大学教育部会(第12回) 議事録

1.日時

平成24年3月26日(月曜日)15時~17時

2.場所

文部科学省東館3階 3F1特別会議室

3.出席者

委員

(部会長)佐々木雄太部会長
(副部会長)谷口功副部会長,黒田壽二副部会長
(委員)安西祐一郎,浦野光人,金子元久,長尾ひろみ,宮崎緑の各委員
(臨時委員)川嶋太津夫,林勇二郎,吉田文の臨時委員
(専門委員)荻上紘一,高祖敏明,篠田道夫,鈴木典比古,田中愛治,長束倫夫,濱名篤,山田礼子の各専門委員

文部科学省

清水文部科学省顧問,山中文部科学審議官,板東高等教育局長,合田生涯学習政策局長,田中総括審議官,清木文教施設企画部長,小松私学部長,德久政策評価審議官,常盤高等教育局審議官,奈良高等教育局審議官,池原大臣官房国際課長,髙橋大臣官房会計課長,杉野生涯学習総括官,義本高等教育企画課長,内藤専門教育課長,池田大学振興課長,塩見教育課程課長,合田高等教育政策室長,坂下国際企画室長,石橋大学振興課課長補佐,小山田高等教育政策室専門官 他

4.議事録

(1)安西分科会長から,学士課程教育の質的転換に関する中央教育審議会総会の審議状況について説明があった後,文部科学省から資料1の説明があり,審議が行われた。

【安西分科会長】 大学教育部会の審議の状況については,3月12日の大学分科会で議論をさせていただいた上で,先週3月21日の中央教育審議会総会において,私のほうから報告をさせていただいています。その報告について,かいつまんでここでご報告を申し上げておきたいと思います。
 まず第1は,今日本部会として「審議まとめ」を議論,決定していきたく,さらに夏をめどに答申という形にしていきたいというスピード感で大学改革について議論をしていくということを総会において伝えたところです。
 第2に,大学教育部会で大変真摯に議論していただいておりますように,学修時間に着目をします。そして答えのない問題を見出して,それに何とか答えを導き出していく,それに必要な専門的な知識と汎用的な能力を鍛える能動的で質の高い学士課程教育の実現を図っていくということ。それから,第3に,4月以降,社会全体が大学は学ぶところだという原点に立ち返る。そのために大学分科会としても,全国各地で学生と直接積極的に議論を交わして熟議を深めていきたいということもお伝えしました。中教審の三村会長をはじめ,総会の委員の方々からも,その方向でしっかり審議を深めてほしいという指摘がありまして,会長からはぜひ頑張れということでした。
 なお,私のほうからあわせまして,学士課程教育の質の改善には,高校教育との円滑な接続が欠かせないということを大学分科会と初等中等教育分科会で共有し,初等中等教育分科会でも高校教育の質的充実について議論を深めてほしいということを要請いたしました。初等中等教育分科会の小川分科会長からも,ぜひ共同で議論したいという発言がありました。中教審でもこういう議論を積極的に行っていただいて,初中教育と高等教育,また産業界,地域社会がお互いに相手の責任だということを言い合うのではなく,高校と大学が学びのバトンタッチをして,知的に鍛えられた学生を産業界や地域社会が受け取り,さらに伸ばしていく学びの好循環社会をぜひ実現したいということを中教審においてお伝えしたところです。
 こうした報告を中教審でできますのも,大学教育部会で,佐々木部会長をはじめとする委員の皆様の大変熱意のこもった前向きの議論のおかげです。改めて感謝を申し上げたいと思います。

【佐々木部会長】 それでは,ただいまから資料1に基づきまして審議を進めてまいりたいと思います。
 資料1は,大学分科会及び総会での議論をも踏まえて,私の指示のもとで事務局で「審議まとめ(案)」として作成したものです。その概要を事務局から説明をしていただきます。

