将来構想部会(第9期~)(第16回) 議事録

1.日時

平成30年4月24日(火曜日)14~16時

2.場所

文部科学省 旧庁舎6階 第二講堂

3.議題

  1. 我が国の高等教育に関する将来構想について
  2. その他

4.出席者

委員

(部会長)永田恭介部会長
(委員)有信睦弘,村田治,山田啓二の各委員
(臨時委員)麻生隆史,安部恵美子,石田朋靖, 金子元久,小杉礼子,小林雅之,佐藤東洋士, 鈴木典比古, 千葉茂,福田益和,古沢由紀子,益戸正樹, 吉岡知哉の各臨時委員

文部科学省

(事務局)戸谷事務次官, 小松文部科学審議官,伊藤文部科学審議官, 義本高等教育局長,常盤生涯学習政策局長,藤野サイバーセキュリティ・政策立案総括審議官,村田私学部長,伯井文部科学戦略官, 瀧本大臣官房審議官(高等教育局担当),信濃大臣官房審議官(高等教育局担当),下間大臣官房審議官(初等中等教育局担当),塩見生涯学習総括官,蝦名高等教育企画課長,三浦大学振興課長,小山国立大学法人支援課長,丸山私学助成課長,石橋高等教育政策室長 他

5.議事録


(1) 我が国の高等教育の将来構想について,資料1-1,1-2に基づき,事務局から説明があり,その後意見交換が行われた。

【永田部会長】  
 それでは,定刻になりました。第16回の大学分科会将来構想部会を始めさせていただきます。
 前回の将来構想部会では,教育内容や教育方法の改善,情報公開など学修の質保証について,さらには,大学の強みの強化方策としての連携方策等について議論を深めさせていただきました。
 本日は,懸案になっております,今後の高等教育の将来像の提示に向けた中間まとめ(以下、「中間まとめ」という。)の前文に相当する部分について御議論いただきます。つまり,今,高等教育が直面している課題や,2040年に向けて考えるべき観点について,もう一度議論をさせていただきたいと思っております。その議論を踏まえて,中間まとめの文章は今用意をしている最中なのですが,キーワードとしてうまく活用させていただきたいと思います。何よりも,2040年に向けて課題の把握とその背景の理解は当然のことながら,それを何とか乗り越えるための具体的方策を最終的に提言しなければなりません。したがって,これまで議論が進み,論点が見えやすくなっていると思いますので,このタイミングで御意見を伺い,もう一度見逃している課題がないかという確認をしたいと思います。
 各委員からは,お一人5分程度御発言いただくつもりでおります。重複する御意見があっても結構ですので,これからの説明に基づいて御意見を頂こうと考えております。
 それでは,御意見を整理していただいている間に,配付資料の説明を事務局の方からさせていただきます。
【石橋高等教育政策室長】  失礼いたします。まず,配付資料の確認でございますけれども,資料の1-1,1-2,資料の2という3点を今回御用意させていただいております。もし不足がございましたら,事務局までお申し付けください。
【永田部会長】  続けて,資料の1-1と1-2について説明をお願いいたします。
【石橋高等教育政策室長】  失礼いたします。資料の1-1と1-2を用いて御説明をさせていただきます。今,部会長から御説明がありましたとおり,将来構想部会は,ここまで15回を数えます。1回だけ懇談会の形になっております。そして,併せてこの諮問に関して詳細な検討をしていただきました制度・教育改革ワーキンググループも12回を数えるという状況になってきまして,諮問で書かれております,いろいろな観点については,議論を深めてきていただいております。先ほど部会長からもお話がありましたが,本日は,この資料の1-1のところで高等教育の将来像の前提となる観点ということで,資料を御準備させていただきました。これに基づいて御説明をさせていただきます。
 まず,社会全体の構造の変化に関しましては,これは既に今後の高等教育の将来像の提示に向けた論点整理(以下、「論点整理」という。),12月におまとめいただいたものを引き移す形にさせていただいております。更に何か付け加えることがあれば,是非御意見を賜れればと思っておりますけれども,学術研究や教育の発展,第四次産業革命,Society5.0,人生100年時代,グローバル化,地方創生,これらが構造の変化の中でのキーワードになると思っております。
 その中で,多様性ということがキーワードということで論点整理をおまとめいただいておりますけれども,多様性を実現するための「教育研究分野」「学生」「教員」とこれを支える「ガバナンス」ということを論点整理いただいているところでございます。また,加えて18歳人口減を踏まえた規模や地域配置といった議論をここまで深めてきていただいたところです。
 その際,国際的な高等教育機関の状況に目を転じてみますと,これは日本でも同じことだと思うのですけれども,やはり諸外国の高等教育機関を見ておりましても,国内の高等教育機会の提供という役割から,近隣諸国を含めた域内の高等教育機会の提供,高等教育がまだ充実していない地域における高等教育機会の提供,そしてオンラインでの完全にフラット化した形での高等教育機会の提供と役割が発展してきたと言えるのではないかと思っております。
 こう考えたときに,高等教育システムは,国,地域を超えて展開されるオープンな時代に入ってきているという認識を持つべきではないかということで整理をさせていただいておりまして,その際,学位授与を行う高等教育は,国際通用性があるかどうかが鍵であると。ここが,これまで議論いただきました学位プログラムへの転換や,国際的な観点からの質保証,学位等の国際通用性が基本となる考え方とも合致するところかと思っております。
 一方で,連携の議論を深めてきていただいておりますけれども,競争と,競い合うというところから,共に創るというような考え方へ転換していっているというのも,海外の状況からも見えてきているところでございまして,資源というものを共有化する時代が高等教育の世界の中でも始まっているのではないかと考えております。
 めくっていただきまして,既に人類が抱える課題は,国境を越えているというときに,高等教育とは何なのか,人類における普遍の価値を常に生み出し,提供し続ける高等教育を維持・発展させていくことができるのかというところが,今回の答申の「はじめに」の部分を書いていくに当たり大事になってくると考えておりまして,そのとき,新しい高等教育の姿,これは議論も進めてきていただいておりますけれども,教育内容や教育方法,キャンパスというものをどう再構築するか。高等教育と社会の新しい関係,これは学問であったり,研究者であったり,学生であったりという観点も入ってくるかと思いますけれども,社会との新しい関係をどう再構築していくかということにつき,答えを出していく必要があるのではないかと考えております。
 議論の観点例ということで,これもあくまで例として入れさせていただきましたけれども,高等教育が国,地域を超えて展開される中で,21世紀を生きるための教養をどう考えるのか,初等中等教育からの接続と多様性をどう考えるのか,人が集積するキャンパスの意義をどう考えるのか,人生100年時代と言われる中で,マルチ・ステージのライフスタイルが浸透し,高等教育を受ける機会が広がるという状況で,大学等に対する社会からの関与・理解と支援の在り方をどう考えるのか。経済社会の論理という言い方をしておりますけれども,産学連携,利益相反,公開性と秘匿性という,これまで大学が直面してこなかった部分がどんどんと大きくなってきているところでもございます。こういうことをどう考えるのか。学問の自由・大学の自治の現代的な意味をどう考えるのかということで議論の観点を入れさせていただいております。
 加えて,分厚い資料に関しましては,資料集ということで御準備をさせていただいておりますので,余り全体を御説明するということではないのですが,目次のところ,1ページ目を見ていただきますと,社会経済の変化,グローバル化の進展,情報通信技術の進展ということで整理をさせていただいております。社会経済の変化は,3ページ目を見ていただきますと,特に人口知能やロボット等による代替可能性が高い労働人口の割合や,代替可能性が高い,低い100種の職業などの,こういうデータを4ページ目などには入れさせていただいております。
 Society5.0で実現する社会が5ページ目でございます。
 少し飛ばします。7ページ目には,人生100年時代の到来というところを,実際に2007年に生まれる子供の50%が到達すると期待される年齢や,8ページ目にマルチステージの人生というようなところを入れさせていただいております。
 9ページ目には,OECD加盟国の生産年齢人口の将来予測でOECD加盟国中,我が国は最下位になるというようなデータを入れさせていただいております。
 少し進んでいただきまして,14ページ目がグローバル化の進展というところでございます。人の移動に関しましては,我が国の場合ですけれども,やはり増加しているという傾向がございます。
 16ページ目などには,日本企業の海外売上高比率と外資系企業の動向なども入れさせていただいております。
 若者への海外留学などの意識については19ページ, 25ページを見ていただければと思いますけれども,諸外国に置ける人材獲得競争, 26ページはアラブ諸国の例になっておりますけれども,アラブ諸国における欧米の高等教育輸出状況などで,エジプト,カタール,ヨルダン,アラブ首長国連邦,オマーン等で海外の大学がどのような形で連携をしているかというのを見ていただけるかと思います。
 流動性の観点でいきますと,31ページ,外国人教員比率の国際比較なども入れさせていただいております。
 34ページ以降が情報通信技術の進展でございまして,携帯電話,インターネットの普及率などのデータを35ページ,36ページ,37ページあたりにさせていただいていますのと,将来構想部会の方でも御説明いただきました京都大学の飯吉先生の資料を少し使わせていただきまして,38ページ以降,MOOCsの普及などについても入れさせていただいているところでございます。
 以上のような資料も用いながら御議論を深めていただければ有り難いと思っております。
 説明は以上でございます。よろしくお願いいたします。
【永田部会長】  御説明ありがとうございました。今,資料の詳細については,適宜御覧いただきたいと思います。
 それでは,先ほど申し上げましたように,資料の1-1を中心に,1-2も参考にしながら,委員の方にお一人ずつ,御意見を伺おうと思っております。なお,村田委員,山田委員,益戸委員におかれましては,定刻よりも早めに御退出ということですので,まずお三方から先に御意見を頂戴しようかと考えております。
 それでは,益戸委員,どうぞ,お願いをいたします。
【益戸委員】 委員の皆様の御意見を是非お聞きしたいと思っている事柄があります。
 この将来構想部会で案をまとめていくに当たり,私自身まだすっきり理解できていないことがあります。
まずはじめが,部会でよく出てくる学問の自由,大学の自治,建学の精神にのっとり,この辺の言葉の意味です。
 また,去年の秋に政府から高等教育無償化の話が出たときに,新聞の世論調査がありました。日本経済新聞では,無償化賛成は44%,読売新聞では,「所得だけでなく,意欲や能力を重視するべきだ」との回答が46%という結果です。それ以来,ずっと頭にひっかかっている問題は,「高等教育機関は本当に世間から信頼を集めているのだろうか」ということです。
 この部会で取り組んでいる議論は,世の中の変化のスピードが早まり,今日頂いた資料1-1の中にあるように,例えば競争から共創,協創の時代へ進んでいる中で行われています。実際,私たち企業も,利益を最大化するだけではなくて,社会の一員としての責任を果たす努力をしています。従業員の働く意識も随分変わってきたと思います。特に50歳以下の社員にはその傾向が強くて,働き方やライフスタイルも変化してきました。今は,更に大きく変化する寸前の大きなきっかけ待ちとも感じます。
 さて,バークレイズは,今から325年以上前に創業したイギリスの金融機関で,日本でいうと徳川時代,徳川綱吉の頃の創業です。現在,バークレイズでは,世界中で5つの原点,すなわち,尊敬,誠実,奉仕,卓越した力,管理責任という価値観を社員全員が共有して働いています。しかし,これは会社の歴史をひもとくと325年前の創業時からあったものではなくて,その時代,時代で求められて来た事柄に基づいて変化してきた企業理念です。 当然,それの最新版がこの5つです。ですから,その価値観が変化していく過程では,ステークホルダーに対する考え方も大きく変化しましたし,政府や監督当局からの規制,監督,指導の形も時代の要請で変化してきています。 バークレイズの前に,私が20年間勤務してきたフランスの金融機関のパリバ,その後のBNPパリバは,まず民営化,その後国営化されて,また民営化され,その後に合併と,大きく姿を変えていきました。日本企業にも,創業の精神や社訓,企業理念があります。ただ,常に時代に合った形で,発展,変化しているのではないでしょうか。
 教育界の委員の皆様に失礼な私見かもしれませんが,学問の自由,大学の自治,建学の精神という言葉から受ける印象は,とてもクローズで変化を好まない,又は経営側や教える側の考え方に立っているように感じます。今の時代は,そして今後益々(ますます),ステークホルダーを大切にすること,そして教育を受ける側や高等教育機関を取り巻く環境に配慮して,もっとオープンな理念が必要とされているのではないかと考えています。もはや,高等教育機関の存在は,数%の大学進学率時代とは大きく変わり,その存在も,もはや特別な時代ではありません。幼児から社会人までの大きな教育の流れの中にある重要な公共機関です。ですから,当然その教育の結果責任もとても重いのではないかと考えます。
今述べさせていただいた事柄について,是非 教育界側の皆さまの御意見を勉強させていただきたいと思い,一番初めに手を挙げさせていただきました。

