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現行の教育基本法制定当時、教育法規の国際比較はおそらく行われなかったと思われるので、各国の基本法について検討することは参考になる。例えば、韓国の教育基本法で英才教育・幼児教育をうたっていることは、音楽の世界をリードするような人材が登場していることと無縁ではないと思う。
資料のまとめ方については、資料1の の枠内に「現行の規定に足りないものを補い、付加価値をつけるという見直しの考え方でよいか」とあるが、「付加価値」という表現より「付加する」という表現がよいと思う。また、「一人一人の能力・才能を伸ばす」という視点、学習者の視点がたびたび出てきて強調されているが、これまでの議論の過程では、教師サイドや家庭の責任など、教える側の責任と自覚に関する意見や「国民全体の教育」はどうなのかという視点からの意見も多かったのでこの点をしっかり押さえるべきである。戦後教育は、最初から学習者の立場に力点を置きすぎたことが、現在の教育の混乱を生ぜしめたと思われる。特に初中教育では「型」を教えることをもっと重視すべきではないか。教える側の責務を明確に打ち出すことが必要。
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外国の法律を検討することはよいことだが、基本法だけ取り出して比較しても何も見えてこない。教育法規体系の全体を見る必要がある。例えば、諸外国の基本法に書かれている事項で、日本では学校教育法をはじめとする下位法律に書き込まれている事項がある。そこまで見渡してなおかつ欠けている視点、例えば「学び方」「学校の役割」といった視点は参考にすべきだ。「生徒の責務」も日本の法律には書かれていないが、書くべきかどうか、書くにしてもどのレベルの法律で書き込むべきかについては議論が必要である。
まず、基本法は理念法にとどめるべきか、それともある程度具体的な事項を書き込むものとするのかについて議論すべきである。個人的な意見としては、基本法は理念法にとどめるべきだが、制定から50年以上経過して足りない部分が出てくるのは当然なので、新しい時代を迎えて欠けているものを補う、という形がよいと考える。
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フランスのジョスパン法には、日本でいう学校教育法や学校教育法施行令に書かれているような内容も含まれている。一方、韓国の教育基本法には「他の法律」という文言があり、下位法律の存在を予定している構造である。
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9ページでフランスの小学校に飛び級がある旨書かれているが、落第についても記述すべきではないか。
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事務局 資料2の5ページの参照条文中、学校教育法第22条、同法第39条を見ていただくと、日本の義務教育においても原級留置が想定されていることがわかる。
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フランスの校長にかつてインタビューしたところ、フランスでは保護者の学校への参画が非常に大きくなっているという。例えば原級留置の措置についても、父母と校長の間で協議が行われ、学習者サイドの意思が尊重される仕組みになっているため、校長が自分の意見を通して留年を決めることが難しくなり、その点で校長からはジョスパン法に対する不満が高いとも聞いている。
変えるべきところは変え、新しいものを付け加えるべしということに関連して発言すると、基本理念から抜け落ちているのは、国際社会の形成者としての視点や、公共心、教育への参画ということである。特に参画について強調することで、教育は誰か他人がやるものという考え方から脱却できると思う。また、第2条の「教育の方針」はよくわからないが、異文化の受容や、郷土愛、伝統など教養教育の答申で書かれているようなことを参考にして書くべき。一方、生涯学習については、基本理念のところに一言書き添えれば済むものと思う。
このあたりでそろそろ個別の事項について検討し、議論を収斂させるべきではないか。
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教育理念を法に書き込むべきか、これを学校や教員に委ねるべきか、という視点が、前回の議論で委員から示されたが、例えばフランスや韓国は常識として理解されているものとして法文に表さず、学校に任せている。これをあえて書くかどうかについては、選択の余地がある。また、生涯学習の視点から、学習者の権利の視点を盛り込んでいくかどうかについても検討すべきである。
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資料についてだが、「全体について」のうち最初の視点はこれで構わない。付加価値云々については、全面的な書き直しが必要と考える。3点目については、教育振興基本計画の範囲をどこまで広げるかはともかくとして、このとおりでよいと思う。また、教育に関する根幹的な制度や施策の根拠規定を置くことについては、必要と思う。
個別の条文についていうと、前文は教育の理念の中に包含されるべき。個人的な意見を述べれば、この前文の文章はよくないので根本的に書き直すべきだと思う。第1条については、この中にこそ教育の理念を書き込むべき。おおむね、視点に示されたところでよい。第2条はどうして置かれたのか解らない、不要な条文であると思う。むしろ、枠外に示された視点を盛り込む形で書き直す方がよい。
フランスや韓国の基本法も参考になるが、これからの基本法は、日本人が国際社会の中でいかに生きて行くかということを文字に刻むものであるべき。だから、そのすべてを参考にするのではなく、あくまで日本人の今後の行動のために必要な文言を盛り込んでいくことが大切である。
