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中央教育審議会

 1999/3 議事録 
初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会 (第6回)議事録 

         初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会(第6回)


  平成11年3月10日(水)  13:00〜15:00
  霞が関東京會舘  35階    ゴールドスタールーム


  1.開    会
  2.議    題
  大学入学者選抜の改善について
  3.閉    会


  出    席    者
  委  員   専門委員   事務局
  根本会長   荒井専門委員   佐藤事務次官
  鳥居副会長   安齋専門委員   銭谷審議官(初中教育局担当)
  木村座長   工藤専門委員   素川高等学校課長
  川口委員   黒羽専門委員   佐々木高等教育局
  國分委員   小嶋専門委員   高   総務審議官
  坂元委員   小谷津専門委員   杉浦政策課長
  田村委員   橋口専門委員   その他関係官
  永井(多)委員   久野専門委員
  横山委員   山極専門委員

  意見発表者
  久保田  宏  明  氏(私立穎明館中学校・高等学校長)


○木村座長    それでは、委員、専門委員の先生方が大体おそろいになりましたので、ただいまから中央教育審議会「初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会」、第6回になりますが、開催をさせていただきます。
  本日は、本会に御出席を賜りましてありがとうございます。
  今日は、前回御案内申し上げましたとおり、お二方からプレゼンテーションをいただくことになっております。「大学入学者選抜の改善について」というタイトルでございますが、まず元日比谷高校の校長先生でいらした久野猛専門委員、それから私立穎明館中学校・高等学校長の久保田宏明先生、お二方でございます。
  それでは、資料をたくさんお配りしてございますので、これについて御説明をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

<事務局から説明>

○木村座長    ありがとうございました。資料よろしゅうございましょうか。
  それでは、審議に入りますが、その前に、このたび、高等学校の学習指導要領が改訂されました。その点につき、事務局から御説明いただきたいと思います。

<事務局から説明>

○木村座長    高等学校学習指導要領の改訂のポイントということで御説明いただきましたが、御質問等ございますでしょうか。
  資料の専門学科のところですが、必修教科・科目の最低合計単位数を35単位から31単位にするということは、開講科目の最低数のことを言っているのですね。

○事務局    必修でございます。

○木村座長    専門教科・科目の必修単位数は、30であったのを25にしたということですね。

○事務局    25単位修得するということでございます。

○木村座長    ほかにございませんでしょうか。よろしゅうございますか。  ―ありがとうございました。
  それでは、引き続きヒアリングに移りたいと存じます。先ほど御紹介申し上げましたとおり、最初は久野猛先生にお願いしたいと存じます。先生にお願いしたタイトルは「我が国の大学入学者選抜について―高等学校から見た大学入学者選抜の現状と課題―」でございます。20分ほどお話をお願いして、10分ほど討議をいただきたいと存じます。
  では、久野先生、よろしくお願いいたします。

