大学教育部会(第9回) 議事録

1.日時

平成24年2月13日(月曜日)17時~19時

2.場所

文部科学省東館3階 3F1特別会議室

3.出席者

委員

(部会長)佐々木雄太部会長
(副部会長)谷口功副部会長,黒田壽二副部会長
(委員)安西祐一郎,浦野光人,金子元久,長尾ひろみ,宮崎緑の各委員
(臨時委員)川嶋太津夫,林勇二郎,吉田文の各臨時委員
(専門委員)荻上紘一,高祖敏明,篠田道夫,鈴木典比古,田中愛治,長束倫夫,納谷廣美,濱名篤の各専門委員

文部科学省

板東高等教育局長,合田生涯学習政策局長,小松私学部長,常盤高等教育局審議官,奈良高等教育局審議官,義本高等教育企画課長,合田高等教育政策室長,森友教育改革推進室長,石橋大学振興課課長補佐,西川高等教育政策室室長補佐,小山田高等教育政策室専門官 他

4.議事録

(1)学士課程教育の実質化について,文部科学省から資料1~資料2の説明があり,意見交換が行われた。

【佐々木部会長】 大学教育部会では,これまで「学士課程教育の実質化」,あるいは「質の保証」という論点を中心にして,海外の事例等も参考にしながら議論を進めてきましたが,その中で,学生の学習時間,あるいは学習密度を高めること,あるいはそのために組織的・体系的な教育が必要であることが,この間の議論の重点となってまいりました。他方で,産業構造や社会構造が変化していく中で,大学の教育内容・方法が,依然として社会が求める人材育成に対応していないではないかといった社会的な批判もあります。本部会としても,大学教育改革は待ったなしであるという認識をベースに,今後,スピード感を持って議論を進めてまいりたいと思います。一応3月末をめどにして,「学士課程教育の実質化」,あるいはそれを保証する「教学のガバナンス」,そしてこれに関連する「評価制度の見直し」等を含めた審議の取りまとめを行っていきたいと考えておりますので,この後のご審議にぜひご協力をいただきたいと思います。
 資料2を最初からご覧いただくと,この部会でかなり多くのことが議論されてきた,その足跡がうかがえます。これを年度末に向けてどういう形で「審議のまとめと」して整理をしていくかということが今後の課題になります。資料1にありますように,第1に学士課程教育の実質化です。2つ目にガバナンスの確立――ここでは主として教学マネジメントの問題です――,そして,3つ目に評価制度の見直しという,こういう3つの柱を立ててまとめをしてはいかがかというのが本日の素案です。
 本日は,文部科学省からも説明がありましたように,その中の1,2のパートを中心にご議論をいただきたいと思いますが,例えば,まとめの骨子すなわち組み立て方についてもご意見がありましたら,伺いたいと思います。では,1.学士課程教育の実質化,2.ガバナンスの確立,という部分について,また全体のまとめのつくり等についてのご意見をいただきたいと思います。

【浦野委員】 資料1の最初ですが,ここが非常に大事なところと思っておりまして,今回のまとめは非常に整理されているまとめと思うのですが,1点だけ触れさせていただきたい。それは専門的知識とか,汎用的能力ということはものすごく大事ですが,それ以上に大事なことが,今,世の中はドッグイヤーでどんどん変わっていっています。そういう意味では,大学で学んだことがある意味陳腐化していくスピードも速いわけです。そうすると,一番大事なことは,一生学び続ける力といいますか,いわゆる従来言っている生涯教育ということは少しニュアンスが違うのですが,強い力で一生学び続けるということがないと企業経営もやっていけないわけです。そのことが机上資料では大学と職業の往還の関係と書いてあるのですが,そこをやっていこうと思うと,まさに学習密度の濃い大学生活を送らないと一生学び続ける力って蓄えられないと思うのです。今,日本の企業の最大の問題は,新しいことを学ばないで,従来の中で何とかしていこうと思っているものですからだめだと思うのです。そういう意味で大学の持つ力というものをもう一度発揮していただくために,ぜひとも学び続ける力ということを強調したいと思います。
 それから2つ目は,資料1に求められる方策として1,2,3の大きな観点があるのですが,これを進めていく中で当然問題になってくると思うのですが,企業活動の場合ですと,一般的にトップランナーはどの企業なんだということです。平均的に見たときのベンチマークをどこに置くのかということは,どの企業にとっても非常に大切です。目指すはトップランナーですが,でもそこへ行く過程の中で,どの企業をベンチマークにしようかということがあるわけでして,そういう意味では,ここで掲げてあるようなことをやっていく過程で,やはりどこかトップランナーの大学が出てくると思うのです。学習の密度ですとか,あるいはカリキュラムのつくり方といったような事例を早目早目に対応をとることによって,各大学に示していくということが非常に大事と思っていますので,キーワードとして,機能別分化は前提でもちろん考えているのですが,その中でのトップランナー,そしてベンチマークはどんなものがあるのかといったことを早目につくっていただきたいと思いました。

【濱名委員】 1つ気になっていることは,冒頭の部分でいうと,最後の○印で「教育研究成果」という言葉が出てきます。求められる方策にいくと,「学士課程教育の学習成果」と出てくるのですが,評価をするときの位相について,もう少し整理をきちんとしておく必要があると思います。要するに教育や学習を評価していくときには,個人の学生がどう成長していくかとか,どういう結果を出していくかという個人の評価と,その科目やプログラムがうまくいっているかという評価と,学部・学科単位でうまくいっているかということと,組織全体のインスティテューショナルなレベルでうまくいっているのかの話があるのですが,大学の世界で今混乱が起きていることは,その評価という用語がきちんと区別しないで混同して使われているということです。このまとめをする段階ではその整理をきちんとやっていく必要があるのではないかと思います。基本はあくまで学生がどう成長していくかです。要するにどこまで到達したかだけではなくて,スタートがどこからで,伸びしろをみるという見方もあるでしょう。それでもいいと思うのですが,例えばプログラム評価との違いを整理する必要がある。認証評価は機関別評価をやっているわけですから,インスティテューショナルな評価の話と個人の成長の問題との整理もきちんとしておかないと,このまとめの中でも用語が行きつ戻りつしていると思います。そこについての整理をしておきませんと,例えば,プログラム評価で大学間連携を重視するということは,組織をまたがってのプログラム評価になっていくわけです。それと,同じ大学の中でも,ガバナンスの議論で出てきたことは,いわばデパートメントレベル,学部間で考え方が全く違うということも出てきます。そのあたりを考えていくと,位相の整理を一旦どこかで盛り込んでいただいたほうがいいのではないかと思います。つまり,ベースは学生個人の成長だけど,ここの部分ではどういう意味でその用語を使っているのかということを明確にしておかないといけないと思います。どうも焦点がきちんと合わない理由はそこにあるのではないかという気がするのです。

