高等教育の在り方に関する特別部会(第1回) 議事録

1.日時

令和5年11月29日(水曜日)10時~12時

2.場所

Web会議

3.出席者

委員

(部会長)永田恭介部会長
(委員)吉岡知哉委員
(臨時委員)伊藤公平、大野博之、大森昭生、小林浩、中村和彦、濱田州博、平子裕志、堀有喜衣、益戸正樹、松塚ゆかり、両角亜希子、吉見俊哉の各委員

文部科学省

(事務局)池田高等教育局長、寺門私学部長、伊藤文部科学戦略官、氷見谷主任視学官、小幡高等教育企画課長、石橋生涯学習推進課長、神山私学行政課長、桐生私学助成課長、村上私学部参事官、田井国立大学法人支援課企画官、髙見高等教育政策室長、中村高等教育局視学官、氏原大臣官房文教施設企画・防災部計画課企画官、花田高等教育企画課課長補佐、疋田高等教育政策室室長補佐、濱中国立教育政策研究所高等教育研究部長ほか

5.議事録


部会長の選任等について
中央教育審議会令に基づき,委員の互選により永田委員が分科会長に選任された。
副部会長については,永田部会長から大森委員が指名された。

高等教育の在り方に関する特別部会の運営について
永田部会長から,高等教育の在り方に関する特別部会の会議及び会議資料の公開並びに審議参加の制限等について説明があり,資料2の原案のとおり決定された。
また、中央教育審議会大学分科会運営規則に基づき,この時点から会議が公開された。

【永田部会長】   この特別部会、今日が初めてで、大変重い任務を背負っていますので、一言御挨拶をさせていただきます。
 この部会の本体は大学分科会であり、そこの下に置かれているわけです。大学分科会は、ともすれば全体像の議論がとても多くなったり、背景の議論が多くなったりするのですが、この特別部会はその大学分科会にリアルな具体的な提案をしていかないといけない、そういう役目を持っていて、理想論だけではここは済まなくて、現実的にリアリスティックな議論をしていただかないといけないということです。
 大臣からの諮問内容は既に皆さん御承知だと思いますが、基本的に要件は、少子化という中で我が国の知の総和は変えないか、もしくは増やすということが、前提です。これを減らしてしまうと、ただでさえ研究力が云々と言われているこの日本がますます弱体化します。ですから、知の総和を増やすということをまず頭に。維持では駄目なので、本当は増やす。
 もう1個は、そのためにどうするかという問題は御議論をいただきたいと思います。それは教育内容を革新しない限り起こらなくて、今後も今のまま、学生さんが100%のタレントを発揮させていただくだけでは駄目で、120%ぐらい出していただかないととても実現できない。だから、教育そのものを変えないといけない。
 2番目に、そのタレントですが、本当にその100%あるいは120%発揮できる人たちがどれだけいるかをしっかり考えないといけない。数を合わせればいいではいけない。先ほど申し上げたようにリアルな問題として、この国の将来の知の総和を我々は今考えているので、これを何とかして増やすためにただ数合わせをしてはいけない。リーズナブルにその状態に持っていかなければいけないということです。希望もあるでしょうし、推測もあります。しかし、それではいけなくて、必ず我々がやらないといけない、つまり文部科学省が政策として、あるいは施策として打たないといけないことに直結することを我々は考えないといけないという点が、大学分科会よりも、よりリアルだということであります。
 それで、例えば進学率はどこまで伸びるかということです。まだまだ伸びるでしょうという見方もあるでしょう。進学率には地域格差はあって、地域によってはまだ40%ぐらいしか進学率がないところがあると思います。このようなところは伸ばすのですが、今申し上げたように、地域の定員を考えたときに、そこを充足するところまで本当に上がっていくかどうかはリアルに考えないといけない。
 留学生もですが、日本語を習うために呼ぶわけではなくて、この日本の学生さんたちと同等の我が国における高等教育を受けさせるというわけですから、日本の学生と選抜方法が違っていいのかという問題も出てくるわけです。当たり前で、アドミッション・ポリシーが1つしかない大学が違う入試を行って学生を採っていていいのかという問題もあります。このような問題まで入ってしまいます。
 それで、この国になるべく優秀な方を呼んでくるにはどうしたらいいのか。全部奨学金出せばいいという問題はもう過去のことで、そうではなくて、グローバルスタンダードのコンペティションを行わなければいけないので、教育力で勝たないと留学生は増えません。奨学金を出して呼ぶようなものでもなくて、倍ぐらいの授業料を払ってもらいたいという考え方もあります。そのためには、よほど教育に自信がないといけない。それを支える研究力も必要だというふうになります。
 社会人ですが、もちろん必要に応じてリカレントしないといけません。私はリスキリングという言葉があまり好きではないので、リカレントのほうがいいと思いますが、現在の世界の状況や新しいテクノロジーにきちんと馴化していく、そういうことは必要だと思います。
 しかし、大学なので、ただ社会人が現在の知識を得ればいいのではなくて、やはり研究をしなくてはいけない。スタディーをしないといけないので、そういう社会人教育をしなくてはいけない。我々にはできないことが社会人にはできるはずで、例えばイスラムの商法を研究する社会人がいて当然なわけです。なぜなら、これからビジネスとしてアフリカとかに出かけるのでしょうから。それをきちんと、研究をしながら教育をしていかないといけない。
 例えばそういうふうに考えないと、数合わせになってはいけない。あくまでも大学は、大学である、教育と研究をもって社会に貢献する、この機能を何としてでも維持しながら、この国の知の総和は増やす努力をしないといけないということです。
 ウェブでオープンになっているので、決意表明みたいなものです。我々高等教育に関わる者は責務を負っているんだという認識の下で、ぜひとも議論を進めていただきたいと思います。
 少し長くなりましたが、多分ここでしか、お話しするチャンスがないのではないかと思いましたので。
 続きまして文部科学省を代表いたしまして、池田高等教育局長から御挨拶をいただきます。
【池田高等教育局長】  皆様おはようございます。文部科学省の高等教育局長の池田でございます。大学分科会の高等教育の在り方に関する特別部会、今日からスタートいたしますので、冒頭一言御挨拶をさせていただきます。本来であれば盛山大臣が9月に諮問して、ぜひ今日も出席したいという意向でございましたが、ちょうど今、国会で補正予算の審議が山場でございまして、国会を外れるわけにいきませんので、今日は参加していただけませんが、よろしくお願いいたします。
 さて、皆様方にはお忙しい中、委員をお引受けただきまして、また今日お集まりいただきまして、ありがとうございます。9月に諮問をした中にありますように、今、学校で学んでいる子供たちが社会の中心になって活躍する21世紀半ばの社会、これはあらゆる面で、これまでの日本社会の仕組みの延長線上では対応できない事態に直面することが予想されます。我が国の高等教育も、こうした中で大きな転換点に立っていると考えております。
 とりわけ、先ほど永田会長からもお話がありましたように少子化の進行、これが予想以上に早く進んでおりまして、個々の大学の努力や工夫ではもうどうにもならないほど、困難で深刻な状況になっていると思います。
 また、国際情勢が不安定化したり、研究力が低下したり、あるいはコロナ禍で進んだオンライン教育、これは課題もありつつも可能性も大きく見えてきた、そういう状況でございまして、特に少子化の進行に対する対応、これ以上先延ばしできない大変重要な課題だと認識しております。
 こうした状況も踏まえて、大学分科会におきまして、おおむね2040年以降の社会を見据えて目指すべき高等教育の姿、そして、それを実現するための方策といった高等教育の在り方全体について集中的に審議をするため、この部会を設置して、今日からスタートしていただくわけでございます。
 今日から始まるこの部会におきまして、皆様方の御経験や御知見を生かして大所高所から活発な御議論をいただければと思っておりますので、何とぞよろしくお願いいたします。
【永田部会長】  ありがとうございました。
 それでは、早速議論を始めますが、いきなりというわけにもいかないと思うので、今日はお二方からヒアリングをする予定になっております。その前に、資料の3の枝番も幾つか含めて概要を簡潔に御説明いただいた後、ヒアリングということにさせていただきます。
【髙見高等教育政策室長】  高等教育政策室長の髙見と申します。よろしくお願いします。
 お手元の資料の3-1を御覧ください。これが今回の大臣からの諮問事項でございます。既に事前にお配りしておりますので、簡潔に申し上げますが、2ページ目の下のほうから諮問事項、大きく4つございますけれども、第1としまして、2040年以降の社会を見据えた高等教育が目指すべき姿について、それからページをおめくりいただきまして3ページの中ほどでございます。第2の柱としまして、今後の高等教育全体の適正な規模を視野に入れた地域における質の高い高等教育へのアクセス確保の在り方について、また3ページの下のほうでございますが、第3ということで、国公私の設置者別等の役割分担の在り方について。これには設置者別だけでなくて機関別というのも入ってくると思っております。それから4ページ目の下のほうでございますが、第4に、高等教育の改革を支える支援方策の在り方についてということで、今回の諮問事項、大きくこの4つでございます。
 資料の3-2はそれの概要でございまして、資料の3-3、これを配りしておりますけれども、こちらについては中央教育審議会総会、これ9月に行われました。また大学分科会でも、5月、7月、10月と御議論いただいておりますので、そこでいただいた御意見を事務局のほうで、先ほど申し上げた4つの柱に沿った意見ということで整理しておりますので、今後の議論の参考にいただければと考えております。
 また、参考資料1としまして参考データ集、これも先ほどの4つの柱に沿ってデータを整理しております。
 また参考資料2といたしまして、参考資料集ということで関連の資料を用意しておりますので、これらも併せて御覧いただきながら、今後議論を深めていただければと存じます。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。これも忌憚なく申し上げますが、資料3-3で、大学分科会で結構御意見が出たのは、国公私の設置者別の役割分担について考えよと諮問についてでした。それは、そういう局面もあるかもしれないが、例えば地域と都市という問題で分けたとしてもいいということなので、必ずしも国公私分けて議論するわけではないという意見が多かったと思います。せっかくまとめていただいて、皆さんの中で、諮問と若干異なる意見が出ていました。もちろん両方あると思います。もともとファンディングの形が違うので、それなりのファンディングに従った役割もあるはずですし、しかし都市部と地域ではまた違うし、大きさが違うと全然考え方も違うでしょうから、これは一つの諮問の中の言葉なので、これをうまく解釈して使わないといけません。そこが一番、御意見が多かったと思います。あとは、皆さんの認識は、かなり同じような方向にあったと理解をしています。
 それでは、細かいことは、また各自読んでいただくとして、本日、先ほど申し上げましたお二人の方からヒアリングをさせていただきます。
 最初に、濱中国立教育政策研究所高等教育研究部長、よろしくお願いいたします。
【濱中高等教育研究部長】  ただいま紹介いただきました国立教育政策研究所の濱中と申します。本日は、この資料3-4に従って御報告申し上げます。タイトルには「大学進学率60%時代の高等教育を考えるために」とつけましたが、今後の議論の参考になればと思って作成したものになります。
 最初のページですが、進学率60%時代を考える前に、そもそも高等教育政策の目的とは何なのかということでございます。こちらはイギリスの経済学者のニコラス・バー氏が提示したものを引用したものですけど、彼が言うには、質、アクセス、規模、この3点が重要で、これに尽きると。教育研究の質を高めること、それから機会均等の達成、つまり不利な社会階層出身者からの進学拡大、最後に規模ということで、社会的に適切な規模の高等教育機会の供給だと。
 実を言うと、これらは、もともと高等教育財政の目的として提示されたものですが、財政も、政策も、基本的には追求すべき価値は同じであろうということです。
