令和6年12月4日(水曜日)13時00分~15時30分
Web会議
(部会長)永田恭介部会長
(委員)吉岡知哉委員
(臨時委員)伊藤公平、大野博之、大森昭生、中村和彦、濱田州博、堀有喜衣、益戸正樹、松塚ゆかり、両角亜希子、吉見俊哉の各委員
(事務局)伊藤高等教育局長、浅野私学部長、森友大臣官房審議官、奥野大臣官房審議官、松坂文部科学戦略官、吉田高等教育企画課長、石橋大学教育・入試課長、桐生学生支援課長、三木私学行政課長、錦私学部参事官(学校法人担当)、中安生涯学習推進課長、髙見高等教育政策室長、北野国立大学法人支援課企画官、篠原私学経営支援企画室長、氏原大臣官房文教施設企画・防災部計画課企画官、花田高等教育企画課課長補佐、疋田高等教育政策室室長補佐、阿久津高等教育政策室室長補佐、濱中国立教育政策研究所高等教育研究部長ほか
【永田分科会長】 定刻になりました。第13回目の特別部会を始めさせていただきます。
お集まりいただきましてありがとうございます。
対面とウェブのハイブリッドで開催をしております。また、YouTubeでライブ配信を行います。皆さん、自由に御発言できる環境にいらっしゃるという前提でございます。
それでは、事務局から連絡事項をお願いいたします。
【花田高等教育企画課課長補佐】 本日はハイブリッド会議及びライブ配信を円滑に行う観点から、御発言の際は挙手のボタンを押していただき、部会長から指名されましたら、お名前をおっしゃってから御発言ください。また、御発言後は再度挙手のボタンを押して表示を消していただきますようお願いします。また、発言時以外はマイクをミュートにしていただければ幸いです。
本日の会議資料は事前にメールでお送りしているとおりですが、会場では、関係データ集、資料集は加除式ファイルとしております。また、会場のiPadには本日の会議資料をチャットにてURLをお送りしてございますので、紙の資料と併せて御活用ください。
以上です。
【永田部会長】 答申案を用意しました。今日はその答申案について議論したいと思います。残りもう僅かです。忌憚のない御意見をいただいて、次回、答申案に盛り込んで、杞憂のない状態で提出したいと思います。
今日は長いので、前半と後半に分けて議論させていただきます。最初1時間ぐらいは、「はじめに」というところから「2.今後の高等教育政策の方向性と具体的方策」までを議論する予定です。その後、「3.機関別・設置者別の役割や連携の在り方」以下、財政など、「おわりに」までを議論する予定です。特に前半の議論で、規模の適正化についての最終段階の御意見をいただきたいと思います。
本日御欠席の小林委員からは御意見が提出されています。事務局から併せて紹介があります。
【髙見高等教育政策室長】 まず、その前に、答申案の内容についてということで説明します。お手元の資料の1-1を御覧いただきたいと存じます。
前回の特別部会で示した答申素案に関する議論を踏まえまして、事務局において更に追記修正したものであり、赤の部分が修正箇所となっています。主な修正箇所のみポイントを絞って説明します。
初めに、3ページ目を御覧ください。冒頭に、直面する世界の動向等について記載したことに加えまして、8行目に、前回の会議で示した新たな試算として、現在63万人いる大学進学者数が、2040年には約46万人、現在の73%となる予測を追記しております。また、同じページの33行目から、(2)目指すべき未来像、それから次のページ、4ページに、(3)育成する人材像について、新たに追記をしております。
また、17ページからは、2.今後の高等教育政策の方向性と具体的方策として、前回素案と同様ですけれども、質、規模、アクセスの観点で整理をしております。そのうち、質の観点では、20ページの下から3行目にあるとおり、認証評価の見直しとして、新たな認証評価制度は、単に評価基準に基づき適・不適を判断するだけではなく、在学中にどれくらい力を伸ばすことができるのかといった教育の質を数段階で示すなど、国民に対して分かりやすく説明していくことで社会的な評価の一層の促進を図るとともに、21ページの3行目にあるとおり、教育の質が十分に担保されていない機関については縮小、撤退を促していくことが望ましいことを追記しております。
続いて、28ページを御覧ください。大学院教育改革の部分ですけれども、28ページの6行目から9行目にかけて、自然科学系については博士課程進学者を増加すること、人文・社会科学系については、まず学部卒の人が非常に多いということから、修士課程進学者の増加をしっかり図っていくことを追記しております。
続いて、30ページを御覧ください。30ページの中ほどでございますけれども、21行目から25行目にかけまして、大学院の早期修了制度を活用し、研究実績を既に有する社会人が、修士・博士の学位の質の保証に留意しつつ、1年で学位取得をすることを積極的に進めていくべきであることを記載しております。
34ページを御覧ください。情報公表の推進といたしまして、13行目でございますけれども、現在の大学ポートレートの仕組みを見直し、設置者別でない新たなプラットフォームを構築することを新たに記載しております。
続いて、36ページを御覧ください。規模の適正化の部分ですけれども、この中の1 高等教育機関の機能強化として、37ページの具体的方策の1つ目の丸、意欲的な教育・経営改革を行うための支援として、1つ目のポツでございますが、一定の学部定員の縮小をしながら、質の向上や大学院へのシフト、留学生や社会人の受入れ強化を図る大学等への支援を行っていく旨を追記しております。
続きまして、38ページを御覧下さい。38ページ、赤の部分ですけれども、新たな学部等の設置に関し、新陳代謝が必要である一方、規模縮小に対応する必要があるため、設置認可に当たっては、教学面における質の高さや社会的必要性をこれまで以上に求めること、また、経営面においては財産保有要件や私学助成交付要件の厳格化を図るなど、抜本的な見直しを図ることを記載しているところです。
続いて、40ページを御覧下さい。前回お示しした素案では、連携、そして再編・統合、縮小・撤退という大きな3つの枠組みで整理しておりましたが、縮小と撤退の項目を分けることとした上で、撤退への支援として、この枠囲みの中の一番下のポツにあるとおり、学校法人が解散する場合における卒業までの学習環境の確保、また、卒業生・修了生の学籍情報の管理方策に関する記載を追記しています。
続きまして、42ページを御覧下さい。地域のアクセス確保に関する方策として、30行目以降にあるとおり、地域連携プラットフォーム、この枠組み自体は既にございますが、この仕組みをさらに発展させて、地域の高等教育機関、地方公共団体、産業界等の関係者が議論し、各地域で実効性ある取組を推進するための協議体として、新たに地域大学等構想推進プラットフォーム、これは仮称でございますが、こういったものを構築していくことが必要である旨を記載しております。
また、次のページ、43ページの11行目辺りからですけれども、現在ある大学等連携推進法人、これは国公私の枠組み、こういった連携の仕組みということで、既にございますが、この仕組みを更に発展させて、より連携を強化する仕組みとして、地域大学等連携推進機構、こちらも仮称でございますが、こういった枠組みを設けていくことについても記載を追記しております。
続きまして、44ページを御覧ください。都市から地方への動きの促進を通じた地方創生の推進として、下から3行目以降にあるとおり、大都市圏の大学の学部定員を縮減する大学への支援を進めること、さらに、45ページの8行目に記載のとおり、地方の大学についてはアクセス確保を講じることが必要であること、さらに、45ページの13行目にあるとおり、現在ある23区の定員抑制につきましては、引き続き政策効果について検証すること、さらに、具体的方策の1つ目の丸の中の2つ目の黒ポツの中では、国内留学、サテライトキャンパスの設置、キャンパス移転を推進すること等も追記をしております。
続きまして、48ページを御覧ください。機関別・設置者別の役割や連携の在り方ということで整理をしておりますけれども、この中では、まず、(1)の機関別の役割として、大学、短大、高専等の機関別に具体的方策について記載をしております。
また、52ページから53ページにかけては、国公私の設置者別の役割、1 国公立大学の役割として、53ページの10行目以降ですけれども、文理横断・文理融合教育や分野を越えた研究が進んでいく中において、大学の連携はもとより、再編・統合により基盤を強化すること、また、12行目以降に記載のとおり、18歳人口が大幅に減少していく中で、国際化など多様性を確保しながら、学士課程の定員見直しについても避けることができないことを掲げております。
その上で、53ページの具体的方策の枠囲みの中ですが、1つ目の丸におきまして、定員規模の適正化として、18歳人口や地域の高等教育へのアクセス確保、知の高度化、社会のニーズの必要性を踏まえた定員の適正化の在り方について検討を行うこと、また、2つ目の丸の、連携、再編・統合の促進として、より多層的かつ広範な教育研究を行うとともに、経営基盤を強化する観点から、大学間の連携強化、また各大学等の状況を踏まえた再編・統合の在り方について検討を行うこと、3つ目の丸にあるとおり、地域の連携に当たっては、牽引役としての機能強化を国立大学がしっかり図っていくこと、こういったことを追記しております。
続いて、次のページ、54ページを御覧ください。公立大学の役割の在り方として、13行目から、定員規模の見直しに向けた検討も、周辺の高等教育機関の状況など、地域の実態を踏まえつつ行っていくこと等について記載をしております。
続いて、その下、私立大学につきましても、54ページの一番下の行から、国立大学や公立大学と同様に、私立大学についても少子化を見据えた規模の見直しが不可避であること、さらに、再編・統合、縮小、撤退等の取組を進めていくことを記載しております。
続いて、55ページの6行目以降でございますが、機関別・設置者別に加えまして、機能別に着目した政策の重視として、設置者の枠を越えて、機能や特性に応じた支援を進めていくことも記載をしているところです。
続いて、56ページを御覧ください。ここからが、4.高等教育改革を支える支援方策という部分ですが、1の高等教育の価値、そして2の高等教育への信頼、そして3の必要コストの算出の必要性を掲げた上で、4の高等教育投資の在り方として、57ページの一番下の行から58ページにかけて、高等教育に対する投資は未来への先行投資であり、大胆な投資を進め、我が国の成長のための更なる強化を図っていくことが必要であるといったことを明記しております。
その上で、58ページから59ページにかけまして、公財政支援、社会からの投資、個人・保護者負担についての考え方を整理した上で、59ページの2行目から29行目、(2)今後取るべき方策として、まず、答申後、二、三年目までの短期的な取組では、運営費交付金や私学助成の基盤的経費を十分に確保すること、また、次のページ、60ページの1つ目の丸にあるとおり、社会からの支援強化として、企業による代理返還制度の活用推進や寄附の充実等を図ること、2つ目の個人・保護者負担の見直しとして、近年の物価や人件費の変化、教育活動に係る費用を考慮した個人保護者負担の在り方について、機関補助とのバランスも勘案しつつ検討を行うこととしております。
さらに、60ページの中ほど、2 今後5年から10年程度をかけて取り組む中長期的取組としては、1つ目の丸にあるとおり、教育コストの明確化と負担の仕組みの見直しとして、教育コストの算定基準を設けた上で、基準に基づく授業料等の学納金の最低ラインを設定すること、また、公的支援の仕組みを見直していくこと、こういったことについて検討を進めることということも掲げるとともに、2つ目の丸にございますとおり、高等教育への大胆な投資を進めるために、高等教育によって得られる将来的な便益を踏まえた税の在り方や寄附の充実等、多様な財源の確保に向けた検討を行うことを記載しております。
最後に、62ページを御覧いただきたいと存じます。「おわりに」の項目を新たに設けた上で、特に18ページ以降にあるとおり、制度改革、財政支援の取組や、今後10年程度の工程を示した政策パッケージを策定し、本答申に記載した具体的方策の実行に速やかに着手することを明記しております。
続きまして、資料の1-2を御覧ください。この答申案の内容につきまして、4ページでポイントをまとめた要旨につきましても事務局で作成しておりますので、もし答申案と併せて御意見等ございましたら、こちらについても御意見いただけたらと存じます。
また、資料2では、前回の特別部会でいただいた意見ということで整理をしております。
続きまして、お手元の参考データ資料集のファイルを御覧ください。オンラインで参加の皆様は、参考資料1、2で配付している資料になります。
このうち、参考データ集ですけれども、ファイルの扉を開いていただくと、1枚目にございますとおり、前回の御意見を踏まえまして、新たなデータを追記しております。(2)-3-22というページでございますけれども、こちらでは、地域別の大学入学者数比率の過去と現在と未来、この変化について整理をしております。
また、次のページ、(2)-3-24と25、こちらでは、地域別の高卒者の大学進学先というのを、(2)-3-24では、まず全体の状況、それから(2)-3-25では、国立、公立、私立に分けた形で整理をしております。また、その下、(2)-3-26、27では、地域別の大学入学者の出身状況について、同様に資料を追加しております。
また、それ以外にも、ページ数に黄色マーカーを付した箇所につきましては、時点更新によるデータの追加修正を行っているところでございます。
まず、私からの説明は以上でございます。続いて花田から説明いたします。
【花田高等教育企画課課長補佐】 御欠席の小林委員からいただいております御意見について、事務局から説明させていただきます。資料の1-3を御覧ください。
初めに、本答申の位置づけについて、「本答申は、少子化が進む日本において、世界における競争力を維持・向上していけるか、国家戦略として将来の社会を担う若者に『未来に向けた投資』を行えるかどうか、の重要な問題提起であると考える。文部科学省のデータによると、日本の高等教育機関への教育支出における私費負担割合はOECD38か国中上位3位である一方、GDP比における公財政負担は0.7%と下から2番目となっている。多くの若者たちが教育費の負担を懸念して結婚や出産を躊躇する現状や、特に地域経済を支える生産年齢人口減少といった将来の『既に起った未来』の課題解決に向け、高等教育機関だけの問題に矮小化するのではなく、日本社会全体の問題と位置づけ、文部科学省だけではなく、省庁の壁を越えた戦略が必要となる。今こそ、明確なビジョンを持った『未来に向けた投資』と負担の在り方を真剣に検討すべきである。そのためには、従来それほど重視されてこなかった大学と社会(自治体・企業等)とのコミュニケーションを活発化し、高等教育機関の信頼を向上させて、投資に値するものと証明しなければならない。改めて、『質』の確保、『情報公表』による透明性の確保と説明責任の強化を図り、より一層社会との交流の機会を増やすべきである」との御意見をいただいております。
