大学振興部会(第5回) 議事録

1.日時

令和4年10月28日(金曜日)10時~12時

2.場所

Web会議

3.議題

  1. 「出口の質保証」に関する議論  ・大学関係者からのヒアリング
  2. その他

4.出席者

委員

(部会長)永田恭介部会長
(副部会長)吉岡知哉副部会長
(委員)越智光夫,日比谷潤子,村田治の各委員
(臨時委員)大森昭生,川嶋太津夫,小林弘祐,曄道佳明,益戸正樹の各委員

文部科学省

(事務局)池田高等教育局長,西條大臣官房審議官(高等教育・科学技術政策連携担当),伊藤文部科学戦略官,鈴木文部科学戦略官,山下高等教育企画課長,柿澤高等教育政策室長,髙橋高等教育企画課課長補佐ほか

5.議事録

 
【永田部会長】 おはようございます。皆さんおそろいになりましたので大学振興部会第5回を始めます。本日もコロナの対応ということで,ハイブリッドで行っています。また,YouTubeでライブ配信しております。
 それでは,事務局から資料の説明等をお願いいたします。
 
【髙橋高等教育企画課課長補佐】  事務局でございます。本日は,ウェブ会議及びライブ配信を円滑に行う観点から,御発言の際は挙手のボタンを押してから,部会長から指名されましたらお名前をおっしゃってください。また,御発言後は再度挙手のボタンを押して,表示を消していただきますようお願いいたします。また,発言時以外はマイクをミュートにしていただくなど御配慮いただけますと幸いでございます。
 本日の会議資料は,議事次第のとおり,事前にメールでお送りしておりますので御確認ください。
 以上でございます。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。
 本日は,前回に引き続いて,「出口の質保証」ということで議論をさせていただきます。
 最初に,直近のデータに基づいて,学習時間や卒論についてのアンケート結果の説明を行った後に,京都橘大学の西野毅朗先生をお招きして関連の質問をさせていただきます。
 それでは,最初のデータのアンケートの説明ですが,これは学生の学習時間や卒論の執筆に費やす時間などを分野別にまとめていただいておりまして,大変有益な資料かと思います。
 それでは,室長のほうから御説明をお願いいたします。
 
【柿澤高等教育政策室長】  承知いたしました。高等教育政策室長の柿澤でございます。
 データの説明の前に,少し前回会議から日も空きましたので,資料1のほうで,出口の質保証に関する前回会議での主な意見を紹介させていただきます。資料1を御覧ください。
 まず,成績評価への信頼性の確保や学修成果の把握・可視化についての御意見といたしましては,質保証,出口管理という意味では, GPAをもう少しちゃんと使うようにすることが重要。例えば極端に低いGPAの場合は卒業できないといった工夫も今後必要といった御意見。
 また,学修成果の可視化をどうするかということが一番重要だろうということで,各大学がそれぞれのやり方で質保証をすることになっているので,ここを強化していくことがまず重要なのではないかといった御意見がございました。
 また,ST比の改善等による教育体制の充実についてというところも多く意見をいただきました。
 1つ目,ST比の改善による教育体制の充実は分かりやすいKPIとは思えないといった御意見。
 また,2つ目の丸で,ST比は教育にとってのインプットであり,ラーニングアウトカム,学修成果と言っているときに,これを指標にするというのは疑問といった御意見もございました。
 また,次のところでは,ST比についてはミクロレベルで,例えば15名以下の少人数の授業科目が全体の科目の何%あるといった指標の公表を求めることは必要なのかもしれないといった意見もございました。
 また,総合大学も文系の収入によって理系の赤字を埋めている構造のところがあるので,ST比という観点で議論を進めることが妥当かどうか議論を深めたいといった御意見もございました。
 ST比を小さくすることは簡単にできるとは思えないが,それに代わるような密度の濃い学修をどう組み立てていくのかを考えるべきではないかといった御意見。
 また,一番下の丸のところですが,ST比に関係する議論が難しいのは,大学,学部,学科など,どの単位で捉えるかということから議論しなくてはいけない。質保証システム部会では,学生の立場から,例えば大教室授業であったとしても,それをフォローするようなTA等を置くことが重要だという議論がなされ,設置基準の中で,教育の補助者を設置基準の中に位置づける議論に結びついた。学生の学修の質を高めるためには,どういうシステムが必要なのかということを踏まえておいたほうがよいという御意見がございました。
 また一方で,2ページ目の一番上ですけれども,ST比について,やはり学生の立場から見ると,どういう大学教育を受けられるかという観点では軽視できない,判断材料にしたいという点だと思う,極端にST比が高い大学では卒業研究も指導し切れない,指導を受けたくても受けられないということがあり,少なくとも実態把握,少人数科目の割合とか,より教育の質に関係するような形で把握することが大事かと思うといった意見がございました。
 次に,(3)としまして,「密度の濃い主体な学修」を促す観点からの工夫等についてということで,学生の4年間の学びがいびつになっており,1年生,2年生でたくさんの科目を取って,学年が3年,4年になると,就職活動ということもあり,ほとんど授業に出ない。これを均等にするというのが非常に重要。
 科目数が多過ぎると浅い学びになってしまう。キャップ制,そしてそれに加えて週複数回開講により,一つの科目をしっかりと深く学ぶこと,密度の濃い主体的な学修を可能とすることが必要といった御意見がございました。
 また,卒業論文・卒業研究,ゼミ等についてということですが,最近は学生が大学で何を学んだのかを見ている企業というのも増えた。そこで,集大成である卒業論文にもっとスポットライトを浴びせてもいいのではないか。企業においても,何かプロジェクトをやったり,新しいことにチャレンジしたりするときには,卒論と同じように多くの文献やネットで調べて,論理構成を考え,文章を書かなければならない。学生からすれば,それまでの人生では経験したことのない一大プロジェクトを経験しておくことは大切ではないか。
 個々の授業科目の成績評価はある意味で形成的評価であり,やはりもう一つの評価である総括的な評価というのも,質保証については必要。そういう意味で,卒業研究とか卒業論文というのも必要かと思うといった御意見もございました。
 また,産業界との連携・協力につきまして,文系でも経営学部などで,プロジェクトを企業と一緒に組み立て,最後にプレゼンをして,その評価を企業の人たちと教員とでやるといったことは有効だろうといった御意見。
 また,産業界とどのような連携・協力ができるかということで,卒業研究やゼミの中で,あるいはそのほかの単位の中でちゃんと修得できていないものがあるならば,それに企業に協力してもらってもいいのではないかといった御意見もございました。
 その他としまして,大学卒業時点で学生がどういう能力を身につけているのかが,社会や企業などの第三者から見て分かりやすく理解できるものでないといけないといった御意見。
 また,一番下になりますけれども,少ない時間でいかにいい点を取るかということが,高校でうまくやっていく,入試に通る方法だろうが,それを大学,高等教育に持ち込めば,やはりできるだけ低い点で卒業して学位記をもらうといったことになろうかと思うということで,高校教育との高大接続の中で考えていく必要があるのではないかといった御意見があったところでございます。
 それでは,次に,資料2に基づきまして説明をさせていただきます。
 資料2,1ページをおめくりいただければと思います。右下にページ番号がついております。今回,御紹介するデータ等は,基本的には,その多くは全国学生調査の第2回試行実施の結果に基づくものでございます。こちらの全国学生調査の概要を先に申し上げますと,全国学生調査は,各大学の教育改善に活かす,我が国の大学に対する社会の理解を深める一助とする,今後の国における政策立案に際しての基礎資料として活用するという目的の下で実施をしているものでございます。
 試行実施の趣旨・目的とございますけれども,令和6年度以降の全国学生調査の本格実施に向けて,適切な調査方法や質問項目などを整理・検証するために実施するものということでございます。このため第1回と第2回も調査対象としては,第1回が大学3年生であったところ,第2回は大学2年生と最終学年,4年生,あるいは6年制の方であれば6年生といったところ,また今回,短期大学生も対象としているといったことがございます。
 また,調査時期も,第1回は11月から12月にかけて,第2回は本年の2月に実施をしたというような形でございます。大学は任意参加ということになってございまして,学生はインターネットで回答をしているということになっております。
 1ページをおめくりいただきまして,2ページでございますけれども,大学は803校の対象のうち582校,72.5%の大学が参加し、短期大学は約半数が参加をしたということでございます。
 では早速,結果の内容のほうに入れればと思います。資料の3ページを御覧いただければと思います。この後,学習時間に関するデータの御説明等をさせていただきますけれども,まず,全体的な概要,今回明らかになったことでございます。
 全般的な傾向といたしましては,大学2年生は,授業への出席時間が長い一方で,予習・復習・課題など授業に関する学習が短い。これは,履修単位の上限設定(キャップ制)が十分に機能しておらず,学生が過剰な単位登録をし,結果として密度の濃い学習が十分に行われていない状況を表していると考えられるというところでございます。
 また,4年生以上(最終学年)の学生は,大学2年生に比しても,授業への出席時間,授業に関する学習時間ともに短い傾向にあるほか,卒業論文等に多くの時間を費やしている学生がいる一方で,これらにほとんど取り組んでおらず,実質的に学習時間が極めて短い学生も一定数いることがうかがえるというところでございます。
 また,分野別の状況を見ますと,分野別,特に4年生,あるいは6年生といった最終学年のほうで違いが顕著にございますが,人文,社会は,授業に関する学習時間が短い傾向にある。また,予習・復習・課題以外の学習時間についても短いことから,全般的に学習時間が短い傾向。また,4年生以上でも,卒論等に取り組む時間が短い学生が比較的多い。
 理学・工学,農学は,2年生は授業への出席時間,授業に関する学習時間ともに他分野に比してやや長い傾向にある。4年生以上は,授業への出席時間は短いが,卒業論文等に費やす時間が長いという傾向がございます。
 医学,歯学,薬学,保健は,2年生,4年生以上ともに授業への出席時間が長い。また,授業に関する学習時間も比較的長いほか,4年生以上は,最終学年ですね,予習・復習・課題以外の学習,これは読書とか実技の練習,資格試験の勉強等の自習系でございます。これが長い。特に医学はその傾向と。
 卒業論文等については,医学・歯学で取り組んでいる学生は少ないが,薬学・保健は,卒業論文等について,人文,社会と同程度に取り組んでいるという状況でございます。
 このデータのほうが4ページ以降に載っておりますので,御覧いただければと思います。4ページを御覧いただきますと,2年生は授業への出席については16時間以上が66%,これは分野問わずの平均でございますけれども,66%という状況でございます。
 一方で,この円グラフ,左下の赤い点線で囲っているところになりますけれども,令和3年度の後期の授業期間中の平均的な1週間のありようとしまして,予習・復習等の授業に関する学習は,5時間以下である学生が41%というような状況になっております。これについて,分野別の状況を見ますと,授業への出席というところでは,赤いラインを引いているところから右側が16時間以上というところで,16時間以上,それより下というところで授業時間のところに線を引いておりますが,医学だと16時間以上が78%,保健74%と高い水準になっているということでございます。
 また,予習・復習・課題などに関する学習というところは,5時間以下となる割合,ここのところで赤い線を引いておりますが,社会のところが50%というところは他の分野に比しても高くなっております。
 次に,5ページを御覧いただければと思います。これは4年生以上というところでございます。4年生,あるいは医学部等であれば6年生というところで,4年生以上は,授業への出席については,これは全体平均ですけれども,5時間以下が62%であると。授業に関する学習も5時間以下が75%というふうになっております。ただ,こちらは非常に分野の違いも顕著でございまして,授業への出席というところで見ますと,5時間以下の割合は,人文,社会,理学・工学,農学といったところで7割近くになっていると。赤線から左側のところになりますので,人文であれば,0時間の7%プラス1時間から5時間の61%で68%という見方になります。一方で,そうした5時間以下の割合というのは,歯学や薬学といったところでは非常に低くなっているということでございます。医学はその間ぐらいという形になっております。
 また,授業に関する学習については,同様に5時間以下の割合が人文,社会,そして理学・工学,農学で高いという形になってございます。ですので,授業への出席,予習・復習など授業に関する課題というところだと,人文,社会と理学・工学,農学といったところも比較的同じ数字が出ておるというようなところがございます。医療系はその特殊性が出ているということでございます。
 次に,6ページを御覧いただければと思います。4年生以上の学生の卒業論文等に費やす時間というところですが,これは全体の平均として見ますと,週16時間以上費やしている学生が42%となりますけれども,一方で,卒業論文等に費やす時間が5時間以下である学生も全体の3分の1を占めるというところが,この円グラフから明らかになっております。
 ここは分野間の差というものが非常に大きくなっておりまして,週16時間以上費やすという学生の割合,これは今,青と赤という線を引いておるんですけれども,赤線から右が週16時間以上費やしているグループというふうになりますけれども,そこの割合が理学・工学,農学で非常に高い。とりわけ理学・工学,農学でいいますと,一番右の水色っぽいところ,理学・工学だと43%,農学だと44%というところが,これは週で31時間以上ということなので,そうした長く卒業研究等に取り組んでいる学生が割合として多いということでございます。
 一方で,5時間以下となる割合というものが医学,歯学では非常に高い,9割近いというような形になっております。また,人文,社会というところで見ますと,卒論・卒業研究等に取り組んでいる時間が5時間以下という学生がそれぞれ33%,47%ということなので,これもそれなりの割合になるというような形でございます。
 次に,7ページを御覧いただければと思います。前回,会議資料の中でもST比が高い大学,人文,社会科学系の大学が特に卒業論文等を必修化している割合が低いといった民間の調査結果などもございましたので,これが全国学生調査で見るとどうかという数字でございます。こちらを見ていただきますと,人文,社会ともに規模が大きいほど卒論等に費やす時間が短い傾向というものがうかがえます。特に大規模の社会分野の学部では,40%の学生が卒論に費やす時間が0時間であったということです。左上の表の社会のほうで800人以上というところが,40%が灰色になっております。ここが0時間というところになります。授業への出席や授業に関する学習については,人文,社会とも規模の違いによる大きな差異は見られなかったところでございます。
 次に,8ページを御覧いただければと思います。8ページは,大学の授業等に関することではなくて,学生の自習時間的なもの,学問に関する読書やディスカッション,実技の練習,資格試験の勉強等というところでございます。全体として見ますと,2年生では79%が5時間以下ということで,2年生の段階だと分野別で見ても,それほど大きな差が生じているわけではないのかなというところでございます。
 4年生になりますと,分野の差というものが非常に多く出てきておりまして,5時間以下の割合というのが,人文,社会,農学,理・工でその割合が高いと。ただ,理・工・農などは,先ほど申し上げたように卒業研究等の時間が長いということですが,医学,保健では非常に学習している時間が長いということで,例えば医学部になりますと,いわゆる自習時間的な部分が一番右の31時間以上という学習時間に達している学生が42%に上るといったことで,その他歯学,薬学,保健も医学部ほどではないけれども,自習的な学習時間が長いという結果が出てございます。
 全国学生調査に関する結果は以上でございますけれども,9ページから,少し関連する資料といたしまして,こちらは「令和元年度の大学における教育内容等の改革状況について」,いわゆる改革状況調査,こちらのほうでも学部段階において,卒業論文・卒業研究・卒業制作等を授業科目として設けているか。設けている場合は,学部の全部または一部で必修としているかという問いがございます。学部名のベースで集計したものがこちらでございます。法学部とか経済学部と出ておりますけれども,ここは学部名を完全一致で集計をしているので,例えば政経学部といったところが経済学部や法学部には含まれていない数字と見ていただければと思います。
 これで見ていただきますと,授業として設けていないというところが,例えば法学部で30%ですとか,経済学部では8%といったところ,一方で,工学,理学,農学といったところでは,文学部もそうですけれども,水色になっている全部で必修という割合が高くなっているというようなところでございます。
 また,10ページのほうで,医学部,歯学部,薬学部,看護学部といったところを入れております。ここは医療系といっても違いがそれぞれございまして,医学については,基本必修としているところというのはパーセンテージとしては非常に低いと。歯学で16%,薬学で90%,看護学部では86%といった形になってございます。こうした差が出てまいりますのは,モデル・コア・カリキュラムにおきまして,11ページ以降は少し歯学,医学関係の資料も出ておりますけれども,医学,歯学については,モデル・コア・カリキュラム上,卒論を必須としていないが,例えば臨床実習後に「OSCE」を利用して技能や態度の評価を行うなど,卒業論文によらない卒業時の質保証,分野別の質保証といったところも特性として出ているといったところがございます。
 また一方で,先ほど薬学のところではそれなりの必修化の割合がありましたけれども,これはモデル・コア・カリキュラムの中でも薬学研究というものが設けられておりまして,研究成果を報告書や論文としてまとめることができるといったことも記載として入っているというところでございます。
 また,13ページのところで看護につきましてもモデル・コア・カリキュラムの中で看護学研究というものが位置づけられておりまして,文献研究,事例研究,実験・調査研究等の研究を,指導を受けながら計画・実施できる。こういった形でそれぞれの分野別のモデル・コア・カリキュラム,当初の取組といったところで医療系の中でも違いが出てきているというところでございます。
 一旦,私からの説明は以上でございます。
 
