令和8年3月9日(月曜日)16時30分~18時00分
WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式
【島田主査】 先生方、こんにちは。お待たせいたしました。定刻となりましたので、ただいまから第6回国語ワーキンググループを開催いたします。
進行資料の投影をお願いいたします。御覧いただいておりますとおり、本日は、国語科を通じて育成する資質・能力等について、竹内委員、西委員のお二人から御発表をいただきます。
まず、「話すこと」に関して竹内委員に御発表いただき、意見交換を30分程度行おうと思います。続いて、主に古典について、言語文化に関して西委員より御発表いただき、意見交換をまた30分程度行おうと思っております。
なお、西委員は本日少し遅れての御参加になると承っております。
御発表いただく内容は、いずれも今後のワーキンググループで検討する内容に深く関わってくるものと存じます。お二人から御示唆をいただければ幸いでございます。
本日の流れの御説明は以上となります。よろしいでしょうか。
それでは、準備でき次第、早速御発表をお願いしたいと思います。竹内委員、大丈夫でしょうか。よろしければ、15分程度で御発表をお願いいたします。よろしくお願いいたします。
【竹内委員】 皆様よろしくお願いいたします。竹内明日香と申します。
私はもともと銀行員をしておりまして、その後、独立をしまして、現在では3社の社外取締役をしながら、そして3児を育てながら、なぜ私がこの「話すこと」について加担するようになったのかということについて、これからお話を申し上げたいと思います。
ことの発端は、銀行員をしているときに、この「話すこと」というのが日本にとってのアキレス腱なのではないかという思いを強くしたからです。17か国が集まる海外のプレゼン大会で、本邦のエリートたちのプレゼンが最も弱かったと、ショックを受けまして、そこから私財を投じて、時間はかかりましたけれども、少しずつ学校から呼んでいただけるようになり、今ではスタッフたちと共に毎日のように全国を回り、延べ7万3,000人の先生方、子供たちに話す力を高める講座を受講していただくようになりました。
本日は「なぜ話す力か」「つまづきと実践の効果」「指導要領へ」の3つに分けてお話ししてまいります。まずは、「なぜ話す力」かです。
教育の出口とも言える就職活動時には、コミュニケーション能力というのが最も重んじられるわけなのですけれども、さらに現在、エントリーシート(ES)を生成AIが作れるようになってしまってからは、面接の比重がより重くなってきました。そして、大学入試はペーパーテストの比重が下がって、高校入試も自己表現を導入する自治体が増えています。
にもかかわらず、日本の若者は、「自分の考えをはっきり相手に伝える」ですとか、「自分のアイデア、意見を考えたり話したり」という意欲や機会が低いままです。大人になっても傾向は変わらずに、「複数の人の前で発表する」という力がこのように弱かったりしています。
この「話すこと」というのは、生まれ持ったセンスではなく、支援すれば伸ばせるものです。家庭環境で大きな差が生まれないように、学習の足場がけができればと思うわけです。国語の「話す」は伸び代があると思っています。
さらに、このなぜ「話す力」か、について議論を深めます。スイスのIMDというビジネススクールが毎年発表している国際競争力というものがございます。日本は「意思決定が遅い」、「デジタル化が遅れている」などの要因で現在低迷をしておりますが、さらに足を引っ張っている要因として、「労働生産性」というものがございます。ご覧のように先進国の中で最低水準なんですけれども、これはどう算出されるかと申しますと、付加価値を投入する資源で割ったものです。この分母を小さくしようと日本は働き方改革などを進めてまいったのですが、これはむしろ分子の問題なのではないかと。では、理系人材を増やそうと。これも正しい選択肢だと思います。ただ、価値は物をつくるだけではなくて、それを言語化して、相手に魅力を伝えられて初めて確定するわけです。全て国語に責めを帰すわけではないのですが、100円のものを100円で売る教育はしてきたけれども、言葉を添えて、それを120円のストーリーにして語るのが苦手なのではと。この価値を納得してもらう力が弱いと、安値競争に巻き込まれてしまうわけで、歯を食いしばって80円で売ってきた歴史だったのではないかと思うわけです。
まだ第二次産業が主体だった「物が見える」ものづくりの時代はまだ良かったんです。物販から第三次産業(サービス業、情報、教育もそうです)へと移行するなか、目に見えない体験や解決策を言葉を添えて紹介しなければいけない時代になりました。それは産業構造が変わったからです。そして、AIが文章を作れる時代ほど、誰がどのような根拠と関係性で語るかということ、それから自分の体験と結びつけて情熱的に語るという、エートスやパトスといった力が大事になってくるのではないでしょうか。
話す力がないと、経済活動に限らず、組織の意思決定が前例踏襲や空気でなされてしまったり、国際的な交渉で後れを取ったりします。いずれも国力の毀損に繋がる問題だと思っています。ですから、国語は話すのが苦手という人を減らしていく必要があると思っています。
ここまでは、やり取りと発表と両方についてお話をしてきたんですけれども、ここからは主に発表の授業に絞りまして、現場の時間の制約の中で起きやすい構造的なつまずきについてお話をしてまいりたいと思います。
話す内容を「考え」、そしてそれをどのような目線、どのような声で「伝える」か、フリップやスライドでどう「見せて」いくか、この3つに分けてお話をしてまいります。
まず、「考える」際のつまずきとしましては、子供たちはなかなかじっくり考えることはしたくなくて、調べられた、これが正解だといって一般論を意見と勘違いして話してしまう。あるいは恥ずかしくて意見が言えない、意見を言わないでいると、そもそも意見を持たなくなってしまう。饒舌に話しているようで、実は考えが整理できていないなどが起きているように見えます。また、授業のつくり方で申しますと、主語が「自分」にならないものが一例です。-例えば「自分はこれがしたいんだ」とか、「こういう思いがあるんだ」というように、主語が自分にならずに、例えば修学旅行に行って、同じところを見て、何か似たような感想を話す、子供はやらされ感でいっぱいになってしまっているというようなものでしたり、あるいは感想はいろいろ出るんですけれども、「多様でよい」で終わってしまって論点が立たなかったりというつまづきです。
次、「伝える」場面で申しますと、目線が上がらずに、原稿を読んでしまう。これは相手に伝わらないという1つ目のもったいなさだけではなくて、今私がしているように、皆さんの表情を見ながら即興で話す内容を微修正しているわけですけれども、このように脳に本来大きな負荷がかかるような活動ができない、という二重のもったいなさがあるように思います。それから、声の小さい子が放置されてしまう。これは発声を少し指導するだけで大きく変わっていきますので、非常にもったいないと思っています。マスクなどもしていて、なかなか声が通らない子がいるという状況です。
そして、「見せる」ところですけれども、子供たちは魔法のタブレットを手にしてしまってから、コピペの力が大変増しまして、自分の作った資料の漢字が読めなかったりというようなことが起きています。これではもったいないので、大事なところがどこかとピックアップをして図解していく -この左図のお話でしたら、このぐらい3つのお話をしているよね、目的は安全・安心だよねと。このように図解をすることで、国語の力がとてもつくと思うんですね。こんなことができないか。あるいは総合的な学習の時間や情報の時間にも係る部分かと思うんですけれども、ファクトやデータを根拠にしていくということも大事かと思います。
これらのつまずきは、時間や経験の制約で生まれることも多いんですけれども、「まずは音読させることが大事なんです」とか、「竹内さん、原稿をしっかり書ければ話せるんです」というような、そのような言説にも、たまに出会うんです。話すことが読み書きの陰で後景化しているように感じるときがあります。これは非常にもったいないので、改めていければと思います。
実際、話すことを主眼にした授業や研修をしてみますと、社会への関与態度は高まりますし、自己効力感が伸び、学力も伸びます。たくさんのデータをいただいているんですけれども、ここは最初にこの実証をしてくださった学校に敬意を表して、全国学調のデータが非常に伸びたという結果を紹介いたします。いろんな先生方からコメントいただく中では、「アウトプットの力が高まると低位の子こそ輝くんだ」ですとか、「職員室の雰囲気が変わる」というようなお話をたくさんいただいてきました。
ただ、大きく2つに分けて、この授業が難しいというお話を伺いました。その一つは、「全員を個別に支援するのが難しい、考えを深めるような問いかけが難しい」というようなお話、それから、「子供たちが発話した後の即座の価値づけが難しい」というお話です。
そこで、生成AIを用いて、これを何とか支援していけないかということで、幾つかの自治体や私立の学校で実証してみたところ、意見の発話への意識は大きく変化をいたしましたし、このように個別最適な声かけをできることによって、前回ワーキングでも語彙力というお話ありましたが、語彙力も大幅に伸びていくということが分かりました。