【合田高等教育政策室長】 それでは,佐々木部会長のご指示のもと整理をさせていただきました「審議まとめ(案)」について,主として前回ご議論,ご審議いただきました「審議まとめ(素案)」からの修正点を中心にご説明をさせていただきます。
 修正の観点,ポイントですが,全体の趣旨がより明確になるような構成の見直し,それから,今回のまとめのポイントである学修時間の増加・確保と学士課程教育の質的転換との関係についてはより丁寧に記述すること,それから,この審議のまとめを契機として,大学分科会,初中分科会で合同で議論することや,各地で学生を巻き込んだ議論,熟議を行うことの重要性をさらに明確にしたこと,また,サマリーである四角囲みと本文との関係や字句の整理,メッセージ性の向上といった表現上の工夫を図ったことです。
 まず,資料1の表紙の目次をごらんいただければと思います。全体の趣旨が構成の上でも明確になりますように,まず1で,個人にとっても社会にとっても予測困難な時代において高まる学士課程教育への期待と,少ない学修時間など学士課程教育の現状について,次に2で,ここは今回の一つのポイントですが,1で示した状況で喫緊の課題である学士課程教育の質的転換を学修時間に着目して直ちに取り組むこと,3では,このような改革サイクルを一つ一つの授業の進化にどう結びつけるかということを示した上で,4で今後の部会として議論すべき検討課題,5として,今後の議論の進め方の問題といたしまして,各地で学生を巻き込みながら,大学における学びは何かなどを議論,熟議する重要性に言及するといった5部構成になっています。
 まず,表紙をおめくりいただければと存じます。1ページ目からの,「1.予測が困難な時代と大学の責務」です。四角囲みにありますように,学士課程教育に対する社会の厳しい評価の背景にあるのは,個人にとっても,産業界等にとっても予測困難な時代ということと,高等教育のユニバーサル化です。その中で学士課程教育の責務が増大しているという基本的なロジックは前回の素案と同じです。したがいまして,3ページ目の下から二つ目の丸にありますように,「成長社会において通用していた「企業は大学教育に多くを期待しておらず,入社後の社内教育と実務上の経験や実践で人材を伸ばしている」,「昔から大学生は勉強しておらず,それでも卒業後社会で十分に活躍してきた」といった認識は転換することを迫られている。すなわち,大学において「答えのない問題」を発見してその原因について考え,最善解を導くために必要な専門的知識及び汎用的能力を鍛えるとともに,実習や体験活動なども伴う質の高い効果的な教育により知的な基盤に裏づけられた技術や技能を身に付けることは,学生が自らの人生を切り拓くための最大の財産となっている。成長社会では均質な人材の教育を求めた産業界や地域社会が今求めているのは,生涯学ぶ習慣や主体的に考える力を持ち,前述のような予測困難な時代の中で,どんな状況でも自ら対応できる人材である。」という,これまでの議論を改めて整理をしています。
 次に,4ページですが,上から二つ目の丸です。前回の部会でのご議論でもありましたように,「予測困難な時代にあって生涯学び続け,主体的に考える力を持った人材は,受動的な学修経験でははぐくむことはできない。」ということで,「教員と学生とが意思疎通を図りつつ,学生同士が切磋琢磨し,相互に刺激を与えながら知的に成長するためには,課題解決型の能動的学修,アクティブ・ラーニング(その後に※がついていますが,これは22ページからの用語集で解説をしているという意味です。)といった学生の思考や表現を引き出し,その知性を鍛える双方向の講義,演習,実験,実習や実技等の授業を中心とした質の高い学士課程教育が求められている。その際,実際の教育の在り方はそれぞれの大学の機能に応じて区々であるものの,このような質の高い授業のためには,授業のための事前の準備,授業の受講や事後の展開,インターンシップやサービス・ラーニング等の体験活動などの事前準備・授業受講・事後展開を通した主体的な学びに要する総学修時間の確保が重要であることは論を待たない。」と整理をさせていただいております。
 その上で,その下の丸で,前回の素案と同様に,金子委員などからご提起のありました学生の学修時間の少なさという実態に言及しています。ただ,2か所だけ変更しておりまして,5ページ目の上から5行目ですが,「同調査によれば」というところがありますが,「特に,理学,保健,芸術分野は相対的に学修時間が多い一方,社会科学分野は少ない。」という点,また第2に,前回の部会でのご議論を踏まえまして,その下の丸ですが,「高校生についても学力における中間層の勉強時間がここ15年で約半分に減少している」という事実,それから,これも前回議論がありましたように,「大学における主体的な学びは,義務教育及び高校教育を通じ知識・技能の着実な習得やそれらを活用するための思考力等,学修意欲が基盤として形成されてこそ成立する。高校生の勉強時間と大学生の学修時間を高校,大学を通じて増加・確保させ,高校から大学にかけて学びをいかに質的に転換するかという視点が重要である。」という議論をまとめさせていただいております。
 次に,6ページからの「2.学生の主体的な学びの確立―その始点としての学修時間―」です。ここでは8ページの上から一つ目の丸,二つ目の丸にありますとおり,「学士課程教育の質的転換が喫緊の,いわば「待ったなし」の課題」であるということを前提に,その下の8ページの上から三つ目の丸ですが,「これまでの学士課程教育の成果と課題を踏まえつつ,緊要性や実際性,効果等をも考慮して,まず今後の好循環のための始点を定め,そこから質的転換へと大きく展開することが必要である。その際,学士課程教育の質的転換という本来の趣旨に沿ったできるだけ明瞭な指標が求められる。」
 その下の丸ですが,「このような観点から大学分科会大学教育部会としては,学生の主体的な学びを確立し,学士課程教育の質を飛躍的に充実させることが目的であることを前提とした上で,(あくまでも目的は質的転換であるということを明確にした上で,)この目的に照らして十分な質的な充実を伴った学修時間が増加・確保されているかに着目して学士課程教育の改善を図る必要があると考える。」ということです。
 別添2といたしまして,20ページをごらんいだたきますと,先日来ご審議を賜りました学士課程教育の質的転換への好循環への確立という1枚紙をつけさせていただいております。前回の議論を踏まえて若干修正させていただいておりますが,こちらをつけさせていただいております。
 本文に戻りまして,8ページから9ページにかけましては,学修時間に着目する理由というものを,前回のご議論を踏まえて,少し丁寧に書かせていただいております。9ページ目の一番上の丸ですが,「第1に,授業時数を中心に教育課程が編成されている初等中等教育とは異なり,学生が主体的に事前の準備,授業の受講,事後の展開という学修の課程に一定時間をかけて取り組むことをもって単位を授与し,そして,このような経験を組織的,体系的に深めることで学位を授与するという大学制度上,学修時間は大学における学修の量と質の結節点として,質が伴うことが前提となっているからである。」ということです。これについては,ご紹介は省かせていただきますが,この資料の19ページに,それぞれの学校段階の学びに関する制度ということで,教育内容,授業時数が定まった義務教育,それから,教育内容と卒業に必要な単位数などが定まっていて,単位制であるが,単位に算入することは授業時数のみの高校教育,それから,学修内容については法令で規定しておりませんが,単位制を採用していて,その単位制は,事前の準備,事後の展開といったものが含まれている大学教育,高等教育という比較の表をつけさせていただいております。
 9ページ目に戻らせていただきまして,その後ですが,「学修時間については,1.学士課程教育に求められる学修の質が伴うように確保されているか,2.その大学の重視する教育に関する機能に照らして適切な設定となっているか,3.大学や教員の組織的な責任体制がその確保に対応しているか,といった点が,それぞれの大学の学士課程教育の基本的な目標の達成状況を示すものと言えよう。」という点。
 それから,第2といたしまして,「学士課程教育の改善については,様々な手法や着眼点が考えられるとしても,学修時間は,大学ごとの学士課程教育の内容・方法の自律性や多様性の確保を妨げることなく,大学間の制度的な共通性を前提にした学士課程教育の質的転換に向けた好循環の始点となる指標として活用しやすいからである。」
 それから,第3は,前回もご議論いただきました「国際的な信頼の源泉として不可欠」という点です。
 その下の丸で,質の伴った学修時間の増加・確保が学士課程教育の質的転換への好循環の始点となるプロセスを示していることは前回と同様です。さらに9ページ目の一番下の丸ですが,「重要なのはこのような好循環が回ることである。質の伴った学修時間の増加・確保はそのための始点であり,手段であることを忘れてはならない。」ということを明記した上で,10ページ目ですが,前回同様,「大学の取組への支援と奨励」及び「実態把握の必要性」を提起するという形の素案と同様の構成になっています。
 次に,「3.個々の授業が学士課程教育の質点転換に向けて進化するために」というところですが,四角囲みにありますように,「学修時間の増加・確保による学生の主体的な学びの確立を第一歩として,学士課程教育の質的転換への好循環を働かせるためには,何より各科目を担う教員がそのことの重要性を自覚し,それぞれの授業がさらに質的に進化することが必要である。」個々の科目,教室,それを担う教員に届かなければならないということです。
 そこで,これまでの改革努力を学修時間に着目した学士課程教育に質の転換にどう結びつけるか,その主な課題を整理したのがこの3.,第3章であるという位置づけを明確にしています。具体的には11ページの「学位プログラムで育成する能力の明確化」,ここでは前回同様に,学位授与の方針,教員間の連携,教員評価といったものに言及をしています。素案と同じです。
 またその次に「教育課程や学修支援環境の充実」というところでは,シラバス,ナンバリングについてその趣旨,目的に触れた上で言及しているのも素案と同様ですが,さらに,本部会でも高祖委員はじめ多くの先生方にご尽力をいただいております日本学術会議に審議を依頼いたしました「分野別の教育課程編成上の参照基準」については,11ページの一番下の丸ですが,この参照基準について,「既に,例えば言語・文学や法学,経営学といった分野で審議が進んでいる。学士課程教育の質的転換のためにそれぞれの大学が自らの教育課程を見直す際,この参照基準を一つの手掛かりにすることは有益と考えられ,本部会として日本学術会議における審議の深化を引き続き期待したい。」という形で言及をさせていただいております。
 12ページですが,素案と同様に産業界や地方公共団体,地域との関係,それから,二つ目の丸ですが,学修支援環境の問題に触れています。また,「高校教育と高等教育との円滑な接続」についても,素案と同様に言をいたしております。13ページの一番上にありますように,「高校教育と高等教育,職業と教育内容という観点から円滑に接続し,一人一人の能力をいかに伸ばしたかをベースに学校教育が柔軟にその役割を果たすようにする」ことの重要性ということで,前回同様に触れているところです。また,13ページの上から二つ目の丸,初等中等教育分科会との連携については,先ほど安西分科会長からお話があったとおりです。
 それから,その下の「学士課程教育の改革サイクル」も大きな変更,修正はございません。ただし,大学ポートレートのところですが,14ページの三つ目の丸の真ん中あたり,「大学支援法人において認証評価機関や大学団体等が参加した自律性の高い主体を設けて運営することを前提に具体的な検討が進められている大学ポートレート」ということで,現在の具体的な検討状況を示した上に,41ページ以降に,これはご紹介申し上げませんが,参考資料として現在の検討状況に関する資料をつけさせていただいております。
 それから,その下の認証評価制度など評価については,濱名委員からご指摘のありました評価の位相に関する資料を別添3ということで,21ページに添付をさせていただいています。
 それから,「全学的な教学マネジメントとガバナンスの確立」のところですが,これについては,前回,篠田委員からご指摘をいただいたことを踏まえまして,検討の方向性を14ページから15ページにかけて,これまでの議論を踏まえて整理をし,位置づけています。特に15ページの上から二つ目の丸,2行目ですが,「学長や教学担当副学長等の全学的な教学マネジメントに当たる者には学士課程教育を大学が組織として提供する体系立ったものにする責任がある。」ということを前提に,これをどう実現するかという観点から,今後,ご議論,ご審議を深めていただければと存じております。
 「4.今後の検討課題」です。この「審議まとめ」に関連して検討すべき事項ということで,五つほど今後の検討課題を素案同様に挙げさせていただいております。また,その下ですが,前回の大学分科会における佐藤委員の御指摘を踏まえまして,「短期大学士課程については,知識基盤社会の中でその役割や機能をどのように再構築すべきかなどその在り方の検討を深めることが必要である。」という整理をしています。
 最後に,16ページですが,今回新しくつけ加えました「5.大学は主体的に学ぶところとの原点に立ち返るために」というところです。二つ目の丸にありますように,この「審議まとめ」に関連して,さまざまなご意見があるということを前提に,この「審議まとめ」を契機に,ぜひ学士課程教育の質的転換のために,今直ちにどのような行動を始めるかといったことについてご議論をいただき,本部会としてもこれらのご意見を踏まえながら,さらに議論を深めたいという点,ただし,重要なことは,今こそ行動することが必要だという認識の共有ではないかという点,それから,その下ですが,大学は主体的に学ぶところだという原点に立ち返るために,文部科学省などは,学生,若者,その他関係者と直接的に議論を交わし,熟議を深める工夫が必要であるというこれまでの議論を整理しています。
 あとの資料については,その構成のみ簡単にご説明をさせていただきたいと思います。
 17ページ,18ページは,別紙といたしまして,これまでの学士課程教育の改善の経緯をお示ししています。19ページから21ページは,既にご案内申し上げました本文と一体になった重要な三つの別添資料をつけさせていただいております。22ページから25ページは用語集,それから,29ページから36ページは,主として学修時間の実態などに関する,本文で言及いたしました関連データ,それから,37ページから43ページは,これも本文で言及いたしましたルーブリック,ナンバリング,学修成果の把握,大学ポートレートなどに関する資料です。

