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資料1

学校教育に関する検討の視点と委員の意見の概要



視点1
  義務教育制度のあり方についてどう考えるか。
  ・就学年齢、就業年限など

【委員の意見】
(学制全般)
  諸外国に比べて、日本は学校制度が単線的であるが、50年を経た今、これをどう考えていくべきか。
  
  中等教育学校や高等専門学校、飛び入学などがあり、日本も必ずしも単線型とは言い難いのではないか。むしろ、子供の発達の現実と学校の年限があっていないのではないか。原理的な議論やデータを添えて検討しないといけない。
  
  学校制度の柔軟化について、子どもの現実の発達段階に合わせるべきである。発達の前傾現象により、今の子どもが3年ほど発育が早まっていることや、5歳からの義務教育についても、既に46答申で指摘されている。
  
  「柔軟な学校システム」という場合、現行制度を変えていくのか、現行制度の運用を弾力化するのか、それともその両方か、ということがあると思う。
  
  現行の学制について、例外として色々なパターンを認めるのか、それとも例外についても一定のシステムを構築するのか。制度を複線化すると、混乱するのではないか。
  
  柔軟な学校システムの実現といっても、9割が高校へ、5割が大学へ進学する前提が崩れるのか。学校システムの複線化、選抜や原級留置の厳格化などの前提条件の変更が無い限り、理想論にすぎないのではないか。
  
  学制について様々な議論があることは承知しているが、変更する必然性はなく、むしろ進学年齢の弾力化等を考えてはどうか。
  
  アメリカではチャータースクールなどの新しい試みがなされている。様々な試みが可能となる柔軟な仕組みを考えていくことが魅力ある学校づくりを考えることにつながるのではないか。
  
  日本の教育は実は多様性があると思うし、特に私立学校では色々な取り組みを行っている。普通と違う学校はどこが違うか、普通の公立の学校に応用できないか考えることは良いことだ。
  
  第3条の条文を理念的にどう書き直すかということよりも、才能教育を行う学校をどうやってつくるか、などの具体論から先に徹底して議論すべきではないか。
  
  幼児教育について、保育行政にも踏み込んで、位置付けを考えていくべきではないか。
  
  義務教育の年齢は各国でも時代により変わってきている。義務教育とは何なのか一度議論する必要がある。

(義務教育年限)
  教育基本法に義務教育は9年という規定があったので、今まで議論が進まなかった。学制をどうするかはともかく、議論をそこでストップさせるような規定は考えた方がいい。義務教育の複線化については、人によって違ってよいという考え方もあり得るし、固定して考える規定はどうか。
  
  義務教育期間を1年延長することも含め、青少年の社会化を促進するために、高等教育進学前に一度社会に出るという仕組みはどうか。

(飛び級・飛び入学)
  科学技術創造立国についての話の中で、天才論(飛び入学、飛び級等)をしていたが、教育の原則を検討する際は、この問題を取り上げる必要があるのか。
  
  飛び級や飛び入学の議論などを聞いていると、急がすような制度や仕組みが子どもたちにどういう影響を与えるのか不安である。じっくり丁寧に慈しんで育てられるという感覚を子どもたちが持てるような教育が重要ではないか。

(就学時期)
  学校制度の柔軟化について、子どもの現実の発達段階に合わせるべきである。発達の前傾現象により、今の子どもが3年ほど発育が早まっていることや、5歳からの義務教育についても、既に46答申で指摘されている。(再掲)
  
  早く進学すればいいというものでもなく、子どもの成長スピードに合った進学のペースが重要であると思う。例えば、4月1日生まれと2日生まれでは学年が異なることになるが、一律に決めるのではなく、親と教員が子どもの様子をみて判断してもいいのではないか。
  
  日本の風土に合うかどうかは別であるが、フランスなどでは、校長と親が話し合って就学時期や落第の当否を判断するなど、柔軟な運用をしていた。


視点2
  学校制度の区分をより弾力化することについてどう考えるか。
  ・幼小、小中、中高の接続の改善など

【委員の意見】
  例えば小学校の5年生から中学校と一緒に授業を行うなどの取り組みが、各学校の独創性に応じてできるようになるのか、それとも制度そのものに手を着けるのかで結論が異なってくるので、しっかり議論すべきである。
  
  当面は現行の制度を変更せずに、小中一貫、中高一貫、幼小一貫、あるいは高大一貫など、様々な学校運営の形態を支援するような仕組みを作ってはどうか。
  
  6・3・3・4制を維持するという立場に立つなら、小中一貫校も例外になる。なし崩し的に小中一貫を導入するというのはよくないので、しっかりとした展望をもって行うべきだ。


