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参考1

教育基本法の規定の概要

  前文
  われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
  われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
  ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

【趣旨】
  本法は新しい教育理念を宣明する教育宣言であり、その他の教育法令の根拠法となるべき性格をもつ極めて重要な法律であるという認識から、制定の由来と目的を明らかにし、法の基調をなしている主義と理想とを宣言するために、特に前文がおかれたものである。

「此の法案は教育の理念を宣言する意味で教育宣言である、或は教育大憲章であるとも見られませうし、又今後制定せらるべき各種の教育上の諸法令の準則を規定すると云ふ意味に於きまして、実質的には教育に関する根本法たる性格を持つものであると申上げ得るかと存じます、従つて本法案には普通の法律には寧ろ異例でありまする所の、前文を附した次第でございます」(昭和22年3月19日・貴族院本会議における高橋文部大臣による提案理由説明)

(1) 第1項は、憲法と教育との関係を明確にし、法制定の由来を規定するもの。
  「民主的な国家」
  単に政治的な面で民主主義な国家を意味するものではなく、社会的、経済的、文化的方面等も含めて、一般に民主主義を基調とする国家を意味する。
  「文化的な国家」
  真・善・美の文化価値の実現を目指す国家を意味する。
     
(2) 第2項は、本法を貫く精神、すなわち従来の教育の弊害への反省にたった新しい教育の基調を示し、その普及徹底を図ることを強調するもの。
  「個人の尊厳を重んじ」
  これは、「個人の尊厳を重んじ(る人間の育成)」と続くのではなく、「個人の尊厳を重んじ(る基礎の上に教育を行う)」という文脈で理解するものとされている。
  この規定は、戦前の教育が国家のために奉仕するものとされ、「皇国民の錬成」が主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたことを踏まえて、いかなる境遇や身分にあろうとも、すべての個人が、他をもって代えることが出来ない人間として有する人格の尊厳が重んじられるものであって、その基礎の上に教育がなされなければならないことを示すものである。
  「真理と平和を希求する人間の育成」
  戦前の教育においては、国家に有用のもののみが真理とされ、真理のための真理の追求が軽視されてきた弊害があったことから、それを改め、教育本来の道に立ち返ることを意図したもの。
  「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」
  文化の意味や価値自体は普遍的であるが、このような普遍的価値に照らしながら形成された文化が、結果として文化形成主体の個性や属する国民性などに由来する個性を豊かにもつ文化となることを示す。
     
(3) 第3項は、法制定の目的及び趣旨を示している。


(参考1)前文の法的性格
法令の各本条の前に置かれ、その法令の制定の趣旨、目的、基本原則を述べた文章を「前文」といい、法令制定の理念を強調して宣明する必要がある場合に置かれることが多い。
前文は、具体的な法規を定めたものではなく、その意味で、前文の内容から直接法的効果が生ずるものではないが、各本条とともにその法令の一部を構成するものであり、各条項の解釈の基準を示す意義・効力を有する。

(参考2)基本法で前文を有するもの
  教育基本法、観光基本法、高齢者対策基本法、ものづくり基盤技術振興基本法
  男女共同参画社会基本法、文化芸術振興基本法

教育基本法以外に「前文」を置く基本法
「前文」が廃止された基本法
基本法以外に「前文」を有する法律の例


1条(教育の目的)  教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

  本条で規定している「教育の目的」とは何か
  教育は、人を育てることであり、ここで「教育の目的」としては、どのような目標に向かって人を育てるか、どのような人を育てることを到達の目標とすべきかについて規定している。
   
  本条の構造
  教育の目的は、
A:   人格の完成をめざし、
B:   平和的な国家及び社会の形成者として、(以下の徳目を有する)心身ともに健康な国民の育成を期すること。
     
 
1 真理と正義を愛し、
2 個人の価値をたつとび、
3 勤労と責任を重んじ、
4 自主的精神に充ちた
 

「人格の完成」: 個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめること(「教育基本法制定の要旨」昭和22年文部省訓令)。
  真、善、美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能力などの発展完成。人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない(「教育基本法の解説」)。
   
なお、「真理と正義を愛すること」「個人の価値をたつとぶこと」「勤労と責任を重んじること」「自主的精神」として掲げられている徳目について、制定時の帝国議会答弁においては、「第1条ですべての徳目を掲げるのは適当ではなく、従来我が国の教育の比較的欠陥といわれてきたところや現在においても欠陥と考えられているところを特に強調し、それ以外は「人格の完成」に包含させる」との考え方をとってきた。

「教育基本法の解説」田中二郎・辻田力監修(国立書院)、「教育基本法の理論」田中耕太郎著(有斐閣)に基づき作成

 

帝国議会における第1条(教育の目的)に関する主な答弁

【教育の基礎として如何なる人間観に拠っているのか。】
○昭和22年3月19日  貴族院・本会議
<高橋国務大臣答弁>  教育基本法に於きまして、先づ人間は人間たるの資格に於て品位を備へて居るものでありまして、何等他のものと替へらるべきものでないと云ふ意味に於て、其の前文に於きまして、「個人の尊重を重んじ、」と謳つて居るのであります。次に人間の中には無限に発達する可能性が潜んで居ると云ふ考を基礎と致しまして、教育は此の資質を啓発し培養しなければならないのでありまして、之をば第一条に「個人の価値をたつとび、」と申して居るのであります。第三に、人間は単に個人たるに止まらず、国家及び社会の成員であり、形成者でなければならないと云ふことも亦此の基本法に於ける人間観の基礎として居る所のものであります。更に人間は真、善、美などの絶対価値の実現を追求するものと致しまして、文化活動の主体であると考へるのであります。是等を基礎と致しまして、教育が人格の完成を目指さなければならず、普遍的にして而も先程仰せのありました所の日本人として、又個人と致しまして、個性豊かな文化の創造を目指さなければならないとして居るのであります。

【教育理念を法律の形で規定することの意味は何か。】
○昭和22年3月19日  貴族院・本会議
<金森国務大臣答弁>  (教育に関する基本方針を国会において法律として定めるのは、)国民の共同意識、謂はば国民の代表者に依つて現されて居りまする所の全国民の納得を基本として、実行上然るべき基準を規律して行かうと云ふことでありまするが故に、先づ大体の見地から申しまして、国の法律として定めると云ふことが、余り程度を越えさへしなければ然るべきことのやうに存じて居ります。
<高橋国務大臣答弁>  一部に於きましては、又国民の可なり大きな部分に於きましては、思想昏迷を来して居りまして、適従する所を知らぬと云ふやうな、状態にあります際に於きまして、法律の形を以て教育の本来の目的其の他を規定致しますることは、極めて必要なことではないかと考へたのであります。

