令和7年2月17日(月曜日)15時30分~18時00分
WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式
【貞広主査】 定刻となりましたので、ただいまから第2回教育課程企画特別部会を開催いたします。
本日は、「質の高い、深い学びを実現し、分かりやすく使いやすい学習指導要領の在り方について」を議題として審議を行います。
前回の部会におきまして、各回において事務局から現状と課題、論点等を分かりやすく整理した資料を提示することとされましたことを踏まえまして、事務局と御相談いたしまして論点資料を作成しております。
進行資料を御参照いただけますとお分かりになりますとおり、論点資料について、まず事務局より御説明をいただいた後、戸ヶ﨑委員より、教育委員会や学校現場の視点からのお考えを、そして、続きまして、石井委員より、学術研究や研究者として学校に関わってこられた視点からのお考えを御発表いただきます。
大変内容の濃い御説明や御発表となりますので、その後5分間の休憩を挟みまして、皆様との意見交換の時間を取りたいと思っております。
それでは、早速でございますが、議題(1)に移ります。まず、本日の議題に関する論点資料につきまして、事務局よりお願い申し上げます。
【栗山教育課程企画室長】 それでは、論点資料について御説明をさせていただきます。テーマは、「学習指導要領の一層の構造化」についてでございます。
それでは、次のページを御覧ください。学習指導要領の構造に関する主な課題として、まずこのページで整理をさせていただいております。左側に前回の改訂における改善、そして、右側に現状もなお残る課題として整理をしているものを記載しております。
まず左側です。全教科等の学習指導要領の目標・内容については、前回改訂で、「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」、「学びに向かう力、人間性等」の3つの資質・能力の柱で整理されました。
特に、内容については、「知識及び技能」と「思考力、判断力、表現力等」を中心に一定の構造化が図られたという経緯がございます。
そして、学習指導要領の総則における「主体的・対話的で深い学び」の視点からの授業改善の提起によって、知識相互を関連付けてより深く理解することなど、学びの質(深さ)を追究する方向性を明確にいたしました。
参考資料1に飛んでいただきまして、現行の学習指導要領の内容の構造のイメージとしてお示ししたものであります。教科によって構造は異なりまして、代表的なものを掲載しています。
左側は小学校国語でありまして、国語の場合、内容全体を資質・能力ごとに整理しております。以下御覧いただきますと、「知識及び技能」の中に言葉の特徴や使い方など、そして、「思考力、判断力、表現力等」の中に、各話すこと・聞くことの領域が記載されています。このように全体を資質・能力ごとに整理して記載しております。
右側に目を転じていただきますと、小学校の理科でありますが、構造は異なりまして、内容を一定のまとまりごとに資質・能力で整理しています。以下御覧いただけますように、A物質・エネルギーの中に、(1)物と重さとあり、その中に「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」の具体の記載がなされているといった構造になっております。
このように、現行の学習指導要領においても、資質・能力ベースで、各教科等の特性を踏まえた構造化がなされているところではございます。
戻っていただきまして、その現行の学習指導要領に対して、真ん中にございますように、授業改善にこうした構造化の結果、一定の成果があったという布石がある一方で、なお分かりにくいのではないかという指摘をいただいているところでもあります。
右側がそれを具体的に整理したものであります。3点掲げております。
1点目が、マル1、資質・能力の深まりのイメージが掴みにくいという点です。「個別の知識を学びながら、新たな知識が既得の知識及び技能と関連付けられて、各教科等で扱う主要な概念を深く理解し、他の学習や生活の場面でも活用できる」ことを目指す授業を創る上で、個別の知識や技能が関連付けられた状態、各教科等の主要な概念の深い理解との関係、「タテ」の関係としておりますが、これがイメージしにくいのではないかということ。
2点目に、資質・能力の複数の柱、資質・能力や思考・判断・表現という複数の柱を一体的に育成するイメージが掴みにくいのではないか。「『思考力、判断力、表現力等』を発揮することを通じて、深い理解を伴う知識が習得され、さらに『思考力、判断力、表現力等』が高まる」授業を創る上で、「知識及び技能」と「思考力、判断力、表現力等」の相互の関係、「ヨコ」の関係がイメージしにくいのではないかというふうに記載しています。
この点、補足のために参考資料2を御覧ください。今申し上げた「タテ」の関係と「ヨコ」の関係について、イメージ的にお示しをしたものです。
まず左側、「知識及び技能」の下のほうを御覧いただければと思います。それを御覧いただくと、個別の知識や技能というものがありまして、中学校の数学で具体例を書いてありますが、個別の知識や技能の例として、例えば関数としてみなせることの理解や、関数でモデル化できることの理解、あるいは、二次関数となっていますが、モデル化できる事象があることの理解といったことが例示されています。
これが相互に関連付けられる中で、上にありますように、教科の主要な概念の深い理解、ここでは例として、関数を使えば未知の状況を予測できるとありますが、生きて働く知識になっていくということではないかと考えております。
このことは「知識及び技能」だけではなくて、右側に目を転じていただきまして、「思考力、判断力、表現力等」も同じ構造があると、同じ「タテ」の関係があるのではないかというふうに整理をしておりまして、下、個別の「思考力、判断力、表現力等」のところを御覧いただきますと、例として、式やグラフを用いて考察するといったことや、二つの数量の関係を関数と仮定して処理したりその結果に基づいて判断するといったことを記載しています。
これが、知識を活用しながら総合的に働かせるというプロセスの中で、上にありますように、複雑な課題の解決といった資質・能力につながってくるのではないか。例として、現実の事象を数式でモデル化し、未知の状況を予測して、具体的な解決策を選択するといったことを記載しております。
そして、この「タテ」の関係だけではなくて、こういった「タテ」の関係に主要な概念の深い理解や複雑な課題の解決といったところまで関連付けるためには、「ヨコ」の関係ということで、個別の知識はそれだけで鍛えられるのではなくて、思考・判断・表現の過程を通じて鍛えられていくということを考えまして、「ヨコ」の関係ということが併せて必須であるということをお示ししているところであります。
これがこの図でありますけれども、下の部分を御覧いただきますと、そのことを少し表現してございまして、「タテ」に相当する考え方として、知識の理解も、それが生きて働くように深く学ぶことが重要。思考力、判断力、表現力等も、社会や生活で直面する未知の状況でも課題解決につなげていけるよう「質」を高めることが重要と、「タテ」の関係性について整理をしています。
その次が「ヨコ」の関係に相当するものですけれども、ある程度の知識・技能なしに思考・判断・表現することは難しいし、思考・判断・表現を伴う学習活動なしに、知識の深い理解と技能の確かな定着は難しいと記載しています。
こうした資質・能力の関係性やそれらの一体的育成への理解は、資質・能力を効果的に育成するためにも不可欠であると、このように整理をしています。
戻りまして、マル3であります。教科書「を」教える授業、いわゆる「本時主義」からの脱却に至っていないのではないかということであります。
今御説明いたしましたマル1、マル2の課題も相まって、学習指導要領と児童生徒・地域の実態を踏まえて、「どのような力(資質・能力)を身に付けてほしいか」という認識から出発して、そのための授業のまとまり(単元や題材)を構想し、その上で、教科書や教材をどのように使って、一コマ一コマの授業を創るかというプロセスが実現しにくいのではないかということを指摘しています。
このイメージが参考資料の4であります。参考資料の4を御覧いただきますと、今申し上げたことが、上から順番に示しています。学習指導要領(資質・能力)、児童生徒や地域の実態、どのような力を身に付けてほしいかというところから始まり、単元・題材の構想、その上で、教科用図書や教材をどう使うか、そして、一コマ一コマの授業へという流れをお示ししております。
以上が課題でありますけれども、参考資料の3を少し御紹介したいと思います。
先ほど課題マル1、マル2に関連した指摘として、関連したものとして御紹介しておりますけれども、このページは、今井むつみ委員の御著書からの引用でありまして、今井委員からも、知識の概念としての習得や深い意味理解を促すという指導が非常に重要であると御指摘いただいているところであります。
ここでは、多くの子供たちが分数や小数の概念的な理解ができていないのではないか、あるいは、分数の意味の理解にとって「ひとしい」ということは前提になる重要な概念であるが、これもまた十分身に付いていないのではないかといったことを御指摘いただいているところであります。
これについて、次のページに、分数・小数の大小関係を問う問題の具体と、その具体の正答率についてお示ししております。
次のページが、算数の学習の前提という中で、実は意味がよく分かっていない言葉があり、それが「ひとしい」ということの例であるということとして、このように実際の回答状況をお示ししているところであります。
以上が課題でありますけれども、この課題を踏まえて、8ページを御覧いただければと思います。論点と考えられる方向性の案でございます。
左側が、3つの論点をお示ししておりまして、右側が、その論点に対して考えられる方向性をお示ししているものです。
まず、マル1であります。より深い学びを実現する授業のイメージを持てるよう、前回改訂の構造化をさらに発展させて、先ほど御紹介した「知識及び技能」相互、「思考力、判断力、表現力等」相互の「タテ」の関係、「知識及び技能」と「思考力、判断力、表現力等」の相互の「ヨコ」の関係、いずれも教師が授業づくりをする上で、「掴み取りやすくする」ための改善を行うことが必要ではないかとしております。
これに対して、右側に目を転じていただきまして、考えられる方向性として、各教科等の「中核的な概念や方略」を中心に、学習指導要領の目標・内容の一層の構造化を図ることが考えられるのではないか。その際、「知識及び技能」、「思考力、判断力、表現力等」に応じた「中核的な概念や方略」の具体について、教科等の共通性を重視しつつも、その特性も踏まえて検討を進めるべきではないか。そして、このことは、記載の冗長・複雑さの改善によるスリム化、教科等や学年等を横断した俯瞰しやすさの向上にも資するのではないかとしてお示しをしています。
マル2に行きまして、3つの論点のマル2の部分です。中段の部分です。
