令和7年10月24日(金曜日)15時30分~18時00分
WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式
【島田主査】 定刻となりましたので、ただいまから、第2回国語ワーキンググループを開催いたします。
進行資料を御覧いただけておりますでしょうか。進行資料のとおり、本日は、小中高等学校の系統性の整理に関する検討の方向性、国語科を通じて育成する資質・能力の在り方・示し方の2点について御審議いただきます。まず、議題(1)について、事務局の説明と、3名の委員の先生方から御発表をいただき、5分間の休憩を挟んで意見交換を行います。その後、議題(2)について、事務局の説明と意見交換を行います。
本日の流れの御説明は以上となりますが、議題に入ります前に、前回の第1回国語ワーキンググループに御欠席でいらっしゃいました庭井委員より御挨拶、御発言をいただきたいと思います。庭井先生、3分以内でよろしくお願いいたします。
【庭井委員】 皆様、こんにちは。青山学院大学教育人間科学部の庭井史絵と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私立の中学校で専任の司書教諭を18年間務めた後、2019年度より現職でございます。専門は図書館情報学で、特に学校教育の中で図書館がどのように学びを支えるかという点に関心を持って研究をしております。
大学では、司書教諭や学校司書の養成に関わりながら、教員や児童生徒が情報をどのように集めて、読んで、活用して、学びに生かしていけるかといったことを調査しております。また、フリースクールなどの地域の子供の居場所における読書環境の充実や、保育現場における読書教育の実践知を継承するような仕組みづくりにも関わっております。
一方で、国際図書館連盟、IFLAと申しますが、学校図書館部会の常任委員として活動しておりまして、ユネスコと共同で改訂された学校図書館マニフェスト2025の策定と翻訳にも関わってきました。新しいマニフェストでは、学校図書館を、全ての学習者に公平なアクセスを保障し、リテラシー、批判的思考、創造性を育む学びの中の中核的拠点として位置づけ、単なる本の保管場所ではなくて、情報と学びを結ぶ教育的インフラとして、包摂的で探究的な学びを支える場として位置づけているところです。
このような経験から、今回、国語科のこのような会議に参加させていただくに当たって、3つの点で貢献できればいいなと考えております。
1つ目が、学校図書館を、言語活動を支える教育的インフラとして、単に資料提供する場というのではなく、児童生徒が情報を探したり、読んだり、比較したり、表現したりする学びの基盤というふうに位置づけられないかということです。国語科の読むこと、書くこと、話すこと、聞くことを支える実践的な環境として、学校図書館を教育課程の中に組み込むことができればなと考えております。
第2に、包摂的な読書環境の整備ということになります。論点整理でも指摘されていますように、家庭の蔵書数とか学習機会の格差というのが子供の読書体験に影響を与えているという現状を踏まえまして、全ての子供に開かれた読書機会を学校で保障する必要があると考えております。IFLAの先ほど申し上げたマニフェストの中でも、社会的・経済的背景や言語・障害の有無を超えて、全ての子供に学習機会を保障するという意味で、公平性、イクオリティというのを重視しております。論点整理で言及されている「裁量的な時間」とか「余白」といったキーワードも、読書や自主的な探究に充てる時間として制度的に位置づけられたらな、そういうことも大切だなと考えております。
最後に、読書と情報活用をつなぐ力の育成という観点です。デジタル環境が急速に変化する現在、情報の信頼性を吟味して、他者の意見を読み解き、自らの考えを形成する力を育むということが欠かせないと思います。大切なのは、学校図書館「または」インターネットを使ってというふうに両者を並列するのではなくて、学校図書館を通して本やインターネット、新聞や映像、またはデータベース等々多様なメディアに出会い、それらを行き来しながら学ぶというふうに捉えられないかと思っております。
以上、簡単ではございますが、学校図書館が全ての子供にとって学びの入り口となって、思考を深める場となるように、この会議でも発言をしていきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
【島田主査】 庭井先生、どうもありがとうございました。お話しいただいた3つの点、いずれも重要なことかと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、議題に移りたいと思います。議題(1)について、事務局より説明をお願いいたします。
【髙見主任教育企画調整官】 主任教育企画調整官、髙見です。
まず初めに、資料1を御覧ください。本日の議題ですけれども、こちら1ページ目に記載のとおり、議題(1)として系統性の整理、議題(2)として資質・能力の在り方・示し方を考えております。
まず初めに、第2回以降の議論の進め方のイメージを説明します。2ページ目を御覧ください。こちらは、今後の本ワーキンググループでの審議を経て表形式で示すことになる学習指導要領全体の構成イメージとなっております。
まず、本日の議題(1)といたしまして審議いただきたいのは、内容のうち思考力、判断力、表現力等の再整備についてです。その中でも、思考力、判断力、表現力等に関する目的、領域、学習課程について検討いただければと存じます。
また、議題(2)として扱うのが、上の部分ですけれども、目標の部分となります。
なお、論点整理では中核的な概念等として整理されていた高次の資質・能力である思考力、判断力、表現力等の総合的な発揮と知識及び技能に関する統合的な理解を含めた知識・技能の内容につきましては、第3回以降で扱う予定です。
3ページ目を御覧ください。議題(1)、小中高等学校の系統性の整理に関する検討の方向性について本日御審議いただく論点としては、論点1として、各領域の学習課程の再整理、論点2として、発達段階に応じて扱う話や文章の種類の系統性の再整理、この2点となっております。
4ページ目を御覧ください。初めに、論点1、各領域の学習過程の再整理について説明いたします。左側が顕在化している課題、そして、右側が改善のイメージとなっておりますが、具体のイメージにつきましては、5ページ目の論点1の補足イメージを御覧ください。
まず、この上の部分でございますが、現行の学習指導要領において、思考力、判断力、表現力等の学習過程が、「話すこと」、「聞くこと」、「話し合うこと」、「書くこと」、「読むこと」となっておりますが、そのために、教師や児童生徒にとって、それぞれの領域の学習は個別のものと意識され、各領域の学習を関連付けて学びを深めることが難しい実態が見受けられます。
そこで、下の図の部分でございますけれども、各領域の学習過程を再整理したたたき台の案を示しております。このように再整理すると、「話すこと」、「聞くこと」、「話し合うこと」、「書くこと」、「読むこと」のそれぞれの資質・能力に共通する要素や異なる要素が意識できるようになるものと考えております。そして、このことによりまして、教師にも児童生徒にも各領域が明確になり、例えば、「書くこと」の領域の考えの形成の学習過程で学んだことを、「話すこと」の領域の考えの形成の学習過程でも生かしていくという、各領域で学ぶ内容が複数の領域で活用されていくことを促し、資質・能力の概念としての習得や意味理解を含む深い学びの実現につながっていくのではないかと考えております。
なお、6ページ目にございますとおり、この再整理は、前回の学習指導要領改訂時の審議資料を参考に作成しているところでございます。
続きまして、4ページ目にお戻りください。論点2として、発達段階に応じて扱う話や文章の種類の系統性の再整理について説明いたします。
課題として挙げている内容につきましては、具体的には7ページの表を御覧いただければと存じますが、こちらは現行の学習指導要領の思考力、判断力、表現力等の各領域の(2)で示している言語活動例と、学校段階等に応じて扱う話や文章等の種類の例の概略を示したものとなっています。
このように整理して見直してみると、各領域の言語活動例の種類の示し方が、「話すこと」、「聞くこと」、「書くこと」、「読むこと」で異なっていたり、各学校段階間で異なっていたりすることが分かるかと思います。このようなことから、児童生徒たちが様々な学習活動に取り組んでいたとしても、その際に各活動で扱っている話や文章の種類を関連づけて学び深めることが難しいという実態ですとか、あるいは、目的を意識せずに文章の種類ごとに活動を細分化して指導する実態が見受けられるところでございます。
そこで、8ページの表を御覧いただければと存じますけれども、思考力、判断力、表現力等を育成する際に扱う話や文章の種類について、学校段階等に応じて系統的に整理できないかと考えております。この再整理の表は事務局で作成したたたき台でございますが、実社会で話したり書いたりする際の目的を仮に情報の伝達、他者の説得、感動の共有など、聞いたり読んだりする際の目的を仮に情報の獲得、他者の主張の吟味、感動への共感などのような目的に整理し、それらの目的ごとに話し合う文章の種類の例を系統的に示してはどうかと考えております。
このように再整理してみますと、異なる領域で扱う話や文章の関連が教師にも児童生徒にも明確になっていくのではないかと考えているところでございます。
例えば、情報の伝達、情報の獲得という目的で整理した場合には、「話すこと」、「聞くこと」、「書くこと」、「読むこと」で扱っている話や文章の種類には、紹介や報告、説明などが多く見られ、その共通点が明確となります。領域は違っていても同じような話や文章の種類を扱っていることが明確になっていくのではないかと考えております。
このような整理を先生方が意識して、自覚しながら、領域同士の関連性を意識して授業づくりを行うことができるようになれば、例えば、「読むこと」の領域で学んだ物語に関する知識等を「書くこと」の領域で物語を創作する際に生かすような学習が考えられますが、目的と領域を掛け合わせて話し合う文章の種類を系統的に示すことで、領域相互の関連が一層明確になり、深い学びの実現につながっていくのではないかと考えております。
また、古典に学ぶ欄におきまして、古典に親しむことを目的として知識・技能の(3)で扱うというふうに記載しておりますが、こちらの内容につきましては、第3回、次回の知識及び技能を扱う中で協議する予定にしておりますので、その際にまた御意見をいただければと存じます。
なお、4ページに戻りますけれども、こちらの論点2の改善のイメージに米印で示しているところでございますが、実際には目的を複数有する話や文章の種類も多数あることを踏まえて、新たな整理が、教材や実践の制約とならないように留意する必要があると考えております。
また、同じく4ページの下の部分、四角囲いのところに、知識及び技能の事項について記載しておりますけども、こちらについては、冒頭申し上げたとおり、次回以降検討していくこととしておりますので、本日は参考として御覧いただければと存じます。
本日は、(1)の議題として、これらの論点1と論点2について御審議いただくことを通して、各領域の学習過程と発達段階に応じて扱う話や文章の種類の系統性の再整理を進めていきたいと考えております。
次期学習指導要領におきましては、領域間の関連を分かりやすく構造的に示すことで、「話すこと」、「聞くこと」、「書くこと」、「読むこと」の領域で学ぶ内容が、各領域の固有のものとして認定されるのではなく、複数の領域で活用されることを促し、領域相互の関連を一層明確にしていくことで深い学びの実現につながっていくことを目指しておりますので、そのような視点から、本日は委員の皆様に御審議をいただければと存じます。
議題(1)の説明は以上となります。
【島田主査】 ありがとうございました。
それでは、続いて、本日の議題に関して3名の委員から御発表をいただきます。石黒主査代理、犬塚委員、渡邉委員、3名の先生方に、それぞれ15分程度で、事務局の検討資料に加えて、議論に資する内容等について御発表をお願いしたいと思います。
では、まず、石黒先生からお願いいたします。
【石黒主査代理】 委員の石黒です。時間もないことですし、なるべく簡潔に考えを伝えていきたいと思います。
私に課せられた課題は、国語教育の枠組みを考えるということだと理解しました。先ほど髙見調整官のほうから御説明がありましたけれども、そのような系統性の整理というものと共通点や相違点なども考えながら、これは私が勝手に考えたものですので、比べていただければと存じます。
国語教育というものを改めて考えた場合ですけれども、私自身は、言語技術教育という言語の運用に関わる側面と、それから、言語文化教育という文学とか文化とか鑑賞というか、教養・感性に関わる側面とがあると考えます。これは別に特に目新しい考え方でもありませんで、国語教育というものが始まってからずっと、このような言語技術教育のことを単純化すると言語教育、言語文化教育を象徴的に表すと文学教育という言葉になると思うんですけれども、その両者のせめぎ合いと書きましたけれども、両者がつながりながら展開してきたということになるんだろうと思います。
私自身の立場としては、やはり国語教育というものが当然材料が必要なわけで、そのような子供たちが優れたコンテンツに触れるということ、これは言語文化教育と関わるわけですけれども、それに基づいて言語運用力を養うこと、これは2本柱であって、どちらも重要であると考えております。前回の学習指導要領において、この2本柱が明確になったということは、ぜひ維持・継承していきたいと考えるものです。
私自身は、専門が日本語教育、海外の方に日本語を教えるような、そちらが専門ですので、言葉の運用、言語技術教育の立場から議論を進めてまいります。
まず、言語技術教育の立場から考える国語科の目的なんですけれども、2つあると思います。一つはコミュニケーション力の育成、もう一つは思考力の育成です。子供たちの生きる力、とりわけ社会参加能力を、言葉の力をつけることによって育成するところにあると考えます。
前者の言語によるコミュニケーション力ですけれども、これはよく言われるように、四技能、すなわち「読む」「書く」「聞く」「話す」という力を指します。
一方、思考力というものは、実はコミュニケーション力と同等、それ以上に重要だと思われるもので、私たち、特に日本語を第一言語とする者は、言葉を日本語を使って考えて、それを形にしていくわけです。その自分の考えというのは、頭の中にありますので目にすることはできないわけですが、「書く」とか「話す」という形にすれば言葉になりますし、また、「話し合う」という活動を通して私たちがお互いに共有することができます。そうした視点で考えると、「考える」ということは、言わば頭の中での「話合い」であると考えます。
