1998/1 議事録 |
今後の地方教育行政に関する小委員会 (第9回)議事録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地方教育行政に関する小委員会(第9回) 議 事 録 平成10年1月26日(月) 13:00〜15:00 霞が関東京會舘 35階 ゴールドスタールーム 1.開 会 2.議 題 今後の地方教育行政の在り方について 3.閉 会 出 席 者
○ それでは、地方教育行政に関する小委員会、第9回を開催いたします。 きょうは、お忙しいところを御出席いただきましてありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。 ただいまから議事に入りますが、前回の会議では、教育行政における国、都道府県及び市町村の役割分担の在り方に重点を置いて御討議をいただきました。 本日は、前回に引き続いて、教育行政における国、都道府県及び市町村の役割分担の在り方について御討議をいただくと同時に、教育委員会制度の在り方について御討議をいただきたいと思います。 ○ 行政機関間相互の関係について、具体的にどういう方向で直さなければいけないのか、たぶんここにフォーカスを持ってきているだろうと私は思っておりました。 前回の御論議もあったと思うんですけれども、特に「指導・助言」をめぐる問題としまして、地教行法の第48条と第49条をどう整理するのかという問題が重要であると思います。 第49条につきましては、地方自治法の改正決定ということで、前回、御指摘があったんですけれども、第48条について、今後、一層検討が必要であろう。要するに、一般的に国、都道府県、市町村間の「指導・助言」について規定があるわけですが、これはどういう文言に直すというところまではもちろん踏み込んでおりませんけれども、私個人の意見としては「指導」という言葉を何らかの形で変えていったほうがいいのではないかという問題。 もう1点、これも前回、御指摘があったんですけれども、学校教育法の第106条の「当分の間」の問題です。いろんな部分を受けとめて第106条の規定があるわけですが、特に学習指導要領の問題は、これまであまり論議がなかったと思います。ただ、いろんな形で我々が今日の教育行政の在り方を考えた場合に、教育委員会の方々、あるいは学校の先生方、組合の方も含めてだと思いますが、戦後、一貫してこの問題が大きな焦点になってきたのではないか。「当分の間」というものを、ちょうど半世紀たつわけですが、「当分の間」というのは、どう考えても日本語的におかしいのではないかという意識を持っております。別に時間の長短ではないんですけれども、学校教育法が制定されたときの論議としまして、当然ながら、教育委員会等、地方の行政制度の未整備の状況で学校教育法ができたわけです。したがいまして、文部省が「当分の間」この責を負うんだという立法者意思が明確にあったのではないか。ところが、翌年に教育委員会制度が発足し、まさに今その見直しが地方分権という流れの中で進められてきている。 そうした場合に、慎重な言い回しといいますか、国としての基準は立てるということだとは思いますが、それが現在の学習指導要領の内容であっていいということではないだろうと思います。端的に言えば、教科の種類とか、年間の総時数ぐらいのいわゆる大綱的な基準は国が担保するとしましても、各教科の中身、教科内容の配当等は、文字どおり各府県ぐらいのレベルで考える段階にきているのではないか。そういうことによって、個性豊かな教育が文字どおり地方分権の中で実現していく、その大変大きな要件ではなかろうかと思います。 あわせまして、人事の問題。通常、国と府県、市町村の縦の関係を見たときに、現在論議されていますような地方分権を推進する領域としまして、教育課程とかを含めました指導行政と、もう一つは人事行政の問題がどうしてもあると思うんです。これは国庫負担を前提とした上の県費負担教職員制度、任命等々については大変大きな問題で、お金の問題ですから、いじるには少し時間がかかると思うんです。定数等の弾力的な運用ということですね。これは大変厳しく運用されておりまして、会計検査の問題もあると思うんですけれども、実際に各学校等でいろんな問題が起こっている。これにつきまして、府県、さらには市町村レベルで、一定の定数の範囲の中で、自由な学級編制ができるようにしていく。こういった方向性も、読めるのではないかと私は受けとめました。そういった意味で、前向きな論議ができればいいと思っております。 幾つか申しましたけれども、あくまでも前提としまして、まさにこの委員会そのものが教育行政の地方分権を課題としているということを、あたりまえのことですが、もう1回踏まえ直す必要があるのではないか。何をどう動かしたら地方分権に沿う方向になっていくのかということを考えた場合に、今まで地方分権という観点からして何が問題にされてきたのか。今申し上げました教育内容の問題、それから教職員の人事の問題が象徴的なものだと思いますけれども、この2点について、従来から教育行政が地方分権になっていないという批判的な論議が多々あったということを、我々は踏まえたいと思います。 ○ 教育課程の基準の改善、いわゆる研究開発学校にかかわることについては、都道府県以外にも問題となる部分がありうるのか伺いたいと思います。 あと意見ですが、学校教育法第106条の改正の問題については、その改正の前提的作業として、基本的に国が法律でもって基準を設定するという、基準行政という趣旨をこれまで以上に明確にしていくということが求められていると思います。 ただ、その際、国が定めるべき基準は何なのか。国が定めるべき基準の中身について、もう少し突っ込んだ検討が必要なのかなという感じがします。学習指導要領の問題を一つとっても、確かに今のような学習指導要領の規定の仕方が、果たして国の定めるべき最低基準の中身としてふさわしいかどうかということについては、もう少し突っ込んだ議論が必要なのかなと。例えば漢字の指定は、あちこちからいろいろ言われているように、例えば1年生ではこの漢字を教える、2年生ではこれを教えるという規定が果たして妥当なのかどうか。例えば、1・2年、小学校の前半部分でこれくらいの漢字を教えるという、もっと包括的な規定の仕方も工夫されていいと思うんです。そうした基準のあり方の違いによって基準の性格、意味が大きく異なってくることもありますので、その辺の問題も含めて、国が定めるべき基準は何なのか、その基準の中身をもう少し検討してもいいのではないか。これは教育課程審議会のほうの仕事だと言われればそうかもしれませんけれども、そうした問題も、必要な部分については、中教審でも押さえておく必要があるのかなという感じがしました。 二つ目は、市町村の規模に応じた権限の委譲と都道府県関与の縮減についてですが、一つは中核市について、研修等についての権限委譲を検討する方向にあることについては、私もこれは賛成です。 もう一つ、県費負担教職員の任命権を中核市のほうに機械的に委譲することは反対で、この間、いろんな中核市の関係者のお話を聞いていて、県全体の人事の公正・適正ということを考えた場合に、慎重に対処すべきだという指摘は、私も妥当だと思っています。 