【よき日本人の育成、祖国観念の涵養といった観点が欠けているのではないか。】
○昭和22年3月20日  貴族院・教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁>  「個性ゆたかな文化の創造」、此の「個性ゆたか」と云ふことは、博士の御解釈になりますやうに、単なる個人的のものばかりでございませぬので、日本の国民性の十分に現はれた所の文化の創造と云ふ意味に私共は解釈して居るのでございます。尚此の基本法なるものは、十分に普遍的なものと同時に、日本的なもの、特殊的なものをも求めて進んで行かなければならぬと云ふ精神に基いて出来て居るものと申上げて差支えなからうかと考えて居ります。
<辻田政府委員答弁>  それで教育の目的の中には色々な徳目、或は掲ぐべき必要なことがあらうと思ひます。従来我が国の比較的欠陥と言はれて居つた所、或は現在の状態に於ても欠陥と考へられて居る所と云ふやうなものを特に強調致しまして、「勤労と責任を重んずる」、「責任」と云ふ字を特に入れ、又「自主的精神に充ちた」と云ふやうなことを特に強調致しまして、此の我が国の国民として特に教養すべき点を掲記したのでありまして、此の中に有らゆる徳目を掲記すると云ふことは、必ずしも適当でないと思ひますので、それ等に付きましては「人格の完成」と云ふ中に包含してある訳であります。

【奉仕的精神に満ちた国民の養成という観点が欠けているのではないか。】
○昭和22年3月20日  貴族院・教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁>  此の第一条に掲げてあります国家及び社会の形成者、此の形成者と申しまする文字は、単なるメンバーと云ふだけでなくして、実際の国家及び社会の構成者、ギルダーと云ふやうな意味も含まれて居るものでありまして、尚国家竝に社会に対する奉仕の点は、後にありますやうに「勤労と責任を重んじ」云々と云ふ言葉で十分に現はされて居るのではないかと存ずるのでございます。


2条(教育の方針)  教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

  本条の趣旨、内容
  本条は、第1条に規定する教育の目的を実現するための道筋(方法)、心構え、配慮事項を規定したものであり、名宛人は教育者のみならず一般国民を含むとされている。主な意味内容は以下の通り(「教育基本法の解説」より)。

     
 

(1) 「あらゆる機会に、あらゆる場所において」
  制定当時、それまで学校教育のみで教育は終了したものと考え、その後の研究修養を省みない弊風を改めるため、学校教育と並んで社会教育が大いに振興されるよう規定したもの。

(2) 「学問の自由を尊重し」
  憲法第23条「学問の自由は、これを保障する。」の学問の自由を侵してはならないとする消極的な規定をさらに進めて、積極的に尊重していこうとするもの。

(3) 「実際生活に即し」
  教育なり、学問なりが実際生活を基礎とし、そこから出発して行われなければならず、またその成果も実際生活に浸透していかなければならないという意味を示したもの。

(4) 「自発的精神を養い」
  自ら進んで学問をしたいという気持ちを起こさせ、個人の研究的態度を養うという意味。

(5) 「自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」
  教師と生徒の間のみならず、教師相互、生徒相互の間に敬愛という心のつながりを持って、相互に教育し、教育され、協力一致していくところに偉大な文化の創造と発展が遂げられるという意味。

 

  制定時の帝国議会答弁においても、本条前段は、教育の目的を達成するためにどのような方針で進んだらよいかについて形式的な面を謳い、後段は実質的な方針、内容、すなわち、教育を取り扱う者の心構えについて謳っている旨答弁している。

 

帝国議会における第2条(教育の方針)に関する主な答弁

◎  第二条(教育の方針)について
【第二条(教育の方針)は意味がよくわからないのではないか。】
○昭和22年3月20日  貴族院・教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  第二条は御話の通り、前段と後段と色々と錯綜したりして居るではないかと云ふやうな御考もあるかと思ひますが、前段の方は謂はば教育の目的を達成致しまする為にはどう云ふやうな方針で進んだら宜いかと云ふことに付きましての形式的な面を謳つたのでありまして、次の「この目的を達成するために」とある「この目的」と申しまするのは、教育の目的と云うことでありまするが、是は此の後段の方は謂はば実質的な方針、内容を示したものであるのでございます。で、此の前段の方は特に御説明をする要はないかと思ひまするが、後段に付きましては、是は第一条に掲げてありまする教育の到達すべき目標を達成する為には、教育を取扱ふ者、教育に従ふ者は斯う云ふ風な心構へを以てやらなければならないと云うことを謳つて居るのであります。即ち是は学校の種類、程度、段階等におきまして、それぞれ重点は或いは違うかもしれませぬが、「学問の自由を尊重し、実際生活に即し」、唯学問の自由を尊重するだけで実際生活から全然遊離してしまうというようなことがあっては困りますので、「学問の自由を尊重し、実際生活に即し」というように致しましたが、是も学校の程度に依りまして、大学の場合と小学校の場合とは、それぞれその重点の置き所が違うことは当然であります。「自発的精神を養い」、是は学校の生徒が上から、先生から物を授けられると云うだけでなしに、生徒、児童が自発的に勉強して研究していくという態度、精神を養うという意味であります。「自他の敬愛と協力によって」と申しますのは、先程大臣から御説明がありましたように、是は相互の互に敬愛することと、又力を協せるということに依って、従来の色々欠陥であります所のものを矯正して、そうして立派な日本国としての文化を創造していかなければならぬ訳でありますので、この「自他の敬愛と協力によって」と、従来比較的欠陥となっておりましたようなことに付きまして掲げたのであります。大体以上が第二条の内容でございます。


3条(教育の機会均等)  すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2   国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

本条の趣旨
憲法第14条第1項及び第26条第1項の精神を具体化したもの。
第1項前段は、国は、国民が能力に応じて教育を受ける機会を均等に与えなければならないものであり、それを妨げてはならないことを、後段は、単に教育を受ける機会を均等にするのみならず、教育のあらゆる場合において能力以外の事由によって差別的取り扱いをしてはならないことを示したもの。
  なお、憲法第14条と比べて、「経済的地位」が列挙に追加されている。
第2項は、憲法第26条第1項の精神を拡充して、能力がありながら経済的理由によって修学困難な者に対して、国及び地方公共団体は奨学の方法を講じる義務を負うことを明らかにしたもの。具体的には、義務教育段階及び盲・聾・養護学校への就学援助・奨励、日本育英会奨学金、授業料免除措置等がある。


「ひとしく、その能力に応ずる」
  人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地のいかんにかかわらず等しく教育の機会を提供することをいうが、すべての児童生徒に同一の教育を与えることを意味するものではなく、個人差に応じる教育を施すものである。