したがって、国語科においては「読む」「書く」「聞く」「話す」「話し合う」(=「考える」)の5要素が必須になると考えております。
もう一つ、国語教育を大局的に考えていく上で大切なのは、連続性であると思っています。
2つありまして、1つ目の連続性は、ちょっと難しげに書いてありますけれども、子供たちが大人になったとき、社会に参加して力を発揮していくわけですけれども、そうした言葉の力を最終的に身につけられるような、そういった教育の連続性ということになります。もちろん学習指導要領自体は、小中高とその中での教育の流れを規定するものなわけですけれども、もちろんその以前から言語教育というのは始まっていますし、また、大学で、そこでもアカデミックなものを学び、そして、社会に出てビジネスのものを学びという形で、そうやって実際に成人して私たちが社会に出ていったときに、生きる力として役立てるもの、それをこのような小中高の12年間に学ぶということになるんだろうと思います。
具体的には、大人になったとき、例えば、いろいろ私たちが生活のことについて発信する、ブログであるとか広告であるとかあると思いますけれども、物語文ととりあえず書きました。また、アカデミックな内容については、論文、意見文という形で発信されるでしょうし、また、ビジネス、もちろん官公庁の言葉や病院の言葉だってそうですけれども、説明文という形で、分からない人にも適切に伝えるという能力、3つの能力が必要になってくるだろうと考えています。このような大きな12年間の続いていく流れとして、私たちは把握するほうがよいのではないかと考えます。
それから、第二の連続性ですけれども、これは歴史的連続性であって、今は生成AIの急速な発達によって、先行き不透明な時代になりつつあると考えますけれども、こんな時代だからこそ、昔を振り返ってみる必要があると思います。明治期以降、私たちが大事にしてきたもの、それは「読む力」と「書く力」であるわけですけれども、そうしたものは実は一貫して変わっておりません。ですから、これからもこのように私たちが大事にしてきた基礎的な力というものをまずきちんと根底に据えて、「変化に強い教育」を目指す必要があると考えます。
こちらは言語活動の分類ということで、ちょっと現代的なデジタルデバイス、すなわちスマホとかいろんなものが出てきて、そうしたツールによって私たちの言語生活は大きく変わっているわけですけれども。ですから、昔のような単純な話し言葉と書き言葉の対立だけでは捉えられない、一方向的なのか、あるいは、相互にやり取りがある、キャッチボールのある双方的なものなのか、こんなふうに今私が事前に準備をしてきて発表しているような計画性の強いものなのか、あるいは、その場で考えながら話を紡いでいく即興的なものなのか、そうした多様な視点を組み合わせることによって、私たちの言語技能というのは今まで以上にいろいろなものが求められていると思います。ただ、時間もありませんので、こうしたものがあるということにとどめます。
これからは、まずコミュニケーション力の根幹である「読む」「書く」「聞く」「話す」について簡単に説明してまいります。
まず、「読む」ということを考えた場合に、私は4つの視点を示しました。これはもちろん犬塚先生がこれから御説明くださいますので、そちらに詳しくは譲りたいと思いますけれども、簡単に申し上げます。
まず、基本的なものとしては、もちろん書かれてあることを正確に読むということ。そしてまた、書かれてあることをヒントに、書かれていないことまで行間を読むと申しますか、深く読むということ。
そして、それだけでは今の時代とどまりませんで、例えば、インターネットにおける多様な記事に対するコメントなどを私たちが目にしたときに様々な感情が湧いてまいります。しかしながら、そのようないろいろな発信に対して、私たちがすぐに熱くなってしまわないで、冷静かつ分析的に読んで、むしろ勝手に書いていないことまで読み込んでしまわないような冷静な見方、ネガティブ・リテラシーと書きましたけれども、そうした読み方も大事になってくると思います。
また、当然私たちは、先ほど御説明にもあったように、「書く」と「読む」というのは連動しておりますので、書くために読むという側面もあるだろうと思います。書いてあることを批判的かつ主体的な視点から読んで、自己の表現活動に生かしていくというような創造的な読みというのも大事になってくるだろうと思います。
同時に、私たちの考えるという力の基底となる読解力とか語彙力というものは当然大事になっていきますので、同時に質だけではなくて量、つまり、読書を積極的に行う仕掛けというのを施していくことも同時に大事だろうと思います。
次に、「書く」ことです。こちらも後ほど渡邉先生が詳しくお話ししてくださると思います。
「書く」という活動、これは本当に多岐にわたるわけですけれども、このような活動をなるべく分かりやすく整理して示すということがまず第一に重要だと思っていて、そのためには、まずジャンルというものをどう考えるかというものが大事だろうと思います。
その上でなんですけれども、私自身が書くということで大事だと思っているのは、プロダクト、つまり、書かれた結果、私たちは普段、今パワーポイントのスライドを提示していますけれども、このように文字にした結果というのが大事だろうと思うわけですけれども、これは実は教育にとって本当に大事なのは、書いた結果ではなく、この文章がどのように子供たちによって作られていったのかという、その一段階一段階のプロセスにある。教育というのはプロセスを教えるところだというふうに考えております。
したがって、ちょっと粗いまとめですけれども、まず自分の考えというのを言葉という形にする、よく言語化と言われますけれども、まず形にしてみる。形にしたものを私たちの頭の中で、あるいは、メモの形でそれを構造化、整理してみる。さらには、それを知らない人に伝えるという、分かるように分かりやすく示すという、その3段階をまず基本的に想定する必要があるだろうと思います。
生成AIの全盛の時代だから、私たちは書くことが少なくなるのかなという考えもあるかもしれませんけれども、実は、生成AIの時代だからこそ、書くことに力を入れる教育が大事と私は考えています。
今日、私は本当は書くということについて深く語りたいと思うものでして、もしお時間が許すならば、もう一度書くということについて話すチャンスを与えていただければ、いつかそういう機会を与えていただけたらありがたく存じます。
と同時に、今回渡邉先生のお話を伺うのを私は非常に楽しみにしていて、やはり考えるということは、いろいろなそれぞれの人の主体性、あるいは、社会というもの、様々なものによって規定されていきますし、また、論理というのも一つのものではありません。そうしたような私たちが人間らしく論理を積み重ねていくということが実は大事だと考えていて、その辺りは次のお話で伺いたいと思っております。
また、先ほどの「読む」ことと同時に、やはり「書く」ことというのも圧倒的に足りていないと思います。これからは私たちが発信する、自分の頭で考えて発信していくということが、この時代、今まで以上に国際的に見ても大事な時代になってくるだろうと思います。ですから、明確に書くということを位置づけて、積極的に書く時間数まで決めて、書かせていくことが肝要だと私自身は考えます。
それから、3つ目、「聞く」ということなんですけれども、「聞く」というのは一体どういうふうに授業にしてよいのかと結構迷ってしまうところがあると思います。いろんな「聞く」というところがあると思うんですけれども、相手に寄り添うとか、そういうことも大事だろうと思うんですけれども、今回は、話している人の話のポイントを聞き出し、また、話の流れを追って記録すること、これがまず私たちの「聞く」の基本ではないかということで、学校教育においてそれを考えるために、具体的なプログラムを3つ、仮に示してみました。
1つは、ノートを取るという活動です。これは実は他教科でも結構大事なわけですけれども、ノートを取れない子供たちが最近増えているように聞きます。耳から聞いて、難しい言葉、理科とか社会とかは専門用語も多いわけなんですけれども、そういうようなものをきちっと語彙力によってつかまえて、また、話の流れ、そして、話の要点というのをきちんと書き留める能力、これは非常に大事だろうと思います。それによって、自分の考えを整理することにもつながると思います。
また、議事録の作成というのは、これは本当に大変な作業だろうと、いつも文科省の皆様のことを見ていて思うわけですけれども、このように、いろんな発言が流れていく中で、それぞれの発言者の趣旨・意図というものをどういうふうに捉えて、話合い自体がどのように流れていき、そして、その話合いの流れの中心を成すような筋道というのがどうなっているかということを把握するということも、また非常にある種創造的な活動であろうと思います。
また、一対一で相手から話を聞き出すよい聞き手になるということを考えると、子供たちもよく社会科なんかでそういうようなインタビューということを小学生段階でもすると思うんですけれども、実はこれは結構難しいことだと思います。このように、準備をして相手の話を引き出すということも、また「聞く」において大事なことだろうと考えます。
それから、最後、「話す」になりますけれども、「書く」というのと同様に、「話す」ということも活動の体系化が必要であるだろうと思います。ちょっと時間がないので短く申しますと、文化審議会国語分科会が2018年にまとめた報告なんですけれども、私も関わっておりますが、分かり合うための言語コミュニケーションというものがございます。これは、次に書いてあるように、「正確さ」「分かりやすさ」「ふさわしさ」「敬意と親しさ」という4つの観点から、異なる背景を持つ者同士が情報や感情を適切にやり取りし、相互理解を深めていくという技術を示したものです。こうしたものも参考になるでしょうし、いろいろな形で「話す」ということを整理していく必要があるだろうと思います。
最後、これはコミュニケーションのほうではなくて、思考のほうになりますけれども、「話し合う」ということです。話し合うということは、目の前の相手に伝えるということなんですけれども、つまり、私自身は、考えるということは対話であると思っています。私たちの考えというのは簡単に形になるものではありません。そのような時間もかけて、段階を追って、少しずつ徐々に形にしていくということが大事なんだろうと思うんですけれども、それでこそ言語化教育というものになるんだろうと思います。
まず、私たちは自分との対話もしなければいけない。つまり、自分の頭で考えて、考えた内容をメモにしたり、一生懸命脳の中に汗をかいて形にしていく。同時に、私たちが様々な資料というのを集めてくるわけですけれども、そうした収集した資料と向き合って、自己の考えを深めていく。
あるいは、他者との対話ということで、例えば、教室の中でアクティブ・ラーニングの一環として、グループの中で話し合うということを行って、お互いに自分が考えたことを友達同士と共有する、そして、自分の考えを第三者の目から批判的に検討してもらって、その改善を図る。もちろん、最近ですと生成AIというのが壁打ちの相手になったりすることもあるでしょうけれども、それも他者と言えるのかもしれませんし、ああいう生成AIが対話の形式を持っているということも、実はそういう対話の重要性を暗示しているのかもしれません。
そして、最後、そうして私たちが一つ一つ紡いできたもの、子供たちが紡いできたものを教室全体で共有して、さらにフィードバックを得て完成していくというような、結局私たちは考えていることを外部化し、そしてまたそれを内部化していく、そういう見えない相手も含めた対話というものを通して私たちの思考力が鍛えられているということを最後に強調しておきたいと思います。
以上、私の言語技術教育という観点から、もう一つ、言語文化教育も大事だということも申し上げましたけれど、その言語技術教育という観点からすると、他者とのコミュニケーションをするコミュニケーション力と、そして、私たちの頭で新たなことを創造していく思考力の育成、この2つが重要であって、コミュニケーション力の育成では「読む」「書く」「話す」「聞く」という学習項目の整理と体系化、それを具体的な活動として落とし込んでいくことが必要であり、一方、私たちが考えを深めるというところですと、私たちの基軸の言語、つまり、第一言語である国語というものを通して、深く具体的に主体的に考える力というのを子供たちが形成していくこと、それを支援していくことが大事だろうと思います。そして、子供たちが対話をするという力を得て、考える力と考えを言語化する力というのを育んでいきたいと思います。
最後に、子供たちは本当にいろんな負担を強いられていると思いますので、高い目標はもちろんあるんですけれども、無理をさせず、でも、何よりも子供たちが主役の楽しい教育ができればと思います。そのためにも、これだけは必要なんだという必要最小限の枠組みを示して、子供たちが主体となれるような表現の教室をつくってまいりたいと思っております。
最後は参考文献になります。
以上です。
【島田主査】 石黒先生、どうもありがとうございました。広く枠組みについてお話しいただきました。「考えることは頭の中での話合いである」といったような御発言、大変考えさせられました。
続きまして、犬塚委員よりお願いいたします。犬塚先生、御準備できましたら、お始めいただいて結構です。
【犬塚委員】 犬塚です。よろしくお願いします。
今、資料の共有をいたしますので、少々お待ちください。
石黒先生のお話で言うと、準備型のはずなのに、あんまりちゃんと準備ができていなくて申し訳ないんですけれども、資料の2ページ目と3ページ目がほぼ同じ内容で、私、1ページ削除しようとして忘れていたのに気がつきました。皆さん、適宜そのように見ていただければよろしいかなと思います。大変申し訳ありません。
共有ですけれども、皆さん資料を御覧になっていらっしゃいますでしょうか。大丈夫でしょうか。ありがとうございます。では、私のほうから一つ話題として御提供したいと思います。
私は心理学者で、特に教育心理学、認知心理学が専門ですので、文章理解のプロセスということで、一つ、皆さんが御検討される際の参考情報を提供できればと考えました。
石黒先生のお話からいくと、私も言語技術という側面からのお話がメインになるかなと思います。「読む」ことに関わる情動的側面についての研究ももちろんありますけれども、今日は、あまりそちらについては触れません。
