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資料2

大学教育部会での検討課題に関する主な意見等

1  全般的事項

 日本の競争力を強化するためには、高等教育のみを議論するのではなく、初等中等教育から一貫して考える必要があるのではないか。

 今の大学には、小・中・高でやらなければいけないことのつけが回ってきているのではないか。しかし、そのつけを全て大学で引き受けるべきではなく、大学の側から、小・中・高の現場に対して情報発信や支援を行うことで、大学の機能を活かしていく道もあるのではないか。

 熟練技能者の大量退職という「2007年問題」と並んで、2006年4月には、新しい学習指導要領の下で教育を受けた学生が大学に入学してくる。そのことを考えると、大学がやるべき事柄を絞って検討し、国力を維持し高めていくための教育を考える必要がある。

 「学生消費者」という言葉があるように、今後、学生に対するサービス精神と教育理念を持っていない大学は取り残されるのではないか。また、市場原理に任せるとすれば、今後破綻する大学が出てくるので、どういった場合に何をするか、ガイドライン的なものを策定することが行政として必要ではないか。

 就職を希望する学生は、受け入れ先の視点を内在化させるのが通常だが、受け入れ先が学生に対して何を求めているのか、大学教育に何を求めているのかが必ずしも明確でないために、結果的に、学生がそれを内在化できない状態になっている。大学教育を考えていく際には、学生自身のニーズ、それから学生に対して社会が何を期待しているかということを常に明確にしていく必要がある。

 大学には、学生の知的好奇心を掻き立てる力が欠けているのではないか。学生に対してあるテーマに興味を持って最後までやり抜く力や「場」づくりを支援する力を付加して欲しい。学生のやる気を引き出すための仕組みを各大学でも考えていく必要がある。

 大学卒業者だからといって、典型的なホワイトカラーになれない状況である。このような時期、状況はある程度続くのではないか。そういった状況に対してどのように対応するのかを議論すべきではないか。

 大学のカリキュラム自体が既に教養教育の比重が減少し、非常に職業教育へと重点が移りつつあるが、一方で、企業は基礎的な教育の必要性を求めている。一体何を大学が教えるのか。学生支援を超えてカリキュラムや、「大学とは何か」という問題に踏み込むような問題ではないか。

 大学教育の中身をどうするか、どのように設定するかということの議論が取り残されている。大学教育の内実に関して、各大学の努力に任せるだけではなく、一定のモデルや指針なりというものを示すべきではないか。

 企業と大学との間で人材養成について役割分担をすることは重要である。今後は、どのようにお互いの在り方を見出すかが課題ではないか。

2  学生の視点に立った大学教育の展開

教養教育や専門教育の在り方の総合的な見直し(機能別分化の促進支援等)

 「我が国の高等教育の将来像」で言われている「21世紀型市民」や大学審議会答申で言われていた「課題探求能力」など大学と社会との関わりを強く意識した提言がされている事項について、これらを点としてだけでなく面として総合的に展開する必要がある。

 「我が国の高等教育の将来像」でも言われている大学の機能別分化を考えるにあたり、教育と研究のバランス、さらに教育の中での教養教育と専門教育のバランスについて考えていく必要がある。特に、国立大学が法人化後に教育、特に学部教育と大学院教育をどのように強化したか、大学院重点化により、学部教育と大学院教育のバランスがどうなったか、この部会で議論する必要がある。大学院重点化により、学部教育がおろそかになっている部分があるのではないか。

 大学のアイデンティティを高める上でも学部段階は重要であるにもかかわらず、大学院生や留学生の数が増え、教員が忙しくなり、学部教育まで手が回らない状況になっている。教員の実態を把握するとともに、教員の分業化について検討する必要があるのではないか。

 私立大学の場合は、逆に大学院における教育まできちんと行っているかどうかを考えなければならないのではないか。

 「我が国の高等教育の将来像」で言われている「緩やかな機能別分化」について、各大学で様々な視点から検討が進められているが、当部会では、機能別分化に加え、育成されるべき人間像が何かについても議論すべきではないか。具体的に教養教育について議論するのであれば、機能別分化に絡めた議論を進めていくことが必要だと思う。

 企業の立場から見ると、昨今、学生に対してマナーの段階から再教育をしなければならず、年々そのウエイトが大きくなっている印象がある。本来は学校教育の中で教養を身につけ、入社後に必要な専門知識を教育するという形が理想的だが、現状では、企業がマナー等も含めた教養教育に投資しなければならない状況にある。学生に教養を身につけさせるためにはどのようなカリキュラムが必要かということについて議論する必要がある。

