教育課程部会 教育課程企画特別部会(第10回) 議事録

1.日時

令和7年7月4日(金曜日)9時30分~12時30分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. 豊かな学びに繋がる学習評価の在り方について(過度な負担を生じさせない在り方との両立)
  2. 幼児教育の質の向上及び幼児教育と小学校教育との円滑な接続の改善について
  3. 障害のある子供に対する教育課程の充実について
  4. その他

4.議事録

【貞広主査】  皆様、おはようございます。それでは、第10回教育課程企画特別部会を開催いたします。本日は、豊かな学びに繋がる学習評価の在り方、幼児教育の質の向上及び幼児教育と小学校教育との円滑な接続の改善、そして障害のある子供に対する教育課程の充実の3点について御審議いただきます。大変盛りだくさんでございます。
 進行資料を御用意いただいていますとおり、まず議題1につきまして、事務局説明と意見交換を行います。その後5分休憩を挟んで、議題2と3について事務局説明と意見交換を行うというプロセスで進めていきたいと思っております。
 それでは、議題1につきまして事務局より御説明をお願いいたします。
【栗山教育課程企画室長】  それでは、資料の説明をさせていただきます。本日は、豊かな学びに繋がる学習評価の在り方ということで、過度な負担を生じさせない在り方との両立について御説明をしていきたいと思っております。
 まず、現行の学習評価に係る仕組みについて簡単に御説明を申し上げます。左側は前回の改訂で目指した主な理念・方向性についてであります。
 まず1つ目として、指導と評価の一体化の一層の促進、2つ目として学習・指導改善に繋がる真に意味のある取組に集中するということ、3つ目に評価場面を精選していくということ、4つ目に多面的・多角的な評価の方法を取り入れていくということを理念・方向性としてお示しをしていました。それを踏まえて具体的な枠組みが右側であります。文部科学省としては、指導要録の参考様式をお示しすることで学習評価の形式を明示し、国立教育政策研究所がその参考資料を提供するという形で枠組みをお示ししています。
 具体的には、資質・能力の3つの柱に対応した学習評価の観点を設定し、1つに知識・技能、2つ目が思考・判断・表現、3つ目が主体的に学習に取り組む態度であります。本日は下にございますように、「知・技」「思・判・表」「主態」と省略して記載をさせていただいております。この中で、特に「学びに向かう力・人間性等」は、感性・思いやりなど目標に準拠した評価や評定になじまないものを除いた「主体的に学習に取り組む態度」を評価の観点として設定し、「粘り強さ」や「学習の自己調整」の観点から評価するという運用になっています。その上で、各教科ごとに3つの評価観点に対してA、B、Cの3段階で評価を行った上で、それらを総括して評定を定める仕組みです。
 各学校では、通知表等の形で学期区分ごと、年に2回や3回に評定を示すのが慣例となっていて、指導要録上は学年ごとに1つの評定欄となっています。観点別の評価・評定のいずれも、学習指導要領の目標や内容に照らした達成度を評価するという目標準拠評価という仕組みになっています。感性や思いやりなどについては、先ほど少し申し上げましたが、個人の姿に照らしたよさや成長の様子を評価するという個人内評価という仕組みで評価を行っております。
 その上で、前回の改訂時からなお残る課題について申し上げます。1つ目、指導と評価の一体化は道半ば。学習途中で「学習の改善に生かす評価」、いわゆる形成的評価と言いますが、事後的な評価、「記録に残す評価」、いわゆる総括的評価と言いますが、この2つについて依然として十分に評価されずに、学習評価の全てが「記録に残す評価」、それは評定に近しい意味合いで取られておりますけれども、のために行われることが多いという実態があると思います。学年末に評定を記載する前提で指導要録の参考様式を示しておりますけれども、学期ごとに評定を細分化して確定して、その後の学習状況の如何にかかわらず、つまり1学期にできなかったことが2学期にできるようになるなどとしても、変更しないような取扱いが多いというふうになっています。そのため、ある単元で、例えば1学期にうまく学べなかった場合に、その後の学習の中で学習し直す動機付けけが弱かったり、学期末の通知表作成業務の負担が毎学期重いといったような御指摘もあります。
 2番目、「主体的に学習に取り組む態度」の観点の評価に対する理解の難しさがあると思います。この観点、適切に見取る課題を単元内で設定して、学習評価を授業改善に繋げている事例も見られる一方で、学習指導要領の前回の改訂の後のワーキングにおいて御検討いただいて、追加的に示された2つの評価の視点について、以下のような課題も顕在化するなど、なかなか適切に反映した評価になりにくいという指摘をいただいています。
 1個目に、「粘り強さ」の観点についてでありますけれども、例えばノートの提出の頻度や課題の締切り遵守等、形式的な勤勉さの評価にとどまっている例が依然散見されるのではないか。2つ目、「自己調整に」ついてでありますけれども、振り返りによる評価が行われる場合もありますけれども、教師の負担が大きかったり、教師の期待する表現を子供が過度に意識する傾向があるのではないかといったことであります。
 そして、こうした課題が生じる背景でありますけれども、先ほど申し上げた目標に準拠した評価というものを採用して、A、B、Cという形で評価をして、結果として評定を左右するという仕組みになっている。このために、評価理由の客観的な説明が容易な定量的な材料を用いざるを得ないという意識が強いのではないかという指摘、また、評価の状況によっては、よさや成長を適切に見取り、肯定的に伝えることが難しく、例えばCといったよう評価になった場合にも、学ぶ意欲を維持するのが難しいのではないか、むしろかえって下げてしまうことが多いのではないかという指摘をいただいています。
 右上であります。評価場面の精選は十分進んでいないのではないか。本時主義、1コマ1コマに集中するような考え方とも相まって、毎回の授業で複数の観点で「記録に残す評価」を行うなど、評価のために過度な労力が割かれ、学習や指導の改善に十分に注力できていない実態があるのではないか。教師が学習指導に注力するとともに、「学習改善等に生かす評価」、適宜適切にアセスメントや本人へのフィードバックをしていくような、そういった仕組みで必要な余白を生み出す観点からも、単元を見通し、「記録に残す評価」の場面については精選を一層進める必要があるのではないか。
 4番目、多面的・多角的な評価は十分広がっていないのではないか。「思考・判断・表現」については、ペーパーテストのみならず、論述やレポートの作成、発表、グループでの話合い、作品の制作等の多様な評価方法を取り入れていくことが必要であると考えていますが、その必要性がまだ十分に共有されておらず、広がっているとは言い難い状況があるのではないか。それを妨げる要因としては、小学校については、担任の先生の教科数が多く、評価計画を丁寧につくる余裕がないといった事情もあり、「知識・技能」、「思考・判断・表現」の両方を業者から購入した、いわゆる単元テストといったもので評価する例が多いといったことが要因ではないかと考えています。
 中高については、大学入試、高校入試等で成績が活用されますので、客観性を重視する観点から、知識・技能、思考・判断・表現の両方をペーパーテストのみで評価する意識が依然として根強いのではないかと考えているところです。また、この特別部会でこれまで御議論いただいてきた検討事項との関係でも課題があるのではないかと考えています。
 5番目、「学びに向かう力・人間性等」の再整理との関係であります。前回改訂時の中教審答申では、学習評価の具体を示さずに、学習指導要領告示後に学習評価のワーキングにおいて、「粘り強さ・自己調整」という「主体的学習に取り組む態度」の評価の2側面を提示しました。この結果として、「粘り強さ・自己調整」のみでより大きな資質・能力である「学びに向かう力・人間性等」も全体を理解してしまうという事態が生じたのではないか、このようなことを反省だと思っています。こうしたことを踏まえ、今回の改訂におきましては、指導要領の改訂と学習評価の検討をセットで、この特別部会で行っていきたいと考えております。その上で本部会では、「学びに向かう力・人間性等」を分かりやすく構造的に示すため、その構成要素について、4月25日の特別部会におきまして、「初発の思考や行動を起こす力・好奇心」、「学びの主体的な調整」、「他者との対話や協働」、「学びを方向付ける人間性」の4つの要素に再整理していくことを御議論いただきました。この4つの要素の再整理を生かしつつ、過度な負担を生じさせない形で豊かな学習評価に繋げていく、この在り方について検討する必要があると考えています。
 次、6個目、中核的な概念等との関係であります。教師一人一人が深い学びを実現する授業のイメージを持つことができるように、中核的な概念等を用いた学習指導要領の内容の一層の構造化について議論をいただいています。この中核的な概念等は、身に付けるべき資質・能力を示すものとなりますので、学習指導要領の記載ぶりの検討と並行して、学習評価での取扱いを整理する必要があります。ただ、中核的な概念等の具体は今後の検討としていますので、詳しい議論は別途専門的な部会で行うことが適当ではないかと考えているところです。
 最後7番目、柔軟な教育課程との関係であります。本部会では既に、調整授業時数制度について、これによって生み出された時間を「裁量的な時間」として、児童生徒の個性・特性・実態等に応じた学習支援に充てるといったことの方策を議論していただきました。この制度の活用によって、例えば各単元の課題を提出した時点、例えば1学期では目標を達成していなくても、その後の学年内で、例えば2学期で裁量の時間を活用して、その子の課題に応じた学習支援などをする、そういった多様な学びの機会を活用して、目標を事後的に達成したり近づいたりするといったようなケースも一層生じやすくなるのではないかと考えています。こうしたことを踏まえて、学期末等の特定時点での学習成果のみならず、学年等の幅のある期間で評価していくという方策を検討する必要があるのではないかと考えています。
 以上、1から7の課題を踏まえつつ、子供たちの資質・能力の育成に向けた真に意味のある評価活動に集中して取り組めるようにすることで、マル1、子供の学習や教師の指導の改善に繋げるということ、その上で、マル2、学習評価の実施に係る過度な負担が生じないようにしつつ余白を創出するという基本的な認識の下、学習評価の具体的な在り方の検討を進めていく必要があるのではないかと考えているところです。こうした課題意識を踏まえて具体的な論点・方向性についてここから御説明をさせていただきます。
 1つ目であります。「主体的な学習に取り組む態度」の観点について、個人内評価への変更について御提案したいと思います。前回改訂時、「学びに向かう力・人間性等」のうち、感性や思いやり等については、目標に準拠した評価や評定になじまないとして個人内評価で扱うこととし、それらを除いた「主体的に学習に取り組む態度」を目標準拠評価の対象といたしましたけれども、理解が難しく、目指す資質・能力を適切に反映した評価になりにくいという指摘をいただいていることを、先ほど御説明を申し上げました。
 一方で、「学びに向かう力・人間性等」をカリキュラム全体で育んでいくことや、そのために主体的な学習の調整を促すという課題を意図的に活動に位置づけていくことの重要性はむしろ一層高まっている。こうした中でどうするかということでありますけれども、1点目であります。まず、観点別の評価観点としては存置しつつも、各教科ごとに目標準拠評価として行うのではなく、教育課程全体を通じた個人内評価として行う方法に改めることによって、過度な評価材料集めを抑制しつつ、一人一人のよさや成長を自然な形で肯定的に評価できる可能性についてどのように考えるか。
 2点目、これを前提といたしますと、感性・思いやりと「主体的に学習に取り組む態度」に分ける必要がなくなり、いずれも個人内評価になりますので、評価観点としてはシンプルに全体を捉える「学びに向かう力・人間性」とすることの適否をどう考えるかという点だと思っています。なお、※(コメ)で書いてありますが、個人内評価とするということは、「学びに向かう力・人間性等」を資質・能力として育成していくことの重要性が低くなったということの誤解が何ら生じないように留意しなければいけないと考えております。
 その上で、右側2番目、「思考・判断・表現」の評価への付記であります。もう1点、評価方法について御提案をしたいと考えていますけれども、今申し上げたように、「学びに向かう力・人間性等」を教育課程全体を通じた個人内評価として行うということを想定した場合でも、その一部分は各教科等における「知識・技能」や「思考・判断・表現」の評価の過程で特に見取れる場合もあるのではないかと考えています。その上で、特に「思考力、判断力、表現力等」は、知識や技能を活用して課題を解決するために必要な力とであり、問題発見・解決や考えの形成・表現、思いや考えを基にした意味や価値の創造といった過程で発揮されるものでありますので、この部会で御議論いただいてきた「学びに向かう力・人間性等」の4つの要素、もう一度申し上げますと、「初発の思考や行動を起こす力や好奇心」、「学びの主体的な調整」、「他者との対話や協働」、「学びを方向付ける人間性」、これらと特に親和性が強いのではないかと考えています。
 こうした「思考・判断・表現」と「学びに向かう力・人間性」との関係を踏まえますと、マル1、教育課程全体を通じた個人内評価を基本としつつも、思考・判断・表現の過程で「学びに向かう力・人間性等」の各要素のうち、特に具体的に見取ることができる要素、「初発の思考や行動・好奇心」、「他者との対話や協働」、「学びの主体的な調整」のプロセスを一体的に見取るということでありますけれども、この要素が特に思考・判断・表現の過程で表出した場合には、「思考・判断・表現」の観点別評価、これは引き続き残るわけでありますけれども、この観点別評価に「○」(マル)を付記することの適否をどう考えるか、また、「知識・技能」についても、習得の過程でこれらが表出した場合の扱いをどう考えるかということもあると思いますけれども、こうした御提案をしたいと思っています。
 このように、総合所見欄等での個人内評価に加えて、「思考・判断・表現」の観点別評価に特に表出した場合には「○」(マル)を付記をすると考えた場合には、マル2にありますように、「思考・判断・表現」の評価でペーパーテストに偏重した現在の評価が改善され、論述・レポート・作品制作等の「学びの主体的な調整」が求められる評価課題の重視や、それらを核とした授業改善に繋がると考えておりまして、このような可能性をどのように考えるかと考えております。
 さらに、特に表出した場合に限って見取るということは、言わばマイナス面を見ないということでもあると考えています。基本的にプラスの要素を見取るということだと考えておりますので、1、2のように個人内評価に変更した上で、特に表出した場合のみ思考・「判断・表現」の評価の過程で見取れた場合には「○」(マル)を付けるという、このような方式にすることで、現在、例えば不登校児童生徒については、「主体的に学習に取り組む態度」を見取ることが特に難しいということで、例えばCが現行の目標準拠評価でついたりすることによって、評定も結果として1やバーとなりやすいといった状況があり、こうしたことが、子供本人あるいは保護者、さらには先生方も悩ませてきたという実態があると思います。こうした実態について、結果として評定もつけられないという実態の改善に大分寄与するのではないかと考えておりまして、このような可能性についてもどのように考えるかということが重要であると考えております。この1、2については、後ほど補足イメージでも改めて御説明させていただきます。
 その上で、中核的な概念等との関係、3番についてであります。中核的な概念等については、既に御議論いただきましたが、複数の内容事項に共通する主要な理解等を示すこととなりますけれども、これは従来と比較して、包括的・一般的な表現というふうに学習指導要領上なると想定しています。こうした中核的な概念等の中には、単に知識として指導するだけでは理解が難しく、具体的な内容事項を通じて指導を積み重ねる中で理解に至ることが期待されるものがあると考えていますけれども、一方で、明示的に中核的な概念等を指導することが有効な場合も想定され、概念と内容事項との間を行きつ戻りつ往還しながら深い理解が得られるとの考えもあると思います。
 仮に中核的な概念等の理解について評価規準を設定する場合、焦点が不明瞭になる懸念がある一方で、評価課題の工夫次第で理解を問うことも可能な場合もあると考えております。こうした点について、いずれにせよ、各教科等における中核的な概念等の具体的な粒度や示し方について今後検討していく中で、学習評価における取扱いについても具体的な整理を行っていくことが必要と考えておりますので、この点については、今後専門的な部会において並行して議論することとしてはどうかと考えているところでございます。
 4番目、右上ですけれども、評価の頻度やタイミングについてであります。学習評価を行う際に、真に子供の学習等の改善に繋げていくためには、「学習改善等に生かす評価」、適時のタイミングでのアセスメントやフィードバックの充実が重要であると考えています。一方、先ほど申し上げたように、評価活動の中では、「記録に残す評価」がほとんどを占めている実態があり、加えて、評定を学期ごとに通知表等でお示しをしている学校が多い実態がある中で、なかなか「学習改善等に生かす評価」を充実させることが現状のままでは負担が大きいという御指摘もいただいております。