【永田部会長】  御意見ありがとうございます。このテーマについては,後ほど,改めて議論をさせていただきたいと思います。
 村田委員,どうぞ。
【村田委員】  私の方から,資料の1-1に書いてあることに関連してお話をさせていただきます。
 何回か申し上げたことがあろうかと思いますけれども,今回の将来構想部会の中で,一番議論をしないといけないのではないかと思っていることがございまして,実は,ここにAIと書いていますが,人口知能,あるいは自動化の発達がこれからの労働市場の構造にどういう影響を与えていくのか。それに対して,大学教育,高等教育の中身がどう変わらざるを得ないのかというところ,ここが1つ大きな重要な観点かと思っています。当然,その前提として,いわゆる知識基盤社会がもう既に来ているわけで,当然のことながら,先ほど益戸委員からもございましたように,いわゆるマスの時代ではなくてユニバーサルの段階に高等教育が入って,単なる知識や技能ではなくて,新しい広い経験の提供ということが今求められているわけです。
 そういった意味で,まさにその中で重要なのが,日本経済団体連合会の2017年度新卒採用に関するアンケート調査結果の中で,選考に当たって特に重視した点の回答として,1番目がコミュニケーション能力で82.0%,2番目が主体性で60.7%,3番目がチャレンジ精神で51.7%と,こういったことを,大学の卒業した学生に求める資質であるということも出てございます。
 さらには,恐らく日本だけだと思うのですが,いわゆる理科系と文科系の違いがあって,ここにも文理融合的と書いておりますが,本学でも文理融合的なことをやるときに必ず具体的な現場で直面するのは,理科系から文科系への転換,あるいは融合は簡単です。その逆はなかなか難しい。数学的な素養であるとか,あるいは理科の科目の素養であるとかというようなことがなかなか難しいことがございます。
 そういう意味では,これからは日本の大学は文と理に分けるのではなくて,全ての学生が両方のものを学んでいく。特にAIを考えた場合に,当然AIを理解するためにはアルゴリズムが分かっていないといけないので,そのもとにある論理的な数学的な力がないといけないわけですから,そういう教育は,全ての学生に施さなければならない,そういう時代に来ているのではないのかと思います。
 特に,これから,先ほど申し上げましたAIの発達,自動化の発達によって,ある有名な研究で,野村総合研究所の研究では49%の業務が機械に代替される。あるいはマッキンゼー・グローバル・インスティテュートの研究では,大体46%の人が今から10年後,2030年には転職をせざるを得なくなる。あるいは,同研究において日本の場合の平均は40代から50代の前半になっていますが,26%の人が仕事を失うかもしれないというようなデータも出ているわけです。
 逆に,新しい仕事がどんどんこれからまた出てくる可能性も指摘されているわけで,それがどういう仕事か分からない状況です。それこそ,今,益戸委員がおっしゃったように,時代とともに仕事が変わってくるわけですから,それに対して大学はどう教育をしていくのかというときに,当然のことながら,やはり重要なのは柔軟な学位プログラムであると考えます。今のように1つの専門を学部,学科を作ると3年か4年ぐらいかかってしまうのです。そうではなくて,すぐに転換できるような形での柔軟な学位プログラムという形で,学部,ディシプリンの垣根を低くして,学生がどういう専門でもすぐに自分の専門をとれる,あるいはメジャー・マイナーを必ずとるというような,かなり柔軟な形でしていかないといけないと思うのです。そのために,教教分離というのはものすごく重要になってくるのかと思うのです。
 他方,先ほど申し上げましたコミュニケーション能力に関しては,AIを理解できる人材と同時に,コミュニケーション能力を持った人材,両方持った人材が必要なわけで,コミュニケーション能力,単に人と会話できるのではなくて,異文化あるいは価値観が違う人の話をちゃんと聞く。あるいは,AIに必要なものについてはちゃんと易しい言葉で人に伝えていける,かなり専門的な知識を持って,なおかつ違った専門の知識を持った人たちがメジャー・マイナーを組み合わせながら協働して仕事をしていく,チームで仕事をしていく,そういった能力を含んでいるのだと思います。そういった教育を,これからは高等教育で求められているのではないのかと思います。
 確かに,今,初等中等教育ではアクティブ・ラーニングと言われていますけれども,アクティブ・ラーニングは単なる手法であって,大学の教育,高等教育で求められているアクティブ・ラーニングは,より社会と密接に関連した課題を学生が大学時代に実体験で経験しながらチームでその問題を解決していく,そういった経験を学生がしていくこと,そういった教育に変えていくことが必要ではないかと思ってございます。そのことが文理の融合にもつながりますし,それを発展させたものが柔軟な学位プログラムと,そうして,これからの激変するような社会に対して柔軟に対応できるような資質,コンピテンシーレベル,あるいはメタコンピテンシーレベルでの能力を大学のときに培っていく必要があるのではないかと考えてございます。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。山田委員,どうぞ。
【山田委員】  よろしくお願いいたします。私も,この観点を読ませていただいて,私の場合の観点は,どちらかというと元の地位ということもあって地域的な目で見てしまうのですけれども,社会全体の構造変化の中で,多様性,そしてオープン,国際通用性,またIoT,AI,これは本当にそういう流れだと思っているのですけれども,こうやって並べてくると,地方創生は非常に浮いているという感じがしておりまして,この流れの中で地方創生は一体どこにあるのかと言われると,非常に分かりにくい流れになっていると思います。地域配置という言葉も,何となく浮いた形で出てきているのではないかと思いますし,国際的な高等教育機関の状況という中では,より地域的な話というのは,どんどん片隅に追いやられていくような気がいたします。
 実際に,本当にそういう形なんだろうかと思ったときに,今,もちろん産業をリードしていく人,そして国際社会で活躍していく人,またAI,IoTを操りながら新しい社会を創っていく人,これも高等教育として必要だと思うのですけれども,我が国では60%を超える人たちが進学していく中で,そういう人たちが高等教育の対象になるのかというと,ちょっと違うのではないか。それだけの立派な社会人,産業人が出ていっても,地域社会が崩壊して地域の担い手がいなくなってしまえば,一体この国はどうなるのだろうと,そういう社会の担い手ということに対する高等教育の考え方というのは,もう少し出てもいいのではないかと思います。
 地域政策を学びたい子供たちは,私は多いと思いますし,私も実は京都府知事を辞めてから地域政策を教えることになっているのですけれども,この中で地域政策はどこに位置付けられるのかというと,非常に分かりにくいというのか,どこに入ってくるのか分からない。ただ,実際問題としては,社会の担い手というのは産業や働くだけではなくて,それぞれの地域社会を構成して地域社会のリーダーとしてそれを成り立たせていく資質というものが,今まで以上に,これからの社会では求められるのではないかと思っておりますし,実際,生き方からしましても,地域で頑張っていこうではないかとか,地域をよくしていこうではないか,医療や福祉や介護の現場も含めて,そうした中で働きたいという方がたくさんいるニーズを,どこで高等教育の将来像では吸収していくのかという点が,ちょっと分かりにくいという感じがまず一点いたします。
 もう1点,地域で今起きているということは何かと申しますと,大変極端な人手不足であります。既に日本の有効求人倍率1.5を超えている中で,地域の産業も,また地域のそれぞれの現場も,担い手がいない,人手不足ということで大変な状況になっております。そうしたときに,新しい高等教育が何を生み出すかというと,今まで活躍をしていなかった層にしっかりと社会の中でもう一度位置を占めていただける,そういう教育,リカレント教育系が非常に大きな形になるのではないか。例えば,子育てを終えた女性のリカレント教育,また高齢者,皆さんで定年を終えた方のリカレント教育,そして障害者の方の教育,こうした点は,まさにAIやIoTが出てくると,リモートワークも含めて,新しい働き方,新しい形での戦力というものがどんどん期待されるし,そうした観点が地域での社会というものを支えていく大きな力になってくる。そして,それを支えていくのは,リカレント教育を中心とした高等教育ではないか。こうした面もあるのではないかと思っておりまして,この2点について,うまく書いていただければ,要するに多様な社会になったときに,もちろん国際的に頑張る人もいるけれども,地域で頑張っていく人も出てくるのが実際のグローバル社会なのではないか。そうした多様性のニーズというものについて幅広く展開できるような将来像が少し出てくると,共創とか協創という言葉がもう少し生きてくるのではないかと思います。
 以上です。
【永田部会長】   ありがとうございます。これまでのところ,建学の精神を例に大学の根本的な問題,労働と職業というような観点からの問題,地域・地方という観点からの問題が提起されています。
 後に意見交換を行いますが,もう少し他の委員の御意見を聞いてからまとめていきたいと思います。
古沢委員,どうぞ。
【古沢委員】  ありがとうございます。まず,高等教育の将来像を考えるときに,私の方では,高大接続をどうするかという視点が大切だと思います。2020年度に向けて,大学入試改革が今まさに進行中なのですが,その中で,当初検討されていた高校基礎学力テストを理想的に機能させられないかと考えています。現在は,民間試験を認定する方向になっているようですが,海外では,御承知のように,多くの国で大学入学資格試験,若しくは高校生の学力到達度を測るテスト,例えばバカロレアとかSATというものが,重要な役割を果たしています。日本でも,多くの高校生の到達目標となり,入試でも使える基礎的なテストが導入されれば,大学入学の時点である程度学力の保証がされるということになります。そこが,いかに付加価値を付けるか,能力を伸ばすかという大学の役割がより明確になるのではないかと思います。
 もう1点,やはり大学の機能分化は必須ではないかと考えます。昨年,私はフィンランドで幾つか職業教育に特化した大学や大学院を見る機会がありました。在学中から起業を促す教育や働きながら学べる仕組みも充実していまして,連携する企業の側も,学生の発想を生かそうという機運がありました。日本でも,こうした動きを進めるためには,それぞれの大学が地域と連携することももちろん大事ですが,職業教育を重視した教育機関を拡充していくことが必要だと思います。
 最後に,将来構想というテーマで議論する以上,大学の数,全体の規模をどう捉えるかという視点はやはり大切だと思います。大学間の連携統合が視野に入り,あるいは設置者の変更ということも増えてくるかと思うのですが,各地域の事情やニーズも踏まえて,学びたい分野の高等教育にアクセスできる状況というのは維持する必要があると考えます。その上で,今度,定員増が規制される東京23区だけでなく,全国的にも設置基準の在り方を再検討することが望ましいと考えます。厳しい状況の中,過当競争で各地域の高等教育機関が疲弊するような状況は防ぐ必要があるかと思います。そして,社会人,留学生が,当面10年ということですが,定員増規制の例外となる23区については,学部レベルで多様な留学生をいかに引き付けていくかということに工夫を凝らす必要があるのではないかと思います。社会人,留学生対象の教育プログラムの構築,あるいは英語による授業などを重点的に推進していくことが,大学全体のためにも有効ではないかと思います。
 以前にも,この部会で指摘したことではありますが,アメリカのように短期の高等教育機関からより大規模な大学に編入したり,あるいは学士入学したりする道を開くなど,流動性を高めることも,18歳だけでなく社会に一旦出た人の入学に門戸を広げることにつながるかと思います。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。有信委員,どうぞ。
【有信委員】  ありがとうございます。益戸委員の学問の自由という話に大変触発されたところがありまして,いわば国の政策を実行する主体としては,国立の研究所だとか様々な国の行政機関があるわけです。その中で,常に国の政策が正しいとは限らないというところが,いわば学問の自由の根本的なありようだと思うのです。つまり,国が間違った方向の政策を出しているかもしれない,だけど大学がその学問の自由という自由を持っているがゆえに,自分たちのステークホルダーである国民に対して,やはり正しい方向を指し示す。これも正しいとは限らないけれども,その可能性を担保しているということで,学問の自由というのが重要だと思っています。