授業づくりに積極的に活用できるよう、各教科の目標・内容の全体像や、「タテ」「ヨコ」の関係性など、教師にとって構造が視覚的に理解しやすく、分かりやすく、使いやすい記載の在り方について検討する必要があるのではないかとしています。
この論点に対して、右側のマル2を御覧ください。方向性として、表形式や箇条書きを積極的に活用することが考えられるのではないか。そして、マル1と同様ですが、このことは、記載の冗長・複雑さの改善によるスリム化、教科等や学年等を横断した俯瞰しやすさの向上にも資するのではないかとしております。
そして、論点のほうにお戻りいただきまして、3つ目、マル3であります。
告示される学習指導要領は単一の形式とならざるを得ないが、実際に授業づくりを担う一人一人の教師にとって、分かりやすく、使いやすいという観点から、デジタル技術を活用することによって、解説を含めた学習指導要領のユーザビリティ・アクセシビリティをどのように向上し得るかとしております。
これに対して、右側の方向性、マル3を御覧ください。デジタル技術の活用により、例えば以下のようなことが実現できるのではないか。このほかにどのようなことが考えられるかとしています。
例として、3つを挙げております。教科等間の関係、学年段階、さらには幼小中高の学校種間の記載も容易に俯瞰できるようになるのではないかといったこと。
2つ目に、学習指導要領コード、現在も学習指導要領コードは既に振られていまして、一部活用もされていますけれども、これをさらに活用し、学習指導要領とデジタル教科書・教材を紐づけることによって、デジタル教科書・教材とのアクセス等が一層円滑となるのではないかといったこと。
そして、3つ目、学習指導要領等の記載に基づき、AIなども活用して、応答するといった機能も可能性としてあり得るのではないか。こういったことを例として記載をしております。
そして、下、検討に当たっての留意点でありますけれども、この「3つの論点と方向性」といったものは一体的に課題に対する方向性として捉えて、「学習指導要領の更なる構造化を学校現場に分かりやすく示す方策」といったことも検討してはどうかと記載しております。そして、こうした取組の方向性について、諸外国等の事例も参考にしてはどうかとさせていただいております。
以上が論点と考えられる方向性の案であります。
関連して、参考資料1-1の論点資料の補足資料についても若干御説明をさせていただきます。時間の関係で、5ページまでは一旦割愛させていただきまして、6ページを御覧いただければと思います。
先ほど最後の部分で、これからの方向性について、諸外国の事例も参考にしてはどうかということを申し上げたところでありますけれども、諸外国の動向についてまとめた資料が、この6ページ以降に掲載しております。
諸外国では、左側と右側、右側が色がついている部分でありますけれども、「キー・スキル」「21世紀型スキル」といった、育成すべき資質・能力を重視したコンピテンシーベースの教育課程の基準に改革する動きがこれまでも見られたところでありますけれども、そのことが左側の欄に主にまとめておりますけれども、さらに、一部の国では、次の段階の改革として、核となるコンピテンシーや概念等を指す「中核的な概念」により、教育課程の基準の構造化に取り組む動きが見られるとしておりまして、その具体が右側の部分であります。
今回はカナダのブリティッシュコロンビア州、オーストラリア、韓国、台湾の例を示しております。その下に記載しておりますけれども、諸外国においては、「中核的な概念」の性質、例えば資質・能力全体に相当するものか、資質・能力の一部分である知識・技能に相当するものなどについて、あるいは、その範囲、教科横断しているのか、あるいは教科ごとなのか、教科内の学習領域の一部なのか、あるいは、その対象の学年、学年共通、学年ごとなのかといったものは多様でありまして、各国の文脈に応じて「中核的な概念」といったものによる構造化等が進められてきておりますので、あくまで概要についてお示しをしております。
その下の部分については、OECDの動向として、OECDにおいても、「子供たちが特定の教科における基盤となる概念やビッグアイデアを理解し、それがどのように他の教科に適用できるかをわかるようにカリキュラムを構造化」することをカリキュラムデザイン原則の一つとして提言している旨が記載されています。
以下、例示した国や地域が示されておりまして、次のページがカナダのブリティッシュコロンビア州になっております。
ブリティッシュコロンビア州では、各教科の重要な概念や原理等を示す「ビッグアイデア」を各教科、そして、1学年ごとに位置付けをしております。その上で、「ビッグアイデア」と並べて教科別コンピテンシーや教科内容の学習基準を示しているところであります。
右下の部分の表にまとめておりまして、「ビッグアイデア」は黄色くなっている部分で御覧いただけるような形になっておりますので、御参照いただければと思います。
次のページがオーストラリアであります。
オーストラリアでは、各教科の下に設定されている複数の学習領域を関連付けまして、学習内容の理解を深めるための「キーアイデア」という名称で教科ごとに設定し、全学年共通のものとして位置付けられています。
教科内容の習得を支援することを目的に設定される領域、「ストランド」と名付けられていますが、その下位における「サブストランド」というものも記載され、教育課程の基準がこの「キーアイデア」を中心に構造化されているといったものになっておりますので、また、御参照いただければと思います。
次は韓国であります。
学習を通して一般化できる内容である「核心アイデア」を各教科に紐づく学習領域ごとに設定し、全学年共通のものとして位置付けています。
その具体については、下の「核心アイデア」という部分で、この図表の上の部分に「核心アイデア」と書いてありますので、また後ほど御参照いただければと思っております。
最後に、台湾でありますけれども、育成を目指す資質・能力を記述した3つの「面向」、側面といった日本語でありますけれども、それに基づく9項目の「核心素養」を全教科、全学年共通で位置付けていまして、教科ごとに、この側面というものと「核心素養」を用いて、教科学習において獲得すべきコンピテンシー内容を構造化して整理をしているという取組を進めています。
次に、12ページであります。ここまでは構造化に関する諸外国や地域の例でありましたけれども、ここはデジタル化の事例でありまして、カナダのブリティッシュコロンビア州の例であります。
ウェブ上でKUD、KUDといいますのは、Know、Understand、Doの3つ、知る、理解する、行うの3つで構造化しておりますので、その3つの要素や教科、学年、そしてキーワード検索を掛け合わせて教育課程の基準を検索できるということをウェブ上でできるようになっています。
検索結果の画面では、学年や検索条件を変更できることに加えて、各教科の学習におけるゴールや授業実践例を示す画面に遷移でき、関連する情報を体系的に確認することができるようになっております。
最後に、オーストラリアの例を次のページに記載しています。
オーストラリアでは、ウェブ上で「学習領域」、「汎用的能力」、「領域横断的優先事項」、これはその直下で御覧いただけるところのLearning areas(オレンジの部分)と、General capabilitiesとCross-curriculum prioritiesという部分の訳でございますけども、3つのカテゴリーからカリキュラムを検索・閲覧できるようになっています。
この「学習領域」、Learning areasという部分のカテゴリーでは、教科と学年を入力してカリキュラム内容を検索でき、検査結果画面では各教科の学習における理念、目標等の確認や、付与されているコードを通じて指導方法等も確認できるようになっています。
なお、左下に御覧いただけるように、学習指導要領のコード、先ほど申し上げましたけれども、オーストラリアでも、このコードが振られて活用されているという実態がございます。
事務局からは以上でございます。
【貞広主査】 ありがとうございます。
非常に情報量の多い御説明をいただいたので、それぞれ委員の皆様から御意見や御質問あろうかと思いますけれども、この後、戸ヶ﨑委員と石井委員にも御発表いただいた後に、皆さんからの御質問等を受けたいと思います。
では、まず戸ヶ﨑委員、お願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】
戸田市教育委員会の戸ヶ﨑でございます。まずは、このような機会をいただきまして、誠にありがとうございます。
テーマは「学習指導要領を活用した授業づくり」ということで、今までと現在、そして、これからの姿について、学校現場に常に寄り添っている立場として発表をさせていただきます。
まず話の骨子については、これからの望ましい授業づくりの在り方について、これまでや現状のことを踏まえつつ、「学習指導要領の活用」「教科書・教師用の指導書の活用」「授業のデザイン」という3つの側面からお話を申し上げます。
望ましい授業づくりの在り方につきましては、従来の経験や勘も大事ですけれども、一定のエビデンス、客観的な根拠を踏まえていくことも大切と考えております。
これまで本市教育委員会が積み上げてきた様々なデータ分析等も含めたグッドプラクティスを見極めて、横展開している取組の一例も簡単に御紹介いたします。
まず、授業づくりの今までと現状、そして、これからをお話しするために、画面にあるように、全ての指導主事や学校管理職の声を多く聞きながら、改めて全体像をまとめてみたものであります。
縦方向に「学習指導要領の活用」「教科書や教師用指導書の活用」「授業デザインの視点」とまとめてみました。一方、横方向は、「今まで」「現状」「これから」と時間軸としています。
それでは、それぞれの枠について順に簡単に説明をしてまいります。
まず、今までの授業についてであります。
学習指導要領について、多くの教師は、文字ばかりで抽象的な表現や難解な言葉が多く、率直に申し上げれば読む気も起きないため、伝達講習会などの特別な日以外は活用していない現状がございました。
次に、教科書は「教科の主たる教材」であることがなかなか理解されておらず、教科書をひたすらこなす授業が少なくありませんでした。そして、教師用の指導書やハウツー本を参考にして、言うなればそれをなぞるような授業が横行という言い方はきついかもしれませんけれども、していたように思います。
また、指導書は、本時の流れや発問も大変懇切丁寧に書かれているため、それを見ることで教材研究を行ったつもりになっていました。目の前にいる子供の実態等を踏まえていないので、進度は順調であっても、学びは浅くなっている現状がございました。
続いてこれまでの授業のデザインについてです。文の後ろに付いている括弧の数字は青地の内容に対応しています。
今までの授業は、大変すばらしい匠の技による優れた授業がある一方で、一斉授業が主であって、教師はよく喋り、答えは後ろ手に隠し、子供は我先に正解を言い当てるという、一問一答の形式で授業が進んでいました。