 これを踏まえますと、基本的な方向性でありますけれども、マル1、評定への総括は課程の修了認定を行う学年末にのみ行うことが可能であることを明確に示しつつ、その場合には、学期中は「学習改善等に生かす評価」を中心に行うことを促すなど、評価の役割分担を明確化していくことについてどのように考えるか。このようなことを行っていくことができれば、マル2、ある単元や学期でうまく学ぶことができなかった子供でも、その後の学習によって挽回の機会を提供できることや、「裁量的な時間」を活用して、一人一人に応じた学習活動を拡充していくこととも親和的だと思いますので、多様性を包摂する教育課程の在り方に繋がっていくのではないかとも考えています。
 なお、※(コメ)の部分でございますけれども、「学びに向かう力・人間性等」も含めて、学習の途中に「学習改善等に生かす評価」を行っていくことは極めて重要でありますので、この御提案は決して学期中に評価活動を行わず、学年末に評定の整理のみを行うといった学習評価を単に貧しくする方向で誤解され運用されることのないよう留意が必要と考えています。
 こうした学年末のみに評定の総括を行うという御提案に当たっては、課題もあると考えています。下の部分、例えば以下のような課題も考えられますので、デジタル学習基盤の活用も含めた具体的な運用例を示すなど、具体的な在り方について引き続き検討が必要と考えています。学期途中に評定がないと学習の進捗が分かりにくい、各学期の「学習改善等に生かす評価」のフィードバックの方法がイメージしにくい、高校入試との関係上、中3は2学期までの評定が必要、各単元の「記録に残す評価」の精選の具体的なイメージが湧きにくい、特定の時点でうまく学べなかった子供がその後の学習で顕著に資質・能力を発揮した場合の評価上の対応について、過度な負担なく行う方法がイメージしにくいといったようなことであります。
 ここまで御説明したことを、補足イメージでもう一度洗っていきたいと思います。先ほど御説明しました主体的に学習に取り組む態度の評価の改善のイメージであります。上が現行、下が改善のイメージであります。現行について振り返っていきますと、「学びに向かう力・人間性等」の目標と評価の観点、左側Aという部分でありますけれども、現行は指導要領で、この例であれば目標が記載されている。そこから、現行でも個人内評価とされている感性・思いやりを除いて、「主体的に学習に取り組む態度」として、通知で評価の観点を文科省としてお示しをしています。このような観点を踏まえて、右側にありますように、目標準拠評価の2側面と申し上げた学習の自己調整、粘り強さの観点から見取っていく、このような考え方になっているわけです。
 課題としては、右側の箱でありますけれども、「学びに向かう力・人間性等」の目標を構成する要素が構造的につかみにくく、この観点のAという部分もなかなかつかみにくい。こうした事情を踏まえて、評価に当たっての2側面のBを事後的に整理したのが現行の経緯であります。しかし、目標準拠評価としてAとBを整合的に理解して評価規準を設定するということが多くの教師にとって難しいと指摘をいただいてきました。結果として、形式的な勤勉さばかりが強調されるという実態も生じているのではないかということが現行の課題であります。
 その上で改善のイメージ、先ほど申し上げたことでありますけれども、対応の方向性の案でありますけれども、「学びに向かう力・人間性等」を構成する要素はあらかじめ整理した上で、整理された4つの要素を踏まえて、目標準拠評価ではなく個人内評価として実施をする。その上で、「初発の思考や行動」、「学びの主体的な調整」、「他者との対話と協働」が特に表出した場合、各教科等の思考・判断・表現にマルを付記する、こういった御提案であります。
 さらに、端的にお示しした絵がこちらであります。上が現行の観点別評価、下が新しい観点別評価のイメージであります。右側の部分を御覧いただければと思いますけれども、「主体的に学習に取り組む態度」は現行、目標準拠評価として、A、B、Cで評価をした上で評定に反映していくという形でありましたけれども、下を御覧ください。「学びに向かう力・人間性」の観点とし、個人内評価として、全体として捉える、それを評定ではせず、総合所見欄等で見取っていくという形にした上で、左側に青い矢印が伸びていますけれども、思考・判断・表現の過程で、この「学びに向かう力・人間性」が特に表出した場合には、その場合に限って「思考・判断・表現」の観点別評価に「○」(マル)を付記する、こうしたやり方を今回御提案させていただいております。
 ここまで御説明したことを1枚で、現行の評価のイメージから先生方のコメントのような形でさらに改めて整理をしているものがこちらの資料であります。
 まず、下のほうを御覧いただければと思います。下に論点1があり、上に論点2があり、右下に論点3がありますので、目が飛んで恐縮であります。まず、下の部分でありますけれども、論点1、「『主態』評価の改善」とありますけれども、先生のコメントの部分、ペーパーテストのみで「思考・判断・表現」も評価するのは限界だな、多面的な評価が必要なのは分かっているけど悩ましいな、「主態」の評価も目標準拠評価だから、客観的・定量的な評価材料が必要となりがち。でも、振り返りやノート記述の確認だけでも大きな手間だし、良い点を前向きに評価するのが難しいな。こんなコメントをされています。
 それに対して、下の部分でありますけれども、例えば「学びに向かう力・人間性」が特に表出した場合、「思・判・表」の観点別評価に「○」(マル)を付記することの適否。右側、目指す資質・能力を適切に反映した評価となりにくい、負担が重いとの指摘がある「学びに向かう力・人間性等」については、教育課程全体として個人内評価とすることの適否ということが書いてあるわけです。
 上の論点2を御覧いただければと思います。評価材料が多く、課題の消化や記録の確認に時間が取られ、学習や指導の充実に繋がらないといった上のほうの先生のコメント。そして、学習評価のほとんどが評定に向けて行われる傾向があり、学習や指導の改善に結び付きにくいといったようなコメント。そして一番右側、全学期評定を定めることの負担が大きい。1学期にできなかったことが学年末にできるようになっても、前の学期の評定は変えられないといったこと。こうしたことに、さらに上の部分でありますけれども、負担が重い「記録に残す評価」の精選の方策(デジタル技術活用の可能性を含む)であります。負担の重い評定の頻度を見直しつつ、「学習改善等に生かす評価」を充実する方策、こういったことの検討が必要なのではないか。こちらもデジタル技術を活用していければと考えているところであります。
 そして右下、中核的な概念等との関係でありますけれども、先生のコメントの部分、現在、次期指導要領に向けて中核的な概念等の位置づけが議論されているけれども、学習評価においてどのような取扱いになるのか不安だといったコメント。それに対しては、今後専門的な部会で、各教科等における中核的な概念等の具体的な粒度や示し方について検討していく中で、学習評価における取扱いについても具体的に整理していければと考えているところです。全体を御説明したところが、こちらの補足イメージとなっているところであります。
 ここから先は参考の資料でございます。まず、こちらについては、学習評価に係る様々な用語であります。改めて「学習改善等に繋げる評価」、「記録に残す評価」、目標準拠評価、個人内評価などについて簡単に御説明をさせていただいております。こちらは現行の仕組みについて指導要録の参考様式、あるいは文部科学省の通知等においてこのように考え方を示しているということを具体的にお示ししているものであります。
 また、こちらも各観点の現行の評価方法等について、留意点として文部科学省としてお示ししている内容について記載をしているものであります。こちらは、学習評価について各種調査の結果であります。本日御説明した課題に繋がるようなアンケート結果をお示ししております。そしてこちら、学習評価に係る先生方の御意見を集めたものであります。こちらも現在感じている課題や課題を基に取り組んでいる工夫について示しており、今日の議論に繋がっていることが御了解いただけるかと思っております。
 そしてこちら、本日の議論に関係する事例でありますけれども、例えばこれは形成的評価と総括的評価が区別されず、毎時評価を行っていて、かなり負担感が重いイメージの例でありますので、御参照いただければと思います。一方、こちらは石井委員も関わっておられるものでありますけれども、真に意味のある評価活動へ集中して評価場面を精選する事例についてお示しをしております。
 こちらは文科省の調査結果でありますけれども、本日評定の作成頻度の状況や工夫例についても御説明申し上げましたが、小中で現行3学期制であれば3回の評定をつくっている、2学期制であれば2回の評定をつくっているけれども、3学期制だけれども2回の評定頻度、これが赤い部分です。小学校で2割、中学校で3割程度といったこと、こういったことも増えておりますし、まだ僅かでありますが、年に1回の評定としている事例もあることが御覧いただけるかと思っております。
 また、こちらは評定の通知回数を減らして、「学習改善等に繋げる評価」を充実させている例であります。こちらはデジタル技術も活用して、評価の記録を残して、面談において保護者と一緒になって3者面談で、子供本人が学習の成果を報告して、担任がフィードバックするような形成的評価の事例となっております。こちらは、既に特別部会でも戸田南小学校の御発表がありましたけれども、思考・判断・表現の過程で「学びに向かう力・人間性等」を積極的に評価している具体の事例であります。また、こちらも、加賀市の事例でありますけれども、同様の評価の事例であります。こうしたことを御紹介させていただいているところでございます。
 また、最後でございますけれども、補足資料として幾つか資料を御用意しております。諸外国における学習評価として、形成的評価や総括的評価あるいは評価の頻度、評価の材料をどのように使っているかということについて、こちらはカナダのブリティッシュコロンビア州の事例、こちらはオンタリオ州の事例、こちらはオーストラリアのニューサウスウェールズ州の事例、こちらはイングランドの事例といったものについて掲載をしておりますので、御参照いただければと思っております。
 長くなりましたけれども、事務局からは以上でございます。
【貞広主査】  ありがとうございました。
 それでは、引き続きまして、学習評価を御専門とされている石井委員より参考資料1-2を基に6分程度で御発言をいただきたいと思います。石井委員、よろしくお願いいたします。
【石井委員】  それでは、まず、画面を共有させていただきます。今、北海道のある小学校に来ておりまして、音声とかその辺、ふだんとちょっと違うので少し心もとないところもありますが、6分ということでお話しさせていただきます。私のほうからは、事務局提案に対してのコメントではないんですけれども、どういうふうに考えるのかという、学習評価の在り方に関して検討の視点を提起できればと思っております。
 今回、学習評価もそうですけれども、企画特別部会の中で、次期学習指導要領に向けての基本的な検討の視点というのは、ここにまず書きましたように、学校現場の負担軽減や教育課程の柔軟化に取り組みつつも、深くて質の高い学び、これを保障していく。つまり、持続可能性、公正性、そして学びの質、これらを同時的に統一的に実現していくということが大きな課題かと思います。私はゆるくて深いなんて言ったりしますけれども、そういった観点からも、学習評価が形式化、煩雑化しがちな状況といったものに向き合う必要がある。
 その1つのポイントとしては、先ほどの提案にもありましたけれども、私は指導の評価化と言ったりしますけれども、要は、指導しているんだか評価しているんだか点検しているんだか分からないということで、ずっと記録を取っているみたいに、記録を残さないといけないみたいな、授業過程で点検・記録に追われるということに対して、それは結局形成的評価と総括的評価、この辺の区別がされていないということがありますので、そこの意識、これは現行の指導要録であるとか学習評価改革の中でも強調された点かと思います。それをさらに徹底する。そのときにポイントになってくるのは、単元とか学期というスパンで考えていく。そこで評価材料の収集、総括、そのタイミングを重点化することが重要かと思います。この点に関しましては、やはりパフォーマンス課題等の豊かな評価課題を軸に、単元で授業づくりに取り組むということが重要になりまして、これは中核的な概念・方略、それらを軸にした目標・内容の重点化・構造化が大きな指針になってくるんじゃないかと思います。つまり、単元の中でどこを重点化するかといったときに、その見極めですよね。ここの部分が十分できていないということが評価の煩雑化等の背景にあると思いますので、ここは目標内の重点化・構造化と大きな関連がある。
 今回もう一つ大きな論点になっているのは、主体的に学習に取り組む態度等の情意的な側面をどう扱うかということですけれども、これはもちろん授業づくりだとか学びの深化においては重要であると。それを見取ったり、あるいは形成的評価を通して認め、育てていくことはもちろん大事です。でも、だからといってそれを総括的評価、特にA、B、Cをつけて評定の対象にするということは逆機能をもたらす。人格評価であるとか、管理的な性格と書きましたけれども、先ほども、態度の偽装ではないですけど、そういったものが生まれ、むしろ教室とか学校を息苦しく、また、主体性の育成とは全く逆の結果をもたらしている現状があるんじゃないかというところです。また、柔軟な教育課程とも関係しますけれども、不登校児童生徒への対応も含めて、多様な場での学びの評価を考えていく上では、出席とか積極性を必ずしも前提としない修得主義的なシステムへの移行が必要性を増していると思います。つまり、先ほどの学び直しの問題もこれなんです。履修主義から修得主義へという大きな目標・評価関係におけるシフトがベースにある。上記の点を考慮しつつ、情意領域は評価しても評定せずという考え方を基本に置いて、人間性の評定につながらないように、感性・思いやりなどを個人内評価に現行は位置づけているわけですけれども、それと同様に、主体的に学習に取り組む態度も所見欄等で個人内評価を行う方向性は妥当であると思います。
 この後、参考資料ということで、指導の評価化という問題の詳細もスライドにまとめていますが、もう一つのスライドに示しているように、実は現行の観点別評価とか指導と評価の一体化というのは、ブルーム理論を日本に実装したという側面があるんですが、ブルーム自身も、情意領域は評価しても評定せず、これが原則であると言っていたわけです。その原理原則論からしても、今回の事務局提案は妥当であろうと思います。
 しかし、一方において、主体的に学習に取り組む態度といったものが実際に果たしてきた機能が何なのかということも冷静に考えておく必要があるということです。基本的には、個人内評価で評価すれども評定せずでいいと思うんですけれども、主体性観点の果たしてきた機能は何かと言いますと、結局主体的で探究的な学びへの取組の重要性を示す、特に高校においてはアクティブラーニングとかもそうですが、学びの変革を促す起爆剤としての意味があったのではないか。もう一つは、知識・思考といった能力面だけで認め、励まし切れない子供たち、特にしんどい学校とかで、そういった学びの意味を尊重したいという現場の先生方の思い、ここに応える側面もあったのではないかということです。ちなみに、以前議論された学びに向かう力・人間性等の整理のイメージで出てきた4要素みたいなもの、それを念頭に置きながら考えると、知的好奇心がくすぐられて解放され、分からなさを引きずりながら試行錯誤とか工夫を重ねて、その先にもっと探究したいという気持ちが強まったり、興味・関心の幅が広がったり、そうした学びのプロセスが結局4要素といったものを示したときの前提にある。それを他者とともにやっていくというのが、学びのイメージだったと思うんですけれども、そういった問いと答えの間が長い思考を伴う学習活動がまさにこういったものなんです。そこにおいてこそ、この4要素で整理されたものが最も発揮され、その育ちも表れるだろう。
 特に教科の学びを通して育つ、ある種出口の情意といいますか、単に入り口の食いつきみたいなものじゃなくて、学んだ先に生まれてくる態度変容ですね。国語であれば言葉へのこだわりとか、あるいは社会科であれば多面的・多角的に考えようとする態度とか、そういった教科に向かう主体性みたいなものは、思考・判断・表現の育ちと一体的でこそ育つ、あるいは見取りやすくなるということかと思います。そうした主体的に探究的に思考することを促す単元づくりにフォーカスしていくことが重要かと思います。パフォーマンス課題等も含めたそういった取組の充実に繋げていくことが、結果としてそういった4要素で示されたような学びに向かう力とか人間性等の育ちに繋がるだろうと。
 そういう観点からしますと、いわゆる態度的なところ、学びに向かう力と思考・判断・表現、これを一体的に考えていくということが一定妥当性があるかと思います。ただそのとき、何らかの形でそういった学びに向かう力云々を評定の際に考慮するかどうかということは、これは現場に実際与える影響等を見極めつつ、さらに議論が必要かと思います。主体的に学習に取り組む態度が果たしてきた機能をいい意味で継承するということからしますと、目標・観点としては残す、これぐらいはあると思うんですけれども、その上で、行動の記録欄のように、特に評価したい取組とか育ちが見られたら加点的に「○」(マル)を付記するという運用は、一定の妥当性といいますか、ありうるのではないかと思ったりします。でも、それをさらに評定に繋げるかどうかということはさらに議論が必要と思います。
 この辺は補足資料ということですけれども、以上の態度観点の扱いの大前提として、結局学びに向かう力・人間性等については、日本の教育課程がもともと全人教育的性格を持っているということを再確認しつつ、教育課程全体でどこでどう育てられるのかということの緩やかな整理は必要かなと思います。そうしないと、教科で全てを目標に取り入れようとすると、結局また負担増というか、何かよく分からない話になってしまうと思うので、やはりカリキュラム全体の中でどうなのか。そしたら教科目標としての要素はどの部分を主に担うのか。実際今回の事務局提案の中にも、学びを方向付ける人間性、ここは総合とか特活とかがメインになってくるかなということなので、教科の態度目標で想定されていないような感じがするわけですけれども、教育課程全体を見渡しつつ教科目標として、追求すべき学びに向かう力・人間性等って何なのかということを考える必要があるということです。
