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第41回中央教育審議会義務教育特別部会議事概要(速報版)

※ この議事概要は、事務局の責任においてとりまとめたものであり、今後変更の可能性があります。

1. 日時
  平成17年10月18日(火曜日)14時〜17時30分

2. 場所
  パレスホテル「ゴールデンルーム」(地下1階)

3. 議題
 
(1) 新しい時代の義務教育を創造する(答申)(案)について
(2) その他

4. 配付資料
 
資料1−1   新しい時代の義務教育を創造する(答申)(案)
資料1−2 新しい時代の義務教育を創造する(答申)(案)(素案からの見消し版)
資料2 六団体緊急声明への反論(若月委員提出資料)
資料3 今後の開催日程予定

参考資料1 新しい時代の義務教育を創造する(答申)(素案)
参考資料2 地方議会からの意見書
参考資料3 第39・第40回中央教育審議会義務教育特別部会議事概要(速報版)

追加資料1 梶田委員からの配付資料
追加資料2 藤田委員からの配付資料
追加資料3 地方六団体代表委員からの配付資料

5. 出席者
 
委員: 鳥居部会長、木村副部会長、茂木副会長、赤田委員、吾妻委員、阿刀田委員、荒谷委員、石井委員、井上委員、小川委員、片山委員、加藤委員、苅谷委員、見城委員、高竹委員、田村委員、千代委員、角田委員、渡久山委員、野中委員、藤崎委員、藤田委員、増田委員、無藤委員、山本(恒)委員、山本(文)委員、横山委員、若月委員

事務局: 塩谷副大臣、下村政務官、結城事務次官、近藤文部科学審議官、玉井官房長、田中生涯学習政策局長、銭谷初等中等教育局長、樋口政策評価審議官、舌津技術参事官、鬼澤施設助成課長、山中初等中等教育局審議官、布村初等中等教育局審議官、前川初等中等教育企画課長、藤原財務課長、高橋総括教育改革官、その他関係官

6. 議事

  ・概ね以下のような意見交換が行われた(○:委員、●:事務局)。
委員  今日の議題は、答申案についてである。前回審議いただいた、答申素案を私と木村副部会長と相談の上、修正を加え答申素案から答申案にした。私から、答申素案の修正方針について、説明させてもらう。前回審議で出された意見で最も多かったのは、費用負担に関する記述についての意見。現行の国の負担率二分の一を堅持すべきであるということを明記すべきであるという意見、それから両論併記にしないでほしいという意見が極めて多く出されたと認識している。一方、地方六団体の委員からは地方六団体委員から出された意見をきちんと記述してほしいとの意見があった。これらの意見を踏まえ、まず総論部分では、審議の大勢を占めた意見について採用することにした。地方六団体委員の意見は、第II部各論に12箇所を追加記載とした。答申という性格上、記載する事項に限度があるため、「はじめに」で答申を取りまとめる基本方針と、審議の過程で出された数多くの意見や提言について審議経過報告や議事録も参照してほしい旨を記述することとした。

事務局より資料1-2に沿って修正部分を説明

全体討議

委員  前回地方六団体が書面で修正を強く求めたが、この答申案は、基本的に現行制度堅持を主張する委員の意見が積極的に取り上げられ、地方六団体代表委員の主要な論点が取り上げられていない。取り上げられたものもあるが必ずそれには、その後の反論を付しており、極めて不公正な取扱いを受けている。この特別部会の審議においては、地方の意見を真摯に受け止め、地方六団体の意見を十分尊重する必要がある。再度の修正意見だが、前回提出して受け入れられない内容について、再度修正を求める。
 (答申案P6の枠内の記述)前回と同じ修正文章、分権改革の重点は、まずは国から地方への分権、次に都道府県から市区町村へ、そして教育委員会から学校への権限移譲が大事な理念であるので、改めて強く主張させてもらう。
 (答申案P8の枠内の記述)前回と同様の修正案だが、審議会の性格上、多数決ということで我々地方の意見を付記しないのは、非常に不公平、不公正な運営である。その立場から、ぜひ地方六団体からの意見、我々が述べたことを記述してほしい。総額裁量制に関する地方六団体からの意見を最も重要なポイントとして明記してほしい。
 (答申案P8の枠内の記述)学校の施設整備だが、これも前回と同様の意見である。我々が述べてきた公立学校施設整備に係る国庫補助負担金について、地方への自主的・計画的な整備のための税源移譲を求める強い意見があったと修正すべき。
 (答申案P8の3つ目のまる)度々引用されている中央教育審議会、中教審の基本姿勢に関する記述だが、費用負担に関する地方案を活かすという方策が何ら示されていない。この記述は真摯に地方の意見を受け止めたものと言えず、誤りであり削除されたい。
 (答申案P9の5つ目のまる)中学校のみを対象とすることは合理性がなく適当でないとの記述になっているが、度々申しているように、われわれは小中学校併せての一般財源化を提案している。今回、政府から要請された平成18年度までの経過的対応として、中学校分を要求しているだけであり、我々の主張からして、この文章は適当でない。削除されたい。
 (答申案P10の1つ目のまる)我々の主張する、税源移譲に結びつく国庫負担金の制度改革と全く相容れない内容であり、我々の考え、地方の考えを受け止めているようなことではなく、我々の意見とは相反するものであるので、このような認識は不適当。ぜひ削除されたい。P43も同様。
 (答申案P27の「ア 教育委員会の設置の在り方」)前回提出した素案に対する意見、われわれの修正要求が反映されていない。教育委員会設置の選択制を認めるべきで、結論において、この教育委員会設置の選択制を否定する表現を修正してほしい。
 (答申案P29の「ウ 首長と教育委員会の権限分担の弾力化」)文化財保護や社会教育を含めて、文化、スポーツ、生涯学習支援については、総合行政の中で首長主導で、その責任の下に行うことを原則とすべきである、との我々の地方側の意見を活かした表現に修正すべき。
 (答申案P31の上から1つ目のまるの9行目)次の文章を追記されたい。「これに対して、地方の主体性により義務教育の質の向上を図るためには、義務教育費国庫負担制度を廃止し、税源移譲を行うことにより、財政面における地方の自由度を高めるとともに、学習指導要領や義務教育の標準法などの基準・法令を地方の自由度を高める方向で見直すことが必要であるとの強い意見があった」
 (答申案P33の最後の3行)教職員定数の加配定数については算出基準が極めて不透明なので、客観的な基準にする必要があることの趣旨が表現されていない。その趣旨にそって修正し明記してほしい。
 (答申案P38の上から3つ目のまる)前回と同じ意見であり、義務教育制度の根幹の維持と国の責任の堅持、これを優先すべき理念として位置づけられているが、優先ということでなく、地方案を活かすということの両方が書かれているので、一方的な解釈をされて検討されることは、公平公正な運営とは言えないことから問題視である。
 (答申案P38の「ウ 義務教育費国庫負担制度の検討に関する3つの観点からの議論の概要」)これは我々が、国庫負担制度が最も確実だと言っていることに対して、国の予算は40パーセント以上が既に国債という借金でしか組めない状況にあること、これまで国の財政再建という名の下、地方への負担転嫁という形で、一般財源化を行なってきたことから、国庫負担といえども安心できるものではないとの意見を追記すべき。

