審議会情報へ

中央教育審議会

1999/5 議事録   
少子化と教育に関する小委員会(第5回)議事録

  議  事  録 

平成11年5月17日(月)13:00〜15:00
霞が関東京會舘  35階  ゴールドスタールーム

 1.開    会
 2.議    題
      少子化と教育について
 3.閉    会

出  席  者

委員
    鳥居副会長、河合座長、木村委員、小林委員、志村委員、高木委員、俵  委員、中島委員、森(隆)委員

専門委員
    安藤専門委員、下田専門委員、鈴木(清)専門委員、鈴木(り)専門委員、楢府専門委員、広岡専門委員、牧野専門委員、森(正)専門委員、山口専門委員、山谷専門委員、山脇専門委員

事務局
    森田政務次官、梶野生涯学習官、折原男女共同参画学習課長、御手洗教育助成局長、高  総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○河合座長  ただいまから、中央教育審議会の「少子化と教育に関する小委員会」第5回会議、第17期としては初めての会議を開催いたします。
  本日は、御多忙のところ本当にありがとうございました。
  去る4月19日の総会におきまして、私、河合が引き続き、本小委員会の座長を務めさせていただくことになりました。よろしくお願いしたいと思います。
  本日は、「少子化と教育について」の審議を行うことにいたします。
  まず、政務次官に御挨拶をお願いいたします。

○森田政務次官  どうも皆さんこんにちは。中央教育審議会「少子化と教育に関する小委員会」第5回の開催に当たりまして、一言御挨拶を申し上げます。
  皆様方におかれましては、大変お忙しい中御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
  本日は、第17期として初めての小委員会でありますが、皆様におかれましては、第16期に引き続き審議に御参加いただき、心から厚く御礼を申し上げます。
  昨年12月以来、第16期中央教育審議会におかれましては、少子化と教育という極めて重要な課題について、精力的に御審議をいただきました。私もできる限り審議の場に加わらせていただきました。
  今後は、これまでの成果を踏まえつつ、内容の取りまとめに向け、いよいよ大変なお仕事をお願いすることになりますが、委員、専門委員の皆様方におかれましては、御多忙のところ誠に恐縮でありますが、これまでと同様、幅広い観点に立ち、十分な御審議をいただくことをお願い申し上げます。
  簡単でございますが、私の御挨拶とさせていただきます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。

○河合座長  どうもありがとうございました。
  それでは、配付資料の確認をいたしますので、事務局からお願いいたします。
<事務局から説明>

○河合座長  よろしゅうございますか。
  なお、私としましては、審議に当たり、第16期と同様、座長代理として小林委員にお願いしたいと思います。よろしくお願いします。
  次に、この審議会の公開及び議事録について申し上げます。
  まず、小委員会の公開の方法について確認したいと思います。小委員会の公開方法については、4月19日に開催された第225回総会において、第16期と同様の扱いとすることが決定されたところです。これを改めて申し上げますと、まず1番目として、詳細な議事録  ―これは匿名でございます  ―による公開を行い、会議そものは非公開とする。
  2番目、会議終了後の座長の記者会見に際しては、座長の責任でその審議の概要を簡潔にまとめた資料を作成・配布する。
  3番目、議事録の公開の手順としては、原則として次回会議において事務局案を提示し、次回、会議の欠席委員も含めて確認した上で、速やかに公開するということになります。
  今後、こうした方針でまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  それでは、討議を行いたいと思いますが、その前に、文部省における少子化関係主要施策について、事務局のほうから説明をいただきたいと思います。お願いします。
<事務局から説明>

○河合座長  これから討議を行いたいと思いますが、本日はこれまでの検討の概要について、事務局のほうでまとめたもの(※1)を御用意いただいております。本日はそれを参考にしながら、今後、どのように報告をまとめていくかについて、全体的な御意見をいただければと思います。
  それでは、事務局から朗読をお願いいたします。

○事務局  朗読させていただきます。

    「少子化と教育に関する小委員会」におけるこれまでの検討の概要について
  
    1  基本的な問題点について
  
  本小委員会は、少子化の問題を教育との関係に絞って議論することを目指すものであるが、検討に当たっては、いくつかの問題点が存在する。
  もともと、少子化のもたらす影響については、少子化自体が新しく認識された問題であるということもあり、これまでに十分な学問的知見が得られているとは言えない。現代における「一人っ子的育ち方」のように、一般には少子化の影響と思われがちなものでも、他の要因が複合的に絡んでいると考えられるものも存在する。
  また、少子化に対応した教育関連施策としては、少子化のもたらす影響への対応と、少子化をもたらしている要因への対応が考えられるが、両者を区別して議論することはなかなか難しく、また、総合的な取組が求められる中で、教育面のみをとりだして議論することは容易でない面がある。
  
    2  少子化をどのようにとらえるべきか
  
  現在急激に進行している少子化は、未婚化、晩婚化によるところが大きい。
  厚生省国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、平均出生児数と平均理想子ども数には若干の乖離はあるものの、平均出生児数自体は、ここ二十数年、変化している訳ではない。子どものいる家庭の子ども数は変わらないが、地域社会全体から見れば、子どもの絶対数が減っているのが、現在の状況である。
  未婚化、晩婚化が進んでいる原因としては、「多様な生き方が可能になり、そのことが社会に許容される中、無理に結婚を急ぐ必要がなくなっている」一方、「結婚や子育てが負担をもたらすもの」と受け取られ、結婚する意志はあるものの、結婚に踏み切るハードルが高くなっていることが考えられる。
  
    3  少子化が教育に及ぼす影響について
  
  少子化が教育に及ぼす影響については、例えば、次のような問題点が考えられる。
  ○地域社会において子育てについての知恵や経験の伝承や共有が困難となり、個々の家庭における子育てに対する支援機能が弱まりつつあること
  ○地域社会において子どもの数が減ることにより、子どもたちが異なる年齢でさまざまな体験を行う機会が減少すること
  ○学校においても、一定の集団を前提とした教育活動に制約が生じること
  ○子どもたちが小集団の中で自分を固定させたり、友人との関係を過度に重視したりすること
  
    4  少子化に対応した教育関連施策について
  
  少子化に対応した教育関連施策については、少子化のもたらす影響への対応と少子化をもたらしている要因への対応が考えられる。これらを区別して議論することは困難な面があるが、例えば次のようなことが考えられる。
  
  ○少子化が及ぼす教育への影響のうち、子どもに関するものについては、学校教育や社会教育において積極的に異年齢による集団活動の機会を設けていくといった取組が必要である。
  ○子育て支援は、少子化の下で生じる子育てに伴う不安や負担感を解消していく上でも、また、結婚や子育てへの心理的・物理的障害を緩和する上でも、大きな意味があると考えられる。
  したがって、地域社会において子育ての知恵や経験が適切に共有・継承されるよう、現在、子育てを行っている者同士のみならず、既に子育てを終わった者やこれから子育てを行う世代との交流を進めることが求められる。
  また、幼稚園における預かり保育の拡充や子育ての悩みを共有できる機会の確保、奨学金等による教育費負担軽減のための取組等も重要と考えられる。
  ○さらに、若い世代に家族や子育ての重要性や楽しさを伝えるため、幼稚園等に行って幼児に触れるといった機会を設けることも意味があると考えられる。
  ○なお、これらの取組に当たっては、子育ては家族全体で、また、地域全体で行うもの、男も女も子育てをし、男も女も働き続けるものというように、社会全体の仕組みや人々の意識を変えていくことが必要である。
  社会の仕組みや人々の意識を変える上で、教育の役割は極めて重要であり、早い段階からの取組みが求められる。
  
    5  教育関連施策を進めるに当たって
  
  ○少子化への対応に当たって、子どもを産むのか、産まないのか、どのような家族の形をとるのかといったことは、個人の責任において主体的に判断されるべきものである。
  ただし、それらの判断が、幅や厚みをもってなされるようにすることを検討する必要がある。
  ○子育てに家庭や地域がどのように関わっていくべきなのかという理念を持たないままでは、子育て支援策が単に利便性の追求に応えるだけのものになる可能性があることに留意する必要がある。望ましい子育ての在り方とは何かが常に問われなければならない。
  また、単に子どもの数を増やせばよいのではなく、どのような子どもを育てるのかという議論が同時になされる必要がある。
  
  以上でございます。

○河合座長  それでは、これから3時ごろまで「『少子化と教育に関する小委員会』におけるこれまでの検討の概要について」の内容を踏まえまして、少子化と教育についての討議を行いたいと思います。
  まず初めに、牧野専門委員より家庭科の教育についてお話しをしたいと言われておりますので、お願いいたします。

