戻る

参考4

第7回基本問題部会における主な意見の概要(案)



1  日  時 平成14年5月10日(金)  14:00〜16:00

2  場  所 ホテルフロラシオン青山「孔雀の間」(3F)

3  議  題 教育の基本理念について

4  配付資料 資料1  教育基本法に関する諮問における検討の視点
資料2  教育の基本理念(目的・方針)に関する委員からの意見等について
資料3  教育の基本理念(目的・方針)に関する教育基本法の規定の概要
資料4  学校教育法における教育の目標
資料5  教育基本法(条文)
資料6  今後の日程
  
参考1  教育基本法の制定に関する資料
参考2  各国における「教育基本法」に相当する法律について
参考3  教育の基本理念(目的・方針)に関連する主な提言事項
参考4  第6回基本問題部会における主な意見の概要(案)

5  出席者  
委  員: 鳥居会長、木村副会長、市川委員、梶田委員、黒田委員、國分委員、鶴田委員、永井委員、中嶋委員、森委員、山本委員
事務局: 小野事務次官、青江文部科学審議官、御手洗文部科学審議官、田中総括審議官、近藤生涯学習政策局長、矢野初等中等教育局長、銭谷文化庁次長、寺脇生涯学習政策局審議官、加茂川初等中等教育局審議官、名取主任社会教育官、徳重主任体育官、山中生涯学習政策局政策課長、高橋主任教育改革官、その他関係官

6  概  要  
  今回の教育基本法・教育振興基本計画の審議については、1年間で方向性を打ち出すこととなっている。今回、教育改革国民会議の分科会の審議報告を配布しているが、これが議論を集約させるにあたっての手がかりになればと考えている。
国民会議においても、中間まとめが出されるまでは、教育振興基本計画と教育基本法の関係について、各委員が自分の意見を一方的に述べるだけであった。のちに企画委員会を作って議論を深める中で、基本計画を基本法の中に位置づけ、根拠づけることが必要という報告になった。その後、政局によっては基本法の審議ができず、基本計画が作れないという事態が生じることも考えられるため、昨年6月、国民会議有志で大臣と会った際、一応基本法と基本計画は切り離し、基本計画を先に作って後に基本法が改正されればそれを根拠にすればよいのではないかという話をした。

  表面上は、基本計画の中間的なものをまとめた段階で公表し、それを文部科学省でどう取り扱うかについては、また考えるということになるのではないか。

  韓国の教育基本法について言及があったが、資料を見てもわかるとおり、教育基本法を持たない国があり、持っていても理念などはあまり書いていない。特に、教育の目的などについて、国が定めるのはおかしいのではないか。教育基本法制定時の国会答弁によると、「国家的な過渡期における非常事態だから」とのことだが、それから半世紀以上が経過している。また、教育基本法は教育勅語にかわる国民の心の拠り所として意義があるというが、教育基本法が教育勅語のしっぽを引きずるものであるならば、そのしっぽは切り捨てるべき。国民教育は、国民国家のインフラであるため、その制度を整えるのは構わないが、其の理念についてまで言及するのはおかしい。
また、教育基本法の高邁な理想をうたう理念法としての性格と、その他の基本法の実務的な性格の違いに留意する必要がある。教育基本法はよほど根本的に見直さないと理念法の性格を実務的に直すのは難しい。一方、根拠法のない計画というのもおかしい。環境基本法と循環型社会形成基本法が併存している例もあるように、例えば「学習社会形成推進基本法」のようなものを作って基本計画を根拠づけてはどうかと考える。

  今この平成14年という時点に立ってみて、日本人のもっと別の意味の心の拠り所を学校教育やその他広い意味の教育の中でどうしていくのかという問題を、法体系のどこで扱うのか扱わなくてもいいのかを考えることは重要な問題。そのことと、教育基本法が教育勅語の形骸を引きずっているという問題とを混同するのは危険。基本法は決して教育勅語を引きずったものとは言えないことを広く理解した上で今回新基本法を議論すべきではないか。

  明治期には心の拠り所として「教育勅語」が、戦後は「教育基本法」が必要だった。これは、国民全体にそれまでの価値観が180度ひっくり返ったいわゆる「根こぎ体験」があったからである。今は、国民一人一人が価値観の抜本的変更を余儀なくされるような状況になく、こんな時期に心の拠り所として何を出しても紛糾の種になるだけであろう。こういう時期に基本法を作るなら、教育の目的とか人間の在り方のような高邁なものはおいておいて、発想を変えて臨むべきではないか。

