資料5 制度部会及び大学院部会におけるこれまでの主な意見

制度部会

パートタイム学生について

パートタイム学生受入れの適否について

  • 社会人の受入れを推進・促進するものとして賛成。
  • 現在は、社会人学生を一般の学生と同様の方法で受け入れるので、社会人にとっては様々な制約があり入って来にくい。その制約を修業年限や履修形態の面で取り払うことをパートタイム制度に期待しており、社会人の受入れがより活発になるのではないかと考える。
  • 何かの事情で勉学意欲は強いが退学する者がいるが、多くの私学は復学を認めている。今考えている新しい制度は、これまでは退学せざるを得なかった人々が、一定期間学籍を置きながら働き、また戻ってくることが可能になるという点で、意義が大きいと思う。
  • パートタイム的な学習形態を柔軟に制度設計していくことは、フリーターの人達を教育に触れさせる機会となり得る。教養を身に付けたり専門性に触れたりする中から、自分の社会的な役割を認識させるという装置が必要な時代が来ていると思う。アメリカのコミュニティカレッジはそういう面を持っている。
  • アメリカではパートタイム学生と教育投資との関わりが非常にはっきりしている。学士や修士を取れば生涯所得が上がるので、教育投資として考えられている。日本の社会人にそういう考え方があるのか。日本でパートタイム学生のニーズがあるのか、あるとすればそれはどこなのかを議論すべきである。
  • パートタイム学生の受入れは可能な大学や課程のみが行うべきで、全てに適応するものではないということを答申でも明確にした方が良いのではないか。
  • パートタイム学生の受入れは、大学毎というより、目指す教育課程の目標によって変わってくるのではないか。例えば、同じ学部でもいろいろな教育課程を提供するわけで、様々な形がある。このことを踏まえて考える必要があるのではないか。

パートタイム学生の定義について

1.総論
  • 制度的には大枠のみを決めて、基本的には大学に任せるべきだ。いくら制度を作っても人が集まらなければ意味がない。大学がそれぞれ知恵を出して設計すると良い。
  • 社会人は、在学途中で転勤等仕事の都合でパートタイムに切り替えたいという者もいると思う。このようなケースにも対応できるようにする必要があるのではないか。
  • 学習者のニーズに応じたフレキシブルな制度にするのであれば、事情によってどの年度でも修得すべき単位数を変えられる方が制度としての柔軟性が高いと思う。この点を含めて制度設計の基本的な考え方について議論する必要があるのではないか。
  • パートタイムとフルタイムをある程度区別して考えるのか、両者の履修形態を行ったり来たり出来るようにするのかは重要な問題だと思う。たとえばパートタイム学生を受け入れることによって、フルタイムの学生の授業料の在り方も影響を受けると思うが、双方に整合性がないと行ったり来たりは出来ない。社会人をパートタイム学生として囲ってしまってはいけないと思う。
2.在学年限
  • 死ぬまで勉強したいと期限を定めないで入学する者を認めるのかどうかについては、学位を目指して計画的に勉強することが本来の在り方だと思うので、認めないこととしてもよいのではないか。
  • 死ぬまで勉強し続ける人は、楽しみでやっているのであり、そういう人々を排除することは実際的には困難である。柔軟に対応するしかないのではないか。
  • 一生学び続けるという場合には、科目等履修制度を活用し、学位が取得したければ大学評価・学位授与機構を利用するという方がいいのではないか。パートタイム制度については、学位取得を目指して、一大学で教育を受けるという観点で整理した方がいいと思う。
  • 基本的には大学と学生が個別契約で在学年数を決めると良い。個別にオーダーメイドで対応することは無理だが、ある程度の定型を設けて選択させるということはできるのではないか。基本は個々人のニーズによるが、最長の在学年数を約束して入学することだけは前提の大枠としていいのではないか。そうすれば、入学定員や施設の算定上も対応が容易なのではないか。
3.年間修得単位数
  • 1年間に修得する単位数をあまりにも少なくすると、学習効果に問題があるのではないか。
  • 理系の場合、座学であれば融通が利くと思うが、実習・実験等は学年が上がると増えてくるので、時間の継続性がないと非常に効率が悪いと思う。単位毎にある程度集中的に取ってもらわないと受入れは困難なのではないか。
4.名称について
  • 日本においてパートタイムという概念は、「非正規」という意味で使われていることから、パートタイム学生は非正規学生であると受け取られかねない。従って、名称を考慮すべきである。
  • 「パートタイム学生」という名称より、「社会人学生」の方がふさわしいのではないか。これには、家事労働を行う主婦も含まれる。
  • 生涯学習などの観点から考えると、「社会人学生」と言うより「長期在学生」という方がいいのではないか。「社会人」の定義は難しいと思う。
  • 名称を長期在学コースとした場合、そのコースに入学し卒業しないと学士が取れないという整理になってしまうと問題だと思うので、大学と学生とが契約で、通常の修了年限にくらべ長期間在学する、ということを前提に、名称を決めたら良いと思う。