 そういう観点からすると,学問の自由といったときに,みんな自分の趣味で好き放題なことをやるのが学問の自由ではなくて,当然,益戸委員が言われたように,ステークホルダーに対する自分たちのやっていることの正当性をどう担保するか,ここが非常に重要なところになってきていて,その正当性を担保する仕掛けが,いわば大学の自治という言葉で表現されている。私はこれが本来の大学のガバナンスだと思うのです。つまり,学問の自由の正当性を担保するためのガバナンスの在り方をきちんと確立するということが一番大学としては重要なことだろうと思います。
 そういう観点の中で,これからの教育の在り方というのを考えると,教育というのは基本的には人材を育成する。何のために人材を育成するかというと,育成された人たちが,この社会に出て,要するにその人たちにどれだけの社会におけるコンピテンシーを身に付けさせるかということで,その観点からして,社会がどう変わり,これから職業はどう変わり,AIがどうのこうのという議論の中で,この子供たちがどれだけのコンピテンシーを発揮できるか,あるいはコンピテンシーを身に付けさせるかというところが教育が考えるべきことと思います。その根本は,これから先はしばらく知識基盤社会になる。知識が大きな価値を持つ。知識が大きな価値を持つというのは,人々にとって知識そのものが価値を持つのだけれども,その知識が価値を持つプロセスというか,価値連鎖そのものが大きく変わる。その大きく変わる価値連鎖をどう理解して,その中でコンピテンシーを発揮できるような人たちをどう育てるかということが,高等教育の基本的な使命。
 ただし,その高等教育の基本的な使命というときに,今具体的に言われているデータサイエンスだとかサイバーセキュリティが,この先,何年間重要であり続けるか,これは分からないわけです。そういうときに一番重要なのは,新しいことに取り組むときに,本当のコンピテンシーのもとになるのはやっぱり基盤となる知識の体系なのです。この基盤となる知識の体系が何であるか。つまり,自分の少ない経験の中で考えても,自分が新しい研究をやるときに一番のよりどころとなっているのが数学の基本的な知識であったり物理学の基本的な知識であったりするわけで,そういうものがあるからこそ,新しいことに対していろんな取組ができるというところがあるわけです。
 ですから,学部教育と大学院教育をどう考えるかということにもつながっていくのですが,少なくとも学部の段階では,そういう基本的な知識とは何であるか,その基本的な知識をいかに必要な形で身に付けさせるか,ここに特化をするべきだろうと思います。
 大学院は,いわば新しい分野に対してそういう知識をベースにして様々な取組を,様々な組合せでやっていく,こういう場所だろうと思うのです。したがって,そこは相当程度のフレキシビリティがあるし,その時々の流行(はやり)に流されるような知識を追求するのだろうと思うのですけれども,ただし,そのときの基盤になる知識を常に身に付けさせていなければいけない。こういう構造で,私は,大学での学部と大学院の役割分担を明確にした上で,それがいかに効果的に実行できるかということを検討すべきだろうと思っています。
 そういう流れの中で,例えば大学間連携だとか大学と研究機関と,様々な連携というのは,むしろ大学院レベルのところで,いわば孤立した研究者を多数輩出して,その間で競わせるのではなくて,重要な分野では協調,統合,競合ができる,こういう構造を作り出すような仕掛けを作っていくということが重要だろうと思っています。
 そういう意味で,今一番気になっているのは,ベースに人口が減っているからどんどん子供たちのコンピテンシーが弱っているというか,能力が落ちているような言い方をされるのですが,何年か前のPISAの結果を見ると,これは非常に印象的だったのでいつも言うのですが,15歳レベルで,数学や理科のリテラシーがレベル5以上の子供たちが20万いるわけです。120万人のうちの20万はレベル5以上です。したがって,今の子供たちが決してポテンシャルが低いわけでも能力がないわけでもなくて,これは,鍛え方に問題があって,当然,世の中も変わり,教育環境も変わり,学生の数も変わっているから,教育の在り方,やり方,知識の与え方もそれぞれ変わらなければならないのだけれども,そこが十分に対応しきれていない可能性もある。そういうことを含めて,新しい高等教育機関の在り方を作って整理する必要がある。
 ちょっといろんなことを言いましたけれども,最初の学問の自由につい触発されたもので,失礼しました。
【永田部会長】  ありがとうございます。有信委員の御意見に関連して申し上げますと,例えばオックスフォード大学では,基礎科目は50科目程度しかありません。この点から見ても,我が国の大学と比べて,学生が身につけるべきある一定の基盤的な知識をはっきりと認識していると言えると思います。
 千葉委員,どうぞ。
千葉委員,お願いします。
【千葉委員】  ありがとうございます。最近,某教育情報会社の古い資料が出てきまして,それを見ると平成5年をピークに18歳人口が減少しており,20年後には専門学校数はこのぐらい減るだろうという予想があるのですが,全く当たっておりませんでした。これはあくまでも机上の計算であって,我々は創意工夫をすることによってそれを乗り越えてきたというのがあるのだと思います。
 その創意工夫を先にやっているのは,実はアメリカで,アメリカの場合には,1963年ぐらいに高等教育の進学率が50%を上回るという時代が来て,そこからユニバーサル化が進んできた。日本と違って,右肩上がりに学生が増えてきたわけではなくて,減少する時代,増える時代,こういうのをずっと繰り返しながら現在まで来ているということです。既に閉鎖になる学校,倒産する学校,様々な学校が出てきております。
 そういう中で,1991年に玉川大学出版から「アメリカ大学の優秀戦略」という本が発刊されまして,その中には,様々な創意工夫が書いてあります。その中には,現在では世界的な大学であるカーネギーメロン大学なども,そのときの低迷している大学の一つとして登場しておりますが,そこで行われている創意工夫というのが様々な形で行われてきているというのが現在の状況かと思います。
 そこで彼らがやってきたことは,いろいろなことがあるのですが,一つは,我々が重んじているカテゴライズということです。それは,国主導,あるいは文部科学省主導でカテゴライズをしようとしているのですが,アメリカの大学は,自らカテゴライズをしているということです。それは,その地域,あるいは郡,あるいは女性,あるいは分野,マイノリティ,プロダクト,リカレント,様々な目標に向かって,今はやりのデザインシンキングとでも言うことかできるのかもしれませんが,それぞれのカテゴリーの人たちに対して最適な教育をするということで生き残ってきたということがあります。これは大いに学ぶべきことがあるのではないかと思うのですが,その創意工夫の中の一つに留学生の獲得というのがありまして,現在のアメリカの留学生数は104万人というのは,少し前の数字ですから,もう少し増えていると思いますけれども,カリフォルニア州などでは,全高等教育機関の10%は留学生が占めているという状況で,国別に見ていきますと,一番多いのが中国,そしてインド,サウジアラビア,韓国,ここまでで70%ぐらいになります。この国の並びが日本と大分違うということには,是非皆さんに気付いていただきたいと思うのですが,日本の場合には,中国,ベトナム,ネパール,こういう国々が上位を占めているということで,これはどのような違いがあるかということは,もう少し考えていただきたいと思うのですけれども,アメリカの大学も生き残りのための創意工夫の中で,そういう現在の優秀な留学生がアメリカに集まるという傾向にあり,これは是非我が国も見習わなければいけないことだと思っています。
 また,先ほど山田委員の方から地方創生の話がありましたけれども,アメリカの大学でも,地域に密着した大学というのは成功しているところがたくさんあり,そういう新しい形の大学というのを作っていくときに,これは結論に近くなってくるのですが,やはり大学の自由度というのが非常に重要になってきて,アメリカの大学における優秀戦略中でも,学長のリーダーシップというのは大変大きな要因として挙げられております。現在は,文部科学省の規則内で大学づくりをやっていく中,大学の特徴を生かすために,各大学の学長の専任枠・教授枠みたいなものが出てくれば,いろんな形が実現していくのではないかと思います。日本の場合には,大学院の進学率はアメリカに比べると4分の1,アメリカの方が日本よりも4.5倍ぐらい大学院に進学しているので,修士以上という形での大学の教授を選ぶときに,選択肢が広くなります。日本の場合には,大学で育てられた人と企業で育てられた人がおり,企業で育てられた人が教壇に立つということがなかなか難しく,そういうことの解決策を大学の自由度,あるいは学長のリーダーシップとラーニングアウトカムに対する一任という形で大学を運営していくことも必要なのではないかと思っております。
以上でございます。
【永田部会長】  ありがとうございます。佐藤委員,どうぞ。
【佐藤委員】   過去に発言したことを少し繰り返す部分もあるかもしれません。
 一つは,今,様々な地方創生も含めて議論すると,国立,公立,私立というような枠組みをどこか頭の中に置きながら話しているような気がします。そういう意味では,時代を超えて変わらないものが何かというようなことを踏まえて,将来像は議論すべきではないかと思っています。
 先ほどから委員の方のお話を伺っていて,まさに同感の部分がたくさんあります。特に,益戸委員の御意見は,そうだなと思う点が多いのですが,組織というのは,時間がたつにつれて変わらないといけない,変わらないというのは,何が変えさせないかというと,それぞれの学校が持っている建学の精神とか建学の理念が縛ってしまうということが結構あります。バークレイズのお話を伺いましたけれども,何百年の間に,その時代,時代に合った価値観とか,それを今は四つですとか三つの言葉にあらわされているとおっしゃったけれども,大学もそうではないかということを感じているわけです。
 当然ながら,それぞれの学校は設置の経緯も違うし理念も違うし,それが生きてくるような存在でないといけないと思います。それが1点。第2点は,私は,もう少し高等教育を囲む周辺の状況についても,しっかりと議論した方がいいのではないかと思います。例えば,米国でいうと,今は,古い考えになっているのかもしれない。最近のことはよく分かりませんが,常にK-16という流れの中で教育制度を考える。つまり,幼児教育から大学が終わるまでの流れの中で,どういうものを高等教育が支えていくかということを考える。そういう発想がもう少しあってもいいのではないでしょうか。今,初等中等教育の問題は初等中等教育,大学の問題は大学と分けて議論しなければなりませんが,これを踏まえて考える方がいいのだろうと思います。K-16というのですが,今現在の議論からいえば,更に大学院の部分も含めて議論をすべきかと思います。
 千葉委員から,留学生の問題についてお話がありました。もう皆さん,それぞれの大学が参加をしていますから御存じの方が多いと思いますが,国連のアカデミックインパクトで10の原則を立てて,その中の4番目の原則,高等教育の質を高めるスキル,知識を習得する機会を全ての人に提供するとありますが,基本的には,哲学として,進学率がどうのこうのという話ではなくて,あるいは18歳人口がこうだということではなく,国民が求めて高等教育を学びたいという人がいたら,それに対して十分応えられるような制度,それを議論するのが良いと思っています。
 アカデミックインパクト,それぞれの10の原則がコミットメントしているわけですが,4月の最初の段階で,世界中で1,213の大学がこれに加わっています。日本も,最初は13校ぐらいだったのですが,今は49大学になっていると理解しています。
 したがって,そういう中で,グローバル化といっても,アカデミックインパクトの参加大学もインドはかなり多いのです。しかし,その中で,日本の大学の制度というのは,どう外から見られているのかを考えていく必要があるのかと思います。
 学問の自由はとても大切なことで,最近は,設置基準というもので固く縛っておりますので,マスメディアの方たちから,私たち私学には在野の精神が欠けていると,反骨精神があっても良いのではないかということを言われます。しかし,自由さが発揮できるような環境を作ることも大切だと思っています。