○久野専門委員    平成10年3月まで日比谷高校の校長をしておりました久野でございます。きょうは、こういう場で発言を許していただき大変光栄に思っております。時間も限られておりますので、どれほど申し上げることができるかわかりませんけれども、高等学校サイドからの意見を聞いていただけたらと思います。
  今、たまたま新しい指導要領の改訂の説明などございまして、またズズッと動いていくなという印象が強くて、大変な時期に私ども差しかかっていると感じております。
  御存知のように、高等学校の教育が多様化ということを強めて今日に至っているわけで、その辺から入って、今後、どんなふうにしてほしいと高等学校は考えているか、それを時間の許す範囲内で御説明したいと考えております。(※1)
  レジュメを用意しました。4枚でございます。これは逐一というふうにはいきませんので、かいつまんで御説明いたします。後でまたお読みいただければと思います。
  まず1枚目。言わずもがなでございますけれども、多様化を強めている高等学校教育は、今後、さらに多様化を進める。これは高等学校の中にいる人間から見ても、おおいに実感できるところである。折しもこの3月1日、発表があった新学習指導要領案に従っていけば、一層多様化が進むだろうと考えられるところであります。
  多様化の実態、現状はどうなっているかということについては、幾つもリポートがあるわけでございますけれども、私どもが共通で持っているはずの文書というと、毎月送られてきております『IDE』という、大変コンパクトで、私も愛読している冊子ですけれども、ちょうど1年前に、1998年の3月号で「高校は変わった」というタイトルで特集が組まれております。この中の幾つかのリポートが、まさに多様化の実態をよく説明しているんですが、とりわけ当時の校長会の会長でいらした和田先生が「高校の個性化」ということで簡単におまとめになった文章が、具体的にわかるようになっております。それを頭に置き、そして新しい指導要領案をきょういただいたわけですけれども、改めて多様化は避けることはできないと考えます。多様化の前に恐らく大衆化ということが戦後ずうっとあったわけですけれども、大衆化があって、そして今、多様化という大波を、何とかさばいていこうと躍起になっている状態と言っていいと思います。
  この会議を通して、何度か多様化の問題が出てまいりまして、ある先生からは、多様化というのは簡単に言えば質が下がるということではないかと、そんなふうな御指摘もあったりしました。実際そういう面ももちろんあるわけですけれども、私どもは、97%になんなんとする生徒が高校に行きたがっているという実情を考えたときに、多様化は避けられないということであると考えています。
  「朝日新聞」の夕刊が高校の多様化の中身をちょっと切り取ってきて、現場の風景として紹介するという記事を昨日まで連載しておりました。その中では、受験真っしぐらを標榜している後進型の進学校、あるいは総合学科にしたけれども、うまくいかなくてお手上げだという例、それから御三家と言われるような大変な進学校で、実は内容的には堕落したと言っては変ですけれども、いいかげんな風景も見られると、そんな紹介もございました。最後の記事は、無理して高等学校に行くことはしなかったけれども、今、すばらしい青春を送っている、あるいは人生を歩み出している若者がいるという例で締めくくってございました。この一連の記事は悲観的に過ぎるという意味で、私は必ずしも好意的に読んだわけではありませんけれども、実際にはそういうことがあるんです。
  それから、大学に入ること自体もすっかり変わりまして、簡単に言えば、あまりより好みしなければ大学はかなり入りやすくなっている。これが実情としてあると思います。いわゆる指導困難校というのがあって、さらに困難校でだめだと定時制があるよという言われ方をしてきたわけですけれども、その定時制高等学校からも最近では結構大学に入るんです。ちゃんと勉強すれば入れる。私ども学校をあずかる校長としては、そういう話題があることは非常に助かる、うれしいことです。しかし、片一方ではそれだけ大学に入ることが難しくなくなってきているということを物語っているわけでございます。心配の種でもあるということになろうかと思います。
  その結果、資料の2枚目ですけれども、大学や短大の大衆化が当然進む。先ほども言いましたように、大衆化からさらにその先には多様化をいろいろ考えなければいけない。そういうことも控えているでしょう。既に大学の多くが、「いや、もう大衆化している」という話はあるんですけれども、これからもっと多くの大学・短大がそういう時代に入っていく。さしたる努力もしないまま大学に入ってくる若者がたくさん増えるという事態を、私は非常に心配しているところであります。
  大学入試は戦後ずっと高等学校教育に大変強い影響を持ってまいりましたし、それについて改善を求め続けてもきましたが、なお、高等学校の私どもとしては大学入試がやはり強い影響力を持っていてほしいと考えています。これは後で説明する資料があるわけですけれども、現状で言えば高等学校の多くが、特に普通科の高等学校では大学入試を念頭に置いて教育活動が展開されている。これは否めません。その大学入試が入りやすくなる。あまり競争がなくなるということを受けて、どうせ入るんだから、ほどほどやっておけばいいんじゃないかといったように、安易に流れることを私どもは大変心配しています。実際には入りやすくなって、多くの生徒が大学に迎えられるという事態ではあっても、大学入試というのは、あの年ごろの子どもたちに一つの大きなハードルとして立ちはだかってもらいたい。大学に入ることは大変価値のあることなんだということを具体的に示すものとして大学入試を考えていただきたい、そんなふうに思っています。
  その象徴として私どもは大学入試センター試験を取り上げているわけでございます。毎年60万人近くの受験生が受ける、広範囲に影響のあるセンター試験であります。多くの高等学校が大学入試センター試験でしっかりした成果を上げるために、自分の学校の授業の展開を考えていらっしゃるというのが実態としてあるわけです。そういうことから見ても、大学入試センター試験をさらによいものとして根づかせていただき、高等学校の知的水準をこれ以上下げない、同時に大学の知的水準もキープするということのために、大学入試センター試験に活躍してもらいたいと考えるわけです。
  大学入試センター試験の利用をめぐって、昨今では31にも及ぶ科目の中から、1科目か2科目だけ利用しているような、安易な利用の仕方も目立ってきております。その結果、大学入試センター試験に安易な試験というイメージがついてしまうことを私どもは大変恐れています。大学入試センター試験があれだけ苦労して築き上げてこられたその成果に対しても、私どもがあまり安易な利用の仕方をすることは決していいことではないと考えているところでございます。
  そういったもろもろを実証するために、実は全国の全国高等学校長会というところでは、毎年いろんな調査をやっているわけです。その中に、特に大学入試関係を専門的に調査しているグループがあります。全国普通科高等学校長会  ―全国校長会というのもあって、それから普通科校長会というのもあるんですけれども、やはり入試のことについて切実な思いで研究を続けていらっしゃるということから、普通科校長会の研究の結果を紹介することにいたしました。その紹介の資料が別資料の、大変ぶ厚いものですから、その中の本当に一部だけ大急ぎで紹介してまいります。これは貴重な資料になってございますので、お持ち帰りいただいてぜひお目通しいただければと考えております。
  この研究の中心になっておられる方は都立西高校の槙校長です。この方が委員長で、昨年秋に徳島県で行われました全国大会で発表された資料でございます。つまり平成10年度の発表ということでございます。2年前には実は全く同じ研究を私が発表させていただいておりまして、平成8年度というのは、いわゆる平成9年度入試を直前に控えた大変あわただしい中で、これも緊迫感のある発表であったと思います。きょう御紹介する平成10年度発表は、平成9年度入試を経て、ちょうど1年たちまして、平成9年度の入試が何であったかというのを全部見据えた上での発表ということで、大変意味があると思います。
  平成9年度の入試というのは、大学入試センター試験の試験科目がそれまでの18科目から31科目、当座は浪人対策もありましてもっと多かったんですけれども、大学入試センター試験の試験科目が31科目に拡大した、ターニングポイントになるテストであったわけです。それに合わせて国公立大学の入試も、分離分割方式に統一していく。あるいは、私立大学のほうでもセンター試験を利用するところが急増するといったような多くの改革が並行してなされたというのが平成9年度の入試でした。
  資料の5枚目以下を御覧下さい。この調査は、大きく四つの部分になっております。ちょうど中段あたりを御覧いただきたいと思いますが、「Aのアンケート」「Bのアンケート」、それから「Cのアンケート」が二つに分かれるという形になっています。
  「Aのアンケート」は、つまり平成9年度の入試と、そのころからにわかに脚光を浴びてまいりましたAOというシステムについてのアンケート調査。
  「B」というのは、そういう大学入試に対して、各高等学校がどんなふうに対策をとっているかということをアンケートしたものです。
  「C」では、もっと根本的に、大学入試が現在の高等学校にどんな影響を与えていますかというのが「C―1」であり、「C―2」というのは、近い将来、大学入試がどんなふうになってもらいたいと高等学校は考えていますかということをアンケートしてあるということであります。
  資料の6枚目で、この調査の見方についてサンプルをお示しします。平成10年度の大学入試について、まず「推薦入学について」ということで、「1」番のアンケートがあるわけですけれども、四つ選択肢があります。「(1)」は「ほぼ改善された」。「(2)」は「依然として、厳しい学力検査を推薦入学なのに課しているところがある」といった苦情。そういった選択肢が四つほど用意されて、「(5)」に、その他何か言いたいことがあれば書いてくださいと、記述式の回答を求めております。
  そのうちの「(4)」番までは選択肢ですから、各学校の校長さんが選ぶ。各学校というのは、このアンケートは全国の公立と私立合わせて210校の普通科の高等学校に出してございまして、そのうち173校。決して進学校だけではありません。進学校が多いんですけれども、幾らかは進学校ではない、むしろ就職の生徒もたくさん抱えているような学校からも回答をいただいております。その173校のうちの何校がそれに丸をしたかということがそこにあるわけでございます。
  例えば、「(1)」番、推薦入学はほぼ改善された、うまくいっているというのが、63校からの回答ということです。以下同じように回答校の数で挙げてございます。
  「結果」の後にちょっと書いてあるのは、これが記述された部分の主な意見を紹介してあるというふうになります。以下、ずうっとそういう調子でまいりますので、御覧いただくときに気をつけていただきたいと思います。
  資料の7枚目にまいりまして、大学入試センター試験で、同じ教科なのに単位数が違う科目について同じ得点になったりしているんですけれども、その辺について混乱はどうですかという質問に対して、「(1)」ですが、86校は「混乱はない、妥当であった」という答えをしております。
  それから、同じページの一番下、「5.センター試験結果の本人通知について」のところですけれども、話題になっている試験の結果の通知をどうしようかという問題では、「(2)通知は本人と高等学校の両方にしてもらいたい」というのが、138校という多くの学校から支持されているのがわかります。
  次に「通知の時期」というのがあって、これは「2次の出願の前1週間くらいにしてもらいたい」、156校。こういったふうな大学入試センター試験に対する注文はあります。
  しかし、全体を読んでいただいて、大学入試センター試験が大変いいという評価を得ていることは、お読みいただければわかると思います。
  資料の10枚目にいきたいと思います。私立大学の入試に関しては、大学入試センター試験について、「13.私立大学のセンターの利用について」というクエスチョンであるわけですけれども、88校が、私立大学がセンター試験を利用することは大変いいと考えているわけです。
  次の11枚目では、真ん中にAOというシステム、アドミッションズ・オフィスについての質問がございます。これは大変関心が多い。回答の「(3)」、84校が必要である、AOを支持するということになっておりますが、「実態がよくわからない」という「(1)」のところも55校あるというふうになってございます。
  資料の12枚目からは、「B 将来の大学入試について」です。同じページの一番下の「2」の学力検査についてのクエスチョンのところを御覧下さい。センター試験と個別の学力検査、両方で合否が決定されることが多いんだけれども、「(1)」の「センター試験だけでよい」という問いに「イエス」と答えたのが5校しかありません。大学入試では大学入試センター試験ももちろん大事だけれども、個別試験は必要であると答えた学校が173校のうち、127校に上っている。このことをよくお考えいただきたいと考えております。
  資料の13枚目には、それを追う形で、それぞれの高等学校が、ではどのような対応をしていますかということがアンケートになっておりまして、ここも興味のある数字が並んでいます。いかに高等学校の日々の在り方が、特に普通科の学校では大学入試の対策に忙殺されているかといったような実態が数の上でよくわかることになっております。
  資料の14枚目にまいりたいと思います。ちょっと誤植がありまして、真ん中ですけれども、「10.入試の多様化と指導のあり方」に対する「結果」のところですけれども、「(1)15校」とゴシックで書いてありますけれども、その後が「(2)」「(3)」「(4)」ではなくて、「(3)」「(4)」「(5)」でございますので、御訂正していただきたいと思います。「(2)」の部分はその後で出ております。
  14枚目の一番下です。ここではいわゆる国公立で前期・後期の入試が行われているけれども、これに対する対応ということで質問がなされております。ほとんどの高等学校が特に後期入試型対策の授業はやっていない。前期入試対応カリキュラムでやっていますというのが144校という数であります。生徒に聞きますと、後期で合格したのは本当にラッキーだったと答えます。あるいは、後期の入試というのは敗者復活戦ではないかといったような言われ方もするんですが、私ども教員サイドとしては、そうは言いながら後期の入試の今後の成り行きには高い関心を持っているんです。にもかかわらず、現在のところこういう実態だということになります。
  資料の16枚目の下のほうです。「19」の入試資料についての質問ですけれども、進路指導はどんなふうにということで、これは大体御想像いただけると思いますが、進路に関する情報は「(2)大手受験予備校あるいは教育産業の資料に頼っている」というのが112校、あるいは「(3)」のセンター試験の自己採点はするけれども、あとは民間の機関にという、要する受験産業にお願いしてというのが136校といったぐあいで、つまり現在の受験指導というのは受験産業と大変密接な関係にあって成り立っているということがおわかりいただけると思います。
  資料の17枚目、「C―1.大学入試が高校に与える影響」にまいります。まず大学入試が高校にどんな影響を与えていますかということで、いろいろあります。ここは大体お察しの数字が並んでおりますので、御覧いただきたいと思います。
  資料の19枚目、今度は「C―2.将来の大学入試について」のところです。ここからは将来の大学入試に対してどんな希望がありますかと、高等学校側の希望を探るわけですが、その中で、特に先ほども出ました国公立大学の後期の入試の在り方についての意見がいろいろ出ています。
  大学からはとかく後期で入ってくる生徒は質が悪いよという声もたくさん聞こえるんですけれども、結論として言えば、高等学校としては後期の試験で受かった生徒もそれなりの人物が行っている、少し長い目で見てもらえば、必ずその中からいい人材が出てくるに違いないとみています。そのような読み方がこの資料からできるかと思います。
  資料の21枚目にいきたいと思います。ちょうど真ん中のところに、「総合学習と大学入学試験問題について」というのがあります。これが実はこの調査の大きな目玉の一つであったわけでございます。実は本日、文部省のほうでお配りいただいた新しい指導要領案にも関係してくる。いわゆる「総合的な学習」に高等学校がどう対応するか。あれはほうっておきますと、好き勝手に授業をやっていいという解釈にもなりかねなくて、「どんどん受験の授業をあれでやればいいんじゃないの」というふうな声さえ、今、既に聞こえている状態です。そうはさせないために、あれをもっと積極的に取り込んだ形の将来型の入試を考えられないか。例えば、いろんな教科を横断する形の総合的な問題といった形の個別試験はどうか。個々の教科については大学入試センター試験がある。個別試験については、そういう形の大きな試験が開発できないかなという趣旨の調査です。大変微に入り細にわたって、以後10ページにわたって調査研究がなされております。きょうは本当の紹介だけで終わりますけれども、これは大変な力の入った調査になっておりますので、ぜひお読みいただければと考えます。
  そういうことを経まして、最後のほうになりますが、資料の32枚目にいきたいと思います。全体として大学入試についてどんなことを望むかということで、そこにあるように、人間的なスケールを評価できるようなものにできないか。あるいは、特別な入試の準備をしなくても、ふだんの勉強が評価されるような入試が実現するようにできないかというのが、高等学校からの強い声としてあると思います。
  一番最後、資料の34枚目をお開きいただきますと、そういうことを踏まえて、「まとめ」ということで、「1」「2」とございます。大学入試センター試験はぜひ充実していただきたい。31科目もの科目を設けていることは既に大変なんだけれども、さらに多様化する高等学校に対して、それを支えるという意味からも一層工夫していただく。試験科目をもっと増やす必要もあるかなということを含んでおります。ただし、多様な教科・科目を抱え込んでいますので、1点の差が合否に直結するような利用の仕方はしないでもらいたいということでございます。
  「2」番目は個別試験。これは先ほどもありましたように、ぜひ必要だと。大学入試センター試験とセットにして必要だということですけれども、ここでは高等学校のふだんの学習が正当に評価されるように、そんな工夫をお願いしますということになっているわけでございます。
  ちょっと時間が超過しましたけれども、あと2分ほどお願いしたいと思います。資料の3枚目に戻っていただきたいと思います。
  実はこういった趣旨のことは、高等学校だけでなくて、大学側からもそういう意見をあちこちでちょうだいしております。ちょうどこれも1年前ですけれども、国立大学協会の第2常置委員会「入試将来ビジョン検討小委員会」という委員会が、こういう冊子  ―これも恐らくここにいらっしゃる先生方はたぶんお持ちだと思いますけれども  ―を発表されました。これも小冊子と言っていいボリュームですが、大変読みごたえがある、うなずくことが多い報告になっています。その中から、私が特に同感を覚えた文章を三つ引用しておきました。全部は読み上げませんけれども、一番上だけ読んでおきますと、「大学入試センター試験が存在するからこそ、各大学で独自の個別試験を課すことが可能になるという点で、今後とも(大学入試センター試験を)存続させる必要がある」、これを大学側の先生方のお集まりの席でおまとめいただいたことを、非常に心強く思っているところでございます。
  そういう中で、先ほども申し上げましたように、大学入試が軽くなっていく心配がある中で、ぜひ大学入試の重さを単に入試の問題が難しいとか、倍率がということでなく、大学に入るということはこういうことなんだという大きなハードルをつくって、子どもたちに立ちはだかってほしい。何かそういう新しい改革をお願いしたいと考えております。
  私はいつも、高等学校までの12年間はまとめて基礎・基本であると申しております。高等学校も戦後間もなくのあの誇り高かった、あんな時代ではありません。高等学校の教育も完全に基礎・基本の時代です。小学校・中学校・高等学校と一貫して考えて結構なんですね。しかし、大学まで基礎・基本では困るのではないか。つまり、高等学校から大学への接続を私どもは考えているわけですけれども、この接続には、高い格調を維持してもらいたいと、子どもの時間から大人の時間に入る入口が大学入試であり、大学入学であると、そんなふうにぜひしていただきたいと考えております。高等学校の先生方も多くはそんなふうに考えています。そして、今後とも大学入試、あるいは大学に入るということが高い目標としてあって、そのことが高等学校の活性化にもつながるし、あるいは高等学校の教育も刺激するということであってもらいたいと思います。
  最後になりますけれども、これは何回か私、個人的な意味合いの強い発表ということでほかでも物を言って、「そんなことはできるわけない」とお叱りを受けたことをまたつけ加えておきたいんですが、大学の入学の時期を、9月を基本にできないか。そして、高等学校までの教育を完全に終わらせてくださいと。5日制でますます授業時数が減ります。大変能率よく教育課程を消化なすっていると聞いている中高一貫の私立の学校さんなんかはあまり痛痒を感じないのかもしれませんけれども、特に公立の高等学校などではこの5日制の影響が非常に大きくて、また入試を1週間でもいいから遅らせてくれという声が大きくなることは間違いありません。そういうことも踏まえて、1週間なんて小細工でなしに、3月まできちんと高等学校の授業をやろう、それが終わったところから入試が始まるということにしてもらえないかと申しあげたいのです。
  そして、4月から9月までかなり時間があります。その間、いろんな形の入試が行われて、合格が徐々に決まっていく、一斉ではなくて。早く合格を決めることができた生徒は、自分の自由になるちょっと長い時間がここでもらえて、初めて学校を離れて自分を見詰めながら生活してみることができる、こういうふうなことを考えることはできないか。私なんかは、ぜひ海外へ行ってこい、あるいはボランティアを一生懸命やってみたらどうなんだと、そんなことを若い連中に言ってやりたいなという気がするものですから、またお叱りを受けることを承知しながら、そんなことも最後につけ加えさせていただきます。
  大変長くなって申しわけありません。ありがとうございました。

