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中央教育審議会

2000/2 議事録 
少子化と教育に関する小委員会(第11回)議事録

  議  事  録 

平成12年2月17日(木)13:00〜15:00
東海大学校友会館  33階  望星の間

 1.開    会
 2.議    題
      少子化と教育について
 3.閉    会

出  席  者

委員
    鳥居副会長、小林座長代理、俵 委員、森(隆)委員

専門委員
    安藤専門委員、鈴木(清)専門委員、鈴木(光)専門委員、鈴木(り)専門委員、楢府専門委員、広岡専門委員、牧野専門委員、森(正)専門委員、山口専門委員、山谷専門委員、山脇専門委員

事務局
    佐藤事務次官、富岡生涯学習局長、御手洗初等中等教育局長、本間総務審議官、寺脇政策課長、その他関係官


○小林座長代理  それでは、ただ今から中央教育審議会の「少子化と教育に関する小委員会」第11回の会議を開催いたします。
  本日は、河合座長がお休みになりましたので、座長代理として私が進行を務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
  御多忙中のところ、皆様方には御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
  それでは、今回の配付資料の確認を事務局からお願いいたします。

<事務局から説明>

○小林座長代理  それでは、審議に入らせていただきます。

○  地域社会の充実ということに関して、私は自分が子育てをしてきた経験から、具体的なことをいろいろ意見として述べたりしているんですけれども、例えば昔の家庭が充実していたというようには見えないのです。戦後から家庭の形態が非常に変わってきたと思っています。戦前において、例えばお父さんとお母さんが協力し合って、じかに子どもを育てていたという形態はあまりなかったように思います。普通の農村だったりすると、お父さんとお母さんというのは農作業をしていて、適当に地域共同体の中で子どもが自由に育てられていた。地域によって育てられていた。それから、大金持ちの世界は、お父さん、お母さんが直接育てるのではなくて、乳母さんが育てていた。戦後になってから、特に1950年代に団地が出てきて、そして核家族化が始まったときに、小さなスペースの中でお父さん、お母さん、それから子どもが2人か3人という形態で、4人か5人ぐらいの家族で過ごすようになって初めてお父さんとお母さんが直接子育てをしなくてはいけないという状況が出てきたと考えます。
  小さくなった家庭の中で、父親が相変わらず家庭に背中を向けて、企業戦士として外に駆り出されていると、子どもにとって一番必要な、特に男の子ですけれども、たくましさであるとか、チャレンジ精神を養うということに関してものすごく欠如が出てきたと思うのです。その欠如してしまったものをどうやって補おうかというのが、これからの課題だと思うのです。男性らしさ、男らしさということで、男の子にはトレーニングの場を与える機会が増えてくると思います。
  今言ったように、戦前においては地域社会、地域共同体というものがうまく機能していて、男の子にチャレンジ精神であるとか、あるいはたくましさをもたらす役割をしていた。そして、1950年代にそういった地域社会がどんどんなくなってきた。そこで、文部省のほうで主導して、地域共同社会、地域社会というものをもう一度つくろうではないかという発想は、私はある程度すばらしいと思うのです。その中で忘れてはいけないのは、地域共同社会、新しくつくる地域社会の中に、必ず男性的な物の見方を入れてもらいたいと思います。
  その地域社会というのは、よく「公園デビュー」と言いますけれども、公園に集ってくるお母さん方の集団のようなものになってしまうと、せっかくそういった発想で行われているにもかかわらず、これがまた過保護的なものを子どもにもたらしがちである。要するに公園で遊んでいて、男の子がジャングルジムから落ちたら、ジャングルジムは危ないから取り外してしまおうという発想になりがちだと思うのです。ですから、必ず男の力というか、お父さん方の力を地域社会の中にうまく取り込んでもらいたい。その工夫を何か取り込めないか、何かないかと考えています。
  私自身、保育園で知り合ったお父さん方と一緒に子どもたちを連れてよくキャンプに出かけました。毎年行く場所があるんですけれども、そうしますと、お父さんというのは、これは傾向としてなんですけれども、子どもにある程度危険なことをさせてしまうのです。川で遊んでいて、ちょっと川の深いところがありまして、子どもたちがその深いところに岩の上から飛び込み始める。そうすると、お父さんは、自分の子どもに「おまえ、もっと高いところから飛びおりろ」というようにどんどんけしかけるのです。お母さんがいたら絶対そうはならないことだと思う。ちょっと極端な例で、やりすぎると危ないんですけれども、お父さんというのはそういうことをやってしまうのです。お母さん方というのは、これもやっぱり傾向ですけれども、どちらかというと、川を渡るときに、最初からけがをしない渡り方を教えてしまう傾向があります。
  これはどちらに傾いてもよくないことで、行き過ぎはよくないです。過保護過ぎるのもよくなければ、危険をどんどん与えてしまうのもよくないことだと思う。そのバランスをうまく地域社会の中で生かすことができる、これはすばらしい計画じゃないかと思います。ほっておけば、こういった社会はお母さん方の集団になってしまうと思います。今、PTAがほとんど母性一色で染まってしまっているのと同じように、ほっとけば何となく公園に集まってくるお母さん方の集団になりがちなのではないかという気もしますので、そこをどうにか食いとめて、男の色というか、お父さんの力をうまく駆り出すような工夫が見られればすばらしいのではないかと思います。