【永田部会長】 ありがとうございました。 いろいろ御説明いただきました。質問や確認事項があればお伺いいたしますが,いかがでしょうか。小林委員,どうぞ。
 
【小林委員】  詳細な資料,ありがとうございます。
 質問としては,国家試験があるところとないところで大分違うと思うのですけれども,その中で,農学系の中の獣医学部は国家試験がありますが,ほかのところ,いわゆる国家試験のない普通の農学とはニュアンスが違うかなと思いますが,それを分けた分析はされたでしょうか。
 
【柿澤高等教育政策室長】  ありがとうございます。今回の調査の中では,獣医学部も基本は農学のほうに入っているという形になりますので,ちょっと獣医について個別に分析をしているという結果はございません。
 
【永田部会長】  日比谷委員,どうぞ。
 
【日比谷委員】  ありがとうございます。1点目,確認ですが,私の記憶が正しければ,1回目は,この調査は全て日本語で行われたけれども,今回は英語版もあったと思うんですが,正しいですか。
 
【柿澤高等教育政策室長】  はい。今回,英語版も用意してございます。
 
【日比谷委員】  1回目のときに,これだけ英語だけで学位が取れるプログラムと国が言っているのに,その人たちが全く答えられない,調査から除外されているのはけしからんとさんざん申し上げましたので,それを取り入れていただいたのは大変にありがたく思います。
 次の,これは質問なんですが,今回御紹介いただいた結果は,日本語で答えた人も英語で答えた人も合算ということ。
 
【柿澤高等教育政策室長】  合算をしております。
 
【日比谷委員】  ですよね。それで,英語で答えた人と日本語で答えた人の間に差があるかどうかを私はちょっと知りたいんですけど,今日はもちろん無理だと思いますが,何かそういう機会があれば別集計を見せてもらえると,とてもうれしいなと思いますが,これは要望でございますので,結構でございます。
 
【柿澤高等教育政策室長】  承知いたしました。検討させていただきます。特段国籍で分けているといったところはございませんけれども,何らかの特徴が見出せるかというところは……。
 
【日比谷委員】  確かに。でも英語だけしか答えられないとか,こういう大事なことは自分の得意な言語,英語で答えたいという人がいると,その人たちが例えば授業外学習をどういうふうに捉えている。日本に来たので,すっかりそういう習慣に染まってしまったのか,しっかり勉強しているのかとか,そういうことは知りたいなと。
 以上です。
 
【柿澤高等教育政策室長】  承知いたしました。
 
【永田部会長】  そのほかいかがでしょうか。
 
【吉岡委員】  形式的な話ですけれども,卒論といったときに,大学によって卒論が単位として別枠に出している場合であるとか,卒論ゼミのような形で,事実上,ゼミと完全に合体している場合,それからそれと多分タイプが違っていて,これは卒論と多分言わないんでしょうけれども,ゼミ論がかなり必修になっていて、学生はゼミに入る。ただ,ゼミも必修の場合とゼミ必修じゃない場合というのがあって,その場合に,むしろ受け手のほうかもしれませんが,卒論といったときにどのレベルで答えているかというようなこととか,何かその辺の,例えば注釈をつけたとかということはありましたか。
 
【柿澤高等教育政策室長】  質問としましては,まさに卒業論文・卒業研究・卒業制作等という言い方をしておりますので,まさに今,吉岡委員が御指摘ありましたとおり,回答者である学生がこれをどのように解釈しているのかということに多少左右される部分がございます。例えばゼミの中でいわゆるゼミ論というものが位置づけられていて,ゼミ論を卒論であるというふうに解釈をして回答している学生もいるかもしれませんし,ただ,ゼミの中でもゼミ論と卒論を分けているようなゼミもございますので,そうすると,卒業論文はこれだけの分量を書くと,ただ,ゼミ論だと卒業論文よりは少し短い分量でやっているみたいなゼミもございますので,その場合は,ゼミ論を書いている学生は,自分が書いているのはゼミ論であって卒論ではないという認識をしているということもあろうかと思います。なので,今回,ここの部分で時間が0時間,あるいは5時間以下といったところで数字が出ているところが,本当に何も書いていないのかといったときに,それに代わるような何らかのゼミ論等を書いている,何らかのレポート等を書いている学生というものもいるのではないかと思っております。
 
【吉岡委員】  ありがとうございます。卒論が必修という,つまり,卒論を書かなければ,卒業がそもそもできないというぐらいに厳密なのかどうかというのが鍵かなというふうに思いました。ありがとうございます。
 
【永田部会長】  曄道委員,画面から消えてしまいましたね。
 
【曄道委員】  吉岡委員と同じ質問でしたので,ありがとうございます。
 
【永田部会長】  分かりました。そのほかいかがでしょうか。
 御質問や確認事項というのは,そんなところだと思います。
 このアンケートを見せていただいて,分野で完全に違うという認識をまず持たなければいけなくて,全部まとめて議論してしまったらいけないということだけは,理解できるのではないかと思います。それぞれ大体予想できる範囲内の傾向にあるようには思いますが,今後,卒論,あるいは卒研を考えるときに,なるべく分野ごとの認識を持ちながら話さないと,いけないということが明らかになったかと思います。
 事前に見ていたのですが,詳細なアンケートを行えば,もっと面白いと思います。例えば法学は極めて卒論相当が少ないことになっていますが,模擬裁判などのような形で厳密なものを行って,プラクティカルな能力をきちんと見極めるというような分野もあるわけです。そのほかの部分もいろいろなやり方で,いわゆる卒論とは呼ばない,卒研とも呼ばないが,十分コンピテンシーをチェックしているということもあり得ると思います。ですから,慎重に議論をしないで束ねてしまうと,世の中の理解を得られない結論になってしまうというのが全体のまとめだと思います。
 いかがでしょうか。
 