【川嶋委員】 1と2でそれぞれ二,三意見があります。学士課程教育の実質化のところですが,日本の大学の現状を踏まえた上で,どうやって学生にしっかり勉強させるかということを考えていかないと,それこそ実質化しないと思います。多分アメリカの大部分の大学との一番大きな違いは,要するに通学する学生がほとんどで,ほとんどキャンパスに滞留しないのです。授業に来て,1日終わったら帰ってしまうのです。アメリカはオンキャンパス型で,その中でいろいろな工夫がされてきているわけですが,アメリカでも都市にあるアーバン型の大学ということは通学生が多い,あるいは社会人が多いということで,なかなか大学に滞留できないので,そこでどうやって学生に学ばせるかという工夫をしていると思うのです。そういう意味では,例えば,1つは週複数回,要するに45時間をどう振り分けていくのか。教室内時間と教室外時間で振り分けていくかというところの工夫で,今は,例えば講義ですと教室内15時間と教室外30時間という分け方にしているわけですが,それを逆転させるとか,あるいはそれをすると逆に学校化する,高等学校以下の教育になってしまうという副作用もあるのですが,そういうことを考えていく必要があります。
 例えば,そういう点では,この中にも少し言及されていますが,ICTの利用,つまり,ブレンディッドラーニングという教室での授業と家庭とか課外でも自習できるような仕組みのブレンディッドラーニングをもう少し日本で積極的に進めるような方策が必要で,ラーニングマネジメントシステムを既に導入されている大学は多いと思うのですが,その辺,少し日本はまだ不十分なところがあるのではないかと思います。
 それから,20年前の大綱化のときに出てきて,いろいろなGPAとかキャップ制とかシラバスとか書いてあるのですが,あのとき,結局コンプライアンスだけになってしまって実質化しなかったのです。ですから,今回こういう提言をする際には正確な説明といいますか,具体的なすぐれたシラバスなり,そういうものをきちんと紹介するということが必要だろうと思います。
 それからガバナンスに関しては,これは前にもお願いしていたことですが,例えば,今日の資料で,資料2のほうで12ページに絵があって,右側に本部その他で学長,副学長,教育改善担当,共通プログラムコーディネーター,評価担当コーディネーター,組織開発コンサルタント,調査分析担当等,いわゆる教員でもなく職員でもないという第三の職種が示されています。こういうスタッフが大学に必要なことはわかりますが,では,これらのスタッフをどこから捻出するのか。アメリカではお金や人と云ったリソースが豊富で,しかし,その分授業料も値上がりしているということです。ですから,日本の場合,とくに国立大学では,授業料をなかなか上げられなく,人員も増やせない。このような状況の中で,こういう専門的な人材をどこから捻出してくるのかということを現実の状況をふまえて考えないと,文字通り絵に描いた餅になってしまいます。例えばここに書いてある経営部門の財務・会計・人事担当の部門は,国立大学においては非常にスタッフが多いのです。主として何をやっているかというとコンプライアンスにかかる業務をやっていて,これらの部門に人が非常に多く配置されている。私立の体制に比べると,国立大学は非常に事務職員が豊富といえば豊富ですが,それを十分に活用し切れていないのではないか。海外の素晴らしい情報を提供していただくことはいいのですが,それをどう実現するかがもっと重要です。さっきの学習の実質化もそうですが,我が国の現実の状況とにらみ合わせて考えていく必要があります。ですから,コストをきちんと計算して,それに見合った授業料をきちんと国立大学でも取れるのか取れないのかということは,今後の我が国の大学の在り方として非常に重要なことです。また,人員配置,特に事務部門の人員配置が大学のコアビジネスに照らして適切になっているのかどうかということも含めて,今後予定されている学長に対して調査でもぜひ現況がわかるような調査をしていただきたい。

【長尾委員】 資料1の冒頭に上げられている6つのトピックスに示されている「グローバルに活躍する人材育成」につきまして,どのような人材が「グローバルな人材」なのかを明確にする必要があると思います。要するに教職員のグローバルに対する概念を示さなくては,今の体質の中で「グローバル,グローバル」と言っても,グローバルセンスのない今いる先生たちがわからないのではないかと思うのです。もちろん,ガバナンスの確立とか,評価制度の見直しとか,その中にはシラバスをつくる,カリキュラムを編成するなど,対応について詳細に書いてあるのですが,それをつくり出す教員,職員のグローバル化をまず行わなくてはなりません。その言葉自体をどこかに盛り込んでいただいたら,大学としては少し意識できるかと思います。

【荻上委員】 学士課程教育の実質化,つまり,単位制度の実質化はこれから議論してまとめていく1つの大きな柱になっていますが,多くの大学においてかなり混乱している部分がありますので,この部会での議論を含めて十分わかりやすい形で説明を世の中に対してしていくということもあわせて,文科省のほうでやっていただきたいと思います。学士課程の答申,その他の議論などを踏まえて,あるいは認証評価の過程などを通じて,かなり混乱が進んでいると思われる点があり,中には誤解などもあるのではないかと思われます。そういったことを踏まえて,できるだけ早くわかりやすい形で説明をしていただきたいと思っています。

【田中委員】 非常にうまくまとめていただいていて,我々が議論してきたことがすごく体系的に出されているのですが,少し補足させていただきたいことは,資料1の「求められる方策」ですが,学士教育課程の実質化の中の1のところに体系的なカリキュラムの構築ですが,2番目に授業科目数の削減や科目間連携,週複数回授業の実施とあります。実施科目の削減ということは,このままではイメージが十分ではないように思いまして,読んだ方がいろいろな誤解をすることがあると思うのです。教員がサボりたがっているのではないかなど,授業の仕方が足りなくなるのではないかということをお考えになる方もいらっしゃるわけですが,ここで申し上げていることは,私も何回か申し上げてきたことですが,無駄ではないですが,何人もの先生が自分の科目を自分の城として,ほかの人に一切立ち入らせないという状況が問題であるということです。自分の科目はほかの人に一切さわらせないので,似たような科目を4人も5人の先生が並べているような場合のことを申し上げているわけです。
 それは,実は2のところの学習支援環境の整備の中でチームによる教育の実現という言葉があるのですが,まさにこれと関連しているわけでして,資料2の中にもそういう図があるわけですが,かなり具体的な図があるのですが,ティームティーチングが必要であります。同じ領域の先生方がきちんとコミュニケーションをとって,1年生になったらこれ,2年生ならこれ,3,4年ならこれ,大学院の1年であればこれということをきちんと体系的に並べて,どういうメニューを教えるべきだということを4人なり5人の先生たちが共有することが大事です。そうすればおのずと授業科目数は削減できるはずであるということです。
 それは何を意味するかというと,同じような科目を4人の先生が教えていれば,4人が2つなり1つの科目にすれば交代で教えることができるので,その分,1科目に投入するエネルギーは高まるということで教育の質が上がるということです。研究時間も増えるということです。その研究が教育に反映するということだと思うのですが,そういった設置科目数の削減というだけではなくて,そこには教員同士のコミュニケーションの緊密化,それによる質の向上,1科目に入るエネルギーが高まるというイメージが必要だと思うのです。もちろん申し上げているということはご存じだということはよくわかっているのですが,それが受け手に伝わるようにしていただければということを考えています。

【佐々木部会長】 ここのところはこれまでの議論の1つのポイントでして,やはり学士力の低下云々と言われる一番の原因が,日本の学生の学習時間,学習量が少ないという点です。これをどう改善していくかということが一番大きな課題であって,その改善策の1つの柱が「体系的なカリキュラムの構築」にあるということと,その「体系的なカリキュラム」ということは教員のチームによる教育,組織的な教育実践というところにあると思います。その筋がきちんと見えるようにまとめをする必要があると思うのです。その問題とかかわって申しますと,1の「体系的なカリキュラムの構築」という中に,カリキュラムの体系性の問題と,それから教育の質の向上のためのいわゆるツールあるいは小道具の問題が入り交じっていると思います。そこを切り分けて,まず,「カリキュラムの体系性」の保証ということをきちんと打ち出していく必要があると思います。その上で,「質の保証」のためのいろいろなツールの利用・活用という問題が論じられるように整理する必要があります。
 具体的な方策についても,「体系的なカリキュラムを構築していくための方策とは何か」が重要な点ですが,これは「教育に教員が組織的にかかわっていくこと」です。田中委員がおっしゃったような「属人的」な授業科目の設定ではなくて,「組織的に体系的なカリキュラムを構築していくこと」です。その必要性を具体的な方策の中で1つの柱としてきちんと打ち出すことが重要です。ここに「学習支援環境の整備」ということがつけ加えられていますが,これは別に立てて論じないといけないと思います。一番大事なことは「体系的カリキュラムの確立」ということであり,そのために必要なことは「チームで行う教育」です。この筋が明確になるように1の「学士課程教育の実質化」の部分を整理していただきたいと思います。

【荻上委員】 そのことに関して言えば,現在の設置審査は,組織審査が第一になっていて,カリキュラム審査というか,プログラム審査というか,体系的な教育課程の審査が中心ではないと思います。もちろん,きちんとカリキュラムができているか,教員がきちんと配置されているかということは見ますが,まず第一義的には組織審査になっていますから,そこのところの考え方から改める必要があると思います。学位プログラムという言葉も使われたりしますが,体系的な教育課程がきちんとできているかどうかということを第一義的に,設置審査から始めて,すべてその考え方でいかないといけないと思います。まずプログラムがあって,それに教員が配置されるのか。教員がいるからプログラムが決まってくるのか。全く違うことになりますので,まず教育課程が先にあって,それが出発点だということをあらゆるところで明確にすべきと思います。