【浦野委員】 産業界から見ても,方向性が明快になった文章で,大変わかりやすいと思いました。その上で,特に産業界の視点で見たときに,大事なご指摘をいただいたと思ったことは,まず8ページの上から4行目,「我が国に対する評価や信頼は将来にわたる知的な潜在力に大いに依存するが,知的な潜在力とは全国の若者や学生がいかにしっかりと主体的な学びをしていくかにほかならない。」と,これは大変厳しい指摘でして,失われた20年どころか,いまやその潜在能力すら日本は失いつつあるということを言っているわけで,失われた20年に加えて,さらに20年ぐらい日本は浮上できないというぐらいの厳しい指摘ですので,これは重く受けとめたいと思いました。
 それから,14ページの一番上の丸の下のほう,「従来の偏差値によるランキングなどとは異なる実態に即した確かな大学像」,これはやはり非常に求められるもので,何らかいい形ができればいいと思いました。
 それから,15ページの「全学的な教学マネジメントとガバナンスの確立」は,従来の先生個人に頼る教学や,学部の自治と称する学部の勝手な教学からも外れて,全学的なということを強調したことは考え方の基本的な転換ですので,これも非常にわかりやすくて,これを目標にしていかれたらいいと思いました。
 その上で二つお願いといいますか,できれば修正をと思っていますことは,3ページです。3ページの一番下のところ,「成長社会では均質な」云々というところで,これが,成長社会だけですと,今後は全く成長しなくてもいいのかということになってしまいますので,「高度成長社会」というふうに入れていただくとわかりやすいと思います。それから,「均質な人材」と言っていますので,これと対照的に,一番下のところ,「自ら対応できる多様な人材」と入れていただくと意味が通りやすいと思いました。
 それから,もう一つは12ページの最初の丸の後半,最後のところ,「企業には就職活動の早期化・長期化の是正を引き続き求める」は,もう一歩進めて書けば,「企業には大学での学びを尊重した上で就職活動の早期化・長期化の是正を引き続き求める」ということで,大学側が自信を持って学修時間を増やしていい学生を育てるのであれば,企業はそれを尊重すべしということをはっきりうたってもいいのではないでしょうか。

【長尾委員】 1年間の議論がしっかりとまとまっていると思いますが,私がどうしても気になる言葉があります。それは,8ページの大見出しの二つ目,「学士課程教育の質的転換と学修時間の増加・確保」というところです。この「増加・確保」が9ページの「質の伴った」という後半にも数か所出てまいります。それから,11ページの下から二つ目の段落の下,「質の伴った学修時間の増加・確保」の「増加・確保」という言葉が固定して前回から使われていますが,はたして,「増加」という言葉によって,私たちの思いが誤解されるのではないかと思います。少ない学修時間が増加するのではありません。例えば4ページの下の大学設置基準に既に,「1単位の授業科目を45時間の学修を必要とする内容をもって構成することを標準とする」とあります。現状は以前からあったものが「15コマ」という言葉が引っ張られて,「1単位45時間学修」を大学が怠っていたのです。つまり,「新たに授業時間を増やしましょうという」議論ではなかったはずです。ですから,これを増加というよりも,「見直し・確保」にした方が良いのではないでしょうか。私は「増加する」ということがひとり歩きするのではないかと心配しています。実質は大学が怠っていたから,元に戻すことによって「学修時間が増加」するのでありますが,そう思って発言しました。

【金子委員】 ただ,「増加・確保」は確かに未熟かもしれませんが,「見直し」はどういう意味でしょうか。

【長尾委員】 そこがいい言葉がでてきません。「増加」と言ったら,「もともといいものに足してください」というふうに聞こえるのですが,そうではありません。

【金子委員】 このレポートの報告の趣旨は,実態としては足りないということが筋なのです。それを増加しろと言っているわけで,その基盤は非常に明確であろうと思います。それから,「見直し」を今から言うことはとてもあり得ないと思います。「見直し」というのであれば,むしろ,先生の今のお話だと大学設置基準自体を見直すということにもなりかねません。

【長尾委員】 いえ,違います。大学設置基準があるのに,大学はそれをきちんとやっていなかったわけです。大学設置基準では45時間確保しろと書いてあります。ですから,大学設置基準があるのに,なおさら増加しろという議論ではないと思います。そこが誤解されては困ると思います。

【金子委員】 それを実施できていなかったということは事実ですが,先ほど申し上げたように,この全体の趣旨としては,実態として学修時間が少ないということを直視しようということです。建前ではなくて実態として少ないことはとにかくきちんと認めようと,その上で何かを始めようということなので,私はその部分で誤解を受けることはないのではないかと思います。

【長尾委員】 私もそれはよくよく理解しています。なので,ここの大学設置基準がもともとあることを認識した上でこの実態を理解してほしいのです。そのことだけどこかで強調していただくだけで結構です。

【佐々木部会長】 私も,見出しに出ると気になるのです。全体を読めば,現状が少ないからそれを増加し,確保しましょうという趣旨は明瞭ですから,見出しのところだけ「適正化」でもいいと思ったりはしたのです。しかし,言っていることをはっきりさせるためには,増加・確保のほうがいいのかもしれません。

【田中委員】 長尾委員に近いのですが,ただ,金子委員や佐々木委員のおっしゃっていることには賛成していまして,ここで何を言わんとしているかというと,実質的な学修時間の増加が必要だということを言わんとしていることと,それから,形式的な授業時間数を整えることではないということを言っていると思います。その意味では,例えばサブタイトルの小見出しのところも,「増加・確保」だと多分ひとり歩きするだろうという気はします。例えば趣旨を理解しない大学が,ただ単に時間数をそろえたからいいでしょうということになりかねないということが長尾委員のご指摘だと思うので,私もそう思いますが,逆に,時間数ばかり増やすことによって,つまり,設置科目数を増やすとか,科目数を増やして学生がとる時間を増やしたから,1科目15時間ということだけではなくて,履修する科目数を増やしているから勉強していることになっているとお考えになると,それは間違いだと私は思っていまして,逆に一つ中黒が足りないのではないかと思います。この9ページの好循環の始まりのところですが,この重要な好循環の前あたりに,形式的な授業時間数をそろえるのではなく,実質的な学修時間を増やすように,教員が1科目に投入するエネルギーを高めること,学生の課題を増やすなどして,その結果としての設置科目を体系的に見直し,その数も減らすことなどが必要あるだろうと言って,いわゆる設置する科目は減らして体系化して,教員の投入するエネルギーは増やして,学生が学修する時間を増やすという循環を言わないといけないと思います。
 設置科目数を減らすと言うと,さぼるというふうに誤解する大学が出てくるという指摘がありますが,ここで言っていることは,設置科目数を増やしたとか,授業時間をそろえたからいいという議論ではないということで,学生が実質的に学修する時間を増やす必要があるということをやはり強調する必要があります。それは形式的な議論では済まないということをやはり言っていただく必要があると思います。

【谷口副部会長】 言っておられることはわかりますけど,例えば2の学修時間の増加とかということを書いてあるところは,「学生の主体的な学びの確立」という項目の中に書いてあるわけです。ここだけを部分的にとりだせば今のような議論になるが,先に申し上げた章の中での話なのです。その前に例えば学修時間の現状ということも記載があります。それを踏まえて書いているから,そういう誤解は基本的にないというのが認識です。もちろん誤解される人も中にはおられるでしょう。そういうところには説明をしないといけないと思いますけど,こういうことは主張点をはっきり出さないと,何をするのかということが明確に見えないです。おっしゃっていることはわかりますが,そういう誤解は解いていくという作業があったほうが,ここで議論したことが,むしろ真に伝わるのではないでしょうか。だから,逆に誤解してもらったほうがむしろいいのかもしれない。そうすると議論ができますから。原案のままの構成で,誤解については議論する形にされたほうが,どちらかというといいと思います。

【田中委員】 ただ,学内での議論などでもよく出そうな議論は,中教審が学修時間の増加と言ったではないか,だから,これだけそろえたという説が必ず出てくると思います。

【谷口副部会長】 わかります。そうなったときに,それは,要するにこの提言の基本は教育の,あるいは学びの質的変換が必要だということが全体の1本の柱であることを明確にするということです。その基本的な認識の中での提言であるということを見失わないように,そこをきちんと議論していったほうが本来のここで議論した主張がよく伝わるのではないでしょうか。

【田中委員】 例えば学士課程教育の質的転換の後に,実質的学修時間の増加ではだめでしょうか,「実質的」という言葉が非常に鍵のように思います。

【合田高等教育政策室長】 整理が不十分で大変恐縮です。まず,長尾委員がおっしゃいましたように,授業時数を増やせといったようなご議論,それから,単位制に関する大学設置基準の規定を変更しろといったご議論が本部会では出ていないということは明確にさせていただきたいと思います。その上で,先ほど金子委員や谷口委員からお話がありましたように,4ページ目の一番下の丸にありますように,「しかしながら,実態としては」という文章がありますが,あくまでも実態に即して学生の学修時間が短いということを原点にご議論いただいておりますので,今,田中委員からも,あるいは長尾委員からもお話がありましたように,念には念を入れて誤解のないように,実質的な質の伴った学修時間の確保・増加というものをこの部会でご議論いただいたということをより明確になるようにさせていただきたいと思っております。