それでは、学習指導要領にどのように繋げていけばよいのかという部分ですが、論点整理に戻りますと、「民主的で持続可能な」、「好き」、「得意」、「当事者意識」、「自分の意見」、「納得解を形成」―このように、少子化の時代にあって、全員が「従う側」から「主体的に動かす側」になる必要があると、そのようなメッセージに私は感じました。その基礎が、この国語の「話す力」になれればと思うわけです。
この知識・技能や思・判・表に、うまく足場をかけていければと思うんですけれども、具体的には5点ほどご提言申し上げたいと思っています。
1点目は先ほど申し上げたようなつまずきや誤解を解消して、一体として育めればというものです。現在、話す・聞くが一緒くたになっていますけれども、それは独立をさせて、外国語の指導要領のように(CEFRに準拠して)、「やり取り」と「発表」に分けて議論をしてみてもいいのではないかと。これは先ほどのお話をなぞりますけれども、主語、主体性、論点を立てていく、そして聞き手を見てきちんと発声が育めれば、構造化、図解をしていけばというところです。
2点目は、これらを全て国語が背負う必要はないとはいえ、これらのほかの教科や単元とのはざまで落ちてしまっているところがあるのでは、と。ここはうまく接続して補完できないかと思うわけです(内容は資料の図をご参照)。
3点目は、インプットとアウトプットのバランス──読み書きと話すことのバランスとも言えるのかもしれませんが──ですとか、あとは順序ですね。ちょっとやってみると、自分の思考の足りなさに気付くのでそれを探索していく、というような、そんな活動の仕方もよいのではないでしょうかというところ。
そして、4点目です。これは私がこのワーキングで何度も申し上げていることなんですけれども、小学生を日常生活だけに閉じ込めないであげてくださいと。社会への関与態度を高めた子ほど動機づけが強く、維持促進されています。そして小中高と、今ちょっとぶつ切りになっているところがあるんですけれども、うまく系統立てていければと思います。話すのが単発のイベントではなくて、系統立てて育まれるとよいと思います。
その結果、子供たちのこの「好き」や「思い」の力が駆動していくわけなんですけれども、この「好き」や「思い」の熱量というのは、なかなか点数化できるものではございません。そこで、評価で縛らず、「見取り」で支援してあげるような形がつくれるといいのかなと思います。それが5点目で、提言は以上です。
急速に縮小局面に入っていく日本です。分断をあおるような情報も多々ございます。そのような情報に流されずに納得解を形成できるような民主主義の担い手を育成するカリキュラムができればと思います。
最後は、子供たちにも授業の最後に届けているこの言葉で締めさせてください。「世の中は変えられる そのためにプレゼンがある」です。どうもありがとうございました。
【島田主査】 竹内委員、どうもありがとうございました。
それでは、早速、意見交換に移りたいと存じます。ただいまの竹内委員の御発表の内容に関しまして、御質問、御意見等ある方は挙手のボタンを押してください。御発言はお一人2分程度でおまとめいただけると幸いです。御発言の際には、竹内委員の御発表資料で該当するページがある場合には、その旨、御指摘いただけますと、うまくいくかと思います。事務局にて画面共有で映していただこうと思います。
では、御意見、御感想、御質問のある方は挙手をお願いいたします。渡邉委員、お願いいたします。
【渡邉委員】 では、アイスブレイクで最初に発言させていただきます。よろしくお願いいたします。
竹内委員の御指摘にありましたように、スライド23ですね、確かに話す指導というのは今まで意識的にここでは行われてこなかったと思います。その一方で、話す訓練というのは、国語で中心的に行うことなのか。やはり話すことの基礎となる読み書きの部分が国語では中心となって、プレゼンテーション型の話すことというのは、これは竹内委員からのスライドにもありましたけれども、ほかの教科との共同、例えば外国語、つまり英語の授業ですとか、総合的な学習や探究の時間などとの共同が、より適切と言ってもいいのではないかと思いました。
では、その国語における話すことの中心になる訓練は何かということですが、まず読むことで文章構成の方法とか、文種や様式によって異なる構成あるいは表現法があることを「知る」こと、それから、それらを児童・生徒が「書くときに適用」する、それを基に、話すときには、その時々の目的に沿って、最も効果的な構成あるいは表現法を「選ぶ」ということが、やはり重要なのではないかと思います。
例えば論理の「ロゴス」のみならず、話し手への信頼の「エトス」と感情的に納得させる「パトス」が、話すときの異なる枠組みとしてスライドでも示されていたと思います。データなどを根拠に説得するときには統括型の話す構成が効果的である一方、感情的に納得させるには、物語であるとか、ことわざを用いるということが効果的になると思います。文種によって異なる構成と表現の知識を得ることというのが、中心になり得るのではないかと思います。
むしろ竹内委員のプレゼンテーションの中では、ビジネスにおける競争力というものが話す状況の前提になっているように感じられまして、それももちろん大切ですけれども、指導要領における主体的、対話的に話すことというのは、やはり互いに学び合ったり、意見を変えたり深めたりするということが中心になっているのではないかというふうに思われます。アメリカでは「主張したり説得する」こと、フランスでは「書くように話す」ことが話すことの主な目的になっているんですけども、日本における国語の話すことの目的というのは何かということをいま一度考えたときに、それに気づかせてくれるという意味でも、非常に示唆に富んだ竹内委員のご発表だったと思いますが、いま一度、その国語の話すことの意味は何かということを考えるべきではないかと思いました。
【島田主査】 ありがとうございました。もちろん国語の領域としての話すこと・聞くことの中においては、相手や目的に応じた話し方というのはこれまでも指導されてきたわけですけれども、もう一度、国語における話す・聞くというのは何を内容として学ぶべきものなのかということをよく考えたいという御意見だったかと思います。ありがとうございました。
ほかにいかがでしょうか。では、中村委員、お願いいたします。
【中村委員】 竹内先生、ありがとうございました。御質問というか、お考えを伺えればと思ったのが、特に高等学校における「話すこと・聞くこと」の指導についてです。現行の「現代の国語」では20から30単位時間程度の配当がされていますが、一方で小中学校段階との段階差、能力差をどういうふうにつけていけばいいのかというあたりで、先生方の実践の御苦労が多いのではないかと思います。たくさんの学校を回られる中で、そうした「話すこと・聞くこと」の能力の段階差をどういうふうに意識してプログラムをつくられたり、生徒たちと関わっておられたりしているのか、教えていただければと思いました。
以上です。
【島田主査】 お願いいたします。
【竹内委員】 ありがとうございます。高等学校段階では大変に発達段階によって差が大きくなります。小学校よりもますますそこが大きくなりまして、私どもは、都でいうとチャレンジスクールやエンカレッジスクールのようなところにもお招きをいただいてお話をしていますし、あるいは支援級のようなところにも伺っていますので、いろいろな形で携わっているんですけれども、そういったような学校ですと、小学生と同じような授業でも十分、皆さんが楽しんでというか、より積極的になっていただけますし、そして非常にやる気があふれるような子供たちであれば、もう企業研修のような、例えば公共と結びつけて「自分が、社会に対して何ができるか」、あるいはキャリア教育と結びつけて、「自分たちの力で一体この課題はどう解決できるんだ」ですとか、そういったところにより考えを開いていくようなことをしてまいりました。ですので、いろいろな段階に応じて、別に校種を分けずに、やっていけることかなと思いました。
そして、文京区内でたくさんの実践があるんですけれども、やはり小学校でやってきた子供たちが中学に行くと大きく伸びている一方で、そうではない子との差がまた開いてしまうという、こういう問題もございまして、この子たちがまたさらに高校に行くと大きく、またほかの子たちと全く違いましたということが、これが何か新たな格差を生んでしまっているようなところもあると思いますので、恐らく一体として支援していくということが大切なのかなと思いました。
あと、すいません、先ほどの渡邉先生の御指摘に1点だけ申し添えると、日本も1950年代、60年代あたりまでは話すことがもう少し時程的には多かった時代もございまして、より時代の要請に即して読み書きを増やしたという歴史がございますので、その辺りは参考文献のほうにもつけてございます。
【渡邉委員】 ありがとうございました。
【島田主査】 ありがとうございました。
続いて、犬塚委員、お願いいたします。
【犬塚委員】 竹内委員、御発表ありがとうございました。大変いろいろ勉強になりました。
