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中央教育審議会大学分科会

2001/10/17 議事録
中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第2回)

中央教育審議会大学分科会将来構想部会(第2回)

   日時      平成13年10月17日(水)10時30分〜13時
   
   場所      文部科学省別館第5,6会議室
   
   議題
 
(1) 大学等の設置認可の望ましい在り方について
(2) その他
   
   配付資料
 
資料1 大学等の設置認可の在り方及び教育研究の質の向上方策について
資料2 大学設置認可に関する閣議決定等
資料3-1 諸外国の大学設置認可等について
資料3-2 各国の代表的な評価機関の例
資料3-3 アメリカにおける大学の質の保証のシステム【その1】
  −州政府による設置認可−
資料3-4 アメリカにおける大学の質の保証のシステム【その2】
  −アクレディテーション−
資料4 大学分科会の今後の日程について   (略)

   出席者 (委員) 茂木友三郎(副会長),高倉翔(副分科会長),石倉洋子,中嶋嶺雄の各委員
    (臨時委員) 猪口邦子,荻上紘一,黒田壽二,島田Y子,関根秀和,山崎正和の各臨時委員
    (専門委員) 青山善充,越原一郎,鈴木   忠,中津井泉,松本浩之の各専門委員
    (文部科学省) 結城官房長,工藤高等教育局長,石川私学部長,清水高等教育局審議官,板東高等教育企画課長   他
       
   議事
     
  (1) 事務局から資料についての説明があり、その後大学等の設置認可の望ましい在り方について自由討議を行った。
     
    (○:委員,●:事務局)
     
     大学等の設置認可の望ましい在り方について審議をお願いしたい。全体として規制緩和、簡素化の方向で考えるということが問題意識だと思うが、それらを進めるには評価制度がきちんとしている必要がある。設置認可と大学評価をセットにして、全体として大学の設置認可の望ましい在り方について自由に発言をお願いしたい。
     
     イギリスの場合、HEFCEによる評価は、最近様々な大学からの抵抗があり、ほぼ中止になっていると思う。アメリカではアクレディテーション機関の評価があるが、その他に民間のランキングが非常に大きな意味を持っているので、これについても調べてほしい。日本では、大学基準協会がある種のアクレディテーション団体にあたると思うが、大学評価の基準として十全の内容を持っているのか。
     
     この場で議論することは何なのか。資料の論点や閣議決定等を見ると、基本的には設置認可制度を更に緩和する方向であるのは間違いないと思うが、この場で弾力化すべきかどうかを議論するのか、それとも弾力化するその方策を具体的に考えるのか。個人的には後者だと思っているが、弾力化する場合に情報公開、評価制度、国立大学の法人化等とどう結びつけるかが大きな論点となると思うが、そういう理解でよいのか。
     
     基本的に弾力化ということが大きな方向だが、教育研究水準の維持向上や事後チェックの観点を含めて、具体的な範囲や仕組み等をどう考えていくべきなのか、タイムスケジュール等も念頭に置いて議論していただきたい。設置認可の在り方の根本論を基本としながら、具体的な制度問題も御審議いただきたい。
     
     規制緩和・自由化の流れは進んでいくと思うが、どのくらいの程度とするかが議論のポイントだと思う。昨今の議論や様々な公的な場での意見の中で一番自由化した場合のケースと、それについての文部科学省の考えを伺いたい。大学等の正規の学校の設置について国等が関与するのは国際的にも公教育制度の基本となっているようだが、欧米での認可の程度はどのくらいなのか。日本では大学の設置に大変な努力を必要とすると聞くが、欧米での認可の程度をどう考えるのか。
     