続いて、内容に関する御意見については、1)文理融合・横断教育、文理分断からの脱却、2)認証評価結果の分かりやすい社会への公表、3)設置認可スケジュールの見直しについて御意見をいただいており、それぞれのポイントを御説明させていただきます。
まず、1)については、高校2年生からの文理選択のために、高校1年生の夏から秋にかけて生徒たちが文理選択を迫られるなど、高校における早期の文理選択は世界でもあまり例を見ないものであり、文理分断の根本になっているということ、今後の人口減少下において知の総和を確保するための入試の在り方を検討し、早期の文理分断からの脱却を目指すべきとされています。
次に、2)については、知の総和の維持・向上への将来投資を社会の総意とするためには、高等教育機関の中だけの評価にとどまらず、広く社会に向けて高等教育の質について分かりやすく情報を公表していく必要があること、また、共通のフォーマットによって、各機関の「長所」や「特色」、「指摘事項」を分かりやすくまとめたエグゼクティブ・サマリーを作成するなどの工夫が求められるとされております。
3)については、学部・学科・カリキュラムの改編や新たな学問領域への対応、新陳代謝が求められるということ、また、その際、現状の設置認可において新たな学部設置認可が開設前年の8月末、保留となった場合はさらに認可が遅れるため、初年度の学生募集が厳しい状況となることから、設置認可のスケジュールを見直す必要があると考えられるとされております。
以上、小林先生からの御意見について御紹介させていただきました。以上です。
【永田部会長】 ありがとうございました。前回の素案から、大きくは変わっておりません。それから、小林委員の意見ですが、これまでの議論について、ほとんどのことが言及されていて、未来への投資ということについてもしっかりと書かれていて、分かりやすい文章になっています。唯一、冒頭で、少子化は大変であるということを、産業も経済も文化も学芸も全部衰退すると書いています。それから、認証評価については、かなり今後変えていけるような書きぶりになっているかと思います。これは私からの回答ということであり、もちろん御意見は使わせていただくということです。
案の概要を説明いただきました。最初に、「はじめに」から「2.今後の高等教育政策の方向性と具体的な方策」までをまず中心に、いろいろと御意見を伺いたいです。とりわけて、規模の縮小はなかなか困難ではありますが、御意見をいただければと思います。
最初に一言だけ申し上げておきます。規模の縮小について、書いております。日本経済新聞のお昼過ぎの記事にも、素案の中に書いたことがそのまま書かれてはいるのですが、そこだけの印象だと、人が減って、大学の学ぶ学生も減りますという、割と短絡的なイメージがないわけでもありません。そうならないように工夫をしなくではいけないということです。何をまどろっこしいことを申し上げているかというと、人が減るのは確かですから、定員は国公私関係なく、今のままでは保てないというのは間違いない事実なので、どうやって減らすかという議論は別にして、それだと減り続けるので、増やす方策を同時に考えなければいけません。
例えば具体的に申し上げると、今、皆さんの定員を、80%に減らしてください。しかし、外国人や社会人については、どうぞ定員外でとってくださいという方法はあるかと思います。そうすると、外国人を20%あるいは40%相当とっても別に構わないので、そういう方策はあるかと思います。
つまり、どうしても足らないものを無理やり埋めていくという方策はあるでしょうが、一番フェアにコンペティションがかかるのは、十何年かかけて徐々に減らしつつ、その間、外枠を使って、例えば、留学生をとるのはあると思います。内枠で皆さん数えているから苦しいのですが、外枠で数える分には別に構わないということを例えば行ってみるというようなことで、実は数も減りません、工夫をすれば才能のある方を連れてくることができます、社会人も外枠という考え方もないこともないのではないかと思いつつ、具体的にそれによって、努力する大学は、今の定員以上に人がとれる可能性があるということです。
ここまで具体的なことを書くかどうかは別にして、規模の縮小に関して御意見を特にいただきたいと思います。
ほかのことでももちろん結構です。吉岡委員、どうぞ。
【吉岡委員】 今のお話の前提ですけれども、前から気になっていたのですが、この中で、知の総和の維持・向上と単語として使っているのですけれども、我々の感覚としては、もう維持では駄目だと。今のお話もそうなので、維持・向上というと、維持というほうに当然流れるので、この文章全体の中で維持という言葉をまず外す、そのことを姿勢として示したほうがいいかなと思います。
【永田部会長】 賛成です。とにかく知を拡充して質も上げていくということは、量も質も上げるということです。大学院のほうが頑張りましょうというのは、質の方に少し寄与しているわけなので、量の方も増やしていけばいいし、今、大学に来ていない、経済的な意味でも来ることができていないような人が来られるようになればいいわけだし、先生の御意見に私は賛成です。
そのほかにいかがでしょうか。今の御意見は大きい御意見です。ずっと維持・向上で書いてきたのですが。
【吉岡委員】 そうです。今更ですが。
【永田部会長】 ありがとうございます。
まず、全般についてですが、全体では84ページのものになりましたが、私、2度ほど読み返してみましたが、どこも削れるところはないなと感じました。急速な少子化進行に対する議論でしたので、どうしても縮小均衡が先に頭に浮かんでしまいます。しかし、決してそういう議論ではありませんでした。今の吉岡委員のご意見の通り、維持ではなくて向上というところにスポットを当てて議論してきたとおもいます。
ただ、中で使われている言葉は、どこかで聞いたことがある言葉使いです。前回のグランドデザイン答申以降の答申の中でも随分使われていた表現も出てきています。しかし、実はその中身は大きく違いますし、かつ、やらねばいけないこともたくさんある深みのあるものです。これをベースに今後文部科学省の方がしっかり具体策に落としとんでいくということが非常に重要です。その上でこの長い84ページをいかに社会に浸透させていくかが課題です。これは決して高等教育機関の経営者側の方だけではなくて、全教職員の皆様にもよく御理解いただき、かつ、教育に携わっている関係者、そして御父兄、学修者の方々にも、日本の教育はどこを向いているのかをしっかりご理解頂きたいと思います。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。
伊藤委員、どうぞ。
【伊藤委員】 私、前回は欠席したのですけれども、全体としては、今回のまとめ、答申に関しては、全く異論はございません。その上で、「目指す未来像」というところに、「一人一人の多様な幸せと社会全体の豊かさの実現を核とした持続可能な活力ある社会」と書いてあります。これが本当に、若者、つまりこれからの大学生たちが本当にそう感じられて、大学を卒業して社会で活躍しているときにもずっとそう思っていける社会をつくる責務が私たちにはあると思っています。
大学院拡充、私も最初から主張していることであって、これは相当反映していただいたのですけれども、例えば一般的にみんながトップと思う東大や京大に通う学生というのは、大学生の中の0.3%ぐらいですかね。旧帝大に通う学生も、全体の1%ぐらい。ですから、大学院を拡充するというのは、当然のことながら高等教育の再定義という意味でどうしても必要ですけれども、いわゆるボリュームゾーン、もっと分かりやすく言えば、偏差値50の人たち。私は将来偏差値がなくなっていくべきだと思うのですけれども、この偏差値50の人たちが将来的に、自分はあの大学にしか行けなかったとか、または色眼鏡でそのように見られるようなことがあったりするとすれば、それは本当にアンハッピーな人生を送ることになるわけです。
ですから、一番大切な中産階級ですね。大学でも短大でも高専でも、それから専門学校でもそうですけれども、いわゆる一番の中間値の人たちが一生涯をもって、ああ、自分はこれを学んで、これを持っているから、ここにも書いてありますけれども、経済成長で計り切れない幸せな生きがい、豊かさを感じられる個人としてやっていけるようなシステムを、我々としては提案していく義務があるのではないかと思っているわけです。
一部の何となく勝ち組だけと言われる人たちが生じて、その人たちだけがハッピーになる社会だと、本当の意味での全体としての高等教育の役割を果たすということができないので、日本社会全体を本当に支えるのは平均的な人たちであって、それは我々の一番大切な仲間ですので、そこのところは、全体的に読むと、高等教育が本当に高等の方向に進むと、それは私が主張してきたことはあるのですけれども、偏差値50というのがまさに真ん中ですから、その人たちが生涯ハッピーで、この日本に暮らしていて良かったと思えるようなことをつくっていくというのが、どこかに何かメッセージとして入るといいなというのは、未来像のところに書いてあるときには思ったところです。
【永田部会長】 ありがとうございます。どこかに明示的に書けるといいのですが、多分ここにいらっしゃる方は、今の御意見、別に何の違和感もないわけです。社会を組成している人たちが、高校とは全然違うレベルの高等教育という全然違う種別のものを楽しめないといけないわけで、楽しんだ結果、しかも実力が上がっているという状態です。それが質の向上、先ほどの知の総和の向上の中に当然入るはずで、そこの方が一歩でも二歩でも前向きになっていただければ、総和としては随分変わっていくわけです。それをどこかに明示的に書けるといいです。難しいかもしれないですが、ボリュームゾーンなどの言い方をすると、また読む側もいろいろあるでしょうが、高等教育そのものが、もっと個性豊かなそれぞれの大学でそれぞれの学びが享受できるという、成績というよりも、大学側にはいろいろなものがあるというメッセージにしたほうがいいのかもしれません。
大森委員、どうぞ。
【大森副部会長】 ありがとうございます。幾つかあるのですけれども、今の伊藤先生、それから部会長のお話に大変賛同するところです。まさにそのとおりだと思っています。実は今の議論のところじゃなくて、次のところだけれども、高等教育の価値というコーナーがあって、そこにいろいろな、グローバルのとか、地域を引っ張っていくとか、結構トップ人材のことが書いてあるなとは思っていて、それだけじゃなくて、分厚い中間層というのを、どういう表現にするかは難しいのですけれども、それこそも高等教育の価値だと書きたいなということを後で言おうと思っていたのですけれども、まさにそのことに賛同します。
幾つかですけれども、冒頭のところの人材像のところで、非常にこれから求められる人材像を書いていただいているのですが、それが、これからまた精査していただくと思うのですけれども、こっちの概要版になると、育成する人材像が「AIを使いこなせる人」と、すごく簡単になっていて、AIを使いこなせる人というのはこういう資質能力持っている人ですよと、ちゃんと本文には書いてあるのだけれども、これだけだとAIを使えればいいのかみたいに読めなくないかなと思って、そこは考えたほうがいいなと。
それから、全体として、地方創生という文言を加えていただいたというのも、これも地方の大学にとっての大きな役割なので、これはすごく良かったと思っていて、加えて、国全体の政策で考えると、大学に関連することでいうと、これは書けるのかどうか、一応意見としてだけ言いますけれども、少子化対策との関係も非常に大きいことです。財政のところなのか、もうちょっと前の今のところなのかということはありますけれども、国全体の政策のところでいくと、そこも、我々少子化になったときに大学はどうすると考えているけれども、それを少子化対策として、大学の在り方によって、もっと産み育てたいなと思うようになっていくという可能性のフックに必ずなると思っているのでということです。
それから、細かいことですけれども、18ページの19行目の「社会を」が、これは「社会に」かなと思って。後で見てください。
先ほど永田部会長がおっしゃった柔軟な定員管理、これは縮小していくときのというところで、これは結構慎重に議論が必要かなと思っているのは、定員の外に留学生や社会人をというのは、そのことによって非常に柔軟にいろいろできるなという期待も持ちつつ、定員の中にあるから今は定員が維持できているという状況の大学もあるという中で、外に出したい大学と中に入れたい大学というのは、結構地域によっても、あるいは種別によってもいろいろ違ってくるかなと思うので、そこを選択できるようにするのかどうかというのもあれですけれども、中か外か、それから留学生や社会人もフルなのかパートタイムの学生なのかという、幾つかの議論の余地を残す書きぶりが必要かなと思っています。
それから、縮小というか、定員の在り方に関して、パートタイム学生の受入れをしたときに、パートタイムであっても教育環境を使っていくわけだから、質の保障というか、設置基準と照らし合わせてどうだという議論も必要ですけれども、一方で、そうであるならば、パートタイマーも定員に数えるということも、一定程度のパートタイマーならばという議論はしてきたと思うので、そのことが見えるような書きぶりが、そうするかどうかはまた後にしても、あるといいなと思いました。
それから、これも細かい表現ですけれども、39ページに、質が確保できないなら縮小・撤退という表現があるのですけれども、厳しい言い方をすると、質が確保できないなら縮小でも駄目じゃないのというか、質が担保されていないならちっちゃくすればいいという、39ページだったと思うのですが、そこは撤退なのか、何というか、縮小すれば質が担保されていなくてもいいですよというわけにはいかないだろうという感じです。すみません、後で御覧になってください。
それからもう一つ、縮小の話のときに、縮小と撤退を分けていただいたのはすごく良くて、何か縮小したら即撤退みたいなイメージというのは違うと思っているので、分けていただいたのはとてもいいのですけれども、縮小と質の向上というのもかなり関係してくると思うのです。縮小することによって質が上がるということは相当にあると思っているので、縮小がネガティブなだけに捉えられない、質の向上のために縮小するということもあり得るというようなことがどこかにあって、質の向上と縮小を関連づけて、撤退とだけ結びつかないで、向上にも資するというようなことがあってもいいなと思ったと。向上を図りながら縮小とは書いていただいているのですけれども、縮小することによってというか、そんなことを思いました。