 この3つの目的は、いずれも市場による自由な教育機会の供給、要するに大学をばんばん作り、一方で、進学志願者がどの大学に行きたいかを選択することで、自動的に達成できるものではないですから、何らかの政策的な介入が必要だということは了解いただけるかと思います。
 ただ問題なのは、この質、アクセス、規模は、常に放っておいても調和すればよいのですが、なかなかそうはいかなくて、トレードオフの関係になることがしばしば起こり得る。したがって、この3つのうち何をどれくらい重視するか、選択と調整をしなければいけないということになります。
 そうした選択と調整の過程というんですかね、3つの目的をバランスよく、かつ効率的に達成するための制度及び資源配分の在り方を検討することが、高等教育の将来像を考えるとか、グランドデザインを考えるということになるんだと思います。すみません。次のページの話に進んでいます。
 その選択と調整の過程においては、単に思いつきとか個人の体験とかでそれをするのではなくて、理論的あるいは実証的な根拠に基づいて検討することが重要だとニコラス・バー氏は言っています。
 ちなみに彼は、根拠のない議論というのは、公共経済学、public economicsじゃなくて、pub economicsというんですか、つまり居酒屋談義みたいなものだというふうに、この論文の中でおっしゃっております。
 こうした観点から、これまで出された政策文書、例えば「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」ほかを読んでみると、確かに質、アクセス、規模の3点について、程度の差は結構あるんですけど、何らかのデータに基づいて言及はされています。
 ただ、この3者間の関係性についての分析というのは、ほとんどないというふうに私は思っています。つまり、選択と調整が行われているというよりは、3つが別個に議論されているのだと思います。
 次のページに参りますが、もう少し時代を遡って2000年代以降、高等教育政策でどんなことが示されていきたかというのを4ページ目にまとめてあります。
 将来像答申からグランドデザイン答申、それからその途中に出された学士課程答申、質的転換答申です。内容は皆さん御存じだと思いますので省略いたしますが、先ほど挙げた3つの目的というか価値のうち、質に非常に偏重していたことに、お気づきになられるかと思います。
 「いや、そんなことないです。アクセスに関する大きな政策転換もありましたと」いう反論もあろうかということで、2020年に開始された高等教育の修学支援新制度を挙げておきました。ただし、これは、もともと「新しい経済政策パッケージ」に突然ぽんと出てきて、高等教育の無償化と称されたものですが、経済政策とか少子化対策としての意味合いがもともとの出発点としては非常に強くて、高等教育政策の流れの中で出てきたものではない
 したがって、3つの価値のうち、アクセスは確かに改善したと思いますが、他方で、質とか規模にどういうインパクトを及ぼすかというのは十分な検討がないまま実施に移されて今に至るというふうに考えています。
 次のページに参ります。それにしてもなぜ、ここ20年来、質偏重だったのかということを少し考えてみますと、1つには、日本経済の地盤沈下とか経済のグローバル化等々が言われて、そうした社会経済構造の変化の中で、日本の大学教育の質的転換、もっと単純に言ってしまえば、国際標準化、グローバルスタンダードに日本の大学教育を合わせましょうということだと思いますが、そうしたことが必要だったことは確かだと思います。
 ただ、それ以上に重要だったというか、大きな影響を与えたのは、矢野眞和先生がよく「資源論なき大学改革」という言い方をしていますが、質の向上のための資源とか手段というのが、ほぼ大学関係者、高等教育関係者の努力に委ねられていること。結果として具体化した諸施策というのは、改革の小道具などと揶揄されていますけど、抜本的な改革というよりは、小粒な感が否めなかったのは事実かと思いますし、しばしば指摘されているところだと思います。
 考えてみると、アクセスの改善とか、政策による規模の拡大みたいなことをしようと思えば、当然そこには財源が必要なわけですから、そうしたものの議論抜きに行うと、質の話しかできない。しかも、大学の先生の努力で何とかなるようなものばかり着目されるということだったのではないかと思います。
 ただ、もちろん規模の議論が特になかった理由としては、歴史的に私立大学の拡張によって国民の進学需要に応えてきた日本の高等教育では、規模を政府がどうとかする、コントロールするといっても、それには大学の新増設の抑制策ぐらいしか実際、取り得る政策手段がなかったということも事実なんだろうと思います。
 量的拡充策というのは、何かあったかなと思い出してみると、大学院の拡充とかはありましたが、学士課程についてはおそらく、1990年前ぐらいですかね、第2次ベビーブーム世代の臨時定員増まで、ほぼ何もないだろうというふうに思います。
 次のページに参りますけど、さらに言えば、はじめに社会的に適正な規模の供給が政策の目的の一つだと言いましたけど、考えてみるとイギリスの場合、パブリック・セクターが高等教育機会を供給するのが前提の国での議論ですから、日本に当てはまらないのは当然といえば当然なのかもしれませんが、そもそもこの適正な規模というのを同定すること自体がかなり難しい。
 御存じの方もいらっしゃると思いますけど、かつてマンパワーアプローチと言われたもので、社会的に必要な人材予測をして、そこから必要な高等教育卒の人数を出すというのは、ほとんどうまくいったためしはないというか、医学部とかではあり得るのでしょうけど、なかなかその他の分野では難しい。
 一方で、大学あるいは学生の質を維持するために高等教育機会の供給量をコントロールすることも考えられはするんですけど、これは一方でまた問題を起こす。進学したくてもできない若者を大量発生させること自体が社会を不安定化させますので、結局何をもって適正とするか、非常に難しいわけです。
 実際この適正な規模の決め手に欠けるがゆえに、素朴な大学過剰論というのが、これまでずっと横行してきたと言うと、ちょっと言葉悪いですけど、そうしたものが続いてきました。
 文科省の高等教育計画の時代というのも遡って調べてみると、規模の抑制策というのは常に、進学率が上昇すると質が低下する、だからこれからは量的拡充じゃなくて質の確保だというストーリーで進んできているわけですが、果たしてそれは本当なのかと。進学者が増加すれば、学生の資質や学習態度というのは変化する。端的には低下することは起こるでしょうし、それに応じて大学教育の内容も変化することは不可避なのだろうとは思いますが、それは学生の質の低下かもしれないけど、大学教育の質の低下と言っていいのか。それは違うのではないかというのが私の理解です。
 実際、その次に書いてあることは、もう7年前になるんですかね、私立大学等の振興に関する検討会議という文科省の会議で報告させていただいたときの内容になります。そのときは実際にデータ分析をして、その結果を示したのですが、当時推奨されていたアクティブラーニングの実施とか、学生・教員間の双方向的コミュニケーションとまとめましたけど、先生からレポートが返ってくるとか、質問したりとか、そういうやり取りの機会があるというのは、老舗の大学よりも、この90年以降の量的拡大を牽引した新設大学のほうがむしろ進んでいるということを示しました。
 さらに、今申し上げたのは規模を拡大すれば教育の質が落ちるかと言うと、必ずしもそうは言えないですよという例ですけど、同時に、規模とアクセスの関係というのも90年代以降にかなり大きく変わっていて、90年代半ば以降のこの量的拡大を牽引した新しい大学は、都市部に集中する伝統的大学に比べて低所得層出身者の割合が多いとか、女子学生の割合が多い。大学進学においてこれまで不利とされてきた層を比較的多く受け入れているということも、データで示されています。
 さらに言うと、専攻分野もかなり違っていて、かつては短期高等教育レベル、専門学校や短大レベルでよかった職業に就くのに4年制大学の学歴が必要になってきたときに、そうした教育機会を提供しているのが新しい大学だということも当時、示しました。
 したがって、量が拡大すると直ちにそれが問題だというわけではないですよということを7年前ぐらいまでは言っていられたのですが、さすがに、ここに至って、次のページに行きますけど、2040年には18歳人口が82万人ぐらいまで減少することが事実で、規模のことは、今までうまくいっていたからこのままでも何とかなりますと言っている場合でもないのかなという気は、やっぱりします。
 2040年に至る前にも、これから減っていくわけですから、大学進学率が60%超というのも現実味を帯びているのではないかと考えます。
 前回の大学分科会で、文部科学省が出した直近の推計では、2040年の大学進学率を59.6%と見込んでいて、かなり緩やかに上昇するような推計になっているのですが、私自身は、もう少し早い段階で60%超に達するのではないか、むしろそこを少し超えるようなところで、少なくとも10年ぐらい推移するのではないかと思っています。
 その理由は、高卒の労働力、新規高卒者の労働需要がうんと大きくなるというか、魅力的な職業がこれ以上増えるとは考えられないので、大学あるいは専門学校含めた高等教育に行きたいという高卒者は、これからも増えるであろうと。
 もう一つ、何年か前に書いた論文で示したのですけど、2015年時点の小学校6年生から1年生ですから、ちょうどこれから大学進学を迎える時期の子供たちの親の学歴というのが急激に上がるんですね。それは1990年代半ば以降、大学進学率が急速に上がってきた頃に大学に行っていた親の子供たちが、これから大学に行くようになる。しかも女性の、母親の学歴がうんと上がるんです。当然、親が大卒以上であれば、子供も大学行かせたいと思って準備する、そういう傾向は強いですから、大学進学を押し上げる要素になりますし、そもそも少子化の原因が大学等の高等教育費が高いからだと、文部科学省もそのデータをしばしば引用しているんですけど、そうだとすると、現にいる子供の教育にお金を使うということは大いに考えられるわけで、しばらくの間は進学率は上がるのではないかというふうに考えています。
 ただ、そうなったときに何が起こるのか。ページの下にある進学率60%時代の大学生像ということですが、先ほどから言っているとおり、学生の学力とか学習意欲みたいなものは、さらに低下とは言わないまでも、多様化することは明らかだと。したがって、大卒学歴と卒業後の進路との対応関係というのも、さらに変化していくでしょうと。
 そこで生じるのは、いわゆる有力大学、大学に行けば確実にリターンがあることがほぼ明らかなような人たちはいいですけど、将来からのリターンが不確実なグループ、言い方は悪いですけど、ノンエリート層という人たちの進学機会とか費用負担がどうあるべきかということが、やはりこれだけ進学率が高まると、真っ先に問われる。実際、修学支援新制度等が導入された背景というのは、ほぼこの問題なのではないかというふうに私は考えています。
 次のページは60%自体の高等教育その2になりますが、冒頭申し上げたように、質の向上というのを、ここ20年ぐらい、ずっとやってきて、それ自体が重要な問題だということはこれからも続くと思いますが、一方で、これまであまり議論されていないのが、質とアクセスの間の関係がどうなるかということです。
 大学教育の質的転換を進めていけば、その分、学生1人当たりの教育コストは必ず増えるはずです。そうでなければ、それはまがいものというか、何か見せかけだけ行っているということになると思いますので、そうなったときに、公財政支出の拡大がこれ以上望めない、あるいは拡大したとしても、修学支援新制度のような個人補助経由であるときには、大学側からすれば、中長期的に授業料の増額等、検討せざるを得ない状況になります。
 一方で、経済の低成長下では、家計所得の上昇があまり見込めませんので、学費の家計負担にはおのずと限界が来る。加えて、ここに来て、足元のインフレの問題もありますので、それに対応するだけでも授業料問題あるいは奨学金問題がかなり大変になるだろうと。
 そう考えると、質の向上は大切なのですが、アクセスに影響を与えない形で教育の質を向上させるための資源、財源をどこかに求めなければいけない。確かに、これまでもGPをはじめ、いろんな補助金はありましたが、ああした従来型の時限付き・競争的補助金に依存する体質というのは、いつまで続けられるのか。既にかなり疲弊しているという声もたくさん聞きますので、そうした問題をどうするかというのを考えなければならない。
