教育課程部会 特定分野に特異な才能のある児童生徒に係る特別の教育課程ワーキンググループ(第2回) 議事録

1.日時

令和7年10月16日(木曜日)15時30分~17時30分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. 特別の教育課程の検討に係る基本的な考え方等について
  2. その他

4.議事録

【隅田主査】  それでは、定刻となりましたので、ただいまから中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会、特定分野に特異な才能のある児童生徒に係る特別の教育課程ワーキンググループ第2回を開催いたします。
 本日は、制度の詳細を検討するに当たっての前提といたしまして、国内外のこれまでの取組状況や成果と課題等を踏まえながら、特別の教育課程の検討に係る基本的な考え方等について審議を行います。初めに事務局から説明の後、関西大学の松村暢隆名誉教授、石川委員の2名より御発表いただき、その後、意見交換の時間といたします。
 それでは、事務局より御説明をお願いいたします。
【栗山教育課程企画室長】  失礼いたします。教育課程企画室長の栗山でございます。
 松村先生、石川委員の御発表に先立ちまして、少しだけ御説明をさせていただきます。こちらの資料は、前回の第1回目で御説明いたしました現状、課題と検討事項の資料でございます。これにつきまして、議論の状況を一層円滑に共有するため、前回の議論を踏まえまして若干の追記をさせていただきましたので、その点のみ、短時間で御説明を申し上げます。
 現状と課題の部分につきましては、特段修正等はしておりませんので変わっておりません。
 検討事項と論点についてでございますけれども、黄色くしてある部分が修正を加えた部分ということになります。その点についてのみ、御説明を申し上げます。
 まず、丸1、制度構築の基本となる考え方や留意点です。本日はこの部分を特に深める回でもございますけれども、この点につきまして、1点目、2行目の諸外国の多様な取組の成果と課題等という表現について、もともとは実態という表現でしたが、こうした成果と課題、両面を見ることが重要だという御指摘が前回ございましたし、まさに本日の御発表はそういった色彩が大変強いものでございますので、基本的な認識として修正をさせていただいております。
 また、4つ目のポツでありますけれども、ここは全体として追記をしております。論点整理において、教育課程全体としての包摂性を高める方向で制度設計するという方向性が掲げられていることを踏まえまして、本特例の適用がある児童生徒についても、通常の教育課程で多様性を認め合い協働的に学ぶなどの方向で具体の検討を進めるという、特別の教育課程のみではなく通常の教育課程でのありようについても追記をさせていただいております。
 次が丸2であります。特別の教育課程の内容・授業時数・指導計画等の部分でありますけれども、具体的論点の部分の5つ目の黄色くしてある部分を追記しております。前回の御議論でも特別の教育課程の部分だけではなく、先ほどの追記の部分とも関連いたしますけれども、通常の教育課程での指導方法の工夫や柔軟化、特に調整授業時数制度における裁量的な時間等の活用を含めて、こうしたことについてもできることがあるのではないか、こうした御議論があったかと思います。また、それに伴いまして、教育課程外による支援との役割分担や関係性の整理といったことも併せて追記をさせていただいております。
 次が丸4であります。対象となる児童生徒の部分であります。この部分の具体的論点の1つ目でありますが、括弧を追記させていただいております。これも、特別の教育課程によることなく、つまり、特別の教育課程を編成・実施するわけではなく、多様かつ多層的な教育活動によって支援可能な児童生徒が一定数存在することも踏まえながら、特別の教育課程の対象となる児童生徒を検討する必要があることに留意をする必要があるだろうと。何でもかんでも特別の教育課程ということではないですよねという趣旨の御議論が前回もございましたので、それを踏まえて追記をしております。
 なお、3つ目を削除しておりますのは、同趣旨の記載が丸2のほうに移っておりますので、この点、重複を避けるために削除しております。
 最後の修正点でございます。一番下の部分でありますが、コメ(※)で追記をさせていただいております。上記の前提を踏まえつつ、制度の目的や趣旨に関してどのように広く社会における理解促進を図るのかといった観点にも配意しながら検討が必要という追記をさせていただいております。前回も、特定分野に特異な才能のある児童生徒に係る特別の教育課程に限らず、我が国におきましては、この取組がまだ始まったばかり、道半ばであり、まだ緒に就いたばかりだといった状況がございます。そういったことも踏まえながら、教育関係者に、また、社会全体にどのように理解を広めていくか、こうしたことも非常に重要なポイントでありますので、こうしたことにも配意しながらしていくという御議論がございましたので、追記をさせていただいているところでございます。
 追記は以上でございますので、事務局からの御説明は以上でございます。こうした全体像を踏まえながら、これ以降、御議論を進めていただければありがたく思います。
 以上でございます。
【隅田主査】  栗山室長、どうもありがとうございました。
 ワーキンググループで今後検討していくに当たりまして、最初の国内外、海外の事例も単に実態を紹介するのではなくて、やはり成果と課題を明確にしながら我が国として何ができるかを考えるということ、学校の、あるいは教室の中と外というのは分離されるものではなくて連続的であるということ、才能がある子も教室の他の子とやはり同じクラスでつながっているということ、こうした学びが社会ともつながっていると、そういう連動する部分を我々は意識しなくてはいけないという第1回のコメントが反映されたものと思います。どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして、令和4年にまとめられました特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議におきまして委員を務められた関西大学の松村暢隆名誉教授より、有識者会議の審議のまとめ及び関連して得られたデータ、アメリカで制度化されていった歴史を踏まえたその基本的な考え方について御発表、そして御提案をいただきます。
 それでは、松村教授、お願いいたします。
【松村名誉教授】  こんにちは。松村です。
 ワーキンググループの今後への期待を込めて、有識者会議の提言を踏まえて押さえておくべき共通認識などについてお話しします。
 2ページをお願いいたします。発表の構成です。大事な話をたくさん詰めましたけれども、20分ちょうどで抜粋して説明します。配付資料をぜひ後でじっくりと御覧ください。
 3ページ、突然にアメリカの昔の話です。レンズーリ博士は、私の才能教育研究の師匠ですが、今では広く実践されている「全校拡充モデル」というものを半世紀前に提唱しました。しかし、当時の才能教育の行政や学界からは、抵抗や反発を受けました。その革新的な論文は当初理解されずに、才能教育の学術誌に掲載を拒否されました。巨匠の新しい考えでも、関係者や一般の人々にすぐには認められない。新しい実践が広がるには、長い年月がかかるということです。
 日本でも、ようやく特異な才能のある児童生徒の支援体制の整備条件が整ってきました。隅田先生の御尽力で、愛媛大学才能教育センターも設立されました。才能教育を語るのもタブーであった半世紀前に比べると、やっとの思いです。
 次、4ページです。本題です。有識者会議は、「審議のまとめ」という報告書を出しました。参考資料にもつけてくださいました。確認しておくべき提言の重要点を挙げます。1つ目に、特異な才能のある児童生徒を特定の基準や数値で選定しないということです。もし例えば、IQ130以上で選定したらどうなるか。いろいろな不都合が生じます。そこで、有識者会議では一律の才能の定義を設けるべきではないと提言しました。これは、よく才能の定義について合意が得られなかったとか言われますけれども、そうではなくて、一律の定義をすべきではないと言ったのです。なお、ここでは特異な才能のある児童生徒を「特才の子供」と略します。特定分野に特異な才能のある児童生徒、これは略さない表現ですけれども、このワーキンググループでもそういう表現を時折用いていますが、繰り返すとくどいですよね。ふだん使いでは、特異な才能のある児童生徒で十分です。特才というのもやがて広がるかもしれません。
 5ページです。これは、審議のまとめではどう書かれているか抜粋したものです。この後にも他の引用が出てきますが、元の文章を前後の文脈を含めて熟読すれば、より納得していただけるでしょう。特才の子供を特定の基準でラベルづけることによって、学校現場の分断や差別が生じることのないように留意すべきことが強調されました。
 6ページです。特才の基準は、あらかじめ一律に決まっているのではなくて、個別の取組ごとに決まります。審議のまとめでは、「個別のプログラムや施策においては、目的や内容に応じてそれぞれの対象者や才能が決定される」と述べています。これは、例えば入試で学校ごとに考慮される合格基準が異なるのと同じです。ですから、一律の基準に基づいて、誰に特才があるのかというのを教師がスクリーニングによって選び分けることはできないし、行うべきではありません。
 7ページです。教師が特才の子供を選ばなくても、学級の児童生徒の多様な才能に気づくためには、初めに触れたレンズーリの「才能の三輪概念」というものが手がかりになります。図のように、才能の要素として3つが挙げられます。能力、創造性に加えて、「課題への傾倒、task commitment」というものがあるのですが、これは強い興味、熱中のことです。これも才能の重要な要素だと提唱したのは、50年前には画期的なことでした。これら3つの要素のいずれかが高いことが才能を見いだす手がかりになります。能力やスキルがまだ十分に高まっていなくても、強い興味や長時間の熱中、それが多様な学びの出発点になります。
 8ページです。有識者会議の提言の2つ目の重要な点です。特才の子供への指導・支援は、インクルーシブな個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実の一環として行われるということです。有識者会議・審議のまとめのサブタイトルにも入っているのですが、2021年の古い教育課程部会・審議のまとめでは、特才の子供も含めて学びを充実させることが重要だと述べられました。この引用の後半に書かれていたことも、その後も受け継がれて、このワーキンググループの検討課題にまでつながっています。