視点3
  家庭の果たすべき役割と学校教育との関係をどう考えるか。

【委員の意見】
  今後の社会を考えると、保護者の意識が変わり、学校選択、教育選択(ホーム・スタディなど)といった問題は避けて通ることができない。


視点4
  学校教育法など関係法令の見直しが必要ではないか。

【委員の意見】
  かなりの部分は学校教育法等の下位の法律の改正により対応できると考えられ、教育基本法と下位法の関係を含めて議論する必要がある。


視点5
  学校の役割を明確にすることについてどう考えるか。
  ・人格の陶冶、道徳教育、教養教育、基礎・基本、知識・技能教育、体育・スポーツ、芸術教育

【委員の意見】
(役割全般)
  教育基本法には学校の役割に関する規定はないが、学校だけが教育をする時代ではなくなっている現在、学校は何を求められているのか、何を達成しようとしているのかを議論する必要がある。
  
  学校の権威の重みがなくなってきているのを、取り戻そうとするのか、あるいは軽くなるのはやむを得ないとして他の手段を講ずるのか。
  
  学校を教育の基軸と捉えるのか、それとももっと広い範囲で捉えるのかについては、やはり学校を基軸に位置づけることが重要ではないか。
そして、学校を、喜んで行けるような魅力あるものにすることが重要。
  
  土日は家庭がしっかり子どもの面倒をみるべきで、あとの5日については学校が責任をもって学習を突き詰めることが必要だと思う。少なくとも、その真ん中をとるような選択はすべきでない。
  
  学校の5つの使命として、人格形成、能力開発、知識伝授、知的生産、文明の継承があり、3つの国権付託として、学校設置、教育、学位・資格付与がある。

(人間性・道徳・公共心)
  学力サイドの面と、人間性サイドの面と、両方があって、特に人間性サイドの面では、この50数年間あまり踏み込んだ議論を躊躇してきた経緯があるが、今後もタブーとしてオブラートに包むのかどうか、コンセンサスが必要と思う。
  21世紀になって、日本人がいかに生くべきかが議論されるなど、基本的な道徳律が見直されるようになった。このようないかに生くべきかといったことについてのガイダンス、方向のようなものも必要になっているのではないか。
  
  これまで日本は経済と徳の調和を考えてきた。生産性やものづくりといった経済的な価値と心の豊かさなどの人間的価値の両面から考えていく必要がある。
  
  イギリスでは、「心の教育」というものはなかったが、最近では社会に送り出す際に必要とされる知識やマナーについて教育する、citizenship education(市民教育)が重視されている。
  
  子どもの公共性の感覚が薄れている。これまでの知的理解中心の道徳教育から、問題解決型の、学んでいる者が主体的に学習できるスタイルに変える必要がある。もう一度道徳教育あるいは公共性の感覚の再構築を願いたい。市民教育あるいは一市民としての意識をきちんとつけるような教育を、中等教育あたりで必修にするようなことはできないのだろうか。
  
