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参考2

第15回基本問題部会における主な意見の概要(案)

1. 日時    平成14年10月17日(木)  14:00〜17:00
   
2. 場所    ホテルフロラシオン青山「芙蓉」(2階)
   
3. 議題    教育基本法および教育振興基本計画について
   
4. 配布資料
資料1       中間報告各章の構成(案)
資料2       第2章  新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について(素案)
資料3       第3章  教育振興基本計画の在り方について(素案)
資料4       序章(骨子案)
資料5       教育基本法・日本国憲法(条文)
資料6       「一日中央教育審議会」意見発表者・傍聴者の募集
資料7       今後の日程(案)

参考1       教育の課題と今後の教育の基本的方向について(素案)
参考2       第14回基本問題部会における主な意見の概要(案)
   
5. 出席者
委  員:鳥居会長,木村副会長,市川委員,梶田委員,黒田委員,國分委員,永井委員,山本委員,渡久山委員

事務局:河村副大臣,池坊大臣政務官,小野事務次官,間宮文部科学審議官,御手洗文部科学審議官,結城官房長,近藤生涯学習政策局長,矢野初等中等教育局長,工藤高等教育局長,山元科学技術・学術政策局長,銭谷文化庁次長,有本生涯学習政策局審議官,名取主任社会教育官,磯田総括会計官,山中総務課長,小田大臣官房政策課長,布村生涯学習政策局政策課長,高橋主任教育改革官,その他関係官

6  概  要

◆自由討議
(1)資料2(第2章素案)について

  全体として統一のとれた内容にする必要があるため、第2、3章が固まった後に再度第1章に戻って見直すべきことについて再確認したい。

鳥居部会長  第1章についてはすでに3回ほど審議をしているが、ご指摘のとおり、第1章を再度見直すことは必要。

  だいぶまとまってきたと思う。初めの方は、子どもの基本的人権や義務について、韓国の基本法のように入れてはどうか。例えば、「子どもはそれ自体一個の人格として尊重され基本的人権を持つ存在であることを大前提として教育されなければならない。しかしこのことは子どもが自分の恣意に任せて自己主張することを容認することを意味するものではなく、家庭・学校・社会は責任を持って子どもの指導に当たるべきであり、子どももまたそうした指導に従う義務を持つ」といった内容はどうか。多くの命が人工妊娠中絶により失われている現実があるが、どんなに小さな命であっても、それ自体として尊重されなければいけないといった気持ちを表現できないか。

鳥居部会長  今のご意見は、子どもも一人の命として尊重されるべきことが一点。また、学校の役割については、9頁に記述があり、考え方はまだ十分整理されていないが、そこに関係してくる。明治5年の学制発布の際、文部卿の森有礼はeducationを「教え育てる教育」と訳したが、福沢諭吉は「能力開発」を使うべきと言った。学校には、「教え育てること」と「有する才能の開発」の両方の役割が必要。1988年の英国教育法には、そういったことがある程度書いてある。3つめとして、それらを自分でやるという「学習」が大切であり、それへの学校のサポートも必要。国によってはこれについても教育法に書いている。さらに、この3つに加えて、socialization つまり社会に出ていく準備を挙げている国もある。

  1頁の「見直しの視点」では、「見直しを行うべきであるとの結論に至った」とあるが、いつ、どこで、誰が決めたのか。新聞では改正が決定したかのような報道であったが、少なくとも部会としては決定していないはず。
  2頁の25ではいくつも現在の基本法に「明示されていない」事柄を挙げているが、書いていない事柄を挙げるならもっといくらでもある。今の基本法ではこの点が困る、ということを書かないと改正の理由としては弱い。
  学校の役割の規定については、30年くらいのスパンで考えれば、学校も家庭も社会ももっと変わっていくはず。営利企業が学校経営に参加したり、グローバルなバーチャル大学ができて日本の学校がその子会社になるということもありうるわけで、学校の役割については基本法ではなく学校教育法で対応すべきではないか。

鳥居部会長  1点目については、諮問を受け、総会で審議する中で、見直しの方向で議論を始めるために基本問題部会を作ることにした、という経緯がある。
  2点目については、いくつかの重要な理念や原則が「明示されていない」ということ自体は改正理由になると考える。