 9ページです。有識者会議でも、特才の子供への支援を個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実の一環として考えようという提言です。全ての子供たちの学びの在り方を考えながらも、そこに含まれる特才の子供の困難に着目して解消を図ることが重要だと考えられました。
 10ページです。特才の子供には、学校内及び学校外の多様な学びの場がふさわしくなります。支援推進事業の実証研究では、学校内を基盤としたインクルーシブな取組も行われてきました。特才の子供にも適応的な学習環境の中で、才能が伸ばされ活かされる効果もあったはずです。審議のまとめでは、これらの検証の成果を展開して、次期学習指導要領や環境整備などの制度的な改善についても必要に応じて進めるべきだと提言しました。まさに現在の特才ワーキンググループの検討課題となるところです。特才の子供への学校内外での支援について、隅田先生は、前回のワーキンググループで発表されましたが、通常の教育課程からの連続的な支援の拡張を図るような教育支援のモデルを考えて実証研究を進めておられます。
 11ページです。学校内外の指導、支援の連携について、アメリカでのモデルも参考になります。初めに触れたレンズーリ博士の「SEM、全校拡充モデル」です。学校内外で柔軟な学習集団や活動が連携して、才能教育で言うところの「拡充」が全ての子供について図られます。SEMの理念と方法は、日本の個別最適な学びと協働的な学びに通じるところがあります。このSEMの指導・学習の核に、「拡充三つ組モデル」というものがあります。個人の興味に基づいた深い探究が学校内外でシームレスに展開されます。学校内では挑戦意欲が満たされない特才の子供にも、学校外のより難度の高い学びの場を提供できます。
 12ページです。才能教育の概念として、今出てきた拡充と早修の区別について整理して挙げておきます。「早修」は、上位学年教科・科目の早期履修・単位修得の公式措置であって、一方、「拡充」は、その措置を伴わない指導・学習方法だと明確に区別すれば、日本でも議論、立案で混乱を避けられます。例えば、算数、数学や英語で自由に先取り学習するだけなら拡充に当たると考えます。一方、もし当該学年の教科・科目の履修を免除して上位科目の履修が可能ということになれば、厳密な意味での公式の早修を行えると言えます。そうすると、今やろうとしているのが早修なのか、拡充なのか。「飛び級のような早修」とか例を添えなくても、早修なのか、拡充なのかということで考えることができます。
 13ページです。有識者会議の提言の3つ目の重要な点です。特才の子供の困難を認識して、その解消を図るということです。特才の子供の困難として、1つは障害による困難が着目されます。2021年の中教審答申で「特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒」について、初めて「2E」という用語を用いて言及されました。
 14ページです。特才の子供の困難として、もう1つは才能による困難が着目されます。才能による困難の実証例として、特才の子供の保護者などを対象に有識者会議が実施したアンケート調査があります。その結果、才能に起因する困難の典型として、学習面、対人面、教師の対応の問題が挙げられました。私が小学生保護者の回答を分析した結果では、これらは複合していました。
 15ページです。アンケート調査で、障害による困難と才能による困難の両方が浮き彫りになりました。この図のように、2Eの障害による困難だけでなく、才能による困難がかなり多く見られました。当事者の子供や保護者は、一般にはあまり知られていないところで困っている実態があるということは確かでしょう。なお、才能が突出していても、さほど突出していなくても、特才の子供の中には才能や障害で困っている子供もいます。誤解される点ですが、特才の子供がみんな困っているわけではありません。特才の子供に特定の具体的イメージを張りつけないで、一人一人異なって複合のある特性を持っていると捉えるのがいいでしょう。
 16ページです。特才と不登校や発達障害の要因は、複合することを認識すべきです。不登校については、不登校の原因の調査がこれまで多く実施されてきましたが、「浮きこぼれ」とも呼ばれる才能が原因の不登校は認識が乏しいです。一方、有識者会議のアンケート調査では、特才の子供の約3割に不登校や登校渋りが見られました。審議のまとめでも、才能による困難から不登校になる場合があることが指摘されました。才能面も考慮した学校内外での不登校への支援が望まれます。また、発達障害を併せ持つ2Eの子供では、障害と才能が互いを隠してどちらかが、または両方とも認識されにくいこともあります。両面のニーズを見いだして、指導・支援で考慮することが望まれます。
 17ページです。この図は、学級内に様々な特性を持つ子供がどれだけ存在するかを模式的に表したものです。2021年9月のCSTIのワーキンググループで用いられ始めました。IQ130以上を仮定した問題はさておき、注目すべきは当初から発達障害やギフテッド、不登校傾向の特性が複合している場合も存在すると認識されて、その旨注記されていた点です。
 18ページです。前の図が、その後に記載事項が変わりながらも継承され、これが論点整理にも掲載されている最新の図です。要因の複合の注記が消えましたが、複合の存在を認識しておくことは重要です。また、2021年12月のCSTIのワーキンググループ以来、「ギフテッド」と初めは書いてあったものが「特異な才能のある子供」に言い換えられました。この図では、「IQ130以上を仮定」の注記が消えました。しかし、特才には多様な種類、程度の特性があるという認識が必要です。
 19ページです。特才の子供の割合の認識について、アメリカのデータが参考になります。1つには、識別された才能児の割合は、州や地域固有の識別方法によって異なります。上部の表はNAGC、全米才能教育学会の調査のデータですが、州によって大きな開きがあります。「論点整理参考資料集」の130ページ、本日の資料1の22ページに当たりますが、そこではコロラドは2.2%になっていますけれども、分母がフロリダで計算違いでした。NAGCのウェブサイトで確認できます。下部の表は、州ごとの才能プログラムの対象者選抜率です。上記のデータとよく似ていますが、ほぼゼロの州もあります。才能プログラムが充実していてふさわしいという意味での才能児の存在率は、どこでも十数%の可能性があると言えます。日本でも、多様な才能に適合する多様な学びがふさわしい特才の子供がもし十数%なら、35人学級に4、5人存在するかもしれません。いてもおかしくありません。理数系だけでなくて芸術や、さらにはスポーツとかも含めて多様な才能で考えると、結構いろいろな才能のある子がいるなという実感はあるかと思います。
 20ページです。最後に、特才の子供のための「特別の教育課程」編成の問題です。1つは、特別の教育課程の対象者についてです。特才の子供の中には、「1階」では十分な支援が困難で、「2階」の特別の教育課程が必要な者が存在します。しかし、対象者となる特才の子供は、実際に支援が可能な人数次第で変動します。対象者は、困難の解消を図るために特別の教育課程による支援が喫緊に必要か、適切かという観点から総合的に判断できるようにすべきでしょう。論点整理では、対象者は特に優れた能力があって、「かつ」強い興味・関心を持つ者とされています。しかし、レンズーリの才能の三輪概念について説明したように、優れた能力が表出不十分でも、強い興味や意欲を示して才能開花が期待される者ができる限りすくい上げられるような、方策の検討が望まれます。
 21ページです。もう1つは、特別の教育課程の実施場所についてです。特才の子供の学校外の学びの場を整備していくことをまず目標としながらも、学校内での指導を含めて幅広い分野と程度の才能を支援できる取組の検討が理想論としては望まれます。そうは言っても、支援の喫緊の必要性の観点から、具体的な実施場所の在り方について検討すべきでしょう。特定分野に興味を持った子供たちが意欲的に参加して満足できるように、適合する学びの場を拡大していく。そうすれば、子供集団の差別感や分断なしに公正に対象を広げる、その範囲が定まっていくのではないでしょうか。
 22ページです。最後に、お話ししたことをまとめておきました。このワーキンググループでは、より多くの特才の子供たちが救われるような、優れた理念と具体案をまとめてくださるものと期待します。
 以上です。
【隅田主査】  松村先生、どうもありがとうございました。
 有識者会議のまとめがまさにこのワーキングの出発点となっているわけで、改めてその核となる部分を御説明いただくとともに、アメリカで才能教育が制度化して、社会化して、現代化していく中では当時想定されていたよりももっと多くの対象がいて、多様であるということ。それにどう対応してきたかというエッセンスも含まれていたかと思います。どうもありがとうございました。
 御質問等は石川委員の御発表の後でまとめて受けたいと思いますので、続きまして韓国における才能制度に関して、専門的な御知見を有する石川委員より御発表いただきます。
 石川委員、どうかよろしくお願いいたします。
【石川委員】  よろしくお願いいたします。京都女子大学の石川です。
 私のほうからは、諸外国の事例の1つとして、韓国の才能教育について発表させていただきます。時間の関係もございますので、ところどころ簡略化してお話しさせていただければと思います。
 初めに、日本は海外の国、特にアジアの諸外国と比べても、才能教育に関しては後発となるということです。しかし、その分利点があるということで、国際的な動向、海外の事例などを参考にできるということがあります。ただし、その点においても我が国の学校教育が目指す方向性、社会風土、こういったものに合ったものにするということが重要になってくると思います。また、海外の事例を参考にする際にも、その国の歴史、社会、文化的背景を十分に考慮した上で、成功例からだけでなくて問題点、課題についても他山の石として参考にすべき点が多いと思います。
 本発表では、特定分野に特異な才能のある児童生徒のニーズに応じた教育を才能教育というふうに簡略化して、暫定的に呼称させていただきます。隣国の韓国ですけれども、学校教育制度や教育文化について我が国と似た点が多いですが、才能教育への姿勢については、韓国は我が国とは対照的でした。約40年前、1980年代の初めから、公的な才能教育を積極的に推進してきました。それはなぜでしょうか。また、どうやって推進してきたのか。韓国の才能教育の光と影を理解して、我が国への示唆を探ることを本発表の目的とさせていただきます。
 本発表の構成は御覧のとおりです。才能教育についてお話ししていく前に、まず韓国の社会制度と教育制度について、少しだけ押さえておくべき点をお話しさせていただきます。
