  今開かれている通常国会での橋本総理の施政方針演説やそれに対する各党首レベルの代表質問等を聞いていて、家庭教育や地域の教育力をどう高めていくかという点で、かなり共通の土壌ができつつあるという印象を私は持っているんです。
  その中で、学校・家庭・地域の連携をどうするか。そういう点から、これまでの行政システムの見直しが必要であると総理もお答えになっているようですけれども、その辺のところと、一次答申、二次答申で強調してきた「[ゆとり]の中で[生きる力]をはぐくむ」という基本的なコンセプトとのかかわりを、基本的な考え方というか、行政の見直しというところにちょっと強調して、アクセントをつけたらどうかという感じを持っているということだけ申し上げておきます。
  それから、ナショナルカリキュラムセンターや生徒指導研究センター等については、基本的に私もそういう考え方を日ごろ持っておりましたし、そういう意見を述べたこともありますので、非常に時宜を得た具体的な提案だと基本的には受けとめます。
  ただ、二、三意見がありましたように、都道府県レベルでの実証的な研究の問題とか、常置されるナショナルカリキュラムセンターと都道府県のそれとの関係をどうするかとか、カリキュラムセンターの機能の問題等について、もちろんこれは中間まとめをした後も、これから相当時間をかけて詰める話だとも思うんですけれども、もう少しイメージを膨らましたほうが、中間まとめの後のいろんな議論を出しやすいのではないかという意味で、内容的に、少し膨らまして、どういうことをやるのかということがわかるような形にしたほうがいいのではないかという意見を持っております。
  それから、先ほど出されました第106条の問題については、前に何回か私も意見を申し上げたんですが、恐らく、第106条の規定の「当分の間」というのは当然削除するということでの見直しになると思うんですが、併せてそれを受けている省令等に定められている具体的な基準の内容についても見直すべきものとして、例えば私が考えているのが原案以外に二、三あるんです。
  一つは、義務教育について国の基準を明確にするという意味で、指導要領を文部大臣が制定をすることについては異論を挟まないんですけれども、これからの特色ある、しかも地域に開かれた学校づくりを進めるという観点に立ったときに、大綱化・弾力化は当然進めなければなりませんが、さまざまな実験的な試みを、恐らく2001年から横断的・総合的な学習を初め、教科の再編・統合に向けたいろんな試みが、市町村レベルでもやれるようにもう少し弾力化する必要があるのではないか。基準の緩和ということと同時に、今、学校教育法施行規則のたしか第26条の2だと思いますけれども、文部大臣の定めによって幾つかの実験的な研究ができるという規定が私が見るところあるんですが、学校設置者の判断で、合科とか、教科の再編に向けた実験的な研究ができるようにするという意味で、「大臣が認めた場合」というのを「学校設置者が認めた場合」ということができるようにしたらどうかということです。
  それから、中高一貫ということについて、これから通常国会に法案が出されるんでしょうけれども、小・中の接続とか、あるいは幼稚園と小学校の接続とか、いろんなことをこれからやっていく上でも、免許法をもっと弾力的に運用して、高校の先生が中学校の免許を持っていなくても、隣接の中学校と交換授業をやるとか、逆に中から高に行くとか、高知とか幾つかの県でそういう試みがなされていますけれども、そういう点について、免許法の改正ができればそれもいいんですが、そういうことを実験的にやれる方法等を考えてもらいたいというのが二つ目です。
  それから、高校の入学試験について、学校教育法施行規則の第59条でいろいろと規定されているんですけれども、「選抜のための学力試験を行う」というのは基本原則ですが、二次答申の中では、入学者選抜に関する改善の中で、各学校ごとの選抜ということでの多様化が必要なこととか、学力選抜のみによらないいろんな面接も含めてやるということが幾つか提案されています。そういう意味から、今の学校教育法施行規則第59条の内容についても、中高一貫の場合は入学試験を行わないということになるんですけれども、今後の多様化・弾力化ということの中から、今の規定がこのままでいいのかどうかについて検討する必要があるのではないか。
  それから、教科書採択の問題についてですが、採択を今、都道府県が決定することになっておりますけれども、私は市町村教育委員会に移すことが重要ではないかと考えております。それと、見本教科書本の総量規制があって、現場の先生が教科書の展示会場に行くのにも相当遠い距離のところまで行かなければならんとか、忙しくてとても見本の展示されているセンターまでなかなか行けないということで、教科書採択に対する現場教職員の関心がちょっと薄くなっているように最近思うので、総量規制とか、そういうものについてももっと弾力化する必要があるのではないか。第106条の「当分の間」は削るにしても、具体的に第106条の定めを受けた学校教育法の施行規則等について、そうした点についてこの機会に見直しをしたらどうかということを特に申し上げておきたいと思います。