 教養教育の問題は、教養を客観的に評価することが難しいという点にある。客観的に評価できないが、社会において重要なものを教育しなければならないときに、どのような方法で学生を動機づけ、どのような方法で教育をし、それを社会全体の中でどのような形で評価していくのかということを考える必要があるのではないか。特に、教養教育と専門基礎教育との関係を、学生や社会のニーズをも生かした形で考えていく必要がある。

 企業側の人材ニーズに追随するのではなく、大学独自の専門的知識を付加することによる職業的意義の高い教育内容の構築と、大学の教育実績を学外に対し明示していくことが必要ではないか。また、大学の意義は職業的意義に限られるものではなく、人間的形成的意義や市民的意義など、普遍的なものが大学教育には求められており、これらの多様な意義の間でどのようにバランスを取っていくかが必要ではないか。

 アメリカでは、1990年代に80万件もの起業があり雇用の受け皿となったが、日本ではそのような受け皿がない。日本は、学生に対して起業のための教育を行っておらず、また、起業できる能力を持った教員も少ない。大学教育の中に起業を位置づけることを検討すべきではないか。

 新しい産業が具体的にどのような職業能力を必要としているのか分かりにくい。現状で必要とされる能力に合わせて大学教育を変えていくだけでは、大学教育と職業的意義のミスマッチを解消することにはつながらないのではないか。

学問分野別のカリキュラムの充実のための各種支援方策(学協会や認証評価機関との連携等)

入学者選抜や教育課程、成績評価・修了認定に関する方針の策定・公表の促進

 「我が国の高等教育の将来像」の「12の提言」の中にもアドミッション・ポリシー、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーについて触れられているが、大学において、この3つが必ずしもうまく連携していないケースがあるように思う。教養教育・専門教育の在り方や機能別分化の問題を絡めながら議論する必要があるのではないか。
 また、現在は大学・短大の進学率が50パーセントを超える状況にあり、学力に幅があることを前提にした上で、機能別分化の在り方を考えるべきではないか。それがその大学のアドミッション・ポリシーであり、それに基づいたカリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーが決められれば良いのではないか。

 大学にとって学生は顧客であり、学生サービスを良くすることで顧客満足度を上げることは必要であるが、それが学生を甘やかすことにつながっては、今までよりも状況が悪くなってしまうのではないか。
 最近の学生の質は20〜30年前と比べて落ちているのではないかという印象を受ける。産業界が大学の成績を評価しないことや海外の安い労働力を安易に利用してきたことなど、質が落ちた責任は産業界にもあると思うが、大学は学生にもっと勉強させて欲しい。学生は一面では大学にとっての顧客であるが、産業界を含めた社会にとっては大学の言わばプロダクトでもあるので、学生の質を大学側が保証し、質の高い学生を社会に送り出して欲しい。

 格差社会ということが言われているが、今後、私立の比率が高い日本の高等教育の中で、学費負担の問題を含め、教育機会を保証しながら、質をどのように担保するのかということが大きな課題になっている。

課程(プログラム)中心の考え方への再整理

 大学を一括りにして議論するのは困難ではないか。基本的にどのような人材が必要かということを踏まえた上で、その期待される教育の構想を学部段階で何を、学士課程で何を、或いは大学院へどう振り分けていくのか。高等教育をどのように分化し多様化させるのかを考えるべきではないか。

分野ごと、地域ごとの人材養成に関する動向の把握と分析

 昨今、大学が多様化し、機能別分化ということが提唱された状況で、大学の類型化が進行しつつある。大学教育の現状についてマーケット分析をした資料があれば、どこに問題の所在があって、どこに課題があるのかについて共通認識が持てるのではないか。

 現在様々な面で分権化が議論されているが、地域が活性化していくための拠点として、大学は重要な役割を担っている。市場原理の中で企業が短期的な利益志向を採らざるを得ない状況の中で、大学が地域活性化のための知のワンストップセンターになるような戦略や、卒業生が社会で力を発揮できる場の開発についても考える必要があるのはないか。

学位以外の履修証明の方法の普及・定着促進方策(メジャーマイナーの普及促進等)

 社会人が大学で学びたいという需要に関して、大学がさらに変わり、制度的に社会人が通いやすくなるようになれば需要が一層顕在化してくることが予想され、社会人全体を見据えた大学教育について議論することも重要である。

3  意欲ある学生を社会に送り出すための各種の支援方策

キャリア教育や就職指導の質の確保・向上と支援のための方策

 コミュニケーションや人間性、人間関係についての教育は、家庭の中あるいは初等中等教育の段階で行われるべきものと考えるが、現在では、医学部のみならず、大学全体において人間性や人間関係についての教育が必要になってきている。

 伝統的な1960〜70年代の学生像が基準にするのではなく、いわゆる大学全入時代を前にして、現在の学生像について、我々自身が意識を大きく転換させていかなければならない。