○牧野専門委員  お時間をとっていただきまして大変ありがとうございます。
  ただいま、これまでの議論についておまとめがございましたけれども、文部省の教育施策において少子化に最も関連してくるのが家庭科教育ではないかということを、かねがね議論を聞いて考えておりました。私は今、大学で家庭科の教員養成にかかわっております。それから、今の大学に移ります前に、二つの国立大学の教育学部で同じく家庭科の教員養成にかかわってまいりました。専門は家族社会学でもあるんですけれども、それから家庭科教育学会の関連の立場から、家庭科教育が少子化の問題に大変かかわるということで、この教育の重要性について少し話をさせていただきたいと存じます。
  お手元に資料(※2)を差し上げました。ちょっと前置きをさせていただきたいと思いますが、御承知のように家庭科というのは小学校で男女共学で、これは戦争直後からずっと50年以上の歴史がございます。中学校は「技術・家庭」という教科でございまして、実は男子は技術的な教育内容、女子は家庭科的な教育内容ということで、別に学ぶという時代が長く続きました。それから、高等学校の家庭科は長らく女子のみの教科として位置づけられてきておりまして、社会の変化の中で、今は1994年から男女共学必修という教科になってきております。
  私ども家庭科の関係者は、家庭科が女子だけの教科として位置づけられてきたというそのことが、社会全体で家庭というのは女の領分というんですか、つまり人口の半分の男性たちはあまりかかわらなくていい領域と考えられてきたという、そのことが様々なひずみを生み出してきているのではないかと過去の歴史に対する責任感も感じております。その意味で、新しく共学になった家庭科が、社会の中で、子どもとか、高齢者とか、あるいは職業の場ともう一つ表裏になる家庭というものを、同じようなバランスで男も女も考えていかなければいけないのではないか。そういう教科としてもう少し重要性を認識していただきたいと、かねがね考えているところでございます。
  早速ですが、資料の中にありますように、今、家庭科を学んでいる高等学校の生徒たちが、家庭科というのをどういう教科だと思っているかということについて、東京都の高等学校家庭科教育研究会という公立、私立が入っている家庭科の先生方の会でございますが、そこが大規模な調査を行いました結果の中間まとめが最近手に入りましたので、これをきっかけに話をさせていただきたいと思います。
  今、家庭科というのは、高等学校で4単位、「家庭一般」または「生活一般」「生活技術」のうちどれかを必修で履修するようになっております。「学習する時間はどのくらい必要と考えますか」という問で、「今までどおり(4単位)でよい」という回答が普通科でも、商業科でも、工業科でも非常に多くて、「もっと増やした方がよい」という回答を含めますと、8割の生徒が家庭科に期待をしていると読み取ることができると思います。これは普通科で約4,000人、商業科で約1,000人近い人数、工業科で約700人という調査人数で、できたてのほやほやのデータでございます。
  どんなことを生徒が考えてこういう結果になっているのかというのが次のデータですが、「学んでよかったことや得たこと」に対する回答として、普通科では「自立をする上で役に立ち、自分に自信がついた」と言っている生徒がこんなに大勢、2,000人近くいるわけです。そして、「将来の自分の生き方をまじめに考えるようになった」と言っている人たちも、普通科では続いて多いということです。
  ちょっと質問の項目が違っているんですけれども、商業科の場合にも「将来の自分の生き方をまじめに考えるようになった」とか、「男女が協力して家族・家庭・社会をつくることを知って考えるようになった」とか、「自分の視野が広がった」というところに回答がたくさん出ております。
  今、家庭科がお料理とか、裁縫が中心と思っていらっしゃる方はそう多くはないと思うんですけれども、もちろん調理実習などを生徒は非常に楽しんで、つくること、自分の手足を動かして何かを成し遂げていくことに生徒は大変興味を持っております。
  次のデータですが、「どんな学習方法が意欲的に取り組めますか」という問いに対して、「実験・実習」が一番多くて、あるいはもっと実験を多くとか、実習を多くしてほしいと答えている人たちが多いんです。ここの中には調理実習とか、幼児の観察とか、それから調査とか、調べ学習なども入っているとお考えになっていただければありがたいと思います。家庭科という教科は、非常に幅広い、いろいろな方法で、今、学ばれております。
  駆け足で大変申しわけございませんが、資料の4枚目です。先ほどのは東京都でございましたから、地方の場合の一つの例ですけれども、福岡の場合です。これも生徒の意識調査ですが、ここの中で家庭科の男女必修について、真ん中辺りにあるグラフを御覧になってください。「ア  男女共に必要」という回答が非常に高くなっていることがおわかりになると思います。その左側に男子の意見として、「生きるために大切」、「一人暮らしに必要」とか、「家庭は男女で成り立っている」、あるいは「将来役にたつ」、「身近なことを学ぶから必要」というようなことを理由として、男女ともに必要というふうに考えています。
  「一人暮らしに必要」とか、「将来役にたつ」というのは、先の話と見えるかもしれないんですが、私ども家庭科を担当する者たちは、今の中学生なり高校生なりが、自分が生きている毎日の暮らしを自立していけるような力をつける教科であって、今の生活にももちろん役立っていると考えております。自分自身の生活を自分で賄っていくことができるという力。その意味で、家庭科は今は生きることについて学ぶ教科であると、一口に言うと言えるのではないかと思っております。
  下のところに女子の感想がありますけれども、「他の教科と違って、本当に生活していく上で大切な、欠かすことのできない事柄なので、楽しく興味もって授業を受けることができました。家庭科の学習なしでは、……未知な事が多すぎる」とか、「頭の中に入っているので人生に十分生かしたい」ということを言っております。ほかの専門の数学だとか、英語だとか、いろいろな難しいことを学ぶ土台として、あるいは基礎として、自分が健康でしっかり生きていくことについて学ぶ教科だから、生徒たちはこのように評価をしていると思います。
  生きるということは、自分自身の今の生活ということと、それから人生全体が含まれています。それから、人の命。ライフという言葉を考えるとおわかりになると思いますけれども、人間の命が生まれるということも含まれています。そういうことすべてを学ぶことができるのが家庭科に当たりますので、この教科の重要性をもう少し考えていけば、少子化にかかわる様々な問題と深く関連して大きな効果を上げていくのではないかと考えます。
  資料の5枚目は、保護者の意識調査です。親もまた家庭科を必要だと考えているんですけれども、一番上のグラフのところ、「家庭科男女必修をご存じですか」ということに対して、「知らない」と答えておられる方も多くて、その次に「入学後」知ったと。それまで知らなくて、「エッ、うちの息子も学ぶのか」というふうに驚くということです。学んでみると、自立する上で必要な教科だと思うという親の意見が多いということがおわかりになると思います。
  「学校で学習させたい内容」と「学習する必要がない内容」というのを親に聞いているわけですけれども、右のほうにグラフがたくさん伸びていますが、「学校で学習させたい内容」として、例えば「家庭生活の意義」とか、「家族関係の在り方」とか、「家庭と社会のかかわり」、「生活設計」、「高齢者への対応と福祉」とか、こういうところに大変希望が多くなっている。それから、消費生活の問題などもそうです。それから、食事の役割の意義とか、調理実習などは、親もできるようになってほしいと思っている内容が多くなっております。
  最後の資料の6枚目は、これも最近出ました調査で、東京・埼玉の公立高校普通科の男子生徒、女子生徒たちがどういう家庭科の学習を楽しいと感じ、あるいは必要だと感じているか。ちょっと男女別に意識が違っておりますが、かなりの生徒が楽しいと考えております。左側に「○」がついているのが順位です。調理実習は男女とも楽しくまた必要だと考えている。これは大きな項目です。自分たちがとにかく手足を動かして目的のものをつくれる、そして食べられる。これは基本的なことですけれども、体を動かして学ぶことの大切さが出ています。消費者教育とか、環境問題にも最近は関心が高まっております。保育の問題は、結構楽しいというのが女子のほうにも出てきておりますが、男女とも妊娠とか、出産の問題を必要だと考えていたりします。
  調査の結果は以上なのですが、少子化との関連で少しまとめさせていただきます。
  一つには、これまでの議論の中でも、女性の働きやすい環境をつくるということが出産とか、子育ての問題に大事であるという議論がずっと出てきていたと思いますが、労働の場へ女性がもっと出やすくなることと同時に、ポイントはもっと男性が家庭に参画できるように、男女で共に家庭を築くという基本的なことであります。労働の場と同時に、家庭というものについてもう少し社会全体でこれを重視していけるという意識が大事ではないかと思います。家庭・地域という人間の生活の基本的な場所について、もっと学ぶといいますか、大事にする。男の人たちはとりわけ経済発展のために家庭を振り捨てて、高齢者や子ども、障害を持つ人を振り捨てた身軽さで経済発展を支えてきたと私どもは思います。でも、そこから出てきたことが、今、改めて問われているのではないかと思うのです。本当に高齢者とか、子どもが家庭という場の中で生活をする非常に重要なことになっている。これが一つの問題点です。
  ただ、今や家庭が大きく変わってきていますから、家庭をもう少し開くということの意味、それから家庭の持っている問題点、その他も全部含めてのことであります。つまり、社会全体で家庭・地域に関心を持つという意味で、家庭科の教育が必要になってくるということであります。
  それから、もう一つの側面は、個人の自立と生き方についての学習が家庭科の中で行われているし、またこれからしていくことができると思います。結婚をするかしないか、あるいは子どもを持つか持たないかというそのことも含めて、あらゆる場面できちんとした意思決定ができる人間を育てていく。消費の場でもそうですけれども、自分の長い人生の上で、どうやって自分が生きていくのかという、生きることについて真剣に考えるというこれが大事です。つまり、母親に任せっきりとか、あるいは結婚したら妻に任せきりとか、あるいは経済的には夫に頼りきりではなくて、すべての人々が自立できるという基本的なことがあって、それで自分の生き方を選び取ることができるようにしていく必要があると思うんです。成り行きで子どもを産むということではなくて、自分の生き方として考えていく。
  その点では、子どもを育てるということを通して、人間はいろんなことを学ぶことができて、子どもによって私どもは育てられるという側面があると思います。将来、子どもを産み育てるということだけでなくて、子どもという世代の違う幼い存在、あるいは助けを必要としている人とかかわるということの中で、中学生なり高校生なり、子どもたち自体が育てられるんです。この体験をしていく中で、将来、先ほど出ましたような子育てが楽しいというような体験は自然に生まれてくるわけで、「楽しいんですよ」って先生がお説教するというものではないです。親になるということより、最近は養護性とか、次世代育成能力という、人間としての幅の広い特性の一つとして、子どもを育てる営みが大事だと考えられています。
  今まで女性がある意味では子育ての営みを独占してきたんですけれども、こんなすばらしい体験を女性だけではもったいないという意味もありまして、男性たちも体験する。これは仕事だけの世界ではないものが育てられるということになります。
  もう一つ、人とかかわる力を育てる側面が家庭科の中にあります。少子化の中できょうだいが少なくなり、あるいは地域社会にも子どもの数が減ってきて、いじめとか、不登校などの子どもたちの成長の中で出てくる様々な問題は、どうも人とかかわる力が弱まってきているためではないか。これは少子化のもたらす一つの問題であるということで、議論の中にも出てまいりました。家庭科はそういう意味で、子どもとかかわる、あるいは世代の違う人とかかわる活動ができる教科です。このたび中学校、高等学校の学習指導要領の改訂で、人とかかわる活動をするということが明確に書かれるようになりまして、大変うれしく思っております。そのような意図が家庭科の中にございます。
  そこで、「今後の家庭科教育充実のために」ということを書かせていただいたんですけれども、例えば労働の場の問題とか、あるいは出産力あるいは出生率の向上なんていうのは、労働省の課題であり、厚生省の課題であるかもしれない。文部省として家庭科はピッタリ、教科という活動を通してすべての生徒に学ばせることができるものですから、文部省らしい少子化と教育の対策ができるのではないかと思っております。
  また、課題もございます。とりわけ実践的・体験的な学習のために、本当に十分時間を取りたい。生徒を外に出したいと思っていても教員は少ないし、今度、新しい学習指導要領でどの教科もそうですが、「家庭基礎」というような「基礎」とついた名前で2単位の教科が設けられてしまったんですね。4単位必修が削減になってしまうかもしれない。もちろん「家庭総合」という4単位の科目が置かれていますので、これまでの内容を充実するためには4単位を履修していくことが必要であろうと思いますし、本当はもっと時間が欲しいところですが、その辺を文部省としてはぜひ徹底していただければありがたいなと私などは思っております。
  それから、教員とか、管理職、あるいは教育委員会、それから保護者に家庭科教育が重要であるということ、今のような内容を含んでいるものであって、これからの社会で非常に重要な意味を持った教科であるということを理解していただく。それから、協力をしていただく必要があると思います。このためにも、文部省はまだまだやれることがあるのではないか。文部省として対策をとっていただければありがたい。つまり、管理職研修など、家庭科を学んできておられない方が多いと思いますので、その辺が必要ではないかと思います。
  それから、地域の協力体制ですけれども、子どもや高齢者とかかわるためには、高齢者を学校に招くとか、赤ちゃんを学校に招くなんていうことをすることができると思うんです。アメリカなどでは保育園の一クラスの子どもが高等学校の家庭科の教室に来て、一緒にお兄さんやお姉さんたちと遊んだり、あるいはクッキーを焼いたりするんですが、世代の違う人たちが学校に来るとか、あるいは生徒が外へ出ていくためにも地域の協力体制が非常に必要になります。保育園や幼稚園で受け入れ態勢をしっかり取れるように協力していただくためにも、文部省からの一声があるとないとで随分違うのではないかと思いますし、そういうことをやっていただければ、学校を開き、生徒の体験をより豊かにすることができると思います。
  中学校の「技術・家庭科」でも、今度は幼児ということを中心にして触れ合うということ、幼児のためのおもちゃをつくったり、それからそれを持って保育園や幼稚園で遊ぶということができるんですが、これも時間数の関係で、今、選択になっているんですけれども、できるだけそれをすべての子どもが体験できるようにしていただければありがたいと思います。
  世代の異なる地域の人々と触れ合うことが、少子化がもたらした影響に対して子どもたちをより豊かにすることにつながるのではないかと思います。
  時間を取っていただきましてありがとうございました。駆け足でしたが、御質問があれば答えさせていただきます。ありがとうございました。