 最後に、質の向上これからも大事だと。その原動力は大学間の競争にあるというのは、基本的にそのスタンスは、今までもそうでしたし、変わらないんだと思いますが、日本の大学の中核を担ってきた大学というのは、国際競争は当然激しいわけですけど、それ以外、とりあえず学生は来るので、質的転換への動機づけが働きにくい。
 そうした状況で今後、量的抑制策を取ってしまうと、中堅程度以上の大学は常に学生が来るわけですから、進学需要の超過需要が発生して、競争が働きにくいということも起こり得る。
 教育の質の向上を促すような大学間競争をいかに導入していくかというのは、政策的にはやはり大きな課題であろうと。
 教育情報のさらなる公開とかで、既存の大学の階層的な構造に揺らぎを与えられるのかどうかというのは一つ、大きな問題です。
 さらに、いずれ、淘汰される大学というのはやはり出ざるを得ないと思いますけど、そのときも情報、あるいは学生にとって選択肢が十分に明示された上での競争ならばいいですけど、そうではないところの何となくの評判で学生が集まらず、それが競争の結果ですと言われても、それでは潰れてしまった大学はたまったものではないと思いますので、そうした観点からも情報公開は必要だろうということです。
 ただ、そうはいってもスタートラインは違いますし、先ほど申し上げたように、同じ大学とはいえ、学生にとって見返りがどれくらいあるかというのは大学によって違うわけですから、全て競争で問題が解決するかというと、そういうことはないでしょう。したがって、納税者が教育機会を支える場面というのも今後重要になる。
 そう考えると、先ほど申し上げたノンエリート層向け、向けと言ったら変ですけど、そうした高等教育機会が全国各地にあまねく存在していることの意義というのはやはり大きいわけで、緩やかに公立大学化と書きましたけど、税金で支えていくような大学も、ある程度は必要だと。
 ただ、そうするためには、どこかで線を引かなければならないわけですから、これまで機能分化ということは度々言われてきて、実際に起こっていますけど、さらに進んで、種別化ということも今後の検討課題になってくるのかなというふうに思います。
 すみません。ちょっと二、三分超過したかもしれませんが、私からの報告は以上でございます。
【永田部会長】  ありがとうございました。今の御発表の意見ではなくて質問、説明上どうしても理解できなかったことがあれば今お聞きいただくのがいいかと思いますが、いかがでしょうか。意見は後でお伺いいたします。
 例えば、このターミノロジーが分からないとか、こことここの関連が、例えば明示されていないとか、そういうことで何か情報を得たいというようなことをお聞きいただくことでいかがでしょうか。
【吉岡委員】  じゃ、すみません。よろしいですか。1点だけ。この3つのアクセスと規模と価値でしたっけ、規模と質ですね、よく分かるんですが、ここで言っている規模というのは具体的には、要するに、高等教育を受ける人の数を言っているのか、それとも高等教育機関の数とかでしょうか。重なるとは思いますけれども、その辺の規模って何を言っているという感じなんでしょうか。
【濱中高等教育研究部長】  もともとの議論では、端的に言えば入学定員だと思います。要するに、椅子の数です。
【吉岡委員】  分かりました。ありがとうございます。
【永田部会長】  ほか、よろしいですか。
 それでは次に、吉見委員からの御発表をお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【吉見委員】  吉見でございます。本日はお話をさせていただく機会を与えていただきありがとうございます。資料をお送りするのが遅れてしまい申し訳ありませんでした。
 今日のお話は、全て自由な立場の個人としての見解でございます。恐らく座長の永田先生には、こういういろいろ言いにくいことを、吉見にまず言わせて議論を活発化させようという、したたかな意図があるのではないかと思いますので、そこを忖度しつつ、勝手なことを言わせていただきたいと思っております。
 まず資料の1ページ目をめくってください。皆さん大変よく御承知のグラフが出ております。これ全て、先ほど配られた参考資料1のデータ集に入っているものです。これは、大学定員の変化と18歳人口の変化を通年的に示している周知のグラフです。見慣れたグラフですが、これがある意味で全てを語っているというふうに私には思えます。
 注目すべきは、まず1986年。この年に大学定員がぐんと増えて、それ以降かなり急激に90年代にかけても大学の学生定員が増えているのが分かります。
 もう一つ注目すべきなのは1992年です。1992年を境に18歳人口は減り始め、この減少は止まらないどころか、ずっと続いている。したがって必然的に、90年代以降、ずっと18歳人口の減少と定員の増加というアンバランスが、かなり長期的に続いてきた。これが、私たちが今置かれている現状の根本です。
 では、将来はどうなるのか。人口は大変イナーシャ、つまり慣性の法則が働く数値ですから、今、岸田政権がどれほど立派な少子化対策をしても、25年後から30年後ぐらいまでの未来はもう変えられないわけです。つまり、もう必ず、2040年の18歳人口は約80万人になるというのは決まってしまった未来なのですね。
 振り返ってみれば、2002年の18歳人口は150万人だった。今は112万人。つまり、2002年から比較すれば、18歳人口は40年間でほぼ半減するわけで、これは大学に限らず、あらゆる社会システムが、ある種の崩壊に向かうといいますか、既存のシステムを維持することが不可能な水準に達していると考えるべきだと私は思います。
 そういうことも視野に、大学分科会等では大学設置基準の改正や2018年のグランドデザイン答申がなされてきたのだと理解しております。つまり、設置基準改正の中で専任教員の廃止と基幹教員への転換、TAの制度化、遠隔授業に関する特例制度等が進められましたが、それらと予想される日本の人口構造の変化は無関係ではない。
 特に2018年のグランドデザイン答申においては、学修者本位の教育への転換ということが前面に打ち出されました。学修者本位という理念では、多様な学生の受入れ、多様な教員の雇用、多様で柔軟な学位プログラム、多様性を受け止める柔軟な大学組織ということがうたわれたわけです。その背景として、日本の人口がもうどんどん減少していく。21世紀の半ばには、日本社会はもっと多民族国家化していかざるを得ない。それを見込んでいくと、こういう教育の考え方の根本の転換が不可欠だということだと思います。
 しかし問題は、この18歳人口の減少を目前に、我が国はそのような転換が本当にできるのか、それでもって大学システムを維持できるのかという問いです。そのためには、幾つかの、当面のというか、すぐ考えられる対策があるわけですね。すぐに思いつくのは、次の5つです。対策1、大学の規模を縮小する。これは統廃合や定員減を含みます。対策2、高等教育の単価を上げる。学費値上げを含むということです。対策3、リカレント教育を充実させる。対策4、国際競争力を伸ばして留学生を増加させる。対策5、高等教育への公的助成を充実させる。つまり、もっと国が高等教育に予算を使うようにする。
 もちろん、普通に考えれば、理想は対策3と対策4と対策5を充実させていくことです。逆に、できることなら学費値上げや規模縮小というのは避けたいと思うのは当然です。しかし問題は、それができるのかというところだと思います。
 まず、リカレント教育から見ていきたいと思います。社会人入学者の動向も、先ほど配られた資料の中にデータが出ています。その結果を見ると、学部に関しては過去、相当長い間、ほとんど増えていない。ほぼ横ばいが続いています。ですから、これはさらにずっと続くと思われます。なぜならば、90年代以降、親も両方とも大卒が増えますから、そうすると、ある程度以上年齢層で、ある程度の収入がある層は、多くがそもそも大学卒業資格を持っているわけですね。しかも、グラフを見れば明らかなように、社会人大学生の圧倒的多数は通信制ですね。通学制ではありません。これが現実です。
 では、大学院はどうかというと、確かに90年代初頭、大学院の社会人大学院生は激増しました。でも、それから増えていません。なぜなら、大学院に行って、修士号や博士号を取っても、どれだけのリターンがあるんだということが逆に問題になって、その限界が見えちゃいましたから、もう増えなくなった。ですから、複数の学位を持つことに対する社会的需要は、そもそも果たしてあるのかという問いがあるわけです。
 次に、留学生を見たいと思います。大学院の留学生は、漸増というか、少し増えていると思いますけれども、学部、今、18歳ということを言っていますから、学部をターゲットに議論すると、学部の外国人留学生は全く増えていません。確かに、留学生数を押し上げる要因は幾つかあるんですね。アジアの富裕化、そして円の弱体化。つまり日本が安いということですね。その反面で、それなりに日本の大学にブランド力があって、海外の人には興味が持たれているし、何といったって安全で便利な日本ということで、そういうインセンティブは潜在的にあると思います。しかし、アジア諸国について考えると、これは欧米と違うところで、アジアの人々の通念として、学部までは自分の国で育てるんですね。そのほうがいい、海外留学は大学院からだよねという感覚が、アジア人にはあるという気がします。しかも、大学院で留学する際には、優秀層は英語圏に行く、日本はどっちかというと衰退しているよねという、そういうイメージがある。そうすると、これから留学生の大幅増というのもなかなか難しいんじゃないかという気がします。
 さらに公的助成ですけれども、これも、今日配られているグラフですが、高等教育への助成が0.5%で、OECD諸国中、最下位に近い。でも、もう20年ぐらい前に配られたグラフでも同じようなのを見たなと思って見てみると、私の手元にあったのは2007年までですが、大体過去20年間、この助成比率は変わっていないんですね。全く同じ。ということは、日本の研究力が劣化している、これは問題だ、だから研究力を強化しなくてはという意見には産業界でかなり支持があります。それから、高等学校までを無償化していくというのは世論が相当支持している。でも、大学の学部教育に対して、どれだけ支持があるのか。あるいは、この0.5%が20年間続いちゃっているものが、今後、1%、2%って増えていく可能性が現実的にあるのか。僕は増えたほうがいいと思っていますよ。だけれども、現実的にどれだけ可能性があるのかということに対して、私は楽観的にはなれません。
 そうすると先ほどの、5つの対策という稚拙な表をもう一回見ていただきたいんですけれども、本当はリカレント、国際競争、留学生、公的助成がいいのですが、現実には相当難しい。結局、対策1と対策2を考えざるを得ないのでないか。だけども、対策1は最後の手みたいなところがありますから、やっぱり高等教育の単価を上げることが非常に重要になってきます。単価を上げるには、それに応じた質向上が必須です。
 では、どうすればいいのか。だけれども、現実の大学を振り返って見てみると、どこの大学でも、先生方は疲れ切っているのですね、多くの大学で。
 そのため、大学の教授になるというのは、もうあまりいいキャリアパスとはみんなが思わなくなっている。これが本当に問題なんですね。20年、30年前の80年代ぐらいまでの大学教授というのは結構優雅で、それで、すごくリッチでなくても、何か知的なライフスタイルとしていいなと思う人、結構いたと思うんですけれども、その職場環境が2000年代以降、激変して、教育をちゃんとやってください、研究もアウトプット、業績をどんどん出してください、プラス管理者、アドミニストレーションもしっかりやってくださいということで、皆さん、もう真面目な方はどんどんやって大変疲れてしまった。
 実際に数値を見ていると、1992年から2016年まで、私学でも、国立でも、大学の先生たちの管理運営業務に費やす時間が持続的に増えている。したがって、それに応じて、研究に費やす時間は持続的に減っているというのが統計的に出ているところです。
 どうすればいいのか、大学の溌剌は可能なのかについて後半、議論をさせていただきたいと思いますけれども、この2018年のグランドデザイン答申で学修者本位の教育への転換と言われたことは大変重要なことで、私はこれにとても賛成です。しかし、その学修者本位とは何かというと、これは決してサービス産業に大学がなるべきだと言っているのでは全くないはずです。つまり、教育消費者の満足を得るような大学にしなくちゃいけないということではない。大学生たち、あるいは大学院生たちを知的主体として形成していく、その仕組みをつくらなくちゃいけないんだということだと思っています。
