資料9-2 パブリックコメントによる意見(概要)(5月29日現在)

  総件数:23件 (※一つの意見を複数の事項に分けて記載している場合があるため、以下の意見数とは一致しない)

【質を伴った学修時間の実質的な増加・確保】


(学生に学修モデルを示す)
○ 海外の大学生がどれほど勉強しているかという情報を見える形で与えればよい。
  各大学が学生に求めるモデル的な学習時間や学習スタイルを示すことが有効。これらの情報は高校生や中学生にもしっかり伝えて、「大学は勉強よりも自由な時間を楽しむ所」という意識を変えることが必要。

(「研究」こそ「答えのない問題」に取り組める場)
○ 「本当に答えのない問題に取り組む」場は(卒業)研究である。研究は、世界で唯一の未踏の問題に取り組むチャンスであり、大学が卒業研究を卒業要件としてきた歴史の意味はそこにある。
  今回の提案によって授業科目が増大し、卒業研究の期間を圧迫するようなことがあれば、大学が本来持っていた「答えのない問題に取り組む」最大のチャンスを潰すことになりかねない。
  大学生が主体的に教科に取り組めない理由は、「なぜその教科が必要なのか」が分からないからでそれが分かるのは、研究を始めてからである。ひとつの方法としては、学部1年生の段階で一度研究室に配属させ、「研究」の空気を肌で体験し、その後「教育」に帰す、というのが有効。
  大学の教員が時間的余裕を持って研究にあたり、学生がその背中を見ることができるような環境の整備をしてほしい。研究こそ学生が生き生きと学べ、個として独立できるチャンスである。

(教養教育の充実を)
○  教養課程が大学から廃止され失われたのが「論理的に文章を書く力」、「人にわかりやすく話す力」である。「予測困難」な事象にさしあたったときにこの解決に力を発揮するのが幅広い教養である。大学の授業の有効性とは、この最も重要な基礎力の形成と、その基礎を活かして専門性を発揮させることにある。大学生ならば当然知っている、という知識が理系・文系を問わず有るべき。専門性の縦深性は幅広い教養のもとに培われるもの。今や民間は「教養」を学生に求めている。じっくりと国民共通の文化力をとり戻すために大学の教養課程、あるいは教養教育を充実させることが望ましい

○ 大学は学生が主体的に学ぶとところであるという原点に立ち返る方針には基本的に賛成。
  幅広いグローバル化、少子高齢化、情報化といった社会変化に対応するためにも、学部の段階では教養を身につけるということが重要。主体的に学ぶためには学部の枠を超えて授業を履修できるような制度、たとえば、教養学部の復活が必要ではないか。 

(学生に厳しい大学に)
○ 大学は社会構造から孤立化しており、大学で学んだことは一切『社会』では役に立たない
  現在の日本社会は子どもの発達段階に応じた教育がなされていない。義務教育期間から高校時代を経て大学に至るまで、段階を踏んで『教育』は行われなければ意味がない。
  大学の『一般教養』とは高校時代の復習に僅かばかりの『プラスアルファ』をしただけであり、『時間』の浪費にしかすぎない。
  大学はもっと厳しく学生を見つめる視点を持たなければならない。学力不足の者は容赦なく落とすという一面がなければ、学生はやる気を起こさない

(単位制の見直しを)
○ インターンシップや海外留学等により、学生の意識を変えていく必要がある。そのためには、夏期休業等を十分な期間確保する必要がある。「1単位の授業科目を45時間の学修」「15週(又は10週)にわたる期間」という基準を変更することも検討してみてはどうか。ゆとりと詰め込みのバランスが必要。

(具体的な授業改善方法の提言を)
○ 学修時間の実質的な増加には授業のやり方を根本的に見直すことが必要。講義式ではなく会話式にすること、講義中心から授業参加型にし多数聴講型から少人数制にすること、中多数の場合は、教授に助手をつけて発言者の記録等を取らせ評価を発言力に変えること、授業の前に次回授業の課題を与えたり配布し準備しなかった者には評価を与えないこと、など抽象的な言葉で書くのではなく具体的な授業のやり方を導入しておくべき
  日本のように、ただ講義に出ているようでは使える能力の発達はない助手の役割も至る所で必要性がある。自ら考え出せるような教育なのだから、アルバイトなどしていられないくらい学ばなければならないし、自分の学部の授業以外にも日本のことについて学んでないと世界に通用する会話ができないし、相手の国に対しての理解もできない