     設置認可に関する最も極端な主張は、認可制度をやめたらどうかというもの。諸外国の状況を考慮に入れた上での主張かどうかはわからないが、政府の関与をやめたらどうか、大学の設置を自由化すればもっと経済が活性化するのではないか、という立場だ。自由化した時に大学として適切でないものが出てくる可能性も含めて国際的な通用性を考えると、諸外国にも例のないような自由化はどうかと思われるので、公的な見解としては、弾力化や見直しという表現にしている。本部会では、日本の大学を改善するシステムとして認可制度がどうあるべきかについて方向性をお示しいただきたい。認可の厳格性や程度については、認可制度が出来てからこれまでに様々な改善をしていて、それほど窮屈ではないと理解しているが、更に改善するため御議論いただきたい。行政行為として、大臣の裁量行為すなわち許認可権には、自由裁量と覊束裁量がある。覊束裁量は一定のルールに則って、いわば大臣の許認可権を拘束する仕組みだが、大学の認可は覊束裁量である。専門の審議会で関係者の審議を経て、その答申に基づいてよほどの瑕疵がない限り、大臣はその許認可権を行使することとなる。我が国の設置認可は、諸外国が行っているピアレビューのように、各分野の専門家の判断を経ながら行っているものである。以前は大学を新たに設置する場合は2年がかりの審査をしていたので、初期投資が多く必要だとか、2年間に渡る審査で手間がかかるという声があった。今は改善し、1年の審査に短縮したり、必要書類の簡素化を図る等している。これらのことも念頭に、今後の在り方について御意見をお願いしたい。
     
     認可には大変な手間暇が要り、非常に厳格で大変だと言われるが、他の国に比べて一番大変なのは教員審査だと思う。教員審査に関しては、各々の教員の業績等についての様々な調書を大学設置学校法人審議会の専門委員会で審議いただいている。この点についても、非常勤の教員の審査の省略や学科の新設の場合の教員審査の省略等、相当の省略がされつつある。全体として、学科については既に相当弾力化、簡素化している。
     
     設置認可自体を全廃するのではなく、大学の設置は認可の対象とするが学科等は認可の対象から外すという弾力的な措置が考えられ、継続的な大学評価については、もう少しきちんとするべきだと事務局は言わんとしているのではないか。設置認可の在り方と質の向上は密接な関係にあると思うが、大学設置認可の望ましい在り方としてアクレディテーションまで踏み込むことになるのか。大学基準協会や大学評価・学位授与機構等の在り方についても議論の範疇に含むのか。議論する範囲を明確にしないと話がどんどん拡散するのではないか。二つの機関を前提に第三の機関を作るのか、二つの機関の改編は考えずアクレディテーションの方法だけを対象にするのか、アクレディテーションの機関を日本にも作るべきなのか、その辺りを整理すべきだと思う。仮に学部の設置は従来通り認可制度を維持し、学科については大学に任せるとするとするならば、学部と学科の区別をはっきりさせるべきである。従来は学部も学科も同じ認可の対象だったので、ある学問分野を学部として出しても学科として出しても審査の仕方は同じだった。しかし、仮に学科だけを自由化すると、学部と学科の違いにより従来同じ扱いだった学問体系が変わる可能性がある。法令的にはどうなっているのか。また、大学の設置を自由にすると学生に被害が発生するのではないか。自由化に必要な点を押さえるべきだ。大学設置学校法人審議会における細かな審議が必要かどうかについてはその実用性を伺いたい。諸外国の基本的な原則のような基本方針は必要だと思う。
     
     この部会では、大学等の主体的機動的な対応をより一層可能とする観点から、設置認可の望ましい在り方について、大学評価の充実及びその推進方策の在り方をも視野に入れて、幅広く議論いただきたい。個別具体的にではなく、システムとして大学評価をどう考え推進していくかをご議論いただきたい。学部と学科については、例えば医学部の中に保健学科として6年制ではなく4年制で医学ではない分野が置かれているケースがあり、学科でも学部の認可と同じ意味を持つケースがかなりある。そういう点で学部と学科の基本的な性格等を踏まえながら、設置認可についての具体的な弾力化・簡素化を基本からご議論いただきたい。現に学科の審査はかなり簡素化している実態がある。学部も改組の場合は一定の条件の下、相当弾力化している。閣議決定の規制改革推進3か年計画については、学部の収容定員の範囲内での学科の新設改廃及び学科定員の変更について具体的に書かれているが、その後に出された経済財政諮問会議の改革先行プログラム中間取りまとめや改革工程表等においては、更に幅広い検討が必要という指摘があるので、その点を含めご議論いただきたい。
     