○河合座長  ありがとうございました。
  何か御質問ございますか。

○  私は前から気になっていて、資料の6枚目ですが、これは少子化と教育の中で重要なポイントで、今やらなければいけないのは「6」番の「消費者教育(消費者の権利、消費者信用とクレジットカードなど)」の問題です。今、生産と消費とか、収入と支出のバランスが崩れてしまっている。例えばサラ金の問題にしても、ローンの問題にしても、結局は実態を知らないままに安易にどんどんお金を借りるみたいなことを歯どめなくやっていて、いろいろ問題があるんですよね。このアンケートを見ていたら、やはりかなり意識が高くなっています。少子化の問題というのは、子どもが少ないとつい買ってやり過ぎるみたいな中で、非常に安易な消費を先に身につける。自分では一人前になったけれども、消費が先行してしまっている問題が、私たちの小委員会では問題になるのではないか。その辺はやはり家庭科の学習の中でもきちっと押さえないと、ほかのところでは難しいのではないかというのが私の感想ですが、思いました。

○  大変興味深いお話をありがとうございました。「あ、今まさに家庭科ってこういうことをやっているのか」っていろいろ新鮮な面もありました。ただ、本当にここに書かれていることはすごく大切なことで、すごく大切なことだなと思う一方で、こういうことを学校でないと学べないというのが何か問題のような気がして、かなりの部分、まさに家庭で学ぶことが含まれているような気がするんです。ここ何期かの中央教育審議会の流れですと、なるべく学校はスリム化して、家庭に返せるものは返そうという流れだったと思うんですが、そういったあたりは牧野専門委員はどのようにお考えでしょうか。