 最後、中核的な概念・方略に関しては、このキーワード自体が持っている意味は、精選を含んだ内容の重点化・構造化を促すこと、あとはメタな目標を意識することによって単元とか学びがダイナミックになること、ここがポイントです。ですから、それ自体を直接的に評価するというのは結構リスクが大きいんじゃないかと思います。特に知識・技能、思考・判断・表現に加えて第3の要素が加わったようなものになってしまうと、現場からすると負担増というか、かなりしんどいことになるということです。ですから、むしろ中核的な概念・方略を意識することによって、思考・判断・表現をより主体的で探究的とか、使えるレベルの思考とか、そういったものを問うようなものとしてバージョンアップする。さらに知識・技能に関しても意味理解を問うような、そういった豊かなテスト問題とかがより生まれてくるような、そういう取組を促すような方向で機能していくことが重要なのではないかなと思います。
 長くなりましたが、以上です。
【貞広主査】  石井委員、ありがとうございました。それでは、今の石井委員の御発表も加えまして、御意見のある方は挙手ボタンを押していただければと存じます。こちらから御指名をさせていただきます。会場にいらっしゃる委員の方も、発言時はミュートを解除してお話しください。皆様に御発言の機会があるよう、お一方、御発言は3分以内でおまとめいただければ幸いです。いかがでしょうか。
 では、順番に御指名申し上げます。秋田委員、植阪委員、堀田委員、戸ヶ﨑委員の順で、まずは御発言をお願いいたします。秋田委員、どうぞ。
【秋田主査代理】  ありがとうございます。学習院大学の秋田です。
 まず1点目としては、私は前回までの学習評価のワーキンググループの委員でございました。その関係から見ますと、これまでの学習指導要領を議論した後に別途評価を議論してきたということから見ると今回の検討は画期的なことであり、評価が本当に学習の内容と密接に一体化されている議論を御提案いただいたことに大きな賛同を致すものでございます。
 その上で2点目として、個人内評価という形にしていくことの問題でございますけれども、私も個人内評価にしていくことに賛成でございます。ただ1点、初発の思考や行動、好奇心という言葉でいいのか。例えばこだわるとか好きとか達成感のようなものまでを含むと、「初発」という言葉でよいのかというところについては、さらに検討が必要であります。こうした4つの観点をより詳細に見て、それを評定ではなくて、学習のプロセスで見取るための視点として明確に今回出そうということは、思考・判断・表現と密接に各教科で何をどう見たらいいのかという視点を出すとして、重要なことだと思うところであります。
 また、評定として、「○」(マル)をつけて加点するかどうかについては、先ほど石井委員も言われましたが、慎重な議論が必要なのではないかと思います。これによって、より精緻に一体的に子供のよさを見ていく、また、特定単元だけにこだわらずに、その子供の学びの姿を見ていけるというところで重要だろうと考えます。ただ発達的な、やはり小学校低学年、中高学年、中学校、高校とどのような形にしていくのかは、もう少し詳細な議論が必要だと考えます。
 そして、3点目でございますけれども、学年末の評定ということは賛成であります、全体としてです。ただ、転校とか高校入試のことを考えましたときに、この辺、教員の負担を減らすというところ等では、転校等の場合にどのように対応していくのかというところでの考慮何らかの形での検討は必要であろうと思う次第です。
 以上になります。ありがとうございます。
【貞広主査】  ありがとうございました。
 では、植阪委員、お願いいたします。
【植阪委員】  よろしくお願いします。資料も出させていただきましたので、途中で使いながら話したいと思います。電車の関係でオンラインに切り替わりまして、申し訳ありません。
 まず、前回の改訂では、指導要領の方向性が出た後の評価ワーキングにおいて「自らの学びを調整する側面」という視点が主体的に学ぶ態度の中に含められ、評価に入ってきました。この点が、指導要領全体に入ってきたことはとてもよいと感じています。ただ、今回の改訂では、これを具体的に評価するのはやめてしまうという形で飛んでしまったのは、大変残念です。好奇心などは個人内の側面を評価することが難しいというのはすごく理解できます。ただ、学びの自己調整については、ある程度学習改善のための指導であって、重要なのではないかと感じています。前回の改訂でも、この評価は「単なる評価のための評価ではない」ということも強調されていましたので、具体的な評価の中から消えてしまったのはちょっと残念だと思っています。それでも、なぜ今回の改訂においてこうなってしまったかの背景を考えますと、やはり学びの自己調整のようなことが社会に正しく理解されなかったことが大きいのではないかと思っています。本学に昨年度在籍されていて、高校の先生に戻られた先生からお話を聞いてみると、やはり「主体的に学びに向かう態度」を、前の評価と同様に「関心、意欲、態度」と捉えている方が多くて、なかなか正しく理解されていない現状があるというのも聞いています。ですので、しかたないとも思うのですが、正しく理解した上で、将来的にはまたこれが評価できる体制になっていくことが、期待されるとも思っています。世界的に見れば自己調整ということについては各国の関心事でもありますので、評価そのものをつけるというよりは先生の頭の中に入れていくというのは大事かなと思っています。
 そのことを考えますと、もしかしたら具体的な評価項目からは消えますが、「自己調整」という言葉にすればいいのか、例えば「学習方略」という言い方にするのがいいのか分かりませんが、社会で活躍しているような人の学び方、内容だけではなくて学び方そのものを育てるという発想を指導要領の総則の全体の中にもう少し強調すべきではないかと思っています。今は評価の中にかろうじて入っていましたが、一般の方から見ると、飛んでしまうような形になりますので、やはりその辺、大事な視点だと思っています。社会で活躍していくためにはこれはすごく大事な視点だと思いますので、もう少し明記する必要があるのではないかということです。その上で、自己調整というイメージがつきにくいと思いましたので、少しだけ残りの時間、具体的な例でお話ししたいと思っています。今回高校の例を出しますが、小中の例も資料には出しておりますので、関心のある方はぜひ御覧ください。
 植阪の資料に基づいてお話しさせていただきます。まず、はじめに、学びのコントロールを生徒自身がする姿が求められているということを、生徒と共有していく必要があると思います。これは神奈川県の数学教師である秋澤武志教諭がつくられた発表の抜粋になります。学会でお話ししてくださったものをもとにしております。例えば、間違えそうなことを自分でメモをするであるとか、ノートにも教訓として書き残して、自分自身に対するアドバイスのような形で残していく、こういうことができる力が、学びを主体的に構成して、次に繋げていく力の一例です。
 挙手や提出物の提出状況で評価されてしまっている現状がありますが、そうではなくて、提出された物などから、自己調整の様子を見とることができます。例えば、単に丸つけだけしているのか、それとも教訓やポイントや気づきなども含めて書いているのか、こういうところも含めて評価していくこともできます。これを促していくことによって、対応の問題を解くだけじゃなくて、少しの問題でも成果を上げていく子供にしていくことができます。これに加え、秋澤先生の実践では、子供自身にも自分の学んだことは学習目標に合致しているのかということを自分で説明をしてみて、その動画を振り返るという活動を取り入れられています。知識・技能、思考・判断・表現を、生徒自身に評価させるという実践を、宿題で出してやっております。まとめますと、主体的に学びに向かう態度というのは、現在は提出物の提出状況や、挙手で評価されがちですが、そうではないということです。むしろ、授業の受け方や試験のフィードバックそのものからも見取っていったり、そして価値づけて方向づけていくことができるというものだと思っております。
 これについて小学校の事例、これだけではなくて、小学校、中学校ではどういうような自己調整が可能なのかという例も少し挙げていますので、よろしければぜひ御覧ください。ぜひ総則のほうに、もう少し強調する形で残していただければと思っております。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございました。
 では続きまして、堀田委員、お願いいたします。
【堀田主査代理】  堀田でございます。2つ意見を申し上げます。
 1つ目は、指導と評価の一体化という考え方から言えば、何が評価されるかは、何が指導されるべきかということの裏返しだと、当たり前ですけど、そういうふうに思います。資質・能力の3つの柱から考えれば、知識及び技能と思考力、判断力、表現力等に加えて、学びに向かう力、人間性等というのが評価対象になることは当然理解できます。これから激動の時代で長く生きることになる子供たちには、学びに向かう力が特に重要だと個人的には考えますけれども、その評価は簡単ではない現実があって、今回改善の提案なんだと理解しました。
 そこで、学びに向かう力、人間性等の評価を一本化すると同時に、個人内評価とし、優れた様子が見取れた場合に「○」(マル)をつけるという形にすること。また、思考・判断・表現の評定に影響させることができるようにするという今回の方法について、私は賛成でございます。ただ、どのように影響させるかということについては、これは秋田委員からも出ましたけれども、学校種や教科等によって同じなのかどうか、あるいは発達段階を踏まえて詳細な検討が必要かと思うので、この辺りをあまり機械的になり過ぎないように今後ていねいに検討していくことが重要かと思います。これが1つ目です。
 もう一つ、2つ目ですが、評価と評定の混乱がいまだにあるように思います。これは事務局提案にもあったことかと思います。形成的な評価と総括的な評価の明確な区分みたいなことも、もっと世の中に広めるべきだと思いますし、日々の見取りとしての評価と、あるいは入試等に利用されたり指導要録に残されたりするような評定の違い、加えて公文書である指導要録と、公文書ではないけれども、各学校が児童生徒や保護者とのコミュニケーションのツールとして使われている、慣例として使われている通知表、こういうものの違い等についてもっと明示的に社会に説明すべきではないかと思います。
 デジタル学習基盤の立場から申し上げますけれども、デジタル学習基盤の利用によって、様々な学習の履歴が残ります。先ほど植阪委員がいろいろお示しいただいたようなことが、デジタルだと途中の段階でも、あるいは終わった段階でも情報が残りますし、毎時間の児童生徒の振り返りの様子とかも残ります。また、ドリル等で言えば、内容項目別の達成度なども全部残ります。これらは全て形成的な評価の材料として有用で、従来よりも評価情報が豊かになると考えられます。子供たちは端末に向かっているだけでなく授業中は話合いなどの様々な活動をしていますから、今までの評価のときに見取ろうとしていた子供たちの行動と同じように教師は見取ることができると同時に、それに加えて、デジタル学習基盤から得られる評価情報、これを加えて指導改善や学習改善に繋げられる、この手法をもう少し具体的にお見せするようなことを国からすべきかなと思いました。
 以上でございます。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では続きまして、戸ヶ﨑委員、お願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】  それでは、できるだけ絞って申し上げたいと思います。
 まず、事務局資料1の2ページに、「指導と評価の一体化は道半ば」とあります。この一体化で大切なのは、あくまでも指導に関する評価を充実させて指導の質を高めることですけれども、このことが昭和時代から現在まで課題であり続けている原因が何なのかを改めて明らかにしていく必要があると思っています。
 評価というと、つい評定とか総括的な評価を思い浮かべてしまいがちですけれども、指導過程における評価、形成的評価の充実が大切であることは論を俟ちません。
評価を通じて、子供は学習状況を振り返るとともに、教師にとっては指導を見直すという評価の原点や、形成的評価は、インタラクティブであり、コミュニケーションの中でこそ実施されるべきことも改めて認識する必要があります。
 また、これまで「どのような力がついたのか」ということを顧みないで、とかく指導方法に目が行きがちだったことも評価の先細りの一因だろうと思っています。また、評価規準とか評価方法などの評価の方針について、最近子供たちに伝えてないように思います。どのような評価を行うかを事前に示して共有していくことは、評価の妥当性や信頼性を高めて、各教科等で身に付けるべき資質・能力の具体的なイメージを子供に持たせて、自らの学習の見通しや調整を図るきっかけになることも期待されます。
さらに、情意領域の評価などでも、昭和時代から強調されていた、評価ができるように、またしやすいように見せ場がしっかりと準備されていないという状況も見直す必要があります。
 次に、3の「評価場面の精選」ですけれども、くれぐれも評価全体が軽視されないように注意が必要です。石井先生からあった「指導の評価化」や「指導の目的化」は当然注意が必要ですけれども、「精選」という名の下で評価の質が痩せ細るようなことがあってはならず、ここは焦点化という正しい意味で捉えるべきであると思っています。
 また、8ページの学びに向かう力・人間性を個人内評価として見取ることに加えて、「思考・判断・表現の評価への付記」で観点別評価欄に「○」(マル)をつけるという案は大賛成であります。先ほど「消えてしまう」という御発言がありましたけれども、私はそうは思いません。学びに向かう力・人間性を評価の観点としてしっかりと位置づけて重視しつつ、説明責任への萎縮から表面的な見取りに陥らないように、総合所見等における見取りに加えて、特に表出した場合にはポジティブな場合にのみ見取って、思考・判断・表現の過程と一体的に、学びに向かう力・人間性を育むことも評価できるようにしたと理解しています。消えたわけではなくて、これは大変腹落ちできることかなと思っています。評価の質を高めるということを志向しつつ、教師の負担軽減の視点だとか、また、マイナス面に見取らなくなることは非常に意義もあります。まさに抜本的な改善案であると評価しています。
 一方で、知識・技能の評価に「○」(マル)を付記するということについては、知識・技能の評価は、各教科等における学習の過程を通して、知識・技能の習得状況、つまりプロセスを評価することが大切です。テストの点数だけではなくて、学習過程の努力も含まれることや、知識・技能の情意化を防ぐこと、評価の負担の観点からも、ここは慎重になるべきではないかなと思っています。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では今井委員、お願いいたします。
【今井委員】  今井でございます。今回の御提案の学習指導要領と評価を一体化させる、そして、一番目指すところである学びに向かう力、これを観点に入れるけれども評価、点数化しないというのは本当にすばらしいことで、私、また「事務局、偉い!」と言いたいと思います。本当にこの御提案をくださった文科省の方々にも本当に満点をつけたいと思います。
 その上で、戸ヶ﨑委員、他の委員の方がたらの御指摘もありましたけれども、評価って本当は指導に生かすべきものなのですが、これまでそれがなかなかうまくいっていなかったという問題があります。これの根本的な問題は、やはり一般社会の人たち、特に保護者の方々がこの評価を見て、ほかの子供と比べて相対的な位置づけであるという観念に凝り固まっているところにあると思います。保護者が評価について相対的に子供を位置づけるものと思っている限りは、いくら学習指導要領が変わっても、なかなか現場は変わらないと思うんです。なので、今回こういう本当にすばらしい提案をしたのですから、学習指導要領の一番目立つ一番最初のところで、何のために評価をするのかということをはっきり書くべきだと思うんです。評価は何のためにするのか。評価は相対的な位置づけではなく、どういう観点があり得えて、なぜそれが大事なのかというところまで踏み込んで書くべきだと思います。相対的な評価は1つの軸で順序づけをします。例えば入試がそうです。入試をなくせというのは無理だと思いますが、入試は社会にとっての必要悪だと思っています。でも、学校がすべき評価というのはそれじゃないですよ。学校における評価で大事なのは、子供のいいところを引き出し、課題をはっきりと認識する。それによって、保護者は子供の課題を認識して、いいところを引き出して、そのサポートをする。そのために評価をするのです。
 そして指導者、先生は、一人一人の子供の、こういうところにつまずいている、こういうところに課題があるというような、そういうことから指導を考える。保護者に対しての観点、指導者に対しての観点で、そういうことをはっきりと書くべきだと思います。それがはっきりしていれば、事務局提案のすばらしさが分かると思いますが、そうじゃないと、社会の人たちは、事務局提案の意味がわからないまま、スルーしてしまうと思います。先ほども石井先生などから御指摘があった、評価しても評定せず、だけど、格別にいいところがあったら「○」(マル)をつけて加点するという言葉がありました。でも、私は、「加点」という言葉は絶対やめたほうがいいと思うんです。加点というと、スコアにして点を足し合わせ、得点化し、得点が高いほうがすぐれている、というように人は考えてしまいがちです。多様性を認めて総合的に見ていくことが大事っていったときに、「○」(マル)がたくさんあるといい子なんだよというような、そういうメッセージを与えないような配慮はすごく大事なんじゃないかなと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では、小見委員、お願いいたします。
