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参考資料3
中央教育審議会大学分科会
(第35回)平成16年7月23日

高等教育の将来構想(グランドデザイン)に関するこれまでの主な意見
(平成16年3月16日 第33回大学分科会資料)

項目 課題についての指摘 課題に対する意見
全体について ・グランドデザインは、様々な改革の末にどのような高等教育像が現れてくるのかがわかるようなものとすべき。
グランドデザインの第一の理念は「社会的な要請への対応」である。社会の変化の動向を見通し、それに応じた高等教育機関の有り様を第一に考えるべき。
大学が社会の要請にどう応えるかという受け身ではなく、大学が社会をリードしていくという積極性を打ち出すべき。
グランドデザインの示し方としては、競争原理を導入する、国際的なレベルまで日本の大学を変えていくといった抽象的なものや、専門職大学院をどうするかといった具体的なものが考えられる。

・高等教育は日本の将来のために非常に重要であるという明確なメッセージを発信すべき。
世界の中で見たときの日本の高等教育についての危機感を明確に出すべき。
 日本の場合、教育だけではなく研究面でも不十分である。
日本の未来に向けて、高等教育は高齢化、環境、福祉、グローバル化といった課題に対応する人材を輩出するというようにすべき。
30年くらい先の国のビジョンを踏まえて、それに必要な人材を育成するという視点が重要。
大学は新しい時代にふさわしい教育力を持つべきというメッセージを明確に出すべき。

・グランドデザインとしては、制度改正など文部科学省が行うべき内容と、大学の自己改革を促進するという内容の両方が必要。
各大学が長期的展望を持って、自主的・自律的に改革の工夫や努力を進める必要があるというアピールをすべき。

1. 知識基盤社会と高等教育
高等教育の使命
大学と他の教育機関との違いを明確にすべき。
大学の使命としては、人格の形成、文明の継承、知的生産活動の3つがあると思うが、人格形成についてはほとんど議論されておらず検討すべき。
教育の目的は、倫理性が高い品位ある市民社会の形成であり、大きな意味での生涯学習社会のための大学システムの形成が課題。
現在の高等教育には、教育力、人間形成力、知的生産力、文明を継承する力の面で課題がある。
大学の存在意義は、社会についての多角的、批判的見方、考え方を育成する、分析力や総合力を身に付けるというところにある。
求められる人材
高等教育においては、科学技術等も含めた「知」とともに、人を理解するといった私的、情的な面を国際社会でも自信を持ってやっていけるような人材養成を目指すべき。
グランドデザインには生涯発達の考え方(学び手が自身に内在している能力を発見し、職を得て、それにより喜びを見付けるといった生涯発達の人間像)を入れるべき。
知識社会において、技術革新により日本の経済を支える人材を育成すべき。
・学問と哲学、倫理は表裏一体であり、高等教育においては倫理をベースに置き、卒業生は世界に通用するようにするといった戦略を持つ必要がある。
最大の問題は、創造性がなくなっていることである。あまりにも専門分野に特化しすぎて、企業に入っても転換ができないということではないか。
グローバルな社会において戦える人材を養成する必要がある。知識をリフレッシュする上で生涯学習も重要。
高度専門職業人を支える人材の育成も重要。
社会の変化に応じて、新しいものに対応できるような人材を養成すべき。
非常に早く専門分化してしまい、特定の分野しか勉強しないという現状では、学問の変化に対応できないのではないか。
2. 高等教育の将来構想
(1) 様々な需要に対応した高等教育の多様化
社会の要請や学生のニーズを踏まえると、学術だけではなく、文化やスポーツ、福祉等も重要であり、高等教育は幅広く多様性に富んでいる方がよい。
「世界最高水準」という目標を掲げるのはやめるべき。全ての大学が「世界最高水準」を目指すということは現実的でない。多様な大学を育成することこそ今後の第一の目標である。
先行きが不透明な時代にあっては、何が起きてもどこかに対応できる優れた人材がいるということが重要であり、多様な人材を育成すべき。
全ての大学が同じ所を目指すことはできないので、大学の体系を20くらい示し、大学自身に選択させ、その戦略に沿った大学を目指すべき。
18歳人口の約7割が高等教育を受けている現状において、その教育内容をどう考えるのか。また、残る3割の人達への教育機会の保障をどうするのか検討する必要がある。
大学の類型化
国公私を通じて大学が大衆化すれば、その中で役割分担的なものができてくる。社会的役割のメリハリをどう付けていくのか、どういう大学がどのように社会のニーズに対応していくのかを検討する必要がある。
リサーチユニバーシティとエデュケーション中心のユニバーシティをどう仕分けしていくのかが重要。
高度の学問研究を推進する大学、職業的専門性を育成する大学、教養教育を行う大学の3つに分類して議論すべき。
高等教育と社会の双方向性
大学は18歳の人間が入学するということを前提とするのではなく、幅広い年齢層の者が必要であればいつでも教育を受けられるようにすべき。
一度社会に出た人が高等教育機関で学び、再び社会に戻っていくという双方向性を明確に掲げるべき
一度社会に出た人が科目等履修生等でなく、正規の学生として高等教育機関で学べるようにすべき。
コミュニティカレッジのように、生涯学習の受け皿としての高等教育機関の制度を考えるべき。
「3ヶ月コース」「6ヶ月コース」「1年コース」「2年コース」といった柔軟なプログラムを、大学、短大、専門学校が協力して作るようにすべき。
企業が必要に応じて、社員を大学院に派遣するようにすべき。
これまでは、大学側の考えで人材を育成してきた。これからは、社会のために大学があるという考え方に基づき、社会のニーズを把握してそれに向けた人材育成が重要。
社会の要請に応えるということはもちろんだが、社会をリードしていくのでなければ高等教育にはならない。
社会からの要請に応じた即戦力になる実務者養成に学部教育が引っ張られている感じを受ける。
産業界は大学に専門学校と同じような人材養成を期待している。その要求だけを受け入れていくと、専門学校との違いがわからなくなる。
高等教育を受けることは個人にとって大きな財産であり、それがひいては国際競争力につながるという視点を打ち出してはどうか。
 