 そのためには、学修者本位ということの中身を、もうちょっと具体化していく必要がある。学修者本位の授業とは何か、学修者本位の科目履修とは何か、学修者本位のカリキュラム設計とは何か、学修者本位のキャリア形成とは何か。それぞれについて、これまで分科会やいろんな部会で議論がなされてきたと思います。
 私自身の認識している限りでは、授業においてはチームティーチングや、社会的実践のフィールドワークと教育をつないでいくことがとても重要だと思っていますし、科目履修では、何度もずっと申し上げていますけれども、学生の履修科目数を劇的に減らさなければいけない、日本の教育をスーパーマーケット型からコーチング型へ転換しなければいけない。カリキュラム設計においては、宮本武蔵の二刀流ということを言っていますけれども、有用な知と自由な知を組み合わせるような教育プログラムをつくっていかなくちゃいけない。最後のキャリア形成においては、大学を通過儀礼ではなくキャリアチェンジの装置にしていかなくちゃいけないということを、いろいろ言ってまいりました。
 少しそのことと重なる面もありますけれども、残りの時間でお話しさせていただきたいと思います。
 1つは、まず科目履修のレベルですが、日本の大学の科目履修システムにおいて一番大きい問題は、学生が1学期間に履修する科目数が多過ぎることです。国際的に見れば、学生は1学期間に4科目、5科目、6科目、そのくらいは履修していると思いますけれども、4年間で30科目程度。しかし、1つの科目が週2回、3回、授業があって、先生と学生が繰り返し顔を合わせる。ところが日本の大学では、多いと週に14科目とか取っている学生がいる。そうすると、結局、週に1回しか授業は開かれませんから、ある教室から別の教室へと渡り歩いて、出席点を取って何とか単位を取っていく仕組みになっているわけです。
 科目が重ければ、その学生は、その科目は落とせないから必死についていくわけですけれども、科目が軽ければ、落としたって卒業はできます。ですから、逆に言えば、比較的簡単に単位が取れる構造になっている。日本の大学というのは、どちらかというとスーパーマーケット型で、コーチング型になっていないということです。
 しかし、大学は本来、私の信じるところでは、意欲ある教師と学生の出会いの場だということからすれば、「多く、軽く」から「少なく、重く」への転換が必須ではないかと思いますし、皆さんよく御存じのように、先般の中教審の教学マネジメント指針の中では、既に「密度の濃い主体的な学修を可能とする前提として、授業科目の精選・統合のみならず、同時に履修する授業科目数の絞り込みが求められる」と明記されています。
 しかし、実際にこれができるかというと、多分できない。というのは、学部長なり教務主任なりが、じゃあそれをやろうと思ったら何をしなくちゃいけないかというと、半分の先生に「先生、大変申し訳ないけど、先生の科目、来学期開かないでください」と言って、半分の先生に「先生、給料は同じだけど、先生の科目2倍やってください」って言う。そんなこと言ったらば、絶対に袋だたきに遭いますので、学部長だろうが、学長だろうが、きっとできない。そうすると、なかなかこの袋小路からなかなか抜け出せない。
 科目過多の状況から抜け出せない理由は、ほかにも幾つかあります。やっぱり日本の大学の先生方の中に、専門知識網羅主義というか、全てを教えないといけないんじゃないかという真面目な意識が非常にあるような気が私はしています。
 それから何よりも、組織的にはチームティーチングの未発達。つまり、日本の大学というのが個人商店の連合体になってしまって、そこから抜け出せていないということ。
 そして、それと表裏ですけれども、相当数が非常勤講師に依存しているということですね。相当数の科目が非常勤講師に任されている。その結果、非常勤講師に依存していますから、TAの役割が非常に弱いということです。
 次のページめくっていただくと、これはどこの大学かは全然重要じゃないんですが、例えばと思いまして、ウェブサイトで、ティーチング・アシスタントという検索ワードで、どういう画像が出てくるかというのを見てみてみると、アメリカの大学のティーチング・アシスタントのサイトで比較的よくあるイメージというのは、この右上の写真みたいなイメージですね。これがアメリカの大学でのティーチング・アシスタントのイメージなんですよ。少人数の学生たちを導いている。ところが、日本の大学のサイトを見ると、何というか、こんな感じですね。つまり、学生補助はしているんですけども、家庭教師に近い。この違い。で、やっぱりこれは違うんじゃないかと僕は思うんですよ。
 2017年から18年にハーバードで教えていたときに、私が学んだことの一つは、この教授とTAと学生の関係が非常によく設計されている。一言で言えば、教授は舞台上の俳優になっちゃいけない。舞台の袖にいて、演出で、ちょっとまずいところがあったら指示を出すんだけれども、基本は学生とTAの間でいろんなやり取りをしてもらって、授業をある方向に導いていくことの設計が仕組まれている。これはすごくいいと思ったんですね。
 そのTAに関してはキャリア上の仕組みがちゃんとあって、評価の仕組みもあって、それで博士課程の院生とか、ポスドクというか、学位を取ったばかりぐらいの子たちが、教授の教え方を見ながら、だんだん教育者としても熟練していく、そうした仕組みが日本には全然ちゃんとなくて、若手のパスは非常勤講師なんですね。多くの大学の科目を非常勤講師たちが埋めることで何とか回っている。それがルーティンになっているから、TAのチームティーチングは逆に発達しないという悪循環に陥っていると思います。
 今言ったことが一番、私が言いたいことですけれども、カリキュラム設計ということでいうと、現代社会は複雑化し流動化する知識基盤型の社会です。そういう社会では、佐々木小次郎ではなくて宮本武蔵が必要だと言ってきました。つまり、1つの専門をずっと一本筋で、一本刀でやっていくだけでは、とても対応できないんですね。
 そうではなくて、時間尺度の大きく違う知を取得したほうがいい。つまり、私は役に立つというのは2種類あって、目的に対して手段として役に立ついろいろな知というのがある。だけども、その目的とか価値を創造していく、つまり長い時間の中で創造していく知、役に立つ知というのはもう一つあって、これはどっちかというと文系です。そういう価値創造的な知というのは、なぜ価値を創造できるかというと、それは既存の価値を疑う力を持っているからです。既存の自明性を疑なかったら価値の創造なんかできません。
 既存の自明性を疑う力というのはどこで身につくかというと、例えば異文化だとか、違う階級の文化だとか、あるいは違う時代の価値だとか、つまり今の我々が生きている世界とは違うものをかなり知ることによって自分たちの当たり前が当たり前じゃないんだということが分かるということが出発点だと思うんですね。
 そういうふうなことを学ぶためには、やっぱりダブルメジャーとか、メジャー・マイナーとか、要するに2つの刀、二重にいろいろなことを学ぶ仕組みを育てていくべきだということをずっと言っていて、データサイエンスと知的財産権の法律だとか、それから医学と哲学だとか、そういう二刀流の学びの仕組みがつくられなくちゃいけないと言ってきました。このことは、未来の大学の仕組みとして重要なことだと思っています。
 もう一つ重要なことがあります。それは、19世紀初頭にフンボルトが近代的な大学を創造していったときに、研究と教育の一致、つまり文系の学生はゼミナールで、理系の学生は実験室で新しい知を創造するのだと言いました。それは正しくて、その後の大学の発展を導いたのですが、今の時代、研究と教育の一致だけでは不十分だと思うのですね。
 むしろ、トライアッドというか、3つの一致が必要だと思っています。つまり、研究と教育と社会的実践の一致。社会のフィールドに学生たちが出ていって、様々な困難に直面する。その中で、問題意識を抱えて、研究や教育に戻っていくことが重要です。その仕組みをちゃんと高等教育の中に入れていくことが、とても重要なことです。
 最後に、リカレントあるいは社会人学生ということを考えると、人生のマルチステージ化にとってそれは非常に重要だということはもちろんそうなので、私はこれまで、人生で3回大学に入ることが当たり前の社会をつくるべきだということを言ってきました。しかし、先ほど見ていただいたように、大学においても、大学院においても、社会人学生はちっとも増えていない。人生で3回大学に入るのが当たり前な社会をつくるべきだということは、そうだねって多くの方に言っていただくんですけども、全然現実的じゃないというか、現状ではデータによって反証されているんですね、ほとんどね。
 この現実と理想のギャップがすさまじいわけで、そうなってしまう1つの要因は、日本社会の単線的年齢中心主義。つまり、年齢によって、やっぱりこのくらいのステータスにいなくちゃいけないということが社会の通念として非常に強固にあることが、やっぱりリカレントということにとって物すごく大きな壁になっていると思います。
 戦後教育改革は、教育システム全体を複線型から単線型に変える。つまり、すべからく6-3-3-4制に寄せていくということでした。その目的は、平等化だったと思います。全ての人に全ての平等な機会を与える仕組みで教育システムはつくられてきた。そのことの価値は分かるのですけれども、しかし、平等化の弊害も私はあると思うんです。
 ですから、結局、単線型のシステムにしたがゆえに、その学びの内容というよりも、18歳のときの偏差値によって人生が相当程度決まっちゃうというふうな、このシステムを変えないと、やっぱりリカレントだとか、マルチステージだとか、人生で3回とかいっても、なかなか現実化しないのではないかというふうに思っている次第です。
 以上で発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。
【永田部会長】  ありがとうございました。皆さんでこれから質疑応答、意見交換します。堀委員はこの後予定が入っているということなので、堀委員から御質問、御意見等をお伺いして、その後皆さんということにさせていただきます。堀委員、どうぞ。
【堀委員】  どうもありがとうございます。大変先に発言させていただきまして申し訳ございません。お二人の先生方のお話、大変興味深く拝聴いたしました。どうもありがとうございます。
 まず濱中先生からお伺いしたいんですけれども、レジュメの7ページに、ホワイトカラーの養成から実践的な職業スキルの重視へというような、そうした文言もございますけれども、もし具体的なイメージがおありになりましたら教えていただきたく存じます。
 また、吉見先生の御説明につきましては、大変魅力的な新しい大学像が示されておりまして、私も特に科目履修の点、大変共感をいたしました。現状では難しいというような御認識もあるんですけれども、もし本当に科目履修の形を変えていく場合、例えば大学1年生からやるのかとか、あるいは今のような前期後期ではなくてタームに分けるとか、何か具体的なお考えありましたら教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
【永田部会長】  濱中先生、どうぞ。
【濱中高等教育研究部長】  御質問ありがとうございます。かなりはしょって書いてしまいましたが、従来型の大卒ホワイトカラー的な働き方というんですか、新卒で企業に基幹社員として入社して、企業内キャリアで昇進していくようなのが大卒者の働き方として一般的だと考えられてきて、そういう人たちは残ることは当然残るわけですけど、一方で、端的に言えば看護師さんとかが分かりやすいと思いますけど、従来型の企業のホワイトカラーの養成ではないところに、大学教育がかなり広がっている。それは恐らく専門的職業だけじゃなくて、企業の中に入る人の中でも、転職をしながらスキルアップしていく、そういう働き方というのが増えてくると。
 実際、専門職大学とかは、それに対応するためにつくったもので、そうしたものは実際起こっているわけで、そうした動きが大学の中でも加速していくんだろうという趣旨で、このように書きました。よろしいですか。
【永田部会長】  吉見委員、どうぞ。
【吉見委員】  ありがとうございます。大変重要なポイントをついていただいて大変うれしく思います。具体的にどうすればできるかということで、私が思いつく、つまり、すぐあり得ると思う方法は、少なくとも2つあります。