文章理解のプロセスというふうに書いたんですけれども、「読む」ということを心理学はどう捉えているかというと、読むというのは、頭の中にまとまりのある「表象」をつくり上げることであると捉えます。「表象」って何だというふうに捉えていくんですけれども、読んで理解するというのは、書かれている情報を使って頭の中にそれを再現することであると捉えます。また、「頭の中に再現する」というのは若干比喩的な表現ですけれども、つなげて整理することと定義をしています。
このように考えていますので、心理学の観点からは、2つ、「読む」ことと「聞く」ことというのがかなり似たようなプロセスであると捉えます。最初に使う情報が音声的なものか、それとも文字という情報を使うかで大きく違っていますので、初歩の段階ではかなり違うことをやっているわけですが、意味の段階に入ってきますと、やっていることは、聞いて理解することも、読んで理解することも、頭の中に情報をつなげて整理していくということができるかどうか、そういうふうに捉えているということです。この点については、また後でも少し触れたいと思います。
では、何でそういうことになるかというと、非常に古典的な研究ですけれども、今でも認知心理学、教育心理学の基本的な考え方として、人間の知識構造というのはネットワークになっているということが基本的な前提になっています。これは脳に関する神経科学の結果とも整合的ですけれども、頭の中には様々な情報がネットワークになっていて、ある情報が活性化される、例えばその単語を聞くとか読むと、この情報が活性化されると、それとつながっているところに活性化がつながっていく、言ってみれば、連想されるということが起こります。
ですので、この人の頭の中の場合は、赤と聞いたら、ほかの色、青とかピンク、それから、今色はついていませんが、バラのような花の名前ですとか、ちょっとつなげていないですが、火というのがつながっていれば、火というのが思い出されたりするということです。そこでつながっていきますと情報は思い出されるんですが、例えば、ここで言うと、道路とかバスのような情報は、この人の頭の中のネットワークではつながっていませんので、非常に思い出しにくい状態になっていると考えます。
つながっている情報は思い出される、つながっていない情報は思い出しにくい。忘れたと思っているんだけれども、言われてみれば、そうだったかもと思い出せるというのは、言ってみれば、本当は頭の中にあるけれども活性化し損ねた情報があるんだというふうに捉えるということです。
この人間の知識構造というのがネットワークになっているというところから考えますと、よく言う、理解が不十分だという状態はこんな感じになっていて、重要な概念とその特徴、あるいは、具体例というのが適切につながっていない。つながってはいけないもの、ここで言うと、Aの具体例とBの具体例というのが、何かよく分からないけどつながっているというような状態になっていること、例えば、問題を教えているときに、児童生徒が表面的な特徴だけを捉えて同じ解き方をしようとすることがありますが、それはこのように、本来概念としては別個なんだけれども、表面的な特徴が似ているためにつながってしまっているというような状態です。
一方で、理解が十分な人の頭の中を見てみると、こんなふうになっているだろうと。適切に上位概念とか、その特徴であるとか、具体例というのが位置づけられている状態ですね。深い理解というふうに言ったりしますけれども、深い理解というのは、心理学的に考えますと、このように概念が適切につながっており、よく整理された状態になっていることだと捉えます。
この理解というのは、頭の中に情報をつなげて、それで整理しておくことなんですけれども、その中にもレベルがあるだろうというふうに考えます。レベルというのを読解の観点から言いますと、3つのレベルがある。一番浅いレベルというのは、表層レベルというふうに呼んでいて、意味まで行っていない状態、丸暗記の呪文のような状態。書いてある情報について理解した表象のことは、テキストベースと呼んでいます。一方、そのテキストベースの情報に学習者自身の知識であるとか推論した内容というのが加えられると、それは状況モデルと呼ばれます。知識を応用場面に用いることには、この状況モデルが必要だということが分かっています。
先ほどのお話では、思考というのは対話であるということが私も大変印象的でしたけれども、こうした文章理解の観点から言うと、思考というのは推論することだと言えるかもしれません。推論し、自分自身の知識と読んだ内容、新たな情報を結びつけることというのが思考の一側面であると言ってもよいかと思います。
では、読んで理解するプロセスはどんなふうになっているかというのをざっくりと見てみますと、まずは、文字の視覚的な分析から始まり、語彙を把握し、単語間の関連を読み取って、文章全体の理解表象をつくるということになります。
先ほどお話しした、聞いて理解するというときには、この初めのほう、形態から記号へ、そして語彙を認識するという辺りの処理がかなり違うものになっています。
ワーキングメモリという言葉も最近よく知られるようになってきましたが、私たちが情報を処理する際に用いることのできる認知的なリソース、これは限りがあるということが知られています。子供の場合は、特にこのリソースが小さい。ですので、文を読んで理解するプロセスの中で負担が大きくなりますと、このワーキングメモリの基盤では支えられなくなるので、理解に失敗するということが起こります。
こういった情報を分析していくプロセスだけではなくて、私たちはそもそも知っている知識というのを使って、このそれぞれのステップというのを言ってみれば補佐していく、あるいは、方向づけていくというようなことをやっています。詳しくはまたどこかでと思いますけれども、知っている情報によって処理する情報を限定したりですとか、連想された内容というのを使って推論していったり、あるいは、その推論というのを意識的に行ったり、やめたりというようなことを、長期記憶に入っている知識を使いながらやっていると考えます。この影響も、当然のことながら、ワーキングメモリの制約を受けるというわけです。
基礎的なところからステップを見ていきますと、まず初めに、人が文章を読んでいるときの視線の動きというのがかなり特徴的であるということが知られています。一文字ずつ私たちは注目しているわけではなくて、意味のありそうな要素に素早く目の注視点というのを移すという動きをしています。次に重要そうな単語のところまで、また目を素早く動かす。読み返しがあるというときには、元に戻ったり、また次に進んだりというような動きをして、私たちは読んでいるわけです。
ということは、私たちが読むというときには、そもそもどういうところに意味がありそうかとか、何が重要な部分かということを知っているということになります。意味がありそうな要素というのが分かるためには、そもそも語彙が必要で、読んでいるときには一文字ずつではなくて、単語の塊を認識するというスキルが必要になってきます。この単語の知識、それから、それを使ってどんなふうに目を動かすかという純粋に技術的な部分ということが組み合わさって、私たちはすらすら読むということができるようになっていると考えられます。すらすら読むということを、流暢に読むとか、読解時の流暢性と呼んだりしています。
一般に、すらすら読めればその先まで行けるでしょうと思われる先生方もいらっしゃるんですけれども、そのようにはできていませんで、流暢性というのは読解を支える要素にはなるけれども、十分条件ではないということが分かっています。
これは比較的新しいフィンランドの研究ですけれども、PISAの成績を使って、読解成績が非常に低い人と、今言ったようなすらすら読むというスキルが十分にあるかどうかということで、下位10%とそれ以外ということで4分割表にしてみますと、両方駄目な人もいるし、流暢性が駄目な人というのもいるんだけれども、流暢には読めるけれども文章の理解ができないという人もいる、それが6.6%いるということが分かっています。
ここから、流暢性に大きな問題がなくても理解につまずく人がいるということが分かります。流暢性に問題があっても、時間をかけたり、あるいは、後述しますけれども、方略を適切に用いることで理解が補われるという場合もあるということが分かってきます。つまり、一つ一つの文字が読めるというか、すらすら読めるということが理解を保証するわけではないということが分かります。それは、この後のプロセスが非常に重要になってくるからということになります。
では、一文字ずつではなくて、単語の意味が分かったとして、それだけでは意味が分からないので、単語同士の関連づけというのをしていくことになります。この辺り、ちょっと詳細なので少し飛ばしますけれども、重要なこととして、単語の意味が分かるからといって文の意味が分かるわけではないので、文を何らかの方法で単語の情報を組み合わせて関連づけていくということが必要になっていく。この時点で一番小さな表象の単位というのをつくっているということになります。
そのときには、もちろん文法に沿った処理も行われるわけですけれども、それ以外にも、文脈ですとか、もともと持っている知識を使って私たちは読むということをやっています。
その命題間のつながりをつくるというときには、一つ推論が挟まるわけですけれども、例えば、上の「ジョンは」という言葉で始まる文を読んでいますと、「橋」という言葉が2つの文の間で共通しています。こういった文章を読むのは、処理負荷が小さくて分かりやすい文になります。
一方、下の「メアリー」の文になりますと、ビールをどこから出したのかというのは書いていないわけですね。ですので、読み手が文脈から推論をするという必要があります。これは処理負荷が大きくなる。
このつながりがあることを結束性と呼んだりしますが、この結束性が高くなることは読み手の理解を促進するということが分かっています。その効果は、特に知識の少ない読み手や、知識はあっても読みスキルの低い読み手には影響が大きいということが分かっている。
発達に応じた系統性ということがありましたけれども、ちょっとここまで来るとミクロ過ぎるかもしれませんが、子供によって読みやすい文章とはどういう文章かということを考えますと、同じ説明文の中でも、例えば、こんなふうに十分に結束性が高いテキストが子供に提供されているかどうかといった観点からも評価が可能になるのではないかということが分かります。
一つ、私が関わった研究ですけれども、リーディングスキルテストというテストの開発をしたことがあります。こちらのテストでは、例えば、このような文章を読んで、括弧の中に適切なものを選びなさいというような問題が出ます。この問題の正答率があまり高くない。これは何でかなということを考えます。
ここではキリスト教を選ぶのが必要なわけですけれども、これがなかなかうまくできないというのには恐らく大きく2つの要因があって、1つは、処理負荷がそれなりに大きい文であるというふうに分析ができるということです。命題が多いことや、構造が複雑になっていること、そうすると、把握したり覚えたりすることが難しくなります。項の省略がされているので、橋渡し推論が必要になることというのが、処理の負荷の大きさというのを促進しているかなと言えます。
また、知識がない場合は推測ができません。これ、知識がある人にとっては、問題文というか、題材文を読まなくても分かる問題なんですよね。そういった知識があれば、こんな感じでしょうというふうな当て推量のようなことができるんだけれども、それがなかなか難しい。私たちはふだんあまり正確に読もうとはしていなくて、大体こんな感じでしょうというので済ませているんですが、それが許されない場面になると難しくなることがあるよということでもあります。
こういうふうに見ていくと、すらすら読むだけでは不十分であるということがよく分かるわけで、研究の中では、3年生で学年レベルのパフォーマンスがある児童であっても、その子がそのまま順調に読める読み手になるわけではないということが指摘されています。
なぜかというと、今申し上げたような理由で、「ほぼよい」で大体満足してしまうし、高学年になるとだんだん難しくなってくるということですね。そうなると、自動的な処理であるとか、あまり負荷の高くない処理だけでは読むということができなくなって、読むための主体的な取組が必要になるというふうに考えることができます。この読むため、読んで理解するための主体的な取組のことを、読解方略と呼んでいます。
読解方略って一体何と言いますと、例えば、これは私が昔の研究で出した7つですけれども、こんなふうに、読むときに意識的に読み方を気をつけるというのが読解方略の例になっています。これを教えるということが読解成績を高めるようというのは、かなりエビデンスが蓄積されています。
共通点をまとめてみますと、先ほど申し上げたような方略を明示的に教授する必要がある。さりげなくでは駄目ということです。また、一つだけを教えるのではなくて、複数の方略を統合して、こういう文脈の中でこういうふうに使うんだという実践的な練習をしていくということが効果的である。また、一つの題材文でやったらおしまいとするのではなくて、また別のテキストでも練習をするというような機会を設けることが、方略の獲得には重要であるということも言われています。
こうして考えてみますと、例えば、探究的な活動の中で、総合的な学習の時間の中で文章を読む機会というのがあるとすると、そのときにどんな方略を使うとよいか、組み合わせて教えたものを子供たちが使ってみる機会をつくるというような、そういった発展的なやり方をすることが、子供の読む力というのを高めることにつながるのではないかということが、既にいろいろな研究から言われているということになります。
最後につけましたのは、この中で7つの中核方略というふうに挙げているものの説明です。ここに書いてあるような方略を教えることが、文章理解の向上のためには非常に有効であるということ、また、それを、この共通点に示してあるような条件の下で指導していくことがよいだろうということが分かっているよということです。こうしたことを国語科の中でも適切に反映させていくことが、「読む」「聞く」力の発達・育成というところに寄与するのではないかと考えています。
時間を少々オーバーいたしました。以上です。ありがとうございました。
【島田主査】 犬塚先生、どうもありがとうございました。もう、すぐにでも指導に移せそうな、大変示唆に富む、読解方略のお話を伺わせていただいたと思います。どうもありがとうございました。
続きまして、渡邉委員よりお話をお願いいたします。
【渡邉委員】 では、よろしくお願いいたします。15分いただいてもよろしいでしょうか。
【島田主査】 どうぞ、15分ぐらいでお願いします。
【渡邉委員】 では、これから始めたいと思います。
名古屋大学教育発達科学研究科の渡邉雅子と申します。本日は、国語の目的と系統性、それから、内容の再整理ということで、主に論点2についてお話しさせていただきたいと思います。