 まず、政治体制についてですけれども、韓国の大統領は直接選挙で選ばれまして、強大な権限を持っております。また、我が国と大きく違う点が地方教育行政の長です。こちらも公選によって選ばれまして強大な権限を持っていますので、国や地方の教育の在り方というのはこのトップの考え方1つによって大きく変わるという点、この点を押さえておきたいところです。また、産業構造についてですけれども、韓国は我が国と同じく天然資源に乏しいですし、人口規模は我が国よりもかなり小さいです。なので、伝統的に外需に依存した製造業中心の産業構造を持っておりますので、どうしても技術革新のための科学技術力向上、これが経済発展の鍵を握るような産業構造になっております。これは韓国の才能教育とも少し関連しているところになります。
 学校教育制度については、我が国と似た点と異なる点があります。似た点は、進学率が非常に高くて、初等中等教育、そして高等教育までかなりユニバーサル化している、普遍化しているという点です。そして、韓国にも我が国の学習指導要領に相当する教育課程の国家基準があります。一方で、進学制度が大きく変わっておりまして、私立を含めて中学校、高校段階で学校別入試の実施というものが厳しく制限されております。これも韓国の才能教育と関係してくる点です。韓国の学校教育制度は以上のような特徴を持っておりますので、教育内容の多様化、あるいは学力、進路に応じた等質集団編制に一定の限界があるという点も押さえておいていただきたいところです。
 それでは、才能教育のお話に入っていきたいと思います。まず、定義と実施分野です。才能教育の定義については、第1回で隅田主査がお示しくださったとおり、英才教育振興法というものに明示されております。松村先生のおっしゃる特才、非常にいい略称だと思うのですけれども、特才に相当するのは韓国では英才と言われています。英才とは、才能が優れた人間として、生まれついての優れた潜在力を啓発するために特別な教育が必要な人間をいうというふうに英才教育振興法で規定されております。そして、才能教育に当たる英才教育とは、英才を対象として、各個人の能力と素質に合った内容と方法で実施する教育をいうというふうに提示されております。
 こちらを御覧になってお分かりいただけると思うのですけれども、才能の先天性に言及している点が特徴です。これは、韓国は非常に教育熱が高くて、才能教育ブームというものが過熱してしまうおそれがあったために、あえて先天性に言及したというふうにも言われております。つまり、英才教育とは英才が受けるものであって、英才教育を受けたからといって英才になるというわけではないということです。そういった点を強調するような定義になっております。特定の子供たちを英才という風にみなして、教育対象は英才に限られるといった点において、第1回で隅田主査がお示しくださった3つのパラダイムのうち、「ギフテッド児」パラダイムに近いような特徴というものが韓国には見られます。
 次に、実施分野ですけれども、表1です。これは、分野別の才能教育対象者が2024年度で6万5,410人、韓国にいるのですが、御覧のとおり、情報とか、あるいはSTEMに相当する融合などを合わせると、83.9%が理数系分野のプログラムを受けているということになっております。理数系分野偏重というのが韓国の才能教育の大きな特徴です。
 では、なぜこれほどまでに理数系分野に偏重した才能教育制度になったのか。その経緯について見ていきたいと思います。韓国の才能教育の歴史は40年ございます。大きく前半と後半がございまして、1980年代から2000年まで、1980年代、90年代の20年間が前半です。そして、2000年代以降これまでの20年が後半という感じになります。
 前半部分は、1983年の科学高校の設立によって才能教育がスタートします。これは、1974年に普通科高校での学校別入試というものが都市部で禁止になりまして、公立、私立含めて一般の普通科高校では学校側が入学者を選べないということになったのです。現在もそうです。これで入学者がシャッフルされてしまいましたので、学力とか、あるいは興味関心、適性、そういったものが多様な生徒が1つの学校に集まってくる。そうした中では、理数系分野に才能のある生徒の才能がスポイルされてしまって、科学者の卵がスポイルされてしまう。これは、科学技術に産業構造というものが大きく依存していた、そして現在も依存している韓国においては大きな問題とされまして、そのために特別な学校をつくって科学者の卵を保護し、その才能を伸長しようではないかという話になりました。そして、科学高校が設立されたわけですけれども、韓国でも当時は才能教育、一部の才能の優れた子供に特別な教育を提供するということについては社会的コンセンサスというものがまだ形成されておりませんで、才能教育を標榜せずにささやかな出発をしたというふうに言われています。
 時は移りまして、90年代半ばです。韓国もグローバル化、情報化の波にさらされます。そういった中で、人材育成の必要性というものが標榜されまして、その一環として才能教育強化の方針というものが政府によって示されます。しかし、同じ時期に科学高校をはじめとする、特殊目的高校というのですけれども、科学とか外国語とか芸術とかスポーツ、特定分野の人材を育てるための学校が増設されていったのです。そうすると、こういった学校というのは特例的に競争的な入試を行うことができるので、学力が高い層とかが科学高校や外国語高校に集まってしまうのです。すると、大学進学実績が非常によくなる。よくなると、受験を目的として、特に科学に興味がなくても大学進学実績がいいということで、そこに入学希望者が殺到するということになりまして、受験名門校化してしまったということが社会問題になってまいります。
 こうして、才能教育というものは受験競争に利用されているという批判が高まりまして、非常に逆風にさらされるのですけれども、ここで追い風が吹くわけです。1997年、アジア通貨危機というものが起こりました。韓国では、IMF危機というふうに呼ばれております。これで韓国の産業が大打撃を受けるわけです。グローバル化の怖さというものを韓国の人々は痛感することになります。やはり、我が国というのは資源がない、そしてグローバル化の荒波に非常にもまれる小舟のような存在であるということを実感して、やはり我が国が発展していくためには言わばビルゲイツとか、そういったような非常に大きな才能を持った人物を育てて、それによって革新的な技術を生みだし産業を発展させていく、そして国を発展させていくことが必要だということで、この頃よく言われたのが、1人の英才が数百万人を養うことができるなんていう言葉が喧伝されましたけれども、やはり才能教育は必要ではないかというような機運になってまいります。
 そして、2000年に英才教育振興法というものの制定にこぎ着けるわけです。これは、実は90年代の後半に上程されていたのですけれども、才能教育は非常に逆風にあったので、英才教育振興法の審議はずっと止まっていたのです。でも、IMF危機でその流れが変わって制定までこぎ着けたということになります。こうして国際競争力を持つ人材育成のための国家戦略として才能教育が位置づけられて、今日に至るということになっております。
 杉本均先生によりますと、才能教育に対する社会的要請は3つあるというふうに言われております。まず、個々の子供の能力に適した教育を提供するという適能教育主義です。2つ目に社会の活性を高めて国家の国際的地位を高めるための国際競争主義、3つ目に文化的、社会的、経済的に不利な立場にあるグループを上昇させようとする社会矯正主義です。一国の中に複数の要請というものがあって、それぞれに応えていっているというケースもあると思うのですけれども、やはり政策化、制度化するためには優先順位というものをつける必要がどの国、地域にも出てきます。この3つのうち、どの要請への対応を他の要請に優先させるか。優先順位の問題ですけれども、それによって才能教育の第1の目的が決まって、その後、形成される才能教育制度の構造が大きく左右されると考えられます。
 では、韓国はどうなのかというと、英才教育振興法に示されている才能教育の目的、この法の制定目的イコール才能教育の目的と言えると思うのですけれども、個人の生まれついての潜在力を啓発し、個人の自己実現を図りとあるので、これは適能教育主義という社会的要請に応えていこうという表れです。その次に、国家と社会の発展に寄与せしむることを目的とする。これは国際競争主義です。ということで、ここには2つの社会的要請への対応のために才能教育を国家主導で行っていくのだという姿勢が明確に示されております。2010年度以降は、社会経済的に困難な状況にある児童生徒の才能発掘にも韓国は注力しておりますので、3つ目の社会矯正主義に関わる要請への対応というものを始めておりますけれども、順位としては国際競争主義を優先するというような姿勢に大きな変化はないと言えます。
 才能教育の構造について見ていきたいと思います。こちらは、才能教育機関の数と教育対象者の数です。韓国には才能教育機関、公的な機関としては科学高校、英才学校、英才教育院、英才学級という4つがございます。このうち、科学高校、英才学校については、理数系とかSTEAMに特化した高校段階の全寮制の特別学校になっております。英才教育院、英才学級については、学校とか教育委員会、大学などの施設を利用して、小、中学生を主たる対象として放課後とか週末、夏休み等に正課外の拡充プログラムを提供しております。
 現在、同年齢層に対して1.3%がこうした公的な才能教育の対象となっております。韓国では、各才能教育機関があらかじめ定めた基準と方法によって、志願者の才能を識別して才能に基づいて対象者を選抜しておりますので、松村先生のおっしゃる狭義の才能教育に当たるような対象者選びをしております。
 韓国の才能教育制度の構造的な特徴ですけれども、2つございます。1つが、義務教育段階では比較的幅広い層を対象とした附設機関での非正規課程が中心で、一般の学校教育から空間的、時間的に分離させているという点。これの利点は、学校教育に対する影響を最小限に抑えることができるとか、教員の負担というものを一部にとどめることができるというような利点がございます。翻って、高校段階でありますと、少数精鋭を対象とした特別学校における正規課程が中心になります。そして、理数系とかSTEAMに特化した才能教育を実施しております。これは、韓国というのは一般の普通科高校では学校側が生徒を選抜できないようなシステムになっておりますので、理数系分野の専門的な教育というのはやはり特別学校があるからこそできるということになります。また、特別な理数系の学校に才能のある子供たちを囲い込むことで、理数系の進路に誘導するという点でも、韓国の才能教育の第1の目的に照らし合わせた場合、合理的と言えるのではないかというふうに思います。こうした高度な科学技術分野人材の養成という第1の目的に適合したピラミッド構造を持っているというのが、韓国の才能教育制度の構造的な特徴です。