【濱名委員】 私も大体今のご議論はわかりますが,読み手のことを考えたときに少し気になったことは,学修時間の増加・確保になると,安直に読めば,キャップ制を緩めればいいということにもなりかねない。これに対する備えとして,キャップ制のことは一言も出てないのですから,キャップ制を緩めて1週単位を増やして学修時間を増やすということではなく,一つ一つの科目の中での充実を考えるのですから,「増加・確保」という言い方はどうかと思います。「増加・確保」という表現が多く出てきますが,本当は,確保と充実だろうと思います。ですから,単純にキャップ制を緩和しようというものではないという一文をどこかに入れるのか,あるいは確保と充実というようなポジティブな意味にしてはどうかと思います。私はこれを使って大学生のリフレクション・デイで学生に話をしようと思っています。それでは具体的にどうすればいいのかということになると,教員に対しては,課題をたくさん出すなど,自らの教育のスタイルを変えていかなければいけないというメッセージであるということがきちんと伝わらないといけない。キャップ制を緩和することに利用されてしまうのも困ります。だから,私は,「増加と確保」は,やはり「確保と充実」なり,あるいは同じ言葉で「増加・確保」と繰り返すだけでなく,そういうエクスキューズをいれておかないと,怖いという気がします。

【川嶋委員】 私もやはり学修時間の確保が授業回数15回プラス期末試験の議論の時のように形式的に時間の確保だけが目的化しないということが非常に重要だと思います。何人かの先生方がおっしゃったように,大学側はカリキュラムをきちんと見直して,体系化すること。学生については,一つの授業科目にかける授業外の予習・復習時間をきちんと確保するという方策が今回の提言ではポイントでありそれによって初めて授業の中で双方向的な活動が可能になるわけですから,やはりキャップ制を厳格に運用して,一つの授業科目にかけることができる予習・復習時間をきちんと充実させる。それが設置基準の本来の趣旨であることをもっと強調すべきだと思います。
 一方で教員については,金子委員の調査によると半期平均8コマ担当しているというデータが出ていますが,教員が一週間に8コマ担当して,本当に充実した授業を展開できるのかというと,やはりこれはなかなか難しいだろうと思います。だから,教員側も学生側も,それぞれが担当し,受講する科目数を少なくして,一つの授業科目を教員はより多くの時間をかけて準備できるようになるし,学生はより深く学ぶことが可能になり,学修時間の確保も可能になるわけで,それが大学設置基準の本来の趣旨だと思います。そのあたり,文章だと十分に趣旨が伝わる部分と伝わらない部分がありますので,文部科学省の考えでは,全国をキャラバンして回るということでしたので,その場で理解してもらえるよう,大学分科会の委員なり,大学教育部会の委員の方なり,文部科学省の担当者の方がきちんと丁寧に説明をされることが必要だろうと思います。

【荻上委員】 今のような趣旨ですから,学修時間というと,何か授業時間を増やせと誤解されるおそれがあるということであれば,主体的学修時間の増加ということにすればいいのではないのでしょうか。

【鈴木委員】 皆さんのご議論は,学生の学びの実質化というか,そちらのほうをいろいろな角度からご議論なさっていると思いますが,私は,それと対をなすべき教員の授業に対する取り組み等について一言申し上げたいと思います。
 教員の授業に対する取り組みは,幾つかのページで出てきます。例えば4ページの2番目の丸のところの「予測困難な時代にあって」というところの2行目に,「教員と学生とが意思疎通を図りつつ」云々ということで,教員のコミットメントが出てきますし,それから,その丸の下から4行目あたりに「教員の直接指導」とか,その中で「教員と学生」云々ということも出てきます。
 それから,例えば9ページにも,直接的に教員という言葉は出てきませんが,最初の丸のところで,「質と量の結節点として,質が伴うことが前提になっている」とあります。「質が伴う」は,やはり教員のコミットメントがなければできません。
 それから,10ページの一番下の丸で,「何より各科目を担う教員がそのことの重要性を自覚し」ということが書いてあって,それで15ページに来て,ここで「全学的な教学マネジメントとガバナンスの確立」で二つの丸があって,例えば上の丸の1行目,2行目あたり,「教員の属人的な取組から大学が組織的に提供する体系立ったものへと進化させる必要がある」とか,それから,2番目の丸にも,「教員にはそれぞれの授業科目において学生の思考を引き出す必要の高い教育を展開する責任がある」と書いてありますが,もう少し踏み込んで,ここに責任があるということが書いてあるからいいようなものですが,やはり「授業のマネジメントに責任がある」という言葉を入れられないかと思います。
 それを考えたときに,15ページの一番上に「全学的な教学マネジメントとガバナンスの確立」というタイトルがあります。これは,すっと読み流してしまうような感じですが,これは何を意味しているのだろうということで,よくよく考えると,いわば同じようなことを意味しているのではないか,この「マネジメントとガバナンスの確立」ということです。
 それで,私は,もしご検討いただけるならば,この「全学的な教学マネジメントとガバナンスの確立」のかわりに,「全学的な教学ガバナンスと教員の授業マネジメントの責任」という言葉にしていただけないだろうかと思います。

【金子委員】 その場合に,授業マネジメントは二つ意味があると思いますが,一つは自分のやっている個々の授業を計画的にしっかりやれという問題と,もう少しマクロに,カリキュラムとか,そういったものを含めてマネジメント,それに教員が参加するという意味があると思いますが,そこのところを正確に言うとすると,かなり大変だという感じがします。というのは,ここのところで言っている一つの意味は,個別の教員が個別の授業について責任を負ってしまうというやり方だけではうまくいきません。ここでねらっている改革もそれが壁になっているという認識があるわけで,それに対してむしろ全学的に教学のガバナンスを行いたいという意図があるわけで,鈴木委員がおっしゃるように,個々の教員が必ずしも自分の授業をきちんとマネジメントしているかどうか,これも問題ではあると思いますが,この問題を言ってしまうと,少しそこらの主張がそのままではぼやけてしまうおそれがあるのと同時に,そこのところをはっきり言おうとするとまた相当説明しなければいけなくなってくるという問題が少しあるように思います。

【佐々木部会長】 「授業マネジメント」という概念は,部会ではあまり共有できていません。私も同じような意見を持っていますが,学修時間の問題を始点として強調しましたが,部会ではこれを,体系的なカリキュラム,組織的な教育ということと結びつけて議論してきました。学修時間の問題は,それ自体では終わらないと思います。したがって,体系的なカリキュラムが必要であって,かつ属人的な授業を排して組織的教育を行う―この点をもう少し書き込んでもよいと思います。具体的には,9ページの「好循環」のあたりに「大学や教員にとって云々」いろいろ書き込んではあるのですが,もう少し明快に,体系的なカリキュラムが必要であるということ,授業が属人化してはいけないということ,それから,シラバスには組織的な協議に基づいた授業のねらいなり,体系的なカリキュラムの中での位置づけが明示されなくてはいけないという議論を入れておいてはいかがでしょうか。15ページの部分は,個別の教員の心構え,あるいは責任ということを丸二つで明記していますが,タイトルは確かに先生のおっしゃるように,少しわかりにくいという気はします。私の意見は,9ページの下から二つ目の丸のあたりを少し整理して,体系的カリキュラムの必要性と,授業の組織的実施が必要ということを,列挙するような形で明記することが必要ではないかということです。

【鈴木委員】 授業マネジメントは,あまり使われていないとおっしゃいますが,これは非常に普遍的に,クラスマネジメントという言葉は使われていまして,ここで議論にあまりなってないということにすぎないのですが,今,佐々木委員がおっしゃった,いろいろな側面で9ページに書かれてある言葉は,あまり使われてない授業のマネジメントそのものです。ですから,私は,今,金子委員はマクロ的という言葉をお使いになり,マクロ的な側面もあるのですが,私としては「教学的マネジメント」のほうが多少違和感があります。それよりも「教学ガバナンス的な考え方」のほうがしっくりするのではないかと思います。

【篠田委員】 個々の教員の授業のマネジメントというか,授業をよりよく改善をして,ここで提起しているような内容を実質化していくという点について言うと,例えば15ページの「今後の検討課題」のポツの二つ目,「大学における個々の授業において実際に質の伴った学修時間が増加・確保するために必要な方法や施策」ということの中で,これから具体的な議論というか,具体的な手法も上げられてくるのではないかと思います。15ページの「全学的な教学マネジメントとガバメントの確立」は,例えば,20ページのところに図で示してある,学修時間の増加・確保を始点にした三つのポリシーに基づいてカリキュラムの体系化,教育方法の改善,それから,学修成果の把握,それを改善につなげていく,それを担う教員や職員の育成という,全体のシステムがきちんと学長や副学長や,あるいは教育改革推進組織や教育開発センター,そういうものの機能や権限を明確にすることを通じて,教育改革推進の仕組みや方法というのをきちんと構築していかねばいけないということが述べられている訳です。これは学士課程答申でいう「教学経営」というものの具体的内容を今日の課題に照らして展開したものだと思います。
 この20頁の図でも一番最後のところに記載されているとおり,教育改革の課題全体を取り巻くのが全学的な教学マネジメントだというふうに明確に定義をしております。その意味では,個々の教育の改善をするための手法とあわせて,やはり学長と学部の関係だとか,その推進のシステム,組織運営のあり方,マネジメントの改革がどうしても要ると思いますので,この項については,ぜひこういう形で生かしていただいて,具体的にそれをどのようにやるかは今後の検討課題としてさらに検討を行うということで良いのではないかと思います。各大学が,今までのように教育のやり方は学部任せということではなくて,全学的な教育システムの改革をやるためには,組織や権限のあり方も含めて転換していく,変えていかなければ実現できないということを基本的に方向づけている項目ですから,ぜひこれはこのまま生かしていただきたいということが私の意見であります。