ただ、中核市といってもいろんな条件があると思うんです。例えば大都市の中の中核市、その中核市の中で人事を動かしても、それほどほかの地域との大きな格差とか弊害を生み出さないような条件の中核市もあると思うんです。大都市の中の中核市というのは、都市圏独自の教育問題を抱えていますので、そうした独自の問題に対処するために、人事の工夫をいろいろ考えるという意味でも、そうした条件のあるところについては、当該都道府県と当該中核市との間でいろいろ話し合って、合意した時点においては、何らかの人事上の例外措置というか、特例措置を工夫していくような可能性があってもいいのかと考えます。 もう一つ、政令都市の問題ですが、政令都市の補助金申請とか、手続の問題について、今、都道府県を経由してやっていますよね。これは都道府県を経由しないで、政令指定都市と文部省とのやりとりでもやられていいと思います。実際、政令指定都市の関係者の方にいろいろ意見を聞くと、そのあたりの要求はかなり強いので、その辺も少し検討の対象にしていただければと思います。 ◇事務局 研究開発学校については、御議論の中で、都道府県だけの問題に限るのがいいのか、あるいは、政令市なり中核市についても、一定の条件があればということで、たぶんこういう問題が出てくるであろうということで、皆さんの御意見をお伺いしてはどうかと考えております。 それから、教育課程の問題につきまして、お二人から御意見が出たわけでございますけれども、中教審でどの程度触れるかということは非常に難しい問題でございまして、今まで出た意見の中から大綱化・弾力化という大きな方向性があると思います。両先生の御指摘がございますように、一方では、教育課程審議会におきまして、既に2003年の新しいカリキュラムに向けまして、昨年、中間報告という形で、それ相応の議論の経過を踏まえて、新しい内容の編成、教科の構成等を出しております。それを踏まえて、また内容を編成した中にも、具体的な議論の足りない面も持っているという状況がございます。やはり中教審でそういった状況をお互いに見計らいながら、ある程度調整のつく範囲内での内容ということになるのかなという気がいたしております。 ○ 1月に、50人程度の講演会とディスカッションを3回ほど受け持ちました。その中で、家庭教育が主だったんですが、会の中では、第15期の第一次答申と第二次答申のリーフレットをすべてがコピーして、それを持って参加していたということ。「[ゆとり]の中で[生きる力]を」というのを一生懸命理解しようとしている態度、また方向性が見られたのは、非常にうれしいという思いがしました。それを踏まえて、「心の教育」とか、「地方教育行政改革」に、参加者の方々が非常に大きな期待を持っておられたということも、皆さん方に伝えておかなければならないと思いました。 一点、これまで、生涯学習の中に学校教育も入っているものだという理解のもとで私はきているんです。そういう中で、教育長、教育委員会の在り方も、生涯学習時代を踏まえた教育長であり、教育委員会でなければならない。今まで50年続いてきたものとは違うんだということをしっかり出していかなければならない。家庭・地域・学校が連携しなければならない、しなければならないと言っていながら、執行機関の下部組織のほうではしっかり連携しているんですけれども、上部のほうではこの連携がなかなかうまくいっていないように思えてなりません。いろんな活動を通して感じるところであります。 それから、私立学校との連携に関連して、このように行政改革が行われている今、文部省関係だけの中で一生懸命このように問題にしていますが、ぜひともほかの省庁との関係をとっていただきながらやってほしいというのが、私のかねてからの念願でございます。いつも言っていることですけれども、幼稚園と保育所の問題。保育所のほうには大変な予算が必要であるということ、それを文部省が丸抱えすることはなかなか難しいということが言われておりますけれども、学校開放というものをもっと考えていけば、あれだけの学校の施設が夜は ―今、体育館やある程度のところは開放されていますけれども、あれだけのものが夜眠っている。また、プールなどは学校の子どもしか使えないという状況の中、あれだけの資産が眠っている。そういう資産をもっと活用することによって、予算はどこからでも生まれるのではないかという思いが一つします。 冒頭に話しました保護者の方々とのディスカッションの中で出てきたことは、学校の開放がいかに行われるかが、これからの教育改革の基本ではないかというお考えの方々がかなりいらっしゃいました。そういうものを踏まえていくと、学校・地域・家庭の連携がいろんな面であらわれてくるような改革が非常に望まれているところではないかと思っております。 ○ 国の役割の明確化に伴う法令の見直しの問題として、学校教育法第106条は確かに半世紀もの間、「当分の間」というのは、見直さなければならないという、それだけを見ればそうなんですけれども、中身の問題を相当議論しないと、ただ単に「当分の間」ということだけをするということについては、私は今直ちに同意しかねるという問題があります。 お二人の委員からありましたように、一定の国の基準は、特に義務教育等の国の教育水準の維持ということから考えて、その基準をつくるということについては何ら否定するものでありません。確かに指摘されるように、今の指導要領はあまり細部にわたって書き込み過ぎているという嫌いは、漢字の問題だけでなくて、ほかにもある。したがって、教科とか、総時数とか、小学校での到達目標的なものも一定程度は要るのかもしれませんけれども、あまりにも細部にわたって書き込み過ぎているというのがそのままであって、監督官庁を全部ここで直ちに文部大臣とするということについては、ちょっと抵抗を感じるところがあります。 本来、第106条の条文には、たしか15の条文が書かれておりまして、そこの監督官庁を、経過措置として「『当分の間』文部大臣」と読み替えるという戦後の立法趣旨からして、もし見直すとすれば、一つ一つの条文について、その監督官庁を「文部大臣とする」ところを、「都道府県の教育委員会とする」とか、そこはかなり慎重に議論をした上でなければ、一括して「当分の間」を削除するのはちょっといかがかということで、私はにわかには賛成できないということを一つ申し上げておきたいと思います。 それから、教育課程行政について、10年に1回程度、指導要領の改訂が行われて、教育課程の基準が変えられるという、それはほとんど文部省の中心的な役割、任務になっておったのを、お話にあったように実証的な研究開発を促進する観点から、都道府県等も主体的に実施するということで、中核市や政令市も含めてそういうふうにされるということについては、地方分権の考え方に立っても非常に好ましいことではないか。 そういう点で言えば、文部大臣が学習指導要領の改訂の最終的な責任権限を持つということについては、異論を挟みませんけれども、それをするに当たって、恒常的な研究開発をするのに、国立教育研究所等の機能をもう少し充実させていくということで、10年に1回、教育課程審議会を再開するというよりも、もっと日常的にカリキュラム開発等についての研究を国研等でやっていくという方向を打ち出せないかということを考えていることを申し上げておきます。 ○ 今までも話の中に出てきたんですけれども、今までの国や都道府県の「指導・助言・援助」の在り方については、改善していくべきだ、あるいは検討すべきだということが出ているわけですけれども、前にもこの会でお話があったと思いますが、従来も決して威圧的あるいは一方的に「指導」とか、「助言・援助」が強制的といいましょうか、そういうふうになされてきたとは私は考えられないのであります。 むしろ受けとめるほうの受けとめ方、あるいは受けとめるほうの知識の不十分さ、それから頼るということが一つあるかと思います。一般的には適切な指導なり助言がなされているわけですけれども、それを強制されたというふうに受けとめる風潮が、昔から日本の場合にはあるのではないか。そういった面を十分考慮していくべきであると考えております。 もう一つは、教育課程の基準の設定についてであります。地方分権とは言いますけれども、日本の国自体はそんなに大きな国ではないわけでありまして、日本は私はちっちゃな国だと思っていますので、分権ということはもちろんわかりますけれども、今まで日本の国が考えてきた一つの基本的な教育課程の基準を大事にしていくべきである。ただ、運用の面で、弾力性を相当持たせた運用にするような改訂に持っていくほうがいいのではないか。今のところ、そういうことを考えています。 ○ 私のささやかな経験で、これはまちづくりという視点なんですが、過去、250ほどのまちを訪れたり、それから50ぐらいの首長さんにじかにお会いしたりして、地方分権に対する各地方の印象とか、受け入れ方を肌で感じたものの一人なんでございますけれども、この議論を進める上で一番大事な字句である「地方分権」という視点を、どの程度取り入れるかというのは、なかなか難しい議論ではなかろうかと考えます。 なぜならば、今、弾力的な運用であるとか、「指導」から「助言」へということがいろいろありますけれども、要は大事なのは、それによる格差とか、ある部分でのレベルの均一化と、それと実は矛盾する自主的な、個性豊かな、いわゆるオリジナルという点は、必ずやリスクを伴うわけでございまして、そのリスクをテイクする覚悟が、一体全体、地方にあるのかというところが大事だと思うんです。 そのような観点からすると、一つの単純な案でございますが、モデル的な地方分権の姿を示して、各市町村の議会に選ばせるなどという方法もないこともないのかなと、そんな気がしております。そうでないと、実はまだ自立したくないんだ、ないしはその自信がないんだという町のケース。これは必ずしも町の規模にはかかわらないと私は思っております。自らやりたいんだというケースは、常に意見が異なるからでございます。そんな視点で選ぶ。一つの画一的なルールを決めて、その中で弾力的な運営をするというのではなくて、制度自身を選ぶという在り方がないのかなと、考えます。 二つ目は、先ほども委員からお話がありましたが、極めて開かれたというか、地方分権的な制度を詰めていったときに、「指導」という言葉はどうもひっかかる。要するに、「指導」というのは、教える上下関係がありますし、その制度の中では、いろんな意味で考えても上下の関係になってしまうということであります。ですから、選択できるという前提での改革案では、思い切って「指導」というのを取ってしまって、ルールを決めたら任せて、あとのフォローの意味で評価する仕組みをつくって、きちっと国ないしは県としてしかるべき形で評価をするというやり方に変える手もあるのかなと思います。 三つ目は、教育委員会の委員並びに教育長等の問題でございますが、私も定数を多少弾力的にするというのは反対するものではありませんが、その選び方の問題や数の問題よりも、教育委員会の機能の充実、情報のハブ役としての機能の充実の議論を、もっと具体的にすべきではないのかなと思います。事務局体制以外にアドバイザー制度を設けているという事例もあるようでございますし、そんなことも含めての教育委員会の機能の充実が、今、大変求められているのではないか。 最後に、これは質問でございますが、過去の小委員会でもいろいろ意見が出ておりますし、私もこの委員会に臨む一つの姿勢は、とにかく開かれた学校づくりということを、私自身はテーマにしております。その中で、先ほどもお話が出ましたけれども、二つのこと。すなわち、私の言葉で言いますと、「PTCA」、要するに地域を巻き込んだPTAの改革ないしはそれに準ずる組織、もう一つは学校施設ないしはプログラムの一般開放という問題については、今回のとりまとめでは取り上げられるのかどうか。 ○ 全体としての構成をはっきりとこの小委員会で共通理解しながら、個々の各論が位置づけられるという形で考えていっていただきたい。だから、各論を論議してきて、もう一度戻って総論的な部分、基本的な考え方の部分は、改めて審議される。その観点から、またもう一度各論のところが見直されていくということで、報告がまとめられていくという構造になろうかと思います。 ○ 一つは、地教行法の第48条の「指導・助言・援助」の言葉をめぐっての問題ですけれども、本来、「指導」というのは、相互の影響関係、インタラクティブな考え方なので、権力的な作用として受けとめるはずではないと思われるんですけれども、実際はそういうふうに受けとめられるとすれば、この三つの言葉をひっくるめて、「支援」という言葉に置き換えていったほうが一番望ましいのかなという気がいたします。 教育内容の上では、文部省から出されている指導資料等については、「援助」という言葉を使わずに、原則的に「支援」という言葉を使ってきているわけでありまして、相手の主権とか、主体を認めていく場合には、「援助」ではなく、なるべく「支援」という言葉を使うことが望ましいと思われます。しかも、「支援」という言葉の内容としては、助言という内容が中心的なものであり、また奨励的な意味も含まれております。そういう点では、条件整備も含めまして、「支援」という言葉のほうが、行政のサポートという点から見ても、適切な言葉になってきているのではないかという感想を一つ持ちました。 また、どちらかといえば、行政の「機能」を中心とした検討がずっとなされておりまして、その中にポツポツと施策とか、事業という、行政の具体的な「内容」の問題が出てきました。けれども、こういった特に施策とか事業の問題を、どこまでここで扱っていくのか。 例えば、教職員の研修の問題ですけれども、これは国でも行われるし、都道府県でも行われるし、市町村でも行われるし、校内研修も行われている。確かに学校から見ると、研修漬けになっているけれども、あまりそれが効果的でないという意見が出てきたりする。とすれば、それぞれで行われる研修というのは、一体どういう機能なり役割を持たせながらやっていくのかという、そういった施策、事業に踏み込んだ機能の分担関係の問題がもうちょっと検討されていいのかなという気がいたします。