○  「かわいい子には旅をさせよ」という言葉がございますよね。前半の「かわいい子には」のところは母性で、だからこそあえて「旅をさせよ」の部分は父性の部分だと思うのです。それは発達段階との兼ね合いを考えないといけないと思います。中学生ぐらいになってくると、親が煩わしくなって、やっぱり親から離れたいという部分があると思うのです。その部分を受けとめるものとして、旅というのはすごく大切なことではないかと思うのです。合法的な家出をするというか。
  そういう意味では、私も学生のころからずうっと携わっているわけですけれども、ユースホステルというのがあります。例えば、「多様な青少年教育施設」になると思っているんですが、今、斜陽であまり使われていないんです。あそこにはペアレントといいまして、親がわりの人がいて、その旅先での文化とか、いろんなことをきちっと知っていて、教えてくれる。ああいうものをもっと上手に学校教育とリンクして使えるようになればいいんじゃないかと思います。
  というのは、親しかできないことと、親ではできないことがあると思うのです。親ではできないことで、他人の教育力を活性化させるための一つのものとして、今、斜陽になって使われていないものですけれども、新しくつくるのではなくて、今まであるものをもう1回新しい視点の中で見直していくことも重要なことではないかと思います。

○  「社会全体で子どもを育てていくことが大切である。こうした従来の学校・家庭・地縁的な地域社会とは異なる『第4の領域』と呼ばれる活動領域」という形で、いきなり「第4の領域」という言葉が出てきますが、これは非常にあいまいなものだと思うのです。いきなり「第4の領域」ということが必要なのかと思いました。
  それから、結局、サラリーマン社会の中で、男性がなかなか地域社会にかかわっていかれないのではないかというお話もあると思うのですが、「両親が企業社会にすっぽりと組み込まれ、父親と母親がそれぞれの役割を十分に果たすことのできない多くの家庭」という表現は、これはなかなか当たっているのではないかと思いました。「企業社会にすっぽりと組み込まれ」あたりを、どのように打破していくのかということを強調していただきたいということを感じました。
  それから、「少子化は、豊かさがもたらした一つの帰結」という中で、「物質的な豊かさが実現し、産業構造がサービス業、金融業などを中心としたものに移行するにつれて、努力や勤勉さ、忍耐や規律といったものが従来のような形では培われにくくなる」とあります。これもちょっとどうなのだろうか。単純に読んでしまうと、何かサービス業や金融業になってくると、あまり努力や勤勉さを必要としない。まあ、簡単にお金が生まれてしまうとか、そういうことかもしれないんですけども。サービス業に携わる者としては、努力も勤勉も忍耐も規律もあると思います。
  それから、「仕事と子育ての両立のための雇用環境の整備」というところで、先ほどのすっぽりと包まれているというお話を背景において見ると、この持つ意味合いは、本来大きいのではないかと思います。出前講座とか、家庭教育の支援ということもこちらの中で出ておりますけれども、もう少し男性が子育てにかかわっていくようなことをしっかりと打ち出すというようなこと。あるいは、私自身の体験の中では、働いている中で、女性が妊娠したりしたときに、どういうふうに子どもを育てながら仕事を続けていかれるのかということを相談する場が実はなかなかありません。私どものような百貨店ですと、先人もたくさんいて、みんながお互いに知っている人に、「どういうふうにやったの」とか、「どういうところに相談に行けばいいのか」とか、いろいろ情報収集しているわけです。しかし、実際には「社会福祉事務所に行ってみたら」とか、そういう情報が働く女性の側にあまりないのが実態ではないかと思います。ぜひそういうサポートも盛り込んでいただいて、子どもを持ちながら安心して仕事が続けられるような情報の提供も重要ではないかと感じました。