これは確認というか、私の整理のためにお伺いしたいなと思うんですが、竹内委員のお話を伺っていますと、実際にされているプログラムとしては非常にオーセンティックな課題が多いようです。国語だと比較的そのための練習問題みたいなものを設定する場面が多いかと思うんですよね。話すこと・聞くこととかというような単元で扱うときには、こういう場面があったとしますというような仮想のシチュエーションの中でどうするというようなことを扱うことが多いかと思うんですが、竹内さんが実際に御実践なさっている中では、この地域の中のこういう課題とか、自分たちが目の前にしているこういう問題というようなオーセンティックな課題というのを意図して扱っていらっしゃるのかなというふうに思ったということです。その辺りの関係性どう思いますかということが質問の1点目です。
国語の中で扱うとすると、先ほど御指摘があったように、それは探究とか、もう少し違う領域と併せて扱うべきことで、国語としてできることと、あるいはやるべきことと、ちょっとずれるのではないかということが一つあるかなと思うんですが、そのオーセンティックな課題を扱うということをどのように位置付けるとよいとお考えかということが1点目です。
もう一つは、個人的には、初めの段階ではスキルとして明示できることを明示して指導するというのも非常に重要かなというふうに考えています。例えば、こういった図表をこうやって使うとよく伝わるよとか、スライドを作るときにはこうするといいよというようなプレゼンテーションの技法のようなものが明示的なスキルとして指導できるものだと思うんですね。そういったことが現行の国語の教育の中でどのように取り上げられている、あるいは取り上げられていないからこうしたほうがいいとかというような御提案がおありかということが2点目の質問です。
最後、3点目が、御発表の中ではプレゼンというふうにお話をされていたんですが、プレゼンというふうに言うと、話し手の側に立っている印象が私にはあります。指導要領でもこの間やり取りというようなことがクローズアップされてきたかと思うんですが、話す側だけではなくて、聞き手のほうから積極的に質問をするとか、異論を上げるとか、何か異なる論点を述べるとか、そういうような聞き手の側の反応というのが、よいやり取りには不可欠だと思います。個人的には、この聞く力のほうの育成といいますか、教育というのが国語の中ではちょっと、指導要領とかには入っているんだけれども、実質的には取り上げられにくくなっている部分じゃないかなというような印象を持っています。
ですので、竹内さんには、最後に3点目としては、質問する力とか批判する力というような点については、どんなふうなビジョンであるとか、御実践の御経験とかがおありかということをお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
【島田主査】 ありがとうございます。竹内委員、お願いいたします。
【竹内委員】 ありがとうございます。
1点目です。これまで最初の3年間は、もう単元は何でもいいので呼んでくださいというような形でずっとお呼ばれをしてきまして、プログラムの内容は100を超えました。国語が一番多くて、次、次いで総合的な学習の時間ということで、後者が、どちらかというと先生がおっしゃったような課題解決ですとか、自分のキャリアデザインをどうするとか、そういうちょっとオーセンティックな内容のものが多くて、そちらのほうがやはり、申し上げたように主語が立つというか、自分がどうしたいということがきちんと言えるので、とてもいいかなと思っているんですけれども、国語の中では本当にたくさんの単元、大体年間3つ、4つ、年計の中でありますので、その中で、例えば「学校探検」ですとか、「ビブリオバトル」ですとか、「パネルディスカッション」ですとか、もうありとあらゆるところにお招きいただいて、それぞれごとに、いろいろワークシートを作って、子供たちとそれを埋めたり、ペアワーク、グループワーク、それで最後には全員がみんなの前に立てるようにというような、そんなステップを踏んで授業をつくってまいりました。
2点目は、教科調査官の方々ともお話をしているんですけれども、やはり型みたいなものがある程度あると、それに沿ってやりやすいだろうなというふうには思っています。
他方で、何かを示してしまうと、全員がその型になってしまうので、ここがなかなか難しいところで、いろんなものを試してみようというような、多分、渡邉先生の本でもそういうふうに書かれていたと思うんですけれども、こういう場合はこういう話し方があるよというのを子供たちがいろいろ知ることによって、今日はこれで行ってみようというような、そんな話し方がいずれできるようになるのではないかなと思います。
3点目ですけれども、アクティブ・リスニングと申しましょうか、クリティカル・シンキングといいましょうか、そういった点は非常に大事だと思っていまして、やはりここは、先生が前回おっしゃっていたように、話す・聞くが一緒になっているというのはややもったいなくて、それぞれ独立した力として鍛えてあげるとよいのかなと思います。私どもの授業では、やり取りのときには、1人をヒアリングをする人、1人をスピーカー、1人を書記にして、3人でぐるぐる回してみたり、そうやって聞く力を高めるような、そんなプログラムもつくって実践しています。そうすると、子供たちは、話すだけではなくて、聞く力もついてくるようです。
以上でお答えになっていますでしょうか。
【島田主査】 ありがとうございます。
残り15分ほどになりましたので、次の方お願いしたいと思います。中川委員、お願いいたします。
【中川委員】 竹内委員、どうもありがとうございました。社会生活の側面をさらにという御主張はとても共感します。
その中で、18ページですかね、3層の図があったと思うんですが、その一番上に「見せる」を位置付けられております。とても重要なキーワードだと思いました。
私もこれまでマルチモーダルテキストの表現として、例えば表現の効果を意識しながら発表に必要な資料を複数枚作成して示しながら話すなどの国語での扱いの強化をとコメントしています。特に竹内委員も言われていたように、子供たちは現在、児童・生徒1人1台の端末を日常的に活用している状況で、国語でもプレゼンテーション場面というか、示しながら話す場面が増えてきているように思います。その中で、先生の御指摘のつまずきも踏まえて、見せるということをどう扱うかということが、今後、国語科でもさらに重要と思っております。
この見せるをどう国語科に位置付ければよいかなどについて、もう少し詳しくお聞かせいただければと思うんですが、いかがでしょうか。
【島田主査】 よろしければ竹内委員、お願いいたします。
【竹内委員】 では、短く。ここは情報の時間にも関わる部分かと思うんですけれども、子供たちはどうしても文字をぐるぐる回してしまったりとか、ボンボンボンと動かすといような作業に時間を長く取ってしまいがちです。そこで、あえてこの三段の図に込めている意味は、まずは積み木であれば考えるところから積むよねと。体積でいえば、どれが一番大きいかと。この体積というのは、あなたたちがかける時間なんですよと。見せるというのは、あくまで最後の最後の味つけの仕上げなんだという話をしているんですね。
ただ、それが、先生がおっしゃるように、やはり人に理解していただくためにも効果的なものなので、そのつくり方というのはきちんと学ぼうねというふうに伝えています。
【島田主査】 ありがとうございます。
続いて、小松委員、お願いいたします。
【小松委員】 御発表ありがとうございました。とても刺激を受けることができました。
2点考えたんですけれども、1点は、先ほどの犬塚委員の最後の御質問とほぼ重なっておりますので、1点だけ考えたことを申し上げたく思います。
残っている1点、何かと申しますと、そのプレゼンですとか伝えるというときに、これを伝えたいんだという中身ですね。例えば仕事とか学びの中では、好きなことだけを伝えるというわけにはいかないとは思うんですけれども、それでも、自分はこれを伝えたいという言葉に気づいたり、それについて耕していくというところが大切なのかなと。
例えば先ほど修学旅行の例をお話しされたと思うんですけども、修学旅行に行って、何の内容でもいいと思うんですけど、これがすごかったとか、これが面白かった、それを見つける力といいますか、見つけて心にとどめておくという、まずそこがないと、何を伝えるかというところが始まらないみたいなところがあるというふうに考えております。
これ私、幼児教育のほうにも関わっておりますけれども、そういう力を小さい子供のうちからどんなふうにつくっていくのかということがとても重要かなというふうに思いました。感想でございます。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。特にお答えはよろしいですかね。
それでは、石井委員、続いてお願いいたします。
【石井委員】 非常に興味深く伺いました。というのも先日、ある高校の探究の発表会において、まさにこの話すこと、プレゼンのあり方についていろいろと課題を感じたからです。
何かといいますと、プレゼンがエンタメというふうになってしまうと。海外研修に行ってそういった交わりもあるのに、やっぱりそうなっちゃうんだなというふうなことですよね。
結局何が足りないかというと、プレゼン、発表ということの核心は聞かせることだと思うんですね。聞かせるためには何が必要かというふうに考えていくことが大事だと思うんですが、その辺が多分抜けているんだろうなと思いますし、さらに言いますと、今聞かせるということを申し上げましたけども、結局、国語科において、やっぱり学校でこそ育てるべき言葉の力ということで言いますと、一言で言うと、やっぱりパブリックコミュニケーションへの参画ということかと思います。
