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4.新しい高等教育システムに向けて
 −ユニバーサル・アクセスの実現に向けた施策の方向性−

(将来像の実現に向けて(主として当面)取り組むべき施策の論理的な前後関係等を、今後の審議に基づいて提示。)

   教育機能の強化、人材需要への対応
   研究機能の強化
   生涯学習需要への対応
   高等教育機関間の連携の促進
   国際化・情報化への対応
   マネジメント機能の向上
  (組織運営体制の充実、学長のリーダーシップの強化、学内組織の役割分担の明確化、事務部門・機能の強化、人材の確保・資質の向上等を含む。)
等 

(補論1)我が国高等教育のこれまでの歩み

   ここでは、21世紀の我が国の高等教育の将来像を検討するに当たり、これまでの我が国の高等教育の歩みを振り返ることとする。

(1)  明治期〜戦前
 中世ヨーロッパにおいて学者や学生の「ギルド(組合)」として成立した大学は、勃興する近代国家との関係でその自律性をどのように保つかをそれぞれで試行錯誤しながら社会制度として定着してきた。闊達に研究し自らの主体的な判断により学位を授与する大学には本来的に自律性が必要であるが、他方で、大学における研究活動の規模の拡大等により国家からのサポートが大学の存立にとって不可欠になってきた。近代以降の大学の発展の在り方は、それぞれの国や大学により区々であるが、共通するのは、「自律性(オートノミー)と説明責任(アカウンタビリティ)のバランスをいかに確保するか」を模索してきたことだと言ってよい。
 我が国の高等教育は、昌平学校の流れをくむ東京開成学校や医学校を合併して明治10(1877)年に「東京大学」が創設されたことを嚆矢とする。東京大学は明治19(1886)年の帝国大学令により「帝国大学」となった。政府は帝国大学に対して重点的に投資を行い、帝国大学は「国家の須要」に応じた教育研究を展開する中で自律性(オートノミー)をめぐる議論の中心的な役割を果たしてきたが、学校教育制度上、高等教育機関は帝国大学に限られず、大正7(1918)年の大学令によりそれまで専門学校に位置づけられていた私立大学が制度上「大学」となった後も、旧制大学(49)、旧制専門学校(368)、旧制高等学校(39)、高等師範学校(7)、師範学校(55)など様々な校種に分岐していた(数字は昭和22(1947)年当時の学校数)。
 進学率は、例えば大正9(1920)年時点でこれらの高等教育機関合計で2.2%であるなど、量的な規模は極めて小さかったが、例えば、蚕糸専門学校や高等商業学校、高等工業学校のように専門分野ごとに分化していた専門学校の中には、その分野の教育研究において全国的な拠点となっている学校もあるなど、それぞれ独自の個性を発揮していた。このような多様な高等教育制度は、一方で複線型の学校制度で上級学校への進学に関して袋小路を生む等の弊害も指摘されていたが、個々の高等教育機関の個性は明確な仕組みであったとも言えよう。
 また、社会制度としての大学は、中世の大学においてはラテン語で授業が行われていたことに典型的に表れているように、本来的に国際性を有している。我が国の高等教育も、大学制度のモデルとしたヨーロッパだけではなく、アジア諸国も視野に入れた国際的な発展を遂げてきたことも看過できない事実であろう。

(2)  戦後
 昭和22(1947)年に制定された学校教育法は、このような様々な旧制高等教育機関を6・3・3・4制の学校制度の中で「大学」に一元化した。旧制大学や師範学校など規模や役割、文化等が異なる高等教育機関が「新制大学」にまとめられたが、学士課程は教養教育を担うのか、専門教育を行うかなどその役割について大学全体を通じた合意が必ずしも形成されず、大学院も組織としては未成熟であった。その結果、同じ「大学」であってもその教育研究や組織運営の在り方は、大学によっては学部や学科ごとで異なるなど相当に多様であった。
 そのような中で、高等教育は世界的にも特異といってよいほど極めて速いスピードで量的拡大を果たしたが、その主たる担い手は私立大学であった。昭和30(1955)年には31.6%であった全大学数に占める国立大学数の割合は、平成14(2002)年には14.4%まで低下した。国立大学は、高等教育の量的な拡大よりも、我が国の学術研究と研究者養成の中核を担うとともに、全国的に均衡のとれた配置により、地域の教育・文化・産業の基盤を支え、学生の経済状況に左右されない進学機会を提供する等の役割を担ってきたと言えよう。
 昭和41(1966)年に16%であった大学・短大進学率は10年後の昭和51(1976)年には実に2.25倍の39%になるなど、大衆化する高等教育の質をどのように維持・向上するかが大きな政策課題となった。このような問題意識をもって学校教育制度トータルの改革構想をまとめた昭和46(1971)年の中央教育審議会答申(46答申)は、高等教育機関の制度的な種別化を提唱するとともに、国が高等教育の規模等について計画し、管理した上で、高等教育に対して財政措置を行うことにより質を確保するよう提言した。46答申の提言は、昭和50(1975)年以降に国が策定した「高等教育計画」や同年に制定された私立学校振興助成法に基づく私学助成のスタートなどの形で結実した。
 なお、量的規模の拡大の多くを私立大学に依存してきたことにより、我が国の高等教育は、結果として、他の先進諸国に比べて公財政支出よりも家計支出に依存するシステムとなったと言えよう。
 高等教育機関の制度的な種別化は実現しなかったものの、46答申をはさんで、昭和22(1947)年の学校教育法制定当初は大学のみであった高等教育機関には、「高等専門学校」(昭和36(1961)年)、「短期大学」(昭和25(1950)年、制度として恒久化されたのは昭和39(1964)年)、「専門学校」(昭和50(1975)年)が加わった。
 しかし、高等教育の質の確保を行政計画や財政支出を中心に行うという政策は、財政事情の悪化等を背景として転換を余儀なくされる。臨時教育審議会(昭和59(1984)年〜62(1987)年)は高等教育の個性化・多様化・高度化を政策的に進めるために、「ユニバーシティ・カウンシル」の設置とともに、大学設置基準の大綱化など自らの理念や個性を活かした各大学の創意工夫が可能となるように制度の弾力化を図り、高等教育の質を確保する手段として「大学の評価と大学情報の公開」を重視することを提言した。