まず前提として、実は、日本の国語教科書というのは、ほかの国と比較しても非常にレベルが高い。既に語学学習に必要不可欠な多様な要素を、系統的、発達段階的に配置しています。
そこで、課題になるのは、いかにカリキュラムの編成原理、具体的には、教科書の構成原理になると思いますけれども、その骨組みを浮かび上がらせるのかということになると思います。その原理を現場の教師と共有することで、教科書「を」教えるから教科書「で」教えるということが可能になるのではないかと考えています。
そして、編成原理を考えるには、まず国語の目標(目的)の共有が必要でありまして、そして、そのときには、国語教育の全体像を学校種による縦割りを越えてカリキュラムを作り、そして教員が共有するということが大事だと思います。つまり、大きな構造を浮かび上がらせるためには、目標・目的の共有が必要になってくると考えます。
これは私案でありますけれども、次の時代の教育目標とリテラシーというのはどんなものになるのかということを考えてみました。目標といたしましては、伝統的な自然観、これは「自然の一部としての人間」というものを基に、共感的な利他を中心的な価値とする安全・安心な社会を築き、多様な文種を使いこなすことによって多元的に思考し、異なる目的を持つ文種を技術として使いこなして異なる他者と協働し、それから、新たな価値を創造するということを考えております。これは学習指導要領の目標とも大きく乖離はしていないと考えています。
そして、そこでリテラシーの二つの側面、これは石黒委員からもありましたけれども、文化的な側面と技術的な側面というふうに考えるのがよいと思っております。
文化的な側面は、これは伝統文化の継承ということです。日本の自然観、人間観、世界観を表す作品を読解するということですね。これはもう既に国語教育の中で行われていると思います。
技術的な側面としましては、ここでは一つの例として、いかに多様な思考法を習得するかということで、「多元的思考の4領域」というのを提案させていただきたいと思います。
一つは、例えば、感想文は、感想文を書くことによって、社会の道徳であるとか、ルールであるとか、感情的なルールというものをここで学ぶ。次に、英語で5パラグラフエッセイを書いて、この型で話すことによって、効率的な経済領域の考え方、思考法を学ぶ。それから、仮説検証で書くことによって、科学的な探究の手続というものを学ぶ。これは法技術的な領域になると思います。それから、小論文を書くことによって、概念と理論を使って考えて書き、そして実証する。これは政治領域の思考法ということになると思います。
こうして重点となる作文様式を発達段階、あるいは学校種に沿って移行させることによって、4つの異なる領域の論理、思考法を習得することが可能になると思います。さらに、その場面と目的、それから、相手によってこれらの思考法を使い分けるということも、その習得によって可能になると考えます。ここでは、それを「段階的な作文教育」と呼びたいと思います。
その構成原理でありますけれども、一つは、抽象度を中心にした国語カリキュラムの全体像を描くことを考えています(スライド4参照)。それはどういうものかというと、このスライドにあるように小学校では情緒・共感を中心に、中学校では論理・経済領域、高校では概念・政治領域というふうに、抽象度の低いものから高いものへ構造化していくということができると思います。
もう一つ、構成原理の2番目としては、リテラシーの文化的側面では、文化の2つの要素を考えています。それは情緒と道徳観、それから文化的な知識の2つでありまして、これらも既に国語教育の中ではきちんとやられているように私は感じておりますけれども、この点については先生方の御意見を伺いたいと思います。
そして、現在まだ十分ではない、技術を系統的に教えるというところでは、先ほど述べた複数の文章様式を段階的に習得させることを考えています。ここで大前提としまして、それぞれの文章様式というのは、明確な目的、つまり機能と、それから、その手段となる構成と表現法というものを持っています。先ほど石黒委員からもジャンルという話がありましたけれども、私はそれは非常に大事だと思っています。
例えば、このスライド5に示したように4つの基本的な文章様式というものがありまして、これは世界的に共有されているものです。それは、「描写」、「物語」、「説明」、「説得」の4つであります。それらを基本にしまして、次に、論証するための「意見文」、それから、科学的な探究を行うための「仮説検証」、それから、社会科学的な思考を養うための「小論文」、この4つを中心にすれば、かなり構造的に書くこと、そして「書くこと」の目的を中心にして、「話すこと」、それから、「読解すること」の構造化も可能になってくると思います。この点については後のスライドでより詳しく説明させていただきます。
今お話しさせていただいたことを段階的作文教育による教育のグランドデザインとして、小学校から大学まで整理したのが、スライド6の図です。それぞれを思考法、知識の形態、書く様式の4つに分けて段階的に構想してあります。これは今までの話をまとめたものになります。
もう一つ大事だと思いますのは、高校で文章様式の目的と手段をレトリックとして俯瞰的に教えるということです。どういうことかというと、それまで小学校から具体的に教えてきた習得済みの文章の様式、その技術を今度は知識としてきちんと定着させるということです。つまり、これらの描写、物語、説明、説得といったジャンルを、その原理を教えることによって、抽象的に高校では学ぶということができると思います。ここで初めてそうした技術が知識としても定着し、それから、使いこなせるようになる、その基本になると考えます。これも中身は説明しませんけれども、スライド7の表のまとめ読んでいただければと思います。
次に、主な文章様式を比較、そして、その意義と意味を説明しながら考えていきたいと思います。スライド8の「主な様式の比較」を御覧ください。
「意見文」は、論証の方法を教えるということで、非常に大事だと思います。まず主張を述べ、それから、本論で、主張を支持する根拠と事実、それから、結論で、反論と反論の反駁を入れてもいいですけれども、これはなくても結構で、最後に主張の正しさを確認するということですね。反論とその反駁を省略すれば、これは5パラグラフエッセイ、つまりアメリカのエッセイとほぼ同じ型になります。
次に、「仮説検証」ですけれども、仮説検証がなぜよいかというと、高校で「総合的な探究の時間」という授業がありますけれども、ここでの一番大きな問題というのは、探究しなさいしなさいと言っても、実は、その探究の方法というのがほとんど教えられていない、系統的に教えられていないことです。そうすると、高校生たちは、探究しなさいと言われると、どんな問題にもアンケートで全て答えようとする傾向が実際にあります。
アンケート頼みを解決するための方法論を学ばせるためには、「仮説検証の書き方の型を教える」ことが非常に効果的だと思います。それはどういうことかというと、序論で、テーマの背景・課題を述べる、そこから問いを引き出す、それから、その問いに暫定的に答えることによって仮説を引き出す。本論では、その仮説検証の方法とその妥当性を述べる。次に、検証の結果を述べて、結果の考察を行う。そして、結論で、仮説が受容されたのか、それとも否定されたのかを述べる。
こうした書く型の一連の流れによって、背景となる課題やテーマから問いをどのように導き出すのか、仮説をどのようにつくるのか、それから、一番大事なのは、この仮説の検証というのはどういう方法があって、それは実際どのくらい自分が設定した問いを検証するのに妥当なのかということを、ここで否応なく、この型に沿うことによって、それを考えざるを得ないということがございます。最後に、結論として、それが受容されたかどうかということも判断してきちんと述べなければいけない。
これは私の個人的な経験ですけれども、それまでレポートを書かせるときに、レポートをただ書いてください、あるいは、5パラグラフエッセイで書いてくださいと言ったときと、仮説検証で書きなさいと言ったときでは、レポートのでき具合のレベルが全く違うということを、ここ3年ほど経験しました。
それはどういうことかというと、通常レポートを書くというと、最初にテーマを設定して、それから、テーマについて何となく調べて答えて終わりということが多かったんですけれども、仮説検証にすると、その仮説が検証されたのかどうかという答えが出るまで、調べ尽くさなければなりません。学生には負荷がかかりますけれども、型に導かれて非常に質の高いレポートが書かれるようになったという事実があります。また学生自身も自己のレポートに対する満足度も上がったので、これは非常に有効だと考えております。
次に、小論文です。この小論文が仮説検証とどこが違うかというと、小論文は課題文を要約したり、主題における常識を確認したり、常識に反する課題文の視点に対して賛成・反対を表明したり、その賛成・反対の根拠と論拠を課題文とは異なる書き手自身の体験や情報を使って述べます。一般的に課題文は、常識に反する見方と、社会構造とか、グローバルな経済構造というものに目配せをした概念とか、あるいは、理論というものを使っている。そうした概念や理論を理解し、使いながら思考するということが、小論文を書くことによって訓練されるようになります。そして、結論では、係争的な問題、社会的な問題への考察、あるいは、提案ということまで示すことが期待されますので、これが抽象度という意味においては、書くことの一番上位の抽象度を持つ、大学までつながる、高大接続の役割を担う書き方であると考えられます。
さて、次に他教科とどう連携するかということですけれども、国語科で全てを行う必要はないというふうに考えています。例えば、ビジネスで必須の5パラグラフエッセイというのは、中学校の英語で、「I think・・because・・」(私はこう考えます、なぜならば)という、こうした主張、理由の頭括型の表現というものを学びまして、高校で実際に「主張・根拠・主張」の5パラグラフエッセイを簡単な英語で学んで書く、それによって、「主張すること」、「論証すること」、それから、「頭括型で書き話す」訓練を行えます。
実は、感想文に慣れた日本の児童生徒は、頭括型で書いたり話したりすることに非常に心理的な抵抗を覚えますけれども、これらを日本語とは異なるモードを持つ英語で行えれば、その障壁を取り除くことができる。しかも、その後で意見、論証の文を書くと、統括型の書き方が言語間で転移をして、日本語でも書けるようになるということが実例としてあります。
それから、大学のアカデミックなレポートで必要な仮説検証というのは、先ほど述べましたように、総合的な探究の学習で探究の方法論として学んで、実際に書く。国語では、仮説検証の手本となるような作品を教科書で読んで、仮説検証のイメージを持たせるだけでよいと思います。これも既に中学校の教科書などでは、仮説検証というのはどういうものかということを具体例をもって説明している評論とか説明文がありますので、これもすでにやられていることです。
それから、先ほどの4つの基本的な文章様式の、例えば描写は、理科の観察文、あるいは、図画工作や美術の鑑賞等でも高度化可能でありまして、これは先ほど述べた段階的に進んでいく、進行していくもの、プラス、「らせん型に発展」していくもの、両方の立場から進化させていくことができると思います。
これは一つの例ですけれども、こうした練習問題、実際に私は大学のアカデミックライティングで、まずそれを教える前に導入しているものですけれども、書くものにはそれぞれの固有の目的・構成・文章スタイルがあるということを分かってもらうために、例えば、「物語」、「取扱説明書」、「レポート」、「学術論文」の4つの文章様式の目的、対象、構成、文章スタイルというのを、それぞれまず一人で考えてもらって、この表を完成させ、それから、グループでディスカッションして、さらにクラスの中で討論します。すると、文章様式は目的別にあるのだということがよく分かるようになります。特に私も学生も感動するのは、取扱説明書には、ユニバーサルな文章の型があって、言われてみれば非常にこれはよくできている。それがレポートや物語と全く違う機能を持っているということがよく分かる。そうしたことが分かることによって、アカデミックライティングの型は何かといったものを学んだときに、アカデミックライティング独自の機能とかスタイルというものも意識的に学ぶことができるようになる。
さらに言えば、これをやると、書いたものを日常の中で目にするときに、児童生徒は、そうしたものには目的があって、それ独自の構成とか文章スタイルがあるんだということを、書くものに触れたときに既に意識として持つことができると、これはふだんの日常生活の中でも大きな学びのツールを持ったということになると思います。
さらに、これを書き方とセットにすると、段階的な読解法として、同じ原理を適用することができる。つまり、小学校では、登場人物や自然と一体化する共感を基に情緒的に物語を読んで味わう。自然観と利他を養う日本に特徴的な読解方法、これはこのまま行います。
中学では、今度はテキストを読みの証拠・根拠として道具的に使って「なぜ」に答える。高校では、読みの仮説を立てて検証する。それから、主題に関する問いを立てて、それに答える形で仮説をつくって、仮説を支持する証拠をテキストから拾って論証する。考察して結論づけるということで、これは先ほど申し上げた段階的作文法としっかり原理的に対応しているということがお分かりいただけると思います。それで原理も非常に分かりやすいのではないかと思います。
では、話す・話し合うはどうかというと……。
【島田主査】 渡邉先生、申し訳ありません。お時間の都合もありますので、少しまとめに入っていただければと思います。
【渡邉委員】 分かりました。
「話す・話し合う」に関しても、論証つまり意見文の構成を使って理知的に説得する(ロゴス)、物語や感想文の構成を使って感情的に説得する(パトス)、そして話合いでは論証や意見文の型が使えます。話し合いで合意形成する際にはその手続を学級で作ると、とても良い勉強になります。合意形成の手続きは、うまく行かなければその改善策を考えて改善していく継続的な学びができます。ということで、スライド12を読んでいただければよいと思うんですけれど、これも書き方の原理と呼応させて系統的に学ぶことができます。
本日の発表の要点と重点を記したまとめを、スライド13に記しましたので、これを読んでいただくということでまとめたいと思います。
最後に、スライド13と14に参考文献を挙げました。段階的な作文法としては、『フランスの思考表現スタイルと言葉の教育』を読んでいただければ、系統的に言語教育を行うとはどういうことかが具体例を伴ってよく分かると思います。書くことを芯にした言語教育の系統性について、より詳しくは『共感の論理』を御覧ください。