(図書館機能の充実が重要)
○ 学生の自学自習に必要な知識・情報を収集・提供するとともに、快適な学習空間を備え、学習サポート機能を併せ持った大学図書館を充実させることが極めて重要である。欧米と比べ日本の大学図書館はあまりにも貧弱であり、この状態で学生に主体的学習を求めるのは酷である。図書館の充実に関する記述は、「審議まとめ」の1項を占める扱いをしてしかるべき。

(給費制奨学金の導入と就業体制の見直しを)
○ 学生が学ぶ時間を確保できないのは、教育カリキュラムの問題以上に、社会情勢によるところが大きい。
 1.経済状況の悪化に伴い多くの時間が学費を稼ぐためのアルバイトにとられている。
 2.就職活動が苛烈を極め、就職活動と内定後の「通信学習」に多くの時間がとられている。
 3.就業時間(サービス残業)の長さから社会人学生の実質学習時間が確保できない。
  この三点の問題のため、特に修士課程学生などは時間をかけて研究課題を考え問題解決に当たれる時間は皆無に等しい。講義出席の義務化がこれに拍車をかけ、自ら講義の要・不要を判断する能力すら失っている。この状況の解決のためには、
 1.現在のローン方式の奨学金を改め、もらいきり形式の奨学金とする(加えて私学助成金を取りやめ、学生への奨学金提供を通じて優秀学生を確保した私学・国公立大学を支える体制とする)。
  2.就職時の「学位条件」の提示を「見込み」により見なすこと、および、卒業条件の就業時賃金への反映を法的に禁じ、就業と卒業を切り離す
  3.高等教育を受ける権利を国民の基本的人権の一つとし、雇用者に長時間勤務をさせることで、教育機会を奪ってはならないこととする。
  の三点を中心とした制度改革が必要。
 

 

【教員の教育力向上】


(教員にマネージャ教育を)
○ 学生に主体性を持たせるには、感動を与え、自らできるようになりたいと思わせること。そのためには、教師の側にある種カリスマのようなものが必要。学生の身近な目標になり、手本を示しつつ、その先に進んでいきたいという学生の欲を引き出すテクニックが必要。
  これを行えるようになれば、その教師の学生からの信頼が増し、それらが循環・増幅していくと、学生も自身に磨きをかけようと考え、自ら成長する方法を学んでいくことになる。
  准教授以上の先生方も、部下や学生を育てるために、マネージャの教育(メンタリングとコーチング)を一通り受けるのはけっして無駄では無い

(学生の授業評価は必要。教育と研究の役割分担を)
○ 大学教員の教育力かなりのばらつきがあるのが実態。大学教員は研究者であり教育者でもあるが、研究は評価されても授業はあまり評価されない学生による授業評価は必要
 更に、将来的には大学の教員を研究者と教育者に分けた方が良い。思考力や表現力を育成するならなおさら。研究の傍らやれるほど教育は甘くはない。

(一定期間の研修、教員免許を大学教員採用の要件に)
○ 大学に期待されていることは、職業生活や経済環境に直結する教育であり、学習の系統化。
  「K-16」を実現していく必要がある。
  生徒の学修経験を尊重し、生徒の能力、日常の生活経験などを基盤として、カリキュラムを構成するべき。そのためには、教員の質の向上が不可欠。例えば、非常勤講師も含め大学教員に対しても一定期間ごとの研修の導入、教員免許の有無を大学教員採用の採用基準とすることがあげられる。

(学生のレベルに応じた教材の開発・提供を)
○ 大学の授業でどの教材がその大学の学生達のレベルに見合っているのかという観点から教材を選択又は開発することができるのではないか。他大学の研究者達と複数で情報を交換して選択する機会を作ってもよい。
 

 

【教学マネジメント】


(単位認定を厳格に行う大学運営に)
○ 「勉強しない大学生」であっても単位を与える教員、進学を容認する学科運営、卒業認定をする大学運営に問題がある。
  大学教員は研究成果を出すことが最も重要であり、教育は片手間で良いという考えが浸透している。単位認定を厳格に行うと、留年生が多数出るという問題が生じるため、どこの学科でも特別の配慮をしているのが実情。留年生が出ることは、文部科学省からの運営費交付金の削減につながり、また、大学の評判が悪くなるなど、学科や大学側から圧力がかかるため正直な単位認定 はできない。このような運営を教員組織が行っている状況では大学教育の質保証はできない
  米国の大学のように、入試は容易だが単位認定が厳格であり卒業は難しく、留年するのは当たり前のような運営にする時期に来ている