○牧野専門委員  ありがとうございます。そう思われる方も多いのではないかと思うんですけれども、小さくなった家庭の中に、こうした人とかかわる力を期待することができなくなってしまっている。つまり、5人も6人もきょうだいがいました時代には、おじさん、おばさんが4人も5人もいるんですね。5人のおじさんにいとこが5人ぐらいずついるとなると、ざっと平均して40人ぐらいいとこがいたんです。でも、今、きょうだいが親の世代も1人か2人、そしていとこなんていうのは4人ぐらいで、遠くに住んでいたら会うこともできない。そういう家族の変化を考えていくと、子どもたちに家族ではできなくなってしまっている教育を、学校という集団の場で学ばせるという必要が出てくるのです。
  一昔前はそういう意味で、おじいさんやおばあさんやいろんな人たちが家族の中にいて、伝統的なものを学ばせることもできましたけれども、今、母親一人に期待することはできないと思います。父親も参加すればもちろんいいのですけれども、家庭が小さくなってしまって、もう少しそれを開いていかないといけないのではないか。
  もう一つは、学校教育の中で、原理原則、それから科学的な知識をきちっと教えることによって、応用的な力をつけることが一つです。それは衣食住についての正しい基本的な知識を身につける。
  それから、家族とか家庭というのは、自分の育ってきた家族だけが、あるべきものだと思い込んでしまうんですね。40人のクラスがあったら、40人の家族がみんな違うんです。一人の親の人もいますし、それから再婚している家族もいるでしょうし、いろんな家族があって、それがそれぞれ尊重されていいんだということを知ることができるのです。「自分の家族はなんて不幸なんだろう」と思うのでなくて、非常に強くやっていく家族もあるし、「あ、そんな考え方もあるんだ。そういう家庭もあるんだ」ということは集団でなければ学べないのです。ですから、学校という場が必要になってくると思うんです。
  先ほど、「あ、今こんなことをやっている」という発言がありましたが、本当に家庭科は変わってきていますので、ぜひ学校の現場を男性の方も女性の方も、見学していただきたいと思います。今まで学んでこられたとしても、最近の家庭科の現場を見る機会を持っていただけると、「ああ、家庭の親とは違う学習ができるんだな」ということがおわかりになるのではないかと思いますので、これもあわせて希望を申し上げます。

○河合座長  高校の家庭科の授業の見学というのか、視察というんですか、そういうのをやってはという御提案ですが、皆さんいかがですか。

○牧野専門委員  ぜひお願いします。

○河合座長  強制的にということではありませんが、そういう機会をつくっていただいて、見に行くということにしましょうかね。

○牧野専門委員  御都合のつく方に設定してくだされば……

○河合座長  それでは、これからは全く自由討議ですから、もちろん今の牧野専門委員への御質問、御意見もよろしいし、少子化全般のことで結構ですから、どうぞ御意見をお願いいたします。

○  質問ですが、話を伺っていて、私はちょうど中学校の「技術・家庭」という時代で、技術科は勉強したんですが、家庭科は勉強しなかったんです。今の高校生や中学生が、特に男子と女子とで家庭科についてのとらえ方が一緒になっているのかなということを感じましたものですから。資料の1枚目のアンケート調査で、これは男女が一緒になっていますね。これは男女別にすると違いがあるのかないのか、それをお聞きしたいと思いまして発言をいたしました。

○牧野専門委員  このデータはまだ中間報告で、まとまったものになっておりませんで申しわけありません。最後の6枚目に、楽しさと必要性についてのデータがありますが、かなり共通の部分もありますし、それから項目によって違っていますので、このあたりで推察していただけるとありがたいと思います。今の高校生たちは小学校からずうっと共学をしてきていますので、意識はかなり共通です。

○  私も牧野専門委員にもう一つ、前のお二方と関連のある質問かと思うんですが、ただいまの御報告を興味深く拝聴いたしたんでございますが、学校か家庭かというふうに決めるのではなくて、こういう教育が男女ともに身につくには、両方の協力が必要だと思うんでございますね。学校でいくらこういう教育を受けても、それはどこまでも建前であって、家庭で実践しているかいないかが本音ではないかという気がしますので、近ごろの家庭で、男児、女児が実際にこういう問題に関しまして平等に育てられているか、家族の中の仕事の役割分担がどうなっているかというような調査などは、結果があるんでございましょうか。
  もう一つ、今の中学生・高校生が親になるまでそれを待つというとかなりかかりますので、今、家庭科でやっていらっしゃるような教育を親に広げるというような試みはあるのか、お伺いいたしたいと思います。

○牧野専門委員  今、ちょっとデータを持ち合わせておりませんけれども、おっしゃるように家庭の中で平等に育てられているかどうかということでは、親世代というのは、まだまだ意識が男の子らしく、女の子らしくという思いを持っているところがあると思います。ただ、少しずつ意識が変わってきておりますし、親の教育を含めていかなければいけないとは思っております。ただ、学んでいけば、将来、大きく変わるだろうという期待は非常に大きく持てると思っております。おっしゃるように、学校と家庭と両方が大事であるということはそのとおりです。
  すみません、今、データがありませんけれども、親への教育を直接はしておりませんが、例えば授業を公開をしましたり。それから家庭科の先生というのは、家庭の協力がないといけませんから、通信を通してとか、あるいは親へいろんなメッセージを発信しておりますし、子どもが学んだことが親にいろいろな影響を与えるということは現実に起こっております。先ほどの消費者教育の問題とか、クレジットのことなんかを実際に体験して学ぶと、子どもが家庭に帰って親に言っていくとか、そういう効果が現実にはあるだろうと思います。

○  二つお伺いしたいんですが、一つは皆さんと同じ質問ですが、家庭でできないから学校でやるという場合に、学校では家庭の補完はできますが、家庭の代替はできないものが必ずあると思うんです。その辺をどんなふうにお考えかということ。
  2番目の質問は、絶対学校で代替できないものは親の生き方ではないかと思うんです。家庭とは何かという、資料の5枚目で、家庭生活の意義を教えるということですけれども、家庭生活の意義を知識として学校で説いても、子どもは知識として覚えるだけで、それは補完程度にしかならないと思うんです。そうすると、親の生き方というものを子どもに知らせるには、家庭科を通じて親の教育をするのがいいと思うんです。その一つの方法として、親の生き方とか信念を調査して、子どもに書かせて学校へ持ってこさせる。親は「あ、何か持ってなきゃいけないのか」と思って考えるのではないかと思うんです。二つお伺いしたいと思います。

○河合座長  いかがですか。

○牧野専門委員  後半の部分はおっしゃるとおりですけれども、家庭科だけではないかもしれません。「総合的な学習の時間」なども使って、学校全体でそうした取組ができれば、親の教育として効果的かもしれません。
  さっきおっしゃいました、家庭でできないから学校が代替するという、ちょっとその考え方と違えて、学校であるから、集団であるからできるというふうにお考えいただきたいと思います。つまり閉じられた血縁の非常に深いつながりでないところから、家族のことを学ぶんですね。いろんな家族があるなんていうのは、いろんな人の意見を聞くわけです。「うちのお父さんは絶対台所に立たない」という生徒がいたり、「いや、うちではお父さんが暇だったらやるし」とか、「うちではお母さんがこれだけ働いていて、夜も帰りが遅い」「エーッ、そういう家族があるのか」という、それが家庭の在り方を学ぶということであります。意義というのを言葉で言わずに、子どもたちがずうっと家庭の現状を学んでいく中で、後で残るんですね。ですから、何とも御説明のしようがなくて、家庭科のいろんな授業の例を見ていただきたいとか、あるいはこんな実践例を知っていただきたいとしか、ちょっと申し上げにくいんです。
  つまり、建前で道徳として言うのでなくて、いろいろな生き方を知ることの中で、自分がより選択肢が広がっていくとか、自分の家族を客観的に見詰めることができる。そのうちに子どもが親の生き方を許したり、あるいは注文をつけたりできるようになっていく力がつくと思うんです。それが家庭科のおもしろさであります。つまり、ただ一つの答えがないからこそ、家庭科を学校の中でやって、いろんな解答を知るという、それが家庭科だと私は思っているんです。すみません、ちょっと答えになっていないかもわかりませんが。

