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平成14年の本審議会の答申「今後の教員免許制度の在り方について」では、更新制の導入の可能性について、 )教員の適格性確保のための制度としての可能性、 )教員の専門性を向上させる制度としての可能性の2つの視点から検討を行った結果、「なお慎重にならざるを得ない」との結論に至っている。今回は、当時指摘した課題等を踏まえ、どのような制度が現在必要とされており、また制度としても導入が可能であるのかという観点から、更新制の在り方を検討した結果、「その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に必要な刷新(リニューアル)を図るための制度」として、導入することが適当ではないかとの結論に至った。
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平成14年の答申においては、前述した2つの視点それぞれについて、具体的な課題を指摘したが、これらは大別すれば、 )分限制度との関係、 )専門性向上との関係、 )一般的な任期制を導入していない公務員制度との関係、 )我が国全体の資格制度との関係の4つに分類できる。
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)分限制度との関係については、資格制度としての教員免許状は、あくまでも個人が身に付けた資質能力を公証するものであり、個人の素質や性格等に起因するような適格性が確保されているかどうかについては、基本的に任用制度により対応すべき問題である。したがって、このような意味での適格性に欠ける者については、現在すべての都道府県教育委員会等で進められている指導力不足教員に対する人事管理システムや分限制度等の厳格な運用により、対応することが適当であると考える。
一方、今回検討する更新制においても、更新時に、その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に必要な刷新(リニューアル)とその確認が行われることとなる。
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)専門性向上との関係については、基本的に教員の専門性の向上は、現職研修により対応すべき事柄であるが、今回検討する更新制において、定期的に必要な刷新(リニューアル)を図ることとした場合、国・公・私立学校を通じて、その時々で求められる資質能力が確実に保持されることになる。このことは、現職研修を個々の教員の能力や適性等に応じたより効果的なものに改善する上で、大きな意義を有する。また、後述する免許更新講習の受講をきっかけとして、個々の教員の専門性向上への自己研鑽が期待できること等も考慮すると、専門性向上を目的とする現職研修とは異なる施策として、更新制を導入する必要性は高いものと考える。
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)一般的な任期制を導入していない公務員制度との関係については、更新制はその時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、教員免許状に有効期限を設け、その満了時に、一定の更新要件を課し、これを満たせば、免許状が更新される資格制度上の制度である。これに対して、任期制は、あらかじめ一定の任用期間を定めて職員を採用するという任用上の制度であり、業績評価等に応じて、再度任用することはありうるものの、一定の要件を満たせば、再任用されることを前提とした制度ではないことから、基本的に更新制とは趣旨・目的を異にするものである。
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)我が国全体の資格制度との関係については、本来、資格制度の在り方は、当該制度の特性や業務の性質等を踏まえて検討されることが基本であると考える。一度取得した職業上の資格が、事後において一定の要件を満たさない場合に失効となることは、職業選択の自由に関連する問題であり、慎重な検討が必要なことは言うまでもない。しかしながら、上記 で述べたような教員の職務の重要性や特殊性、影響等、さらには、これからの変化の激しい時代の中で、教員に必要な資質能力をいかに確実に保持させていくかということを考えた場合、教員免許状に更新制を導入する必要性は高いものと考える。
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平成14年の答申は、将来的な更新制の導入を否定しているものではなく、科学技術や社会の急速な変化等に伴い、再度検討することもあり得ることを示している。 .1.において述べたとおり、近年の学校教育をめぐる状況は、従来とは大きく変化している。これらの変化の萌芽は、平成14年の答申当時も一部現れていたが、現在、こうした変化が、より明確に、かつ複合的に生じてきており、そのことが学校に対する保護者や国民の信頼を揺るがす主な要因となっている。平成17年10月の本審議会の答申「新しい時代の義務教育を創造する」においても、これからの学校は保護者や地域住民の意向を十分反映する信頼される学校でなければならず、「教師に対する揺るぎない信頼を確立する」ことが極めて重要であることを指摘している。このような状況を考慮しつつ、これからの社会の進展や国民が求める学校像を展望すると、教員の資質能力を確実に保証するための方策を講ずる必要性は、平成14年の答申時に比べて、格段に高まっているものと考える。 |