(関係法令)
憲法
第14条第1項  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第26条第1項  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

帝国議会における第3条(教育の機会均等)に関する主な答弁

【教育の機会均等をいかに実現するつもりか】
○昭和22年3月14日衆議院・教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  この第三条は、第一項の前段におきましては、教育の機会均等の本質を述べ、次に人種、信条、性別以下は、これは教育を実施する上におきまして、こういう風な事項によつて差別をされてはならないということをうたつたものであります。入学の際、あるいは入学の後の教育実施にあたつての問題を、すべてここに包含しておるつもりであります。次に第二項におきまして、特に能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対しましては、奨学の方法を国及び地方公共団体において講じなければならないのであります。これにつきましては現在も行われておりますが、一層義務教育におきましては修学奨励ということの方面に力を尽くしたい。また義務教育以外の教育におきましては、育英事業を拡充いたしまして、その徹底を期するようにいたしたいと存ずるのであります。

【第3条を規定した理由】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  教育の機会均等につきましては、文部省として最も大切に考えておりまして、従ってこの教育の方針の次に第3条に特に提示した次第でございます。


4条(義務教育)  国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2   国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

本条の趣旨
憲法第26条第2項の規定を受け、義務教育の年限を9年と定めるとともに、義務教育の無償の意味を国公立義務教育諸学校における授業料不徴収ということで明確にしたもの。

(関係法令)
憲法第26条第2項  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

「九年の普通教育」
  普通教育とは、通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指すとされ、義務教育と密接な関連を有する概念である。
  九年の具体的な内訳については、教育基本法は特に規定せず、学校教育法に委ねている。
   
「義務を負う」
  親には、憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが、この義務教育は、国家的必要性とともに、このような親の教育権を補完し、また制限するものとして存在している。

「けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき義務を完うせしめんとする趣旨に出たものである」(昭和39年2月26日最高裁大法廷判決)
(関連条文)
民法第820条  親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
児童の権利に関する条約第18条第1項  (前略)父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。(後略)

「授業料は、これを徴収しない。」
  憲法は「義務教育は、これを無償とする。」と規定しており、この「無償」とは、「子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である」と解するのが通例である。
  なお、現在は教科書無償措置法等により、義務教育段階においては国公私を通じて教科書も無償となっている。

(参考)我が国の義務教育制度の構造(中等教育学校及び盲・聾・養護学校関係を除く)

1 憲法
  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。
  ……憲法第26条第2項
   
2 就学義務と年限・年齢
  9年間の普通教育の就学義務
  ……教育基本法第4条
    保護者は、子女を満6才から満12才まで小学校に、その修了後満15才まで中学校に就学させる義務を負う。
  ……学校教育法第22条、第39条
   
3 義務教育諸学校の種類と修業年限
  小学校は6年、中学校は3年
  ……学校教育法第19条、第37条
   
4 義務教育諸学校の設置義務
  市町村は、必要な小学校、中学校を設置しなければならない。
  ……学校教育法第29条、第40条
   
5 義務教育の無償
  国、地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。
  ……教育基本法第4条
学校教育法第6条

 

(参考法令)

学校教育法
第6条   学校においては、授業料を徴収することができる。ただし、国立又は公立の小学校及び中学校、これらに準ずる盲学校、聾学校及び養護学校又は中等教育学校の前期課程における義務教育については、これを徴収することができない。
   
第19条   小学校の修業年限は、六年とする。
   
第22条   保護者(子女に対して親権を行う者、親権を行う者のないときは、未成年後見人をいう。以下同じ。)は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部に就学させる義務を負う。ただし、子女が、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまでに小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了しないときは、満十五歳に達した日の属する学年の終わり(それまでの間において当該課程を修了したときは、その修了した日の属する学年の終わり)までとする。
2   前項の義務履行の督促その他義務に関し必要な事項は、政令でこれを定める。
   
第29条   市町村は、その区域内にある学齢児童を就学させるに必要な小学校を設置しなければならない。
   
第37条   中学校の修業年限は、三年とする。
   
第39条   保護者は、子女が小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十五才に達した日の属する学年の終わりまで、これを、中学校、中等教育学校の前期課程又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の中学部に就学させる義務を負う。
2   前項の規定によつて保護者が就学させなければならない子女は、これを学齢生徒と称する。
3   第二十二条第二項及び第二十三条の規定は、第一項の規定による義務に、これを準用する。
   
第40条   第十八条の二、第二十一条、第二十五条、第二十六条、第二十八条から第三十二条まで及び第三十四条の規定は、中学校に、これを準用する。この場合において、第十八条の二中「前条各号」とあるのは、「第三十六条各号」と読み替えるものとする。

 

帝国議会における第4条(義務教育)に関する主な答弁

【国家の義務と規定すべきであり、国民を主語にするのなら権利ではないのか】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<辻田政府委員>  新憲法26条を受けて、憲法の内容を裏づけてそれぞれの国民の立場から書いたわけでありますが、国民の立場から権利があると同時に、また九年の普通教育を受ける義務教育を負うというふうにしたのであります。

【9年の義務教育】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<剣木政府委員>  現在の国力の状態からして、義務教育を九年といたしますことを、適当であると判断されたのであろうと考えます。(中略)まず6・3の9年を実施いたしました上で、将来国力の許す範囲におきましてこれの延長をはかっていきたいと考えております。

【無償の範囲】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  各国の立法例等も十分研究いたしましたが、わが国の財政上の都合、その他を考慮いたしまして、今日においては授業料を徴収しないことを、憲法の「無償とする」という内容にいたしたいということにいたしまして、ここにそれらを明らかにした次第でございます。

【私立学校が授業料を徴収することも憲法上差し支えないのか。】
○昭和22年3月22日貴族院教育基本法案委員会
<剣木政府委員答弁>  国が致しまする場合は当然無償になる訳であります。併し無償の所に行けるにも拘らず、自分の方で私立学校に入りまして、月謝を出しても宜いと云ふ、受け得る権利を放錯致しまして、私立学校に入つた場合には、其の私立学校で授業料を払つて差支ない、一応斯う云う風に解釈して宜いと云ふことに致したのであります。


5条(男女共学)  男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。

本条の趣旨
憲法第14条第1項の精神を敷衍したもの。
教育における男女平等については、教育基本法第3条で既に規定されているが、女子の社会的地位の向上を図るため女子教育の向上が特に必要との考えから企図された規定である。
「男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならない」とは、男女が相互に人格を尊重し、価値を認め、理解し、その相互敬重の念の上に、社会のあらゆる活動において相互の特性を発揮し相補うことを意味する。
「教育上男女の共学は、認められなければならない」とは、1法律において男女共学の真価を認め、男女共学を推奨すること、2男女共学を国及びその機関が禁止しないこと、3同時に、男女共学を強制するものではないこと、とされている。
さらに、この規定は、教育は原則として男女共学で行われることが本来の在り方であるという視点も含まれていると考えられる。