○  幾つかあるんですが、一つは全体のトーンの話ですけれども、地方分権委員会の勧告は政府として尊重するということは当然でしょうけれども、この中教審は分権委員会の下請機関ではないのに、やたらに分権委員会に気を遣っているような印象を受けるわけです。もちろん地方分権というのは多くの方の異論のないことですけれども、同時に教育に関し国がやるべき最低限のことは認識の程度の差は別としてあるわけで、あんまりそっちにばかり傾斜したスタンスはどうだろうか。やはり国として分権の時代でもやるべきことはやるんだというトーンが欲しいなというのが一つでございます。
  それから、カリキュラムセンターについてですけれども、どなたかもおっしゃいましたように、カリキュラムセンターと第一次答申でございました恒常的な教育課程あるいは教科の統合等を検討する機関との関係をどう位置づけるかという問題は、これから残るのではないかと思います。ただ、私は、文部省がスリム化して、ごく基本的な事柄を中心にやり、それ以外のやや専門的なことは文部省を一応離れた形のこういうセンターでやる方向は大変いいことだと思います。
  ただ、気になりますのは、御時世ですから、新しいこういう機構をつくるのはかなり至難のわざだろうと思いますと、国立教育研究所の活用を当然すぐ結びつけて考えられるわけですが、現在の教育研究所というのは到底実践的なカリキュラムを研究する場として、実態としてまずふさわしくないだろう。やはりここでの研究調査というのは、より実践的な研究、それから現場に結びついた研究、またその研究が直ちに現場で活用できる研究、そういう視点が大事だと思います。その点はこれから、機構の問題は文部省だけでなくて、恐らく大蔵省とか、総務庁とか、いろんなところでやると思うんですけれども、そういうことを踏まえて、今の国立教育研究所の体質に埋没することがないような工夫を、大変辛口の言い方で恐縮ですが、お願いしておきたいと思います。
  それから、学校教育法の第106条の当分の間についてですが、先ほど委員の発言でちょっとびっくりしたんですけれども、私の理解では、第106条の「当分の間」というのを削る、そして監督庁とあるのを文部大臣にする。ただ、そこで定める基準などを地域の主体性を生かす観点から見直す、こういうふうに理解しておったんですけれども、何かこの監督庁を地方行政機関とおっしゃったので、そのように読めるのであれば、この表現を少し変えなければいけないのではないか。改めて学校教育法の第106条で、文部大臣とされている監督庁を見ますと、例えば最初からの順番で言いますと、第3条が学校の設置基準です。それから第8条が教員の資格、第11条が懲戒、それから第20条が教科に関する定め、そいうことで、まさに国が定める内容だろうと思いますので、その辺は表現を工夫しないとちょっと誤解が生ずるかなという気がいたしました。
  ついでで恐縮ですけれども、先ほど研究指定校のことがありましたけれども、方向としては逆に私は賛成でございます。ただ、国という場合も、今の制度を念頭に置いておりますけれども、せっかくナショナルカリキュラムセンターができるのであるならば、これの性格にもよりましょうが、実践的なものはここが指定するようなことも考えたらどうだろうかという気がいたします。