○  私のほうは意見とか質問というよりは、現在、高校・中学校で家庭科を教えている立場から、少し現状をお話しできたらと思いまして、二、三お話ししたいと思います。
  まず、男子、女子の意識の差ですけれども、今、1994年からということで、5年もたったんだなという感じを持ったのですが、この男女必修の前にはいろいろな面で議論をされたのですが、初年度から生徒自身は何の抵抗もなく男女共修に入ってしまったような気がいたします。現在も、例えばボタンがとれたら自分でつける。家庭科のほうに糸や針は用意してありますので、自分でつけにきます。また、例えば文化祭で何か衣装をつくりたい、垂れ幕をつくりたいというきも、男子、女子の区別なく必要に応じて、その役割になった子どもたちがミシンを使いにきて、自分たちでやっております。
  調理実習、また被服実習に関しましても、男子のほうが得意な場面も多々ありますし、それに対して男の子ができるからすごいとか、女のくせにできないのはおかしいというような表立った評価は全くありません。その子たちは、いろいろつくったときに、「先生、おれはこれを家でつくってるんだよ」なんて言って、ふだんの様子を話してくれたりもします。ただ、やはりおうちのほうでは男の子だから、それまで全然やったことがなかったとか、逆に学校で少し糸口を見つけることによって、うちでもやるようになったということもあるかと思います。それが一つ、学校の利点ではないかと思うのです。
  もう一つ、家庭では見せられないことが学校でできるというのが、学校で教える利点の一つかと思ったりします。例えば、保育などもそうですけれども、どこから例をとってもよいのですが、住居などを例にとってみますと、自分のうちは狭い、いつも兄弟で部屋の中でけんかをしなくてはならないなどと文句を言っている生徒もいるのですが、実際に住宅の現状を調べたり、ローンの計算などをしてみると、うちの親はこんなにもお金を払いながら、なおかつ自分たちの教育のためにもお金をつくってくれて、親はローンで破産しないだけすばらしいんだということを言っていたりとか、そういう形で、親をそういうところで尊敬し直したなどと書いてくれたりする子もいます。でも、きっとそれはおうちでは絶対言えないと思います。また、おうちでは、家に帰ると、部活があり、塾がありで、御飯ができ上がっている、洗濯物がたたんである、ボタンもとれたと言えばつけてやる。だけど、もし自分が将来大学に行くとして、一人になるとしたら、そこでいきなりやれと言われてもできないけど、ここで一度練習したことによって、大丈夫になるんじゃないかというような安心感を持っている子もいます。
  家庭のことを教えておりますので、家庭に関することが中心になりますので、家庭とのつながりはとても大切なのですが、親とのかかわり、また家族とのかかわりをどのように持っていっているかという例を、最後にいくつか申し上げようと思います。
  例えば保育ですと、自分の生育歴を調べてみようなどということを最初によくやります。自分が生まれる前の様子をおうちの方に聞いてみる。生まれたときに、おうちの方はどういうふうに思ったか、どういうふうに育ってほしいと思ったか、そういうようなことを聞いて、課題としてまとめてみるようなことをしたりもしています。また、ちっちゃいころはどんな性格であったのか、親はどんな点を心配していたのか、そんなことを聞いていると、昔と違っている自分に改めて驚いたりしてもいます。
  また、最近は核家族なのでなかなかできないのですが、冬休みとか、夏休みという時間に、おじいさん、おばあさんのころに、例えば冬休みでしたら、どんなものをお正月に食べていたのだろうとか、お正月はどんなふうに過していたのだろうとか、家族のつながりみたいなことに関することを聞いてもらったりしていることもあります。
  学校で調理実習は大変好評らしいんですが、そういうものも学校でやっているだけではなかなかおうちに伝わりませんので、私の学校では、お節料理を12月の初めにつくりますが、そのときは重箱はちょっと無理なので、お節料理をお弁当の容器のようなものに詰めて持って帰ってもらって、食べてもらった方に感想を聞いて、また持ってきてもらうようなことをしています。生徒はお節料理と聞くと、「それはんあまり食べたくない」とか、「つくりたくない」というようなことを申しておりますが、実際に自分たちがつくってみると、以外とおいしいものだと思ったり、簡単にできるものだということがわかったり、そしておうちの方などに食べていただいて、「すごい」と言われて、自分自身で「あ、自分もできるんだ」という自信をつけるなど、いろいろな意味でプラスがありました。家庭との連携は、特に学齢が上がってきますとだんだん難しくなってくるのですが、学校からの発信はそのようにしたりしています。
  最終的に子どもたちはいろいろな方面で  ―学校で与えられるのは知識というようなことがあったのですが、いろいろな考え方を知る、それからお互いの意見を交換することによって、例えば親の生き方が本当に正しいのかどうか、そういうところから考えていくことも場合によっては必要かと思います。親の生き方がこうだ、我が家がすべてだと思っていた自分自身が、実は世の中にはいろいろな生き方があり、いろいろな考え方の人がいるということを知るようなきっかけとして、家庭科教育は充実させていきたいと思っております。

○牧野専門委員  ここに書いてある学習内容を中学校でもほとんどやっております。もう少し内容が圧縮されて、より基礎・基本というようなことに今変わってきています。小学校もほぼ同じだとお考えいただいて結構でございます。中学校は現行では選択領域がありまして、学校によって学ぶ内容が違っていたりするんですけれども、資料の6枚目にあるような項目をやはり扱っております。

○  感想と質問ですけれども、感想のほうを先に申し上げます。先日、毎日新聞の人口問題調査会が2年に1回発表している人口に関するアンケート調査を見ていて気づいたことです。今、少子化の原因は結婚しなくなったことですが、未婚の女性に「将来、結婚したいかしたくないか」という調査をしたところ、「結婚したい」という人は、小さいときにお父さんが家庭にかかわった人が多いんだそうです。「結婚したくない」という人は、お父さんが働いてばかりいて、家庭を全然顧みなかったという人が多かったという大変興味深い調査結果でした。今、牧野先生が、家庭科教育が非常に大事だとおっしゃったのは、私、大変納得できましたので、それを一つ感想として述べさせていただきます。
  それから、質問です。資料の1枚目の、「2  少子化に対応した家庭科教育」の「1)女性の社会参画と男性の家庭参画」というのがありまして、男女共同参画ということだと思うんです。この間も、私、ちょっと意見を発表させていただいたんですが、昨年の暮れ近くに北欧諸国を回ってきましたら、男女平等の推進には教育が一番大事だと教育省の方がおっしゃっていて、男女平等教育に力を入れているということだったんです。
  資料の6枚目の、「楽しさ」と「必要性」というところの項目を見ましたら、あまり男女平等というような教育がなされてないような感じなんですが、その辺はいかがなんでしょうか。

○牧野専門委員  報告をサポートしていただきましてありがとうございます。男性が家庭にかかわるということを増やしていくことの中で、家庭がより子どもにとっていいイメージで受け取られていくんだと思います。
  直接表には男女平等教育ということは入っておりませし、それから学習指導要領の項目でもそれは直接は出てこないんですが、すべての内容で男女が共学になりましたので、男女平等教育をすることができると思います。これは教師の姿勢にもよりますけれども、今までの家庭科では家事労働というのは女性のものとして、つまり主婦準備教育みたいなところがありましたが、今は、今の高校生自身が家庭の労働をどうしていくかということを学んでいます。人間関係の問題でも、すべて男女の平等ということを扱うことができると思います。これを項目に挙げて、直接、特に家事の役割分担とか、あるいは職業ということで男女平等の問題を取り上げる方もあります。それから、家族の法律とか、そういったところをきっかけにジェンダーにかかわる教育をやっていらっしゃる方もあります。

○  今のお話を伺っていて、ちょっと感じたことをお話しさせていただきます。今の家庭科のお話も、私も、女は家庭科、男は技術という時代で、共修が1994年からということですから、本当に男女別々の教育を受けて育ってきた世代が非常に多くて、親にとっても、教師にとっても、物を教えていく世代、あるいは伝えていく世代が、実は体験していないことを子どもたちに教える、あるいは伝えなければならない時代になってしまったのだと思うわけです。
  逆に言うと自分たちも体験したり、そういう経験がないわけですので、むしろ親も、あるいは教師も共に考える  ―教えるというようなおこがましいことではなくて、子どもとともにそういう未来に向かって考えていかなければならない時代なのかなということを一つ強く感じたということです。
  それから、私も子どもがおりまして、保護者会とか、授業参観とか、PTAの何とかというようなものにはできるだけ参加をさせていただいたつもりなんですけれども、その中で、自分自身があまり啓発された保護者会だとか、授業参観に出合った記憶がないんです。毎回出るんですけれども、同じパターンで、同じようなやり方で、小学校も中学校も高校もみんな大した違いはなくて、そのあたりで、逆に言うと親へ向かっての情報発信というようなところをもっと研究する必要があると思います。先ほど申し上げましたような、共に考えるというような側面で、もう1回学校と親とのかかわりがあるような場、そして、その関わり方、その中身をもっと研究する時代かなと感じております。

○  今のことにかかわるわけです。他の委員の方が御指摘になったように、親と教師だけではなくて、そこに子どもが介在して、子どもが問題提起をするような形だと思うんです。さっき他の委員の方がおっしゃったように、子どもに聞かせるとか、子どもが問いかけをしていくというか。よくありますよね。中学生に川柳をつくらせていて、それを読みますと、親としても「エエーッ」というか、こういうふうに見られているんだみたいな。だから、私はいかに親を巻き込むかの中で、教師と御父母だけでなくて、そこに子どもが入ることによって真実みがより増すし、それからフレッシュな目で……。私たち自身も親の生き方を見ながら、批判をしながら育ってきました。今、逆に私たちは見られているんだよということをそこに一つ加える中で、そこら辺がうまく補完できる部分があるのではないかと私は考えています。