 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。ありがとうございます。鈴木委員,どうぞ。
【鈴木(典)委員】  ありがとうございます。2040年の高等教育の将来像ということですので,これから25年後あたりにどうなるのかという予想を立てなければいけない,非常に難しい課題であって,しかし,自由でもあるという面があると思います。
 今から25年前というと1993年のことですから,93年から2018年までにどのように変わってきたかということを思い返せば,これからの25年後というのは,より一層変化の大きいところであるから,我々の将来像というものも非常に大胆な考え方をしなければならないのではないかと思います。
 それで,資料の1-1に,この2.の国際的な高等教育機関の状況とありまして,ここに国内の高等教育機会の提供というところから下に矢印があって,近隣諸国を含めた域内の高等教育機会の提供,高等教育がまだ充実していない地域における高等教育機会の提供,そしてオンラインでの高等教育機会の提供という,ある意味,段階的に進んでいく。国内のみに限られていた高等教育から,オンラインでの高等教育,つまりオンラインというのは世界共通ですから,グローバルな高等教育機会の提供に移っていくという,この段階的な発展が,25年後,あるいは25年をかけて行われるのではないかということが,ここで予想されるわけです。
 そうしますと,国内の高等教育機会の提供ということで,私は,個人的には,教育生産する学生を教育財という言葉を使ってずっとものを書いたりしているのですが,例えば今日の資料の1-2の26ページあたりを見ても,アラブ諸国における欧米の高等教育輸出状況という,高等教育の輸出状況という言葉が使われていて,これは初めて私もこういう資料の中で輸出という言葉を目にしているのですけど,やはり国内の生産から輸出に向かっていくということで,その後には,恐らく学生の移動である輸出,輸入ということよりも,大学自体が海外に進出していくというような時代が来るのであろうと思っております。その意味では,まだまだ日本の大学というのは,今申し上げた国内からオンラインにという段階の,まだ最初の段階にとどまっていると思います。
 結局,輸出とか,あるいは輸入ということを考えていきますと,教育自体が,ある国の教育とほかの国の教育が全く異なるということでは,全く輸出,輸入ということができないわけですから,教育の標準化ということがどうしても前提となっていなければいけないと。すなわち,科目,あるいは内容,あるいは使用言語についても標準化がなされていなければいけないはずだと思います。
 このオンラインということは,今,MOOCsというので全世界的に広がっているわけですけれども,これに対する対応が我々はどうしても必要だと。先ほど申し上げました国内の高等教育機会の提供から,次の段階,近隣諸国へと,あるいは高等教育がまだ充実していない地域へという高等教育機会の提供というのは,恐らく人を介して,あるいは大学の海外進出といいますか,そういう物的な,あるいは人的な移動を介して行っていくという,そういうプロセスではないかと想定されますけれども,オンラインになってくると,何も人は移動する必要はないと。あるいは,大学も移動する必要はないと。オンラインで行うんですから。そうしますと,今,我々が海外の大学へ学生を送るとか,あるいは海外から学生を受け入れるとか,あるいは海外に分校を作るとかという,いわば人と物的な施設的な世界グローバル化というところから,全く次元の異なるオンラインでの,すなわち学生も大学の施設も動かないで教育そのものが全世界を駆けめぐるという,そういう意味での学生のMOOC化,あるいは大学のMOOC化,そして大学の質保証ですね。資料1-1に,国際的な観点からの質保証という言葉が使われていますけれども,質保証,評価機関等の世界標準化というものが出てくるのではないかと。そういう意味で,学生,大学,大学の質を保証する評価機関等における三位一体の教育の世界標準化というものが起こってくるのではないか。これは25年後のことではありますけれども。
 そうしますと,もう少しの期間,大学,あるいは学生,それが海外に展開していくという期間が必要だと思いますけれども,それを過ぎた後は,もう一度,学生も動かない,あるいは大学も動かない,あるいは評価機関も世界標準の評価を行うという,いわば生態的な動きというものが顕在化してくるのではないかと私は予想しています。
 最終的には,教育の標準化という時代を経て,もう一度各大学は差別化,あるいは多様化,そしてまた競争の時代と。これは,競争というのは競い合うという時代ですが,そういう時代に25年後,あるいは30年後くらいには入ってくるのではないかという,10年単位で考えていくと,そう展開していくのではないかと思っております。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございました。小杉委員,どうぞ。
【小杉委員】  皆さんのお話を聞いていて,私の立場としては,やはり労働の話がしたいといいますか,この構造,資料1-1を見ると,労働は一体どこに行ってしまったのだろうという感じがしまして,多分,100年の中のちょっとかするぐらいに入っているのかとは思いますが。
 と申しますのは,これからの社会,変動が大きくなって,変化の幅が大きくなる,国際情勢によってまたいろんなことが一気に変わってくるという,変化の大きい社会になり,間違いなく学ぶことの重要性が増す。それも,やはり大学にいる22歳まではなくて,それ以降に学ばなければならなくなる可能性は非常に高いのではないか。そういうことに対して,大学はどれだけ貢献できるのかということが大事だと思います。そういうことを提供できるものは大学だけではないです。民間の株式会社もいろんなものを提供しています。ただ,大学の特徴は,学術をベースに持った体系的な学びです。社会の変化に対する人々の営みに対して貢献できるものが大学にはなくてはいけないし,そういうものを提供できるような仕組みになってほしいと思っています。
 そこで,この観点で二つの点にもっと踏み込んでほしいなと思うところがあります。一つは,日本型雇用との関係の話です。日本の大学は社会人が少ないわけですが,一番大きな要因というのは日本の雇用の仕組み,日本型雇用という長期雇用が,外で学ぶのではなくて企業内でのOJTを中心に学ぶという,そういう仕組みで,ある意味ではうまく回ってきたというのがあります。そういうことに対して,今後どういうふうになるのか。
 経済産業省の出しました新産業ビジョンでは,この日本型雇用の問題点をかなり挙げていまして,そこを何とかしなくてはいけないという話は出ています。ただ,日本型雇用がもうすぐなくなるというのは, 30年も前から言われているのです。言われているけれども,今でも,その中にある意味の合理性もあるので続いてきているというところがあると思います。
 問題は問題として,この日本の雇用の仕組みというのが大学にどういう影響を与えているのか,大学教育をどういうふうに縛ってきたかということの観点は絶対に必要だと思います。その上で,私は,グローバルに展開していくところはグローバルスタンダードみたいなところで動く部分が大きくなるでしょうけれども,一方で日本企業のほとんどはドメスティックな中小企業ですから,そういう部分についてはそう簡単にいろんなものは変わってこないかもしれない。その辺をにらみながら,基本は市場との対話だと思うのです。それぞれの,全ての大学が同じ市場に対応しているわけではないので,最初に益戸委員が問題提起されましたように,それぞれのステークホルダーとの関係で,大学は教育を作っていく必要がある。そこで,日本型雇用はこれまでこうだったけれども,かなり変化が大きくて変わってきていて,途中で学ぶことをどうしてもしなければならないから,今回,村田委員も御指摘になったAIとか技術革新の中で必ず学ばなければならないという状況は強くなるし,それが企業内のOJTではなかなかしにくいことですし,民間企業が提供する短期の学びでは十分ではないし,長期的な,体系的な学びというのも一方で必要で,これをきちんと提供できるようなものを作るということと,それぞれの大学の,市場との関係の中で,どういうような形の教育プログラムを提供するのがふさわしいか,それを作っていけるような仕組みにならなければいけない。つまり,大学がそれぞれに市場と対話しながら需要に合わせた教育プログラムを作るというプロセスの可能な仕組みにすることが大事だと思っています。
 もう1点は,これも村田委員がおっしゃったことをそのまま繰り返しのようになるのですが,やはり技術革新,AIというものの変化の中でどう対応していくかという問題があります。今回のこの資料は,なくなる,なくなるという話しか書いていないのですが,今の議論は,職業の全てがなくなるのではなくて,ある人のやっている職業の中のあるタスクがなくなる,タスクごとにものを考えなきゃいけないのではないか。多分,文部科学省の中でも,あるタスクはAIでやった方がいいと。でも,その人の仕事は全部がなくなるわけではなくて,その間の仕事の全部がなくなるわけではなくて,それをどう使うかということをきちんと習得していくことが大事なのだと思います。そういう議論の方が主流になってきているのではないか。
 放っておけば二極化して真ん中の人がいなくなるのですが,放っておかないことが大事というところで,その放っておかないために何をしたらいいか。それは,それぞれの役所の所掌でいろいろあるのですが,文部科学省の所掌の範囲で考えるなら,まず,システム教育ですね,文理の話も出ましたけれども,数学など理系の学問を通じて論理的な思考力をきちんとつけること。そして,本当に村田委員が全て言っていましたが,コミュニケーション,そういう村田委員がおっしゃるようなコミュニケーション,このあたりを新しい時代の教養教育という位置づけでしっかりしていただきたいと思います。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。石田委員,どうぞ。
【石田委員】  ありがとうございます。私の考えていることは,かなり今までの委員の方々の意見と共通する部分がありますが,地方国立大学という観点からのお話をちょっと付け加えさせていただこうと思います。
 先ほど古沢委員からもありましたように,機能別分化という形の中で国立大学,3機能に分かれた。本学は地方系の大学ということになったわけですけれど,個人的には,一つのあり得る方向だったと思っています。
 といいますのも,先ほどの山田委員の話もありましたけれど,やはり地方大学というのは,地方における知の拠点になるべきだろうというのが,私の思っているところでございます。特に,地方の国立大学は,総合大学が圧倒的に多いので,その特色を生かした地域の地の拠点ということでございます。一つは,やはり地域を支える人材の育成という観点でございます。結論的に言えば,学びの初め,あるいは興味を持つ,興味を持たせる学び,高校教育,あるいはそれを現実の中でのつながりを意識した大学教育,大学院教育,さらには,生涯続くリカレント教育や,リカレント教育にとどまらず市民力を高めるための市民教育的な部分まで,つなぎ目なく質の高い学びによって地域の力を高めていく,地域を支える人材を作っていくということが非常に大きな役目だと思っています。
 この点に関して,先ほど佐藤委員からもありましたけれども,この地域を支える人材の教育というのは,殊,高等教育だけで済む話では全然ないわけです。ベースには,初等中等教育であり,高等教育との間のつながりだけではなくて,その内容も含め,どうやって全体を作り上げていくのか,そこの意識がちょっと必要なのかなと。高等教育だけで全てが解決するはずもなく,そこのところはいつも疑問に思っていたところでございます。
 もう一つは,いわゆる地域における産業力等々の話がございますけれども,それについては地方国立大学というのは,総合大学でありながら比較的規模が小さい場合が多い。そうした中で,ここでも書かれていますけれども,学際的な研究,あるいは学位融合的な研究というのを大学院レベルも含めて非常にやりやすい環境にあり,また文理融合型の教育というのもやりやすい環境にある。それをリードし世界的なレベルの研究にまで育てていく必要があるのだろうと思っているところです。
 最後に,これは鈴木委員のお話とも関わるのですけれども,18歳人口が減る,あるいはパイを広げなければならない,留学生をより多く入れる,あるいは海外に向かって教育を輸出していくといったときに,鈴木委員もおっしゃったように,やはり一番注意していかなければいけないのは,教育の質保証ということだと思っています。単なる形式的な質保証ではなくて,内容も含めた実質的な質保証をしていかないと,これは国際的な,本当の意味での通用性はなかなかできてこないのではないだろうか。それで,先ほど鈴木委員がおっしゃったような教育の標準化であったり,国際的な教育の標準化であったり,あるいは国際的な相互認証システムといったようなもの,ここのところをきちんと考えていかないと,日本の教育は国際的にはなかなか難しい場合が出てきてしまうのではないかと思っております。
 以上でございます。
【永田部会長】  ありがとうございます。麻生委員,どうぞ。
【麻生委員】  今まで様々な過去の議論も含めて,資料1-2の48ページは,毎年更新されて出てくる推移表でございます。このタイトルが,「18歳人口と高等教育機関への進学率等の推移」というタイトルで,中身を見てみますと,赤いラインの進学率1,大学,短期大学,高等専門学校,専門学校,これが現在80.6%,下の進学率2というのは,大学と短期大学のみで52.6%プラス4.7%で57.3%。これは,私たち,ずっと見てまいりました。今後,本将来像を見据えた2040年の将来構想部会において,この出している高等教育という概念が国際的に本当に通用するのか。なぜかと申しますと,外国等のある統計を見ますと,高等教育,いわゆるハイヤーエデュケーションに対する,若しくは大学の進学率というのは,4年制大学の,日本では52.6%のみが上がることが多いのです。そして,そこでOECD諸国の中で大学への進学が低いと言われているのですが,今後,2040年に向かって,いわゆる進学率1で含まれているような大学,短期大学,高等専門学校4年次,専門学校まで含めたものの将来像の前提となる答申を出すというのであれば,ここの大学分科会の下にあります将来構想部会が定義すべき高等教育とは何かということを明確にしないとまずいのではないかと思います。
 なぜかというと,今までの資料や発言の中には,高等教育という言葉,大学という言葉,これが一番多いと思います。そして,大学等です。そういう内容をデータとして今まで使われてきていろいろ議論がなされてきましたが,実際は,専門学校等が果たしてきた役割は相当欠落しているし,もし高等教育というものを18歳以降教育を受けるというものと定義したならば,そういったものも含めて議論をして,将来像へ向けて考えるためには,大学と高等教育という概念を,私はきちんと定義した上で議論をしなければならないということをいつも思っております。
 そこで,国際的な質保証等の話が出てくるわけで,当然,国際発信をしていくという上では,国際通用性,学生の学習成果,学位プログラムといったものが今後の論点になっていくべきだと思います。
 それで,次に,今まで出ました地方創生や機能別分化に関しては,これは外せない部分だと思います。特に人口が集中して,地方には,ある県では,例えば四年制大学も1校か2校しかない,短期大学も1校,2校しかないという都道府県もあります。それとは逆に,東京圏や関西圏や中京圏のように大学がたくさんあるところもあります。それに関しまして,やはり重要なのは,ここで書いてあるように,産業との絡みが相当大きくて,やはり高等教育を多くの方に,受けたい人たちに受けられるような政策を出さないと,自宅からしか通えない,でも,近いところで高等教育を受けたいという人に,どうやってそういう機会を与えるかという観点も必要になってくるのではないかと思います。
