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参考1

第2回基本問題部会における主な意見の概要

この議事概要は、事務局の責任においてとりまとめたものであり、今後変更の可能性があります。

日  時 平成14年2月25日(月) 16:00〜18:00

場  所
文部科学省分館201・202特別会議室(旧国立教育会館2階)

議  題 これからの教育の目標、教育改革の基本的方向について

配付資料  
  資料1 人材養成・教育の目標について
  資料2−1 臨時教育審議会、中央教育審議会等における教育の現状について
  資料2−2 教育の現状をめぐる資料
  資料3 教育振興基本計画(柱立て)〈素案〉
  資料4−1 諸外国の教育改革の動向
  資料4−2 諸外国における国レベルの教育目標
  資料5 今後の日程(案)

  参考1 教育振興基本計画の主な枠組みについて(検討メモ)
  参考2 基本問題部会(第1回)議事概要(案)

出席者
 
  委 員 鳥居会長、木村副会長、茂木副会長、石委員、市川委員、梶田委員、國分委員、佐藤委員、木委員、鶴田委員、永井委員、西室委員、森委員、山本委員、横山(英)委員
  事務局 小野事務次官、青江文部科学審議官、御手洗文部科学審議官、結城官房長、田中総括審議官、近藤生涯学習政策局長、矢野初等中等教育局長、工藤高等教育局長、遠藤スポーツ・青少年教育局長、寺脇生涯学習政策局審議官、玉井初等中等教育局審議官、加茂川初等中等教育局審議官、名取主任社会教育官、 山中生涯学習政策局政策課長、繻エ主任教育改革官、その他関係官

概 要

   我が国の全体の共通目標、国家目標を基本法、基本計画にどのように盛り込んでいくか検討が必要。日本だけでないが、学校荒廃が深刻であり、学力とモラルの低下が見られる。学校教育制度のあるべき姿、地方分権、教員養成の問題、学校施設の老朽化などをどのように考えていくか検討してほしい。

   教育関係の法律には参加、参画といった言葉がなく、教育は「学校」という専門領域の中で行われているという感覚があった。情報化社会が進み、参加型の社会が進むことを考えると、地域、家庭そのものが学校に関わることを考えていく必要がある。また、我が国は評価の研究が遅れている。どう評価するかを示しながら、目標に対してどのような人を養成し、どのような教育が必要か考える必要がある。また、社会で生きていくために必要な教育と、研究者として学問をするための教育を分けて考えるべき。

   税で集めた金を政府が配分するという方向から、例えば減税を通じて寄付などの形で各個人が参画することを進めるという方向といったことが議論されている。教育においても個人の参画ということを考えていく必要がある。

   教育の中立性の確保ということで、教育委員会制度が取り入れられたが、教育行政が硬直的であるなどの問題点があるのではないか。どちらの方向性ということではないが、今後の教育を考える上で、市町村長や知事部局との権限分担についても検討する必要がある。

   最近は、小・中一貫など自治体独自の新しい取り組みがみられるが、各教育委員会がこれらにどのように関わっているのかについても検討したい。

   基本計画の具体的目標は、英国の2006年までの戦略のように、数値化できるものは数値化したほうが良い。後でチェックをすることが可能となり、教育予算が効率的に使用されることにもつながる。

   きわめて基礎的な部分は数値化になじむと思う。ただ、数値目標にすると、同じ方向に向いてしまう恐れもあり、どの事項について数値目標化するかを考える必要がある。

   教育改革の大きなポイントは「確かな学力の向上」と「豊かな人間性の育成」の2つである。そうすると、計画の柱立ての中でこの2本柱と3〜8の柱については区別した方が良い。また、「確かな学力」の「確かな」という言葉の内容が問題。
  家庭や地域は別々に明記し、家庭は独立させてほしい。英国のような目標の立て方は分かりやすいが、教員の質の向上、親の教育等もっと「人」に焦点を当てて計画を作ることはできないか。また、今の日本人に国家意識がないといわれるが、そもそも家庭への帰属意識がないからだ。

