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参考1

教育基本法の制定に関する資料

(1)教育基本法制定の経緯

(2)教育刷新委員会建議

(3)教育基本法案要綱案(教育刷新委員会)と教育基本法案
    (政府提出)との比較

(4)帝国議会における各条文に関する主な答弁


(5)教育基本法制定の要旨(訓令)


教育基本法制定の経緯


教育基本法制定の経緯
○  昭和20年9月15日、文部省は、戦後の新しい教育の根本方針として「新日本建設ノ教育ノ方針」を発表。
○  昭和20年10月22日、連合国軍最高司令部は「日本教育制度に対する管理政策」を指令、教育の基本方針、教職員の粛正、教育の具体的方法について指示。
○  昭和21年3月5日、教育全般にわたって積極的な提案を行うために、米国教育使節団(第一団)が来日。日本教育家の委員会(総司令部令により設置)と協力して、同年3月31日、報告書を提出。
  この報告書は日本教育の目的と内容をはじめ実施すべき多くの事項を提案しており、教育組織の根本的変更を必要とする内容のものであった。教育勅語については、儀式等におけるその取扱が問題とされたが、教育基本法のごとき法律を定めようとするような内容は含まれていなかった。
○  昭和21年6月27日、第90回帝国議会において帝国憲法改正案が審議された際、田中耕太郎文部大臣は、「教育根本法のごときものの制定を考慮している」旨を答弁。
○  昭和21年8月10日、教育に関する重要事項を調査審議するために、内閣総理大臣の所轄下に教育刷新委員会を設置。同年12月27日、同委員会は、教育基本法制定の必要性と、その内容となるべき基本的な教育理念等について建議。
○  昭和22年3月4日、教育基本法案閣議決定。
○  昭和22年3月5日、政府は教育基本法案を枢密院に諮詢、その際、政府側にて若干の字句訂正を行い、同年3月12日の枢密院本会議において原案どおり可決。
○  昭和22年3月12日、政府は、教育基本法案を第92回帝国議会に提出、原案どおり可決成立し、同年3月31日、公布。
 ・3月13日 衆議院上程
 ・3月17日 政府原案通り衆議院通過
 ・3月19日 貴族院上程
 ・3月25日 政府原案通り可決成立
  ※日本国憲法 昭和21年11月3日公布 昭和22年5月3日施行


教育刷新委員会建議
(昭和21年11月29日第13回総会採択 同年12月27日建議)

 教育基本法を制定する必要があると認めたこと。
 教育理念は、おおよそ左記のようなものとして、教育基本法の中に、教育の目的、 教育の方針としてとりいれること。
   教育の目的
     教育は、人間性の開発をめざし、民主的平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義とを愛し、個人の尊厳をたつとび、勤労と協和とを重んずる、心身共に健康な国民の育成を期するにあること。
   教育の方針
     教育の目的は、あらゆる機会とあらゆる場とを通じて実現されなければならない。この目的を達成するためには、教育の自律性と学問の自由とを尊重し、現実との関連を考慮しつつ、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力とによつて、文化の創造と発展とに貢献するように努めなければならないこと。
 教育基本法には、この法律の制定の由来、趣旨を明らかにするため、前文を付す ることとし、その内容はおおむね左のようなものとすること。
   従来の教育が画一的で形式に流れた欠陥を明らかにすること。
   新憲法の改正に伴う民主的文化国家の建設が教育の力にまつことをのべ、新教 育の方向を示すこと。
   この法律と憲法及び他の教育法令との関係を明らかにすること。
   教育刷新に対する国民の覚悟をのべること。
 教育基本法の各条項として、おおむね左の事項をとりいれ、新憲法の趣旨を敷え んするとともに、これらの事項につき原則を明示すること。
   教育の機会均等
   義務教育
   女子教育
   社会教育
   政治教育
   宗教教育
   学校の性格
   教員の身分
   教育行政
 前項に示した教育基本法の各条項の内容については総会、各特別委員会の審議の結果をとり入れること。
 文部省において、右の趣旨に則つて、教育基本法案を作成されること。