  これだと、絶対に変えるという理由にはならない。支障があるという方が、絶対に変えなければならない理由になる。

鳥居部会長  改正しなければ困る点を改正理由に追加することはあり得ると考える。
  学校の役割については、サッチャーの1988年教育法改正や、フランスのジョスパン法、ドイツもそうだが、学校の役割を教育法ないし教育基本法に書いている。今のご発言は、日本では学校教育法に入れるべきとのご意見と理解する。
  現行の教育基本法は、7:3の割合で理念法に実体法の要素が加わったもの。男女共学や宗教教育をしてはいけないことなどは、両方の性格を持つ規定。基本法を純理念法にとどめるのか、実体法的要素も入れるのかについての突っ込んだ議論はしていないが、諸外国の基本法を見ると、実体法的要素も盛り込まれている。

  私は、最初から、基本法は理念法であり、実体法的なものを中に突っ込むべきではない、実体法は別に作るべきだと言ってきた。

  全体の感じとして、相反する意見がいろいろある中でまとめなければならないことを考ええれば、よく集約されていると思う。全員の意見を一つにできないとしても、まとめるためにはある程度はやむを得ない。今の教育基本法の中で、禁止をしている事項は少ない。学校、家庭、地域の3者の連携なども当然、禁止していないし、学習指導要領でも取り上げている。アイデンティティの点も、すでにいろいろなところで重要性が指摘されているし、指導要領にも書いてある。つまり、困るとか障害があるということではなく、基本法に明示されることでより積極的にやっていけることになるのではないか。
  3頁の(2)の1つ目の○は、「教育の諸制度・諸施策を個別に論じるだけでは…」とすべき。

  3頁の「見直しの必要性」と「方向性」では内容にダブりがある。1頁第2パラグラフに「見直しを行うべきとの結論に至った」とあるが、30日の総会でも「基本法を見直す必然性は見られない」との疑問が多くの委員から出されたところであり、見直しを否定はしないが、ここは文言を固めずに、引き続き議論させてほしいということではないか。「公」を議論するには、主権者としての基本的人権が担保されることが前提となる。まず「国」や「公」ありきではいけない。アイデンティティや伝統・文化については、「愛国心」として出てくると問題がある。それが国際化と矛盾する偏狭なナショナリズムに陥ってはいけないという認識をしっかり持つべき。かつての歴史を振り返ると、国として問題を反省すべき部分もあるので気をつけなければならない。振興基本計画については、財政措置についてきちんと書き込んでほしい。これだけ大きな改革に取り組むにあたって、財政的な裏付けは不可欠である。教育諸制度の見直しが必要というが、その際に児童の権利条約や国連人権規約など、国際的諸条約を視野に入れないと広がりに乏しくなる。また、男女共同参画の視点もこの中に入れた方がいい。

鳥居部会長  「公」という文字を「滅私奉公」の「公」と解釈してはならないのは解るが、その説明を法律に書くわけにはいかない。まずは報告の中で丁寧に説明することだと思う。

  「権利」についての書き方が全体的に弱くなっている。現行法に規定されている基本理念を受け継ぐなら、その中に個人の尊厳、真理、平和の理念と共に人権も入れるべきだ。

  この報告をこれから国民に問うていくわけだが、これを国民やマスメディアがどう受け取るかについて考える必要がある。教育は取り返しのつかない分野で、以前のものを大きく否定して変革するものではないはずだ。この案は、全体として慎重な書きぶりだが、「見直し」という言葉は、文字通りの修正から抜本的なものまで大きな触れ幅を持つ。これまでの議論は「現行の基本法は間違っていないが、現時点でみて足りないところを補足しよう」というトーンだったはず。それならば「補足」と言う方が妥当に思える。現場では実際に改革が進んでいる。今回の議論は基本法がその実情に追いつくためのもの。これまでの教育の歴史を肯定的に受け取れるような、そして、国民に誤解を与えないような表現を取るべき。

鳥居部会長  ならば、1頁第2パラグラフの最終行は「見直しを行う」ではなく「時代に合わせて修正し、足りないものを補足する」とすべきということか。

  現行基本法の基本的理念を引き継ぐことを明記すれば、国民の誤解は解けると思う。

  「新しい公共」が「公」に変わっているが、そのとたんに「私」の視点が失われ、人間が公に絡め取られるイメージがある。「公共」「共同体」などの言葉を使って工夫しないと、みんなで社会に参加して新しい社会を築くというニュアンスがでてこない。日本人のアイデンティティも「愛国心」と書かれると、偏狭なイメージになる。「国際社会に貢献しようとする意識」をもっと前に出すとともに、伝統、文化、郷土愛のくだりも「伝統、文化の理解、継承に努め、国や郷土を愛し、これを発展させる心」などと言葉を補うべき。