○木村座長    ありがとうございました。大変貴重な資料とともに御説明をいただきましたが、ただ今の御発表について御質疑をお願いいたします。

○  大変貴重な資料に基づいて大事なお話をいただきましてありがとうございました。いろいろあるんですが、二つだけお伺いしたいんでございます。
  一つは、大学入試センター試験を大切にとおっしゃっていただいておるんでございますが、大学進学希望者全員に大学入試センター試験を受けさせるということについて、高等学校からはどうお考えか。これは私立大学も含めてでございます。
  もう一つは、資料の34枚目にお書きいただいた二つの結論でございますが、ごもっともだと思いますが、これは逆の発想の調査を  ―あったのかもしれませんが  ―なさってはいられないのか。つまり、大学入試センター試験のほうをむしろ基礎・基本だから総合問題化する。個別大学の試験のほうは教科の例えば「  II  」とか、「  III  」とか、「B」というところで、教科を専門に合わせてカッチリするという、そういうひっくり返した逆の観点の調査はございませんでしたでしょうか。あるいは、調査がなければ、先生のお考えをお聞かせいただければ大変ありがたいと思います。

○久野専門委員    実際に大学入試センター試験を利用せずにということは今後もある。それは推薦入学が実際には、高等学校としても推薦である以上は、学校長からの推薦や、調査書を含む推薦資料で判定してほしい。つまり、学力テストになるような試験はやらないでくれと、そういう主張をずっとしているわけです。
  きょうは主として普通高校の意見を述べたわけですけれども、専門高校もたくさん大学に送りたがっている状況の中で、これは片一方では強い意見としてあるんです。試験がない形で大学に送り込みたい。そのことは、特に専門高校で一所懸命学校のことをやった、特別な受験勉強は何もしていない。だけども、一所懸命学校でやったことがそのまま大学に行くことにつながるという、これはかなりの数、そういう形で大学に行く時代ですから、それを否定することはできないと思います。大学入試センター試験をすべてにということはないと思います。
  ただ、これは私立大学も含めて、入試を受ける生徒の多くが大学入試センター試験に参加するのはいいんじゃないかという意見はあります。ただ、意見の強いものとして、私立大学が大学入試センター試験を利用しないのは、建学の精神と関係がある。私立大学にはそういうものがあってもいいんじゃないかと、こういう意見も根強くございます。アンケートの中にそれはございますので、御覧いただきますと、どのくらいの割合かというのはわかると思います。ですから、大学入試センター試験で全部統一されるというふうにはならないと思います。
  二つ目は、大学入試センター試験と個別試験を逆にする発想ですね。これはあるんですが、今、大学入試センター試験がやっているような試験を個別試験ではやれない時代ではないか。つまり、これだけ多様化しちゃった高等学校のいろんな科目について、大学なりどこかが個別試験で試験を行うということは不可能。これは大学入試センター試験だからできるんだという認識が強くございます。したがって、逆にする発想はなかなか成り立たないだろうと思います。大学入試センター試験でやっていただくから、こういうことができるということかと思います。

○  貴重な御提案をありがとうございました。意見ではなくて、質問だけ一つお願いしたいと思います。
  資料の21枚目の真ん中に、「総合学習と大学入学試験問題について」というのがありまして、今度、新教育課程に「総合的な学習の時間」の設置が言われています。しかし、資料の21枚目をずっと読んでみますと、いつの間にか「総合学習」と言っているものが、何か総合横断的な入試問題に変わっちゃって、その入試問題が是か非かなんてなってしまっている。「総合的な学習の時間」の本来のねらいは、これは総則のところにも二つきちっと出ていますが、高等学校側は「総合的な学習の時間」をどのように考えているのでしょうか、その辺のところを質問したいと思います。

○久野専門委員    このアンケート調査の結果の発表が昨年の秋なものですから、調査がなされたのは昨年の春です。昨年の春ということは、平成10年度の入試が終わってというところで、あわただしく調査がなされた。その時点では、「総合的な学習の時間」というのが構想として出てくるよという話は固まっていたんですけれども、それがどんな扱いになるか、それはよくわかっていないという状況がございました。
  大方の普通科の高等学校としては、「いろんな利用の仕方をすればいいじゃない」ということになるんじゃないか。そうすると、これはますます高等学校が多様化する目玉みたいな、そんな時間割になるのかなという認識がございます。であるならば、これをむしろ大学入試の一つの大きな柱とするような新しい展開をということが、このアンケートをつくった、それに応じた校長たちにもあったと聞いております。現在ではちょっとまた違う認識、ましてやこういうものが出て、きょう拝見しますと、完全に枠の外に置いてありますよね。そういう中で、これはちょっと違ってくるかなという感想であります。
  だけど、高等学校、特に普通科が「総合的な学習の時間」を今後どうするのか。これは必修になっている。どんな内容になるのか、これは大問題であると思います。