【黒田副部会長】 学士課程教育については相当長い間,答申が出てからたつわけですが,いまだに大学自身も混乱していると思うのです。社会も混乱しています。というのは,今まで学部教育という表現をとっているのです。規則もそうなっているのです。学校教育法も学部としての教育のあり方を論じているわけです。これは今言ったように,組織としての学部を,いきなり学士課程教育としていますが,学士課程教育とは何ぞやということです。これは学位に基づくプログラムをつくるということなのですから,学部段階は学士だから学士課程教育と呼んでいるわけです。だからこの辺のことを社会にわかるように丁寧に説明する必要があると思うのです。今,大学自身も学部教育でやってきたことと学士課程教育でのプログラムをつくれというがどこが違うのかとよく言われます。
 なぜそうなるかというと,各学部・学科段階でいろいろプログラムをつくっているのです。プログラムのつくり方は,今までのお話にあったように組織的につくらずに個人の趣味でカリキュラムができ上がっていると言ったほうがいいと思います。自分の研究をやっている分野で科目を決めていくということになります。それの集まりが学科の教育になってきているのです。そこを今改めようとしているわけです。1つの学士の課程に基づくプログラムをつくり,それが体系的で組織的なものにしようとしているのです。それで学習者の教育向上を図っていこうとしているわけですから大きな変換なのです。本来ならば,学校教育法も一部そういうところで改正する必要があると思うのです。学校教育法の改正が無理であれば,大学設置基準の改正でもいいのですが,施行規則の改正でもいいですが,何とか学士課程教育というものに基づいた1つのルールづくりをやるということです。それを学部教育と学士課程教育の違いというものを社会にはっきりわかっていただくことが必要です。
 今でも一般的には学士課程なんて言わずに学部何回生だという表現しか社会的には通っていません。そうなってくると,日本では学士ということが学位になったのはまだ新しいのです。それまでは称号であったので,学部を出れば学士という称号ということになっていたことが,学位に切りかわったことはまだ新しいものですから社会的にもわからないのです。今の大人たちは称号として学士をもらっている人が多いのです。ですから,いまだに大学に行ってパンフレットを見ますと,学士の称号を授与すると書いてある大学が結構あるのです。学位を授与すると書いていないところがあるのです。大学自身がそういう状態ですから,その辺のことをはっきり切りかわるように,こうしないと社会的に大学がこう変わってきているということがわからないと思うのです。それをいち早く社会に知らしめるためには,先ほどから話が出ているような体系的なものと学習の支援の問題,切り分けて書いていただいて社会に訴えていくことがぜひとも必要と思います。

【佐々木部会長】 関連して,「学位記」と「卒業証書」は別物と考えていいのでしょうか。私の大学では「卒業証書 学位記」と並記しているのですが,大学によっては卒業証書,あるいは学位記のいずれかである場合があるのでしょうか。調査したことはありますか。卒業と学位授与とを区別すべきだという議論がここでもありましたが,そうすると,卒業証書と学位記は本来別々に授与すべきものとすべきだろうかと思ったりするのですが,もしわかれば説明してください。

【吉田委員】 体系的なカリキュラムをつくろうということについては,議論の大枠としてまとまってきていると思いますが,問題はどの範囲で体系的につくるかということだと思います。現状であれば,多くの大学が学部単位ということはまずなくて,学科なり,それよりも小さい単位になっています。その中でやってくださいと言っても,おそらく現状は大きく変わらないと思うのです。科目の削減なり,あるいは似たような科目の中の連携という話が出ても,学科の中ですべてでき上がっている構造を,それを広げようという方向で話が進んでいるときに,今の日本の大学のシステムの中で非常に難しい問題を抱えています。なぜならば,基本的には学生の選抜の段階,入学者の選抜の段階がすべて学科なり,その下の単位ぐらいのところで行っておりますし,そうした学生に対して,うちの学科ではどういう教育をやるんだということを明示化して,最近では3つのポリシーみたいな形で掲げているわけです。それを広げていくという話をしているときに,一体それはどうやったらできるのかで,学科の単位を超えて,もう少し大きな単位でカリキュラムの体系性を考えることです。それがディシプリンが全く違うところであれば,なかなかそれは難しいのですが,割と似たような近接領域でさまざまな学科が構成されている中でその問題を考えるときに,それはトップダウン的にやっていくのか,あるいはもう少し別な形で何かそれを動かす仕掛けをつくっていくのかということは,いろいろな大学の例を私はお聞きしたいと思うのですが,いかがなのでしょうか。

【濱名委員】 それに対する答えになるかどうかわからないのですが,川嶋委員などと一緒に共同研究でいろいろ見ていったときに気がついたことは,教育目標を設定するときに教養教育のことは全く念頭にない大学のほうが圧倒的に多いということです。つまり,さきほど黒田委員がおっしゃったように,学部教育とは思っているが,学士課程124単位の責任を各デパートメントがほとんど認識していないという問題が非常に大きいのです。それは吉田委員が言われるとおりです。
 もう1つ欠けていることは,全学の教育目標もないのです。これは今の設置基準上,全学の教育目標は要求されていませんから,全学の教育目標がないことと,各学科は教養教育とか全学共通教育は視野の外にありますから,これが2つ目の問題です。3つ目は行動指針レベルまで教育・学習目標がおりていないことです。教育・学習目標ということは,本来は学生が何々できるようになるということが学士課程答申のときに議論した内容だったのですが,相変わらずそこまでなかなか進んでいないのです。つまり,体系的な教育を設計するのであるならば,大学全体としての基準と124単位に対するデパートメントプログラムレベルでの責任ということと,学生にとって可視化された教育・学習目標であるならば行動指針レベルまで落とすことを求める必要があるのではないかと思います。今回のまとめを見ていると,体系的なカリキュラムの構築の中にそうしたそもそもの目標の部分がないことが気になるのです。カリキュラムポリシーから始まっていて,ディプロマポリシーの部分をもう少し書き足したほうがいいのかという気がします。

【鈴木委員】 今の吉田委員,それから濱名委員は,いつも感心することをおっしゃっていて,お二人のやりとりは非常に核心をついていると思います。先ほど来,荻上委員,それから黒田委員からも,混乱があるということがありましたが,当然な話で,いわば専門学部から学士課程に移ったということは,カリキュラム構造が縦割りから横組みになったのだということを,きちんと概念的に,あるいは形で表示されないといけないと思います。縦割りから横組みにということをまずキーワードにしないといけないと思うのですが,それをテクニカルに可能にするのが,私はこのコースのナンバリングであると思っているわけです。先ほど田中委員が言ったように,先生はコースを一人一人自分の科目だと思って抱え込んでいますから,これを打破しないといけないということがあります。このためには,どうしてもナンバリングを行わなければいけないと思います。これが先ほどの教育の実質化と,あるいは教育の国際化につながっていくものと私は思っております。
 それで,結局,先ほどの3つのポリシーのところで最後のディプロマポリシー,これを裏づけるラーニングアウトカム,学習成果といいますか,これをどう測るのかという問題があって,資料1では,1つにはカリキュラムの編成の仕組みとして実質化するということがあって,そのために,私はシラバスは非常に重要と思います。シラバスの内容というのが非常に重要で,シラバスは一つ一つの科目の工程表なわけですが,これが非常にあいまいで,しかも番号化されていないので,シラバスを10科目分,20科目分,30科目分集めてきても,そこに体系性が出てこないという面があります。ですからシラバスの定義から始まって,内容がどういうものであるべきかということをもう1回周知する必要があります。シラバスを構造化し,体系化するためにはナンバリングがどうしても必要で,この2つがペアになっていなければならないと思います。
 もう1つ,ラーニングアウトカムをいろいろ見させていただきますと,アセスメントとか,あるいは学習行動調査や学習ポートフォリオ等が出てくるのですが,ラーニングアウトカムを学生側から,自分はこれだけ学んだという,アウトカムの調査が欠けていると思います。教員側,あるいは大学側からどのくらいアウトカムになったかという調査に加え,当の学生のラーニングアウトカムを調べる必要があると思います。
 ここの資料の中で,別紙2にインディアナ大学が開発している全国規模の評価ツールというのがあって,これはICUでも使っているのですが,確かに間接評価に当たります。間接評価に当たるのですが,これは学生が自分としては学びの成果をどういうふうに思っているのか,自分はどのくらい学んだのか,あるいは自分がどのくらい満足しているのか,大学にどのくらい満足しているのかという評価を直接データとして得るためのものです。こういう方法と教員側の評価がペアになって,すなわち教員側からも,あるいは学生からも成果を評価するというシステムが伴って教育の実質化ということになるのだろうと思います。そのためにはやはり学生による実質化の評価も,重要なものと思っております。