 1つは、やはりセメスター制からクォーター制への転換です。クォーター制への転換と、科目履修システムの中で履修科目過多を減らすということがなぜ結びつくのかということですけれども、非常にシンプルな説明をすれば、現在、1セメスターは、ざっくり言えば4か月ですね。1クォーターは2か月です。そうすると、多くの先生は4か月、週1回の授業を15週でやっている。それを2か月にすれば、8週になりますけれども、8週で同じ2単位、つまり8週を1単位にしたら元も子もないんですけれども、15週2単位のものを8週2単位にする。すると、同じ先生が同じ科目を週2回やるということになります。月水とか火木というふうに、科目表を最初に決めないといけないんですけども、そうすると必然的に、少なくとも同じ学期の中での学生たちが履修する科目数は半分になります。
 そのいいところは、先生は、集約的に授業をしていくということになりますから、うまく設計をすれば、例えば春学期4月から始めて、5月で最初のクォーター終わるわけです。6月以降、授業がないわけですね。で、7月の終わり、あるいは8月から9月は夏休みですから、そうすると、教授会とか委員会は全部オンラインでとすれば、6月、7月、8月、9月の後半まで、その先生は毎年休みというか、毎年サバティカルになるということが、非常に上手に設計すれば、あり得るということです。
 もう1点は、チームティーチングだと思います。つまり、1人ずつの先生にばらけさせていると、なかなか科目過多はどうにもならない。だけれども、何人かの主要な先生が共同で教える中心的な科目をしっかりつくって、そこに資源を集中させる。恐らく必修科目、選択必修か必修科目になるんでしょうけれども、その科目は、TAも、それからいろいろな資源も、そこに集中させていく。めり張りをつけることによって、かなり多くの学生たちは、その科目は絶対取る。その科目は週2回とか、週3回とか、4単位とか、6単位とか、そのぐらいやって、それは、本当に重要なことはそこで教えていくというふうにしていく柱をつくるというやり方が、もう一つのやり方だと思います。
 ほかにもあるかもしれませんけれども、私の雑駁な頭ですぐに思いつくのは、その2つぐらいかと思います。
【永田部会長】  ありがとうございます。堀委員、よろしいですか。
【堀委員】  どうもありがとうございました。
【永田部会長】  ありがとうございます。
【堀委員】  ありがとうございます。失礼させていただきます。
【永田部会長】  それでは、濱中先生と吉見委員から出たプレゼンテーションに対して御質問や御意見をいただければと思います。その後、自由な討論になっていくかと思いますが、まずはそこの辺り、いかがでしょうか。
 益戸委員、どうぞ。
【益戸委員】  益戸です。濱中先生、吉見先生、ありがとうございました。
お二人のお話を聞いて、幾つかデータが必要と思いましたので意見を申し上げます。
 部会長の御挨拶の中で、私たちはより具体的な話に突っ込んでいかないといけないとのお話がありました。そのためには、濱中先生のお話にも、吉見先生のお話にもありましたが、大学は一体、社会からどのように考えられているのかという点について、まずきちっと整理をしなければいけないと考えます。
 私は、かつて大学入試の在り方に関する検討会の委員を務めさせて頂きましたが、全国から幅広い分野の方が参加して、いろいろな御意見が出ました。 その時の私の私見ですが、大学と社会との接点は、大学が何に貢献しているかということより、偏差値で順位付けされて並べられていることが最大の接点になっているのではないかと感じました。しかし、事実は違いますよね。友人の御子弟が 大学選びをするときに相談を受ける事がありますが、お話の中で一番関心があるのは偏差値です。私たちは過去、教学マネジメント特別委員会で情報公開の議論をしました。その際は、教学マネジメント指針という努力義務を公表しましたが、今回はそれを一歩進めて、法令などにしっかり書いて、きちっと大学側は公表し、御父兄、学修者の皆さんも、それを参考に大学選びの議論をするような流れを作るべきではないでしょうか。そのために、今現在の情報公開の状況を事務局からデータを頂きたいと思います。
つぎに、参考資料1の66ページ、大学等教員の職務活動時間の割合についてです。これは吉見先生のお話の中にも出ましたが、研究活動がどんどん減っていて社会サービス活動というものが増えている。このデータが令和元年のものです。最新のデータをぜひ教えて下さい。
経営的視点というのも非常に重要ではないかと思います。今の世の中は、従業員が会社を選ぶ時代だと言われています。吉見先生から教員の成り手がいなくなるとのお話がありましたが、その視点も重要と思います。
最後ですが、日本というのは、資本効率が非常に悪いとか、働き方改革が非常に遅れていると言われています。現在ソフトウエア会社の顧問をお引き受けしているので、働き方改革、デジタル改革と身近に接しています。教育の世界は、ホワイトカラーの世界ですが、デジタル化が遅れていると言われています。霞が関のデジタル化も非常に重要だと思います。文科省が紙の山の中にいると、それに連携している教育機関のデジタル化、紙の山問題もなかなか解決していかないのではないかと思います。過去、高等教育の補助金申請の審査委員を務めた事がありますが、こんなに厚い補助金申請書を何度も読みました。本当に全部大切な重要事項かなとも感じました。
教育界のペーパーレス、デジタル化というのは、どこまで進んでいて、どこまでやる気を持っているのかのデータがあれば、お示し頂きたいと思います。このままでは、大学側の負担も役所側の負担も非常に大きいと思います。民間企業は、どんどんその負担を減らして、本来やるべきところに資源配分を増やしています。やはり平仄を合わせるべきと考えます。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。どちらかというと、事務局のほうで用意していただく内容かと思います。
 両角先生、どうぞ。
【両角委員】  ありがとうございます。濱中先生、吉見先生、大変興味深い御発表ありがとうございました。
 まず濱中先生にお伺いしたいことがありまして、この議論、質、アクセス、規模というところなんですが、特に規模みたいなことについて、人口が減っていくときに、この議論をするときに、特に工夫すべきところというか、その辺りについて、何かお考えがあれば教えてほしいなというところです。
 過去も、臨時定員増も一応、量的拡充政策ではやって、あれは本当は一時的に拡大して、その分、後で返しましょうということでしたけど、1回増やしてしまったら結局、大学は戻したくないということで、ほとんど戻さないまま、それでずっとわーっと増えちゃったというので、増えているときのコントロールは意外に、この3つの観点て何とかできるんですけど、今議論しなきゃいけないのは、人が減っていく中でということで、かなり難しいのではないかなというふうに思っていまして、そこについて何か議論がもし、このバーのでもそうですし、濱中先生のお考えがあれば教えてもらいたいというのが1点目に、濱中先生の御質問になります。
 吉見先生の御発表も、本当聞いていて、すごく共感しました。2040年て、私たち大学のことばかり考えますけれど、大学だけじゃなくて既存のシステムが全部壊れていくという。それは社会的なインフラの教育に限らず、もう安全を守っている警察とか、水道とか、そういういろんなものをどう維持していくかというような社会の課題に直面するんだという中で考えていかなければいけないんだということも、そのとおりだなというふうに思って聞いておりました。
 この5つの選択肢も、対策も、いいなと、そうだなと思うんですが、一つ思ったのは、リカレントといったときに、私が感じているのは、学部とか大学院という正規のコースは、何か結果的についてくるということで、あまりそこから議論を始めないほうがいいのではないかなというようなことを少し感じています。
 大学だけの努力だけではなく、企業の働き方とか、企業の方針とか、いろんなことによって、大学院に来る来ないということって結構決まっている気がするんですけれど、ただ、社会の中での学び直しとか、このままではもうどうしようもなくて、どうしたらいいんだろうということが、企業であったり、困っているという点では同じで、そういったことを一緒に解決していくようなプログラムを組んでいくとか、一緒に考えていくとか、そういう形で。だから、もう産学連携なんだか、学び直しなんだか、大学の側の学際的なアプローチなんだか、何を、何か1つの言葉では表しにくいんですけれど、社会との距離を縮めて一緒に何かやっていくような形で、社会人が学びに来るというような。そういうものは多分、必ずしも学位がついてくるものではなくて、履修証明でも長い気がしていて、何かもっと短期なもので、そういったものを組み合わせていくと最終的に学位になるねとか、何かそういう仕組みを考えていくのが大事なんじゃないかなというふうに思っています。
 私、東大で今、広がりを見せつつある社会人の学び直しというのも、むしろそういう形で広がっていて、その話を聞くと、すごくいい取組だなというふうに思うこともあり、先ほど益戸先生おっしゃった、社会から大学どう思われているかというので、あまり期待されていないというか、信頼されていないということを率直に感じておりまして、それこそ昔出た大学のイメージをいまだ持っていらっしゃるんですけれど、そうやって社会との接点を持って一緒にやってみたら、あっ意外にいいではないかとかということで、もっと大学に社会人も送ってくれるとか、そういうサイクルつくっていく上でも、まずは短くていいから、一緒に何かやるというところがステップとして大事なのかなというふうに思いましたという感想なんですが。
 先生の書かれている最後のほうの第三の輪としての社会実装といったところは、そういう面もあるのかなということで、もし今の意見に対して、先生の御意見もお聞きできればと思いました。
 以上です。
【永田部会長】  濱中先生、どうぞ。
【濱中高等教育研究部長】  ありがとうございます。確かに拡大するときは比較的コントロールはしやすいけど人口が減るときには難しいというのは、おっしゃるとおりだと思います。とはいえ、やはり進学率が一つの指標になることは間違いない。ただ、それは6割はいいけど7割は駄目とか、7割はまだいいけど8割は、多分そういう話ではないだろう。
 それは結局、今日の話にもつながるんですけど、規模だけ取り出して議論しても、やっぱ駄目なんだろうと。だから、残りの2つとの関係で、質をよくする、あるいはアクセスをよくする、最も最良化するときの規模がどれぐらいかって。それはおそらく、分析的に求めていくしかなくて、そうした分析なり研究が必要だというのは今日の話です。だったら、最適な進学率は幾つなんだと、分析してから報告してと言われたら、まあ、すみませんとしか、今のところ、言いようがないところです。
【両角委員】  ありがとうございます。
【永田部会長】  2040年に今の学生数を保つためには進学率75%にしなくてはいけない。それは数字としてそうなります。そうしない限り、今の人数は埋まりませんが、75%は不可能だと思います。専門学校が20%超えようとしているときに、日本中の子が何で大学行かなきゃいけないということになってしまうので、それは無理です。だから、絶対に今のレベルは不可能であります。
 吉見委員、どうぞ。
【吉見委員】  大切なところを指摘していただいてありがとうございます。私も両角先生とかなり同じ意見です。ですから大学の側は、もっと実践的な要素を入れていくべきなんですね、教育の中に。それから社会の側は、もうちょっとアカデミックな要素を入れていくべきなんですよ。そのほうがウィン・ウィンの関係がつくれる。
 大学と企業、お互いに需要があるはずなのです。個々の現場では、そういう需要が、お互いに非常にいい形であると、私も東大にいたときに感じましたし、うまくいっているケースが多々あると思うんですね。そういうふうなことが回り出すと、社会全体を変えていっちゃうクリティカルポイントみたいなことが、どこかであるんじゃないかというふうな気はしています。現状では、ただ、なかなかそこに行っていない。
 ヨハン・ホイジンガという歴史学者の『ホモ・ルーデンス』という本は僕の大好きな本の一つで、彼は、その『ホモ・ルーデンス』、つまり人間は遊ぶ存在であるという本を、1939年のヒトラーが、向こうからナチスが侵攻してくるときに、彼はライデン大学の学長でしたから、ライデン大学学長として、人間は遊ぶんだということを書いている。遊びの中に創造性とか知的創造性が本当は全てある、これは反ナチズムの宣言ですね。