  宗教に基づかない道徳教育や心の教育は、日本独自のものとして、世界に発信できるものである。

(学力・知識・学び方)
  教育基本法は精神論中心で学力については触れられていないが、今後これについても盛り込むのかどうか議論する必要がある。
  
  「詰め込み」は個性の無視であり、問題であるが、「教え込み」は徹底しなければならない。柔軟で可能性のある時期に教え込むことは大変重要なことである。
  
  これからは、基礎と創造性をつなぐものとして、「学び方」の学習が重要であり、それをいつ頃から始めるかということについても議論が必要。
  
  変化の激しい社会にあって、知識はどんどん変化するので、学校の役割としてフランス法の「知識と学習の方法を教授する」という考え方は魅力的である。

(体育・スポーツ・芸術)
  教育の中で重要な役割を担う知・徳・体の「体」の部分、スポーツ、芸術などが議論から抜け落ちているので、盛り込むべきではないか。


視点6
  大学教育の視点から規定するものはないか。

【委員の意見】
  現行法には高等教育の視点が無い。基本計画には高等教育のことが当然入ってくるのであるから、基本法に盛り込む必要がある。
  
  高等教育は「高度な社会的ニーズに応える」ことも必要だが、「文化・学問の土台を養成し、一人一人を豊かにする」面もあることを明確に打ち出すことが必要。
  
  大学の教育と研究のバランスがとれていない。教えることがおろそかになっている大学に卒業を難しくせよと言っても無理である。教育は大学における第一の責務ではないのか。
  
  日本の大学は以前からゆとりがあり過ぎるから、もっと厳しくする必要がある。


視点7
  学校の設置者についてどう考えるか。


視点8
  保護者や地域住民の意見の反映や参加などについてどう考えるか。

【委員の意見】
(情報公開の必要性)
  教育委員会は、教育的配慮を理由に、情報公開に拒否的である。学校の情報公開として、どの程度のことを考えているのか。
  
  学校から情報を外に公開し、地域やPTAと一緒になって考えることが良い。
  
  学校から情報を外に出し、外から学校にも色々なコメントが出せるような体制にすることが大事ではないか。

(学校・家庭・地域社会の連携)
  地域の人々の協力で、大きな責任を担っている学校の教員を支えていくことも必要。
  
  フランスのジョスパン法には、生徒及び学校内外で生徒の教育に携わるすべての人々により教育共同体が構成されると定めており、このような考え方は参考になるのではないか。
  
  フランスのジョスパン法の「教育共同体」という考え方は、個人主義の強いフランスでは必要な規定かもしれないが、日本においてそのまま適用できるのかどうかは慎重な検討が必要。
  
  教育には、学校だけでなく家庭や地域社会の民力を使う必要があり、民を支援する施策が国、地方公共団体レベルで必要。学校も、もっと地域に開いていくべきであり、評価することが必要。評価することは支援することでもあり、支援する家庭や地域社会は学校とともに子育てに責任を取るということでもあると思う。
  
  欧米で大学生が在学中の1年間程度、海外に行ったり会社で働いたりする慣行であるギャップイヤーや、子どもを周りの大人もしつけるような、社会が教育に参加するという面も、制度的に、あるいは慣行が自ずから出てくるような雰囲気をつくっていくような努力が必要ではないか。
  
  教育基本法などになかった言葉は「参加」あるいは「参画」ということではないかと思う。教育というのは、今までどちらかというと教育委員会、学校というような、一つの専門領域のところでやるものと受けとめられていたが、これだけ情報化社会になってきて、改めて本質的なことを考えると、様々な人々がかかわって教育は成るものだと感じる。

(学校と家庭の役割分担)
  家庭が学校に全てを委ねるという形になってきているが、それを考え直すことが一つの重要なポイントではないか。
  
  「父母や地域に信頼される学校」ではなく、「子どもや学校に信頼される父母・地域」が重要な問題。教育制度をいくら変えても、父母や地域が変わらない限り、何も変わらない。

  家庭、親については、単に学校と役割を分担するのではなく、それぞれが責任を負うことを明確にすべきである。
  
  土日は家庭がしっかり子どもの面倒をみるべきで、あとの5日については学校が責任をもって学習を突き詰めることが必要だと思う。少なくとも、その真ん中をとるような選択はすべきでない。(再掲)


視点9
  教員の使命、責務(研修、研鑚など)を明確にすべきではないか。

【委員の意見】
(優秀な教員の確保)
  雇用対策にもなるからというので、少人数学級が流行だが、教員の量的な側面だけを考えて、質的な面は考えていないのではないか。教員の質をどうするのかということを視野に入れて考えていくべきである。
  
  優秀な教員を確保し、その教員にいかにやる気をもってもらうか、そして、適格性を欠く教員に退場してもらうことが重要である。
  
  優秀な人材が産業界に流れてしまわないよう、教員の給与をあげてはどうか。
  
  教員養成機関の教員の質を向上させることが重要である。これなくして日本の教育は良くならない。

(第三者評価等)
  教員の第三者評価が重要である。また、研修機会の促進についても、単に参加を促進するだけでなく、参加した後の成果の評価を重視すべきである。
  
  特別免許の議論の際に、教員の側に、教職の専門性を理由にして、外に向かって開くことへの大きな抵抗を感じた。日本の学校をもっと開いていくことが必要ではないか。
  
  第6条で、教員は「全体の奉仕者である」と公務員と同様に規定しているが、これは50年後にも妥当する概念なのか。


視点10
  学習者の責務と権利を新たに規定することについてどう考えるか。

【委員の意見】
  外国の基本法には、国民に学習の権利があると謳っている例がある。生涯学習社会の構築という観点からも、学習者の視点から考えていくことが必要ではないか。
  
  教育する側の責任や権利は大切であるが、同時に教育される側の人間としての尊厳や基本的権利についてきちんと踏まえた上で議論をしなければならない。
  
  教育を担うべき主体は書かれているが、教育の客体である学習者の責務も書く必要がある。
  
  学校の役割や生徒の責務といった点は現行法では欠けている。生徒は学校の規則を守るべき、などの規定が必要ではないか。
  
【参考】  教育基本法

4条(義務教育)  国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2   国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

6条(学校教育)  法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方  公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2   法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その  職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、そ  の待遇の適正が、期せられなければならない。

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