ということで、これで発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。
【島田主査】 渡邉先生、どうもありがとうございました。途中で口を挟みまして、申し訳ありませんでした。
それでは、ここで5分休憩を挟みたいと思います。休憩後に改めて、3名の御発表に関する内容も含めて、議題(1)に関する御意見、御質問ということでお話合いいただきたいと思います。
では、5分休憩をいたします。16時45分に再開いたしますので、そのときにまたお戻りください。よろしくお願いいたします。
( 休憩 )
【島田主査】 お戻りいただけていますでしょうか。時間になりましたので、議事を再開いたします。
45分間、最長でも17時30分までをめどにいたしまして議論を進めてまいりたいと思います。
それでは、お三方の御発表に関する内容等も含めまして、議題(1)小中高の系統性の整理に関する検討の方向性について、御意見、御質問のある方は御発言願います。まず、挙手ボタンを押してください。挙手ボタンが確認でき次第、私から指名させていただきます。
児玉先生、手が挙がっております。児玉先生、お願いいたします。
【児玉委員】 トップバッターになってしまいました。了解しました。
今回、いろいろ事務局からの御提案、それから、それぞれの先生からの御提案、大変興味深く、そして、期待を持ってお聞きいたしました。どうもありがとうございました。
私からは、まず感想と意見を申し上げようかなと思っておりました。
1つ目は、事務局資料の5ページになりますか、これ、各領域の学習過程の再整理のところ、論点1に関わることですけれども、ここに関しては、これまでの学習指導要領では、話すこと、聞くこと、書くこと、読むこと、それぞれの学習過程を個別かつ詳細に小分けにしまして指導と評価を行っていました。そのことは、領域ごとの細かい学力を丁寧に指導して見取るという点では機能していたはずだし、そこが期待されていたんだと思いますけれども、やはり領域ごとの指導と評価が分断されてしまったという大きな問題があります。
これは事務局も感じておられるとおりで、私は、前回申し上げたように、教員養成や教員研修を支援する立場から、現行の学習指導要領は、特に中高の単元づくりにおいて、1単元1領域でやらざるを得ないといいましょうか、関連がやっぱり図りにくかったという問題点があったんだと思います。それが、今回はそれを共通化・簡素化することで、領域間を関連付けやすくなっているという点で、非常に期待がされるなと思いました。
中学校、高等学校は、そうは言っても、コンピテンシーベースで領域をつないでするというだけではやっぱりなかなかうまくいかない。コンテンツベースでも単元はつくらざるを得ないんですが、とりわけ今後の検定教科書の作り方に一定の刺激になるのではないかなという期待をしました。これは感想です。
次は、事務局資料の8ページを御覧いただきたいんですが、8ページの発達段階に応じて扱う話や文章の種類の系統性に関わるところです。これ、現行のものとの決定的な違いといいましょうか、かなり本質的なところは、一番左側の列に目的という列を立てている、このことではないかなというふうに拝見しました。さらに、この目的が5つに下位項目で分類されている点が大変注目をされます。
実際に授業に落とし込む場合は、こうした話の種類とか文章というのは国語教材そのものなんですけれども、現行版でこういった下位項目の示している、うかがえるものは、言語活動例のところに僅かに見えるというところでありまして、指導事項とは別枠で扱われてきました。そのため、指導事項が抽象的過ぎて、具体的な言語活動例との結びつきが分かりにくいというような問題が現行の授業づくりではあったように思います。
それが今回、論点2の顕在化している問題への対応にも書かれておりますとおり、話や文章の種類を軸としながら、領域は関連させることが可能になりましたし、各領域の指導事項が話や文章の種類に応じたより具体的な記述になるということが期待される。思考力、判断力、表現力が、より話や文章の種類に応じたものに具体化されていく可能性を感じます。このことによって、授業づくりがより実質化するといいましょうか、地に足がつくのではないかなという期待がされます。これは感想です。
最後に、意見を1点だけ申し上げます。今回の一番左側に立てた目的という軸ですけれども、これ、先ほどの渡邉委員のお話の中に、とりわけ最後のまとめのところに頻繁に出てくる言葉でありまして、こういうところ、響き合っているのではないかなと思いました。
ただ、ここに示された下位項目というのは、目的を表しているということに加えて、言葉の役割や働き、言語の機能とでも言うべきものとも言ってもいいかなと思いました。渡邉委員の5ページの資料にも、目的(機能)という言い方で書かれていまして、そういった意味で、今回の学習指導要領の非常に重要なポイントになるようにここは思っています。
現行の学習指導要領においても、実は、言葉の働きという項目が知識及び技能のところに設定をされています。ただ、その内容が学年別になっていて、ところどころ空白があったり、あるいは、高校は科目別に小分けされてしまっているという問題があります。そういうような片々の一事項ではなくて、国語科を大きく支える、渡邉委員の言葉を使えば、構成原理の骨組みになるようなものではないかと私も感じました。その意味で、今回、この目的という言葉に、例えば、目的・機能とか、そういうふうな言い方をしてもよいのかしらと思いました。これは意見です。
ただ、それはやっぱり言語行為としての目的なので、ここは機能を入れるとちょっとごちゃごちゃしちゃうということであれば、例えば、次回以降、検討されるんでしょうか、知識及び技能のところに、この内容とリンクするもの、とりわけこの頭の3つ、伝達とか、説得とか、感動の共有とか、こういったものが柱になって学年・校種を貫くような、そういう知識及び技能を立てておくと、それとこの思考力、判断力、表現力の中の目的というのはリンクしているんですよということが説明できるというか、分かりやすく伝わるのかなと。
いずれにしても、分かりやすく使いやすい学習指導要領というのが今回の大きなテーマなので、そういった点から、そういう改善がなされたらよいのではないかなという意見でございます。
以上です。
【島田主査】 児玉委員、どうもありがとうございました。8ページの表ですね。今回たたき台として示しておりますけれども、御意見を賜りました。目的の下位項目とここに示されたものは、機能とも言える側面を持つのではないかという重要なご指摘を賜りました。ありがとうございました。
なるべく多くの方に、できれば全員に御発言の機会があるよう、御発言はお一人3分程度でおまとめいただけると大変ありがたく存じます。よろしくお願いいたします。
続きまして、石井委員、お願いいたします。
【石井委員】 大変勉強になりました。一つ一つについて、非常に示唆的であって、語りたいことはたくさん湧いているんですけれども、それをコンパクトにですけれども。
今日の一番重要な議論というのは、昨日は実は社会科・地歴公民のワーキングだったんですけれども、そこでも申し上げたことでもあるんですが、要は、今必要な国語科とは一体何なのかと。だから、そこの国語教育、国語科とは一体何なのかということを、その辺のまず軸を定めていくという、そういう議論であるかと思います。今回、明確にそういったことについての提案が、事務局もそうですし、それぞれの先生方からなされたというふうに私は理解しています。
それで言いますと、要は、どんな言語生活者、あるいは、言葉の使い手を最終的に育てていくんですかと。そこですよね。それに関しては、かなり明確に今回角度がついたのではないかなと思っています。かなり民主主義を意識していると。民主主義の担い手を育てていく、合意形成という言葉もそうですし、構造的に読んだりとか、あるいは、書いたり、話したり、聞いたりすると。そういった理知的に議論していく、あるいは、対話していくというところがかなり出てきていると。
私自身も、15歳のとき、どこに立たせていたいですかみたいなことを先生方に尋ねたりしていますが、その問いに対しては、要は、知的で文化的でパブリックな言語生活への参加だと思っています。ニュースを音で聞いて、単語が浮かんで意味が分かるというところに持っていければ、かなりのところまで到達しているだろうと思っているわけですけどね。そういったことから言いますと、非常に共感をもって聞かせていただいたところはあります。
その一方で、言葉の学びと言った場合に、言葉の意味と言ったときに、ちょっと論が勝ち過ぎているところもあるのかもしれません。例えば、ジャンルで申しますと、この描写、それから、物語、説明、説得へ、確かにそうなんですけれども、しかし、自己表現ではないですけれども、物語ということは、それ自体として、逆に低学年とか小学校の段階だけではなくて、これは渡邉先生も後のほうでその辺はおっしゃったかなと思うんですけれども、スパイラルにというか、並行で育てていく。
特に思春期以降においては、自己を表現すると。まさに人生の深みに触れるということやそれに関わって表現することこそが、実は言葉の力としては高度なんですね。ですから、そういったところも、科学と文学、科学的思考と文学的思考ではないですが、それはやっぱり並行で育っていくというふうな、そういう捉え方というのも必要なのかなということを思ったりもしますし、あとは、この事務局提案の中でも、話し合うことと言ったときに、考えを形成する、発信するみたいな、そっちが強くて、聞く、聞き届けるではないですよね。傾聴。他者を共感的に理解するということ。今の子供たちのデジタル空間上の言語生活を見ていますと、何か投げつけているばっかりというか、モノローグが強過ぎのではないかと。ですから、もう少し対話ということを意識したような部分が、話し合うということで言うと、意識されるとよいのかなということを思いました。
もう一つ、今回、理解、表現ということで、それぞれの領域を整理するということは、これは先ほども児玉委員もおっしゃっておられたような、領域横断的にやると。かつてPISAショックのとき、フィンランドの教科書が取り上げられたりしましたけれども、フィンランドの教科書を見たときに象徴的であったのは、ジャンルごとに、読み、書き、話す・聞く、それらが統合的なんですね。だから、説明文を読んだならば、説明文を自分で書くと。確かに書くことによって、接続詞であるとか指示語の意味ってよく分かるんですよね。何でこれを読解で問われなければいけないのかと。
だから、読むことと書くこととか、そこを往還するということはすごく大事だと思いますし、あと、ジャンルということで申しますと、高校でもそういうことを実際にちょうど聞いたんですけど、文学的な作品を読み深めるために論説文を読むということもあり得ると。つまり、ジャンルを超えた展開ということは非常に重要だと思うんですね。ですから、そういったところも、今回、より総合的な言語活動、それを実現していくという方向性で、非常に興味深い提案だなと思いました。
以上です。
【島田主査】 どうもありがとうございました。ジャンルを超えて、また、領域を横断しての学習の大切さについて、改めて御指摘いただいたかと思います。どうもありがとうございました。
続きまして、藤森先生、お願いいたします。
【藤森委員】 それでは、3分以内で3つほど申し上げます。
お三方、ありがとうございました。非常に明晰で、おっしゃる内容を踏まえていくならば、特に知識及び技能の中で、どのような段階性を持って幼小中高の教育課程を組んでいったらよいのかということについて、非常に示唆的な御発言だったと思います。
犬塚先生の御知見も、それから、渡邉先生の御知見も、石黒先生の御知見も、いずれも汎用性を持っていますよね。国語だけで使える力というよりは、広くこれは学び全体に関わってくるものだと思います。ただ、それゆえに、渡邉先生がおっしゃるように、どこまでが国語ならではの領分なのかという問題については、今後精選する中で議論が必要なのかなと思いました。感想です。
その中で、3つ申し上げたいことの1つは、生成AIのこれからの進展を考えると、問うことという問題について、どういう知見を我々は持っておく必要があるのかということについて、ちょっと問題提起をしておきたいと思います。問うこと、あるいは、質問することというのは、表現と理解の2要素が一体化されていて、かなり重要なこれからの言語能力になっていくのではないかなと思っているところです。
2点目は、前の学習指導要領で話題になった、いわゆる社会情緒的能力を幼小との接続から見たときに、どう展望するのかという問題はやっぱり意識する必要が私はあると思っていて、例えば、学びを楽しむという、その楽しむという中にも、発達段階の中で様々な楽しみがあるわけで、いわゆる知性的・理知的なものだけでなくて、情動的な意味合いで子供たちが学びに胸を躍らせるというのにはどういうふうな成長があるのかという問題は、特に学びに向かう力、人間性を考えていく上で大事なポイントになってくるんだろうなと思っているところです。
それから、3つ目は、いわゆる論理的な素材、題材、文章と、文学的なものとを二項対立で考えがちな要素があるのではないかなという心配を私は持っています。これは両輪であって、特に、例えば文学は、もちろんいわゆる言語文化を支えている、特に古典なんかまさにそうなんですけれども、一方、前回の会議で申し上げたように、文学を読む中で、様々な比喩とか象徴とか、そういったレトリカルなものに出会う中で、子供たちは情操をすごく豊かにするのみならず、いろんなものに相共通する様々な事象、要素というものを理性的に感受していくという、この学びというのは多分、国語ならではの、国語を置いてほかが担うことのできない要素だと思うんですが、それは論理と全く乖離する問題ではなく、感性や情緒と論理との間をつなぐ非常に重要なポイントがあるのではないかなと思っているところです。そういった視点でもって、子供たちの球体のような形で育っていく、そういう学びのイメージを持てたらいいなと思っている次第です。
【島田主査】 藤森先生、どうもありがとうございました。3点御指摘いただきました。特に、最後の論理的な素材と文学的な素材、その扱いが二項対立的になることへの注意ということですね。ここはしっかり両輪として働かせていかなければならないということ、今後の議論の中でもしっかりと念頭に置きつつ進めてまいりたいと思います。
続きまして、中村先生、お願いいたします。
【中村委員】 ありがとうございます。