【濱名委員】 鈴木委員がおっしゃっていることは,実は21ページのポンチ絵との関係だと思います。ここに授業科目の評価の問題が出てきて,このポンチ絵の中にあって本文にないことは,一番上のところですが,達成すべき学修成果に整合した教育であるかどうか,これが鈴木委員のお言葉で言えば,授業マネジメントという文脈でおっしゃっていることだろうと思いますし,それは本文の中にも吸い上げたほうがいい部分だと思います。
 具体的にどこに吸い上げるか,考えてみたところは,9ページの下から二つ目の丸,話題になっているところですが,上から5行目ぐらいのところに「それぞれの授業において」と,これは課題から始まっていますが,課題より前に「達成すべき課題に即した教育内容や方法がとられているか」とか,そういうことを入れると,鈴木委員がおっしゃっていたような教学マネジメントの要素,つまり,全体の教学マネジメントと授業マネジメントのつながりがもう少し具体的に見えてくる。そこに少し言葉を挿入すれば,後ろのポンチ絵との整合性も,21ページとの整合性も出てくるので,文脈から読むというよりは,21ページの本文の対応という点でも,そのあたりを少し修文していただければ伝わるのではないかと思います。

【林委員】 先ほどの学修時間の実質的な増加,確保の議論がありましたが,この実質化は教員のFD活動と学生側の自学自習をつなぐマネジメント,すなわち教学マネジメントと言えるような気がいたします。学生が主体的に学ぶための時間は,大学での授業時間以外にたくさんあるにも拘わらず,自学自習をやっておけと言うだけでは済まされません。例えば,個々の先生が宿題をどれぐらい出し,学生はレポートの時間にどれくらい使っているかなど,学生の主体的な学びの時間についてある程度関与せざるを得ない。ですから,「実質」という言葉を含むことによって先ほどのキャップという話も出てくるし,FD側の責任も問われてくると思います。
 それから,これから学生向けのキャラバンを進めていくとき,1単位は45時間ですよ,自学自習が要りますよだけではなく,4年間なり6年間という学士課程の中での社会的な体験や生活を主体的な学修に如何に結びつけるかといった議論が大切になってくると思います。そして,例えば6ページの囲いの中にあるように,学生の主体的な学びと質的転換を通して社会全体の改革を進める。あるいは,社会が今抱えている問題の解決とそのための改革を進めるために,それを担うべき学生の質的な転換を図ることがきわめて重要です。日本の学生が如何に勉強するようになるかについては前回の議論にもありましたが,教科書が薄いとか,授業時間も足りないとか,それから,教師のコマ数も多い云々はまさにその通りですが,学びに対する考え方や価値観というものを変えることが必要で,そのためにも日本的なあるいは「日本型の学び」に対する理念を持ってこなければしようがないなという気がいたします。
 そういう意味からいうと,国際社会において日本という国が今直面していること,例えばグローバル化だとかイノベーションという問題に対して,学生が何らかの形で参加し,それを自分の将来の職業に結び付け,また学修にフィードバックをかけるとすれば話がわかりやすい。言いたいことは,学生にやりなさいと言うだけではだめで,何らかのモチベーションを持たせながら学生に問いかけていくことが結構重要になってくるような気がします。これは今後の問題なのでしょうが,私としてはそのように理解し考えています。

【合田高等教育政策室長】 ただいまのご指摘ですが,単に例えば4ページの二つ目の丸の真ん中ですが,「授業のための事前の準備,授業の受講,それから事後の転換」,その後に林委員からもご指摘がありました「インターンシップやサービス・ラーニングといった体験活動など」ということで,これらトータルの学びの時間の確保,しかも実質的な時間の確保というものが大事だということがこれまでの議論の大きな前提であったと存じます。

【小松私学部長】 今の先生の側についてどういう議論をするかということですけど,今回のまとめが世の中に出ると各大学,国公私を問わずだとは思いますが,多様な大学にキャラバンというか,言ってみれば論争的にこれを提示して皆さんで考えていただくという過程が必要だということがこの部会から出されておりますので,それにどう取り組むかということとの関係もあって少しお伺いしたいことがあります。先生方の問題,今のような主題は,それはそれで非常に大きな主題かと思いますが,今までのご議論の中では,15ページの,今後の検討課題,この3月までではなくて4月以降に「審議まとめ」に関連し検討すべき課題という中に,実態の把握とか,それから,実際に,実質的に,そういう点をどうするかということと,あと教員の教育力向上のための具体的な方法や施策の基本的方向性と書いてありますが,こういったような中で関連して,後からさらに本格的に検討をやっていくというような認識,そういう大きな主題だというような認識かと思って今までの議論を受けとめていたのですが,そういう理解でいいのかどうか,それとも今回のまとめに全部書いたほうがいいのか。それによってまた論争の各地への持っていき方も違うと思います。

【黒田副部会長】 この改革をやるのに一番問題になることは,教員の独善的な授業,属人的な授業をどう改革するかということです。そこが変わらなければ学生の学修時間も確保できない,自習時間も確保できないということになるわけです。だから,それを教員自らが示していくということが大事です。教員自ら示すときには何が必要かといったら,組織的な体系をつくるということです。学士課程教育の答申が出たときもそこが一番問題になったところです。今の日本の学部教育は,個々の先生方に授業を任せるという,そういう状態を何とか崩していきたいということが根本にあったわけです。だけど,それをいきなり出してしまうと各大学は大混乱に陥るという,教授会がバックにおりますので,なかなかできないだろうというので,学生側のほうから,学生を締めつけるような格好で話が出てきています。だけど,これは大学としてはまずいことです。
 ですから,ここで,先ほど部会長が言われたように,6ページのところですか,少し増やしてもらって,大学はこう変わるんだと,しっかりとした大学側の意思というのを伝える必要があると思います。だから,学生の学修時間もこうなるのですよということを書かないといけないと思います。それをやらないといつまでたっても学生にだけしわ寄せをさせるのかという話になると思います。ですから,組織的なカリキュラムの体系化をきっちり図ってもらうということと,それから,教員一人一人の持つ授業が,シラバス上で1単位45時間の学修時間の使い方や学修成果への期待値などをきっちり書いてもらう,その必要性を書き込むといいと思います。今果たすべき学士課程教育の役割の中に書いていただくか,先ほど分科会長の言われた9ページのところでその辺のことを少し書いていただく。そうすると大学側もわかってくると思います。これは大学がわからないと,また教授会がこれを理解しないと先へ進みませんので,押さえていく必要があるのではないかと思います。

【田中委員】 私も黒田委員と全く同感でして,9ページ目の下から2個目の白丸,先ほどから何回も議論の的になっているところですが,非常にここはよく書いていただいていますが,下から5行目,ちょうど真ん中ぐらいのところに,「各科目同士がどのように連携・関連し合う必要があるのか」というふうに書いていただいていますが,やはりこれだけ文章に埋もれるとインパクトが弱いように思います。黒田委員がおっしゃっているように,属人的な教育ではもうだめであると思います。きちんと教員同士が,同じ領域の先生方は協力してカリキュラムを体系的に並べる必要があるんだというところが,やはりメッセージとしてまだ足りないように思います。それを書いていただくとすれば,今の9ページの丸ポツの下か,もしくは11ページの下に丸ポツが二つありますが,コースカタログとは異なるシラバスというものを整えるとか,ナンバリングというテクニックのところに入りますが,このあたりのところ,どちらかに体系的に科目を設置していく必要があるんだと思います。そして不必要な設置科目数を用意することはかえって学生のためにもならないし,教員のためにもならないというところまで言っていただいてもいいんだと思いますが,下がれということではなく,丁寧に教えるためには,そういう覚悟が必要だということだと思います。

【佐々木部会長】 ここの部分に,体系的なカリキュラムの必要性と,そのための教員組織としての集団討議の必要性,それから,授業の実施も個人にゆだねず,教員間で授業内容を共有をしながら組織的に進める,さらに,シラバスにそういうことをきちんと書き込むという3項目を追加記載することを事務局に提案はしてあります。そんな方向でいかがでしょうか。