これを全部扱い出すとまた大変な問題になりますので、そこらあたりを一体どこまで扱って、重要な問題だけ扱うのか、それに触れないのか、そこらあたりのところがもう少し検討される必要があると思われます。 ○ 先ほど委員から、制度自体を選ぶようなことができないのかというお話がございましたし、そういうお言葉を使ってはいないんですが、そういうお話が何人かから出ていたわけです。実は、都道府県レベルでは、県によって温度差が違うというか、そういうことがございます。同じ都県の中でも、先ほど中核市規模の市から、住民の数が200とか250という村もあるわけです。方向性については大変結構だとは思うんですけれども、法律を実際に書いていく場合に、基準とか、そういうものは、たぶん言葉で言えば「何々することとする」というような書きぶりになるんでしょうけれども、そのほかの、例えば「指導・助言」にかかわるようなことは、今でもそういう部分があるわけですが、「何々することができる」というようなことで、選択を認めるというか、やらなくてもやっても、それは任された自治体が選べるんだという観点が必要なのではないかという気が非常にいたします。 これはたしかこの前の小委員会のときに、指導要領が変わると、国がその説明をする。従前だと、あたりまえのこととして統一的に処理する必要があるということで、都道府県がそれぞれの市町村の関係者を呼んでやった。地方分権小委員会の勧告に従うとそういうことができなくなるので、それなら3,000あろうと何であろうと、国が直接やったらいかがかというような御意見があったと記憶しているんですが、それは大変難しい話なのではないか。 先ほど、政令指定都市だったと思いますけれども、補助金の問題が出ましたが、政令指定都市はともかくとしまして、これを中核市ぐらいまでも広げて、補助金の申請をやるということについても、実際上は大変難しいんだろうという気がするわけです。 そういうときにどうするかというと、何らかの根拠が要るわけですから、法律にそれなりのことを書いていただく必要があるわけですが、その際に、場合によっては県が呼び集めて説明なり援助を「することができる」というようなことを書いておく必要があるのではないかという気がいたします。 特に役割分担と、教育委員会の役割の問題について、地域と一体どういう関係を結ぶのか、どういう機能を持ったらいいのかということについては、これは大変温度差というか、血液型の違いというか、何と言ったらいいかわからないですが、地方にそれぞれの考え方の違いがあるわけでして。先ほど、選んだ以上はリスクも請け負わなければいけないということがお話に出ていましたけれども、それは当然でして、それを認めた上で、そういうような書きぶりといいますか、整理の仕方をする必要があるのではないかということを感じました。 ○ 今、お話のございました点は、今日もそこのところをどう考えるのかなということで、考えておったところであります。つまり、地方分権推進委員会の勧告というのがあって、国の役割と都道府県の役割はかなり大きく違うことになる。今回ので言えば、地方分権推進委員会の勧告による都道府県の役割については、従来ありました県域全体の基準にかかわるという事柄はなくなってくる。 都道府県の行う指導、助言、援助等の在り方に関しては、国の場合は、全国的に統一して行うべき基準は国の役割だということになっていますから、それを受けての「指導・助言」というのが一定の根拠を持つだろう。しかし、都道府県の場合にはそうではないということになると、一体、何を根拠にするのかということを考えなければならないのではないか。実態としては、いきなり国がやるのは大変だろうから、やっぱり県が引き受けなければならんだろうという実態があることはよくわかるんでありますけれども、そこのところをどう考えるのかというのが、私、どうもまだよく見えないでいるところです。 その意味からしますと、指導・助言・援助等の見直しということについて、都道府県につきましても、国にかかわるものと同様に見直しをするという方向にあるようですが、それでいいのかどうかということは、ちょっと検討の必要があるのかなという気がしているところで、そこをどう整理するのか私はまだよくわからないでいるところであります。 ついでに、幾つか申し上げなければいけないのかと思うんですけれども、「指導」という言葉のお話が先ほどから出ておりますけれども、結局、「指導・助言」と並んでいるものですから、「指導」というのは、たぶん「助言」よりもっと強いものだということになって、それで受けとめられる。あるいは、その上を言えば「命令」ということになるのかという、そういう一つの並びの中での受けとめ方もあるのではないかと思うので、「指導・助言」というふうに並べないで、先ほどのお話のように、「支援」と言うのか何と言うのかはともかくとしまして、もう少し言葉を整理してまとめたほうがいいのではないかという気がしているところが一つございます。 いずれにしても、都道府県との関係の中で、市町村の教育委員会の役割がかなり重要になってくるんだろうし、市町村がそれぞれ主体性を持って動いていくということになっていくんだろうということになるんでありますが、そうなると、今度は、市町村の教育委員会の在り方の問題になってきて、事務処理体制の充実をかなり考えていかなければならないのではないだろうかと思うところです。 小規模な町村教育委員会のみでなく、市町村教育委員会が幾つか連携していろいろな仕事をやったり、あるいは場合によっては、県も幾つかのものが一緒になって仕事をされたほうがいいのではないかという感じもする事柄もあるわけです。その意味では、教育委員会そのものが合併するとか、統合するということだけではなくて、教育委員会がそれぞれ独立にあっても、その中で事業を共同で行うということをもっと広げていくようなことがあってもいいのではないか。 それから、職員でありますが、事務処理体制を強化するという場合に、自治体の職員でありますと、いろいろな部局を回られるわけで、必ずしも専門性を持った方が担われるわけではない。そこで、専門職員の充実が大変重要な事柄になってくるだろうと思うので、このあたりについては、指導主事、社教主事を全部に置きなさいと言うわけにいかないとするならば、今申しましたように、共同設置という形のものをもう少し考えていくようなことがあってもいいのではないか。そんなことを、今、感じているところでございます。 ○ 幾つかあるんですけれども、先ほどの学校教育法第106条「当分の間文部大臣」というところですが、これはこういう内容の事柄は文部大臣の領域であって、厚生大臣とか、大蔵大臣というのでないということで、「当分の間」は取って、「文部大臣の仕事である」とする。ただし、先ほどお話が出た、教育課程の基準の中身とか、いろんな内容がありますでしょうし、それから校長の資格等もいろいろ問題が出ておりますので、その次の段階として、文部大臣の範囲の中でどう決めるかということになるのではないかという気がしております。 それから、地方の裁量の幅を大きくしていくという方向性ですが、運用のほうで裁量の幅を大きくしてということでしたら、それで結構なんです。 