○事務局  今御指摘のございました「第4の領域」というのが唐突に出てしまって恐縮でございます。これは平成8年に中央教育審議会で出しました「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」(第1次答申)の中で、「第4の領域」というものが提案されているんでございます。今までは学校・家庭・地域社会という三つの概念だけだった。戦前ならもちろんそうだったんでしょうけれども、今は企業というようなコミュニティもある、あるいはサークルとかそういったコミュニティもあるということで、少し「第4の領域」を打ち出したらどうかというのが出ておりますものですから、それをそのままいきなり使ってしまったので、大変唐突になっております。

○  「現在では家庭の教育力が低下して、食事をそろってする時間がなかったり、そろって話す時間がない等、実質的には崩壊しているのではないか」というのは、割とみんなそろって食べる時間がない家庭は多いですし、いたずらに不安をあおるような表現ではないかと感じました。
  それから、細かいことですけれども、「子どもの想像力や情緒の不足」というところがあるんですけれども、情緒に関して「不足」という言葉はあまり使われないような気がしますので、表現がどうかなと思いました。
  それから、思春期の子どもに関して、学校のカリキュラムの中で、地域との交流や子どもたちとの交流を深めるような内容が盛り込まれていたと思うのですけれども、文部省のことなので、学校に行っていない子どものことについてはどこかで触れられるのかなという気もしたんです。学校には行けないけれども、児童館とか、あるいは教育相談所で、中学生ぐらいまで引き受けていますが、それを超えて高校生年齢ぐらいまでのお子さんが、家に引きこもらないで済む居場所があるといいでしょう。大人の目があまり厳しくないというか、学校に出ていくまではいっていないけれども、子どもたちがたまれるような場所についても何か触れられたらいいかなという気もしました。

○  「学校・家庭・地域」という言葉が何度も出てきているんですが、その部分に関して具体的にどんな人が当てはまるかなということを考えた場合、父親とか、母親、子ども、高齢者はある程度出るんですが、じゃ一人で住んでいる人はどうするのかとか、子どものいない夫婦はどう関与していったらいいのかという部分で、全体的に登場する幕がないような気がしました。例えば就職をして親元にいる人もいますが、社会人1年生、2年生がどういう形でこれにかかわれるのか、そういうところがあったほうがいいのではないかと思いました。日本の現状ですと、結婚して子どもを産むという場合が多いんですが、ここにあるのはあくまで結婚した後の若い世代のことが書いてあるのですが、若い夫婦ができるような状況ができていないというところの視点が入るともっとよいのではないかと思いました。