【金子委員】 私はそういうことも大切だと思いますが,この段階でどの程度そのような議論を具体的に入れるかは,私は必ずしもそれは賛成しません。例えば教員同士でカリキュラムもきちんと議論しろとか,そういったことは必ずしもここではまだ具体的に議論されているわけではないわけです。私はこの報告自体はこれだけで相当の意味がある考え方の転換を言っているところがあって,それは,先ほど自主的な学修という言葉を入れるべきだというお話がいろいろありましたが,学修と言ってもたくさんあるわけです。授業に出ていたって学修かもしれませんし,授業に関連する学修もあるかもしれませんし,授業とは直接かかわりなく,読書する時間も学修でしょうし,それから,卒論ももちろん学修ですし,それから,サークル,アルバイトも学修をしているということも言えるわけです。それぞれそれなりに自主的な側面もあるわけです。
 今までの大学が非常に誤解していたというか,あいまいにしていたことは,一方で,先生は難しい専門のことを言っています。ここで教育をしています。学生は自分たちで学修していると。いろいろなことをとにかくやっているではないか。だから,学修しているからいいではないかということだったわけです。これは両方とも学修だ,これは学修があるからいいんだと言っていて,結果として,調べてみたら,実際に授業は学修を誘導していなかったわけです。基本的に自分で学修している時間は,1日に0.8時間で,月に読む本の数は大体1冊いってないのです。実際,授業外で想定していたように学修しているということは,これは神話だったわけです。それは結局ごまかしていたわけです。では,何をするのかと言えば,結局,授業が自分でやる学修を誘導するような形態が必要だと思います。ほうっておいたって,やはり勉強はしない。勉強するような授業は誘導していかなければいけないんだと,そういう考え方をここでは言っているのだと私は思います。学修時間は,ここでは授業が誘発する学修時間ということを言っているわけで,それをはっきりしなければいけない。それはある意味で今までの考え方というより,一般の何となく持たれていた受けとめ方をもう少しはっきりして,きちんと大学がやることはどこまであるのかということをはっきりするべきだということを言っていると私は思います。
 その次に,そうしたら何をできるのかということは,まだほかにもいろいろと議論があると思いますし,先生の態度自体も問題でしょう。先生の態度もやはり今まではそうだったんだと思います。自分で勉強させる。授業は刺激を与えるものであって,あとは自分で勉強するものである。だから,やりたい者だけやればいいという考え方,その考え方自体がおかしいのではないかということは,やはりそれは議論するべきところですが,それを実際にやるために,例えばもっとカリキュラムを議論しろとか,それも必要になってくるかもしれませんが,そこの段階まで突っ込んで,今のところ,本当に言うべきなのかどうか,ここから議論すべきところだと思います。
 しかし,あえて言えば,そういうことを言い出せば,ここで書いたことは,随分まだ余地はあるわけです。例えばカリキュラムの標準化,それから,何回か議論になっていますが,教養科目と専門科目についてそれぞれどういう役割を果たすのか,あるいはコンピテンスにかかわるようなものをどこでつくっていくのか,専門科目の中でコンピテンスをつくるとすれば,どうして可能なのか,専門科目を教えていれば,きちんとコンピテンスが本当にできるのか,それとも何か意識しなければできないのか,そういう問題が幾つも出てくると思います。
 私は,今おっしゃった点を足すことに必ずしも反対しませんが,ここは一定の距離感を持っておかないと,どんどん何でも足すことになってしまう。私は,それは今出すメッセージの必要性から考えて,一定の距離感を持って考えるべきだと思います。

【佐々木部会長】 おっしゃることはよくわかるのですが,学修時間の問題は「始点」であることを徹底させようと思うと,少なくとも体系的なカリキュラムの問題,組織的な教育ということにつながらざるを得ないでしょう。それをどう進めるかということは,おっしゃるように,議論の余地がまだまだ多々あると思いますが,そこが必要だという趣旨は明確に書き込む必要があるのではないかと思います。

【金子委員】 私は正直申し上げて,それは書いてあるとは思いますが,もしあえて1文,2文足してもよろしいということであれば,それはお任せいたしますが,ただ,一応やはりある程度,どこからどこまでが現在の焦点であるかは少し意識しておいたほうがよろしいと思います。

【宮崎委員】 どうしても報告書の宿命で,これまでの議事録の総集編的な部分は免れないと思います。ですから,今のお話のようにどこまで入れるのかとか,ディスカッションの濃淡をどのように反映させるのかということがどうしても出てきてしまうと思いますが,報告書としてはある程度,報告書に耐えなければいけない部分があると思います。このままだと,一番伝えたいメッセージがなかなか直接伝わらないのではないかと思います。一番伝えたいことは何かというと,今回の場合は,まさに学生の本分である学修に立ち戻ってしっかり勉強しなさいということを言いたいわけです。その勉強するための仕掛けとしての,今の金子委員のお言葉だと授業が誘導しているかというような言葉になると思いますが,そういうことを整えましょうということです。あとはカリキュラム設計とか,シラバスだとか,ナンバリングだとか,いろいろなことは手段ですよね。だから,これをメッセージとして伝えるという部分は,報告書とは別に1枚紙のレジュメとか,リーフレット的なものとか,キャッチフレーズ的なものとか,あるいは目次の前につけるとか,一番言いたいことが総花的になると伝わらないと思います。その工夫ができるともっと強力になる。
 報告書そのものは,一行一行,一言一言が本当にかみしめればかみしめるほど深い内容を書いてあると思います。きちんと網羅していると思います。だけど,足りないところとか,そういうところも具体的にはいろいろ出てくるかもしれませんけど,最も伝えたいことをもう少し明確に表現できるといいと思います。

【佐々木部会長】 私は,このまとめは学生に勉強しなさいというメッセージを送るのが趣旨ではないと思っているのです。学生が主体的に,1日8時間勉強するような授業をやってくださいということを大学に対して,教員に対してアピールするのがこの役割ではないかと思っているのです。

【宮崎委員】 それでいいと思います。だから,そういうことをしっかりうたえばいいと思います。

【吉田委員】 気になる点が1点と,あとは今後の課題として考えるべき問題として1点申し上げたいのですけど,一つは,11ページの「学位プログラムではぐくむ能力の明確化」というところに書かれております一番最後の文章のところで,「優れた授業を行う教員を全国レベルで顕彰するなどの取組を行うことが必要である。」ということですが,今回のこの報告書の趣旨に照らして考えると,個々の教員が頑張ればいいという話ではないと思います。大学が組織的にカリキュラムをつくり,学生が学修するような授業をつくれということであれば,優れた教員を全国レベルで顕彰するということは趣旨に反しないという気もしないではないのですが,この辺はいかがなのかなということが一つです。むしろ,これはどの科目を担当するか,あるいはどういう大学にいるかによって,優れたという意味もかなり違ってくると思います。個々の教員を相手にするということでもかなり属人的な話になっていることと,全国レベルで顕彰ということで,かなり一元化した指標でとらえられてしまうのではないかということが懸念されるということが一つです。
 それと,この中にも出ておりましたが,学生が学修しなくても済むような仕組みというか,そうなってしまっているという実態が,すべての大学によって均質に起きているわけではないと思います。分野なり大学によって違っているということは中にも示されていたと思います。そう考えると,この問題が一番焦点的にあらわれていることは,私立大学の社会科学系という領域ではないかと思います。社会科学分野の学修時間は少ないということもあります。また,もう一つ言えば,教養教育とか共通教育の部分ということだと思います。これは,後ろのほうの資料にもあったと思いますが,1年生の学修時間が少ないということにあらわれていると思います。では,そこの部分をどうしていくかは今後の検討課題となってくると思いますが,これは個々の教員が頑張れば,あるいは組織的に何かを考えれば,それですぐ片づくような話ではない側面を多分に抱えています。特に社会科学系の場合に,あるいは共通教育や教養教育もそうですが,やはり1クラスのクラスサイズが非常に大きいというところが多いです。そうすると,ここで推奨されているアクティブ・ラーニングそのものも,人数の多いところでそれをやっていくことはかなりの工夫が必要であって,普通にゼミとか何かでやるのと全然違う状況があるということが一つ。
 また,シラバスに課題を出せばいいとありますが,学生が主体的に学ぶためには,自主性に任せれば主体的に学ぶようになるわけではなく,主体的に学ぶように一定の強制力を持たせるような部分もどこかで必要だと思います。ただ,それを大教室の中の講義形式の部分が変えられないとすると,課題をやることが書いてあったとしても,その課題をどの程度やり,それがどのように自分の身についてくるかということをだれもチェックするすべを持たないということになりがちだと思います。
 もう一つ問題は,社会科系の場合には,ゼミを持っているところも少ないですし,最近,卒論を課さないところも増えているわけです。そうすると,1年のときから勉強しない状況がずっと4年まで続く可能性も非常に高い。それは個々の教員の問題ではなく,もっと構造的な部分を抱えていると思いますが,その問題に対して今後どのように検討課題で取り上げるのかどうか,あるいは,特に日本の場合には,私学の場合には社会科学系が一番大きな比重を占めていますから,かなり重要な問題ではないかと思います。

