総件数:123件(※一つの意見を複数の事項に分けて記載している場合があるため、以下の意見数とは一致しない)
●は前回報告以降に寄せられた意見
(「学修時間の実質的な増加・確保」について) ● 学修時間について、学生の生活必要時間等を考慮すると、大幅な増加が望めないことは明らか。 ○ 学修時間を増加させれば問題が解決するかのように短絡的に受け取られかねず、実際にメディアにはそうした傾向が表れている。ポイントは、思考力・判断力や、いわゆる汎用的能力のアップを目指した学び(教育)への質的転換であり、同時に主体的な学びの確立である。それができれば「質を伴った学修時間の実質的な増加」は結果として実現される。 ○ 宿題の増加と学生の自主学修強調による大学教員の責任放棄につながるおそれがあり、学生の負担を増やすのみで効果が期待できない。 ○ 予測困難な時代を乗り越える能力を育成するには、大学教育での学修時間を増やすことで達成できるのではなく、初中等教育を含めて考えるべき問題であること、一流大学入学・一流企業就職を自己目標とする多くの国民、企業、教育機関の意識の変更(人生の目標として何を設定するか)、問題発見・解決能力を試す入学試験・入社試験など、大きな社会政策として、文部科学省だけではなく、まさに国家プロジェクトとして取り組み、本質的な解決に向かう提案を行うべき。 ○ 学修時間増加で質が向上するのか。そもそも大学教員の教育力が明確に定義されていないのに質的向上が図れるのか。FDがあるとしても、社会の期待に応えているのと誰が判断すべきなのか。 ○ 海外の学修時間と比較するのであれば、日本にも当該国にも精通した人材のヒアリングを含め、意見を聞くべき。 ● 「学修時間の確保」が強調されると、何のための大学での学修か、という根本的な目的が希薄になる。 (学び直しができる機会の構築) ○ 社会人が少しずつでも単位を取得して勉強を続けていけるように、在学年数の制限を取り払ってほしい。授業料も一律ではなく、登録した単位数によって金額が決まるようにしてほしい。 ○ 障害者を含め、いつでも誰でも学べる大学づくりや、学び直しができる制度を作ることが必要。 ○ センター試験に高校卒業の基準点を設けるなどして、高校を卒業(もしくは大検に合格)すれば誰でも大学に入れるという現況を是正し、夜間授業や託児所を設けて社会人の再入学や聴講生制度を活発にすることで、各大学の学生数を確保するよう努める。 (改革サイクルの必要性) (学生に求める能力) ○ 「生涯学び続け、どんな環境においても答えのない問題に最善解を導くことができる能力」をはぐくむためには、まずは「現代社会にそのような能力がなぜ必要なのか」、「そのような能力の個人の人生における意味」を学生が十分に理解していることが必要。また、社会の共通理解が形成されていることが重要。 (「主体的な学びの確立」について) ○ 「主体的な学び」という言葉が多用されているが、今回の提言の本質は、良い意味でより管理された大学教育の確立であり、学生をいかにきちんと学ばせるのかについての具体的な方策にある。言い換えれば、学生を「学ばせる」システムの確立が重要である。 ○ 主体的な学びの確立の方策は、学修時間の増加がすべてではなく、大学が多様な人々の学びの場であることも考慮しなければならない。 ● 主体的に考える力の育成取組について、国が単一の計測方法を開発する、開発できると思わせるような安直な誤解を招かないようにすべき。 ● 「主体的に考える力」を育成するには、学生に「主体的に考える」ことの「喜び」や「味」を体験させることが不可欠。課外活動、卒業研究、ボランティア活動など、あらゆる機会を利用してそれらを体験させるとともに、「主体的に考える」方法を教えるシステムの構築や全人的(徳・情・体・知)教養教育のあり方について言及する必要。 (質的転換のための諸方策) (授業の在り方) ○ 授業のスタイルが変わることが必要。 (具体的な授業改善方法の提言を) ○ 教育方法の改善・教育スタッフ数の充足、質の向上・資材環境の整備が今までよりまして必要。 (単位認定の厳格化) ○ 単位取得のためのテスト問題を難化させれば自分から予習復習も進んで行い、授業にも出てくるようになるので全体的な学修時間が増加する。 ○ 大学の授業は大学教員が内容、テストなどを自由に決めることができるために、同じ内容を取り扱う授業でも、大学教員によって単位取得の難易度が大きく違う。そうした現状を無くすために、しっかり授業内容を理解しないと単位取得ができないよう、授業の内容に一定の基準を定めるべき。 ○ 単なる講義形態ではない演習や討論を中心とした授業作りは学生の興味をひくのに効果的だと思うが、それらが全て学生の授業外の学修時間の増加につながるとは思えない。 ○ 定期試験は論文を主にして、学期途中に論文形式のレポートを課すことで、知識を覚えてそれを応用する力と、自分の意見を論理的に言語化する能力を養えるようにする。また、授業に出席すれば単位をもらえるような現状をなくす。 (学修到達度の評価) (学生に「基礎学力」を身に付けさせる教育システム) (幅広い分野に触れる機会を) (教養教育の充実) ○ 幅広いグローバル化、少子高齢化、情報化といった社会変化に対応するためにも、学部の段階では教養を身につけるということが重要。主体的に学ぶためには学部の枠を超えて授業を履修できるような制度、たとえば、教養学部の復活が必要。 ○ 人間社会が健全に機能し存続するためには、既存の価値や疑われることのない諸前提を根本から考え直し、社会を再度価値づけし直す機会が必要。既存の価値や思考方法自体を疑い、それを変え、時には壊していくことが「考える」ということであり、それが大学の存在意義である。 ● 学士課程ではリベラルアーツに力を入れるべき。自分の意見を持ったり、他人の意見を評価したり、大衆に流されないようにするためには、思考の元である教養が必要。 ● 学生にとって、社会人として生きるための哲学の基礎を作ることが重要。そのためには、選択できる教養科目の充実が必要。多様な学生にとっては、教養科目を選択することが、与えられた科目から自分自身で選んだ科目という認識が生まれる。専門性も重要であるが、想定外の事象に対応するためには、与えられた座学では得るものは少ない。 (共通教育の外国語授業の見直し) (日本語の知識と運用能力を身に付けるカリキュラム) ○ 大学の授業は、文章力、表現力、外国語力が初等・中等教育において基礎が十分に獲得されていることが前提であり、その上に実際の課題等に対してディスカッションやディベートを行うべき。現在の学生については特に国語力の低下が問題。 (専門教育の更なる充実) (国家試験制度の見直し) (学修モデルの提示) ○ 「事前の準備」、「授業の受講」、「事後の展開」を効果的に行うロールモデルの提示が必須。 (学生のレベルに応じた教材の開発・提供) (学生の1日当たりの授業時間数の減) ○ 学修量を増やすことが質向上につながるのか。90分という一般的な講義時間の設定自体に疑問。 (各授業の受入れ人数を最少にし、かつ科目履修の際に動機付けを) (学生に討論させる授業に転換) (チュートリアルの導入) ○ イギリスのセミナーやチュートリアルといった授業形式を取り入れて、授業の中で学生たちが発言する場を多く設けるべき。大学の授業でディスカッションする場を設けることが非常に重要。 (毎回の授業で小テストを実施) (試験、レポートの作成にあたって直筆を義務付け) (シラバスの充実) (企業の求める要素を講義に) ○ 大学での学修内容と企業が求めている内容とが乖離してしまい、修士号を取得しても就職口が全くないという事態は本当に憂慮すべき状態。 (インターンシップの充実) ○ 大学の夏季や春季などの長期休暇を利用し、インターンシップ期間を長期化することによって、グループワークや社会で働く力がしっかりと身に付くため、社会に出たときに即戦力となる。 ○ インターンシップやボランティア活動等の社会体験をもっと気軽にできるようにする。 ● 企業からの要求を実現するためには、企業が自らその機会を提供することが必要。そのためには、本来のインターンシップの充実が必要。 (ルーブリックの活用) ● 学生個々の人間力の検証が重要であり、ポートフォリオの活用が有用。 (単位制の見直し) ○ 幼児期から高校まで自主的な活動を保証されずに、受験勉強も補習と詰め込みの中で主体性を持てないで大学に入学してくるのが現実。 ○ 現在の単位と学修時間の関係について、ゼロサムで再構築していくことが必要。 (時間割、授業期間の弾力化) (キャップ制における再履修科目の取扱いについて) (図書館機能の充実) (SNSツールの活用) (学生の詳細な実態調査を) (新しい学修方法の効果の検証) (大学院教育改革こそ緊急の課題) (大学院接続を重視した改革が必要) ● 自分が専門としたい分野では、勉強すればするほど、わからないことが増えて行くような勉強の仕方が不可欠である。