  基本法にどこまで理念を書くかは考えるべき。韓国の基本法も、儒教国の割にはあまり理念を書き込んでいない。

  一市民として教育基本法を見て、これでいいのかという感想を持った。全体に表現が古い。また、韓国の基本法は教育基本法と教育振興基本計画が一緒になったような内容だが、基本法があって、それに基づいて計画が各論を述べるという構成が望ましい。この2つをまとめて教育関連基本二法などと呼ぶのがいいのではないか。
中身について、教育勅語は中身を見ると全部が間違っているわけではない。人間の生き方として大事なことは何かを議論して基本法の中に書くべき。第1条と第2条は重なっている部分があるので、専門家に検討の上修文してもらいたいが内容はこんなものだろう。第5条の男女共学は当たり前のことで、わざわざ書くべきか。第8条の政治教育はなぜ必要なのか。また文言も不可解でよくわからない。また、宗教教育についてはこういうことをうたう必要があるのか。第7条の社会教育も少し違うのではないか。韓国の教育基本法の考え方はひとつの参考になる。教育基本法は全面的に書き直すことが必要だと思う。基本法で国民の権利、義務、教育理念について定め、実務的なことは基本計画に任せてはどうか。第3条の第2項もわざわざ書くべきことか。

  この議論にどういうイメージで取り組むかだが、全く白紙から制度を作るのであれば色々な考え方ができるが、現に存在していることを考えるとどうなるかということではないか。資料2の「見直しの方向性」にあるように、現行法に足りない部分を補充していくという考え方でよいのではないか。理念や目的は不要という御意見は、今が白紙状態であるならいいが、現に書かれている内容を外すということへのリアクションを考えると難しいのではないか。また、理念を外してしまったら、教育基本法は不要ということにもなるのではないか。更地に新築ではなく、今ある家の増改築を考えるべき。

  教育勅語・教育基本法は心の拠り所であったという意見について、自分の経験から言うと、勅語は心の拠り所であったと思うが、戦後の基本法はそうではなかった。過去は変えられないが、未来は創造できるので、未来について考える方が生産的である。
教育基本法は部分修正して付加価値をつけるべき。制定時から50年たった今、理念が絵に描いた餅で終わらないように、具体的に実行できる可能性を示唆する方向で修正するのがよい。
韓国の教育基本法は日本の学校教育法や社会教育法を全部入れたようなものであり、これを手本にするのではなく、韓国の総則に当たる部分を修正した方がよい。

  憲法に関わるところは議論から外すべきである。この部分の議論は立法府に委ねるべきである。この審議会では諮問で言われたように時代・社会に対応して基本法の変えるべき点は何かを議論すべきである。そしてその結果は教育基本法に上乗せできればよい。上乗せできないものは別の法律にすればよいが、今あるものに上乗せすることを基本にすべきである。

  憲法に関わる部分は議論する用意もその必要もない。大切なのは、教育基本法を単なる継ぎ接ぎにせず、1つのマニフェスト、哲学でまとめること。新しい時代に対する我々の哲学を示し、新しい法を作る気概でやるべきである。ただ、具体的方法としては、臨教審以降、既に問題点は出ているので、それを踏まえてテキスト(条文)に則って議論するのが建設的。今期の中教審は、教育基本法を改正するのだという雰囲気や気持ちが必要。皆が期待しているものは、日本の教育の哲学、バックボーンとは何かということであり、そういう意味でも基本法の改正はいいタイミング。

  教育基本法は最初から最後まで理念法でいいのか。また、韓国の基本法のようなものにすべきか、意見をいただきたい。

  韓国の教育基本法を手本にするより、我々自身のものを作って理念を中心に書く方がよい。
機会均等については、現行法には「能力に応じて」と書いてあるのに、実際は平等のみが強調されてきた。そういう現行教育基本法の理念を実現しようとしてこなかった人々が現在、教育基本法の改正に反対しているのはおかしなことである。
臨教審以降進められている国際化と情報化への対応のうち、例えば英語をどう学ぶかということは計画に書けばいいが、人権や環境などの「国境を越えた義務」といったことは理念として基本法に入れることが必要である。

  教育勅語のいう人間かくあるべきといったことを、戦後の基本法も引きずっているようなところがある。理念といってもいろいろなレベルがあり、例えば学習者の基本的人権などの問題は理念として書き込む必要があるが、今、「期待される人間像」のようなものを書いても空理空論に終わる。理念を書くことはいいが、あまりにも理想的な人格像などに走らないようにすべき。

  理念は簡潔なほうがよいと思うが、既に書いてあることを削るのは難しいので、最小限必要なことを加えたらどうか。可能性の部分については具体的に振興計画に結びつけておくべきである。