事務局の御説明を聞いて、児玉先生がおっしゃったように、学習過程を大綱化することで、例えば、話すことの考えの形成と書くことの考えの形成を、同じ資質・能力が行ったり来たりする様を統合できるという点で、非常に整合性があると感じます。とともに、例えば、書くことなどは、現行の学習指導要領ではスモールステップで過程が示されていて、そこに指導事項がついています。この過程のサイズが、小学生をイメージするのと高校生をイメージするのとでは、全く同じというわけにはいかないのだろうと思います。改めて、そうした大綱化することが生きる校種と、大綱化するのだけれども、もう少し細分化して示したほうが子供たちが学びやすく、先生方も教えやすいということがないかどうか、具体的な作業の段階では検討が必要になるかなと思います。それが1点目です。
2点目は、資料で言いますと、8ページのところですけれども、今日のお話を聞いて、この目的・機能と、米印の2のところにある、旧来言語活動例に入っていた文章の種類等を連動して示す方法は分かりやすいと思います。ポイントは、やはり米印の1のところで、どういう指導事項を思考力、判断力、表現力としてつけていくかという、目的と指導事項と文章の種類等の具体的な接続のところが、こうした表の並びにすることで、どの程度整合的にうまくいくのかという点になるかと考えます。それは今後の議論でということかと思いますが、その点が大切なポイントになってくると思います。それが2つ目です。
3つ目は、具体的な文章等の種類がこういう形で示された場合、これまで「言語活動」や「言語活動例」として学習指導要領の中に位置づけられてきたものが、具体的に開かれて提示されるわけですので、改めてその言語活動例という言葉をこの先も使わないで国語科の枠組みをつくっていくのか、そのあたりをまた議論できればと思いました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。そうですね。この8ページの表をどのように具体化していくのか。その場合、活動例がどのように位置づくのかということなど、今後の議論の見通しをお示しいただきました。
続きまして、石黒先生、お願いいたします。
【石黒主査代理】 すみません。話しておきながら、またコメントして申し訳ないです。
まず、今2つの図がちょうど問題になったので、その2つの図についてちょっとコメントさせてください。
まず、論点1の補足イメージの先ほどの各領域の学習過程の再整理という、先ほどの映してくださっていたものなんですけれども、5ページですか。この再整理の表、すごく分かりやすいし、私も参考にしてお話しさせていただきました。ただ、その一つ一つが分離しているように見えるということで、私自身も、それは分かりやすくすることを優先したので分離しているだけで、実は、立体的にというか、読むことと聞くことは、犬塚先生が同じだということをおっしゃっていました。
つまり、理解というところで、四角形を考えて、四隅にあるイメージで、例えば、左上に読むことがあったら、左下には書くことが来て、右上に聞くことが来て、右下に話すことが来る。そうすると、上の2つは理解ということで共通があり、左側が聞き言葉、右側が話し言葉になる。
じゃ、話し合うってどこに行くの、考えるってどこに行くのというと、真ん中に来ます。話し合うって、別に読んだり書いたりすることも含めてなんですね。教室というところでせっかく子供たちが集まっているんだから、みんなで共有しようよ、そこでいろいろ話し合って、お互い考えを深めようよという、そういう立体的な示し方を本当はしたかったということをちょっと補足させていただきます。それが1つです。
それから、もう一つ、先ほど映してくださっていた論点2の補足イメージ、そちらなんですけれども、先ほど目的というところもお話しになったかと思います。これ、スラッシュがあって、その後のところが理解に関わることだと思うんですけれども、大事なことだと思いますけど、ちょっと難しいというか、私もちょっと自分が足りないなと思っていて。要するに、先ほどの認知心理学的なことで言うと、やっぱり私たち、既にもう脳内にネットワークを持っていて、言葉が入ってくることによって、その言葉の情報を自分の持っている知識と結びつけて理解していくということなんだろうと思います。
情報の獲得、他者の主張の吟味というのは、そのとおりなんですけれども、両方とも、理解のほうで言うと、要は分かるということなのかなと思っていて、上のほうは、理解するという意味で分かるし、分かった、分かったという理解ですね。それから、真ん中のほうの分かるは、同意するという。もちろん、当然同意しなくてもいいわけで、反論してもいいわけなんですね。なんですけれども、他者のものに対して批判しても構わないわけですが、同意したり批判したりという、別の次元での「分かりました。私、やります」というような意味での「分かりました」なのかなと思います。
3つ目は、そういう感動への共感、共有ということで、多分この3つ、適切だと思うんですけど、言葉が少し分かりにくいのかなとか、あるいは、感動と言うと、別に感動じゃなくてもよくて、ついこの間、私、大学院生と話していて、嫌いな食べ物で盛り上がっているんですね。どの学年でも、好きな食べ物とか嫌いな食べ物で文章を書かせると、絶対みんな喜んで書くぞと思ったんですけれども。そういう意味で、嫌いな食べ物に共感していてもいいんですけど、感動しているわけではないんですね。だから、要するに、気持ちの問題なのかなというふうに、もうちょっと緩めてもよいのかななんて思いました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。5ページの表について、四隅に各領域を置く、中央には話し合うことを置いてはどうかという御意見をいただきました。もとより二次元の表に表そうとするとなかなか難しいところはあるかと思いますけれども、今後さらに整理が進めばと思います。
8ページの表につきましては、次回以降も議論は進むと思いますけれども、具体的な御指摘までいただきました。ありがとうございました。
井上先生、お願いいたします。
【井上委員】 では、5ページ、8ページ、私もこの2つのスライドに関して意見と感想を述べさせていただきます。
まず、「読む」、「書く」、「話す」・「聞く」、3領域の言語活動を個別的に考えるのではなく、共通項を明示しながら、統合的・総合的に捉えていく方向性には、私も賛同するところです。私も含め、現場の教員が日々学校で行っている授業や教育活動も全て、各領域を総動員して、生徒の伸張を目指して行っているものだからです。
ただ一方で、学習指導要領を見たときに、各領域固有の要素が授業者にとって見えづらくなってしまっては意味がないのかなというふうに思いました。特に、表形式で示す際には、共通項を何度も並べ立てるのではなく、相違点や固有の部分にも着目しやすいように、デザイン面でも工夫が必要になるのかなというふうに思っています。
さらに言うと、3領域の隣に、これは犬塚委員の「読んで理解する」プロセスのスライドにもあったんですけれども、それに関わる知識とか技能に、見ている者が容易にアクセスできるような工夫もあればよいかなと思っています。例えば、考えとか構成をつかむためには、どんな知識・技能が必要なのかを都度確認しやすくするということです。この点は、先ほどの児玉委員の御指摘にも通じるものです。
2点目です。8ページの文章種についてです。これまでは基本的に紙の教科書を前提にした言葉の作品を主に扱ってきたわけですけれども、これからはデジタル教科書の拡充も含めて、紙では扱い切れないような、より生徒の実生活に密接に関わるような様々な言語作品も国語で扱っていけばよいのかなと思っているんですね。これまでも教科書上では漫画といったものも扱われてきましたし、高校では実用文も載っていますけれども、これからは、絵とかイラスト以外にも、例えば、演劇、ドラマ、戯曲であったり、映画、音楽などはもちろん、アニメ、漫画やコントみたいなお笑いも教材になり得るのかなと思っております。
最後に、3点目です。同じスライドの書くことの目的についてです。石黒委員はAIの文脈からも御指摘なさっていましたけれども、特に読み書きにおいては、他者の主張を吟味する力が必要になると思っています。長らく学習指導要領では、批評という言葉こそあれ、批判的思考力とか、クリティカルな部分というものが目標や内容の最前面に来ることはあまりなかったんですけれども、今、改めてクリティカルに考えるとはどういうことなのかということについて考える必要があるのかなと思っております。これはもちろん渡邉委員の御指摘のように、国語のみならず、英語や総合的な探究の時間(総探)、あるいは、情報リテラシー、メディアリテラシーの文脈からも考えていかなければならないと思っております。この点、もしかすると、藤森先生の先ほどおっしゃったことにも通じるかもしれません。
私からは以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。統合的に捉える方向性には賛成できる、ただ、領域固有の要素というのをもっと見やすくするようなデザインはないかというようなこと、また、文章種として、マルチメディア的な発想を入れられないかということ、それから、目的の中にクリティカルな考え方、批判的思考を強調してはどうかというような御指摘だったかと思います。ありがとうございました。
続きまして、竹内委員、お願いいたします。
【竹内委員】 本日はありがとうございます。先生方から大変勉強になる発表をいただきました。そこで考えたことを3点ほど申し上げたいと思います。
読み、書き、話す・聞く、それぞれの共通点をどのように見ていくかというところ。例えば、渡邉先生がおっしゃっていた5パラグラフで、英語であればそれができるのではないかというお話があった中で、例えば、石黒先生のお話にあった、「事前に準備して発表する」というようなものであれば、この5パラグラフで話すということが国語の中でも可能なのではないでしょうかということ。
それから、例えば、図化方略ですとか、グラフィックオーガナイザーというように、犬塚先生がおっしゃっているようなもの、これはまさに、同じように準備して、それを発表していくという話すところでも使えるのではないかと。このように横につなげていけるようなものをくくり出していって、この図を分かりやすくするようなことができるのではないかと思ったのが1点目です。
2点目でございます。今回この新しい版が出てきたときに、この論点2の補足イメージというところ、今出していただいているこの紙ですけれども、「実社会における目的に応じた」という一文がそっと入っていたと。これが今回の学習指導要領の改訂の肝なのかなというふうに思っておりまして、何度か『論点整理』に出てくる「初発の思考」という考え方がございます。今までですと、どちらかというと、心情描写ですとか、既に出てきたものを聞いて自分がどう考えるかというほうにやや寄っていたところ、それをよりプロアクティブに、「民主的で持続可能な社会の創り手」という、自分が何を考えるか、あるいは、ゼロから1で何を考えるかというところにシフトしていく、そういうところなのかなと考えましたというところです。以上2点目、感想になります。
3点目でございますが、それぞれ校種ごとに学ぶことを分けていくというご提案はよいのですけれども、やはりらせん的に上がっていくものではないかということで、例えば、今の小学校の教科書ではすでに1年生、2年生でも、何かを見せながら自分のお話をしたり、好きなものを話したり、3年生ではインタビュー、4年生でアンケートを取ったり、5年生で理由の述べ方、データの読み方を学んだり、6年生では、もう既に自分の意見に対する根拠を示し、それに予想される反論と、またそれに対する考えということを述べたりというようなものが入ってきているかと思います。
ですので、これが例えば渡邊先生が「経済的な」と名づけられていたり、「政治的な」と名づけられているような考え方を少しずつ小さいうちから入れていくと、より高校になったときにスムーズにそれが開花できるのではないかと思います。
以上3点でございます。
【島田主査】 ありがとうございました。系統性を踏まえて、細かな御指摘をいただきました。ありがとうございました。
小松先生、お願いいたします。
【小松委員】 既に各委員からそれぞれ御意見出ておりまして、重複するところがあると思うんですけれども、申し訳ございませんけれども、事務局からの方向性の資料について2つほど、それから、御発表に関連して1つ意見を申し述べさせていただきたいと思います。
最初に、事務局からの資料の5ページのところですけれども、趣旨については、理解できる部分がございました。
それで、1つ、先ほど既に委員からも御発言あったんですけれども、共有という言葉が再整理のたたき台には残っておりませんで、当然それは共有しながらということが想定されているんだと思うんですけれども、やはりダイアロジカルである、対話的に考えていくということが、特にいろんな社会情勢等を考えたときに、とても大事だと思われますので、共有し、対話的に考えていくという側面がより強調されてもよいのかなと感じました。
それから、8ページの、こちらもたたき台でございますけれども、これも既に委員から御意見として出ておりましたけれども、私、幼稚園のほうでも仕事をしておりますけれども、やはり幼児期からこれの基になるような種々の活動というのは、それぞれの内容についてなされているところでありますので、ぜひそこのつながりを重視しながら、幼児期においてなされていることが、小学校低学年にかけてどんなふうに広がっていくのかと。ここの表では、横線で省略されているようなところもあるわけですけれども、こういうことも含めまして、そこのつながりをどう考えていくのかということについて、今後の議論が必要なところかなと感じました。
3点目でございますけれども、それぞれの委員の方からの御発表、大変興味深く拝聴させていただきまして、私、心理学の研究者でございますので、特に犬塚委員の御発表は、領域も近く、拝聴したわけですけれども、これに関連して、もし可能であれば、犬塚委員からも少し補足いただけたらみたいなことも考えたんですけれども、読解方略というのは確かに大事であると。それをいろんな形で教えていくといいますか、身につけていくというのは大事であると。と同時に、やはり私も心理学的なことを考えるときに、読む、理解するというのは、既有知識ですね。犬塚委員のスライドでは長期記憶という言葉で示されていたと思いますけれども、既に個々の子供たちがどんなふうに何を知っているのか、どれぐらいそれが使えるのかというところがうまく把握できないと、実はかみ合わない。教えたいこと、あるいは、読んで理解を進めたいことと、子供たちが持っているものとのずれがあるとかみ合わないということが生じてくるんだろうと。