○  教育長の任命に際しての一定の資格要件に関して。一定の資格要件を付すことの検討が必要であるということですが、これは国レベルで今後さらに詰めるという意味なのか、それともこれは地方で自由に資格要件を検討してよいですよという含みも入れているのか、その辺の意味合いがよくわからない。非常にあいまいなので、これは資格要件を入れるのかどうかも含めてもう少し文面を検討されたほうがいいのかなと思います。
  二つ目は、見直しのさまざまな指摘があるんですが、それを今回の中間報告でどこまでより具体的に文章として表現するのかというところが、もうひとつよくわからないところがあります。例えば、今、地方分権推進委員会のほうで作業を進めている地方自治法の改正と対応してそうなのかなというところもありました。例えば、措置要求権の第52条などの見直しなどは、きっと地方自治法の改正の絡みなんだろうということで、その辺はいいんですが、先ほど出てきた教科書採択の問題とか、標準法の問題とか、教職員定数の配置・加配の問題策は、私は国、都道府県、市町村との関係の見直しという際の重要な個別テーマであると思うので、今回の中間報告では何らかの形で触れざるをえないのではないか。しかし、個別的な法テクニックもあるので、そうした標準法とか、教職員定数の加配とか配置の仕組み上の問題策については、今回触れないというふうにされるのか。何らかの形で見直しに対応してそれらテーマに触れることができるのか、又触れないのであれば何故触れないのかというそのあたりも少し検討していただければという感じがします。
  最後に一つ、不満ではないんですが、これはなかなか難しいんだろうと思いますけれども、国と地方との関係の見直しについてはすっきりしていると思うんですが、問題なのは都道府県と市町村との関係見直しについて、もう少し市町村主義を打ち出せないか。例えば、都道府県と市町村の関係では、設置基準の規定の第49条を廃止するとか、その他指導・助言の第48条にかかわる見直しとか、中核市等々に権限の委譲があるんですが、学校教職員ないしは学校レベルでの都道府県から市町村への権限にかかわってはほとんど変化がないという印象が強くあります。。
  これは確かに県費負担教職員という現行制度がガッチリあるので、そのあたりはなかなか動かしがたくて難しいんですけれども、例えば市町村の学校づくりへの支援や、学校現場のいろんな要望を聞くと、教員の加配の裁量権限のある部分については、一定規模以上の市とか、広域連合等に何らかの形で委譲するなり、特例の措置を図れないかという思いが強くあります。それはやはり校長の人事権の強化を実質化させる制度的な担保でもあり得るわけですので、そのあたり何か一つ風穴をあけてもらえれば、都道府県と市町村との関係はもっとダイナミックに動いていくような感じがしますので、そのあたりも検討できれば検討してほしいということです。

○  やっぱり市町村と府県の関係が私はよくわからない。実態等をこの2週間の間に伺う機会があったんですけれども、それとの関係で言いますと、もうちょっと何か書けないかなという感じがあるわけです。
  それは例えば、ある県で画一的なことが行われているというときに、今まで指導は、その運用が強めに行われてきたということで、学校や市町村レベルの教育委員会がどれだけ何ができるようになるのだろうか、その幅をどうしたらいいのかということについて、この規定ぐらいだと不安で積極的に何もやりだ出さないのではないか。もちろんこれから実施のことを考えるわけですから、その過程で考えていただければいいのかもしれませんけれども、具体的にどんなことができるのかというオプションのようなことを、今でなくていいのかもしれませんが示唆した方がよいのではないか。具体的にオプションの幅のようなことを、今までの経験にもとづいて書いた方がよいのではないかなという感想を持っております。
  二番目は、枝葉末節のことでありますけれども、「国の役割」とか、「府県の役割」の大見出しのあるページに、任命承認権の問題が出てきていません。これまで果たしていた役割というときに、実際に行使したことはないけれども、重しになっていたであろうとか、そういう議論はあるわけで、書いておかなくてもいいのかなという感じがするわけです。