(学生に「基礎学力」を身に付けさせる教育システムに)
○ 「基礎学力(自主的継続的に学習する能力、説明能力、コミュニケーション能力、倫理観などその人の姿勢と習慣)」のない大学生が現在では2/3以上に達しており、そのような学生は、授業のための事前の準備や事後の展開などの主体的な学びができる訳がない
  さらに、大学教員は研究業績で評価されるので、大学教員は「基礎学力」がない学生に対して、手間がかかり過ぎるので「基礎学力」をつけさせるような教育方法を取らず、単位認定して卒業させている。学生側もすんなり卒業させてくれることを知っているから努力しようとしない。さらには、一部の教員は「基礎学力」などを厳格に評価する教員に対して、落としすぎる、厳しすぎるなどと言って批判する。
  これらの問題を解決するためには、JABEEが要求する「学習・教育目標」を取り入れた教育システムを大学(学部)全体で取り組むよう各大学に求めることが必要。
  昔の学生は「基礎学力」があったため、大学で勉強しなくても卒業後社会で十分に活躍できた

(社会人再入学や聴講生制度の活発化、資格試験合格を卒業要件に)
○ センター試験に高校卒業の基準点を設けるなどして、高校を卒業(もしくは大検に合格)すれば誰でも「大学」と名のつく学舎に入れるという現況を是正し、併せて夜間授業や託児所を設けて社会人の再入学や聴講生制度を活発にすることで、各大学の学生数を確保するよう努める。
  専門分野だけではなく、TOEIC・TOEFLや漢字検定、IT・OS系の検定など、教養に関わる資格試験に合格することを大学卒業の条件として国が一定の基準を設ける。
  大学を現実的で社会で役に立つ学問のできる場にし、失墜しつつある「大学」自体の価値観をあげていく。
 

 

【評価制度の見直し】


(専門分野別評価の導入を)
○ 大学教育では、何を教えたかではなく、学生は何ができるようになったか、何を学習したのかという効果を測定する教育効果(アウトカムズ)が大切
  現在の大学教育における最大の欠陥は、学科単位の教育に関する外部評価の仕組みが制度としてないことにある。機関別認証評価は、評価対象が学部や専攻科単位であり幅広いため、各専門単位(たとえば学科単位)の教育内容にまで立ち入って評価することは困難。
  工学系においては既に国際的同等性を持ったJABEEが10年以上の実績を持っているので、この種の認証評価もしくは認証審査機構の受審を法的根拠とするよう検討してほしい。専門分野別に評価を行う仕組みを4年制大学ならびに大学院に適用することが重要
 

 

【高大接続】


(入試のあり方を見直すべき)
○ 高校教育と大学教育の接点となる大学入試をどのように変えていくかがポイント
  試験内容はいまだに「覚える」ことが重視され、「考える」ことは軽視されたまま

○ 学びの質の転換が必要なのは学士課程に限ったことではない。初等教育から高等教育まで、主体的に考える力を育む必要がある。それが学習意欲となり、生涯学び続ける原動力となる。
  どんなに大学が改革しようとしても、高校入試や大学入試が現行のような制度を続ける限り学びの質は変わらない。大学進学者を抱える進学校は、入試問題対策に力を入れ授業時間は増え続け家庭学習時間は減り続ける。試験訓練された子どもたちが、大学に入って急に主体的に学べる訳がない

(初等中等教育との連携方策)
○ 大学構内に小中高一貫校を置き、小中高との連携を強化してはどうか。

○ 学修時間が少ない事が問題視されているが、質を伴った学修時間を増加すれば好転する確証がどこにあるのか。2003年PISA調査にて世界トップの成績を収めたフィンランドが、年間授業日数、家庭での学修時間ともに日本を下回っていてもトップとなり得た理由の一つがテストや順位などという方法で勉強を強制しないため。グループ学習、少人数学習、個別指導が多く、生徒の自主性や協調性を重視生徒たちが自ら教え合い、話し合うことで知識が確かなものになる。学習する内容も生徒だけで決めることもある。テストのために暗記をする必要もないので応用力もつくのである。日本のように受験や成績のために、徹夜で暗記などという考えはない。

(私学助成・国立大学運営費交付金の廃止と高大接続テストに連動した教育バウチャーの導入を)
○ 現行の学生数等を基準とした私学助成や運営費交付金だと、基礎学力を問うことなく、学生数を確保することに奔走せざるを得ず、退学させないよう成績評価を甘くせざるを得ない。
  そのため、私学助成・国立大学運営費交付金の廃止と、入口段階での高大接続テスト(例えば6教科8科目で一定以上の得点を得ることを条件)に連動した教育バウチャーを提案する。
  大学からすれば、本来の大学教育に専念でき、高等学校にも、早々に推薦入学が決まった生徒が学習意欲を失ったり、受験科目以外は学習意欲を失うといった問題が緩和される。
  義務教育修了程度の学力すらおぼつかない者の「潜在能力」を見出して、大学で鍛え上げて社会に送り出すということは、理念としては美しいが、本当に学生に学修成果が身についているか、また、学修成果を身につけさせる教育がなされているか、検証することは極めて難しい。それよりは、入口段階で規制する方がよほど低コストである。
 