 次に、才能教育の動向ですけれども、近年は大きな特徴がございます。それは何かというと、機関数とか対象者数が減少しているということです。2013年をピークに、それまでずっと上り調子だった対象者数というのが減ってきている。機関数についても同じような動きを見せている。才能教育の退潮というふうに言われます。潮が引いているということです。ただ、詳しく見てみると、科学高校、英才学校というのは減っていないどころか、ちょっと増えているのです。何が減っているかというと、一般の学校に附設されていて一番子供たちに身近で、放課後等に小中学生を対象として才能教育プログラムを受けさせるような才能教育の入門的な裾野の部分を担っていた英才学級、これが大幅に減少しています。むしろ、科学高校、英才学校などのピラミッドの頂点というのは充実したという点が動向として見いだされます。
 その要因ですけれども、少子化の影響であったり、あるいは社会とか保護者の才能教育への関心が低下しているなんていうことも言われています。これは、一部の子供だけが英才学級に行ったりするのは、2010年に入る前くらいまでずっと無償でしたので、不公平だということで保護者からの声を受けて有償化されてしまったのです。かかる費用は受益者負担ということになって、そこまで高くはないのですけれども、そんなお金を使うくらいだったら別に受けなくてもいいやというような家庭も増えたというふうに言われています。あるいは、内申書の様式が変更されて、大学入試においてこういった才能教育の学習履歴というものが評価されなくなってしまったということで、大学入試で役に立たないなら、お金もかかりますし、そのお金で塾に通わせたほうが大学入試で有利になるのではないかというような論理も出てきて、志願者が減っているということがあるそうです。特に英才学級です。裾野の部分、入り口の部分が減ってきてしまっているというふうに言われています。また、才能教育予算の削減というものがありまして、政策的に給食無償化とか高校無償化など、優先順位の高いイシューが出てくると、そこに教育予算が割かれてしまうということで、才能教育に十分な予算が回っていないというような状況もあるそうです。
 これまで韓国の才能教育について概要を説明してきましたけれども、これを踏まえまして、その成果と課題について見ていきたいと思います。まず成果としては、科学技術人材の早期発掘、養成です。これは達成していると言えると思います。韓国の才能教育の第1の目的を達成したという点では、これは非常に評価できると思うのです。これを日本で第1の目的にするかどうかは置いておいて、目的の達成という点では韓国の才能教育の成果だと言えると思います。科学高校の卒業生が大学や企業で中核的な研究ポストに就いていると言われていますし、KAISTと言われる理工系の名門大学の7割の入学者が科学高校、英才学校の卒業生ということで、理工系の人材誘導には成功していると言えます。また、才能教育実施に対する社会的コンセンサスというのも形成されてきている。これは40年の成果だと言えます。そして、近年では社会経済的に困難な状況にある児童生徒の才能発掘支援にも乗り出しておりますし、個性が強くて一般の学校や学級になじめない児童生徒が公的な才能教育制度によって救われているケースというのも存在しており、私も実際にそういったケースを見聞きします。データとして表すことはなかなか難しいのですけれども、こうしたケースはやはり存在しているというように言えると思います。
 一方で、課題も少なくありません。実施分野が理数系に大きく偏重しておりますし、女子の割合が少ない。あるいは、社会的配慮が行われているのですけれども、社会経済的な要因に大分偏っておりまして、特別支援教育の対象者が実際に社会的な配慮の対象となって才能教育の機会を提供されるというのは非常に少ないというようなデータもございます。そして、教育資源配分というのはやはり不公平なのではないかというような問題というのもございます。一般の高校に比べると、科学高校、英才学校には莫大な公的資金が投入されておりますし、対象者は現在でも全てを含めても1.3%にすぎないということで、これは政府も問題視はしております。また、受験競争からの影響、受験競争への影響というのは、これはもう韓国の才能教育の宿痾というようなものとなっております。
 まとめです。韓国の才能教育の光と影がございます。光の側面については、多数の優れた科学技術分野の人材を養成して、国家社会の発展に貢献してきた。韓国自身が掲げた理念と目的を高いレベルで達成してきた。これは言えると思います。また、個人のレベルで見ても、才能のスポイルを免れて自己実現を果たすことができた子供というのも、実証的に示すことはできないのですけれども、やはり確かに存在するといえると思います。しかし、影の部分です。副作用として、実施分野や対象、教育資源配分に大きな偏りが出たり、あるいは才能教育制度自体の選抜性が高いので、受験競争の影響を受けるというような宿痾を抱えることになったという点も影の部分です。
 これを踏まえまして、我が国への示唆ですけれども、韓国を見ましてもスタート地点の才能教育の理念と目的、これがその後の才能教育の在り方というのを非常に強く規定する。だからこそ、これからスタートする我が国は、やはり我が国が目指す学校教育の方向性、社会風土に合った理念と目的というのを模索する必要があると思います。我が国の場合は、やはり学校教育との関わりを抜きにして語れない。そして、一部の子供の限られた分野の才能のみを引き出すことに繋がるような理念、目的であってはならないという、才能教育の在り方に関する議論が出てきた源流から見てもそういうふうに言えると思います。
 そして、さらに韓国の経験から言いますと、韓国のような特徴を持つ才能教育の在り方というのは、学校教育制度とか教育文化に類似点の多い我が国においても、程度の差はあると思うのですけれども、似たような副作用をもたらす可能性があるのではないか。これは私個人の意見ですけれども、もし韓国の経験、特に影の部分を他山の石とするならば、適能教育主義に関わる社会的要請への対応を優先し、一人一人の児童生徒の多様な才能、特性、そして困難に応じた包摂的で包括的な支援の実現を第1の目的とすべきではないかと。もちろん第2の目的、第3の目的に科学技術分野の人材養成というのはあってもいいと思うのですが、第1の目的はここではないかなと。そして、学校側の学びの場と連携しつつも、学校とか学級あるいは教室から子供の学びを分離しない、子供の学びのベースはやはり学校とか学級、教室にあるというような制度をつくっていく。そして、仮に合理的な理由と判断基準によって対象者に一定の制限を設けないといけない場合。政策、制度というのは様々な制限がございます。金、物、人、時間、そういった様々な制限があるので、今後の議論で対象者に一定の制限を設ける必要が出る場合はあるとは思います。けれども、やはり韓国のように高い選抜性を有すると受験競争の影響を呼び込んでしまう危険性があるので、高い選抜性は有しない、そういった特徴を持つ才能教育の在り方というものを模索すべきではないだろうかというのが、韓国の経験を踏まえた個人的な意見になります。
 以上です。資料、参考文献等は御覧ください。
【隅田主査】  石川先生、どうもありがとうございました。
 松村先生に続きまして、今度はお隣の国、韓国で、主に21世紀前後ではありますが、40年議論を重ねてきた歴史を本当に凝縮して今日お話しいただきまして、光の部分はやはりあると思うのです。国際協働が大きく進んだとか、そこも見習わなければいけません。同時に政策により大きく影響を受けている機関数とか対象者数がこの10年で、特に我々が今議論している初等、中等に関わるような英才学級に関しては、機関数は65%くらいですか、対象者は74%くらい減っている。才能を持った子の割合が減っているわけではないのですよね。そう考えると、我々がどういう設計をするのかが影響を与えるというのは改めて感じました。そして、幾つかの考え方があったときに、これは松村先生の御発表にも戻るのですが、有識者会議で出した多様性の中で輝く個性が協調し合える社会の実現を目指すのだというような包摂的な考えなどは、やはり今我々が日本で考えている特徴でもありながら、踏まえるべきところかと改めて思いました。本当にありがとうございました。
 それでは、質疑応答、そして意見交換の時間といたします。委員の方からの御質問、御意見を受けたいと思います。挙手ボタンを押していただきますと、私のほうから指名をさせていただきます。時間のこともございますので、一度にたくさんというよりは、まずは1つか2つ御質問等、御意見等をいただきまして、時間があれば2巡目、3巡目とさせていただければと思います。
 それでは、御意見、御質問等がある委員の方は、挙手ボタンを押していただきますようお願いいたします。
 それでは、野口委員、お願いいたします。
【野口委員】  御発表、ありがとうございました。
 まず、1つ御質問したいです。恐らく松村先生の御質問になると思うのですが、対象者の選定について、私は特別支援の分野でアメリカの研究をしてきましたが多層型支援のシステムが特別支援が必要な子供たちを選定する上でのプロセスとして多くの州で活用されています。ギフテッドの子供に関しても、最初から基準を設けて子供をラベリングして、分離させて別の場で教育をするという考え方ではなくて、基本的にはまず土台として通常の学級の中でできる支援だったり、できる工夫、ディファレンシエーションですとか、そういったことをした上で、段階的に、ちょっと通常の学級のみだと難しそう、ニーズに応えられなさそうだから別の場でというような検討プロセスというのは、ギフテッドでも同じようなプロセスが踏まれているのかなと思いました。対象者を選定するプロセスとして、MTSS、多層型支援が今活用されているのか、されているのであればどれくらいの州でされているのかということをお聞きしてもよろしいでしょうか。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 松村先生、いかがでしょうか。