(関係法令)
憲法第14条第1項  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

「男女は、互いに敬重し、協力し合わなければならない」
  旧来の日本においては、男尊女卑の観念と男女七歳にして席を同じうしないという両性の孤立主義が全く払拭されたものとは言い難いものがあり、この根本的な改革は主として教育の力にまたなければならないことを受けた規定。
   
「男女の共学は、認められなければならない。」
  男性と同水準の教育を求めて、男性しか入学を認められていなかった学校に、女性が入学許可を求める形で、女性の教育を受ける権利が要求されてきた歴史的経緯を踏まえたもの。
  戦前の日本においては、旧制高等学校への女子の入学は認められておらず、その結果、旧制官立大学への進学も著しく限られていた。同時に、中等教育においても、男子の中学校と女子の高等女学校とは別学であり、修業年限にも差があった。



帝国議会における第5条(男女共学)に関する主な答弁

【第5条を規定した理由】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  憲法第14条の精神をここへもってまいります場合に、基本法第3条の教育の機会均等に一応包含されるわけでありますが、従来、男女別学といいますか、分学と申しますか、男女共学というようなことについて、あまり考えられておらなかったし、また非常に男女の間に差別的な取扱いが行われておりましたので、この際特にこの男女の平等という、差別をしないという立場からいっても、また一方には今後一層民主的な平和的な国家を建設していきます場合に、特に男女が互いに協調し協力し合わなければならぬ。これを教育に生かす場合に、共学というような方法で行われるのが最も適当であるというふうに考えられまして、ここに非常に大切なことだと認めまして、これを特筆したわけであります。

 

男女共同参画社会基本法(平成11年6月23日  法律第78号)(抄)

(定義)
第二条   この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
  男女共同参画社会の形成  男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。
  (略)
   
(男女の人権の尊重)
第三条   男女共同参画社会の形成は、男女の個人としての尊厳が重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として、行われなければならない。
   
(国の責務)
第八条   国は、第三条から前条までに定める男女共同参画社会の形成についての基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策(積極的改善措置を含む。以下同じ。)を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。
   
(国民の責務)
第十条   国民は、職域、学校、地域、家庭その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、男女共同参画社会の形成に寄与するように努めなければならない。

 

6条(学校教育)  法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
(第2項  略)

本条の趣旨
教育を行う主たる機関として学校の法的性格、及び学校の基礎を強固にし、学校の性格にふさわしい活動が行われるための設置者の資格について明示したものである。

法律に定める学校
  教育基本法は、学校教育法の定める学校制度を念頭に置いて規定していることから、ここにいう「法律に定める学校」とは学校教育法第1条に定める学校のことを指し、具体的には、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園をいう。

(関係法令)
学校教育法第1条  この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする。

  学校教育法第82条の2(専修学校)、第83条(各種学校)などは、「法律に定める学校」以外の教育施設となる。

公の性質
  学校が「公の性質」を有するとの意味について、広く解すれば、おおよそ学校の事業の性質が公のものであり、それが国家公共の福利のためにつくすことを目的とすべきものであって、私のために仕えてはならないという意味とする。
  狭く解すれば、法律に定める学校の事業の主体がもともと公のものであり、国家が学校教育の主体であるという意味とする。

  辻田力・田中二郎監修、教育法令研究会著「教育基本法の解説」は、本条の解釈として狭義説を妥当とする。

  本条の規定は、憲法第89条の「公の支配」との関係を念頭において規定されたものであり、学校が公の性質を有し、またその設置者も公あるいはそれと同等と考えられるものに限定している。

法律に定める法人
  学校教育法第2条に定める法人のことを指し、具体的には、学校法人及び放送大学学園をいう。
  「公の性質」を持つ私立学校の設置者について、組織、資産等の面でそれにふさわしい永続性、確実性、公共性を担保するため、「法律に定める法人」と規定し、法律の定めによった目的法人によって設置されることとした。(民法上の財団法人を不適当とした。なお、当分の間の措置として学校教育法第102条がある)。

(関係法令)
学校教育法
第2条  学校は、国、地方公共団体及び私立学校法第三条に規定する学校法人(以下学校法人と称する。)のみが、これを設置することができる。
2 この法律で、国立学校とは、国の設置する学校を、公立学校とは、地方公共団体の設置する学校を、私立学校とは、学校法人の設置する学校をいう。
3 第一項の規定にかかわらず、放送大学学園は、大学を設置することができる。

第102条  私立の盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園は、第二条第一項の規定にかかわらず、当分の間、学校法人によつて設置されることを要しない。
2   私立学校法施行の際現に存する私立学校は、第二条第一項の規定にかかわらず、私立学校法施行の日から一年以内は、民法の規定による財団法人によつて設置されることができる。

私立学校法
第2条  この法律において「学校」とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条に規定する学校をいう。
2  (以下略)

第3条  この法律において「学校法人」とは、私立学校の設置を目的として、この法律の定めるところにより設立される法人をいう。


※私学助成関係では、
憲法第89条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のた  め、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に  供してはならない。

私立学校法第59条  国又は地方公共団体は、教育の振興上必要があると認める場合には、別に法律で定めるところにより、学校法人に対し、私立学校教育に関し必要な助成をすることができる。


帝国議会における第6条第1項(学校教育)に関する主な答弁

【学校教育は本来、国家がやるべきものという考えなのか。】
○昭和22年3月20日貴族院教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁>  此の六条に規定してございまするやうに、学校教育………学校教育は公の性質を持つものであると云ふことに相成つて居るのでございまするが、学校は国が経営する場合もございませうし、地方の公共団体が経営する場合もありませうし、又法律に定めましたところの法人が経営する場合もある訳でございます。是等の何れも皆公の性質を持つものであるのであります、今日私立学校は多く財団法人の形を取つて居りまして、極めて稀に社団法人になつて居るやうに聞いて居りますので、将来に於きましては、此の教育を目的とする特殊の法人と云ふものを設けまして、是等のものを律して行きたいと、斯う考へて居るのでございます。

【法律に定める学校】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<剣木政府委員答弁>  基本法で申します「法律に定める学校」とございますのを承りまして、近く御審議を得る予定でございます学校教育法に、この法律に定める学校とはと定めまして、はっきり法律で定める学校を限定いたしたのでございます。それは、小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園、これだけのものを法律で定める学校といたしまして、(中略)この学校に定めていない学校のことにつきましても、雑則をもって触れているのでありま(す。)」