 その線で言うと、大学のカリキュラムとか学年暦も、授業期間のほうから、学期のほうから考えるべきじゃなくて、夏休みはどこにあるのが一番いいのか、学生たちがどういう遊び方をするのが一番いいのかというところから考え直すことが本当は必要です。企業も、日本は生産性が上がらないと言われています。生産性が上がらず、仕事が終わってから飲み屋に行って飲んで何か愚痴言っている。ここに問題があるわけですよ。
 そうじゃなくて、遊ぶ時間がどれだけ充実したものになり得るかを考えていけば、その先で、新しいイノベーションとか新しい学びというものを可能にする土壌が私はできるはずだと思っています。そこの転換が必要です。その転換をするのに妨げているのは、ある種の日本人の生真面目さというか、つまり単線的、縦割り思考なんですね。縦割りで単線的な年齢主義でずっと行くものだから、そのそれぞれのところの領分をちゃんと守って、それを完璧にやっているのが積み上がっていくので、ますます縦割りが強化され、単線的年齢中心主義が強化されて、これがどうにも崩せなくなっちゃっている。これを崩す突破口がどこかで出てくれば、どこかで、そのリカレントが回り出す、横軸が回り出すような瞬間があるといいと思っています。ですから、思いとしては同じです。
【両角委員】  ありがとうございます。
【永田部会長】  両角委員のその言葉を換えれば、社会人が学ぶときに学位が必要かどうかということです。
【両角委員】  そうですね。
【永田部会長】  学位を取る必要が本当にあるのか。日本社会では必ずしも必要ないのかもしれませんが、国際社会に出るときには、その学位は実は役に立つわけです。その意味で、日本社会の根本的に価値観がグローバルスタンダードからずれているというのもありますが。
 それは大学が悪いのかもしれなくて、我々が役に立つリカレントができていないのかもしれません。それは今おっしゃったようなことかと思います。
 伊藤先生、どうぞ。
【伊藤委員】  まず、濱中先生に全体像を上手にまとめていただき、私のような素人にとっても非常に全体像が分かりやすく教えていただき、ありがとうございました。その上で、吉見委員の話は、最後の2ページだけ、ちょっと速くて最後ついていけなかったんですけど、それ以外は全て、100%賛成であります。
 最初に永田部会長が、どういうことを具体的なことを議論したいということだったので、私から具体的なことのところに絞って言うと、授業料の値上げは不可欠だと私は考えています。
 例えば慶応の一つの例を取っても、大学は例えば2000年の授業料が平均すると90万円、今、140万円ぐらいです。これは毎年1.9%値上げをしてきたというのが実績であります。国立大学は49万円ちょっとだったのが今55万円弱ですから、これはほとんど上がっていない。
 なぜ慶應義塾はそういうふうに値上げをしてこなければいけなかったかというと、国から1人につき大体、私大助成という形で20万円ぐらい頂けるんですけども、ですから140万円足す20万円で160万円の1人の収入でやっていくというのは、それでももう限界なんですね、よい大学をつくるためには。国立は恐らく55万円に対して230万円ぐらい、平均ですね、86大学。280万円ぐらい1人につき収入があるんですけども、これは適正な収入だと私は思います。これは絶対切るべきじゃない。それぐらい絶対必要で、もっと必要かもしれないということですね。
 ですから、そこのところが、国立は55万円、我々が140万円てやっていく中で、もう少し国立がやはり上げていってくれないと、あるスペクトラムの私大は、それ以上どうしても上げられないような形になっていくので、その中で、よい意味での競争が出てくるというのが私の考えているところで、それを多分、吉見さんも言ってくださったんだと思います。
 それをやっていかないと本当にもう経済的に我々、新しいことをやろうと思っても、今までの継続しかできないので、限界になっているんですね。ですから、国立大学もぜひ上げて、その代わりに、苦学生に対しては奨学金を用意するというような、当たり前のことをやっていってほしいというのが1つです。
 あと、どういうやり方をするかって、質疑応答の中で吉見さんがクォーター制と言っていますが、実際に私たちもそれ、やってみて、1学期で、つまり1週間で同じ授業を2回講義するので、どんどん進んでいくんですね。火曜日に1回目の授業、木曜日に2回目の授業と進んでいくので、学生たちは、もうそれ、ついていくので一生懸命ですし、教員もそれに集中するので、それを1か月半やれば、もう教員もくたくたですし、学生たちも3つぐらいの授業や4つぐらいの授業で手いっぱいになって、徹底的に学んだ結果、次のクォーターでは、前に学んだことに基づいて次に進めるので、ある意味、積み上げ授業もしやすいということで、あと、例えばそういうときにはチームティーチング、実際に1つの授業を、重要な授業を2人の教員で、ベテランと若手で組むみたいなこともしたので、実際にその吉見さんのおっしゃったことは、我々も実践してみて、効果があるというということは分かってはいるんですが、それを全ての学科、学部に持っていくというのは非常に困難なので、それをどうやってやっていくかというのが政策になっていくんじゃないかというふうに私は思っているところであります。
 最近、私、これから出るのかな、IDEの『現代の高等教育』に、ウサギとカメという話をちょっと書いたんですね。ウサギとカメの物語を読むと、日本人はカメのようにしっかりとやっていくといいことがあると学ぶわけですけど、欧米の人は、このウサギのように怠けると、負けないはずのカメに負けるという。つまり主役は違うわけですね、ウサギとカメを、物語を読んだときに。欧米は、やはりウサギを育てるという教育をしている中において、コンプライアンスとか、様々なシステム、ウサギを規制するシステムができている中において、やはり日本は、カメとして、ひたすら上がっていく。
 例えば大谷翔平にしたって、カメのように一つ一つの階段を上っていったら、いつの間にか世界の信じられないようなトップに立っているというのが、我々の彼に対する非常に大きな好感を持つところだと思います。
 問題は、大谷翔平がどうしてそこまで伸びることができたかというと、スポーツという分野であって、常にその人を止めるようなことがなく、次に進むような指導者にも恵まれたのかもしれませんけど、上がっていく。
 それに対して教育においては、どうしても横並びということで、カメのように上っている人が、実はもっと先に進みたいと思っても進めないような学年制度も、例えば小中高でもありますし、特に大学においても、それが出てくるので、どうやって。
 それを一つ阻害するのは、やはり社会に出れば特にそうなんですけど、年齢による先輩後輩制度ですよね。先輩というのは、その人よりか、ずっと経験や、仕事や、あらゆることにおいて上にいるから、教えてあげる立場であればいいんですけども、年齢による先輩制度があると、なかなかそのカメとして上ってきた人たちも疎外されてしまうということで、その辺のところをどうやって、楽しみながらも、上っていく楽しみを、もっと小中高から、そして大学に行って学ぶことの楽しみを持っていけば、その学ぶ力というのは、必ず社会に出ても伸びますから、そういうシステムをつくっていく、カメが伸びるようなシステムをつくっていくのが大切なのかなと私は思っています。
 以上でございます。
【永田部会長】  ありがとうございます。最初に量のところで、あとは質のお話で、両方の御意見だったと思います。
 授業料を上げるということについては、もちろんおっしゃるとおりです。ただ、今度は財政的に考えたときに、無償化という世論が立ち上がったときに、国が行えるのかという問題に今度はなるわけです。私は上がった後に無償化になるとウエルカムですが。
【伊藤委員】  そうですね。私もそう思います。
【永田部会長】  学費を150万円まで上げておいてから無償化すれば、その無償化分は大学に配当されます。今、大阪で無償化を行おうとしていて、大問題が起こり始めているわけです。
 平子委員、どうぞ。
【平子委員】  ありがとうございます。2040年以降の社会を見据えた高等教育のあるべき姿を考えると、これから先の日本の人口減少、少子高齢化による社会の変化、人間生活のパターンの変化の中でも、特に重要視されるのはウェルビーイングであろうと思います。ウェルビーイングとは身体的にも、肉体的にも、あるいは社会的にも心が満たされた状態ですが、そのために大学がどのような役割を果たせるのかという観点から発言します。
 ウェルビーイングの構成要素としては、まず心身共に健康であることです。それから仕事と家庭のバランス。ワークライフバランスと言いますが、リモートワークが広く認知されていくこれからはワークとライフが統合される時代が来るのではないかと思います。その根底にはデジタルの力が必要です。デジタルなしでは仕事も生活もできなくなるという時代がやってくること。そして、人生100年時代。それこそさっき吉見先生おっしゃったように、マルチステージの人生を生きることが求められる時代になります。
ウェルビーイングをキーワードにしてもざっとこれだけの要件が考えられますので、今後の自分のキャリア設計についてはもっと早くから考えることが必要なのではないかということです。日本は他国と比較して大学卒業後の進路決定時期が遅く、大半が大学生の後半になってからです。ドイツはかなり早い時期から自分のキャリアについて考えさせ、そのためのシステムが整えられています。自分のキャリアを考えることは、自分が社会にどのように貢献するのかということを考える機会になりますので、そのようなプロセスが重要です。また、今後日本の企業において雇用形態がメンバーシップ型からジョブ型に変わっていく可能性があります。一気には変わらないでしょうが、徐々にその比率が高まるということになると、濱中先生の資料にもございますように、実践的な職業を意識させるような教育も必要になってきます。その意味では高専の存在も大きく、高等教育は高専との関係性も考慮する必要があります。
 個々人に自分のキャリアについて早くから考えさせるという観点で、2040年以降の大学教育の果たす役割を考えていくべきではないでしょうか。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。1964年のオリンピックのとき、高層ビルを建てるときに、とび職が写っている映像たくさんありますが、今、それほどとび職はおらず、高層ビルは造られている。そういうことです。
【平子委員】  はい。
【永田部会長】  ですから、もっと劇的な変化が、ここから二、三十年で起こるだろうということです。その上でキャリアをということだと思います。
 小林委員、どうぞ。
【小林委員】  濱中委員には全体の整理をしていただきまして、益戸委員にはこれからの在り方、具体的な御提言をいただいたというふうに思っております。
 私は大学の外な人間なものですから、外から見たときの大学を考えたときに、今回の命題が、2040年以降を見据えたものでありますので、私どもも将来予測をしてくると、社会システム自体が大きく変わってくるというのはもう否めない状況です。特に人口減少によって、労働供給制約社会と私たちは呼んでいるんですけども、つまり、生産年齢人口が大きく減ってきますので、必要な職業に人材供給が間に合わない時代がやってきます。
 そうなってくると、3つぐらい、やらなきゃいけないことがあって、1つは生産性を高めていくということで、2つ目が新たな職業、職種に転換していくということ、3つ目が新たな労働力というものに期待すると、この3つぐらいがあると思っていまして、この3つに全て高等教育は関わってくるのではないかなというふうに考えております。
 そのときに、私、民間企業におりまして、民間企業で考えてみても、1社で勤め上げる時代というのはもう終わっておりまして、過去でいうと、日本型の雇用というと年功序列、終身雇用、企業内労働組合というのが三種の神器と言われていました。先ほど平子委員がおっしゃったように、これが日本の高度成長期を支えてきたメンバーシップ型採用、就職ではなくて就社を支えてきたと思うんですが、これ、先ほど吉見先生おっしゃったように、マルチステージ型になってくるときに、人生が、のこぎり型というふうに私たち呼んでいるんですけど、1回学んで、また辞めて、また働いて、また学んでみたいな、学ぶと働くが行き来する社会というのが、本来はやってくるべきだというふうに思っております。
