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資料4

学校教育、義務教育等に関する主な意見

学校の役割
 
  学校の役割の明確化
  高等教育のグランドデザインの明確化
  教養教育、知識・技能教育
  「学び方」の学習
  道徳教育、公共心
  体育・スポーツ、芸術教育
   
学校制度のあり方 (柔軟な学校システム)
 
  学校制度の複線化の是非
  幼小一貫、小中一貫、中高一貫、高大一貫など様々な学校運営の仕組み
  チャータースクール、才能教育を行う学校など新しい試みが可能となる仕組み
  義務教育年限(9年)の見直し
  義務教育段階における飛び級の是非
  就学時期の弾力化
   
教育の機会均等
 
  結果の平等のみが強調されてきたことへの反省
  教育の多様化によって生じる格差の是正
   
男女共学
 
  男女共同参画の視点


学校教育・義務教育等に関連したこれまでの主な意見の概要

学校の役割
【役割全般】
  教育目標を誰が達成するのかが不明だが、学校だけが教育をする時代ではなくなっている現在、学校は何を求められているのか、何を達成しようとしているのかを議論する必要がある。

  学校の権威の重みがなくなってきているのを、取り戻そうとするのか、あるいは軽くなるのはやむを得ないとして他の手段を講ずるのか。

  学校を教育の基軸と捉えるのか、それとももっと広い範囲で捉えるのかについては、やはり学校を基軸に位置づけることが重要ではないか。
    そして、学校を、喜んで行けるような魅力あるものにすることが重要。

  土日は家庭がしっかり子どもの面倒をみるべきで、あとの5日については学校が責任をもって学習を突き詰めることが必要だと思う。少なくとも、その真ん中をとるような選択はすべきでない。

  学校の5つの使命として、人格形成、能力開発、知識伝授、知的生産、文明の継承があり、3つの国権付託として、学校設置、教育、学位・資格付与がある。

【大学教育】
  大学の教育と研究のバランスがとれていない。教えることがおろそかになっている大学に卒業を難しくせよと言っても無理である。教育は大学における第一の責務ではないのか。

  日本の大学は以前からゆとりがあり過ぎるから、もっと厳しくする必要がある。

  高等教育の原理原則・グランドデザインをはっきりさせる必要がある。高等教育は「高度な社会的ニーズに応える」ことも必要だが、「文化・学問の土台を養成し、一人一人を豊かにする」面もあることを明確に打ち出すことが必要。

【学力・知識・学び方】
  教育基本法は精神論中心で学力については触れられていないが、今後これについても盛り込むのかどうか議論する必要がある。

  「詰め込み」は個性の無視であり、問題であるが、「教え込み」は徹底しなければならない。柔軟で可能性のある時期に教え込むことは大変重要なことである。
  これからは、基礎と創造性をつなぐものとして、「学び方」の学習が重要であり、それをいつ頃から始めるかということについても議論が必要。

【人間性・道徳・公共心】
  学力サイドの面と、人間性サイドの面と、両方があって、特に人間性サイドの面では、この50数年間あまり踏み込んだ議論を躊躇してきた経緯があるが、今後もタブーとしてオブラートに包むのかどうか、コンセンサスが必要と思う。

  21世紀になって、日本人がいかに生くべきかが議論されるなど、基本的な道徳律が見直されるようになった。このようないかに生くべきかといったことについてのガイダンス、方向のようなものも必要になっているのではないか。

  これまで日本は経済と徳の調和を考えてきた。生産性やものづくりといった経済的な価値と心の豊かさなどの人間的価値の両面から考えていく必要がある。

  イギリスでは、「心の教育」というものはなかったが、最近では社会に送り出す際に必要とされる知識やマナーについて教育する、citizenship education(市民教育)が重視されている。

  子どもの公共性の感覚が薄れている。これまでの知的理解中心の道徳教育から、問題解決型の、学んでいる者が主体的に学習できるスタイルに変える必要がある。もう一度道徳教育あるいは公共性の感覚の再構築を願いたい。市民教育あるいは一市民としての意識をきちんとつけるような教育を、中等教育あたりで必修にするようなことはできないのだろうか。

  宗教に基づかない道徳教育や心の教育は、日本独自のものとして、世界に発信できるものである。


【体育・芸術】
  教育の中で重要な役割を担う知・徳・体の「体」の部分、スポーツ、芸術などが議論から抜け落ちているので、盛り込むべきではないか。


学校制度の在り方(柔軟な学校システム)
【学制全般】
  諸外国に比べて、日本は学校制度が単線的であるが、50年を経た今、これをどう考えていくべきか。

  中等教育学校や高等専門学校、飛び入学などがあり、日本も必ずしも単線型とは言い難いのではないか。むしろ、子供の発達の現実と学校の年限があっていないのではないか。原理的な議論やデータを添えて検討しないといけない。