 もちろん,様々な事情でその地域を離れられない,しかしながら自分の受けたい高等教育機関がないというのはまずいのではないかと思います。そういう意味では,地方に拠点となる国立大学はあると思うのですけれども,もう少し選択肢の広い専門学校や私立大学等を含めて,そういったものが分散的にあるのが理想なのでしょうが,実質的には人口問題や産業問題がそこに絡んでくると思います。
 我々が教育をやっているのは,もちろん学問の自由や大学の自治など様々あるのでしょうが,どちらかというと,資格や免許に相当縛られております。何かの資格を取るため,免許を取るためにどういう学科に行きたいということになって,身近になければ遠くに行かなければいけないと。これは,先ほどの地方との問題にも関係するのですが,例えば短期大学で言わせてもらえば,得意としている幼児教育,保育系,家政学系,これについてはものすごくニーズはあるのですが,全国全てにあるかというとそうではないわけで,それを目指している人のために,近くて手軽に教育を受けられるような観点というのが必要だと思います。
 それと,機能別分化というのは,もちろん研究をやるような機関もあってしかるべきですし,本当に実務的なことをやるところも必要です。せっかく平成31年度から専門職大学や専門職短期大学という新しい高等教育機関として発足することが決まっているわけですから,この観点が今の統計ではまだ読み込めないわけでして,専門職大学や専門職短期大学が実践的な職業教育を行うために,地域において,又はその分野においてそれが発揮できるようなものであるような内容を含んだ20年後の議論をしていかなければいけないということを考えております。
 あとは,18歳のみの教育だけでいいのかという観点です。リカレントを含めたもの,外国人の受け入れ方というものが必要になってくるので,こういったものを専門職大学,専門職短期大学,地方創生,機能別分化を今後の議論の論点として入れていくことを私としては提案させていただきます。
【永田部会長】  ありがとうございます。福田委員,どうぞ。
【福田委員】  私は去年の中頃から参加をさせていただいておりますので,当初からのことを言うのは資料で見せていただいているだけですけれども,最初から違和感がありましたのは,高等教育の将来像という話の中で,高等教育機関の将来像が混在しているのです。ですので,非常に見えにくい。
 それと,例えば,先ほど益戸委員もおっしゃっていましたけれども,建学の精神というのは私学だけの話だと思います。そうすると,私学は建学の精神を踏襲して,それは700校近い学校はみんな一緒なのかというと決して違うと思いますし,そういう意味では,今,三つのポリシーということで,ある程度建学の精神は上の神棚に飾るなり,きっちりとそこを見直しておいて,でもやはりフレキシビリティに対応ができている,要するに生き残りやすい大学と生き残りにくい大学があるのかと思っております。設置基準の変更ということが難しいようであれば,企業の統合,合併の話が冒頭の益戸委員の話でもありましたけども,銀行を見たら一番分かりやすいですけども,昔,たくさん大手銀行があったのが,今,4行か5行しか目立つところはありません。要するに,統合というものをものすごくフレキシブルに,特に私学に対してはしにくいと思うのです。国公立はまだ比較的しやすいと思いますけど,私学は建学の精神以外のところで大変微妙な問題がいろいろとあります。
 そういう意味では,設置基準もこれからどんどんと変更していかれる学校もあろうかと思いますけども,統廃合をフレキシブルにスムーズにできるというようなところでは大事なのかと思っております。
 したがって,こちらでの高度人材の将来像,これはこれでもちろんそこが一番頂点になろうかと思いますので結構ですが,企業でも恐らく大企業は2%ぐらいで98%ぐらい中小企業です。そういった中で,大企業の政策だけをやって,ある程度それについてくることができないところでは淘汰(とうた)をしていく,これもやむを得ないかもしれませんけれども,先ほど山田委員がおっしゃっていたように,地方で働いている,要するに大学では52%,短期大学で5%弱,専門学校で22%,彼らが地方にどれだけ寄与しているか,地方のいい大学,国立大学,公立大学を出て東京に,関東圏に就職している人がどれだけいるかということ,こういったことを高等教育のところで将来像で考えていただくことと,高等教育機関の将来を,先ほどおっしゃった部会の下でも,ワーキンググループでも,是非,階層を分けて御議論いただきたいと思います。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。安部委員,どうぞ。
【安部委員】  ありがとうございます。前提のある観点について意見を述べるということで,私は二つ述べさせていただきたいと思います。
 まず一点目は,この中には,その言葉はございませんが,生涯学習社会の形成に資する高等教育の在り方の提案を是非入れていただきたいと思います。本日の資料にも,世界の高等教育の現状を説明していただいておりますが,我が国でも,今後,人生100年時代の中で,それぞれのライフステージの職業生活や社会生活を充実させる生き方をする上で,全ての人は人生のいずれかの時期に,18歳とは限らないと思うのですけれども,いずれかの時期に何らかの内容の高等教育を受ける必要性が必ず高まってきますし,高等教育へのアクセスというのが複数回というのが普通になる。欧米ではそういう国もございますように,複数回のアクセスが普通になってくると思います。
 よって,18歳主義で家族負担主義に支えられてきたこれまでの日本の高等教育は,2040年以後は,生涯学習社会の形成にシフトする期間にしていかないと,将来推計のとおり,学生数の減少は,ある意味,目に見えている話でございます。
 ところが,先ほどの小杉委員のお話にもありましたように,なかなか学び直しをする,働き方改革という呼び声はあるものの,そういう学び直しの機会というのは,金銭的にも,そして日本型雇用慣行の中で心情的にも難しい状況がございますが,それを打破していくような働きかけを高等教育はやっていかないといけない。高等教育の受益者は誰かという発想というのを考える必要がある。減少する労働力の質の向上,そしてその労働生産性の向上というのを企図すれば,学び直す機会というのを,欧米のように低コストで提供していく必要はあると思います。
 そのために,よく言われています大卒者のキャリアアップのための修士課程や博士課程の社会人大学院の充実と合わせて,学士課程未満,そして学士課程との継続性を持つ高等教育機関というような,そういう高等教育機関の多様性と強化が,私は短期大学関係者でもありますので,非常に必要だということを実感しております。短期大学,そしてこのたび制度化されました専門職短期大学,専修学校の専門課程,そして高等専門学校の専攻科などの中で,それぞれの卒業後に付与される専門士だとか準学士だとかの称号,そして,短期大学士は短期大学士という機関名が付く学位なのですけれども,非常に多様化した質の卒業時の学位等があるということも,これも整理する必要があるし,その前提として,学位課程とは何かという学位の国際通用性と,そして学位を授与しない機関でも,非常に社会の人材の要請ニーズに柔軟に対応する課程を持たれているようなところの強化というのも必要になってくると思います。
 これは制度論ですけれども,もちろん生涯学習社会は,先ほどMOOCs等の新たないろいろツールを使って利用を促進することによって生涯学習機会を広げていくという考え方もありますけれども,制度を整えていくということも,私は必要ではないかと思いますので,是非生涯学習の形成に資する高等教育の在り方ということを加えていただきたいというのが第1点です。
 そして第2点は,先ほどからずっと何人かの委員の方からお話があったように,地方創生に資する高等教育というのをやはり注力していかなければならないと思います。私も,地方の,本当に小さな短期大学の学長でございますけれども,高度成長期からバブル期までのところ,本当に地方は体力,自力があったのですけれども,それに比べますと,現在は非常に体力,自力,共に低下していきます。このまま放置しておきましたら,都市部との格差は開くばかりで,持続可能な社会,日本というのが形成できないような気がします。
 それで,地方の行政,産業界との連携のもとに,地域産業の生産性向上のための研究開発や,あるいは地域に必要な人材の養成と,雇用者の能力開発に大学等の持つ知識を使って変革しようとする各大学及び大学群,いわゆるプラットフォームとかコンソーシアムとか,そのようなものも活動がしやすいような枠組みを更に考案,強化をしていく必要があると思います。
 実は,大学というのは,他の大学とそれぞれの研究者同士の,コリーグの共同研究はありますけれども,大学全体で連携して活動をするというのが非常に不得手でございます。それを何とか強化をすることをしていくという,多分,大学連携というのはまだ第一段階だと思うのです。連携から統合と,すぐに後の話がぽんときているので,何だこれは,とても承服できないという感じになって,建学の精神というところで防衛してしまうんですけれども,特に地方においては,大学全体の規模を大きくしていって,全体で地方の課題にチャレンジしていくという視点で,今後重要になるばかりだと思いますので,地方創生に注力する高等教育の仕組み,在り方というものについても言及していただければと思います。
 以上,2点です。
【永田部会長】  ありがとうございました。金子委員,どうぞ。
【金子委員】  私,申し上げるのは今まで申し上げたことと余り変わらないのではないかと思いますけど,最初に申し上げたいのは,大学の自治は何だという話が出てきましたが,社会の変化と大学との関係をどのように組み直すかということは,国際的に非常に大きな問題で,特に1980年代から40年ぐらいたっているわけですけれども,どこでも一番それで苦しんでいると思います。
 国際的な視野ということでしたけれども,例えばアメリカですと1980年代にかなり大きな大学の構造に変化が起こりました。政府の補助金の在り方も変えようとなりました。イギリスは,御存じのように1980年代にサッチャー改革が起こり,それ以降,かなり直線的にずっと改革が進んできて,30年か40年たって,今のイギリスの大学というのは1980年代初めの大学と帳尻が合っていると思います。この間,オックスフォードの大学の人に会いましたが,今,オックスフォード大学で政府からもらっているお金は20%だそうです。いつ頃そういう変化を遂げたのかというと,特に大きかったのは2000年代くらいだそうです。ドイツは余り目立ちませんけれども,非常に大きく変化している。同時に教員の意識もかなり大きくなりました。
 これらの一番のドライビングフォースは,社会の変化にどうやってキャッチアップするかということで,社会から強要されている。自分たちがやりたくて変えたというよりは,むしろかなり強要されて変わらざるを得なかったというところだと思います。
 それに比べて日本の特質は何かというと,実は3月に日本の大学の特質という国際会議をやってアメリカ,イギリス,ドイツの人に来てもらっていろいろと議論したのですけど,かなり大きな違いがあるというか,多少膨れて言っているのかもしれません。一つは組織の問題で,学部縦割りであるとかガバナンスが実質的には教員の独占になっているところが多い。人事制度の流動性が非常に低い。
 二番目は,教員の意識が結果としてかなりかけ離れている。一つは,研究と教育というのが全く別のものであって,特に研究に対する思い込みが深い。研究は研究であって,社会的なニーズとは違うべきであるという意思が非常に強い。もう一つは,授業は教員個人個人のものであって,個人がデザインして個人が執行する。したがって授業をどう進めるかということに対して教員同士のディスカッションが,アメリカ,イギリス,ドイツと比べても非常に低いと。教員に対する評価も,実際に行われているケースと,余り行われていないケースがある。ドイツはもっと教員の意識が高いのかと思いましたが,ドイツでも,学生からの評価が非常に強力にやられているということです。
 結果として何が起こっているかというと,私が見ていますと,学生の充実的な学習をするような授業のやり方ができないと。生涯学習が問題になっていますけど,皆さん,余り考えてらっしゃらないと思うのですけど,生涯学習をする先生はどこから来た,誰なのかという。実務教員と思われるかもしれませんけど,実務教員はすぐはできないです。大学の先生がやらなければいけないのですけど,それはどうしたらその人たちがやる気になるのか。その問題は非常に重要です。今の大学のガバナンスだったら,それができるのか。それは一朝には難しいのではないか。国際化もそうです。国際化は余りに授業が専門化していたら,よそから来る学生を教育できないのです。ですから,余り専門化が進んでいる学生を外に出してもどうしようもないのです。なぜなら,法学部の学生がどこに行くかって,法学部はないのです,外国の大学の学部レベルでは。やはりある程度汎用性のある授業をする先生がいないといけないのですが,そういったものを作る基盤がないのです。非常に構造的な問題があって,それがだんだん明らかになっていて,そのために日本の大学は,しかも機能を発揮できないのと同時に,そのために変化も起こりにくいという状況が今起きているのです。例えば,学部別のガバナンス,私立大学院のガバナンスの教育に参加しているものが非常に多いというと,自分の担当がひっくり返るようなことは非常にやりにくいわけです。そういった隘路(あいろ)がある。
 もう一つ,日本の場合に非常に違う特質があるのは,序列関係がはっきりしているので,上の方は余り動くインセンティブがない。下の方は危機感を持つんですが,序列関係の上の方は危機感が全然ないのです。
 そうしますと,18歳人口がどうなるかということですけど,私は量が減るかどうか分からないと思うのです。就学率が上がれば余り変わらないかもしれないと思うのですが,問題は,18歳人口の減少という量的な問題が質的にどう変化するかというところが一番クリティカル。でも,今までのことを考えていると,このまま放っておけば18歳人口が減れば,今の体制がもっと固まってしまって,これに動くきっかけがなくなってしまう。そういう意味では非常に危機だと私は思います。
 では,具体的に何ができるかというと,これまでここで議論されてきたのは,ガバナンスの問題とか組織の問題とか学位プログラムの問題で,あるいは教員人事に関しては実務教員の導入,情報公開の話で,私はロジカルに言って,政府ができることは,方法としては間違っていないと思うですが,問題は,実際にどの程度までやるべきか。かなり思い切った,いわゆる今までの大学自治の現制度をそのままにしては,多分,大学の自治の作った秩序自体は壊れないというところに来ていると思います。そういう意味で,かなり今までと考え方を進めた,あるいは変えた政策をしないと,このままでは変化しないままだと思います。
【永田部会長】  ありがとうございました。益戸委員が述べられた御意見とは異なる論点も出ており,これらは建学の精神そのものの問題ではありませんが,今まで挙げられたような論点は,多くの方が問題意識を強く感じられている点ですから,解決が必要な課題だと思います。
 なお,金子委員が述べられた中で,1か所だけ指摘させていただきます。オックスフォード大学の公的資金の割合は正しいのですが,留意すべき点は,総額が2.5倍になっているということです。つまり,総額に占める公的資金の割合は減っているけれども,国からの予算額は2.5倍になっているということであり,総額が大きく増えているという点が重要です。これを十分認識しないと,割合と同じだけ額が減ったという誤解が生じる可能性があります。そうではなくて,外部資金を含め総額が増えた中で,他よりも総体的に国費の支出割合が減っているということです。