鳥居部会長  「新たな公共」という言葉を復活させるかどうかは検討したい。「愛国心」という言葉は、戦時中以来の歴史を引きずっており、特別のにおいがついている。単純に、英語の"patriot"のような意味として理解されるまで、工夫を続けていかなければならない。

  一国偏狭な愛国心ではいけない。今は「開かれた愛国心」というイメージを出せる書き方を工夫しなければならない。

  「公」と「新しい公共」について、ただの「公」ではなく何らかの修飾が必要なのも事実だが、「新たな公共」も解ったようで解らない言葉なので、どこかで定義する必要がある。言葉の問題にこだわるのも大事だが、言葉づかいに気を使いすぎて、回りくどい訳の分からない表現になるのはよくない。なるべく分かりやすい言葉遣いをする、言葉に解説を付けるなどの工夫を心がけるべき。

鳥居部会長  「新たな公共」という概念は司法制度改革会議で盛んに使われていたが、これは戦後すぐの「民主主義」という教科書に描かれていた「公共空間」を指すものではないだろうか。もっとも、現在案の説明では舌足らずなところもあるので、適宜補うことも必要。

  基本法は公理のようなもので、その内容は誰にも理解できる当たり前のことであるべき。したがって、足りない要素は付け加えればいいと思う。これはうまく文章にできるか解らないが、これまでの日本人は調和を大事にしてきたのに比べ、最近はゼロかイチかで考えることが多いのではないか。この状況に対し、日本人には時代の激しい変化の中で調和を保ちながら発展していくことが似合うのだから、調和や均衡という軸も大事だということを訴えたい。「公」については「個人の尊重」とのバランスが大事。生涯学習分科会でも議論したが、特に「公共」については定義せず、その特徴を並べることにした。なお、5頁下「アイデンティティ」と「国際性」が並んでいるが、両者の関係は分かりやすく(国際性の中でアイデンティティを持つ)整理すべき。

鳥居部会長  司法制度改革審議会で同じ議論があり、結局「公共空間の支え手としての意識」という表現で落ち着いた。言いたいことをうまく表していると思うが、「公共空間」もまた新しい言葉で、説明抜きでは何のことかわからない。

  臨教審以来のこの10年「生涯学習社会の構築」を目指してやってきたが、これは社会全体で取り組まないとうまくいかない。入試が変わらないとその前の学校教育が変わらないのと同じで、例えば、就職試験できちんと生涯学習を評価してもらう必要がある。経済団体の中でも人物だけでなく何を身に付けたかを評価する動きがあり、教育界でも考えていかないといけない。基本法改正の根底のところで、生涯学習に社会全体で取り組むという姿勢を出してほしい。

  第2章の1(1)の2つ目の○に「新しい時代を切り拓くたくましい日本人」という表現があるが、これでは経済原理しか働いていないような感じがする。平安時代や江戸時代に長い間戦争がなかったことからわかるように、日本人はもっと調和的であり、わび・さびがある人も大勢いたはずである。教養豊かな、心豊かな日本人の育成も必要なのではないか。

鳥居部会長  「たくましい」という言葉はもっと工夫して、より広いコンセプトとして書き直すべきということか。

  サービス化の時代には、心優しい人が経済原理の中で勝ち抜くということもあるだろう。表現については、もっと議論して考えたい。

  5頁の(4)の最後に、「世界平和と人類の福祉に貢献する日本人」を入れてほしい。
  7頁の義務教育についてだが、現在の9年間の義務教育を延長または短縮するというのは今後の課題として、18歳までの教育保証をすることはできないか。知識社会の中で、基礎基本の保証をすることが必要である。
  9頁に「教員の使命・責務」とあるが、大切なのは教員の養成である。「養成」の言葉を盛り込んでほしい。

  18歳まで教育保証をするというのは一つの考え方だと思うが、その意見は今回初めて出たものである。18歳までというと、義務教育を9年から12年に延長することになり、これについては議論がされてしかるべきだと思うので、今すぐ中間報告案に書き込まない方が良い。