   計画はどんなタイムスパンで作成するのかが重要。目標を数値化すると寿命が短くなり、定性化するとタイムスパンが長くなる。
  中国や韓国の教育改革の動向にもあるように、受験戦争の激化がアジアの特徴。すべての教育の課題や施策の背景には受験という問題がある。今後、入試の多様化や18歳人口の減少により、大学受験圧力は薄れると思うが、受験の在り方は検討する必要がある。

   教育目標については、何のために何をしようとしているのかをはっきりさせたほうが良い。21世紀を迎え地球国家の中で日本はどういう役割をはたすべきかという目的をはっきりさせる必要がある。「人材養成・教育の目標」とあるが、「教育」はより広いものであり、分けて考えたほうが良い。教育改革という視点で、今までの教育のどこが問題か洗い直す必要がある。6・3・3・4は普遍的なものかどうかということも考えても良い。「豊かな心」という場合の「豊かさ」の内容は何かについても、ブレイクダウンする必要がある。

   教育振興基本計画と教員定数、学習指導要領などの既存の計画とはどのように調整するのか。資料1に掲げてあるような教育の目標に今後優先順位をつけるのか。社会の問題には、教育施策では対応できないものもあり、その対応には限界があるのではないか。

   既存の計画を睨みながら全体の計画を作っていくことになると思う。全体としてどのような教育を実現するか具体的にわかる計画ができればと思う。資料1は議論の素材として提示したものであり、今後、議論してもらいたい。社会の問題をすべて教育で引き受ける訳にはいかないが、人材は日本の資源であり、教育は、今後の社会においても非常に重要である。社会の問題に対し、教育の分野でできることに取組む必要がある。

   各国の教育改革の中で学力向上はあったが、豊かな心など人間性についてはあまり見当たらない。海外の状況はどうなっているのか。

   アメリカ、イギリス、フランスなどでも子どもや青年の社会性や規律の問題が取り上げられるようになっている。例えばイギリスでは1999年に改正された「全国共通カリキュラム」で新たに中等教育段階で「公民」を必修教科とするなどの取り組みを行ったところである。

   イギリスから調査団がやってきた際に聞いたところ、イギリスでは、「心の教育」というものはなかったが、最近では社会に送り出す際に必要とされる知識やマナーについて教育する、citizenship education(市民教育)が重視されており力を入れて取り組んでいるとのことであった。

   カテゴリーの立て方が日本、中国などの東洋と英米とでは異なり、日本では、「人格」や「心」がすぐに出てくる。ヨーロッパでは、value education(価値観教育)、affective education(感性教育)と言われるものや宗教教育がこれに当たると思う。教育振興基本計画は、理念ばかり語る抽象的なものではなく、例えば、5〜10年後の社会を見据え、いじめ件数や不登校の数を現在の1/3にするとか、中3で日常英会話が出来る子どもを80%にするなどの数値目標を立て、具体的なものにする必要がある。

   「柔軟な学校システム」のイメージはどういうものか。

   ガチガチの学校システムはやめようということであり、具体的には今後議論することになる。

   「柔軟な学校システム」という場合、現行制度を変えていくのか、現行制度の運用を弾力化するのか、それともその両方か、ということがあると思う。

   宗教に基づかない道徳教育や心の教育は、日本独自のものとして、世界に発信できるものである。また、社会を構成し、制度を運用しているのは人間であり、その人間への教育は、社会の変化につながることである。

   教育基本法第9条第1項には「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とあるにも関わらず、学校では一切の宗教教育を行ってはいけない、というイメージが一般的である。

   教育振興基本計画における教育の目標については、21世紀全体に関わる目標と、この先10年程度を想定した目標とをしっかり区別しなければ、抽象的なものになってしまう。例えば、10年後の社会の変化を見据え、教育の多様化、柔軟化を進めることを目標とする場合、それによって生じる格差をどう是正するのか、考えなければならない。多様化のためには、多元的な評価が必要であるが、これまでは、その尺度を用意してこなかった。難しいかもしれないが、人間の能力を多元的に評価する仕組みが非常に重要。資料3の「確かな学力」は「これからの社会に求められる学力」とした方がよいのではないか。