     現行法上、学部と学科の区別があるのか教えてほしい。
     
     学校法人は人・物・金を扱っているが、設置認可が緩和されてきた結果、これらがルーズになっている。学部の中の学科は総定員を変えない場合には自由裁量でいいと思うが、人・物・金を扱う学校法人の在り方はもう少しシビアに見るべきではないか。学生に迷惑がかかるものを認可すれば、責任問題も出てくる。2年審査が1年審査になったが、新設の場合1年では実際に校舎は建たない。申請前から校舎を建て始め、途中で申請をしてやっと4月で開学が間に合う位だ。それをわかりながら、なぜ1年で認可するのか。認可する書類さえ揃えばいいというように思える。今の緩和の在り方は甘い方向に行き過ぎているのではないか。学校法人が大学を新設する場合には経常的な経費の確保が必要だと思う。既存の学校法人には将来計画のために積み上げていく基本金があるが、そういうものが全く無くても認可するとなると、無計画な事態が起きてしまう。学生数が例え半分しか来なくても、経営が成り立つ程度の資金を積んでおく必要があると思う。それが学校法人を経営する者の責任だろう。そう考えると、大学等の設置認可と学校法人の認可という二つの問題があると思う。大学の設置認可は人だけは関係するが、物と金はあまり関係なく審査が出来ることになっている。物と金を扱う学校法人の認可の在り方を考えていくべきだ。大学の認可だけについて議論するとそれらの問題が抜け落ちて、経営が成り立たないのに認可してしまう恐れがある。
     
     大学の設置認可と連動するものとして、学校法人の設置認可や経営基盤確保の在り方の問題も視野に入れていただきたい。学部、学科についての規定だが、まず学校教育法第53条「大学には学部を置くことを常例とする。」がある。学部以外の場合についても書いてあるが、大学の教育研究の基本組織として学部が位置付けられている。また、大学設置基準第3条「学部は、専攻により教育研究の必要に応じ組織される(以下略)」では、先ほどの法律を受けて学部の性格について規定されている。第4条では、「学部には、専攻により学科を設ける。」とされ、第5条では、学科に変えて別の課程を設けることもあり得るとされている。一番基本的な組織として学部を大学の教育研究の基本組織と捉えていると言える。
     
     学部、学科、課程とは、具体的にどういうものなのか。規模等、それらの基本的な枠組に関する法的根拠はないのではないか。一学部でも大きな学科や課程を持っているところもある。特に最近では、旧講座制の弊害を取り除くために大講座制が奨励されており、実質的には、国立大学においてもいわば小規模な大学の学部に相当するくらいの学科がある。
     
     学部、学科等について、行政取扱上の基本的な考え方や、基準等を整理し示してほしい。
     
     整理し後日御説明させていただくが、基本的にはご指摘のようにこれくらいの規模がなければいけないという数量的な縛りなどは学科についてもない。
     
     大きな意味で規制緩和の方向なのだろうが、様々な問題があると言われているものに何らかの形で行政として関与し修正させるメカニズムがないのは大きな欠落だと思う。設置認可に関し大きな根本が抜け落ちているのではないか。大学は非常に公共性が高い存在なので、社会倫理に反する可能性が設置のプロセスや運営の中に存在する危険性がある場合には、行政として介入出来なければいけない。今後グローバリゼーションが進む中で、新設大学等が全くの目的外使用のために設置される危険性もあるだろう。そのような場合に行政的に介入できる法令体系が欠落しているのであれば重大な問題だ。学科について規制緩和はやむを得ないが、きめ細かい規制緩和が必要だと思う。例えば、新設学科を申請すると4年間はカリキュラムを動かせないので、教員は4年間海外の教育機関に滞在する仕事は出来ないことになる。20代、30代の教員が4年間海外研修が出来ないのは大変だ。学生に対して責任を取るために、翌年から全然違うカリキュラムになると困るが、教員が海外研修に出るのは許すべきではないか。代行者を置いたり一部休講にすることは許すべきだと思う。さらに、アクレディテーションについては、日本では、もう少しユーザーの声を反映するシステムにするべきではないか。大学評価・学位授与機構を改善するのであれば、苦情処理監視機能が必要だ。学生が大学当局に苦情を言って埒があかない場合には、公的に苦情処理を監視する機関が必要で、その苦情がある程度は評価に組み込まれるべきだ。学生の苦情を取り込むシステムにすることが、ユーザー中心の市場メカニズムによる評価につながるのではないか。
     