【小見委員】  ありがとうございます。みらいずworksの小見です。学習評価について文科省から御提示いただいた案には基本的に賛成です。その上で、保護者の立場から考えたいことを提言させてください。
 具体的論点、方向性4の評価の頻度やタイミングに関してです。保護者にとって、今ほど今井委員からも保護者の視点というお話がありましたけれども、評価と直接触れる場面は評定となる通知表が中心です。しかし、通知表だけでは、子供のどこが課題で、どんなふうに家庭で働きかければよいのかというのが十分に伝わりにくいと感じています。働き方改革の流れで所見欄を廃止したり簡略化したりする学校も増えてきていますが、その分、保護者と子供の学びの間に距離ができてしまうという面も感じています。
 また、子供自身も評定を、自分ができていないことの判定として受け止めてしまいがちです。この単元や学期で何を学べばよいのかという目標と評価、評定が一体的に行われなければ、評定がむしろ自分はできていないんだ、自分はできない人間なんだという固定的なマインドセットを育んでしまうと感じています。実際、私の子供の学校でも同じような問題意識を感じ、校長先生にお伝えしましたら、学期末の保護者の個別面談というのを3者面談に切り替えてくださるなど工夫してくださいました。
 18ページにあります静岡県、中島小学校の事例にもありましたが、子供自身がこの学期で学んだこと、身に付けたことを保護者と先生に向けて自分の言葉でプレゼンする時間というのが設けられました。この取組によって、子供たちは自分の学習をメタ認知し、自己評価し、自己調整する機会を得ましたし、保護者も、子供の学校での学びや成長を実感でき、家庭で支援することが私自身明確になりました。今井委員がおっしゃったように、保護者としても数字や評定に振り回されるのではなく、今の子供のよさを捉え、子供の課題を認識するという評価の捉え方にも少しずつ変わってくるのではないかと感じました。また、先生にとっても、子供の声を通じて子供の学びを多角的に深く理解し、新たな視点から子供を見つめる機会になったと感じています。評価は誰のために何のために行うのかというのを改めて問い直しながら、子供がやる気を失う評価ではなくて、子供の学びを振り返り、子供自身が次への意欲を育む評価や評定の在り方を目指していきたいなと考えています。
 ただし、先生の過度な負担にならないよう、評定の回数を減らして焦点化をする、ICT端末を活用した学習記録などを有効に活用したりすることに併せて、子供一人一人と向き合い見取る時間、学習評価のために余白を確保することが改めて大事だと感じています。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では前川委員、お願いいたします。
【前川委員】  よろしくお願いします。今回、主体的に学習に取り組む態度の観点の改善に関する事務局案として、個人内評価としつつも総合所見等で見取ることに加えて、特に表出した場合に限って見取るという構想が示されたこと、学習の評価の質を高めることを重視しつつ、教師の負担感に大いに配慮していただいたということで、バランスのあるいい提案だと思います。
 ただ、教師の評価に関する負担、特に主体的に学習に取り組む態度の評価に関する負担ということで言いますと、時間的な負担も当然あるんですが、一方で、A、B、Cで評価することによって指導の改善につながっているのかとか、子供の学びの成長につながっているのかという疑念を持ちながら評価している部分は実際にあると思います。そういった精神的な未達成感という、そういう負担もあることを御承知おきいただけたらと思います。その上で、ノート提出の頻度など記録にまとめやすいもの、表面的な見取りをしてしまう背景に、評定にダイレクトに影響する目標準拠評価としてA、B、Cを付与するという、これは今申し上げたように、教師にとっても子供にとっても厳しい面があったと思います。この点を抜本的に改善しつつ、「○」(マル)をつけるということで、教師や子供が学びに向かう力や人間性の重要性を各教科等で意識することは大切にしつつも、なおかつ、マイナス面ではなくプラス面のみを見取るという発想は、子供への励ましの効果も非常に大きいですし、教師にとってもプレッシャーが緩和すると思います。とりわけこの観点でマイナス評価をしないということは、生徒当事者あるいは保護者と学校間との間で評価に関するトラブルの解消にも繋がるということで、学校、教員にとっても大変ありがたい案だなと思います。
 その上で1点申し上げたいことは、今後の整理をしていただくときの期待したい点なんですが、本日の事務局案の4ページ、具体的方向性マル1の右側に思考・判断・表現の評価の対応のところの1、マル1、この辺りについてなんですが、「特に」と書いてあるところです。「『思考力・判断力・表現力等』は『知識や技能を活用して課題を解決するために必要な力』であり」と書いてありますが、逆もまた言えるのかなと思います。知識・技能と思考力・判断力・表現力というのがお互いに作用する関係にある中で、思考・判断・表現の過程で見取るということで整理されることについて、悩ましいなというのが正直な感想です。知識・技能もまた思考・判断・表現の過程で活用され、関連付けられることを考えれば、複雑なやり方は好ましくないと思うんですけれども、例えば思考・判断・表現までに到達しない、成長がそこではまだ出てこないけれども、知識・技能の段階で言うと、一定意欲とかそういうものが反映している子供たちはやっぱりいるわけです。特にそれは学力という言い方がいいかどうか分かりませんが、厳しい子供たちにとってはそういう側面があろうかと思います。ですから、今後、教師が見取りやすい考え方や運用を整理していく必要があろうかなと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 内田委員、お願いいたします。
【内田委員】  ありがとうございます。それでは、私から幾つか発言をさせていただきたいと思います。今回の整理で、学びに向かう力・人間性について個人内評価になることについては賛成をさせていただきたいと思います。特にここの部分については、単純に子供の学びに向かう意欲等だけでなくて、やはり教える側、先生との相性等によってもモチベーションが大きく影響を受けるところもあったかと思います。そういった意味で、個人内評価に移行することは非常にいいことだと思っております。公平性・公正性というところが、保護者であるとか生徒のほうからも、いろいろ疑問を持たれるところもありますので、ぜひこういったところについても、担保するために、学びに向かう力・人間性というところは、4つの側面を踏まえた上で、逆に教員が個人内評価を基に授業改善に繋げていくようなところについても扱っていったらいかがかなと思っている次第です。
 一方、学びの機会あるいは惰性というようなところ、中だるみを改善するためにも、評価の機会は一定の回数が必要ではないかなと思っている次第です。評価というのは、子供あるいは家庭に返していくというところがありまして、学校と家庭、あるいは生徒とのキャッチボールであると考えております。どういうふうに自分自身の学びが変化していくか、変容をお互いに考えて改善に繋げていくためにも、ある一定の機会が必要ではないかと思いますし、また、学校の働き方改革に繋げていく上では、AI等を活用した評価が行われるようになって、アウトプットを活用できるような環境が成り立っていけば、ここら辺の改善が図られる、今後ツールなどを開発していく必要があるのではないかと思います。
 3番目の中核的な概念と評価についての考え方ですけれども、植阪先生が言われました自己調整力は非常に重要なところと考えておりますので、こういったところと中核的な概念がうまく結びつくように総則等に盛り込んでいくことが改めて必要ではないかと感じた次第です。
 以上です。よろしくお願いいたします。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では会場から、松原委員、お願いいたします。
【松原委員】  ありがとうございます。学習評価の現状と課題を整理していただいて、大変いい方向で提案をしていただいたと受け止めております。ありがとうございます。また、学習指導要領と学習評価の検討をセットで行っているというのも現場としては大変ありがたいと感じております。短く3点お話しします。
 指導と評価の一体化はずっと言われてきたわけですけれども、形式化、煩雑化するばかりで、学習にも指導にも十分には生かし切れていないという面があったのも事実だと思います。学習改善等に生かす評価の役割分担については、これまでも不明確だったわけではないと思うのですが、具体的な評価のイメージと頻度を示していかないと新たな負担になることも懸念されます。学習評価の全体像を分かりやすく提示していただくとともに、使いやすい資料や事例をぜひ提供していただきたいと思っております。
 また、学びに向かう力・人間性を、教育課程全体を通じた個人内評価として行う方法に改めるというのも賛成です。特に表出した場合の扱いについては、あまり細かく分けずに、思考・判断・表現で考えるか、あるいは教科ごとに1つで考えていくのがよいのではないかと思います。
 最後にペーパーテストですけれども、今、様々工夫をしていただいてよいものがありますので、要は使い方次第だと考えます。論述やレポート等を適切に組み合わせていくことが大切だと思います。
 以上となります。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では田村委員、お願いいたします。
【田村委員】  今回の御提案は、学校現場でよく聞く学習評価の悩みの解決に向けて大きく前進するものだと考え、賛成いたします。児童生徒も教員の皆様も、記録に残すための細かい成績評価から解放されて、試行錯誤や失敗が許される環境の中で、安心して自由に思考を巡らせて、発言し学び合うことにより深い学びに繋がる、そういう学習をつくるということを一義的に考えたいと思います。
 御提案のありました情意領域である学びに向かう力は、目標に掲げて育成を目指すことは欠かせませんが、到達目標というよりは方向目標でありますので、評定にはなじみにくい教育目標です。かといって全く成績評価の対象から除外するのではなく、個人内評価として残している点は、石井委員もおっしゃったように、一生懸命頑張るんだけれど、なかなかテストの成績には結びつかない児童生徒もいて、その頑張りを何とか認めてあげたいという先生方の思いにもかなうものだと思われます。そして、特に表出された場合には「○」(マル)をつけると御提案いただきましたのも、なるほどと思いました。ただ、運用上、何%の生徒まで「○」(マル)をつけていいんですかといったような疑問も出てきそうだなと思ったりもしました。あまりそこを突き詰めて、決めて示すというよりは、学校の中での裁量で運用していただければと私は思います。
 それから、教育課程全体を通じた個人内評価であれば、特に中学校、高等学校では、各教科間のコミュニケーションが必要となるかと思います。思考・判断・表現のところに「○」(マル)をつけるという御提案ですが、そこに「○」(マル)をつけた理由というものがどうしても必要になってくると思います。評定というのは、問題になってくるのは関係者の納得性だと思います。学習や指導に生かす評価も含めて、評価はコミュニケーションと申します。戸ヶ﨑委員が子供とのコミュニケーションの重要性を指摘されましたけれども、事例にありました静岡市立中島小学校のように、児童生徒が自分自身の学びを振り返る3者面談は、学習としての評価でもあり、そして児童生徒、保護者、教師の間のコミュニケーションでもあります。このような考え方が広まるような方向になればいいと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では澤田委員、お願いいたします。
【澤田委員】  澤田です。今回の事務局提案に賛同いたします。子供の意欲や育ちのためにも、そして教師の授業改善のためにも意味を感じられる豊かな学びに繋がる評価の在り方に転換するものであると思いました。現場の教師目線で言えば、例えばスライドの8ページ、現行の評価イメージや先生の本音の吹き出しにあることは、私も教師をしていたことがあるので思い当たることばかりでした。今回の提案はこれらの解消に向かうことであり、歓迎します。だからこそ、今後の具体的な整理や示し方が重要だと考えます。その上で幾つかお伝えします。
 まず、態度に評定をつけることで、教師の本意ではないのに子供の意欲を下げていたようなことがこれまであり、業務量の負担以上に重くのしかかる徒労感がありました。態度の評定が不要になることと同時に、特に表出した場合は「○」(マル)を付記することを機に、その徒労感の解消も期待できますし、それと同時に子供を肯定的に見るという教師の在り方も一層アップデートされることを期待します。そして、評価イコール評定という誤解もまた教師の徒労感を強めていたので、形成的評価が現場により認識されて、支援に活用されれば、これも解消し得ると思いました。
 次に、本質的な理解や中核的な概念の獲得という方向性との関連についてです。この方向性があったからこそ、今回の評定、評価についての提案だったなと思いました。評価の在り方も授業風景も変えるものなので、中核的な概念等の獲得という方向性は改めてすごくいいなと思った次第です。指導と評価の一体化がこれまで以上に重要になりますし、今後の整理の中では、パフォーマンス評価との関連なども示されるべきだと考えます。そして、こうしたことが現場によく理解されるような示し方を強く意識していただきたいと思います。
 最後に、評定への総括が学年末にのみ行うことが可能であることを明確に示すという点についてです。これが、先生たちに評価が減っただけという理解でとどまってはもったいないですし、その目的が現場に浸透しなければ、学校のこれまでにもあった変わりにくさゆえに、3回のままの学校も多く残りそうです。負担軽減だけではなく、子供の学びや育ちのためにこそなんだという目的が現場にも保護者にもしっかり届くことが不可欠だと考えます。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では青海委員、お願いいたします。
【青海委員】  学びに向かう力・人間性等について先生方が適正な評価を目指し、誠実な思いから、評価材料を集めるためにかなりの時間を費やしているのは確かですが、とても大切な観点だと捉えています。それは、これからの時代に大切な力だと思っているからです。イメージ図に示された新たな観点別評価のイメージの方向性について異論はありません。マルをつけるということについても同様です。しかし、これは丁寧に提案していくことが大事であると思っています。心配し過ぎでなければよいのですけれども、教育課程全体を通じた個人内評価とすることにより、重要性が低くなったという印象を持たせないようにすることが大切です。また、理解が難しく、目指す資質・能力を適切に反映した評価になりにくいという課題を克服することも大切だと思います。以前事務局から出された背後に螺旋模様のあった、大変よくできた「学びに向かう力・人間性等の今後の整理イメージ図」、それを活用していくことも大事だと思っています。 以上です。
【貞広主査】  では山本委員、お願いします。
【山本委員】  本日の御提案の中で、「学びに向かう力・人間性」を個人内評価にすることや役割分担を明確にすることに賛成です。まだまだ現場の先生方の様子を見ていると、評価の種類、また、その手法みたいなことが、長い間の目標準拠評価の影響で、なかなか伝わってない状況があると思います。評価というと、努力の成果や結果を判定するとか、書面で残すといったイメージが強いように思います。前回の改訂の「記録に残す評価」と「記録に残さない評価」というのは、先生方にとっても非常にわかりやすかったわけですけれども、今回、評価には種類があって、目的や役割分担を明確化するだけではなく、先ほどらい出ている形成的評価は、コミュニケーションを通して行うことが効果的であるといった、手法であるとか場面の精選といったことも一体化して示していくことが先生方に伝わる一つの方法かなと思っています。
 その意味でもう1点は、子供の発達段階によってそういった形成的な評価、または評定に繋がるような公文書的な評価のどちらが適切かというバランスがあると考えております。現在校長をやっていて確信していることは、子供たちは学びに向かうことができれば、学ぶことの楽しさを味わうことができれば、学校に通い続けることができると感じているところで、そのためには、今ある子供の様子とか状況を把握する、観察することにこそ注力すべきだと初等教育では思っているところがあります。こういった普段の子供たちの状況や学びのプロセスの中で不断に行っている評価を保護者や子供たちにどのように伝えられるか、それこそ創造性を発揮する教師の場面だと思います。「柔軟なカリキュラム」を創造することと表裏一体、一体化して、そこでこそ教員の創造性を発揮する場面だということを強調して、文科省から発信していただくことが大事であると考えております。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。ただいま、溝上委員、神野委員、奈須委員、今村委員が手を挙げてくださっています。恐縮ですけれども、議題1につきましては今村委員までの御発言とさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 では溝上委員、お願いいたします。