もちろん、それらが全てではないですけれども、教師の中には、何年も使っている自作プリントなどで授業ができるので何にも困っていないという、いわゆる「廊下の教材研究」で済ませている教師も散見されました。自分が受けてきた授業の再生からなかなか抜け出せないで、観点別評価の意味もよく理解されず、穴埋め等のプリント学習へのこだわりから抜け出せていない状況でした。
さらに、本時主義として、授業の計画は一単位時間のみで考えていました。ICT機器などを使用するということには大変抵抗感があって、チョーク・アンド・トーク型の授業から抜け出せないといった状況がございました。
次に、現状についてお話をさせていただきたいと思います。
まず、単元全体における本時の位置付けを考える教師が増えつつあります。しかし、なかなか概念的な知識を獲得していくということの重要性の理解は不十分なところでございます。また、教科等横断的な視点によるカリキュラム・マネジメントが遅々として進まないという現状がございます。
さらに、依然としていわゆる教科書至上主義の呪縛があります。教師用指導書などの内容をそのまま行っている実態はいまだ少なくありません。目の前の子供の実態を基に、授業展開の仕方や学習環境をアレンジできる教師はもしかすると減ってしまっているのではないかなという感じもしております。
また、授業のデザインは、一斉指導から脱して、非同期の学びへのトライが見られつつあります。一方で、自由進度学習もどきの自由放任学習というのも散見されて、授業の軸がぶれて方法論のみにこだわっているケースもございます。
様々なメソッドやスタイルが取り入れられる一方で教材観や子供観が希薄になって、指導観が借り物になってしまっているように思います。私はどうもこの「観」の希薄化に大変強い危機感を感じているところであります。
働き方改革の名のもとに個業が多くなり、一人だけで考えて授業を実施してしまうので、省察の場面が少なくなっているかなと思っております。
省察とも関連して、板書スキルなど、教師の指導技術も世代で見ると低下傾向にあるかなと思っています。
また、単元に目を向けようとする実態が進みつつあるものの、基礎・基本が定着していない子供が一定数いるという現状について、客観的な分析評価を行って、何らかの手立てを早急に行う必要があります。
また、指導と評価の一体化が看板倒れに終わってしまっています。そもそも授業がやりっぱなしとなってしまい学習評価にまで行き着かないケースも見られます。
GIGA端末については、使用頻度は着実に高まっています。一方で、端末の利用が目的化して、スマートであっても、深い学びになっているかは懐疑的でございます。
次に、これから目指すべき授業について申し上げていきたいと思います。これらは先ほど申し上げたように、指導主事や学校管理職の意見を聞きながらまとめたものでございます。
まず、活用されるためには、教師が「なるほど、授業の抑えどころの見当がついた」と思ってもらえる学習指導要領になっている必要があります。
そして、デジタルの力でリアルの学びを支えるというスタンスの下で、端末等をフル活用して、より深い学びを目指していくべきと思っております。そのためにも、内容の重点化や大括りに目標・内容を構造化することが必要です。
特に、この大括りするということは、様々な目標のルートがあるという観点から、今、改訂の今回の焦点であります多様性の包摂、これの実現に向けても、極めて重要であろうと考えています。先ほどありました諸外国の例も参考に、何が最も重要な概念であるかを明確に構造化していく必要もあると考えます。
そして、学習指導要領が学校の実践に生きていく仕掛けも必要です。教育課程づくりと授業づくりが組織的かつ計画的に進められるように、自校の目指す「風景画」等を全教職員と共有して、学習指導要領やその下での教科書の使い方などの議論を深めていくべきです。さらに、地域との合意形成や、子供や保護者への学習指導要領の周知理解、これを一層図っていく必要もあると考えます。
そして、これからの教科書や教師用の指導書の活用については、まずは「教科書を教える」から「教科書で教える」ことを真に具現化していくということ。また、デジタル教科書等が普及されていく中で、今後、教師用指導書への依存度が高まる危惧があることから、とにかく指導書離れが必要だろうと思っています。また、教師に指導裁量の余地を残すためにも、学習指導要領の構造化された中核的な概念の理解を最優先にして、「本質的な問い」、私はこれを「問うべき問い」と言っていますけれども、これを軸にして教材を精選していくということも大切だろうと思っています。
加えて、丁寧過ぎる教科書を見直して、子供たちに「何を学ぶか」、教師には「何を教えるべきか」を明確にしていく必要があると思います。そのためにも、民間サービス等とも連携して、学習指導要領をデータベース化して、学校の実態に応じてカスタマイズできるようにすることや、教材研究内容や授業記録等もその中に蓄積できるようになるとよいと思っています。そのきっかけづくりとして、遅々として進んでいない学習指導要領の単元コードの活用が今後求められます。
これからの授業デザインとしては、これは画面がうまくまとまっておらず、羅列で申し上げますが、「教材と深く対話して、教科の世界に没頭していく学び」の実現、また、「教科する授業」、例えば数学であるならば、Joy Math、Use Math、そして、Do Mathということで、教科をすると数学をする、このことによって、子供と共に数学を創る授業という心がけが大事かなと思っています。
また、教育理念や自らの実践の意味を、信念を持って自らの言葉で語れるように、教師間の「学び合い」を促進する協働の土俵を創り上げること、授業の「本質的な問い」を軸に単元計画・評価計画を練り上げること。
時に一斉授業・一斉指導の時間を意図的に位置付けて、「見方・考え方」に迫る指導も必要だと思います。これまでの優れた教師たちが創造・共有してきた自前の言葉や論理は「生きた板書」「発問の距離」「揺さぶり」「練り上げ」等様々あります。最近聞かれなくなってきていますが、これらの言葉や論理の展開についても考えるべきだと思います。
また、
・「何を学んだのか」という視点での評価や、日常生活に生きる・使えるという実感の感得
・また、中核的な概念を掘り下げて質的に学ぶ「less is more」の具現化の必要性を教師が腹落ちすること
・教師一人一人がカリキュラムマネジャーとなって単元をデザインできるように
・GIGA端末が深い学びを支えるデジタル学習基盤、教師間の協働を促進するツールに、また、「多層的な教室」の実現となるように
・併せて、端末を活用した家庭学習の在り方
こういった研究も進めていくべきではないかなと思っています。
次に、質的・量的エビデンスに基づいて、データ分析等も含め、よりよい授業を見極め、横展開している取組について申し上げます。
本市教育委員会では、様々なデータを利活用して、それらを一元化したダッシュボードを構築して、教師の端末から一人一人の子供のデータを瞬時に関連付けて見ることができるようになりました。
その様々なデータというのは、お手元の資料の28ページにその主なものを掲載してございます。そして、このデータが職員室の「共通言語」となって、子供理解がより精緻になってきたように思っております。
こちらが実際のダッシュボードの画面であります。こちらは、この後述べる戸田市独自の「授業がわかる調査」であります。こちらは埼玉県の学力調査、また、こちらは国立情報学研究所のリーディングスキルテストの結果であります。これらは個人、学級、学年、学校というカテゴリーで表示が可能になっております。
時間の関係でその一端だけを御紹介申し上げますと、本市では、小学校4年から中学校3年まで全ての学級で年2回、授業がわかるか、楽しいかということについての調査をしております。この調査は、一人一台端末とクラウドの自動集計を活用することで、本市に限らず、その気になればどこの自治体や学校においても負担なく実施することができると思っております。画面は、学級間の分散の指標と、「わかる」と「楽しい」の相関係数について示したものであります。
授業の楽しさのほうが理解度と比べて学級の差が大きいことや、特に数学で顕著ですけれども、高校受験が近づくと「わかる」と「楽しい」の関係が弱くなって、分かるが楽しくないという傾向が強くなります。そこで、教科の本質的な楽しさをいかに理解するか、子供主体で探究やアウトプットの機会を増やして授業改善を進めるべきとしています。
また、埼玉県の教育委員会では、IRTの手法により、経年変化で子供の伸びが見られる学力調査を実施しております。本市ではこれを利用して、子供の学力を特に伸ばしている教師を36名抽出して、その教師が重視する授業づくりのポイントを指導用ルーブリックとしてまとめて、全校に共有しております。
左側が、そのルーブリックです。これを市内全校で共有化して、授業研究会等で活用しています。
また、右側は、同様に、この36名の教師の授業研究や指導主事等のヒアリングをもとにした授業改善のポイント、グッドプラクティスであります。毎年必要に応じてその内容をバージョンアップすることで、教師が目指す授業づくりを共有化しています。
他の調査とのクロス分析も行っております。例えば、県学調の結果に基づいて抽出された教師の学級は、授業も分かる・楽しいという結果が出ると思われますが、実は、これらの相関は確認できておりません。
重要なことは、思うような結果は出ないので、複数の調査を組み合わせたクロス分析を進めて、子供を多面的に見つめ抜くことが必要だろうと思っています。このことは、個別最適が求められる背景にある多様性への対応、いわゆる包摂性とも関連すると考えられます。そのプロセスにこそ、授業改善にも必要となる重要な示唆が得られると考えています。
それ以外にも様々な取組を行っていますけれども、今回、特に一例として、「わかる調査」と埼玉県学調の両面から、それぞれのデータが高い教師を抽出して、それらの教師が大事にしているポイントをまとめてみました。
赤枠のように、特に重点を置いている「単元を見通した授業づくり」を最初に掲げて、子供の個人差に応じた興味関心などを引き出し、子供たち同士をつなぎ、深めていく授業づくり、そのための教師のキャッチ・アンド・レスポンスによるきめ細かな関わりの大切さなどを共有してきたところであります。
また、RTIミーティング、いわゆる「データを活用した授業検討会」を行っている学校もあります。ダッシュボードの学習状況等を把握しながら行った手立てや環境設定が適切であったかなどをチームで話し合い、その上で次回の授業をどうしていくかなどを検討して、授業を実施しています。データが共通言語になることで、経験の浅い教師もベテランも同じ土俵に上がることができて、会議が活性化しています。
次に、駆け足にはなりますが、その歴史的な背景や今回の諮問等を受けて、学校管理職、指導主事のヒアリングを踏まえつつ、学習指導要領への期待を申し上げます。
まず、今回学習指導要領改訂のキーワードは、私は余白、理解、活用という、この3つであろうと思っています。イメージを伴わない用語を並べても、なかなか実践には落ちていきません。先ほどの繰り返しになりますけれども、現場の教師が教育理念や実践のこだわりを借り物の言葉でしか語れなくなっている。トレンディな言葉は幾ら器用に操ったとしても、教師の心を打つことは難しいと考えています。