   教育基本法と教育振興基本計画との関係について、どのように法律に計画を位置付けるのか。また、基本計画についてどこまで議論するのか。
  和辻哲郎氏が「日本では、秩序は誰かから与えてもらうものである」と書いている。政治教育、宗教教育は、教育基本法では第8、9条の第1項でその意義を認めながら、第2項があるために、現場では警戒すべきもの、もしくはタブーとなっている。政治自体がマイナスイメージに捉えられている日本の現状のままで、「公民教育をすべき」と言っても意味がない。政治を抜きにして良い社会は作れないのであり、我々自身の問題として政治を捉えるべきである。

   振興基本計画は教育基本法に位置づけることを考えている。基本計画にどこまで入れ込むか、その内容は、審議会の場で議論していただきたい。

   資料1の目標のうち、社会の要請に応える部分と、不易の方でも、「基礎学力」や「個性・才能」は具体的で分かりやすい。不易の中の「自律心・公共の精神」、「豊かな心」、「伝統・文化」は、これらとは違う面がある。ただ「豊かな心」については、バブルの頃に「ものの豊かさから心の豊かさへ」というスローガンがあったが、「自律心、公共心」や「伝統文化」などはスローガンとして出たこともなく、施策もなかった。ようやくスローガンに出てきたともいえる。これらを基本法の中で扱うか、または、基本計画の中に位置づけるか、という点も検討する必要がある。
  教育委員会制度については、教育委員会は合議制の機関としてスピード・柔軟性に欠け、頑固なくらいの方がいいと思う。

   これからの社会は多元的尺度が必要であり、評価は重要である。現在、教育が長期化し、青少年の社会との接点が希薄になりがちである。ヨーロッパでは高等教育に入る年齢は20数歳であり、高校を卒業してから一回社会に出て、何を学びたいのか考える。学問の動機付けをしっかりさせるため社会活動をさせる制度は作れないか。

   デフレの真因は、人々の深層心理に少子化があるから。子どもを育てるのは大変だという考えがある。教育の現状と子育ての厭避は連動していないか。
  資料1には父母という言葉が使われていない。父母の役割を家庭という言葉で置き換えている。企業と父母の関係が日本社会に影響を与えてきたと思う。
  柔軟な学校システムについて、科学技術創造立国についての議論の際、天才論(飛び入学、飛び級等)をしていたが、教育の原則を考える際に、どこまで取り上げる必要があるのかという気がする。
  理科離れの背景には日本の企業社会がどういう役割を果たしてきたかの認識無しに、身勝手な話が多すぎないか。中・高時代は詰め込みが大事。それなのに、勉強しないでいいと今まで言い続けてきたのではないのか。

   社会との関わりで教育をどうするかの視点が大切。日本では大学生を子ども扱いする。欧米では、ギャップイヤーが制度ではなく社会慣行となっている。社会が大学生を教育してやろうという意識や慣行が必要。子育てに抵抗があるのは、大変なため。社会的に子育てが楽にできる環境を作るべき。社会が子育てに参加する制度とともに慣行を作るべき。

   教育目標の中で、理念的な目標は数値化することは難しいが、例えば、規範的価値については、英のガボールのEQの提唱のような試みもあり、数値化の努力をする必要があると思う。また、評価は重要だが、評価の結果をどう生かすかを視野に入れた計画とする必要がある。

   今、投票率も下がっており、民主主義を考える上で政治教育についても考える必要があると思う。振興基本計画について、数値目標を入れるならば、3年ごとに見直すなど定期的に見直さないと硬直化する。見直しの規定を基本計画に位置づける必要がある。

   10年後の日本社会の姿を資料として出してほしい。例えば、10年後が「豊かで寛容な社会」なら我慢や規律の教育が必要。「外国人の数が増加」なら文化の多様性や異文化への寛容の態度、「高齢化と子どもの人口減」ならそれへの対応等、行うべき教育が定まってくる。

   豊かな心や人間性の育成について。宮崎県の五ヶ瀬中等学校では、しっかりとした子どもが育っている。政策として豊かな心の育成を出すなら、そういう学校を増やせばいいのではないか。案外簡単なような気もする。

   日本の教育は実は多様性があると思うし、特に私立学校では色々な取り組みを行っている。普通と違う学校はどこが違うのか、国が直接責任を負うべき普通の公立の学校に応用できないか考えることは良いことだ。

〔文責は生涯学習政策局政策課〕


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