 労働政策の立場から、現在の大学教育については危惧を抱いている。学生の現状と社会、中でも産業界が求めている人材像のギャップを埋めるのが教育のなすべきことであり、それが何かについてこの部会で十分に議論すべきである。

 キャリア教育については、キャリア教育そのものだけではなく、本来の教育を通じて学生に対してどのような付加価値を与えることができるのかについても議論すべきである。
 各大学の現状を見ていると、これまでキャリア教育は就職部やキャリアセンターの職員が中心となって取り組んできたが、最近では教育課程の中に位置付けられつつある。今後は、どのように職員と教員が連携していくか、どのように産業界の要望に対応したプログラムを作っていくのかが課題である。教育が産業界の人材需要にどのように応えていくべきかについても議論する必要がある。

 最近の学生はソーシャルスキルが十分でないという指摘もあるが、一方ではマナーは良くなっているという見方もある。
 また、最近の学生は勉強をしないという指摘があったが、何のために学ぶのかということの意味づけが必要なのではないか。

 入学時から基礎的専門科目を学ばせることで、入学時に学問内容の意識付けをすることも重要ではないか。

 就職の問題にはいくつかの段階がある。高等学校段階で大学の専門分野を選択している現状において、大学は高校生の進路選択が円滑に行われるよう協力すべきではないか。
 また、就職活動の開始時期が早期化し、自らの興味・関心が固まる以前から活動せざるを得ない状況になっている。

 就職状況について考える際には、男女での違いが明確である。大学教育全体を通じて言えることだが、男女の違いに着目した分析・議論を行うことが、大学側及び企業側の両者において考えていくことが必要ではないか。

 学校教育の意義として「職業的知能の習得」を挙げた比率は諸外国に比べ日本が最も低い。これは大学をはじめとする学校教育のみの責任ではなく、企業側にも責任があるのではないか。

 産業界も必要とする人材像を明示し、企業内部と大学を含む外部において、人材育成というものをどのように分担し合っていくのか、どの役割をお互いに担い合っていくのかということについて、大学側と産業界との対話が必要ではないか。

ガイダンス、カウンセリング等の学生相談機能の充実

 昨今、インターネットによる就職活動が普及しており、学生はインターネットで得た情報を基に活動することで満足している。学生が先輩を訪れるなど、自分の足でその企業を見学するなどの行動が減少していることは問題ではないか。情報そのものの信頼性やネット上で流れる口コミを信頼すべきではない。

若年無業者対策、職業意識・能力の形成支援

 最近の学生は必ずしも明確な目的意識を持って大学に入学していないのではないか。そのことが、今日のニート・フリーターの問題に大きく影響しているのではないか。

 職業的あるいは市民的な教育訓練という部分については、大学教育がこれまで企業に任せてきた部分を、どう引き受けていくべきかを検討する重要な時期に来ている。大学は、職業的にも市民的にも、若者が生きていく上で実質的に力となるような教育内容をどのように提供していくべきかという切実な課題に取り組んでいかなくてはならない。

 学生に対して大学の中でどれだけ市民教育を施していけるかという課題に対して、我々が、どのように機会や方法を作り出していくのかということを議論すべきではないか。また、大学教員が如何に自分たちを変容させられるかも大きな課題である。

 アカデミックな学問や教室での授業を経て、ボランティア活動を行い、自ら学んだことを検証したり、何ができるか提唱してみるという米国のような手法を活用することによって、学生と社会をつなぐことが可能になるのではないか。

 労働政策の観点から、現在、厚生労働省では、実習併用型の教育プランを進めようとしている。学生の質が多様化している状況で、教育手法も多様化が必要である。

 企業側としては、論理的思考能力やコミュニケーション能力が不足していることを問題視している。採用においては、社会常識が備わっているかが極めて重要であり、社会との関わり合い、或いは学生本人が自覚して身につける場である大学は是非工夫して欲しい。

 近年の無業率の上昇は学生の迷いや戸惑いに寄るところが大きいのではないか。例えば、専門教育の中で自らの将来について考えるような教育が必要ではないか。

 フリーター、ニートの問題については、高等学校や専門学校に対しても労働観、或いは社会のルールのようなコミュニケーションを植え付けるような教育をすべきではないか。

 学生に対し課題を与えることが必要ではないか。社会なり、産業界なりが求めているもの、或いは新しいことに向かっていこうとすれば、若い人たちの役割も当然出てくる。産業界と人材要件の明示、企業内部と外部の人材育成の分担の切り分けは極めて重要であり、目指すべき方向ではないか。

 働くことの大切さが「職業の意味」であることについて、さらに大学教育の中に持ち込まなければいけない。働くことが大事であるということを、学生たちに植え付けることが必要ではないか。