(3)  大学審議会と大学改革
 この臨時教育審議会の提言を受けて、昭和62(1987)年に「大学審議会」が創設された。臨時教育審議会で提言された大学改革の方向性を踏まえ、「教育研究の高度化」、「高等教育の個性化」、「組織運営の活性化」を3つの柱に審議を行い、例えば、1「教育研究の高度化」の観点からは、機能として脆弱であると指摘された我が国の大学院の量的・質的な整備や通信制大学院制度、専門大学院制度、修士課程1年制コースの創設、2「高等教育の個性化」として、高等教育の質の確保の仕組みを転換するための大学設置基準の大綱化(カリキュラム編成の弾力化)、ファカルティ・ディベロップメントや履修科目登録上限制、教員資格における教育能力の重視など責任ある授業運営と厳格な成績評価、情報通信技術の活用促進、3「組織運営の活性化」の観点からは、自己点検・評価や外部評価の実施、教員の流動性を高め高等教育を活性化するための教員の選択的任期制の導入、組織運営体制の明確化や学外意見の反映、等が提言されたところであり、これらの指摘は累次制度化され、各大学の改革の推進に大きな役割を果たした。特に、自己点検・評価の実施、シラバスの作成、学生による授業評価、ファカルティ・ディベロップメントの実施など、それまで大学においては必ずしも重要視されてこなかった大学教育の質を改善するための地道な取組が確実に進展した。
 高等教育の規模は、高等教育計画が策定(私立学校法上昭和55(1980)年度末までは特に必要があると認める場合を除き、私立大学や学部等の認可は行わないこととされていたほか、工業(場)等制限区域や政令市など都市部においては、地域間格差是正等の観点から大学の新増設は抑制することとされた)されたこともあり、昭和50年代から平成初期にかけて大学・短大進学率は37%前後で安定的に推移した。
 なお、昭和59(1984)年に大学設置審議会大学設置計画分科会で策定された「昭和61年度以降の高等教育の計画的整備について」においては、18歳人口が急増すること、また平成4(1992)年をピークにその後急激に減少し平成12(2000)年には150万人台になることを踏まえ、設置認可における原則抑制という原則を維持しつつ、期間を限った定員増(いわゆる「臨時的定員」の措置)を行うことが提言された。この臨時的定員は、当初平成11年(1999)度末ですべて解消することとされていたが、平成9(1997)年の大学審議会答申「平成12年度以降の高等教育の将来構想について」は、平成16(2004)年度までの間に、臨時的定員の5割程度の恒常的定員化を認める方針を打ち出した。このような臨時的定員の取扱いの結果、大学・短大進学率は平成5(1993)年以降の18歳人口の急激な減少と相俟って、40%を超えて現在ほぼ50%に達している。
 我が国の大学における学士課程の問題として、教養教育をどのように位置づけるかについては、戦後一貫して模索が続いてきたと言ってよい。昭和31(1956)年に制定された大学設置基準では一般教育科目が必修と規定されるとともに、国立大学については、旧制高等学校の位置づけや教員養成学部の在り方に関する議論なども踏まえ、昭和38(1963)年の国立学校設置法により、一般教育を担当する「教養部」を置くことが可能となった。前述のとおり、大学審議会は、それぞれの大学の創意工夫による柔軟なカリキュラム編成が可能となるよう大学設置基準を大綱化することを提言し、平成3(1991)年には一般教育科目や専門教育科目といった制度上の枠組みを外すなどの大学設置基準の改正が行われた。その結果、各大学においてカリキュラムの見直しが進み、少人数教育など効果的な教育が推進された側面がある一方で、例えば国立大学では教養部の改組が進み、教養教育が衰退したとの指摘もなされているところである。
 他方、大学院は戦後、組織として未成熟なまま発足した。昭和49(1974)年になって大学院設置基準が制定され、コースワークを基本とした課程制大学院の基本的な考え方が明確にされた。また、昭和51(1976)年には学校教育法が改正され、学士課程を持たず大学院の課程のみで構成される大学(大学院大学)が制度化されるなど、大学院の位置付けが制度上明確になる中で、学部を基礎としない「独立研究科」や大学院大学の設置が促進されたが、大学院の量的な規模や課程制大学院の趣旨の定着は必ずしも十分ではなかった。
 大学審議会は、このような状況を踏まえ、平成3(1991)年の段階で、10年後の平成12(2000)年には大学院学生数の規模を全体として少なくとも当時の規模の2倍程度とすることが必要と提言した(「大学院の量的整備について」)。また、国立大学の一部については大学院を中心とした組織編制を行うなど、大学院の整備が進み、実際に、大学院の規模は急速に拡大した(9.8万人(平成3(1991)年)→20.5万人(平成12(2000)年))。他方で、このように大学院の量的な整備が進む中で、1量的な規模は拡大しつつあるもののなお欧米先進国に比べ低い水準にあること、2大学院における人材養成の趣旨・目的が各研究科等において必ずしも明確ではないこと、3「課程制大学院」の趣旨を踏まえた体系的なコースワークの確立等が十分ではないこと、4高度専門職業人養成の機能が十分ではないこと等の問題点が指摘されていた。
 なお、各大学においては、前述のとおり、大学の教育研究の質を担保する手段として、大学評価の重要性の認識が高まり、自己点検・評価の実施、外国人研究者を含む学外の有識者による外部評価などが確実に進展したところであるが、大学の学術研究機能や人材養成機能に対する社会の関心が高まるにつれ、より客観的で透明性の高い「多元的な第三者評価」の必要性が議論されてきた。