○  私は1951年、昭和26年ごろ、たしか男女一緒に家庭科の授業を受けたような気がするんですが、中身は全部忘れましたので、何も提供できません。
  私の言いたいことは、こういうことです。これまでの検討の概要の中で、「社会の仕組みや人々の意識を変える上で、教育の役割は極めて重要であり……」という御指摘がありました。つまり、教育から少子化にどのような影響を与えることができるかという問題提起をされた。これは非常に重要な御指摘だと思っております。牧野専門委員のお話は、教育を通して少子化傾向に少しでも歯どめをかける、それを変えようという、そういう実践報告だと受け取らなければいけないのではないかと思っている次第であります。そのことが第1であります。
  第2は、それとの関連で、それでは高等教育というのは少子化に対してどのような影響を与えることができるかという問題があると思うんですが、これはなかなか難しい。しかし、先日、私どもの大学のある学部のある学科の新入生合宿に出ておりましたが、グループごとに議論をしてその発表を聞いておりますと、全く専門とは関係なしに、「私たちは、みんな結婚して幸せになりたいね、家庭をつくりたいねというふうに一致しました」などという報告もありましたので、それはそれでおもしろいと思って聞いておりました。
  結局、私、今の大学の中で学生諸君の状況を見ておりますと、かつてクラスがあり、ゼミがあり、サークルがあり、あるいは場合によっては自治会があり、あるいは強力な友人集団があった。大学の中にあったそうした集団が今やバラバラになっていて、一種の非集団化現象が起こっている。サークルを組織してやろうとしても、バイトのために帰らなければいけない。あるいは、土・日にサークルの合宿をしようとしても、バイトだから行けない、途中でやめていくというようなことをはじめとして、学生諸君の生活が、入学時に学校が組織した新入生ガイダンスを過ぎてしまうと、いろいろな契機からバラバラになっていくということがあるのではないかと思うんです。
  ところが、実は学生諸君が人間関係について学ぶとか、あるいは自分の個性について強く認識するとか、あるいはある種の社会的な規範意識を自覚的にものにしていくというのは、高等教育の中においても、例えば旧制高校の寮以来存在してきたさまざまな集団の中で養われるものではないかと思うんです。
  先日、私、中央教育審議会で初等中等教育と高等教育との接続の改善に関する小委員会で、簡単に報告いたしました。そのとき、理工系の教員たちからのインタビューに基づいて、私は積極的学習意欲と主体的判断力の減退をメルクマールとして、今日の大学生の学力低下ということを言ったのですが、その際に、学力低下を強調することはおかしいと批判を浴びました。みなさんは、学力低下云々と言うけれども、実は今はみんなが大学に入る時代であり、そのことの積極的意義を認めなければならないとおっしゃいます。しかしながら、大学生活の中で規範意識を育てたり人間関係を良好に保つポイントは、従来いろんな形で、旧制高校から新制大学にかけて高等教育の中に存在したある種の集団的な生活とか、思考にあったのではないかと思うわけです。その中で本当の個性が育つのではないかと思っております。
  そんなわけで、大学における学生の生活意識や人間的な力を育てていく上で、いわゆるスチューデント・サービスと言われる学生部やいわゆる厚生補導の活動も非常に重要なのではないかと思います。そういう意味で、これからの高等教育の役割についても、調査とか提言ができたらと思っております。

○  少子化といいますと、これは女性問題だという認識が強いと思うんですけれども、その絡みで一つ考えておることがございますので、申し上げたいと思います。
  女性問題でよく取り組まれているのは、啓発ですよね。講演会だのシンポジウムだの開かれて、たくさん女の人が来るわけです。その中で、女性たちがよく言うのは、「きょうの話をぜひ男性に聞かせたかった」と。女性政策の担当者も、自分たちのやっていることの本当に届けたいところがなかなか届いていかないというので、かなりジレンマを感じているのが現状だと思います。
  きょうのお話でも痛感するんですが、学校教育の現場では確かにこうやって着々と成果が上がっているという感じがするんですけれども、社会教育というんでしょうか、繰り返しきょうの御発言にも出てまいりましたが、親の世代ではそれがなかなかうまく行き届いていないのではないかという感覚があるのではないかと思います。
  実は「心の教育」の関係だったと思うんですが、ちょっと記憶があやふやなんですが、一度、ある県の出前講座で私は講師として出向いたことがありました。中年の男性ばかりだったものですから、どんな反応があるんだろうかと思って、あまり期待せずに行ったんですが、思いもよらず中年の男性たちが教育の問題で随分心を悩ませたり、真剣に考えたりしている、少なくともそういうふりをしているということが、すごくよくわかったんです。PTAなんかでもそうですけれども、男性はほとんど出てまいりませんし、男性に直接メッセージを届ける手段として、とりわけ企業等々に対する出前研修なり講座みたいなものが何らかの形で提供できれば、多少の効果が上がるのではないかといつも思っています。男女平等とか、それこそ心の教育みたいな話を取っかかりにして、家庭の問題のメッセージを届けていくというのが一つの手段ではないでしょうか。

○  私も先ほどの委員の方がおっしゃったように、学生さんのほうの家庭科教育は、充実していると感じていたんですけれども、実際にその子どもさんたちが学校で学んだことをもって家庭を振り返るときに、忙しくて家庭不在の父親に対してどんな印象を持って、それについてどういう働きかけをなさるのかというあたりを牧野専門委員にお伺いしたいと思いました。それが一つです。
  それから、子どもが自立して意思決定をしていくということをねらって教育をなさっているというお話があったと思いますけれども、自立していくためには、その前に協力し合えるとか、人の痛みをわかってあげる、思いやりを持てる。人のことがわかって、自分のことを決められるというものがあるのではないかと思いますが、その辺が幼児との触れ合いの場でどの程度達成されそうな感じがあるのか。今、盛んに中学生、高校生の保育園訪問ということがクローズアップされていますが、専門学校で幼児教育を目指す学生さんが観察に行っても、1度、2度の訪問ではその場限りの経験で、なかなか自分自身の経験として根づいていかない感じを持っております。その辺のプログラムについて何かお考えがあればお聞かせ願いたいです。

○牧野専門委員  大事なところをありがとうございます。
  自立と共生というんでしょうか、思いやりとか、二つの側面がありますけれども、表裏一体ではないかと思うんです。思いやりができるという前に、自分が自信を持って自分の判断ができるというような成熟が必要だと思うんですが、子どもに働きかけながら自分を理解していく、育てられるという両面があると思います。
  今お話のように、子どもの場所にただ行っただけで、1回ぐらいの観察で育てられるかというと、無理ですね。本当に人数が少なくて、受け入れ態勢がよくて、たっぷり時間があれば一度の経験でもかなり変わるところはありますけれども。本当に一緒に遊べる体験をすると変わります。それから、すべての子どもにそれをすることはできませんけれども、例えば3歳児健診などで保健所と協力をして、健診の場に生徒が行って、赤ちゃんを抱く。本物の赤ちゃんを抱くというほんの短い体験でも、かなり変わるということもあり得るんです。
  ですから、これはプログラムの持ち方ですけれども、生きている子どもたちが積極的に働きかけてくれる。それが世代の同じ友達とは違う、むしろ引っ込み思案の子どもを子どもが引き出してくれたりするところがありますので、子どもが変わっていくということを実際にやっていらっしゃる先生方は体験しています。
  全員を現場に出していくというのは、許可を得て、時間を決めて、ちゃんと学校へ戻ってこれるように生徒を指導しながらなさるのは、本当に先生方が大変だと思うんです。幼稚園のところでも出てきましたけれども、こういうところに地域の協力とか、コーディネーターみたいな方が協力できるような体制づくりが必要ではないかと思います。先生一人が何十人もの生徒を連れていくのではなくて、アメリカなどでは地域のボランティアの方が、現場に出ていったところの生徒の指導は助けてくれるんです。そこのコーディネーターと先生がよく連携を取っているということで、そのためにはいろんなことが必要だと思います。そして、継続して授業時間でないところでも体験ができれば、随分変わってくると思うんです。放課後の子どもクラブとか、そういうところで体験することもできますし、その辺はこれからの大きな課題ですので、これを本当に文部省が進めるんだという意気込みを示してくださると、地域も動きやすいし、またいろんな組織とか、体制づくりができるのではないかと思っています。