○  ちょっとお尋ねで、あるいは御説明があったのを聞き逃したのかもしれませんので、そうだとしたらお許しいただきたいと思いますけれども、資料の2枚目の一番上のほうに、「大学入試は今後も、高等学校教育に及ぼす影響の大きなものであって」ほしい。さらにまた「進学希望者に、勉学意欲を要求するような、その動機づけになるような入試であってほしい」と、こう記述がございます。
  私の理解するところでは、大方の意見は、大学入試というものが高等学校教育が本来目指しているものを、例えば受験科目を中心にやるとか、あるいは受験テクニックの勉強になるというような、どちらかというとマイナスの要素として  ―実態はいろいろあると思いますが、大方はそういうふうに受けとめている。極端に言うと、ゆがめられているというような受けとめ方をしていると思うんです。ここに書いてある意味はどういう意味なのかということが第一点。
  それから、先ほどの資料の34枚目のいわばまとめの部分で、高等学校教育というのは大学受験とは基本的にかかわりのないことだ、本来学校が独自に教育課程に沿って豊かな教育を行って、その結果として大学受験というのが理想なんだ。しかし、実態はそうなっていないという記述があるわけです。その辺の関係はどういうふうに理解したらいいのかということをお尋ねしたいと思います。

○久野専門委員    いろいろありますけれども、簡単に言えば、高等学校が教育活動を続けていく上で、大学を目指すという希望があって成り立っている部分がすごくある。それは今後もぜひそうあり続けてもらいたい。ただし、片一方では、例えば大学入試はとりあえず英・数・国だけでいいよみたいなですね。そうすると、当然、高等学校は英・数・国を中心にした非常に偏ったカリキュラムで教育をするという、これがずうっと行われていたわけですから、そういうことは何とかこの際改善していこうよと。その両方の思いがあると思います。
  だから、ペーパーテストに偏った入試は、この際、第一あまり意味をなさなくなってくるということであれば、それは大いに改善してもらいたいと私は申し上げたい。だけども、大学に入るということの重みを捨ててはいけない。やはり大学入試というのはあってもらいたいし、それがあの年代の子どもたちにとっては大変なハードルであるよということも、今後続けてもらいたい。これは私個人ではなくて、高等学校の多くの意見だと思います。それは、きょうは駆け足でしましたけれども、このアンケートをお読みいただくと、随所にそういうところが御覧いただけるはずでございます。

○  私、自分自身が駆け足で眺めて、理解し足りないと思いますけれども、さっき出ました結論のところの、大学入試センター試験の科目を多くして云々というところがあります。この資料の19枚目の「C―2.将来の大学入試について」のところをざっと見させていただいたんですが、ここからどのようにしてその結論が出ているのか、これの根拠になるアンケートがはっきり見つからなくてお伺いをするんです。
  という質問の背景は、選択肢でやるような大学入試センター試験を広げてしまうと、さっきちょっと出ていましたけれども、それが高等学校の教育にとって本当にいいんだろうか。総合教育が、よくわからないということではありましょうけれども、それなりにいいという評価もこのアンケートの中で出ているように、パーッと見ましたら見えますので、そこを教えていただきたいと思います。

○久野専門委員    恐らく御存知だと思うんですけれども、高等学校の多様化というのはものすごく広がっているわけです。そうすると、どうしても従来型の「主要5教科」みたいな言い方をした、そういう科目に限定して大学入試センター試験が行われる場合に、当然、そういう教科を中心にしたカリキュラムで3年間やっていらっしゃる、昔からの普通科が有利であることは間違いない。高等学校教育が破綻を来して多様化ということになっているわけだから、むしろ多様化している実態に即していろんな科目で受けられるよと。もう既にそうなっているわけですけれども、それをさらに今後、もっと増やしていくことも可能かなということなんです。既に現在、例えば「情報」であるとか、あるいは「工業」や、「商業」の科目なんかもセンター試験に入ってきているわけです。

○  選択できるようにしなさいと、そういう意味ですか。

○久野専門委員    そういうことです。

○  全員がたくさん受けるということじゃなくて。

○久野専門委員    そうじゃないんです。

○  大変大胆な提案が入っていて、私は興味を持ちました。資料の4枚目のところでございますけれども、このように高等学校3年のときに入試を開始する。入試どころか入学選抜を徹底して行うという案は、相当大きい改革だと思うんです。こうなりますと、高校教育というのは2年間で……

○久野専門委員    いえいえ、そうじゃないんです。高等学校を3年完全に終わった後。

○  終わった後ですか。わかりました。

○久野専門委員    ただ、2年間プラス・アルファでというのはあるんです。今、飛び入学の制度が実際に始まっていますよね。あれをやる場合にも、これは有利になるはずなんです。

○  全部終わってからですね。

○久野専門委員    はい。基本的には全部終わってから。

○  あとこの内容に関しまして、ちょっと大げさに言えば、新しい世紀は心の時代というふうに見ることもできるかと思うんですが、人間形成といった面に関する調査というのが何かありましたらお教えいただきたいんです。

○久野専門委員    それは同じような調査研究を全然別なグループがやっています。きょうはそれをお示しすることができませんけれども、この次にでもそれでは……。

○木村座長    それでは、まだお手も挙がっておりますけれども、久野先生のプレゼンテーションに対する討議は以上とさせていただきます。また後ほど久野先生に質問が出るかと思いますが、よろしくお願いいたします。
  それでは、久保田先生に引き続きお願いしたいと思います。先生は現在、私立穎明館中学校・高等学校長をお務めでございます。大変長い教職の御経験をお持ちで、「大学入学者選抜の改革について」と題して御発表いただきます。時間は同じように20分ほどを目安として、よろしくお願いいたします。