以上です。ありがとうございました。
【永田部会長】 ありがとうございます。
大野委員、どうぞ。
【大野委員】 大野でございます。ありがとうございます。今の知の維持・向上の拡充に関してですけれども、確かにボリュームゾーンも大切だと思いますが、Higher Education For Allで国民全部が高等教育を享受できるような、すぐできないにしても、目標として掲げることは必要ではないかという意見です。
かつての高等学校進学率も、そうでもないところから、今はもうほぼ100%になっておりますので、外国人とか社会人も含めて、一般社会に出た後、もう一度学び直そうという機運を高めるためにも、ぜひ、No one left behindという言葉がありますけれども、全員が高等教育を学ぶような、明示的にでもそれを書いていただけるとありがたいと思います。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。
両角委員、どうぞ。
【両角委員】 ありがとうございます。オンラインからですみません。よろしくお願いします。
今の大野先生のご提案をいいなと思って聞いておりました。いろいろあるのですが、まず、規模についてということで、先ほど大森先生もおっしゃったように、パートタイムの方でも、いろいろな形で大学とか、あるいは大学院に受け入れていくということが大事になるので、定員とかの考え方とか管理のところをフルタイム換算など、実際に学生を受け入れたら補助金等を含めていろいろなものに反映されるようにする点は明確にしていくといいのかなと思いました。
規模は縮小が前提ではないとは思うのですけれども、規模について書かれているところの記述が気になります。例えば38ページ目ですが、規模を適正化するために、設置のときに需要があるかを見るとか、抜本的な見直しを図るとか、いろいろ書いてあるのですけれども、ここに書いてある内容は全然抜本的ではないというか、今も既にやっているような印象があります。これまでも人気のないような学部・学科をつくるような大学なんて見たこともありませんし、新しいニーズに応えようと思って皆さん学部をつくっているわけですし、設置認可のところでも、どこまで需要が読めるかはともかく、現状でも事前の需要予測の根拠は出してもらっていますので、ここに書いてあることだと抜本的な感じがしないという気がしました。
また、問題は、規模とアクセスを別個に扱っていますが、両者を絡めた話が重要なのに抜けているように感じます。現状のルールでやっていることによって、地域間とかの進学格差が出てきているというところに対する問題に対しての記述が若干弱いのではないかという気がしていまして、例えばアクセスの問題を確保していくのが大事だと言ったときに、そのための仕組みとして、42ページ以降の記述が書かれていますが、そこで書かれているのは地域の協議体の話です。そうした取り組みを支援していくのはよいのですけれども、それがアクセスの問題を解決するかというと、必ずしもそうではないのではないかという気がしています。つまり、アクセスの問題を解消するための議論が抜けていると思います。
特に具体的な方策の45ページ目のところを見てもらうと、例えばサテライトキャンパスとかキャンパス移転を、と書いてあるのですけれども、それもいいんですけれども、もう少し、地方の大学自体を元気にするとか、そこの取組が書かれていないのが問題だと思います。需要だけで見ていくと、経済的にかなり厳しくなっていく地域があるのですけれども、この地域にはこれだけの進学需要が必要だといったときに、単純に潰していくというか、潰れていくことを放置していくのかというか、その地域の進学需要を国が支えていくのかとか、その辺りの論点があまり明確に見えない気がしています。この会議体の中でも、都市部と地方で少し考え方や枠組みを変えたほうがいいのではという議論があったかと思うのですが、そこが今回の答申案ではよく見えないというところが実は一番気になっているところです。
あと、もう幾つかあるけれども、長くなるのであと1点だけにすると、40ページの縮小と撤退を分けたということは私もいいと思うのですが、撤退については、何か議論しにくいのでまともに議論をしていない印象があります。本当にどういう条件だったら、高等教育機関として体をなしていないから撤退なのかということは、きちんと避けずに議論すべきではないかという気がしています。
今はそういう議論を表立ってしないで、補助金の配分ルール、あるいは一見関係ないのではないかと思うような修学支援新制度の機関要件の変更とか、別の枠組みを使った形でどんどん大学の首を絞めていって、結果的に一部の大学がもう駄目ですと音を上げて撤退しているというようなことが起きていると思うのですけれども、そういうやり方をすると、本当は地域で必要なところだけれども、もう経営が成り立ちにくいところから順に撤退するということが起きていく。なので、こういう条件だったら、質でも全然駄目だし、全然需要もなくて、本当に高等教育機関としてどうなのかというようなところを、皆が納得できるというところは難しいかもしれないですけれども、どういう条件で撤退を促していくのかということは、もっと明確にしたほうがいいのかなと常々思っていましたので、発言させていただきました。
以上です。ありがとうございます。
【永田部会長】 ありがとうございます。設置審議会を見ていると、撤退の一番の原因は経営不振なので、露骨にはここに書いていませんが、現実にはそれが大きな理由かと思います。
中村委員、どうぞ。
【中村委員】 先ほどの大森先生と今の両角先生の意見と似ているのですけれども、アクセスの確保のところで、1番の協議体への検討を促す仕組みと。これは前からお話ししてきましたが、まさにこれは地方創生だと僕は思うのです。都市から地方に移るだけではなくて、その地方の持っている特色とよさを膨らましていくというのも地方創生ですから、そういう意味で言うと、細かいですけれども、コーディネーターの育成はぜひ必要だと思います。これは育成していくことが必要だと。
その次の地域大学等連携推進機構(仮称)というところが、大学等と入れてしまうと、文部科学省以外の省庁がなかなか入りにくいのです。むしろここは地方創生推進機構とかそういう名前にして、他の省庁も巻き込んで地方の創生を大学も入って産官学金でやっていくのだという形の名称のほうがいいという意見を持っています。
もう一つは、先ほど部会長もおっしゃいましたけれども、当然この後、社会人というのが留学生と同じように学生数の中に入ってこないと意味がない。その前の質の高度化のところで、3番の大学院教育の改革ですけれども、ここは書いてあるとおりでもちろんよろしいと思うのですが、学士と修士を一貫して5年にすると。一方で、学士はもう終わっているのだけれども、1年生で社会人が入ったときにもきちんと修士の学位を取るとか、あるいは一つの例としては、前々から言っているように、いわゆる教員の免許を取れるとかという仕組みをつくる必要があるだろうと。
当然ここは、今の例えば教員で言うと、教職大学院があって、そこはストレートマスターがあって、もう一つは現職の先生が来ている。現職の先生って基本的に1年間現代的課題を学んで、あとは実習というのはもう勤務校に帰ってやるわけです。ここにいわゆる教職を取っていない社会人が入ってくることによると、新しい教育課程とか新しいカリキュラムが当然必要になると思います。
さらに、新しいものが分断されてやるのではなくて、あるところでは一緒にやって、例えば教員がまだまだ認知されていないような社会的課題というものを社会人の方は知っている。当然社会人の方も教育の世界のことを知っていけるという仕組みをつくっていくべきだと思っています。
そのためには、かなり今後、共同教育課程も含めた規制緩和が必要になると思うのです。何単位でなきゃ駄目とかという、当然、大学連携をしていかないと、教員養成というのは今後無理ですので、共同教育課程をつくるときでも、今まで30単位という規制があるのですが、それを緩和してもらわないとできない。その上でもって質の高い教員養成をやっていくということが大事だと。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。
先ほど、両角先生から出た御意見のアクセスの部分で、もう既に行っている都市部の増員を認めない続きのようなことは書いてあります。要するにマクロで見れば、それによって学生が分散するのだろうということで書いてあるのですが、先生がおっしゃっているのは多分もう少し違っていて、単に分散というよりも、地方のここがいいというところにどうやって人が定着して、あるいはそこに行くかということです。ですから地方の人がその地方に行くだけではなくて、ほかの地方からその地方に行くという施策が書いていないだろうということだと思います。
松塚委員、どうぞ。
【松塚委員】 ありがとうございます。今のところと関係しまして、44ページの地方創生のところ、教育の質とか国際的な競争力という観点から考えてみました場合、大都市圏の大学の学士課程定員を削減することが、均衡ある国土の発展を促すのか。特に均衡ある国土の発展が、そのまま国の競争力というものに結びついていくような発展となり得るのかという観点を考えますと、その辺りは少し難しいところではないかと思います。むしろ、連携の強化などによって地方の大学の魅力を高めることが、教育における均衡を高めるということになるのではないかと考えます。
【永田部会長】 ありがとうございます。
そのほか、いかがでしょうか。吉見委員は、何か長過ぎるという御意見があったと思うのですが。本体について、先にどうぞ。
【吉見委員】 ありがとうございます。事前に御説明いただいたときに、私、開口一番で、84ページは長過ぎて誰も読まないのではないかと申し上げました。きっとそうだと思うのですけれども、だからといって、先ほど益戸委員がおっしゃったように、じゃあどこを削れるのかというと結構難しいとは思うのですが、しかし長過ぎるという事実は否めないと思っています。
ついでですので一言申し上げさせていただきますと、何度かいろいろな委員がおっしゃられたように、地方創生というのがところどころに出てきていて、それが核ですよね。つまり、人口が確実に減少する。18歳人口は確実に大幅に減少する。そうすると、大学は縮小、あるいは規模は縮小していかざるを得ない。だけれども、全体的に知の総和は減らさないためには、あるいは更に拡充していくためには、質の向上が必要であり、構造転換が必要であるという、こういう基本的にはロジックだと思うんですけれども、そのときに、それを可能にするのは、一つは先ほど中村委員がおっしゃったように、大学以外のステークホルダーというか、いろいろなエージェントというか、地域の産業であったり、いろいろな要素が高等教育の中に入ってくるというのは一つあると思うんですけれども、もう一つは、地理的な再配分というか、知の構造的な再配分が必要で、そうすると、僕はしょっちゅう言っているんですけれども、1億2,000万人の日本の総人口の中で、3,600万、3,700万が一都三県に集中しているというのは尋常なことではないし、さらに、知とか情報とか、それから資本とかがそれ以上に集中しているということも異様なことですから、これを直す以外に知の総和を更に拡充する方法が私はないと思っているんですけれども、そうしたときに地方創生というのはめちゃくちゃ重要なことであって、このめちゃくちゃ重要なことの軸がこの全体に通っているというのをどのように示すかというか、いろいろ出てきているのですけれども、繰り返し、繰り返し地方創生と出てきているのですけれども、何か出てきて消えて、出てきて消えて、言い方がまだあまり慣れていませんけれども、何か、いや、これは地方創生と、それから先ほどの、ですから定員減というか、規模縮小の中で、でも知の総和を拡大していくという話が実は直につながっているのだということを示すような示し方というのを、もうちょっと強調する方法がないかなと思います。その具体策としてかなりいろいろなことがあるという言い方はできると思うのです。
まだこなれていませんけれども、以上です。
【永田部会長】 前も同じような意見を出されたと思います。ですから一つの大切なキーワードが、知の総和を維持ではなく、向上させるということが、それはいろいろなところに効いているわけです。
もう1個は、アクセスという問題については、実は後になって出てきます。アクセスをキープしなくてはいけないとかです。そのアクセスの観点で書くから、きっと弱いと思うのです。アクセスという観点で、地域では人が減って、これをどうするのかとなってしまうから、もっと初めのほうに、大切なキーワードとして書いた方がいいかもしれません。
なぜかというと、先ほど伊藤委員がおっしゃったように、それぞれどこに生きていても、生き生きと知の果樹を享受できるような人が育っていかなければいけないでしょう。そういうときに、確かに、先ほどは水準で言っていて、ボリュームゾーンの話が出ましたが、今度は地域と都市部を考えても違うわけです。もう既に格差が起こっているわけでしょう。
ですからひょっとすると、アクセスの辺りから地域創生の話が出るからいけないので、同じ文章であるが、全然違うつくりが若干必要なのかもしれません。おっしゃるように、アクセスになってから初めて地域のことを議論していると、多分アクセスの方に注意をそちらにとられます。しかし、地域も十分に、はっきり申し上げてしまえば、例えばそれぞれの地域に経済が起こり、熊本みたいに反映していくという一つの形があるわけだから、そういうのは当たり前です。これから目指すところの一つですとは確かに書いていません。ですから全く後で必要なところで出てきて、読みにくくなっております。そろそろ最後の御意見で、もう時間になったら、ストラクチャーまでは変えられなくなるので、検討する価値はあるかもしれません。
事務局、どうぞ。
【髙見高等教育政策室長】 事務局です。若干私の説明もまずかったところもあると思うのですけれども、前のほうの15ページのところに、実は重視すべき観点という中に、高等教育機関を取り巻く環境・組織との接続の強化の更に中に、地方創生というのが埋もれた形で入っておりまして、そこが若干、全体の構造として非常に見えにくくなっている部分かと思います。少し全体の構成も含めて、改めて事務局でも検討してみたいと思います。ありがとうございます。
【永田部会長】 中身が悪いというよりも、あまり目が行かないのかと思います。違う観点で見てしまうから、弱くなっていて、実は先にそこに危機が来るわけですから、そういう書き方だってあるわけで、最初に危機に直面するのは地方からであると一言書くだけでも、また大分違っていると思います。ですから、書きぶりだと思います。
