資料4 『わが国の高等教育の将来像』について(メモ)

 中央教育審議会第40回大学分科会資料(2004年10月14日)

大南正瑛

 この度の審議は新時代の人材・知識資源育成に関する高等教育の多機能弾力的戦略の構築を志向されるものであると考え、以下の5点について意見を述べさせていただく。

1.大学の全体規模(「審議の概要」10~12ページを中心に)

  • 専門学校を含めた進学率72.9%(2003年度)の実態は学生の入学機会や教育内容のいっそうの多様化を示すものであり、国民の理解と支持の表れと見たい。そうであれば、国としては設置認可の弾力化を続行されることが良策と考える。国による現行の設置認可(チャーターリング)と、国の認証を受けた第三者評価機関による定期的な事後チェックである「認証評価」(適格認定アクレディテーションの性格を持つ)との適切な協調を通して、大学等の継続的な質保証を行うことにより、新しい分野の大学等の参入や収容定員増を伴う改組転換を今後とも国として支援していくことが望ましい。
  • 高等教育に対する国や地方自治体からの積極的な財政出動や米国のような民間からの教育投資が大きく望み得ない日本の現状では、大学等は財政自立を前提とせざるを得ない。例えば私立大学の財政構造が学生納付金に大きく依存している以上、学生定員を満たさないあるいはそのおそれのある部局等の改組を進めるための一定程度の収容定員増は容認せざるを得ない。
  • 大学等のリストラクチャリングに係る収容定員増のほか現在認められている分野の収容定員増の認可も継続されてよい。国立大学法人も中期目標6年後にあらためて法人の財政構造の見直しが迫られ、国立大学法人の学生定員や学生納金のあり方が学部と大学院それぞれの重点化の選択において議論されるであろう。
  • 大学の全体規模や大学資源の縮小均衡は結末として有り得ても、それを政策化することに国民は必ずしも支持しないのではないだろうか。何故ならば今日の大学教育の質はその量を離れて維持し得ないし、また我が国の対外投資(GDPの0.8%)に比べて少ないわが国への対内直接投資(GDPの0.23%)を人材・知識資源立国として今後拡大させることにより、新しい雇用創出や経済活性化を図ることが期待できるからである。国公私立の各大学は、教育の公共性を担保するに足る自尊自立と共生(社会的連帯)を図ることにより、社会的な信頼を得るなかで積極的に国内外の学生確保と国内外からの教育投資を確保し、大学の歴史的社会的責務を果さなければならない。

2.人材養成(同12~13ページを中心に)

  • 今日の人材養成機関は一人々が自尊自立し共生を図ることのできる多彩で健全な市民を養成する高等教育機関や中等教育機関さらにNPO法人を含む社会各級の多様な組織である。ここでは大学教育の比重が問われる。(総合研究開発機構NIRAは日本の労働の意欲や質のランクは世界的に高いが大学教育の質は低いと評価し、それは外国調査機関の「総合国力」評価でも指摘されている) いま大学は従来の教育・研究機能の強化に加えて、社会における人材養成と知的財産についてのネットワークのコアとしての資質と役割りが課せられていると考えたい。
  • 人材養成拠点を政策的に重点化することは重要である。例えば人材・知識資源国として世界的競争の視点に立つ魅力ある「人材」「環境」拠点を国、大学、産業界がスクラムを組んで取り組み、そのための必要な人的・財的投資の実行計画が必要となろう。このことは我が国への対内直接投資を拡大する上で有効である。
  • 「概要」(32~33ページ)でも指摘されているように、人材養成に関する大学と実社会(企業等)との対話・協議の場が必要である。何故ならば、大学教育と企業側の採用・処遇の間のミスギャップ、若年層の職業意識の変化、社会の生涯学習意欲の高まり、国際的に活躍する人材育成の中で共通理解が必要であるからである。個別には大学と産業界との教育プログラムに関する協議の場の設定が望まれる。

3.高等教育機関の機能別分化(同13~14ページを中心に)

  • 大学が全体として7つの機能を持ち、大学自らがそれらの機能を選択し、それらを強化して特色ある大学を創造することは賛成である。ただし米国のカーネギー教育振興財団が行っているように日本も授与する学位の種類や量に応じて大学の分類が可能とすることについては、日米間の明らかな大学の歴史的、文化的差異を見逃していないか疑問である。機能別分化は、大学が自主的に選び社会的・市場的に認められてはじめて国全体として見えてくるものであり、国として行政誘導する性格のものではないだろう。

4.高等教育の質の保証(同17~18ページを中心に)