【高祖委員】 各委員の先生方がおっしゃっていることは,私も賛成するところが多いのですが,今日の資料1を読ませていただいて,2つほど今疑問を持っています。先ほど長尾委員が強調されたところですが,最初に方向性として,グローバルに活躍する人材の育成ということが書かれています。しかし,次の「求められる方策」というところを見ていくと,内容的にグローバル化という意識はあるのでしょうが,ここに書かれているものがグローバル化とどうつながっているのかがあまりよく見えないという問題が1つです。
 それから,もう1つは体系的なカリキュラム,これが必要なことはよくわかりますし,そのとおりだと思うのですが,体系をつくるためにもある種の軸が必要だろうと思います。しかし,その軸は一体どこに置くのかがまだよく見えないのです。アカデミックな面に軸を置くか,あるいは社会のニーズに軸を置くか,あるいは各大学のミッションに軸を置くということがあるかもしれません。あるいはこれらを全部取りまとめる,となるかもしれません。そこのところが何かまだ自分自身としてしっくりきていないのです。それでこういう会議の場では,どうしても個々の先生が教える中身までは立ち入って議論することが難しいのですが,例えばグローバル化ということを考える場合に,私はこんなふうな例で話すことがあります。センター入試も,それから各大学がやっている入学試験もそうだと思いますが,日本で中学,高校の勉強をやった人たちを前提にした入試の問題になっています。これは当然だと思います。ですけどグローバル化ということをもし本当に考え,留学生を受け入れるとか,海外で教育を受けた人を受け入れるとなるのだったら,日本で中学,高校での勉強をやっていない人たちを受け入れるわけですから,そういう人たちが学んできているものをどうやって大学の授業の中に取り込むかということを同時に考えたカリキュラムなり,授業構成を組み立てていかないとグローバル化にならないのです。大学の先生方に任せておくと,多くの先生は,今の日本の通常の中学,高校で教えられている教科書を前提にした授業を組んでいます。そうするとその授業がわからない場合,それは,先生の授業の責任ではなくて,学生が悪いという話になります。ですから異質な体験や学習をしてきた人は,日本で中学,高校をやった人たちの路線に乗るのが当然とされ,そうするよう強いられるような構図になっているのではないかと思うのです。
 もしグローバル化ということを進めて,いろいろな問題解決法を考え,しかも世界にはいろいろな文化があって,多様な文化背景を持っている人たちが協力していく時代をつくっていくと言うのだったら,そういう授業の中身の構成にまで踏み込んで考えていく必要がある。もちろん,これは,各大学がやるべきことかもしれません。ですけど,それに向けたメッセージみたいなものがこういう文書に入れる必要があるのではないのかと思います。そういうことを中に入れ込まないと,最初の方向性のグローバル化と次の「求められる方策」の項に書いてあるさまざまなものとが何か少しまだしっくりきてないなという,そんな印象を否定できません。

【佐々木部会長】 今おっしゃった「体系化」という時の軸は何かという点は非常に重要な問題で,先ほどご議論があった大学あるいは学部,学科の教育目標がどこまで具体的に示されているか,あるいは養成すべき人材像がどれほど具体的に提示されているか――こういう問題だろうと思います。これはいわゆる「機能別分化」あるいは大学の「個性化」という問題にかかわる点であります。3つ目の柱の「評価」のパートで「機能別分化」とか「評価の多様性・多様化」という表現が出てくるのですが,そもそも「体系的カリキュラムの構築」という前提に質の保証にかかわる大学の目標あるいは個性の発信という問題が出てきてしかるべきかもしれません。この部会でも議論があったように,「質の保証」と言うときに,778の大学を全部一括して1つの基準を設けることは非現実的な話ですから,「質保証の目標」,「人材養成の目標」はそれぞれの大学が定めて,それを発信していくことが求められるわけです。それが「大学ポートレート」という形で発信されていくものだと思います。そして,この点がそれぞれの大学の「カリキュラム体系化」の軸に座るべきものだろうと思います。そこのところが一番大事なので,まず,「体系的なカリキュラムの構築」の前提に「機能別分化」あるいは大学の「個性化」という問題がきちんと論じられる必要があるのではないでしょうか。

【納谷委員】 今のことは非常に重要なことだと思います。いろいろ議論を聞いていまして,確かにこの資料1のタイトルが,例えばですが,「グローバルに活躍する人材育成」,これ先ほどお話があって,これが後ろに出ていないということは確かです。どこかでは触れることになるだろうと思うのですが,今我々がここでやっている質保証ということは,まさしくこういうレベルの質を求めているという1つのミッションをここで伝えたいということです。それだったらそれらしくきちんと示しておかないと,このタイトルと後ろがつながらなくなってしまうので,これからぜひ文章をつくり上げるときには気をつけていただきたいと思っております。
 もう1つ。私は,認証評価のほうもやっています。機関別評価のことですが,そこではせいぜい学部,それから学科ぐらいまでいくかどうかというところまでは少し入り込んで評価をしております。非常に重要なことは,この部会で学士課程のあり方を今やっているわけですが,そのときの体系化と言われるときに,先ほども何人かの先生がおっしゃられましたが,学部だとか,それから大学というレベルのところへ行くと非常にあいまいになっているのです。例えば,今のグローバル人材なんかの養成ということは,これは大学でこういうことをするとポリシーを決めたら,それに合わせたことをやってほしいということを決めることまで体系化と言うのか言わないのか。そこまで押し切らないと学長のリーダー性ということは発揮できなくなるわけですから,そういうことをきちんと言って,学部はそれに基づいてどういうことを,例えば法学部なら,そのことについてこういうことをやりますということの目標を立てさせて,そしてそれを具体的な学科とか科目までおろしていくという形をとらないと,本当の強い意味の高等教育にならないわけです。そこをもう少し,今言ったような形ではっきりさせてくれれば,認証評価を機関別でやってもしっかりとこれは見える話になります。そこがあいまいになっているから,今認証評価をやっても意味がないのではないかという議論にもなってくるわけですから,そこはきちんとやるべきだと思います。
 浦野委員が最初におっしゃったことは,個々の大学が,自分の大学はここまでやりたいということは,内部質保証,自己点検評価のほうできちんとやるべきだと思います。問題は,そこの大学がやりたいというところ,そのレベルでいいかどうかということについて,いろいろな形で議論していく場といってよいのでしょうか,そういうことに認証評価を使っていただきたい。あなたの大学の学長はこういうことを考えているのだったら,もう少しこれに沿うような学部教育をこういう形で変えたらどうですか。それがその大学の品質なのだということをはっきりと示していくことにしていったらいいのではないかと,私は思います。こんなことを言って大変失礼なことだと思いますが,そこまで言ってしまわないと,この議論はいつまでたっても決まってこないのではないか。整理をする意味で,少し発言させていただきました。