現場の教師が創造してきた自前の言葉や論理が上書きされていかないように。また、学習指導要領を受け止める土台たる学級経営が揺らがないように。学習指導要領に指導方法などを細事にわたって示すというのは抑制的であるべきだろうと思います。子供たちが学びを社会につなげていけるように。一目で分かり、ビッグアイデアの一覧表となる学習指導要領にしてほしいなと思います。
短絡的に内容や授業時数を削減して、子供たちの学びを貧しくするようなことがないようになどでございます。
最後に、今後の議論の中に生かしていただきたいということで申し上げて、終わりにしたいと思います。
スーパーカーを一流の技術者らが創り上げても、高過ぎて買えない、運転手がいない、操作方法が分からないでは、笑い話にもなりません。
まずは、教材観や子供観といった「観」を磨いて、それを基盤とした教育的タクトの感度を高めていくことが急務です。これは、ロボット教師にはできない、ヒト教師にこそできるものだろうと思っております。
現行学習指導要領の理念や趣旨の浸透は道半ばでございます。現在もまた、次期学習指導要領も、「学びに関する高度専門職」である質の高い教師が指導することによって、その理念や趣旨が徹底されると思います。
「学習指導要領が構造化され、中核的な概念が明確になることで、直接学習指導要領から学ぶ気にもなる。今までと大きく変わる学習指導要領になれば、教科書も変わり、授業も変わらなくてはならないとなるはずである」と市内校長からも意見が寄せられました。
老婆心ながら、昨年度末の2つの諮問を強固に連動させつつ議論を深めていくことを願っていますが。声なき声も丁寧に拾い上げながら、学校現場が希望を持って元気になる議論を今後も期待してやみません。
御清聴ありがとうございました。以上です。
【貞広主査】 ありがとうございました。
まさに日々現場に寄り添っていらっしゃる戸ヶ﨑委員でこそできる手厳しい御指摘とともに、方向性の御提案をいただいたところで、ありがとうございます。
では、続きまして、石井委員、お願いいたします。
【石井委員】
それでは、改めまして、皆さん、こんにちは。京都大学の石井と申します。よろしくお願いします。
私のほうから20分ということですけれども、資料のほうは、毎度のことながら、ちゃんと資料集というふうに後のほうに付けているんですけれども、それでも参考資料の前のところも結構字ばっかりで、これ20分で終わるんだろうかということになりますけれども、大体これは本当に資料集ですから、これを踏まえてお話しするということでやっていきたいと思います。
今回私がお話しすることは何かといいますと、先ほどから話題に上がっているような、各教科等の中核的な概念を中心にということですけれども、それに、目標・内容を構造化するとはどういうことか。あとは、分かりやすく使いやすい学習指導要領ということはどういうことかということの、そのイメージが少しでもつけばと思っております。
ベースのところの問題意識といいますか、これはかつて有識者検討会のところで発表させていただいたときのものになりますけれども、基本的に、現状、先ほど戸ヶ﨑先生もおっしゃったんですけれども、現場は本当に頑張っていると思います。私も、現場百編ではございませんけれども、いろいろ足で稼いでということであるんですけれども。しかし、やっぱりどんどんしんどくなっているかなというふうな状況を見ているのですよね。
それはもちろん、様々、人口減少とかもあったりとか、それでリソース不足とか、いろいろあって、そこはまず第一に手当てすべきだということもあるんですが、しかし、頑張ってもなかなか積み上がりがないという部分もあるのではないかと思います。だから、学びがい、それから、働きがいではないですけど、そういった部分がやはりなかなか積み上がりがない。
これは結局何かと申しますと、ここにも少し書いてあるわけですけれども、先ほども事務局のほうからのお話もありましたが、この一時間主義ということもありますし、いろんなキーワード多過ぎ問題ですね。特に、〇〇な学びというふうなことが多過ぎて、かつ、それが実体化する。つまり、教科書がなぜ最近分厚いのかと言えば、内容と教材というところに関して言うと、今から10年前とか、それほど大きくは変わらない。問題は、○○な学びというふうな、そこを紙面上で表現するために、吹き出しやら何やらが多くなっているというところです。それを、しかも1時間の中で何とかこなそうということになってくるので、授業が煩雑化する。
結局、授業をつくるときに、シンプルに子供を見て、それで、内容を見て、それでどうするかだけ考えればいいんですけれども、そこのプロセスのところで、これも入れないと駄目、これも入れなければ駄目というふうな形で煩雑化しているというのが、実は、こなす意識の増大、それから、やり方主義といったものに傾斜していると。
先ほど戸ヶ﨑先生もおっしゃったように、ある種、この教材観とか子供観といったものが空洞化して、指導観でのみ授業を創ったりとか、振り返りしていないかというところですね。
そうすると、どうこなすかということになってきますので、自分で授業を創っているというような感覚がどんどんなくなると。もちろん若い先生方も増えていますし、小学校であれば全教科ということになってくると、一定のやり方の指針は必要です。しかし、そこを最終的に10年経ったときぐらい、超えていかなければ駄目と。だから、はっきり言ってしまえば、上達論がないんですね。10年研の講師を結構やっていますと、分かれてきていることに気づきます。キャリアを始めて10年ぐらい積み上げたときに、そこそこいい感じで楽しくやっているという先生がどれだけ増えてくるかということが、これが肝なのだろうと思います。
そうしますと、結局、内容理解の積み上げ、この辺が非常に弱いんじゃないかというところですね。指導法の話ばっかりになってしまって、その指導法いいねみたいなね。子供理解も十分ではないということもありまして、ましてや内容理解、それが、先ほど今井先生の資料にもありましたように、分数とか小数の意味理解というのは、つまるところ、先生自身の小数概念、分数概念の意味理解の弱さ、これがかなり影響していると思います。
ですから、内容理解を様々なAIドリルとか、そういったものでいろいろサポートはできるんですけれども、しかし、それは最終的に意味理解には届かないです。ドリルというものは、昔から意味理解のつまずきには届かないんですね。ですから、その意味理解といったものは、これはやっぱり先生がサポートするしかないというところ、教材の工夫とかでいつの間にか超えているということもあるわけです。ですから、そういった教材の工夫とか内容論、そういったものが非常に重要になってくるのかなと思います。
そういうベースのところの問題意識があるというようなことなんですけれども、さあ、それで、私が結局言いたいことの内容の重点化、構造化というところに関わってですけれども、結局、現行学習指導要領の熟成ということが一つポイントなんだろうと思います。
第1回目の会議において、今、本当に教職の持続可能性とか学校の持続可能性の問題、それから、包摂性の問題、これはやはりコロナ以降顕在化した問題であると思います。本当にその辺を扱っていかなければいけない。しかし、でも、だからといって、そこで授業とか学びの中身が貧弱化したらいかんというところですね。だから、持続可能性と包摂性の問題、ここに向き合いながら、それは結局教育課程の在り方を柔軟化するんですけれども、その一方で、学びの質といったものを貧弱化しない、この難題に取り組むということが今回の一番大きな課題になってこようかと思います。
そのためには、先ほど申しましたように、教師が育つという側面も絶対に必要になる。だから、上達にちゃんと踏み込んだ上で、ある種、ゆるいけれども深い学び、「ゆるふか」みたいなところを狙っていくということかと思っています。
そのためには、結局、現行学習指導要領の熟成と申し上げたんですけれども、現行学習指導要領の趣旨を再確認して、少し誤解みたいな形になっているのは、コンピテンシーベースというのはコンテンツフリーではないということです。結局のところ、諸外国の事例を見ていただいても分かりますように、実際コンピテンシーベースということで諸外国で展開しているのは何かといえば、結局のところ、重要概念の重点化なのですね。
それはなぜかといいますと、結局それはless is moreの実装である。つまり、少ない内容を重点化して、本質的な内容を深く学ぶことによってたくさん学べますよ、less is moreですからね。それをどう実装していくのかということ、つまり、深さ志向にどういうふうに学びとかカリキュラムの在り方を転換していくのか、これを諸外国はずっと続けてきているわけです。でも、現実の今の日本の状況は、実はそれに逆行してしまっているというところがあります。ただスキルみたいな学び方みたいなものがある種実体化して、網羅主義が加速しているということが、これは皮肉なことですね。
これは何でそういうことが起こっているかというと、現行の学習指導要領において、やっぱり積み残しの課題があった。つまり、何を学ぶか、ここについては、あの図を見ていただきますと、ちょっとすかすかな感じといいますか、枠組みがないということですね。だから、そこの部分のもう一歩踏み込みが必要なのだろうということになります。
ですから、この「何を学ぶか」ということに今回切り込んでいくということが一番重要なポイントになってきて、そのless is moreの実装ということで言いますと、要は、知識の質といったものに向き合う。それは、この中核的な概念とか方略云々というふうなことなんですけれども、これは簡単に言えば、よりメタな一般的な内容に注目する。それによって幹と枝葉を分ける。これ、メタ認知は違いますよ。メタなのですね。つまり、何かというと、例えば、明治維新に対して、近代化のほうがより一般化されたものですね。だから、明治維新というのは、近代化の一事例なわけです。一特殊です。一般・特殊の関係で言うとね。だから、よりメタなものに注目する。
そうすると、結局、明治維新ということで、いろいろな覚えることはたくさんありますよね。でも、結局、それは最終的に近代化ということ、つまり、近代化とは何ぞや、そこについての一定の歴史認識が形成されればそれでよしと考える。そうしたら、もうちょっと個別のパーツというか、そういったものは入替え可能だし、そこに対して、これもこれもこれもということは、もうちょっと柔軟性を持たせることができるんじゃないですかということが、これが中核的な概念。あるいは、方略というのは、つまり、方法の部分で言うと、ガスバーナーの使い方とか、そういった個別のスキルではなくて、実験計画の立て方とか、もう少し戦略的なものがメタな内容ということになります。
だから、そういうよりメタな目標・内容に注目していくということが重要になってくるのではないかと思うんですね。それによって、それぞれの学校ごとの裁量、それから、子供たちの同じ山に登り方いろいろというふうなことが実装される。
あとは、重要な概念というのが絞り込まれることによって、less is more、つまり、深く学ぶということの中で、問い答えの間が長くなる。問いと答えの間が長くなることによって、様々なパーツといったもの、個別の知識・スキルといったものとか、資質・能力といったものがおのずと育まれる。そういったことを狙っているということが重要かなと思います。