【溝上委員】  溝上です。2つ大きくコメントしたいと思います。全体的には事務局の方向性には賛同していますので、その上で考えを述べたいと思いますが、1つは学びに向かう力・人間性等というのは、もともとそんなに細かく各教科等に落として評価、評定していく類いのものではありませんので、そういう意味では、事務局がおっしゃったように、教育課程全体で見ていくものだと。第1、第2の観点を中心としながら加点ですね。加点の具体的な例示は、多分ガイドライン等で出ると思いますので、そういったものを踏まえて、第1、第2の観点を中心に評価していくという方向で私はとてもいいと思います。評価、評定の考え方とかテクニカルなことはいろいろ考えられますので、それは最後1つ選んだとしても、それがベスト解では必ずしもないと思います。ただ、どういうふうになっても、せっかく平成元年答申以降、新学力観、関心、意欲、態度も含めて、大きく主体性評価に取り組んできたわけですから、もう30年ですよね。それが無駄にならないような落とし方、そこは強くお願いしたいと思います。評価から第3観点が消えたとか、こんな報じられ方をしたら大変残念です。評定、目標準拠評価からは外したけれども、観点別評価は残したと、こういう正確な伝わり方を期待したいと思います。もう一つ、関心、意欲、態度というのは観点別評価からは外れて今はありませんけれども、でも、現場の授業では日常的にふつうに実装されていますよね。このテーマはこういう形になっていくのが理想ではないかと思います。
 2つ目ですけれども、1つ目のことに関わりますけれども、3観点目の学びに向かう力というのは、「力」というのは何なのかという説明がどこかで欲しいと思います。「力」と日本語で都合よく言うときには、能力とか技能とか態度、その辺りが行ったり来たりとするわけですけれども、有名な非認知能力も、英語では「スキル」ですけど、「能力」と訳されたり「スキル」と片仮名で訳されたりします。こういうことを考えていったら、例えば1観点目の知識・技能の技能って言いますけれども、多分内実は各教科等に特有の実践的技能だと思いますけれども、2観点目の思考・判断・表現で示される技能は第1観点目を複合したもの、各教科等の知識と結びついているとは言え、やや汎用性の高いものです。そして、能力と態度との重なりも大きい。言葉が違うわけですから、重なり具合が大きいながらも、より能力と理解するのか、より技能と理解するのか。多分こういう形で世の中では議論されていく言葉遣いなのだと思います。その辺りを、私がぜひ事務局にお願いしたいのは、3観点は残っていくわけですから、3観点に対応する能力、技能、態度、情意の説明を定義とともにしていただけたら、世の中に観点別評価や目標準拠評価等がより普及していく上での、いわゆる教科書になるのではないかと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では神野委員、お願いいたします。
【神野委員】  よろしくお願いします。先ほど今井委員がおっしゃっていた何のための評価なのかというところ、私、すごくいい発言されるなと思いまして、私の思いを話させていただければと思っています。評価も結局手段であると、目的ではないと私は思っています。じゃ、何のための手段かといえば、学びを方向付ける人間性や初発の思考や行動を起こす力等の4要素と呼ばれるものを子供たちが学ぶための手段として評価があるんだと思います。先ほど田村先生もおっしゃっていたように、評価によるコミュニケーションということを通じながら、このような人間性を育てていく。例えば評価を甘くつけろと言っている意味ではありませんが、評価をすることで、仮に学びを方向付ける人間性が損なわれるのであれば、それはおかしいですよね。
 一方で、コミュニケーションによってこういう評価を今回したけれど、もう少しここまで行ったらこうなるんだよということで、子供たちの内発的動機づけみたいなものを促す。そういう意味において、評価というのは使われるべきなんだろうと思います。もしそのように評価を使っていくということをメッセージ性にするならば、学びに向かう力・人間性がそもそも評価に入っていることっておかしいですよねと。評価ということを使いながら、むしろ学びに向かう力・人間性を育てていく。そういう立ち位置だからこそ、評価というものは今回ここから消えたんですという言い方ができるならば、もしかしたらこれがそもそも消えるということに対する弊害をかなり減らせるんじゃないかなと1つ思いました。
 ただ、この話をしてみると、現場には非常に負担の重い話にも聞こえると思います。その文脈の中で、8ページにあります「デジタル技術活用の可能性を含む」と書いてありますが、CBTで今全国学力・学習状況調査は始まりましたけれども、IRT等々を使ったテスティングということを早期に導入していくことを検討していくことも必要なのかなとは思います。TOEFLのように、一人一人の個人の伸びをしっかり可視化できるということです。一人一人の伸びがちゃんと可視化できて評価できるという話に現場の先生もなっていけば、それが次は単元テスト、学校内のテストにおいてもそのような技術ができるのではないか、そのような議論にまで発展できるんじゃないかなとは思います。ただ、そこまで行ったとしても、多分できるのは小学校までなのかなという気がしていて、中学校の評定となると、今度は立ちはだかるのは高校受験だと思います。まさに先ほど今井先生がおっしゃった必要悪というやつです。ここには個人の伸びでそのまま書いてはいけない、横並びの中で評価されるというような世界観がどうしても出てくる。だけれども、この評価というものを今回我々は本気で変えるというような議論をしているのであれば、これは都道府県教委も含めて、高校受験がその評価をどのように扱うのかということにも議論を及ぼさなければいけないのではないかなとは思いました。
 以上になります。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では奈須委員、お願いいたします。
【奈須委員】  よろしくお願いいたします。今日の事務局案、特に主体的に学習に向かう態度の評価については、現行との関係において大きな方向転換ということだと思います。私も御提案の方向に賛成ですけれども、既に委員の皆さんがおっしゃったとおり、教育の目標としての重要度には何らの変化もない。また、形成的評価もしっかりと引き続き行って、指導と評価の一体化を通して子供たちを着実に育てていくと、この点には一切変更がないということの確認が大切かと思います。つまり、評定を行わないということが目標論や指導の後退として誤解されることのないようにという、皆さんがおっしゃったことが大事だと思います。その他の御提案も含め、重要な論点は既に各委員の議論で尽くされていると思いますので、私からは、今後の検討の進め方について少しお話を申し上げたいと思います。
 評価について、私自身は秋田委員と一緒に現行の検討に関わったものの一人です。その時点において最善と思われるものを求めて、周到な検討を経て当時の決定に至ったと承知しておりますけど、その折にも、例えば主体的に学習に向かう態度をめぐって、今回の提案に連なるような議論も実はございました。その後、様々なお立場からの御意見もあり、何よりこの間、実際に運用する中で多くの気づきが得られての今日の御提案かと思います。そのことを踏まえて、改めて現時点における最善のソリューションを求めた結果ということですよね。
 この件に限らず、今後、過去の経緯にとらわれることなく、よりよいものを目指して更新し続けていくという姿勢が、こういった検討では大事だなということを今日強く思いました。別の会議体になりますけど、以前、御専門の方からフィンランドの教育について伺った折に、よいと判断されたことには大胆に挑戦し、予期せぬ問題が明らかになれば、スピーディーに方向転換することも辞さないということで進めてきたというお話を伺いました。これがある時期のフィンランドの成功の大きな要因だと。この先、各教科の内容に関わる議論など、より具体的な検討に入っていくかと思いますが、どうしても現状維持への力学が働きがちになることも間々あるかと思います。前例踏襲に陥りがちということが日本の教育あるいは政策においてよくあったことですけれども、そういったことではないと。フィンランドが歩んできた道のような、そのときそのときに最善と思われるものをしっかり考えて、大胆に挑戦していくことが大事だなと。今日の御提案の中にはそういうものも随分あったと思いますけれども、だからその意味でも大切な画期的な御提案でなかったかなと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では今村委員、どうぞ。
【今村委員】  もう既に議論が尽くされたかと思うので省きつつなんですけれども、私も今回の提案は、本来の目的としていた学びに向かう力・人間性にをどう評価していくのかというところが、現状運用がうまくいってないという点で、現実的な方向性を示されたと思っています。特に神野さんがおっしゃっていましたけれども、本来、評価が動機づけのためにあるとしたら、今はそのようになっていなくて、先生たちも悩みながら、目的と違う形でプロセスを測定したりして、それを評価に数字で表してしまっているというところがうまくいっていません。それは動機づけの反対方向に行ってしまっているという意味でも、特に学校が嫌になってしまった子、学ぶことが嫌になってしまった子にとっては、通知表の所見欄で褒めてもらうみたいなことが起こり得るのであれば、それはとても励みになると思うので、よい方向性なのではないかと思うんですけれども、とはいえ、まだまだ非常に悩ましいなと思っています。そういった声も、小見先生からもありましたけれども、今回の転換が、結局運用のときに、知識・技能中心の在り方に戻すということに短絡的に取られるようにならないか。今回ここで議論されたことが2観点評価にするということではないのかもしれないんですけれども、きちっとどのように、どのような思いと何を実現したいのかということの背景で下ろされるのかという、伝え方の部分がこれから開発されていく部分だと思うので、専門部会のほうで改めて、どういう評価であるべきか、どのように伝えていくべきかというところを丁寧な議論をして、現実的に落としていくというところをしないと、簡単に詰め込み式の学力重視の評価に戻ってしまうおそれもあるということ、これを意識しておかなきゃいけないなと思っています。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。委員の皆様から意見をいただいてまいりました。今御指摘あったことも含めまして、偏った受容をいかに避けるかということも含めて、重要な留意点は含みつつも、おおむね全体的に好意的に受け止めた御意見をいただいたかと思います。とりわけ今井委員からはお褒めの言葉を再度いただきまして、会場も沸きました。ありがとうございます。
 それでは、議題1はここまでとさせていただきます。それでは、今11時7分ですので、5分ほど休憩を取りまして、12分ほどから再開をさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
( 休憩 )
【貞広主査】  それでは、議事を再開いたします。議題2につきまして、事務局より御説明をお願いいたします。
【前田幼児教育課長】  幼児教育課長でございます。よろしくお願いいたします。資料2に基づきまして、御説明させていただきます。「幼児教育の質の向上及び幼児教育と小学校教育との円滑な接続の改善について」と題しております。これは諮問の内容をそのままタイトルにしたものでございます。
 次のページでございますけれども、現行幼稚園教育要領における資質・能力の育成ということで、幼児教育についての規定について記載させていただいております。まず、幼児期の教育でございますけれども、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである。また、幼児期の特性を踏まえて、環境を通して行うものであることを基本とするとしております。この意味するところとしまして、下の矢印でございますけれども、とりわけ環境を通して行う教育につきましては、2つ目のポツでございますが、幼児教育では幼稚園教諭等がその専門性を発揮して、意図的・計画的に環境を構成し、幼児が主体性を十分に発揮しながら、環境に関わる中で遊びや生活を展開することにより、幼児の発達を促す、これを「環境を通して行う教育」と称してございます。
 また、4つ目のポツでございますけれども、幼児期においては、遊びを通しての指導を中心に行うことが重要だとされてございます。下のトライアングルの図でございますけれども、幼児教育においては、これらの資質・能力を個別に取り出して指導するというものではなくて、遊びを通した総合的な指導の中で一体的に育むことが重要であると考えてございます。
 こうした中で近年の課題といたしまして、少子化、情報化、都市化、過疎化等によりまして、子供の遊び、生活に変化が生じているとあります。インターネット利用の早期化・長時間化でございますとか、あるいは子供の遊びの場所の減少、ボール遊びの制限というデータを載せさせていただいております。
 次の資料でございますけれども、こうした課題につきまして、直接的・具体的に関わる体験、人や物と関わる体験を意図的に用意しなければいけないということが1つ目のマルでございます。また、2つ目といたしまして、一部の幼児教育施設においては、幼児の興味・関心でなくて、一部の保護者のニーズを優先するなどし、幼児の発達にふさわしくない教育活動が行われているとの指摘があるということを現状と課題に記載させていただいております。
 これらを踏まえまして、考えられる方向性の案でございますけれども、1つ目としまして、どの幼児教育施設においても、様々な人や物と直接的・具体的に関わる体験を一層充実する方向で検討してはどうかとしております。右の矢印に参りまして、心と体が動く体験である遊びの中で直接的・具体的な体験を通した学び、これが客観的・抽象的な認識や思考が発達していくことになる小学校以降の生活や学習の基盤と繋がると整理してございます。
 右側の図にございます初発の思考や行動を起こす力・好奇心なども、幼児教育の中で育成が行われているものでございます。これらを踏まえまして、2ポツでございますけれども、幼児教育と小学校教育との円滑な接続、幼児教育施設と小学校の両者が相互に共通理解を図り、円滑な接続を一層推進する方向で検討してはどうかとしてございます。
 方策案の1つ目でございますが、幼稚園教育要領等においても、学習指導要領との連続性を表形式やデジタルを活用して示してはどうか。また、2つ目のポツといたしまして、幼児教育の環境を通して行う教育と小学校以降の授業改善の取組について相互理解が図られるよう、指導方法の趣旨の一貫性を明確にしてはどうかとしてございます。
 上のグレーの四角囲みのところを具体的にイメージ化したものが次の資料でございますけれども、幼児の遊びを通した学びが、小学校以降の生活や学習の基盤となることのイメージ案でございます。3段ございます。幼児の遊びを通した学びを表現したものでございます。一番下でございますが、幼児は自ら心身を用いて環境に関わる体験をしている。例えば、走る、飛び跳ねる、あるいは紙をちぎる、紙を丸めるといった環境に係る体験をしており、これを積み重ねるというのが2段目でございますけれども、積み重ねることによって気付いたり考えたりする。さらには、これまでの体験を生かして、試行錯誤しながら探究を行っている。こういった学びを表現してございますけれども、とりわけ幼児期は発達段階が様々でございますので、幼児が環境に関わろうと、歯車を自ら回すことができるように、幼稚園の先生方がチームとなって寄り添える重要な存在であるという位置付けをしてございます。
 これが相まって、右側でございますけれども、小学校以降の生活や学習に必要な多様な体験であるとともに、教科等の学び・探究のプロセスの原体験となるということで、全ての学びの土台と位置付けてございます。こういった幼児教育施設の実践に加えまして、地域での幼児教育の推進体制の整備も重要だと考えてございます。幼児教育センター、現在都道府県におきまして39の道府県で設置がされておりますけれども、幼児教育は私学が多いという特異性がございますので、設置者、施設類型を問わず、全ての幼児教育施設を支える地域の体制づくりの推進が必要だと考えてございます。幼児教育センターは幼児教育のアドバイザー、あるいは、5歳児と小学校1年生の円滑な接続を支援する架け橋期のコーディネーターの育成・配置でございますとか、幼児教育施設・小学校への指導・助言・援助を進めてございます。あるいは研修なども実施しておりますけれども、例といたしまして、2つ例を示しておりますけれども、北海道の幼保小の接続の取組の事例、あるいは大分県で幼児教育アドバイザーの育成・派遣という例をお示ししてございます。とりわけ幼児教育アドバイザーの育成・派遣、大分県の例でございますけれども、県が広域での役割を果たして、市町村の幼児教育アドバイザーの人材の育成を行ってございます。こういった広域的に市町村への支援というのも大変重要な視点かと考えてございます。
 次のページでございますけれども、「幼保小の架け橋プログラム」ということで、私ども、令和4年度から6年度までの3年間、自治体に委託しまして、5歳児と小学校1年生のカリキュラムの開発や実践などを委託しましたけれども、そこでのアンケート調査結果ということで、とりわけ赤枠のところが幼保小架け橋プログラムの成果として見受けられたということを示してございます。また、指導方法についてもポジティブな変化が出てございますので、また御覧いただければと思います。
 以降、参考資料でございますので、昨年10月の有識者検討会において取りまとめられたものでございますけれども、今回の改訂を見据えまして整理をしたものでございます。
 幼児教育課からは以上でございます。
【貞広主査】  ありがとうございました。では、続きまして、議題3につきましても、事務局より御説明をお願いいたします。
【生方特別支援教育課長】  特別支援教育課長の生方でございます。「障害のある子供に対する教育課程の充実について」ということで御説明をさせていただきます。