また、理工系では、学部教育で完結するのではなく、大学院での研究経験も含めた動機付けができるように考える必要がある。忙しすぎるカリキュラムは、学生に考える時間を与えないことから、好ましくない。 ○ 多くの大学院生は学部から接続した進学者であり、大学院の授業も学部時代と同じ大学教員、学生となる。また、研究テーマも学部時代と同じ内容であり、視野が狭くなる。学生と大学教員がなれ合いで、緊張感がない授業・研究指導になりがちである。大学教員は研究業績作りのために教育不熱心となり、それが故に学生の質が上がらず、研究論文も出せないという悪循環になっている。実態調査をし、諸外国の大学院教育との比較などもし問題点を明らかにしてもらいたい。 (就職活動の早期化・長期化の改善) ○ 学修時間が一番確保されるべき3・4年次(あるいは大学院2年次)の学生が、専門教育を集約化していく最も大切な時期に就職活動が行われており、就職活動の時期の抜本的な見直しをなくして、大学の質保証及び学生の学修時間確保の根本的な問題解決にはならない。日本の企業全体が遵守するルールの設定も必要。 ● 企業側の若者の受け入れについて再考が必要。採用については、 (授業で討論した結果について) |
(学長と教授会の関係性の整理・見直し) ● 大学教員が高齢化しており、教授研究以外のマネジメントを含む雑事をこなす力量が昔に比べて組織的に低下している。雑事とよばれる業務が、急速に高度化し、また、専攻分野の教育研究の内容も高度化が進んでいる。 (組織の主体的な点検、改善活動の促進) (事務職員の活用) ○ 教学マネジメントには、大学教員だけでなく事務職員のマネジメント力も活用する必要。そのためには、現場の努力だけではなく、法令の改正を要望。 (マネジメントの力量を持った専門人材の育成) (大学教員の流動化) (科目相互の有機的連関は困難) (単位認定を厳格に行う大学運営) (大学教員の意識改革) (教員の合意形成が重要) |
(大学教員にマネージャ教育を) (教育研修事業の充実、大学教員にも教員免許を) ● 大学教員の教育力を向上させることが必須。大学教員のみが教育の基本を学ぶことなく教壇に立つことが伝統的に許されている点を見直さなければならい。 ○ 大学に期待されていることは、職業生活や経済環境に直結する教育であり、学習の系統化。「K-16」を実現していく必要がある。 ● 大学教員の基盤は、その教員が教え育った教育観であり、意識改革で大学教育の課題を解決していくことにも限界がある。自律的に大学教員の自己改革を促すにも、どこまでできるかは疑問。 (大学教員の教育貢献を正当に評価すべき) (学生の授業評価は必要。教育と研究の役割分担を) (学生参加型FD) |
(初等中等教育との連携) ○ 学修時間が少ないことが問題視されているが、質を伴った学修時間を増加すれば好転する確証がどこにあるのか。2003年PISA調査にて世界トップの成績を収めたフィンランドが、年間授業日数、家庭での学修時間ともに日本を下回っていてもトップとなり得た理由の一つがテストや順位などという方法で勉強を強制しないため。グループ学習、少人数学習、個別指導が多く、生徒の自主性や協調性を重視。生徒たちが自ら教え合い、話し合うことで知識が確かなものになる。学習する内容も生徒だけで決めることもある。テストのために暗記をする必要もないので応用力もつくのである。日本のように受験や成績のために、徹夜で暗記などという考えはない。 ○ 高校卒業程度試験を設けるなど、大学教育の質の保証を考える前に大学入学時点での学生の学力の保証を考える必要がある。高校までの学習のつけを大学に押し付けるべきではない。 ○ 「大学における主体的な学び」は「義務教育及び高校教育を通じて知識・技能の着実な習得やそれらを活用するための思考力等、学修意欲の基盤として形成されてこそ成立する」ものであり、大学入学前の初等・中等教育段階での学びの改善は重要な課題。 ○ 高校教育における学びの質の転換の必要性を、もっと強調していただきたい。 ○ 初等中等教育・高等教育がバラバラに動いてきている現状を改めない限り、真の解決にはならない。そのための方策として、大学教員と高校以下の教員が互いの職場を行き来するような真摯な取組を国が主導することについての議論が必要。 ○ 「初等・中等教育において学生が12年間受けてきた教育課程の内容・質についての評価分析」と「教育を受ける主体(学生)の質の一定程度の保証」を抜きにして学士課程の質を高めようとする論は机上の空論。 ○ 小学校から高校までの12年間で、受験インセンティブ(学習=入試のためのもの)に価値観をおいてしまい、受験インセンティブでしか学習意欲を持たせないような傾向になっている。 ● 学士課程教育について本格的に質的な転換を求めるのであれば、大学だけでなく、小中高校、および企業がそれぞれこの問題を真剣に検討し、社会全体も大きく変貌することが必須。基本的に学修方法は受動的で、最小限の努力で効率よく結果(成績)が得られることを目指す習慣が身についた状況で大学に進学することを考えると、大学での対処には限界。 ● 高校教育の現場では理解することは重要視されていない。正しいか正しくないのか答合わせが中心であり、知識が体系的に組み上がっているわけではなく、使える知識にはなっていない。 (教育制度の根本的立て直し) (学力低下の原因の徹底した調査を) (入試の見直し) ○ どんなに大学が改革しようとしても、高校入試や大学入試が現行のような制度を続ける限り学びの質は変わらない。大学進学者を抱える進学校は、入試問題対策に力を入れ授業時間は増え続け家庭学習時間は減り続ける。試験訓練された子どもたちが、大学に入って急に主体的に学べる訳がない。 ○ 高校段階までの入試・受験のための勉強、点数学力への偏重から転換をはかる必要。大学入試制度の見直しも必要。 ● 大学教育の質的な転換のためには、教員の意識改革のほかにも、学生の意識も同時に変えていくことが必要。そのためには、「入試の変容」も必要。 ○ 個別入試の問題は、当たり外れの大きなギャンブル性の大きな試験。 ○ 現行のセンター試験を入試資格試験とし、ある基準点以上の生徒はとりあえず入学させて、卒業を難しくする。また、原則すべての学部学科で数学、現代文、英語、理科2科目、社会2科目の受験を課すようにする。 |
(大学教育への公共投資こそが有効な方策) (大学本来の役割を果たせる環境整備) ● 大学教員は基本的に研究者で、研究の立場から内容を吟味し、教え方を工夫しながら教育を進める。そのためには専門的な立場から教育内容のたゆまぬ吟味が大切。しかし、社会で求められている多様な能力は、大学教員が考えている能力とは必ずしも一致しない。 ● 教員に本来の能力を発揮していただくため、規制緩和が必要。予算の執行、報告、監査をもっと簡単にする。優れた教育研究者が教育・研究ではなく、事務処理で四苦八苦している。 ○ 「本当に答えのない問題に取り組む」場は(卒業)研究である。研究は、世界で唯一の未踏の問題に取り組むチャンスであり、大学が卒業研究を卒業要件としてきた歴史の意味はそこにある。 ● 国際的にみて見劣りする低水準の高等教育予算では、学修時間の実質化のための措置や工夫を施こそうとしても実現するのに十分な体制が担保できているといえない。「国際的な信頼の源泉」と位置付けるのであれば、高等教育の基盤的条件整備については、政府として別途抜本的な対策を行うことが喫緊の課題。 (学生の経済的負担の軽減) ○ 個人が人生の様々な時期に大学で学ぶことを可能にするには、学費の問題が最大と言っても過言ではない。国公立と比較して圧倒的に国からの補助金が少ない私立大学においては、さらに大きな困難がある。学費が高い最大の理由は国からの補助金額の少なさである。 ○ 現在の教育費にかかる負担は、学生・保護者にとって非常に重く、仕送り額も年々減少傾向にある中で、学生は生活費を稼ぐためにアルバイトを余儀なくされており、「大学での学修」に専念できない厳しい環境に置かれている。何よりも学生・保護者の教育費負担軽減や、経済的支援(給付制奨学金の創設など)を充実させることが不可欠。 (給費制奨学金の導入) ○ 3%の金利である有利子型奨学金は事実上「教育ローン」であり、教育を受ける権利の実現や奨学の措置としては不十分。無利子型・給付型の奨学金を拡大して、子どもの権利条約や国際人権規約の遵守および国内での実現をすることが必要。 (私学助成の充実) (私学助成・国立大学運営費交付金の廃止と高大接続テストに連動した教育バウチャーの導入) (大学院重点化大学の学部は廃止もしくは縮小を) (標準修業年限の見直し) (定員管理の見直し) (学生数等に見合った大学教員確保) ● 何より重要なことは専任教員数を増やすこと。このような大学教育の基礎的整備の立遅れこそが、現在の学士課程修了者の学力低下の根本原因。教員数が増加し、教員一人当りの負担が減少すれば、教員間の連携はより良く行われる。 ○ 非常勤削減や退職教員の不補充により、半期あたりの大学教員の持ちコマ数が8コマをはるかに超えている状況。