委員  公立学校施設整備については、それぞれの地域が自主的、計画的に整備していくものであり、国の画一的な規準に基づく国庫負担金制度ではなく、地方の判断で計画的に推進できるよう税源移譲すべき。公立学校施設整備を地方の判断で計画的に推進できるよう税源移譲すべき。
 教育委員会制度の設置については選択制にし、地方の判断に任せる必要があると主張してきたが、これを答申に反映させるべきである。現行教育委員会制度については、文部科学省から都道府県教育委員会、市町村教育委員会という縦割りの閉鎖的な仕組みの大きな要因になっているなど、極めて問題がある。答申案では、教育委員会の弾力化を行うことや、運用や制度の見直しを行うことで改善を図ることとしてあるが、これでは極めて不十分である。また、文化財保護や社会教育も含め、文化、スポーツ、生涯学習支援について、総合行政の中で首長の主導で、その責任の下行うことを原則とすべきであり、これを答申に反映させるべきである。
 この中教審で議論がもう100時間も超えているが、三位一体改革の意義が、未だ委員の皆さん方に理解をいただけていない。今一度皆さん方に理解いただきたい。三位一体改革の推進について、我々には、今こそこの日本を変えたい、変えなければならないとの高い志を持って臨んでいる。一省庁の省益や既得権益、権限を守ろうという、いわゆる旧勢力とは基本的な姿勢を異にしている。三位一体改革は、地方にとっても痛みを伴う改革である。しかし、その痛みを分かち合ってでも実現すべきである。小異を捨てて大同につこうということで、地方六団体が一致して取り組んでいるものである。国民の目の届きにくい中央省庁に集中している権限や財源を、住民に最も近い地方自治体、住民の目が行き届き、手の触れられる地方へ移してこそ、住民サービスの向上が図られ、行政の透明性、公平・公正性も確保されるという地方分権を実現すべきだという固い決意を持って臨んでいる。
 「権腐十年」という言葉があるように、権限、財源の中央独占は必ずやよどみや濁りを生じる。中央省庁の強大な権限のため、地方の自主性、自律性は大きく損なわれている。国の過剰な干渉、細部にわたっての関与のために、地方の行政の自由度は非常に小さいものとなっている。中央省庁の画一的縦割り行政の弊害を断ち切りたいとの地方の思いは、切なるものがある。地方自治体も、これまでのように何でも国に頼るのではなく、自己決定能力と自己責任体制を確立する必要がある。
 残念だが、文部科学省に任せておけば、自己決定しなくても、責任を取らなくても済むといった中央信仰をもつ地方や人がいることも事実であり、これまでの中央省庁の地方不信、地方べっ視の姿勢には、強く抗議したい。とりわけ、義務教育は国と地方の責任で行うと定められているにもかかわらず、地方を信用せず、信頼関係を持とうとしない文部科学省のかたくなな姿勢、地方に任せると何をするかわからないとの中教審での意見等は、選挙によって選ばれた首長、ひいては、それを選んだ住民、有権者をばかにしていることになるのではないか。現在の情報社会、成熟した民主社会で、首長が一方的、独善的な教育を行い、教育を軽視した行政をするなどは考えられない。選挙の洗礼を受け、国民や住民に対し直接責任を負う我々こそが、これからの我が国の教育制度全般について、本当に自分のこととして真剣に考え、取り組んでいることを、この際はっきりと申し上げる。
 なぜ我々が教育の分権化を言い、そのための一つの方策として、義務教育費国庫負担金の一般財源化を求めているのか、いま一度整理し発言させてもらう。大前提として、これまでの我が国の戦後教育に対する評価がある。その評価は極めて否定的なものにならざるを得ない。アメリカから与えられた戦後の教育と称するものは、民主教育と称し、権利や自由平等を強調するあまり、理念なき自由主義や権利意識ばかり強い利己主義者を大量発生させた。近年の不登校やいじめ、自殺、非行、校内暴力が多発、そして学級崩壊などは、これまで国主導で行ってきた戦後教育の失敗を如実に物語るものである。現場の学校は荒れている。学力は低下している。日教組は人事に介入している。今何とかしなければ大変になるといったことは、自民党の文教制度調査会の中で、度々議論されている。少年による凶悪事件の続発、幼児・児童虐待、大量のニートと称する若者の発生なども、学校をはじめ、地域、家庭など、社会の教育力が衰退していることを如実にあらわしている。人間が真に成熟していくためには、教育システムそのものが機能不全に陥っていてはどうしようもない。文部科学省主導の戦後日本の教育制度は、制度疲労を起こし、限界に来ているのではないか。文部科学省が全国一斉に号令をかけ、全国津々浦々の学校が「右へならえ」する集権教育的発想は、ゆとり教育の例にも見られるように、既に破綻している。まさに義務教育こそ瀕死の状態にあると言っても過言ではない。最近の報道から一例を挙げても、小学校での暴力行為が大幅に増加しているとか、保護者の大多数が学校よりも塾や予備校のほうを優秀と思っているとの内閣府の調査結果などが出ている。
 中教審で意見が一番対立している財政論であるが、国庫負担金制度がこのまま残り、これまでと同じように財源保障のないものも、ずるずるとなし崩し的に一般財源化されるということになると、地方には一方的な負担転嫁となり、結果として、地方財政はますます苦しくなる。特に教育熱心な首長ほど困ることになり、教育にかける財源をこれ以上悪化させないためにも、今、一般財源化をしておくべきと考える。昭和60年以降、文部省が一般財源化を推進した経緯や、国の財政状況からして、財務省による教育費削減攻勢は、今後ますます強まることになるのは、容易に想像できる。国が何かをしてくれるという時代は終わった。甘い幻想は地方も捨てなければならない。このような状況下において、負担金も交付税も厳しい先行きが予想されるが、今貧しくても自分たちで納得して使える、そして、将来景気上昇による税収増も期待できる地方一般財源化を、我々は進めていきたいと考えている。
 一般財源化すれば何がよくなるのかといった議論には、私は、負担金は施す者と施される者との関係、まずこのような上下主従関係を断ち切る、そういうメリットを最大に挙げたい。さらに、事務効率の面でも、配分作業がなくなれば、人件費や手続に要する時間の節約など、文部科学省のスリム化にも効果があるという実利的な側面もあり、これは中央集権教育打破の第一歩と位置づけられる。
 私は逆に聞きたい。文部科学省が、これだけ一般財源化に反対するほんとうの理由は一体何なのか。あらゆる教育関係団体を総動員して、今総選挙で圧倒的多数の国民の支持を受けた小泉内閣の改革路線に、ここまで頑強に抵抗する理由は何であるのか。義務教育は国の責任というのは表向きの理由ではないか。本音は、これをきっかけに文部科学省の地方への関与が抑制され、これまでのように全国津々浦々に威令が行き渡らなくなることを最大恐れているのではないか。文部科学省の存在理由がなくなること、文部科学省解体論が出てくることを恐れての抵抗ではないかと思う。
 1986年の臨教審答申では、多様で柔軟、分権、自律的教育が提言され、1998年の中教審答申では、この理念がさらに具体化され、指揮・監督による権力的作用よりは、非権力的作用により、自主的・主体的活動を促進することが重要と述べられている。ところが、現在の中教審では、こと財源の問題に関しては、義務教育費国庫負担金の堅持など、分権教育を進めるのとは逆の論理で進められており、せっかくこれまでの中教審で21世紀の教育のあるべき姿、方向性が示されてきたのであるから、当然それを踏まえた議論がなされるべきであるのに、それがない。過保護や過干渉は子どもをだめにするのと同じで、一部の地方自治体は、これまでの国の過保護になれ、依存体質がしみついている。一方分権意識に目覚めた自治体は、今こそ自分たちの地域の子どもたちを、自分たちの権限と責任で育てたいと強く望んでいる。地方に任せると教育の質が低下するおそれがあるということが、既にこれまで何度も繰り返された議論である。義務教育は現場の先生方の努力によって今の水準が維持されていることは、だれから見ても明らかである。今さら何ゆえもって、それがさらに低下するというのか。地方自治体とそれに連なる現場の先生方がなぜ信用できないのか。先生方は必死になって毎日子どもたちのために頑張っている。日本の教育水準を曲がりなりにも維持し、支えてきているのは、我々地方の力だと確信している。地方に任せたら教育力が低下するという心配だが、今、教育力が低下し、学校が荒れていることをどうするのかを先に心配すべき議論ではないか。今までの文部科学省の行政自体が信頼を失墜しており、文部科学省は最小限、国としての指針を示す程度にとどめ、義務教育の財源や教職員の人事権などの権限は、全面的に地方自治体に移すべきである。教育の現状認識の議論が中教審ではほとんど行われず、これからの教育をどうすべきかという前向きの議論がなされず、地方六団体案をつぶそうという一念だけの、後ろ向きの極めて不毛な議論が、これまで100時間以上にわたって延々と繰り広げられてきた。
 国が二分の一負担していることが国の教育責任を果たしていることとイコールであるという論理は、全くナンセンスである。この負担制度が昭和15年の戦時下体制で生まれたことや、戦後負担金制度が中断していた時期があることなどからも、国の責任論と結びつかないことは明らかである。しかも、この論から言えば、私立の小中学校については、国は全然責任を持たないということになるのか。こんなばかげた理論が通るはずはない。文部科学省主導の教育が日本の教育をここまで低下させてきたのは明らかであるのに、これまでだれもその責任を取っていない。国の責任とは一体何のことを言うのか。責任ではなく、権限と置き換えれば、非常に納得ができる。義務教育を国の責任下に置いておくため、負担金を堅持したいと、文部科学省は今こそ本音を語るべきである。教育に限らずすべての行政について、住民に対し、きちんと責任を取れるのは、我々、地方自治体の首長であって、中央省庁の役人ではない。我々、4年ごとに、それまでの4年間の行政評価を厳しく受ける立場である。教育にあっても、責任を取れるのは我々であると思う。少人数学級や習熟度別学習を、文部科学省の反対を押し切りやってきたことをどう考えるのか。今ごろになって文部科学省は、地方の先行的教育を追認し、これまでの姿勢から豹変して、総額裁量制なるもので地方を説得しようとしているが、まさに節操のない場当たり的なやり方である。ますます文部科学省不信は募るばかりである。我々のこのような先導的努力の結果で、何とか義務教育が水準を維持しているということに対する国の反省がない。現場の学校長や教頭、真の教育者として日々精進努力している先生方によって、今の義務教育は最悪の状態を免れている。このことなくして、日本の教育の再生復活はあり得ない。教育現場は日々創意工夫を凝らし、一生懸命努力している。放課後の子どもたちの居場所づくりや、登下校時の安全の確保、健全育成活動など、義務教育へのかかわりから言えば、文部科学省などよりは、はるかに地方自治体のほうが責任を持ってかかわっているのは明らかである。文部科学省は、極端に言えば、学校内の授業時間の子どもたちだけとしかかかわっていない。義務教育を受ける子どもたちの24時間に責任を持っているのが、我々、首長である。その我々が権限も財源も求めるのは、当然のこと。教育について首長が責任を持つ体制ができれば、各自治体は競争して教育の充実強化を図り、教育の活性化が大きく図れることになる。今、特区や研究指定校で実験的に行われているようなことが、日常的に地方で行われる大きなメリットとなる。
 国の教育費は毎年確実に削減されている。その結果、現在、義務教育費のうち3割に満たない額しか国は負担しておらず、7割以上は地方が支出している。給与費の二分の一負担も、実際は二分の一以下の額しか国は負担していない。国の財政危機は深刻であり、今後とも教育費の増額は期待できない。一方、景気は回復基調にあり、今後、税収増も期待できることから、むしろ交付税、地方税の将来のほうに期待が持てるのではないか。地方交付税は、我が国の地方自治、財政制度の根幹をなすもので、これを否定することは、地方自治そのものを否定する暴論である。これからの我が国経済がどう動いていくのか、その中で国と地方との財政関係はどうなるのか、財政の専門家でも極めて難しい推計を、この中教審では一刀両断し、700兆円の借金、国民1人当たり600万円、この国の財政を信頼できるとしてあるが、とても納得できるものではない。
 官邸の意向を無視した答申は許されないとする石井知事の発言に対し、多くの委員が、官邸の意向を持ち出すのは強圧的であるとか、中教審の権威にかかわる等の意見があったと聞くが、先の郵政民営化問題が解散総選挙によって国民の意思を問うた結果、小泉改革が圧倒的多数の国民によって支持されたことを学習していないのではないか。改革の本丸は郵政民営化であるとして総選挙に勝利した小泉首相に、国民は構造改革推進を引き続き期待し、改革を止めるなという小泉首相の姿勢に大多数の国民が賛同している事実に目をつぶり、これらの状況をいまだ受け入れようとしていない。官邸の意向、すなわち国民の意思に背いて、どんな教育があるのか。
 世論を代表する報道各社の論調も同じである。共同通信では、地域の教育は、住民に身近な地方自治体が主体となるのが基本である。地方側が言うように、実施主体に財源を移し、裁量権と責任を持たせることのほうが自然な流れだ。教員給与は裁量の余地のない人件費であり、地方に移しても分権のメリットはないとの意見も出たが、どちらがやっても同じなら、実施主体に移すという基本に帰るべきだろう。義務教育費国庫負担制度が中央集権的システムを裏から支えてきたのは間違いない。指導法に至るまでさまざまな規準で縛ることで、教育現場の足腰の力を奪ってきた文科省の集権的体質を徹底的に洗い出し、地方主体の教育をつくり上げたい、と言っている。産経新聞は、子どもたちの将来は自治体が責任を持つというのも、地方分権と言える。その意味からも、財源委譲は意味があるとしている。日経新聞は、地方が削減案をまとめた以上、国は尊重する必要があるとしている。朝日新聞は、地方に金を渡したらどこに消えるかわからないと言わんばかりの姿勢は、教育をめぐる地方分権の流れを無視した議論であるとしている。さらに、毎日新聞は、中教審は文科省の諮問機関に過ぎない。三位一体改革の原点に立ち返り、内閣と地方側との協議の場で決定するのは当然だ。そして、教育の地方分権の趣旨を貫くため、いずれ小学校分も委譲を進めるべきだと言っている。さらに、経済団体のヒアリングで、我が国の経済を支え引っ張っている経済団体からは、分権教育を支持する意見、現状での教育に強い不満を持ち、もっと競い合い切磋琢磨できる教育現場、教育改革を求める強い意見があったことも無視されている。教育費の財源が、経済界の活動によって得られた貴重な税にあることは自明のことであり、教育界の一大後援者たる経済団体の意向も無視する一方的な姿勢は、理解できない。また、有識者の東京都の教育委員であった米長邦雄氏は、文部科学省が中央集権体質を改めて、各地区の自主性に任せさえすれば、教育の問題は99パーセントまで解決すると述べている。さらに、専門のシンクタンク、「構想日本」の提言では、地方の独創的な教育の試みは、常に予算や人事を通した国の画一的なコントロールという壁にぶつかる。国の教育行政における画一的関与、規制を最小限のレベルに減らし、現場に最大限の自由度を与えるとともに、自由な財源を確保すべきであると言っている。文部科学省の指令で行われているのかどうかは定かではないが、いろいろな教育団体が負担金堅持の要望を私のところへ持ってきている。私としても、地方六団体の立場を理解いただくよい機会であるので、積極的に会い議論している。その結果、校長会やPTA、教員組合など、ほとんどの方が、私たち地方六団体の立場に理解を示していただいた。地方議会でまた堅持派の意見がたくさん出たということも、ここの特別部会で議論されたと聞いていて、この特別部会でこれまでそういう報告があり、あたかも多くの地方議会において、国庫負担金堅持を求めているような説明があったが、全国市議会議長会の調査によると、次のような結果となっている。平成16年8月から本年9月までの地方六団体の国庫補助負担金改革案の早期実現や、三位一体改革の推進に関する意見書採択数は、1,000件を超えている。このうち、平成17年6月及び9月議会において採択を行ったものは、591件となっており、全都市の約77パーセントである。いずれにしても、地方六団体が平成16年8月に政府に提出した国庫補助負担金改革案並びに本年7月に提出した改革案については、政府が地方六団体に対する要請に応じて、個々の地方公共団体においては様々な意見はあるものの、それぞれの団体が正式な手続を経て決定したものであり、政府の要請に応じて、2回にわたり提出した改革案が地方六団体の総意であることは、明らかである。明治以来の中央集権体制から地方分権へと流れを変える大きな意義のある三位一体改革である。国庫負担金が現状維持ということになれば、この改革は振り出しに戻ってしまう。地方分権など要らない、地方は永久に国の出先機関として存在すればよいということか。文部科学省の省益のためには、分権による教育力の向上という国益は考えなくてもよいのか。教育至上主義に基づく議論は、もういいかげんにしてもらいたい。国全体のことを考えずに、教育界の利害や打算などだけにこだわっては元も子もなくすといった愚は避けるべきではないか。今まで少人数学級、習熟度別学習、教員の市町村採用など、文部科学省はこういった地方の先行的教育にことごとく反対してきた。今になって総額裁量制を持ち出したり、少人数学級を終始言ってみたり、支離滅裂ではないか。この三位一体改革がつぶれるようなことがあったら、また元の文部科学省の中央集権教育が復活することは目に見えている。
 文部科学省は、この国の教育がどうあるべきかの高い理念や教育方針を掲げ、国際的な教育水準の維持等に力を注ぐ政策官庁に特化すべきである。地方への負担金、補助金の配分作業などは技術的側面の強い作業であって、教育の責任とか本質の議論からは縁遠いものである。現在の国庫負担制度と国の教育に関する責任論とは、何度も言うように、関係のない議論であり、ほんとうに義務教育は国の責任で行うと言うのであれば、現在の義務教育の7割以上を地方に負担させたり、あるいは、人件費の二分の一弱しか国は持たないという状況をこそ解消すべきである。一部の委員が言っている、全額国庫負担とするのが正しい筋ではないか。全小中学校を国立学校にして、全教員を国家公務員にするというのが、国の責任だという意味では、首尾一貫した考えではないか。現状で維持・固定することと、国の責任論が一体どう結びつくのか、全く理解できない。
 教育予算が削られる。地域間格差が激しくなるとのおそれ論は、もう聞き飽きた。非論理的な、一方的な決めつけに幾ら反論しても理解されず、大変残念であるが、それでも我々はその場合の解決策も提案してきた。それらを十分検討もせず、今回、一方的に反論を封殺し、負担金堅持に一本化した答申を出そうとしていることは、全く理解に苦しむ。中教審の権威、名誉のためにも、地方の改革案を真摯に受けとめ、我々の主張を答申に反映させるよう、改めて強く要請する。