【松村名誉教授】  学級の中で、初めからこの子は何か特異な才能のある子だとするのではなくて、まずは学級の中でみんなに読み書きなどを通常の指導の仕方でやってみて、それでうまくいかない1割、2割の子供に違うやり方でやってみる。それでうまくいけばいいけれども、うまくいかない子はさらに取り出してやる。3層のMTSSとかRTIと言われているやり方が展開されています。学習の進んだ子供にも同様に3層のMTSSが幾つかの州で行われていて、最近の詳細は知りませんが、先ほどのデータにちらっと出てきたコロラドなんかは2E教育の関連でやっています。結構才能教育をやっているのに、2.2%はないだろうということで私は気づいたのですけれども。アメリカでやっているのは特に読み書きとか算数とかが多いです。小学校3年くらいになって、まだ当該学年の学習についてけない子供、それからさらに進んでいった子供もいると。だから、障害に対するMTSSと才能に対するMTSSを両方とも一緒にやれば2E教育になるわけです。けれども、そういうふうにしようとすると、まずはベースのやり方として教室で指導をやってみて、さらに違うやり方を教室内でやってみて、さらに幾らかの子供を取り出して別のところでやってみてという、多層的な指導をしようとすると、多層的な制度がいるので、それを日本でやるのはなかなか難しいかなという気がします。
 日本の特別支援教育は、先ほどのところにちらっと書いておきましたが、2E教育としてはまだ日本の特別支援教育はできない。というのも、障害種をどうするかというのを、発達障害でもそうですが、何を対象とするのかも決められないので、それから才能面も何を基準とするか決められないので、2E教育としては、特別支援教育では日本ではまだ残念ながらできないと思います。けれども、例えば通級なんかで2Eと言わなくても、その子に適合したちょうどの教材を利用しようとすると、今度から教科学習もやろうとしていますので、その子に合った学習をやろうとすると進んだ学習もできるかもしれなません。けれども、アメリカ的に、まずは教室でスクリーニング的にやって、3段階で絞っていくというのはちょっと難しいのではないかなという気がするのですが、野口さん、いかがでしょうか。
【野口委員】  ありがとうございます。
 先ほどのお話を伺っていると、やはりある一定の基準を設けて子供を選抜していく、選定していくという方向性ではないほうがいいよねというのは恐らく既に合意というか、そういう方向性という前提なのかなというふうに認識をしています。そうなったときに、やはり総合的に教育委員会が判断をするというイメージを私は持てないです。特別支援教育についても現在はそのような仕組みになっていますが、教育委員会は子供のふだんの様子を見ていないため、、結局IQなどの数値や切り取った場面の行動観察だけで今は特別支援の必要性の判断をしてしまっている状況とかも見受けられます。何をもって判定するのかなとなったときに、やはり指導や支援、介入に対する子供の反応を見ながらでないと判断ができないものなのではないのかなと思いました。多層型支援でギフテッドの文脈で追加的に支援が必要な子供たちを選定するという事例を私はまだ知らなかったので、海外でそういったことが今どれくらいされているのかなという意図を持っての質問でした。
【松村名誉教授】  日本でも読みの学習障害面については多層指導モデル「MIM」(ミム)とかが3段階で支援されていますけれども、才能面でもやろうとするとやはり差別分断の問題にもつながるので、教室の中から何かスクリーニング的に次のところへ行ける、才能のある子をより分けるというような、そういう発想はすぐには受け入れられないかなと思うのですが。その辺のところをぜひ、どういうふうに特才の対象者をどうするかという議論を深めていただきたいです。よろしくお願いいたします。
【野口委員】  ありがとうございます。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 最初から本質的な部分だったかと思いますが、それはこのワーキングで継続的に議論していくところかと思います。どうもありがとうございました。
 他、委員の方から御質問等はございますか。松村先生、石川先生、どちらでも構いませんし、両方でも構いません。
 伊藤委員、お願いいたします。
【伊藤委員】  ありがとうございます。事務局の方も含めて、3つの発表、本当にありがとうございました。
 先ほどの野口委員からの御質問も踏まえながら少し考えていきたいなと思っているのですけれども、私も今、京都府の事業をやりながらですが、学校から呼ばれて行って、この子は才能があるのかどうか分からないというか、この事業の対象になるかどうか分からないけれども、取りあえず見てくれないかという申し出が一番多いですし、ほぼそれです。現場に行って授業を見せてもらったり、様子を見せてもらったりしたときに、要は医療カテゴリーではないので、この子はそれこそギフテッドですとか、特定分野に特異な才能のある児童生徒ですとか、いろいろな言い方はあると思うのですけれども、正直結構な件数を見ている専門家と言われる人間でも、そこは判断ができない。ただ、少なくとも社会モデルの考え方で考えたときに、今この子はこの環境において困っているよねというか、困らされているよね、なので必要な支援をしていきましょうというような、本当に状況依存的なところがあるので、非常に難しい問題だなと思っています。
 その上でということですけれども、私はふだんスコットランドの教育を研究している人間なのですが、スコットランドは付加的な支援、Additional Support Needsという考え方がずっとあります。イングランドを中心に用いられていて、日本でも普及しているSpecial Educational Needsに対抗する概念としてつくっている概念ですけれども、これは私の調査の中でしか結論が出ていないのですが、支援を要するかもしれないということを考える概念なのです。支援をする概念というか、支援を必要とするかもしれないので予算措置をしましょうという、割とテクニカルな概念でもあるのですけれども、その中に、実はカテゴリーとしてmore able pupilsというものがあります。よりできる子と私は訳しています。今回の学習指導要領改訂で社会モデルの導入が議論されているところだと思います。どうなるか分からないですが、私は入ってほしいと思っている人間ですけれども、この支援を要するか否かということが環境によって大きく変わること、変わるということを考えれば、支援を要するかもしれない子をやはり考えることはやってもいいと思うのですが、この何かの基準において支援を要するか、支援の対象となるか、ならないか、それこそ分断をあおるような運用というものはしてはいけないのだろうなということを、松村先生の御発表や野口委員の今のお話も伺いながら思っています。
 もう1つが、石川委員の御発表を伺いまして、今回の特別の教育課程を実現していった際に、検証する軸を置くのか、置かないのかというところを1個考えなければいけないのかなと思いました。ただ、これは検証する軸を置いてくれということではなくて、置かないというのも私は手としてあるのだと思います。というのも、置いたときに、例えば何か才能の発揮を検証の軸にしてしまったときに、本来学校教育が果たす役割というのは、学力保障の観点もあるし、才能を伸ばすという観点もあるけれども、それだけではないよねということは私たちが同意できるところだと思うのです。そのときに、ある種才能の発揮というものを検証の軸に置くべきなのかどうかということも私たちは避けては通れない道でもあるし、あえて置かないということであれば、その置かないということを私たちも決めていかないといけないのだろうなということを考えています。ただ、有識者会議の中で大切にされてきた困難に寄り添うということを考えると、私としては、一研究者としては検証の軸はやはりあってほしい人間なのですけれども、その才能の発揮を求めるというよりかは、異なる軸の何か検証軸があるといいのだろうなということを、今回の石川委員の韓国の発表を伺いながら思います。やはり、政策としては一定の成果があったと言えることはすごく大きいなということを感じました。
 すみません。どちらも、質問というよりかは感想と少しの意見だと思っていただければと思います。
 以上です。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 ただいまの御意見につきまして、松村先生、石川先生、何かコメント等ありましたら、お願いいたします。
【松村名誉教授】  伊藤先生、ありがとうございます。
 今までされてきた、それから今年度、来年度も続けて行われている支援推進事業の実証研究でも、いろいろなところでこの子は特定の才能のある子だと指定して、この子がどう変わるかと見るのではなくて、インクルーシブなのだから教室でみんながどう変わっていくかという観点から見ているので、その中に、この子は特才の子だとは言わないけれども、何らかのあるいはいろいろな才能のある子がそこに含まれているわけです。実証研究ではいろいろな才能のある子も含めて、言わば全体の、あるいは個別のエピソードとして表れるような、あるいは何らかの観点から統計を取ったら全体として変わってきましたというようなところが言えていると思うのです。だから、この子は特才だ、この子をこのプログラムに入れましょう、この子は初めの状態がこうで、こういう働きかけをしたらこう変わりましたというように追跡するのではなくて、全体のインクルーシブな指導でどういうふうに行ったか、その中でみんながどう変わっていったか、特才の子供も含まれて、他の子とまさに協働的な学びの中でどう変わっていったかという、もっと全体的な、包括的な、コンプリヘンシブな、そういうデータを実証研究でも出してくださって、個別最適な学び、協働的な学びとしてこういうふうに進めましょうというモデルを出してくださったらいいなというふうに思っています。伊藤先生、いかがでしょうか。
【伊藤委員】  プレッシャーを感じながら頑張りますとしか回答できないところではあるかなというふうには思います。ただ、本当にどうやってそれを見ていくかというところは事業を進めていく上でもぶつかっている壁ではありますので、本当に今回の2つの国の事例というものも踏まえながら考えていきたいなというふうには思っているところです。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 石川先生、何かございますでしょうか。
【石川委員】  子供たちに才能を発揮させることを才能教育の軸に置くのかどうかということは、非常に本質的な部分だと思うのですけれども、これは日本が才能を発揮させることを何のために行うのかというところに恐らく関係してくると思うのです。つまり、社会的要請を3つお話ししましたけれども、韓国の場合は国際競争主義という要請を一番優先するということで、国際競争に勝っていくための人材を養成するためには才能を発揮させることを国家と地方自治体の義務として法で定めているのです。それは、待っていてもそういったタレントというのは自然に上がってこない可能性があるから。韓国の場合も全員にスクリーニングをかけたりはしないのですけれども、ただ、ある程度は積極的に才能教育の機会というものを提供していこう、才能を発揮させていこう、国として、自治体として、あるいは学校として、教師として、才能を発揮させていこう。それが自分たちの責務であり、国家発展、社会発展という目的、社会的要請への対応にも合致しているという点で、多分ああいったシステムを取っていると思います。