教育基本法制定時の帝国議会における各条文に関する主な答弁

◎ 前文・第1条(教育の目的)について
【教育の基礎として如何なる人間観に拠っているのか。】
昭和22年3月19日 貴族院・本会議
  <高橋国務大臣答弁> 教育基本法に於きまして、先づ人間は人間たるの資格に於て品位を備へて居るものでありまして、何等他のものと替へらるべきものでないと云ふ意味に於て、其の前文に於きまして、「個人の尊重を重んじ、」と謳つて居るのであります。次に人間の中には無限に発達する可能性が潜んで居ると云ふ考を基礎と致しまして、教育は此の資質を啓発し培養しなければならないのでありまして、之をば第一条に「個人の価値をたつとび、」と申して居るのであります。第三に、人間は単に個人たるに止まらず、国家及び社会の成員であり、形成者でなければならないと云ふことも亦此の基本法に於ける人間観の基礎として居る所のものであります。更に人間は真、善、美などの絶対価値の実現を追求するものと致しまして、文化活動の主体であると考へるのであります。是等を基礎と致しまして、教育が人格の完成を目指さなければならず、普遍的にして而も先程仰せのありました所の日本人として、又個人と致しまして、個性豊かな文化の創造を目指さなければならないとして居るのであります。

【教育理念を法律の形で規定することの意味は何か。】
昭和22年3月19日 貴族院・本会議
  <金森国務大臣答弁> (教育に関する基本方針を国会において法律として定めるのは、)国民の共同意識、謂はば国民の代表者に依つて現されて居りまする所の全国民の納得を基本として、実行上然るべき基準を規律して行かうと云ふことでありまするが故に、先づ大体の見地から申しまして、国の法律として定めると云ふことが、余り程度を越えさへしなければ然るべきことのやうに存じて居ります。
  <高橋国務大臣答弁> 一部に於きましては、又国民の可なり大きな部分に於きましては、思想昏迷を来して居りまして、適従する所を知らぬと云ふやうな、状態にあります際に於きまして、法律の形を以て教育の本来の目的其の他を規定致しますることは、極めて必要なことではないかと考へたのであります。

【よき日本人の育成、祖国観念の涵養といった観点が欠けているのではないか。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <高橋国務大臣答弁> 「個性ゆたかな文化の創造」、此の「個性ゆたか」と云ふことは、博士の御解釈になりますやうに、単なる個人的のものばかりでございませぬので、日本の国民性の十分に現はれた所の文化の創造と云ふ意味に私共は解釈して居るのでございます。尚此の基本法なるものは、十分に普遍的なものと同時に、日本的なもの、特殊的なものをも求めて進んで行かなければならぬと云ふ精神に基いて出来て居るものと申上げて差支えなからうかと考えて居ります。
  <辻田政府委員答弁> それで教育の目的の中には色々な徳目、或は掲ぐべき必要なことがあらうと思ひます。従来我が国の比較的欠陥と言はれて居つた所、或は現在の状態に於ても欠陥と考へられて居る所と云ふやうなものを特に強調致しまして、「勤労と責任を重んずる」、「責任」と云ふ字を特に入れ、又「自主的精神に充ちた」と云ふやうなことを特に強調致しまして、此の我が国の国民として特に教養すべき点を掲記したのでありまして、此の中に有らゆる徳目を掲記すると云ふことは、必ずしも適当でないと思ひますので、それ等に付きましては「人格の完成」と云ふ中に包含してある訳であります。


【奉仕的精神に満ちた国民の養成という観点が欠けているのではないか。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <高橋国務大臣答弁> 此の第一条に掲げてあります国家及び社会の形成者、此の形成者と申しまする文字は、単なるメンバーと云ふだけでなくして、実際の国家及び社会の構成者、ギルダーと云ふやうな意味も含まれて居るものでありまして、尚国家竝に社会に対する奉仕の点は、後にありますやうに「勤労と責任を重んじ」云々と云ふ言葉で十分に現はされて居るのではないかと存ずるのでございます。