  理念にイデオロギー、哲学、宗教的信念などは入れるべきでない。理念という場合、それに基づいてガイドラインが示せる理念かどうか、下の法律に下ろせるかどうかが基準であり、そういう観点から議論すべきである。

  基本法の中身を議論した方がイメージしやすい。10条2項は、諸条件の内容をもっと詳しく書く必要がある。2条や3条は生涯学習の理念としてまとめられる。「家庭教育」は原点であるから理念としてでもいいので、独立させるべきである。

  今の日本に望ましい基本法を作ることが大事。今の国会の構成から大幅な改正はできないといって妥協の産物のような基本法をつくるのか。少なくとも現行法では駄目なのは明らかで、誰がどう反対しても問題を提起することが必要。素案をつくってもらって、それをたたき台に議論してもよい。

  理念や目標に関しては各種の審議会で議論され尽くした。これをどう集約するかである。基本法制定時に、徳目について、その時点で足りないことを強調してそれ以外は「人格の完成」でくくったとあるが、この考え方は基本的には今もあてはまるのではないか。現時点で足りないものは何かを考えればよい。また、理念以外の部分はまだまとめた議論をしていない。逐条では細かくなるので、ある程度グルーピングしながら議論してみてそれを整理する作業が必要ではないか。例えば、男女共学を男女共同参画とすることや、障害のある人の教育をどうするかについて検討する必要がある。

  「教育の基本原則」について、確かに議論を尽くしていない。例えば、男女共学、学校制度の柔軟化の問題をどう扱うか。また、教養教育や基礎知識の伝授・教育、基礎的な技能教育、道徳教育、人格教育といったものをどう扱うか扱わないかを議論する必要がある。

  教育を担うべき主体は書かれているが、教育の客体である学習者の責務も書く必要がある。なお、教育は個人個人が考えることで、その目的・方針を決めるのは憲法の思想・信条の自由に抵触するのではないか。また、そもそも実行不可能ではないか。教育勅語ですら勅令ではなく法規としての性格を持たなかった。ましてや新憲法の下でそうすることはおかしいのではないか。

  機会均等には、同世代の中の平等だけではなく、異世代間の教育の機会均等も含まれる。その意味では、「家庭教育を受ける権利」がいちばん侵害されている。より実効的にするために「家庭」ではなく「親」という言葉を使って権利を実効的に保証すべきである。

  家庭教育については教育改革国民会議の議論を生かすべきである。検討の視点の5として、異文化理解やグローバルな公共財への問題意識について入れてほしい。一方で日本の伝統文化の尊重を言う場合、日本主義なナショナリズムにならないよう、グローバルな時代を生きる市民としての自覚と両方を書くべきである。

  資料2にもあるが、「教育」と「学習」の関係をもう1度議論すべきである。どういう国民を形成していくか、国力をいかに保持していくかの観点から、資料1の3の「教育を担うべき主体」の中に、家庭、学校、地域の中に企業や職場を入れることについても議論すべき。

  「教育」と「学習」の議論にはきりがない。区別する場合と含める場合がある。法律では、教育の中に学習が含まれていると考えるべき。

  「学習」は文部科学省だけの問題ではなく、各省庁にもかかわりがある。基本法の中でどう線引きするかについて、法制局との協議などのためにも検討が必要。

  学習を入れると複雑な問題になると考える。例えば学習の目的規定が必要になってくるが、これは大変難しい。

  教育とは教える側に主体があり、学習には習う側に主体がある。戦後の教育は教える側が妥協し、教えられる側に配慮しすぎたことに問題がある。

  教育基本法や文部科学省の扱う教育の中での学習だけに限定して、それ以外のところは連携・協力するといったことにしなければ、教育に入らない学習が全部排除されることになってしまう。

  基本法は、教育を国民教育に限定していない。

  一人一人の学ぶ側の視点が大事。どういう目的でもいいが人が学ぶことを支持するというニュアンスが欲しい。「国民教育」でどういう人材を作るかよりも、一人一人が生きがいを持って学び、幸せになることを優先すべきである。社会や国家の繁栄、科学技術の水準維持も大事だが、それはそこに生きている人間一人一人が幸せになるための手段である。

  英国には基本法がないというが、教育の目的に対するコンセンサスがある。日本の教育の目標に対するコンセンサスがないのではないか。今、時代は変わりつつある混迷の時期であり、その中でマニフェストを示すことには意義がある。現行の教育基本法は高みにありすぎるのではないか。教育の目的は、一人一人に世の中に出るときの武器を与えること、程度のわかりやすさがほしい。

  次回は、学校の在り方を中心に議論していきたい。


ページの先頭へ