学生に対する経済的支援のための関連施策(奨学金、授業料減免、TA・RA、フェローシップ、競争的資源配分型プロジェクト等)の充実・体系化

 日本学生支援機構の奨学金については、外国人留学生には給付型の奨学金があり、大学院生には成績優秀者に対して返還免除の制度がある一方、学部学生にはそういった制度がない。現在、無利子の第1種と有利子の第2種があるが、国の財政事情もあり、無利子の貸与人数の拡大が図りにくい状況にある。このような背景から、奨学金の問題について議論すべきである。

大学院レベルでの国際的に有為な人材の育成・支援方策

学生の課外活動の充実・活性化による「人間力」強化

国公私の枠を超えた学生支援ネットワークの形成による課外活動の充実等

留学生交流の促進・充実(海外への留学の支援方策、渡日前から帰国後に至る体系的な支援方策)

 日本は外国から留学生を受け入れるのは熱心な一方、日本の学生を外国に送り出すのは熱心とは言い難かった。現在、我が国の財政状況は危機的な状況であり、国費等を投入することは困難でもあるが、海外への留学生を拡大するためにも、寄附税制の活用等が考えられるべきではないか。

 留学生交流の促進・充実については、日本の学生が海外に留学する際の支援が必要だ。また、世界の中で先頭に立てるような人材を養成する仕組みをつくることも必要ではないか。

 日本人学生の海外留学を促進するには、経済的支援を充実させる必要がある。

 質の高い留学生をどのように日本に招致するかについて、国をあげて検討すべきではないか。

 我が国の高等教育機関の在学者に占める留学生数は、諸外国に比べ低い状況であり、その割合となる数値目標をどう設定していくか、今後の大きな課題である。

 留学生政策を展開する上で重要なのは、我が国における高等教育の国際的通用性、海外拠点網の整備、留学生へのジョブマーケットの開放、民間奨学金の充実、帰国留学生への支援である。さらに日本の留学生政策の展開に関しては、ツイニングプログラム等の新しい政策展開も参考とすることが必要ではないか。

 留学生の世界的な社会的流動性を把握し、どのような理由で、どのような国に留学しているかなど、その動向を調査する必要があるのではないか。また、留学から帰国した学生には、帰国留学生のネットワークを構築するなど、帰国後の状況を掌握することが必要ではないか。

 我が国の大学は自校卒業生の情報もあまり把握できていない状況である。さらには、外国人に対するフォローアップが非常に少ないということも問題であるが、これらは留学生に限った問題ではなく、全ての学生に対して共通する問題である。

 留学生の受け入れに関しては、学部レベルと大学院レベルのどちらに重点を置くべきか考える必要があるのではないか。

 留学生施策を考える上では、我が国の留学生の約9割が私費留学生であるとともに、そのうち約7割は私立大学に在籍しているという現実を踏まえることが必要である。これが我が国の留学生の特徴であり、私立大学が留学生戦略を必要とする理由である。

 私立大学における私費留学生の課題としては、高額な授業料、留学生の質の確保、受け入れ体制の整備、大学教育の国際的通用性が挙げられる。また、国費・私費を問わず留学生自身が感じている問題としては、留学生宿舎の確保が不十分、日本人学生及び事務職員の英語力の低さ、就職市場の開放が不十分であることが挙げられる。

 少子高齢化を向かえた今日のことを考えれば、卒業後の優秀な留学生を日本社会に積極的に採用するなど、我が国の中で十分に活用することが必要ではないか。

 ツイニングプログラムにより、私費留学生数を拡大するためには、大学が幅広い教育分野のツイニングプログラムを開発すること、国際的通用性のある教育を行うこと、海外拠点網サービスを整備すること、留学生寮を整備・拡大することなど、これらを産学官と現地国とが一体となって取り組むことが必要である。

 留学生に対して日本語だけでなく英語で授業することは好ましいが、その一方で日本人学生の英語力は非常に低い。日本語との併用ならともかく、英語だけで授業を行うのであれば、日本の大学に来る必要はない。日本に留学するからには、日本語教育が必要であると考える。

 我が国では多様化に大学が適応出来ない部分がある。留学生の概念を考え、それに合わせた仕組みに変えていくことが、これからの留学生政策を考える上で重要ではないか。

 オフショアプログラムを展開するには、諸外国の何処の国に照準を絞るかが重要である。また、様々な大学がプログラムを展開することから、大学教育の質保証の観点からも、大学間でコンソーシアムをつくるなどし、その上で評価機関が一定の質を保つ仕組みづくりが重要ではないか。

4  その他

 危機への対応という意味で、最先端の科学技術や基礎科学、例えば環境問題に力を入れる必要がある。イリオモテヤマネコやツシマヤマネコの保護に関する研究に従事する大学院生たちは研究費が無く、交通費や暖房費も危うい状況にある。知を担う大学に対する予算的支援を議論していかなければならない。


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