パートタイム学生受入れにあたっての配慮事項について

1.パートタイム学生を受け入れる学校種
  • 現在、高等専門学校の専攻科は大学3年編入のレベルと同じような状況にある。パートタイム学生を受け入れる学校種として高等専門学校を含めるかどうか議論してほしい。
  • 高等専門学校の本科は学年制なので、編入する場合には融通が利かないと思う。学年制から単位制に移行するのであればパートタイム学生の受け入れも可能かと思う。
  • パートタイム学生は、教養や文化を身に付けるという観点で、短期大学を対象にすべきではないか。
  • 学士の学位を持つ人は相当多いと思われ、大学院の学位を求める人が多いと考えられるので、これを踏まえてパートタイム制度を考える必要がある。
  • 大学院は、パートタイム学生の在学を認めた場合、教員が学部の教育も担当している現状ではやっていけないのではないか。
2.入学定員、収容定員、教員数、施設について
  • 私学の立場からは、定員をどうカウントするかということは補助金につながるので非常に重要な意味を持っている。パートタイム学生については、フルタイム学生との比較で、パーセントを掛けるという考え方もあるが、入学後始めの2年(短期大学の場合)、4年(4年制大学の場合)を計上することとしてはどうか。
  • 入学定員や教員数、施設については、パートタイム学生の在学年数を考慮して単純に計算すれば済むのではないか。自由化が進めば進むほど、物差しは厳密化・統一化が必要になる。カウントの仕方としては、単に数値的な計算で対応できるのであれば、各時点でカウントするという方法を重視して行くべきではないか。
  • 在学中には社会も本人の考えも変わっていくので、きめ細かな履修・キャリア支援等が不可欠だと思う。そうすると、相当負荷がかかってくるので、定員外の扱いでも良いのではないか。
  • 収容定員・入学定員等の基準は、教員一人が何人の学生をケア出来るかという観点で決まるものである。実質的に丁寧に教えられるのであれば、相当の幅を持って柔軟に扱ってよいのではないか。
3.授業料
  • 授業料については様々な考え方があると思う。大枠を決める必要はない問題だと思う。
  • 授業料はフルタイム学生と見合う物でないと不公平感が出るのではないか。トータルとして授業料が同じになるようにすべきではないか。
  • 理系の場合は実験施設の制約がある。このため、登録しても選抜されて受講できないということがあるが、通常の履修形態の学生とそれ以外の学生が在籍する時、責任ある教育体制として、キャパシティとしての問題が出てくる。通常の履修形態でない学生が、通常の学生と同じ授業料を一度に納めたからといって、履修上もまったく同じ扱いとなると問題がおこると思う。したがって、パートタイムの場合には、科目等履修生のように科目毎に授業料を徴収する方法を考えた方がよいのではないか。
4.その他
  • 学士の学位は、大学評価・学位授与機構が授与できるようになっているので、これとの関係も考えるべきである。

大学院部会

専門大学院1年制について

専門大学院設置の適否について

  • 専門大学院の学生の多くが社会人であることを考えると、1年で修了できるコースを設けた方がいいのではないか。
  • 1年のコースがあれば留学生が来やすくなる。多様なニーズに応じる教育提供の在り方が必要ではないか。