 例えば、適能教育主義に基づけば才能を発揮させたりとか伸長させたりというのがどこまで、子供とか保護者からのニーズではなくて、教育を提供する側からの姿勢として、責務として、目的として求められるのかというと、そこはよく考えないといけないところだと思うのです。もしも適能教育主義というものを優先させるのであれば、困っているのですとか、あるいはすごくこのことに興味があってもっと学びたいですというニーズがあったときに、その子供の能力に適した教育を提供し得るだけの制度とか環境というものを国、教育委員会、学校、教師側が持っておくことができると思うのです。言わば待ちの才能教育というのですか、そういったことでもきっと適能教育主義の社会的要請に対応できると思うので、その場合、こちらから働きかけて才能を発揮させるというのは恐らく学校、教師の責務にはなってこないと思うのです。私たちは何のために才能を発揮させなければならないのかということ、そして日本の学校教育制度、社会風土、あるいは日本の未来を考えたとき、あるいは子供たちのことを最優先で考えたときに、子供たちに才能を発揮させるということをどう位置づけるべきなのかということ、多分そういった議論がこれから具体的な検討を進めていく中で出てくると思うのですけれども、その辺りはまず考えていかないといけない非常に重要な部分なのではないかなというふうに思います。
 すみません。お答えになってなかったかもしれません。ちょっとずれているかもしれないですけれども、申し訳ないです。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 目標を誰が設定するか、みんなで決めていくのですけれども、前回のワーキングでも子供のためにということがやはり出たと思います。そうしたときに、やはり能力が高くてやる気にあふれる子供が望んだときにそういう機会を提供できる国であってほしいし、制度にしていくというのは我々の向かうところかと改めて思いました。どうもありがとうございます。
 他の委員、いかがでしょうか。
 坂本委員、お願いいたします。
【坂本委員】  ありがとうございます。
 石川委員も松村先生も、本当に発表ありがとうございました。有識者会議のまとめでかなり方向性をしっかり道付けてくれているなと改めて感じましたし、石川委員の発表の最後の我が国の示唆というところも本当にそのとおりだなと思いながら聞いていました。
 石川委員に御質問で、分かる範囲で答えていただけたらと思うのですけれども、石川委員の発表の中の14ページの英才学級とかの仕組みで、学校の中で放課後とかに拡充プログラムを提供していたというところで、具体的にこの拡充プログラムを誰がやっていたのか。先生なのか、外部の人なのかとか、あとは教育委員会とかもやっていたというところで、どういったようにコーディネートしていったのか。あとは、子供たちの選抜みたいなものがあったのかとか、そういったところを分かる範囲で教えていただけたらと思いました。お願いいたします。
【隅田主査】  ありがとうございます。
 特に英才学級に関わるような辺りかと思いますが、放課後実施するときの指導者は誰なのか、コーディネーターはどうなのかとか、その辺りの具体について分かる範囲で、石川委員、お願いいたします。
【石川委員】  御質問、ありがとうございます。
 まず、英才学級の場合は、その子供が学んでいる学校に設置されている場合もあれば、地域共同英才学級というものがありまして、幾つかの学校のグループのうちどこかの学校に英才学級を設置して、放課後にその近隣の子供がそこに通うというようなパターンがあります。いずれの英才学級においても教えているのはその学校の、小学校だったら小学校の先生であったり、地域共同英才学級だったらそのグループに入っている学校の先生が基本的に教えます。つまり、兼担というスタイルを基本的に取っております。そういった才能教育を担当する教員は基礎研修を最低で60時間受けないといけないということが法で決まっています。なので、小学校に附設されている英才学級であれば小学校の先生、中学校であれば中学校の先生、高校であれば高校の先生が教えるというパターンがほとんどです。
 英才教育院ですけれども、英才教育院の先生は、教育庁英才教育院の場合は、いわゆる教育庁というのは教育委員会ですが、教育委員会の建物に附設されたり、あるいは教育委員会が管轄する学校のうち基幹学校のようなところに附設されたりします。その場合も、教育委員会所管の学校の先生から担当教員を選んで教えるということが基本になっております。当然、その先生方も研修を受けます。一方、大学附設英才教育院ですけれども、大学の先生とか、あるいは日本でいうとTAとかになるのですか、大学院生とかが教えます。なので、教育庁英才教育院よりもうワンランク教師の質が上がるというか、専門性が上がるというのが大学附設英才教育院です。
 ちなみに、基本的に英才学級も教育庁英才教育院も学校の先生方が兼担されているのですけれども、例えば教育庁英才教育院の場合に、中学生を対象としたクラスに高校の先生が教師として入ってくるということはあり得ます。ワンランク上の学校段階の専門性を持った先生が下の学校段階のクラスを教えるというのはあり得ます。ただし、兼担になります。科学高校と英才学校については、専門を持った先生が基本的には常勤で、これは正規、非正規があるのですけれども、基本的には常勤、フルタイムで教えます。なので、兼担ではありません。一般の学校の先生が兼任で科学高校とか英才学校を教えているのではなくて、博士号を持った先生がずらっと並んでいたりとか、外国から来た科学者が教えたりとか、あるいは大学の先生がマンツーマンで教えたりとか、そんなこともある世界です。
 あと、教育委員会の関わり方ですが、教育委員会は英才学級と教育庁英才教育院を管轄しております。英才学級については、その地域の学校を管轄しているその地域の教育委員会、地域によって担当課が違うのですけれども、例えば私が訪問した京畿道というところだったら科学職業科とかが担当しておりましたし、あとは未来教育課みたいなものがあったり、そこの奨学士、つまりスーパーバイザー、日本でも、教育委員会とかにいらっしゃる指導主事ですか、ああいった方が指導を行ったりとかしております。大学附設英才教育院については、大学が管轄したり、あるいは省庁が管轄をして運営をしたり、お金を投入したりしています。科学技術情報通信部とかがお金を出したり、運営にタッチしたりしています。科学高校は公立なので、教育委員会が管轄しています。英才学校については、8校あるのですけれども、1校だけ国立で、残りは公立です。1校は国立なので国の省庁が管轄していますし、残りの7校については教育委員会とその自治体と国、この3つくらいがお金を出すから口も出すみたいな感じでやっております。
 選抜ですけれども、英才学級については教師観察推薦制というものが土台になっております。各機関、必ず選抜を伴います。定員があらかじめ設定されて、選抜方法が提示されて、基準も提示されます。ただ、英才学級の選抜は非常に緩やかです。英才学級に入りたいという子供が出たときは、才能のチェックリストというものを国のシンクタンクが開発していますので、各クラスの先生がそういうチェックをしたりとかして、GEDという全国的なシステムがあるので、それで志願者が出たよ、私のチェックリストはこれだよというものを全部電子で申請して志願させて、これも国のシンクタンクが開発している創造性検査とか問題解決力検査とか、そういう各種検査を使って才能を識別して、定員まで選ぶという感じです。ただ、英才学級について最近は人気がないので、定員を満たさなかったらほとんど素通りで誰でも受かってしまうというようなところがあるそうです。英才教育院については、同じような感じで基本的に教師観察推薦制を土台としています。GEDという全国共通のシステムに上げて申請をして、選抜委員会というものが組織されて、問題解決力テストとか創造力テストとか、あるいはパフォーマンス評価ツールとか、そういうものを使って選抜されていきます。そんな感じで、英才教育院、英才学級については、才能教育のための国が開発したシステムと各機関が決めた基準・方法によって、教師の推薦を入り口として、国のシンクタンクが開発した検査を使って定員分選抜するという形になっています。
 科学高校と英才学校については、学校独自の選抜をしております。科学高校は、広域自治体レベルで志願が可能です。科学高校については、書類審査と、受験競争をあおらないように教科筆記試験というものは禁止されているので、科学分野の創造力をはかるための特別な検査とかをペーパーテストに落とし込んだものとかで選抜していきます。英才学校については、募集単位は全国規模です。科学高校は広域自治体が募集単位ですけれども、英才学校は8つありますが、全国から応募できます。英才学校の選抜は科学高校よりちょっと段階が増えて、これも学校によるのですけれども、書類審査をやって、それから創造性の検査、つまりペーパーテストをやって、最後に深層面接をやったりとか、あるいは科学キャンプです。キャンプで一緒に寝泊まりして、才能を見極めるみたいなこともやっている学校もあります。
 ちなみに、英才学校は飛び級オーケーです。中学校1、2年からの飛び級というのも受け入れています。あと、早期卒業、大学への飛び入学というのもオーケーです。韓国はどこの学校でも制度的には飛び入学、飛び級、そして早期卒業というのは可能ですけれども、一般の学校ではほとんど行われていなくて、科学高校で高校2年を終えてからKAISTと言われる理工系の大学に早期入学をするというのが比較的盛んだったのですけれども、飛び入学してもあまりメリットはないよねみたいな雰囲気が出てきまして、最近はあまりされていないです。最近は、3年間ちゃんと通ってから大学を受ける子供のほうが多いです。
 そんな感じで、ちょっと雑駁ですけれども。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 大変システマチックになっているのがよく分かりました。
 ちょうど大島委員が手を挙げられていて、東大STELLAが小中高生を対象に学外で選抜もされていますので、大島委員、御意見、御質問等ありましたらお願いいたします。
【大島委員】  ありがとうございます。どちらかというと意見というよりか質問になります、松村先生、石川先生、本日御講演いただきまして、ありがとうございます。
 私自身、やはり学校内でインクルーシブに個別最適な学びと協働的な学びをどうやって一貫して提供できるかということがすごく大事だと思っています。その点で、石川先生に2点ほど教えていただきたいことがあります。