○  全体は今までの委員会の御議論がうまく盛り込まれて非常にいい方向になったかと思います。
  教育委員の選任の在り方も、いろいろと御議論があると思いますけれども、教育委員の選任、いわゆる公選制等の住民による投票行動で決めるというのは、今までの議論にありましたように、必ずしも望ましい結果は得られないのではないかという観点から、このような方向でいいのではないかと考えます。
  それから、先ほどのカリキュラムセンターや生徒指導研究センターも、方向として今まで中教審でも言われたことだし、ここでもよく出てきた問題なので、その方向そのものはいいかと思います。具体的にも先ほど出ていたように、これを英語で言うと「ナショナル・インスティテュート・オブ・カリキュラム・リサーチ・アンド・デベロップメント」、そんなような感じになると思うんですが、そこで大事なのは、その後にやっぱり「オーガナイズド・アンダー・ミニストリー・オブ・エデュケーション」というか、行政のというか、中に入っているという形にしておきませんと、こういう研究というのは非常にいいんですけれども、だんだんアカデミックになっていきまして、やれアメリカのカリキュラムがどうだ、イギリスがどうだと、これももちろん情報としては大事ですが、ひとり歩きして現場から遊離したようなものになる恐れがあります。そういう面では、カリキュラム開発とともにエバリュエーションもやると同時に、パイロットスクールというか、協力校を仰ぐ。あるいは、将来的にはナショナル・トレーニング・センターみたいな、筑波でも今やっていますが、ああいったものとどのように絡めていくか。これはまたこれからの問題で、そんなことをここで触れる必要があるかどうか別ですけれども、方向としては大事かなと思います。
  それから、教育学部との連携や教育委員会との連携、あるいは大学の附属学校などは、すべて研究開発校のような性格をある面で持たせてもいいのではないか。今でも附属の開発校というのは何校か指定されていますけれども、かなり思い切って、例えば小学校から英語をやるなんていうときに、本当にどの程度できるのかということを実証的にやるなど、すべての附属学校は研究開発校でよいのではないかそんな感じを受けます。

○  大変結構にまとめていただいています。21世紀を主体的に生きることができる国民の育成ということですが、さらにここのところはもう少し膨らんでくるといいかなという感じがしております。
  それから、大変細かいことでありますけれども、研究指定校に関しましては、必要なものに限定するぐらいでとどめていただいて、学校数の削減まで出てこないほうがいいのかなと思います。また、学校にとっては、こういうものをやることによって力づけられますし、ただ、運用の仕方についてこれまでいろいろ課題があったので、いろいろ悲鳴も現場から出てきてという状況もあるかなと思っております。
  それから、地域振興のところで、「幼児期からの心の教育に関する小委員会」の委員会のほうで、特に家庭のほうにかなり踏み込んだ提言がなされていますけれども、やはり家庭教育支援を進めるための地域振興という観点も入らないかなと考えております。
  それから、私立学校との関連では、私立学校においても優れた指導をなさっている先生もいらっしゃるわけで、そういう方の人事交流ができるかどうかわかりませんが、例えばある一定期間、指導行政、例えば指導主事さんに任用するというようなことも今後検討できないかと考えております。