○  全体として育児観というか、産んだ子どもをどう育てるか、それを社会で育てるということについての御見解は相当あるんですけれども、出産そのもの、子どもを産むことが社会の再生産や持続につながるという意味で、子どもは社会の財産であるという意味の価値観とか、価値意識については、必ずしも十分に言及されていないように思いました。ただ、このまとめの中で、価値観とか、意識の問題についていろんな形で踏み込もうとしていただいておりまして、有難く感じております。それが第一に申し上げたいことです。
  第二に、家庭の概念規定についてです。これは本委員会の論点の一つで、いろいろな形で意見が出されております。今回、地域社会について踏み込んだお話があり、その中で「家庭教育の役割と具体的方策」ということではっきり触れられておりまして、それは一歩前進だと思っております。ただ、家庭の概念規定というのは一体何なんだろうか。「企業社会にすっぽりと組み込まれ」という意見もありましたが、両親とも、父親と母親の役割ともありますので、結婚した男女によって構成される家庭ということが基本的な概念規定だと思います。一方で、日本は極端に婚外出生割合が低いということが挙げられておりまして、グラフでも異常に低いことがわかるわけです。片親だけで子どものいる家庭も婚外子の多い国では多いが、我が国ではそれが少ないということだと思うのです。しかしながら、特別な形の親子、いわゆるシングルと子どものつながりについて、それも家庭の領域に入れて考えるのか、それは本来はあるべきものでないということで基本的に排除するのか、その辺が、今回のおまとめではわかりにくいように思いました。
  第三に、学校教育における幼稚園の位置づけについてです。幼稚園は学校のカテゴリーに入りますので、そこで出されているわけですが、すでに何回も申し上げましたように、統計資料を見ても、幼児期における教育の中で、保育園における教育の占める比重、保育園で実際育っている幼児期の子どもたちの比重は高く、幼稚園で育っている子どもよりは少なくても、ほとんど接近しております。保育園についての御言及はいろんなところで注意深くされてはいるんですけれども、教育のところでもそこをもう少し書いておいてもいいのではないかと思っている次第であります。
  最後に、高等教育において少子化あるいは少子高齢化問題の取扱いについてです。私は、高等教育においてもこの問題について教育上何らかの貢献ができないかと考えております。今回のおまとめでは「幼稚園、保育所、小学校等におけるインターンシップを推進するなど高校生や大学生等が保育に関する体験活動に取り組む」という形で注意を払っていただいておりまして、大変ありがたいと思っております。高校でカリキュラム全体の中で少子高齢化の問題を児童・生徒が考えられるよう工夫が必要であるとありますけれども、高等教育の一般教育、教養教育の中でも少子高齢化の問題、あるいは男女共同参画社会の問題に取り組み、行政の労働や社会生活の総合援助について触れることもあっていいのではないかと思っております。大学のカリキュラムは個々の大学が主体的に決めることになっておりますので、政府サイドからはなかなか踏み込めないかもしれませんけれども、問題提起はしてもいいのではないか。高等教育におけるサークル活動とか、教室外活動の重要性について今まで発言してまいりましたけれども、高等教育の段階へ進む人口が18歳のところで半ばに達しようとしている時代だけに、高等教育における教育の内容が、社会共有の価値観とか、価値意識にも大きくかかわるわけです。そこのところをもう少し突っ込んでもいいのではないかと思う次第であります。

○  「幼稚園教育」で、「また、近年、地域において一緒に遊ぶことのできる子どもの数の減少、親の過保護や過干渉、育児不安、女性の社会進出」とあります。これは、間違いではないのですが、「親の過保護や過干渉、育児不安」というマイナス面の次に、「女性の社会進出」が続いて同じようなマイナスとして並べられているように受け取られるので、ここのところをちょっと考えていただければと思います。
  それから、いわゆる国立大の附属幼稚園・小学校の入試改善の件は、どうなったのでしょうか。

○事務局  その点につきましては、ちょうどこの御審議の最中に非常に社会的に衝撃の大きい事件があって、その原因がそこにあったわけではないんですけれども、その際に、御議論もいただいてきたところでございます。全体を整理してみましたところが、個別具体な意見は、今までの審議では明確に打ち出されていなかったようでございまして、つまり、国立大学附属幼稚園という限定されたところに何かを求めるということは、報告の流れとして少しそぐわないのではないか。それならそれで言い方がまた別にあるという御提案をまたしていただければそこはあると思います。確かにワーキング・グループの段階の文案では様々なものが入っておりまして、今回落ちたのはそこだけではなしに、いくつかあまりにも具体的過ぎるとか、あるいは明らかな施策もないのにただ書くだけでは、中央教育審議会が言ったのにできないという部分があろうということでございます。
  その点について、文部省としても、あの事件以来、附属の入学者選抜に対する様々な誤解を解くような努力を大学や当該附属学校に求めているところです。そういうことも含めて、そういった意味で、実は「お受験」という問題意識のほうは前半のほうに出ておりますので、それに対応して何かをあげつらう、国立大学附属ということでなしに、何か対応策みたいなことを書くということについて、ぜひ委員の皆様方からも何か適切な提示の仕方があれば、今日でも結構でございますし、また次回でも、あるいは次回までの途中に電話なりFAXなりメールなりでいただければと思うわけでございます。そういう意味で、とりあえず1回、あまりにも具体的になっていたところを外させていただいたというわけでございまして、今、御指摘があったということも踏まえて、もう1回そこのところをうまく書ける書き方を考えさせていただければと思っております。