それから、今の指導・助言・援助でございますが、やはり地方に主体性を持って活躍してもらうためには、「行うことができる」とやってしまえば、「うちは支援は要らない」「うちは指導・助言は要らない」というところは、やらなくて済むのではないか。前回、「情報提供」とか、そういういい言葉も出ておりましたんですが、「行うことができる」にすれば自主性もあるし、基準と自主性とのバランスもおのずから地域、地域でとっていけるのではないか。 ただし、この際に、先ほど来お話が出ていた評価ですね。自己評価をするのか、上の組織が評価するのか、この辺は議論の余地があると思います。上の組織が評価すると、「行うことができる」が実質的には「行うもの」になってしまうかもしれないので、自己評価の組織をきちっと考えることを伴わせる必要があるのではないか。 それから、先ほど、国立教育研究所の機能の充実等々出ましたけれども、中教審第一次答申のほうでは、常置的に教育課程審議会を置くというような提言がありますので、それは教育課程審議会の今度のお仕事が終わられた後の措置に大いに期待をしているところでございます。それと国立教育研究所の研究などがタイアップして進めば大変いいのではないかと思っております。いずれにせよ、自主性を持って行動することに対して責任といいますか、それは自己評価を伴わせることが必要だろう。 それから、政令指定都市、中核市の高等学校及び幼稚園の設置廃止等について都道府県教育委員会が認可が必要としていることについてですが、これをどのように見直すかが課題となりますけれども、事前協議にするのか、あるいは届出にするのか、明確にしてしまってもいいだろうし。幼・保の問題が、非常に難しい問題ですけれども、検討の余地で残しておいてもいいのではないかと思います。 また、教育委員会との連携協力については、何をどのぐらい連携協力するのか。生涯学習行政、文化行政についても、生涯学習、文化、スポーツ等々は、教育委員会が主体性を持って、自分のテリトリーとして責任を持ってやる。それを首長部局はお手伝いくださいよという意味であるならばいいんですが、首長部局も積極的にやる、それはこちらも場合によってはお手伝いしますという関係でいいのかどうか。その辺、教育委員会としての文化行政、スポーツ行政に対する主体性を、もう少し主張するような方向になっていいのではないかと思います。これはもう少し現場のほうのお話を聞いて、首長部局との連携がうまくいっているということであれば、それでもよろしいかと思います。 それから、教育委員会の委員の数5名というのは、先ほど来もございましたように、大きいところでは7〜8名とか、そういう工夫もして、ある種の上限を設けていただければと思います。多過ぎたらまとめが大変でございましょうし、少なくても実質的に機能するのが難しい。 また、中教審第一次答申で提言した地域教育連絡協議会について、少し詰めて議論していただきたいと思います。指導要領で学校教育の基準があるんですけれども、地域の教育は指導要領がないわけです。地域の特殊性を生かすというのがここにありますので、これの機能とか、権限とか、それから学校の校長、教育委員会との関係を少し詰めていく必要があると思います。 市町村の教育長の選任の問題とか、議会の同意の問題でございますが、これは任命制度廃止という方向ですので、議会の同意とか、任期制をきちっと打っていただくべきであると思います。 最後に、地域の全体の教育、特に義務教育等に関して私立学校との関係について、私立学校のほうの御意見では、私立学校の管轄を教育委員会に一元化することはいろんな障害があるということでしたが、義務教育と、やはり私学教育でも公的な教育の意味というのがありますので、これも歴史的に見て、政治的に見て、困難な点があるかと思いますが、教育委員会と私立学校との関係の問題は、検討をもうちょっとしてもいいのではないかと思います。 ○ 今、「指導・助言・援助」のことが議題になっておりますけれども、法的な拘束力がない「指導・助言・援助」について、それぞれの内容や及ぼす影響について、もっと明確になっていたほうがいいかと思います。 なお、学校教育法106条の「当分の間」についてですが、私はこれを削除すればよろしいかと思っております。今、大綱化とか、自由化ということが言われておりますが、義務教育の公的な教育を担保するために、何をどのくらい教えるかという基準は、国の責任できちんとお決めいただくことが必要であります。その上で地域の子どもの実態に応じて、それをどのような方法で教えるかというアプローチにおいて、個性とか、自由化とか、創意工夫がなされる支援体制を組むことが必要ではないかと思っております。同時に、大綱化、自由化をするときには、1年間でどこまで到達したかという成果等が同時にわかる方法が必要ではないかと思っております。 なお、教育長の任命承認制の廃止とそれに代わる教育長の適材確保方策については、市町村については、今よりも後退するような形にならないようなことをきちんとお願いしたいと思っております。市町村教育長の専任化が要望されておりますのは、教育委員との兼務によって、非常勤と専任ということがあいまいに運用されやすく、教育長が責任ある仕事がしにくいということにおいて、専任化のほうがいいという意味でございます。幅広い人材確保の方法をより狭められるとか、あるいは今よりもやりにくい方法へ変わるということにならないようにお願いしたいと思っております。 それから、私立学校の関係でございますが、大都市と地方都市は少し状況が違うように思っております。と申しますのは、私どものところでは、幼稚園等は教育委員会で補助金を市としてつけておりますが、私学のほうから、教育委員会が単に補助金を交付するるのみではなく、むしろもっといろんなことについて、一緒に研修会や相談や指導をしてほしいという御要望があります。教育委員会は補助金だけですという中で、私学のほうから、補助金をもらうだけで、何の関係もないということではなく、むしろ教育行政としてその充実を要望されているところであり、現にいろいろな教育関係の委員会等に私学の方にお入りいただいたり、学校教育、社会教育のいくつかの課題につきましては必要に迫られて、一緒に連携を図っているところです。教育委員会が公教育の一分野として私学の自主性、自律性を尊重しながら、一緒に地域の子どもたちを育てていくという視点から、連携ができたらいいのではないかと思っております。 ○ 教育委員会の果たすべき役割ということで、町でやっている実践についてお話をさせていただきたいと思っております。 教育委員会がどういう仕事をしているかということを、地域住民の方にわかっていただく方法として、出前講座ということで、「町民対話室」というのをやっているわけであります。これは予算等の関係もありまして、行政からも行きます。小さい町だから可能だと思うのですが、30数集落あるわけですが、教育委員会の職員と一緒に伺って、通学路の問題とか、通学バスの件とか、いじめとか、不登校とか、そういったことをテーマに話し合いをしているわけであります。教育委員会はこういう動きをしているということで、1年置きですけれども、回っているということが一つあります。 