 小林委員,どうぞ。
【小林委員】  私もそんなに新しいことが言えるわけではないのですが,そこで去年,最初にこの将来構想部会が始まったときのことを考えてみますと,これからは政策誘導と将来像の提示だということで,2005年に「我が国の高等教育の将来像(答申)」が出されたわけです。それについてまず検討してほしいということを申し上げました。それがどういう帰結をもたらしたかということで,それはまだ充分にできていないと思いますけれど,その中の一つに規制緩和というのがコインの裏表のようについているわけでありまして,問題は,何を規制緩和することが望ましいかという議論になるはずだと思います。つい最近の議論で,ようやく学修者の視点とか学生の視点という言葉が出てきましたけど,これまでそういった視点が余りなかったと思います。規制緩和の際に学生の視点を入れるというのはどういうことかというと,例えば,妄想だと前に申し上げましたけど,例えば修業年限,これは必ず4年やらなければいけないとかいうのは,ある意味で縛っているわけです。定員の管理,学生の移動を妨げているという意味では,例えば私は入学金というのも相当なバリアになっていると思いますから,そういったものは検討する必要があると思います。ただし,これらは,そんな簡単に,規制緩和でなくせばいいかというと,規制緩和したら,今度は逆に思わざる結果というのを呼ぶおそれがありますので,そういうことは慎重に考えなければならない。ただ,2040年までを見据えてとおっしゃるわけですから,こういうことを検討するんだということは考えておかなければいけない。すぐにできるわけではないのですけれど,大学設置基準を定員で縛るような考え方をどうするかということも検討するに値するのではないかと思います。
 そういった考え方からいいますと,今の修業年限とも関係するのですけれど,これは有信委員が言われたことですけれど,今までの議論で,縦と横の関係というのが意外と出てきていないのです。これは,前,何回も申し上げていますけど,作業委員会の方ではかなり議論したことですので,横の方が連携とか統合の問題だとすれば,縦をどうするかということも考えなければいけないし,接続関係をどうするかという問題です。これが全体として,先ほど麻生委員が言われましたけれど,高等教育全体がどうなっているかというのが非常に見にくいので,そこのところをまずはっきりさせた上で議論する必要があると思います。
 もう一つは,規制緩和ということは一般には大学間の競争によって大学がだんだん質の向上を図っていくという考え方になるわけですけれど,実は教育の市場というのは完全な普通の市場ではなくて擬似市場です。一言で言えば,設置基準は,先ほど規制だと申しましたけど,必要です。分かりやすく言いますと,不良品とかそういったものをあらかじめ排除しなければいけない。まがいものを売って,それは買った方が悪いとは言えないというのが教育の市場の特徴ですので,その辺は十分考えなければいけないと思います。
 そのような観点から,難しいのは規制緩和して市場の競争をある程度入れていくということと,ある程度規制をかけていくということのバランスをどういうふうにとるかという問題だと思うのですけれど,今日のところで,資料1-1の一番下に,競争から共創,協創というのが出てきているのですが,これは初めてだと思います。これは,非常に美しい言葉なのですけど,何を言いたいのか分からない。もし,これを今後議論していくとするのであれば,もう少しこの中身をきちんと詰めてく必要があると思います。私は,今言った,バランスをとるという意味で,この言葉を理解しましたけど,それが違っているということなら,もう少し共通認識を作るという意味で理解しなければいけないと思いますし,中身をもう少し詰めていく必要があるかと思います。
 ,無償化については,私もいろいろ関わってきて,これも佐藤委員も言われていましたけど,ただ単に高等教育だけの問題ではなくて,全部の問題なんです。教育全般,K-16とおっしゃいましたけど,それに関わる問題です。ただ,これは,次の諮問のテーマが大学の財務基盤の強化と学生への経済的支援ということになっていますので,そこでまた議論していただければと思います。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございます。吉岡委員,どうぞ。
【吉岡委員】  最後でやりにくいのですけども,幾つかお話ししたいと思います。
 一つは,これは以前にお話ししたことで,ある意味では非常に観念的な言い方ですけれども,将来の高等教育というのを考えるときに,学生であるとか高校生であるとか,これからは社会人,つまり大学,あるいは高等教育機関で勉強しようという人間が,そこに入ったら,自分の可能性が広がっていくようなシステムを考えなければならない。これは基本的な原則ではないかと思います。つまり,将来の展望が広がっていく。そのためには,ある程度学んだら,学んだことが自覚できて,その次のステップにどういう選択肢があるのかというのが分かるようになっているような仕組みというのが必要だろうと。学位プログラムがうまくできれば,そういう形になっていくだろうと思います。それは,当然,透明性といいますか,一人一人の学生が自分の将来を描いていって,自分の勉強の進め方を描くことができるような,そういう透明性というのがあるべきだろうと思います。
 そういう学位プログラムとか選択肢があるということがなければ,多分イノベーションというのは起こってこないだろうと思いますし,そのためには,ある種の流動性というものを作っていく必要がある。教員の側もそうですし,学生の側もそうであるし,そのための単位の互換性,教育費用の負担平準化ということと軽減化ということは考えなければならないだろうと思います。
 これも非常に観念的な言い方ですけれども,特に最近の学生を見ていて思うことは,勉強するということが,それ自体楽しいということをちゃんと分からせないといけない。少し前は,日本だけではなくて世界経済というのは右肩上がりだったので,高校の教育はよい大学に入るため,大学で勉強すればよい企業に入れるという,先のために今を,極端に言えば,犠牲にしていくようなこともできただろうと思うのですけれども,今の学生はもう完全にそういうことは通用しない。別の言い方をすると,今,社会にこういうニーズがあるんだからこういうことを教育しなければならないという論理の立て方というのも成り立たなくなってきているのではないか。例えば,企業のニーズであっても社会のニーズであっても,それがこういうものとしてあって,それを教えなければならない,だからこういう教育のシステムを作らなければならないという,そういう議論というのはもう既に難しくなっているのではないかと思うというのが一点です。
 二点目なんですけれども,大学の歴史を見ても当然なのですけども,学問とか教育というのは,基本的には非常にグローバルなもので,一国性に閉じているわけではないわけです。今後,既に世界中で起こっていることですけれども,いろいろな大学,多様な高等教育機関ができてくるだろうと思います。
 日本にあるけれども,そこにいる教員はほとんどが外国人であって,学生もほとんど外国人であるというような大学というのは既にできてきつつあるわけで,それをどうするかということを考えなければならないと思いますけれども,恐らくその中でいろんな機能分化というのは起こってくるだろう。内在的にそういう機能分化が出てくるということは当然なことですが,ただ,それに規制をかけてもしようがないので,その中で良いものをきちんと育てる,支援するという体制を作っていく必要があるだろうと考えています。
 三番目ですが,キャンパスのことが論点の中にありましたが,やはりキャンパスというものは非常に重要なものだろうと思います。学生生活ということを考えると,肉体を持った,身体を持った人間が生活している場としてのキャンパスというものは非常に重要な意味を持っています。教育でも研究でもそうだと思いますけれど,基本的にはフェース・トゥー・フェースの側面というのは常にあるので,AIによって完全に入れかわることはないだろうと思います。
 やはり,高度教育というのは単なる知識の受渡しの場ではないのであって,学生にとってみれば,そこで自分の師であるとか生涯の友人とかというのを見つけるというような,そういうことも含めて高等教育というのは成り立っていると思います。
 そういう意味では,教育と研究と,学生生活というのは,研究生活も含めてですけれども,切り離せない側面がある。そういう意味では,キャンパスというものの持っている重要性というのはきちんと考えた方がいいだろうと思います。
 先ほど,いろんな大学ができてきて機能分化が進んでいくだろうと言いましたけれども,今のことを考えると,研究者と教育者というのは分けない方がいいのではないかと思います。研究機関と教育機関というのは組織原理が違うので,これは連携しながら組み立て直すということが必要だろうと思いますけれども,やはり研究者と教育者というのは分けてしまわない方がいいだろうと思います。
 流動性を高めると先ほど言いましたけれども,やはり所属大学というものはあった方がいいだろうと思います。それは,生活の場ということで,例えば地域創生とかいうことを考えると,地域の問題であるとか,学問が現実にフィードバックされる場というものが常になければ,地域創生というのは意味を持たないので,そういう現実との接点という側面というのは忘れてはならないだろうと思います。
 四番目になるかと思いますけれども,これは以前に申し上げたことで,先ほど古沢委員もおっしゃっていましたけど,中等教育との連携というのは非常に重要だろうと思います。安部委員がおっしゃっていましたけど,基盤となる知識であるとか,思考方法であるとか,ものの見方というのは,大学に入ってから成り立つものではないのです。多分,誰でもそうだと思うのですけど,研究者の場合であっても,高校の頃に考えていたことというのをずっと繰り返し発展させていったりするわけで,そういう意味では,中学校であるとか高等学校,主として高等学校だろうと思いますけれども,高等学校等の中等教育との連携,これは内在的な連携ですが,をきちんと考えていかないと,大学のことだけ考えていても苦しいだろうと思います。そのことは,大学の外,もう少し広い意味での外との連携,つまり企業であるとかNPOであるとかといったような様々な集団や組織との連携というものを大学が進めていくことと同様に必要だろうと思っております。
 最後ですが,先ほど,益戸委員のお話にもあったのですが,大学に来る学生の位置づけというのを,教育対象という話ではなく,ガバナンスの中における学生というのをもう少しちゃんと考えた方がいいのではないかと思います。日本は,戦後学生運動史のいろいろなトラウマがあることがあるかと思いますけれども,海外の大学に行くと,伝統的な学生クラブの建物というのはキャンパスの中の一番いいところにすごく立派なものがあって,そこがすごい機能を果たしている場合が多い。そういう意味では,大学の中で学生が教育であるとか研究であるとかというところで,あるいは学生生活全般において,どういう役割を果たすのかということは,将来の高等教育,あるいは機関というのを考えるとき,あるいはキャンパスというものを具体的なものとして考えるときに必要ではないかと思います。
 以上です。
【永田部会長】  ありがとうございました。一通り皆さんから御意見を頂きました。
一つの用語に対しても,いろいろな御意見や見方を述べていただきましたが,最後の小林委員の御意見について,規制を緩和する部分と規制として残す必要がある部分がある,という見方は非常に重要だと思います。
 なぜなら,将来構想部会は理想論のみを議論しているわけではありません。我々として考えなければいけないことは,例えば,何をもって有効な教育施策であったかという検証まで含めた実現可能性のある提言だと思います。これ以外の視点も,相互に連関していたかと思います。
 最後に,10分弱ほどございますので,もしよろしければ改めて御意見をいただければと思いますが,いかがでしょうか。千葉委員,どうぞ。