それで、もう一つ、この分かりやすくということで、先生方が育っていくというときに、やっぱり目標とか内容理解が大事ということで言いますと、先ほど戸ヶ﨑先生の資料にもありましたように、割と力のある先生といったものは、目標とかその辺の理解に力をかけるということと、それから、導入と。つまり、これは何かというと、内容理解と子供理解ですね。だから、内容がしっかりと理解できるからこそ、押さえどころが分かっている。なので、柔軟に対応できる。さらに言うと、子供理解ということで言うと、子供はこの辺くすぐったら乗ってくるよねというふうなことが分かっているから、だから、結局学びも活性化する。この2つに尽きるというところです。
ですから、そういうことで言うと、内容理解と子供理解がじわじわと深まっていくような、高まっていくような、学習指導要領を使えば使うほどそうなっていくような形にしていくことが大事かなと思います。
今や教科書とか指導書を見ても、内容のポイントがちょっと分かりづらいんですね。学習指導要領の総則とか、そんなところも結構なんですけど、それ以上に各教科の目標・内容を見ると、案外、小学校社会科なんていうのは、こういう着眼点からこう考えるというのは書いてあるんで、あ、そういうことかというふうに、結構シンプルに分かったりするんです。ですから、教科書とか教材と、それから、学習指導要領を両にらみで見たら、結構分かることがあるのです。でも、こういうことは最近なかなかされていないのではないかなと思います。ですから、ふだん使いの学習指導要領ということ、そのためには、デジタルとかを活かしながら、表形式にして一覧性を保つ、担保する。
あるいは、もっと言えば、子供も見られるみたいな形で。子供自身が実際に内容のポイントはどこかなとか、それで、ある種カルテ機能みたいなものもつけたら、そうしたら、ふだん子供たちと一緒に学習指導要領に触れるみたいな形になっていく中で、繰り返し繰り返しそれに触れることによって、内容のポイント、そういったものをつかんでいくように、そういうふうなふだん使いができるようなインターフェースを考えていくということもポイントになってくるのではないかと思います。というところで、大体言いたいことのポイントはそういったところなんですよね。
その基本的な方向のゴールイメージというところで申しますと、基本、教育改革というのは質と公正ということで言いますと、資質・能力の育成というのは質、それから、全ての子供たちにというのは公正。個別最適な学びというのは、この公正な学びにつながるところだと思いますし、主体的で対話的で深い学びというのは、これは質につながる。それとともに、一番下に書きましたけれども、これは持続可能性。負担感云々ということは、やっぱり実際に実行可能性があるかとか、ここの3つのトライアングルをどういうふうに実装するかということが重要になってくるかなと思います。
それで、先ほど申し上げたようなところで、結局、この資質・能力とか、目標・内容の記述、これをよりメタなものへというふうなことなんですが、これは何か新しいことをしなきゃいけないというふうに思われることはなくて、実は、例えば体育とかって、そうなっているんですね。御存じですか。体育って、ゴール型とかというので、バスケットもサッカーも同じゴール型です。そうすると、パスとかシュートって両方同じでしょう。だから、それで言うと、実は体育って、ゴール型、ネット型みたいな形で大くくりのコンセプトがあって、それに対して素材はいろいろな形でやってきているんですね。だから、それに近いような発想が一つイメージにはなってくるかなと思います。
それで、実際にシンプルに示していくといったときに、そのときに、この下のほうに書きましたけれども、教科においても内容知と方法知、これはちょっと力点の違いがあるんですね。
後のほうで少しお話ししますけれども、知識と一口に言いましても、内容知と方法知、これがちょっと違う。つまり、年号とか歴史の流れみたいなものというのは、これは内容知。それに対して、今の体育とかもそうですけれども、サッカーの仕方、実験のやり方みたいな、そういったものは方法知です。教科によって、その内容知、○○は××であるというふうな内容知が優先の教科と、それから、やり方、○○ができるみたいな、方法知が優先の教科というのは少し特性が違う。ですから、そこら辺を踏まえながら考えていく必要があるということと、あとは、小中高それぞれの特性に合わせて考えていく必要があるというところです。
内容の構造化といったもののポイントはこういうことで、その示し方のポイントということで言いますと、最終的に単元というふうな単位で問い答えの間が長い、そういった思考を生み出すような、そういうデザインがしやすくなるような、普段使いでやることによって先生方の内容理解が深まっていくような、そういうフォーマットであるとか、あるいは、そういう使い方を可能にするような学習指導要領の形式になっていくといいのかなということです。
それで、最終的にこの試案をお示しする前に、少し補助線といいますか、先ほど言いましたように、内容を構造化するときにちょっと考えておくべきことは、要は、内容、知識というのは、内容知と方法知、大きくはこの2つに分かれる。さらに言うと、それには階層性がありますよ。ざっくりと言うと、学力の質は3層で捉えることができるだろうということで、「知っている・できる」「わかる」「使える」。
簡単に言いますと、それは例えば、三権分立の三権とは何か、司法・立法・行政ですというふうに空で言えます。これは「知っている・できる」レベルの学力。三権分立の三権の関係といったものを、例も挙げながら説明できる、これは「わかる」レベル。さらに言うと、その三権分立といったものを眼鏡にしながら、例えば、自分たちの生徒会活動の生徒会の組織であるとか、あるいは、諸外国の様子、そういったものを、これが三権分立で見たらどうかなということで、ちゃんと吟味できる。つまり、眼鏡として学べているかどうか、これが使えるレベルというところになってきます。
要は、先ほどの意味理解と社会につなげていく、活用する、社会的な文脈の中で生きて働く学力ということで言うと、分かるレベル、あるいは、使えるレベルの学力をどう育てていけばいいのか。単元ということで言いますと、今や様々な教科書を見たら分かるんですけれども、単元末とか単元を幾つか統合したところで、使えるレベルの思考を問うような、大きめの問いとか課題といったものがあるような、そういった単元構成になっているかと思います。
そのとき、それに対応する形で、知識といったものも3層になる。それこそ、個別的に三権分立の三権という用語を覚えているということは、これは事実的な知識。それに対して、三権分立という、まさにこの概念、そういうふうな仕組みとかその法則みたいなものを理解しているのが、これが概念です。それに対して、さらに三権分立といったものは結局何かというと、これは民主主義を守るとか、あるいはつくっていく上での政治の仕掛けなんですね。だから、そう考えると、民主主義を守るためには何が必要なのかという大きな問いに挑戦するということで言うと、一つ一つの選挙制度とかもそうですが、一つ一つの概念といったものを統合するような、そういったものの見方、考え方みたいなものがあるわけです。それこそ、この中核的な概念というのは、要は、そういったものの見方、考え方といいますか、そういったものをより明確化していきましょうよということになってきます。
そうすると、先ほど関数の例もありましたけれども、比例・反比例、一次関数と二次関数、指数関数、それぞれ今の子たちは大抵ばらばらに学んでしまう。しかし、全部関数でしょということでいくと、結局、伴って変わる2つの量の関係、それをどういうふうに可視化して分析するのかというところですね。だから、そこを、これもこれも学んでいったら結局一緒やんということに気づいていく。だから、先生方も子供たちも、そうやって一般化して気づいていけるような、それで、気づきやすいような、そういう形式をつくっていくことが重要なのではないかと。
今それこそなぜ多くの授業でやり方網羅主義になっているかというと、見た問題を増やすという、そういった受験対策とかもありまして。でも、結局、ここさえちゃんと押さえておけば、ほかの問題全部解けるのになという、そういうポイントがあるわけですね。だから、深さ志向というのは何かというと、九九で言いますと、5の段までやってしまえば、後は子供たちに委ねたらいいんですね。3掛ける6をやっていたら、6掛ける3はその裏返しでできますから。だから、そういう形で、ここまでやっとったら、あとは自動的に子供たちに委ねられますよというような、そういう展開をどうつくっていくのか、これが重要です。そうすると、軽重がつけられるということになります。
今みたいな物事の考え方とか、そういったものを学習指導要領の形式においてどう実装するのかということで、試案という形で載っけたのがこの表になります。
大きくは、石井試案1、2とありますけれども、1のほうが、いわゆる内容知優先の教科と親和性の高いような形でつくったものです。
ポイントとしましては、まず、算数とか数学で言いますと、数と式とか、あるいは関数とか、そういうふうに領域があるんですね。領域・分野。その領域ごとに、縦で深まりが分かるようにということが一つポイントです。ですから、先ほども申しましたように、結局関数ということは、中1であれば比例・反比例、中2で一次関数、中3で二次関数ですけれども、結局同じ、関数とは何か、伴って変わる2量の関係をどういうふうに解析すればいいかということが根っこなのですね。その縦系列で、結局同じ構造だということが分かるように示しますよというのが、これが一つポイントです。
ですので、この中核的な概念に関して、一番ポイントのところをずばっと示す。試案で示しているのは数の計算領域ですけれども、結局、整数にしたって、分数にしても、小数もそうなんですが、どういうふうに学ばれるかというと、何か問題解決的な場面があって、この場面では従来の小数では表現できないね、だから分数が必要、という形で全部展開していくんですね。だから、その辺のところの思考法みたいなものがちゃんと分かるようにという形で、そこが見えやすくするということが一つ。
あとは、この中核的な方略ということで、思考・判断・表現みたいなものと並行にすると。これまで学習指導要領においては、大体知識・技能と、その次に思考・判断・表現という、その並びできているわけです。そうすると、知識・技能といったものも習得し切らなければ、次、思考・判断・表現に行けないみたいな、段階論の学習観みたいなものを強化してはいないかということです。そうではなく、並行で示す。先に触れられたKUDモデルの核心は、知識とスキル、これをunderstandingで統合する、結集する、これがポイントになります。