ですから、語彙としても抽象語彙を使えないとそこに参画できないし、それでいいますと、エンタメではなくてプレゼンというのは、大人のパブリックコミュニケーションですよね。中身や語りで聞かせるというところ、さらに言うと、そのためには書き言葉そのもののようにではないけれど、そのように論理的に中身を組み立てて話すということになってくる。
そこで議論を組み立てていくということでいいますと、結局、今まで堅い文章を読むということが読むために読むになりがちなところを、読みながら論理構成の仕方などを学び取り、いわば自分のレトリックであるとか論理を鍛えていくことにつなげられるとよい。読むことで実は話すことに繋がってくる、この回路が生まれてくることが重要だと思うんです。
ですから、読み書きということで、そこでレトリックと論理を学ぶ。それを身体技法を交えて語り話すという形で総合すると、多分そういうふうなことなのかと思います。そう考えますと、この話すということは、これは言語活動としては非常に総合的な言語活動に相当するというふうに捉えていくことが必要なのかなと思うわけです。
それとともに、このやり取りということで申しますと、論破ではないと。そこは対話ですよね。そこから大事になってくるのは、先に述べた聞かせるもそうなんですが、聞かせることと対話すること、この2つにおいて両方とも重要になってくるのは、やっぱりオーディエンスの存在。だから、聞き手をどう育てていくのかということとセットになってくると思います。対話においては傾聴の姿勢が重要ですし、プレゼンでは、聞き手がちゃんとというか、質問とかも返してこないから、何となく拍手で終わるみたいな形だと、話し手も手ごたえがないし鍛えられないということですよね。
即興というのも、相手から素直な反応を返してもらったらよく分かるわけで、それでいうと、変にうなずかずにじゃないですけども、つまらないならつまらないでもいいと思うので、だったら、どうつまらないのかということをちゃんと伝えることも大事かなと思います。
その土台には何があるかというと、自分を出せるというふうな、心理的安全性だと思いますが、そういったものが、日本においては傷つけないという形で過度にそっちの方向に行き過ぎていて、かんかんがくがく議論するということこそが真に心理的安全性であると、この辺の理解が大事だと思うんですね。論を憎んで人を憎まず。
そう考えますと、日々の授業における心理的安全性ということでいうと、やはりこの議論する文化、これが大事だと思いますし、そこで自分らしさを出すと。同調じゃなくて。出したときに面白いねという形でお互いに言い合える、これが共生の関係かと思います。そういうことで申しますと、この話すということは聞くということとも関係していますし、教室の文化といったものとも関係すると。だから、そこら辺をトータルに見ていくことが大事かと思います。
また、発信も大事なんですが、受信力が落ちていないかと前も申しました。つまり、聞き取れていないということですね。それでいうと、学ぶ力の重要性が指摘されているんですけども、私は学ぶ力の核心は何かといったら、一を聞いて十を知るということだと思います。最近、一を聞いて十を知るとか、百を知るというふうな、そういうふうな形になっているかどうかですね。
ですから、現実から学ぶためにも、聞き書きみたいなこともいつも申しますけれども、やはりそういう意味で、学んだことをつかみ切るというふうな、そういう言葉の力を育てていくということも併せて大事かなと思います。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。
続きまして、藤森委員、お願いいたします。
【藤森委員】 よろしくお願いいたします。竹内先生、ありがとうございました。
何よりも先生の今日の話し方が非常に心にしみて、これ対面だったら、もっと我々の反応を御覧になりながら、今の石井先生の御発言じゃありませんけど、話すというのは聞き手によって育てられる一つのプレゼンでもありますので、非常に感慨深くございました。
時間もあれですので、2点だけ申し上げます。
話す・聞くの活動につきましては、歴史的に見ると、10年周期で浮き沈みを繰り返しています。これにはいろんな要因があると思うんですけど、話す・聞くに力を入れておられた先生方が飽きちゃうんですよね。
何で飽きちゃうのかということを考えたときに、その話す・聞くを国語科教育で行う場合の必然性はどこにあるのかという問題があって、社会の中で生きていく上では、どれだけこれが大事なことなのかということへの、もっともっと分かりやすい子供たちへの刺激が必要なんだなと思いました。
その意味で、竹内委員からの今日の御指摘は、全面的に、もろ手を挙げて賛成しますし、最適だなと思いました。
もう一点は、教材と評価です。その意味で、27ページにありました、この生成AIを使って、子供たちが(シミュレーションではあるにせよ)、それぞれ個別に話す・聞くを学校の教室の中で行っていく、それがデータとして残ってくるという、ここに今後の話す・聞く教材と評価の在り方についての一つの見通しが出てくるんじゃないかなというふうな気持ちを持ちました。
よい聞き手が育つということと、よい話し手になるということは、これは表裏一体で、どちらも欠くべからざるものでありますので、その辺り学習指導要領でどういうふうに描かれていくのか、表現されるのかということを一緒に考えていきたいなと思っております。ありがとうございました。
【島田主査】 ありがとうございます。
では、石黒委員、お願いいたします。
【石黒主査代理】 すいません。時間がないので、お答えいただこうと思っていたんですけれども、難しいので、控えます。
簡単に申し上げますと、聞くということは本当に大事なことだと思うんですけれども、どうやって教育するのかというのは非常に難しいと思っています。
例えば授業で話されていることをノートテーキングをする、つまり授業の内容を理解するという聞く力、また共感をしながら聞く力、あるいは反対に、本当にこの人の言っていることは正しいのだろうか、多面的に検討しながら批判的に聞く力、さらには相手が話しやすいようにうなずくなど聞きやすくする力、本当にいろんな力があるのかなと思っていて、今日すごくその話す力について伺ったので、今度は聞く力について伺いたいなと思いました。
以上です。
【島田主査】 どうもありがとうございました。
最後になります。吉田委員と、その後、井上委員で最後にしたいと思います。吉田委員、お願いいたします。
【吉田委員】 お話ありがとうございました。竹内委員のお話を、実際のこれまでの授業をこれからの学習指導要領と重ねて私聞いていました。伝えると見せるという、ここに出ていた、お示しされていた子供たちの姿の課題というのは、これまで、やっぱり話すという領域、言語活動を通して思考・判断・表現の領域を意識して授業はされてきた、私も含め授業はしてきたけれども、やはりそのどう集めた情報を図式したりとか、整理したりとか、それからどのように伝えていくような、先ほどある一定の型のようなものというのもおっしゃいましたけど、そういった知識・技能に関するようなことというのを関連づけて、学習を組立てていったりとか、子供の資質・能力を育成していくというところが、少しそこが弱かったのかなというふうに思いました。
ですので、これからの学習指導要領でいけば、その思考・判断・表現と知識・技能をどういうふうに話すということと、その話すため、見せるとか伝えるというところに関わる知識・技能というのを関連づけて、単元を構想できていったらいいなというふうに思いました。
もう一つは、じゃ、この考えるというところのつまずきが非常に、私もここがすごく重要なんじゃないかと思っていまして、というのは、やっぱり子供が考える、伝える、見せるというところを行ったり来たりしながら、子供が試行錯誤している様子を、先ほどのお話にもあった、見取っていくということを考えると、犬塚委員がおっしゃった、どう課題、オーセンティックな課題の部分と、あと仮に何々だとするとという教科書教材のあるような課題というのを、どう単元をつくっていくか。私もここすごく迷うところで、先生方は割と、どうしても時間がないですし、単元をつくることが難しいので、教科書にある言語活動をなぞっていくような授業を、どうしてもしてしまう。そうすると、やっぱり子供たちが本当にやりたいとか、本当に話したいとか、話したいということになかなか繋がらないので、あまり行ったり来たりとかをせず、結局は型だけ話すという型だけが何か伝わって、試行錯誤もせず、考えることもなく、コピペして話しているということに繋がるのかなと思いますので、このどんなふうに目的、話す目的をどう設定するような単元づくりをするのか。そのためには、余白のある授業時数とか、先生方が単元をつくるというあたりのこの余白をどう学習指導要領やその時数の中でつくっていくのかというところと、今後繋げて議論していけたらいいなというふうに感じました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。
井上委員、お願いいたします。
【井上委員】 すいません。時間を超過しておりますので、簡潔に述べさせていただきます。