(4)  「21世紀答申」以後
 このように大学改革は進展してきたところであるが、その過程で大学改革の課題がより明確に認識されるようになってきた。また、1990年代後半に入り、知識基盤社会への移行等により大学の教育研究機能に対する社会の期待が極めて大きくなったにもかかわらず、大学教育は逆に18歳人口の急激な減少に伴う大衆化(進学率の急激な上昇)や高校教育の多様化等によりその質について大きな不安を抱えることとなり、高等教育の質の確保が改めて大きな課題になった。特に、大学の人材養成機能については、オン・ザ・ジョブ・トレーニングを前提に、企業が大学に求めているのは入試を軸としたスクリーニングに過ぎないとの指摘もあったが、企業内教育機能が低下すると同時に知識基盤社会においては企業で活動する上でも汎用性の高い知識を持ち自ら課題を探求し解決できる能力がますます必要となったことから、大学の人材養成機能に対する社会の期待は極めて高くなった。
 大学審議会は、このような問題に対するトータルの改革方策を示すために、平成10(1998)年に「21世紀の大学像と今後の改革方策について」答申し、1「課題探求能力の育成」という大学教育の目標の明確化、2各大学が特色ある教育研究を自ら創意工夫して展開できるようにその裁量を拡大、3拡大した裁量をしっかりと使いこなせる責任ある組織運営システムの確立、4各大学に対する多元的な評価システムの確立、を提言した。すなわち、それまでの大学審議会を軸にした大学改革の展開や問題点を整理し、大学改革がよりダイナミックに進展するために、今後の改革方策を構造的に体系化して示したのである。
 これにより、平成11(1999)年には学士課程を3年以上の在学で終えることが可能となるとともに、国立大学の組織運営体制の確立を図るための国立学校設置法等の改正が行われた。また、平成12(2000)年には大学の教育研究の特性に十分配慮した第三者評価を行うための専門的な機関として「大学評価・学位授与機構」が創設されるなど、様々な制度改正が行われたところである。
 この「21世紀の大学像と今後の改革方策について」以降、大学の教育研究機能への高い期待を背景に、その基本的な考え方を踏まえて、国立大学制度や学校法人制度、設置認可、大学院制度といった大学制度の根幹についての根本的な見直しが行われた結果、高等教育制度の基本にわたる構造的な改革が、平成16(2004)年から一斉にスタートすることとなった。
 すなわち、国立大学の法人化、公立大学法人制度の創設、学校法人のガバナンス改革のための私立学校法改正など大学のマネジメント改革のための制度改正が国公私を通じ出揃った。例えば、国立大学を国の機関から独立した法人とし、人事・会計上の規制を撤廃するとともに、学外有識者も参画した学長中心の責任ある意思決定が可能な経営体制を確立した上で、第三者評価や情報発信の徹底を図る国立大学の法人化は、130年間続いた国の行政機関の一部としての国立大学を独立した法人とし、平成10(1998)年の大学審議会答申で提言された4本の改革サイクルを国立大学のマネジメントに内在化させたものと言うことができる。
 さらに、法科大学院、認証評価が発足するとともに、予算上も「21世紀COEプログラム」や「特色ある大学教育支援プログラム」が充実するなど、各大学が自らの個性を伸ばしつつ切磋琢磨する競争的な環境が醸成されることとなった。
 特に、認証評価制度の導入は、設置認可の弾力化と相俟って、臨時教育審議会以来志向してきた大学の評価と大学情報の公開を軸にした高等教育の質の維持・向上システムへと踏み出した大きな改革である。
 また、法科大学院を含む専門職大学院制度は、戦後大きな課題を抱えてきた我が国の大学院が、研究者だけではなく高度専門職業人を育てるためのしっかりとした教育課程を有する「課程制」のスクールへと大きく変貌する契機となっている。大学院が、「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培」(学校教育法第65条)うことに真正面から取り組むことは、特に社会科学系の大学院教育の大きな変革であることは勿論のこと、学部教育にも大きな影響を及ぼすことが考えられる。
 知識基盤社会への移行は、大学が本来有すべき国際性や国際的な通用性が大学の個性的で特色ある発展にとって極めて重要であることを改めて認識させることとなった。学術研究分野での国際的な激しい競争だけではなく、大学教育が国境を越えて提供される中で、大学が教育研究活動全般にわたって国際的な環境において国外の大学をも意識しながら切磋琢磨することが求められている。この点が、大学において改革の機運が大きく高まり、魅力ある教育研究の展開や責任ある組織運営体制の確立に向けて各大学が積極的な取組を図っている一つの大きな背景となっている。
 今日、国公私立大学を通じて全学的な戦略をもって取り組む各大学の教育研究上の創意工夫を支援する仕組みは着実に整備されており、競争的な環境の中で各大学が具体的にどのような戦略を描き、行動するかが極めて重要になってきている。各大学が自らの戦略を構築し進路を定めるに当たっての、ある種の海図(チャート)として、高等教育の将来像が今まさに求められるゆえんである。