ですから、それで言うと、各学年配当の正負の数とかの個別の知識・技能、あとは、算数固有の思考といいますか、算数的活動みたいなものを結集・統合して、「数とは何か」といった大きな問いを意識しながら知識・技能を総合的に使う活動にさまざまな単元や学年で繰り返し取り組むことで、表で中核的な概念として明確化した記述内容をじわじわ理解していく。さらに、各領域・分野を超えてさまざま活動に取り組んでいくと、数と計算も関数も結構同じような共通点があるなということ、つまり中核的な方略にじわじわと気づいていくわけです。そういう形で、大きな問や知識を総合的に使いこなす活動を創って、それ自体が目的ではなく、それに取り組む過程で知識・技能の習得や思考力・判断力・表現力を同時並行的に育てていくという、そういうことになっていくといいのかなということです。ですので、思考・判断・表現に関しては、学年くくりではなくて、この領域であれば大体どの授業であったとしてもこういう形式で学びますよねということを示す。
さらに、この一つ一つの内容に関しましては、まさに大きな問いとか課題の解決に結集・統合されるようにということを意識するわけですけれども、それだけではなくて、今回ちょっと工夫してみたのは、これ、縦にではなくて、横に並列で示したんですね。
これは何を意味するかというと、結局のところ、指導順序を柔軟にやれませんかという話です。どれが先ということではなくて。さらに、デジタル学習基盤ということをカルテ機能みたいなものとセットで考えると、いろんな大きな活動とかに子供たちが取り組んでいく中で、活用的な課題に取り組んでいく中で、特定の個別の知識・技能に触れていきました。触れたところで、例えば、その知識・技能を記しているマスの色がちょっと変わって青色ぐらいになると。さらに、そこで青色になったらば、自動的に朝学習とかそういったドリル的な学習の際にレコメンドが来ると。それをちゃんと踏まえて習得したならば、その知識・技能のマスがもっと濃くなる。だから、活用的に学びながら、結果としていろんな知識を網羅していけるような、そういう形で、カルテ的な形で運用することもできるのではないかなと思います。ですから、指導順序を緩めるということですし、内容の取扱いとか、そういったところも大くくりにして、学年くくりの縛りを強くしないということも考えられるかなと思います。内容知領域に関しては、そういう形で考えています。
それと、もう一つ、「わざ」領域ですね。方法知を中心とする領域に関しては、このように考えた。これは何かといいますと、結局、方法知ということで言いますと、バスケットで言うと、ドリブルとかシュートの練習が上手だからといって、試合でうまくプレーできるとは限らないということがあります。方法知というのは全部Doで表現できます。○○できる、なんだけれども、ドリル的なDo。例えばバスケットで言うと、ドリブルとかシュートができるというのは、これは個別にできる・できないを点検したらいいわけです。しかし、試合でうまくプレーできるとかというのは、状況判断とかもありますので、これは、どのくらいのレベルでという程度問題になってくるということになります。ですから、表の下のほうにある知識・技能というのは、いわゆるドリル的なDo、上のほうにあるのはゲーム的なDo。つまり、オーセンティックな学びの中で判断力が試されるものという感じになります。
それで、この2つで言いますと、国語で言うと、表の上の方は、大きく読み、書き、話す、聞くということで、ある種、1年、2年、3年という形で、長期的な変化が見えるような形で示していったらどうかということです。これはCEFRとかもそうですけれども、割と言語能力の参照基準みたいなものを踏まえて考えると理解しやすいのではないかなと思います。
ですから、この思考、中核的な方略ということに関しては、学年ごとの縛りを示す場合もゆるやかにと書いたのですが、これは1年、2年、3年でばちっと分けるのではなくて、結局、この2年相当のレベルは1年生ぐらいからも到達できるし、1年生相当のレベルは未到達であれば2年生とかでも到達をめざしたりと、順次検定試験みたいな形で、自分のレベルはここまでですよということが子供たちも理解できるような形で、そういうレベル感を持たせるような形で、長期的なルーブリックといいますか、そういう形で示せるといいのではないかということになっています。
ですので、この「読む」ということに関しても、熟達の程度をしっかりと示していく。そうすると、今国語とかでは特にそうですけれども、教材ベースといいますか、特定のテキスト、題材ベースになり過ぎというところがあって、結局、小説を読む、文学作品を読むということで言うと、『ちいちゃんのかげおくり』とか、幾つかの作品を全部やる必要がないということにもなりますし、さらに一つのものを精読するというやり方もあるし、さらに言うと、多読ということもある。だから、教材ベースをちょっと緩和していくということが、逆に可能になるのではないかという、そういう示し方を提案しています。
というところで、私のほうからの指導要領の構造化ということでの提案というのは以上になりますけれども、この後のスライドは、また、この後の質疑のところで、概念といったものとか、あるいは、概念をつかむということはどういうことなのか、あるいは、先ほど申しましたように、単元設計に活かせて、実践者が教科の本質をつかんでいくような、そういった学習指導要領にしていくようにしたいといった点も記してあります。
ここまでそういった内容も大分盛り込みながらお話ししてみましたけれども、もう少しその辺を詳しくということであれば、また後の議論の中で議論していければと思っております。
すみません、長くなりましたが、以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
現行の学習指導要領の熟成という観点から、こちらの構造化についてかなり踏み込んだ表の御提案も試案としていただきました。ありがとうございます。
かなり内容が凝縮されておりますので、ちょっと解きほぐすにも精いっぱいというところもありますけれども、ここで、今16時45分ですけれども、5分ほど休憩を取りたいと思います。16時50分まで休憩とさせていただきますので、しばしお休みいただければと思います。50分になりましたら再開いたします。よろしくお願いいたします。
( 休憩 )
【貞広主査】 それでは、休憩を終了いたしまして、議事を再開させていただきたいと思います。
事務局の御説明、そして、戸ヶ﨑委員、石井委員からの御発表の内容につきまして、御質問や御意見のある方、たくさんいらっしゃるかと思いますけれども、挙手ボタンを押していただければと思います。私から順次御指名をさせていただきたいと思います。
なお、堀田委員が先に退室をされると伺っております。堀田委員、よろしければ先に御発言されますでしょうか。
【堀田主査代理】 よろしいでしょうか。
【貞広主査】 どうぞ。
【堀田主査代理】 御配慮ありがとうございます。
大変申し訳ありませんが、先に退室することになりますので、質問が1つ、戸ヶ﨑先生に対して、もう一つ、意見が、これはどちらかというと、石井先生のお話に対しての意見なんですけれども、合わせて2つ申し上げます。
まず1つ目の戸ヶ﨑先生に対してですが、スライド10だったと思うんですけど、デジタル教科書が普及するにつれて、教師用指導書への依存が高まるという御表現がありました。このことの趣旨というか、意図をもう少し詳しく伺いたいということです。
私は今デジタル学習基盤のほうの委員長をしていますので、デジタル教科書をこれからどうしていくのかという議論の中におります。普及というのは、全部置き換えるという意味ではなくて、適切に普及するということは一定程度求められるわけですけれども、それによって教師用指導書への依存が高まるというのが、その関係がいま一つ腑に落ちないということです。
戸ヶ﨑委員がおっしゃっている教師用指導書への依存というのは、結局、それをなぞらえるように教えてしまう思考停止型の教師の指導が増えてしまうことへのリスクを御指摘なんだと思いますが、そのこととの関係を知りたいということです。これが1つ目。
2つ目は、石井委員のおっしゃった、コンピテンシーベースはコンテンツフリーではないということですね。これについては非常に納得できるところでございます。
特に、各教科等が中核的な概念や方略を中心に学習指導要領が整理されるというのは、私も期待するところでございます。一方で、現在の学習指導要領には、総則に、学習の基盤となる資質・能力と書いてあって、これは必ずしも各教科等の内容そのものではなく、むしろ各教科等の内容にははまらない、もっとベースになるような部分があるのではないかという意味で、コンピテンシーを提示しているものだと思います。ここをどうするかというのは、今度の学習指導要領でも非常に重要な論点だと思うので、こことの関係を石井先生はどういうふうにお考えなのかということを知りたいというのが2つ目でございます。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
ほかの委員の方々からの御質問、御意見は、一問一答という形を取らず、少しまとめて事務局やお二方にお返ししますが、堀田先生、御退席されるということですので、まずそれぞれ戸ヶ﨑委員と石井委員にお返ししたいと思います。
では、戸ヶ﨑委員、いかがでしょうか。
【戸ヶ﨑委員】 私のほうの言葉が足らなかったこと、申し訳ないなというふうに思っておりますけれども。要は、まだまだデジタル教科書自体が、使い方等についても慣れていないので、恐らくデジタル教科書とともに指導書ができるということになってくると、その使い方自体も、活用の仕方だとか、そういうところもきめ細かく指導書の中に書き込まれて、そこを見ながら授業を進めていくということが、もうそうせざるを得ないというか、特に慣れていない教員なんかについては、指導書を改めて見てデジタル教科書を活用していくというような使い方、今までのような内容的なもので大きく変わるというよりは、デジタル教科書の活用の仕方という部分で、指導書をついつい眺めて、よく見たくなっちゃうということかなと思っているんですけれども、そういう視点ですね。よろしいでしょうか。
【堀田主査代理】 よく分かりました。ありがとうございます。
【貞広主査】 ありがとうございます。
では、石井委員、いかがでしょうか。これ、コンピテンシーベースはコンテンツフリーではないという点についてですが。
【石井委員】 学習の基盤となる資質・能力ということなんですけれども、これはいわゆるクロスカリキュラム的発想といいますか、日本の学校というのはもともと全人教育でありまして、コンピテンシーベースと言わなくても、非認知とか、そういったものも大事にされるんですね。
そういう日本の学校においてどういうことをしているかというと、例えば、話し方をゾウさんの声でとかというふうに、話し合いの力や言語能力は、全教科横断的に、学級とか学校ぐるみで全体として育てていく。そういうのは掲示物とか、そういったことで、日頃から常に意識するという形で、学習の基盤といったものは育てられているところがあると思うんですね。ですから、それに準ずるような形で、もちろん、内容に絡めつつ、学び方とか、本当に基盤の部分といったものは、全ての教科とか領域を通じて、じわじわじわじわと形成していくと。