そのほか、いかがでしょうか。吉岡委員、どうぞ。
【吉岡委員】 今のことに関わるのですけれども、地方と都市の問題というのは現状として非常に大変な一番大きな問題かもしれないと思いますが、ここのところで地方について我々が考えている一つの、有力だとも考える方法というのは、連携を組み立てていくということだと思うのですが、発想の起点に、とにかく潰れそうな大学もあるし、とても地方が大変なので、何とかしてそれを維持するためにどうしようかみたいな、また維持の側面というのがあると思うのです。もちろんそれは基本だとは思うのですが、実際にやらなくちゃいけないことは、いろいろな政策の問題を置いたとしても、大学、つまり極端に言うと、新しい大学を組み立てるぐらいの話を、ここでの議論ではしていたと思うのです。教育課程を共通化するとか、いろいろ人の移動をどうするかということで。
大学をつくる。つまり大学をつくるというのは、昔風に言えば都市をつくることだと思うのです。大学というのは、人が集まり、そこに生活があり、産業が生じるわけですから。そういうものをつくっていくという、そのために既存のものをどう組み立てながらつくっていくかという発想で書かないと、要するに、こうやれば何とか維持できるのだろうという文章のニュアンスが漂ってしまうのではないか。その辺はもう少し大胆に、新しい大学というか、新しい生活圏もつくるのだということを書き込んでもいいのではないかなと思います。私は何度か発言しましたが、例えば国際寮みたいなものを地域の一定のところにつくっていく。現にそういう大学もあるわけですから、そういう先行例も参考にしながら、方向としてはそういう発想をもうちょっと表に出してもいいかなと思いました。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。
堀委員、どうぞ。
【堀委員】 ありがとうございます。2点あるのですけれども、1点目、84ページ目の長さ件ですが、長くなくても、要旨だけを読む方が多分たくさんいらっしゃると思うので、もう少し要旨に書き込んでいただいて、もちろん答申を読んでいただければ一番いいと思うのですけれども、4ページをもうちょっと書き込んでいただければありがたいのかなと思っております。
第2点目としまして、先ほど中村委員から御提案のありました、3ページの地域大学等連携推進機構だと大学に限られてしまうのではないかという御示唆がありましたけれども、これは私も賛成で、もう少し広いアクターが参加できるような形の協議体にしていただけるとありがたいと思います。
例えば私の専門ですと、今、リカレント教育というか、失業者対策になっているのは公共職業訓練ですけれども、こちらについてもいずれは大学とも一緒に集まって地域で人材育成をしていくということは大変重要だと思いますので、御検討いただければと思います。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。先ほど、プラットフォームのところにいろいろな御意見が出ているのですが、もう決めてしまわないといけません。いろいろな省庁横断でもちろん理解をいただきたいのですが、大学にフォーカスできて話ができるかどうかという問題がもう1個出るので、何としたらいいのか難しいです。地域連携プラットフォームというところで、大学の……。何でしょうか、何かいい名前があったらおっしゃってください。中村委員、どうぞ。
【中村委員】 地域連携プラットフォームが既存にあって、それがもうかなり弱いというのが社会的な一般的な考えなので、新しい考え方として、多分、僕は地域創生というのが一番いいと思う。大学が中心になってやっていいのですけれども、当然やらなきゃいけないのですが、地方創生を推進する機構とか、あるいは地方創生のために連携する機構という名前のほうが、一般的には企業の方も自治体の方も、あるいは近隣の方も入ってきて一緒にやろうというあれじゃないかなと思います。
【永田部会長】 それはよく分かって、そのときに、入ってきた人が大学のことは一切話さないということにはならないかだけが心配です。要するに、我々は大学を中心とした話をしているのですが、これが大学という単語をなくしたときに、地域創生推進機構というものをつくったと仮にすると、産業界の人もみんな入ってくるでしょう。それで大学が重要だと本当に認識をいただけるかどうか、そこだけです。それがなければ、別に名前はなんでもいいと思います。地域もやめて、僕は超域にしようかと思ったのです。つまり超域というのは省庁間も越えるという意味です。そういう意味で、庁域のいろいろなステークホルダーが入る超域連携というのはどうかと思って考えていたのです。ただ、それも大学を入れないでどうするのかというのはあるのだが、まさかそこで産官学金連携プラットフォームというのも少し格好悪いです。
名前をきちんと高等教育も話す、そしてそれを中心に地域創生を考える会にしたいわけです。ただし、いろいろなステークホルダーが入ってほしいです。それは、名は体を表すなので、変な名前をつけて何かが欠けてしまうといけなくて、名前が決まったら、名前だけで何をやる会かが分かります。説明なしにすぐに分からないと多分駄目なので、皆さん、頭を1回空にして考えていただいて、最後に御意見いただきます。
【髙見高等教育政策室長】 若干、事務局から。
中村先生がおっしゃるとおりだと思いますが、大きく地域大学構想推進プラットフォームという、まず産官学の集まりの枠組みと、それからもう一つは、大学等連携推進法人制度を発展させた、今、地域大学等連携推進機構という枠組みがありますが、後者については、恐らくこれからの議論ですけれども、前回の会議で御議論いただいたような、今の教養科目の連携のような既存の仕組みに加えて、例えば大学入試や定員の流動も含めて様々な御意見をいただいたと思いますが、そういった大学間のつながり、もしくは高等教育機関間の連携について、今後、制度改正も含めた取組というのも出てくるという可能性もありますので、そういったことも踏まえた上で、こういった名称を策定していくことが必要と思っております。
【永田部会長】 難しいです。名は体を表します。
そのほか、いかがでしょうか。中村委員、どうぞ。
【中村委員】 どちらかというと、今、髙見室長がおっしゃったような、3ページに書いてある最初のほうが地域大学等構想推進プラットフォームだから、大学が連携しながらやっていくという意味じゃないのですか。僕は、後ろのほうの地域大学等連携推進機構というのは、まさに省庁の枠を越えて産官学金でやっていくという。
【髙見高等教育政策室長】 イメージとしては多分、42ページ、43ページの本文を御覧いただいたほうがいいと思いますけれども、まず、42ページの29行目辺りから、ちょうど34行目辺り、地域の高等教育機関や地方公共団体、産業界等の各地域の関係者で議論する場として、地域大学構想推進プラットフォームと。まず、これは地域連携プラットフォームの発展版です。そして、43ページの12行目からのところ、大学等連携推進法人制度を発展させた地域大学等連携推進機構という、これは今の大学等連携推進法人が発展したようなイメージで、事務方案としては、まず、作成をしております。
【中村委員】 というと、例えばコーディネーターの配置というのが下にありますよね。コーディネーターって、実際には産官学金がまとまるときに必要だと私は思うのです。もちろん大学間等も必要ですけれども、その前に、地方の創生のために産官学金の枠を越えた機構をつくるときに、コーディネーターが本当に必要になってくる。
【髙見高等教育政策室長】 そうですね。そういう意味では、すみません、これは書き方が非常に悪かったのかもしれません。43から44ページにかけて箱書きの中にあるのですけれども、議論を行う協議体、地域大学等構想推進プラットフォームの中で、しっかりコーディネーターも踏まえて議論いただいたことというのは、44ページの2つ目のポツにございますが、その協議体での議論を踏まえてということで、地域大学等連携推進機構を活用・促進するということで、協議会の議論でコーディネーターとかを入れて議論いただいたものを、最終的には機構で更に連携を強化していただく、そのようなイメージで構成しています。ただ、若干、すみません、それが構造が分かりにくかった気もしますので。
【中村委員】 僕の意見ですけれども、基本、僕は、最初にコーディネーターがいて、地域の課題を知って、地域のニーズを知って、それを大学が連携しながらシーズをつくっていくというイメージです。
【髙見高等教育政策室長】 そのような構造で捉えております。失礼しました。
【永田部会長】 多分、ほぼ同じ構造を持っているわけで、要するに、具体的な法人をつくる仕組みが大学等連携法人制度です。その法律で法人が置けます。これはもう制度化されているわけで、制度化されたものを、どう今後評価するかです。その上に、産官学金全部でこの地域を何とかしなくてはいけないと。その中で、経済界の役目はこうですし、大学はこうですということを、その団体で理解して計画を立てたりするというのは、みんな同じことを思っているわけです。ですから、名前は重要なわけです。
【髙見高等教育政策室長】 そうすると、多分、中村先生の趣旨を踏まえると、もしかしたら前のほうの地域大学等推進プラットフォームという、この地域大学等のここに大学が入っていること自体が、若干。
【永田部会長】 格好悪いということです。
【髙見高等教育政策室長】 なのかもしれません。
【永田部会長】 後で1回、頭は後ろのほうまで読んでから、また意見を伺うことにします。
吉見委員、どうぞ。
【吉見委員】 ありがとうございます。今の話にも最終的にはつながってくるのですけれども、先ほどの地方創生が何で中心軸に見えてこないのかということを考えてみたのですけれども、私の私見では、15ページから16ページにかけての書き方が弱いのではないかという気がします。もうちょっとはっきり前に打ち出す書き方があるような気がいたします。
具体的にどういうことかというと、ここは大変重要なことが書いてあって、特に第2段落の後半部で、「高等教育機関が地域の発展に貢献する上では、教育研究を通じた社会的な実践が重要であり、地域に対してニーズを踏まえた優秀な人材を輩出するとともに、学習機会の提供、技術革新のための研究開発、開発した技術の実証実験、社会実装の先導モデルの提示、地域課題の解決や産官との共創による新産業や雇用の創出等を行っていくことが必要である」。これはそのとおりだと思いますけれども、さらに、ここが大切だと思うのですけれども、「我が国の地域産業の中には、地域から直接グローバルに活躍することで世界が直面する課題解決に貢献できる事例もあり」。いろいろあると思います。「このような恩恵を地域にもたらす人材を育成することも重要である」と書いてあるのですけれども、じゃあ、この地域にもたらすような人材はどこで育成されるのかということが書いていないのです。
私は、地域にそのような恩恵をもたらす人材は、東京で養成されるのではないと思います。東京の大学で養成された人材が地域に入っていって、東京で養成される人もちょっとはいると思うのですけれども、ここでの書き方としてはそうじゃなくて、本来的には、まさにこのような人材を養成する教育の場が地域そのものであるというか、つまり地域の中に入って、そこで地域の大学と地域の産業や諸機関、NGO、NPOと協働することによってこそ、地域から直接、東京を経由せずにグローバルに出ていくような人材が育ち得るのであるという、そのような書き方を、もうちょっとはっきりここで具体的に打ち出すべきではないかと。
ここの書きぶりだと、そのすぐ後の段落は、「一方、地域においても」と話がここでずれちゃうというか、ここで展開しちゃうのです。この話はここで終わりになっちゃっているのですよ。だから、そうじゃないんじゃないかと。この話をもうちょっと深掘りして、もちろん東京の大学もあるけれども、むしろ地域の有力な大学でこそ、その地域の産業界や地域そのもの、コミュニティーと連携して、そこからグローバルにつながっていくような人材育成が可能であり、可能な時代になっているのだということを強調して書くことはありじゃないかと思いました。そうすると、先ほどのプラットフォームの話にしても、どういうプラットフォームが具体的に意味を持つのかということのイメージが、もうちょっと布石的に、前ぶり的に、ここで示していくことができるのではないかという気がいたしました。
以上です。
【永田部会長】 大森委員、どうぞ。
【大森副部会長】 今、吉見先生がおっしゃったこと、私も15ページと思って今開いていたんですけれども、全く同じようなことですけれども、もうちょっと書きぶりの話でいくと、ウ、地方創生への貢献という表現になっていることが少し弱いのかなと思っていて、地方創生と大学が別物であって、大学が手伝ってあげるよという感覚にタイトルでは見えちゃうんだけれども、我々、地域にいたら、我々そのものが地方創生をやっていて、そこは全然切り離されていないというか、大学そのものが地方創生の中心、何というか、そこがシームレスなのですよね。
だから、そこが別じゃないという、大学そのものが地方創生のど真ん中にあるし、でも大学だけが中心でもなくてという、何かそういうことですけれども、うちで言えば地学一体と言っているのだけれども、別ものじゃなくてという、大学そのものが地方創生なのだということが必要で、だからプラットフォームの名前も地方創生なのですよね。というところかなと感じたところです。
抽象度が高いですけれども、貢献というのが、そんなに私たちは偉そうじゃないというか、一緒にやって、もうそのものなのだという感じがあるので、書きぶりを考えられるかもなと思いました。
【永田部会長】 貢献は多分、遠慮というか、他省庁との絡みもあって貢献と書いてあるが、牽引と書きたいです。どうせなら、地方創生を牽引する中核にあるのだという意識を露骨に言ったほうがいいと思います。熊本はまさにそうで、熊本大学がなかったら多分、TSMCは来ていません。
伊藤委員、どうぞ。
【伊藤委員】 今の議論の続きですけれども、前回私が欠席したときに紙で文書で出している中に入っていて、これも議論されていないので、今回この答申に加えることはないのですが、今まで例えばカリフォルニア大学の例が出てきました。University of California、Cal Stateと、カリフォルニア州が何階層かにできていて、研究・教育と上手にやっているということがあったのですが、でも、最高峰のUniversity of Californiaでも、たしか82%はカリフォルニア州民をとらなきゃいけないと。場合によっては86%だったかな。どっちかなのですね。ですから、そこの州民にならないと入れないということが決まっていて。