【濱名委員】 吉田委員が言われた点ですが,教員の顕彰は,要するに研究に対する評価とか顕彰はたくさんあるが,教育に対するものが国として何もない。だからということで,これはベストティーチャーを1人選ぶとかというのではなくて,イギリスであっても,オーストラリアであっても,そういう仕組みがあると思います。要するに教育を評価し,科研費でも教材開発の分野をつくるとか,そういうものを充実させたほうがいいということを受けて,この表現が出てきているので,これは一元的な評価ということに限らなくて,この議論をしていく中で,組織目標に対して,大学が定めた,あるいは学部が定めた目標に対してどう貢献したかというようなことも評価していく。それは予備校がおやりになるベストティーチャーとは違った意味のものを考えていけばいいんだろうと思います。
 それはそれとして,一つ,先ほど来のご議論に少し戻っていきますと,11ページのところで,部会長がおっしゃったようなところも,少し直せばいけるのではないかと思うところがあるのです。というのは,今,「学位プログラムではぐくむ能力の明確化」の中で,第1パラグラフをずっと読んでいきますと,「他の科目を担当する教員との連携」とか,「全学の方針に沿って十分な指導をしているか」まではいいのですが,そこから突然,「を評価することもできる。」と,ここで急に教員の評価に飛んでいるので,ここは文章を切ってしまえば,つまり,「全学の方針に沿って十分な指導をしているかが重要である。」というここで切ってしまって,「こうした組織的な教育への個々の教員の参画や貢献を評価することもできる」と,ここは改行してしまえばいい。要するに組織的な教育に対することを重視しているんだということと,教育評価を文章として分ければ,これは両方残るのではないかと思います。

【川嶋委員】 少し視点というか,観点を変えたいのですが,二つお話ししたい。実はどちらもある意味では関連はしているのですが,要するに大学教育部会としてのメッセージ在り方,表現の仕方ですが,これまでいろいろ議論してきたことを,審議のまとめや答申の中でどこまで詳細なことを書き込むのか。先ほども金子委員から,距離を持っておいたほうがいいというお話もあったのですが,非常に細かな具体的な方法や事項まで審議まとめに書き込むことが大学教育部会としての使命なのかというところは,やはり少し謙抑的に考えたほうがいいのではないかと個人的には思います。確かに安西分科会長がこれまで繰り返しおっしゃっているように,大学は今こそ動かないとだめだという,そういう背景はあると思いますが,そのことと具体的な教育の在り方や方法まで書き込むことバランスは難しく,どこまで具体的に大学教育部会のまとめなり答申として表現するのかはよく考えたほうがよいと思います。
 それから,もう一つは,審議まとめは大学教育部会の大学に対するメッセージ,あるいは教員に対するメッセージということが中心になっているからかもしれませんが,国の役割についてはあまり明確に見えていないように思います。関係機関の一つとして文部科学省が言及されておりますがポンチ絵を見ても,そこには国や文部科学省の記述はありません。社会のステークホルダーの中にも記載はなく,NPO法人等の「等」の中に入るのか知りませんが。以前の学士課程答申では大学の役割,国の役割という形で書き分けて,かなり明確に国としてどういうことをしてほしいかという期待なりメッセージを出していたと思いますが,今回の「審議まとめ」の中で,国に対して私たちは何を期待しているのか,文章中には支援を期待したいとは書かれていますが,具体的にどういう役割を我々として国に対して期待しているのか,もう少し書き込んでもいいと思います。少なくとも20ページの絵の中には,どこにも政府という文字がないので,もう少し部会としても国に対するメッセージを伝えてもいいと思います。

【佐々木部会長】 そこは今回はあまりここでは議論していません。ですから,なかなか書き込みにくいところではあると思います。

【濱名委員】 私も先ほど吉田委員が言われた後段のところはすごく重要で,こういう教育をやろうとすると今の国のサポートではできないことは,それは結論だろうと思います。だとすると今後の検討課題で,これに対するこれらの施策を実現するための国としての関与,あるいは責任分担というようなことは,今後の検討課題の中に書き込む必要があるのではないかと思います。そうでないと,川嶋委員がおっしゃったこと,あるいは先ほど吉田委員がおっしゃったことも含めて考えると,これは大学の自助努力だけではどうしようもないということは明白だと思います。

【山田委員】 吉田委員の発言に関連したことですが,5ページのところで,全国大学生調査によれば,「特に理学,保健,芸術分野は相対的に学修時間が多い一方,社会科学分野は少ない。」,これは実態だと思いますし,実際にそのとおりだと思っております。ただ,これをもっといろいろな要因などをかけてみれば,先ほど吉田委員がおっしゃったような,いろいろ隠れている大学の構造問題みたいなものが出てくるとは思いますが,そういう点を踏まえて,例えば私などは社会科学系の分野に属していて,これを同様に説明するときに,どう説明したらいいのかなとやはり考えたわけです。そうすると,それぞれの,先ほどから授業マネジメントというような問題,そういうようなことは教員としては意識してきておりますし,いろいろな側面での個々の教員としてのFD,あるいは学部やそういうカリキュラムなどのディプロマ・ポリシー,そしてそういうものもかなり改善して,いろいろな社会科学系の分野の教員は行ってきていると思います。ただ,実態として個々に出ていた場合,では,これはメッセージ性として社会科学系の何が問題であるのかというのを受けとめると思います。そのあたりはここであまり議論されてないのですが,今後の課題として見ていくべきなのか。
 もう一つは,社会科学系は,高度成長時代にやはり大量の企業に多くの人材を排出してきた分野であるということです。ですから,そこが実は企業のほうで先が見えないというようなところで,そこに期待する人材そのものが,昔ながらの社会科学系ではおそらくもう無理だということが,多分,メッセージとしては産業界からはあるんだろうと思いますが,それを踏まえたものがここに入っているのかなということをお聞きしたかったところです。

【合田高等教育政策室長】 まさに量的にもさまざまな課題を抱えているところはどこかということで,先ほどお目通しをいただいたように,金子委員の実態調査なども踏まえて社会科学系は一つの問題だという意識と,それから,先ほどお話がありましたように,産業構造の変化の中で,ホワイトカラーの役割が変わっていく中で社会科学系学部における教育はどうあるべきかという問題意識を大学教育部会で持っていただいているということをメッセージとしては込めさせていただいていると思います。
 さまざまな課題がありまして,例えば10ページ目の二つ目の丸にありますように,先ほどは御紹介しませんでしたが,「学修時間の増加・確保に当たっては学修支援環境の整備などを始め様々な課題があることは論を待たない。今後,」――これは文部科学省も含めてですが,「関係機関において,学修の実態をさらに深く把握するとともに,これらの課題は各大学の対応などについての調査が必要である。また,それらに即した効果的な支援諸施策を講じることが求められており,本部会としても審議をさらに深めることとしている。」とまとめていただいておりまして,まさに先ほどいただいたご議論は,ここで私どもの責任や役割も踏まえて,部会でもさらにご議論をいただくという内容だと思っております。

【金子委員】 社会科学系が勉強時間は少ないと書いてあるのですけど,申し上げておきますけど,決して理工系も多くないです。アメリカの大学と比べて,特に社会科学系はさぼっているとか言われていますが,確かに4年生の卒論の時期は一定の期間は集中してやっていますが,1,2,3年生のときは,アメリカと比べればそんなに勉強しているわけではありません。日本の大学で比較的勉強しているのは,基本的には健康関連です。薬学,看護学,医学,ここら辺はカリキュラム自体が管理制になっているので,やらざるを得ないのですけど,ほかは一般に言って,そんなに違いはありません。ですから,社会科学だけの問題ではないということは申し上げておきたいと思います。

【田中委員】 先ほどの吉田委員と濱名委員のご議論に関係するのですが,全国レベルの顕彰のところですが,11ページの真ん中の「学位プログラムではぐくむ能力の明確化」の一番最後の3,4行ですが,「顕彰などに活用している大学を支援・奨励する観点からも」,ここはいいと思いますが,私も吉田委員と意見が同じなのは,「全国レベルで顕彰するなどの取組が必要」というところについては,やはり,違和感を持っておりました。というのは,これをやると相当むだな労力とむだなお金がかかるという意識があるのです。本全国の大学となるとものすごく数が多いのです。イギリスとオーストラリアの比ではないぐらい日本は多いわけです。本当に全国からフェアにティーチングアワードをそこから選べるのかということがあります。
 それから,もう一つは,これをやるとまた,ベストティーチャーがうちの大学には何人いますという,また競争になります。それが本当に教育を活性化する意味のある競争なのか,また,新聞やメディアや受験雑誌が,どこの大学に何名いらっしゃるということを言うわけです。私が必要だと思っていることはそうではなくて,各大学が教育に力を入れているということを重視します。だから,例えば文部科学省なり関係機関なり,国はそういうことを取り組んでいる大学には支援をしてもいいと思います。だから,うちの大学でのベストティーチャーを選ぶ仕組みを持っていますという大学は支援してもいいと思いますが,例えば政治学でとか,経済学でとか,社会学で,どの分野であの先生が日本で一番上手など,テレビではあるまいし,日本で一番上手な政治学なんていうのをやる必要はないと思います。これを全国レベルでやる必要が本当にあるのかどうか,少しわからないと思います。