○昭和22年3月20日貴族院教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  第6条の「法律に定める学校」と申しますのは、近く御審議を仰ぎまする学校教育法に定める学校と云ふ意味でございます。此の第6条から11条を承けまして学校教育法が出来ますので、学校教育法案に依るものでございます。従って小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾唖学校、養護学校及び幼稚園とすると云ふことでありまして、公立学校のみでございませぬ、私立学校も勿論含みます、それから尚純粋でないと云ふ御言葉がございましたが、法律に定めない学校と申しますのは、能く一般に各種学校と言はれて居る学校であります。
<辻田政府委員答弁>  教育基本法に於きまして「法律に定める」と致しましたのは、先程申しますやうに、こゝに謳ひまして、11条が之を承けて、11条からして学校教育法を今作成して、そこで明かにすると云ふことでありまして、従来は勅令で決って居りましたのが、今度は法律で定めると云ふ考でございます。

6条第2項  法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

本条の趣旨
学校教育の直接の担当者である教員について、その性格、使命、職責について示すとともに、職責の遂行を全うからしめるために身分尊重及び待遇の適正化の必要を規定したもの。
   
   
「全体の奉仕者」
  教育基本法第10条第1項に規定するように、教育は国民全体に対する責任において行われるべきものであるので、国公立はもちろん、私立学校の教員もすべて国民全体に奉仕すべきものであることから、公務員に関する憲法第15条第2項の規定を参考にして、法律に定める学校の教員は全体の奉仕者として公務員的な性格をもつ旨を規定したもの。

(関係法令)
憲法第15条第2項  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

教育公務員特例法第1条  この法律は、教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き、教育公務員の任免、分限、懲戒、服務及び研修について規定する。

「自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない」
  一般公務員もまた全体の奉仕者であるが、教員は、それ以上に、教育者としての使命があるはずであり、そのことを示すものである。
  なお、教育基本法は、教員の使命の具体的内容について明記していない。
   
  教育公務員特例法第19条第1項  教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。
   
「教員の身分は、尊重され、その待遇の適正」
  戦前の教員は、国の官吏として扱われていたが、実際は一般官吏に比べて待遇が悪く、給与も低い状況にあった。それを踏まえ、私立学校も含めた「公の性質」を有する学校に勤務する教員の「身分の尊重」と「待遇の適正」を図ることを意図して規定されたものであり、昭和24年に国公立学校の教員を対象とした「教育公務員特例法」が制定された。
   
  教員の人材確保法
  教員の給与については、戦後すぐに一般官吏並への改善が行われたものの、一般公務員や民間企業の給与水準と比較しても決して高いものではなく、その後の目覚ましい経済成長の中で、優秀な人材が教職以外の職域を目指し、教育の場に人材が集まらなくなる傾向が出てきた。このような状況を踏まえ、特に義務教育は国民としての基礎的資質を養うものであることから、優れた人材を確保し、学校教育の水準の維持向上に資するため、昭和49年2月には「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」(通称人確法)を制定し、これに基づき昭和53年4月までの間に3次にわたって教員給与の計画的改善が実施された。


(参考)

帝国議会における第6条第2項に関する主な答弁

【教員の身分の取り扱いについてどのように考えているのか】
○昭和22年3月14日衆議院教育基本法案委員会
<辻田政府委員>  新憲法の第十五条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という言葉がありますが、法律で定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、一部の人の奉仕者でないという意味を裏に含んであります。そうして教育者としての自己の使命を自覚してその職責の遂行に努めなければならない。これは前段におきましては教員の性格といいますか、本質を明らかにして、またその向かうべきところを明示したわけであります。次にはこうこう大事な仕事に携わつておられる方々であるから、この方々に対しては身分が尊重され、待遇の適正が期せられなければならないというふうに、これは国なり公共団体なり、その他の教育行政に当る者等の考うべき途を示したのでございます。


【教員の職責の遂行だけでなく、教えを受ける者の心掛けも規定すべきではないか】
○昭和22年3月20日貴族院教育基本法案委員会
<高橋文部大臣>  学生に関しましては特殊な規定は設けられて居らぬのでありまするが、第二条にありまするやうに「自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」と云ふ風に述べられて居るのでありまして、学生は学生の分を守つて学校当局者の権益を害すると云ふやるなことのないやうに、自他の敬愛と協力によって進んで行くべきものである、此の条項に依って学生を指導して参りたいと考へて居るのでございます。


7条(社会教育)  家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
2   国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。

本条の趣旨
教育基本法第2条を受け、学校のみならず、社会のあらゆる場所で教育が実施されうるようにする必要がある。この趣旨から、社会教育が重要であることを前提として、一般に社会において行われる教育を尊重し、国及び地方公共団体がこれを積極的に奨励する方策を講ずべきこと(第1項)、及び国及び地方公共団体が自ら社会教育を行う場合の方法を示した(第2項)もの。
   
   
「社会教育」
  教育基本法は、社会教育の定義について何ら規定していない。広義では、社会教育法における社会教育の定義のように、学校教育に対するものとして学校教育以外の教育を包含する概念と捉えられる。
  一方、家庭教育は本来的に社会教育とは別の概念であると考え、学校教育及び家庭教育以外の教育とする狭義の考え方もあり、本条の「社会において行われる教育」は、後者と考えるのが適当である。

(関係法令)
社会教育法第二条  この法律で「社会教育」とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーシヨンの活動を含む。)をいう。

「家庭教育」
  家庭教育は、あらゆる教育の出発点であり、その基礎となるべきものであるが、学校教育の発展とともに、その機能がややもすれば軽視されやすい傾向にあるとの問題意識の下に、家庭教育の任に当たる父母等がよく家庭教育を行えるよう、国及び地方公共団体は、心身の修養に努める機会を与える努力をしなければならないことを定めるもの。

(関係法令)
民法第820条  親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

児童福祉法第2条  国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。

児童の権利に関する条約第18条第1項  (前略)父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。(後略)

「勤労の場所」
  おおよそ職業を持ち、肉体的、精神的労働たるを問わず、なんらかの勤労に従事する者に対して、その勤労の場所に即してなされる教育の意味である。
  なお、労働者を対象とした職業訓練は、職業能力・技能開発等を目的とする場合も多く、社会教育とは若干性格が異なるものと解されている。
   
「その他社会において行われる教育」
  職場の社会や地域の社会など、人間生活の実態に即して様々な社会が構成されるものであり、その社会環境に即してなされる教育という意味である。
   
「図書館、博物館、公民館等の施設の設置」
  いずれも、施設の例示である。
  戦前は、図書館・博物館等が、諸外国の例に比すると、その数、設備において極めて不十分であり、今後、その増設と内容の充実並びにその積極的活用が図られなければならないことから規定されたもの。
  なお、公民館とは、町村民のための文化教養の機関で、郷土における公民学校、図書館、博物館、公会堂、町民集会所、産業指導所などの機能を併せ持つものとして構想されていた。
   