【吉岡委員】  すみません,もう1点。
 
【永田部会長】  どうぞ。
 
【吉岡委員】  今のことにもちょっと関係するんですけれど,もう一つは,授業と関連づけた学修時間というときに,例えば資格を取るような授業,例えば学部で資格なんかと非常に緊密に結びついている場合には,多分授業で受けたことを,授業もやっぱりそういうものと関連づけられているので,勉強時間もそれに関連づけられた勉強時間が増えるというのが,理系なんかにはかなりあるだろうと思うんですが,例えば文学部というような場合に,文学部の個々の授業と,でも文学部にいる以上,例えばこの辺の古典の文学は読んでおけみたいなことというのが前提になっている場合に,古典文学,今は世界文学全集とかないでしょうけれども,そういう古典を読んでいるとかって読書の時間みたいなものがどれだけ拾えるかというのはちょっと難しい。かなりそこの性質の,大学生としてやるべきこととして前提にされているイメージというのが,これも分野によって違うので,その辺のところも,これ調査にかけるのは難しいかもしれませんけれども,議論の中では考えておいたほうがいいかなというふうに思いました。
 
【永田部会長】  そのほかよろしいでしょうか。
 ありがとうございました。これは後でいろいろな議論をするときに注意をしていかないといけないということだと思います。
 それでは,続きまして,京都橘大学の西野先生からヒアリングをさせていただこうと思います。
 西野先生は,学士課程教育,特にゼミや卒業研究などの在り方について研究をされている先生です。いろいろと参考になる内容をお聞きできるかと思います。
 それでは,西野先生,よろしくお願いします。
 
【西野専任講師】  ありがとうございます。このたびは御報告させていただく機会を頂戴いたしまして,誠にありがとうございます。大変光栄に存じますし,学生たちにとってよりよい政策づくり等につながるようなお話が少しでもできればと思っております。京都橘大学の西野でございます。よろしくお願いいたします。
 本日,私がさせていただくお話は,「ゼミナール教育」と,「卒業研究・論文」についてです。大きくはこの2つの視点から,今回のテーマであります「出口の質保証」に絡む問題と課題について整理して,私なりの見解をお伝えさせていただく予定でございます。
 ちなみに,私自身は,学部は政策学部を卒業しております。その後,大学院では教育学,とりわけ高等教育を専攻しております。同志社大学の山田礼子先生の下で研究させていただきまして,本日お越しの川嶋委員にも御指導いただきました。その博士課程の研究,並びに修了後の科研費助成を頂いて進めさせていただいた研究,これらを併せました『日本のゼミナール教育』を,今年,出版させていただきました。この中でゼミナール教育の歴史,あるいは現状に関する量的な研究,そして実際,現場で何が起こっているのかという,2年半プラス卒業後の3年間の参与観察の結果などを整理したものをこちらに載せさせていただいておりまして,この辺りの内容をかいつまんでお話しさせていただきます。
 ちなみに,今日たくさんの量的データを出させていただきますけれども,このデータの基は大きく2つございます。1つは教員調査ということで,ゼミナール教育や卒業研究・論文の教育実態を明らかにするために行ったものでございまして,全国の人文・社会科学領域等の学科教育責任者を対象にした郵送調査法による調査でございます。等とございますのは,教育学であるとか,あるいは芸術関係の分野であるとかということで,広くくくれば文系というふうに捉えられるんですけれども,そういった方々を対象にしております。2019年の7月から8月ですのでコロナの前に取らせていただいたデータ,回答数は約700件ということで,一定の信頼性は得られるかなという数字でございます。
 また,もう1つは学生調査ということで,同じくこのゼミナール教育,卒業研究・論文を通じた学習実態を明らかにするためのものでございます。こちらは学部4年生を対象にしたものです。2020年3月なので,もう卒業式を終えた,あるいは直前の学生たちが対象,かつ,コロナがまさに広がろうとしているタイミングですので,教育自体はコロナ前の教育を受けた学生たちということになります。
 回答数は1,030件です。インターネット調査によるものですが,分野別及び地域別の割りつけを行って,日本全体としての傾向がきちんと把握できる形に整えています。
 それでは,まず,ゼミナール教育の観点からお話しさせていただきます。このゼミナール教育,人文・社会科学領域の先生方からすると身近なものかもしれません。それ以外の先生方は,一体それは何だ,ということもあるかもしれません。もともとはドイツで近世に開発された教育方法です。大学教育改革の柱だというふうにされていたもので,日本ではそれこそ明治の高等教育草創期から人文・社会科学領域で積極的に導入されてきたものです。いわゆる研究ベースで教育をしていくというようなことがよく言われますけれども,学生と教員,あるいは学生同士が緊密な対話によって知識・技能・態度を総合的に育成することを目指す少人数教育だというふうに歴史をひもとけば定義できるだろうと考えております。
 また,一般的には,専門ゼミナール(専門ゼミ)というように下に書いております専門教育課程で高学年次,3年生,4年生,中には2年生から始まるところもありますけれども,3年生,4年生といった高学年次の専門教育として行っているものであります。他にも、初年次教育ですと初年次ゼミだとか,あるいは教養教育の教養ゼミだとか,あるいは2年生の専門基礎ゼミ、(プロゼミナール)というものがあるいうふうに,いろいろな種類がございます。
 とりわけ今日,私がお話しさせていただくのは,この「専門ゼミ」というところです。こちらが最も一般的でして,人文・社会科学領域の98%の学科が導入しております。うち84%が必修であるという回答を得ております。アンケートの特性上,実際はもうちょっと少ないのかなという気もいたしますけれども,人文・社会科学系では高学年次の学生に対する中心的な教育を担っていると言えます。
 先生方が今話題にしていただいております卒業研究・論文もゼミの中で作り上げるということが多い。全てではないんですけれども,非常に密接に関わっているということで,こちらの話をまずさせていただきます。ここは「出口の質保証」に大きく関わってくる部分であろうと認識しております。
 こちらのデータは私のデータではなくて,東京大学様のデータになります。前提として押さえておきたいんですが,知識・技能・態度というものがある中で,この技能と態度の部分,特に汎用的能力,態度・志向性の修得において,どのような教育方法が最適かということに関して,教員は,ゼミ・研究室単位の少人数授業が非常に効果的だと考えているということがこのデータから明らかになっています。8割以上の方が,ゼミ・研究室が効果的だと言っているわけです。
 しかしながら,私の教員調査で,実際のゼミで何を目標として掲げていますかと聞きますと,汎用的技能を目標として掲げているというところは4割も満たないという結果になっております。態度に関しましても,例えば社会人としての姿勢とか態度の育成はぎりぎり5割をちょっと超えるぐらい,総合的な人間性の発達は5割に届かないぐらいというような形になっていて,期待しているほど目標にしていない実態が浮き彫りになりました。
 さらには学生にも同じような形で,身についたと思う能力を全てチェックしてくださいというような形で聞かせていただいたんですけれども,汎用的技能が身についたと答えた学生は2割にも満たない,社会人としての態度についても3割に満たない,総合的な人間性の発達も3割に満たないというような,成長実感が結構低いということが分かります。
 教員側としては,知識の活用力を高めるということを7割の人は目標にしていると答えていますが,学生側でこれが身についたと答えている学生は3割ぐらいしかいないということで,かなりギャップがあるということが明らかになっております。
 こちらは就職活動との関連について学生に尋ねた結果ですが、ゼミでの経験というものが話のネタとして,話題として,4割ぐらいの学生が役に立ったというふうに答えていますけれども,スキルという面,まさに汎用的技能ですけれども,こちらが就職活動の中で役に立ったというふうに答えた学生は2割にも至っていない。先ほどの成長実感とかなり親和性が高い結果が出ているというふうに思います。
 ちなみに,全部のゼミ生が成長していないのかというと,そういうわけではなくて,成長している学生と成長していない学生がいるということは明らかであります。それは学生の態度が与える影響というのもあるだろうということです。ゼミというのは勉強プラス人間関係をつくる場で,共同体的な部分があります。今はほとんどできなくなってしまいましたけれども,コンパであるとか,合宿であるとか,日頃一緒に食事を食べたりだとか,そういったことも含めた活動がある。つまり、学習側面と共同体側面という二面性がありますけれども,この両方を積極的に行ったという学生は,やはりゼミを通じて非常に成長したと思うというふうに答えているということが分かります。そうではない学生,消極的な学生というのはあまり成長しないですね。やっぱりなということでありますけれども,そのような結果も出ております。
 では,教員側はどうやってゼミをつくっているのかということで,「ゼミの在り方に影響を与えたものは何ですか」という設問もあります。この中で高かったものというのは順に,自分自身のゼミでの試行錯誤,学生とのやりとりですね。そして,教員自身の学部学生時代のゼミの経験,そして教員自身の研究における考え方や研究哲学ということになっておりまして,とにかく非常にクローズドですね。教員自身の経験とか考えの中でゼミをつくっているということが分かります。
 一方で,大学の教育方針であるとか,あるいは学部の教育方針というものは影響力が小さいということです。組織として必修科目は非常に重要だというふうに言われているにもかかわらず,組織的な方針というのはあまり影響を与えていないという実情があるということが分かります。
 実際に専門ゼミの中でどういうような評価をしているのかということで尋ねますと,レポート,プレゼンテーション,あるいはグループ活動の貢献度といったいわゆるパフォーマンス評価ですね。学生の能力を直接的に評価する方法というのを多くの教員が取っているということは分かります。しかしながら,「評価基準を明確に示しているか」という問いに関しましては,2割に至っていないということです。パフォーマンス評価をやっているんだけれども,評価基準は非常に曖昧であるということが明らかになっております。また,このあたりは後ほど整理して問題提起させていただきます。
 続きまして,卒業研究・論文についてはどうかということです。まず,「何のために卒業研究を書かせますか」,これは教員に対する質問です。そして,学生には,「なぜ卒業論文に取り組みますか」,こういう設問で聞かせていただいているものなんですけれども,教員側は,学士課程教育(4年間の学び)の最終成果物とするためというふうに考えている教員が8割ということで,本当にこれが集大成だというふうに教員側は考えていることがわかります。
 しかし,そう考えて論文を書いている学生というのは,4割にも満たないのです。では,学生は一体なぜ書こうというふうに考えているのかというと,簡単に言うと,義務だから,あるいは通過儀礼として大学生は書くものだからというような,そういうような形でやっているということでございます。この辺り,学生側になぜ卒業論文に取り組むのかという認識というのがうまく伝わっていないのではないかというふうに考えられます。
 また,実際の質ですね,卒業研究や卒業論文の質というのは,どうなっているんだろうということです。これは教員側に「どれぐらいの目標設定で書かせていますか」と「実際に出てくるもののレベルはどれぐらいですか」という2つの設問で聞いています。結構酷なというか,非常に答えにくい質問なんですけれども,率直に答えていただきまして,こちらは目標としては,「学会報告は難しいまでも,研究論文として適切な中身であるというレベル」,これが6割ちょっとということです。ちょっと驚きましたのは,文字数や体裁などの規定が守られるレベルという回答が,28%もあるということです。では実際のレベルはどうかと言いますと,文字数や体裁などの規定が守られるレベル,これが半分以上あるということで,中には研究論文として適切とは言えないようなものが出てきている,質の低いものが出てきているということがあるんじゃないかと言えます。
 実は卒業論文の質の問題というのは,今に始まったことではなくて,エリート段階であった,要するに一部の本当に優秀な学生だけが大学に行く時代であった明治・大正期においても問題視されておりました。京都帝国大学法科大学,こちらでも最初は実は必修で入れていたのを必修でなくしてしまったんですね。その理由を3つ,当時の文献は挙げておりまして,1つは,論文というのは院生のものであって,学部生のするものではないということですね。2つ目には多大な労力,これは教員側だと思いますけれども,多大な労力を払っているけれども,不完全な作品が非常に多いということ。そして,理由3は,法学ならではだと思いますが,読書力を上げるとか,特別な知識を習得する上では卒業論文というのは有益だけれども,政治とか法律関連全般の知識習得ということには向かないということですね。当時,文官任用試験の結果が非常に注目されていて,それが京都帝国大学生は悪かったということで,卒業論文がなくなった。実際,なくしたら合格率が上がったけれども,図書館に行く率は下がったというようなこともあって非常に嘆かわしいといったことが当時の文献に書かれています。
 実はこれ帝国大学だけじゃないんです。私学においても同じような問題が起こっておりまして,関西学院の高等学部においては,論文を書くために授業を休む学生が増えて,にもかかわらず論文として優れたものが少ないということで,卒業論文というのはやめようと。代わりに指導教授に研究報告を提出するにとどめよう,そういうような形になったということです。
 エリート段階ですらこういう状況だったわけでございますので,現代のユニバーサル段階の高等教育においては,一体どんなレベルのものを求めていくんだろうかということは重要な問題ではないかと思います。
 では,そのレベル感というものは,どのように見られているんだろうか。ここは評価基準になってくるわけなんですけれども,評価基準そのものが統一されていて,ルーブリックとかチェックリストとか何らかの評価表として明示している人文・社会科学領域の学科というのは2割にも満たないというような状況になっております。約7割の学科では評価基準が組織的に統一されていなくて,個々の教員の基準で見ているんだというようなことですね。学士課程の最終的な評価というものになっているにもかかわらず,評価の基準は教員によって違うというような現状があるのではないかということです。
 そういったところから私も問題意識を持ちまして,卒業研究・論文の評価規準を公表している大学,あるいは論文として提示されている事例を集めてみました。。私のほうで集められたのは24件だけだったんですけれども,ちなみにこちらは人文・社会科学領域だけではなくて,工学,農学,保健領域,教育学領域など,全ての分野を包括的に集めてさせていただきまして,どんな規準があるんだろうかというのを,体系を整理したものがこのようになっております。
 このように研究過程,論文の構成に当てはまるものが多いんですけれども,それだけではなくて,その背景にある能力を評価する,あるいは研究成果そのものも評価する,こういうような形で評価規準が組まれている。これは分野によって傾向がちょっとずつ違っておりまして,工学系というのは,かなり研究能力というところをきちんと評価していこうという意識が強く感じられます。一方で,人文科学領域においては,むしろ研究能力というよりは研究過程のところに重きが置かれているような形。社会科学領域は研究能力と研究過程の両方を見ているなというような,そのような印象がございました。
 こちらは実際の評価規準はどんなふうになっているのかということで,一つ広島修道大学さんの事例を少し整理させていただいたものになっております。こちらがすばらしいなと思いましたのは,ディプロマポリシーをまず出発点にして,そこからいかにそれを卒業論文・卒業研究で評価し得るかという,このような形で実は評価基準を構築されておられるというところがよくできているなと思います。
 加えて,教員評価だけではなくて,ピア評価,学生同士の評価であるとか,自己評価なども加えて,非常に多面的に卒業論文・卒業研究を評価しようというようなことが試みとしてなされているということがあります。一事例として,参考になるかと思い提示させていただきました。
 それでは,最後にまとめをさせていただきます。本当にいろいろとたくさんの話を早口で話させていただきましたので,整理がつかないというところもあるかもしれません。ここまでの話は,ゼミや卒業研究を出口の質保証に生かしていく上での5つの問題点があるだろうということです。
 1つ目は,汎用的技能や態度の育成,こういった部分,よくディプロマポリシーも書かれるわけで,それが効果的だというふうに期待されているのが専門ゼミなわけなんですけれども,必ずしもこのゼミが目標を掲げていなかったり,あるいは学生自身の成長実感が低かったりというような実態があります。
 2つ目には,卒業研究・論文について,教員側は学士課程教育の最終成果物と考えているかもしれないが,学生はそうは考えていないということですね。ここに認識のギャップがあるということです。
 3つ目に,卒業論文の質というものが,適切な中身に達していないものが過半数である。先ほど学習時間の問題がありましたけれども,中には一生懸命やっている子もいれば,全然やっていない子もいるというのは,まさにこういった論文の最終的な質にも表れてきているのではないかなというふうに予想いたします。
 そして,4つ目,1,2,3にも関わってくる問題だと思いますけれども,専門ゼミ,そして研究研究・論文の評価基準が非常に曖昧である。つまり,学生は何を目指しているのか,何のためにこれをやっているのかというのが,もしかしたら分からないままゼミや,あるいは研究論文に取りかかっているのではないかということであります。どこまでできて,何ができていないのか,何ができるようになったのか,そういったことを学生が理解するためには,評価基準は重要であろうと思います。
 そして5つ目,専門ゼミの在り方に大学とか学部の教育方針が影響を与えることというのが少ないということでございます。こういった専門ゼミや卒業研究・論文の議論を学科の中で組織的に行っていくことができなければいけないんじゃないかと思います。
 以上を踏まえまして,問題に対応する形ではございますけれども,今後の課題ということで、こういったことをしていくべきだろうということをまとめさせていただきました。
 まず,1つ目には,目的・目標の再確認であります。人文・社会科学における専門ゼミ,そして卒業研究・論文など,こちらの学習目標をディプロマポリシーと結びつけて規定していく必要があるということです。実は大学院のほうでは博士論文や修士論文の評価基準を明示しなければいけないということで,割と評価基準が明確になっていて,そこからブレークダウンする形で学部の卒論の評価基準を明記しているところもありますけれども,それとディプロマポリシーがどうつながっているのかというのは,よく分からないということもよくあります。
 ちなみに,ここで参考になりますのは,京都大学の松下先生が提起されておりますPEPAです。プログラムの教育目標に直結するような重要科目で,科目の評価とプログラム評価を結びつけて行うパフォーマンス評価のことであるということで,まさにその1つが卒業研究・論文,あるいは専門ゼミであろうというふうに思われます。全ての科目とか,あらゆる科目で成績評価を妥当性があるかチェックするのは非常に難しいと思いますけれども,こういう重要科目における成績評価をきちっとやることで,ディプロマポリシー(以下「DP」という)の到達度を客観的にはかるということは,非常に可能性がある話ではないかなというふうに思います。
 ちなみに,こういったゼミというのは1年生から4年生まで,担当教員は替わりますけれども,毎年必修であったりいたします。段階的にこのPEPAを導入することで学習成果の経過も測定していくことができるのではないか。入り口から出口までの過程の質保証ということも将来的には可能ではないかというふうに思います。
 そして,2つ目に評価方法の見直しということです。最終学年におけるDPの到達度の評価方法,これは論文だけではなくて何らかのレポートでもよいと思います。先ほどありましたけれども,法学部においても何らかの裁判についてのケーススタディーを行ったりすることがあるということで,そのレポートなどでもいいと思います。あるいはプレゼンテーションでもよい。理系とかであれば,制作とか製図,芸術系では卒業制作というわけですよね。卒業上演とか,あるいは,まだあまり積極的に言われていませんけれども,ポートフォリオを評価していく。こういった多様な評価,課題の中から学習目標に適したものを選択して評価をしていくということですね。最終的な評価だけじゃなくて,形成的な評価にもそれが使われてということが質保証においては大事ではないか。最後だけ確認すればオーケーではなくてということです。
 そして3つ目に,カリキュラムの見直しです。先ほどST比が高いほど卒業論文というものはなかなかやりにくいというようなお話も少しあったかなと思いますけれども,1つには,やはりゼミ教員の負担が物すごく大きいということがあります。4年生になってまで”てにをは“のチェックをするとか,1年生でもできるようなことを教えないといけないとか,研究の基礎が全くできていない学生を見なければいけないとか,いろいろなことがあろうかと思います。それでいうと,ゼミ以外の場できちんとライティング教育,あるいは研究教育を充実させていくであるとか,Project Based Learning(以下,「PBL」という。)やインターンシップといったものと連携をして,そこでの経験を研究に生かす,あるいはレポートに生かすというようなカリキュラムの連動というものを考えていくと,ゼミ教員の負担も少し減るのではないかなというふうに思います。
 そして,4つ目に公開性の向上です。卒業論文というものが公開されないというふうになりますと,それがプレッシャーにならないということで,結構いいかげんなものでもオーケーということになってしまいかねません。どこまで公開するのかという問題はありますけれども,公開性があれば,少なくとも指導教官以外の人に見てもらうということがあれば,質の高い教育や学習を促す緊張感を生み出すことにつながっていくかなと思いますし,社会に対して公開していくことができれば,社会の人からも理解されるだろうというふうにも思います。
 ちなみに,本学の看護がコロナの前はずっとこれができていたということです。卒業論文発表会というものをやっておりまして,このようにポスターセッション形式で,全学生が5分から7分ぐらいで発表して,それを同回生はもちろんですけど,後輩,低学年の学生,あるいは指導教官以外の先生方,そして,実は実習先の指導者の皆さんもここに来られて,この学生は実習ではこんな子だったけれども,こういうふうに考えていたのか,こういう研究をまとめていたのかということで,地域の理解が得られるというような形で,非常に高評価を得ているというふうに聞いております。
 ただ,公開していくとなりますと,倫理的な問題を含むことも多分にありますので,どこまで,誰まで公開するのかというのは調整が必要かとは思います。また卒業論文作成のための過程で,地域課題を活用させていただくというようなことができれば,地域連携と卒業研究・論文というのを少しつなげていけるとm思います。
 そして,最後になりますけれども,統一性と多様性の両立と書かせていただきました。これは何かと言いますと,ここまでの話というのは,いかに組織的に統一を図っていくのか,工夫していくのかというお話でございましたけれども,一方で,やはりゼミの先生,一人一人の専門性の違いというものが多様な教育を実現していると。それに合わせて多様な学生たちも自分に合ったゼミを選んで,自分に合った卒業研究をしていくということも実際にはありますので,統一性を持たせるべき部分と,いや,ここは多様でいいんだという部分というものをいかにバランスよく考えていくのかということが,実は豊かな学びの環境づくりにつながるのではないかと思っております。
 非常に雑駁で早口で申し訳ございませんでした。私からの報告は以上でございます。ありがとうございました。
 