     大学の質を評価する場合に最低限度客観的な指標は、教員数に対する学生数の比率だろう。学生定員に対して一定の教員が指導に当たるのが条件だと思う。現在、学生定員を超えて入学を許可している大学がかなりある。これに対する措置は私学助成金を止めること以外にないが、そういう大学は私学助成金を念頭に置いておらず、粗製濫造のような教育をし卒業させる。教育は公共財で市場競争原理に馴染まないが、仮に市場競争原理の立場から見てもこれは不当競争だ。これに対し、文部科学省が適切な措置をしないのであれば、議論することに無力感を感じる。
     
     少子化等のために経営危機で定員割れを起こしている大学が多く存在し、統廃合が大胆に行われなければならないにも関わらず、文部科学省は例年多くの大学を認可している。その問題と今後規制緩和が進むと考えられるグローバリゼーションや市場原理との整合性を理念的・組織的にどう付けるかが大事ではないか。大学院の場合には○合教員という基準があり、私学の大学院は該当する教員を集めるために苦労して、定年退職した年配の先生を設置の際だけ集めるような状況がある。これは、日本の高等教育の硬直化、老朽化だと思う。部分的な手直ししてきたために、全体像がはっきりしていないのだと思う。また、現在の日本では国か学校法人か地方自治体しか大学を作れないが、国際化が進む中、外国の大学や法人が日本で学校を作ろうとする場合どうするか。株式会社が学校を作るのはなぜいけないのか。設置形態の区分けや認可の実態も見直していくべきだ。その上で、最終的にいいものを残すようにしなくてはならない。この4月からMITはインターネットで全ての授業を無料公開して見られるようになり、それがアジアの大学にかなりのインパクトを与えつつある。今のところMITはそれによって卒業させてはいないが、いずれ単位をとれるようになったら日本の大学はどうなるのか。これらの動向も含めて議論してほしい。
     
     設置審査の際、申請者にいかがわしい点があれば、審議会の判断で出直してもらっている。私学の場合は自主自立という精神が基本にあって、認可した後の運営について国にはあまり権限がない。認可権と閉鎖命令はあるが、その途中段階での権限はない。実際には、設置後、審査に当たった先生方のアフターケア等により、その後の指導はしているが正式な行政行為ではない。これまでの設置認可の在り方についての議論の中で、国の事前の関与は出来るだけ少なくし、事後のチェックをしっかりすべきだという提案もあった。改善命令や勧告等の事後チェックの仕組み等、国の関与の在り方を含めて検討していただきたい。学科を新設したために4年間海外に行けないのは不自由だという点について、そのような拘束はしていない。学生に対する責任を果たすため、申請時の形態を維持するのは少なくとも最初の卒業生が出るまでは義務だが、どの教員が担当するかは大学の自由だ。また、アクレディテーションの方法は様々あると思うが、日本の場合は欧米に比べまだ育っていない部分がある。大学評価・学位授与機構や大学基準協会はあるが、公的に国公私を通じたものを作るべきかということについては議論の余地があると思う。入学定員、収容定員については、意図的に非常識に水増しする大学もあるが、これに対するペナルティーを与える権限は文部科学省はない。そのような大学は世の批判で自然淘汰されるが、今後新たな権限を考えるべきか。認可しすぎだという指摘に関しては、当部会で今後の高等教育の全体規模の在り方についても、議論していただきたい。現在進学率は約5割で、大学生が多すぎるのではないかという声があるが、これで止めるべきなのか、新規参入は認めない政策を採るべきかについては、議論のあるところだと思う。アメリカのマーチン・トロウは、進学率が15%まではエリート教育、それを超えるとマス教育、さらに5割を超えるとユニバーサル教育という言い方をしている。現役高校生の大学志願率は既に5割を超えていて、志願意欲が強いのにこれを止める政策は採りにくい。社会人の勉学意欲も考え合わせると、資力、意欲、中身がある大学の設置は認めざるを得ず、制限する政策は採りにくい。株式会社や学校法人以外の形態の是非や外国からの遠隔教育との兼ね合いも含め全体の将来構想について議論いただきたい。
     