時にそれが、情報活用能力とかということで言うと、機能的にというだけではなくて、一つの領域として特出しすることによって、より自覚的に系統的に育てるということもあろうかと思いますけれども、本来、例えば国語にしてもそうですが、言語能力というのは、全ての活動を通じて、何なら社会も理科も基本的には専門的な言語運用能力を学ぶということですし、イギリスとかもそうですね。言葉・アクロス・ザ・カリキュラムということで、言葉を横断的に育てていくということがありながら、言語の領域といったものを特出しするという、そういう関係にあると思います。
ですから、この学習の基盤となる資質・能力というのは、これはある種クロスカリキュラム的発想で、機能的にいろんなものになじませていくことによって育てていく。そういうものかなと。それをより意識化していくということは、コンピテンシーベースということであろうかとは思います。
【堀田主査代理】 今の段階では、これで結構でございます。ありがとうございました。
【貞広主査】 ありがとうございました。
もしかしたら論点として残る部分かもしれません。ありがとうございます。
では、ほかの委員の方々、いかがでしょうか。Zoomのほうで挙手ボタンを押していただければ、こちらから御指名を差し上げたいと思います。いかがでしょうか。
では、今井委員、お願いいたします。
【今井委員】 ありがとうございます。今、戸ヶ﨑委員からの御説明も、石井委員からの御説明も、非常に大事なことをおっしゃっていて、まず石井委員がおっしゃっていた教科横断的というのは本当に大事で、その資質というのが、結局それがないとどの教科も伸びていかないし、記号接地ができないのです。私はこの頃、記号接地という言葉を使わせていただいているんですけれども、最初にやっぱり腑落ちできるものが、そこがしっかりしていれば、そこから全部教えなくても、自分で伸ばしていくことができる。やっぱりその発想って一番大事なんじゃないかなと。今度の指導要領の改訂でも最も大事なところで、それがまさに今石井先生がおっしゃったless is moreというところにつながるんだと思うんですね。
すみません、僭越ながら、私、今回この資料を提出させていただきまして、事務局のほうから共有していただけるとありがたいです。時間もないので、これ全部お話しするつもりはなくて、ポイントだけお話しさせていただきたいのですが。
私のほうで「たつじんテスト」というテストをつくりまして、今、幾つかの自治体で運用を始めているところなのですが、これはまさに教科の知識とか教科専門のスキルとかを見るものではなくて、本当に教科を学ぶための一番ベーシックというか、基盤になる力を本当に持っているのかどうかということを測ろうとしています。この学力の基盤になる力は三本柱で、まずは数に対しての直感的な理解ですね。数に対しての直感的な理解と、言葉というものに対しての理解と、言葉を使って考える、それと、推論ですね。推論をする能力と、その三本柱になっていて、それは読解にも絶対に必要だし、あるいは、資料を読むとか、数学だけではなくて、全ての教科でやっぱり数の量的感覚というのが、小学生も中学生も本当に今足りていないということがここでも明らかになりました。
もう少し行って、例えば、2分の1足す3分の1、この問題だと、これは別に計算をしてほしいわけではなく、直感的に大体どのくらい、一番近いかなというのを直感的に分かるかどうかを見る問題です。この正答率は、中学生なんですね。小学生ではなくて。中学生で正解できる人が36%しかいない。これってチャンスレベル、しかも、誤答を見ると、一番多いのは、5だと答えている。要するに、分数の意味がまったく理解できていないということですよね。本当に分数という記号を機械的に計算するしかたを覚えるということしかしていないのだと思います。
次のページ、よろしいでしょうか。これを層別に見ていくと、本当に下位層の下位の3分の1の生徒さんは、これ、正解できたのはもう10%を切っているんですね。でも、上位層の人でも、90%いっているかというと、いっていないわけですよ。
例えば、分数の理解とか、あと、もうちょっと先にある割合の概念についての問題では、30個が2割であるときに、全体の個数は幾つでしょうかと聞いている。これなんかも、上位層でも正解できているのって3分の2ぐらいしかというか、欠けているんですよね。だから、すごく多くの上位層の生徒さんですら、やっぱり今日のキーワードでもある概念、意味の理解、数という記号の意味の理解までいっていなくて、何とか、小手先というんですか、小手先で計算をするやり方だけを覚えて、それだけで勝負して上位に行っているという、そういう生徒さんが本当に上位層でもいる。下位層になると、もう全くついていけない生徒さんがすごく多いと。これは、小学生からもうずっと続いて、それが小学生が中学生になっても、その意味の不理解は変わっていないという現状があって、そこを絶対に何とかしないといけない。
そのときに、私はやっぱり石井先生がおっしゃるless is moreしかないだろうなと。というのは、発達心理学の見地からも、本当にもうless is more。そこでやっぱりミニマムなコンテンツに対してどうやって考えるのか、どうやって学んでいくのか、そこの力を子供たちにつけてもらって、自分で学べる、自走できる学び手にするしかないと思うんですよね。でも、やっぱりそのためにどうするのかということを、ぜひ学習指導要領に盛り込んでいただきたいなと思っております。
その意味で、先ほどの戸ヶ﨑先生のおっしゃった、23ページにある学習指導要領改訂のキーワードは、余白、理解、活用とおっしゃっていたのが、これも本当に大事だと思う。特に余白ですね。余白というのが、やっぱり詰め込み過ぎて、先生たちも未消化になってしまって、ただ言われたことをするしかできない、そういう状況から脱して、余白を持たせて自分で考える、自分で工夫する、それを先生にもしていただき、それが子供に反映される、先生と子供が一緒に授業をつくっていく、そういうようなイメージがすごく大事なのではないかなと思います。
先ほど戸ヶ﨑委員がプレゼンテーションでおっしゃっていた、こういうキーワードをちりばめて分かった気になっているけれど、やっぱりそれが本当に腑落ちできていないで、もう言葉で終わってしまっている、そういう教員の方が多い。それはやっぱり余白が足りないからなのだと思うんですよね。ここをやっぱり教員の方も、自分たちも実践して向上したいと思っているに違いないと思いますし、やっぱり先生たちに余白を持たせて自走していただく、一緒に学んでいただく、その姿を子供たちが見る、一緒に学びたいと思う、そういう姿を教室で実現していただきたいなと。そういうことを推奨するような学習指導要領であっていただきたいなと思っております。
【貞広主査】 ありがとうございます。
戸ヶ﨑委員と石井委員の御発表をさらに強化するような御意見をいただきました。そこの中で余白が特に重要だという点、それによって概念としての意味理解ができるということをしっかりとお示しいただきました。ありがとうございます。
それでは、続きまして、奈須委員、お願いいたします。
【奈須委員】 よろしくお願いいたします。3点お願いしたいと思うんですね。
まず、今回の今日のような議論のベースになることとして、現行学習指導要領の改訂作業を振り返って確認したいと思います。
現行の指導要領で、資質・能力という考え方、内容中心から資質・能力基盤へという学力論の拡張、重心の移動というのが行われました。その際に、学力の水準を維持するということで、今回は指導事項と時数は特に義務教育では触らないという前提で出発しました。もちろん大きな改革だったので、それでよかったと思います。
つまり、現行指導要領の資質・能力育成というのは、現状の指導事項でどんなふうに資質・能力を育てられるかというふうにつくられているわけですね。なので、結果的に指導することが大幅に増加している。つまり、コンテンツベースの指導の上に、それを使ってコンピテンシーも育成しようという、二階建てと僕は申し上げていますけど、教科書なんかそうなっていると。そこがまさに余白をむしろ潰しているということになっちゃっているということだと思うんですね。それをどうするかというのが今日の議論で、石井委員の御提案もそういう話だったと思うんです。
石井委員の話にあったように、資質・能力の育成というのは、コンテンツフリーではなくて、中核的な概念を中心とした統合的な概念的意味理解を実現するということだと思います。それを実現するために、でも具体的に指導事項を扱わなければいけないわけだけれども、それは入替え可能ということをよく石井委員はおっしゃいますし、場合によっては、全体としてもっと減るということがあってもいい。でも、仮に指導事項が減っても学びは豊かになるというのがless is moreだと。この辺りのことをどんなふうに伝えていくか。
そうしたときに、今回の議論としては、指導事項のレベルで資質・能力育成のための最適な内容編成に組み直すということだろうと思うんですね。それは内容を一部減らすということになるだろうし、一部増やすということにもなるだろうし、あるいは、構造化する、「タテ」「ヨコ」という御提案もありましたけど、そういうことをやってはどうかというのが今日の議論だったと思うんですね。
これはそんなに新しい話ではなくて、ブルーナーの構造主義ですし、もっと古くはドイツの判例学習ですよね。なので、世界中に知見はあって、ウィギンズの網羅的な学びから看破する学びへと、もう膨大にあるんですね。なので、そんなに怖い話ではないと思います。
一つ気になるのは、今日石井委員がゴール型とネット型ということで、もう既に統合されているんだと、そのとおりだと思います。そのイグザンプルとして、ゴール型を学ぶために、例えばサッカーであったり、バスケットであったり、そういうのがあるんだけれども、例えば、もうサッカーをやればバスケットはやめていいのか、あるいは、サッカーとバスケットは同じゴール型だけれども、サッカーとバスケットには固有な部分がある。つまり、幾つぐらいのイグザンプルの数と幾つぐらいのバリエーションが要るかということは大事ですよね。だから、ゴール型がたくさんあるわけだけども、いろんなゴール型のうちの幾つぐらいの競技を、あるいは、どのぐらいのばらつきがあるものを、つまり、似たようなものを4つも5つもやっても仕方がないわけで。ゴール型の競技の概念的意味理解というのを獲得するために最適なイグザンプルの構造化というのがあるわけだという話だと思う。
ただ、そういう話をしていると、今日聞いている人の中には、私が専門にしているバスケットがなくなってもいいのかみたいな話になるわけですよね。この辺りが、結局、先々の議論としては重たくなってくるわけです。ネット型も、テニスやバレーボールとかってあるわけですけれども、テニスとバレーボールは表面的にはかなり違う。でも、ネット型ということであれば、表面的に違うものが同じ原理の異なる現れだということが見えてくればそれでよいとも言える。一方で、同じ原理だと言うけれども、テニスとバレーではかなり違う部分もある。この辺りを、どのぐらいのコンテンツというか、イグザンプルの数とバリエーションを準備すれば的確な概念的意味理解が統合的に実現できるのかという話が大事なのだろうなと。石井委員がおっしゃってくださったことはそういうことだと今日了解しました。それが1つ目の話ですね。