【永田部会長】  西野先生,ありがとうございました。
 それでは,最初に,西野先生に対しての御質問等をお伺いしたいと思います。いかがでしょうか。
 大森委員,どうぞ。
 
【大森委員】  西野先生,ありがとうございます。本当に大変貴重な御報告をいただいたと思っております。学内でも共有したい内容だなと思ってお聞きしておりました。ありがとうございます。
 ちょっと事実関係のところだけなんですけれども,最初に,教員調査のフェースシートのところで,学科の教育の責任者の皆さんにお答えをいただきましたという御説明をいただいたと思います。先生,御報告の中では,「教員側は」というような表現をされていらっしゃって,いわゆる学科長とか学部長の先生がお答えになったときに,個々の教員の先生のものもおもんぱかって答えられているのか,あるいは自分のゼミのことを体験として答えられているのか。何かその辺り,個々の先生方のお答えのようなデータがたくさんあったような感じもちょっとしたものですから,そこだけ教えていただけるとありがたいと思いました。
 
【西野専任講師】 重要な御質問をいただき,ありがとうございます。結論は後者でございます。答えていただいた先生のゼミはどうですかというふうに御質問させていただいた結果です。組織としての質問に関しては組織の長としてお答えいただきましたけれども,個別ゼミの目標設定だとか,論文の質とかはどうですかということに関しましては,御自身のゼミ生に関していかがですかというような形での問いかけになっております。
 