  「柔軟な学校システム」という場合、現行制度を変えていくのか、現行制度の運用を弾力化するのか、それともその両方か、ということがあると思う。

  現行の学制について、例外として色々なパターンを認めるのか、それとも例外についても一定のシステムを構築するのか。制度を複線化すると、混乱するのではないか。

  柔軟な学校システムの実現といっても、9割が高校へ、5割が大学へ進学する前提が崩れるのか。学校システムの複線化、選抜や原級留置の厳格化などの前提条件の変更が無い限り、理想論にすぎないのではないか。

  学制について様々な議論があることは承知しているが、変更する必然性はなく、むしろ進学年齢の弾力化等を考えてはどうか。

  例えば小学校の5年生から中学校と一緒に授業を行うなどの取り組みが、各学校の独創性に応じてできるようになるのか、それとも制度そのものに手を着けるのかで結論が異なってくるので、しっかり議論すべきである。

  当面は現行の制度を変更せずに、小中一貫、中高一貫、幼小一貫、あるいは高大一貫など、様々な学校運営の形態を支援するような仕組みを作ってはどうか。

  6・3・3・4制を維持するという立場に立つなら、小中一貫校も例外になる。なし崩し的に小中一貫を導入するというのはよくないので、しっかりとした展望をもって行うべきだ。

  アメリカではチャータースクールなどの新しい試みがなされている。様々な試みが可能となる柔軟な仕組みを考えていくことが魅力ある学校づくりを考えることにつながるのではないか。

  日本の教育は実は多様性があると思うし、特に私立学校では色々な取り組みを行っている。普通と違う学校はどこが違うか、普通の公立の学校に応用できないか考えることは良いことだ。

  第3条の条文を理念的にどう書き直すかということよりも、才能教育を行う学校をどうやってつくるか、などの具体論から先に徹底して議論すべきではないか。

【義務教育年限】
  教育基本法に義務教育は9年という規定があったので、今まで議論が進まなかった。学制をどうするかはともかく、議論をそこでストップさせるような規定は考えた方がいい。義務教育の複線化については、人によって違ってよいという考え方もあり得るし、固定して考える規定はどうか。

  義務教育期間を1年延長することも含め、青少年の社会化を促進するために、高等教育進学前に一度社会に出るという仕組みはどうか。

【飛び級・飛び入学】
  科学技術創造立国についての話の中で、天才論(飛び入学、飛び級等)をしていたが、教育の原則を検討する際は、この問題を取り上げる必要があるのか。

  飛び級や飛び入学の議論などを聞いていると、急がすような制度や仕組みが子どもたちにどういう影響を与えるのか不安である。じっくり丁寧に慈しんで育てられるという感覚を子どもたちが持てるような教育が重要ではないか。

【就学時期】
  早く進学すればいいというものでもなく、子どもの成長スピードに合った進学のペースが重要であると思う。例えば、4月1日生まれと2日生まれでは学年が異なることになるが、一律に決めるのではなく、親と教員が子どもの様子をみて判断してもいいのではないか。

  日本の風土に合うかどうかは別であるが、フランスなどでは、校長と親が話し合って就学時期や落第の当否を判断するなど、柔軟な運用をしていた。


教育の機会均等
  機会均等について、教育基本法には「能力に応じて」とあるのに、結果の平等のみが強調されてきた。

  「柔軟な学校システム」については、これに取り組むことで、例えば格差が生ずる等の別の作用が必ず出てくることを念頭に置きながら考えるべきであり、それらにどのように対応していくかについても議論する必要がある。人間の生命と教育はやり直しができない。

  格差の存在を、それが全体を高めると捉えるのか、皆平等が大事と考えるのか、根本的なところを議論すべき。

  格差には2種類ある。一つには、クラス内の学力格差という問題であり、その解消のために教員の資質を高める計画、もう一つが、伸びる子を伸ばしてあげられるような計画、その2つが必要だと思う。

  教育の多様化、自由化によって生じる格差をどう是正するのか、ということについても考えなければならない。多様化のためには、多元的な尺度が必要である。

  子供それぞれに個性があるのであり、格差を是正せよというときには、知識水準だけでなく、多様な能力を評価し、伸ばせるような、そういう評価の在り方の検討が必要ではないか。


男女共学
  男女共同参画の視点は必要だと思う。女性が社会で活躍するという以外にも、家庭という観点からも男女がともに社会を築くという観点を入れてほしい。

  ヨーロッパでは例えば「男女平等の促進に寄与する」のように、結果として実効性をあげるというところまで法的な表現が踏み込んでいる。第5条の男女共学の規定についても、変えていくべきではないか。

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