(補論2)諸外国の高等教育改革の動向

 諸外国において、高等教育改革は政策の中心課題であり、様々な施策が行われている。日本の高等教育の将来像を描く際に、特に参考とすべき事項を取り上げた。

〔1〕  アメリカ合衆国
(1)  奨学金制度改革
 奨学金事業の主な事業主体は、連邦教育省を中心とする連邦政府である。給与・貸与を合わせた奨学金はドル744億(2000年度)に上り、連邦政府の奨学金額は全体の約7割を占める。主要な連邦政府事業は、学部学生の経済条件のみを要件とするペル奨学金、規定の範囲で各大学が奨学金の運営管理に責任を持つキャンパス・ベースト・プログラム(教育機会補助金給与奨学金、勤労就学奨学金、パーキンス貸与奨学金)、連邦保証による銀行等の民間金融機関が貸し出す連邦保証貸与奨学金(スタフォード奨学金、父母貸与奨学金)がある。大学(学部)や短期大学で学ぶ学生のうち、何らかの形で連邦の奨学金を受けている学生は50%を超え、州政府や大学独自の奨学金制度を含めれば奨学生は70%以上になる。
 1997年2月4日、クリントン前大統領は、一般教書演説の中で、教育を将来に向けた最重要課題とし、高等教育の最初の2年間までの14年間を全国民に標準的な教育にと訴えた。1980年代後半から1990年代前半にかけて大学授業料が高騰した現状に対応して、連邦を事業主体とする新しい形の財政援助措置「納税者救済法(Taxpayer Relief Act of 1997)」が制定され、学部1、2年学生の家庭を対象とする最大ドル1,500(約18万円)の減税措置(HOPE奨学金)と学部3年以上の家庭を対象とする最大ドル1,000(約12万円)の生涯学習減税(Lifetime Learning Credit)等の措置が定められた。ブッシュ大統領も教育改革を最重要課題に掲げており、このような高等教育進学者に対する減税措置は、ブッシュ政権下においても継続・拡大されている。

(2)  質の保証システムとディグリー・ミル
 高等教育機関の設置形態は、州立・地方立、私立が大半を占め、連邦立がわずかにある。このうち4年制大学は7割が私立で、残りほぼ全てが州立である。ただし、在学生数は逆に3割が私立となっている。短期大学は、機関数の6割、在学生数の9割以上が州立や地方立となっている。高等教育機関の質の保証システムは、設置・運営に関する認可等と設置後のアクレディテーションという教育機関評価制度の二つからなっている。州・地方・私立の高等教育機関の設置・運営に関する認可等については、連邦政府は関与せず州政府が行う。州によって制度は異なり、各州が設置認可および学位授与権に関する基準を定めている。簡易な手続きや基準により大学設置が可能な州では、大学が大学以外の教育訓練機関と同様に設けられている。
 一方、各大学の教育水準を一定以上に保つため、学位や単位の水準をコミュニティで独自に承認しあう民間の評価制度「アクレディテーション(accreditation)」が発達している。これは、当該大学全体が学位授与機関としての条件を満たしていることを認定するものと、職業専門教育を中心として当該教育課程が一定の水準に達していることを認定するものとに分けられる。前者は地域ごとに設けられたアクレディテーション団体が、後者は全国的な専門団体が、認定作業を実施する。通常、前者の認定を受けていることが社会的に大学として認知される条件であり、ほとんどの州では前者の認定を受けている私立大学に州内での運営と学位授与を認めている。社会的な認知が得られる認定を実施する団体を判断する基準として、連邦の高等教育法により定められた連邦教育長官の承認と、高等教育基準認定協議会CHEA(Commission for Higher Education Accreditation)の登録がある。CHEAに登録された評価機関による認定を受けていない機関の学位等については、進学や就職等に際して通用性がない現状になっている。
 正規の学位に対して、安易に学位等を取得できる手段として、ディグリー・ミル(またはディプロマ・ミル)という偽学位販売業者が存在する。厳密な学問的な定義や法的定義はなされていないが、少なくとも19世紀後半から存在する非正統的な傾向を示す教育機関を指して米国内で呼ばれている。米国以外にも存在するが、特に米国は高度資格社会であり、より高次の学位や証明書等を有することが就職・転職に有効であるため、ディグリー・ミルが活用される温床がある。今日のオンライン教育の隆盛を背景に、オンライン・ディグリー・ミルが登場し、また裏付けなく認定を行うアクレディテーション・ミルも見受けられるような現状にある。スパムメール・オンライン広告・迅速な電子決済サービスなどの氾濫のため、正式な遠隔教育と区別することが、以前にも増して難しくなってきている。