国際化・情報化への対応
実験系を除きほとんどの分野がEラーニングでやれる時代になりつつある。そういうことをきちんと考えていかないと、グローバル化に取り残され、世界戦略に負けてしまう。
Eラーニングは重要な輸出産業であり、もっと促進すべき。
アメリカの有名大学は、インターネットを使ってアジアに教育網を広げてきている。
学部を卒業してもほとんどの者が英語を使えない。文部科学省から「「英語が使える日本人」の育成のための行動計画」が出されたが、国際社会で日本が太刀打ちできるようにするための取組が重要。
日本の場合は英語で授業ができないので、そういうことが可能となるような教育もしなくてはならない。
英語ができるだけではなく、本当の国際化とは何なのか、それに向けた取組について検討すべき。
世界の中で日本の大学が競争力を持つようにする必要がある。
理工系の大学院を世界レベルとするため、例えば、日本人と外国人を半々としてはどうかという提言があってもよいのではないか。
大学教員については必ずしも日本人である必要はなく、外国からの人材も入れた方が良いという時代が来ている。
欧米系の学生をもっと入学させて大学の国際化を進める必要がある。また、発展途上国の学生にもより良い教育を提供していかなければならない。
外国人や女性がもっと活躍できるような大学や研究の場とすべき。
大学の管理運営
大学の管理運営について十分な検討が必要。
 
大学院
大学院の在り方や教育機関としての明確な位置付けなど、大学院のグランドデザインが必要。
大学院の位置付けをきちんとすべき。大学院は大学の一部なのか付属機関なのか、曖昧な形になっている。
大学院の規模は拡大したが、質が伴っていない。
大学院の教育については、早くから研究をやらせるために非常に幅が狭い人が多いとの批判がある。時代の変化に柔軟に対応できるような人材を育成すべき。
専門職大学院に対して、研究者養成の大学院をどうするのか検討すべき。
プロフェッショナルスクールと研究者養成型の大学院で、それぞれどのような人材を養成しようとしているのかを明確にする必要がある
研究者養成型の大学院では、院生をどのように教育すればよいかあまり考えていないため、卒業生が社会に出て役に立たないという批判がある。
大学院を重点化した大学は、学部の規模を縮小すべきではないか。
学位
人文社会科学分野では、なかなか学位を授与しない傾向にある。
人文社会科学分野では欧米に留学しPhDを取得しないと、国内でも国際的にも通用しない。我が国のPhD課程が空洞化している。
人文社会科学系の大学院の場合、院生に対する教育が欧米に比べて充分ではなく、学位を取得するプロセスに厳しさが足りない。
大学教員については、PhDを有していることを要件とすべき。
大学院における教育を充実させるため、論文博士制度は特例を残して廃止する方向で検討してはどうか。
学部
学部教育とはどうあるべきか。教養教育と専門基礎教育の違いや専門職大学院と学部教育の関係をどう考えるべきか。
学部では広い意味での教養を身に付けるべきであり、専門知識は大学院で学ぶようにすべき。
学部における教育は単なるスキルを教えるのでなく、ものの考え方といった基盤的なことをしっかりやるべき。スキルなど変化するものは専門学校で教育するということにすれば、学部との棲み分けができる。
ものを考える力や問題点を分析する力、抽象化して一つの概念とする力が必要だが、特に抽象化する力が弱い。
理工系は専門化しすぎて基本的なものが身に付かないようになっているのではないか。
社会科学系は高等普通教育になっており、ベーシックに経済、法学等を身につけさせる必要がある。
あらゆる企業を考慮にいれた専門教育はあり得ないので、具体的な達成目標を与えてそのプロセスの中で人格を陶冶するのが教養教育だと考えている。
今後も学部の最低修業年限は4年間でよいのか検討すべき。
分野にもよるが、学部と大学院修士課程を通して一貫教育にするということも考えられる。
修業年限については、本来4年間でやれるのに学部教育の密度が薄いためできないという面があるのではないか。教養教育にしても密度の濃いものにする必要がある。
短期大学
短大の位置付けをどうすべきか。
アメリカでは短期の高等教育の機会が、あらゆる人に低い学費で保障されている。日本でも短期大学を最初の学位とし、様々な学習機会を提供できるようにしなければならない。
地方公共団体との連携という視点も重要。
大学の本質から言えば、普遍化、脱地域ということになるのではないか。短大における地域との関係や貢献のあり方を検討すべき。
高等専門学校
高等専門学校は、もともと中堅技術者の養成からスタートしたが、現在は、専攻科を設けて高度な技術者を養成するという方向になってきている。しかし、本来の現場技術者養成に特化すべきではないか。
 