分野について

  • 分野をどう特定するか議論する必要があるのではないか。
  • 分野については文部科学省が例示しない方がいいと思う。例示すると、皆がその分野であれば設置認可されるのではないかと考え、その分野に申請を出してくるようになる。これからの社会がどういう人材を求めているのかを大学が良く判断して、大学独自の方法でその分野を開いていくことが非常に重要だと思う。
  • 法科大学院については、現在検討している段階だが、1年制ではとても無理ではないかと考えている。1年制の専門大学院を実現するとしても、分野は相当限定すべきではないか。
  • どんな分野でも1年制で良いということになると、大学院とは何かという質の問題に関わってくる。徹底した議論が必要だ。

教育方法、修了要件について

  • 専門大学院は職業人の育成が目的である以上、研究は不要である。むしろ集中的にスクーリングをして、十分な知識を身に付けさせる方が重要ではないか。
  • 専門大学院は、専門「職」大学院として研究能力を求めないものとすべきだと思う。
  • 実務的・技術的能力を高める場合は1年制でも可能だと思う。ただし、特定の課題についての研究の成果を求めることは合わないのではないか。
  • 専門大学院を従来の大学院と区別して本当に実践的な教育に特化した大学院にするならば、研究指導の必要性の有無を考え、これに応じて教員数を考えていくべきだ。短期集中型でやっていこうという場合に、研究指導や論文作成を前提とすると、従来の大学院から脱皮しない形になる。この問題を考えるべきである。
  • 特定の課題についての研究の成果は、一つのまとまったものを書かせるというイメージが強いようだが、コースワークの中で課すレポートが何本もまとまればそれでいいのではないか。修士論文の小さいものを書かせ、審査するとなると、専門大学院の概念と違ってくるのではないか。
  • 職業人養成が目的であるならば、職業資格にふさわしい知識や技術をマスターしなければ学位を与えないのが本来の姿だ。そう考えれば、多くの単位取得を要求することもあり得る。現状として2年制で30単位取得させているから、この程度なら1年制でも出来るという考え方は本末転倒だ。
  • 日本は修了年限にこだわりすぎると思う。これは本質的ではない。教育内容を考え、これに応じた年限を考えていくべきだ。
  • 職業資格毎に勉強しなければならない年限は違うが、その具体的な期間についての議論を先行させるべきだと思う。

教育水準の確保、評価システムについて

  • 国際的レベルを維持することが重要だと思う。
  • 分野毎にアクレディテーション・システムが導入されることが期待されているが、専門大学院1年制がスタートしてからでは遅い。先行して議論する必要があるのではないか。

その他

  • 専門大学院の学位は「学」を付けず、たとえば経営分野であれば「修士(経営)」のようにすべきだ。現在、学位に附記する名称は各大学が自由に決められるが、専門職学位と研究者学位の区別はすべきだ。
  • 日本の大学院は、研究指向や後継者育成という観点が強く、実学と離れた実態にある。発想が変わらないと、専門大学院もうまく振興しないと思う。あまりアカデミズムな観点で学位にこだわっていても、社会状況との間に矛盾が出てくると感じている。
  • 「専門大学院」という呼称により研究しなくてはいけないというような印象を伴うのではないか。できれば名称を改める必要がある。
  • 日本の場合、大学院は全て「研究科」としているが、海外では、専門大学院の場合は通常「School」で、必ずしも「Research School」とは言わない。こういう問題も洗い直す必要があるのではないか。
  • 高度専門職業人養成を一層推進するためには、教育内容・方法の在り方、専門「職」大学院設置基準の策定、専門職学位の創設などについて検討すべきではないか。