○  国、都道府県、市町村の関係の見直しにつきまして、今までの議論をよく踏まえているかと思います。中核市及び地方教育事務所等のことについてはそのとおりになったらいいと思っております。義務教育の市町村の役割と都道府県の役割は、やはりある意味で二重行政になっている面もございます。市町村教員が専門性をもって機能するためには、基本的には設置主体まで踏み込むことができるかどうかという議論にかかわるもので難しいかと思いますが、国・県・市の役割が公になったときに、学校や地域住民が、つまり何が変わったのかということが明快にわかるような形のほうがよりいいのではないかと思っております。
  生徒指導研究センターについてでございますが、このようにナショナルカリキュラムセンターというものがきちんと確立され、そして充実されればよろしいかと思います。なお、生徒指導という言葉は、児童生徒、保護者にとりまして、いわゆる「指導する」、「管理する」という意味合いにとられがちで、例えば私どもが「生徒指導を充実強化する」と申しますと、必ず投書や電話が参ります。この言葉はもう少し包括的な言葉になるほうが、例えば今、教育相談・カウンセリングと生徒指導が混在する中で、もうちょっと幅の広い言葉があってもいいかなと思います。
  同時に、研究センターで、先ほどから御指摘がありましたように、研究のみでなく、行政や法的なものとのセットになって、現場がそれによってすぐに動けるようなものが求められています。例えば過日の中学生のナイフ殺傷事件でも、文部省、都道府県まではそのまますぐに伝達という形で通りますが、現場では例えば憲法とどうかかわるのかとか、児童の権利条約とどうかかわるかとか、少年法とか、さまざまな問題について、ふだんそういうことを扱っておりませんので、具体的な事例について細かい対応が必要になってまいります。そういうことにつきまして、ふだん子どもの教育に従事しているとき、そのような専門的なものの研修までなかなかできにくい面もありますので、こういうところでそういうものがセットとして、実践的な、具体的なことの調査研究が提供されることが一番望ましいかと思っております。
  なお、国による指導資料の作成については真に必要なものに限定するという点につきましては、私はこれでよろしいかと思っております。例えば私どもの指導主事の仕事の大半が県からの調査依頼等、事務処理に追われている現状を考えますと、「真に必要なもの」という限定のほうが、より学校が活性化できるのではないかと思っております。
  ただ、調査統計ですが、国がなさいます調査は当然のことながら全国的なレベルということの抽象度が高いものが多い、あるいは実態調査ということになりますが、具体的にはそれについて、例えば項目をつけ加えることで、似たような調査を国がして、都道府県がして、市町村がするということの現場からみた煩雑さを避けられるようなものもあっていいのではないでしょうか。
  例えば、いじめ状況調査につきましては、国のほうでなさっておられますが、その項目として「いじめの態様と発見の端緒」、そういうことがございますが、現場ではこの問題に具体的に対応するときには、いじめがいつどこで起きたかということの調査も必要でございます。私どもはそれについてつけ加えさせていただいております。このことよって、具体的にいつ発生しているのか、そしてどこで発生しているのかということがわかりますと、その時間帯、場所について集中的ないろいろな指導ができるということにもなります。調査事務の削減とともにもう少し国、都道府県、市町村で事柄によっては連携のとれた調査の在り方が工夫されたらよろしいのではないかと思っております。

○  違う観点の話ですが、こういう話を聞きました。昭和20年の復員列車の大変混雑の中で、一つの席を取り合って大げんかが起こった。そのとき、一人の少女が「赤とんぼ」の歌を口ずさみ始めたら、いつの間にかその列車じゅうが「赤とんぼ」の大合唱になって、いつの間にかけんかがおさまり、譲り合って、時が過ぎていった。
  何が言いたいかというと、親と子が世代をこえて同じ価値観で歌える文部省唱歌の制度や普及の大切さです。これから国と地方の役割分担を論じながらも、ますます中央、国としての文部省  ―どのように名前がかわるかは別として、その役割が大事だと思っております。ぜひ役割分担論と並行して、―あたかも分権、分権と言うと、国は要らないみたいなイメージになるので、大いに国の役割の重要性について議論をいただきたい。これはお願いでございます。
  二つ目は、カリキュラムセンターについては、心から支持するものでありますが、先ほど来のお話のそれに対する評価システムの問題ですとか、自律性の確保ですとか、それから、国立教育研究所の充実というよりも、せっかく周りが見直しと言っているんだから、ここも見直しにしてしまったほうがいいのではないかと思うぐらいでございます。そういう点を踏まえて、行政改革の観点にも十分配慮する。これを忘れずに実のあるものにぜひ実現をしていただきたいと思うわけです。