【佐々木部会長】 私も,顕彰などで活用している大学を国や関係機関が支援・奨励する,ぐらいでいいように思います。

【高祖委員】 まだ自分の考えがまとまってないのですが,少し形式的な面で気になる点を申し上げます。全体を通して「学士課程教育の質的転換」という言葉が今回,キーワードになっています。この言葉がまずは4頁の小見出しに,「質的転換と学修時間の現状」という表現で出てきます。次に6ページ,7ページになりますと,2の大きな見出しは「学生の主体的な学びの確立」になっていて,7ページの小見出しで,今度は「質的転換と学士課程答申」と出てくる。それから,8ページの真ん中で,「質的転換と学修時間の増加・確保」と出てくる。さらに,その次を見ていきますと,10ページの,今度は3の大きな項目のところに,「学士課程教育の質的転換」という言葉が出てきます。これが重要な言葉で,何回か繰り返すことによってその重要性を伝えているという,その辺の意図もあるのかなとは思いますが,何か全体的にこの言葉の置き方が落ちつかない気がするのです。
 そこで提案ですが,最初のところの3ページから4ページにかけては,学士課程教育の役割を論じることによって私たちの認識を改めなければならないということを強く言っています。ただ,そこでは認識を改めなければいけないんだということを,社会について言っています。しかし,大学自体もそうなんだということをもっと強く言ったらいいと思います。また小見出しも,「何々の役割」というよりも,認識の転換とか発想の転換が必要だということをもっと強く出して,それをこの「学士課程教育の質的転換」という言葉で受けているんだという流れが見えるように,少しこのあたりは整理したらどうかと思います。
 そうして2.のところの「学生の主体的な学びの確立―その視点としての学修時間―」が,学士課程教育の質的転換ということをほかの言葉で言えば,学生の主体的な学びの確立であるという,こうした筋の流れがすぐわかるように,もう一工夫要るのではないかと思います。そうすると,4ページ,5ページの,最初に学士課程教育の質的転換が出てくるところですが,言わんとすることはわかりますけど,むしろ学士課程教育の質的転換を妨げているものがあって,その一つの例が学修時間の現状だというふうに少しその関連が伝わるような工夫があると,通りがよくなってメッセージがすっとくるという気がいたします。

【佐々木部会長】 「考える力をはぐくむ大学」という表現について,「はぐくむ」という言葉はとても優しくていいのですけど,ここはやはり育成など,もう少し強い表現のほうがいいのではないかと思いますが,優しいほうがいいのでしょうか。

【谷口副部会長】 考える力を鍛える。

【佐々木部会長】 「鍛える」でしょうかね。

【谷口副部会長】 鍛えるというか,言葉を鮮明にして積極的に何か情報を出したほうがいいです。とにかく教育の質的変換が必要だということを,今おっしゃったように基本的にメッセージの一番最初に出す。だから,題の中に質的変換に向けてとか,そういうことをきちんと出しておくということが必要です。この原案は,あとはよくまとまっているので,基本的にはこういう方向でよいと思います。これは大学分科会に出して,最終的にはある形式になるでしょうから,細かいところは最後の分科会での取りまとめのところでやったらよくて,我々教育部会としては何を教育としてやってもらわなければならないのかを出すということでよろしいのではないでしょうか。そういう意味では背景が書いてあるし,質的変換が必要だ,また,そのために何をやらなければいけないかということさえメッセージとして出せば,それである種の役割を果たすことになる。もちろん,そのために国の支援と言われましたけど,教育はやはり大学が責任を持ってやることだから,きちんとやっていることに対しては支援しますよ,支援をしてくださいという話は,それで基本的にはいいと思っています。だから,個人個人の話ではなくて,さきほど教員を表彰の話もありましたけど,そういう教育に関する取組に対して支援をしてくださいという形を出せばよい。ここでは,やはり大学の責任でやらないといけないことがこれだけあるというメッセージをしっかり出せば,それでいいと思います。

【金子委員】 私はそれに賛成ですが,ただ,基本的にその姿勢といいますか,最後の検討課題のところですが,例えばあるとかいう意見ではなくて,こういったことについてさらに具体的に検討をなるべく急いでといいますか,やるべきだというようなことを少し強い表現にするということは必要だろうと思います。
 それから,私はこの時点ではこういう段階でのメッセージを出すことは非常に重要だと思いますが,今出てきていましたように,さまざまな問題があるわけです。教員の教育姿勢に関しても,いろいろな問題があって,意識の問題もありますし,ガバナンスの問題もあるし,それから,こういったことについて政府がどういう手段があり得るのかというと,相当実は限られているかもしれないわけです。そういったことについてどういう体制で今後検討していくのかといったことについて,もし文部科学省として何かお考えがあるのであれば,少しお聞きしておきたいと思います。

【合田高等教育政策室長】 先ほど来の国の役割ということが大きくクローズアップされておりますが,今,金子委員,谷口委員もおっしゃったように,大学が決意と覚悟を固めて取り組んでいただくものと,それを国がどういうふうに支援するかという全体の構造の中で,今後は,先ほどありましたように,15ページの今後の検討課題ということに書いてあることについて,事柄によっては,例えばガバナンスなどについては海外の調査等もお願いをしているものもあります。それから,各大学の現状であるとか,そういったものもこの部会でヒアリング等もしていただきながら議論を進めていただくことになろうかと思います。当然,初等中等教育との関係については,先ほど安西委員からもお話がありましたように,初等中等教育分科会と大学分科会でまた協力して議論を進めていくということになろうかと思います。

【濱名委員】 お願いですが,37ページにルーブリックの資料がでてきますが,せっかくご議論いただいてつくられるのに,省略し過ぎてこれではわからないので,あと2分の1ページ,最後の43ページに空白があるので,もう少し,省略しないできちんと載せていただきたい。

【林委員】 国の役割,支援が出てきて,それは重要だと思いますが,逆に学生あるいは教員,特に学生ですが,国に対する役割は何なのかということが原点にあると思います。欧米と比較してはいけないのですが,アメリカ,ヨーロッパと比較した場合に,そこの国に対する我々の意識,学生の意識というものがどういう役割を持つんだというものがないことが,一番根本の違いだと思います。
 それから,もう一つは,どこへ行ってもそうですが,よく勉強しないということは,勉強しなければ,実力がつかなければ,社会へ行ったって間に合わないということで,大学はどんどん変わっていくわけです。ここの大学を出てもしようがないから,自分の実力に合う大学に行く。それから,日本人のTAなんか,学生が質問に来ると,こういうふうにレポートを出せばいいんだよということについては一切耳をかさない。試験は試験,そういうインチキをしても全然自分の実力にはならないという考え方が徹底しています。要するに学びに対する文化が大分違うわけです。
 だから,そういう競争社会が徹底している中で,日本は競争社会になっているかもしれないが,やはりまだ終身雇用的な考え方が近いのか,日本全体の文化,だから,国に対してどういう役割を持つのかという意味で言うと,6ページのところで,これを日本的な学びの文化というのをどうつくればいいかという意味からいうと,質的な転換を図るために,6ページの2行目でしょうか,日本の国全体が今,社会全体に求められるさまざまな改革をどう利用するかということを持っていくことが意識改革に非常に有効なのではないかというような,だから,グローバル化の問題もあるし,イノベーションの問題もあるし,例えば東日本大震災の話もありますし,そういうものに対してすごく日本人は真摯に取り組みますので,そういうものを学生にぶつけるということになってくると,自学自習の問題だけではなくて,社会体験,生活,読書,いろいろなところにひっかかってくると思いますので,そういう話がおそらく今後進んでいったほうがありがたいと思っています。

【長束委員】 高校と大学の学びのバトンタッチということで,大学の議論がまた高校へというような流れができることは非常に高校にとってもプラスになるというふうに思っております。
 最後に一つ,きょう議論を聞かせていただいて,先ほど佐々木部会長と宮崎委員のやりとりの中で,最後に佐々木部会長が,学生がしっかりと主体的に勉強するように大学が体制をつくるというようなことがこのまとめの目的なんだというふうにおっしゃっていたのですけど,非常にはっきりしていて,そういうものが最初にあると,何を言いたいのかということが本当に明快であると思いました。

【佐々木部会長】 もちろん最後に書いてありますように,そういう「まとめ」を学生がどう受けとめるかということは,キャラバンをしながら検証してまいりたいと考えております。本日は貴重かつ具体的なご意見をたくさんいただきました。これを踏まえて事務局と協議しながら必要な修文を行い,最終案として公表し,分科会に報告したいと思います。今後の修文については私にご一任いただきたく,ご了承ください。

【安西分科会長】 大学分科会にこの「審議まとめ」が出されて,そこで一度議論をして,それで了承ということになっていくというふうに期待をしておりますが,特に大学教育部会の決意表明だというふうに受け取っておりますので,これで終わりではございませんので,きょうが出発点だということですので,今後ともよろしくお願い申し上げます。特に何が問題で何をしなければいけないということは,学生,特に日本の学生は主体的に学修する,そういう時間が非常に限られていて,それをもっと増やしていかなければいけない,確保・充実していかなければいけないということを主体にした決意表明だというふうに理解しておりますが,今後は,特に個々の教員が学生の主体的な学修,学びをどうやってリードしていけるのか,支えていけるのかという教員側の問題,それから,主体的に学修したということを一体どうやって評価していくのかということも大事な課題になっていくと思いますので,具体的な方策がそういう意味で問題になっていくと思いますが,ぜひこれからも大学教育部会におかれましては,そういった議論を続けていただければと思っておりますし,また,文部科学省におかれましても,ぜひここでの議論は大切にしていただきたいと思います。

(2)ジョイント・ディグリーに関する検討状況について,文部科学省から資料2の説明があった。

 

―― 了 ――

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