二つ目は、前にもお話ししています「縄文ページェント」とか、「チャレンジデー」とか、「おはようジョギング」とか、福祉活動とか、まだいろいろあるわけですが、学校と教育委員会が地域の住民を巻き込んだ活動には、それぞれ実行委員会というのを組織いたしまして、学校にも難儀をかけることで、教育ボランティアの方々からも応援していただくという体制を組んでいます。教育委員会の仕事を理解していただくということでは、「女性議会」も議会と同じ方法で、16人の女性議員を公募いたしまして、その中で、教育とか、福祉といった問題、いじめの問題とか、幼・保一体の問題も、町の町長初め、管理職もみんな出ていただいてやっているわけでございます。 学校教育は、プロの先生方がいらしてくださるものですから、大枠のところで学校の裁量にお任せしますから、頑張ってくださいということで、教育委員会は学校をサポートするのが役目だと思います。生涯学習は学級講座だけが生涯学習ではなくて、学級講座で学んだものを実践をして、子どもたちも巻き込んで、いい町にしていくことが生涯学習ではないかということで話し合っております。生涯学習も、町の行政側の協力がないとできませんので、何か大きい活動をするときは、行政側からも応援をいただくこともいたしております。 それから、これも前にお話ししておりますが、広域的に、隣接する町の3町で職員の人事交流とか、それから事業も青年教育について3町で基本的な計画を立てまして、それに基づいて三町で事業をやっていくというようなことも進めてまいっております。以上です。 ○ 2点に絞って発言させていただきます。 教育委員の数の弾力化と選任の在り方に関連してでございますけれども、先ほどもお話があったように、特に市町村教育委員会になりますと、全国の実態は極めて多様なものがあると思います。したがって、ここで一つの考え方を示すことは極めて重要でありますけれども、市町村の教育委員会がそれぞれの実態に応じて、弾力的にこの趣旨が生かせるようなことも配慮した上で方向性を示すことが、今後の検討の上では重要かなと思って、1点申し上げました。 もう1点は、地域教育連絡協議会、あるいは地域教育の活性化センターに触れて、学校の創意ある教育活動の支援に機能させるという方向、あるいはこのほかにも、学校の創意を生かした教育活動の編成、実施に関連して検討がなされるかと思いますが、学校がまたさらに極めて多様な実態を持っていて、私が承知している事例の中にも、こうした働きかけがかえって学校の創意工夫を拘束するという事例もございます。 教育課程については地方の裁量の幅を大きくして創意工夫を生かした教育課程を編成していく上で、「創意工夫」というところに特に焦点を合わせて、一つには国が定めるべき基準の内容を慎重にしていく、あるいはそれをどう示すかということについて、この「創意工夫」という点に焦点を合わせて検討すると同時に、今度は学校の「創意工夫」を生かすための支援のシステムの整備の中でも、十分学校の立場に立った配慮が必要かと思っています。 ○ 教育委員会の果たすべき役割に関してですが、生涯学習、学校教育、社会教育、文化、スポーツ等と並べられがちですが、実際には生涯学習や文化、スポーツと、学校教育というのは、並べていてもシステムが大きく違うと思うんです。実際に地域の中でも、例えば生涯学習や文化やスポーツのほうは自由度が高い。それで広域的にもできるし、いろいろな手法をとることもできるし、年齢も自由だし、さまざまな人がそこに入り込んでくる可能性が高いという意味で、基準もない。そういうものですから、首長部局というのが中心となって行うことも容易なんですね。 逆に学校教育のほうは、ある程度基準がしっかりあって行われてきた。このように、いわば同じ地域の教育力ということで並べるにしても、質的に随分違うものを教育委員会が統合していかなくてはいけないとすると、今までの在り方では随分無理があったろうなと思うんです。つまり、作業の仕方が全然違うと思うんです。 しかし、これを同じ地域の教育力という理念のもとにつなげていくためには、両方から変えていかなくてはいけない。例えば、学校が開いていくべきだということを私は思っているんです。それと同様に、文化、スポーツや生涯学習のほうも、地域でやることの意味をもう一度再確認して、両方をつなげていく。地域の教育センターということに触れた御発言がありましたけれども、学校が例えば地域の教育、文化センターの一つの機能を果たすような場所になっていくという可能性はないんだろうか。生涯学習、文化、スポーツと学校教育がもっとつながって、一つになって連携していくような方法が見つかると、その上に教育委員会がドンと乗っかって、作業をしていくのにしやすいのではないかと、そんなことを考えました。 ○ 学校教育法第106条の「当分の間」文部大臣になっているということに関連してですけれども、教育課程の基準が今より弾力化すると、高等学校の感じですが、ちょっと苦しいのかな、今程度がいいのかなという感じを持っております。例えばですけれども、大学受験の場合のことがどうなるのかとか、あるいは随分転校が多いわけですが、そういった場合に、国のある程度の基準があったほうがいいかなと、そんな感じがありますので、どの程度に弾力化するかということが課題かなと思います。 それから、中核市に機能を移してはどうかという御趣旨があったかと思いますが、私は、現行のような制度が適切ではないかと思います。例えば、教職員の任免も含めて市でやるということになると、かなり難しい。あるいは、市の中では確かに中学校は30数校あれば、小学校はその倍くらいあると思うので、数からするといいんですが、異動とか、そういうことを考えますと、他の市とのかかわりで進めていくようなことがいいのかなと思います。 ○ 全体として、それぞれの学校で創意ある学校づくりをするということを押さえる中で、国の教育政策が逆に浮かび上がってきているということは非常にいいことかと思います。基本的な国の役割は明確化しておく必要があります。 それから、教育課程の基準を大綱化・弾力化する。これはもちろん当然で、今、そういう方向で作業をしているわけですけれども、同時に、国で教育課程の達成度の状況を把握するナショナル・アセスメントも、責任ある国として大事な仕事かと思うんです。いかなる指導方法で、どんな教材を使って行うかは、これは自由に学校に任していいのであって、その代わり、教育成果をナショナル・アセスメントとして、きちんと把握しておく。そして、どうしてそういう状況になっているのかということを、学校等および学校協議会を中心に検討し、説明していく。これは非常に大事かと思います。結果責任と説明責任を学校が持つようなシステムを作ることです。 そういうときに、教育委員会の役割は何かというと、教育委員会のこれからの役割というのは、まさに各学校の独自性をどう生かしていくか。今までのように全体的に網を張って、ややもすると横並び統制的な指導という行政から脱皮して、もう少しそれぞれの学校が抱えている個別的な問題とか、あるいは学校の当事者能力をいかにしてもっと高めていくか、そのための支援を各教育委員会がどう行っていくか、そういう姿勢が大事かなと思っております。 ○ 二、三の点についてお話し申し上げたいと思います。 市町村の規模に応じた都道府県の関与の縮減についてでありますが、中でも高等学校の設置については、県の承認から届出ぐらいにしていただいて、特に政令市においては、設置については権限をゆだねていただきたい。先ほど御発言がございましたように、補助金についても、これは技術的な問題があるんですが、方法として都道府県を経由しないでやらせていただける方法はないだろうかと思っております。 さらに言えば、高等学校の問題は、実は入試制度と絡みますので、今、通学区域について事前に県と協議いたしておりますが、そこらあたりも少し制度の改革をお願いしたいと思っております。 それから、私学との関係等々で、かねて私もいろいろ御意見を述べさせていただきましたが、実は触れていなかった部分で、公立の学校という場合に、実は国立大学の附属の小・中・高等学校との関連が、地域にありましては混在いたしているわけであります。私学の問題と、公立の市町村立の学校と、それから国立の学校。国立大学附属の学校の設置意義といいますか、設置目的といいますか、私も定かに存じ上げているわではないのでありますが、例えば研究開発の情報が、地域の公立の学校であるとか、私立の学校へ、もっと頻繁に出てきてもいいのではないかと思います。そこらあたりの風通しがうまくいくような方向を、情報公開も含めて少しご検討いただきたい。せっかくできている学校でありますので、それを地域にあってうまく活用したい。それが一体となって教育の力を増すということになろうと思いますので、そこらあたりも検討が必要なのかなと思っています。 それから、何人かの委員の方がおっしゃいましたが、教育委員会の果たす役割でありますが、生涯学習、学校教育、社会教育、文化、スポーツ等については、主体性を発揮しつつやればいいと思います。しかし、首長部局との関連では、連携を保つという観点からすれば、例えば公民館あたりで言いますと、これからますます公民館の需要は高まってくるだろうと思います。社会教育であるとか、生涯学習であるとか、あるいはスポーツも、文化もそうでありましょうが。そうすると、今まで公民館あるいは社会教育法ができて以来、教育というカテゴリーでくくられていた部分があります。今、市民や県民のニーズは、例えば公民館を一つとってみましても、かなりの部分まちづくりであるとか、地域づくり、もちろん学習ということが主体にはなりますが、その得た学習の成果を発表する機会を求めております。また、ますます高齢化社会になってまいりますと、公民館等で学習した成果をボランティア活動であるとか、あるいは地域のまちづくりのために、自分の能力や学習した成果を発表したいというニーズがますます高まってまいります。 そうすると、今の公民館というのは、かなりの部分について教育という部分で規制がかけられておりまして、首長部局と連携をしようとしても、教育の網の中にかかっちゃって、なかなかそこの部分が突破できないという部分があります。ですから、教育委員会の主体性を保ちつつ、首長部局との連携をするならば、少しそこらあたりの規制緩和といいますか、例えば公民館の設置とか、運用の仕方等にかかわって、弾力的な運用ができるような方策について検討する必要があろうかと思います。 一方で、実は地教行法の中には、指導主事というのはちゃんと明文化されておるわけでありますが、社会教育主事というのは、これもいろいろ御議論があるんだろうと思います、社会教育法で定められているわけでありますが、教育委員会が主体性を保ちつつ、社会教育もやるよといった場合には、場合によっては社会教育主事を指導主事と並べて地教行法の中に入れるのがいいのか、この辺、私もちょっと定かでありません。社会教育法でくくっているというのは、ある意味では教育委員会の現行の役割よりももう少し幅の広い社会教育主事論があるだろうという観点から、こういう法整備がなされているのだろうと思いますが、そこらあたりも少し検討の余地があるのかなと実は思っております。 ○ 生涯学習についてのお話で、学校教育、社会教育、あるいは文化、スポーツ、それらは生涯学習に含まれるものであるという意見が出ておりましたが、まさに私もそのとおりだと思っております。 そういうことで、私どもでは、生涯学習を総合行政としてとらえております。これは自治体によって、生涯学習の進め方というのは、教育委員会でやっているところが多いかと思うんですけれども、私どもはあえて首長部局に持ってまいりまして、私どもでは生涯学習を推進するところを「市民が主役推進室」というふうに名づけまして、これは各部と横並びではなく、助役直結の組織にしております。そういうことで、社会教育課というのは教育委員会に今でも残しております。それぞれの分担があるわけでありまして、社会教育課も生涯学習の一翼を担う課であります。 そういったことで、私どもでは市の総合計画、基本構想について、「生涯学習によるまちづくり」を基本理念といたしております。というのは、「まちづくりは人づくり」と言われますが、この「人」をつくるのが生涯学習だと私は認識をして進めております。 そういった中で、以前、臨教審で、なぜ生涯学習社会が必要なのかという理由の中に、学歴社会の弊害の是正ということを言われました。これは過度の受験戦争があるということであろうと思います。こういったものをなくしていくために、いろいろと生涯学習が言われたりしているんだろうと思います。そういう中で、この前もお話ししました個性のある人を育てるとか、あるいは「生きる力」をはぐくむとか言われておりますけれども、そういったときに、私は今度の教育課程の中で「総合的な学習の時間」というのを聞きましたけれども、そういうものがあるならば、そういうところで学校がいろいろと選択できる。文部省へお伺いを立てなくても、学校が選択できるような授業ができるようにしていただければと思っております。 それと地域住民との連携協力という中で、私は、教育委員会と地域住民の協力の前に、教育委員会の中の学校教育と社会教育の連携がまずなければ進まないと思います。先ほどお話があった出前講座とか、あるいは学校開放講座とか、これはすべてまた地域住民とのかかわりでありますけれども、教育委員会内部での連携を密にすることによって、さらにそれが進展すると私はとらえております。 ○ 今、学校の質的転換が求められているわけですけれども、そういった意味で、特に学校と直接のかかわりがあります地教委の機能が拡充することは必要なことではないかと思います。特に先ほどから言われておりますけれども、生涯学習社会の中における学校教育となりますと、学校と地域とのかかわり、あるいは学校教育課程そのものも、学校外の活動をどう取り込むかということで、大事なことになってきます。そのときにやはり必要なのは、地教委の指導力といいましょうか、地教委の人材等が欲しいというとらえ方をしています。それが一つです。 あと資料に基づいて、先ほどからの「指導・助言」という言葉のとらえ方ですけれども、これは現場は拘束力があるというとらえ方をしております。例えば学習指導要領です。これは現行でも学校の独自性をかなり出せる仕組みになっているんです。