私からは中高6年間の話す・聞く指導の接続の面から感想を述べさせていただきます。
竹内委員の御発表の後半部分、指導要領への中では、話すこと・聞くことについて体系立てて、系統立てて育むべしというような御提言がございました。私も同じような問題意識を持っておりますので、その意見にはとても共感いたします。
私の個人的な体験ですけれども、中学から高校へと学年が上がるにつれて、
話す・聞くに関わる活動の機会が減っていくような気がしております。まだ中学のほうでは、教科書でも様々な話す・聞くの言語活動が掲載されているんですけれども、特に高校1年生から2、3年生に上がる際に、ぐっと機会が減るような実情がございます。
委員がおっしゃるように、読み書きの後景化という言葉もありましたけれども、高校の場合は教科書に載っているんですけれども、後回しにされがちということなのかもしれません。
高校の選択科目を概観してみますと、話す・聞くの活動を最も豊富に収めているのは国語表現という科目だと思います。ところが、この国語表現という科目は、大学進学校を中心に、どうしても選ばれない傾向がございます。
今後、高校で体系的に話す・聞くに関わる授業を展開していく際には、この国語表現の例えば内容であったり活動を適宜整理し直して、ほかの高校の科目であったり、小中の指導にも盛り込んでいくようなことも必要でないかと思います。
私からは以上です。
【島田主査】 井上委員、ありがとうございました。
よい話し手を育てる、よい聞き手を育てるということに関しまして、様々な観点から非常に示唆に富む御発表をいただいたかと思います。竹内委員、ありがとうございました。先生方もありがとうございました。
それでは、引き続きまして、西委員はもうお入りになっておられますね。
【西委員】 大丈夫です。
【島田主査】 では、西委員から御発表いただきたいと思います。準備できましたら、よろしくお願いいたします。
【西委員】 資料の共有は大丈夫でしょうか。
【島田主査】 大丈夫です。お願いいたします。
【西委員】 よろしくお願いします。15分といういただいた時間で、特に言語文化に関わっての報告になろうかと思います。報告題目は「「言語文化」の学び」といたしまして、副題を「系統性と接続」といたしました。
本日の報告の前提となる事象ですけれども、2月9日の本ワーキングにおきまして話題になりました論点4「言語文化の継承・発展」において「小中と高等学校の学びの接続が不十分であることをどのように改善するか」と、「言語文化への理解を深める学習を、どう充実させるか」という論点が提示されまして、改善の方策として、「学び接続強化」、それから「理解を深める学習の充実」と整理された内容に対して意見をいただきたいという設定で今回は準備をいたしました。
「我が国の言語文化」は、「知識及び技能」に位置付けられていますけれども、どのように定義されているかを確認して話を進めます。
基本的に「文化としての言語」、「実際の生活で使用することによって形成されてきた文化的な言語生活」、あるいは「古代から現代までの各時代にわたって、表現し、受容されてきた多様な言語芸術」、そういった内容を幅広く指すものだと位置付けられています。言い換えますと、我が国の言語文化イコール古典という認識では本来ない内容であると言えるのです。これは中学校・高等学校必履修科目「言語文化」でも定義は同じです。
また高等学校の必履修科目「言語文化」の目標を確認しますと、「生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付ける」、「我が国の言語文化に対する理解を深める」ことが目標に定められており、解説では、「親しんだり理解したりする」という中学3年生を受けて、「理解を深める」という言い回しで定義をされています。
さらには、自らが「担い手としての自覚を持つ」という解説も見られ、目標設定になっています。
では、各校種の指導事項を分析いたします。これは皆さん御承知のことですので、簡略に話をいたします。小学校、中学校の指導事項はア、イと、2系統が、現行の学習指導要領で示されています。私は、アは「親しむ」系統とまとめております。基本的に指導事項の末尾が親しむという表現で指導事項がつくられているということからです。
小学校のアでは、基本的に学習素材は具体的な学習材が提示されています。例えば昔話、短歌、古文などというように具体性を持っています。
また、学習活動は、音声言語を基本としています。具体的には黄色のハイライトを御覧いただければよいかと思います(聞く・音読・暗唱)。
解説では、言葉の響きやリズムに親しむことを系統的に示したという、取りまとめが行われております。
イは「活用」型と捉えて指導事項をまとめております。小学校の学習素材は、やはり具体的な学習材、例えば言葉遊び、ことわざ、解説した文章などという表現で素材が提示され、活動は、「気付く」、「知る」、「使う」というように、やはり具体的な活動が提示されていると整理できます。
以上のような傾向は中学校においても同じですが、学習素材は具体的な指示が希薄であると言えます。ただし、学習活動は、引き続き音声言語を中心に据えた活動(音読・朗読)で、第3学年の「読む」には、音読と読解、その両方の意味が含意されていると理解しております。
また、中学校におきましても、「伝統的な言語文化」の世界に親しむことを系統的に進めることを意識した指導事項の仕立て方になっていると言えます。
イの系列ですけれども、やはり学習素材は具体的な指示がございません。学習活動そのものは「知る」「読む」「使う」という、活用型の指導事項として仕立てられており、小学校、中学校のアとイの指導事項の連接は比較的よくできていると評価しています。
では、高等学校の必履修科目「言語文化」はどうかということですけれども、指導事項のイ、ウですけれども、古典の世界に親しむために理解する、歴史的背景であるとか表現について理解するのだという、指導事項の仕立て方になっています。
素材については、おおよその内容、概念が記されるだけにとどまります。
学習活動は「理解する」という表現になっています。
もう一つ注目しておきたいのは、ウの指導事項、「古典を読むために必要な」の「読む」に対する解説です。スライドで示したように解説は記されていますけれども、「古典を読むとは」というところでは、「内容の取扱い(4)のイに示しているとおり、理解しやすいように教材を工夫したり、指導の方法を工夫したりする必要がある」と言われています。現行の教科書を見ると、古文であれば傍訳を付す、漢文であれば訓読文をつける、そういった工夫にとどまり、本当に伝統的な言語文化というものに対する理解が促進されたり、深められたりしているのか。また接続できているのかということが少し課題になると考えています。
中学校から高等学校の必履修科目「言語文化」への丁寧な接続段階を設定する必要性がやはり求められているのではないかと考えます。足場がけというような言葉を、ここでお示ししました。提示資料のPDFには漢字の脱字がございます。申し訳ございません。
では、このようなことを念頭に置いたとき、言語文化というのは、どのようにして私たちは学んでいけるのか。言語文化が古典と等価ではないのだという、理解をもう少し積極的に出してもよいのではないか、と考えた具体的な実践事例を紹介したいと思います。
こういったものは、指導事項を連携させた実践事例としてお示ししたほうがよいと思って、例示しました。
まず時代を超えた「言葉遊び」の実践を紹介します。「言葉遊び」は小学校第1学年及び第2学年のイの系統に見える表現です。これと漢字への興味ということで、1500年代前半の後奈良天皇が作った「なぞなぞ」です。言葉と、漢字への興味を引き立てるような事例を抽出してみました。簡単な事例として活用できる内容です。
また、その他の事例として、「一尺一寸になる家はいかなる家か」。これは日本語の表記は縦書きにある点を活用した内容です。漢字を縦書きにすることで実現できる学習活動です。具体的には1尺1寸は、11寸に相当しますので、11寸を縦書きにすれば「寺」という漢字が見えてくるのです。このような漢字と言葉、日本の書字文化の基本的な理解を意識化させるところから文化としての言語、言葉、文字にアプローチできる素材になのではないだろうかという事例でございます。
2つ目の事例ですけれども、今日的な表現と漢字指導を結びつけた内容です。今日的表現というのは元号になります。
私たちは、記者会見、あるいは国の施策等において、現行では「レイワ」と読むのが一般的であるかと思います。漢字指導では訓読み、音読みという形で出てきて、音読みには複数あるという、漢字の読みの基本的な内容を学習します。音読みが複数あるのは、中国の時代によって読みが変化した結果なのだと言えます。
元号は基本的に音読みで読むのが一般的でございます。そうしたときに、「令」という漢字は今回、元号では初めて使われた文字でございますが、この漢字には2つの読みがあります。レイとリョウ。そして「和」は、これまでにも複数回の使用例がございます。音読みではカとワという形で、実は我々が一般的に使っている「レイワ」という元号の読み方は、漢音と呉音との組み合わせの読み方になっており、たすき掛けになります。
元号の典拠は、どのような典拠と定めているのか、また、その時代ではどのような読み(発音)が行われていたのかという社会的な部分も考える必要が出てまいります。