     設置認可の規制緩和には二つの方法がある。一つは、全体として規制がかけられたものにどう穴を開けるのか。もう一つは、規制を全部外した時に最低限必要な規制は何かということである。また、株式会社やe-learningについてはどう考えるのか。現在は定員の規制をかけ、ある程度増やさない、あるいは地理的に首都圏には増やさないという形で認可しているが、後者の方法を採ると結局大学をどう考えるかという非常に大きな問題になる。従って、今ある規制の中で穴を開ける方向で考えることになるのではないか。e-learningの場合、学位をどう認めるかが問題だ。法制度的、運用的に大きな方向性を決めなければならないと思う。
     
     認可は卒業生を出さない段階で評価するものだ。これまでのやり方では、機関認定は出来ても、プログラム認定は難しいのではないか。また、私立大学のプログラム認定に官が立ち入れるのかという問題がある。民の力を借りて規制緩和する場合に官がどれだけ関与するのか。また、機関評価とプログラム評価の両方を行うという考え方があるが、両者は概念的に随分異なるので、そこをどう整理するのか。
     
     アクレディテーションについては次回議論していただきたい。アクレディテーションには、インスティチューショナルなものとプロフェッショナルなものの2つがある。機関アクレディテーションについては、今日は説明していただいた。プロフェッショナルなアクレディテーションについても考える必要があると思うので、代表例や触発情報を得られるよう事務局にお願いしたい。
     
     現状として、規制はどの程度厳しいと認識すべきなのか。数量的な部分はチェックしやすく、また、教員審査は専門分野の先生がチェックしているが、質の確保が不可能であることが明白な場合も認可しなければならないという現状がある。この点についても再考すべきだ。
     
     同じような大学が増えて、大学間の過当競争が起こっている。教育よりもまず学生集めという現状だ。規制緩和はいいが、適性配置を考え、学校法人同士の合併をしやすくするべきだ。経営の適正規模等を考えてほしい。
     
     工場等制限法により、大都市に大学を集中させず、地域大学の健全な育成を図ってきた。一方、特定領域における設置を規制してきたことにより同一地域に同じような大学が多くできた。行政の仕組みとして行われてきた規制−特に大学運営外からの規制−にどういうものがあり、それぞれの規制に基づいてどう制限され、どう門戸が開放されたのか。また、どれだけ同じようなものが現状として重なり合っているか。それらに関する資料がほしい。個別の大学の運営に関わる規制については、設置時とその後の質的保持が大切だ。第三者評価や自己点検評価等の評価は途上なので、設置時の質的な保持を維持する方法を考えるべきだ。その際に弾力化する方向と、絶対的に保持すべきものとを決めることが大切だと思う。それらについて、事務局で具体的な点をいくつかあげていただきたい。
     
     学生の減少に関わらず更に設置認可されているが、新しい学校法人が大学を設置するよりも現在ある学校法人が大学を設置することが多い。短期大学の経営が難しい上に大学指向が強いために大学に切り替えることがほとんどである。先行きが不安でも、覊束裁量なので認可するしかない。しかし、自由裁量にすると、大学はこれ以上作るべきではないということになり、結果として短大が廃止になるだろう。現実には、短大の定員の減少分が大学の定員分として増えているわけではないようだ。これについても、資料を出してほしい。短大と大学の関係は、総量的規制も含めて考慮するべきではないか。
     
     今の大学設置基準は高いハードルで、特に都会に作る場合には非常に高いハードルになっている。実際に認可になった大学は、首都圏でも地方でも都市から2時間くらい離れた所にしか作れない。それでは都会志向の学生を集めるのも、いい教員に来てもらうのも難しいと思う。小さくても学生に魅力のある大学を都会に作れるように設置基準を緩和すべきだ。従来のような校地や体育館は大学に本当に必要か。図書館も電子メディアが発達した現在、従来よりもスリム化出来るのではないか。
     
     認可と評価について同時に議論するということについてはご了解をいただいたと思う。本日は、設置認可について個々の問題点や課題を出していただいき、今後の我々の議論の土俵を作っていただいたと思う。アクレディテーションについては、更に体系的な議論を今後していくことになるだろう。事務局は宿題を整理して、次回提出をお願いしたい。
     
     工場等制限法の話が出たが、現在国土交通省で見直しを検討中である。その規制が無くなった時の全国配置や全体規模等の在り方についても御議論いただく必要があると思う。
     
   次回の日程
     次回は、11月21日(水)に開催予定。

 

(高等教育局高等教育企画課)

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