第4条はこれでよいと思う。第5条については、男女共学が浸透し、男女同権が当然視されるようになっていることを踏まえると、もはや基本法に謳う必要はない。第6条についても、枠外に掲げられた視点こそ重要である。また、国が金を出して公教育が成り立っているのだから、「生徒は学校の規則を守るべき」などの規定を置くべき。第8条・第9条については、おのおの第1項の意味が不明である。全般的に、基本法をいったん解体して、実質的に必要なものを集約する作業が必要ではないだろうか。
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今の発言については、参考1を御覧いただきたい。第2条(教育の方針)についての質疑は6頁。この頃からわかりにくいと言われていたようである。
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まず、どういう姿勢で改正を行うかという了解事項が必要である。現行基本法に足りないものを補うだけですむのか。どうせ見直すのであれば抜本的に全文を書き直すことが必要ではないか。50年前とは社会の状況が大幅に変わっている。特に6条から9条についてだが、もう「政治教育」という言葉は使われない。社会との連携の視点を社会教育に入れる、教育の中立という意味で政治と宗教を分離するなども考えられる。50年前の社会から変化しているところを強調し、変わっていないところは変わっていないように書けばいいのではないか。
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諮問があったということは、そもそもパッチワーク的改正では納まらないからである。21世紀にふさわしいもの、新しい視点に立ってこれから先の50年を見ていくというのが諮問や国民会議報告で言われたことだった。今の規定で使えそうなものは使えばよいが、パッチワークではいけない。それですむのなら、諮問も基本問題部会も必要ない。見直しのスタンスを決めることが必要。
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今のお二人の委員に基本的に賛成。根本的に見直すのであれば、現在の教育についてある種の意思統一や基本的な合意が必要である。今の日本の教育は、初等中等教育では絶対評価にするなど競争を廃して一人の生徒の中で個性がどれだけ伸びたかを測り、高等教育では国際的競争力を付け、競争的環境の中で切磋琢磨しろと言われ、2つが割れてしまっている。教育の根本は何かという意思統一はできるのか、できないのかをはっきりさせないといけない。
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事務局 絶対評価について説明させていただきたい。この点については、新学習指導要領の中で到達度評価という形で示している。絶対評価は到達度評価として従来高校で行っており、それを小・中に取り入れたものである。これは、学習指導要領の内容に照らして、どこまで到達したかの評価であり、一人一人の中での伸びではなくて、客観的な共通の評価基準に基づくものである。
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事務局 教育基本法の根本から見直すという意見はごもっともだと思う。我々もそういうつもりでいる。ただ、一般的に法律改正作業は、実務的に現行規定の足りないところを補い、不要なものを削り、直す必要のないものは残すという手続きになる。見直しに臨む気持ちは我々も同じだが、法改正の技術的な問題があるのでこういう書き方になっていることを御理解いただきたい。
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教育基本法には、「憲法の精神に則り」と書いてある。過去、教育は政争の具にされてきた。それがやっと収まった今、再び政治に巻き込まれず教育は第4権としてやっていきたいと思う。このためにも憲法の規定に関わるところは変えるべきではない。変えるならまず憲法を変えてほしい。
改正すべき点について。日本は、明治以降は初等中等教育、戦後は高等教育、やがて生涯学習の充実を図ってきた。その流れをとらえたとき、もはや追いつけ追い越せではだめで、創造性の育成が重要である。それと絡んで、生涯学習の観点で教育を見たときどうするか。教育振興基本計画などでも生涯学習社会の実現を全体にかかわるものとして位置づけるべき。また、生涯学習振興については基本法に入れ込むのか、生涯学習振興法として外に出すのか。高齢者対策基本法第1条にも「学習」の文言が入っているがこれとのかかわりはどうするのか。自分としては教育基本法でもカバーすべきであると考える。また、学習者の権利を入れるかという問題もある。とにかく、学校教育の転換と生涯学習を含めて、部分的な改正でよい。
「国際社会の形成」については憲法前文でも触れており、基本法には欠けているものである。その観点から、自分たちのことを理解して外に伝えるということで伝統・文化の尊重を入れればいい。
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事務局の発言は、全面改正では国会を通すのが難しいから部分改正でということか。全面書き直しの新法を作ってそれが成立したら旧法を廃案にすることはできないか。教育が政争の具になってきたということは否定はしないが、教育基本法案を出したときにそれを政争に使う程度の政治ならどうにもならない。自分たちはしゃかりきにやる決意が必要。ここでの議論を聞いていても部分手直しでは済まない。全文書き直した方が早いのではないか。
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男女共学の規定について。男女共同参画社会の形成には教育が重要であり、現在でも、この視点は重要ではないか。進路指導にも性差があるのが現状。女子教育の方がよいという意見もあり、全て共学である必要はないが、男女共同参画の視点は重視すべき。
この審議会では、一つ一つ言葉を吟味して、単なるパッチワークではないつもりで審議している。