簡略にまとめますと、万葉集が典拠だと正式見解で述べられているようです。万葉集の時代というのは、呉音が通用されていた時代ですので、赤字で示したように、「リョウワ」と読むのが、恐らく当時の読み方にほぼ近い形だと考えられます。
そうしますとたすきがけは誤りなのか。実は言語(ゲンゴ)という熟語が漢音、呉音のたすきがけになる熟語になります。ただし、ゴンゴという呉音による読み方はないのかというと、言語道断(ゴンゴドウダン)という四字熟語がございますので、読み方の正否という捉え方ではなく、言葉が持っている発音や、時代性という、文化的な側面も影響を与えてくるのです。
このような問題は、外国語との関わりから見ると、現在の元号が「ビューティフル・ハーモニー」という英訳が付されているという現状に対する問いも生じます。なぜ「令」が「ビューティフル」と訳されているのかを考える契機にもなり、漢字指導にもなるという言語としての漢字、文字指導に繋がってくるかと思います。
3つ目の事例は小学校、中学校の指導事項に見られる「言葉の響き」、「リズム」に関する内容です。谷川俊太郎の「みんみん」という詩です。各行の末尾がすべて「み」という仮名で統一される4行詩です。この後2連3連と続きますが、最初の1連だけを取り上げます。
私たちが日本語の特色を表すときに、よく5音7音のリズムという言い方をしますが、この詩は4音2音という、あまり日本語には親しみのない韻律になっていることに、まず気づかせる必要があるでしょう。
さらには、4行のうち、前半2行で「せみ」「あみ」、後半2行で「うみ」「なみ」と大きく場面展開がされていること、さらには、各行を読み進めていくと1行目はミクロな視点から始まり、4行目ではマクロの視点へと情景が展開していくというように、単なる日本語としての響きやリズムを中心に親しみから読解へと導ける詩の教材になる事例です。
4つ目の事例は、語彙を耕すということで、語彙を豊かにすることが全校種で求められている内容に対応した事例です。その小学校の中でも、言葉遊び、回文という具体的な学習事例が示されています。
どのような回文を作るのかを考えると、この後に出てくる実践事例にも通ずるものがありますけども、言葉の広がり、仮名表現の広がりというようなものを考える契機になるのが、このような回文の作成になります。
回文は今始まったことではなく、参考とした江戸時代の回文は短歌になっていまして、左から読んでも右から読んでも同じ歌になっているのです。
そういったような言葉遊びを通して、言語の持つ価値や言葉の遊戯性、さらには文字表現の多様さ等というものに、高等学校の導入段階では足場がけとして活用できるような素材を提供できるのではないかという事例になります。
では、古典教材そのものを足場がけの素材に使えないのかという視点で捉え直した事例です。これは古典探究などに採録される『宇治拾遺物語』の「12の子文字」です。これを単に読む(読解する)だけではなくて、12の子文字をどう読ませるか。高校生に求められる模範的な解答は、お示しした「猫の子、子猫、獅子の子、子獅子」という、解答が求められています。
ただし、言語文化を豊かにするためにということで、段階を踏んでいけば、子供の「子」を何と読むのか。先ほど音読み、訓読みという話が出てまいりました。漢字指導になります。次に4つの平仮名を7つに増やすという文字指導と位置付けることが出来ます。仮名には、濁音になる仮名と濁音にならない仮名があることに気付きます。得られた7つの平仮名を組み合わせることで語彙をつくる指導に展開します。それを12の韻律の中に収めるという、算数・数学的な要素も含めて考えることができるということです。
ちなみに学生たちが作ると、次のようなものが出てきます。「ここ逗子。午後五時、寿司来ず」「禰豆子寝過ごし、午後五時ね」、「腰の筋、少し捻って事故ね」という。「て・に・を・は」がなくても日本語は文脈を通すことができる、そういった日本語の特色にも触れる機会にもなります。
そして最後の事例は若干、個別事例になります。小学校での地域学習との関連を意識して、そうした学習の発展形としての足場がけの事例です。地域の地名を活用した事例です。横浜市港南区に相武山小学校という小学校がございます。この相武山というのは、実は相模と武蔵の旧国名の国境をなす稜線にある学校になるのです。そういった現在でも残る古地名が各地にある、そういうところから、地域の地名を素材とした言語文化に対する意識を涵養していくことができるのではないかという、若干個別的な事例でございました。
簡単にまとめます。校種連携の言語文化の指導に、小学校、中学校の「親しむ」から、高校の「深まる」や「理解する」という段階の前段階として、「親しみ」を接続的に設けて言語文化に対する興味・関心を持続させ、発展させるきっかけになるのではないかと考えています。
以上、申し上げてきた内容に補足をしておきますと、「伝統的な言語文化」が設けられたことで、小中高の重複教材が大変多くなりました。そういった重複教材を無視しないということ。3点目としました音読・朗読を学習の基底に据えたい。音声による理解、言語文化の習得とか発見というものを大切にしたい。
そして高等学校では、文法によるテキスト理解が出てきますけれども、読解のための文法の有意味性をどのように説いていくのかということ。
さらには、5番目として、児童・生徒の素朴な疑問を大切にしなくてはならないだろうと。そこにお示ししましたように、「笑う」と「笑む」というように、日本語には2つの類似した言葉(表現)がある、その違いは何なのか。あるいは「野」と「原」というものの違いは何なのか。そういったような素朴な「問い」が、言語文化の指導の中には重要な種として潜んでいるのではないだろうか。そのようなことを考えて資料をまとめた次第でございます。
大変雑駁な、見栄えのしない資料で大変恐縮でございます。若干超過しました。
以上です。
【島田主査】 西委員、どうもありがとうございました。
早速、意見交換に移ります。ただいまの西委員の御発表に関しまして、御質問、御意見、御感想等ある方は挙手ボタンにてお知らせください。御発言お一人2分程度でおまとめいただけると幸いです。いかがでしょうか。
藤森委員、お願いいたします。
【藤森委員】 西先生、ありがとうございました。
簡潔に申し上げますけども、24ページのところで、古典に対する小中高の目標設定には、全部、「親しみ」という言葉がありますよね。「言語文化」に関しては、高等学校の学習指導要領の編集に関わらせていただいた立場で申し上げたいんですけど、文法の品詞分解に終始する授業を何とかしなくちゃいけないというところから、「親しみ」という言葉を入れたんですけど、高次の資質・能力を考えたときに、「親しみ」だけでいいのかなというところを感じております。
と申しますのも、何のために古典を読むのかという問題を、やっぱり今回はしっかり押さえる必要があるなと思いました。
私事ですが、2008年にアメリカで読書学会の年次大会があった折に、「言語文化」について研究発表したことがあります。そのとき、南米の先生方が来られて、「日本人が羨ましい」とおっしゃるのです。どうしてかというと、「万葉集」が編集された千何百年前から、これだけたくさんの言語文化財に満ちあふれていて、国民性が一貫性を持っている、こんなすばらしい国は本当にほかにはないという、こういう言葉を聞きました。また、昨年11月に移民で構成されるロンドンの小学校を訪問しましたら、小学4年生からシェイクスピアを演じているんですね。理由を聞きますと、これはイギリス国民であることの一つの価値観(ブリティッシュ・バリューと言いますけども)として、自国文化に対する一つの敬意、リスペクトの思いをきちんと育てることこそ、多言語、多文化のこの時代に必要な一つの資質だというふうにおっしゃっていました。
こうした経験を通して感じたことは、どうして古典を読むことが重要なことなのかという問いへの答えの一つとして、これからいろんな外国籍の子たちの比率が高くなっていく日本の現状に鑑み、日本人のアイデンティティーを自覚することだと思っております。
その意味で、高次の資質・能力として、豊かな人間性に関わるような形で、この言語文化との接続を考える必要があると思います。古典嫌いを克服するという次元ではなくて、これからの日本人をどう育てるのかという問題に深く関わってくるような気がしているところです。
【島田主査】 ありがとうございました。
続きまして、渡邉委員、お願いいたします。
【渡邉委員】 ありがとうございます。西委員から、とても想像力に富んだ授業の展開をお示しくださってありがとうございました。やはり専門家でないと、こういうことはできないということで、非常に面白く聞かせていただきました。
ただいま藤森委員から、古典を学ぶ意味は何かということで御発言いただいたんですけども、私も、ある意味、根源的なことを考えておりまして、それはやはり日本の美意識であるとか、伝統的な価値観を学ぶということも挙げられると思います。
そのときに、例えば現代風にリメイクされた映画とかアニメなどと原典との比較というのは、高校生くらいにはすごく面白いんじゃないかと思います。つまり、原典が書かれた当時の美意識や価値観と、今はどのように異なっているのかということを比較させることで、伝統と今の両方を学び、また考えさせることができる。そこに通底しているものは何か、あるいは変わったものは何かということをテーマとして読ませて、まとめさせて、先ほどの、それこそ竹内委員の御発表ではないですけど、プレゼンさせるというのは、生徒にとっても、とても楽しめて、興味深いものになるのではないかというふうに考えます。
