資料6 『我が国の高等教育の将来像』を読んで

2004年9月30日
朝日新聞論説委員・「大学ランキング」編集長 清水建宇

(1)「高等教育」の定義をめぐる混乱

 「審議の概要」においては、「高等教育」が2通りの意味で使われている。1つは「大学・短大」であり、もう1つは「高校卒業後の教育」である。後者では、大学・短大に加えて高等専門学校と専門学校が含まれる。この2通りの定義が混在しているため、「将来像」がわかりにくくなった感が強い。
 専門学校はすでに約3000校を数え、学生数は68万人に達した。18歳人口に占める進学率は20%を超え、大学への編入者も増えつつある。高校の進路指導の現場では「大学・短大」と並んで重要な選択肢になっている。また、大学と専門学校の両方に通うダブルスクールがはびこっており、大学生にとっても両者の境界がぼやけている。したがって、専門学校抜きで「高等教育」を論じるのは現実味に欠けるだろう。
 大学・短大に高専・専門学校を加えた進学率は75%近い。「高等教育のユニバーサル・アクセス」とは、まず、この数字でとらえるべきだ。そのうえで、各学校種ごとの位置づけや役割を明確にし、大学を再定義し、求められる施策を探るという論理展開のほうが望ましいのではないか。

(2)「大学」とは何か

 地球規模で見れば、大学教育を受けた人は世界人口の1%に過ぎないと言われる。翻って、18歳人口の50%が大学・短大に進学する日本の現状を考えると、むしろ「大学」の意味そのものが、世界と日本で大きくズレてきていると言えないだろうか。
 私なりに「大学」の定義を極論すれば、「知的先端人である教師と向学心の強い学生が1つの屋根の下で集うところ」である。教師は論文を読み、論文を書くなどして、それぞれの専門分野で常に世界の先端に触れている。学生は教師の研究成果を享受できるように、学ぶ力を高めるべく自ら励む。両者が相集うことで「知」が伝達され、広がる。学生はさまざまな分野のリーダーとして巣立っていく。――この定義に当てはまらない4年制大学がすでに少なからず存在することが、高等教育の将来にとって大きな問題だ。
 1991年の「大綱化」以来、大学設置は規制緩和をひた走ってきたが、一度立ち止まって過去の緩和策を検証するべき時だと思う。まして、事後評価の方法が確立していないのに、事前審査のハードルをさらに下げるべきではない。e‐learningは専門学校では有効かもしれないが、「大学」にまで広げることには慎重であってほしい。

(3)大学院と研究者の処遇も見直しを

 大学院、とくに博士課程の乱立も、日本の高等教育の不安要因だと思われる。博士課程の大きな役割は大学の教員・研究者を養成することだが、受け入れ可能な数を超えるペースで修了者が増え続け、行き場を失っている。採用ルールは不透明で、公募制は名ばかりのところが多い。6万7000人の非常勤講師が低賃金で私学の教育の多くを担っている恥ずべき現実もある。こうした社会的な損失を放置したままでは将来像は描けないだろう。

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