委員  千葉日報や毎日新聞の千葉欄に千葉の自治体74の中、49の首長による意見広告が掲載された。「今、義務教育が危ない」とあった。地方六団体の意見は市長会のトータル意見ではなく、一部の市長かもしれない。そのことは、我々も正しく認識すべきだと思う。先ほどの委員の話の中身は、多くの市長の方たちからの意見広告からしても疑問を生じる。反対の市長もたくさんいるということは、やはりここできちっと紹介しなくてはいけないと思う。
 二分の一国庫負担というのがきちっと書かれたことは、現行制度をきちっと堅持するという姿勢が出ていて、私は今の修正された原案に賛成である。特に、教材購入費や図書費が確実に確保される必要があるということについても、現在の利用されている実態からすれば、こういうことを指摘することは非常に大事だと思う。
 第2章の教師の質の向上の問題に関連して、一部「教師」教師という記述を「教職員」にされたのには感謝。ただし、教員と修正すべき点もある。今、教員養成部会で論議しているのは概ね「教員」という言葉が使われている。そこには、一貫性をもって最終答申に向けては議論してほしい。
 公立学校施設整備費や耐震化の問題は、義務教育を施設設備の立場から守るという意味でも、一義的に国が責任を持つべきだと思う。特に、先だって国の中央防災会議が、直下型の地震に対する耐震性の問題について報告をしたが、それによると、住宅の耐震化率がまだ75パーセントだと言っている。しかし、公立小中学校の耐震化率は51.8パーセントであり、公立幼稚園の耐震化率は45.5パーセントである。こういう実態を見ると、今、やはり5年間で3兆円というような予算が組まれているが、やはり額が非常に少ないのも事実であるから、子どもたちの生命の安全の観点から、これは早期にもっと増額をすべきである。また、「地方からは非常に使い勝手が悪い」という意見があったが、使い勝手がもっといいように総額裁量制などの工夫をして、より有効な手段によって、公立学校の施設整備が整うことを期待したい。
 国がやればすべてが安全というわけではない。今は国の財政負担も非常に大きいわけで、財政も逼迫している。状況は地方も同じで、国が義務教育に責任を持つというのが政策であり世論であるとすれば、その方が信頼できる。地方交付税は今後削減されることになるし、総務省は財政難の自治体による地方債発行を制限するような形で、新指標の格付けというのをやるというのが新聞に出ていた。今地方では、熱心に教育問題が言われていることについては感謝したい。しかし、財政的には非常に厳しく、ますます厳しくなっていく折でもあり、是非とも義務教育については第一義的には国の責任でやっていただきたい。

委員  先ほどの委員の長々とした朗読が、実は今回の中教審のこの議論を象徴していると思う。私たちは真剣に議論してきた。だけども、全然かみ合っていない。委員は、地方六団体の3人の委員以外が、三位一体改革に対する理解がないと指摘されるが、理解していないのは委員の方。いろんなことを言われたが、ほんとうに丁寧に理論的に議論をして、全部とは言わないが、ほとんどは解決している。三位一体改革の理念が当たっていないとか、誤解だとか。そこを全く踏まえていないので、いつまでたってもかみ合わない。それで、自分たちの意見を聞いてくれないからひどいという、一方的な批判になっている。三位一体改革の理念について違和感はないが、今永田町、霞が関で進行していることとはかなり違う、ということをここで何回も申し上げた。それで、大方の皆さんの理解を得られたと思っている。三位一体改革の理念を全うするには、義務教育国庫負担金とは違うものを引っ張り出して議論するほうが、三位一体改革を実現することになるという話をしたつもりである。
 負担金については、その負担金を通じて、施す者と施される者がいると言われたが、これも全く理解されていない。恣意的な政府の裁量性の強い補助金と、負担金は違うものである。負担金というのは、国が払う義務があるもの、他の経費に優先して支払う義務があるもので、地方は金を国からもらうと言っても、これは施されるものではない。地方には権利がある。これが負担金の性格であり、それも何回も申し上げた。文部科学省は都道府県に義務教育費国庫負担金を支払う義務がある。そういうことも、残念ながら理解していない。
 負担金をなくすこと、負担金をやめることが、地方に任すこととは関係ないというのは、制度的な検証を苅谷先生がなされ、委員一同納得されたはず。非常に明快な分析で、得心した。国と地方との義務教育の枠組み、制度的な制約というのは、それは負担金制度ではなくて、他の法令にあることを、クリアに例証されたはず。これも全然、理解されていない。
 文部科学省がすべてを仕切っているとの意見があった。答申案をまとめたのは我々委員である。委員の意見では、私を含めた多くの委員がまるで文部科学省の手先であるとの意味になる。それは人の名誉を著しく傷つけるものである。私は自分の考え方でものを言っている。頼まれたからものを言うとか、だれかに長々と作文を書いてもらって、そんなこと読んだのは一回もない。自分の考え方で全部やっている。委員の威信、名誉に関わる問題だ。釈明を求めたい。
 官邸の意向に沿うべきとの石井委員の意見に他の委員が反発したことに関し、増田委員は総選挙の結果を学習していないと指摘された。総選挙は、三位一体改革、なかんずく、義務教育費国庫負担金の在り方を問うたものなのか。それで、国民の意思が決まったものなのか。そう増田委員が理解しているなら、全く間違いである。先の選挙で争点となったのは郵政民営化問題の1点のみであり、義務教育費国庫負担制度が争点となったのではない。小泉総理が勝利したから、全部何事もすべてのことについて小泉総理の意向に従うべきだと言われたのなら、それは独裁者を生むファシズムだ。民主主義と全く違うことになる。いくら何でも増田委員の先ほどの発言、それから、その長々とした振る舞い方というのは、看過できない。