○  今、事務局がお話しになったレベルのことはすごく大切だと思います。というのは、中央教育審議会ですから、そこのところを具体的に言われちゃって、そこだけがマスコミ報道で一人歩きをするみたいな形はまずいことだと私は思います。それが一点。
  もう一点、婚外出生の国際比較のグラフがございます。これの見方を間違ってもらうと非常に困ると思うのは、スウェーデンとか、デンマークとか、比較したら、日本はすごく低い。でも、この国々がどれだけ大きな問題を持っているかということがないと、いや、外国ではこうなんだからと。むしろ日本の家庭が壊れていない、この良さなんですね。これがすごく大切なのに、何か論調が、日本人は外国がすべていいみたいに思っているけれども、こういう国の育児とか、子育ての実態を考えるとか、大きな問題を背負い込んでいるということで、むしろ日本のほうが正常であるという方向です。その点を間違ってもらっては困ると思っています。

○  今の御意見は本当にごもっともだと思います。でも、私は出席するたびにシングルマザーのことを言ってしつこいのですが、やっぱりそれは一つの家庭の在り方として認めるべきではないかと思うのです。全体を通して、社会で子どもを育てるという視点はすごくすばらしいなと思って。だったら、シングルでも安心して産める。父親がいなくても、父親的な育てる力が社会にある。それは本当にすばらしいと思いますので、ぜひその視点は入れてほしい。それを別に助長するとか、勧めるという意味でもありませんし、何がいいというわけでもありませんけれども、私の実感では潜在的にはすごく多いと思うのです。結婚はしたくないけれども、子どもは産みたいというその潜在的なものは大きいと思うので。最初のほうに、現実はこうだということはありますが、これからのことを考えていった場合は、その視点がないといけないのではないかということをすごく感じました。
  あとは細かい点ですけれども、子育てをしている女性が「終日育児に終われ、自分の時間を持つことができないまま」とあるんですが、私の友人で子育てをしている人を見ると、子育てそのものが自分の時間というふうな充実感を持っている人がほとんどだと思うので、子育て以外に自分の時間を持つことがすばらしいとも思いませんので、ここは「育児に追われ、充実感を持つことができないまま」とかのほうがいいのではないかと感じました。

○  今のは1歳、2歳の本当に小さいときのことがここに出たのではないかと思います。ものすごく違いますからね、子どもが小さいときから大きくなるにつれて。
  「物質的な豊かさを実現し、産業構造がサービス業、金融業などを中心としたものに移行するにつれて、努力や勤勉さ、忍耐や規律といったものが、従来のような形では培われにくくなることは避けられない。」という点で御指摘がございました。ここは本来の趣旨は「物質的な豊かさが実現し、貧困を克服しようとする動機がだんだん廃れるにつれて、努力や勤勉さがなくなる」というそんな趣旨で考えたので、何もサービス産業に勤めるからというのではなかったので。これはやっぱりないほうがいいのではないかと思います。社会学でいう資本主義の文化的矛盾とか、産業社会の病理とか、先進国病とか、ああいうことを念頭に置いて考えておったので、できればちょっと文言を変えていただくほうがいいのではないか。