◎ 第二条(教育の方針)について

【第二条(教育の方針)は意味がよくわからないのではないか。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 第二条は御話の通り、前段と後段と色々と錯綜したりして居るではないかと云ふやうな御考もあるかと思ひますが、前段の方は謂はば教育の目的を達成致しまする為にはどう云ふやうな方針で進んだら宜いかと云ふことに付きましての形式的な面を謳つたのでありまして、次の「この目的を達成するために」とある「この目的」と申しまするのは、教育の目的と云うことでありまするが、是は此の後段の方は謂はば実質的な方針、内容を示したものであるのでございます。で、此の前段の方は特に御説明をする要はないかと思ひまするが、後段に付きましては、是は第一条に掲げてありまする教育の到達すべき目標を達成する為には、教育を取扱ふ者、教育に従ふ者は斯う云ふ風な心構へを以てやらなければならないと云うことを謳つて居るのであります。


◎ 第三条(教育の機会均等)について

【教育の機会均等をいかに実現するつもりか。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> この第三条は、第一項の前段におきましては、教育の機会均等の本質を述べ、次に人種、信条、性別以下は、これは教育を実施する上におきまして、こういう風な事項によつて差別をされてはならないということをうたつたものであります。入学の際、あるいは入学の後の教育実施にあたつての問題を、すべてここに包含しておるつもりであります。次に第二項におきまして、特に能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対しましては、奨学の方法を国及び地方公共団体において講じなければならないのであります。これにつきましては現在も行われておりますが、一層義務教育におきましては修学奨励ということの方面に力を尽くしたい。また義務教育以外の教育におきましては、育英事業を拡充いたしまして、その徹底を期するようにいたしたいと存ずるのであります。


◎ 第四条(義務教育)について

【義務教育は、国民の義務ではなく国家の義務ではないか。一切無償にできないのか。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 憲法二十六条を受けて、憲法の内容を裏づけてそれそれの国民の立場から書いたわけでありますが、国民の立場から権利があると同時に、また九年の普通教育を受ける義務教育を負うというふうにしたのであります。第二項におきまして、憲法第二十六条第二項に「義務教育は、これを無償とする。」とありまする「無償」を授業料に限つた理由でありまするが、これは各国の立法令等も十分研究いたしましたが、わが国の財政上の都合、その他を考慮いたしまして、今日においては授業料を徴収しないことを、憲法の「無償とする」という内容にいたしたいということにいたしまして、ここにそれらを明らかにした次第でございます。(中略)なお国家が地方公共団体におきまして普通教育を受けさせる義務を国民に負わせまする以上、これに対しまして適当なる施設を設け、その義務を完全に果すことができますような措置をとることは、当然でございます。

【心身成長の少年期の期間である満16歳まで義務教育としてはどうか。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <剣木政府委員答弁> 今般義務教育を九年に定めましたことは、刷新委員会におきまして、相当専門的な意見もお聴きになつて、随分論議された上に一応決定されたことだと思いますが、(中略)現在の国力の状態からして、義務教育を九年といたしますことを、適当であると判断されたのであろうと考えます。

【私立学校が授業料を徴収することも憲法上差し支えないのか。】
昭和22年3月22日 貴族院・教育基本法案委員会
  <剣木政府委員答弁> 国が致しまする場合は当然無償になる訳であります、併し無償の所に行けるにも拘らず、自分の方で私立学校に入りまして、月謝を出しても宜いと云ふ、受け得る権利を放棄致しまして、私立学校に入つた場合には、其の私立学校で授業料を払つて差支ない、一応斯う云う風に解釈して宜いと云ふことに致したのであります。