ですから、ある意味、例えば山梨の周辺のブロックを決めて、そこの地域の人から、何%か分からないですけれども、何%がとれますというようなことになると、そこに移住する人も増えていくことも期待できますし、あらゆる意味で、そういう具体的な政策が議論されるというのは一つなのかなというのは私は感じているところです。ただ、これに関しては今回も議論はされていないので、次のステップで実際にはどういうことをやるのかなということになるのかと思います。
【永田部会長】 濱田委員、どうぞ。
【濱田委員】 地域のアクセスを考えた場合に、地域に住んでいる人間としては、交通を基に考える地域というのが一番すっきりするのです。多分、ここでいう地域連携プラットフォームがそうですけれども、財界って県ごととかそういうので団体ができているので、そこを一緒に連携していくと、県単位であったり、そういうのが地域になってくるのですけれども、大学の場合に、アクセスを考えると、そういうのとは違う地域もあっていいのかなという感じはしているのです。
そういうのをつくっていく場合に、どのような連携の仕方がいいのかという、なかなかそうすると財界とかを入れにくかったりもしますので、そういう部分も考えなきゃいけないのと、あと、大学って分野がありますので、それぞれの分野の連携の仕方というのがあると思うので、それが県とかという単位だけではない連携があるのではないかなというので、アクセスと地域というところで、私自身もまとまらないのですけれども、それを考えると非常に混乱したような形になっているのが今のところの考え方です。
【永田部会長】 率直な御意見で、そのとおりだと思うのです。経験的に言えば、大学が地域です。大学が中核になると、交通のアクセスなども含めて、集まるものはたくさん集まります。先ほどから申し上げているように、経済界がどうのこうのとかというよりも、大学がやりますと言った瞬間に、とても大きな固まりができます。
ですから、「牽引する」でいいと思っていて、全部のステークホルダーと相談はしますが、立ったときに、すぐに集まってくれるのです。大学はそういうものだろうと思っています。なぜかというと、そこでリクルートのための若い子が育っていくし、文系もあれば理系もあれば、いろいろなものを相談しようと思えばいつでもできるし、プラットフォームの上でほかの会社の人と相談できる環境をつくってくれてありがとうとなっていて、ほかではなかなかできないと思うのです。ですから、大学が中核だろうと本当にそう思っています。
それで、ずっと話をしています。大学院が重要だという、これはまだ前半部分だから、前半部分に乗っかって申し上げているのですが、誰が重要だと思っているのでしょうか。多分、理系で学んだことのある人は、大学院に行くのと行かないのでは月とスッポンだということを知っていると思うのです。なぜなら、24時間実験室にいることができるようなファシリティーのある場所はほかにはありません。工学系も理学系も薬学系も医学系も、学生さんが夜中の2時3時まで当然実験しているし、研究しているわけです。その人たちがいなかったら大学院が成立しないというのは分かっています。実は先ほどXを見ていて思ったのですが、大学院を充実させるのは間違っている方向ではないかという意見が結構出ています。知をたくさん生み出すとは世の中では思われていないのです。それが我々のまずいけないところなので、理解してもらうようにしないといけないのです。
文系だとよく横柄なことをおっしゃる方がいて、大学時代に俺は何も先生に教えてもらわなくてもやってきたと言う方がいらっしゃいます。こういう言説は我が国の高等教育、学術をとても低レベルに引っ張っていると思います。それが、製薬会社のPhDやMBAを持っている人が社長の会社と、学卒の人が社長の会社という差になっているのです。結局、今の製薬業界の世界的な推移に合致しているのです。つまり大手で勝っているところは社長さんがPhD、MBAを持っているのが当たり前で、日本はようやく最近持ち始めましたという状態です。それでは絶対に勝てません。多分、ほかの業界もそうです。半導体だって何だってそうですが、あまりに捉え方が曲がっていませんか。ですから、ここで知の向上でまとまりましたが、知の向上をしないものだという理解をされていたらかなわないと思います。どうしたらいいのかと思っています。ここで幾ら書いても、訴求できないのであればしようがありません。
ここの人たちは、博士課程や修士課程に行く意義を間違いなく認めているわけです。我々が認めているから社会が認めるかといったら甘いものではなく、社会には大学院は必要ないと言う人がたくさんいたりするのです。こういう問題があります。先ほどの我が国の将来を考えたときに、経済も大切で何とかしなくてはいけない、人材も育てなければいけませんが、教育に関する基本的なベースが違い過ぎないかと思います。欧米でこのような議論は絶対しないですから。大学院は当然高レベルの知を生むと誰しもがそう思っているわけです。この状態を脱却しないと知の総和は増えません。仮に修士に行けとか博士に行けと言ったとしても駄目です。産官学の方がいらっしゃって、国の連携プラットフォームみたいなところですが、そこでこの程度だとしたら駄目という気がだんだんしてきました。ですから、書いている内容を自己批判すると、社会に本当に分かってもらえるだろうか、全部我々の言葉で語っていないかということは心配になりました。
もう一つ思ったのは、我々が悪いのでしょうが、今の4年制、短大も含めて、きっとレベルが下がってしまったのだと思います。ですから、大学院まで行かなければいけなくなってしまったのではないかと思います。レベルが下がったというのは、水準が全体がという意味ではなくて、全部の、方向性と言ってはいけないのですが、大学に入ってくる人たちの意識が下がっているのではないかと思います。大学という学士課程4年で立派な人を育てますというので本当はいいはずです。大学院を充実させなければいけないというのは、実はもっとその上の高いレベルを学生たちに習ってほしいが、それは自分たちには必要ないと思っていたら増えようがないのです。
どうしてこういう学術の話をするときにそうなるのかというと、先生の給料が安いからそういった問題もあるのではないかと思ったりするのです。我々は、自分たちの給料の話をこの中で話したことがありません。後で財政のところで話しますが、先生のお給料は、安過ぎませんか。大森さんが授業料を下げるとおっしゃったときに、教育をディスカウントしではいけませんと半年ぐらい前に申し上げたことを覚えているのですが、安くしてはいけないと思います。
話が飛びました。後のパーツですが、気になって申し上げました。我々が一生懸命地域連携プラットフォームの話をして、そこに大学の名前を入れるか入れないかとかを言っているが、地域の人がすぐに分からないといけません。そこはそういう話合いをする場所とサービスをしないといけないのです。できていないような気がしてきています。これを読み直してみると、大学関係者や文部科学省の関係者は分かるが、ちまたの人は、何でここにこれが出てくるのだということはないかということが心配になりました。
この辺りで前半部分の話は終わりにして、切り替えたいと思います。後半部分は、一番分かりやすいのは、機関別、設置者別の機能とか役割、それから連携の在り方、具体的に大学等連携法人の話がありましたが、それもどう強化すればいいかは、実はあまりまだ詳細まではいっていないので、そういう話とか、支えるための財源、あるいは支えるための財務基盤、これについて話さないといけないだろうと思います。
例えば、書きづらいし、難しいことかもしれませんが、全体を通して、財政面のところですが、寄附を促進しましょう、社会からの資源を取り入れましょうと書いてあるが、税制改正とか規制緩和については書いていないのです。そこが変わらないと大きな寄附は生まれなくて、今のジャパニーズスタイルの寄附文化が今後も続いていくという書きぶりになります。それを少しでも増やそうとすると、書きにくいかもしれません、我々の専門ではなくて財務省の専門ですから、そうなったらいいという要望は書けると思いますが、意見が出ないといけないと思って、例えば今のようなことを出していただいて、ここまでなら我々としてここに書き込んでいくべきだと思います。せめて税制について再考していただきたいぐらいは書いてあってもいいと思うのですが。
今のようなことも含めて、これまでまだ議論してないようなことで、財務基盤の強化と、機能別には大体定義できているのだと思いますが、設置者別機関の連携について、具体的におっしゃっていただきたいです。一般性を持たせた形で書くのが役目なので、これが読み取れるように書いてくださいということになると思います。いかがでしょうか。先ほどの話を引きずっていても結構です。
吉岡委員、どうぞ。
【吉岡委員】 吉岡です。今の永田座長のお話を受けてですけれども、確かに昔に比べて、大学というもの、あるいは学問というものに対するリスペクトみたいなものが、もしかすると下がっているかもしれない。それはいろいろな要因があると思うのですけれども、そもそも大学という組織はちゃんとしたものだということをもう少しきちんと明らかにしなくちゃいけないという意味では、前のところにかかっちゃうのですけれども、設置審査と認証評価のことは結構ここでも議論したし、ここに載っているので、その辺の質を高めるということは強調したほうがいいかなと思います。
一方で、設置審査や認証評価は手間のかかる事柄で、既存の大学にとっても新しい学部を作る場合でも、先ほど小林委員のペーパーにもありましたけれども、非常に手間がかかることなのです。要するに、簡素化する必要はないのですけれども、一方で、単に経営の審査だけではなくて、質の審査というのをもう少し評価できるような仕組みというのを考えるということ、それと一方で、きちんとした質を持っている大学等については審査の簡略化をするみたいな、そういうことをやって、新しくできた大学は質が高いものだということがちゃんと分かるようにするということ。それから、既存の大学の認証評価についても、負担感が多いと今でも言われているので、少し整理をして、しかしその中でグッドプラクティスが確認できるような指標というものを立てて、それについては何らかの形で、例えば文部科学省が中心になって公表するとかという形でインセンティブを上げていって、大学にとっても、あるいは大学に対する世間の目ももう少し良くしていくということを、これは既存の制度の改革でできると思うので、もう少し考えたらいいかなと思いました。
以上です。
【永田部会長】 両角委員、どうぞ。
【両角委員】 ありがとうございます。後半のパートで、大きい論点、小さい論点を含めて、4つあります。
1つ目は、今の議論に多分続いていると思うのですけれども、質を上げていく、さらに言えば高学歴化していくというか、そういうことが大事だと考えているのですが、4の中にも書かれているように、高等教育の価値とか高等教育への信頼といったところが現状では十分ではないという問題があり、そこを変えていかなきゃいけないという問題が一つあるかなと思っています。
この中に書かれていることですと、例えば設置認可とか認証評価みたいなことをしっかりやっていったり、どこがいい大学かと段階別に示すみたいなことが書かれていたりします。私は負担を減らしながらそういうことをすることを考えたほうがいいかなと思うのですけれども、ただ、プラットフォームというか、情報公開を進めてちゃんとやっているぞと示すだけでは、それほど一気に社会からの信頼が回復されるというか、得られるかというと、そういうものではない気がしています。何度も主張していますが、急がば回れで、高等教育機関とのいろいろな意味で多くの方が接点を持っていくということが大事で、大学と関わると、新たな視点が得られるとか、いろいろなつながりもできて、この地域が良くなるぞとか、自分のところの企業も発展していくぞとか、何かそういう接点を増やして、評価を変えていく営みが大事なのかなと思っています。
それは先ほどから出ている地域連携プラットフォームの話でもあるのですけれども、同時に多くの方が、社会人とかも含めて大学院などに来てもらって、実際に1年でも学んで、そのよさを体感してもらうということが大事だと思うのです。ただ、大学院の問題について言えば、大学が頑張っていないからダメだというより、どちらかというと、出口で評価されないとか、あるいは、学費は4年間だけでも高いのに、更にあと1年2年かかるのですか、という費用の問題など、そういう面が大きく影響している気がしています。なので、支援の話で、大学院生の経済支援の話がほとんど出ていないのですけれども、社会人の学び直しとか、そういうところにももう少し、企業が出してあげるというだけじゃなくて、学びへの公的な様々な支援というところの話もあるといいかなというのが、信頼を回復していくというか、得ていくという点でも大事かなと思いました。
2つ目は、私は、ずっと言い続けているのですけれども、58ページのところに書いてある公財政支援のことです。公財政支援はもちろん増えていったほうがいいのですが、引き続き基盤的経費の助成を十分に確保してと書いてありますが、現状では十分ではないので、引き続き、と継続モードで書くのではなく、基盤的経費への支援が十分ではないから、そこをしっかり充実させていくことが必要だということもきちんと書いたほうがいいと思います。またこれも何度も言っていますが、ここ最近は、政治的な動きもあって、修学支援新制度が始まり、高等教育全体に対する支援というのは格段に増えたと思います。ただ、修学支援新制度によって、個人に対して授業料免除とか給付型奨学金があるというのはもちろんいいことですけれども、そこに入ったところで大学教育の質が良くなるかというと、大学が授業料をそれに合わせて値上げするとかしない限りは、そのためのお金が入ってこないわけです。
つまり、高等教育全般という視点で見てみると、莫大な公的支援が入ってきているのですが、要するに機関補助と個人補助のバランスがきわめて悪い。個人補助のほうは消費税を財源にしているからどうこうだという制度背景の事情はもちろんよく知っていた上で発言しているのですけれども、政治的に導入できたものは政治的に解決できるというか、皆が必要だと理解すれば変えられることだと考えます。高等教育に対する支援の機関補助と個人補助を、本当に高等教育の機会アクセス、質の維持、質の向上、いろいろなことを達成していく上で、今の配分の在り方が私はうまくいっていないと思って、そこをしっかり見直していく必要があるということは明確に書き込む必要があるのではないかなというのが2点目です。