ということを考えましたときに、これは学習指導要領の範疇に入るのかどうか分かりませんけれども、診断的評価、あるいは、形成的評価として、どのようなことに着目しながら、そこを見取っていくのか。それが実は読む、あるいは、書くこともそうだと思うんですけれども、その指導においてはとても重要なことかなと思いましたので、これは要領の中身ということになるのかどうかはちょっと分かりませんけれども、併せて議論することによって、より深まりが出るのではないかと思った次第です。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。3点御指摘いただきました。
続きまして、松本先生、お願いいたします。
【松本委員】 失礼いたします。ありがとうございました。まず1つは感想で、1つは中村先生、石黒先生と関連する意見になるかと思いますが、よろしくお願いします。
これは純粋に感想ですけれども、学習指導要領の歴史を見てきたときに、その表現と理解というのを今でいう3領域にかぶせるか、かぶせないかというのは、明治の頃からの繰り返しでずっと来ていると思っています。
昭和52年版学習指導要領で、表現と理解を3領域にかぶせたときに、表現と理解を関連させた学習が初めて学習指導要領上で提案されたと思います。かぶせるかぶせないの繰り返しの中で、石井委員が言っておられましたが、今必要な国語科とは何かということを考えていく上で、今回の改訂で再び表現と理解という概念が出てきたことは、今の時代に合った国語科というのを考える土壌というか、ベースが提案されたのかなという、本当に純粋な感想を、先生方の話を聞きながらもたせていただいた次第です。
もう1点は、中村先生と石黒先生の御発言に関わってくると思うんですけれども、昭和40年代にいわゆる基本的学習指導過程がはやった時期がありました。これは実践ベースで考えたときに、誰が授業をしても一定の成果を得られるというのがそのときの売り文句だったというように思います。売り文句というか、キャッチフレーズですかね。現行の3領域に設定された学習過程というのは、それに近いという認識で現場の先生方は受け止めておられるのかなと思います。それは、初任の先生とか、国語科に詳しくない先生も理解しやすくて、実践しやすいという、そういった点でのメリットがあったかなと思います。
一方、たたき台のほうは、今日の御説明でそのメリットは十分お話しいただいたと思うのですが、一段抽象度を上げたものになっています。これは論点整理でいう余白の創出を通じた教育の質の向上ということとも関わっていると思っていまして、教師の創意工夫の自由度が高まってくるということが考えられると思います。でも、それは、それこそ実践ベースで考えますと、力量のある教師でなければなかなか難しいかなということがあるので、これは示し方の問題だとは思いますけれども、今の時代に合った国語科の構築の意義を示すと同時に、どのような先生でも使い勝手のいい形で、再整理のこの表は示せるようになったらいいかなと考えています。
以上でございます。
【島田主査】 松本先生、ありがとうございました。
続きまして、西委員、お願いいたします。
【西委員】 よろしくお願いいたします。全体の議論からの参加になりまして、大変申し訳ございません。3点申し上げたいと思います。
1点目は、資料8ページ、論点2の補足イメージの一覧ですけれども、校種を貫くような形で、話や文章の種類が具体的に明示された点は、教材化を教科書ごとに考えていくときに非常に重要になるだろうと思います。反復的・らせん的に資質・能力の育成を図るという点では、この目的との対応が非常に明確になってきたという印象があります。
2点目については井上委員からも少し御発言あったかと思いますけれども、テキストを基盤にして国語の力をつけていく部分と、「見る」という活動を通して国語の力、あるいは特に古典に親しむという部分については、視覚的な要素、動画であるとか、絵画資料等をどのように活用できるかということが大切になると思います。特に感動への共感・共有といった点に関しては、今とは違う世界が古典教材にあるということで、これに対して共感できるかどうかというのは、ただ単に文字だけでは共有・共感できない部分もありますので、そういった資料やデータを有効に活用できるようにしていくことは重要と考えて拝見しておりました。
3点目については、その古典の最後のところですけれども、古典に学ぶという形で、校種を貫くという形で整理をいただいたところ、この部分、小中に関しては、知識及び技能の3、全体を通して現在のところは整理をしていただいて、現行の学習指導要領だとこうなるということになりますので、ここの中学校から高等学校への壁というものを、どのように解決できるかということは、引き続き議論ができればと思っています。
そのときに、今日の8ページの資料で、先ほど申しましたけれども、主張の吟味であるとか、感動への共感というようなことは古典の中でも十分あり得る、特に主張の吟味というようなことに関して、古典は何か鑑賞するものといったニュアンスの強いところがありますので、位置づけは今後また検討していただくことになると思いますが、そのような系統性の中での位置づけ、あるいは、文種というようなことが議論されるとよいのではないかと思っております。
その中で、藤森委員から出ました「問い」「問う」というような発想もしっかりと持っていければと思っております。
以上でございます。
【島田主査】 ありがとうございました。承りました。
続きまして、庭井委員、お願いいたします。
【庭井委員】 1点だけお願いします。
5ページの再整理の表を拝見していて、情報の収集というのが、現行はいろいろな領域の中に取り込まれているものなのですが、これが整理されたときに、話し合うことという領域の中の、考えを形成するために情報を収集するというところに集約されているというのに少々違和感を覚えました。
この場合は、他者と話し合うために、自分の考えをつくっていく、いろんな人からお話を聞いて、それを一つの情報として、また、それ以外の情報も含めながら考えをつくっていくというようなイメージなのかなと思ったんですけれども、恐らく情報を収集するというのは、読むこととか、聞くこととか、話すこと、書くこと、いずれの場合にも情報を収集する、あるいは、読むものを選ぶ、聞く対象を選ぶとか、書くための材料を集めるという意味で、学習過程としては外せないのではないかなと思いました。
ただ、整理の仕方として、情報の整理をどこへ位置づけるのが適切なのかちょっと分からないのと、あるいは、8ページの表のほうの目的の細分化のところで、情報の伝達、伝えるというところはここに登場しているので、伝達のための様々な話す・聞く、書く、読むがあるのであれば、情報の入手とか収集とか獲得に近いと思うんですが、そこのところで情報の収集に関する様々な活動が入ってきたり、対象となるような文章が選ばれたりというところに位置づけたほうがよいのかなとか、ちょっと頭の整理はできないんですけれども、5ページの表を拝見したときには、そのように感じました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。情報の収集についての御指摘、承りました。
17時30分になりました。吉田先生、まだ御発言いただいておりませんけれども、この後、後半の意見交換の時間で、議題(1)とまとめてお話しいただければと思います。
犬塚先生は、小松先生の御質問へのお答えだったかなと思いますけれども、これもまた議題(2)についての御発言の中でまとめて触れていただければと思います。すみません。御了解ください。よろしくお願いいたします。
それでは、議題(2)につきまして、事務局より説明をお願いいたします。
【髙見主任教育企画調整官】 お手元の資料1の9ページ目を御覧ください。
本日の議題(2)国語科を通じて育成する資質・能力の在り方・示し方についての論点は、論点1として、総則・評価特別部会における改善の方向性を踏まえた「目標」の在り方、論点2として、総則・評価特別部会における改善の方向性を踏まえた「見方・考え方」の在り方であります。
10ページ目を御覧ください。目標の在り方を検討いただくに当たりまして、総則・評価特別部会におきまして、教科横断的な観点から、改善の方向性が示されております。青の網かけ部分を中心に御覧いただければと存じますけれども、現行の学習指導要領における各教科等の目標の柱書きについては、中学校国語の例となりますけれども、言葉による見方・考え方を働かせ(見方・考え方)、言語活動を通して(学習過程)、国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力(資質・能力の趣旨)を次のとおり育成することを目指すといった基本構造となっております。
また、その下でございますけれども、「見方・考え方」の具体的な内容につきましては、解説の中で記載がなされているところでございます。
しかしながら、その下のほうに書いておりますけれども、目標の柱書きは冗長で分かりにくいこと、「見方・考え方」の具体は解説に落とされており、併せて読まないと分からないという指摘があります。
このようなことを踏まえまして、右側にあるとおりでございますけれども、目標の柱書きは、育成したい資質・能力の趣旨や固有の学習過程を端的に示すとともに、「見方・考え方」を目標の直下に別途欄を設けて記載する案が示されております。
具体的には、その目標の柱書きといたしまして、ここにございますように、資質・能力の趣旨について、学習過程などを通して、次のとおり育成することを目指すとし、そこに知識・技能、思考力、判断力、表現力等、学びに向かう力・人間性等の3つの資質・能力を記載するとともに、その目標の直下に見方・考え方として、まず第一に、当該教科、ここでは国語科となりますけれども、国語科等が扱う事象や対象、丸2に、国語科固有の物事を捉える視点、また、丸3として、国語科固有の考え方や判断の仕方、こういった要素を含めることを基本として、各教科の特質に応じて検討することとされております。
その際、これらの要素を示すことによって、教師が教科の本質を外していないかが確かめられるものとなっているかという視点を大切にすることが重要であることが示されております。
また、その下のほうでございますけれども、新たな「見方・考え方」の書きぶりにつきましては、現在よりも短く端的に記載すること、経験の浅い先生が読んでも端的に理解可能な記述となっているかといった視点を重視することなども留意事項として示されているところでございます。
続きまして、11ページを御覧ください。総則・評価特別部会では、「学びに向かう力・人間性等」についても具体的な検討が進められております。この中では、左側の図にあるとおり、4つの要素に整理する方向性が示されたところでございますが、このうち下の部分、3つの丸、すなわち、当該教科等の学習で育みたい学びや生活に向かう態度と、上部の当該教科等の学習で育みたい情意・感性、こういった形で2つに分類しつつ、分かりやすく構造化してはどうかといった方向性も示されているところです。
12ページを御覧ください。この議題2の論点、大きく2つございます。
まず、論点1の「目標」の在り方についてですが、国語科が直面する課題やこれからの時代に求められる役割を踏まえて、目標の柱書きをどのように端的に分かりやすく見直していくか。また、2番目でございますけれども、「学びに向かう力・人間性等」や「見方・考え方」の新しい整理を踏まえて、国語科における示し方をどのようにしていくか。あるいは、3つ目の矢羽根になりますけれども、「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」をどう見直していくか。こういった観点で御審議をいただきたいと考えております。
また、その下のほう、論点2でございますが、「見方・考え方」の在り方について、激しい変化が止まることがない時代を生きるためには、言葉の背後にある意図や文脈を捉えて、自らの思考を深めて表現する力がより求められている中で、こうした力を育む国語科において、国語を学ぶ本質的な意義の中核をなす「見方・考え方」をどう捉え、どう改善できるか。こういった視点で御審議をいただきたいと考えております。
13ページ目を御覧ください。こちらは左側に現行のもの、それから、右側に先ほどの総則・評価特別部会において整理された方針を当てはめて、事務局において作成した国語科の目標、「見方・考え方」のたたき台ということでお示しをしております。
まず、柱書き、右側のほうを御覧ください。国語で正確に理解し適切に表現するという資質・能力の趣旨を記載した上で、実際に聞いたり読んだり、話したり書いたりすることという学習過程、こちらは現行のものから少し分かりやすく言い換えた形にしておりますけれども、再整理をしているところでございます。
また、「学びに向かう力・人間性等」につきましても、新たに論点整理で示された4つの要素のうち、箇条書の1つ目に、国語の大切さを自覚し、国語を尊重する態度を育むとともに、言語感覚を養うこと、箇条書の2つ目に、積極的に考えたり感じたりしたことを言葉で伝え合い、他者との関わりの中で粘り強く取り組み、言葉が持つよさを認識するとともに、その能力の向上を図る態度を養うこと、こういったことを案として示しております。
また、その下、「見方・考え方」につきましても、現行の学習指導要領の解説にある記載をベースに、たたき台としての案でございますけれども、対象と言葉、言葉と言葉との関係という国語で扱う事象を、言葉の意味、働き、使い方に着目してという、国語科固有の物事の視点で捉え、言葉への自覚を高めるという、国語科固有の考え方や判断の仕方で再整理をしております。
なお、高等学校につきましては、現在の記載の教科としての目標と別に、各科目においても目標が設定されておりますが、その取扱いについても今後検討する必要があると考えております。
14ページには、同様に中学校での改善案、また、15ページには、高等学校での改善案、16ページには、現行の学習指導要領における「見方・考え方」の記載を参考として掲載しておりますので、併せて御覧いただければと存じます。
これらの目標や「見方・考え方」の案は、あくまでも事務局において作成したたたき台でございますので、委員の皆様におかれては、現代における国語科の役割を踏まえ、修正すべきところはないか、先ほど12ページで御説明させていただいた観点を踏まえて、御審議いただければと存じます。
議題(2)の説明は以上となります。
【島田主査】 ありがとうございました。
それでは、御議論をお願いいたします。論点1、論点2、どちらについてでも構いません。御意見のある方は、挙手ボタンにてお知らせください。よろしくお願いいたします。
犬塚先生、お願いいたします。
【犬塚委員】 吉田先生、すみません。先に失礼します。
先ほどの議題ともやはり重なるところはあるかなと思いながら、説明を拝聴いたしました。