◎ 第五条(男女共学)について

【機会均等が規定されているのに、特に男女共学を強調した1条を取り上げた理由は何か。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 憲法第十四条の精神をここへもつてまいります場合に、基本法第三条の教育の機会均等に一応包含されるわけでありますが、従来、男女別学といいますか、分学と申しますか、男女共学というようなことについて、あまり考えられておらなかつたし、また非常に男女の間に差別的な取扱いが行われておりましたので、この際特にこの男女の平等という、差別をしないという立場からいつても、また一方には今後一層民主的な平和的な国家を建設していきます場合に、特に男女が互いに協調し協力し合わなければならぬ。これを教育に生かす場合に、共学というような方法で行われるのが最も適当であるというふうに考えられまして、ここに非常に大切なことだと認めまして、これを特筆したわけであります。


◎ 第六条第一項(学校教育)について

【学校教育は本来、国家がやるべきものという考えなのか。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <高橋国務大臣答弁> 此の六条に規定してございまするやうに、学校教育…学校教育は公の性質を持つものであると云ふことに相成つて居るのでございまするが、学校は国が経営する場合もございませうし、地方の公共団体が経営する場合もありませうし、又法律に定めましたところの法人が経営する場合もある訳でございます。是等の何れも皆公の性質を持つものであるのであります、今日私立学校は多く財団法人の形を取つて居りまして、極めて稀に社団法人になつて居るやうに聞いて居りますので、将来に於きましては、此の教育を目的とする特殊の法人と云ふものを設けまして、是等のものを律して行きたい

【「法律に定める学校」とは公立学校と言って差し支えないのか。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 第六条の「法律に定める学校」と申しますのは、近く御審議を仰ぎまする学校教育法に定める学校と云ふ意味でございます、此の第六条から十一条を承けまして学校教育法が出来ますので、学校教育法案に依るものでございます。従つて小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾唖学校、養護学校及幼稚園とすると云ふことでありまして、公立学校のみでございませぬ。私立学校も勿論含みます。


◎ 第六条第二項(教員)について

【教員の身分の取扱いについてどのように考えているのか。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 新憲法の第十五条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」という言葉がありますが、法律で定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、一部の人の奉仕者でないという意味を裏に含んであります。そうして教育者としての自己の使命を自覚してその職責の遂行に努めなければならない。これは前段におきましては教員の性格といいますか、本質を明らかにして、またその向かうべきところを明示したわけであります。次にはこうこう大事な仕事に携わつておられる方々であるから、この方々に対しては身分が尊重され、待遇の適正が期せられなければならないというふうに、これは国なり公共団体なり、その他の教育行政に当る者等の考うべき途を示したのでございます。


◎ 第七条(社会教育)について

【家庭教育等にも国あるいは地方公共団体が立ち入るということか。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 家庭教育の内容に一々個々の家庭に付てあれ是れする訳ではございませぬが、法に於きましては家庭教育を含めました広い意味の社会教育が従来非常に我が国に於ては発達して居なかつたのでありまするので、今回は社会教育を非常に重視致しまして、家庭教育を含めました社会教育と云ふものが、国及び地方公共団体に於きまして大いに奨励されなければならぬと云ふ大方針を謳つた訳でございます。


◎ 第八条(政治教育)について

【学校における政治活動の限度、基準は何か。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <高橋国務大臣答弁> 法律に定める学校というものは、特定の政党を支持し、あるいはこれに反対するところの政治教育、その他政治的活動をしてはならぬという規定が設けられておるのでありまして、むろん思想の自由は尊重いたすのでありますが職場を利用して、ある一定の政党を支持する、(中略)断じてこれを許可することはできないと考えておるのであります。