〔2〕  イギリス
(1)  高等教育制度検討委員会(「デアリング委員会」)報告
 1996年5月に政府の諮問機関として発足した高等教育制度検討委員会(委員長:デアリング卿)は、爾後20年間における国家的必要に見合う高等教育の在り方について、大学人に加え財界・産業界の代表などを委員として調査・審議を行った。翌年7月に、国際的な経済競争の時代に継続的な高等教育の拡充なしに英国の繁栄と国際的な地位を確かなものにすることはできないとする報告書「学習社会における高等教育の将来」(Higher Educationin the Learning Society)を提出した。報告書は、全24章からなり、財政審議会、研究審議会、雇用者団体を含めた広範囲な対象に対する93の勧告を含む。報告書では、過去20年間に、学生数の倍増、公的補助の実質的減少、パートタイム学生や成人学生の増加などの大変化を経験したが、知識・情報重視型の世界経済秩序、継続的な能力開発を求める労働市場、情報技術の進展など環境の変化が激しく、高等教育においてはさらなる改革が求められるとして、数値目標を示すなど下記のような具体的な提案を行っている。
1  高等教育の拡大
a)  フルタイム高等教育の在学率(32%)の45%以上への引き上げ
b)  準学位(sub-degree)の授与数の拡大、その後学士以上の学位の授与数の拡大
c)  パートタイム学生への支援充実
2  高等教育財政の改善
a)  受益者負担原則の導入。例えば、ポンド1000/年(約20万円/年)の授業料の導入
b)  国の高等教育費予算の削減幅の軽減
c)  政府は、長期的には公財政支出高等教育費の対GDP比を増加
3  高等教育の機能と教育内容の改善
a)  世界トップクラスの高等教育制度の確立
b)  教育面における高等教育教員の専門性向上と資格制度の導入
c)  深い専門性とともに幅広い知識・教養の習得等の教育内容の改善
4  高等教育の水準・質の向上
a)  高等教育水準評価機関(QAA)の機能強化
b)  財政機関研究評価(RAE)の改善

(2)  高等教育白書
 高等教育白書「高等教育の将来」(The future of higher education)は、今後の主な政策と政府支出見通しの公表(2002年7月)を受け、ブレア政権2期目の高等教育政策を示すものとして、2003年1月に発表された。白書は、知識主導型経済における国民全体の教育・訓練水準の向上や大学の教育力向上の必要性を説くとともに、国際的に見た英国の研究力の相対的な地位低下に対する危機感を表明し、研究環境の重点的整備の必要性を強調し、高等教育の拡大や財政改善、研究費の増加、産学連携などの施策を打ち出した。主な内容や施策の方向性は、1997年の政府諮問委員会報告書に示された枠組みを踏襲しつつ、概ね2010年前後の完成を射程に入れ段階的に実施されるものとし、下記に示すような具体的な施策を含んでいる。
1  高等教育の拡大と進学機会の充実
a)  青年層の5割に高等教育の機会を保障
 2010年までに青年層(18〜30歳)の50%に高等教育を保障する(現在は43%)。特に2年程度の職業志向の応用準学位の普及を図る。低進学地域生徒や非伝統的学生(成人学生)の進学を促進する。
b)  授業料後払い制の導入
 2006年から最高ポンド3,000(約60万円)の授業料徴収を認め、事前納入制から学生ローン返還方法に従う卒業後払い制へ。授業料免除制度は継続(現在約4割が免除)。
c)  修学困難学生奨学金(Higher Education Grant)の導入
 2004年から、年収ポンド1万(約200万円)以下の低所得家庭の修学困難学生を対象に年額ポンド1,000(約20万円)の奨学金(給与)を導入する。
d)  学生ローン(貸与奨学金)の返済
 2005年4月から、返済は卒業後年収ポンド1.5万(約300万円)を超えた時点から開始とする(現在は年収ポンド1万(約200万円)を超えた時点)。
2  高等教育財政の改善
a)  公的補助金の増額
 科学技術研究費を含む高等教育支出を2005年度にポンド100億程度(約2兆円)まで増額し、2002年度比で3割(対GDP比0.1ポイント)増とする(2000年度対GDP比0.7%)。
b)  授業料額の大学裁量拡大
 2006年度から専攻分野別の授業料を課せる。ただし、標準額(2002年はポンド1,100(約22万円))以上の場合は定数や奨学制度等について政府と合意を結ぶ。
c)  寄付金(endowment)など自己財源の強化
 個人や企業・団体の寄付の拡大など大学財政の基盤の充実を図る。このため、寄付に対する税制上の優遇措置などについて検討委員会を設ける。
3  教授・学習活動の質的向上
a)  卓越した教育拠点の指定
 大学における教育を重視し、優れた教授活動を行う機関(学科レベル)に年額ポンド50万(約1億円)を5年間与える。2006年までに70の拠点を指定する。
b)  高等教育教授適格基準の設定。
 高等教育教員に求められる専門的教授能力を示す高等教育教授適格基準を2004年に設け、新教員は基準に沿った能力証明を2006年以降得るものとする。
4  研究環境の整備
a)  科学研究費の増額
 2005年度にポンド26億3,300万(約5,266億円)とし、2002年度比で4割増とする。
b)  研究資金の集中と研究協力の推進
 研究資金を研究型大学に集中させ効果的な運用を図る。同時に機関間や分野間の研究協力を促進する。
5  産学連携の強化
 産業との連携を促進・強化する観点から、高等教育革新基金(HEIF)の拡充を図る。HEIFは、大学発企業の設立、地方企業による大学の資源活用を促す補助金で、政府は教育及び研究補助金に次ぐ第3の補助金と位置づけている。