通信制博士課程について

博士課程の在り方について

  • 人文社会系で博士の学位を授与したがらず、そのために論文博士の制度が残っているという状況や、特別の体験を持った人が論文審査を希望しても、指導できる教官がいないため、排除してしまうというような現状がある。こういう問題を全て整理しないと、古い体質のままの課程博士は改革できないと思う。
  • 日本の大学院の博士課程が本質的に何をするところなのかということが、十分に議論されていない。職業教育型と研究者育成型を区別して考えないと様々な混乱が起こってくると思う。また、アメリカではスクーリングを重視していて、その単位が取れなければ論文が出来ても博士号は取得できない。しかし、日本は論文だけで博士を授与しているので、そこにスクーリング軽視の姿勢が明確に表れている。今後の大学院の博士課程に何を求めるのか。研究成果だけでいいのか、専門分野の中で幅広い知識を持たせるべきか。日本の大学院博士課程をどうするのか、何を要求するのかが重要だ。
  • ディグリーとサーティフィケートは異なるので、そのことも整理するべきだ。今は資格を取りたい人が各種学校や専修学校に多くいるが、それと同様に考えられては本来の大学院の目的は実現しないと思う。

通信制博士課程の設置の適否について

  • 通信制修士課程在籍者の9割が博士課程を望んでいるようなので、分野毎に教育方法等の工夫は必要だが、積極的に進めることが必要ではないか。社会人で博士を取得する率が高くなってきているが、生涯を通じてステップアップし、そこから新しいインテリジェンスが生まれて社会を変えていくこととなると思う。
  • 通信制博士課程を認めることについては、前向きに考えて良いと思う。通信制としては、修士課程より博士課程の方が認めやすいのではないか。修士課程を認めた以上、その続きとしての博士課程を認めないのはふさわしくない。そもそも論文博士の制度がある以上、それと比べて通信制が認められない理由はないのではないか。
  • 「論文博士」との区別について考える必要がある。
  • 現状でも、通学制の大学院で特別なケースで認めれば、通信制に近い形で学位が出せる。通信制という枠を設けたために、通信制の大学院でしか社会人が学べないというようなことが本当に良いだろうか。通信制大学院の枠にはめてしまうと一般の大学院の学位よりマイナーな学位だと見られる危険性が非常に高く、危惧している。通学制の大学院をどこまで開放できるのかという点について検討する必要がある。
  • 私立大学を含めて多くの博士課程が置かれているが、課程修了者をほとんど出していない大学院も多い。そのような現状の中で更に開放的な博士課程を作ることには懸念がある。実証的なデータを踏まえた上で検討すべき。

分野について

  • 実験・実習施設が必要なコースも設置できることとするかどうか、コースの意味づけが今後通信制博士課程を設置する際に非常に大きな問題になる。
  • 理系では実験や実習があり、来学する必要があるが、これらを全て通信教育だけで対応することが可能なのか。学習需要の多い分野と通信教育で可能な分野との兼ね合いを考えるべきである。

教育方法・研究指導について

  • 通信制博士課程においては、教授方法・研究指導の在り方を十分配慮するだけではなく、具体的にどういう成果を求め評価していくのかを明確にして、個々に審査していくべきではないか。
  • 情報通信技術を使うことが考えられているが、学生側にそのようなリテラシーはあるのか。研究指導の場合には文字だけでなく図表等の作成も必要となる。
  • 通信制は様々なハンディキャップがある中での教育であることを自覚してその仕組みを考えるべきではないか。単に情報が行き交うだけでは足りないので、それを補う仕組みを取るべきだ。また、通信制でも学生間の交流を確保する仕組みを要求し、成果を上げていくことが必要ではないか。通信制でも一度は会い、その後メディア等を通じて交流すべきだと思う。

水準の確保、評価システム

  • 通信制修士課程の修了率は全大学平均で42%で、修了認定が安易に行われていないことの現れだとも考えられるとのことだが、これを良いと見るのか悪いと見るのか、どう解釈すればよいのか。
  • 分野毎のアクレディテーションをきちんとしなくてはならない。第三者評価で大学院の価値を定めていかないと、大学院教育の質はますます低下してしまう。

その他

  • 通信制はあくまで社会人を対象とすべき。修士課程修了後そのまま入って来る学生は制限すべきだ。

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高等教育局高等教育企画課

-- 登録:平成21年以前 --