鳥居部会長  今の話は、社会全体で考えていかないといけない。基本法4条2項の義務教育の無償にも関わる話。今回はそのような御発言をいただいた、ということにしておく。

(2)資料3(第3章素案)について
  「新しい公共のための教育」を読み込むのなら8頁の終わりから9頁にかけての部分だろうが、もう少し第3章を基本法に関する議論につじつまの合う形にすべきではないか。一人一人が市民的・社会的意識に目覚め、責任を持って社会に参画するための教育が必要であるということ。「国家社会の形成者」という表現では堅すぎる。「一人一人が市民的・社会的意識に目覚め、責任を持って社会貢献の道を探り…」など。

鳥居部会長  「新しい公共のための教育」は2頁の(2)(これからの教育の目標)にも出てくる。こちらも連動させて考えていく。
  教育振興基本計画の部分についての基本的な考え方としては、1頁の一番下の○に書いてあるように、「計画の骨子を示す」ということでよいか。関係分科会というのは中教審の5つの分科会で、後はそこに玉を投げるということか。

事務局  基本計画は基本法の改正がされてからのこと。具体的政策については分科会で御議論いただきたいと考えている。

鳥居部会長  今の委員の御意見も分科会で議論すべきことかと思うので、意見をいただいたということにしておく。現段階では、基本的なところだけ決めればよいということで。

  「日本人としてのアイデンティティ」は第3章ではどの部分にあたるのか。

鳥居部会長  5頁の「個性・才能を伸ばす教育の実現」、6頁の「科学的素養を育成する教育の推進」が関係するか。それから、8頁の「豊かな心の育成、自立心、公共の精神の育成」。これらは、今後、初中分科会、大学分科会で議論することになる。

  「日本の伝統文化の理解・継承」は項目として独立させておいた方がいい。でないと、分科会・部会に下ろしてもきちんとした位置付けにならない。先に出たように、国際性と日本人としてのアイデンティティのバランスをとっていく、世界に開かれた新しい日本人としてのアイデンティティ、というこれは大きな話である。

  自分は先に、第2章・第3章を議論した上で第1章に戻るべきといったが、第1章から導かれるものもある。感覚的なものだが、第2章については第1章を受けている感じがするが、第3章はその感じが薄いので、その視点を入れてほしい。

  3頁に「10年後の社会を見通し…」というのは、第1章でいう「激動の時代への挑戦」なのか、以前の会議で配られた(他省庁の審議会の答申の提言等も含めた)目指すべき社会の姿も含まれるのか。

  2頁の「豊かな心と健やかな体」について、これは障害を持つ子どもについてはどういう考え方であって、どういう対応をするのか。マイノリティへの視点も含めた、インクルーシヴな教育目標がほしい。
  基本計画は5年程度が目処だが、学校教育は3年や6年が一区切り。小学校1年から6年まで統一的にやる、というような考え方が出てこないか。
  4頁の教員の評価システムについて。教員の計画的な養成に力を入れて、大学院やそれ以上の教育を受けた人間を校長・教育長に採用していくようにしたい。そういう側面が生きるような養成制度を作ってほしい。

鳥居部会長  教員の養成については、6頁の一番下に書いてある。

  ここには評価のことしか書いていない。評価の前に養成が重要である。
  5頁の(1)の中の「国語力」については、これからは外国語の力をつけることも大事なので、そういう考え方を入れてほしい。

  計画という以上は評価が大切だが、4頁の「政策評価」、8頁の「学校の評価」、13頁の「大学評価」の関係は何か。現在の大学評価は学校法人や教育団体によるもので、文部科学省の政策では完結しない。国全体のトータルな評価は可能なのか。現在の大学評価も、国立大学が対象だが、数から行けば私立大学が多い。設置者ごとに基準を設定して全体的な評価ができるのか。また、小中学校の評価というのは具体的にどう行うのか。
  10頁に「家庭の教育力・地域の教育力」とあるが、「教育力」とは何か。教育辞典には出てこない言葉。「自己教育力」というのが出ている辞典はあるが。英語ならどういう表現になるのか。「学校の教育力」とは言わないのに、なぜ家庭・地域に限ってこの言葉を使うのか。