【金子委員】 1つはグローバル化の言葉の問題ですが,グローバル化がそのまま国際的に活躍する人材に直結してしまうと,私ども大学卒業生の調査をやったのですが,日ごろの授業で英語を使う人は1割ぐらいしかないのです。大体時々使うというのを含めると2割です。要するにグローバル化に直接かかわる人というのはそんなにマジョリティではないわけです。そうするとグローバル化は関係ないのかということになると,実は全くそうではないわけで,日本の大学進学率は今5割になったわけですが,かなり大きな要因は高卒の就職先がなくなっているわけです。製造業に就職する高校生は今2万人を切っているのです。非常に急速に減少していて,これはやはりグローバル化の時代なのです。同時に多分企業のあり方も非常に大きく変わっていて,直接外国にかかわるからグローバル化では多分ないだろうと思うのです。そこのところで,1番目のところでグローバルに活躍にするというふうにしてグローバル化のところが直結してしまっているので少し誤解を生んでいるというか,グローバル化の中で,企業,職業生活や社会のあり方が非常に大きく変化しています。また急速に変化します。そういう中で生きていくための人材をつくらないといけないということで,一段置くような表現が望ましいのではないでしょうか。
 それからもう1つは,この間も申し上げたかもしれませんが,こういう時代に対応して各国とも高等教育の質の革新に非常に今一生懸命になっているわけで,そういった意味でもグローバル化の中で高等教育の特に質的な革新は非常に重要であるということを最初のところで言っておく必要があるのではないかと思います。
 それからもう1点はガバナンスの問題ですが,先ほど学部・学科で決まっているのでなかなか動かないのではないかというお話がありましたが,まさにそれがここで議論してきたところであって,学習時間の問題についても,先生方はかなり細かいコースとか学科の中で授業を行うものですから授業の数が非常に多くて,逆に言うと,個々の授業をあまり大切にしていないというか,一緒に何かやっていればいいのではないかという雰囲気で,先ほどから何回も話に出ていますが,授業が属人的になってしまっているということです。
 いろいろな意味で実は,先生はサボっているわけではないけど,あまり質が高くならないのです。それはかなり構造的な問題があるのではないかということがこれまでの議論で,それを何とかもう少し効率的にして体系化して実質化するということにどうしたらいいのかというところでガバナンスの問題が出てきたのだと思います。
 意思決定の単位自体が非常に細分化されているといった状況をひっくり返すことができないのです。その中でだけ決めていたら,結局それは事態は変えられないわけですから,そこでガバナンス,全学的な教学マネジメントが必要だという筋に今までの議論はなっていたと思います。ただ,2.ガバナンスの確立のところを見ていますと,全学的な教学マネジメントの確立のところは,専門スタッフを入れるとか,責任の明確化という比較的,どっちかというと枝葉にわたってしまっていて,今当面,大学教育の質を高度化するためには全学的なガバナンスを確立することが必要だというところをもう少し強調しなければいけないのではないかと思います。やはりそれは,先ほどから当然議論に出ていましたように,学士というものを全体としてどういう能力を保証するのかということが問題ですし,もう一方で個々の学部とか学科は自分の欠点をきちんと確信できないわけです。それを客観的に見直して,新しいイノベーションを入れるための仕組みとして全学的にそういったものをつくらなければいけないのです。
 それからもう1つ,社会からの要求といいますか,社会の評価のフィードバックも個々の学科ではできなくて,大学全体としてやるべきで,そこの部分は評価機構のほうには書いてあるのですが,3のほうには評価結果を各大学に戻すと書いてあるのですが,評価結果を各大学に戻したときには,大学全体としてそれを考えるという仕組みがないと,それを活用できないだろうと思うのです。そういう意味でガバナンスの確立のところはなかなかイメージがわきにくいのかもしれませんが,外国の例も調査されるということですが,そういう意味では1番のところから非常に直結した問題であるというところをわかりやすくきちんと書いたほうがいいのではないかと思います。

【林委員】 学士課程教育の実質化やカリキュラムの体系化は非常に大事だなと聞いておりましたが,議論が少しFD寄りといいますか,大学寄りに偏り過ぎではないかと思います。そういう中で,学生へのメッセージという言葉も出てきましたし,学習の実質化ということも出てきている。1単位45時間の問題の残りの部分については,相変わらず自習復習,自学自習の表現しか入ってきていない。試験も含めて15回だとか,GPA,キャップ制等々の議論は確かに必要なんだが,学生側の残りの部分というのはどうするのかということについては,やはりもう少しここで議論しておく必要があるのではないでしょうか。
 グローバル化が進む今,グローバル人材には学生が主体的に学ばなければならないことが沢山ある。グローバル教員も大事だが,グローバル環境で学生をどうするかということも大事です。1単位の修得を45時間とすれば,15時間の残りのギャップがあり,学期間のギャップ,場合によっては入学してから卒業するまでに様々なギャップもある。そういう意味では,学生の教育環境についての項目が1から4に加えてあったほうがいいのではないかという気がいたします。

【宮崎委員】 意見を1つと質問を1つさせていただきます。まず意見のほうですが,評価制度のところで教育研究成果と1つにまとまっています。かつて教員が研究に打ち込んでいる背中を見て学生が育った時代はそれでよかったと思うのですが,今,背中を見せていたら学生はだめで,真っ正面から手取り足取り,おんぶにだっこでものすごく手をかけないと育ってくれないときに,現場では,研究と教育というのは別物になっているのです。本当に教育にかかっていると研究する時間がないし,研究を一生懸命やっていると教育がなかなかできないし,人間一人ですから,24時間しかないですし,ものすごく大変ですが,研究は研究,教育は教育で評価していただけるといいということが1点です。
 それから,質問は,学士課程教育の精神の部分です。例えば,先ほど卒業証書と学位記授与というお話がありました。例えば中国では学位と学歴を異なるものとして扱っていますが,我が国も,課程修了で卒業はしたが学位にはいかない,学士にはならないという別物の扱いにこれからなっていくのですか。そこを少し質問させていただきます。

【佐々木部会長】 さっきの話では,たしか「卒業した者に学位を授与する」ということが法律の規定でしたでしょうか。

【石橋大学振興課長補佐】 学位規則の第2条のところになりますが,学士の学位の授与は,大学が当該大学を卒業した者に対し行うものとするという言い方になっておりまして,学位の授与という言葉と卒業ということが同じ規定の中に出てきているということです。その横,修士のほうを見ていただきますと,修士の学位の授与は,大学院を置く大学が当該大学院の修士課程を修了した者に対し行うものとするということで,卒業という言葉は学士のほうだけに出てきているということになります。さっき学士が称号だったというお話もありますが,それが歴史的な経緯ですが,卒業証書というのは大学を卒業した者,それから学位記というものは学位の課程を修めた者に対し出しているということなので,それは調べたことがないので,具体的なことはわからないのですが,両方お出しになっている大学も佐々木部会長のお話だとあるということですが,基本的には学士の学位ですので,学位記が授与されていることをもって,その学位課程が修了されているということになるかと思います。

【佐々木部会長】 例えばある大学が「卒業は認めるが,学位の認定はしない」,つまり,「学位を授与されない卒業生」が出てもいいのですか。第2条の読みようではあり得るのですか。

【小松私学部長】 今,学位規則でご説明いたしましたが,その説明の大もとは学校教育法第104条になっています。概念的には卒業という一定の与えられた課程なり課題をきちんと終わったという,概念としては幼小中高と学位に関係なところにも学業の修了という概念はありますが,学位ということについては大学だけですので,その関係を法律的に定めた104条では,例えば第1項を見ていただきますと,かくかくしかじかを修了した者に学位を授与するものとするとなっております。この「ものとする」というのは,日本の法令用語では一応統一された用法がありまして,「しなければならない」と同じ意味ですが,自治性とか自主性とかいうものが尊重されるという度合いの強いような場合に,そのことを配慮して若干和らいだ表現で言う場合に,この「するものとする」ということにしておりますので,そういう意味では概念的には分かれるが,それは卒業する者には必ず学位を渡さなければならない。逆に言うと,大学の責任によって学位を渡すというほどのものでない者を卒業させてはいけない。修了させてはいけないということになります。それが守られているかどうかということが大学に対する強い批判ということだと思います。

【佐々木部会長】 そうすると,ここでも議論があった問題ですが,現行法令上では,大学卒業生を対象としてあらためて「学位認定試験」を行うなどという話はあり得ないのですか。

【小松私学部長】 あり得ないと思います。学位はアカデミック・ディグリーという言葉から翻訳されているわけですが,最終的には,今宮崎委員からありましたように,現実の作業として教育と研究は確かに昔と違って分かれてきており,あるいは達成されたものの機能という面から考えますと,教育機能が発揮されたとか,研究機能が発揮されたということはあり得ると思われますが,学びの共同体という基本的な“大学は学術の中心”という大もとの規定から申しますと,みずからの責任,社会制度的な責任において,程度,つまり,「学位」の「位」に当たるところを修めた者ということを,何らかのほかの人の権威ではなくて大学の自主的な判断によって授与するということが大学教育ということに位置づけられますので,そのことと学校としての卒業は一体に結びついていて,大学として責任を持って学位として授与できない者を卒業させるとか修了させるということはないということが法令の考え方です。