○  話が一つ戻って恐縮ですが、先ほどのシングルマザーの件でお話ししたいと思います。私自身はシングルマザーになりたいとはあまり思いませんし、他の方に推奨しているわけではないのですが、この数字は日本の家庭が健全だということをあらわしているものではないと思います。スウェーデンやデンマークでは確かにいろいろな問題を持っています。
  けれども、その問題を克服するために、皆さん努力をして、シングルマザーを支える様々な社会システムができていると思います。私が問題だと思うのは、この30年間、婚外子が1%前後を保っているという日本社会の在り方そのものです。これだけ価値の多様化とか、女性が自由になったと言われながら、子どもを産むということに対しては、たいへん保守的なのです。父親がいなくて産んだという女性に対する社会的制裁がとても大きいのではないでしょうか。私の周りにも「結婚はしたくないけど、子どもは産みたいわ」という方が多いのです。今の日本社会で少子化の進行を抑えることができるかどうかは、それを認めることができるかどうかという価値観にかかわるものです。結局シングルマザーが受け入れられる社会というのは多様な価値観が認められ、誰にとっても住みやすい社会なのだろうと思います。シングルマザーについてあまり深く追求して、中央教育審議会の報告中で載せるべきだというふうには主張はしません。けれども、徐々に日本社会も認める方向に向いていかざるを得ないと思っています。ですから、ここで議論をするということ自体が非常に意義があることではないでしょうか。

○  私個人は前にも申し上げたと思いますが、実は私の大学の後任の人が、去年、シングルマザーになったんです。私の最初の反応としまして、頑張れという手紙を送ったんです。ただ、このように意見がいろいろ分かれておりますので、今回は機がまだ熟してないのではないかというので、一応落としてみたんです。ですから、もしもこれでお認めいただいて、各人がお書きになるところで、意見の相違というのをまたはっきりお出しになっていただくのはどうかと私は思っております。

○  関連しているんですが、シングルマザーだけでなくて、シングルファーザーも育てられやすくならないといけませんから、シングルペアレントという意味の言葉でいく必要があると思います。スウェーデンの場合には婚姻届をしていないけれども、実質的には日本以上に同居している父親がしっかり子育てをしている部分があります。これは届出をしていない場合で、むしろ紙でつながっている夫婦以上に一所懸命子育てはするという部分があります。ただ、育てやすいという点では、父親も育てやすいということが必要だと思います。
  先ほどから、家族の概念についてもちょっと出ていますが、家族を超えて「社会の宝」だというふうにしていくところが大事であって、親の状態にかかわらず子どもが大事にされるところがもう少し強く出てもいいかなという気がしていますので、私はシングルペアレントみたいな形で、一人親と言ってもいいと思うのですが、それが入るといいなと思っています。
  今年、ある大学では、妊娠中に教育実習もしながら、出産をして、卒業論文を書いて、卒業する子がいるんですけれども、その子のテーマが「多様な家族形態と少子化との関連」というものです。親の離婚・再婚、親の恋人との間に生まれた子どもの人たちにインタビューをして、それが悪影響を及ぼしていなくて、結婚観について初めは父親に対する不信感とかいろいろあっても、乗り越えていって、自分もまた子どもを産もうというプラスの面を取り上げたいという卒業論文を書いたんです。彼女はそういう問題が少子化に関連しているという信念で、いろんな人が許される社会になっていかないといけないのではないかと言っています。
  おととし学部で一人出産して、今年も出産して、大学院生でまたあって、あるゼミでは若年出産が続いているんですけれども、大学にベビーカーを押して時々顔を出したりしていまして、女子大学ということもあってみんなとても温かく迎えているんですが、大学の中にも保育の部屋があるといいなという気がしております。文部省も託児所の設置を検討するとありますけれども、これは教育面以外からの方策となっていまして、すべての官庁とか、大学とか、いろんな場所に託児室がたくさんあって、そして学びにもう1回戻ってくるとか、あるいは官庁の中であれば、子どもを持っている人がその部屋に子どもを預けて、審議会だとか、いろんな会議に出られるという形がとりやすくなると思うのです。ですから、いろんな意見を言うときに、託児の場があるというようなことは大事ではないか。そういうところに、高校生なり何かが手伝いができるという仕組みが生まれていくことを期待しているところです。