専門学校
学部における教育と専門学校における教育とはどう違うのか。
今すぐ必要なスキルについての教育は専門学校で行った方がよい。
その他の教育サービス
企業内教育は色々なところでやっており、必要な知識を身につけさせるという点では、大学ではなく専門の企業や専門学校に任せた方が良いことも多い。
 
(2) 高等教育の質の向上
認証評価制度がしっかり機能するまでの間、どのように高等教育の質を維持するのか。
事後チェックだけだと学生が犠牲になることも考えられる。
カリキュラムの定期的なチェックシステムを大学に設けたり、授業評価を行った後のフィードバックを行うべき。
卒業生の質
卒業生の質の保証をきちんとすべき。日本の大学の学生の質が国際的に評価されるのかどうか。
これまでは入学試験が入学時の学力保障の役割を担ってきたが、最近入試は厳しさが低下してきた。
専門分野を超えて「大学卒業」ということについての基準ができれば、共通卒業試験を課すことも考えられるのではないか。
卒業を難しくすることが必要。また、大学でこういう勉強をしたいというインセンティブを与えることも必要。
社会と連携した取組
卒業生の質を確保するためには、大学だけの努力だけでは不十分であり、企業がきちんと卒業生を評価して採用し、評価を反映した報酬システムを作ることが必要。
企業において昇進や評価の仕組みが変わらなければ、一生懸命勉強してもしなくても同じということになる。企業に対して意見を出すべき。
企業も評価に応じた報酬制度に移行しつつある。
学部卒と大学院卒では初任給が異なる。また個人の能力に応じて、研修期間や昇進の早さに差異を設けている。
大学のカリキュラムが企業が求める能力に合っていないということであれば、企業側が大学に対して情報発信すべき。
企業にとって必要な卒業生の能力については、大学に伝えても十分対応していただけない面がある。
大学は、インターンシップをお願いした企業、卒業生を採用した企業に率直な批評を聞くことが有益である。
就職活動時期の早期化について改善すべき。
就職活動により4年生のゼミに影響が出ている。
企業は、年間採用に変わって行くべきであし、現に変わってきている。
就職活動の時期については、企業と大学双方で意見交換をして、建設的に改善していくべき。
(3) 高等教育機会の確保
全体規模に関する考え方
 