〔3〕  欧州連合(EU)
(1)  エラスムス計画
 域内の国際競争力の向上のための人の交流の促進を目標として、欧州域内の学生交流「エラスムス計画」が1987年に開始されたが、1993年のEU発足後は、「ソクラテス計画」(総合的な教育交流計画)に高等教育分野として組み入れられた。エラスムス計画は、現在、第2段階目(2000〜2006の7年間)の計画が進行中である。
1  学生・教員の交流促進
 域内留学促進のため、奨学金を給付(1999年に学生11万人、教員1万2000人)。
2  教育課程の共同開発等支援
 3カ国以上の高等教育機関による教育課程や単位の共同開発等に資金援助。2000年に約2,700機関が参加している。
3  欧州大学間単位互換制度(ECTS)
 国際的互換性のため、学習量(creditという統一尺度)と成績評価を標準化する。

(2)  ボローニャ宣言
 域内の国際競争力の向上の基盤としての学位等の国際的通用性の確保が肝要であるとの立場から、「欧州高等教育圏」の構築のための欧州各国の共同宣言として、1999年欧州29カ国の教育大臣が署名して採択された。欧州域内の高等教育に学位システムと単位制度を中心とした共通の枠組みを構築し、人の交流と欧州域内の高等教育の国際競争力の向上を狙いとしている。2010年までに下記の6つの課題の達成に努めることを署名国に求めている。その後、改革内容の進捗状況を2年毎の会合で把握する「ボローニャ・プロセス」が進行しており、国際的通用性を確保する質の保証の重要性や、世界貿易機関のGATS協定における国境を越えた高等教育の提供の問題への対応等の視点も踏まえた内容へと更新されている。
1  比較可能な学位システムの導入
 域内流動・就職可能性を高めるため、2005年までにディプロマ・サプリメント(学位の学修内容を示す共通様式)の本格的導入等を進める。
2  学部と大学院の2段階構造を導入
 第二段階(大学院)進学条件として最低3年の第一段階(学部)の修了を課す。
3  単位制の確立:欧州大学間単位互換制度(ECTS)を確立する。
4  障害を取り除き、人の移動を最も効果的に実現
 学生に学習と職業訓練の機会を提供すること、教員・研究者・行政官に欧州全体の枠組みの中で研究・教育・職業訓練活動を行う期間を設ける。
5  質の保証のためのヨーロッパ域内協力の推進
 欧州質保証ネットワーク(ENQA)において、比較可能な基準・方法論を開発。
6  高等教育におけるヨーロッパの特質を促進
 カリキュラム開発、機関レベルでの協力、モビリティ向上のための方策、学習・教育訓練・研究プログラムの統合に配慮。

〔4〕  ドイツ
(1)  高等教育大綱法の改正
 学生紛争をきっかけに1960年代後半に各州が独自に高等教育法を制定した。1969年の連邦共和国基本法(憲法相当)改正で「高等教育制度の一般的原則」に関する大綱的立法権が与えられ、1975年に各州の高等教育法の最大公約数的全体像として高等教育大綱法が制定された。1985年の第3次改正では、多様化による競争促進を目的として、個性的な高等教育の発展を促すこととし、管理運営面では学長制以外の形態を加え制度的充実を図り、入学者決定を認め裁量権の拡大と教育責任の強化を行った。第4次から第6次改正までの主な改正点は下記の通りである。
1  組織運営の柔軟化
 既存の極めて詳細な管理運営、教育研究組織等の規定を削除し、高等教育機関の法的形態及び自治権、州による監督の規定のみとした。
2  業績評価の重視:予算配分への業績主義の導入、機関評価の実施
3  入学者決定システムの修正:自校選抜方式の拡大
4  国際化を基軸とした学修構造の再編
 学修と試験の弾力化、単位制・学士及び修士学位の導入、長期在学の対策強化
5  若手研究者養成を基軸とした教員制度の再編
 準教授の新設と助手相当職の廃止、教授資格の廃止、教授への任用条件の変更、学内昇進の一部許容、博士志望者への組織的対応の充実
6  その他:授業料徴収を可能とする例外規定、学術分野への女性進出支援