○久保田意見発表者    ただいま御紹介いただきました久保田でございます。
  一昨年まで駒場東邦中学校高等学校で校長をしておりましたけれども、昨年から現在の穎明館のほうでまた生徒たちと楽しくやっております。きょうは大変貴重な時間を私学の立場からのこの表題についてお話のできますことを、大変感謝を申し上げたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
  それでは、お手元に差し上げてございます資料(※2)は、私の名前にもなっておりますが、日本私立中学高等学校連合会の意見としてもこういう基本的な意見だというふうにおくみ取りいただきままして、私の個人的な考えも入れまして若干お話を申し上げたいと思っております。
  ただいま久野先生のほうからお話がございまして、私学の立場からとしましては、ちょっと久野先生とは立場が異なって、昔、高等学校への進学率が30%、40%のときは、特に公立の校長先生方は適格者主義ということで、これ以上進学率を増やさないほうがいいのではないかということを言っておられましたけれども、だんだんとそれが現状の98%となってしまった。そういうことを考えますと、大学入試もこれからはあまり高いハードルではないのではないか。大学の適格者主義といいますか、そういう神話はだんだんと崩れているように思います。しかし、これは二極分化と申しますか、相当厳しい大学とそうでない大学、高等学校も相当進学に力を入れる学校とそうでない学校と二極分化していくかなと私は思っております。
  当面、高等学校から大学への接続のところで、私たちにとっても最も気にかかるのは、大学入学者の意欲の欠如といいますか、基礎学力の低下がいろいろ指摘されております。昨今、大学のほうでも入試選抜方法をいろいろと改善され、軽量化されることがいいのかどうかという問題もございますけれども、軽量化されて、受験生としては受けやすくなってきているという状況の中で、それを乗り越えて入学する学生たちですが、大学側としてはそれが大学を受ける資質を持った学生たちなんだろうかという御指摘もいろいろございます。
  また、いわゆる中等教育、小学校も含めまして、高等学校側から言いますと、大学入試が高等学校以下の学校教育に暗い影を落としていることは否定できないという考えもございます。しかし、私は高等学校、中学校、小学校もやった経験がございますが、自らの教育力の不足をすべて大学受験に責任転嫁をする姿勢というのは望ましくないのではないかというふうにも思っております。
  と申しますのは、高等学校の主たる教育目的は、生徒に大学受験に備えてのトレーニングを施すところではないわけです。しかし、よく今日の学校は知育偏重という言葉が言われますけれども、その知育偏重という言葉もおかしいのではないか。高等学校は高等学校段階の知識をきちんと教えるのが、すべてではございませんけれども、私は第1の目的であろうと思っています。
  そして、高等学校にしろ、中学校にしろ、本来は生徒がじっくり基礎・基本を学びながら、学校という集団生活の中で自然に接したり、様々な体験学習を積んで、時には学園での生活をエンジョイしながら、それぞれの個性や才能を伸ばしていくところだろう。
  そのときに、私はあえて「学校という集団生活」と申し上げましたけれども、最近は個性重視と言われておりますが、やはり学校は集団を相手にしておりますので、個性や才能を伸ばしていくところとよく言われます、私たちもそういう言葉を使うんですけれども、個性指導というのはやっておりますが、やはり限界が学校の場ではあるだろうということも思っております。それにしても、受験を前提にした学習主体の今の学校にはそれだけの余裕がないというのが現実の姿だろうと思います。
  私たちは生徒に接していまして、テストというものの成績を非常に生徒たちは気にするわけです。テストが本当に学校でも多いんです。学校の現場ではテストが少し多過ぎるのではないか。ですから、生徒たちはテレビなどのクイズ番組などでテスト大好きなんですね。その結果、答えしか関心のない若者が増えてくるんじゃないか。じっくりと本を読んで、知的情緒の問題などを十分考えるというようなことが、学校ではだんだんと少なくなってくる。特に高等学校では、発達段階からいって、そういう生徒たちにもっと哲学とか、文学とか、そういうものをしっかり身につけさせて、人格形成の場にする最もいい段階だろうと思うんですけれども、なかなかそれができない。高校までの受験対策的学習にエネルギーを使い果たして、大学生になった途端に全く学問への情熱を失っちゃうというようなことも言われております。
  確かに、今、先ほど申し上げたように大学は高いハードルではなくなったとは申しましても、二極分化で高いところもありますけれども、大学側として高等学校側からの注文や批判に一喜一憂する必要はないのではないか。高等学校の履修範囲を厳密に設定してそれを逸脱すると大騒ぎでは、試験範囲の勉強しかしようとしない若者を育ててしまうのではないか。むしろ教育界こそ規制を緩和して伸び伸びとゆとりを持って教育に当たらせたい。だから、大学はもっと厳しいのをやってもいいのではないかという御意見もあります。
  確かに私はそれは高等学校側としてあまり目くじらを立てる必要はないのではないかと思いますけれども、昨年の東京の一流大学と言われるところの問題でも、日本史の問題で、経済成長率と人口の増加率について論じさせる問題なんていうのが出たんですが、そういうのは政治経済の問題で、日本史なのかなと。それから、ある大学では日本史ということで、戦前の内務省の持つ三つの役割を問うという問題を出しておりまして、細かい行政制度の問題で、これは日本史とこじつければそうかもしれませんけれども、どうも高校日本史の範囲外ではないか。それから、やはり世界史で旧約聖書と新約聖書の引用文があって、これは非常に長いんですけれども、それぞれの聖書の中のどの書に記されているかという、旧約のダニエル書と新約のヨハネ黙示録を当てさせる問題なんか出ているわけです。これなどは私は難問のほうかなという気がしないでもありません。
  それから、英語の問題などもA4サイズで14ページにわたる超長文で、大変難しいボキャブラリーで、一般的にはあまり普遍性のないテーマの問題です。これを見ますと、いわゆる大手予備校の答えが全部違っているんです。一体どれが正しいのか。やはり大学側としてはもしもそういう問題を出されるのであれば、高等学校と大学との信頼関係ということから、こういう意図でこういう問題で、こういうふうに出したんだということをむしろ公表されたほうが、その辺はいいのではないかというふうにも思いました。
  また、大学入試センター試験のことも後で申し上げたいと思いますけれども、大学入試センター試験はむしろもっと科目を増やして、ここにもちょっと書いてございますが、思い切って年一度の一発勝負式の入試ではなくて、受験機会も多くして資格試験化を図っていただきたい。受験科目も多くしていく。で、少し難し過ぎるのではないか。大学が大衆化してくる中で、私学もどんどん大学入試センター試験を取り入れるという時期であれば、むしろもう少しやさしくてもいいかなと。
  特に今年の国語の小説などは、現代女流作家のある方の、あれは「眠れる分度器」から出されたんだろうと思いますけれども、あれなぞは非常に難しいんですね。小説自体が難しいんです。私も間違いました。どうも感覚的に合わないといいますか、現代の女流作家のものの感性は、考えれば考えるほど生徒たちには難しい。できる生徒がむしろ失敗しているんです。あの辺もちょっと難しいかなと。そうすると、どうしても大学入試センター小説の対策ということを考えなくちゃいけない。そういうような問題も出てきております。
  したがって、大学入試センター試験は選択で所定の科目に合格すれば、それぞれの大学の入学資格を与える。また大学は、これだけ取れば私の学校はいいですよということで、幅広く弾力的に大学入試センター試験が生かされるようにしたらどうか。ですから、何も18歳で一斉に飛び立つ必要もないんですから、1年でクリアする生徒もいるでしょうし、2年、3年かけて合格を決める生徒があってもいいのではないか。そういう幅の広い大学入試センター試験ですか、資格試験でもいいんですけれども、私はそのように今後変わっていけばいいかなという気がしております。
  大学入試センター試験の出題内容も受験技術が物を言うような、難解で雑多な知識を問う問題は極力避けて、各専門教科について総合的な判断力、理論的思考を見る設問を工夫していただきたい。
  確かにこういうことで、今回の学習指導要領も小学校・中学校・高等学校が変わりまして、3割削減、高等学校も74単位ということで、軽量化してまいりますので、その軽量化がいい悪いということはさておきまして、知識一辺倒の教育から、だんだんと物を考えるといいますか、クリエーティブなシンキングのできる人間、さらにクリティカルなシンキングのできる人間になるように、高校時代から指導していかなくちゃいけないんだろうと思うんです。高校教育がそういうふうになっていくのであれば、そういう高校教育に対して、一流大学であっても、相当程度の高いと言ったら申しわけないんですが、そういう大学であってもそういうものに対する入試の在り方を十分お考えいただきたい。
  高等学校がせっかくこれから新たな教育改革の趣旨に沿うような努力をして、その努力が生かされる方法で、これに連動して大学の方の入試につきましても全面改革に踏み切っていただきたい。
  そのためには、ここには書いてございませんけれども、教育の自由を保障していただくことだと思います。こんなことは申し上げてはいけないのかもしれませんけれども、教育の権威の保障を国家権力に求めるというのは、学校の甘えじゃないかと私は思います。教育の自由というのは、細かな制約を受けずに、規制緩和の中ですから、個性を持ったそれぞれの学校が工夫を凝らしてユニークな教育をする自由であってほしい。
  私ごとで大変申しわけないんですけれども、私は、大正末期にできた明星学園というユニークな私立学校に小学校からおりまして、1学年、男子15名、女子15名、「窓ぎわのトットちゃん」よりもっと小さな学校で私は小学校6年間やり、さらに旧制中学5年間、11年間、30人の友人とやった経験がございます。今でも私個人の哲学というものは、大げさですけれども、その明星時代に既にでき上がったかなということを、今、この年になって考えますと、やはり小学校、中学校の多感な時代の教育は非常に大事で、自由の保障された中で、学力形成とともに人格形成もあえて両立させる教育が大事ではないか。
  私学ですと、よく私学は受験準備教育をやっている、学力形成だけだと言われますけれども、そうではないんです。私学は皆さん大変努力して、学力形成とともに人格形成に力を入れて、その両立された結果として、私は大学進学も見るものがあるんだろうと思っておりますし、私自身もそういうつもりで教育をやっていると考えております。
  以上、簡単でございますけれども、どうぞよろしくお願いいたします。

○木村座長    どうもありがとうございました。
  それでは、ただ今の久保田先生の御発表に対する御質疑等をお願いしたいと思いますが、いかがでございましょうか。

○  大変興味深く示唆に富んでいる御提案だということで受けとめているんですが、結論的におっしゃっている大学入試センター試験を思い切って改革するということで、資格試験化を図るということが今日の先生の最終的な結論的なものだと受けとめているんですが、私も基本的にはそういう方向がいいのではないかと常日ごろ考えている一人です。
  資格試験と言った場合に、資格試験のイメージとして具体的にどういう科目で、いわゆる望ましい高校教育の学力水準を考えて、平均点をどの程度にするとか、いろいろ難しい問題もあると思います。一方では、大学側が求める高等教育を受けるにふさわしい能力や適性を見たいという、それは大学側としてはある意味で当然なことでもあるわけですけれども、これだけ大衆化し、もう大衆化を通り越すというような状況になってくると、基本的にハードルはある程度低くしたほうがいいと思っているんです。したがって、その資格試験の中身、それから資格試験をやる場合に、アメリカやイギリス等では外部機関がやっています。エージェンシーみたいな形にするのかどうか。そこらについて、日本私立中学高等学校連合会として何か専門的に検討されているのがあれば、御参考までにお聞かせをいただきたいと思います。

○久保田意見発表者    まだそこまで日本私立中学高等学校連合会としても考えておりません。また、日本私立中学高等学校連合会に法令等検討委員会というのがございまして、そこでいろいろと教育改革についての検討を進めております。そういう中で、時々話は出ております。入学者選抜方法には理想論というのが適応しない現実があるだろうと思います。ですから、テスト主義を云々するなら、どうしてもやり玉に上がってしまうのは大学入試センター試験になってしまうのですけれども、50万人を超える受験者もおって、これだけ今年も私学が参加していって、あの方法以外によい方法は現在ではないのかなと思うんです。毎年大した事故もなしによくあれだけの全国的事業がこなされるなと思いますけれども、先ほど申し上げたように、問題そのものが非常に  ―国語だけ申し上げますと、林晋先生の評論などは、私は「いい問題だったなあ」と思うんですけれども、小説が非常にひっかかってしまいました。そういう問題でなく、もう少し普遍的な問題を出していただく。
  資格試験というのは、私もまだなかなかイメージ化されておりません。ただ、一発勝負で、あれで2次をやるのがすごくまた難しい大学があるわけです。それで足切りをされてしまう。大学入試センター試験で生徒諸君の雰囲気が変わっちゃうんです。これに失敗すると、大学入試センター試験に関係ない大学入試まで全部だめになってしまうかのような気がして落ち込んじゃうんです。これは非常に大きな影響があるものですから、むしろ私はそうではなくて、いろいろな大学がございますから、それのある一部をとってもいいし、全部でなくてもいいし、教科をもっと増やして、総合的学習なんていうのは、書くのが大変だとしても、マルチプルチョイスでなくて、何かいい方法がないか。これは時間をかければできないわけはないわけです。先ほど申し上げましたように、1回ぽっきりの試験でなくて、タブル受験のチャンスを与えるというようなふうに持っていけば、だんだんとそれが資格試験的なものになっていくのかなという気がしております。