【千葉委員】  修業年限の問題なのですけれども,諸外国では,特にイギリス系のところですか,3年で学位が取れる学校はたくさんあって,そういったところには,特に留学生などは,滞在の費用もありますから,そういう国を選ぶというようなことがあるんじゃないのかという,つたない知識でそういうことがあるわけですけど,調べてみますと,アメリカの大学では20か月で卒業できる,最短20か月で学位を120単位取得するという大学があるわけですけど,私は専門学校の代表の方ですので大学のことはよく分からないのですが,夏休みは休まないで勉強して単位を積み重ねるということは,やはり日本の教育機関としては余りよろしくないのか,特に文系の4年生などはほとんど大学院へ行っていないという実態からすると,そういう期間をどうしても過ごさなきゃいけないのか,こういう素朴な疑問があるんですけれども,どなたか答えていただける方がいらっしゃったらお答えを頂きたいと思うのですけれども。
【永田部会長】 お答えできる方はいらっしゃいますか。金子委員,どうぞ。
【金子委員】  答える問題ではないですが,日本は制度上4年間ということになっていますが,今でも大学院に行くには3年間で行くということがあるわけです。アメリカも,実はここ3年くらい,3年でやらせるという議論は相当有力に議論されました。それは,やはりコスト制限です。
 ただ,結局,支持は余り得られませんでした。やはり4年間という成長の時期が重要だという。実態として授業を受けているだけではなくて,意思の成長に時間がかかるということを前提とするということだろうと思います。
 ただもう一つ,オーストラリアは3年間の大学が結構あって,日本は今,それを四年制卒業と同じように認めるとなっていまして,かなり制度的建前は崩れているのですが,それを更に壊すべきかどうかは,相当大きな問題があるだろうと思います。どれだけの知識を与えるかということと,一定の期間に成長をどれぐらいさせるかという,2つの視点があるのではないかと思います。
【佐藤委員】  本学の例で言いますと,要するに法令で卒業要件124単位,それぞれの課程で必修,選択,必修,選択と積み上げていって,本人の成績が例えばGPAで3.5以上ということに加え,本人が卒業の申請をすれば3年間でも卒業できるようにはしています。
 ただし,最初の頃は比較的に早期卒業が多かったのですが,だんだんと少なくなっています。短縮して卒業させることの意味は,留学をする,あるいは大学院を進めるというようなことがあったのだけれども,その中には,企業に就職したいというのが出るわけです。授業料は当然のことながら3年分しかかからないわけですから,それなりにメリットもありました。
 ところが,社会の受入れの方が,3年間で修了して21歳ですから,そこはハードルが高い。だから,就職のことを考えてしまうと,必ずしもうまくいっていない。
 だから,そういう意味では,受入れ側がしっかりと整備されるということが必要なのかと感じています。