○  子どもから親への働きかけということで、先ほどもちょっとお話しした、例えばおじいさんやおばあさんにお話を聞くとか、親に子どものころの話を聞くとか、また自分がつくった作品を持ち帰る。あとほかには、1日の食事記録をつけてもらったり、それから家族の家事労働を記録してもらったり、そういうようなことをしていますと、いかに自分は何もしなかったり、また日曜日は「お父さん、寝ている。お母さん、御飯、洗濯」と一日動いている様子がわかったりなど、そういう場面、場面に応じていくつか考えられるかなと思います。

○  学校で家庭科の授業をすることはとても大切で必要なことだと思います。私の3番目の息子が、末子なんですが、今、高校1年ですから、そういう教育をずっと中学時代受けてきたわけです。やればできるわけです。お米をといだり、洗濯物をたたんだり。洗濯も機械でやりますから、これも簡単なことですから、やればできるわけです。ところが、学校で学んだことを家庭に持ち帰って実行しようというところまでなかなかいかないんです。その辺のところが、学校の家庭科で学んでいるものが実務の教育であっても、それ以前の家族の関係の在り方が家庭教育の一つとして大事だと思うんです。
  こういった例もあるんです。青年期に海外の研修体験、1年とか、2年とか、長期にわたってした者が私の身近にいるんですが、そのときには生活一切を自分でしたわけですね。今の子どもたちも高学歴化で、地方から都会のほうに出ていまして、アパートで一人暮らしという学生も多いわけです。私の上の二人、娘と息子もアパートで一人暮らしをしています。一人で暮らすためには家事一切やらないと不都合があるわけですから、せざるを得ないという状況だと思います。現実としてはやっているわけです。
  ところが、帰省しまして家庭に戻ると、母親がいて、まして地方では核家族でない家庭がありますね、祖父母がいる家庭ですと、家庭の中で役割分担ができているんです。ですから、やればできるのにもかかわらず、現状はやっていないということが非常に多いと思います。
  実務は実務として、いずれ将来どんな人生を送るかということでは、学校で教育を受ける必要はあると思います。それが家庭の中で、女性が社会に進出して、家事分担をしてほしいという念願があるにもかかわらず、現実の問題としてそういったことがなかなか行われていないのが実情だと思います。この辺のところは、先ほど他の委員の方が最初におっしゃったように、家庭の中でその必要性であるとか、なおかつ男女が共同で家事・育児を分担することのほうが、お互いによろしいという結果が出るような、心の教育とか、そういったものがとても大切だと思います。

○  二つのことを考えたんです。一つは、先ほど他の委員の方がおっしゃったように、私たち親の世代がきちっと男女平等であるということ、父親も母親も家庭に参画していくということを基本にしていかないと、今、実際に子どもを育てている世代なので、そこのところをきちっと何かする必要があると思うんです。ただ、社会に出ている人間をこれから教育するというのはなかなか大変で、先ほど他の委員の方がおっしゃった保護者会みたいなものをきっかけにというか、ああいうものを使って教育するというのはとてもいい方法だと思いました。
  もう一つは、私の世代というのは、高校のときに、どうして男の子は家庭科をやらないのかと言って先生に詰め寄った世代でして、それが今、高校もやっているということは大変喜ばしいんですが、実際自分の家庭を顧みますと、うちのだんなには別に問題ないんですが、私が疲れて、できれば「食う」「風呂」「寝る」と言いたいほどヘトヘトになって、家庭の仕事もしたくないような状況が日々あるわけです。そうしますと、男女平等だという考え方を持っていても、疲れてヘトヘトになっている人間は、だれかに押しつけたいと思うのが人間の常でして。
  そうしますと、結局、私はしょっちゅう言っているんですけれども、今の日本の産業界の在り方を変えないとダメではないかと思うわけです。私みたいな女性もそうですけれども、いくら家庭の仕事を一所懸命やろうと思っていても、実際時間とほとんどのエネルギーを仕事に使っていて、「帰ってきて、やっぱり御飯ができているとありがたいよな」「だれかがお茶わんを洗ってくれるとありがたいよな」というところに流れるわけです。ただの家事だけではなくて、育児も時間的、そしてエネルギー、心の余裕があるところに生まれるものであると思いますので、精いっぱい働かなければ日本の経済界が動いていかないというようなこの仕組み自体を、私たちも社会を担っている一員として、少しずつここをどうにかしていかないと、根本は変わらないのではないかという気がいたします。

○  文部省で「家庭教育手帳」をつくっていただいて非常にありがたいと思うんです。でも、これはつくっただけではなくて、いかに使いこなすかということが問われなければいけない。検討の概要に「望ましい子育ての在り方とは何かが常に問われなければならない」という1行がございます。私、この春から私の大学の附属幼稚園の園長をさせていただいているんですが、その中で、例えば「家庭とは?」とか、「しつけ」「思いやり」「個性と夢」「遊び」とありますが、これをお母さん方に読んできてもらって、これを題材にした子育て学級というか、これが正しいのではなくて、これが一つの問題提起であって、これをたたき台にした議論を起こすことをしないといけないと思います。こういうものが今まで随分ありましたが、「ああ、これだけか」ということでなくて、そういう場づくりというのか、そういうものの工夫がいろんな形でわき起こっていかないと、せっかくのものが生きないのではないかと私は考えています。

○  簡単に、今後の進め方にもし役に立てばと思って申し上げます。
  第一は、きょう、委員の方の御発言を聞いていますと、牧野専門委員が学校教育の一つである高等学校教育における家庭科を取り上げられて、それを切り口に少子化の問題について一定の提言をなされたのに対しまして、家庭科教育でなくて家庭教育、家庭でなすべき問題がないかというお話がございました。家庭というのを取り上げるのは難しいかもしれませんが、一度そうしたアプローチもここでやっていただいたらどうか。他の委員の方がおっしゃいました、「家庭教育手帳」そのものの分析でも結構でございますが、家庭教育あるいは家庭それ自体についての検討が論理的な順序としては要るのではないかと思います。
  第二は、これまでの検討の中で、少子化をめぐる国際比較の問題についてもご発言がありました。私はたまたま専門が中国の歴史をやっておりますので、人口爆発が起きました18世紀から今世紀にかけての問題に関心を持っておりますが、優れた専門家もおられるように思いますので、例えば少子化をめぐる国際的な問題についても御報告があれば、示唆を得ることもあるのではないかと思います。

○  かねてから疑問に思っているんですけれども、男女平等ということと家庭教育というのをどう考えたらいいのかということですが、人権教育の立場から考えると、男女平等ということは、もちろん差別しちゃいけないというので、これはだれも納得するんですが、それが教育のレベルにくるといろんな問題が出てくるわけです。男女共同参画ですから、家庭教育も父親参画、これは建前で非常にわかるんです。そういたしますと、教育機能としてよく言われる父性原理、母性原理というものが、日本では父親は父性原理の厳しさ、母親は母性原理のやさしさというのを伝統的に担ってきたんですが、これが母子家庭とか、父子家庭になりますと、教育が、母子家庭の場合には母親が父性原理も母性原理も両方持っていなければいけない、父子家庭でも両方持っていなければいけないと。そうすると、男女共同参画で家庭教育を考えた場合に、父親も母親も夫婦それぞれが父性原理と母性原理の両方を持って、先ほど他の委員の方がおっしゃったように、「きょう疲れているから、お茶入れて」という生き方を子どもに見せたほうがいいのか、それがわからなくなってくるんです。
  ジェンダー論というのはわかるんですが、ジェンダー論に今欠けているのは、ジェンダー論と家庭教育ということをもう少し詰めて考えないと、この問題は解決しないのではないかと思います。そういう意味で、家庭教育を受ける権利というのが、教育を受ける権利の中で一番侵害されているのではないかと思うんですが、この点、どなたかに教えていただきたいと思うんです。

○  質問の答えではないんですが、家庭科教育が少子化に重要であるということで、いろいろ意見が出ているんですが、現場の教員として一番切実なのは、資料1枚目の「3.  今後の家庭科教育充実のために」の「1)高等学校家庭科の充実」の二つ目のところに「実践的・体験的な学習のための授業時間の確保」というところがあります。現在は4単位なのが、次は必修が2単位に減るということで、2単位ということはどういうことかといいますと、年間70時間それを教えるということです。実際、行事があったり何なりで、60時間ぐらいに減る場合が多いのですが、その60時間で、例えば資料の6枚目にあります20項目で単純に割りますと、1項目3時間。その3時間の中で乳幼児の発達や子どもの成長を教えろと言われますと、保育園に連れて帰ってきて2時間、あとは何をするのということで、全体をスリム化して総時間数を減らしている中、また他教科も学力低下を嘆いている中で、家庭科のことばかり申し上げるわけにはいかないのですが、内容は膨らましてほしい、けれども時間は減らしますよという中では、現場としては大変矛盾がありますので、ぜひその点も配慮していただけたらと思います。