【宮崎委員】 すみません。法は後からついてくるものですから,現状に合わなければ変えればいいのですが,しかし,そういうことでいい即ち,イコールだという合意ができているのかどうかを確認したかったので,あえて質問いたしました。

【小松私学部長】 それともう1つは大学の場合,法律でもって初めて出現する制度ではなくて,極端なことを言えば,国家とか近代法ができる前から社会制度として,一定のコミュニティーとしての社会的合意,慣習法的な面があって,法律が後ろから追いかけてくるという意味においては,それでもってつくって変えるという面もあるのですが,その従前からの社会的合意を近代国家の法治国家としては確認をするという面もありますので,その点は世界的なコンセンサスとして一致しているのではないかということで従来やってきている次第です。

【篠田委員】 1つは,今宮崎委員が言われました背中を見せる教育ではだめだ,手取り足取りの教育という側面ですが,学士課程の実質化で強調されています体系的なカリキュラムの構築というのは非常に重要だと思うのです。一方でそういう正課,カリキュラム体系が正課教育だとすると,正課教育外のいろいろな支援の体系,よく言われる入学前の教育だとか,リメディアル教育だとか,学習相談の体制だとか,就職のサポートだとか,いろいろな形で学生を学びに結びつける支援システムが,かなり各大学で取り組まれています。それが正課のカリキュラムと全体として結びついて,うまく機能して初めて学生が成長していくという流れになっています。そうするとそういうような正課外の教育体系がどこに位置づくのか。1の「体系的なカリキュラムの構築」の中の一部として組み込まれるのか,2の「学習支援環境の整備」,ここは「環境の整備」になっているので,「学習支援システム」のような形で,少し強調して位置付けたほうが良いかと思います。教育の成果を上げようとするとき,教育をサポートする全学の支援体制の構築など,カリキュラムによる正課教育と同時に,学習支援全体の取り組みを推進していかないといけないと思います。従って,正課外の教育や学習支援の領域を,どこかに位置づけする必要があるのではないかと思いました。
 それから,1の「体系的なカリキュラムの構築」ですが,これは濱名委員もおっしゃっていたように,大学全体の教育目標とか,目標がはっきりしなければ,こういう体系的なカリキュラムの構築はもちろんできないと思います。吉田委員がおっしゃったように誰がそれに責任を持つのか,どうやって体系的なカリキュラムの構築に持っていくのか。それは同じように,3の「学士課程教育の学習成果の設定」とか,「プロセス管理」を一体誰がどういうふうにやるのかということにも繋がりますが,こうした推進体制についてもある程度方向を出していかないと実質化していかないのではないかと思います。それが2の「ガバナンスの確立」のほうに結びついて,1の「全学的な教学マネジメントの確立」と言った場合に,これは金子委員がおっしゃいましたが,大きな枠組みが必要だと思います。学長とか,教学担当副学長だとかが,大学全体の目指す教学目標について,どのような形で責任と権限を持つのか。1は「教育の中身の目標」ですが,2の「教学ガバナンス」ということになりますと,これは単に教育内容の充実だけではなくて,入口から出口まで3つのポリシー全体の目標がどうしても要ると思います。その目標は,大学自身がみずから掲げた目標に対して,その実現のための教学マネジメントを確立していくという流れになると思いますので,そこで学長とか教学担当副学長だとか,IR組織だとかがどのような位置づけなり役割を持つのか。あるいは学部長が,学部の教育の体系的な構築にどこまで責任と権限を,個々の教員にゆだねるのではなくて,きちんとコントロールし,目標が達成するようなカリキュラム作りに責任と権限を持ってやっていくか。そういう実際のマネジメントの構造を現状から少しでも変えていくような形で位置づけをしていただくことが,教育改善に実効性を持たせる上で非常に重要な点ではないかと感じました。

【安西分科会長】 今ずっと皆様がおっしゃっていることは,それぞれそのとおりだと思いますし,それを有機的に連携させて何とか具体策を実現していただきたいと思っておりますので,改めてよろしくお願い申し上げます。
 世界の各国が高等教育戦略に焦点を当てている中で,日本の大学はそれぞれの大学の,特に執行にかかわっている方々は一生懸命やっているとおっしゃるのですが,全体として沈んでいるということはぬぐえないことでありまして,ただ,抽象的な議論はもうやめて,具体的にこういう方法をとるべきだということをぜひここから発信していただきたいと思うのです。我々が覚悟を決めなければいけないことは,学習到達度の評価の教育研究をベースにした,学生がとにかく勉強していないのです。それをきちんと勉強させるような仕組みというのを提示していこうとするときに,その評価の基準を決めることはこちらだということです。それは各大学が決めていかざるを得ないことです。それが大学だということなのではありますが,その基準の大枠を決めていくことはこちらだという気持ちでないと具体策はつくれないのではないでしょうか。
 長くなって申しわけありませんが,ということは,もしそうだとすると各大学で大体今のままだと,ざっくり言って2割の学生は退学しなければならないということになるのではないでしょうか。2割って根拠はそれほどないのですが,例えばです。ということは,特に私立大学は経営に非常に大きな影響が出てくるということなのです。これは,そのことを覚悟を決めてやるということなのです。ある年から突然学生が一生懸命勉強するようになるとは思えないので,ということは相当の退学者が出るということを念頭に置くべきだということであります。
 それから,機能別に大学を分けて見ていく必要が当然あるわけで,これは機能を実現していくことはそれぞれの大学がやるべきことかもしれませんが,機能別分化を前提にした議論をしないと常に抽象論に陥るということは明らかです。機能別分化を一応想定したときに,特に,世界のトップレベルという言葉はいけないかもしれませんが,研究等々でもって競争していきたいという大学における教育は,これはそれなりに厳しいものが求められるわけで,当然そういう大学でも2割の学生は退学すると考えるべきだと思うのです。そういうことを念頭に置いた上で,ここが学習到達度等々の評価の,評価をしないといけないということを言っているというのではなくて,評価の基準をつくっていくということを,それをやっていくべきと思うのです。そういうことを少し申し上げたかった。先ほどありましたが,教育研究の中で特に研究ということについても,特にそういう世界の場でもって競争していきたいという大学においては,教員の研究力は相当のレベルが求められると思いますし,そのレベルに達しない教員はその大学からリタイアしてもらわないといけないわけです。そういうときに教員の流動性,それから退学した学生が退学しっ放しでは困るわけで,学生の流動性というんでしょうか,そういうことも求められるのではないかと思うのです。その学生をどうやってサポートしていくのかということも大事だと思います。少し言い過ぎかもしれませんが,そういうレベルでの具体性を持った策をここが出していただきたいと思うので,申し上げさせていただければと思います。

【川嶋委員】 全体の日本の大学教育をいかによくするかということで,いろいろな手だてはあると思います。大学の自主性に任せ,それをエンカレッジするような支援策を国で考えることもその一つかもしれません。しかし,制度の面で,大学の学長がリーダーシップを発揮しようとするときに障害になっている面もあるのではないでしょうか。制度には功罪の両面があって,コンプライアンスというか形式的な改革にとどまる場合もありますが,逆にそれのおかげで学長が背中を押されてリーダーシップを発揮できるという面もあると思います。先ほど黒田委員から設置基準の改正というお話が出ましたが,大学改革の障害になっているのではと思われる制度に学生定員の問題があります。この前広島大学のHiPROSPECTSという,目標到達型の仕組みのシンポジウムに出たとき,広島大学では現在は66の学位プログラムをつくっていらっしゃるのですが,結局それは学生募集単位の66です。学科や学部を超えた形での学位プログラムということができないのは,それぞれ学生定員という拘束があって,それがある意味で教員の側を保護しているわけです。教員のそれぞれの存在理由となっているわけです。それから先ほどの2割ぐらい退学させる覚悟が必要だという話もありましたが,退学させたり,あるいは留年させると,これはこれでまた国から様々なペナルティーがかかってくるということもあるわけです。ということで,今後設置基準の学生定員の在り方については考え直していただく必要があるのだろうと思います。
 話題は変わりますが,先ほどグローバル化に関連して東京大学が秋季入学を考えていることが話題になっています。東京大学がそういうことを考えられる理由というのは幾つかあると思うのですが,1つは東大は駒場に教養学部があるからだと思います。アメリカの学生みたいに入学時にまだ専門を決めていないような学生を,教養学部にまず受け入れて,3年生からそれぞれ専門に分けていくという仕組みを東大が持っているからです。ところが,ほかの国立大学は各学部・学科に定員がわかれ,入学試験で細かく募集しているので,もしまだ専門を決めていない留学生を1年生から受け入れようと思ったら,これは既に九州大学とか岡山大学で大学横断的なプログラム,21世紀プログラムとかマッチングプログラムをつくっている例はあるのですが,どこからこのようなまだ専門を決めていない学生のポストを確保するのかについて学内がけんけんがくがくの議論になってしまうわけです。学生定員は,質保証の重要な意義もありますが,やはりもう少し大くくりで学生定員を張りつけるような設置基準のつくり方といいますか,入口のところをもう少し大くくりで考えるような仕組みを制度的にも裏づけていくような改革が必要ではないかと思いました。
 最後に,先ほど安西分科会長のお話にもありましたが,ご承知のように50年後に8,000万人にまで日本の人口が減少すると発表されました。その時,日本の大学は幾つ生き残るのだろうと思います。今後どうしていくのかってもう少し長いスパンで考えていくと,制度改正も視野に入れながら改革を考えていく必要があるのではないかと思います。