3つ目は、規模というか、国立のところの書きぶりです。現在の仕組みの中だと、学部がまずあって、その上で修士・博士という感じになっているので、何らかのインセンティブをつけないと、学部の規模を減らして大学院の規模を増やすという大学が出てこないのはその通りで、そういう選択ができるように、あるいはそういう選択をする大学を応援することはいいのですが、全ての国立大学がそれをめざす必要はないと私は思っています。それぞれの大学が判断すればいいことですし、また、国立大学というのは、これまで歴史的にかなりな支援を受けてきた、いろいろな知的、人的蓄積があるのです。そういったところを、あえて、18歳人口が減っていくからといって、小さくしていく、弱くしていくという選択だけが全てではないと思っています。
少子化が進む韓国は早くから国立大学を統廃合して規模も小さくしていますけれども、例えば同じように少子化が進んでいる台湾では、国立大学の学部の定員は全然減っていないです。むしろ半導体とか必要な分野には国立大学が先導するので、そういった部分を加味すれば、国立の学部の定員って実は増えてきているのです。なので、国立の学部定員を減らすことを前提のように考えているのであれば、おかしいと思いますし、そのように勘違いされる書きぶりをしているのであれば、それは修正した方がよいと思います。大学院をより重点化していく国立大学が出てきて、そういったことを応援するということはあってもいいと思うのですけれども、国立大学全部の学部の定員を減らすかのように読まれるのだとしたら、書き方について気をつけたほうがいいというのが3つ目です。
あと4つ目は、公立大学、54ページについてです。私立大学の公立化とかを安易にするなと書いてあるのですけれども、当事者たちは安易にしているつもりは全然なくて、真面目に検討してやっているのだと思います。なぜこれほど多くの私立大学の公立化が行われるかというと、今の公立大学に対する地方交付税の措置の在り方の中で、そのように行動するのが効果的だから検討され、選択されているわけです。私たちのこの議論は、2040年までのことを議論しているので、総務省の枠組みになるかもしれませんけれども、高等教育を研究している者としては、総務省だろうが財務省だろうが、どこの管轄下の話であってもそのことは本質的な話ではない感覚がありまして、たとえば、現在の公立大学に対する支援の在り方がこの形でいいのかということ自体を検討していくことだって、私はあっていいのかなと思っています。
むしろ、公立大学として作った結果、国があまり関与できなくなっていくような面もあると思っていて、もう少し自治体と国が協力していくようなやり方もあってもいいのではないかと思います。現状の公立大学を批判しているわけではないのですけれども、安易な公立化を避ける必要があるとか、曖昧なことを書くのではなくて、本当にどういうやり方が望ましいのかをしっかりと検討することが本質的に必要なのかなということを思ったので、公立大学についても言及させていただきました。
長くなりました。以上でございます。
【永田部会長】 ありがとうございます。両角委員がおっしゃったことは大体そうだろうと伺っていました。最後のところの公立化は、行うところは行えばいいのですが、建学の理念はなくなってしまいます。それならば、なぜ建学の理念を主張されてきたのかと思ってしまいます。公立になったら絶対変わります。選挙で選ばれる首長が基本的にニーズに従って決めるので、それでいいのか。私学がその道をとるのは、とってはいけない道の一つだと思ったりします。
伊藤委員、どうぞ。
【伊藤委員】 それに関係して。結局、建学の理念で私学は頑張る。それはそうですけれども、その一方で、4年生大学にしたら8割が私学が担っている。その中において、そういう道を日本が選んできたというのが一つであって、そして先ほど申し上げましたように、ボリュームゾーンを私学が担っているということになると、建学の理念に任せておくというだけでも駄目な時代になってきているわけですよね。
私は公立化を支持してそのように言っているんじゃなくて、広い意味で建学の理念だけでそれぞれが頑張ってくださいでは駄目になってきていて、特にボリュームゾーンの人たちがハッピーに、かつ、生涯学び続ける力をつけるために、その工夫は全く違うレベルで、私学といえども相当なレベルでの競争または何らかの圧力を受けながら、グローバルとの比較が全てですけれども、先ほど永田部会長がおっしゃった、どうして日本ではということをおっしゃっていましたけれども、一歩世界の状況と比べたら、学べている量があまりにもある意味減ってきていて、学ぶ量というのは、そのとき学ぶ量だけじゃなくて、学び続ける力だと思うのですよね。何か新しいことがどんどんどんどん会社に入ってきたとき。それを会社で学ぶのがいいかといったら、そうじゃなくて、もっと本当に根本的に学び続ける力というのをつけるのは、まずは学部教育だと思っています。私学は建学の理念というのだけで言ってしまうと、8割もいるので、日本全体としてはなかなか難しいというのが私の一応、意見です。公立化とは全く関係ない議論です。
【永田部会長】 分かります。
もう一つ、両角委員がおっしゃった中で重要なのが、機関補助・個人補助とありましたが、要は違う内容なわけです。経済支援をして学生たちがアクセスしやすいようにするということと、各高等教育機関がより良い教育や研究をするというのは、別であるが一緒くたに読まれてしまわないか。私も今、読み直してみましたが、書いてはあるのです。基盤的な経費の助成、交付金や私学助成というのはそういうものだと。その先です。それをどう増やすかについては、増やしましょうとは書いてあるが、意味が書いていません。今の指標による研究の低落とか、国民全体の中に高等教育そのものがうまく浸透していないとか、要はそこに投資がないからだと思いますが、そういうことをもう少し書かないといけません。このままだと運営費交付金も私学助成も増えないまま、ただ授業料を学生さんが払わなくていいという状況になっていってしまいます。それはウエルカムですが、研究機関、教育機関は一円も増えないので、そこのところは分けて書かないといけないと思いました。
益戸委員、どうぞ。
【益戸委員】 高等教育の価値感は、伊藤委員がおっしゃっているように、ボリュームゾーンの世論が非常に強い影響を与えるのだと思います。議論を重ねていく中では、ついつい教育レベルの高度化の議論になりがちですが、聞いたところによれば、多くの大学で英語教育以前に、ポケトークを使って留学生と意思疎通を行っているところもあると聞きました。卒業するまでに流暢な英語を話せなくても構わない。ベトナム語が分からなくてもポケトークさえあれば大丈夫だという仕事をする卒業生を輩出教育もありますし、高度な文章を書く力話す力、議論する力を必須とする仕事が待っているのでそれを満たす教育を受けたい、とのニーズもあります。学修者から求められている教育レベルを満たす事が出来るかどうかによって大学の価値が決まるのでしょう。ですから情報公表することによって何のための大学かということをはっきり示すことが、まず第一歩です。
日本の大学は寄附が少ないのは、卒業後に自分の成長にとても役に立ったとか、おかげさまでこうなれたというところになかなか結びつかないので、寄附が集まり難いのかもしれません。又、寄付にかかわる税制はとても大切で、企業も個人も、何かのメリットがないとなかなか積極的に寄付行為は行えないのではないでしょうか。遺贈なども含め、現在の寄附税制の見直しは必要であると考えます。
もう一つ、教職員の処遇の話です。民間企業では海外企業並みに支給額に差が付きだしました。終身雇用の年功序列型の給与体系が崩れてきた結果として、若い方でも3,000万、4,000万もらう方もいれば、年齢がいっていても600万しかもらっていないという人がたくさん出て来ています。大学の先生方、教員、職員の皆さまの処遇がこれで本当にいいのでしょうか。この仕事に就きたいと思う一つのインセンティブに、私は給料レベルというものもあると思います。
実際、若い人たちの将来不安は、経済的な事も相当な割合をしめています。ここにいらっしゃる委員の皆さまは、あまりそういうことは気にせずやってきたかもしれませんが、
次の世代には重要な問題ではないかと思います。
国立、公立、私立でも差があります、民間企業との差も考える必要がありますし、その上で海外から優秀な人材を集めて持ってこないと将来の向上はないと思います。
【永田部会長】 ありがとうございます。そうならないと絶対向上しないです。いつも概算要求要望のときに出しているスライドがあって、そこには日本の各大学の給与とあちらの大手の大学の平均給与を書いて出しますが、平均値で2倍も3倍も違いますが、議員さんも財務省もそこは見ないのです。見ないというか、目に入らないようになっているのではないかと思いますが、十分高いでしょうという回答になって戻ってくるのでがっかりしてしまいます。
そういう時代なので価値のある教育をきちんと施す大学のみが残るとしないと、多分ここは難しいです。ですからそこは、前半部分の認証評価を更に厳しくするとかになるのでしょうが、個々の大学のことを言うより、マスで考えるとそうなるのだと思います。いくら何でも、何年前の算定基準でいまだに国が国公立を支援しているのか、一体何年前の給与なり人件費なりでそれを考えているのかというのは、変えざるを得ないだろうと思います。それについて、伊藤委員は初めからおっしゃっていました。上げる、上げないではなくて、上げる、上げないに至る道筋として考えなければいけないのだと。つまり誰が払うのだということを、ここは何も言っていないわけです。
高等教育にアクセスするためにはいろいろな奨学金や何かがあって、確かに国はとても工夫して頑張ってはいます。SPRINGなどで博士の学生に給与も出している状況になってきているわけですが、大学については何もないわけです。これを誰が払うべきか本気で考えないといけません。全部学生が払うという前提から全部国が払うという前提まであるわけですが、その真ん中ぐらいに日本はあって、国公私でそれぞれまたそれが違っているわけです。その水準がもう上がらない水準の中にいて、これを上げていくにはどうするかという、そこは書かないといけないのではないかと。根本議論として、未来への投資であるという中で、学生に対しては投資が、かなり近年になって進んできました。今度は教育機関に対しての投資はどうなるのかという話はしないといけないのではないかと思うのです。
吉見委員、どうぞ。
【吉見委員】 ありがとうございます。せっかくですので、永田部会長と目が合ったので、御指名を受けたので、幾つか発言をさせていただきます。3点。
第1点は、先ほど部会長がその前の議論のところで、どうも若者たちといいますか、18歳、高校生ぐらいかもしれませんけれども、レベルが下がってきているような気がするという。私もそう思います。これは多分、世界的にそうだと思います。最大の要因は、いろいろ異論はあるかもしれませんけれども、私はスマホだと思います。もうほとんど、つまり自分で考えなくても情報は大量に入ってくるし、アクセスも簡単にできるし、知識も得られるし、いちいち考える必要もないし、覚える必要もないし、そうすると、だんだんだんだん現代社会は、そんなに賢くなる必要は世の中的にはなくなっているのです。そうすると、恐らく全世界的に若者たちは、そういう意味では知的な水準はむしろ下降ぎみになっていると。日本だけではないと。そうすると、高等教育の信頼を回復するというのは、再びそのようなネット社会状況の中で高度な知識を得るということはどういうことなのかということ、それが大学の信頼につながるわけですから、高度な知識とは何かということについての提示というか、その価値というものを示していく以外にないと私自身は思います。
2番目に、今お話が出た給与の話に頷いていたのですけれども、だから我々の給与というのはどうしようもないのですけれども、だけれども、先ほどまさに益戸委員がおっしゃったように、こうやって未来への投資ということは次世代の投資で、だけれども、給与が上がらなければ次世代の投資が成立しないということですよね。ということは、未来への投資がなされず、次世代の高度な知的、すなわち大学を担っていくような人材は育たないということになりますので、そこはもう一番最後のほうで、今後に向けてのところでしょうか、その前でしょうか、後半のほうで真正面からこれを非常に強調して、これは現在の、つまり大学教員の給与が全体として低いということの問題ではなくて、この状態だったらば、もう優秀な人材は大学教員にどんどんならなくなっていく。ならなくなってくるということは、研究力も教育力も長期的に衰退していく。ということは日本の未来はなくなるという、そういうことだということを積極的に書くべきだと思います。
最後に税制の話ですけれども、税制の問題はとても今お話ししていたように大きくて、いろいろあって、例えばですけれども、法人版ふるさと納税というのがあって、御承知の方が多いと思いますけれども、これって、地方の自治体とか地方のいろいろな大学とかでそれが容易に受けられるような仕組みになれば、いろいろなやりようは、文化芸術団体なんかもそうですけれども、あるのですけれども、何か少し調べたのですけれども、めちゃくちゃ難しいというか、めちゃくちゃ大変です。実質的に大変です。だからこのような、個人の場合、ふるさと納税は簡単ですけれども、法人の場合は結構大変で、だからこういういろいろ具体的な寄付税制、特に東京の富を地方にもう1回還元するという、東京の富を減らして地方の富を増やすことによって国土の中で全体的にコンペティティブな状況が出てくることによって知の総和が増すというような仕組みは税制を通じてもあり得て、一例で企業版ふるさと納税の例を出しましたけれども、ほかにもあるのかもしれないのですけれども、ここも具体的に書き得るのではないかと思いました。
以上です。突然なので、あまりまとまっていませんが。
【永田部会長】 ありがとうございます。そのほかいかがでしょうか。
大森委員、どうぞ。
【大森副部会長】 ありがとうございます。個人補助と機関補助という話で、個人補助は本当に充実してきたなと思って、それで通えている子がうちも15%ぐらいいるわけで、本当にこれはいい制度で、どんどん拡充してほしいとは思っています。議論の繰り返しですけれども、とはいえ、それはそうじゃなくてもというか、機関に対してということにはなっていないと両角先生がおっしゃったとおりです。
個人補償が充実してきているけれども、機関補助があまり変わらない、むしろ下がってきているというのは、吉見先生が最初におっしゃった書きぶりの話とつながると思っているのですけれども、大学って個人のもの、その子が、私が学んで私が育つ特別なものという位置づけに、まだ国民全体がなっているのではないかと思っているのです。ぜいたく品の域になっているかなと。でも、大学の社会的価値みたいなものを全体を通して書きぶりとしてつなげていく必要があるよねといったときに、そこの理解というのが、ボリュームゾーンも含め、それからハイヤーな人材育成も含め、理解されていないと部会長がおっしゃることと、この補助が、個人のほうは充実してきているけれどもという、何かそこが関係しているなと感じて、その価値というのをしっかり言わなきゃいけないと改めて感じたところです。