 まず、障害のある子供の学びの場と教育課程ということでございますけれども、障害のある子供の自立と社会参加を見据えて、一人一人の教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できるよう、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった連続性のある多様な学びの場が整備されているという状況でございます。それぞれの学びの場の教育課程につきましては、通常の学級以外の学びの場におきましては、障害による学習上または生活上の困難を改善・克服するための自立活動を実施するなど、特別の教育課程を編成することができます。また、これらの学びの場におきましては、個別の教育支援計画、及び個別の指導計画の作成、活用を求めているとともに、本人、保護者から何らかの配慮が求められた場合には、過重な負担がない範囲で合理的配慮の提供を行うこととされているところでございます。
 次のページでございますが、障害のある子供たちの主な課題ということ、現状でございますけれども、まず1つ目のマル、左が小中高等学校の現状でございますが、これは令和4年12月に公表しました文科省調査でございますけれども、公立の小中学校では、通常の学級の児童生徒のうち8.8%、35人学級であれば3人程度が、学習面または行動面で著しい困難があり、特別の教育的支援が必要と推定されているということ。さらには少子化により、学齢期の児童生徒が減少する中、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校、いずれの学びの場においても、そこで学ぶ子供たちが増加しているということ。そして4つ目のマルでございますけれども、市区町村の教育支援委員会におきまして、現行の就学決定の流れでございますけれども、現行の本人、保護者の意向を尊重する就学決定の仕組み等によりまして、特別支援学校の対象となり得る障害の程度と判定された障害の程度が比較的重い児童生徒のうち、約3割の子供たちが小学校に就学しており、このうち一部の子供は通常の学級に就学していると。まさに多様な子供たちが学んでいる現状があるということでございます。
 それを踏まえて顕在化している主な課題ということ、まず、小中高等学校でございますが、これは通常の学級に関する課題でございます。合理的配慮について、本人、保護者と学校・設置者の建設的対話が十分に行われていないなど、理解や提供が十分でない状況が見受けられるということ。2つ目でございますけれども、通常の学級に在籍する障害のある子供たちは、障害のない子供と同一の目標や内容で各教科の学習に取り組むことが前提であり、通級による指導においても、各教科について、教育課程上の特例的な取扱いはできないなど、障害の状態等に応じたきめ細かな指導の実現に課題があるということ。合理的配慮の提供の前提である基礎的環境整備につきましては、自治体間で格差が生じており、特にデジタル学習基盤の活用状況に課題があることが挙げられているところでございます。また、通級による指導、特別支援学級に関する課題でございますけれども、通級による指導や特別支援学級で増加している発達障害や情緒障害等の児童生徒に対して、十分な配慮が行き届いていない状況もあるとの指摘があるということ。特別支援学級については、障害の状態等を十分に考慮せず、画一的な指導を行っている学校もあるとの指摘、このような指摘が挙げられているということでございます。
 続いて、下の特別支援学校でございますけれども、自立活動の時間の指導と各教科等の指導の関連付けが十分でないとの指摘や、自立活動の実施に当たり、考え方・プロセスに課題があるという指摘。2つ目でございますが、知的障害者である児童生徒に対する教育を行う特別支援学校の各教科においては、小中高等学校における学びとの連続性の確保を図りつつ、知的障害の特性や発達の段階等を踏まえた対応が必要であるのではないか。3つ目、小中高との交流及び共同学習の機会が十分でないとの指摘。最後にはデジタル学習基盤の活用状況に課題。こういったことが顕在化している主な課題でございます。
 こういった課題を踏まえまして、考えられる方向性として3枚目にお示しさせていただいてございます。まず1ポツ目でございますけれども、通常の学級における合理的配慮の提供の充実等ということでございまして、障害のある子供たちに対して合理的配慮の提供を促す観点から、その考え方などを明らかにする方向、また、学習の過程における困難さに対し、困難さが生じる要因を踏まえた指導の工夫や、学習の工夫の意図や手だてなどの対応を示すことを検討してはどうかということ。
 2つ目でございますけれども、通常の学級に在籍する障害のある子供たちが通級による指導を利用する場合の特例的な取扱いについてでございます。1つ目、通常の学級に在籍する通級による指導を受ける障害のある子供たちに対して、障害のない子供たちとできる限り共に学びながら、障害の状態等に応じたきめ細かな指導の実現を図る観点から、教育課程の特例的な取扱いを認めることを検討してはどうかというもの。具体的にはこちら、図示したものでございますけれども、上の部分が現行の制度、通級による指導を利用する児童生徒に対し、特別の教育課程を編成することができます。通常の学級で学んでいる際には、障害のない子供と同一の目標や内容で各教科等の学習に取り組んでございますが、一部取り出して、障害による困難の改善・克服を目的とした指導を行っている、これが黄色い部分でございます。この指導につきましては、自立活動の内容を参考として目標・内容を設定し、週8単位時間までを標準として実施されているのが現状でございます。その上で、下のほうの今回の見直しのイメージでございますけれども、まず、障害による困難の改善・克服を目的とした指導というものは現行のままでございますけれども、通級による指導において、これまでの障害による困難の改善等を目的とした指導に加えて、障害の状態等を踏まえ、特に必要がある場合には各教科の指導を行うことを可能とすること、また、授業時間数の上限を見直すことなどを検討してはどうかということ、各教科の指導に当たっては、各教科の目標・内容の一部について、障害の状態等を考慮したものに替えることや取り扱わないこと、こういった教育課程の編成を認めることを検討してはどうかというものでございます。
 さらには、現行においては、通常の学級での授業においては、障害のない子供と同一の目標・内容で行っているところでございますが、ここにつきましても、障害の状態等を踏まえ、特に必要がある場合には、各教科の目標・内容の一部について、障害の状態等を考慮したものに替えることや取り扱わないこと、こういった教育課程上の編成を認めることを検討してはどうかというものが今回の提案でございます。
 このような、実際に通級による指導を行うに当たっては、論点、留意点、右側の4つ目にございますように、通級による指導を利用しやすくするために、本人、保護者及び専門家の意見等を踏まえつつ、これまで以上に学校長の判断で通級による指導が柔軟に利用できるようにする方策も必要ではないか。現行においては教育委員会、あるいは教育支援委員会の判断に委ねているということがございますので、学校長の判断で柔軟に対応できるようにすることを提案しているところでございます。
 続きまして、特別支援学級における特別の教育課程の質の確保ということでございますけれども、こちらにつきましても、3の部分の1つ目でございますが、特別支援学級に在籍する児童生徒一人一人の障害の状態や特性等に応じた教育課程の編成・実施をこれまで以上に各学校に促すために、今増加が著しい自閉症・情緒障害などの障害種ごとの配慮事項を示すこと、また、自立活動の指導について、特別支援学級の教育活動全体を通じて指導を実施することを明示する方向で検討してはどうかということ。2つ目でございますが、特別支援学級に在籍している児童生徒がその大半の時間を通常の学級で学んでいるケースも一部にございますが、このような場合におきましては、特別支援学級よりは通常の学級に学びの場を変更することが適切であると考えており、そういったことを促すためにも、先ほどお示しさせていただきました新しい通級の指導、こういったものを利用する際の特例的な取扱いも踏まえ、通級による指導の更なる活用を促してはどうかというものでございます。
 4つ目、特別支援学校の教育課程の充実ということでございますけれども、1つ目のマルでありますように、自立活動について、各教科等との関連づけをこれまで以上に徹底し、学校の教育活動全体の取組となるよう見直しを図る方向で検討してはどうかということ。2つ目でございますが、知的障害者である児童生徒に対する教育を行う特別支援学校の各教科においては、小中高の各教科に準じつつ、知的障害の特性や発達の段階等を踏まえた構造化を検討してはどうかということ。3つ目、デジタル学習基盤の活用について、障害の状態や特性等を踏まえた活用の在り方についても明らかにしてはどうかということでございます。
 最後、5ポツでございますけれども、「障害のある子供と障害のない子供が共に学ぶ機会の充実」でございますが、特に特別支援学校と小中学校等の学校間交流が現状十分でないといった状況もございますので、こういったことを踏まえて、交流及び共同学習について、意義として、障害のある子供と障害のない子供が共に協働的に学ぶことの重要性を示す方向で検討してはどうかといったようなことでございます。
 右のほうに「論点・留意点」と示してございますが、特別支援学級の質の確保に関する論点につきましては、各学校において自立活動を確実に実施するような方策も必要ではないかということ。あと、自立活動に関する論点としましては、小中高の教師に自立活動の内容をこれまで以上に理解してもらう観点からの方策が必要ではないかと。交流及び共同学習に関する論点につきましては、各地域・学校の実践を踏まえつつ、交流及び共同学習を発展させるための方策が必要ではないかといったようなことが提案でございます。
 次のページ以降につきましては、それぞれ参考でございますけれども、学校における障害者差別解消法を踏まえた対応ということで、障害者差別解消法で求められていることですとか、合理的配慮と基礎的環境整備との関係を図示しているものでございます。また、こちらにつきましては、現行の学習指導要領における障害のある児童生徒への指導の工夫や配慮と合理的配慮の提供についてのイメージ図でございます。
 最後でございますけれども、こちらにつきましては、特別支援教育におけるデジタル学習基盤を活用した学びの姿のイメージでございます。
 駆け足で恐縮でございますが、以上、私からの説明になります。御審議のほどよろしくお願いします。
【貞広主査】  ありがとうございます。続きまして、それぞれ委員の方から資料を基に御意見を頂戴したいと思います。幼児教育について専門的な御知見を有する秋田主査代理、そして古賀委員、加えてインクルーシブ教育の在り方について御知見をお持ちの野口委員より、それぞれ参考資料2-1、2-2、3-2を基に御意見を頂戴します。お一人6分程度で御発言をいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。
 ではまず、秋田主査代理よりよろしくお願いいたします。
【秋田主査代理】  ありがとうございます。では、私から幼児教育のほうでコメントをさせていただきたいと思います。
 まず、幼児教育課が出された3点の方策案の第1でございますが、スライドには入ってございませんけれど、学習指導要領と表示の形式です。表やデジタルを使っていくのはどうかということに賛同いたします。それによって、さらにデジタルによって、これは幼小だけではございませんが、小中、中高の接続も一層分かりやすくなるというようなところでも、学習指導要領と幼稚園教育要領が形式を整えていくことに賛成でございます。その上で、現在、幼児教育課が御提案くださいました内容に関連しまして、私のほうでコメントを若干させていただきたいと思うところでございます。
 まず1点目ですけれども、先ほど前田課長からもお話がございましたが、幼稚園は現在、私立幼稚園の比率が高いことが義務教育と大きな違いとなってございます。教育課程につきましては全て策定はされているんですけれども、創設の理念とか園の特色ある教育プログラム等によりまして、幼稚園教育要領への理解は園によって大きな差があることが幼児教育の特徴の一つでございます。しかしながら今回、幼児教育の無償化がなされて初めての改訂になりますので、その中で、一層公教育としての幼児教育とは何なのか、教育要領そのものの理解に基づく教育、そのための実施普及のための周知が必要になると考えます。
 また、学習指導要領ではなく歴史的に、発達の個人差が大変大きい時期であるからこそ、一定の学習を習得することを求めるのではなく、教育の方向性を示すということで、幼稚園教育要領と、幼稚園学習指導要領ではないわけでありまして、そこのところの背景やその表現の違いをみんなに知っていただくことが重要であろうと考えます。特に一人一人の発達の相違が最も大きい時期であることに加えて、近年、多様な特性や文化背景を持つ子供が増加している点で、この辺りに書き込むことが重要であろうと思います。
 また、幼児教育の無償化とともに、この間で大きく変わったのが、こども基本法の理念に基づいて、子供の権利が明確になった点でございますので、子供の権利の理解、全ての子供の学ぶ権利の保障と同時に遊ぶ権利が保障され、それが園で実現されていくことが重要だろうと考えております。
 その上で、直接的・具体的な体験という言葉でございますけれども、実際には、各園などの声では、子供の主体性を生かしたいけれども保育が難しい、それはなぜなのかということに、1つは実は幼児教育でも、行事等の準備等への対応で時間が細切れになっているというような声もございます。その中で、より柔軟な教育課程の実施が必要だということを共有する必要があると思います。また、幼稚園は、「預かり保育」という言葉になっておりますけれども、8時間とか11時間、夕方まで保育所と同様に過ごしている、生活を園で過ごす子供が増えております。そこでの対応、また、満3歳からでございますけれども、それまでに、今度、8年度から始まるこども誰でも通園制度などを利用する子供たちも入園していきますので、3歳までの経験の個人差への配慮が必要だということも議論し、書き込む必要があるだろうと考えます。
 また、「環境を通しての教育」という言葉におきまして、環境の構成を理解している教師は多いのですが、子供の活動や動きに応じて環境は再構成されるものであり、また、教師が行うだけではなくて、幼児教育では子供とともに環境を再構成することが大事だというようなことの一層の理解が必要だろうと思います。
 学校教育法の第22条で、幼稚園の目的というところで、「幼児を保育し、適当な環境を与え」というこの「適当な環境」という言葉をずっと学教法の中で幼稚園教育では大事にしてきました。この「適当」というのはいいかげんという意味ではなくて、子供が自己選択を主体的にできるという意味合いで、いわゆる適切に行っていく小学校以上の教育に比べて適当であることが幼児の主体性を生かすという意味合いで、この法律の文言が大事にされてきているということを、1つは直接的・具体的な環境というところで押さえたいところでございます。
 また、直接的・体験的ということで、あれもこれも行うというだけではなくて、幼児期から体験によって深い学びへつなぐことの経験が大事だろうと考えています。体験を深めるためには、多様な体験という側面だけではなくて、先ほどの図にございました、3段階で書いてくださいましたが、体験を深めるためには私はいろいろな体験から、例えば遊びの対象を五感を通してよく見るという、よく見るからこそ比べたり、細部に気づいたり創意工夫が生まれる、そこでよく考えるというような、よく見てよく考えるということ、その契機を教師がつくることが大事ですし、よく見るためには、素材のあれもこれもというか、素材が似ているけど違う紙質であったり、絵本やデジタルのタブレットやデジタルカメラなども今幼児は使いますので、メディアや道具の活用によって、よく見ることを保障していくことが一層必要になるのではないかと考えられます。
 全国で調査しますと、1日2時間ぐらいは園庭、戸外で子供が過ごしておりますので、そこでの教育は小学校の教育以上に、個々の担任だけではなくて、やはりチームで教師間の連携、チームで編成して指導に当たっていくことが重要なところになってくると考えられます。
 3点目として、円滑な接続ということで、架け橋プログラムによって、3年たって非常に進んできているわけですが、乳幼児期からの主体的な遊び、身近な環境に働きかけての探索・探究を通した活動による学びが小学校以降の教育の基盤になっていることを具体的に一層示していくことが必要ではないかと思います。
 よく幼児教育は遊ばせているだけという話がありますが、遊ばせている、遊ぶのは表面的なことではなく、いかに深まっていくのか。例えば現在、東京都では「すくわくプログラム」ということで、2,600の園が今探究活動を共有して、皆で取り組んできてございます。そうしたものがうまく全国で、探究によって、乳幼児期から小学校へつなぐというようなことが一層推進されることが大事だろうと思います。架け橋カリキュラムの作成は、3年たったことでモデル事業も終わりましたことで、全国の自治体に普及してきているんですけれども、今後、自治体の役割と同時に、最終的には園小の接続は各ブロック、学区ごとで、小学校区や中学校区で、地域のコミュニティを子供を中心にしてつくっていくことが大事です。その辺りの推進が、自治体からのトップダウンだけではなく、各ブロックで本当に顔が見える関係がつくられることが大事だろうと考えております。
 そして、先ほども体制というお話がございましたが、幼児教育の地方自治体の支援体制の強化ということで、幼児教育センターの設置は極めて重要であります。しかしながら一方で、幼児教育センターとか乳幼児センターと呼ばれるところの所管が、幼稚園の所管である教育委員会から、実は首長部局に移行しているケースも多くなってきていて、逆にそれが、保育所、こども園、幼稚園のつながりは幼児教育として見えているんだけれども、小学校との連続性を、むしろ所管課が変わることによって難しくなっているという声も多々聞くところでございます。今後さらに、教育委員会と首長部局の所管課の連携が重要だということを書いていくことが重要なのではないかと思います。