○  学校と家庭と地域社会の連携についてですけれども、学校と家庭という関係、それから学校と地域社会という関係は割と具体的に見えてくるんですけれども、地域社会と家庭という軸についてはちょっと薄いような気がしたんです。
  そのことを具体的に申しますと、地域コミュニティの育成と地域振興に教育委員会の果たすべき役割について書かれた部分に一番出てきていると思います。学校と家庭の関係では、「家庭」は「保護者」という言葉に置きかえられると思うんです。「地域社会」に対応するのは「地域住民」という言葉になってくると思うんです。学校、家庭、地域社会というふうにうまく連携をとっていくためには、保護者である家庭と地域社会とも結びつかないといけないんですけれども、このままではその辺の軸がうまく見えてこない。つまり、家庭教育を充実させていくことに対して地域ないし教育委員会がどのように具体的にかかわれるのかということについて、もう少し何か言葉があってもいいのではないかと思いました。恐らく今まで学校を中心としたことが主に話されてきましたけれども、やはりこの三つの連携を考えていく上では、家庭に対しても地域がもっと踏み込んでいく、何ができるかということを増やして話を進めていければいいかなと感じております。以上です。

○  今現在、地方分権化の波というのがありまして、それに応じなければならないという必要はある思いますけれども、ただ日本の教育というのは基本的に考えますと、明治以来、中央集権できたわけです。これを見直すということなのだろうと思います。ただ、中央集権が何もかも悪いわけではないので、こんなことを今ごろ申し上げるのは申しわけないんですが、例えば全国的な水準の維持向上とか、そういった点では、アメリカ、イギリスのように地方分権の非常に盛んな国に比べますと、日本の制度は維持向上には便利にできているという気がいたします。例えば、ある県とある県の教育内容、水準を比べまして、どちらかが著しく劣る県がなくつくってあるというのは、公平という点でいい制度だと思います。ただ、それに伴って教育の画一化が起こってきたから、こういう話が出てきたのだと理解するわけです。しかし、同時に、先ほど御指摘もいただきましたように、同じ歌があるということの便利もあるわけなので、文部省のスリム化は大賛成ですけれども、その役割を無原則的になくしてしまうというよりも、全国の水準の維持を図るためには、文部省は非常に重要な役割を演じているんだという気概をどこかに示してほしいと思います。
  具体的に申しますと、例えば、教育課程について地方の裁量の幅を大きくして創意工夫を生かした教育課程を編成するというのは全く賛成ですが、ただ全国で共通な部分もあるのだろう。どういうものを地方の文化、あるいは慣習、気候の違いなどに応じて裁量するのか、どういうものはにもかかわらず日本の中では共通点として保っていくということが非常に抽象的で、全体のトーンを見ますと、そういうものがだんだんなくなっていくような気がするので、それをどこかにきちんと書いておいたほうがいいのではないかと私は思います。現にカリキュラムはナショナルカリキュラムセンターで考えると書いてある。ナショナルなので、リージョナルではないわけであります。そうすれば、ナショナルのカリキュラムの基本を考えていることには間違いないわけなので、その辺はきちんとやるということは書いておいたほうがよいのではないかと思います。

○  研究開発学校の場合、現在、国が行っているわけですけれども、国で行う場合の研究開発の中身と、拡大するとして都道府県で行う場合の研究開発の内容には違いが当然あるだろうということで、そこらあたりの仕分けをどうするかが一つあろうかと思います。ただいまの御意見と同じことだと思いますが、国の基準を開発するということと、都道府県の例えば教育課題なりを踏まえた特色ある学校づくりのためのカリキュラム開発という点での若干の違いが出てきて、そこらあたりはこの段階で仕分けしていたほうがよろしいかと思っているわけです。
  もう一つは、研究開発の仕事を例えばナショナルカリキュラムセンターでやるかやらないかということは大きな問題になろうかと思います。もしナショナルカリキュラムセンターで行うということになれば、文部省の外に置くというようなことになるかもしれませんが、そうなると、文部大臣の指定は難しくなるだろうということで、これを外に置くような機構でしたら、研究開発学校の指定を行う、指導を行うことは難しくなるのではないか。そこらあたりのところを今の段階で少し詰めておいたほうがよろしいのではないかという気がいたしました。