【大森委員】  ありがとうございます。
 
【永田部会長】  村田委員,どうぞ。
 
【村田委員】  ありがとうございます。非常に面白い,興味深い御報告をいただきまして,本当にありがとうございます。
 私から2点ございます。1点は,関西学院の例が挙がっておりましたので,少し補足をさせていただきますと,大正期にゼミの廃止事例があるのは事実なんですが,実は戦後, 70年安保のときに,70年に学長代行提案が出まして,少人数教育をするという方向で,そのとき以来,ゼミを必修にしています。ただ,一部の学部で必修ではないんですけれども,8割から9割の学生がゼミを取っていると,2つぐらいの学部はそうなっているということで,少し事実関係を補足させていただきます。
 もう一点,これは私の質問なんですけれども,23ページのところに詳細な分析をしていただいており,出口の質保証をどうするかといったときに,PBLやインターンシップとの接合を考えながらゼミを活用していく。あるいは松下先生のPivotal Embedded Performance Assessmentですか,これとの関係をいいますと,このPEPAというものと,逆にインターシップや,特にPBLとどう組み合わせるかというのが,ちょっと補完的ではあり得るのかなというふうに思うんですね。
 もう一つは,特にその中でお聞きしたいのは,恐らくPBLというのは,今後これからの大学教育の主流になっていくというふうに考えておりまして,先生も先ほどおっしゃっていました,コンピテンシーレベルの能力をどう考えていくかということが重要になってくるときに,この辺りとゼミの評価,卒業論文そのものとゼミのパフォーマンスは違うと思うんですね。ゼミというのはもう少し,態度・志向性みたいなものが養われるわけです。そうすると,ここから問題の核心なんですが,ゼミの評価と卒業論文の評価を併せて評価をしている大学と,ゼミの評価と卒業論文を分けて評価している大学があるかと思うんですが,先生はどちらがより適切であると思われるか,御意見いただければと思います。
 
【西野専任講師】  ありがとうございます。非常に重要で複雑な問題だなというふうに思っております。
 まず,最後にいただいた質問で,ゼミの評価と卒業論文の評価が分かれている大学と一緒になっている大学があります。本当におっしゃるとおりでございまして,実はそれが年次にわたって変わっている大学もあるんですね。例えば本学などでも,もともと現代ビジネス学部というところは卒業論文が必修でございましたので,それでもってある意味ゼミの評価みたいなところもあったわけなんですけれども,今は,経済学部、経営学部に改組されまして,卒業論文が必修から外れたのです。ということは,ゼミのほうできちんと評価をしていただかないと最終的なDPの客観的な到達度は評価できないかなというふうに思うんです。となったときに,大学によって,出口であるDPの客観的な評価をゼミで評価するべきなのか,あるいは卒業論文という最終的な成果物でもって評価するべきなのかというところは,各大学の制度によっても違うんじゃないのかなというふうに思います。
 例えば卒業論文の評価とは言っていても,その評価基準の中に論文そのものだけではなく,研究過程を評価するような規準を入れていらっしゃる事例もあったりするんですね。  
そういう意味でいうと,各学科,学位プログラム別に客観的な評価をゼミの中で過程として見るべきなのか,あるいは卒業論文,あるいは卒業プレゼンテーションといった成果物で見ていくのか,そこの辺りは一つ議論していただかないと,統一的にこうするべきだと言うのは非常に難しいと私は思っております。
 続きまして,2つ目にPBLやインターンシップとのつながりということなんですけれども,PBLというのが,以前ですと特殊な科目というような形で多かったところが,どんどん広がっていって,それが必修科目になっているとか,あるいはゼミの中でもプロジェクトをやるというところが,特に社会科学領域では非常に多いわけで,結局,ゼミイコールPBLということもあります。本学もゼミの名前が,今まで「専門演習」という科目名称だったものが「プロジェクト演習」というふうに変わっているんですね。このようにPBLやインターンシップも必修のような形で導入し始めているところもあるというふうに聞き及んでおりますので,そういったものが必修で入ってくるというふうになりますと,これはやはりディプロマポリシーとのつながりというのをきちんと考えて,それでもって評価をすることができるだろうということであります。
 また,卒業論文・卒業研究との兼ね合いで言いますと,特に看護,それから医療系ですと,やはり実習を1つのネタにしてというか,実習前に研究課題を設定して,実習で技能を高めながら,かつ研究も同時に進めていくというようなことがございます。ということは,例えば人文・社会科学領域においても,3・4年次の例えばPBLやインターンシップの前に研究課題を設定して,その研究課題をインターンシップやPBLの中でいかに解決していくのか。そして最終的なレポートというものを示していく。結果的にはもしかするとそれは研究論文という形ではなくて,本当に実践レポートのような形のものが卒業論文の代わりとして認められていくということもあるのではないかなというふうに思っております。すみません,村田委員の御質問に答えられているというか,自信がないんですけれども,以上が私の答えでございます。
 
【村田委員】  ありがとうございました。1点だけ。私はゼミで養われる能力と卒業論文で養われる能力は違っている。先ほどの先生の御説明からもそのように受け取ったんですが,その辺りから考えると分けたほうがいいのではないかとは若干今思っているんですけれども,その点いかがでしょうか。
 
【西野専任講師】  ゼミが,例えば人文系ですと,ゼミイコール卒論を書くものだというようなところもあるんですね。3年生のときから研究課題を設定して,しっかり時間をかけてやっていくというところもありますので,その辺りを区分して評価するべきだというふうに果たして言っていいものだろうかと。確かに卒業論文そのもので見れる能力とゼミの中で見れるもの,いわゆるコンピテンシーとリテラシーというのを分けて評価するということが非常に私も分かりやすいとは思うんですけれども,それを分けて評価しなさいというふうに言い切っていいものかというところが,ちょっと自分の中ではまだきちんと整理できていない状況でございます。
 
【村田委員】  ありがとうございました。
 
【永田部会長】  川嶋委員,どうぞ。
 
【川嶋委員】  ありがとうございます。西野さん,お久しぶりです。
 2点,簡単な質問ですけれども,ひょっとしたら論文審査のときに確認していたかもしれませんが,忘れてしまっているので,改めて確認させてください。
 1つは,ゼミの人数についてデータを取っていらっしゃったかどうか。もしお分かりになれば教えてください。
 2点目は,今の村田委員のお話にも関連しますけれども,卒論を単位化している大学がかなりあると思うんですが,その場合,平均的に卒論に与えている単位数というのが分かれば教えていただければと思います。
 以上です。
 
【西野専任講師】 ありがとうございます。細かい数字は後ほど書かせていただければと思いますが,まず,人数につきましては,9割以上のゼミが20人以下ということになっております。ただ,一部のゼミにおいては20人を超えていくところ,下手をすると1学年当たり30人も超える,そんなゼミもございます。これが1つ目です。
 2つ目の単位数に関してですけれども,大体偶数の単位が与えられておりまして,平均すると,6か8ぐらいが割合としては一番多かったかなというところでございます。後ほど,すみません,データのをチャットに示させていただきたいと思います。少しお時間を下さい。
 
【川嶋委員】  ありがとうございました。
 
【永田部会長】  曄道委員,どうぞ。
 
【曄道委員】  ありがとうございます。西野先生,どうもありがとうございました。大変刺激的な御紹介だったなというふうにも思いますが,私からも2点お願いいたします。
 1つは,9ページの中で汎用的技能という言葉が使われていて,学生のこれに対する意識が非常に,意識というか,成果としての意識が低いという御指摘がありました。いま一度,汎用的技能というものについて,どういうものを対象とされているかということもお伺いしたいと思っているんですが,15ページのほうで目的意識に関する問題というところでは,汎用的技能というところをどのように入れ込んでおられているのか,あるいはここでは入れておられないのか,その辺についてお伺いしたいのが1点です。
 それから2点目は,23ページでカリキュラムの工夫をという御指摘がありました。ゼミ教員の負担を減らしつつというふうに書かれておられて,例えば”てにをは”の指導なんかで非常に負担が大きいという意味では,カリキュラムの工夫によってゼミ教員の負担を減らすためにというふうにもお話の中で聞こえたんですけれども,一方で,そうなりますと,ライティングであるとか,そういったものをその過程で入れ込んでいくと,今,例えば開講されているいろいろな科目構成とか,あるいは科目数であるとか,そういったところで,例えば教養科目をそういったものに置き換えるという意味で,かなり限定的な配置を考えないといけないといったようなことになると思うんですが,先生のお考えとしては,この卒業研究や論文というものを出口の質保証の中で指標的な位置づけにするためには,そういった工夫が必要であるというふうにお考えになっておられるのかということ。
 蛇足ではありますけれども,4年生で”てにをは”を指導しなければならないという話については,それまでの学科や全体の共通科目等でのカリキュラムがそもそもうまくいっていないということでもあろうと思いますし,ひいては高大の接続や連携の問題にも関わることかなというふうに思うんですが,その辺りについてお考えがあればお聞かせいただければと思います。よろしくお願いいたします。
 
【西野専任講師】  ありがとうございます。まず,1つ目の汎用的技能,汎用的能力とかいろいろな言葉が整理されていない,いろいろな調査によっても言葉が違ったりとかして非常に難しいなと思っております。私のほうで調査をするときに,汎用的技能とは,これを指しますというようなことを明記はしていないというような状況でございますので,受け取り方が,先生,あるいは学生によっては違うかなとは思います。私自身は,コミュニケーション能力であるとか,プレゼンテーション能力であるとか,読んで字のごとくいろいろなことに応用が利く基本的なスキルというように認識をして尋ねさせていただいたわけでございますけれど,ということがまず1つ目の回答です。
 2つ目に,同じく汎用的技能につきまして,卒業研究・論文に取り組むところに入れていないのかということで,実はこれは入れていないという形になっております。ちょっとここは私自身がぶれたところで,リテラシーとコンピテンシーというふうに,ここをちょっと分けて書いてしまったので,そこのところを私ももうちょっとうまく調査できればよかったなと反省しているところでございます。
 そして,3つ目のカリキュラムの見直しという点につきまして,置き換えとか,新しいものを組むというのは本当に難しいのではないかという御指摘は,おっしゃるとおりだと思います。なので,1つは可能であるならばというのがありますし,私,大事だなと思いますのは,先生が最後におっしゃっていただいたことになりますけれども,あるものをいかに活用するかということが重要ではないかと。要するにゼミ以外でも必修の科目,あるいは非常に多くの学生が取っている科目というのがあると思うんです。最近は遠隔授業の影響もあって,かなりの授業がレポートを書かせるようになっているということです。
 ただ,このレポートが,多分書かせて終わりになっているところがすごく多いのではないでしょうか。加えて,大体学生の負担感を鑑みて,1,000文字以下のレポートを書かせるところが多くて,ふだんの授業では,例えば1,000文字ぐらいしか書いたことがないのに,いきなり卒業論文になって2万字書けと言われるということになりますと,何かほかの既存にある科目でも構わないので,少し大きな何千文字と書くようなレポートを課すような課題に変えていただくとか,それに対するブラッシュアップを,例えば教員だけではちょっと難しいということであれば,ティーチング・アシスタントであるとか,スチューデント・アシスタントといった学生が学生をサポートするというピア・サポート,ピア・ラーニング,こういったものをもっともっと積極的にやっていく。やはりST比が高いところというのは,ある意味で学生はすごくたくさんいるということになりますので,先輩が後輩を育てるというような文化をつくっていく,それと科目とどうつなげていくのかというお話もあろうかと思います。こういうライティングの能力だけではなくて,インターンシップやPBLもほとんどの学生に経験させる,既に今のカリキュラムにも入っているということであれば,それを活用して,何か研究とか最終的な卒業レポートにつなげられるような手続みたいなものをインターンシップやPBLを始める前に,何か学生に考えさせるようなことができないかとか,既存にあるものを活用するというのも非常に重要ではないかと思っております。お答えになっていますでしょうか。
 