(2)  トップ大学プログラム
 ドイツでは、すべての大学で同質の研究教育が行われるという大前提が維持されている。近年には、研究・教育に関する大学評価も導入され、評価結果に基づく予算配分も一部の州で行われ、競争的環境の整備が進められているが、連邦全体で一部の大学を別格に扱うことはなかった。2004年1月6日発表の連邦政府政策綱領「アジェンダ2010第二部」中の「エリート大学」の記述について、シュレーダー連邦首相は「エリートというものが、出自ではなく業績から生まれるのであれば、『エリート大学』という概念に問題はない」と説明した。翌7日に、連邦首相とブルマーン連邦教育研究大臣は、国内全大学の牽引役となる「トップ大学」を既存の大学の中から10校程度を選抜し、重点支援を行う構想を明らかにした。
 連邦教育研究省は、オックスフォード大学、ハーバード大学等の具体名を引き合いに出し、国際競争力強化を目指す高等教育機関にプログラムへの応募を呼びかけている。応募資格は、国内の高等教育機関とされ、大学に限らず高等専門学校も応募できる。第一次募集は2004年夏に開始され、国内外の専門家による審査を経て最大5校が決定される。選ばれた大学は、2006年から5年間、年額最高5,000万ユーロ(約60億円)の研究助成(奨励金)を受ける。第一次で採用されなかった高等教育機関を対象として、第一次の助成期間が終了する前に第二次募集が実施される。トップ大学の選考基準として、優れた学術研究能力、マネジメント能力、学生の指導、国際化、学外研究機関との協力における業績が挙げられている。

〔5〕  フランス
(1)  「高等教育の欧州モデル構築に向けて」報告書
 アレーグル国民教育大臣(当時)は、21世紀には「EU統合の進展、人・物・資本・情報の移動のグローバル化、科学技術の加速度的革新」が予測され、こうした社会・経済の変化に対応してフランスが高い経済競争力を築いていく際、その中心的役割を担う高等教育も時代の変化に即応する必要があるとの認識を示した。この認識に基づき、高等教育の今後の在り方、問題点とその解決策を示した報告書「高等教育の欧州モデル構築に向けて」が1998年5月に公表された。
 報告書では、高等教育を通じた国民の教育・職業資格水準の引き上げが不可欠であり、今後の高等教育の役割を、エリート養成ではなく、すべての学生が平等に各人の可能性を見出し各人の個性に応じた卒業後の社会生活に必要な知識・技術を十分に習得するための場を提供することであると強調している。また、長期的には、EU統合の進展に鑑み、現在は各国がそれぞれに定めている教育制度に代わる、EUの共通モデルをフランスがイニシアティブをとって提示するべく、改革を進めて行くべきであるとしている。主な提言は以下の通りである。
1  大学の教育課程区分改革
 教育課程の年限の区分を、現行の「3−4−8」制から基本的には「3−5−8」制に改める((2)1参照)。2年修了時の大学一般教育修了証(DEUG、3年以内に取得しない場合退学)の取得がリサンス取得課程(第3学年)への進級要件である。DEUGまでの在学期限を廃止しリサンス取得に至る学生の比率を飛躍的に高める。
2  「拠点大学地区」の設置
 全土を8つの「拠点大学地区」PUP(Poles Universitaires Provinciaux)と称する地理的区分に分け、各PUPは、地区内に設置されているすべての高等教育機関からなる一つの有機的な高等教育機関のネットワークを形成する。個々の機関は研究教育及び管理運営の自治を確保しつつも、教育課程の策定にあたって相互の協力・連携を強化して機関間の編入学を円滑なものとし、学生の流動性を高める。
3  大学とグランゼコールの接近
 大学とグランゼコール相互の教育課程の比較・対照を容易にするとともに、教育課程の策定に当たって教育の接続に留意する。これにより相互の学生の移動(進学、編入学)を促進するとともに、一部グランゼコールに比べて社会的評価の低い大学の地位を向上させ、特に大学で新しいメトリーズや博士学位を優秀な成績で取得した者に、政財官各界幹部職就職への門戸を開く。

(2)  高等教育改革プラン
 「高等教育の欧州モデル構築に向けて」を受け、今後の大学改革の必要性とその基本方針について大学学長会議との合意を踏まえ、国民教育大臣が、1999年から本格的に着手する高等教育改革の全体案を1998年11月30日に明らかにした。
 高等教育進学率が50%を超えつつある現在、大学の役割も変化しつつあり、社会のニーズに応じた教育の提供や生涯学習の理念に沿った市民の資質向上という観点から、大学改革を進めねばならないという認識に基づき、1999年秋の新学年からの実施を目指し、教育関係者を中心に幅広い意見を集めて提案された。その具体的な施策は以下の通り。
1  「3−5−8」制の導入(欧州諸国との教育段階区分の調和)
a)  大学とグランゼコールの接近…両者の教育課程区分等の調整と相互の学生の容易な編入学
b)  3−5−8制…学士相当のリサンス取得に3年、修士相当のマステール取得に通算5年、博士取得に通算8年(現行はリサンス取得に3年、メトリーズ取得に通算4年、博士取得に通算8年)
2  学生福祉計画(学生生活の向上支援)(一部1998年より実施済み)
a)  国・地方の給与奨学金の受給者数の増加と、奨学金単価の増額
b)  奨学生の選抜基準の見直し(優秀かつ経済的困難な学生優先)
c)  学籍登録料や社会保障分担金の支払い免除
d)  学生寮の新増築など
3  「第三千年期の大学」計画(大学の新増設)
a)  1988年の「2000年の大学」の後を受け、策定・導入される政策プログラム。
b)  パリ首都圏地域を中心に、大学の施設設備の拡充を図る。