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まず、50年の歴史をどう見るか。見直すときに、表現を変えるのか、全体を流れるモチーフを見直すのか。国民会議報告や諮問では後者だと言っている。「人格の完成」に全てが含まれるというのなら結構だが。
文部科学省から現行基本法の改正案を出せばいいというだけでなく、どこかの段階で政治的に話をする場が必要ではないか。政治のステップを踏んで出さないと国民合意にならない。
韓国では教育基本法を作って従来の教育法を廃止した。フランスのジョスパン法も改正法ではないはずである。諮問の趣旨及び50年の基本法をめぐる議論に鑑みれば選択肢は2つしかない。しばらくこのままやろうと言うか、今後の50年を見て新しい基本法を制定するかである。
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自分も今回の改正では足りないものを補うだけではすまないと思う。現行基本法の精神さえ残せばいいのではないか。付加だけでは新しいものができない。
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法改正の手続き的には、現行法と新しいものを並べてどこを変えるのかということを明確にするので、前のものは全部消してしまって新しいものをと言われると役所としては恐慌を来すのかもしれない。おそらく手続きとしてはそういうことにならないだろう。ただ、実質的に抜本見直しをしようということについては、委員皆の共通意見だと思う。
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新しい法として出すのか、部分改正としてやるのか、いずれにしても中教審での論議が拘束されることはない。技術的にこうしかできないからこの範囲でというのは本末転倒である。教育基本法の議論は今まで積み重ねた大きな重みがあるものである。
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事務局 先の事務局の発言は法改正の技術的な仕組みのこと。全体としては、21世紀にふさわしい教育基本法の見直しに取り組むことが前提となっており、広く議論して決めていただきたいと考えている。ただ、教育基本法の中には憲法の規定を受けた規定もあり、そこを改正するときには、現在の条文を十分吟味しなければならないということだと思う。
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今の議論は行政府と審議会との関係をどう考えるかというものである。審議会では事柄の内容について議論すればよく、その内容を法律に表現するために、全面改正にするか一部改正にするかという法技術的なことは行政府が考える問題である。
基本法を全面改正するか一部改正するかという議論は、55年経った古い建物を新築するか、又は、家族構成や生活様式の変化に従って増改築をするかというようなことであるが、自分としては増改築に賛成。現にあるものをなくすことに対しての政治的リアクションは大きい。やっと落ち着いて教育の議論をしているときにまた対立を呼び起こしてしまう。
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他の省庁の基本法を見てみると、 旧基本法を廃して、新基本法を制定する、 旧基本法を改正する、 今までの基本法と併行して同様の法律を制定し2本立てにする、という3つの方法がある。自分としては、2本立てに賛成。中途半端な改正をするくらいなら、必要なものについて別に法律を作ればいい。
参考4(前回の議事概要)の1頁の一番下にある自分の意見であるが、そこで言いたかったのは、公教育に関する理念は必要であるが、教育一般についての理念を規律することはおかしいということであるので修正をお願いしたい。内閣法制局の意見も、学校教育以外の教育について言及するのはどうかと疑問を呈している。フランスの教育基本法で定めているのも、公役務としての教育のこと。家庭教育や社会教育も含めた理念を規定できるか。また、そういうものについて理念を定めてもみんなが従うことはあり得ない。
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基本法は本来憲法とのリンケージが強いものである。憲法には手をつけないでまず基本法を改正するという状況は今の政治の怠慢を示すものである。文部科学省からも抜本的見直しを含めて諮問をしたということであれば、新しい時代の基本法のドラフトの起草にとりかかってはどうか。それが全面的な改正か部分的なものになるかは結果の問題である。21世紀の教育を目指すということで考えればよい。その際、国際社会でどう生きていくかということは是非入れてほしい。教育はそもそも政治的なものであり、本格的な政争になればそれはそれで大いに結構だと思う。
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参考1の制定要旨の訓令に、「憲法と関連して」と書かれているが、憲法に関わる部分まで議論するかどうかの整理が次の議論を決める。教育基本法を「不磨の大典」とする意見もあり、「憲法改正への一里塚」と捉える意見もある。基本法を改正するに際して誰がどのような反対論をどのような論旨で出すかを予測し、それに対してどうロジカルに反論するかを考えながら議論すべきである。客観性を強く持った議論をすることにより、国会でも耐えられるのではないか。
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自分は教育基本法の改正は憲法改正の前段階と言っているのではない。今の憲法の枠内で改正できる。教育基本法を改正した結果としてどういう議論がでるかはわからないが、今すぐに憲法改正を前提にして基本法を改正することは考えていない。
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今日までの議論を踏まえて28日の総会で議論してもらう。部会や総会での意見を整理して、今後、新しい教育基本法の柱立ての素案を作る必要があると考える。柱立てをまとめる作業は、部会長、副部会長、事務局、何人かの委員に任せてもらいたい。 |