【小林委員】  修業年限の問題について,短くする方も問題というか,規制緩和が必要だと思うのですけど,長くするということも社会人の場合は当然考えなければいけないわけで,これは比較的長期履修制度というのはできていますけれど,まだまだ日本ではそれが十分には普及していませんので,両方に修業上限年限という考え方は余り望ましくないと思っております。
【永田部会長】  そのほか,いかがでしょうか。
いろいろと御意見いただいて,中間まとめに向けて大変参考になりました。頂いた御意見を参考に,これからまとめていきたいと思っております。次回以降,残っている問題点を再整理いたしますが,前回,お約束をしたとおり,18歳人口の減を踏まえた規模の問題については,何人かの委員の先生方に考え方を述べていただくことになっております。なるべく多くの関係者からじかにお話を頂くのが一番いいかと思っております。
 頂きたい御意見は,18歳人口が減少する2040年に向けて,例えば,進学率を上げれば減少分を一部補うことができるだろう,では,進学率を上げるためにどうしたらいいかというような内容です。あるいは,同様に社会人がここまで増えれば,インターナショナルスチューデントがここまで増えれば減少分を補うことができる,という視点から御意見を頂きたいと思います。その際,理想論でなく実現可能性を考えていただいた上で,そのためには,大学自体をどういう方向に考え直していくのか,あるいは先ほど述べたように,こういう支援策が必要である,あるいはこういう自己改革が必要である,という御意見も含めてまとめていただきたいと思います。大学については,既に何人かの委員にお願いをしておりますが,これを可能な限り短期大学や高等専門学校,専門学校も含めてお聞きしたいと考えています。もちろん強制するわけではありませんが,できれば御意見を頂いた方が議論を進めやすいだろうということです。それは,前回お願いをして,幾つか進みつつあるので,御報告をしておきます。
 今後の進め方ですけれども,今日頂いた御意見の再整理をした上で,もう一度当部会において特に議論をしなければいけない地域の特殊性や規模などに焦点を当てて,高等教育の全体像としてどういう形と規模を想定すれば良いかということについて,また御相談したいと思います。
 それでは,今日は時間となりました。事務局から次回以降の予定等を御説明いただいて,終了したいと思います。
【石橋高等教育政策室長】  失礼いたします。本日は御議論ありがとうございました。次回の将来構想部会につきましては,5月11日金曜日,10時から12時の開催を予定しております。何人かの委員の先生方に御発表いただけるように,今,調整をさせていただいているところでございます。場所は,追ってお知らせいたします。
 資料については,郵送を御希望であれば机上に残していただければと思います。
 以上です。よろしくお願いいたします。
【永田部会長】  本日はどうもありがとうございました。これでお開きとさせていただきます。



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