委員  過去、町村長の一員として12年間行政に携わってきた。この義務教育費の国庫負担制度の移譲については、地方六団体から意見が出されているが、義務教育費国庫負担制度について首長に対し行なわれたアンケートを見ると、かなりの市町村長が財源の負担に不安を抱えており、現行維持を支持していることが分かる。この点を地方六団体は考えてほしい。5万、3万、2万というような弱小の自治体にとっては交付税の削減は大きな打撃。今まで教育に熱心と言われた市町村長が、どういう財源の配分をしているかということを、私はつぶさに聞いており、やるべきことができなくなってきている。ここにいる委員方は、大半が大きな市町で財政的に豊かな市町の方々が多いが、財源の不確かな逼迫した市町村が、今後どういうような財源的に確保ができるかが第一番に心配。大きな市町村と小さな財源的に逼迫している市町村の、格差ははっきり出ている。財源がしっかりと充てられない限りは、さらに格差が広がっていく。私は12年間、教育現場の実情に関する、意見、要望を聞いてきた。なかなかそれに対応できなかったこの10年ほどであった。平成16年以降は、さらに大きな問題点が財源不足の市町村から出ている。現在、市町村長がかなりの数で財源に不安を感じ、交付税の維持を唱えている。
 増田委員は今後税収増が見込まれると言われたが、社会、福祉、教育の財源を十分満たす機会は期待できない。消費社会において一番問題になっているのは、報道にあるように、貧富の差がアメリカと同じようにだんだん拡大しているということ。この問題をどのように平等に解消できるのかを考えるべき。私も三位一体改革大賛成だが、外交、防衛、教育という三本の柱を地方に委ねるだけでは、首長としての責任を果たすことはできない。
 答申案で、「二分の一」という分数表現が漢字で書かれているが、分数の表記に不統一があるので統一されたい。
 答申案P18の「障害種ごとの盲・聾・養護学校」の部分で、この「障害種ごとの」という表現は適切なのか。
 31ページの4行目に、「権力的な作用」「非権力的作用」という表現の適切性も検討すべき。わかりにくい表現は削除すべき。

委員  増田委員の意見については、片山委員の意見に基本的にまったく同感。先ほどの増田委員の主張は地方分権というより、教育について連邦制を前提としている印象を強く受けた。そのような主張は少なくとも部会ではしていなかったと思うので、非常に大きな違和感を持った。
 石井委員は繰り返し地方案を入れてほしいと言って、今回も随分修正案で入った。このことは、率直に言って他の委員に対し非常に不公平と思う。自分もかなり異論を述べたつもり。いろいろ考慮はされているが、基本的な点で、入れてほしいあるいは削除してほしいことについて、十分に審議がされていない事情があると思うが、入っていない。ただ、多くの委員が、この部会の大きな役割が義務教育の費用負担にあると了解しているし、自分もそう思っているので、そうでない部分については、この場で自分の意見を付記なり併記なりしてほしいとは主張しなかった。従って、その点について総会やその他担当している分科会、部会において、自分の意見を考慮した検討をしてほしい。
 地方六団体の緊急声明の内容は、これまでの本部会の審議内容と意見の分布を無視した極めて独断的で一方的な議論だと考える。中央教育審議会は不公正運営であるとの項があり、その内容も含めて、このような主張を通そうとするならば、極めて横暴であり審議の公平性を著しく損なうと思う。
 2点目、「全国一律の教育か、地方の創意工夫を活かした多様な教育か」と「全国一律に実施されたために全国一律に問題を起こした『ゆとり教育』」の項及びその主張については、その対比の仕方は教育・教育行政の実態やこの間の改革・改善の動向を無視して、改革課題を過度に単純化し、単純化するための議論以上の何ものでもない。
 3点目、(教育の分権化が必要不可欠)という項の「教育の分権化を進めるには、権限と税財源をセットで移譲することが不可欠である。」と言う主張は、これまでの本部会での多くの委員の意見、文科省に寄せられた全国の自治体からの意見、委員から紹介のあったあちこちの自治体あるいは市長会等における多くの市長・校長等の意見、「日本の教育を考える10人委員会」で実施したアンケートで82.5パーセントの市区町村長が義務教育費国庫負担金は維持すべきとの結果の紹介、といった全てを無視したもの。
 4点目、「地方の教育力を活かすべき」の第一段落の「地方不信に基づく言われなき批判である」との主張は増田委員から繰り返し発言されたが、このことは、自治体間格差を含めて地方の財政事情が将来的にどのように推移するかの見通しに関わる問題であって、地方を信頼するかどうかといった問題ではないと考えているし、これは多くの委員からも発言が繰り返しあったところ。
 同第3段落の「義務教育費国庫負担金の税源移譲はまさに(三位一体)改革の重要部分である」との主張は、地方六団体の主要関心が、三位一体の改革、国から地方への改革の推進であり、義務教育の改善・充実、教育行政における地方分権改革の推進は二義的な問題でしかなく、義務教育費国庫負担金を「三位一体の改革」のスケープゴートにしようとしていることを端的に示すものだと理解する。また、13.2兆円の税源移譲の財源候補がなぜ義務教育費国庫負担金なのか、2三位一体の改革の趣旨を重視するならなぜ、地方の実情に応じ、効率性と裁量性を向上させる他の国庫補助負担金を候補にしなかったのか、という問いに対して、同じ説明を繰り返すだけで、合理的説得力のある回答は一度もなかったと理解している。
 したがって、費用負担の在り方については、基本的にこの答申案どおりで良いと考える。
 この答申案では、諸点について非常に問題があると考える。第1に、この答申のある部分は、改革幻想、改革至上主義にとりつかれ、改革が教育現場に及ぼす影響や改革の目的が適切に達成されるかについて十分な検討も根拠付けをしないままに、重大な被害の予想される改革をすべきではない。繰り返し批判してきた諸点について、今回の答申には重要な問題があると考えるので、できるなら削除ないし修正をしてほしいが、今日は修正案を述べる場でもないし、他の担当している分科会等で審議中であることを踏まえ、そこでの適切な審議をお願いしたい。
 答申案は大きく3つの内容に分けられる。1番目は、義務教育の費用負担について。これについては、基本的に賛成。2番目は教育における地方分権改革の促進について。学校、地方の裁量権や自由度の拡大を含めて、基本的に賛成。3番目は、義務教育の在り方、義務教育の質、学校・教員の教育力の向上について1全国的な学力調査の実施、29年制義務教育学校の設置、3教員免許更新制の導入、4教員評価の客観化、5学校の自己評価結果の外部評価と第三者機関による全国的な外部評価の5項目につき大きな違和感あるいは反対意見を持っている。この時点で修正案を出すことはしないが、中教審の当該分科会や総会等での十分な検討と責任ある賢明な判断を期待したい。特に3番目について、その特徴は、競争主義・成果主義、査察主義・管理主義、改革至上主義が非常に目立っており、特に、前にあげた5項目は、三位一体の改革で義務教育国庫負担金の廃止が政治的に俎上に載せられたことへの対応戦力として、この部会や他の分科会でも俎上に載せられるようになったと理解しており、その意味で、これらの改革案は改革幻想や政府の聖域無き構造改革に応じて、義務教育費国庫負担金を堅持するためのスケープゴートとして、少なくとも自分は見ている。このような改革が進むと日本の義務教育はますます歪み、その機能も低下する危険性がある。この問題はこの部会に参加してこれに合意することに大きな不満があるので、他の分科会や総会において賢明な検討をしてほしい。

委員  中教審の当該部会である、教員養成部会あるいは教育課程部会で行われている審議を更に深めるといっておられると思うので、私も頭の中に入れておきます。

委員  3点述べる。1点目は、地方六団体の緊急声明で中教審の不公正な運営についての批判があったが、本日まで鳥居部会長の適正な議事運営のもとで審議が行われてきた。本日は先ず、石井委員や増田委員からの意見が40分にわたり披瀝されたが、それについても議長としてそういう発言を優先的に取り上げたことは、まさにこの議事運営が地方六団体に対して配慮行き届いた運営であり、この部会は公平かつ公正な審議が行われてきたと理解しているので、緊急声明の批判は独断的で不当なものと感じている。
 地方団体の意見は、最初の意見表明から本日まで同じ主張を繰り返してきた。そういう点で義務教育特別部会での議論の進展を全く無視した意見に終始しているのは残念。前々回から税源移譲を伴わない改革は受け入れられないといっているが、地方六団体の意見には教育の地方分権の推進も述べられている。教育の地方分権は、標準法や学習指導要領などの基準や規則であって、法令を改正すればより弾力的に学校現場の自主性・自立性は高められ、権限と責任を持つことにより教育が活性化するという基本的な認識では一致しているのではないか。その意味で、税源移譲が伴わなければ地方分権ができないということはあり得ない、ということは今までの特別部会の議論でも十分論証されたと理解している。
 前回の石井委員の発言で、公立学校施設整備費について事実関係が異なっていたので正確に話したい。高等学校の改築事業の償還財源について、地方六団体は事業費補正を廃止したものを単位費用に振り替えたものといっていたが、このやり方では、改築事業をした地方公共団体だけではなく改築事業をしない地方公共団体にも地方交付税措置がされることになる。そういう意味では、事業費補正とは全く異なり、全ての市町村に単位費用による費用が配分されるため、結果として薄巻きになり、改築事業のインセンティブが機能しなくなってしまう。その点から、この改築事業については、地方交付税措置が平成17年度以降は廃止されたに等しいという話を以前させて頂いた。また、事業費補正を廃止したものを単位費用に振り替えるといったが、高等学校にかかる基準財政需要額の算定では、平成16年度から17年度にかけて3パーセント減となっており、結果的には十分措置されていないといえる。

委員  今回の答申案には前回審議の意見や提言が可能な限り盛り込んでいる。特に、第4章(2)義務教育費国庫負担制度の在り方と(3)公立学校施設整備費補助・負担金の在り方では、これまでの経緯や地方六団体の主張がきちんと載っている。また42ページには「本来は、義務教育費の全額保障のために、必要な経費の全額を国庫負担することが望ましい」と明記してあり感謝する。本部会で審議を尽くしきれなかった議題についても、引き続き関係部会で審議を深めるとあるので、答申が基本的な提言として焦点化されたと思う。
 両論併記については、あいまいに受け止められるので、これを避け、意見を一本化するための工夫も随所に見られる。第3章では、多くの意見を紹介しているが、「これらの意見を踏まえ、このような方向で見直すことが適当である。」とあったり、第4章では、義務教育費国庫負担制度の検討に関する3つの観点からの議論の概要として、様々な意見が紹介されている。このことにより、両論併記とならず、意見が一本となり、喜んでいる。良い答申案となっていると思う。この答申が確実に実施され、質の高い教員が確保され、学校施設の耐震化などが、国の責任で推進されることを強く望む。
 地方六団体の緊急声明に、全国一律の教育か、地方の創意工夫を活かした多様な教育かとあったが、全国の市町村では現在でも学習指導要領に沿いながら、いかにして、地域の学習資源・人材を活用した特色ある教育を実施しようとしのぎを削っているし、今後も同様。現時点でも地域の創意工夫を活かした教育が行われている。
 全国一斉に問題を引き起こしたゆとり教育についての指摘もあったが、世界の多くの国で学校週5日制が実施されているので、土曜を休みにしたゆとり教育が学力低下につながるのではないと思う。むしろ、夜型社会、情報化社会の陰の部分の影響家庭や地域社会の教育力の低下等、問題は、子どもを取り巻く教育環境やむしろ大人社会にあると思っている。