「学校の施設の利用」
  従来、我が国の学校があまりにも閉鎖的であったという問題意識から、学校は、学校教育に支障のない限り、社会教育のために、その施設を提供しなければならないことを示したもの。
  学校教育法第85条及び社会教育法第44条は、本条を受けた規定である。

(関係法令)
学校教育法第85条  学校教育上支障のない限り、学校には、社会教育に関する施設を附置し、又は学校の施設を社会教育その他公共のために、利用させることができる。

社会教育法第44条第1項  学校の管理機関は、学校教育上支障がないと認める限り、その管理する学校の施設を社会教育のために利用に供するように努めなければならない。  

学校施設の確保に関する政令第3条第1項  学校施設は、学校が学校教育の目的に使用する場合を除く外、使用してはならない。但し、左の各号の一に該当する場合は、この限りでない。
    一  法律又は法律に基く命令の規定に基いて使用する場合
    二  管理者又は学校の長の同意を得て使用する場合

(参考)

帝国議会における第7条に関する主な答弁

【7条2項は憲法89条に抵触しないのか】
○昭和22年3月22日貴族院教育基本法案委員会
<辻田政府委員>  教育基本法の第七条第二項に於きまして「国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。」是は社会教育の従来非常に不振でありました点を改めまして、今後民主的な、平和的な、文化的な国家を建設する上に於て、社会教育が非常に重要である点を認めまして、特に国及び地方公共団体は此の点に留意しなければならないことに付て茲に謳つて居るのでございます。従つて直接には新憲法の八十九条と関連しての問題ではないのでありますけれども、併し只今御質疑がありましたやうに、八十九条の後段の「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」とありまして、勿論「公の支配に属しない」と云ふのは矢張り教育にも掛つて居るのでございますが、是は教育に付て例を申上げますと、一私人が育英的な方面に経費を出して居ると云ふ風な育英事業等もございますが、さう云ふ風な一私人が出して居られるやうな事業に対しては、公の支配に属しない教育の事業と云ふ風に解釈して居るのでございます。従つて一定の法規に基きまして国又は地方公共団体が事業をして居ります場合には、それは公の支配に属する教育の事業と云ふ風に解釈して宜いだらうと思ひます。


【家庭教育の在り方についても国が立ち入って監督するということか】
○昭和22年3月20日貴族院教育基本法案委員会
<辻田政府委員>  家庭教育の内容に一々個々の家庭に付てあれ是れする訳ではございませぬが、法に於きましては家庭教育を含めました広い意味の社会教育が従来非常に我が国に於ては発達して居なかつたのでありまするので、今回は社会教育を非常に重視致しまして、家庭教育を含めました社会教育と云ふものが、国及び地方公共団体に於きまして大いに奨励されなければならぬと云ふ大方針を謳つた訳でございます。


8条(政治教育)  良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2   法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

本条の趣旨
第1項は、民主主義を実現するためには、国民の政治的教養と政治道徳の向上が必要であることを踏まえ、政治教育において最も尊重されるべき事項を規定するもの。
第2項は、学校教育における政治教育の限界を示し、特定の党派的政治教育を禁止することにより、教育の政治的中立を確保しようとするもの。
   
   
「良識ある」
  単なる常識以上に「十分な知識をもち、健全な批判力を備えた」という意味。
   
「公民」
  国民が公の立場から社会形成に参加していく関係(広義の公民)に、政治的、経済的、社会的生活の3つがあるとして、積極的に政治的な関係に入る場合の国民という意味であり、政治的観点からみた国民の意。
   
「政治的教養」
a. 民主政治、政党、憲法、地方自治等、民主政治上の各種制度についての知識
b. 現実の政治の理解力及びこれに対する公正な批判力
c. 民主国家の公民として必要な政治道徳、政治的信念
   
「教育上尊重する」
a. 政治的教養を養うことは、学校教育においても社会教育においてもこれに努めなければならないこと。
b. 教育行政の面で政治的教養を養うことができるような条件を整えること。
   
「法律に定める学校」
  学校教育法第1条に定める学校を指し、専修学校、各種学校等は含まれない。なお、「学校は」とは、「学校教育活動の主体としての学校自体は」の意であり、学校教育活動として行われる限り、学校内外(家庭訪問等)を問わない。
   
「政党」
  「一定の政治理想の実現のために政治権力への参与を目的とする結社」のことであり、政治権力への参与を目的としない、単に政治に影響を及ぼすことを目的とする政党以外の政治結社は、政党に含まれないとされている。(しかしながら、学校が政治的に中立であるべきということ、及び第10条第1項の規定の趣旨を踏まえれば、「政党」に該当しない政治結社を支持し又は反対するような教育は許されないと考えられる。)

 

(参考)

帝国議会における第8条に関する主な答弁

【公民とは何か】
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<辻田政府委員答弁>  それから第八条の公民でございますが、是は政治的な観点から見た国民と云ふ風な考へ方でございまして、此の第八条は政治に関する教育の点を主として考へました為に、特に政治的観点から国民を眺めて公民と云ふ言葉を使つたのであります。尚従来立憲治下の民を公民と云ふとか、其の他色々法規の上にも公民と云ふ言葉が使はれて居る場合がありまするし、又教育上の公民教育とか色々言はれて居りますが、精神に於ては大体同じやうなことではなかつたかと思ひますが、併し此の基本法に於きましては、只今申しますやうな政治的な立場から見た国民と云ふ風なことにして居るのであります。


【政治的教養は教育上これを尊重しなければならないとはどういう意味か。】
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<辻田政府委員答弁>  第八条第一項でございますが、「良識ある公民たるに必要な政治的教養」は、社会教育に於きましても学校教育に於きましても、これを尊重して実施しなければならない、斯う云ふ意味でございます。


【学校における政治的活動の限度、基準は何か】
○昭和22.3.14  衆・教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁>  法律に定める学校というものは、特定の政党を支持し、あるいはこれに反対するところの政治教育、その他政治的活動をしてはならぬという規定が設けられておるのでありまして、むろん思想の自由は尊重いたすのでありますが職場を利用して、ある一定の政党を支持する  (中略)  というようなことがあるならば、断じてこれを許容することはできないと考えておるのでありまして、この点は強硬なる態度をもつて臨みたいと考えておるのでございます。