 

【その他】


(早期からの高専教育の導入を)
○ 少子化、技術断絶、産業界からの高い評価、世代間連携を鑑み、高専の下に中学校を設置したらどうか。早いうちから、技術、人間性などを身に付けることは、多様化時代には必要。

(大学院教育改革こそ緊急の課題)
○ 先進国における大学教育では、人材育成として質の高い大学院の存在が極めて重要な役割を果たしている。特に、理工学系においては大学院教育の質が科学技術の将来を左右している。
  大学院改革を早急に行うべき大学生以上に大学院生はもっと勉強していないのではないか

1.大学院入試
 大学院の入試については、透明度は極めて低いのが実情。大幅な定員割れを防ぐため、受験者のほとんどを合格としている。修士修了時点での学力保証はほとんど確認されることはない。修士修了者の大半は入学時点で学士としての学力が無く、また修了時点では、さらに学力が下がっているのが実情。これらの事実調査ができ、学部教育における学力保証を確認する仕組み作りを検討し提言してほしい。

2.大学院教育
 極めて狭い分野の学習を強いられていることが問題。広い視野を持った専門に関する教養を身につけるという大学本来の教育体制になく、修士論文至上主義になっている。これでは、グローバル化した技術社会で活躍する基礎学力が身につく訳がない。
 博士課程修得単位数の要件が設置基準にないため、大学が履修単位を規程しているが、欧米と比べると明らかに少ない。このため企業は積極的に博士課程修了生を受け入れない。博士課程の学生が鍛えられるような仕組みを検討してもらいたい。
 修士・博士論文審査は、大半は指導教員が主査となっており、客観的な審査は行われない。実態を調査し、客観性のある審査制度としない限り人材の質保証は不可能である。

(教育制度の根本的立て直しが必要)
○ 多くが就職する専門高校に対する企業からの評価も低い。それは、学校での教育が社会の要望する教育とずれているから。教科の中で、実社会の問題を取り上げ教科の枠を超えた教育が必要答えの決まっていない問題に対し自ら考え答えを出す力を育む教育が初等教育から必要
  小学校ではある程度成果を上げている総合学習も、中学・高校となるといまいち。その一番の原因は入試。子どもは受験のために勉強し受験が終われば学習意欲はなくなる。
  大学だけの改革や教育課程の変更などでは基本的には何も変わらない初等・中等教育の30人以下学級の実現と入試制度改革、教員養成課程と教員免許交付制度、及び秋入学への移行も含め教育の大改革を望む

(義務教育の単位化と年齢によらない進級の導入を)
○ 義務教育期間に得なければならない知識と技能を定義し、小・中学校でも「単位制」での教育を行うべき。自ら学ぶことと、それを「単位」という形で責任をとること、および、「義務」とされた学習目標を達成できなければ、進級できないという仕組みにする。現在のような「出席」と「シラバス」による教育改革は、結局学生に対して過保護な環境を与えることになり、学ぶ力自身を早期に摘み取る結果になっている。
  学習の義務化と、義務教育の単位化、及び年齢によらない学年進行の導入という大胆な改革を提言の中に入れるべき。

(高度英語教育を受ける機会の提供、留学生、優秀な高校生への奨学金制度の見直しを)
○ 国際競争力を高めるために、留学生を呼ぶことは確かに大学の国際化を進めているが、海外留学生がマジョリティになることによる日本人に対する逆差別を懸念。学ぶ意欲のない留学生を奨学金を支払って招くことが、真に他の学生や大学全体の競争力につながるのか疑問。
 国籍や成績で奨学留学生を判別すべきではないか。
 留学生が日本語を学ぶ機会があるように、日本人学生向けの高度英語教育の機会も平等にあるべき
  就業経験のない海外留学生が、社会に出ないがために、支払えない授業料を日本政府に請求しているのが現状。留学生に多額の奨学金を支払うよりも、深夜までアルバイトをして頑張っている日本の優秀な高校生の学費に当てたほうが、日本の真の成長につながる。奨学金制度の見直しを求める。
 

 

お問合せ先

高等教育局高等教育企画課高等教育政策室

-- 登録:平成24年06月 --