○  あちこちに出てくることですが、「生涯学習、学校教育、社会教育、文化、スポーツ等の振興」と出てきます。生涯学習をこのように横並びに置いていいんだろうか。やはり「生涯教育」という言葉から「生涯学習」という言葉になった経緯等から考えると、広い範囲にわたるものですから、学校教育、社会教育等すべてが含まれるものではないかと考えます。
  市役所で言うと、お母さんが赤ちゃんを妊娠する。生まれる前に母子手帳を出します。人が亡くなると埋葬許可証を出す。私は、前世から現世、来世にあるんだ、一生涯の問題ではないんだと。私はこれを「三世学習」といつも言っているんですが、そういう幅広いものであることから言えば、この順番は「学校教育、社会教育、文化、スポーツ等、生涯学習の」という言い方をしてはいけないのだろうか。今の文章でも間違いではないと思いますけれども、私は今の生涯学習の進め方から言えば、それくらい幅広くとってもいいのではないかと考えます。

○  先ほどの御意見の中に、地域と保護者との連携とか、その関係のことが言われましたけれども、そのことは私は学校の自主性・自律性の確立の分野の中でもう少し触れられるのではないかと思っております。昔から、この三者が連携をしていかなければならないということがずうっと言われているんですけれども、例えばナショナルカリキュラムセンターとか、生徒指導研究センターとか、語源のどうこうはとにかく外に置きまして、そういうものがつくられていろいろなことを検討していくことに関しては非常にいいことだと思います。私は、これは文部省からちょっと離れたところの機関で、現場からあまり遊離しないような関係のところで、ぜひともその三者が、上部機関でも三者が連携をして物事の指針を出していくことができたらと思っております。ともすると、机上の空論になってしまうような形がありますので、とにかく現場を見据え、そして社会を見据え、地域を見据えたものであってほしいと思います。そういう意味で、ナショナルカリキュラムセンター、生徒指導研究センターというのは大いに賛成ですので、ぜひとも形にしていただきたいと思っております。

○  学校と学校以外の教育機関との連携、さらに地域コミュニティーの振興という三つの関連からの話ですが、学校としては学校の教育課程を組んで授業を行う。授業をするに当たって、今、中学年あたりは地域の学習をしている。特に生活、民芸品、そういったものについて学習をするに当たり、施設に子どもたちを連れていかなくてはいけない。そういった場合に、多くの子どもを連れていくに当たり、輸送面、また指導内容について、施設との関連から日程調整をしなくてはいけないといういろんな問題もあるわけですが、まず何といっても移動、輸送面です。そういう意味で、生涯学習という中で、社会教育では出前講座、あるいは学校においては出前の授業も多く行われている。そういうことは今後ますます増えていくと思うんですが、学校と施設との連携を行っていくに当たり、学校からすれば非常に頼もしいし、効果があると思うんです。
  ただ、施設のほうから考えますと、限られた人数しかいない中で、多くの学校から要望があった場合に、それに対応できるかどうかという問題もあるかと思います。その際、地域の方の施設ボランティアという意味で、人づくり、地域づくりという中でも、行政への援助、さらには学区にある小学校あるいは中学校への援助ということで、包括する人的な機能という意味では大切なことであるということから、三者の連携融合という意味で、今後の地方分権化ということで、地域の行政を中心とした機能面で非常に大切な分野ではないかという感じがしました。

○  ちょっと気がついたことを二、三申し上げます。日本の教育が津々浦々、平均学力を持っているということは、国が頑張っているからだと思うので、これは幾ら地方分権でも壊さないようにしていただきたい。ただ、画一的な問題があるので、そこは今後直す努力をしていかなければいけないと思う。ですから、あまり国が遠慮する必要はないと思います。
  また、ナショナルカリキュラムセンターを何も外に出してしまわないで、国立教育研究所にそれを付加して、ちゃんとそこで行政目的の役に立っているんだよという方向に進んだほうがいいのではないかとちょっと思いました。

○  今後のスケジュールについてですが、次回、2月25日、第12回の小委員会においては、今回に引き続いての審議を行いたいと思います。
  これで本日の会議を終了いたします。
  次回の小委員会は、2月25日、水曜日、13時から、霞が関東京會舘・ロイヤルルーム、34階で開催したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

(大臣官房政策課)

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