○  大変貴重な御報告をありがとうございました。二つほど先生にお伺いしたいことがあります。一つは久野先生の御報告にもありましたけれども、例えば大学入試センター試験の改善として、受験科目をできるだけ多くする。その中でできるだけ多様な選択が可能なように配慮するということでございますが、実は入学試験というものに要請されてくる一つの条件として、できるだけ公平でなければいけないという要素があるわけです。そういたしますと、入試のための受験科目の中に選択を持ち込むというのは、これはそこに不公平さをもち込んでしまうという危険があるわけです。受験機会を多くするということも実は裏腹の部分がございまして、公平性を確保するということではこれと矛盾を来すところがある。これは、ある種のトレードオフでどこまでを譲って、どこで妥協するかという話になるわけですけれども、選択科目を増やすということと公平性の確保を先生はどのようにお考えになるのかということが第1点でございます。
  それから、久保田先生は、初等中等教育の帳じりを大学入試で合わせるということは望ましくない、それぞれ独自の教育目標があるのだということをおっしゃられたわけです。であれば、高校教育の教育目標の達成をどのように高校教育の立場として測るかということについて、先生のお考えをお伺いしたいと思います。

○久保田意見発表者    試験が何をもって公平とするのか、妥当かというのは非常に難しいと思います。私は具体的に各大学の学部・学科がどのような学生を欲しいのか、どのように教育しようと考えているのか、選抜方法はこれによって決まると思うんです。ペーパーテストを私は悪いとは言っておりませんから、ペーパーテストが最も確実な公平な方法だとお考えであれば、その学校は堂々とそれをやられればいいのではないか。高校側が「そんなのは困る」と文句を言う筋合いのものではないわけですから。ですから、今度の東大の医学部の入試で全面的に面接を導入したのは、私は東大の医学部自身の判断だろうと思います。患者の目も顔も直視できない医者があらわれては、公平さの点で問題を起こすのではないかというようなことが書いてありましたけれども、それで面接をされる。これまたそれでよろしいのではないか。ですから、その大学がその選択でいいんだと決められれば、それで公平さは保つのではないか。全部押しなべて公平というのは非常に難しい問題かなという気がしております。
  それから、高校教育の目的ですけれども、高校教育は今、義務教育ではございませんが、国民的教育機関ということでほとんど義務化されているのと同じような状況でありますので、高等学校の学習指導要領がある一つの基本になって、それをきちんと学ぶ。知識も技能もきちんとさせるということが、学校側としては一番いいことではないか。例えば、いい言葉ではないですけれども、主要5教科だけに絞るとか、そういうことでなくて、芸術も体育も、またはいろいろな学校行事も、そして私学は特に私学でなくてはできない学校行事をいっぱい持っております。特に私学の場合は建学の精神というのがございますので、それによって学校行事も組まれ、年間リズム、3年間のリズムまたは6年間のリズムをつくられております。そういうことで、基本的には学習指導要領のものが国民的教育機関としてここまではやってほしいんだという目的だろうと思いますので、そこをきちんと教えることが一番大事だと思います。
  先ほど申し上げたように、主たる教育目的は、やはり生徒に大学受験に備えてのトレーニングを施すことではないということだけは確かですけれども、大衆化され、2人に1人が大学へ行く、もっとどんどん増えるだろうと思います。増えることに対して、私はそんなに危機感もございませんし、それはそれなりにそうなっていくんだろう。これはさかのぼれば、戦後の6・3・3教育が始まって以来、そういうことにだんだんなるであろうということになってきたんだろうと思います。よく塾や受験予備校が悪い悪いと言われますけれども、これは共通1次なんかができて、情報をうまく学校に伝えるということから、予備校がどんどん成長していったわけですので、これはしかるべくしてできたので、それを悪の元凶であるというふうにとらえなくてもまたそれもいいんじゃないかと思います。そんな考えで、私は毎日教育をやっているつもりでおります。

○  二、三お伺い申し上げたいんですが、資格試験のところでございますが、この御主張は、大学進学したい人で、推薦入学以外の人は全員これを受けなさいということを意味しているのでしょうかというのが第1点です。
  第2点は、現在の大学入試センター試験でも、資格試験として使おうと思えば使えるわけでございます。60点以上はいいよとか、あるいは定員までで切りますよと。これは幾つかの大学でやっている足切りでございますね。これを全大学で一斉足切りをしようということが資格試験になるとしますと、現在は高等学校を卒業すれば入れる子どもたちが、入学資格試験とすると、落ちたら大学へ行けなくなっちゃう。その子どもたちについては、それはだめである、切って捨てるというお考えなんでございましょうかというのが第2点でございます。
  第3点目は、出題内容について、総合的な判断力、論理的思考力と言っていただいているんですが、こういう工夫を大学入試センター試験は随分していると思いますが、これは「生きる力」を測るためには、各専門教科について、総合判断力、論理的思考力ということもありますが、教科をわたる横断的な総合的な「生きる力」を測るような試験は考えられないか。その辺の3点をお教えいただければと思います。

○久保田意見発表者    私は、全員受けてもいいのかなという気がしております。そのためには、1回だけでなくて、2回でも3回でも受けて蓄積をしていく。本当は「A」という大学だったら3科目でよかったんだけれども、どうしても「B」という大学に行きたくなったということであれば、さらにそれをもう1回、2科目足して5科目にするとか、それはそれぞれの大学で決められた科目数に応じて、今度は生徒側が判断すればいいわけです。そういう意味で、このように大衆化して、高等学校も90数%になったときであれば、そういう試験のほうがむしろいいかなと。
  ただ、足切りという場合、これはその学校がどういう生徒を欲しいかということですから、大学の方でどういう生徒が欲しいので、これはこういう教科で、こういうものをちゃんとやってちょうだいということをはっきり公開して、実は今年の入試ではこういう意図があったんだということもきちんと出していただければ、生徒は生徒なりにそれにきちんと対応するようになるだろう。それで勉強できなくて、その大学に行けなかった生徒はいたし方ない。第2回目、第3回目のテストで違う大学を考えるということになるでしょうし。それと同時に、音楽の大学、芸術大学であれば、美術をやったり、音楽をやったりする実技もあるでしょうけれども、そういうものでやっていけば今までのような、今回の後期日程のある国立大学が700名以上も足切りをされるような現実は起こってこないのではないかという気がします。
  それから、「生きる力」を考えるということになりますと、どうしても横断的なクロスカリキュラム的な問題を出していただく。それには大学入試センター試験で、資格試験のようなまたアドミッション・オフィス入試みたいなことはできないと思うんですけれども、それは個々の大学で面接をしたり、小論文なんていうのはいいと思いますが、大学入試センター試験ではなかなかそういうわけにはいかないと思いますけれども、できれば私は横断的な問題についても……。ただし、先ほど申し上げたような日本史なのか政治経済なのかというのでは困るんですが、横断的な総合的な問題があってしかるべきではないかと考えております。

○  久野先生のお話について、お答えは結構ですので、感想でございますが、さっきどなたかもちょっとおっしゃって、久野先生の資料の2枚目の頭のところの「  III  大学入試は今後も高等教育に強い影響を持ってほしい。」とか、3枚目の下のほうの「(2)大学入試全体の重さを維持してほしい 」というのは、最近の大方の教育改革の風潮とは違うのではないかという質問がありましたけれども、私もそう思ってお伺いしておりました。しかし、率直に申し上げますと、最近の風潮にちょっと行き過ぎあるような感じもいたしますので、バランスの上からこういう意見があったということは、私は大変うれしく聞いておりました。それが一つです。
  そして、そのことは、こちらの高等学校長の先生方の調査をパラパラと拝見しておったんですが、こういうのを反映すると、久野先生の書かれたようなものになるような感じがいたしまして、これは久野先生の個人的なお考えももちろんあるんでしょうけれども、最後のところなどは個人的なお考えだと思いますが、大方の全国の公立高校を中心とした高校の先生方の気持ちをよく反映している報告だとお伺いしました。こういうものはやはり尊重して、今後の審議を進めていくことが一番いいのかと思いましたので、特にお答えは要りません。感想を申し上げます。

○  久野先生の御発表について御質問いたします。お教えいただければと思います。
  資料の12枚目のアンケート調査でございますが、この結果の見方、読み方についてでございます。「多様な入試制度と高校教育について」という問いでございますが、この結果を拝見しますと、おおむね「(1)」と「(2)」は多様な入試制度を支持するという傾向でございます。「(3)」は「推薦、後期は少人数にとどめる方がよい」と現行の制度を維持しながら、部分的にもう少し制限したほうがいいという答えになっております。「(4)」と「(5)」はもう少し整理するということでございます。「(3)」「(4)」「(5)」を足しますと124で、「(1)」「(2)」を足しますと109ということで、必ずしも入試制度の多様化が全面的に支持されているわけでもないように受け取れます。これらの結果の読み方、特に「(3)」の後半の「推薦、後期は少人数にとどめる方がよい」、それから「(4)」「(5)」の回答の裏にある意見というのはどのように推測すればよろしいんでしょうか。よろしくお願いいたします。