 また先日、教員養成部会のほうでも提案がなされたことでございますが、都道府県と基礎自治体レベルでの幼児教育担当の指導主事の設置が今後一層必置になっていくのではないかということが、委員からも賛同の声がいろいろ出てございました。私立幼稚園は都道府県が見ておりまして、公立の幼稚園や保育所は基礎自治体が担当しているというような、そういうずれが幼児教育は起こってございます。それらの人が、やはり幼児教育担当指導主事というのが都道府県や地方自治体にいることによって、先ほどからお話がございました幼児教育のアドバイザーや架け橋コーディネーターとの活動もうまくいくのではないか。ここは、国のほうでやはり今後幼児教育の推進が、小学校以上の教育の質をさらに上げていくために重要という意味で、それができる指導主事の設置が大事なのではないかと考えるところでございます。
 ちょっと6分より長くなりましたけれども、私のほうからお話をさせていただきました。ありがとうございます。以上です。
【貞広主査】  ありがとうございました。
 では続きまして、古賀委員お願いいたします。
【古賀委員】  ありがとうございます。京都教育大学の古賀です。先ほどの秋田委員の話と重なるところが多いかと思いますけれども、お話しさせていただきます。
 質の高い幼児教育と質の高い小学校教育の接続が子供の育ちにとって非常に重要です。そのことを踏まえて、日本の幼稚園教育要領等では、自発的な活動としての遊びを中心としていますが、「遊び」という言葉が幅広く解釈されており、小学校が接続しようとする幼児教育の質が非常に多様であることが大きな課題です。そこで本日は、今後自発的な活動としての遊びが全ての幼児教育施設において実現し、充実するにはどのような方策が必要かということをお話しします。
 幼児教育は民間園が多く、建学の精神に基づく実践の広がりがあります。しかし、要領、指針は告示ですので、全ての幼稚園、保育所、認定こども園で環境を通して行う教育・保育が実現されなくてはなりません。3要領、指針で示されている資質・能力や、幼児期の終わりまでに育ってほしい姿に関する研修も多く行われてきましたが、教育プロセスとしてどのような遊びを充実させることが求められているのか、いまだ理解が十分でない課題があります。
 そこで重要になるのが、赤字の部分の幼児期の教育における見方・考え方になります。遊びのプロセスにおける子供の学びが明確にされており、どのような活動が幼児期の教育における遊びとして重要なのかが示されています。この見方、考え方が育まれるように、自発的な活動としての遊びの充実を目指すことが理解されなくてはなりません。
 事例になりますけれども、こちらの園では、4歳児たちがダンゴムシを日々かわいがっていましたが、そんな中、実は、この園でダンゴムシが花壇に大量発生して花が育たないという事件が発生しました。こちらは飼っているほうのダンゴムシのおうちです。花壇の花もダンゴムシも守るために子供たちが考えて、ダンゴムシの好きそうな餌を花壇に置いて、捕まえて、ダンゴムシのおうちに保護することにしました。餌ごとにどれくらいダンゴムシが集まったか、毎日結果を見て話し合います。教師は子供が次々と家から持ってくる野菜くずなどを視覚化し、発見を蓄積していく工夫をします。ある日の仕掛けはこんなふうでしたが、この日の振り返りで、真ん中に餌を置いて、その周りにダンゴムシが入るような仕掛けを作ったほうがいいのではないかという意見が出て、こういうこと?と教師は絵に表して確認し、そして帰るときにこういうセッティングに変えて帰りました。次の年に年長になった保育室はこんなふうでした。白い牛乳パックや豆腐のパック、アオムシの餌であるミカンの木の葉っぱに蓋がされてないことには意味があります。幼児がダンゴムシの数に気づきやすく、また、アオムシが保育室の高い壁に上ってサナギになるという心が動くハプニングを生む環境構成の工夫です。
 こちらは、同じ保育室にあったシャボン玉の研究所です。もっといいシャボン玉液を作りたいと子供たちなりに考えて、目当てを持って、多様な材料を考えて工夫できるように、これまで試してきた履歴が見れるようにもされています。道具もいろいろ工夫されています。混ぜるものを工夫しては飛ばしてみて、さらに工夫する中で、この日、レモン汁が途中でなくなってしまいました。混ぜるものをどうしよう、何か似たものないかなと考えて、いつもアオムシにあげていたミカンの木を思い出すわけです。似た作用がレモン汁とミカンの汁で得られるのではないかと推測して、木に登っていきます。とげがあったり、遠くに成っていたりしてなかなか取れなかったんですけれども、やっと取れました。匂いをかぎながら、むいて、絞って、子供も教師も期待に胸を膨らませて試行錯誤は続きます。
 こちらは、紙飛行機が大好きになった子供の事例です。いろいろな材質、大きさ、折り方を毎日試しては、友達と共有し、工夫を重ねてきたことが分かる作品展の写真です。ここまで教師は、子供が発想に応じて様々な材料が使えるように環境を構成していました。中にはユーチューブの動画を0.25倍速でゆっくり再生しながら、新たな折り方に挑戦している子供もいました。飛び方も真っすぐ飛んだり、浮かび上がるように飛んだり、くるっと戻ってきたり、いろいろなタイプがあり、その飛行機の型式が子供たちの思いで名づけられていきました。子供自身がもっとこうしたいという目標、ねらいを持っているからこそ、教え合い、学び合い、その中で物の特徴を知り、また人の能力や可能性も知り、広がりのある世界を知っていきます。
 こういった自発的な活動としての遊びが充実する中で、子供が環境との関わり方や意味に気づき、それらを取り込もうとして試行錯誤したり考えたりするのです。本部会での見方、考え方の育ちの図に寄せて整理をしてみました。環境を通した教育を遊びを中心として充実させていく中で、子供は主体的に環境と関わっていきます。そうしているうちに、3つの資質・能力が育ち、5歳の終わり頃には、幼児期の終わりまでに育ってほしい姿が現れ、そして見方、考え方を身に付けて小学校へと向かっていくということになります。この育ちを促す遊びを中心とした指導の質向上が重要です。
 そこで、民間園を含めた指導性を全国的に確保するために、広域自治体と基礎自治体の幼児教育センターの配置と構造化が重要です。人口減少地域など配置が難しい場合には、幾つかの小規模自治体が連携するシステムを構築することも求められると思います。さらには、民間園にとっても魅力的な研修メニューや幼児教育アドバイザーを配置すること。例えば、京都府幼児教育センターでは、アートや食育、安全教育、特別支援など得意分野に特色ある架け橋期コーディネーターも配置しています。今後は幼児教育センターと養成校コンソーシアムの連携もスーパーバイズの体制確保として重要になると思います。そして、幼保小の架け橋プログラムの推進は非常に重要なんですけれども、まずは民間園を含めた幼保小の実践交流の推進が重要ですが、幼保小それぞれの実践の質向上を目指すために、事前事後研修で内容の検討をし、アドバイスを受け、子供の主体的な学びをつなぐ取組の推進が重要です。ここでも幼児教育センター、幼児教育アドバイザー、架け橋期のコーディネーターの役割が期待されます。
 また、国公立園には実践モデルとして、質の高い保育を公開し学び合えるようにしたり、実践研究を蓄積し、よりよい保育や接続の在り方を提案したりする役割も求められます。こういった質向上に向かう地域の実践共同体を充実させることが、幼児教育と小学校教育の質の高い連携・接続の実現に欠かせないと考えます。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 続きまして、議題3に関わりまして、野口委員より御意見を頂戴できればと思います。よろしくお願いいたします。
【野口委員】  一般社団法人UNIVAの野口と申します。よろしくお願いします。まず議題1について何のための評価かというところを明確にしていくというところにすごく共感しました。そもそも学びに向かう力を伸ばすためのものであるにもかかわらず、逆に今は評価によって、学びに向かう力が奪われている子供たちがたくさんいる。この後お伝えする障害のある子供たちも含めて、そういう子供たちがたくさんいるので、今回の御提案によってより改善を期待したいなと思います。
 私からは、インクルーシブ教育の視点から大きく4点、御意見をお伝えしたいと思います。
 諮問文においては、学校の機能として、共生社会に向けて社会の分断や格差を防ぐことが強調されています。また昨年、障害者差別解消法が改正され、全ての事業者に対し、合理的配慮の提供が義務づけられました。また、旧優生保護法をめぐる判決を受けて策定された政府の行動計画では、教育分野においても心のバリアフリーの推進や、共に学ぶ機会の保障が求められています。いずれも障害のあること自体が困難さの原因なのではなく、環境や制度がマジョリティー中心につくられていることが格差、つまり、社会的な障壁を生んでいるという社会モデルの考え方に基づいています。学校の包摂性を高めるためには、この社会モデルの視点に立ち、学校における障壁を解消していくことが重要です。
 先ほど生方課長からもお話がありましたが、特別支援学級や特別支援学校に在籍する子供たちは、増加し続けています。通常級の包摂性が高まらないと、別の場で学ぶ子供は増加する一方なのではないでしょうか。
社会的障壁を解消するにはまず、基礎的環境整備として、多様な子供がいることを前提に、最大限障壁をなくした授業や教室をつくること、その上で個別に調整する合理的配慮が必要です。基礎的環境整備を充実させ標準装備にすることが、結果、個別的な調整の必要性を減らします。インクルーシブと言うと負担が増えると思われる方が多いですが、基礎的環境整備を充実させることが逆に負担を減らすことに繋がるということがポイントです。
 例えば1人1台のデジタル学習基盤の整備、そのほかにも、戸田市のある学校では誰でも使えるイヤーマフを通常の学級の中に設置されていたりですとか、狛江市の学校における文章を読みやすくするためのリーディングトラッカーなど、個別対応ではなく、最初からいろんな選択肢を整えておくことで、申し出る側の負担も教員側の対応負担も減ります。授業の中で情報の提示方法や表現方法に複数の選択肢を用意することなど、学びのユニバーサルデザインも基礎的環境整備です。例えば視覚だけでなく、音声、口頭、また動画で説明したりすることによって、理解のしやすさが大きく変わります。子供が学んだことを表現する手段も、文章だけでなく、図や音声プレゼンテーションなど、複数の選択肢を標準装備にしていくことによって、誰もが自分に合った学び方を選択できます。また、学習面のみでなく、ふだんの先生の子供への接し方、今日の評価の話にもつながりますが、日常的にできないところばかりへフィードバックするのではなく、頑張っているところや、今できているところに着目をして、そちらによりポジティブにフィードバックするポジティブな行動支援も基礎的環境整備の一つに入ります。1つ目の議題にあった評価の軸や方法も多様であるべきです。一律のペーパーテストだけでなく、様々な方法で学びを捉えることがインクルーシブの教育課程には欠かせません。基礎的環境整備が充実することは、障害のある子のみでなく、日本語を学んでいる子、特別支援の対象ではないけれども支援が必要な子など、多くの子にとっての学びへのアクセスを保障することにつながります。
基礎的環境整備をした上で、必要に応じて追加的に支援を付け足すシステムとして、多層型支援システムがあります。インクルーシブ教育に取り組むアメリカ、カナダ、オーストラリアなどで導入され、いわゆる問題行動の減少、学力の向上、特別支援対象者の判定数の減少、また、特別支援教育の誤判定の防止、いじめの予防など多くの効果が報告されています。
 日本でも近年、戸田市をはじめとした幾つかの自治体や学校で導入され、まだ少ないデータではありますが、成果が報告されているところでもあります。これらを踏まえ、学習指導要領に基礎的環境整備、特に多様な学び方、表現方法、評価方法、そして合理的配慮の視点を明記していくことが必要だと思っております。先ほど御紹介した多層型支援のポイントは、全ての子供が環境や学ぶ内容、方法との相互作用の中で支援ニーズが増減するということです。1層支援から3層支援がシームレスかつ柔軟に機能し、すべての子供が必要なときに必要な分、追加的な支援を得られるというシステムです。この視点は次の提案の通級の柔軟な運用につながります。
 現在は学校や本人、保護者が通級の必要性を感じたとしても、教育委員会の判定が出るまで通級を開始できず、また、不登校の子は通えないなど非常に縦割りで、制度上や運用上の硬直性があります。また、先ほど生方課長からもご提案がありましたが、通級で学ぶ内容が、現在自立活動に限定されているため、例えば学習障害のある子にソーシャルスキルばかり指導をしてしまうというミスマッチも起こっています。今後は学校長の判断で柔軟に運用できるような体制を整えて、教科も含めて子供のニーズに応じた内容を扱えるようにする今回の御提案に賛同したいと思います。
 3つ目は自立活動の見直しです。現在の自立活動は、「普通」に近づくための訓練、障害のない子供と同じようになるための訓練になりやすいです。社会モデルの視点が入りにくいと考えます。さらに、現在の区分や項目というのが現場、特に通級や、自閉症・情緒障害支援学級においては使いづらいという声も複数聞いております。今後は自立活動の目的や内容を社会モデルや合理的配慮を踏まえたものにしていくとともに、子供自身の願いや思いを踏まえて、セルフアドボカシーを学ぶ時間としても機能するような方向性を提案したいと思います。
 最後に多様な子供が共に学ぶ教育課程の転換です。現在は、通常の学級で同じ目標や内容を学ぶことが難しい子供、特に知的障害のある子供は、通常の学級とは別の場に行かないと、その子に合った学びを得られないというような構造になっています。特別支援学校の子供たちと地域の子供たちの交流は非常に限定的で、同じ地域に住んでいるにもかかわらず、出会う機会がほぼないという状況があります。そういったことを根本的に解決していくためにも、今後は目標の異なる子供が同じ教室で学ぶ具体的な方法を研究開発していく必要があると思っています。と同時に、社会モデルや合理的配慮というのは、これからの子供たちはそれが当たり前の時代を生きていきますので、障害のない子供も含めて、学ぶ機会をつくっていくことが共生社会の土台になると考えています。
 私からの意見は以上になります。ありがとうございました。
【貞広主査】  ありがとうございました。それでは、今議題2、3ですけれども、議題1との関連の御発言も含めまして皆様の御意見を伺いたいと存じます。御意見のある方は挙手ボタンにてお知らせください。いかがでしょう。
 内田委員、どうぞ。
【内田委員】  ありがとうございます。3点申し上げます。特別支援教育部会、本全高長のほうでもございまして、教育課程の改正については非常に関心があるところでございます。そんな中、今回の教育課程の改正につきましては、好ましい方向であると考えております。引き続き、インクルーシブ教育実現のための定数も含めた人的・予算的な配慮をお願いしたいと思います。
 2点目です。高等学校においても、自閉症をはじめ発達障害の生徒が増加し、不登校増加の一つの要因となっております。個別の支援計画の策定については、専門性の観点や、あるいは様々な条件の下、困難を抱えて、対応について苦慮しているところです。例えば条件等を入力するなどのことにより、ソフトウエア、プログラムなどの開発によりアウトプットされるような開発支援をお願いしたいと思います。
 3点目です。デジタル学習基盤の充実については、各自治体で取り組まれているところでございますけれども、点字訳等教材について、そういったところも不足しているところがございます。専門性あるいは障害種によって、そういったものが充実するよう補助を継続してお願いできればと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では前川委員、お願いいたします。
【前川委員】  幼児教育について発言させていただきたいと思います。京都府教育委員会では、令和2年度に幼児教育センターを府教育委員会の中に設置いたしました。今御発表のあった古賀委員にスーパーアドバイザーをお願いいたしまして、センターの発展に大いに御支援をいただいているところです。優れた幼児教育アドバイザーが訪問指導や動画などを通じて、公立幼稚園や幼保連携型認定こども園はもとより、保育所や私立幼稚園も含めて質の向上に取り組んできたことによりまして、京都府の幼児教育施設、小学校、そして市町村教育委員会での幼児教育に対する意識や理解が加速度的に高まり、深まってきています。
 一方で、幼児教育施設は、施設種や設置者によって実践が大きく異なる実態がありますが、小学校に繋がるという意味では何ら違いはないわけで、古賀委員の御発表にあったような、幼児教育の在り方を全ての施設種で実装する必要があると思います。しかしながら、人口減少が進み、市町村の体制が厳しくなってきている中にあって、広域自治体である都道府県の役割が大きくなってきていると思います。幼児教育センターを設置し、質の高い幼児教育、幼小接続の実現を牽引することが都道府県の役割となっているのではないでしょうか。そういう意味で、事務局案の幼児教育センターを全ての都道府県で設置という考え方に賛同したいと思います。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では戸ヶ﨑委員、お願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】  私は議題3、障害のある子供に対する教育課程の充実について、事務局案に賛成したいと思います。一方で、一部の特定の教師だけでなくて、全ての教師が合理的配慮と特別支援教育に関する基本的な考え方を改めてしっかり理解する必要性を感じています。