【学校としてではなく学生、生徒、教職員が学園内で行う政治的活動は許されるのか】
○昭和22.3.15  衆・教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁>  教育活動中におきまして、特定の党派を支持し、またはこれに反対するための政治教育その他政治的活動をいたしますることは、その基本法第八条におきまして、相ならぬことと考えるのであります。学生の場合でありまするが、これは昨日も一言触れたかと思いまするが、思想の自由を尊重いたしまするので、学生が特にある特殊の思想、あるいは政見を研究いたしますることは、むろん自由でありまするしまた進んで運動に移しますることも、決してこれを禁止はしないのでありまするが、しかしながら教育の目的を達成いたしまするがために、学園の秩序を維持するため、一定の制限があることは、申すまでもないことであると存ずるのであります。この制限がいかなる限界を有するものであるかということにつきましては、各段階の学校によりまして、それぞれ差別があることと考えるのであります。この点の判断は、一に学生そのものの自覚と、学校長、学校当局の判断任せられるべきものと考えておるのでございます。


【学校で特定の政党の政策を批判することは許されるのか。】
○昭和22.3.22  貴・教育基本法案特別委員会
<日高政府委員答弁>  是は其の場合に依つて多少違ふかと思ひますが、大学等に於て政治学を教へるやうな場合に、或党派の政策を批判するやうなことは私は一向差支ないと思ひます。唯一党一派を支持したり、排斥したりするやうな意味に於て、批判でなしにすると云ふ、其処が抵触するかと思ひますが、是はどの程度でそれが此の条文に抵触するかしないかは、寧ろ学校並びに学校の教員達の判断に委せるより、致し方ないと思ひますが、此の精神は、特定のものを支持したり、特定のものを排斥したりすると云ふやうな、政治的な偏頗な意見を強いる、其処の強いるか強いるに近いやうな態度がいけないと云ふことであつて、自由な批判検討は許さるべきものだと思ひます。

 

9条(宗教教育)  宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
2   国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

本条の趣旨
本条は、憲法第20条第3項を受けた規定。
第1項は、すべての教育を通じて、宗教教育が重んぜられるべきことを前提として、宗教教育の在り方を示すもの。
第2項は、憲法の政教分離の規定を受けて、国公立学校の宗教的中立性、すなわち宗教教育の限界(特定の宗教のための宗教教育ないし宗教的活動の禁止)を示すもの。

(参考法令)
日本国憲法
第20条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2   何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3   国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

「宗教に関する寛容の態度」
  宗教を信ずる又は信じないことに関して、また宗教のうち一定の宗派を信ずる又は信じないことに関して、他宗教ないし他宗派をそれと認めつつ、侮べつ、排斥をしないこと、ゆるしいれることであり、さらに反宗教者に対しても寛容の態度をとること
   
「宗教の社会生活における地位」
  宗教が歴史上社会生活において果たしてきた役割、過去の偉大なる宗教家の人格、宗教が現在の社会生活に占めている地位、及びその社会的機能、及び宗教の本質等を、一宗一派に偏することなく、客観的態度で教材の中に取り入れること
   
「特定の宗教のための宗教教育」
  学説上、以下のいずれも禁止されると解するのが有力。
a. 特定の宗教のための宗教教育
b. すべての宗教のための宗教教育(宗教一般を宣伝する目的で行われる教育)
c. 宗教を排斥することを目的として行われる教育
   
「宗教的活動」
  「宗教的活動」の意味については、「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助言、促進又は圧迫、干渉等となる行為」(昭和52年最高裁判決)とされている。


(参考)

帝国議会における第9条に関する主な答弁

【第9条第1項は憲法に違反するのではないか。】
○昭和22.3.14  衆・教育基本法案委員会
<辻田政府委員答弁>  第九条と憲法の第二十条との関係でございますが、これは第九条の内容をお説明申し上げますとよくおわかりくださると思いますが、「宗教に関する寛容の態度」というのは、宗教を信じておる者相互における寛容の態度を包含することはもちろんでありますが、そのほかに反宗教者、無宗教者に対する寛容の態度ももちろん包含されております。宗教に対すると書かず、「宗教に関する寛容の態度」と書きましたのは、要するにそういう意味でありまして、憲法の第二十条信教の自由は何人に対しても保障するというのにも矛盾せずに、むろし強調したものだと存じておる次第であります。
  次に宗教の社会的地位ということでございますが、宗教が社会生活の上においてこういう地位をもっておるということを、知識的に説明するだけでありまして、これは憲法第二十条の信教の自由を保障されることについて矛盾しないものと存じておる次第でございます。


【第9条第1項は、堕落した宗教も含めて社会上の優位性を認めるものではないのか】
○昭和22.3.14  衆・教育基本法案委員会
<高橋国務大臣答弁>  宗教に関する寛容の態度は、教育上これを尊重しなければならない。宗教の社会生活における地位は教育上これを尊重しなければならないというより、むしろ重点は寛容の態度に置かれておるのでありまして、宗教の社会生活における地位を尊重していかなければならぬ。その地位を特に重んずるというのでなくして、その地位がいかにあるかということを重視していかなければならぬ、こういう意味に解釈すべきものと考えております。この法案成立の歴史を申しますると、最初はむしろ宗教的情操の涵養を説くということになつておつたのでありますが、かくのごときものは改めたらよいだろうという意見が強くなつてまいりまして、そうしてここには、特に宗教に関する寛容の態度を尊重しなければならぬ。かくのごとく改められた次第でございます。


【第9条は宗教的情操の重要性を無視していないか。】
○昭和22.3.22  貴・教育基本法案特別委員会
<高橋国務大臣答弁>  此の点に関しましては少し歴史がございまするので、最初は宗教的情操の涵養云々と云ふ文字になつて居つたのでございます。寧ろ宗教的情操を涵養せしめることを謳つて居つたのでありまするが、去る方面の意見に依りまして、之を削りまして、単に宗教に関する寛容の態度が記されることになつたのであります。積極的に宗教的情操を涵養する必要を説いて居つたものでありまするが、其の後になりまして寧ろ消極的な規定になりましたのでありますが、併しながら其の次に宗教の社会生活に於ける地位を尊重しなければならぬと云ふことが述べられて居るのでありまして、宗教の社会生活に於ける地位が尊重せられるに連れまして、自ら又其処に宗教的情操と云ふやうなものも湧いて来ることになりはしないか、こんな風に考へて居るのでありますが、只今申しましたやうな経緯を経て居るものでありますことを、御了承願いたいと考へるのでございます。