先ほど出てきた話の中では、ちょっと反論のようなところも入るかなと思うんですけれども、まず、学習過程であるとか発達段階というのを考えるということと、何を目標にするかということはかなりリンクしているかなと思います。それぞれの段階でどのようなことができるようになるべきかということですよね。
その中で1つ私が気になるのは、情緒であるとか感情的な部分、共感についての扱い方というのが1点あります。渡邉先生の御提案の中で、情緒的な部分、共感であるとか感じたことというのをスタート地点にするのがよいというような御提案がありましたけれども、私は必ずしもそうではないだろうと思います。
また、石黒先生のお話の中で、感情の共有とか共感を目指すべきというようなお話もあったんですけれども、それは目標として適切かということも少し議論が必要ではないかなとちょっと思いました。
例えば、幼小であったとしても、見たことを話すというような事実に基づいた叙述ですとか、その読み取りとか、聞いて理解することというのは可能なわけで、必ずしもそこを感情によるところからとすることはあまりないのではないかなと思います。ですので、目標の点においても、感情ということがより幼い年齢からスタートするべきものというか、そこからスタートするほうがよい、早く終わる、というふうに位置づけるのは、あまりうまくないのではないかな。
すみません。御発言された方のお名前をちょっと失念したんですけれども、青年期ならではの情動的な読み取りということも大事であるというような御意見があったと思いますが、それに完全に賛成と思いました。
感情の共感というところについても、批判的な読解というようなことを踏まえますと、文学に対する批評ですとか異なる感情ということが生じるということはむしろ重要で、共感という言葉が必ずしも同意することとか同じ感情を持つことを意味していないとは思いますけれども、共感という言葉は一般にそのように受け取られやすいかなと思いますので、共有することとか伝え合うことが重要だというのは大変同意するところですけれども、同じであるとすることが目標になるのだというふうには理解していただきたくないなと思いました。これが1点です。
それから、もう一つは、今申し上げたこととも関わりますが、既有知識との関連ということで、小松委員から御発言がありましたけれども、一方で、特に小学校段階においては、子供が何を知っているかということと今読んでいるものの関係というのをきちんと見ると。それを踏まえて読解の目標であるとか表現の目標というのを考えるべきということは、大変おっしゃるとおりだなと思います。
そういった観点で、小学校で取り上げられている題材などを見ますと、これは知らないでしょうというものがすごくふんだんに入っていて、そこで子供がいっぱいいっぱいになるというような状況もあるのではないかなと思っています。昔話がすごくたくさん出てくるわけですけど、糸車とか火縄銃とか言われても分からないわけですよね。それが入っていることというのは、一部においては重要なんだけれども、子供の既有知識の関連ということからすると、ほかの部分にかなり負担があったりとかする。そういうようなことを踏まえて、取り上げる題材ですとか、その発達段階で何ができるようになるべきかということの整理を進めていくというのは大事なことではないかなと思いました。
以上です。ありがとうございます。
【島田主査】 具体的に議論を深めていただいてありがとうございました。
続きまして、藤森先生、お願いいたします。
【藤森委員】 それでは、簡潔に2点申し上げます。論点1と2、それぞれについてです。
今回は、在り方を議論する場でありますので、細かな文言についてどうこう言うものではありません。数ある目標の中で、今度の改訂の中で私として重視してほしいなと思っているのが、それは喜びとか楽しみといった情緒的な部分のところも目標の中で取り上げることを検討してみたいということ、もう一つは、受信型のコミュニケーションを再評価してよいのではないかなと思っています。すなわち、問うこと、それから、耳を傾けること、そして、本当かどうか吟味すること。このように、情報をどういうふうに受け取り、それを取り扱っていくのかということについては、特に生成AIも含めてだけではありませんけれども、日本の言語文化の一つの美徳として、受信型のコミュニケーションを再評価していけるような目標設定が必要ではないかなと思っています。数ある中の個人的な考えを申し上げました。
それから、2点目の「見方・考え方」について申し上げます。非常に失礼な言い方をお許しください。率直に申し上げて、今の国語科の「言葉による見方・考え方」の解説の記述が分かりづらいという声を、学校現場の研究会に行くたびに耳にします。それは無理からぬところがやっぱりあるかと私は思っていて。
と申しますのも、国語科の場合は、言葉そのものを学ぶという学びと、言語活動の仕方を学んでいく、言語活動を学んでいくという学びと、それから、評論や文学のような言語作品を対象として学ぶというふうに、道具としての言葉から、活動としての言葉、それから、作品としての言葉という、言葉が3つの層をなしているんですね。それを全部一絡げで「見方・考え方」という形で説明しようとすると、かなり無理が生じます。
例えば、今見えているところの下線部で言うならば、「言葉への自覚を高めること」という記述の前に「問い直したりして」とありますけど、「自覚を高めること」によって、「着目して問い直す」姿勢が育つなんていうこともあるわけで、この説明の仕方については、例えば、言葉をどういう次元のものとして捉えるのかというところに軸足を据えて、項目別に説明するといった工夫が多分必要になってくるのではないかなと思っています。
技術的な意味ではなくて、在り方として申し上げました。
以上です。
【島田主査】 藤森先生、ありがとうございました。次回以降、この点、議論を深めていければと思います。どうもありがとうございました。
続きまして、石井先生、お願いいたします。
【石井委員】 では、今回、この言語活動の記述で言いますと、実際に聞いたり読んだり書いたりすることなどを通してとあるわけですよね。言葉の学びといったものはある種技的側面を持っているということの一つ表れかなと思っています。ですから、活動それ自体が目的でもあるという辺りが、これが技の学びの一つのポイントなわけですよね。
ですから、例えば、言語方略といった、読みの方略の指導といったものも、明示的ということは、習得させてから活用とか、そういうことではないと思うんですけどね。つまり、技で実際使っていくという暗黙知的なものも含めて、まず読み、書く、話す・聞くという活動があり、自覚化していく側面もあるし、そうでないと、転ばぬ先の杖になっちゃうということになっちゃう。結局のところ、そこは足場かけの発想が非常に重要になってくると思うんですよね。
ですから、今回の目標の構造化といったときに、先ほど少し議論にもなったところでもありますけれども、全体を統合していくというのは、活動において総合的・統合的になっていくことが重要であって、目標としては、ある程度の領域固有性といったものが見えるようにしておいたほうがいいんだろうなというところです。
汎用性が高いというのは、ちょうどいい具合の汎用性というんですか、シンプルさといったものが重要で、今回の事務局提案は、最初のほうの議題と関係するんですが、ちょうどいい具合の一般性かなというふうに思います。例えば、書き言葉と話し言葉ということも、リテラシーとオラシーという形で、文法が違ったりするんですね。だから、そういったところも含めて、思考・判断・表現に関してはジェネリックな形で見せるけれども、知識・技能のところの読みの方略とか視点とかといったところとか、そういったものはもう少し領域固有で見せていくことによって、一般的な学習過程をたどればよいということではなくて、要は読むということはどういうことなのかということを、先生方自身がつかんで、誰でもできるではなくて誰でも育つことができる、そういった学習指導であるべきなんだろうと思います。
上達論がないと若い先生は育たない。だから、今この時点でティーチャープルーフをさらに進めてしまうことは非常に危うい。今回のポイントは、要は、国語とか言葉の学びのポイントが、本質的なところがスパッと分かるというふうな、そういった内容の見極めというんですか、まさに、たとえば、読むと言ったときに、いろんなキーワードをぽんぽんぽんと飛んでいくわけですけれども、この視点誘導がうまい具合にできていくことが大事なのかなと思います。
以上、感想で、あと一つ。共感というのはシンパシーではないと。エンファシーです。エンファシーというのは、これは極めて高度な認知的な能力です。この辺り、日本においては同情はあっても共感なしみたいなことはあるかもしれませんが、ここを区別することが重要かなと思いました。
以上です。
【島田主査】 重要な御指摘をいただきまして、ありがとうございました。
続きまして、吉田先生、お願いいたします。
【吉田委員】 失礼します。私、先ほどの議論のところがちょっと多くなってしまいますけれども、まず、5ページの学習過程についてですが、割と現行のものについては、言語活動のプロセスと割と一致してこの学習過程というものが示されていて、教科書についても、こういった言語活動のプロセスと学習過程のプロセスというのが割とイメージが一致していて、その中で、何を指導して評価するのかと、今回取り上げる資質・能力は何なのかということを指導者が決めて設定するというイメージが持ちやすかった。ですから、このように話すことも書くこと等も細分化されていたということが分かりやすかったというか、資質・能力を設定するのにすごく分かりやすかったかなと思っております。
ところが、今回、それぞれの領域で、今の段階では、学習過程が大きく2つになっているところを見ると、これが学習過程というプロセスというふうに現場の先生方が捉えられるのかなというところであるとか、それから、例えば、読むことで言えば、今4つの学習過程でそれぞれ資質・能力が挙げられていますけれども、その4つの資質・能力が、例えば、たたき台のように2つになると、さらに割と大きくぼんやりとしたものになってしまって、さらに何の力なのかということが割と現場の先生方にイメージできるのかな、さらに分かりにくいものにならないのかなというところが、私が少し危惧したところです。
それから、もう1点は、8ページのところですけれども、この目的が示されたというのはとても重要で、やはり何のために読んだり、何のために書いたり、何のために話したり聞いたりしているのかというところが設定すると、しかもリアルに設定するというところが、とても現場が難しさを感じているところです。
ですので、情報の獲得という目的で読むときにはこんな資質・能力が必要ですよねとか、他者の主張を吟味するという目的で何かを読むときにはこんな資質・能力が必要ですよねというふうに示されていくのかなと私は思ったので、それはとても分かりやすいなと思ったんですけれども、じゃ、この目的とそういった資質・能力をどう示すのか。それから、ここに先ほどの学習過程というものも入ってきたときに、これが一覧のような表としたら、どのようにこの資質・能力と目的というものであるとか、学習過程と目的というものが関連づいていくのかということを、やはりどう分かりやすく示すのかということをもう少し議論していかないと、現場レベルだと、なかなかそこは難しいのかなと。
とにかく何ができるようになればよいのかというのがはっきりと分かるというのがすごく大事なことだと思いますので、現場での感想になりますけれども、その辺りをさらに議論したいなと感じました。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。到達点を分かりやすく示す、そのために指導事項なりを表の中にどのように位置づけ、具体化していくかといったことについて御意見をいただきました。今後、議論を進めてまいりたいと思います。ありがとうございました。
中村先生、お手をお挙げになっていらっしゃいますでしょうか。
【中村委員】 いいですか。短く。目標の示し方の話に少し戻って申し訳ありません。
13ページを見ていただいて、先ほど石井先生もおっしゃったように、「実際に聞いたり読んだり、話したり書いたりすることで」と示すことで、左側の現行の目標にある「言語活動を通して」という言葉が具体的に開かれて、分かりやすくなっています。実際の国語の授業では、確かに実際に読んだり聞いたりすることはとても大切で、これが他教科における話す・聞くとか、日常生活における話す・聞くにつながっていきます。ただ、国語科の授業の中では、それらは指導事項を内包した話す・聞く、書く、読むということで、その点がいわゆる一般的な話す・聞くとは意味合いが異なるという点で留意が必要です。国語科の資質・能力を身に付けるための学習活動としての話す・聞く、書く、読むということであって、そういう意味で言語活動という言葉を20年版や29年版の学習指導要領で使ってきたといういきさつがあるかと思います。先に議論した内容のほうでも言語活動という言葉が具体的な文章の種類に開かれて、この言葉そのものがなくなっていった場合、改めて今のようなところが大事であるという、何か補足説明が要るのではないかと思います。
あと、目標が小中高と同じ文言でよいのかという点や、ここまで具体的に学習活動を開いて具体的に示すのかどうかという点は、ほかの教科等の状況を踏まえながら、また今後検討できればと思いました。
以上です。ありがとうございます。
【島田主査】 どうもありがとうございました。
すみません。司会の時間管理がうまくできなくて、予定の時間が迫っておりますが多少オーバーしても構わないかなと思います。御発言のある方は、どうぞお手をお挙げください。
よろしいでしょうか。御配慮をいただいてしまったみたいで申し訳ありません。それでは、時間も参りましたので、本日の議事は以上とさせていただきます。
本日いただいた様々な御意見につきましては、次回以降のワーキンググループの議題において適宜反映する形でお示ししたいと考えております。
最後に、次回の予定について事務局より御連絡をお願いいたします。
【荻野教育課程課課長補佐】 次回について御報告いたします。次回は11月28日金曜日、15時半から18時を予定しておりますけれども、正式には後日、連絡をいたします。
以上です。
【島田主査】 ありがとうございました。
本日は司会の不手際で時間の配分がうまくできず、申し訳ありませんでした。
それでは、以上をもちまして閉会といたします。また次回、よろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。失礼いたします。
―― 了 ――
・ 中川委員提出意見(PDF90.47kb)
初等中等教育局教育課程課教育課程第三係
電話番号:03-5253-4111(代表)