【安西分科会長】 少し誤解ないように申し上げますが,2割を退学させたいと言っているのではないのです。そうならないように各大学が本当に本腰を入れて教育をやっていかないといけないし,その教育の方法,内容については機能別に違いがあるし,だけど評価基準をつくっていくのであれば,それはきちんと基準を立てて,そこまでに達しなかったら大学卒業生ではないということをきちんとやっていかないといけないのではないかということを申し上げたいわけで,ただ,ここの部会がある意味,本腰を入れ覚悟を決めて,基準をつくっていくのは我々だということを思っていただきたいと思うし,こちらもそうですが,そのつもりですから力が入るのですが,そういうことですので,やはり大学に行きたいという人たちが本当に勉強して大学を出られ,その後いい人生を送れるようにすることが目的でありますので,それは誤解のないようにお願い申し上げます。

【宮崎委員】 その具体的な基準づくりは,要するにこの答申は3月末に出すのですか。

【佐々木部会長】 まだ「答申」という形ではなく,これまでの「審議のまとめ」という形で一旦とにかく整理しましょうというつもりです。

【宮崎委員】 ほんの9月入学と言っただけであれだけ激震が走るのですが,中教審の報告書であんな激震が走るだろうかというのを考えると,やはり世の中にものすごくインパクトのある投げかけをするべきだと思うのです。それも具体的にです。だから安西分科会長のお話がそのままいくかどうかということはともかくとして,答申のときに心地よい言葉で格好よく書くのではなくて,かなり衝撃を与えるような,そこからもう1回考えましょうという答申にできたらいいと思っております。

【金子委員】 秋入学のことは激震かどうか私はわからないので,あれはブラフみたいなもので,本当に何か実質的な変化が日本の高等教育にあれで起こるかということは,私は大変疑わしいと思うのですが,それからあれは定員等もあまり関係なくて,大学にとってはやろうと思えばできないことはないのです。別にやってもあまり私はろくなことがないのではないかなということが,大体の方はそう思っているのではないかと思います。そういう形の激震ではなくて,私は,中教審がやるべきことは,今日本の問題はどこであるのかということを深いところで指摘するということです。今まで特に学生は勉強しないということが世間話みたいにして言われていたわけですが,実態として本当にそうで,それがどうして問題なのかということをやはりきちんと言うと。それがインパクトを持つということが一番重要ではないかと思います。
 とにかくそれに関しては,この部会は非常によく議論してきましたし,かなり緻密になっていると思うのです。そこのところは非常に重要なメッセージとして出すべきと思います。ただ,ガバナンスの問題と評価制度の見直しについては,本当に具体的な議論ができるところまでまだいっているとは必ずしも思えないので,しかも,特にガバナンスの問題については,大学制度のかなり根幹にかかわるところで,安西分科会長が言われるように非常に社会からの目は厳しくて,それを何らかの形で具体的なアクションとして,あるいは姿勢として出すということは非常に求められていることは事実ですが,ただ,もともと大学の制度の成り立ちということを考えて,どういうことが本当に今の社会の中で求められるかのということをかなり緻密に議論していく必要があると思います。そういった意味での議論,筋道を,特にガバナンスの問題についてはきちんと書いて,さらにまだ検討すべき点を明確にしておくといった,そういった書き方は今のところ必要なのではないでしょうか。

【佐々木部会長】 ご指摘のとおり,この「ガバナンス」の問題と,それから3つ目の「評価制度」については,ここではあまり議論はしていないのですね。ガバナンスの問題は,部会で主としてやるべきことなのか,あるいは分科会のほうで進められるのか,このあたりはどうですか。

【義本高等教育企画課長】 大学全体の話ですから,当然大学分科会が主ですが,これまで教学ガバナンスの問題というのは全体のガバナンスの問題にも絡みますので,そこは部会,分科会,両方ご議論いただくということを前提にして事務局としては準備させていただきたいと思っています。

【佐々木部会長】 では,ここでも遠慮せずに,全学的な問題にかかわってガバナンスの問題の議論も進めるということでよろしいのですか。

【安西分科会長】 全くご遠慮なく。ただ,具体的なことを議論していただきたい。もう大学は大変ですとか,学長が一生懸命言ってもしようがないのですというのはもう何度も繰り返されておりますので,具体的にどうしたらいいかという議論にしていただければありがたいと思います。

【濱名委員】 ガバナンスの話ですが,学位記は私も含めて,ここにも大勢の学長の先生がおられますので,学長の名前は出しているのですが,実際には学位記の質保証を学長ができる仕組みになっていないのには,2つ問題があると思います。1つは,学部であるとか,デパートメントレベルに口が挟めないことで,例えば法律で決められているか,あるいはこういう答申なりに盛り込めば,学長のパワーに直結できるか。まさに一般論としてはそうです。物を言おうと思うと,大学の学則に明確に書かれているということは,その個別大学の1つの論理として必要です。私はまず最低限やらないといけないことというのは,各大学が学位に対してどういう目標を設定するのかということです。それがいわば論拠になります。あるいはそれが憲法として学内的に使えるものだろうという,それがないと学長が言うことが非常に弱いだろうと思うのです。そうでなければ,分野別に言えば,8割,9割実質的に指定規則等々で決めてしまって,それも文科省以外の省庁で決められているものが金科玉条になってしまっている場合は,学長といえどもほとんど口が出せないのです。そういう点から考えると,教養教育についてこういう要素を考えろということを言ったとしても容れられないのが現状ですから,そこが1つのポイントだと思います。
 もう1つは,これは国立大学も含めてですが,学長の任期制ということが本当に必要なのかどうかということです。それと学長の再任の上限を定めていることの妥当性があるのかということです。アメリカの大学を見たとき,20年,30年学長をやっている人はざらにいるのです。これは企業もおそらくトップマネジメントの任期は決めていらっしゃると思うのですが,再任について,日本の大学のように上限をいろいろつくっているのでしょうか。例えば,これは2期しかやれないとなると,2期目の残り1年になると学長の言うことをほとんど聞いてもらっていないのではないかというところもあります。
 基本的によって立つべき基準と,それとポジションの安定性というのでしょうか。その2つが不可欠で,例えば私立大学ですと理事会で再任されなければ受任期間の制限があろうがなかろうが,それで任期はおしまいになるわけです。そのあたりの基本的な条件がないと,ガバナンスと言ったとしても,ガバナンスを可能にするような,トップにとっての条件というのは整っていないのではないかと思います。