鳥居部会長  2つの大きな質問が出たが、学校の評価については、1初等中等教育の分科会で今後審議することになる。また、2大学分科会ではある程度の結論が出ており、この他に、3初等中等教育と高等教育の総合的な評価というのはあり得ると思う。そのためには、分科会で審議する際に、1つの分科会に投げるのではだめだと考えればよいと思う。

  大学の評価については、独法化により大きく性格を変えざるを得ない。独法については、国立大学評価委員会ができてそこで評価する。その中で、研究と教育については、大学評価・学位授与機構の評価を尊重することになっている。他に、新しい法律で、すべての大学は認証評価機関による第三者評価を受けなければならないこととなる。その機関として想定されるのは、大学評価・学位授与機構も1つであり、私立大学協会で検討している評価機関もその1つ。すべてをある尺度で見ようという考えではなく、アメリカのようにいろいろな評価機関があってよく、認証されたものについて国民が判断するという方向にいこうとしている。

事務局  初等中等教育の評価については、幼〜高校については、学校設置基準において、自己点検・自己評価がスタートしており、行政はそれを推進する。高等教育については、すでに評価制度が定着しており、行政はその導入・整備を進める。全体の政策評価については、文部科学省が自ら取り組む政策評価であり、それを実施することになるという位置づけ。

鳥居部会長  教育力という言葉は、どういう意味であったのか、事務局にも検討してもらうが、自分の理解を前提とすれば、教育の中身、つまり、1訓育、2才能を伸ばす、3学習をサポートする、という側面に加え、4一人一人の人間が自立していくのをサポートし、社会の一員となるようサポートする、ということをしてやる能力を学校、家庭、地域それぞれで高めていくことが必要であるという趣旨である。しかし、これを教育力と書いてよいかについては宿題とする。

  教育力という言葉は、教育界では年中使っており、厳密の定義はなくともコンセンサスはある。辞書や心理学で使用しないのは、それが古いから。いちいち定義付けはしなくてよい。

  教育力という言葉を使うと議論が空転することがある。地域の教育力といわれても意味がわからない。この10年間で使っている文部科学省の言葉のうち、イメージだけで実態とかみ合わない言葉がある。「地方、家庭、学校の連携」もそう。空転しがちな言葉は避け、具体にこうしてほしいということを書くべき。

鳥居部会長  次回までに検討したい。

  基本計画としてやってほしいこととして、進路指導がある。今までは受験に偏りがちだったが、幅広い能力を発見して仕事につなげることが大事。厚生労働省や産業界と連携して進路指導を行う体系を作るべき。

鳥居部会長  ドイツ、イギリスの法にはそのようなことが書いてある。

  P4の3の例示のところだが、学校に関する施策ばかりである。重要なのはわかるが、学校以外の例も1つくらい載せてはどうか。

鳥居部会長  2章の最後のところで第4条2項に触れたが、3章にも同じ問題がある。すなわち、義務教育費国庫負担制度の見直しについて、義務教育の無償は憲法26条で決まっている。無償のうち、どこを国費、地方負担にするかという話だが、一部メディアでは、国庫負担をやめると言わんばかりの記事が散見される。この審議会では、憲法改正するのではないということをここで確認したい。言葉の列挙だけだと誤解されがちである。

  P6、7との関係で、地方分権の中、少人数学級をいくつかの県で実施しているが、自分たちの財政能力に応じてやっている。本当に機会均等や平等が保障されるのか問題がある。一定程度のナショナルミニマムがないと、自治体ごとに差が出てくる。地方分権が進む中で、どの程度国が保障し、地方が負担するかについて、現在の状況はまちまち。それで本当にいいのか。国のナショナルミニマムの考え方として、容認できるのか。長期計画の中できちっと考えを出してほしい。

鳥居部会長  イギリスでは80年代初頭に行きすぎた地方分権を経験し、サッチャーは自治体に任せすぎたことを反省して改革を行った。

  ナショナルミニマムかローカルオプティマムかの二者択一は、とんでもない不毛の議論。教育にはまずナショナルミニマムが必要で、その上でローカルオプティマムの部分が出てくる。このことについてはどこかで触れておくことが必要なのではないか。

  学校施設の耐震化の問題は深刻。耐震基準を満たさないものもあり、これをいつどうやって改築するかを盛り込むべき。子どもに安全な校舎を提供するのは国の仕事である。また、学校の校舎は緊急時の避難場所であり、そこが危険であってはならない。この件は国の政策選択の問題だが、緊急に対応すべきだし、そのような対応を可能にするシステムが必要である。