○  今のお話を伺って、ほかの総合科目等との連携が可能なのかどうかというあたりもお伺いできればと思います。
  先ほど他の委員の方がおっしゃっていたところと関係があるかと思いますが、まず父性原理というか、父親が家庭にいないということが、今、我が家庭でも一番問題になっているところなんです。どういうふうに家庭があるべきかとか、子どもとどう接するべきかとか、あるいは家庭の中でどういう役割分担をするかというのは、その後の話で、まず家の中に圧倒的に大人がいない。子どもが二人でも、一人に一人がつけないという状況があって、家事もこなさないといけないということになると、どうしても利便性の追求をせざるを得ないような家庭に徐々になっていく感じを、今、自分の家庭で実感として持っています。
  以前の答申の中の提案で出ていたと思いますが、子育て期の単身赴任をなくすとか、あるいは企業での労働時間の短縮は実際難しいのでしょうか。教育以前に子どもたちが家庭でどう育てられるかという経験が、自分はどう家庭をつくるかということにつながると思いますので、教育との両輪で、家庭の中に父性を発揮できる父親と母性を発揮できる母親がいて、家事をどちらがどう分担するかはそれぞれの家庭の中のお約束でいいのかと思います。その辺、家庭はどうあるべきか。じゃ実際の家庭はどうあるのかというところのギャップが、今、大きいのではないかと感じております。

○  いろいろ御意見を伺ってみて、私はやっとここまできたなという気持ちと、まだここまでしかきてないなという気があります。何十年も前の家庭像から、今の皆さんの御議論を伺ってみると、随分変わったと思うんです。そういう意味で、長期的に見れば私は楽観的です。ただし、長期的に少子化が続いて家庭がおかしくなっては困ると思うので、やはり学校と家庭の連携を一層密にすることが必要だろうと思うんです。これが一つです。
  やっとここまできたなというのはどういうことかというと、建前としてはいろいろなことが認められた。しかし、まだそこまでじゃないかというのは、本音はちっとも認められていないということだろうと思うんです。
  そこで、一つ提案なんですが、文部省は具体的にほとんど男性からなっているお役所なわけです。ですから、まあ私もそうですから、文部省を批判する資格もないんですけれども、建前はお認めいただいているけれども、まだやっぱり本音がなかなかついていないということがあると思います。なぜかというと、「家庭教育手帳」とか、こういうパンフレットを見ますと、お父さんとお母さんと子どもが2人と限られているんです。流行歌だって3兄弟というのがはやっているのです。ですから、こういう挿し絵にも3人ぐらい子どもがいたっていいではないかということが一つです。しかし、いつも子どもを2人に限ることはないだろう。1人の絵もあっていいだろうけれども、3人も4人もいる絵があってもいいのではないか。そういうことを具体的に変える必要があると私は思います。今、ちょっとこの手帳を調べてみたのですが、子どもは全部2人です。これはこの前申し上げましたけれども、国じゅうがそうなっている。
  ですから、この前申し上げたことを繰り返しますと、公団住宅だって子ども3人だったら、大きくなったら入りきらないような大きさの公団住宅を日本国はつくってきたわけです。ですから、そういう考え方を壊さないとどうにもならないところへいくという気がするわけです。ですから、こういう文章をつくったり絵を入れるときに、いろいろな形を含ませるというのができてくると、本音ができたと、私はそう思います。そうでなければ子どもは2人だけというようなことになってしまうと思います。

○  先ほど他の委員の方がおっしゃった内容と全く同じなんですけれども、私どもも社員教育等をやっておりますと、マニュアルをつくったするところまでは非常に熱心にやって、これができ上がると、配って終わってしまうというのがございます。私どもとしては、それをどのように活用して、どういう成果を上げていくのかということが大切な訳です。すべてをフォローすることはなかなかできないかと思いますけれども、モデル事業みたいな形の中で、「家庭教育手帳」を学校の中で親とともに活用して、親の変容というようなことをぜひ次のステップとしてお願いしていきたいと思います。

○河合座長  そうですね。これを活用された実際的な報告とか、どんな親の話し合いがあったかとか、委員の方が言われたけれども、そういうことも今後考えていくべきだと思います。

○  モラロジーの会なんかはいろいろ集会を開いたりしてくれているらしいんですが、校長先生たちにちょっと取材してみたら、「何も送り状みたいなのがついてこなかったから」なんていうふうなことをおっしゃって、特別に利用しようとは考えていらっしゃらないみたいですね。何というマニュアル化かという感じなんですが、学校の現場はそんな感じのようでございます。
  私は子どもから保健や家庭科の内容を聞くのが大好きで、この前もうちの子が帰ってきて、「母ちゃん、きょうはラマーズ法の授業だったよ」と言ったことがありました。「ハッハッ、フーハッ、ハッハッ、フーハッて、男女共学でやったんだ。妻は夫が立ち会ってくれるとうれしいらしいって習ったんだけど、そうなの」と言うから、「そういう妻もいるだろうし、うざったいと思う妻もいるだろうから、あんたのときはよく奥さんに聞いたほうがいいわね」なんていうふうに言ったんです。今の親というのは、子どもの英語の成績とか、数学の成績はすごく気にするけれども、保健や家庭科で何を習っているか案外知らないんですね。だから、学校の先生とか、PTAなんかで、こんなことをやってますから、うちでフォローして、必ずお料理を一緒につくったりつくらせてみたりしてくださいとか、そういう意識改革もしなければいけないのではないかと思います。
  それから、世田谷区で「おやじの会」というのがだいぶできてきておりまして、結構活発な「おやじの会」というのは、月に1回、第3水曜日の6時から9時まで校長室をあけておいて、学校をある程度開放していただいて、ファジーな時間に集まれるような、広がりのある運営をしているところもある。学校ってすごく閉鎖的ですから、「エッ、夜9時?  じゃ戸締まりどうするんだ」とか、「それまで校長が残らなきゃいけないのか」とか、いろいろありましょうが、それは別にボランティアで自主的にその部分だけを運営してもいいんですが、やはりおやじたちがたまれる場所  ―ほかにいろいろな施設があればいいんですが、学校というのが一番いい施設で、学校で父性を鍛えられて柔軟になって、本当にいい家庭をつくっていく層が広がっていくんだと思います。それは地域社会全体の変容にもつながっていくんだろうと思います。
  それから、これから先、国民負担率が上がって、終身雇用・年功序列が崩れていきますと、女性も働かないと家計も支えられない、国も支えられない。だから、男の子たちに家庭生活のいろんな技術を教えるのと同時に、女性たちにも仕事を一生貫いていくという責任感とか、ある種の使命感、それを親切に教えてあげたほうが親切ではないかと思います。今、女性は子どもを産んで、専業主婦になって三、四年たつと気がつくわけです。父ちゃん一人の稼ぎでは私たちは暮らしていけないんだって。そこから再就職という壁にぶつかりますので、これからは当たり前に男も女も、大黒柱一本じゃなくて、母ちゃんと父ちゃんとツー働いて子ども二人育てるツー・バイ・フォーだというような形で教えていかなければいけないのではないかと思います。
  最後に、これまでの検討の概要の「5  教育関連施策を進める当たって」のところで、「子どもを産むのか、産まないのか、……個人の責任において主体的に判断されるべき」という文章があるんですが、これは確かにそう言われればそうなんですが、やはり今の時代に欠けているのは、子どもというのは、産むか産まないかという個人の薄っぺらな選択ではなくて、子どもは授かるものだとか、あるいは個人の責任と言っても、自分がいるのはずうっと先祖からの命のリレーがあって、いろいろ御恩をいただいて、そしてまた命のリレーをつなげていくんだと。それは物理的に子どもを産まなくても、また仕事や社会活動など別の形での返し方・つなげ方もあるわけですけれども、そういう大きな時間感覚、空間感覚の流れを一つ教えないと、非常に薄っぺらな、まあその後で「幅」を持たせてということがありますが、その辺を感じました。

○河合座長  残念ですが、時間がきましたので、この辺にさせていただきます。非常に活発な議論をありがとうございました。
  次回は、6月28日、13時から、霞が関東京會舘・ロイヤルルーム、34階で開催する予定でおりますので、よろしくお願いします。
  どうもありがとうございました。


※1、※2  この資料については、文部省大臣官房総務課広報室にて閲覧できます。

(大臣官房政策課)

ページの先頭へ