資料4 我が国の高等教育の将来像について(メモ)(女子美術大学教授、元読売新聞社論説委員 永井 順國氏)

2004年11月4日
 永井 順國

はじめに

 旧大学審議会から、「21世紀の大学像と改革方策」が打ち出されたのは、わずか6年前である。その内容が大学人全体に共有されていない段階で、新たな「グランドデザイン」作りを余儀なくされたことは、この間に、かつて想定し得なかったスケールで新たな改革の嵐に見舞われていることを意味する。先行きが不透明極まりない中で、設計図の見直しに着手されたことに、まず敬意を表したい。
 概要が示す「五つの方向性」ならびに、大学が担うべき七つの機能とそれらの比重の置き方に関する方向性(概要p14)についても、総論としては賛同する。ユニバーサル化についても、「超大衆化」ではなく「ユニバーサル・アクセス」と位置づけていることも当を得ていると考える。全体を通じていくつかの点で、以下のような感想を述べたい。

1.自由化・規制緩和路線のレビューの必要性

 1991年の設置基準の大綱化以来、大学政策は自由化・規制緩和の流れの中にある。この路線は原則的に賛同するものだが、この数年行き過ぎと思われるものが少なくないように見受けられる。その代表が、構造改革特区における株式会社立大学の参入だろう。
 一般論として言えば、民間の市場原理にゆだねられる経済活動と、公共性や継続性、安定性など公的責任が厳しく問われる教育の世界とでは、おのずから異なる側面があるはずである。教育や福祉、医療など社会的規制の領域には、経済的規制と異なるアプローチ、例えば、規制は規制として残しておくべきもの、新たな規制の必要なものも、厳然として存在する。
 教育という営みは、営利活動と基本的になじまないものがある。概要では、「検証・評価を十分に時間をかけて慎重に行った上で、改めて検討する必要がある」と述べているが、一般化・普遍化は避けるべきだと考える。
 無論、大学と産業界やNPOなどとの連携は、あらゆる側面で展開していく必要があることは言うまでもない。ただ、企業が直接プロバイダーとなって大学を経営することの是非は厳しく問われなければならないのではないか。
 大学をめぐる規制緩和は、設置基準、設置認可を中心に多岐にわたっている。この10数年の緩和の流れを、一度立ち止まって検証し、当初想定し得なかった副作用や弊害などを洗い出し、自由化に伴う新たな政策が必要なものがあれば検討すべきだと考える。

2.教員の質の審査への言及について

 1に関連して、「設置認可制度及び設置基準の性格・役割」の項で、教員審査の重要性を例示として挙げている点に着目した(p17)。教員の質の確保は大学の「生命線」であることは論を待たない。私立大学の場合、第三者機関評価制度による事後チェックのスタートは、実質来年度からであり、かつ一巡するまでその後年6年間かかるという状況にあることからみても、重要なポイントと考える。

3.「21世紀型市民」について

 「21世紀型市民の育成」という文言が、二箇所に見られる(p5、21)。「・・・時代の変化に合わせて積極的に社会を支え、あるいは社会を改善していく資質を有する人材」との定義は、いわゆる「新しい公共」を意識したものとうかがえる。ただ、21ページの大学の学士課程の教育の項で、総合的教養教育型の大学にのみ特化して言及している印象を受ける。この資質は、どんな機能を持つ大学の教育において必要なものであり、そうした観点で整理して提言する方がよいのではないか。

4.「縦のグランドデザイン」について

 概要は全体として、高等教育の制度設計としてのグランドデザインの側面に多くの指数を使っている。当然といえば当然のことだが、これに加えて、幼小中高のシステム設計としてのグランドデザインも必要だと考える。この点について、概要は「教育内容を含め、全体の接続を考えていくことが必要」などと述べるにとどまっているが、いわゆる高大連携の拡大や具体的なありようを含めて、もう少し踏み込んだ提言を望みたい。
 98年の大学新答申では、「課題探求能力の育成」を掲げ、初等中等教育の目指している課題発見・課題解決型学習の重視路線と、教育の内容において、少なくとも言葉の上ではつながったという印象で受け止められた。「21世紀型市民教育」も含め、学力観の一貫性についても言及する必要があるのではないか。

5.マネージメント機能の向上について

 今後の審議でつめるべき項目の中に、「マネージメント機能の向上が」うたわれている。この点について、私立大学に身をおくものとして、以下のことを要望したい。
 具体的には、教授会の位置づけについて再定義の必要性があると考える。教授会は「重要事項を審議する」(学校教育法)ことになっているが、現実には一部の大学を除いて、「古きよき」ならぬ「古き悪しき」伝統の下にあるのが実態だろう。教授会がオールマイティであるかのごとき論が依然として残っており、本来は経営マターのものから、執行部や事務当局に委ねれば済むものまで、決定権があるとの「誤解」が通用している。
 例えば、教員の任用の最終決定権は理事会にある。その雇用条件を定める責任は理事会にある。教員の資格要件は雇用条件であり、本来理事会が決定すべきものである。しかしながら、現実には教員任用案件を差し戻す、あるいは否決する権限が理事会にはない。制度的に人事制度に理事会が関与できるシステムが、大学の質の確保の観点から必要ではないか。
 経営の中核を担う授業料の設定についても、教授会マターである「学則」で規定している私学も多い。本来なら「寄付行為」に位置づけていく必要があると考える。
 むろん、教授会には自立性が必要であり、このことは否定しないが、自立性・主体性を損なわない範囲内で制度改善が急がれる。

お問合せ先

高等教育局高等教育企画課高等教育政策室

(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)

-- 登録:平成21年以前 --