  大学改革について、比較的実現が容易な事項ばかり並んでいるように思う。世界トップクラスの大学では、大学院に優秀な学生を集める方策を考えている。日本の大学も、そういう人材と交流するにとどまらず、彼らが日本で研究を行えるような取組を進めるべき。そうしないと、世界のトップに伍していけない。

(3)資料4(序章骨子案)について
鳥居部会長  ネガティブな表現を並べて国民に訴えるのも一つの方法だが、今回はなるべく前向きな表現を使って作成してみた。

  教育基本法の議論を行っていた際、田中美知太郎氏が「よい政治がよい教育を作るのではなく、よい教育がよい政治を作る。ギリシャは、ここをはき違えたが為に滅びた」という逸話を紹介したというが、この「よい教育がよい政治を作る」というニュアンスを、冒頭にしっかり書き込みたい。

  構成図では、序章と第3章の関係が不明確。序章では計画について触れていないように思う。

  第3章の内容構成を、序章・第1章・第2章と平仄の合ったものにしてほしい。

鳥居部会長  本日の議論はここまでとし、出席いただいている河村副大臣、池坊大臣政務官からご挨拶をお願いしたい。

河村副大臣から挨拶
  ・教育基本法、教育振興基本計画については、委員の方々には長い間ご助力いただき感謝している。
  ・自民党においても、教育基本法特命委員会において日本のこれからの在り方について考えてきたが、いよいよ中教審で中間報告をまとめる運びになっており、党の方でもペースを早めて議論をまとめていかないといけない。
  ・今回また副大臣に任命されるにあたり、特命事項として教育基本法のことを仰せつかり、大変責任を感じる。
  ・与党の公明党は教育基本法の問題にまだまだ正面から取り組んでいない面もある。池坊政務官には、できるだけ中教審の御議論を聞いていただいて、この問題の重要性を認識していただく重要な役割を担っておられると思う。
  ・最近は、子どもが自分中心になっていることを感じる。日本全体でも「一国平和主義」と言われたように国自体が自己中心的になっていた。子どもばかりを責めるわけにはいかないが、放置はできない。教育から考えていく必要がある。そのためには、国民全体の意識改革が必要であって、教育基本法の見直しは、日本を考え直そうという良い意味でのショック療法になる。
  ・マスコミの方にもお願いをしたいが、中教審では日本にとって重要な課題を議論しているのであり、愛国心だけを取り上げているわけではない。日本の国をどうするかという方向を議論しているのだから、その辺を見据えて的確な捉え方をしてほしい。
  ・ 中教審では今、最後の大詰めに来ているが、ここまで議論を進めて、非常によく現状を捉え大きな方向を打ち出していただいていると思う。国民に理解され支持されるような立派な新しい教育基本法ができることを切に祈っており、自分も作る責任の一端を担って皆さんと一緒に努力させていただくことを光栄に思う。

池坊大臣政務官から挨拶
  ・教育基本法は教育の憲法であり、これは重要な改正になる。委員の方々には、拙速にならないよう、慎重にきめ細やかに丁寧にご審議いただきたい。
  ・審議会の議論が一人歩きしないようにしたい。今朝の新聞を見て思ったのは、いつ中教審で「法の見直しを行うべき」という結論が出されたのかということと、色々な方の御意見にあったように、自分も国を愛する心を持っているし、次の世代にも持ってほしいと思っているが、それを新聞で「愛国心」と書かれると、何となく違うような気がする、ということ。文言によっては危ういものになると感じる。
  ・保護者の84%が教育基本法の内容を知らないという現実を踏まえれば、この改正は必ずしも国民の盛り上がりの中での改正ではないので、皆の理解を得ることが必要である。
  ・序章の中に、「日本の教育は危機に瀕しているから教育基本法を見直す」とあるが、今の教育基本法で困ることはない。ただ、21世紀を見据えたときに足りない点がある。今の教育の危機、教育の荒廃は教育基本法とは関係ないので、そこは分けるべき。
  ・委員から御発言のあった校舎の耐震構造については、公明党では現在、全体数の3分の1しか基準を満たしていないところを2分の1にまで上げるための議員立法を検討中。

  事務局から今後の日程について説明があり、閉会。

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