あと、細かいところで、両角先生がさっきおっしゃったことと逆のことを言うことになるのですけれども、地方交付税による公立大学の支援というか、あれはもう、私、前から言っていたんですけれども、地方創生という文脈からいうと、国立大も私立大もかなりそこにコミットしていると考えると、何で公立大だけ総務省から来ているのかなというか、同じことをやっているよねという感じはあって、その地域にいる、あるいはその県の中にいる国立大の学生も私立大の学生もその県の学生たちと思ったら、そこは算定のカウントに入れてくれないのかなみたいなことは思っていて、そういう地方創生の絡みからその地域の大学というのを、文部科学省だけじゃないところからもあるべきじゃないかとは思っています。在り方がいいのかどうかという議論は専門的には分からないのですけれども、今の現状だとすれば、なぜ公立大だけなのだという感覚があるということで訴えてもいいのではないかと。そういうことを言ってもいいのではないかと思っているというのが一つです。
それから、国立大学の定員を減らすのがどうなのかというお話と関連して、これは私大人としてのポジショントークですけれども、55ページに、機関別のところで、私学のところだけは「縮小、撤退に向けた取組を進めていく」と書かれているのですけれども、縮小、撤退のお話というのは、ここまでは全体について話してきたのに、ここに来て初めて私学だけに書かれているという感覚があるのですが、それはどうしたものでしょうかということです。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。そのように読み取れるでしょうか。
【髙見高等教育政策室長】 多少の、「定員を維持できるものではない」とか、そういう書きぶりはあるのですが。
【永田部会長】 後で検討します。そのほかいかがでしょうか。
濱田委員、どうぞ。
【濱田委員】 必要コストの算出の必要性のところですけれども、最初のほうの文章の書きぶりだと、今の維持をするのが難しいという書きぶりになっているのですけれども、今、大学って、ここの中にも出てきましたけれども、URAとか結構いろいろな人材が必要で、昔の人と言ったら怒られるかも分からないですけれども、大学に今あまり関わっていない人から見ると、教員と事務職員だけで成り立っていると今も思っている人が多いので、そうじゃなくて、違う人材も要るんだということを、もうちょっとこれから発展していくために必要だというのを書いておいたほうが、呼び込むためにもいいのかなとは感じました。以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。実際そうです。教員、職員のほかに、いろいろな職種の方がたくさんいらっしゃって、教育機関の中には多様な人が既にもういるのだというのは事実です。そこは留意しないといけません。要するに、そういういろいろな職が大学の中にあるのだということが魅力かもしれません。教員、職員のほかに、専門職として山のようにいろいろな方がいるのだというのは、地域需要に資する部分もあるわけです。実際、本当にいろいろな方がいます。トレーナーなどいろいろな職種がいます。ありがとうございます。そのほかいかがでしょうか。
煮詰まってはきているのですが、幾つか今日は重要な話があって、最初の維持・向上のところの維持は、維持ではなく向上にしようという当然のことから始まって、それから中途段階のところで、いろいろな規模の最適化の話の中で、実はアクセスと一体化した書き方になっていないとか、地方創生ということがもう少し見えるように、非常に重要な少子化問題を考えるときの柱であるということが指摘されました。
それから、税制の話、益戸委員からも出ましたが、ここで最後のポイントがとても重要で、明らかにアクセスのための、あるいはよりウエルビーイングのための経済支援のほかに、大学にどのように支援をするのか、あるいはどこが払うということは、意見として書いておいたほうがいいのかもしれません。それは、こういうところが公的なものなのでこうだろうという意見もあるし、自由闊達にこういう部分もあるからこれはこうだろうという意見もあるし、それぞれの大学によって違う部分は、当然その大学が受益者から集めて当然だろうと意見もあると思います。そういうことを少し書き分けておかないといけないと思います。ここで書いたことが多分、各大学が授業料を上げるときに勇気を振るえるような、この観点で自分たちは上げていこうとか、この観点で我々は上げないで、もう少しメインテインしようとか、上げろ、下げろではなくて、どういうものをきちんと見て、どこがどういうものに対してどう支援し投資するのかということは、まだ書いていないので、書いてもいいのではないかと思います。
最後、それに時間を割きたいと思います。かなり重要なことです。大学の教育・研究をドライブする資金を誰が払うのかということです。先ほど申し上げたように、明らかで分かりやすいのは、国公私立関係なく、この大学固有に生まれる受益があれば、当然それに対して授業料なり、あるいは違う方式があるのかもしれませんが、対価を求めるべきだろうと思うのです。それは一律ではない部分ですから。これは明快にそうだろうと思うのです。
ファンダメンタルな部分について、建学の理念もあり、それから国立大や公立大学の国家的な使命、あるいは公立の地方自治体のニーズがあった上での話ですが、それでも例えば絶対にやらなければいけないようなことはあるわけです。つまり、高等教育のレベルというものの大筋をメインテインするというところは当然あるはずです。その上に各大学の個性が乗っかって、いろいろなことを行っていらっしゃるのです。そういう観点だと、大学が自信を持って自分たちはこういうことをやっているのだと言えば、それは国公私立関係なく授業料だって上げていいのではないかと思います。
しかし、ファンダメンタルなところは、その度合いが国公私立で違うのかもしれませんが、当然、国がある一定の支援をするのもありだとは思います。全くなしでアメリカみたいにするというのであればそれなりに。ここをうまく渡ってきた日本の大学人は、困ったときに私学にマスをまず委ねました。そのときに、昭和30年代に理工系を増やすということで、増やそうとしたら、そこをうまく私学が使って定員を増やしてくれたというのもあって、それはちょうど高専ができるときと同じです。私学の定員がどんと増えるときというのは、実はそのときにぴったりしていて、理工系を高専も含めて増やすというときに、私学の定員も増えています。この国らしく行ってきているわけです。
それを当然ながら、大所高所から見ると、国公私立関係なく、とにかく一定の18歳人口を受け入れる部分についての支援はあっていいのだろうと思います。それが今は、同じ国から来るのですが、国立・私立・公立で違っているわけです。私学助成であり、運営費交付金であり、それから総務省から来るお金なわけです。それは省庁が別だからしようがないといえばしようがないのかもしれません。その算定基準自体が分からないことが、私はいつも気になります。おおむねこの程度という基準値があって、それぞれに配られているわけです。
しかし、明らかに世界の状況が変わっていて、人件費も変わったし、物価も変わったし、とにかく教育資材・研究資材の値段も全部変わって上がってきています。その中で、一定基準でお金が続いているというのもいいが、それを学生に付与するのは、とてもではないが全部はできない話で、例えば研究費の分を、学生に負荷かけられるか。逆にそれは勝手に行っているのだから、勝手に行えと言うことでもないだろうと思います。大学というのは基本的な機能として研究・教育、もって社会貢献と書かれているから研究の支援も必要なはずです。過剰に行う必要はもちろんないかもしれませんが、この辺りをもう少し明快にどこかに書いておく時期ではないかと思います。誰がどれだけ支援したらいいか、どういう考え方かも分からないまま終わると、前と同じで高等教育にもっとお金をという意見だけが残るという感じはします。
いかがでしょう、今のようにどの観点でも結構ですが、教育・研究にお金がよりかかるようになったというのは当たり前のことなので、それを大前提において、誰が払えばいいのか。その程度はいろいろあるでしょうから、程度というのは一体何だろうと。割と触れたくなかった部分なのかもしれないのですが、今は触れなければいけないと思います。大森委員、どうぞ。
【大森副部会長】 じゃあ、1つ。誰が払うかは、多分1人じゃないと思うので、いろいろな財源があると思うのですけれども、さっき言ったことと関連するし、これは地域というか、都市部とはまた違うのかもしれませんけれども、地方創生の観点からいくと、地方行政が、大学があることの受益というのは相当にあるはずだという認識を私は持っていて、ただ、それが今まで、ずっと議論してきたことですけれども、財源もないし、担当課もないのでというところで、他人事になっているんだけれども、でも、一番そこは、大学があること、だから公立大学をつくろうとか、そういう動きすら出てくるということなので、じゃあ県民の税金をそこにという単純な話なのか、その財源をどうするのかというのは議論が必要だけれども、地方自治体が自分たちの大学から受益を得ているということを考えて、そこに支援をちゃんと入れていくということは、ちゃんとあるべきじゃないかと私は思っています。
【永田部会長】 賛成です。みんな同じ指標で大体、国からのお金が入っています。地域によって活躍の度合いが違うのだが、それは地域の、つまり自治体が払えばいいと思うのです。自治体が例えば大森委員のところの基盤経費をもらってきているのであれば、それにマッチングさせて、同等額とは言いませんがそれに応じて払う。地域に貢献しないとなったら払ってもらえないだけになります。どうして同じ基盤で機能が違うのに、同じ授業料だったりするのか。全部違っていいのではないかと思うので、今の点、特に地域創生に関わっているというのであれば、それはその地域が払わないといけないと思います。総務省という意味ではありません。各市や県が、ありがたいと思うのであれば、その分を払ったらいいと思います。払わなかったら、定着する人材は生まれないということに間違いなくなるので、国からではなくて地方自治体から払っていただく。そんな財源はないときっと言うから、その財源を彼らは実態としてみんなで働きかけて取ってこなければいけなくなります。
ほかはいかがでしょうか。中村委員、どうぞ。
【中村委員】 大森先生の意見と同じですが、自治体もそうですし、国もそうだと思います。独自の財源をこれからつくっていかないと、無理だと。小林委員も書かれていましたけれども、教育に対する投資の割合が少な過ぎます。そういったことはあまり引かないで、どんどんどんどん僕は積極的に言っていく。当然、公財政だけじゃなくて、社会の投資とか、あるいは個人や保護者の投資も大事ですが、国の財源をもうちょっとしっかり使って未来に投資していくということが非常に大事だと思っています。
例えば個別でいうと、今、先生が話したのですけれども、今、大学の附属病院って物すごく危機的な状況なのです。もう下手するとやばい。大学の病院というのは最先端の医療、最先端の治療をやっていきますから、そのための投資が物すごく必要になってくる。でもなかなか財源が増えない。そういう意味でいうと、そこに対して、国民の健康とか、あるいは医療技術の開発とかというところに非常にお金をかけなきゃいけない。これは公財政だと私は思います。同じように、もっと低額でいいのですけれども、教育も、質の高い教員を養成したり、教育制度をつくるというところも必要だと。その辺は公的なものなのかなと。しっかりパッケージをつくってやるべきだと思います。
以上です。
【伊藤委員】 病院は全くそうです。私立はもっと、ある意味全く補助が来ないので大変だと思うのですけれども、もう一度、先ほどの大森さんの意見で、地域がお金を入れるというのは賛成ですけれども、私もこの委員会で最初から言っているように、大都市が自分たちはお金があるからそれによって無償化するというのは大反対だということは申し上げています。だから、ある程度の国のコントロールが必要だということだと思います。
あと、さっき大森さんが、なぜ私立ばかり縮小、撤退と書いてあってということを言っていたのですけれども、それも私が最初から申し上げているとおり、最低限の学納金、例えばそれは医学部、理工学部によっても違うかもしれないのですけれども、最低限はあるところまで、国公私立、特に国公立がある程度の額に、私は150万円と言いましたけれども、ある程度の額に設定しておいてくれて、だからこそ私立は様々な値付けができて、その中でしっかりとした競争の結果、撤退していくところも出てきてしまうだろうと。その150万に対しては、必要な人には絶対的な支援が必要だし、また、地域になると、そこへ行くための更にインセンティブということで、プラスアルファの支援が来るだろうといったような、本当に設計をしっかりとするのだけれども、あまりにも額が低いところがあると、なぜその額の低いところだけを、ほかの国民が皆、税金で支えなきゃいけないのかというのは考えていかなきゃいけないのではないかと思います。
例えば、私、あるときに学生から質問されて、アメリカに夏休み留学に行ったら、10人の学生に対して1人の教員がついて徹底的に議論して、宿題も出されて、本も読んで、すごく手厚い教育を受けました、なぜこれが日本でできないのですかと言われたのですけれども、そのアメリカの大学のプログラムはどれくらいの長さでしたか、1か月半です、幾ら払いましたか、150万から200万円ですと。そうですよね、日本でいえば6か月学ぶとしたら、そのまま4倍にしたら600万円の学費になりますよねと。そういう問題ですか、そういう問題ですと。これが結構単純な問題なのです。なぜアメリカでは少人数教育ができて、日本ではできないのかと。どうしてもっと密度の濃い教育はできないのかと言われるのですけれども、意外と単純なことなのです。これは経済界の方に日本は怠けているじゃないかとよく言われるのですけれども、いや、だって密度の濃い教育をできるようにしたら、それにはお金がかかるんですと。なるほどねと、今みたいな話をすると初めて言われるわけですけれども。
ですから、値段というのは、全員を無償化するというのはあり得ない話であって、こういうレベルの教育を求める人はそれなりに払わなきゃいけないのですけれども、そこら辺のところも含めて、どういう教育をどの学校がしていくのか、でも最低限の教育の自己負担というのはある程度のところで抑えないと、それは公平な健全な競争による、皆が前に伸びていくということができない、ある意味計画経済になってしまうじゃないかというのが、私の最初から申し上げていることです。