現状、その課題として主なものを申し上げますと、首長部局の福祉部門との連携の問題があります。また、個別の教育支援計画や指導計画が作成されていなかったり、形骸化され指導に生かされていなかったりすることや、小中学校ともに7割近い校長に、特別支援教育の経験がないということ。また、特別支援学級に臨任者が充てられてしまうことが少なくないことや、小中学校ともに特別支援学級担当教員の特別支援学校教諭免許の保有率が3割程度であること。さらには通級指導において、現在制度的には教員定数の確保が13人に1人となり進んできていますが、現実は担当教員の確保がなかなか難しく、専門性の担保について課題があると思います。これらは現在、教員養成部会で進んでいる「多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速するための方策について」という諮問に向けた議論と、まさに車の両輪として進めていく必要があると思っています。
 また、合理的配慮というのは、学校や本人また保護者の一方的な考え方だけでは当然進められるものではなく、建設的な対話による相互理解を通した合意形成が非常に重要になりますが、現実としてそこに非常に難しさがあります。また、先ほど野口委員から基礎的環境整備の充実という話がありましたけれども、事務局からあったように、自治体間格差が広がっていると感じます。どこまでの環境整備ができているかを、それぞれの自治体が明確に発信していく努力が必要です。その上で、個々に応じた合理的配慮を進めていく体制づくりが必要だと思っています。
 最後に、通級に限って申し上げますと、現状、知的障害の子供は通級による指導の対象にならないことから、通級学級に在籍していても、通級による指導を受けることができません。そうなると、通級で手厚い指導を受けられている子とそうでない子との格差が広がるという懸念があります。さらに通級で教科指導を行うことには賛成ですが、他校通級でこれを行うことには難しさを感じています。巡回指導による指導を広げていくことも考えられますが、できるだけ多くの学校に通級指導教室を設置できるように、引き続き国や都道府県の働きかけが重要であると思っております。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございます。
 では髙島委員、お願いいたします。
【髙島委員】  よろしくお願いします。今回できるだけまとめてということだったので、議題1についても最初に触れさせてください。
 まず、評価は何のためにあるのかという議論は本当にそうだなと共感して聞いていました。教師の視点とか、学術的・客観的に見た評価の本質の議論、おっしゃるとおりだなと思う一方で、どんなに文科省とか教師が考えて評価、評定をしても、結局どう受け取られるかというのが大事なんじゃないかなと思います。私も3年前まで学校に評価される側でしたけれども、成績表が返ってくるとやっぱりドキドキするんですよね。ただ、大学ではきちんと評価軸が示されていて、それに基づいて評価されているんだなという納得感とか、あと教授からの説明もあって、高校までとちょっと違うなって思っていました。高校までって、自分の何をもって何でこの評価になったのかってよく分からなかったなというのが正直なところでした。
 そう考えると、評価の軸とかも含めて子供と一緒につくっていくということをぜひ奨励していただけないかなと思っています。ルーブリックを高校生とつくった飯田風越高校の例を以前話しましたけれども、子供とのコミュニケーションがあってこそ、評価の本質的な意義が子供、ひいては保護者にも伝わるんじゃないかなと思います。例えばこれはジャストアイデアですけど、新1年生の保護者、子供が読むべき、通知表「あゆみ」の見方みたいなのを文科省で発行するとか、「あゆみ」って任意だということは留意しながらも、やれるサポートをしてもいいんじゃないかなと思っています。
 ただ1点、教育委員会側の努力が必要な部分って残るなと思いまして、それが高校入試です。今後の議論だと聞いていますけれども、結局どれだけ本質的に必要な評価をしても、内申点の形で差をつける材料として位置づけられている状況が残る限り、やっぱり評価の本質からずれるかなと思います。しかも、これこそが中学校現場にとっては文句を言われない評価にしなきゃいけないというプレッシャーにもなり、ペーパーテスト依拠になっているという話はまさに議論されたとおりかなと思います。これは今後の議論に期待しますし、今後発言したいと思います。
 続いて幼児教育についてです。私、幼児教育は極めて重要だと考えています。まさに環境を通して行う教育、遊びを通しての指導という話がありましたが、これこそ子供たちの主体性、探究を重視する本質的な学びを実現しようとしているということかなと思います。古賀委員からも具体例がありましたけれども、私も幼稚園、保育所、こども園を訪れるたびに、部屋から飛び出して環境から丸ごと学んでいるなと本当に毎回感動します。ここから小学校の現場の先生がもっと学べないかなと思います。
 例えば就学前教育施設で、こんな学びをしているのかという発見と、今、小学校現場で行われているティーチングを比較すると、小学校の授業へのフィードバックにも繋がるんじゃないかなと期待します。これ、架け橋カリキュラムがまさにその一環かなと思います。例えば小学校の教室の環境自体を幼稚園的なものにちょっと寄せてみるとか、小学校より上の学年の学びをさらに深めるためにも、幼児教育から学んだり工夫できたりすることがあるんじゃないかなと思います。
 ただ、これは幼稚園だけの話じゃないということを今日は強調したいなと思います。何が言いたいかというと、保育所、こども園でも同様の取組を行っているところはあると思うんです。考えると、名前の違いと所管の違いって何なんだろうなとずっと思います。もちろん歴史的な経緯等はあるんでしょうけれども、子供にとって、自分の通っている就学前教育施設がどこの所管かって正直関係ないと思うんです。現状、保護者や市民からの見え方って、どうしても幼稚園は教育をする場所、保育所は子供を預けている場所というイメージになっていると思うんです。これはすごくもったいないなと思います。要領は一体的に、保育要領とかも含めて検討を進めていくという話がありましたが、この場で話すことじゃないかもしれないんですけれども、こども家庭庁もできたわけですし、所管官庁について、一本化も含めて真剣に考えたほうがいいんじゃないかなと思います。これが、市長部局が持つのか、教育委員会が持つのかという地方自治体における所管問題にもつながっているんじゃないかなと思います。
 さらに今後、子供の数が減っていくにつれて、例えば小学校の空きスペースを園舎として活用するとかいったこともあると思います。小1移行をスムーズにしたり異学年との学びを促進したりといった、さらに学びの質を上げる手法は考えられます。これを考えても、所管部局が教育委員会なのか市長部局なのかみたいな話に結局なりそうなので、所管について真剣に議論されることを、別の場だと思いますが、期待したいと思います。
 最後に特別支援について。結局学校は何のためにあるのかというと、私は学び合いのためにあると思っています。知識や技能だけを身に付けるんであれば、家でAIでやったほうが早いよねというふうになる時代に早晩なると思います。となると、子供にとって最も身近な社会である学校を民主主義を学ぶ場にすべきだし、となると、様々な子供たちが包摂的に学ぶ場が前提にあるべきなんじゃないかなと思います。これまでの過日の議論でも、包摂的な教育課程をまずは1階部分、通常の学級でやろうということがありました。まさにこれが前提なので、ここはずらしちゃいけないなと思います。
 その上で、なお合理的な配慮の一環として追加の支援を行うという順序だと思うんですが、この合理的な配慮の部分、まさにその子にとってどんな学びの環境がいいかを中心として考えるべきなんじゃないかなと思います。今回の改訂で柔軟化されているとは思うんですけれども、ただ自治体それぞれの状況があるので、それを踏まえて現場に下ろしていただきたいなと思います。4.27の通知がありましたけれども、このテーマってなかなか正確に現場に意図が下りないなという印象があります。何でこう改訂するのか。そもそも特別支援の目的とは何かというところも含めて、分かりやすく示していただければなと思います。同時にこの話は、人の定数の話を避けては通れないかなとも思います。芦屋市、この2年、支援員、介助員の人数を増やしたんですけれども、そういう人手の確保の部分も同時に配慮いただければなと思っています。
 最後に、これは蛇足かもしれませんけれども、「特別支援」という名前ってそろそろ変わらないのかなと思います。特別支援を受けている子だけが特別かって、そうじゃないわけで、そもそもどの子も特別ですよね。過日の議論にもあった、日本語指導が必要な子供も特異な才能を発揮する子も特別な支援は必要なわけです。変わらなきゃいけないのは社会のほうなので、あの子は特別だからじゃなくて、どの子も特別なのだから一人ひとりに合った学びの環境をつくっていく、そんな教室になることを期待したいなと思います。
 以上です。【貞広主査】  ありがとうございます。
 では青海委員、どうぞ。
【青海委員】  今、髙島先生の「特別」という言葉がもう特別ではないんではないかということは私も感じていました。さて、障害のある子供に対する通級による指導の教育課程の見直しについてですが、障害の状態に応じたきめ細かな指導の実現のために、通級による指導において、各教科の指導を行うことを可能にすること、授業時数や習得単位数の上限を見直すこと、教育課程の編成に当たって、各教科の目標や内容の一部について、障害の状況を考慮したものに替えるとことや取り扱わない、発達障害などの障害種ごとの配慮事項を示すことについては、いずれも学校現場の実態に即していると感じます。
 その上で、現在の通級指導においては年間280時間、週で言うと8単位時間ですけれども、現実には1人週8時間どころか1から2単位時間、これが現実です。これはセットで進められることですので、制度設計ができても指導体制の整備が整わないと、完全に絵に描いた餅になります。授業時数の上限を見直すことなどについて、その辺りはどうなのかなと思いながら、御検討をお願いしたいと思っています。
 以上です。
【貞広主査】  では奈須委員、どうぞ。
【奈須委員】  よろしくお願いいたします。特別支援教育のところですけれども、事務局提案、非常にいいなと思っております。その上で、野口委員の御提案にあった「社会モデル」という言葉、そしてその考え方、これが本当に事務局提案そのものを統合的に説明する言葉のように思います。多様性の公正な包摂ということが令和答申で出て、今回の指導要領でもそこを大きく目指していくわけですけれども、そうなったときに多様性を捉える一つのキーワードとして、やっぱり社会モデルなんだということ、そこはとても大事なことだと受け止めています。これはもちろん特別支援だけではなくて、教育課程全体の基調にするような議論じゃないかと。まだこれまであまり議論していませんけど、このことは今日大事だなと思いました。
 例えば総則の第4、小学校で言えば児童の発達の支援というところに、障害のある子供をはじめ、いろんな子供の多様性、それをどうやって配慮し、包摂して、発達権、学習権を保障するかということが書いてありますけど、ここの部分が、野口委員が言われるような社会モデル的な書きぶりになっているかどうかということ、まだとても弱いと思うんです。このことはこの特別部会でもしっかり議論し、また、総則のことを議論する専門部会でもしっかり議論し、そこで議論したことが、特別支援教育はもとより、全ての各教科等のカリキュラムの編成とか指導の基調になってくると思いますので、このことはまたどこかで議論ができるといいなと思いました。
 以上です。
【貞広主査】  では石井委員、どうぞ。
【石井委員】  ありがとうございます。先ほど話したのでどうしようかなと思ったんですけれども、3つのテーマをつないで考えると非常にいろんなものが見えてくるんじゃないかと思ったんです。それこそ、読み解く一つのポイントとしては、幼児教育と評価の部分と特別支援教育、これについてちょっと語りの仕方の違いみたいなものが見えたんじゃないかなという気がするんです。幼児教育からストレートにいろいろと見えてくるところがあって、一つ専門的な言葉で言ったら、関係論的に物事を見ていくというんですか、つながりの中で物事を見る。つまり、能力は個人の所有物かと言われればそんなわけではなく、つながりの中にあるというのが関係論的な発想ですけれども、これは社会モデルに関わるところなんですよね。先ほど、評価の話で田村委員のほうからもコミュニケーション過程であると。つまり、それは相互理解を深めていくということが評価の原点である。しかし、実際評価はコミュニケーションであるとともにシステムであるということで、システムのほうが前に出過ぎてしまって、対象化して分析するみたいな。それで実は見えなくなっていることがすごくあるんじゃないかなということなんですよね。だからむしろ、この間の学習評価のシステムのつくり方の最大の課題は何かというと、結局それに取り組めば取り組むほど子供が見えなくなってきたのではないかと、ここなんだろうと思います。
 ですから、特に主体性云々ということで言うと、個人内評価というのは、要は丸ごとの子供を見ていくということ、かけがえのないこの子をどう見るかということ、それが個人内評価の発想になります。ですから、まさに大事なところこそ、丸ごとの子供を具体で見ると。それこそエビデンス・ベースとナラティブ・ベースではないですけれども、お医者さんも数値で診るだけではなくて、一般化して診るだけじゃなくて、目の前の患者さんを具体で診るわけです。だから、そういった臨床的関係性がベースにある。評価の機能に関しては、指導機能と証明機能の2つがあると言われますけれども、それで言うと、結局指導機能で言うと子供理解がどういうふうに深まっていくのか、結局指導の改善に生きるかどうかということは子供理解の深まり次第である。それが手だての話になっては子供が見えない。むしろ指導と評価の一体化の前に、私は目標と評価一体と言っていますけれども、結局何をつかませたいのか、どうなっていってほしいのかという形で、子供の理解と出口の子供のイメージとして目標が明確化されていくことが大事なんだろうと思うんです。
 だから結局、指導や評価の手だての話をしても、出口でどうなっていてほしいのとか、そういうねらいとか願いの話といったものが形式化・空洞化していったのではないかなということです。だから、指導と評価の一体化の前に目標と評価は一体、目標と指導と評価の一貫性、一体性。でも、目標はあくまで仮説ですから、そのとおりに追い込むんじゃなくて、それを仮説として見るからこそ机間指導でも子供のつまずきなどもキャッチできるというところが大事かと思いますし、証明機能ということで言いますと、実は通知表というのは家庭との連絡機能ですから、授業参観とか面談、あれと同じ機能なんですよね。あるいは学級通信。それで言うと、匿名のアカウンタビリティーではなくて、固有名のレスポンシビリティ、応答責任と表現したりもしますが、目の前の子供が育っている、まさに子供の姿で実際親御さんと一緒に具体の姿を見て肌感覚として学びや成長を実感していたら、学校はよくやってくれるなという信頼が調達されていくわけです。そういうプロセスが大事であると思いますし、さらに言うと、社会モデルを実装するとはどういうことかということ、合理的配慮を個別対応だというふうに、介入だって思ってしまうとちょっと違う。まさにおっしゃっているように、条件整備がベース。だから、オプションを提供するというのは、条件整備の当たり前の環境整備ということであって、さらに言うと、そのベースにあるのはまさに幼児教育のところに出てきた、遊びというのは最もインクルーシブな空間なんです。いろんな子たちが共に学び合っている。ですから、そういうつながりづくり、そこがベースにあって、さらに条件整備があって、個別対応がある。だから、そこら辺の重層性を見失わないことが大事かなと思いました。
 以上です。
【貞広主査】  ありがとうございました。ほかの委員の方々、いかがでしょうか。よろしいでしょうか。ありがとうございます。
 私、本日冒頭、大変盛りだくさんですと申し上げたところでございますけれども、今、石井委員の御意見にもありましたとおり、蓋を開けてみますと、議題1、2、3が連動していて、連動しているからこそ皆さんにお寄せいただいた貴重な御意見もあったかと思います。一大テーマは、なぜ評価するのかということでしょうか。教育現場のみならず、社会全体で評価観をいかに転換していけるのか。すごく難しいですけれども、決して私たちは諦めないというところが今日、共有できたことかと思います。
 また、連動という意味では、野口委員の資料の中に、「自立活動は、普通に合わせて本人が頑張るための指導になっている」という文言がありましたけれども、普通のところに、普通のペースとか、普通のプロセスとか、普通の学び方に合わせて本人が頑張るような指導というと、通常の学校でも全く同じことが当てはまり、普通のペースかプロセスか学び方かということを絶えず細かく評価、評定して、子供たちを追い込んでしまう場合もあったかと思います。それを様々な学び方で、評定は学年末しかしないと。コミュニケーションツールとしての評価だけ、様々な学び方を認めて評価していくということで、全ての子供たちを伸ばすという平等感の転換にもなるような学び方を御提案いただいているかと思います。ぜひこういう形になるように。でも、プランは立てられるんですけど実装が一番難しいので、いかに皆さんの納得性を調達して、よし、これで行こうかって言っていただけるかというようなメッセージの出し方もあるかと思います。少し蛇足を申し上げました。ありがとうございます。それでは、皆さんの御協力をもちまして、盛りだくさんですが、時間内に終了できそうです。
 最後に、次回の予定につきまして事務局よりお願いいたします。
【栗山教育課程企画室長】  次回は、7月28日月曜日15時半から18時を予定しておりますが、また後日御連絡を差し上げます。
【貞広主査】  では、以上をもちまして閉会といたします。どうもありがとうございました。
 
―― 了 ――

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課教育課程企画室

電話番号:03-5253-4111(代表)

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