今たくさん、名前は挙げませんけれども、アニメで、日本の昔話をアニメにしたものが日本のみならず世界で非常に話題になっています。この辺りは、それこそ伝統文化の将来の担い手として、どんなふうに発展させていくのか、想像させていくのかということを考えましても、リメイク作品を通じて古典を探求させることは面白いのではないかと考えております。
【島田主査】 ありがとうございました。
続きまして、庭井委員、お願いいたします。
【庭井委員】 ありがとうございます。西委員、ありがとうございました。実践事例のところを拝見しておりますと、国語の教材の重要性というのももちろんあると思うんですけれども、いわゆる教材以外の多様な読書材とか、あるいは地域資料などが役に立つんじゃないかなと思いながら聞いておりました。
子供が日常的に言語文化に触れる環境としての学校図書館とか、あるいは地域の図書館が、もっと学習指導要領の中の言語文化に関するところで関連づけて記述されるべきではないかというふうに思っています。
例えば子供向けの回文に関する絵本を高校の図書館の司書さんがいろいろ集めて先生に提供して、大変面白い授業をつくっているというのを拝見したことがございます。あるいは、さっき御紹介いただいた地名とか、あるいは方言の面白さを、公共図書館の地域資料を使って授業が展開されているのも拝見したことがあります。
ちょっとこれは教えていただきたいというか、質問なんですけれども、西先生のいろんな御経験の中で、そういった学校図書館とか公共図書館とかと連携して、つまり、いろんな豊かな読書材を先生が授業のヒントにお使いになったりとか、子供が日常的にそれに触れたりして、活用するというようなこともあるのではないでしょうか。また、今日、先生が御紹介くださった指導とか、あるいは授業づくりに、図書館資料の活用も有効なんじゃないかなと私は勝手に考えたんですけれども、こういう環境づくりについて先生がどういうふうにお考えかなというのをちょっとお伺いしたいなと思いました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。
西先生、何かありますか。
【西委員】 特に23枚目、今、共有している1つ前のスライドのところが多分、非常に個別事例ではあるんですけれども、地名ということを一つ手がかりにしてみると、自分たちの居住地域が実は言語文化の中の一つである、地名そのものが既に歴史を持ったものであるというようなところに気づける。
これは通学区で調べてみると、また新しい子供たちの出会いそのものがあったりというような形で、高校生、中学生でやっても非常に面白い実践になっていますので、地域には素材がいっぱいあると思いますし、それを図書館で、どう資料として提示できるかというようなところは、学校図書館のほうの地域図書館との連携にもなってくるかと思います。
【島田主査】 ありがとうございました。
続きまして、竹内委員、お願いいたします。
【竹内委員】 ありがとうございます。2点ございます。
私、古文がとても好きだったので、西先生のお話はとても楽しい“授業”だったんですけれども、これ、今おっしゃっていたように、例えば小学校2年生、3年生だと町探検をしたり、4年生からは自分の自治体について学ぶので社会とも接続できますし、そのような生活科や社会とうまく接続できるといいのになというふうに思ったのと、あと外国語、藤森先生からもありましたけれども、やはり自国のことを自分のアイデンティティーとして伝えられるというところまでいけるといいのかなと。ですので、このように親しみ、理解した上で、自分の言葉でこれが解釈して伝えられるかですとか、こういうところが日本の古典って面白いんだよねということが人に伝えられるかとか、何か自分と他者との間での古典のやり取り、それがさらに海外の人たちに向けてもというところの視点が、さらに高校段階などで加わっていくと、より、「古典はそこまで興味がないんだけれども、でも自分の将来のためにも勉強しておこうか」という、そういう動機づけになるのかなと思いまして、お話を伺いました。ありがとうございます。
【島田主査】 ありがとうございました。言語文化の担い手として、学習者をどのように育てていくかということに繋がるお話かと思いました。ありがとうございました。
中嶋委員、お願いいたします。
【中嶋委員】 では、中嶋です。西委員、大変興味深く聞かせていただきました。どうもありがとうございました。
私からは1点、大きな部分での感想を述べさせていただきたいと思いますけれども、小中学校のほうの現場のほうを見ておりますと、子供たちはやはり現在、先ほど渡邉委員もおっしゃられたように、アニメとか、映画とか、本当にドラマとか、様々な部分で、かなり古典に関すること、日本の歴史的な文化のものに関する題材のものを見たりしていまして、興味・関心を持っている子というのは、もちろん個人差もありますけれども、結構いるかなというふうに思っております。
そんな中で国語の授業の中では、実際にやはり子供たちが一番大きく授業の中で感じていますのが、例えば『徒然草』でも、『平家物語』でも、『枕草子』でもそうですけれども、何年も前の昔の人たちも現在の自分たちと同じように、人のことを恋したりとか、季節に対する美しさを感じたりだとか、はかなさを感じるとか、そういうようなものがあるんだなということを実感しまして、そして脈々と繋がってきている日本の文化というものを感じたり、自分たちも今後に向けてそれを大事にしなければいけないというふうに思いをはせるような授業をしていると感じています。
そんな中で、やはり今後に向けて、ぜひ大事にできたらよいというふうに思いましたのが、渡邉委員がおっしゃっていた、皆様もおっしゃっていた、日本人としての価値観とか美意識というものをきちんと継承するような部分、あるいは竹内委員がおっしゃられたように、海外に行ったときに日本の文化ってこうなんだ、伝統の言語文化ってこういうものだというふうに伝えられるような何か素地というのはしっかり、小中、そして高の中で身につけられればいいと思っています。
また、西委員が具体的な実践事例というのをすごく出していただいて、それを私はとても興味深く思いまして、こういうような例が教科書・教材に載るにはどうしたらいいのだろうかということを感じながら聞かせていただきました。
感想として、まとまりませんが、以上でございます。
【島田主査】 ありがとうございました。
石井委員、お願いいたします。
【石井委員】 先ほどの竹内委員のご報告と併せて考えますに、言葉の学習は言語技術とリテラチャーで構成されるということでいうと、その後者に当たるところですね。文学とか人文学です。それが今回、言語文化と関係するのかなと思って聞かせていただきました。他方、竹内委員からのご報告は、大きくは言語技術に関わるということかと思います。
それでいうと、「文化」はカルチャーであって、カルチャーは教養とも訳されるわけですけれども、そう考えたときに、なぜ従来、言語技術とリテラチャーという形で対になってきたかというと、リテラチャーの部分というのは一つは美ですね。言葉といったものの美的側面に関わるということと、もう一つは、言葉によって人を育てていくという人格陶冶の側面があると思います。
言語文化といった場合に、今回、西委員のほうからも、日本語の音もそうですし、形もそうですが、日本語という言語との面白さや、言葉というものの面白さについて、様々実践のお話があったと思うんですが、これに関しては、まさに谷川俊太郎がかつて『にほんご』というテキストを作っていたかと思いますけども、そういったものに通じるものかなと思います。
一方で、古典ということに関わって、古文ではなくて、クラシカルのものというのは何かといいますと、これは重複教材があるということとも関係すると思うんですけども、あるいは音読、朗読とも関係すると思うんですが、結局古典は、読み手を試すんですね。
つまり、クラシカルなものって何かというと、読み手を試すテクストであると。だから、その読み手の力量に合わせて見えるものが違ってくる。なので、歴史を通して、ずっと読み継がれていると。そこがポイントかと思います。
ですので、それでいうと、かみ砕く経験とか、読み手が試される経験、何度も出会い直す経験、これがとても大事です。ちなみに、音読とか朗読というのも、もともと日本における素読の文化からきていると思います。つまり、読書百遍意おのずから通ずというやつですね。文は人なりでありまして、言葉一つ一つに書いた人の人生観とか世界観が詰まっているんですね。それを身体で全部つかみ切ると。
ただ、それは究極の在り方みたいなものにいきなり挑戦するという結構厳しさもあるわけで、暗唱といった形式よりも、テクストのかみ砕きや出会い直しの経験が重要だと思います。古典を学ぶということについて、私が高校の実践で興味深いと思ったのは、古典を学ぶのは人生の物語を学ぶんだという、そういう実践をされている先生がいらっしゃるんですね。漢文というのは、まさにクラシカルなものであったりするわけですけども、そこには人生の叡智が詰まっている。いわゆる進学校と言われているところで、成功の物語しか知らなくて、失敗の物語を知らない、そういう子たちにとっては、まさに失敗の物語を学ぶことによって人生生き直せるということもあったりするんですね。