◎ 第九条(宗教教育)について

【宗教教育を教育上尊重するとはどういう意味か。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 第九条に宗教教育と云ふものを掲げました理由に付きましては、是は憲法第二十条に信教の自由に付ての規定がございますが、憲法の其の条文を受けまして、教育上宗教に関しましてどう云ふ風な取扱をしなければならぬかと云ふことに付きまして、第九条第一項に掲げたのでございます。此の宗教の寛容の態度と云ふものは、私達の方に於きましては、宗教内に於けるそれぞれの他宗教に関する寛容の態度と申しますか、其の外に無宗教派、或は反宗教派に対する寛容の態度も茲に包含されると考へて居るであります。それから又宗教の社会生活に於ける地位でありますが、宗教は社会生活に於て重要な役割を持つて居ると云ふやうなことと、或は宗教家が色々強い修業をされて、得度されたと云ふやうな色々な諸方面からも説明したいと思つて居ります。

【宗教教育は、信仰心を養う教育か、知識を養う教育か。】
昭和22年3月20日 貴族院・教育基本法案委員会
  <稲田政府委員答弁> 一般の宗教教育と申しますか、宗教情操の涵養と云ふ点に付きましては、御話のやうな歴史でありますとか、或は宗教の偉人の伝記其の他、其の上の方の段階になりますと、世界には現在色々な宗教があつて、それぞれの宗教は斯うした教養を持つて居ると云ふやうなことを、今辻田委員から申しましたやうに、知識として教へると云ふことがあり得ると思ひます。是はまあ広い意味の教育でありまして、是は公の学校で許される部分であらうと思ひます。此の基本法にありまする「特定の宗教のための宗教教育」と申しますると、只今御話の後段でございますが、そこに一つの信仰に導き入るやうな宗教教育、此の基本法の第九条の第二項にあります意味のやうな本当に真剣に特定の宗教に導く宗教、之を指定してあるやうであります。


◎ 第十条(教育行政)について

【「不当な支配」とはどういうものを指すのか。】
昭和22年3月14日 衆議院・教育基本法案委員会
  <辻田政府委員答弁> 第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育が国民の公正な意思に応じて行はれなければならぬことは当然でありますが、従来官僚とか一部の政党とか、その他不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによつて教育の内容が随分ゆがめられたことのある。(中略)そこでそう云ふふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配に教育が服してはならないのでありましてここでは教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表わしたのであります。


教育基本法制定の要旨(昭和22年5月3日文部省訓令第4号)

 このたび法律第25号をもつて、教育基本法が公布せられた。
 さきに、憲法の画期的な改正が断行され、民主的で平和的な国家再建の基礎が確立せられたのであるが、この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。 思うに、教育は、真理を尊重し、人格の完成を目標として行われるべきものである。しかるに、従来は、ややもすればこの目標が見失われがちであつた。新日本の建設に当つて、この弊害を除き、新しい教育の理念と基本原則を打ち立てることは、今日当面の急務といわなければならない。
 教育基本法は、かかる理念と基本原則を確立するため、国民の総意を表わす議会の協賛を得て制定せられたものである。即ち、この法律においては、教育が、何よりもまず人格の完成をめざして行われるべきものであることを宣言した。人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめることである。しかし、このことは、決して国家及び社会への義務と責任を軽視するものではない。教育は、平和的な国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。又、あらゆる機会に、あらゆる場所において行われなければならないのである。次に、この法律は、日本国憲法と関連して教育上の基本原則を明示し、新憲法の精神を徹底するとともに、教育本来の目的の達成を期した。
 かくて、この法律によつて、新しい日本の教育の基本は確立せられた。今後のわが国の教育は、この精神に則つて行われるべきものであり、又、教育法令もすべてこれに基いて制定せられなければならない。この法律の精神に基いて、学校教育法は、画期的な新学制を定め、すでに実施の運びとなつた。
 然しながら、この教育基本法を運用し、真にこれを活かすものは、教育者自身の自覚と努力である。教育に当る者は、国民全体に対する深い責任に思いを致し、この法律の精神を体得し、相共に、熱誠を傾けてその使命の達成に遺憾なきを期すべきである。

昭和22年5月3日 文部大臣 高橋誠一郎

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