【宗教教育を教育上尊重するとはどういう意味か。】
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
(「第九条に宗教教育と云うことをお決めになつたのは、宗教と云うものを教育上重んじて、そうして宗教心と云ふものを成るべく国民に持たしむる、さう云ふものとはこの規定は関係ないのでございすね、所謂宗教教育其のものを重んずると云ふのではなしに、宗教に付いては皆、無宗教でも宜し、如何なる宗教でも宜いと云ふ、憲法上の精神を唯此処に梢々具体的に謳われたと云ふのであるのでありませうか、或いは宗教と云ふものは重大なものであるからして、宗教を重んずると云ふやうな思想を入れる、斯う云ふことになるのですか、その点を伺ひたいのです。」との質問に対し)
<辻田政府委員答弁>  御答へ申し上げます、只今先生の先きにお話になつた通りであります。


【所謂宗教的情操とは何か。】
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<稲田政府委員答弁>  公立の学校に於きまして所謂宗教的情操の涵養と申しますのは、前段に於て御引用になりましたやうに、宇宙の神秘でありますとか、生命の不可思議でありますとか云ふやうようなことに対しまして、非常に敬虔な念を起すと云ふやうな所迄導いて参る訳であります。其の上に於いてさうした気持から一人々々が或は仏教に進み、或はキリスト教に進む、是は公立学校の領域ではございませぬので、其の素地を培ふと云ふ程度に致したいと思つて居ります。


【第9条第2項の宗教教育とはどのような意味か。】
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<辻田政府委員答弁>  御答へ申上げます。此の基本法の第九条に宗教教育と云ふ言葉がございますが、新憲法の第二十条の第三項に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と云ふ此の宗教教育を承けて居るのでありまして、宗教に関する教育は、全部と云ふ意味ではございませぬ、特定の宗教に関する教育と云ふ風に考へて居ります。従つて宗教に関する知識、例へば宗教学と云ふ風なことに付きましては差支ないと思つて居ります。


【宗教教育は信仰心を養う教育か、知識を養う教育か。】
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<稲田政府委員答弁>  一般の宗教教育と申しますか、宗教情操の涵養と云ふ点に付きましては、御話のやうな歴史でありますとか、或は宗教の偉人の伝記其の他、其の上の方の段階になりますと、世界には現在色々な宗教があつて、それぞれの宗教は斯うした教養を持つて居ると云ふやうなことを、今辻田委員から申しましたやうに、知識として教へると云ふことがあり得ると思ひます。是はまあ広い意味の教育でありまして、是は公の学校で許される部分であらうかと思ひます。此の基本法にありまする「特定の宗派のための宗教教育」と申しますると、只今御話の後段でございますが、そこに一つの信仰に導き入るやうな宗教教育、此の基本法の第九条の第二項にあります意味のやうな本当に真剣に特定の宗教に導く宗教、之を指定してあるやうであります。


【第9条第1項は、信仰を養ふ意味の信仰教育について奨励的態度をとるのか。
○昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<稲田政府委員答弁>  第一項の方は先般も申上げましたやうに、例へば宇宙の神秘と云ふやうなものに対して非常に敬虔な態度を養う。是は児童の知識、興味等に依りまして段階はございますけれども、極く下の段階に於ては、例へば種子を蒔いてそれが段々成長する、是は蒔いた人の力だけだらうか、或はそれ以上何かお天道様と土の力、それ以上の何かあるのだろうかと云ふ位に導きまして、所謂宗教心の素地を養ふ、上の方の段階に於きましては、現在の社会生活に於て宗教と云ふものがどう云ふ役割を歴史的にも又現在的にも果たして来たか、又果たしつゝあるかと云ふやうなことを考へさせると云ふやうなことで、広い意味の個々に囚はれないやうな宗教心を養うと云ふことは、是は大いに教育上努めなければならぬことだと思つて居ります。更に又先程申しましたやうな歴史であるとか、或は芸術であるとか云ふやうな面から、宗教が人生社会に於て大きな役割を演じて居ると云ふことを知識としても教へると云うことは、教育上大いに努めていかなければならぬと考へて居ります。
  

10条(教育行政)  教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2   教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

本条の趣旨
第1条以下で明らかにされている教育の目的、方針及び基本的諸原則を実現する「手段方法の基礎」としての「教育行政の在り方一般」を示したもの。
第1項は、教育と国民の関係を規定したもので、教育が国民の信託にこたえて、国民全体に対して直接責任を負うように行われるべきであり、党派的な不当な支配の介入や、一部の勢力の利益のために行われることがあってはならないことを示したものである。
第2項は、教育行政の在り方を規定したもので、教育行政は、第1項の自覚のもとに、教育の目的を達成するために必要な諸条件の整備確立を期して行われるべきものであることを明らかにしたもの。
   
   
「教育は」
  教育者、教育官吏及び教育内容等全てを含めて、一般に教育というものはという意味。
   
「直接に」
  制定当時、「直接にというのは、国民の意思と教育とが直結しているということである。国民の意思と教育との間にいかなる意志も介入してはならないのである。この国民の意思が教育と直結するためには、現実的な一般政治上の意志とは別に国民の教育に対する意志が表明され、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要があると思う。このような組織として現在米国において行われている教育委員会制度は、わが国においてもこれを採用する価値があると思われるのである。」と説明されている。
   
「責任を負う」
  教育が国民から信託されたものであり、教育は国民全体の意志に基づいて行われなければならないのであって、それに反する教育は排斥されなければならないということ。
   
「必要な諸条件の整備」
  昭和51年の最高裁判決において、許容される目的のため必要かつ合理的に認められる教育行政機関による教育内容及び方法に関する措置は、本条の禁止するものではないことが確認されている。

 

(参考)

帝国議会における第10条に関する主な答弁

【「不当な支配」とはどういうものを指すのか。】
◎昭和22.3.14  衆・教育基本法案委員会
<辻田政府委員>  第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育が国民の公正な意思に応じて行はれなければならぬことは当然でありますが、従来官僚とか一部の政党とか、その他の不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによつて教育の内容が随分ゆがめられたことのあることは、申し上げるまでもないことであります。そこでそういうふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配に教育が服してはならないのでありましてここでは教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表したのであります。

【「直接に責任を負つて行われる」とはどういう意味か。「不当な支配に服さず」というのは当然でありあえて規定する必要があるのか。】
◎昭和22.3.19  貴・本会議
<高橋国務大臣答弁>  それから尚第十条「教育は、不当な支配に服することなく、」云々とありまするのは是迄におきまして、或いは超国家的な、或いは軍国主義的なものに動かされると云ふようなことがあつたものでありまするからして、この点を特に規定したものであります。

【学校教育の主体はだれか。】
◎昭和22.3.19  貴・教育基本法案特別委員会
<高橋国務大臣答弁>  地方教育に関しましては、地方分権の主義に則りまして、中央集権を廃して参りたい、斯う云ふ立場にあるのでありまするからして、矢張りそれぞれの地方公共団体が教育をする、斯う云ふことに相成るものと考へて居ります。


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