委員  中教審の議論が不公正との話と、地方六団体の意見に全く耳を傾けないという、石井委員や増田委員の発言は、この間の中教審の審議の経緯をまったく無視した議論ではないかと考える。特に増田委員から教育のいろんな現状についての議論が披露された。その話だと、今の教育問題の全てを文部科学省の責任として押し付け、文部科学省の責任の下で日本の教育は最悪の事態にある、という前提で議論を展開したように聞こえた。しかし、こうした議論の進め方、論法はこれまでの中教審の真摯な議論や取り組むべき課題の整理を全く無視した論法であり、そのため他の委員に対して説得的ではなかったと思うので、その面をきちっと地方六団体の委員は理解してほしい。
 非常に気になったのは、あたかも地方六団体以外の委員は分権改革に対する全く理解がないとの前提にして議論しているが、多くの委員は分権改革の進展には大きな期待をして、そういう基本方向については基本的に賛成の立場が大多数である。問題は、地域間格差といった、地方分権を進めるに従って必然的に伴うマイナスの側面をいかに最小に留めるかであり、この点に関して国のセーフティーネットをどう構築していくかの論議が一番肝心だったような気がする。その点について、負担金制度と交付金制度でどちらが予測可能性が高く、より安定的な財源確保ができるかについていろんな角度から論議した結果がこの答申であり、分権改革に対して六団体以外の委員は全く無理解という認識は正してほしい。
 審議経過の報告と答申は別の性格にすべきなので、答申は多数意見をベースに、基本方針をきちっと明確に書くべき。反対意見は答申外で付記意見とするのが本来の答申の筋。しかし、鳥居部会長が地方団体への配慮ということで、結論を経るまでの過程での地方六団体を含めたいろんな意見を最小限、必要な限りで盛り込んでこの答申を出したという点を理解し、いろいろ問題はあるが、今回の答申案に基本的には賛同する。これ以上地方六団体からの意見を追加することは、審議経過報告(2)と変わらないものになってしまうので、地方六団体代表委員からの意見のこれ以上の追記はできればやめてほしい。
 教育委員会を選択制とすべきと石井委員から指摘があった。しかし、この中教審では教育委員会制度の意義、特に首長の権限が非常に強い日本の自治体制の下での行政委員会としての教育委員会制度の意味について、いろいろ議論した。分権改革の中での教育委員会制度の活性化についての処方策も更に検討していくことが確認されている。そういう議論の中で、選択制を大きな一つの選択肢として記載することは、これまでの審議経過を見ると不適切だと考える。
 地方六団体が多く参加している地方制度調査会でも教育委員会制度については議論されたが、任意設置について一本化されなかったと聞いている。そういう状況の中で、中教審が教育委員会制度の選択制を記載することは不適切だと思うのでやめてほしい。

委員  これだけ議論をし、地方で自由裁量でできるということが明記されているので、きちんと受け止めてほしい。
 増田委員から全額国庫負担が良いというような意見が最後に出たと思うが、これが本音だと思う。現場に近い市長の立場を汲み取って伺った結果は、学校は頑張っている、教師は頑張っている、と聞こえる。そうだからこそ、この部会でここまで持ってきて、会長がまとめた部分は、教職員の質を守るために、教職員の人件費をきちっと確保しなければならない、自分は全額国庫負担と言ってきたが、そういう点では一致しているのではないか。教師の力を重視されるのなら、全額国庫負担と言った意味からも、答申案をしっかりと受け止め、二分の一は国庫負担で確保すると、どんな状況でもまず確保いう立場を受け入れてほしい。
 日本の親たちや若い世代が子どもを持つことへの不満や不安は、教育費がかかるということ。その第一歩である義務教育費は、国が全額保障するということを出さなければ、少子化対策をいくら片方でやっても進まない。ここのところを理解した上でこの案を受け入れてほしい。
 耐震化等の施設整備費に関しては、一刻も早く子どもたちが安全に勉強が出来るよう、公共建築という意味では国土交通省でもしっかりと予算を付けたりと、別の観点からも推し進めてほしいくらいなので、やはり国が負担すべきものは国が負担すべきである。このことと三位一体の改革は全く矛盾してはいないということを分かってほしい。

委員  両論併記は絶対にやめてほしいということを結論として申し上げる。中央教育審議会は守旧派ではない。財源を移譲しないから中教審は守旧派という見方は物事を矮小化したものの捉え方で、世間に対して誤解を与えている。他にいくらでも財源はあるのではないかということを言っている。決して、今の改革に反対しているから義務教育費国庫負担金は維持だということではないことを明確にしたい。
 財政論や税制に関する問題論が多くなされたが、この段階に至っては、そのことも踏まえた上で中教審の名誉にかけて教育論で押すべき。財政論もあるだろうが、これからの日本の教育はどうあるべきかという教育論がここで揺らいでしまってはいけないと思う。
 地方の教育の独自性や自由度を確保するには財源が必要と主張される。しかし、品川区では小さな自治体でできる限りのことはやってきた。財源に関わらず、いくらでもできる余地はあるので、自由度とか地域の独自性というのは、まずその自治体の事業意欲はどうなのかを自らに問うべき。
 国への政策提言がどのくらい自治体としてできるかという力やそれをもとにした地域における政策実施での実行力がない限り、教育の独自性や自由度は実現できない。そういった政策的な自由度を拡充や担保するために、財源確保の手法がどれがいいかと言う話になっている。さんざん話し合ってきた結果、国の責任として一定の財源を担保するのが、一番地方の自由度や自由な考え方を保障できる制度ではないかという大勢だったと思う。
 そういうことから、中教審の名誉にかけ、教育論という観点から両論併記はすべきでなく、大勢の委員の主張した二分の一の今の負担率をきちんと明記している今日示していただいた答申案に賛同する。

委員  答申案はこのまとめ方で良いと率直に思う。教育の地方分権をどのように尊重してこれから活かしていけるかが議論のテーマであったが、それだけですべてが解決するわけではない。
 世界の流れでも、1999年以降、サミットで必ず教育についての提言がされている。それ以降の流れで、どの国でも義務教育を含めた教育は国家戦略として位置づけられている。分権が進んできたどの国でも、国がどう関与するかについて非常に意識し、具体的に動き出している。その流れを汲んでも、今回の答申は妥当だと率直に感じる。どの国も、国家戦略として教育が位置づけられていることをわが国も大事なスタンドポイントとして意識しないといけない。国が全く関係しないということはあり得ないので、財源の問題がそれを端的に表している。

委員  地方六団体の緊急声明で中教審の運営が不公正と指摘されていたが、地方六団体代表委員のこれまでの発言量・回数は、今日がまさしく象徴的だったが、他の委員と比較して圧倒的に多い。これだけ発言し、会長から指名があったのにそれで不公正というのは理解に苦しむ。十分審議は尽くしたのではないか。40回、100時間を越えているのに、何ら議論もないままに云々、との文言は非常に気になった。知事会、市長会、町村長会はどれだけ教育について議論してきたのか。それを考えると、何ら議論もないままということには非常に疑問を感じる。
 7月の審議経過報告では両論併記となっていたにもかかわらずとあったが、審議経過報告は中間の段階であり、両論併記は当然のこと。最終段階に来たら、前回も、前々回も多くあったように、両論併記では意味がなく、多数意見をまとめていくべきで、本部会としての方針をしっかり示すべき。
 義務教育費国庫負担金が地方の教育の自由度を妨げているという問題については、前回の苅谷委員の発言できっちり決着はついている。義務教育費国庫負担制度の下での義務教育改革に積極的に取り組んでほしい。
 三位一体の改革について、理解していないという地方六団体の言葉だが、何人もの委員が話したように、われわれは三位一体改革そのものに反対している者は誰もいないと思う。税源移譲の対象がなぜ義務教育費国庫負担金であるのか納得できないだけ。義務教育費国庫負担金でないことで、三位一体の改革をしてほしいということであって、三位一体を理解してないという言い方は非常に心外。
 財政問題の一つとして教育を考えたり、税源移譲の対象として義務教育の在り方を考えることと、日本の国の在り方、人材育成、義務教育の在り方をどう考えるかということで費用負担を考えるのは根本的にスタンスが違う。本部会は、財政審議会でも税制審議会でもなく、文字通り中央教育審議会である。日本の教育をどうするかを前提に費用負担を考えるのであって、税源移譲につながらないのは地方案ではないとの考え方にはついていけない。
 教育委員会の任意設置については、9月の集中審議で、大勢が任意設置という考え方はあるべきでないと結論を得ている。国から都道府県、都道府県から市町村、市町村から学校現場という教育の分権化が進む中で市町村の教育委員会の役割は今後大きくなると予想される。任意設置の考えは、この流れに全く合致しない。今、最も求められているのは教育委員会の活性化、運営充実に努力すること。
 長い時間議論してきたので、両論併記ではなく、議論の総決算として、多数の意見として本審議会の意向をまとめてほしい。

委員  答申案に賛成。この方向でまとめてほしい。家庭の教育も大事と前回申し上げた。その修正を受けて、子どもの育成の第一義的責任は家庭であると、より明確になった。
 答申案P16の下から2番目の丸、子どもたちの健やかな心と体の育成も重要な課題であるというところは、今非常に重要な問題。学力は非常に重要だが、やはり、心と体の育成が大きな課題なので、P15の「イ 学習指導要領の見直し」の4番目位のところに上げると重要性が出てくる。
 2ページ目の後段の丸、「非常に限られた時間の中で全力を尽くして議論を行い、答申をとりまとめた。」という点は非常に感心した。我々、地方六団体の委員以外の方たち全て、この議論に参画した。本来の仕事を投げ打ち、日本の教育や、日本の子どもたちの将来のために、発言をしてきた。この時間を無駄にしないで、この答申を実現してほしい。
 一番最後の「国民の皆様には、本答申の内容が確実に実現されるかどうかをしっかりと見守っていただきたい」という部会長の大変強い思いを感じ、この答申をすばらしいものと思う。