○久野専門委員    まず、これは複数回答可能ということで、ダブって丸をつけている人が当然いたと思います。私もこの質問に関してはかなりばらついたなということで、特に御紹介はしなかったんです。決定的な意味合いを持たないということで。実際にいろんな意見がばらついている状況です。

○  申し上げるまでもないと思うんですが、ちょっと誤解しているのかもしれないんですが、高等学校までは子どもであって、大学から大人になるというような御意見があったんですけれども、大学教育というのは、日本という国がこれからも、金融じゃないですけれども、公的な資金をうんと投入して、国際社会の中で日本が貢献するためには、かなり改革していかなければならないという状況が前提となった場合、そこに志願する生徒が子どもだとすると、高等学校卒を入れないほうがいいのではないかと思うんです。本来、大学は卒業生に対するプロフィシェンシーを公示して、こういう人間を大学の間に育てます、そういう人間になるために入試はこうやりますと。それを選ぶ生徒が受験する。そうでなければ公的な資金を投入する意味がないと思うんです。ですから、そこがまた小学校・中学校・高等学校とは違った教育機関という意味があるんだろうと思うし、その接続は議論として非常に難しい問題としてあるんだろうと思うんです。
  ですから、子どもでいいということは……。私は、高校で大人になれと、自分の学校ではやっていますから、どういう趣旨でおっしゃられているのかよくわからないものですから。黙って言われたことを勉強しろという趣旨でおっしゃっているんですか。私の理解がお粗末だからかもしれないんですが、どういうふうに理解していいかわからないものですから、ちょっとお聞きしたいわけです。

○久野専門委員    大変申しわけありません。こういうところでこういう言葉遣いが許されるかどうか、私も書きながら迷ったんですけれども、「子ども」「大人」というのを象徴的な意味で使わせていただきました。生活指導に至るまで事細かにやらなければいけないというのが、現実高等学校までの実態ですよね。それから、大学生というのは恐らくそういうものは必要でなくなっているだろうということがある。それから、自立しているといいますか、そういう意味で、大学生には私は十分自立した人間像をというのを要求したい。高等学校まではそれを言っても仕方がない部分はあるだろう、そんなふうなことを考えています。
  ですから、「子ども」「大人」というのは、先ほども言ったように象徴的に使わせていただいたということであって、問題は大学に入るということがどういうことなのかということを、もっと国を挙げて考える必要があるのではないか。大学に入るということは、高いレベルの人間的な努力、あるいは学問的な努力をする場に自分を持っていくというふうな自覚をぜひ子どもたちに持ってもらいたいなと、そんな願いでございます。

○  大変興味深い調査を御紹介いただきましてありがとうございました。
  私、聞き落としたかもしれないのですが、技術的なことで久野先生に一つお伺いしたいことがあります。それは普通科高等学校210校というものが対象になっていますが、実際には普通科高等学校というのは4,000余りあります。この中から210校をどのように選択されたのかということと、回答された方が校長先生であるのか、それとも現場の教諭の先生方であるのかということでございます。
  もう1点、これは久保田先生にもしお答えいただければありがたいと思いますが、高校教育の多様化に合わせて入試というものをどのように改善していくかというのは大変重要な課題ですが、一方で高等学校での評価に調査書があるわけです。高校教育が多様化していけばいくほど、この調査書が持っている評価の意義というのは大きなものになっていくと思います。だとすれば、高校校長会等で調査書というものをどのように有用なものとしていけるのか。入試でもって測れるものは極めて限定されているわけですから、調査書で測れるものをいかに客観化していくか。それは今まで何度も議論されてきましたように、学校間格差であるとか、様々な科目がそこにあるというような問題はあるにしても、この情報をどうやって生かして使うかということを高等学校側で検討されておられるのか。そのあたりで、もし校長会等で検討されていることがありましたらそれを御紹介いただきたいと思います。また、もし先生方の御意見としてこうだということであればそれを含めてお伺いしたいと思います。

○久野専門委員    まず最初は、私が御紹介申し上げた調査の210校ですけれども、これは全国の各都道府県から選んで、各校の校長に、進路指導担当者と打ち合わせながら回答してもらっております。ただ、これは私が実際にやっていたときからの流れがございまして、最初はこういう質問に積極的にお答えいただけるということを前提に、進学校だけに絞ってやった時期がございます。私が担当した平成8年の調査も進学校だけに絞ってやっておりました。その後、それだけでは偏るということで、少し進学校以外のところにも広げてきたということで、主として進学校は私がやったときをそのまま引き継いでおります。結果として、資料の6枚目の一番上にあるような、つまりそれら回答のあった173校のうち135校は、その学校の70%以上が大学入試センター試験を受けていますとか、それから国立大学受験者50%以上という  ―これはかなり優秀な学校群になりますけれども、それが138校とか、こういうことなので、結果的にはこの時点でもかなり進学校に偏った調査であることは確かです。逆に言うと、そうであるから十分な回答が寄せられたということでもあると思います。
  2番目の調査書ですが、これは私ども校長会としても繰り返し話題にしてきたことであります。根底には、学校長が責任を持って作成する、そして外に出す公文書である調査書は尊重してもらいたい、これは脈々としてございます。私なども新しい入試が考案される中で、ぜひ大学入試センター試験と同格ぐらいの扱いで調査書を、今後、大きな材料として手厚く扱ってもらいたいと考えております。多くの校長がそのような希望をもっていると思っております。

○久保田意見発表者    これは非常に難しい問題だと思います。自己推薦なんていうのもございますね。自己推薦なんていうのが出てきますと、記憶中心主義とか、知識のみを評価するシステムとは違う入試なわけで、合格が可能になるわけですけれども、これも最近の入試の一つの特徴だろうと思います。評価の対象がスポーツであろうが、英語の弁論大会の入賞だろうが、多様な評価基準の中から選抜されて、その大学に自己推薦として認められる者は入るわけです。
  ただ、大学の推薦入学のときに、校内の学習評価が4.2以上とか、4.0以上とかございますね。そうなると、いろいろ考えてしまうわけです。よそと比較するわけではないんですけれども、公立の場合でも、これはちょっと言えないと思いますけれども、ある県などでは中学校からの学習の成績評価が、この学校は何%、この学校は何%という、いわゆる中学校間格差を認めた高等学校側の選択があるように聞いているんです。大学のほうでは日本国じゅうの高等学校がどの程度のレベルかなんていうことはわかりませんから、そこまではやっておられないと思いますが、高等学校側としては正確に、私のところも4.2以上であれば4.2以上の者しか推薦いたしません。確かに、あそことあそことあそこと考えたら、うちのほうが高いんだから、じゃこれは「5」にするかというわけにもまいりませんし、「3」だったのを「4.2」にするわけにもいきませんから、そこはそうするわけです。その辺は合理性に欠けている、妥当性に欠けている、公平性に欠けている点があるのではないかと思いますけれども、大学がそのように決められて、そういう者を採りたいと言われる以上、我々はそれに従ってやらざるを得ないのではないかと思います。
  ただ、自己推薦みたいなものが出てきますので、ペーパーテストと違ういろんな総合的な判断を行うという意味で、一つの資料として使っていただくというのであれば、これは大きな一つのウエートとして見ていただきたい。判定材料の中にいろいろな評価の尺度があらわれて、私はいいと思います。成績得点分布もその大学の選抜方法、評価の尺度によって、大きく変わるんだろうと思います。ですから、何とも私たちは言えませんけれども、その大学としてどういう生徒を採りたいのかということを公開していただけば、その辺は高等学校側も納得できるのではないかと思います。

○  両先生にですが、時間が十分ございませんので、今後の課題としていただくのでも結構です。特に大学入試センター試験の資格試験化ということは、しばしば高等学校からおっしゃるわけです。しかし、その意味がまだ私たちにはよくわかりませんので、ぜひともそれをおまとめいただいてお伝え願いたいと思います。
  私の考えでは、資格試験というのは、基本的には絶対的基準か物差しがないと成り立たない。例えば、久保田先生が、1年生でクリアする、2年、3年かかってもいいとおっしゃることは、ある基準がありまして、例えば走り高跳びでいいますと、何メートル何センチと決めてあって、それを1年生で越えてもいい、卒業して二、三年後に越えてもいいという、絶対的な基準があるというのが前提でございます。そうしないと、例えば複数回やったとか、あるいは1年生で習って飛び越えられた、いや、3年間やって飛び越えたというものが同じだと判断することは非常に難しいのですね。そのような絶対的な基準をどうして決めることができるのか。どういう問題を出し、どれだけの人が受けて、平均点がどうだということは幾らでもわかりますけれども、あるときの何点と別のときの何点が同じ意味であって、しかも高等学校卒業あるいは大学受験資格としてこうだというのは極めて決めにくいのです。そういうこともよくお考えいただいて、「このような意味での資格試験化が望ましい。」と高校の立場からおっしゃっていただくのが、議論を進めるために大事なことではないかと思います。
  しかも、その場合に、今、例えば走り高跳びだけで言いましたけれども、走り高跳びで幾らということもありますし、100メートル走で幾らというような、別の教科・科目がございます。それらをどのようにまとめていくのか。科目がたくさんあっても、やはりそれを総合して本人に資格があるかないかということを決めなければいけない。これに我々はいつも頭を悩ますのですけれども、高校からしばしばそういう御要望が出ますので、それを明確化してお話しくださればありがたいと思います。