【永田部会長】 ありがとうございます。今は授業料という名前で呼んでいるから何となくそういう感じになりますが、教育の差があるのだから、その分は確かに違う額になるはずなのです。ですから、授業料と考えなくても、当たり前のことを実はおっしゃっている。日本でサマースクールをやるときに、今と同じ事情はたくさんあるのだが、国立の先生たちは何か習い性みたいなもので、廉価で行ったりしていて、あり得ないわけです。国立といえども、お給料を払っているのにどうしてそんな価格でこんなに大切なことを教えているのか、その意識すらないわけでしょう。ですから、そういうところは個人ベースでも変えていかなければいけないところであるが、教育・研究にお金をとにかく持ってくるのが絶対に必要です。
それで、教育に関しては、投資が必要といこうことをもっと書けないと。いい教育はできませんということを、とにかく明快に1回書きましょう。それだけは書いてください。お金がないといけません。もっと財政的に支援とは言わなくても、とにかく財務基盤が充実しない限りもう無理ですということ、以前私は新聞記事にもなりましたが、もう限界ですということだったのです。そこで議論として、伊藤委員の大学が150万で、うちが53万ならば、何で我々が150万円にならないのか。今はないのですが、もちろん150万にする手がないわけではないだろう。逆に、なぜあちらにもっと補助が行かないのか。あと100万円、私学助成で行ったらいいと考えてもいいわけです。しかし、自然淘汰の原理で言えば、それはあんまりだろう、必要な分だけ全部国から来るというのもいかがなものかとなります。それは経営から考えたら、当然、とても経営的にいい、つまり人気のある大学と人気のない大学があっても当然だろうとなります。
ですから、どこに設定するかです。大学の個性と言い換えると、大学の個性分というのはあげなければいけません。ファンダメンタルな部分というのは、僕は国立の53万がファンダメンタルだと思いますが、もう既に極端に少ないと思います。私学の150万円も、足りているかと言われたら、本当は足りないかもしれません。しかし、ミニマム例えば幾らという設定はできて、その上は自分たちが取りますぐらいにはなっていかないと、いけないのではないですか。それが縮小というところに実は関わっていて、そのときに、今、この議論を書いてしまうと、経営的に、つまり人気のない大学は潰れていってしまいます。この議論は、これを前提に書かなければいけません。そこに支援をしますかと言えということです。
ただ、間違った議論にならないように、もちろん個人支援は十分にした上で、です。ですから、授業料免除にするのか、あるいは奨学金をどんどん増やすのか、博士課程みたいにSPRINGみたいに給与として与えていくのか、いずれにしても、そういう経済支援はしたという前提はないと絶対いけません。しかし、大学によって値段が若干違うというのは当たり前だと思うのです。それは国立だってそう思うのです。公立の大学によって値段が変わったとしても、別におかしくはありません。しかし、それはファンダメンタルが保障されないと、国立の場合は、設置の目的から外れてしまうので、どこでも教育・研究にアクセスできる、子供たちが行けるという条件を最低基準とすれば、その上で更に卓越した教育をやるのだったら、そこは上乗せしないといけないというわけで、どこまでがそういう最低基準なのだという問題だと思います。
今すぐ出ないでしょうから、そのような議論をきちんとしないといけないということを書いてほしいのです。その上で、大学の価値、今度はこういう個別の個々の大学の価値というのは、お金で換算できるというのはおかしいが、お金に換算したとしてもおかしくないということです。それが、今にこうなったらもっと分かりやすいのですが、授業料免除となってしまったときに、皆さんどうしますか。今の固定化されたこのままの授業料で永遠に経営しなければいけない。教育研究費は増えません。なぜなら免除になると、学生分は全部免除されて国庫から来るわけです。ということは、何にも変わらないです。教育研究費は増えません。ただ授業料の払い手が変わっただけです。これでは駄目なわけです。その上を更に行く教育研究をやらなければいけないので、そこに負荷がかかっていくわけでしょう。それはかかっていいと思うのです。それぞれの大学の努力です。授業料が高いが、あそこには行く価値があるという大学と、あそこには払うお金ないがここなら行けるという判断はできるわけです。なぜかというと、授業料免除なのでどこかには行けるのですから。しかし、教育費はかかるということを付加しないと、もうこれ以上どうにもならないです。
御理解いただけますでしょうか。最低限、授業料ですが、今申し上げたように、当たり前のことが補助されている状況の中で考えたときに、更にそれ以上にいい研究・教育をやる大学が出てきて、それは受益者から取っても構わない、あるいは受益者から取ってはいけない。どちらですか。ここで書かなければいけないのはそういうことです。当然のことながら、私は取ってもいいと思うのです。何度も言いますが、条件は整ったからです。誰でも、どこの大学でも、希望して試験さえ受かれば行けますと。あとは、もっとこちらの大学のほうがいいと思うか、いや、この大学がちょうどフィットしている、経済的にも1,000万あと余分にかからないからここに行けばいいというのと、少し払ってでもあそこに行きたい。どこぞの大学のサマースクールをやりに行くのと同じ感覚です。自分はこれを勉強したいからスタンフォードのサマースクールを今年の夏はとろうと。180万円かかったとしてもとるかとらないかだけです。
このようなことは書いてもいいのではないかと思います。もう少し温和に書いていただいて結構です。今のままでは難しい部分はあります。奨学金を増やさないと多分対応できないからです。それはもう当たり前です。先ほど申し上げたように、そういうものが充実していくことをまず基本的にはうたっていますから、個人補助は完全に行うと。しかし、教育にはお金がかかるのと言っています。
この辺りをどう書くかですが、私は書きたいです。教育にはお金がかかりますという前提から書いて、誰が払うのかということで受益者である国も社会も個人も払うのだということです。個人については、ここに書かれているような個人補助がどんどん伸びていって大変結構な状況で博士の給与まで出るようになっています。次は、それでも教育費は足らない。当たり前です。教育費はどうするのか。それが、書き方としては当然ながら、どこでも欲しいですというわけではなく、その大学それぞれの固有の特徴に合わせた受益者と、それを習う受益者としての額は、授業料が全面免除になった上で更に取ってもいいのではないかということです。
松塚委員、どうぞ。
【松塚委員】 まず、個人が授業料を払う場合、魅力的なプログラムがある魅力的な大学を選択して払う。ただ、選択のところまでは行くと思うのですけれども、そのお金を個人負担とするかどうかというのは、その教育を得たことによって将来的に収入が上がるかどうかということが大きな情報になると思います。それが見えないときが多分あると思います。すごく魅力的な大学で、魅力的なプログラムで、そこで勉強をしたいのだけれども、その後仕事に就いた時に自分への投資に見合う十分な収入が得られるかどうかが分からないときが。一方で、そのプログラムは十分、国にとってもコミュニティーにとっても価値があると認められたときは、社会が出すということが必要だと思います。
日本の教育投資で一番特徴的なのは、個人に対するリターンが少ないことだと思います。特に女性に対するリターンですが、これは理由がはっきりしていて、女性は大学教育を受けるために、男性と同じように授業料を払うわけです。しかし、卒業した後に就職しても、就職の期間が短く、辞める場合が多く、非正規雇用になる傾向にあると回収の機会が少ない。これは別の社会問題として置いておいてということで、一方で、社会的収益率が高いというのが日本の特徴です。
OECD各国と比べても、日本の社会収益率、要するに私たち個々人が大学に行くことによって社会が得られる恩恵、具体的には、例えば犯罪抑制効果だとか雇用の増進だとか、社会保障にかかるお金だとか、税金収入だとか、それらが社会的効果として換算された場合、これが非常に日本は高い。これは何を意味しているかというと、社会的に公財政支出をする十分な価値がある、教育は価値があるということです。
内閣府を中心に行った2019年の分析では、人文社会系でおよそ24%の収益率を算出しています。これってすごい投資回収率だと思うのです。株式投資とか最近盛んですけれども、20%を超えるリターンというのはすごく経済効果が高い。もちろん専門によりますけれども、そういった観点からすると、公財政支出をもっと投入していく経済合理性があると考えます。
もちろん、政府だけに負担を頼るというのは適切ではないとは思います。そういった意味では、コミュニティーだとか企業だとかが、大学教育のためにいろいろ支援をしていくというような最近の流れがこれからも増えていって、その効果検証を丁寧にやっていくことが大切だと思います。特に自治体などで奨学金を肩代わりするなどのケースが増えていると思いますので、その結果を、時間がかかるかもしれませんけれども、短期的には4年5年で効果を検証できるはずですので、丁寧に見ていくことによってその恩恵を得られるのがどこの誰なのかということまで知ることが可能だと思います。そうしますと、そこにおいて誰がどこにどれだけお金を支払っていくのかということが見えやすくなってくると思います。今確かなのは、日本は大学教育の公的効果が高いということだと思います。
【永田部会長】 おっしゃったとおりですが、それを知らないのです。高等教育がそういうことにきちんとコミットして、日本社会の安全や安心とか、そういうものまで十分染み渡っているのですが、誰もそうは思わないのです。ですから、非常に先生のおっしゃることは正論ですが、とても大変です。
それから、国のほかに社会からというのは、先ほどから申し上げているように、税制を変えない限り、社会は寄附しません。そこが寄附しない限り、教育税として法人から取るという案は、ほとんど出ないと思うのです。寄附税制が変われば出ると思います。我々はシステムでしかここには書き込めなくて、もっと大切なものだと認識していただいて、お金を社会も払ってくださいと幾ら言っても多分駄目なので、税制改正と言っています。そうすると、税金を納めるより大学に寄附したほうが得とかというレベルです。
最後のところの財政基盤を話しているときは、善意だけでは無理なので、税制も書いてほしいと最初に申し上げていました。おっしゃるように、小中高大院で、国で行われたこの教育が、実は極めて価値が高いものであるという認識があるのは我々だけで、社会は全くないのだろうと思います。当たり前です。快適でとてもいいので、この状況でいたいのだが、それで頑張って、皆さん、これでいいですからと思っているわけです。ただではないと誰も言わないからですが、そこのところに、誰が払うのかという、おっしゃるとおり、議論を続けて、いろいろなデータを解析して、もっとこうですとなるように書きたいです。そのときに、それを書いただけだと、多分これで二度と話はなくなります。今回が多分、高等教育の変革に対する大きな提言(答申)の最後です。これからここで書かれたことを中教審でどんどん議論して行うようになると思うのです。設置審をどうやって変えていったらいいのかなど。2040年までは、ここで書いておかないと、なかなかもう大きな議論は、このレベルでは多分出せません。
そういう意味で、ぜひとも、本当に正論ですが、誰もそこに価値を認めていません。価値はあるがそこに価値を見いださないということです。
両角委員、どうぞ。
【両角委員】 ありがとうございます。今、松塚先生がおっしゃっていた社会的収益率とかが日本では極めて高いというのは、本当にそのとおりだと思います。ただ、それは裏返してみると、要するに、国としては投資を全然していないのに、みんなが私費で進学してくれたから、国から見たらお得な話ですねということなのですよね。なので、社会的収益率が高いことを知らせていくことが、高等教育の価値自体で訴えていくという材料にどこまでなるのだろうかというところに、本当にいつももどかしさを感じます。安上がりでこれまでは効果が出ていました、という、そんな感じの話ではないかなと感じています。
基本的に、いい教育をしていくとか、いい研究していくとかで、お金がかかるし、普通に教育していくだけでもコストも上がっておりお金がかかるようになっているというようなことは、私ももっと書き込む必要があると思っています。57ページの「必要コストの算出の必要性」の書き方が、気になっています。各機関でどれぐらいお金かかっているかをもっと説明せよ、と読めるのですけれども、私はこれをまずしっかりと示していくのは文部科学省がやるべきことじゃないかと思います。個々の大学が全部で今幾らかかっていてどうこうですということを社会に説明していくって、もちろん必要ですけれども、まず国がやらなくてどうするのか、公的支援を必要だということを訴えていく、公的支援に限らず、支援を引き出すためにも、大学は社会に対してこのような良いことがあるということを計算して示していくというのは、まず文部科学省もやる必要があることを書き込むべきではないのかなと思っています。
以上です。
【永田部会長】 ありがとうございます。
そろそろ時間です。案になりました。少しまた変えて、前回いただいた意見を入れて。今回いただいた御意見で大きなチェンジはなかなか難しいので、先ほどの幾つかのポイントは、校正します。お金のことは、次回も含めて、それまでにこちらの原稿も用意して、少ししっかり書きたいです。
中村委員、どうぞ。
【中村委員】 さっきの宿題の件です。大学等というと厳しいので、例えば地方創生研究教育推進機構とか。
【永田部会長】 研究教育を入れるということですか。
【中村委員】 研究教育にすれば、地方創生、どれだけ地方が元気になるかとか、そういったことを調査したり研究したり、それを基にしながらリカレントスキルでもって人材養成していくと。
【永田部会長】 ありがとうございました。検討させていただきます。なるほど、組織ではなく中身で書いたわけです。
今日もたくさん御意見をいただきました。次回までに書き換えて、いいお正月を迎えられるようにしたいと思います。
それでは、事務局から次回の予定などをお願いします。
【花田高等教育企画課課長補佐】 本日も活発な御議論をいただきまして、誠にありがとうございました。
次回の特別部会は、大学分会との合同で、12月13日金曜日14時からハイブリッド形式での開催を予定しております。本日御発言ができなかった内容がございましたら、事務局まで御連絡ください。
以上でございます。
【永田部会長】 ありがとうございました。
── 了 ──
高等教育局高等教育企画課高等教育政策室