今後は、高校を卒業したら欧米の大学に進学するケースが増えるだろう。その点も踏まえる必要がある。
高等教育機関への進学率については、専門学校も含めないと高等教育全体の動きがわからなくなる。
人材需給に関する考え方
我が国が国際競争力を持つためには、優秀な人材を育成することが重要であり、このための高等教育戦略が必要。
国としてどのような分野でどのような人材をどのくらいの量養成するのか議論すべき。
これまでは主に国立大学に重点を置いて議論してきたため、社会が必要とする分野の人材数と大学が供給する人材数のミスマッチが起きた。今後は、国公私立大学にまたがる戦略作りを行う必要がある。
今後重要になると考えられる学問分野を、高等教育機関で研究する必要がある。
人材育成等についてどの分野に重点を置くのかを明確にし、文部科学省の人材育成施策を一体化して運用すべき。
人材養成にはタイムラグがあり、人材需要のミスマッチはどうしても起きるのではないか。
社会のニーズは変化していくので、それに対応できるようフレキシブルなシステムを作るしかない。
人材需要のミスマッチを考える際には、学部と大学院を分けて考えるべき。
学問が進展していく中で、学部や学科の分野構成をどうすべきか。新しい分野に対応することも重要であり、旧来からの分野も必要である。学部の分野選択を、全く市場原理に委ねるということでよいのか。イギリスでは、数学や化学といったハードサブジェクトを学ぶ学生が少なくなり、学科を閉鎖するという状況が起きている。
規制緩和が進み、各大学が主体的に学部等の設置を行う中で、社会が必要としている人材を養成するためにはどのようなインセンティブを与えるべきか検討すべき。
平成3年以降の大綱化により、学部名称等は非常に多様化したが、その中身は社会の需要に対応しているのか。また、競争原理と評価原理だけに委ねると、消滅してしまう重要な学問分野がある。
ハードサブジェクトを専攻した学生が就職できるようにすることが重要。
日本の場合、工学や理学の分野は、社会人が改めて勉強し直したいと考えても学ぶ場があまりない。どの分野でも勉強できるようなシステムを構築する必要がある。
医学や歯学、薬学という人命を扱う職業が学部教育だけで良いのか。
イギリスでは、成人に対する学習機会が非常に多い。
地域配置に関する考え方
日本の場合、何もしなければ大学は都心に集中する。首都圏から離れたところにユニバーシティタウンがほとんどない。
拠点となる大学や学部を中心として、産業立地と平仄を合わせる形で研究拠点や教育拠点が地方に生まれるような仕組みを促進すべき。
大学が地域文化を育て経済を支えてきたが、社会構造の変化で、大学が取り残されている。
学問分野の拠点を地方に分散させることで、国立大学と私立大学の連携がおきるような方策を検討すべき。
地元に卒業者の就職先がないと地方の大学は成り立っていかない。入学者を地域から集め、卒業者も地域に返していくという大学が増えていく必要がある。
日本はジョブが大都市に集まってくる。地方に産業を育て、リサーチパークやベンチャービジネスの振興を図ることが必要。
3. 財政の在り方
抽象的に「高等教育に係る財政支出の対GDP比を倍増せよ」といっても、どの部分が不足しているのかを示さないと説得力がない。
高等教育の受益者は誰なのかを考えるべき。将来の高齢化社会を支えていくのは若者であり、若者に投資しない国は高齢化社会を支えていけない。高等教育の受益者は、社会、国家であるということを明確に打ち出すべき。
高等教育に対する投資が増えないと、日本の国際競争力が心配であるとのメッセージを出すべき
18歳人口の減少や社会人入学者もそれほど増えない状況にあって、高等教育への財政支出をどう理論付けるか。大学院生への支援など、焦点を明示して社会からの支持を得られるようにすべき。
博士課程などの高度な研究者の養成にはフェローシップの形で財政支援すべき。
コストを厳密に調べる必要がある。日本全体がコスト高なので、教育界だけで是正できるものと出来ないものがある。教育界で是正できるものはすぐに改善する、できないものは社会に訴えるといったことが必要。
機関補助と個人補助の組合せをどのように考えるか。
経常費補助金制度を残しつつ、学生に対する支援もしていかなければならない。
個人が奨学金で学んで自分で返していくという循環する仕組みを確立する必要がある。
奨学金が増えるかわりに私学助成が減るということになってはならない。
奨学金についてもう少し政策性を持たせる必要があるのではないか。
高等教育の発展の基礎として、民間がいろいろな形で大学に寄附をするという文化が必要である。
企業が寄附をしやすいようにインセンティブを持たせる必要がある。
学校の収入は、1学生納付金2公的資金3民間資金4寄附金5資産運用収入6学校債が考えられる。それぞれについての促進策を考えるべき。
老朽施設の整備も必要である。
 
設置形態ではなく、よい教育研究を行うところに資金を出していくといったことが重要である。
各機関の判断に基づき頑張れるような環境を整備するとともに、トータルの財政支出額は固定し、競争的な環境の中で頑張ったところにお金がいくようにすべき。
私立大学と国立大学の競争条件を、イコールフッティングとしてどの程度同じにできるか考える必要がある。
イコールフッティングとはどの程度のことを言うのか。私学は設置者が経費を負担するのが前提である。また、国立大学としてやるべきことはやらなくてはならない。そこを明確にしておく必要がある。
国立大学は法人化しても税金が投与される大学としての使命等がある。イコールフッティングについても、歩み寄りがあるのかどうか議論しなければならない。



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