○久保田意見発表者    先ほど高校教育というのは何だという御質問がありましたとおり、やはり高等学校の学習指導要領に即してつくられるんだと思います。私はそれが基準になると思います。各大学では、これだけやった者ならいいでしょう、これだけやった者はいいでしょうということになるのであって、基準はそこにくるのではないか。
  ただ、私立の中学校の入試で難問奇問ということをよく言われますけれども、大学入試センター試験にも先ほど申し上げたような問題もありますので、その辺は高等学校学習指導要領をきちんと見ていただく。これが一番基準になるのではないか。
  ですから、出題の意図やねらいの公開をぜひやっていただけば、高等学校の通常の学習成果を確認できる問題であるとか、それから教科内容の本質的理解を無理なく試す問題なんだとか、それから考えるに十分な素材と出題内容があるかどうかとか、出題意図が明確である  ―これはこういう生徒が欲しいということに対する出題意図が明確であるということが、きちんと高等学校の学習指導要領に沿ってできていれば、それが基準になるのではないかと思います。

○久野専門委員    「資格試験」という言葉を、校長会としては使わないことに平成9年度にしたんです。これはもちろん大学側といろいろ詰めをやっているときに、どうも誤解を生むということでやめたんですが、それぞれの高校から上がってくる答えの中には、依然として「資格試験」という言葉が多用されています。私どもも紹介するときに、しょうがないから載せますけれども、校長会側としては「資格試験」という言葉を使うのはやめようということになっています。以上です。

○久保田意見発表者    一つだけつけ加えさせていただきますけれども、私立中学高等学校連合会のほうも、これを資格試験にしなくちゃいけないんだとはまだ決まっておりません。特に私学の場合にはいろいろな考えの学校がたくさんございますし、また地域によっても違いますので、これまた日本私立中学高等学校連合会のほうの法令等検討委員会の中で、今日の御趣旨に対して十分検討させていただきたいと思っております。

○木村座長    ありがとうございました。きょうは、久野先生、久保田先生から大変有意義なプレゼンテーションをいただきました。

○  両先生から大変に示唆に富むお話がございましたが、私が考えていることを、だいぶ皆さんとは違うかもしれませんけれども、申し上げたいと思います。
  日本が近代化の過程で、西欧に追いつき追い越せということで、坂の上に向かってひた走りに走ってきた。そのときに構築された教育制度を文部省が中心になって推し進めてきたわけでございますが、それはディプロマディジーズと言われる学歴社会をつくり上げてしまった。これは何も日本だけの問題ではございません。キャッチアップ型の過程で、どうしてもそこに一つの資格、ディプロマを取ることによって、その人たちが発展途上の経済を推し進める上で最も効率的にやってきている。これは世界的な現象でございます。ところが、日本が世界第2位の経済大国になりまして、そのシステム自体がガタガタなりだし、現在の教育の在り方にいろいろな問題が起きてきているという状況でございます。
  したがって、接続の問題についても、そういった根本的な問題に対して、我々がどのような処方せんを出すべきかという視点が、まず第1に必要だと思うんです。それを考えますと、教育制度というのは二つの機能があるわけで、一つは選抜機能、一つは教育機能でございます。日本と隣国の韓国なんかはそうだと思いますが、選抜機能というのが非常なマンモスになってひとり歩きしているのではないかという気が実はしております。最も大事なものは教育機能なんです。これは釈迦に説法でございますけれども。
  そういたしますと、教育機能で最も我々が注意しなければならないことは、何といいましても、先ほど来お話のございました人間形成、それから創造性の問題、構想力、社会的責任の問題等々、つまり愛というものをよく理解して、自由と規律を守るような人間を育てるというところに、すべての根源があると私は思っておるわけでございます。
  特にグローバルな市場主義の時代になりまして、従来以上に気をつけなければならないことは、つまり市場主義というのは欲望と欲望の交換でございます。その結果、人間性疎外の問題が出てくる。それから、情報通信のほうはバーチャルリアリティーの世界で、光の面は絶対に活用しなくちゃなりませんけれども、情報通信というものには影の部分がある。したがって、従来以上に教育制度の教育機能の面に我々は注目しなければならないとまず思っているわけでございます。
  そういったような考え方に立ちまして、現在の制度を俯瞰してみますと、現在、6・3・3、それから4というスタイルになっておりまして、先般の答申で中高一貫教育ということで、6の次は6を固める。ところが、そこに大学入試センター試験という一つのドアがエスタブリシュされているわけですな。そこから大学へ行くということになっているわけですね。このスタイルが本当に好ましいものなのかどうかという原点に戻っての論議があってもいいのではないか。
  私たちの場合は旧制高校でございましたけれども、まず6年の小学校を終わりまして、中学校に入ります。そうすると、4年終わりまして、高等学校に行くこともできました。4年でだめな人は5年、5年でだめな人は補習科1年ということで、4年か5年か6年かと。つまり、昔の中学校というのはそこにかなりフレキシビリティーがあったんです。そこで勉強して、それから高等学校に入る。
  そういたしますと、旧制高校の生活というのは、ここにおられる方は御存じかと思いますが、考えてみると、恐らくイギリスのグラマー・スクールのようなことだったと思いますが、私は文化系統でございましたので、今、自分自身に残っているものは何かといいますと、当時からいろいろと習った哲学でございます。そして、歴史であり、当時学んだ古典、それから語学も相当に英語とドイツ語を毎日のように教えられました。それとあと運動をするということで、私は陸上競技で走っておりました。そういうようなことで、今、私の書棚に置かれている哲学の本も、ちょうど終戦のときにプリントされたようなボロボロのわら半紙の三木清とか、あるいは西田というようなものが本棚にずっと置いてございますが、それが今の年になりましても、今の日本国の21世紀に向かっての問題を考えるときに、非常に血となり肉になっているという感じなんでございます。
  それでは、そういう教育を今の若い諸君にできないのかということが私の単純な考え方でございます。ただ、現在は皆さんが大学へ行くということで、大学が大衆化してきて、我々の時代とはかなり違っていると思いますけれども、今のように6・3・3、大学入試センター試験、大学受検というシークエンスはそれでいいのか。どなたかが、大学は大人だ、高校までは子どもだと言われましたけれども、今、考えてみますと、私どもは高校のときは大人でございましたね。そして、相当のことを考えておりました。だから、そういうふうに分類されるのはいかがなものかと思うわけで、これは非常にうまい言葉使いをしたなと思うのは、「初等中等教育と高等教育の接続」と言っているわけね。初等中等教育というのは、文部省に言わせると高校までを含めると言うんだけれども、高校を含めずに小学校から中学校までというものと、それ以降との接続という一つの考え方もあるのではないかと思っております。
  今も委員の方ににお伺いしたんですが、慶應の場合は御案内のとおり予科というものがあって、その予科から大学に入るときに厳しい試験がございますかと言ったら、「いや、ございません」というお話でございました。昔も、例えば一橋大学、東京商科大学も予科があったわけでございまして、何かその区切り方というのが、現状のシステムを前提にしての論議になっておりますが、それが本当に正しいのかどうか。問題意識の根本というのは、人間教育をいかに国際的な  ―学習指導要領にも書いてございますけれども、国際化された社会において、それに十分対応できるようなしっかりとした人間をつくる。さればこそ選抜試験をしっかりしなくちゃいけないんだということになるんだろうと思うんですけれども、その辺のバランスといいますか、あんばいを一体どうするのか。選抜機能と教育機能のあんばいを一体どうするのか。それによって、現在の6・3・3、4という制度の中における大学入試センター試験のファンクションをどう考えるのか。その辺が私は非常に大きな問題ではないかと思っているわけでございます。
  ちょっときょうの議論と外れたことを申し上げましたけれども。

○木村座長    どうもありがとうございました。ちょっと時間が過ぎてしまいました。申しわけございませんでした。
  今後の審議の日程は、資料10のとおりでございます。第7回小委員会は23日でありますが、そこでも引き続き「大学入学者選抜の改善について」御審議いただくこととし、審議に当たりましては、大学入試センター試験について荒井専門委員からプレゼンテーションをお願いすることにしております。それから、事務局から、皆さん方大変興味がおありだと思いますが、諸外国における大学入学者選抜の状況について説明をいただくこととしております。よろしくお願いいたします。
  もう一度、3月23日に小委員会がございますけれども、4月8日に御案内のとおり、16期の審議会として締めくくりの総会がございます。総会につきましては、委員の方のみということになっておりますので、よろしくお願いいたします。
  その後、17期の委員の発令がありまして、引き続き審議を進めていくこととなっております。この点について、事務局から簡単に補足説明をお願いいたします。

○事務局    今、座長のほうからお話がございましたように、4月14日で16期の任期が切れることになります。ただ、審議が引き続いておりますので、基本的には原則またお願いをして、17期を立ち上げたいと思っております。役所の仕事で面倒でございますが、改めてまたもう一度再任の手続等をいただくことになると思いますが、その節はよろしくお願いをしたいと思っております。
  17期の最初の小委員会の開催は、17期が発足し、総会を開いて立ち上げる必要がございますので、その後ということで、4月の下旬以降になろうかと思っております。できるだけ早く調整をとって御連絡をしたいと思っております。

○木村座長    ありがとうございました。
  それでは、本日は以上とさせていただきます。ちょっと時間を過ぎまして大変申しわけございませんでした。
  次回は、3月23日、13時から霞が関ビル34階でございます。よろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

※1、※2  この資料については、文部省大臣官房総務課広報室にて閲覧できます。

(大臣官房政策課)

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