 ただ、そう考えたときに、1点は、私も過度な年齢主義というのを、私はそういうふうに呼んでいるんですけども、吉見先生に1つ質問があります。吉見先生は単線年齢中心主義とおっしゃっていましたが、日本で小学生に何年生って聞くと、何歳って答えるんですよね。ヨーロッパとか聞くと、何年生と、何ができるようになったねというふうに言われていて、これが学習成果という、入り口のところから出口に変わっていく一つの大きなポイントだと思うんですが、そのときに、特に大学、大学院での学び直しのときに、大学で学ぶことが、スピード感というところと、学習成果というところで、どうもちょっと社会と合っていないような気がしています。例えばスピード感でいくと、大学や大学院で学ぶよりは、民間スクールですとか、あるいはそういった特色のある教育施設で学ぶ、オンラインプログラムで学ぶというようなことが割と主流になっています。、あるいは学習成果でいうと、大学院でせっかく学んでも、その成果がなかなか見えないので、では企業でどう評価するかみたいなところに生かせないので、わざわざ自腹を切ってまで行かないと、ようなことになっていまして、そこの、今、マイクロクレデンシャルみたいな、マイクロ化して、それを評価していくデジタル証明みたいなものもあったりしますが、ここら辺のところを、吉見先生、どう活用されたらとかという、何かイメージがあればお聞かせいただきたい。また、濱中先生には、私、一緒に全国学生調査で御一緒にさせていただいているんですが、まさに質でいうと学修者本位。先ほど益戸委員がおっしゃった、偏差値の単純な入り口の序列化から、いわゆる何ができるようになったかという学修者本位の教育ということで、DPを中心にした教学マネジメントをして、学習成果の可視化だったり、自覚化を促していこうという流れだと思うんですが、それがなかなか、まだ見えてこない。どうも企業から見ると大学の成績もあまり、先生によってばらつきがあって信用できないという点があって、やはりまだ偏差値的なものに、すがっているようなところがあるとに思います。
 そうしたときに、全国学生調査ってやってみても、まだすごくまばらで、特に回答率も高くないというところを、個人的にはもうちょっと、これ義務化したりとか、修学支援制度の要件化したりとかしたほうがいいんじゃないかと思ったりするんですが、濱中先生は、ここら辺のところ、どうお考えでしょうか。
【永田部会長】  吉見委員、どうぞ。
【吉見委員】  ありがとうございます。まずは小林委員から今お聞きいただいた点について、私の可能な限りでお答えしていきたいと思います。
 スピード感ということですけれども、だからこそ私はセメスター制だと長過ぎると思うんですね。クォーター制って2か月なんですよ。だから2か月という単位、つまり8週間ですね。8週間という単位というのはそんなに悪くなくて、つまり、やっぱり1週間や2週間では無理だと思うんですね。あるまとまった知的な知識を、でも2か月で結構集中すれば教え込むこと、教えたり学んだりすることできると思っているんですね。
 だとすると、そのクォーター制をベースにいろいろな組み立て方が可能で、長期履修みたいな形で、クォーターで履修証明を取って、それが6つとか8つとか重なれば学位を与える、あとは審査をして学位を与えるという仕組みだって可能だと思っています。
 それともう一つは、じゃあ学びの成果というところになってくると、企業や自治体と大学のやり取り、行き来をしながら一緒につくっていく。地域のまちづくりでも、新しいベンチャー的な分野でも、一緒にクオリティーの高いものをもっと追求すべきだと思いますので、企業サイドにとっては、もっとアカデミズムが入ったほうがいいと思っています。アカデミズムの中にも、もっと実践的なものが入ったほうがいい。
 それから、先ほど伊藤先生から言っていただいたお話に、私も非常に共感するところがとても多くて、まず国立大学の値上げって、私もずっと15年ぐらい前、東大も値上げすべきだって、すごく強く思っていました。それで、国立大学では値上げした分は全面的に奨学金というかね。かなり困っている子も救済もそうなんだけども、それだけじゃなくて、メリット・ベースで、海外に行きたい子に対する奨学金にもそれを使う。
 それから、ウサギとカメの例はとてもよくて、私は、やっぱりウサギがサボっていたときに何していたのというのが気になるんですよね。ウサギにはしっかりサボってほしいというか、時には思いっきり遊んでしまってほしい。私は、何が日本人の考え方で問題かというと、日本は失敗に対する寛容度が小さ過ぎると思います。失敗を許容する、何度も失敗してもチャレンジし続けることのほうが大切です。だいたい人生、うまくいかないことが3回に2回ですよ。うまくいくことなんか、3回か4回に1回ぐらいしか、基本的にどこの世界だってないのであって、4回に3回ぐらいは、しくじっちゃうわけですよ。そのしくじったものを評価するということが日本社会はすごくないなって、しくじってばかりいる人間は感じますね。失敗ばかりの人間こそ、本当は可能性なはずなのです。
 ですから、ウサギも、サボっているときに、ちょっとおいしいワインがあって、おいしい何か料理があったら、いいじゃないですか、それって。それで負けたって、いい飯食って、いいワイン飲んでいたら、そのほうが人生幸せじゃないかという価値観を、日本人はもっと持つべきです。ウサギはサボるから駄目だという価値観は、本当にもう捨てたほうがいいですね。むしろ適当にサボりながら、その遊びの時間の中で、ちょっとワイン飲んで、そろそろ本気で走るぞというウサギも出てくるし、ジャンプするウサギとか、いろんなウサギが出てくることが必要です。そうすれば、日本はもっと溌剌とした社会になり得ると思うんですけれども、何かみんながカメだけがいいんだ、ウサギは速く走れるのだからサボらずに走り続けろという社会は、やっぱり本当に息苦しい社会ですよね、この日本の社会はね。それがやっぱりこの国の根本の問題なのだと思っています。
【永田部会長】  濱中先生、どうぞ。
【濱中高等教育研究部長】  小林先生、ありがとうございます。全国学生調査の話。実を言うと、このレジュメの教育情報のさらなる公開の後に括弧して、たとえば全国学生調査って最初書いていたんですけど、自分が関与しているのもあって、何か若干、手前みそ感が漂うので、消しました。それはやっぱり、かなり大事です。
 学習成果、つまり何ができるようになったかを提示していく。ただ、これはかなり難しくて、何ができるようなったかはあってもいいんですけど、やっぱりプロセスというか、その大学に行くと、学部に行くと、どんな教育が受けられるのか。課題どれぐらい出るかというのもあるんでしょうし、先生とどれぐらいコンタクトができるのかと。もっと言えば、授業は楽しいのかとか、そういう教育の中身を学生から聞き取って、それを大学別に出していくというのが大事で、それが大学を選ぶときの基準になってほしいと思います。
 ただ、義務化というのは、私は事務局そのものでもないからちょっと発言しにくいんですけど、かなり難しいだろうとは思っています。ただ、ある程度広がってくれば、そういう情報、どういう教育をしているかというのは、出してまずい情報だとはとても思えないので、それを出せないということは何か、むしろまずいところがあるんじゃないのというふうな空気になってくれば、やっぱりどこの大学も出さざるを得ない、積極的に公開するということになりますので。法令等で義務化するとか、補助金の要件にするというのは、ちょっとどうかな。あまり品がいい感じはしないんですが、多くの大学が出してくれるようなことが望ましいとは思っています。
 以上です。
【永田部会長】  日頃ない議論になっていいなと思っています。安心・安全から快適に入ってきていて、次元としては、それでいいんだと思うのです。ついつい政策の世界だと安心・安全を守るのが一番ですが、快適が目指すところであるということなので、それを高等教育で考えようというのは大変、今までにない、いい話だと思います。
 「企業にアカデミア」は、私もいいと思う。事例を挙げると、特に企業の方に、どちらがいいか。チャットGPT、生成AIでソースコードを書いてもらいまして、プログラミングができます。高等教育がやるのは、自分で過去にないプログラムを書くということで、我々が教えることです。
 ですから、やはりリスキリングとして、生成AIを使ってプログラムを書いて何かやるというのは、もうできて、ここにいる方、全員できます。普通に自分の取りたい統計表を作ってくれと言えば、きちんと作ります。
 それでは他社を抜けません。オリジナルなプログラミングが書けるかどうかということが、先ほどおっしゃった、企業にもっとアカデミアが入っていってよいのではないかというふうに捉えたらどうかと思います。
 そう思われれば、純粋な哲学を学ぶのではなく、そのオリジナリティーを育てるところが大学ではないか。勝手な解説を入れていますが。
 先に中村委員、時間があったら大森委員。
【大森副部会長】  時間が余ったらで大丈夫です。
【中村委員】  ありがとうございます。山梨大学の中村と申します。
【永田部会長】  中村委員、どうぞ。
【中村委員】  私の所属している山梨大学は、地方の国立大学ですので、そちらの実態も踏まえてお話ししたいと思います。初めに、益戸先生がおっしゃった、今の日本の大学に進学する者が、どうしても偏差値、成績中心になっているというところが非常に問題だと思っています。目的を持って、大学だけではなくて、専門学校や、高専も含めて高等教育機関に入ってくるというところが非常に薄いなと常々感じています。
 その延長上で、先ほどからお話しになっているように、大学のことをよく知られているのかということですね。
 私は、今年から学長に就任したのですが、4月から非常に痛感しているのは、地域の方、企業の方、自治体の方、そういった方々が大学のことを知らない。今何やっているんですかみたい、いうことなんです。本学でいうといろいろな強みの研究、あるいは教員養成、医師・看護士養成もやっています。高校生が、高等教育機関に進もうとするときに、その機関で何をやっているか分からなければ、目的をもって進学することができないわけですよね。
 そういったところで、大学のことそのものをよく知っていただくようなことを我々大学人も展開しなきゃいけないと思っています。本学は、先ほどの吉見先生がちょっと連携というのは難しいというお話出たんですが、国立の山梨大学と公立の山梨県立大学とが大学等連携推進法人を設立して今、2年半ぐらいたっているんですけども、まだまだ課題は多いんですが、できれば、私立とかも一緒になって、何かそういった連携法人がつくれればいいなというところで、少し設計を考えているところです。
 そのときに一番大事なのは地域連携プラットフォームでして、地域の方にどれだけ知っていただいて、大学のことを分かっていただいて、そこの課題を持って、リカレントも含めてやっていくということが非常に大事と思っています。
 地域連携プラットフォームで大切なことは自治体の在り方だと思っています。要するに都道府県や市町村が大学、高等教育機関と一緒になって課題を解決していくという捉え方をしていくことが非常に大事だと思っていまして、そういった働きかけをこれからしていきたいなと思っています。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。文科省ではない省庁も大切ということでメモです。先ほどの社会人関係には厚労省が関わるでしょうし、それから今のは総務の話でしょうが、多分、ここにいる人たちだけで変えられないのでしょう。変えるためには、本当に多くの縦割りを超えた協力がないといけないのではないかということを感じました。
 大森委員、どうぞ。
【大森副部会長】  吉岡先生はいいの。すみません。そういう意味では、ちょっと油断していました。ありがとうございます。
 お二人の先生方、ありがとうございました。どれも、そのとおりと思って、アグリーのところでありましたし、あと値上げの学費の問題というのも、これ本当に、ちょっと避けてきたというか、ところはあると思うんですけれども、もう避けられないなというふうに思っています。
 ただ、朝日新聞がやった調査でいくと、やっぱり比較的大規模な大学さんは、もう今年、来年あたり、ぐっと上げるよということになっているけれども、地方の小規模はなかなか上げられないという状況があって、これがやっぱり、そこでも経済状況の格差というのが出てきているなということで、やっぱり日本全体として、伊藤先生おっしゃったように、大学教育ってこのぐらいかかるんだよ、そもそもっていうことを理解していただいて。だから、みんな、このぐらいかかりますと。ただ、それだと大学行けない人もたくさん出てきちゃうから、そこを、じゃあ、どういうふうに、濱中先生の言葉で言えば納税者がというところも含めてという議論に持っていかないと、例えば地方の小規模大学でいうと、来てもらうためにどんどん値下げ競争に入っていくという。値上げ競争に入っていくところと値下げ競争に入っていくところが今、二分化しちゃっているというところで。なので、そこは、そういう議論が必要だなというふうに思ったということです。