ところが、都道府県では編成要領とか、編成基準が学習指導要領に従ってつくられます。さらに、市町村にいきますと、今度は諸規則とか、届出ですね。そういう形でもって、教育課程が縛られてしまっているんです。こういったことの見直しがされれば、学校が主体性をはぐくむことのできる環境になっていくのではないか。今、学校の主体性がないではないかとおっしゃいますけれども、主体性を出せる環境づくりが十分ではないのではないかととらえております。 もう1点は、県費負担教職員の任命権ですが、かなり広い県単位でもっての人事が大切ではないか。人事の交流ということを考えますと、ある程度広い地域での人事交流が大事ではないかととらえています。 ○ 今回の議論は、教育改革の推進と地方分権の推進という二つの観点からの見直しとい うことで、それぞれの法令を今後見直すということで、より具体的に今後進んでいくことに期待したいと思っております。 ただ、日本の国という中での教育でありますから、統一的な基準の維持は必要であり、それを日々の実践の中でどう推進していくかということは学校に任されていることだろうと考えております。その実践をどう有効に、また適正に行うかということの中で、教育委員会あるいは国のいろいろなお助けをいただきたいと考えております。 「指導・助言・援助」という形の中では、最近は「支援」という言葉を学校の中でも使っておりますし、「指導」と言うとかなり強制力があるというふうにも受けとめておりますし、子どもたちに対してもそのような考えでいます。文章の中にも「意識の改革」という言葉がありますけれども、指導や助言を受けておけば、あとはそのとおりやっておけば大丈夫だというような感覚といいますか、そんなものは改めていかなければならないかと思っております。実際に実施をするときに、責任をとる。そのためにまた、自己評価、あるいは他からの評価も当然考えていかなければならないだろうと思っております。 ○ 全体的なことからまず発言させていただきますと、前の大蔵省の次官をやっていた方が『教育費』という大変大きな本を書かれたんですが、その中で、戦後の日本の教育行政の基本は助言行政だという規定をされておりまして、〈あ、そんなもんかな〉と思っていたんですが、実態は「助言」ではなくて、「指導」があったことは事実だろうと思うんです。その見直しという場合に、基本的には、これまでの御発言で「アセスメント」とおっしゃり、「評価」ということをおっしゃったんですが、権限を委譲して「支援」に切りかえるならば、したことをどう評価するか、それをどう公表するかということをきちっと確立しておかないと、納得は得られないのではないかという気がしております。そこのところをどうするのか。その部分をどのように考えていったらいいのかなというのがテーマではないかと思っているところでございます。 最後に、私立学校の問題ですけれども、基本的にはこの問題は、私立学校のもともと持っている独自性と公共性の問題をどうバランスをとるかということでありますので、これは本当によく議論をしていただいて、将来過ちのないような形で方向を出していただきたいと思っております。現状の制度を維持しながらも、もうちょっと私立学校が教育委員会の専門的機能を活用できるような方策を考えたらどうかという方向は、正解ではないかと率直に思っております。具体的にそれをどう決めるかということは、これからのテーマということではないかと思います。 ○ 提案なんですけれども、昨年、中教審で「生きる力」、生活者として自立する子どもたちをつくろうということを提言し、教育課程審議会で中間まとめが出まして、恐らくこれがまた、何が指導・助言であるかということが明らかになるような場面がもうすぐくると思います。これを、今、インターネット時代でもありますし、教育委員会が学校との間にあってどのような役割を果たすのかというのは、シミュレーションできると思うんです。 私は、議論が逆かなと思ったんですが、まず学校のことを考えてから、さかのぼっていったらいいかなと実は思っていたんです。学校がどうあるかということが重要だと思うんです。そのときに学校を助ける。「生きる力」の認識というのは、本当は学校の現場の認識と一致しなければならないと思うんです。そうでなかったら、あるいは中教審の言ったことは意味がなかったかもしれないんですが、必ずや学校の現場の先生がその認識をお持ちになっていらっしゃる。その先生が具体的にこういう授業をやろうというときに、情報提供 ―国のいろんな研究所の機関からいろんな方法論が出、それを県がつなぐのか、市町村の教育委員会がつなぐのか、その辺のところをシミュレーションしてみるとはっきりするかなと思いました。 もう一つは、教育内容とハード、建物というのは、別に考えたほうがいいのかなと。ハードのほうは、地域分権ということになってきますと、まちづくりの観点から、生涯教育とか、文化とか、スポーツを含めて出てくる。総合的な使い方が出てくる。それから、教育課程の非常に大きなプログラムということになれば、大きな教室よりもたくさんの小さな教室が要るのではないかと思います。蓮見先生がおっしゃったように、中を抜いて3,000と直結ということも考えつつ、実際にはできないかもしれませんけれども、教育委員会の本当にすべき仕事が整理されていくのではないかと思います。 実は、私はそう申し上げながら、教育委員会はもちろん一生懸命やっていらっしゃるんですけれども、行事みたいなものに追われて、その行事をやって、よしとなさっている雰囲気がなくはないという気がいたします。 それから、私立学校との関係においては、私はいろいろ考えるんですけれども、私立は私立として尊重するほうがよいのかもしれない。国がやっていることは、過去の歴史から見ますと、私どもは最善を尽くしていいことをやろうと思うんですけれども、間違うかもしれないんですね。違うことをやっている学校があったほうがいいかもしれない。もし私立が違っているんなら、そのうち自滅するでございましょうと思います。 ○ ありがとうございました。きょうは、本当に密度の濃い御審議を長時間にわたっていただきました。 今後の審議の進め方についてですが、次回は2月9日でございます。これは第10回小委員会ということですが、前回の会議でもお話ししましたとおり、きょう御検討いただいた教育委員会制度の在り方について、今回に引き続いて御討議をいただきたい。 それにあわせて、学校の自主性・自律性の確立、地域コミュニティーの育成と地域振興に教育委員会の果たすべき役割、そして学校以外の教育機関の運営の在り方といった点について御討議をお願いしたいと思います。 その後、それらの状況を見ながら、本小委員会としての取りまとめに向けた具体的な審議に入っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 それでは、本日の会議を終了いたします。 次回の小委員会は、2月9日、13時から、霞が関東京會舘・ゴールドスタールーム、35階でございます。よろしくお願いいたします。 |
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