委員  両論が出てきたとき、どちらの論が正しいのかを決めるのは多数決ではない。事実認識がどれだけ正確で、ロジカルな判断ができるか、ということが最終的に物事を決める時、とりわけ将来に対して非常に大きな影響を持つ政策策定においては、その根拠がどれだけはっきり国民に開示でき、その判断が正しいかどうかが基準となる。多くの人が言ったから正しいのではなく、正しい意見が通るべき
 先の増田委員の発言は議事録として掲載するのみならず、ペーパーをもらって、それを議事録の中に入れてほしい。その中に、どれだけ印象面や憶測に基づく判断があるかを自分は論証する。どういう根拠に基づいて政策選択されているかを説明するのがこの場の委員の責任。つまり、色々な意見を聞くことではなく、そのことを吟味するため、目の前に資料を作るために、どれだけ時間を使い、精査してきたか。そのことに基づいて我々は判断する。比較すれば、明らかに一方の議論が明らかに正しいとわかっている場合は両論併記すべきではない。
 地方六団体の意見は、一般財源化以外は地方に対する分権化を阻むという答えがあって、その論理で今回の議論を進めてきた。しかし、国が財政負担をしながら実質的な教育の地方分権をするためには、地方委員が提案している一般財源化より、国庫負担制度を残す中で総額裁量制を更に使いやすくし、行財政的な仕組みの分権化を進めることの方が地方の自由度は高まる。今まで集めた資料を今後だれかが見れば答えは一つになると思う。
 地方六団体の意見書について、4ページの2つめの丸で、突然指導要領や義務標準法などの基準・法令を地方の自由度を高める方向で見直すことが必要という意見があったが、5月25日に出された意見書にはこれを堅持と書いており、すでに論理的に破綻していることは、自分が論証してきた。私ではなく、石井委員の方が正しいということであれば、両論併記も仕方ないが、矛盾点や証拠、根拠を照らしたときに、正しい意見が審議会として一本化されるべき。
 ここでの選択は義務教育、つまり日本の社会にとって非常に大きな選択である。我々が、そのことに責任を持てるのは、どういう判断の基準を国民にきちんと開示しながら、国民に対して納得のいくような判断を下したかに尽きる。結局、地方六団体の委員の意見はそういった意味での根拠がほとんどなかったと思う。

委員  石井委員と増田委員の意見に全く同感。この特別部会前に、三位一体改革の財政改革で、我々は8,500億円の地方への財源移譲、一般財源化ということを政府に提出していた。4,250億円は本年度暫定的な措置として予算計上されている。残りの4,250億円は18年度の予算で計上するという目途の下、8,500億円の一般財源化は協議されてきた。
 そこで、我々は中教審に地方代表をいれるべきとの意見でまとまった。文部科学省は最初は知事会から1名だけ入ってこいとのことだった。だんだん話をしていると市長会と町村長会から1名ずつ出てこいと。3つの団体があるのに1名はやめておくわけにはいかない。色々話しているうちに3名入れることになった。私は好きでこの場にいるわけではない。今でも嫌で嫌でしかたがない。しかしながら、出席する以上、私どもが決めた三位一体財政改革を主張するのは当然。8,500億円を地方へ移してくれ、一般財源化してくれと言っている。そういう経緯で入ってきたことはみんな承知していると思う。
 増田委員は前回休んだので、意見を出した。みなさんの意に反するところもあるかもしれないが、地方団体の三位一体で決めた趣旨に基づいて意見をしたので、非難されることではない。非難する場所なら最初から教えてほしい。私は非難なら上手。そういう場所ではないと思ったから、最近は言わなくなった。意見を出したのだから素直に聞くべき。採択するかしないかは別の問題。特別なことを言っているわけではないので、意見は意見として聞くべきだと思うが、それが欠けている感じがする。
 我々の要求は一般財源化。もう一つは人事権や教育委員会等について地方側の義務教育の権限について改革してほしいということ。もう一つは、文教施設の改築について、地方へ移して、一般財源化すべきではないかということ。
 教育論で行くというが、財政論のいらない教育論だけで公教育ができるならこんな立派なことはない。しかし、こういう教育をするためにこの財源が必要ということになると思うが、専門家ではないので意見は控えておこうと思った。ただ、三位一体の財政改革でこうしてほしいと今日までやって来た。
 地方側の意見は石井委員や増田委員から出されているので、それをどう採択するかということ。ところが、皆さんの意見は多数決で一本化するということ。自分たちは途中から入り、いらん者だという風に感じた。だから、多数決というのは結果が明らか。そうではなく、地方の意見を尊重して両論併記で出すことが大事。国としてどうするか大事な問題。自分たちも、将来の小中学生の成長や日本の国の将来、地方がどうあるべきかについて考えた上で発言している。多数決で一本化することはやめてほしい。審議会では避けるべき。意見は意見として尊重していくことが大事。少数意見は少数意見でも結構なので、われわれの意見もこの答申の中に記載してほしい。

委員  増田委員に非難が起きたことはなかった。他の人と同じようにその意見を傾聴して、意見を言っただけ。それから、この部会で、かなり多くの委員が3委員を異分子が入ってきたという形で見たことは絶対なかったと感じている。私は教育の素人であるが、利害関係も全くない。私がこの場にいるのは、普通の人として、不公平がなされていないか、意見が汲み取られてバランス感覚が反映されているかを見ていろという立場と理解している。そのような立場から考えて、今何人か言ったのは増田委員への非難ではなかったし、3人の方を異分子として考えた経過は、この長い時間の議論の中になかったし、普通に見ればそう考えてよい状態が続けられたと思う。
 日本の今の教育に関して、これだけ関心のある人が集まって、長い時間審議して結論に達することは、よくも悪くも日本の英知。間違えているかもしれないが、できる英知の限界だと思う。
 今回の答申案はこれまでの意見が概ね取り入れられていると思う。地方六団体からは具体的に意見が出ているが、これをどう配慮するか。他の委員にも、言いたいことがあるが、総意として控えている人もいる。この辺をどう最終案に入れるのか、あるいはこの辺のところで集約するほうに向かうということの議論を少しして、集約的にまとめるのがいいのではないか。

委員  基本的に原案に賛成。三位一体改革も大切。地方六団体の意見も繰り返し伺っている。彼らが教育を重視していることも承知している。しかしながら、なぜ義務教育費国庫負担金が対象なのか、納得がいかない。地方分権を進めることは大事。メリットはあるが、不安定、不公正、不公平の危惧が強い。義務教育段階で地域による特色を持つことは大切だが、あまり全国でばらばらなになるのは好ましくない。義務教育である一定の基礎基本を身につけること、心や体をたくましくするということは共通でやらなくてはならない。
 100時間にわたる審議で方向性を示せないようではいけない。少数意見も尊重すべきだが、それ以上に多数意見を尊重すべき。
 (答申案P15の上から3つ目の丸)「学習指導要領において、各教科の到達目標を明確に示すことが必要」とあるが、具体的にどのように示すのか。細かすぎると子どもたちや教師が意欲的に学習に取り組めるようになるか心配。どのように示すかについて、十分に議論して、教育課程部会で子どもたちや先生方が意欲的に取り組める目標設定をしてほしい。
 本中教審ではみんなの意見をきちんと示すべき。

委員  最後の点は教育課程部会で現在審議中。指摘のとおり、科目ごとに教えるべきことの基本に関して書き方に違いはある。国語だと、最低限覚えてほしい漢字は別表で載っているが、片仮名や平仮名はどこを探しても載っていない。教えることが当たり前のため、書いていないことがあり、一方で音楽は是非教えてほしい曲がリストとして載っている。今後調整は必要。最低限というのをどう書くか、ご教示いただきたい。

委員  この答申案の方向でまとめてほしい。審議はこの辺りで概ね打ち切って良いと思う。8,500億円の問題、三位一体改革について、教師の質・量との関係で言えば、現行制度が必ずしもベストであるとは考えていない。三位一体改革という考え方の枠組みは必要であるし、地方分権という方向も必要と考える。私は、今まできわめてニュートラルな姿勢で臨んできた。義務教育費の費用負担は国がすべきとの方向で良いと思う。
 ただし、各論の地方六団体意見は今後の参考にできると思う。いわゆるゆとりという言葉との決別や、更新制という考えそのものに賛成できないので、多数決をとられたときに、賛成できるかわからない。多くの方々の意見がこれだけ集約されているのだから、多数決は採るべきではなく、六団体の皆さんもこれだけ意見を出され、みんなが耳を傾け、各論にこうして示してあることを大いに案として、全体を取りまとめる方向にすべき。

委員  答申案に二分の一が明記された点に賛成。片山委員が、この費用負担を軸にした議論が冤罪であり、非常に不幸なスタートであったことについて前回もまとめたこと、それから、苅谷委員のこのエビデンス・ベース、ここが非常に大きな21世紀の日本の国づくり、あるいは国民のための重大なところにあることについて、全く意見が同じである。私も一企業の構造改革を行っているが、当たり前を変えるのは本当に大変な作業。現場の人間の意識改革が必要であり、この自覚を持たない限り、今までの文化やシステムを変えることはできない。意識改革をもたらす最も有効な手段はカネ(財源)である。ここについて責任を持たなければならないというアナウンスメント効果は、人を変えるのに一番インパクトがあることは事実である。
 今回の議論は、教育と財源、戦後60年の節目に当たる象徴的なものとして、その都度事務局から報告をいただき、必要に応じて事務局に意見をさせていただいた。前回においては、審議会の在り方そのものまで、各マスコミにも取り上げられたこと。その意味においても非常に意味のある中教審の審議の100時間であったと思う。
 教育をめぐる60年、国の財政の在り方、大蔵省を中心としてきた地方と中央の在り方、これが同時に語られた審議会であった思う。一番自覚しなければいけないのは、教育においても、財政の在り方においても、国の在り方を決めるのは、もう専門家や政治家の先生たちではない。国民一人一人が選んでいく時代なのだということを、この審議会は今発信できる状況にあると思う。本審議会では教育をめぐる問題と財政をめぐる問題が同時に話し合われてきた。教育にしても財政にしても、問題解決手段は国民が選択するという姿勢を発信すべき。田村委員は国家戦略と言われた。義務教育の国家戦略、今年生まれた子どもたちが義務教育を受けるのは、2011年。6年間の小学校教育、そして3年間の中学校教育の義務教育で、我々の現在の議論が将来振り返って構造改革といえるか疑問を感じる。この時代における日本の義務教育を受ける子どもたちの数は、アジアの中でどれだけ貧弱な数字かは、今年生まれている子どもたちの数で決まっている。そこで、納税者ということから言うと、アジアの国から、私どもの工場でも、工場のブルーカラーのラインに日本国籍の人たちは少ない。そうなると、労働力として、すぐれた労働力提供を各国から受け入れるときに、若い人たちが、日本へ行ったら自分たちの子どもがいい教育を受けられると思うかが疑問となる。教育基本法の問題にもかかわってくるが、日本国民が、教育そのものを超えて、人間力をつけるためのすぐれた教育のコンテンツと教育システムを持っているかどうかが、国際的に問われてくる時代が、もう2010年以降は始まってくると思う。教育基本法の問題にもなるが、この国には国際的に通じる地球人、あるいは人間力を身につけられるものがあるかを含めて、そろそろ支度をすべき時代に入っているのではないかをあわせて、全く議論に登っていない視座からの意見かもしれないが、感想として言わせていただく。