 それから、御承知のように、53%の私学がもう定員割れをしているという状況でいうと、今までは、高等教育長もおっしゃったんですけれども、何か定員割れしている大学は、ちょっと自分のところの頑張りが足りないんじゃないのと、もっと頑張れば、頑張っていないからじゃないのという議論が結構あったと思うんですけれど、53%、半分以上の大学が頑張っていない大学とは思えないですよね。つまり、定員割れがメジャーになったときの議論の仕方が変わってきて、やっぱり全ての大学が、濱中先生おっしゃったように、競争がよい結果をもたらすとは限らないというところの議論と、それから、もっと言うと、そういう地方のところで、定員割れしてでも大学をやってくれていてありがとうという機運をどう高めていくかって、すごく大事なことだと思っているんです。
 今、定員割れしているようなところ要らない議論が大分横行してきたと思っているんですけど、過疎地域まで言わないけれども、そういうところで、でも、そこの人材、例えば本当にベーシックなお仕事の人材を育成している大学が、基本的には赤字で頑張っているわけですから、それでも大学やってくれていてありがとうという機運をどうつくっていくかということも、すごく大事だなというふうに思っています。
 それから、吉見先生おっしゃっていただいた教育の在り方、これ、うちも厚生労働省系のしかあれですけれども、短大でも、今年から、やっぱり4学期制にして、週2回授業の。そうすると2か月間、授業やらなくていい期間を生み出して、そういう子たちも地域に出ていくような、海外に出ていくようなプログラム、つくり始めています。
 大学のほうでも、基幹科目をチームティーチングで、学生も文理融合させてというのもやり始めるんですけど、これ、そこにアグリーなんですけど、何が言いたいかというと、時間がないということなんです。この教育改革が、こういうことをやっているなら、このぐらいの学費もらっても当然だよねという社会的な、その認識を得られるまでに10年ぐらいかかるんでしょうか。その間に、うち、もたないですという。そこの間をどう埋めていくかと。
 つまり、2040年ということが1つあると同時に、質の高い地域へのアクセスというところ。行かなきゃない教育の在り方で、それを国民の皆さんに理解してもらうという目標は立てて、みんながそこに向かわなきゃいけない。向かわない人はごめんなさいでいいと思うんですけど、向かっていく。でも、向かっていく間に倒れますという状況が今来ているので、そこをどうしていくかというのは、具体的な、いわゆる支援策というふうな議論になってくると思うんですけど、考えなきゃいけないという相当の焦りを感じながら今ここに来ていて、うちの大学のことを言えば、相当にやっているよねって多分、皆さん御承知いただいていると思うんだけど、多分うちも、この一、二年で割れると思います。だって、データがそうなんです。
 そこをどうしていくかということと、あと情報公表、大事なんですけど、この教育の中身を、これ分からなくて、データでは伝え切れないと思っています。公表しないというつもりじゃなくて、でもデータでは伝わらない、この内容をどう伝えるかという、何かノウハウを教えてほしいというのは、もう本当にという感じです。
 すみません。まとまりませんけど、ちょっと先を見る議論と、そこまで倒れないためにどうするのかという議論は並行しないといけない感じを、焦りを持っていますということでした。ありがとうございます。
【永田部会長】  分かりましたが、全然違うことを申し上げます。やはり、赤字では駄目です。なぜなら、国立大手大学の教授の平均給与は1,000万円、OISTの教授の平均給与は1,600万円、UC、バークレーも、LAもありますが、平均給与は2,500万円ということだけ、今申し上げます。つまり教育は、ディスカウントするものではなくて、十分にお金がかかるし、それだけの知恵と力を持った先生方を活用しなければいけないのに、赤字で経営していくということ自体は、もう既に問題だと思います。大森委員のところがどうのという問題ではなくて、もっと高くてしかるべきであろうと思います。
 それで、あと6分ぐらいなので、すみません、濱田委員3分、吉岡委員3分でお願いします。濱田委員、どうぞ。
【濱田委員】  私、濱中委員の、この進学率の上昇が質の低下じゃないというのは同意する点でございまして、それで最近、先ほども話にありました、大学等連携推進法人の、ちょっとある方とお話しする機会がありまして、そこの中で一番苦労するのは、教育の質を保ちながら、いろんな大学に同じ授業を提供することになりますので、当然、学生の幅はそこで広がっていくわけですよね。ですので、この進学率が上昇したときの実験をそこでやっているような形を多分取っているのではないかなというふうに感じておりまして、そこがどういう形で教学マネジメントをやっていくかというのを、推移を見ることによって、ちょっとある程度これのヒントが出るのかなというふうには感じているところなので、ぜひそこのところも注視していただくといいかなというふうに感じております。
 以上でございます。
【永田部会長】  吉岡委員、どうぞ。
【吉岡委員】  ありがとうございます。1つは、吉見先生のクォーター制化という、私はそうだと思うんですけども、法学部にいた人間からすると、法律学をクォーターで教えるというのは、物すごく抵抗が大きかったんですね。それは1つは何かというと、ある種の訓練型の学問体系を持っているような分野って、確かに2か月分、切っていくと非常に難しいかなという気がします。多分、抵抗が多い。それは、もしかすると工学の一部とかというところにもそういうのがあるのかなというふうに思います。だからといって、一部に例外をつくったりすると、制度もぐちゃぐちゃになるので、その辺はやっぱりちょっと難しいかなというのが1つです。
 もう1点、値上げが必要だということは、私も大学の執行部にいたわけですから、本当にそう思います。多分1人から学費って200万とか300万とか取らなければ革新的な授業もできませんし、教員の数も増やせない、フィールドワークとか留学もさせられないということになると思いますが、それはやっぱり一方で機会均等をどうするかという話になりまして、その分を、例えば奨学金でカバーするというのは、ますます制度をゆがめるのではないかと思います。しかも奨学金の制度自体が崩れていってしまうというふうに。
【永田部会長】  JASSOですし。
【吉岡委員】  はい。非常に難しい問題かと思います。別の方法を考えていく必要があるかなと思います。
 今後の議論にも関わるんですが、そもそも高等教育というのは何なのかということがやっぱり基底にあるだろうと思うのです。もうちょっと砕くと、何を目指そうとしているのか、我々は、ということだと思います。それは高等教育全体と、それから個々の高等教育機関、それぞれの問題だと思うんですが、例えばノーベル賞を取れる人を増やすというのと、それからイノベーターを増やすというのと、あるいはリーダーを増やすというのと、あるいは、例えば新しい技術の進歩や新しい学問についていけるレベルの人たちの数をたくさんつくることというのは、やっぱり教育の仕方で少し変わってくると思うんですね。
 それから、これを今やっているのかもしれませんが、よい社会人をつくるという、これは非常にやっぱり重要な機能だと思うんですが、それだと、例えばクラブ活動とか、部活とか、アルバイトとか、たくさんやることも決して悪いことではないという話になってくるだろうと思います。先ほどのような遊ぶということも含めてだと思うのです。それを、その中でどういうふうに考えていくのかということをやはり考えなくちゃいけない。
 それは、この議論は、一つの方向は大学を機能別に分けていくという考え方とつながっていくと思うんですが、しかし、日本の大学の中では、やっぱり大学に入ってからいろいろなものに触れていくということはとても重要なことで、実際に入ってから学部を変えたりしていく優秀な人たちは非常に多い。むしろ、そのほうが多い。それから文理融合の議論であるとか、学部横断的な交流を増やすというのも、そういうことだろうと思うのです。
 それ、その意味で、学部教育の在り方というのは一体何を目指そうとしているのかということだと思います。
 一つは、日本の大学って、いろんなものが物すごくいっぱい入り込んでいるシステムだと思うのです。例えばフランスだったら、ユニバーシティーというのは、グランゼコール、学校と違います。技術的な世界というのはグランゼコールのような、グランゼコールだけじゃなくて、サーカス学校もあるし、いろんな技能的、実学的な制度というのと、それからユニバーシティーという制度。でも、学位を出せるのはユニバーシティー。ヨーロッパは基本的にそうだと思いますが、そうなっている。
 一方で、高等学校までにバカロレアのようなものがあって、一般教育的なものが、あるレベルまででき上がっているというのが前提になっている。
 日本は戦前ちょっとそういうところがあったのが、戦後、今度はアメリカのシステムが注ぎ込まれて、しかも明治以来の、基本的には実学中心的な、工学部中心的なシステムができている。非常に多くのものが全部、大学の中に入っている。
 しかも我々は大学というシステムの上で考えてしまうんですが、先ほどもありましたけど、例えば高専であるとか専門学校なんかの実学志向で行われている高等教育も含めて、つまり実学とか、あるいは職業というものを高等教育の中でどう入れるのかということ、それと、ある種の原理的な、基礎的な教育とどう絡めるのかということと、それのスパンの問題。つまり、目の前の実学的な技能の習得と、それから10年後、20年後に新しいイノベーティブなものをつくれる能力を生かすというのをどういうふうに考えるのかって、幾つかの問題を整理してから議論していく必要があるかなというふうに思いました。
 以上です。c
【永田部会長】  ありがとうございます。吉岡先生おっしゃったのはそのとおりでしょうけど、ここは、それをやる場所じゃないと僕は思っています。大学は全部自由にやればいいので、何か大学のシステムを強制的に変えることを今ここで話し合っているのではないので、今言われたようにノーベル賞も、よき社会人も、全部含めた議論をここでやっているわけですね。
【吉岡委員】  そうです。
【永田部会長】  ですから、全部を生かさなければいけません。その上で、この、例えば少子化なら少子化にどう対応するかということなのです。吉岡委員はおっしゃっていることはよく分かりますが、ここは、今申し上げたように具体的な提案をしないと、全く政策が出てこない会議になります。中央教育審議会そのものは最後そこに落ちなければいけないのでは。ぜひとも、そうしたいと思います。批判しているわけではなくて、そういうものが全部あるが、何とかしなくてはいけないという難しいことです。
【吉岡委員】  いや、私も基本的にはそういう趣旨です。はい。
【永田部会長】  以上、今日はよかったと思いますが、少し余分なこと聞きます。1回2時間半とか3時間の会議を開催しても、先生方、出席いただけますか? 会議が2時間と、誰かが勝手に決めた2時間なので、別に2時間だって3時間だっていいわけです。というのは、今日も御発言できない方がいらっしゃるわけです。私は止めたくなくて、最後は少し時間がなくて3分ずつにしてしまいましたが、本当は思う存分お話しいただきたい。そうすると、短いといつも思います。皆さん一家言ある方だし、それぞれに価値のある発言なので、もし必要になったら2時間半とか許していただくことにします。
 以上。事務局からお願いします。
【花田高等教育企画課課長補佐】  本日は活発な御議論をいただきまして誠にありがとうございました。次回の特別部会の日程については現在調整中ですので、開催方法、場所等につきましては併せて、追って御連絡させていただきます。
 本日、御発言できなかった先生方、内容、もし我々に事務局宛てにいただければ、検討させていただきますので、御連絡いただければと思います。
 以上でございます。
【永田部会長】  本日は御協力ありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。
 
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