〔6〕  中国
(1)  中華人民共和国高等教育法
 80年代からの教育法体系整備の一環として、学位条例、義務教育法、教師法、教育法(教育基本法に相当)、職業教育法が制定。1998年8月29日には高等教育法が可決され、翌年1月1日施行となった。高等教育法は、8章69条から成り、基本的制度、高等教育機関の設置管理、組織・活動、教員・学生の処遇、教育費などに関する原則を示している。80年代以降の高等教育改革による現在の制度を法律として改めて規定したものであり、主な内容は下記の通りである。
1  「法人格」の付与と自主権の拡大
 国公立及び私立を問わず、設置認可の日から法人格を有すると規定している。また、従来通りであるが、機関権限として、専攻の設置・変更、教育課程の編成、入学定員の設定、内部機構の設置・定員、経費・財産の管理等が認められている。さらに、1980年代後半から採用している教員契約任期制を実施すると明記された。
2  国公立高等教育機関における党指導の学内管理体制
 共産党委員会の指導下の学長責任制により、学内の重要案件は党委員会で決定。
3  多様な財源による教育費の調達
 公財政を主としながら多様な財源で高等教育費を補う体制の確立を規定し、多様な財源として、授業料、企業運営、研究成果の移転による収益等を挙げている。
4  高等教育機関に対する外部評価
 教育の質について国家が定める水準に達することの保証を義務づけ、機関の運営水準・教育の質について教育行政部門の監督と評価を受けることを定めている。

(2)  21世紀に向けた教育振興行動計画
 教育改革の指針(1993年)および教育法(1995年)に基づき、21世紀初頭までの具体的な教育政策の目標と措置を提示する「教育改革及び発展のための総合プロジェクト」として1999年1月に国務院が承認制定した。
 具体的には、基礎教育の普及と質向上、高等教育の教育研究の水準向上と経済発展への貢献促進、遠隔教育の発展等を通じた農村部や成人の教育機会拡充、教育投資の確実な拡大等を目標としている。2010年までの高等教育の目標として、高等教育在学率15%、一部大学・専攻領域の世界的水準への向上などがあり、高等教育に関する主な政策措置として下記のものがある。
1  高度・創造的人材プロジェクト
 特別契約教授(民間資金による好待遇ポスト)の設置、優秀な若手研究者100人/年の支援、優秀な博士論文100編/年の選定・奨励。
2  現代遠隔教育プロジェクト
 中国教育科学研究ネットワーク、衛星テレビ教育の拡大及びこれらを利用する継続教育制度の確立。
3  教育投資の確実な増加
 公財政支出教育費の対GNP比4%達成への努力、中央政府支出総額に占める教育支出の比率を2000年まで3%引き上げ(1997年6.2%)。

〔7〕  韓国
 1980年代半ば、「21世紀の韓国社会を支える自主的、創造的、道徳的人間の育成」を目指して教育改革が開始された。その後に、開かれた学習社会への転換を目指す改革の視点も追加された。1998年の金大中政権も、「教育を基礎とした国家振興」を宣言し、創造性の育成を目指した教育改革を積極的に推進した。
 高等教育については、1990年代、大学の個性化や多様化を進め、規制緩和や大学評価、入試改革を推進し、金大中政権において「世界水準を目指した大学作り」のための集中投資などを展開された。実施された大学改革は下記の通りである。
1  大学入試制度の改善(選抜方法・基準の多様化)
 受験競争の過熱解消のため、2次試験を軽減する方向で改革を行い、2002年から大学ごとの2次試験(筆記試験)を全面禁止した。
2  大学の多様化・個性化(大学の裁量の拡大)
 1995年の改革案により、複数学科の履修、複合分野の学科設置、設置基準の弾力化、大学による入学定員の決定などが可能になった。
3  大学評価
 教育研究水準の維持・向上を目的に、1994年から大学連合組織である韓国大学教育協議会がアクレディテーション方式の機関評価を実施。2000年までに全大学を認定し、結果を4段階で公表。1999年からは学科別評価を開始した。
 これとは別に、国の組織である教育部(現教育人的資源部)が1990年代末から大学評価を開始し優秀校には財政支援を行っている。
4  「頭脳韓国21」(特定大学・学科への集中的投資事業)
 1999年から、世界水準の研究大学育成や地方大学の競争力強化を目的に、分野別に複数大学で形成された「事業団」に対し集中投資を実施。投資総額は7年間で約1,600億円を計画している。
5  国立大学改革(再編・統合、自律化、競争原理)
 2000年から、類型別(研究、教育等)に全国7ブロックに分けて再編・統合して、自律的大学運営、教員の任期制と業績による処遇、第三者機関「大学評価委員会」の評価結果に基づく予算配分を推進している。
6  大学におけるベンチャー企業育成
 大学内で教員などによるベンチャー企業の創業が活性化。大学教員は兼業が認められ企業代表及び社員になれる。また、大学内に起業を育成支援する「ビジネス・インキュベーター(創業保育センター)」を設置。



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