委員  負担率2分の1維持ということで答申案に賛成。両論併記はしてほしくない。義務教育特別部会の大勢を占める意見が答申であってほしい。
 我々は現在・未来の子どもたちのためにこの審議会を行っている。子どもたちに対してもきちんと説明できるような答申、特別部会にしてほしい。現在の当審議会の状況は学級崩壊のように見られるかもしれない。

委員  本日出された答申案をそのまま答申文にしてほしい。
 義務教育は、国家的課題、国家経営上の問題という意識が拭い去れない。例えば地方自治法に書かれた地方自治体が行う業務に義務教育があるが、そこに書かれたまったく同じ言葉が憲法に出てくるのは、義務教育だけ。また、最高裁判例で義務教育を行うのは、国家と決まっている。それだけ国の責任は重い。義務教育が地方分権の議論に載らないというわけではないが、普通の自治体行政とは違う。
 2月の部会設置以降、義務教育の理念・目的から議論を始め、国家的見地から義務教育制度の重要性をこの部会で確認してきた。その上で、機会均等、教育水準の確保、無償性という義務教育の根幹を維持するため、その主要財源は安定したものであるべきという結論を得て、現行の義務教育費国庫負担制度の堅持が部会の大勢の意見となった。

委員  全額負担をしてほしい。子どもたちがよく学びよく遊び、心身ともに健やかに育つための環境整備をすべき。両論併記にすべきではない。多数決意見ではなく、正しい意見が盛り込まれていると理解しているので、この答申案でよろしくお願いしたい。
 全額負担してほしいと思っていたが、2分の1ということは明記されたので、これで仕方ないと思う。私たちは子どもが心身ともに健やかに育つことを願っている。その環境作りをしなければならない。教科書無償制度についても明記してあるので、両論併記ではなく、そのままこの答申を進めてほしい。
 これまで堅持ありきで議論してきたのではない。地方格差がでない、安心できるしっかりとした制度であれば、国でも地方でもよいと申し上げている。その上で、議論をした結果、「多数の意見」ではなく、「正しい意見」がこの答申に盛り込まれたと思っている。

委員  この答申案のまま出すべき。当部会は義務教育における国の責任のあり方と、地方分権化をいかに両立させるか、その位置づけにあった。議論の過程の中で、義務教育経費については、義務教育の質を保障するための今最も良い方法として国庫負担金の維持があるという十分なエビデンスが出されたと考える。

委員  教育の世界に政治やイデオロギーの争いを持ち込むべきではない。戦後50年教育に政治が持ち込まれた結果、教育がどれだけ荒廃したかは周知のこと。大変な努力の結果それを克服し、これからは教育のことが語れると思った途端、また政治が持ち込まれてきたのではないか。今は改革の時代だが、近代国家は教育と政治の分離を図ってきており、大きな歴史の流れに逆行していくことを恐れる。
 問題は、政治的理念に基づき答申案をまとめるか、具体論でまとめるかを巡るものであると思う。多くの委員は具体論による取りまとめを支持し、今の答申案に賛成していると思うし、私もこの案で総会に持って行けば良いと思う。一方、政治的理念の問題は残る。その点を総会で示すのは良いと思う。ただ具体的なものはこれまでの議論で尽きているため、原案でよい。

委員  (答申案P28の上から4つ目のまる)エ、教育委員会と教育長との関係の部分だが、教育委員長の役割を補足してほしい。教育長の選任問題と同時に、教育委員会のリーダー役である教育委員長の役割分担の問題がある。教育委員会は地方教育の中心になる理念形成を担うもの。教育長は執行である。今までその問題が教育委員会制度の論議の中でもあいまいであった。教育長の2足のわらじの問題もある。教育委員会の中心になっている委員長の役割を少し配慮すべき。

委員  「今後引き続き検討」の中にその問題も入っていると考えるが、平成10年の中教審の答申と現行とがずれていることを指摘していると思うので、検討する。

委員  両論併記ではなく一本化ということがほとんどの委員から出ているが、先ほどから言われているように、部会長が我々の発言を十分に確保してくれたその流れから言えば、絶対両論併記にしてほしい。我々の意見が本論で出なければ、今までせっかく発言の機会をいただいたことが何も記録に残らないということになる。各論では私はだめだと思う。両論併記という形を強く求める。

委員  内容的にこの答申案に賛成できない。政府・与党合意の求めている、費用負担についての地方案を活かす方策が全く示されていない。部会長もたびたび審議の中で委員にどうかと言ったが、その議論は全く進まず、地方案が無視された形でまとめられようとしている。断固受け入れることができない。
 審議会とはそもそも何か。審議会ではさまざまな意見が出る。意見の集約方法も様々ある。審議会の性格上、少数意見も明記するなど、それらも十分配慮しながら運営すべき。
 当審議会は文部科学大臣の諮問に応じ、調査・審議して意見を提出するという役割。様々な意見はそのまままとめて提出するべき。その上で文部科学大臣がどういう内容を採択し、政策に移すかということ。当審議会は、教育施策を決定し、執行する場ではない。国会議員、県議会議員が施策を議決という形で決定するのとは異なる。必ずしも意見を一本化する必要もなく、それが公正な審議運営ではないか。
 (資料1-2、P36の下から2つ目のまる)地方六団体案には、義務教育費国庫負担金一般財源化への反対意見、慎重意見について、13都県の知事の意見があったと書かれ、多くの委員が度々引用している。地方六団体は民主的な決定の中において、今後の議論の参考にすることが、民主的な審議運営のあり方と考え、付記意見をつけた。
地方六団体委員以外は多数意見に賛成ということだが、何人かの委員から付記意見という方法もあるとの発言もあった。我々賛成ではないが、付記意見という方式について部会長の意見を聞きたい。
仮に採決によりこの内容を決定する、我々の意見を排除するということになるのであれば、審議会の公正・公平なる運営とは程遠い。そのような不公正運営に関して断固反対し、強く抗議する。

委員  (答申案P16の上から3つ目のまる)「個に応じた指導を積極的に実施する必要がある」の「積極的に」のあとに「かつ適切に」を入れてほしい。習熟度別学習には、研究上、実践上、現場にも賛否両論ある。最終的な在り方も含め議論が分かれている。答申の中にこのように明確に書かれると、それが根拠となり実際に政策が実施されることになりかねない。
 (答申案P17の上から3つ目のまる)「自然の中での長期の集団宿泊体験の機会などを拡大」の「長期の」は取ってほしい。教育改革国民会議においても、「長期の」宿泊を義務化するかについては随分議論となった。
 (答申案P17の上から5つ目のまる)「教育活動の充実のためには、子どもたちが過ごす学校の規模が適正であることも必要と考えられる」部分は、小規模校の教育上のメリットや、過疎地における学校配置の問題も含めて、各地域が自主的に編制するという趣旨のことも検討してほしい。
地方六団体代表委員の意見は各論に反映されている。どういう考えが対立していたか十分わかるので、総論の枠内に書く必要はない。

委員  今までの中教審でも、多数意見の場合は多数意見でまとめていた。ただし、今回のようなどうしてもという少数意見があれば、多くの場合否定するのではなく、総会に持ち上げることが多かった。石井委員の発言もあり、多数決ではなく総会に持ち込んでもらえば良いと思うので、これでまとめて良いと思う。

委員  石井委員から私への質問だが、その前にはっきりしてほしい。石井委員ら提出の意見は修正意見なのか。修正意見を採択することを求めているのか、付記意見を求めるのか。

委員  付記意見を求めるものではない。地方六団体ではそのようなことをやった経緯もあるということを参考までに、この文書の中にそれを引用するのであれば論理的におかしいのではないかと、そこを言っている。我々はあくまで修正ということで両論併記、結論部分の枠組みの中に地方意見を何らかの形で記されることを求めている。これが共通の地方側の修正意見である。

委員  今の発言、修正意見の扱い方(答申案の枠内に盛り込むべきか)について意見があれば。3名の名前で出された修正意見を四角の枠に入れるべきところは入れるということだが。

委員  枠内は当審議会の基本的見解を示す部分なので両論併記にすべきではない。審議の内容は各論に十分出ている。この結果を踏まえどう判断するかは答申を受け取ったところですべき。

委員  政府・与党合意「三位一体の改革について」には、こうした問題については、平成17年秋までに中央教育審議会において結論を得ると書いている。両論併記は結論ではない。現在の答申案を変える必要はない。

委員  今の意見に賛成。明確に一本化した結論を出すべき。

委員  前回も言ったが、結論を得るということなので、両論併記ではなく、多数意見で決定すべき。修正意見を書くべきでない。

委員  私たちは前回、第40回の部会で今の議論はしたのではなかったか。前回の結論ではだめだ、2分の1をきちっと書いてほしいということと、審議で両論併記への反対意見が多かったこととを踏まえた上での本日の答申案である。前回の多くの意見が今日の案に記述されているので、この案に賛成する。

委員  それでは納得できない。付記にするか、どうしてもこの案でということなら、「地方側委員3名は反対」と記してほしい。その方がかえってよい。何のためにここに来たのかわからないような結末では、立場上困る。付記しないのなら、3名の名前を書いて、地方側のだれだれは反対であるというのをちゃんと入れてほしい。

委員  そういう意見が出ているが、付記意見を求めているわけではないのですよね。

委員  求めていない。山本委員とは十分な意見交換はしていないが、付記より、ちゃんとした結論部分で地方からの意見について、これに対してこういう意見があったとか、もしくは、地方側の委員3人からこういう意見があったなど、何らかの表現で残してほしい。それが最低の要望。
 付記意見というのは参考までに聞いてもらっただけ。地方側の意見がこの原案に全くなく、他の委員からも「付記意見はどうか」と言う提案があったため。

委員  両論併記すべきでないというのは、前回さんざん議論してその方向となった。ここでは付記はすべきでない。「3名は反対した」と書けば良い。反対者は3名であったということ、それは多数決と同じことである。