  • 「事前・事後の評価の適切なバランスによる質の保証」を「国の設置認可による質保証と、設置後の主に適格認定による定期的な機関別・専門分野別の質保証(認証評価)との適切な協調」と読み替えて、本旨に賛成である。読み替えは、「事前・事後」という表現はもともと認証評価制度化の「答申」の段階で生じていた矛盾や曖昧性を反映しおり、理解を正確にするためである。このような質保証の協調は、情報の非対称性の解消を含む学習者の保護、教育サービスの公共性の担保、国際的に通用する大学教育が求められていることから見て必要である。この点で国の関与は理解できるところであるが、指摘される「事前・事後の評価のバランス」が官の一元的な管理を意味するのではないことに特に留意される必要がある。いわんや認証評価の手法(主に適格認定アクレディテーション)を設置認可の手法(審査アセスメント)で置き換えるような社会的な支持はない。官の関与は認証評価を行う大学団体等の自律性との緊張関係を維持しながら行われる必要がある。
  • 逆に設置認可をチャーターリングからアクレディテーションに切り替えることによって事前と事後の「事」の主体が適格認定と明確にできるのであれば、事前と事後の質評価の論理的なバランスを図ることができ、事前評価における異議申立審査の制度化も可能となり、また評価の社会的コストも低減できよう。そのためには事前評価の運営を外国のように官から第三者評価機関に委譲することが前提となるが、我が国の現状では困難であろう。そこで、新しい認証評価を定期的な質保証のサイクルの一環として十全に機能化させ、社会的な信用を得ることによって、大学等の事前評価(既設の大学等における新しい部局の設置認可申請など)の要件を事前に具備することになれば、国による認可審査の簡素化がいっそう促進されるであろう。認証評価制度の運用の効果はここにもあると言える。
  • 世界的に見て、第三者的な質保証に対して国が何らかの財政支援や管理を行っているのものが大半ではある。それは長期にわたる大学教員のボランティア活動には限界があり、第三者評価機関の経営の安定を支援するためである。しかし肝要なことは、第三者による質保証機関の運営そのものが大学団体等の自律性に委ねられていることであり、評価基準は官製ではなく、大学団体をはじめ利害関係者によってつくられたものを適用していることである。大学団体等が、自律的に大学等の質を互いに高め合い、連帯して劣悪な大学等や質保証機関の出現を防止し、広く利害関係者への便益や国との必要な連携協力について不断の努力を払っていることについては、日本としても世界の経験に学ぶことが多い。(最近2年間の高等教育機関質保証国際ネットワークINQAAHEの理事としての体験から)
  • したがって新しい認証評価制度の今後の運用に当っては、国の関与は認証した評価機関を側面的に支援する上で最小限のことがらに止め、独立性を保った第三者による多元的な複数の質保証機関の成熟化を図ることが大切である。とりわけ学協会等による様々な専門分野別適格認定機関(専門分野別認証評価機関)の設立が望まれる。
  • 国公私立を問わず、設置認可と認証評価(適格認定)における教員(組織)評価と財政評価は重い。米国における大学の統治と経営に明るい米国メリーランド大学のR.バーンバウム教授による“大学の質は最終的には教授団における人事システムに係っている”という指摘は鋭い。“無用な人々deadwoodを淘汰するためにも、便宜に流れがちな任期制よりもむしろ質保証としてのテニュア制度を維持する”という発言も厳しい。
  • 「概要」に指摘されるように国の認可審査では個々の教員の資質及び教員組織全体の均衡に重点が置かれようが、認証評価(適格認定アクレディテーション)では大学設置後における教授団の資質の開発(ファカルティー・ディベロップメントFD)に重点を置くことが適切である。何故ならば、FDは狭義には機能を教育、構成員を教員、システムを教授団とするが、広義には機能に研究と社会貢献を、構成員に学生、職員、経営管理者を含み、システムに全学組織と社会との繋がり(前述した教育プログラムの実社会との対話・協議や教育投資など)を含み、大学の教育・研究の質を支える要素全てを構成するからである。認証評価(適格認定アクレディテーション)における教員組織の質保証の要はFDにあると言って過言ではない。
  • 設置認可と認証評価(適格認定アクレディテーション)に携わる審査者や評価者の人選は、大学団体あるいは大学人等の同僚評価者(ピアー・レビューアー)のみならず広く利害関係者の参画 (設置認可では参考人によるペーパー・レフリー制の採用や、認証評価ではピアー・レビューアーを含む広く第三者評価) を通して、透明性を高める必要がある。

5.財政支援(同28~30ページを中心に)

  • 「高等教育への公財政支出の抜本的拡充を図るとともに民間企業や個人等からの資金の積極的導入に努めることが必要である」と述べられているが迫力に乏しい。
  • 現代高等教育の投資論(誰が誰に如何なる目標達成に向けてまた期待をもって投資するのか、私学助成の制度改革、大学等への税制改革や教育投資SRIに向けた情報公開などを含む総合施策)を納税者を含めて社会的に合意形成を図るための道筋(ロードマップ)を準備する必要があろう。
  • 持論を述べれば、国策的な巨大科学研究等をのぞいて、大学等は国や地方自治体からの財政支援に過度の期待を抱くのではなく、国公費の支援は大学等の公共性を担保するに足る学生の学習保障や教職員の生活保障を含む基盤的支援経費、施設整備費補助金、競争的・重点的支援経費の最小必要額を確保し、基本的には各大学が大学改革によって財政自立を図るのが筋道である。また現存する大学間の競争的条件の過度の格差を是正することについては、質の高さと平等主義との間には潜在的に緊張関係のあることに留意しつつ、各大学の競争力を備えるための必要最小限の基盤的支援経費と施設整備費補助金の確保が不可欠である。
  • 大学に対する使途を制約しない一括交付金方式のあり方は、国際的にはブロック・グランドと言われ、大学の自主性を重んずる英米の多くの大学で採用されている。ブロック・グランドの額の決定に評価結果を結び付けているのは英国(HEFC、現在はQAA)のみである。国立大学法人や学校法人に対する交付金・補助金のあり方は、先進諸国で一般に導入されている契約方式の検討を含めて、世界の経験に学ぶ必要があろう。
  • 最後に、日本の大学等は歴史的に見て官からの父親的温情主義パターナリズムを脱却できていないと思う。大学等関係者が今後とも意識改革せねばならない重い課題と認識している。また今回、中教審が2ページを割いて財政支援を取り上げられたことは画期的な事柄ではあり、今後の議論の深化を期待したい。

(以上)

 [付記]今後審議予定の大学等のマネジメント機能の向上については、教学と経営の抑制均衡(Check and Balance)あるいは分担統治(Shared Governance)といった大学の歴史的文化的側面を充分配慮されることを望みたい。

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