 1点目は、日本が後発ゆえに、利点としていろいろな諸外国から学ぶということがすごく大事だと私自身も思っています。韓国は40年たっているということで、その教育を受けた方が今デシジョンメーキングというか、かなり上層部にいらっしゃるとは思います。成功している方々には光が当たるかと思いますが、そうではない方には必ずしもそのような状況ではないと思います。質問は、やはりこのような教育を受けた方々に対して、受けられた教育に対してのある意味、効果測定というものを実際に受けた子供たちに対してアンケート調査、あるいはは追跡調査というものはされているのでしょうか。これが1点目の質問です。
 2点目は、先生の資料の11ページにあるように、3つの社会的要素ということで、韓国の場合には丸2の国際競争ということを主眼に置かれていたということでした。社会的な要素は40年の中で変わってきていると思います。そのような状況のなか、最初に設定したフレームワークであったり教育理念というものが時代とともに少しずつ変化していくということがあると思います。特に、科学技術の社会は、今はどちらかというとトランスサイエンス的に科学技術だけでは課題は解けなくて、やはり多様な観点を入れることによって社会課題を解いていく必要があるというふうに言われています。したがって、社会的な要請を受けて才能のある人たちに対してうまく柔軟に取り入れていくかということもすごく大事だと思いますので、そういうことというのはされていたのでしょうかということが2つ目の質問になります。よろしくお願いいたします。
【石川委員】  ありがとうございます。
 1つ目の質問の追跡調査ですけれども、私が知っている中では科学高校の1期生、1983年に入学した人たちの追跡調査というものがまずありまして、7割以上が科学者になっているということで、成功したというような評価があります。前提として、やはり韓国の場合は科学技術人材の養成というものを第1の目的にしているので、追跡調査の評価というのが科学技術分野にちゃんと誘導できたか、そこでちゃんと科学者として活躍しているかみたいな部分での評価というのが強くなってくるのですけれども、そういった観点での追跡調査というものがございます。1つがそれです。
 近年では、2017年の英才学校入学者の追跡調査、が最近発表されました。2017年に英才学校に入学した人たちが2022年の時点でどうなっているかという縦断調査です。これがあるというのは分かっていまして、新聞報道でも結果が出たよというのは私も見たのですが、韓国教育開発院というところの許可を得ないと中身は見られないということで、中身までは私もまだ見られてないんです。そこで、新聞報道、ニュース報道ですけれども、注目されたのが、2017年に英才学校に入学した生徒のうち、2022年の時点で16%くらいが医者になっているということです。正確な数字で言うと、16.3%が2022年度までに医歯薬系、ほとんどが医学系ですが、その道に進んでいるということが分かりました。、英才学校は、理工系への人材誘導のために全国を募集単位にして、物すごくハイレベルな才能、タレントを持った子供たちを集めて、お金をかけて全寮制で教育をしているのに、結局は結構な数の卒業生がお医者になってしまっているではないかということが問題になって、ニュースになっておりました。でも、逆に言うと、7割以上はいわゆる科学技術分野、理工系に行っているという話なのです。16.3%が医歯薬系で残りはどこなのかということは書かれていないので分からないのですけれども、恐らくは大体理工系だと思います。なので、そういった点では、追跡調査の主眼である、人材を発掘して科学技術分野に誘導できているのかという点ではある程度成功しているのではないかというふうに言うことができるかなと思います。私も追跡調査の細かいところまでいつかは見てみたいなと思うのですけれども、今お答えできるのはここまでになっておりまして、すみません。
 2つ目は社会的な要請が40年の間に変わってきたのではないか、それによって才能教育というものも変化してきた部分もあるのかという御質問だったと思うのですけれども、それについては、韓国は大きく社会も変化しました。1980年代と比べると90年代以降は急激に民主化を遂げていますし、社会全体が大きく変わりました。しかし才能教育の目的自体はやはり理数系分野中心、科学技術分野の人材養成中心で、国家競争主義というのは、ほぼ揺らいでいないというふうに評価できるのではないかと思います。つまり、韓国の社会変化、経済発展とか民主化によって非常にニーズというのは多様化しているのですけれども、才能教育についてはやはり科学技術分野の人材養成という部分を中心とする、最優先とするという部分は揺らいでいないというふうに思います。
 ただ、大島委員からありましたとおり、今はもう科学だけやっていればいいのではなくてという時代になっておりますので、韓国の才能教育もそれに対応しています。1つは、英才学校というのは英才教育振興法の中では特に分野が限定されていないのですけれども、科学分野しかなかったのです。しかし2000年代以降に科学芸術英才学校という新しいタイプの学校が今現在2校出てきております。つまり、STEAMです。STEMにArtsを入れた、新しい時代の潮流に乗ったSTEAMを教えるような英才学校というものが2校できています。それくらいの社会とか時代の変化に対する対応の仕方です。サイエンスからSTEAMへくらいの対応はしていますけれども、そして国としても英才学級とか英才教育院についてはできるだけ分野も多様化しようとしていますが、基本的には理数系分野のプログラム中心というものは変わっていないという状況です。
 ただ、韓国の政府がそれだけでいいとは思っていないということは、韓国の名誉のために言っておかないといけないなというのはあります。韓国でも、最優先ではないですけれども、適能教育主義というのもちゃんと大事にしていますので、多様な分野の子供の才能を伸ばすためにもっと分野を多様化していかないといけないのではないかというのはちゃんと言っていますし、少しずつ進めています。
【大島委員】  ありがとうございます。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 軸足はぶれずにされているという。それでいて多様化して、STEAMのAのArtも、実は韓国は入れたのがかなり早かったですよね。日本はリベラルアーツでアーツにしましたけれども、韓国はArtを入れるのは早かったです。広げようと努力もされていると思います。
 それでは、お待たせいたしました。角谷委員、前から手を挙げてくださっていたので、お願いいたします。
【角谷主査代理】  石川先生の御発表への質問を1つ。その後に、本日のために考えたことを短めに4つ申し上げようと思います。
 まず、英才学級の縮小が何か影響を与えたことがあるのかという辺り、もしございましたら教えてください。ただ、近年のデータですので、まだ分からないということでしたら無理にお答えをということではございませんので、もしあればということでお願いします。
 次に、本日用に考えてきたこと4点です。1点目は、配付資料の最初のページにございます現状と課題にも記されていることで、目指す方向の大本だと思いますけれども、有識者会議の調査結果から才能に起因する困難の典型が3点ありましたが、松村先生の御発表にもございましたように、それらへ着目してそれらの解消や軽減という点への注力が重要だと思いました。一方で、子供の特性や才能が仮に同じだったとしても、困難な状況が生まれるかどうかというのは学校やクラス、年度によっても様々ということもございます。
 そこで、2点目ですが、特別な教育課程を適用するかどうかの判断というのは、決して子供側の才能や特性、あるいはそれらに起因する困難だけで決まるのではなく、個人の才能ゆえの困難の背後には学校側にも困難とか限界があって、大きくこの2つの要因が関係しているという辺りを、これは本日の資料の中にも既に論点整理からの抜粋という形で相当される趣旨のことが記載されてはいるのですけれども、この点をかなり強調して明示する必要があるだろうと考えました。この点に関しまして、諸外国で、例えばギフテッドプログラムや学校、クラスなどへの所属資格が得られるかどうかというのが子供の特性だけではなくて、単純なところで言いますと定員とか地域の教育水準なども含めて、環境の要因も多分に関係しているにもかかわらず、あたかも子供の才能だったり特性だけで決まるとか、さらには、所属の可否、つまり特別のプログラムの適用の可否が、その子が何者であるのか、ギフテッドがあるかどうかというのを決めるかのようなことが暗黙の了解に近い状態で流布されている。これが要するに分断とかエリート主義批判等、種々の混乱が生じやすくなる原因だという側面があると常々感じております。それらの予防的観点からも、この2点目を事あるごとに意識、強調することが大切だと考えております。
 3点目は、通常の教育課程の中で支援が困難である状況と、資料の後半のほうですけれども、現在示されている特別の教育課程での学校外での学びの場、例なので今後検討事項だと思うのですが、現段階で例として挙げられているものの間にかなりの乖離があるように感じております。つまり、通常の教育課程内では支援が困難ではあるけれども、大学とか民間の教育機関での特定の分野の研究にいそしむほどではないという子供が、つまり特に特定分野の特異な才能がはっきり見えない子供というのが低学年であるほど多くいることが想定されると。そして、このような子供の学校への適応を考えると、小学3年生までがかなり重要というか一山ありますので、通常の教育課程内でどの辺りまで支援が必要なのか、可能なのかを具体的に提示される場の情報提供なども含めて、最初は限定的なところからこの制度を適用するということに関して、かなり丁寧に検討していくことが実際的な観点から必要だろうと考えています。
 4点目は、特別の教育課程を一旦適用した後に、それが果たして有効であるのかどうか。子供の学校生活での困難の解消とか軽減につながっているのかどうかというのを通して、その適用が適切なのかを吟味するというところが、例えば困難の原因が実は他のところにあったということも起こり得ますので、その評価プロセスが必要であるという辺りがどこかに入るとよいかと思いました。
 以上となります。
【隅田主査】  ありがとうございます。
 それでは、質問につきましては、石川先生、手短に可能であれば。
【石川委員】  英才学校ができたことの影響でよろしかったでしょうか。英才教育ですか。
【隅田主査】  英才学級の数が減少したことの理由でしたか。
【角谷主査代理】  影響です。
【隅田主査】  何が影響したのかということですか。
【角谷主査代理】  いいえ。減少したことによる影響です。
【隅田主査】  減少したことによる影響が何かあったのかということですね。