○  今のお話を伺っていて思うのですけれども、スウェーデンと日本というのは、主要先進国の中で税金と社会保障負担が両極端に違う国なんです。アメリカは例外としまして、今、日本では直接税、間接税、地方税、プラス社会保障負担が36.6%です。それに対してスウェーデンは何と84%です。一所懸命働いても、84%公的負担で払ってしまって、残りの16%が自分の懐に入ってきて暮らしているという国です。これは異常な国なんです。私たちは、シングルペアレントの問題とか、子どもたちの育児という問題を考えるとき、もう一つの側面として、政治の在り方についての国民的な選択の問題であることを忘れてはならない。育児で、例えばシングルペアレントが働いている間の子どものケアの問題で、公と私がどのぐらい負担し合うのか。日本人は、民間のサービスと公的サービスのどちらを選ぶのか。そういうことが今後の議論に残されている。それに加えて、政策選択の問題を離れて、一人の人間の権利の主張とか、女性の立場、あるいは女性の権利の主張、女性の生き方、男性の生き方、そういうものの選択の問題としてはとても大事な問題で、選択の問題が一方に残っているとうことを言わないと、親の要求だけを中央教育審議会が取り上げているような感じがするように思うのですが、いかがなものでしょうか。
  それから、全然違う問題ですけれども、「お受験」という語はやめておいたほうがいいのではないかと思います。世間がごく当たり前に使ってしまっていますが、もとはといえば一部のマスコミが使った用語が定着して、それがむしろ社会を間違った方向に持っていっている可能性がある言葉、それの最たるものが「お受験」ではないか。「お受験」というのは、ごく一部の限られた階級の奥さんたちが、「受験」と言えば済むことを「お受験」と言って喜んでいる。その含意は、私たちは特別の幼稚園に自分の子どもをやっている特別な階級だという自己満足が入っている文字なんです。そんなものは社会的に認知しないほうがいい。少なくとも中央教育審議会では、そんなことを認知しないほうがいい。

○  一つは、父親の厳しさということですが、これは、男女共同参画とか、家庭教育への役割分担とか、そこでごまかしているんですが、一歩踏み込んで、父親の厳しさということをどのように反映したらいいのかと。私は大賛成です。随分昔ですが、ある雑誌に家庭教育論で「母高父安」という、「円高ドル安」じゃないですが、そういうのを書いたことがあるんです。随分昔のことで、それを思い出したんです。日本のことわざでも「厳父慈母」とか、いろいろあったんですが、男女平等になればことわざも変えなければいけないというのをどこかに書いたことがあるんです。やっぱり生物学的にも違うところがあるので、そういうのをどう反映させたらいいのかというのが一つの課題ではないか。
  第二点は、総花的で、家庭では、学校では、地域ではと言っているんですが、一体この中で一番大事なものは何かというのをはっきりしないと、インパクトがないと思うのです。考えていましたことは、厚生省の場合には、だれでも育児、出産で保健所があるんですが、文部省ではたくさんあり過ぎて、学校、幼稚園、公民館……。保健所に対するカウンターパートとして、この際、答申で何か新しいものを提案できるのかどうか。公民館の名前を変えて「少子化対策センター」とか。思いつきではいけませんが、何かそういう目玉になるようなことを言わないと、あちこちで支援組織とか、仕組みとか、ネットワークとか、必要だというのが出てくるんですが、そういうものの中心になるスタートというか、原点というか、一番大事なものが一つあるわけなので、不完全でもいいからそういう提示をしたほうが目玉になるのではないか。といいますのは、新しいキーワードがいくつかあるんです。「社会の宝」とか、「懐が深い」とか、そういうものをもう少し集約して、ハード面に反映できるようなことができないか。
  それから、「出産や子育てを終えた女性の」とありますが、私は、いつ子育てが終わるのかわからないと思うのです。「何歳で終わるのか」と聞かれたらどうするのか。子育てというのは永久に終わらない。これは表現を工夫されたほうがいいのではないか。

○小林座長代理  どうもありがとうございました。本日の討議はここまでとさせていただきます。

(大臣官房政策課)

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