【納谷委員】 私は明治大学の学長をやっていますが,この学校教育法第92条によると「学長は,校務をつかさどり,所属職員を統督する」,さっき議論がありました「学部長は,学部に関する校務をつかさどる」と定めてあります。ですから,学長は学部長にきちんと言うべきなのです。言える根拠がここにあるのです。だからそれを実施するかしないかは,その学長の力関係,要するにどういうぐあいに改革したいかということにかかっているわけす。私は,先ほど少し言いましたが,例えば明治大学で今の時代はグローバル人材をつくること,世界へ出ていくこと,こういう視点で人材をつくりたいと,これに従ってやってもらいたいということでいろいろな政策をつくっていくのです。これをやって初めて各学部が動き始めるし,各学部の学科を学部長が指示して直してもらうことになります。これを行ってくれないと大学全体の評価が定まらないわけですから,それに邁進するべきことが学長の仕事と私は思います。ですから,そこに遠慮して,各学部へ任せるとか,各講師の先生に任せるということではやはり改革はできないと思います。要するに既存の学部のそういう状態の中から,いわゆる殻から抜け出すことはできないわけですから,それを乗り越えていくためには,どうしても学長による仕事が必要になってきます。そこに学長の本来の仕事があります。そのときに学長が動くためには,ここで,先ほどお話がありましたが,グローバル人材をしっかりつくるということが今大学に強く求められています。それをしないから,大学は社会から批判を受けているわけですから,その批判を受けている中心はそこだということがわかれば,そのことをぜひ目安にして質の保証をしてもらいたいということを発信していくことが必要なのではないかと自分は今考えております。もしそういうことで指針をきちんとこちらで示して,そういうことで学長はきちんとやってほしいということが教職員に見えて,そこから段階的に今までのやってきたやり方でおろしていくということをしないとなかなかできないのではないでしょうか。
 それと,各学部でできない部分がいろいろあります。国際化という問題もそうなのですが,そのための制度づくりとかは学長のところで準備してあげないと各学部が動けないわけですから,そういうことをもう少し学長のリーダーで周辺を整備して,こういう中で大学はこういうぐあいに動かしていくことと定め,これを学部長らに示すべきです。例えば明治大学ならこういう特色を持って社会に訴えて,これが評価を受けるかどうかということに勝負をかけていくということが学長の仕事ではないのかと思います。私はそう思って,そのためにもし必要だったら,いろいろな認証評価で言っていき,このレベルで本当にいいのでしょうか,この中身でいいのでしょうかと率直に意見を聞いて,もし足りないなら,こういうことが足りないと言われたことを次のアクションプランできちんと直していくことをやってくださいと,こういう形の循環をすることが今の大学が置かれている状況ではないかと,私はそう思っております。それがガバナンスの問題でありますし,認証評価のあり方ともつながってくるのではないかと思っております。ただ,そこまでいく前に学習時間をどうするかとか,いろいろなことはせざるを得ないのですが,もう少し大局的な動かし方をしないと,大学は何をやっているのだ。学生は何しているのだ。勉強しないではないか。こういう議論だけに振り回されていてはやはりいけないのではないかと思って,発言させていただきました。

【宮崎委員】 今のお話で,学長の強力なリーダーシップは本当に大事だと思うのですが,多くの私立の大学は理事長と学長とお二人いらっしゃって,教学組織と経営体とが違ったりするのです。一緒の場合,総長ならいいのです。その場合に必ずしも教学組織が望むように例えば予算がつくかとか,理事長の考えがどうかとかというとき,このガバナンスはどう考えていったらいいのですか。

【納谷委員】 私たちの明治大学も二頭立てです。ただし,私は8年間やってみて,大学が欲しいものはやはり言うべきだし,理事長だって,言えば無視することはできません。お金がないんだったらしようがありません。全くないものは,出せと言っても。だけどお金があれば,使い方こういうふうにしてほしいということは学長のほうで言っていくべきで,理事会とか理事長でできる話ではないわけです。そこを彼らにわかってもらうような状況を出すということが学長の仕事で,それが教職員を預かった学長の仕事だと私は思います。そこははっきり言い続けないといけないのではないかと,私はそう思います。もしそれで財政的に裏がないということを言うなら,その学校法人はやはり撤退しないとならない。また縮小しないとならない大学だと私は思います。それぞれの役割があるということをあえて言わせてもらいたいと思います。

【谷口副部会長】 基本的には,今学生を我々は次の世代のために育てないといけないのです。そうしないと彼らが生きていけないのです。そこのところをどうやってやるかという,そのために各大学いろいろと自分のところはこうだということがあります。もちろんそれはあっていいのですが,基本的なところは力をつけさせないと学生が生きていけません。そこのところをどこまで力をつけさせるかってやはりはっきりして,それをここでつくっていかないと学生たちが困るのです。やはり我々は学生たちを絶対困らせないという観点で議論を集約させていきたい。学長がやることはもちろん,今,明治大学のことで言われたように当たり前なのです。そこをきちんとやっていかないと,お金がなかったら,できなかったらやめざるを得ないのです。やはり学長がきちんと全体的な責任を負っているわけですから,しっかり守りながら,言うことをなかなか1回では聞かなかったら,3回でも4回でも言うしかないのです。最後は学生をどう育てるか。そこにあるので,そのための基準というのをしっかりつくるということを肝に銘じてこの会を進めていかないといけないと思います。そのために具体的にどうするのかということを考えて英知を出してということだろうと思いますので,よろしくお願いしたいと思います。

【長束委員】 先生方のいろいろなご発言を伺って,私は高校現場の人間ですが,考えたことを発言させていただきます。大学という場でまた私たちが育てた生徒が成長して社会へ出ていくという中で,特にグローバル化という問題が非常に発言の中で出ていましたが,このグローバル化社会の中で世界に通用する人材を育てるということが,多分今回の議題の一番中心になっているのかと思います。それも非常に必要で,そういった面で非常に厳しい大学教育の,先ほど2割ということで,2割の生徒がついていけなくなるレベルになるという話もありましたが,そういう厳しい教育内容も必要と私自身も思います。それとともに,もう1つは,先ほど金子委員がおっしゃっていたように,グローバル化という中で影響を受ける学生のことも考える必要があります。グローバル化の中でグローバル化に活躍するのではないにしても,グローバル化の中で影響を受けるのはすべての学生だと思います。日本で生きているすべての若者たちが影響を受けるという面でいくと,そういった若者たちがどうやって生きていくのかというか,生きていく自分なりの指針というか,そういったものを身につけられるようなことも重要と思います。グローバル化で通用する人間を育てるのも必要だと思いますし,もう1つグローバル化の中で,日本の社会の中で生きていく力をつけていくのも大学の役割になってくると思いました。非常にまとまらないですが,セーフティネットとまでは言わないですが,こぼれ落ちていかないようなことも考えていく必要性がありますし,私どもは逆に大学に入っても十分通用するような人間をつくっていかないといけないと思いました。

【鈴木委員】 先ほど安西分科会長が抽象的な議論はこれくらいにして具体的に実行できる提言が必要であるとのことですが,私もそう思います。それで具体的に,特に体系的なカリキュラムの構築という観点からですが,ここではコースのナンバリングで,いわゆる体系化,あるいは階層化といいますか,構造化が1つ可能になっているわけですが,もう1つ,別紙1の学士力の答申の中で4つの段階的学士力として,(1)知識,理解,から始まって,(2)汎用的技能,(3)態度・志向,それから(4)総合的学習経験と創造的な思考力,という4つの段階があると書かれています。あともう1つ考えないといけないことはカリキュラムの構造ですが,本当に一般的な構造としては一般教育科目というものがあり,それから専門基礎科目というものがあり,専門科目があり,最後に卒業研究というものがあるわけで,これもくしくも4段階的に分かれている面があります。ですからコースナンバリングというものを軸として,一般教育から卒業研究に至るカリキュラムの構造と,それから学士力というもの,これも4段階あって,これは非常に具体的なビジュアルな構造になる可能性があるのです。私はこれを出発点として,この内的な連関がどうなっているのかというあたりを議論していくことが,1つ突破口といいますか,安西分科会長がおっしゃる具体的なところに結びついていくのではないかと思っております。

【佐々木部会長】 それでは,お約束の時間になりましたので,本日はこの辺で審議をおさめたいと思います。次回までに本日いただいたご意見,特に「1.学士課程教育の実質化」について少し整理をし,かつ,「ガバナンス」と「評価制度の見直し」については次回に十分ご議論いただけるようなまとめを提示させていただくことにしたいと思います。どうかま,次回以降よろしくご協力をお願いいたします。

(2)今後の日程について,事務局から資料3の説明があった。

―― 了 ――

お問合せ先

高等教育局高等教育企画課高等教育政策室