【曄道委員】  どうもありがとうございました。
 
【永田部会長】  日比谷委員,どうぞ。
 
【日比谷委員】  西野先生,大変に興味深い御発表,本当にありがとうございました。
 私は数年前まで国際基督教大学の学長でございましたが,ちょっと御紹介の意味も含めてお話をした後に質問に入りたいと思います。先ほど単位数の話が出たんですが,まず,ICUは,卒論は全員が必修。1学年が620人ですので,620プラスアルファぐらいの卒論が出てくるわけですけれども,3学期制でございまして,毎学期ごとに単位をつけていくので,3掛ける3,ICUの単位って何かと3で割れないといけないというのが多いんですけれども,3掛ける3で9単位になっています。そうなると,9単位も出しているのにこんなことでいいのかという卒論ももちろんあるわけです。
 一方,すばらしいほうは卒業論文に賞が出るんですけれども,卒業式の後,賞をもらった人の報告会,長くはしませんけれども,自分はこういうことを卒論でしたという話をみんなするんですが,たまたま隣にいらっしゃる永田委員が学長をなさっている大学からちょっと前に移ってきた某先生が,自分が指導した卒論はピンからキリまでで,こんなんじゃ駄目だと思っているのがいっぱいあったけど,ほかの分野のいい卒論の話を聞くと,こんなにすごいのもあるんだと思って感心したというようなコメントもありました。
 というような状況の中で,特に日本以外で教育を受けてきた人から多い意見なんですが,そもそも全員のするものじゃないと。オーナーシーシスのような形で本当に優秀な人のみが書くようにしたほうがいいという意見が必ずこの議論をすると出るんですが,一方で,いやいや,全員が書くことに意味があるんだという意見もあり,今のところは全員が書いているんですけれども,先生御自身としては,ある程度卒業論文が書ける人を選抜して,本当に優秀な人だけが書くと。それ以外の人はもちろんDP達成しているかどうか,何か別な方法で調べなければいけませんが,卒業論文にある種の栄誉というんですかね,いい人が書けるものだというような,ある種の威信を付与すると言ったら言い過ぎですけど,そのことについては,どのようにお考えですか。
 
【西野専任講師】  ありがとうございます。先ほどの村田委員の御質問とつながるなと思ったんですけれども,ゼミと卒業論文を分けているというケースに関しましては,私個人の意見としては,卒業論文をやるという学生は絞ってしまっていいんじゃないかと思っております。要するに,とにかく研究というもの,1つのものをとにかく探求し切って,それをしっかり長文にまとめ上げる,まさに大学生らしい学びみたいなものをやりたいという学生も中にはもちろんいると思うんですね。大学院生になりたいという学生も中にはもちろんいると思いますので,きちっと指導したほうがいいですし,希望する学生のみ対象とした方が教員も指導しやすいのではないかなというふうにも思いますので,それは,私はいいことじゃないかなと思います。
 一方で,もしそうするのであれば,ゼミの評価というのはどうするかというところで,やはりそこはある程度の評価基準の統一を,評価課題によっても違うかなというふうに思いますけれども,統一してやっていただく必要はあるかな。そこで出てくるのは研究論文ではない,何かケーススタディーレポートみたいなものかもしれませんし,何か体験レポートみたいなものかもしれませんし,本学経済学部と経営学部ではラーニングポートフォリオを最後に1枚物でつくって全員に提出させるというように考えています。これは必修で,それを評価するというようにしようという形で動いています。そういった形でゼミで担保するということでいいのかなと思います。
 といいますのは,実は今回,教員調査のアンケートの中で教員側から,「なぜ学生に卒論を書かせるのか分からない」ということを書かれるケースが1つではなかったんですね。そういう教員が卒論を書けと言うわけですから,学生はもっと分からないだろうなと思うわけでございまして,改めて卒論は何のために学生に書かせるのかということが,今,先生がおっしゃるような一部の学生に書かせるのか,それとも全員に書かせるべきものなのかというところの分岐点になるのかなと思いました。お答えになっていますでしょうか。
 
【日比谷委員】  ありがとうございます。
 
【永田部会長】  吉岡委員,どうぞ。
 
【吉岡委員】  ありがとうございます。大変興味深い御発表だったということと,いろいろなところで実感とも重なるところがあって,大変面白く聞かせていただきました。
 それで,幾つか意見と,質問というよりも意見に近いと思いますが,1つは,15ページのところというか,前半のところで何度か教員と学生の意識のギャップのようなアンケートが出ているんですけれども,1つは,おっしゃるとおり,なぜ卒論とかゼミ論を書くのかということについては,ある程度は学生にちゃんと説明すべきだなというふうに思うんですが,同時に,これ4年次生に対してアンケートをした場合に,多分,学生はこういう答えをしてくるだろうというふうに思うんです。何のために卒論が,効果があるのかということについて,学生はなかなか自覚はできないだろうと思うんです。しかし、自覚ができないからといって意味がないわけではなくて,無理やり書かせた卒論でも,ゼミ論でもいいんですけど,長いものを書かせるということの効果というのは,多分後にあってからも確実に出てくるだろうと思うんです。
 そういう意味では,卒業生とかに聞くと,あのときに卒論を書いてよかったとか,ゼミのときのあれが結構苦しかったけれども,今,身になっているというようなことを言う人間も結構多いので,これ調査としては多分難しいと思うんですが,卒業後何年かの卒業生に対する調査みたいなことがある程度できると,もうちょっと効果の測定ができるかなというふうに思いました。それが1点目。
 2点目はライティングの問題で,先ほどから,例えばそれこそ高大接続とかいろいろあるんですけれども,これは日比谷委員の御専門かもしれませんが,まさにTAが働くべき領域で,ゼミであれ,あるいはただのレポートであれ,そういうものを学生が書こうと思ったときのライティングの指導というのをできるような部局であるとか,あるいは,私が勤めていた大学では図書館にTAのたまりのようなところがあって,学生がそこに質問に行くと,それこそ学年にかかわらずレポートの書き方を指導する,あるいは調査の仕方ですね。図書館ですから資料の探し方等を指導する。これは多分,外国なんかだとライティングってTAの人たちの非常に重要な仕事で,部局に近いようなものがあると思うんですけれども,そういうことは割とすぐにできるのではないかと思いました。
 それから3点目は,お話で大変重要だと思ったのは,卒論にせよ,ゼミ論にしろ,発表会をするということは非常に効果的だと思います。既にやっていらっしゃる大学はたくさんあると思いますけれども,特にピア評価の側面というのが機能するのではないかと思いました。同時に,これはゼミに限らず,これも先生のおっしゃったとおりで,ゼミと授業の境というのは随分緩やかになってきていて,あるプロジェクトに基づく授業みたいなのを展開して,それの評価というのをやるという,そういう授業というのは多分増えてきている。特に企業と連携して何かをやったときに,プロジェクトを立ち上げた後に発表会というのをやって,企業の人も聞きに来て,いろいろな議論をするというような,そういうことというのは進んできているようなので,これは多分,今後の1つの方向かなと思いました。
 意見も含めて,以上でございます。
 
【西野専任講師】   ありがとうございます。少し今の御意見を含めて,ちょっと補足をさせていただければと思っておりまして,まず,1つ目に,卒業した後でどう役に立つかという,もうちょっと先のことも考えないといけないのではないかという御指摘がありました。実はこれに関しましては,本田由紀先生が『文系大学教育は仕事の役に立つのか―職業的レリバンスの検討』という書籍を出版されておりまして,この中で検討がなされております。うろ覚えで正確さに欠けるんですけれども,たしか卒業論文は量的調査の結果ではそんなに効果的というふうには出てなかったはずなんですね。それはなぜかというと,やはり一生懸命やる学生は役に立っていると答えるかもしれないけど,そうじゃない学生からすると違う。学生のときの卒業論文の取り組み方の姿勢がそのまま効果に出てしまっているのではないかと思います。卒業論文を一生懸命書いた学生にそれを聞くと,結構よかったなんていうふうに答えてくれるのかなと思っております。
 2つ目にTAの活用ということで,院生がたくさんいる大学はいいんですけれども,院生がほとんどいないというか,学部学生で成り立っているような大学だったりすると,スチューデント・アシスタントをどう活用していくのか,あるいはもしかすると専門の職員や教員の方を採用してサポートしていただくなんていうことも必要かな。それが図書館であったり,あるいはラーニング・コモンズだったりというところが場になってくるのかなと思います。
 3つ目のプレゼンテーションはいい方法だというふうに御指摘いただきまして,ありがとうございます。ちなみにプレゼンテーションを実施している大学さんは41.5%というふうな数字が出ておりまして,実は半分以下ということです。論文の評価というのは90%以上なので,論文を書かせるのは当然ということになりますけれども。また、どこまでプレゼンテーションが公開されているかまでは尋ねておりません。今後,こういったプレゼンテーションでもってコミュケーション能力も含めて評価できると私もいいのかなと思っております。ありがとうございました。
 
【永田部会長】  この後,意見交換会があって,だんだん意見交換会の雰囲気になってきました。せっかくですから西野先生に今の御説明に対する御質問や御確認がいいと思います。大森委員,どうぞ。
 
【大森委員】  すみません,2回目で申し訳ありません。今,吉岡委員がおっしゃったこと,ちょっとだけ御紹介です。質問は別なんですけど。本学でも学部生同士で,図書館でピアライティングチューターを置いていて,訓練された学生が低学年の学生,普通の授業の中でもレポートを出すときは,そこで指導してもらってから出そうねみたいな形にしてて,これは結構有効に利いてるなと思っています。
 すみません,1つ質問は,西野先生のお答えの中にあったことへの質問なんですけど,先ほどゼミの規模についての御質問に対して,20人以下はという20人という区切りで御説明をいただいたんですけど,私の認識だと,20人って相当に大規模ゼミのイメージがあって,せいぜい10人を超えるのか超えないのかみたいな感じかなという,10人超えると,うちではちょっと卒論指導できるのかみたいな議論が起こってくるという感じなんですが,その下も細かく数字を取られていますか。それとも20で区切られているとしたら,なぜ20という数字にされたのか教えていただけるとありがたいです。
 
【西野専任講師】  ありがとうございます。ちょっとまだ御提示できていなくて申し訳ないんですけれども,実際にはもっと細かく区切って聞かせていただいておりまして,もちろん10名以下というところも割合としては多くなっておりまして,20名以下に10名以下も含まれるということで非常に大きなくくりになっているということでございます。先生によってというか,やはりきちんと指導しようと思うと,10人以下じゃないとできない。医療系の先生というのは大体10名未満の学生を指導しているので,何とかなっているかもしれないけども、うちのゼミ生は25人いるんだよとか,30人いるんだよとかいうような話で結構バトルになるというか,そういうようなこともございます。
 いましばらく,すみません,先生方が議論されている間に数値をお出ししたいと思いますので,また議論の材料にしていただければと思います。
 
【永田部会長】  西野先生,ありがとうございました。このまま西野先生に議論を聞いていただきます。今の内容ではなくて,出口の質保証という観点から考えたときに,本日はゼミと卒論の話があったわけです。
 今日御紹介いただいたのは,初めにありましたように,人文・社会科学系,芸術や教育学系も含むということでしたが,自然科学系の話は多分,アンケートを見る限り,割とクリアに方向性がもう見えているのかなと思っております。いずれにしても,先ほどあった分野によって大分違うということを認識しながら,ここから意見交換をしたいと思います。出口の質保証ということを考えたときに,ゼミや卒研・卒論の意味を意見交換したいということで,まず,益戸委員,どうぞ。先ほど挙げていただいて,下ろされてしまいました。
 