それに加え、多様な学生への対応(不登校、いじめ、精神的な疾患、学習障害など)が必要となる学生の入学が増えており大変な労働強化となっている。こうした状況の改善なしには、今回のとりまとめ案のようなことは到底できない。 (学生の能力が発揮できる社会環境整備) (競争的環境下での先進的な教育モデル構築の推進と情報共有の場の設定) ○ 大学が改革を進めながら機能別分化に対応し、それぞれの強みと特色を発揮していくためには政府によるインセンティブを付与した支援策が欠かせない。 (高度英語教育を受ける機会の提供、留学生への奨学金制度の見直しを) (留学生の受入れと国内就職支援の充実) |
(評価制度の簡素・合理化) (評価結果の積極的公表を) (情報公表に支えられた対話型の評価を) (専門分野別評価の導入) ○ 学部だけでなく、専門分野別の認証評価が必要。大学院の教育・研究を聖域としてはならず、この部分の質保証こそ技術立国日本を標榜するならば不可欠。 (授業についての項目別評価の導入) |
(表題の変更) ○ 「予測困難な時代において」を「持続可能な社会の構築に向けて」に置き換えるべき。 ○ グローバル化社会への対応や国際通用性等の観点から学士課程教育の質を考えるならば説得力があるが、「予測困難な時代」という漠然としたタイトルが登場し非論理的になってしまっている。 ○ 「予測困難な時代」と題されているが、何をもって予測困難と考えるのか。人類は行き着くところまで行き着いたという意味であるならば、将来への希望が広がるよう例えば「新たな未来を切り開く」といった言葉を用いた方が、社会に対する明るさを提供することになるのではないか。 ○ 今の学生(若者)にとって「予測困難な時代」というには、厳しい社会状況。企業における若者の働かせ方や、非正規雇用の増大によるワーキングプアといった労働環境の下で、「大学での修学」を通じて「次代を生き抜く基盤」を身に付けるよう求めることは、あまりに過酷な要請。 ● 「予測困難」であれば何をめざして努力を積み重ねればよいかわからないという印象を与え、主体的な努力を促すことへの逆効果になるのではないか。 (大学教育の本旨) ○ 社会の期待に応える努力をすべての大学が行うべきであるというメッセージであれば、多様であることをしっかり明記した上での答申にしたほうがよい。 ○ 大学はまさに多種多様。全国一律の提言は、個々の大学においてはほとんど役に立たない。例えば、授業の規模、大学教員の持ちコマ数、学生の基礎学力、学生の小・中・高校までの学習習慣や学習意欲など、1つの大学内でも学部や学科毎に大きく異なっている場合も多い。これらをひとまとめには論じられない。 ● 高等教育機関である大学での教育内容は、4半世紀以上意味のあることが必要。卒業して数年で色あせてしまっては意味がない。このような文脈でいえば、「すぐに役立つ」ような教育は大学で行うべき教育ではない。「学修時間」という一見わかりやすい数値指標を持ち出すことが、真に大学が行うべき教育の改善の議論になぜ繋がるのか、明らかな論理の飛躍がある。 (大学の機能別分化) ● 高等教育の大衆化を踏まえて、一律に同じ目的の大学としない検討が必要。 (国が期待する人材像の明確化) (変化に耐えうる大学か厳正な審査を) (新たな提言はこれまでの政策の反省の上で行うべき) (変化を求める際には十分な審議と実効性の高い方策を) ○ 審議まとめで用いられているデータは、日本経団連(2004)、CRUMP(2007)となっており、本当に現状認識にマッチしているのか。今回の審議まとめは、それなりにデータは示されているものの、データが存在しないことも含め、特定の偏ったデータをエビデンスとした議論にも見える。 (大学教育の目標等について) (学生の置かれた現実に立脚した具体性のある議論を) (議論は尽くされ、実行あるのみ) (大学教育の質保証のため学科レベルでの大学間連携を) (学位の国際的質保証について) (授業週の解釈) (大学ポートレート) ○ 認証評価で求められる情報や、マスコミ等から求められる情報も積極的に収集・公表できる、利便性の高いシステムの整備が必要。 (高専専攻科の更なる改善) (早期からの高専教育の導入) (学校教育制度の見直し) (義務教育の単位化と年齢によらない進級の導入) |
(提出された意見を事務局の責任において整理、取りまとめたもの)
高等教育局高等教育企画課高等教育政策室
-- 登録:平成24年07月 --