ですから、古典を学ぶということについては、クラシカルなものを学ぶということの、ある種人格陶冶的な意味、かみ砕くとか、堅い文章を読むとか、その先に人生観が広がるみたいな、そういう経験も含めて考えていくことが大事なのかなと思ったりします。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。
松本委員、お願いいたします。
【松本委員】 西先生、ありがとうございました。
アイデンティティーの話がこれまで出ていたと思いますが、アイデンティティーについては、自然と、しみ入るように、子供たち、生徒たちに身についていってほしいなというふうに思います。
というのも、この間、漢文の諸子百家の高校の古典探究の授業だったのですが、それぞれ生徒が孔子、墨子、荀子とか、それぞれの思想家の立場になり切って現代の課題を議論するという、そういう授業を見させてもらいました。特に我が国のアイデンティティーというようなことは前面に出さないけれども、漢字圏のいろいろな思想家の立場になり切って、とても熱心に議論しており、アイデンティティーはこのような活動を通して自身を相対化する中で自然と身についていくのだろうなと思った次第です。
我が国のアイデンティティーを大前提として古典を大事に考えていくということではあるのですが、何かそういう子供たちが自身を相対化しながら熱心に活動できる取組を考えていくことが本当に大事だなと、今回の西先生の実践の事例も見させていただいた上で改めて感じたところでございます。
もう一点、足場がけについてですが、中学校から高校への段差というのを考えたときに、中学校サイドで高校に向けて何かできないかというところも少し考えられたらいいかなと思いました。
以上でございます。
【島田主査】 ありがとうございます。
石黒委員、お願いいたします。
【石黒主査代理】 すいません。発言遅くなりました。今、松本先生からもお話があったと思うんですけれども、アイデンティティーのことと、それから地域のこともお話にあって、すごく感銘を受けました。
やっぱり私たちが何に根差しているのかということを知り直すということが言語文化の意味であって、また、何か結局、文化というものは一つじゃない、いろいろあるということだと思うんですけれども、言葉という、そういうものを通して、いろんな世界を知るということができるということが魅力であって、その中にもちろん古典も中心としてあるわけですけれども、特に、やっぱりもう一つ柱としては、方言というか、地域性というものもあると思うので、その辺りもうまく言語文化の中に取り入れられていくといいのかなと思いました。
やっぱり人間が生きていく以上、同じ面と違う面って必ずあって、それを相互に理解していくことが大事かと思うんですけれども、先ほど、いろんな日本が今、多文化化していくという議論もあるわけですけれども、そうした中で我が国のというふうに、国語ですから、日本語のことが中心に据えられるのは大事だとは思うんですけれども、それぞれの人たちが、外国に繋がる子供たちもいて、そういう子たちも国語教育を受けて、それぞれ根差す文化やアイデンティティーを持っているということにも思いを致す必要があって、すごくそういうそれぞれが根差しているものをお互いが言葉を通して知る、そんなふうな授業とか、そんなふうな展開があると望ましいなと思いました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。
それでは、続きまして植木委員、お願いいたします。
【植木委員】 ありがとうございます。2点申し上げます。
大分、今まで出た御意見と重なるところもあるんですけれども、1点目は、藤森委員がおっしゃって、その後も複数の先生がおっしゃった、なぜ古典を学ぶのかという、その問題意識の重要性です。
今、非常に古典離れが進んでいるということが言われております。個人的なことを申し上げて恐縮ですが、私、大学の国文学科におりますけれども、国文学科の中でも、古典で卒業論文を書く人は少なくて、やはり近現代文学に偏っているという現状があり、また、そういう人たちが教員免許を取って中高で教えていくときには、どうしても古典を教えることに先生自体が何か苦手意識を持ってしまうというような、そういう悪循環というか、残念な状況もある中で、古典嫌だなって思うかもしれない、でも、じゃあ何で学ぶ必要があるのかという、そこから伝えていくということについては、先生方のおっしゃることにとても共感いたしました。
ただ、その古典を学ぶ、古典に親しむというところを強調したいがために、今までのご発言でも話題になりましたように、今と変わらないよねとか、これが日本人としてのアイデンティティーなんだといった方向が強調されがちなところがあって、それも大切ですけれども、それを強調し過ぎることには危うさもあるように感じました。
後のほうで松本委員や石黒委員がおっしゃったとおりで、私たちの価値観も多様な文化、言語文化の中の一つであるのだと客観視するということのほうが重要なのではないか。古典も自分と違う他者との対話として読むものであり、今の自分や日本というものを客観視していくというところが重要なのではないかと感じます。
2点目は、その古典嫌いを招く大きな要因として、文法の勉強のことが言われるのですが、今日の西先生のお話の24ページのところで、読解のための文法の有意味性を説くということをおっしゃってくださったのが、まさにそのとおりだと深くうなずきました。
文法というのは、それを学ぶことによって、より早く古文を読めるというだけであって、先ほどどなたかおっしゃったように、繰り返し読んでいれば、おのずと意は通じる、韋編三絶というのが一番いいのですが、文法の勉強は限られた時間の中で読めるようになるための一つのツールであり、いい手段であるということだと思います。それなのにそれを嫌ってしまうのはもったいない気がするので、この文法を学ぶ意味を説いていくということ、非常に感銘を受けました。
以上、2点です。ありがとうございました。
【島田主査】 どうもありがとうございました。
最後になります。児玉委員、お願いいたします。
【児玉委員】 どうも御発表ありがとうございました。大変興味深くお聞きしました。
今回の西委員の御提案の肝は、小中の「親しみ」を高等学校のスタートの時点にも入れ込むことで中高の接続をスムーズにするということが趣旨だったと思います。ですから高等学校は全て「親しむ」でよいではもちろん多分なくて、そういった点で今回は、非常に重要な提案をしていただいたというふうに思います。中高の段差を埋めるという意味ですね。
もう一つは、いろんな方からも御指摘あったように、まさにその古典を何で学ぶのかということを考えますと、これ結局、今、海外の子がたくさん入ってくるような状況の中で、日本の言語文化はどんな歴史をたどってきたのかということだけではなくて、これが世界の中に位置付けたときにどういう価値を持っているのかということに気付く、こういう学習が必要になってくるんだろうと。
そういう意味で、今までの古典の学習というのは、どちらかというと日本人のための日本人の中で文学史を上代から順番にたどっていくような、中学校もそうですけれども、そうなっていたように思うのですが、世界から見ると日本の古典ってどうなんだということが教科書上で必ず単元化されていくような、そういうふうなアングルを必ず、そこの言語文化の高等学校には入れていく、中学校でもできる範囲で入れていくというような、そういう諸外国から見た日本の古典、言語文化というふうなアングルの教材化というのが今後求められる。そのことによって、さっきいろいろな御指摘のあった、そのアイデンティティーの問題等もクリアされていくのかなと思って聞いておりました。
以上です。
【島田主査】 どうもありがとうございました。
それでは、お二人の御発表並びに先生方の御意見、御感想、御質問のお時間はここまでとさせていただきたいと思います。
御発表いただいたお二人の先生、どうもありがとうございました。
竹内委員のお話では、国語で学ぶ話すこと・聞くことの内容とは一体どういうものなのかというようなこと、また西先生の御発表では、なぜ古典を学ぶのかといったようなこと、どちらも根源的かつ重要な問題に触れていただいたかと思います。
また、お二人の御発表、小・中と高校との接続をどういうふうに考えていったらいいのかというところで、共通の大切な問題に触れていただいたかと思います。
委員の先生方からは多くの実践の事例も挙げていただきまして、大変に示唆に富む時間になったかなと思います。
本日御発表いただいた内容、また先生方の御意見については、次回以降の審議に当たって、また活用させていただきたいと思っております。
時間、少し過ぎました。本日の議事は以上とさせていただきます。
最後に、次回の予定について事務局よりお願いいたします。髙見さん、お願いします。
【髙見主任教育企画調整官】 次回の予定でございますが、4月上旬を予定しております。正式には後日連絡をいたします。よろしくお願いします。
【島田主査】 それでは、以上をもちまして閉会といたします。本日はどうもありがとうございました。お疲れさまでございました。
―― 了 ――
初等中等教育局教育課程課教育課程第三係
電話番号:03-5253-4111(代表)