【益戸委員】 社会との接続における教育の質保証を上げる重要性という観点から、民間側ではどのような視点で学生を見ているのか申し上げます。かつて大学まで進学する方が非常に少なかった頃は、大卒であれば、人間力、キャラクター、知識、知恵、考え方が全て備わっているだろうという前提で,楽しいインタビューが中心という時代もありました。しかし、最近では少数精鋭、人口減少という中で、企業は生き残りをかけて優秀な人を採りたい、または、成長分野を大きく発展させるためにさらに優秀な人を採りたい、という現実があります。
 私は、村田委員、日比谷委員、吉岡委員からの御質問はこの点で非常に関連していると思います。村田委員がゼミと卒論は評価を分けたほうが良いのではないか、ないしは分けるべきなのではないかという御質問をなさっていましたが、まさにそれは重要なポイントです。人間力やキャラクターというのは、クラブ活動やゼミ活動、面接での態度,振る舞いで大体分かるものです。努力してきたかどうかということについては,在学中の成績で分かります。どのような問題発見力をもつ方か,未来を見据えどのようにバックキャスティングができる方か、という点においては,卒論で何に取り組んだのかということを突き詰めていくと分かるものです。医学や工学や薬学などでは卒論がない分野もありますが、こういった分野では、バックキャスティング的に目標を定め努力されてきた学問なのではないでしょうか。
 したがって,質保証の上では、卒論やゼミの重要性というものについて、ぜひアカデミアの皆さんの中で深い御議論をしていただきたいと思います。ただし、評価をするという点で、絶対評価なのか、相対評価なのかにおいては恐らく大学や学問によって違ってくると思いますので、それが明確に社会に伝わるような形が望ましいと思います。
 以上です。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。先ほどの西野先生からの御発表にもありましたが,基本的に先生と学生の意識のずれというのが大きい。それは多分,今おっしゃったように,それぞれの意味をきちんと説明して行っていないからということだと思います。それから,大学や学部の方針とずれているというのも,意味を説明しないので,多分そのようなことになっていってしまう。分けて行うか行わないかは別にしても,今,それぞれの持っている意味をきちんと明らかにせよということかと思って伺いました。
 越智委員,どうぞ。
 
【越智委員】  先ほどのディスカッション,23ページで専門ゼミや卒業論文等を「出口の質保証」に活用する上での課題ということで挙げていただいて,ディスカッションもかなりされたので,よく理解はできたんですけれども,やはり私自身も,一人個人の教員,その先生の意見というか,資質によってそれが決定されるというよりは,ピアレビューがやはりあるべきだろうと思っております。4番目に公開性の向上ということで,プレゼンテーションの実施率41%というのを,質保証である限りはもう少し上げていく必要があるんじゃないのかなと考えます。少なくともあるプログラムの中での先生同士の意識の統一性というのはある程度あってしかるべきで,評価基準はある程度一定であるべきではないかというふうにも思います。
 それと,先ほど永田委員から言われた先生と生徒の考え方のギャップというのは,どの程度先生と生徒が会って頻回に話し合う機会があるのかというふうなところにもよると思います。アメリカでは少なくとも週に3回先生に会いますが,日本では下手すれば1回というようなこともあり,先生と生徒のコミュニケーションが非常にうまく取れておらず,日本と比べるとアメリカのほうがはるかに取れているというようなところを聞いております。
 そういうことと,それとこれを活用した出口の質保証というのが,最終的には私自身は就職につながる重要な鍵だと思いますので,卒論とか専門ゼミを企業サイドの方がどういうふうに捉えて,どういうふうなものであれば,これを大きな評価,採用の基準として持ってくるかというようなことを考える必要があります。やはり企業サイドとアカデミアの間で話し合いというのがない限りは,こちらはこちら,あちらはあちらということで,なかなかいい点を見つけ出すというのが難しいのではないかなというふうに思っております。もう少し益戸委員のような方に入っていただいて,この中でも調整をしていく必要があろうかと思っています。
 以上です。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。日比谷委員,どうぞ。
 
【日比谷委員】  ありがとうございます。今,出口の質保証についての議論をしているところなんですが,出口はいきなりやってくるわけではなくて,入り口から入ったから出るわけで,この話のときに,卒業論文とか専門ゼミにフォーカスが当たるのは,ある程度当然かとは思うんですが,私はもっと入り口からの道筋をきちんとつけない限り,出口で質保証することはできないと思います。
 今日たまたま調査の結果を最初に御紹介いただきまして,何かコロナで課題地獄だから授業外学習時間も増えているんじゃないかというような一部の予測もありましたが,2年生で見ると,相変わらず授業外学習は5時間以下であると。1年はデータがありませんけど,やはり大学に入った時点で,先ほど越智委員からお話もありましたが,週複数回の授業で,そこでしっかり課題を出し,授業に関する授業外学習時間が5時間以下では到底単位が取れないというふうに個々の授業科目の成績評価を組み立て,私が座長しました教学マネジメント指針の特別委員会でも授業科目が全ての基礎であって,そこから学位プログラムレベル,大学全体レベルに歯車がかみ合わさっていくということを申しましたけれども,やはりそこから組み立てて,2年生のときに授業外で5時間しか勉強していなかった人が,いきなり4年になって突然,そういう人もたまにはいなくはないですけれども,急に目覚めて,たくさん時間をかけて卒業論文を書くようになると私は到底思えませんので,先生の御指摘の中で,2・3年次でライティング教育の充実というようなことも大変に大事だと思うんですけれども,やはり入り口からしっかり組み立てていかない限り,出口で質保証をすることはできないと思いますので,産業界の御意見を伺うとか,そういうことは大変大事だとは思うんですけれども,やっぱり大学の中で入り口から出口までの何かすごろくみたいなものだと,ちょっと不適切な例かもしれませんが,ここで3つ進んだけど,ここで科目取れなかったら2つ戻るみたいな,これはキャップ制の話に通じると思いますが,そういう全体をきちんと考えない限り,出口だけを見ていて保証することは,私はできないと思います。
 以上です。
 
【永田部会長】  村田委員,どうぞ。
 
【村田委員】  ありがとうございました。今,日比谷委員がおっしゃっていることは,ごもっともだと思います。全体の構築が大事なんだろうなというふうに,そのとおりですから,まさに各科目での,先ほど西野先生のお言葉にもありましたように,レポートを書いてもフィードバックができていない。何かのデータだと思いますが,レポートのフィードバックがあるというのは,物すごく実は効果的だということがありましたから,そういうことをやっていくためにもキャップ制,それからできればICUでやっていらっしゃるように,セメスターではなくてクオーター等々のような形のことが必要なんだろうなというのはよく分かります。
 と同時に,今日せっかく西野先生に来ていただいてお話しいただいたのですが,そういう意味では,卒業論文とゼミというのは,もちろんライティングセンターをちゃんとつくった上で,1年生から書くということについての能力を高めておいた上で,卒業論文,1つのテーマについて自分でまとめていくということは極めて重要なんだと思います。一方で,PBLのようにチームでやっていって,先ほど益戸委員からもありましたように,外の課題について考えていく,チームでそれを解決して問題を発見していくという能力。そして,そこからそれを専門につなげて1人でまとめていく。同時に,ゼミでチームでやっていくというような多様な教育の仕方。そういう意味では,日比谷委員がおっしゃったように,いろいろな形の仕掛けを各学年のところでやっていって,最終的にはそれをゼミと卒業論文という形で集大成に持っていく,こういう仕組みが大事なのかな。
 今日の西野先生のアンケートを見ますと,個々の先生方は非常に努力されているんだと思うんです。それをもう少し大学,あるいは学部全体とうまく結びつけるような仕組みが足りないんだろうな。恐らくFDが足りないんだろうなと思いますので,そういった形で,今ある資源をうまく組み合わせて,特に日本の場合はゼミの教育って非常に特徴的で,そこが欧米,特にヨーロッパの教育とは違うと思いますから,そこをちゃんと重視というか,大事にしていくということ,その前提が,先ほど日比谷委員がおっしゃったような段階的な形でシステムを構築していくということが重要なのかなと思いました。
 以上です。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。
 川嶋委員,どうぞ。
 
【川嶋委員】  ありがとうございます。これまで委員の方々が述べられたことと重複しているところもあるのですけれども,改めて強調させていただきたいのは,日比谷委員がおっしゃったように,本来であれば,AP(アドミッションポリシー)・CP(カリキュラムポリシー)・DPの一貫性、要するに入試と教育課程と卒業時の到達目標を一体的に考えて,大学教育の質保証を考えていく必要があるんだろうという点です。質保証に関して、よく出てくる指標として学習時間がありますけれども,今回の調査では2年生の場合,授業内外の学習時間の合計で21時間が一番ボリュームゾーンという結果になっております。実は数年前に日本の研究大学とアメリカの研究大学でSERUという学生調査を行いました。今も継続して行っております。SERUというのはUCバークレーが中心に開発した研究大学の学生調査ですが,そのとき,くしくも日本の研究大学の学生とアメリカの研究大学の学生の1週間の学習時間は30時間で同じだったんです。
 ところが,その内容を見てみると,アメリカの研究大学の学部生は授業内が15時間,授業外が15時間,週45時間で1対2という単位制度上の学習量の比率には足りないんですけれども,それでも授業内の学習時間と授業外の学習時間が同じということで,その背景を考えると,アメリカの大学では3単位科目が普通ですので,週5科目を履修していて,それぞれの科目について3時間ぐらい予復習しているということになります。ところが,日本の研究大学の学生の場合、授業内学習時間が20時間,授業外学習時間が10時間でして,日本の1科目の単位数は2単位であることが通常ですので,履修している科目が10から12,3科目,毎週履修しているということになるわけで,これで本当にすべての授業の内容を理解して,次の段階に進めているのかには疑問符が付きます。このような懸念は,これは我々だけではなくて,アメリカの大学教員たちに実情を話すと,それで本当に日本の学生は理解しているのかという疑問を投げかけられることがあります。
 ですから,ここも先ほどキャップ制などの話題もありましたが,医歯薬系はかなり長時間学習しているようですけれども,それ以外の分野で,以前も出ましたけれども,1,2年次に多く履修し、学年進行とともに少なくなるという台形型となっている履修科目数を各年均等に4年間履修するような形に持っていく必要があるのではないかと思います。その際に,これも以前述べたことですけれども,就職活動等が大きく影響していると考えられますので,ぜひ産業界の方々とともにこの問題を解決しなければいけないと思います。加えて授業料をどう考えるかという問題があって,4年間払っていただく授業料は同額だと思うんですが,それが1年,2年生では、ある意味ディスカウントした形で授業を提供しているというのを経営的にどう考えるかという,授業料と履修科目数の関係を再検討することも必要かなと思います。
 本来大学生はフルタイムで学ぶという意味をどう考えるかということが重要ではないでしょうか。それからもう1点,出口のところに関わってですけれども,大綱化のときと同時期に学士がそれまでの称号から学位になりました。修士と博士は修了に必要な論文は学位論文と言っていますけれども,今日も議論となっていた,学士の学位授与の前提となっている論文は卒業論文と呼ばれていて、学位論文という性格づけではないように思われます。学士という学位を与えるからには,それにふさわしい内容と水準を持った論文を書くということをこれから重視していかないと,出口のところでいろいろな課題が起きてくるのではないかと思います。
 10年ぐらい前にスウェーデンに調査に行ったことがあるんですが,そのとき,今はわかりませんけれども,スウェーデンは卒業と学位授与は別だとお聞きしました。単位を取れば大学卒業になるんだけれども,学位については,論文を書いて,審査を通らないと学士の学位はもらえない仕組みだということを聞いて,目からうろこが落ちた記憶があります。では,どれくらい学位を取っているんですかと質問したら,あまりいないということでした。それはなぜかというと,大学を卒業するだけでも就職できるからというような話がありました。日本でも,卒業認定と学位授与という行為は一応概念上分かれているので,そこをしっかりと見直す必要があるのではないでしょうか。
 最後に,書く力ですけれども,イギリスのオックスブリッジのチューター制度では毎週課題図書を読んでアドバイザーに論文を提出しますし、アメリカでは科目ごとにミッドターム・ペーパーとかターム・ペーパーで成績評価が行われるのが一般です。つまり,期末試験ではなくて、論文を書かせることで評価するという,その積み重ねで優秀な学生は最終的にオーナー・シーシスを執筆することが認められることになります。日本の場合は各科目の評価がどうしてもペーパーテスト,期末テスト,中間テストに偏りがちですので,学期の節目節目で書く力を伸ばすという訓練を各授業科目で行うとことが望まれます。
 最後に,先ほど越智委員がおっしゃっていましたけれども,SERUというアメリカの大学との比較調査によると,アメリカの学生のほうが先生に対する満足度は日本の学生に比べて非常に高いんです。なぜか考えますと,週3回も同じ先生に会っていれば,やっぱり満足度は高くなるんですが,日本の場合は,10人以上違った先生に毎週1回しか会わないので,それぞれの先生に対する満足度は高くないと推測できるような結果も出ていますので,御紹介させていただきます。 以上です。
 