委員  ここに賛成の委員が多いという数の問題もあるが、100時間に及ぶ議論は検証するためではなかったか。様々な意見を一つひとつ検証した結果、両論併記はすべきではないとの結論に達している。それをまた元に戻すのでは、また一からやり直すということで、本当におかしいと思う。感情論や答えありきではなく、何が一番いいか、どうしたら財源確保できるか、今まで検証してきたことをきちんととらえ、両論併記ではなく一つにまとめるべき。本答申案で自信を持って通してほしい。

委員  前回の素案と比較しても、答申案では、地方六団体代表委員の意見が各論に詳しく書かれ、それに対して多くの意見はこうであったという書き方になっている。それぞれの意見について、エビデンス・ベースドでどちらが正しいかという判断基準でこの議論は展開されたと思う。地方六団体の意見も公平に取り入れられている。それに対する多くの委員がこうであったとして結論が導き出されている。あえて3名が反対したと記載する理由が理解できない。その点は答申を見れば十分に理解できるはず。

委員  いや、3人が反対か賛成かわからないので、この場で多数決を採ればいいのではないか。書く必要は何もない。

委員  賛成、反対を書くことになれば、みな平等な権利を持って座っているのだから、それぞれの委員はそれぞれ賛成、反対の考えを持っており、収拾がつかなくなる。それでもみな、よりよい義務教育を受けられるようにと思ってまとめてきた。きりがない。

委員  井上委員と同様に考える。各論に不足しているなら、少数意見として記述しておき、今後検討の課題とすることも審議会として必要。ただし、総論部分については、これだけの議論を尽くしてまとめてきたので、追記する必要はないと思う。しかし、経緯を示すために、反対意見があったということではなく、「はじめに」の部分に総論と各論の位置づけとして、各論の中に地方六団体の意見が入っていると示せば、地方六団体委員の意見がある程度取り入れたことになるのではないか。多数決には反対。

委員  時間の関係で退席する。私の意見は石井委員にお任せする。

委員  他の委員と意見は同じ。答申案にこれ以上手をつけるべきではない。地方六団体の方にそれぞれお立場があるというお話しもあったが、審議記録の中には、誰から反対意見があったか残る。それで十分だと思う。

委員  若月委員の意見に賛成。ただ、地方六団体の意見を各委員が真摯に検討したという文言をもう少し工夫し、あとの審議経過等については、総会で文書を出すか、その席で部会長からの発言に任せるというようにするべき。

委員  議事録があるので、議事録に賛成多数で採決との記述があれば良い。我々はすべて「委員」であり、地方公共団体の代表で来ているというのはおかしい。地方六団体代表委員においては、多数決で賛成となった事項に関しては委員としては従ってほしい。特別部会は何だったのかということになりかねない。

委員  前言を翻す。大人の意見を聞いて、やはり名前は明記しないほうがいいと思ったので、議事録に記すので十分わかると思う。

委員  21世紀の教育の行方を決める大事な会であり、きっちりこれまでの意見を言ってこの部分は、賛成、この部分は反対と賛否意見を表明すべきなのではないかと思う。

委員  採決を提案しているのか。

委員  一人ずつ最終意見を表明すべき。

委員  多数決で採決すべきではない。断固反対する。何らかの形で地方の声を残してほしい。その工夫を部会長として検討するのが当然。

委員  石井委員他から提出された「中央教育審議会答申案に対する意見について」は修正意見とのことである。このような署名意見を次回総会にさらに提出してもらう。同時にこれまでの審議と同様に、総会で配付し総会の場で意見を求めるという方法で良いか。

委員  そうすると、本日の答申案とわれわれの「修正に関する意見」の両方が出て、私から修正意見を総会で改めて説明することになるのか。

委員  ただし、特別部会の審議経過は、もう冒頭からずっと大多数の意見は原案に賛成している。そのことは変わらないと思う。

委員  それは、多数の意見としてこれを決定したとなるのか。意味内容を確認したい。

委員  原案の提出者として、文言を四角の枠内に入れることはできない。

委員  それは、地方六団体の意見は反映されないということだ。では、付記意見方式も採用できないのか。

委員  石井委員ご自身が、先程付記意見は要らないのではないかと。

委員  原案に反対し、枠内に書いてほしいという意見を述べている立場上、付記意見でもよいとは言えない。ただ、付記が可能なら、少しでも地方の意見は残ることになる。付記するのは、通常審議会でいろいろ意見がある場合最低限のことではないか。知事会であれだけ大議論して決議したときも書いた。通常の議決機関でない審議会なら、知事会は議決したわけで、ちょっと違うのではないか。

委員  付記意見は、答申に少数意見が反映されていない場合である。今回の答申案では各論で地方六団体の意見は十二分に反映されている。これにさらに付記するのは妥当ではない。原案どおりでよい。

委員  答申案を素直に読めば、地方六団体代表委員の意見は分かるはず。もし、何らかの処理をするなら、原案と修正案でそれぞれ決を取ればいい。増田委員が言われたように、決を採って明らかにした方がよい。

委員  いろいろな意見が出ているが、地方六団体代表委員からはなお強い反対のある部分もある。賛成が多数を占めたとは思うが、渡久山委員、増田委員からご指摘もあったように、皆さんの同意が得られるのならば多数決で採決したいと思うがどうか。

委員  これは部会の案である。多数決をすることの意味は何か。部会としてこの案をまとめたところ、六団体から反対の意見が出た。それはまた総会の場で出してもらえばよい。採決ではなく、部会長の案で行けば良いと思う。

委員  原案を部会として決定して総会に諮りたいというのが、原案。それに対し賛同できるか問うたところ、裁決を主張される委員の方もいるという状況だが。

委員  反対です。

委員  私も裁決には反対です。

委員  我々委員が、この決定に対してどれだけの責任を負えるか、その意思を確認することが必要。多数であるから正しいとは言わないが、正しい意見は多数を占めると思う。

委員  大方の意見は原案賛成。あえて多数決を採る必要はないのでは。

委員  裁決ではなく、3名の委員が反対であったことを総会に報告するという方法はどうか。

委員  この内容について私は反対。

委員  いや、茂木副会長が提案された方法でいいかどうか。

委員  文章で何らかの手当てがない限り、今の指摘には賛成できない。文章の表現はいろいろあると思うが、それは別にして。

委員  また元に戻るが、提出資料は修正意見なのかそうでないのか。修正意見に賛成できない委員が多数を占めるため、どうしても中に入れろと言われても困る。

委員  文章上の問題は別として、地方側の意見を何らかの表現で取り入れてほしいということ。それを踏まえた意見集約がなされるかどうかは、部会長の議事運営だ。

委員  意味が分からない。修正意見を採用しろということではないのか。

委員  意見は取り入れてほしい。しかしまとめは大詰めを迎えおり、ほとんどの委員が原案でよいと言っている。
 それを踏まえて最終的にされるのかということ。

委員  最終的にはもう、座長の務めは大勢に従うこと。

委員  大勢に従うということで。どのような形式になるのか。審議会なので、何らかの多数決などそういう方法をとるのか。

委員  中央教育審議会令によると、意見がまとまらない場合は多数決とすると規定されているので、その方法をとることができる。よく行われるのは大勢が見極められた段階で、総会に上げるという方法。

委員  後者の方法は賛成できない。

委員  答申案の『はじめに』の部分において、反対意見をはじめとする多くの意見を盛り込むことはしていないと記し、反対意見があったことをはっきり言うという方法もある。

委員  素案をつくった人間として、そこに反対意見を入れると、反対意見があることがわかっていて強引に原稿を書いたようで心外なんですが。

委員  問題のある案件を議論しているわけなので、反対意見があるのは当然。義務教育特別部会の設置経過からすればかなり重い。ここで結論を出さずしてどうするのか。総会にはこれまでの経緯を知らない委員もいる。無責任極まりない。本日の審議で結論を出してほしい。

委員  地方六団体代表委員提出意見が修正案なのか、修正案ではないか、はっきりしないが、修正案ではないと決めつけないでいくしかないと思う。そうすると、原案に対する賛否だけを問うほうがやり方としてはいいと思うがどうか。

(「意義なし」の声あり)

委員  では、そうしたいと思う。すでに3人が退席しているが、審議会令を読み上げてもらいたい。

事務局  中央教育審議会令第8条2項は、審議会の議事は、委員及び議事に関係ある臨時委員で会議に出席したものの過半数で決し、可否同数のときは、会長の決するところによる。この規定は部会の議事に準用されている。
現在会長を含め25名であり、13名以上が過半数である。

委員  では、原案に賛成の方の挙手を求めます。反対の方の挙手を求めます。

事務局  賛成の方が21名、反対の方が2名です。

委員  それではこの形で決めさせていただき、これを総会に上げさせていただく。

塩谷副大臣挨拶
事務局  今日で100時間にわたる熱心な議論に感謝している。三位一体と義務教育は本来は、なかなか相容れない問題であるが、教育費をどうするのかという議論はさらに進める必要があると思う。教員養成や学習指導要領等、個々の問題は別の部会で審議してもらうことになる。教育の根幹である義務教育は国が責任を持つという結論であったと思う。文部科学省としてしっかり堅持・実行していきたいと思う。
 スクールミーティングで地方に足を運んだが、現場でかなり熱心な先生は国の堅持を求めていた印象を持つ。本審議会での議論を今後の教育行政に活かしていきたい。
 鳥居部会長をはじめ委員に対して感謝の意を表したい。



参考

第41回中央教育審議会義務教育特別部会における「答申案」の採決状況

1. 日時:
  平成17年10月18日(火曜日)14時〜17時30分

2. 出席委員
 
○出席者:28名
 
鳥居部会長   木村副部会長   茂木副会長   赤田委員
吾妻委員 阿刀田委員 荒谷委員 石井委員
井上委員 小川委員 片山委員 加藤委員
苅谷委員 見城委員 高竹委員 田村委員
千代委員 角田委員 渡久山委員 野中委員
藤崎委員 藤田委員 増田委員 無藤委員
山本恒夫委員 山本文男委員 横山委員 若月委員

3. 答申案の採決状況
 
○賛成:21名
 
木村副部会長   茂木副会長   赤田委員   吾妻委員
阿刀田委員 荒谷委員 井上委員 小川委員
苅谷委員 見城委員 高竹委員 田村委員
千代委員 角田委員 渡久山委員 藤崎委員
藤田委員 無藤委員 山本恒夫委員 横山委員
若月委員
○反対:2名
 
石井委員   増田委員
○棄権:1名
 
加藤委員

(参考)採決前に所用のため途中退席:3名
片山委員   野中委員   山本文男委員
 ※なお山本文男委員は、退席時に自分の意見を石井委員に委ねる旨発言

<了>


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