【石川委員】  英才学級が減少したことによる才能教育の影響というのは、私はきっちりデータとして示すことができません。すみません。ただ、やはり才能教育の裾野は狭くなったかな、入り口は狭くなったかなというのは言えます。
【隅田主査】  間違いなく、それまで受けていた子が受けられなくなっていますから、それは大きな影響があるのは間違いないし、場合によっては家庭にしわ寄せがいっている可能性もありますよね。ありがとうございます。
 あとは、4つの御意見も今後の議論に重要な点かと思いました。ありがとうございました。
 他は、いかがでしょうか。まだ御発言いただいていない委員の方。
 それでは、五味委員、お願いいたします。
【五味委員】  お願いいたします。
 本県は、事業を始めて、取りあえず困っているという現状があるから何とかしようというようなスタンスで進めてきたのですけれども、今日こうした専門的なお話を聞くことで、自分たちが困っていることはこういうような歴史の背景があったり、このようなことがあるということがあるのだなということが学べたことがとてもありがたかったなと思います。
 今困っている学校を対象にやっていると言っているのですが、その困っているを判断したのは学校の先生で、実は恐らく先生たちでは見えない静かに困っているような人たちもいて、そういった子たちを見つけるのはどうしたらいいのかなと、ちょっと悩んでいるようなところがあります。困っているのを見つける人、判断する人は誰なんだろうというようなところが話を聞いていて疑問に思ったところで、どちらの先生でもいいので、もしそのようなところで何か御示唆いただける内容があったら教えていただきたいというふうに思いました。
 以上です。
【隅田主査】  ありがとうございます。
 松村先生、石川先生、どちらでも結構ですが、もし御意見があれば。松村先生のほうが近いでしょうか。
【松村名誉教授】  さっき伊藤先生がおっしゃっていましたけれども、保護者から相談があって、ギフテッドなのか、どうしたらいいのかみたいなことですが、学校では先生は気づきにくいけれども、やはり家庭で困っていたり、あるいは家庭で隠れた才能を発揮したりしていることがあるので、家庭との連携をうまくやっていく。そのために、伊藤先生のところの相談機関などが一種のつなぎの場所になると思うのです。だから、学校の教室内で先生がまず見つけるということは難しいので、家庭と学校をつないでいくところをもっと充実していく。そういうところが手がかりになるでしょう。だから、京都府や伊藤先生のようなところにもっと頑張っていただきたいと思います。
【隅田主査】  ありがとうございます。
 やはり、多様な視点から見てみるということが大事かなというのは御意見かなと思いますし、困っているというのは、欲しているというか、切望しているのと裏返しというかセットの可能性もありますから、困っているだけではなくて、その子が本当にこういうものを求めているんだみたいな見方を変えるともっとポジティブになるかもしれませんし、また、その辺りもみんなで知恵を絞っていければと思うところでございます。ありがとうございます。
 それでは、藤田委員、いかがでしょうか。
【藤田委員】  たくさん勉強させていただいて、本当にありがとうございます。
 私なりに今まで考えていたことをお話しさせていただきたいと思うのですけれども、まず制度構築の基本となる考え方で、一体この特別な教育課程が何を目的にというところで、私は2つあると思っています。やはり、学習者にとってみればしっかりと自己実現できるようになるものでなければいけないなということ。それと、社会への対応という部分ではどうなのかといったときに、やはりこれだけ現在は社会全体として不確実性が高まる中で、社会課題というものがより困難で複雑であり、多様なものが本当に加速度的に頻発している中で、今まで、当然学習指導要領は10年に1回改訂してきているわけですけれども、そこだけではなかなかこの社会課題に将来的に日本が解決するということが難しくなっていくのではないかということは私が思っているところでございます。
 資料1の8ページを拝見させていただいて、こちらは今見ることはできますでしょうか。提示することは可能でしょうか。こちらは例ということで整理していただいたと思うのですけれども、やはり子供はそれぞれ小学校、中学校、義務教育段階で様々な学習をしていく中で、これは平面ですけれども、例えばこれを球体として考えたときに、やはり一人一人球体が大小あるのではないかなという風に思ってはいるのです。それで、特異な才能のあるお子さんというのは、ある特定の分野が球体からちょっと楕円形になったりして、かなり突出しているものがあったりする。それは、今までであれば個々の学力というものが、それぞれの学力を持った子たちの中で社会課題を解決していたと思うのですけれども、今後の日本の社会、また、世界を考えていったときに、それだけでは十分に賄い切れない。ある意味、突出した部分同士が協働的に学ぶことによって、より困難な、複雑な、多様な社会課題にも、社会全体としてというか、いわゆる学習者全体として解決していくような、そういう世の中をつくっていく必要があるのではないかなというところで、この特別な教育課程を編成するということはまさに重要なことなのではないかなと思っています。大島先生のところでもお話がありましたように、やはり社会課題、韓国の場合では40年前にそれが当然、社会的なニーズの中でつくられたということですけれども、それがまた時代の中で変化していった。では、日本がこれからやろうとしているところというのは、やはり加速度的に変化する社会課題に対しても、総体としてそれを解決していくような力をつくっていく必要があるのだというところは、今、皆様のお話を伺っていながら、目的という部分でちょっと考えていたところであります。
 それともう1つは、やはり角谷先生がおっしゃられたように、一度教育課程に基づいて教育を受けたとしても、それが固定的なものではなくて可変的なものであってほしいというお話があったかと思うので、その辺の評価、個別の教育課程を組んだときの特別な教育課程を組んだお子さんに対してのいわゆるアセスメントというのも、適時適切に行っていく必要もあるのかなというふうに思っております。
 あとは、初めての制度構築でありますので、学習指導要領は10年スパンでやっていくわけですけれども、これが教育課題の解決に資するものでなければいけないですし、仮にこれを制度構築していったときに新たな教育課題が生じてしまったときには、その途中途中でやはり速やかに改善していくということも重要なのではないかなというふうには思ったところでございます。
 感想めいたことで申し訳ありません。以上です。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 それはまさに私たちというか、既に有識者会議あるいは中教審に出ている個別最適でありながら協働的に学ぶというのがまさに当てはまるのではないかと思いますし、評価のところの御質問が出ました。それに関連して言えば、松村先生がアメリカの例を出されましたけれども、学校外での成果と学校内を結びつけるというときに、学校外での学習成果をどう評価して学校の学習と接続するのかというのは問題になるのではないかと思うのですが、この辺り、何か御知見といいますか、御存じでしたら御意見いただければと思います。
【松村名誉教授】  このワーキンググループでどこまで議論されるか分からないのですが、他の教科のワーキンググループとの関係、例えば理科のワーキンググループと連動して、理科のこの単元の学習と関連するような学習が学校外で行われたときに、それを学校内の評価にどう位置づけるのか、何かルーブリック的なもので共通の評価ができるのか、何らかの通知表の所見で書くのかとか、そういうような問題を、教科のワーキンググループで、そういう才能面も考慮した、学校外の特別の教育課程との取組との関連で議論してくださるのか。こういうことをやってほしいとこのワーキンググループがおっしゃることができるのかという、そんなところと関係すると思うのです。今後そういう話が出てきて、多分、他の教科とか、それから不登校とか特別支援のワーキンググループと何らかの連携ができたらいいと思うのですが、特別支援のワーキンググループでも特に才能を考慮して議論されるというようなことはなさそうで、不登校も才能面も考慮する点はどうかなという気がするので、他のワーキンググループに才能が大事なのでこういうことをぜひ検討してくれというのはあまり言えないと思うのです。言わないほうがいいと思います。だから、そういう話の持っていき方で、できるところでじわじわと何か工夫をして進めていただきたいなというふうに思います。今後の特才ワーキンググループの議論に期待しておりますので、何とかぜひよろしくお願いします【隅田主査】  ありがとうございます。
 やはり、中教審の全体の目標があって、私たちのグループワーキングもそれに向かっているという点では他のグループも同じだと思いますので、共通して進むことはあるのではないかなと思います。今後の議論の過程で心置きたいと思います。どうもありがとうございました。
 栗山室長からコメントがあるようです。
【栗山教育課程企画室長】  教育課程企画室長の栗山でございます。今の点、御指摘のワーキンググループですけれども、少なくとも、校内外の教育支援センター等に通っている不登校のワーキンググループにつきましては、これは同じように新しい特別な教育課程をつくるということですので、密接に相互に検討状況を見合っていくことが重要だと思っています。例えば、藤田委員などは両方のワーキンググループにお入りいただいておりますけれども、全体として連携を図っていきたいと思いますし、また、各教科の中で特異な才能に限っての検討は、なかなか現実的な問題として悩ましさはあると思いますが、隅田主査がおっしゃったように、全体の連携という観点は当然ありますので、例えば特別な教育課程の議論の状況を情報提供するとか、そういったことも含めて、最終的に議論が全体として束ねられていくように工夫をしていきたいと思います。ありがとうございます。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 それでは、まだまだ御質問が出そうですが、時間も参りましたので、本日の議事は以上といたします。
 最後に、次回のスケジュールについて事務局よりお願いいたします。
【越田教育課程課専門官】  事務局です。
 次回は、11月13日木曜日の13時半から15時半を予定しておりますけれども、正式には後日、御連絡いたします。
 以上です。
【隅田主査】  ありがとうございました。
 それでは、以上をもちまして、閉会といたします。どうもありがとうございました。
 
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