【永田部会長】  残り10分で,今5人,曄道委員,吉岡委員,益戸委員,大森委員,小林委員の順に,皆さんが発表できる程度に御発言をいただきたいと思います。
 それでは,曄道委員からどうぞ。
 
【曄道委員】  ありがとうございます。ここで出口の質保証を議論する際に,やはり意識としては,先ほど益戸委員も御指摘なさっていましたけれども,産業界,実業界の学生に対する評価ということについても十分頭に入れておく必要があると思いますが,今の学生に対する評価というのは,まだコミュニケーション力であったり,場合によってはバイタリティーという言葉であったりといったようなことで,卒業論文が評価の対象となるかといったようなことに行き着いていないように思います。
 ただ一方で,西野先生が提示された資料の19ページにありますように,学生たちにとって重要なことは研究過程を踏んだという経験であって,この中では批判的な思考であったり,論理的な思考であったり,あるいは研究そのものを構想する力であったり,そこに至る着想であったり,それから研究の成果に書かれているような独創性とか卓越性とかといったような創造性について問われる機会が多々あって,単に学術的専門性だけで我々もその論文を評価するのではなくて,こういった項目がどのように果たされたかといったようなことをしっかり評価をして,学術的な到達度があるからいい,ないということだけでない総合的な思考力について評価を与えるといった姿勢が,今後,明確になる,姿勢というか,評価基準が明確になるということも受け入れる実社会側に理解をしてもらうといったような努力も必要ではないかなというふうに思いました。
 以上でございます。
 
【永田部会長】  バックグラウンドが理系だと思うので,極めて理系の卒検の内容と同じです。
 吉岡委員,どうぞ。
 
【吉岡委員】  先ほど日比谷委員がおっしゃったとおりで,やはり出口を考えるときは,そこに至るプロセスがとても大事だというのが要だろうというふうに思います。それで,かつては教養課程というのがあって,教育課程が,例えば2年間教養学部があって,その後じゃないと専門に進めない。その内容の問題はいろいろあるにしても,そういうステップが途中にあったわけですね。学年制を取っていた大学もあったというふうに思います。今,学年制を取れといったって,これは多分不可能だと思うんですけれども,それに代わるものとして,最近あまり言われなくなりましたけれども,ナンバリングをつけていく科目の段階制,個々の科目における段階制というのがかなり強調されてきて,これは多分実施されているんだろうというふうに思います。これは個々の科目のナンバリングだけではなくて,やはり重要なのは学位プログラム全体での段階制のようなものをきちんと考える必要があるだろうと。
 基幹教員を考えたときに,やはり基幹教員という形で認められるべき教員というのは,学位プログラム全体に対して責任を持つというプログラムのマネジメントをやれる人たちということを念頭に置いていたわけですので,そういう教員同士の中での集団指導といいますか,どういう形で学位プログラムを運営していくのかという形で,その中に科目をきちんと置いて,それの段階制をつくっていくということが実質的には必要なのかなというふうに思いました。
 以上です。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。益戸委員,どうぞ。
 
【益戸委員】  先ほど越智委員からもお話が出ました最近の就職活動につきましては、大学入試の準備と同じく,学生間では企業ごとの質問の傾向についての意見交換が盛んであると聞いています。私がこの40年間ぐらいにわたり採用に携わる中で重要としていることは、ゼミで何をやってきたか,卒論は何に取り組んだか、などをとことん追求していくことです。ありがちな、あなたは男女平等についてどう思いますかとか,今後どういう仕事をしたいと思いますか、のような質問ではなく,学生が苦労をして一生懸命やってきたことを一生懸命深堀して聞いていくことで差が出ると思います。ぜひ学生の皆さまにはそういったメッセージを伝えていただきたいと思います。よろしくお願いします。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。大森委員,どうぞ。
 
【大森委員】  ありがとうございます。出口の質保証ということと,今日はゼミ・卒論ということで,質保証にそれを使っていけるのか。私は,ちょっと卒論は,質保証ってDPが達成できたかということをきちんとするということを考えると,ちょっと違うだろうというふうに思ってきたのが正直なところです。ただ,西野先生の今日のお話を聞いて,その可能性がちょっと見えたなというふうに思ったのも正直なところです。
 ただ,学修成果の可視化をするのは誰かといった場合には,これは学生自身であるということが明確に教学マネジメント指針にもうたわれている中で,卒論で身につく力,あるいは身についた力を学生自身が,例えば卒論発表会のときに卒論の内容だけじゃなくて,そのプロセスを通して自分はどう成長したのか,それがDPにひもづいてどうだったのかということが言えるようにならなきゃいけないという,そこまで考えなきゃいけないなということも気づかされました。
 ただ,DPってかなり大きな話で,日比谷委員がおっしゃるように,4年間かけて成長していくもので,その全てを卒論だけではかろうというには,今度は卒論の重みが相当にあり過ぎるなとか,それをやっていく,それこそ教員の負担もとかいうことを考えると,やっぱり卒論も非常に重要な評価軸の1つではあるけれども,それだけで集大成と言えるというのは,DPの達成という観点で見たときには,その1つであるというふうな位置づけにならざるを得ないんじゃないかなというふうにも考えています。
 以上です。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。小林委員,どうぞ。
 
【小林委員】 手短に。今日の議論は,人文・社会系の議論がメインだったと思うのですけれども,資料2を見ると,分野の多様性というものを考慮しておかないと,ゼミと卒論に関しても難しいかなという気がしております。工学系だとほとんどの学部生が博士前期課程には行き,卒業論文がそのままマスターの資格になっていくので,一生懸命ゼミも卒論もやっていると思いますが,いわゆる国家試験があるようなところは,なかなか卒論やゼミをやりなさいと言っても,それはまたちょっと違う社会的事情があるので難しいところがあります。
 今日新鮮だったのは,看護学部がコアカリの中に卒業論文を入れているので,自動的にみんな一生懸命やっているという西野先生の資料3の参考資料でした、国家試験がある他の学部は医学を含めて多分コアカリにはないと思います。やはり分野の違いというのはあると思います。
 あとは,大学設置審査会の分科会のほうにも所属しているのですけれども,いろいろ設置に関する大学実施調査をしたり,アフターケアをやったりしているうちに,大学による違いというのは相当あるのを痛感していまして,今ここにいらっしゃる方はちゃんとした――ちゃんとしたというのは語弊がありますけれども,しっかりとした大学の人たちがディスカッションしていますけれども,足元は結構大変で,定員割れの大学は,もう既に私立大学では47.5%あります。そんな状況ですので,卒論やゼミまでやっていられないという,場合によっては日本語教育から始めなきゃいけないという大学も結構あるのですね。そこをやはり多様性を考えないと,一律に議論することは難しいかなというふうに感じております。
 以上です。
 
【永田部会長】  ありがとうございます。
 日比谷委員が言われた入学から始まる例の3ポリシー,そのとおりです。それから今のように大学設置の問題まで出てきました。全部大学によって多様であるで片づけるわけにはいかなくて,小林委員が言われた設置基準にのっとったそれぞれの大学の勝手な部分があるわけですが,高等教育を受けた人がきちんと社会に出ていくことを保証するのにどうしたらいいかを話していて,個々の大学でどうするかは,その下にあるわけです。
 私も1つだけ申し上げると,最後の卒研のピアレビューというのは非常に重要だと思います。学科単位やプログラム単位で行うと,そこで先生たちが喧々諤々と議論します。これに先生たちが同じ意識を持って新年度の4月1日から臨みます。というのは,前年度末の3月に喧々諤々と議論した後に,きちんとうちの学科、プログラムはこれで行かなければならないとなるわけです。これを何年か繰り返していくとコンセンサスが当然出来上がります。実は卒検は先生の戦いの場であり,いかにきちんと指導していたかというのがもろに見えます。学生さんは試験の材料みたいになって,それをどのレベルまで引き上げていくかというコンペティションもその中には入ります。やはり理系の場合は,それがほとんどデフォルトになっているのではないかと思うのです。なので,いつか理系の話もどこかで1回聞いてみないといけないと思いました。
 それでは,皆さんの御意見をお聞きしましたので,次回以降の予定等を含めて事務方から御説明をお願いして,終わりにしたいと思います。
 
【髙橋高等教育企画課課長補佐】  その前に,もし1分あれば,西野先生のほうがチャットで先ほどの補足を流していただいているので。
 
【永田部会長】  西野先生,簡潔にお願いします。
 
【西野専任講師】  質問に対する御回答だけでございまして,細かい数字を上げさせていただきます。詳細は,また文部科学省のほうに確認いただければと思いますが,1学年当たりのゼミの人数に関して,先ほど10名以下が多いんじゃないかというお話がありまして,実は10名以下が40%ぐらいということになっておりますので,ごもっともかなと思います。ただ,10名から20名の間にも45%ぐらいということになっておりますので,半々ぐらいというようなイメージでございます。
 卒業論文の単位認定をしていないというところがありまして,ゼミの単位と一緒になっているというところもあろうかと思いますけれども,認定していないところが3割あると。認定している7割に関していうと,一番多かったのは4単位が多くて,次いで8単位と6単位というような形になっております。9単位も1大学,実は手を挙げていただいておりまして,これはICUさんなのかどうか分かりませんけれども,というようなこともございました。すみません,質問の回答だけです。
 以上です。
 
【永田部会長】  西野先生,さらにデータをお示しいただきまして,大変ありがとうございました。
 それでは,事務方からお願いいたします。
 
【髙橋高等教育企画課課長補佐】  ちょっとYouTubeに配信されている方にチャットの部分がどうしても見せることができないので,御説明いただきまして大変助かりました。ありがとうございます。
 それでは,本日,本当に西野先生,最後のフォローも含めてヒアリングを御協力いただきまして,誠にありがとうございました。
 また,委員の皆様におかれても活発な御議論,誠にありがとうございます。
 次回,大学振興部会は11月16日,14時から16時で予定しております。実施方法等については,改めてお知らせいたします。
 本日,時間の都合上,御発言できなかった点は事務局までお寄せください。また,よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
 
【永田部会長】  以上です。そろそろ皆様と対面でお会いできるでしょうか。文部科学省の通知も対面をデフォルトにしようという文言に変わりつつあります。本日はどうもありがとうございました。
 
―― 了 ――

お問合せ先

高等教育局高等教育企画課高等教育政策室

(高等教育局高等教育企画課高等教育政策室)