それとの関係でちょっと気になったのは、日本の今の指導要領は、知識・技能、思考・判断・表現というような組み方をしてきました。それが、知識と高次な技能ということなんだという話ですけど、OECDとか国際的な知見の多くは、学力論の整理において、knowledge、skills、attitude and valuesという分け方をしますよね。knowledgeとskillと言っているものと、知識・技能、思考・判断・表現というのはパラレルかどうか。
これ難しいですね。というのは、skillsといった場合に、OECDなんかは、cognitiveもnon-cognitiveも入りますよね。日本は、cognitiveかnon-cognitiveかのところで資質・能力を分けているから、少し国際的に標準的な分け方とは違ってくる。逆に言えば、なぜ国際的にはあの分け方をしているのか。これは石井委員、そして心理学の御専門の方だったら、こうじゃないかということがあるんじゃないかと思うんですけど。その辺も含めて、来た道の妥当性を少し振り返る必要もあるのかもしれない。あんまり変えないほうがいいんですけど、ちょっとそんなことを考えました。
最後に、今日ちょっと思っていたのは、さっきの堀田委員の教科等横断的な汎用的スキルというものの取扱いが難しい。それはコンテンツフリーではないというのは、そのとおりだと思います。この辺りをどう考えるか。
それに対して、実はこの資料に入っていないんだけど、現行指導要領の前の会議、育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会、2014年3月31日にまとめを出した、安彦忠彦先生が座長の安彦委員会の結論ですね。学力を3層構造で捉えるというのがあのときの結論でした。
まず1つ目は、教科等を横断する汎用的なスキルに関わるものですね。これはメタ認知なども含めて、先ほど堀田先生言われたようなことなんじゃないかと思うんですね。
その次に、教科等の本質に関わるもの、これが今回の教科等ならではの見方・考え方という話になってきますし、見方・考え方という言い方がちょっと誤解を招いたような気がするんですけど、今日お話にあった中核的な概念に基づくような統合的な意味理解であるとか、方法的な面も含めて、そこに当たるんだと思うんですね。
一方で、その下に教科等に固有の知識や個別スキルに関するものがある。
このときの議論というのは、私もメンバーでしたけど、歴史的に経験主義と系統主義の対立というのがあって、経験主義というのは、個別の知識をいっぱい覚えたって仕方がないだろうと、問題解決力こそが学力だ。どんな問題に直面しても、しっかり解決できる問題解決力、つまり、汎用的なスキルを育成するのだと。
それに対して、系統主義の人たちは、いやいや、考えると言ったって、考える足場としての知識がないと考えられないでしょうと。まずは知識の量が大事なんだという話の対立があったわけですね。その対立をつなぐというか、埋めるものとして、教科等の本質というのが安彦委員会では議論されました。
つまり、教科等の知識や個別のスキルって、ばらばらに出てきたわけではなくて、教科等ならではの探究とか創造のプロセスの結果生まれたものだと。なので、多くの領域固有知識も、その教科等の知識を生み出した認識の方法論であるとか、中核的な概念ということとの関連で見ていったらどうだと。
もう一方で、汎用的なとか言うけれども、コンテンツフリーではないと。多くの汎用的な認知スキルと言われているものも、実は当初は特定の教科で培われていたものが多いんじゃないか。例えば、自然の事物・現象に挑む方法として、近代科学という方法が生まれました。その近代科学という方法の中で、例えば、条件をそろえるとか、系統的に観察するとか、誤差を適切に処理するというようなことが導かれてきて、僕らは理科で教えているわけですけれども、それが後に社会や人間のことを探究する際にも擬似的に適用するということを始めたわけですね。私は心理学の出身ですけど、心理学なんか、まさに自然科学の方法論を人間にも適用したらどうなるのだろうというところで生まれてきたわけです。そして、今日ではそれは自然科学だけではなくて、僕らが物事を考えたり議論する際の共通のルールにもなっていると思うんですね。
だから、汎用的なと言うけれども、元は、教科かどうかは分からないけれども、特定の知的創造や知的探究で培われたものが、後にその領域を越えて広がってきたとも言えるのではないか。当時そんな議論をして、この3つの層で考えたら、汎用的なスキルと領域固有知識が分断されずに統合されるのじゃないかと。その要が、まさに教科等の本質、見方・考え方なのではないかという議論があったと思うのですね。今回の議論の出発点として、そのことも確認したらどうかなとも思いました。
後に、ただ、資質・能力を整理する際には、学校教育法第30条第2項の学力の規定もありますので、今の3つの資質・能力になったわけですよね。つまり、表現の仕方が違うのですね。この3層の構造と、知識・技能、思考・判断・表現、学びに向かう力、人間性というのは、切り口が違うわけです。学力という、いわば構造体の、断面の取り方が違う。どっちが正しいとかいうのではなくて、実は同じものをどちら側から表現しようというだけの違いなのだけれども、でも3つの資質・能力がぐっと出てきたので、この3層構造というのがちょっと忘れられていたかななんて思うわけですね。
今日の石井委員の発表を聞いていて、この3層構造として安彦委員会で議論されていたことを、もう一度ここにうまく重ねてみると面白いと思うし、先ほどの堀田先生が言われたような御質問についてもうまく答えられる可能性があるのじゃないかななんて思っていました。
すみません、長くなりました。以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
当初のもくろみとしては、四、五人の委員に御発言をいただいた後、御発表者にお返ししようと思っていたのですが、もうこの時点で内容盛りだくさんなので、一度お返ししたいと思うんですけど。
奈須委員、1点目の概念的意味理解に必要なイグザンプルとバリエーションはどれぐらい必要なのかという問いかけをいただいています。恐らく奈須委員の中では、それを考える取っかかりがあるという前提で問いかけをいただいているんだと思うんですけど、その辺りの御意見もできれば添えていただいてお返しできればと思うんですが、いかがでしょうか。
【奈須委員】 ありがとうございます。
私自身は、指導事項の選択と配列に当たって、2つ基準があるのかなと思っています。
1つは、先ほど申し上げた統合的な概念的意味理解、中核概念の獲得ですけど、単に概念を知っているのではなくて、具体と結びついていないと駄目なんですよね。石井委員がコンテンツフリーじゃないとおっしゃったのは、そういうことですよね。
そうなると、複数の具体と結びついていることがすごく大事。つまり、抽象と具体の間が豊かにつながっている。そうなっていないと、転移しないのですよね。転移というのは、中核概念を新たに出会った具体に演繹的に適用できるかどうかで、いわゆる活用ですが、この転移可能性の有無や程度を左右するのが具体との結びつきの豊かさです。
なので、そう考えたときに、どのぐらいのものが要るのか。私にもよく分かりませんが、今後、各教科の御専門の先生と一緒に丁寧に議論していく中で見えてくるのではないかなと思っています。
もう一つ、指導事項の選択に際しては、概念的意味理解に資するかどうかということとは別に、その指導事項を知るとか身に付けること自体が固有に意味がある場合もありますよね。実を言うとね。つまり、個々の知識は、概念的意味理解に資する単なる手段ではないと。個々の知識とか個々の経験自体が目的的に意味を持つということも教育にはあるはずで、その両面からいく必要がある。
ただ、これまでは個々の知識とか経験が固有に、もっと言えば、孤立的にでも意味があるかどうか、つまり、これが大事だよという議論でずっと来たんだけれども、その大事という判断に、もう一つ、それが概念的意味理解、統合的意味理解にどう資するかという観点を追加して、その両にらみ、複眼的なやり方でやっていくとうまくいくのかななんて、すみません、勝手に考えていました。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
では、短くで結構ですので、戸ヶ﨑委員と石井委員、いかがでしょうか。今の今井委員と奈須委員の御意見で、何か御返答はありますか。あればということで、特にないようでしたら先に進みますが。戸ヶ﨑委員はないということで、石井委員、何かありますでしょうか。
【石井委員】 あります。
先ほど紹介しなかったスライドの中で、概念を身に付けるとはどういうことかということを書いてあるんですけれども、最近は見方・考え方みたいなものを最初にセットしておけば、何かスキルのように、そうしたらもうあとは大丈夫ですよみたいなね。そういうものではないと。
結局、心理学的なことで言っても、まずメタ認知に優先するのは領域固有性ということがあって、まずは、その分野のエキスパートというのは、何がその分野のエキスパートたらしめているかというと、一般的スキルというのは割と事後的な気づきによって自覚化される部分が結構多くて、結果としてそれにつながってくるねということがあるわけですが。やはり構造化された知識とか枠組み、それがあることというのが、例えばチェスとか、あるいは将棋とかといったら、ぱっとその場面を見たときに、その構造が直観的につかめると。だから、そういうところで言うと、コンテンツフリーということはまずないということです。
しかし、とは言いながら、いろんなことを学んでいくときに、知的な初心者といいますか、いろいろと学び上手な人はいると。だから、それは内容を深く学ぶことによって結果として汎用性が生まれているというふうに、そういう汎用性といったものとか汎用的スキルと呼びたいものは確かに存在する。しかし、それはどのように生まれてくるかというと、実は領域固有の知識とか、そういった内容を伴う学びを離れてではないというところですね。だから、結果として何かそう呼びたいものがあるということ、名づけたいものがあるということと、それがどういうふうに育てられるかということは、ここは区別して考えることがありますよと。
さらに言うと、そのときに概念を学ぶって簡単に言うと何かというと、これ、目次を示しているようなものなんですね。目次だけ見て本文を読まないで中身分かりますかという話なんです。目次だけ見たって、アウトラインは分かりますわね。概念というのは、ある種補助線みたいなものなんです。だから、民主主義とは何かということについて、小学生だったら小学生なりに言葉を知っていたら何となく何か答える。しかし、それはプロになってくると、一冊の本になるわけです。
つまり、同じ民主主義とは何かというふうな、いわゆる基礎というよりも基本ですね。エッセンシャルなものというのは、常に立ち戻るものなんですね。基礎というのはベーシック、ベーシックスということと、それから、エッセンシャルというのは違う。
だから、まさに今井先生おっしゃったことというのは、エッセンシャルなもの、つまり量感とか、そこの部分の縦串が実は育っていないということがあって、だから、例えば理科とかで言うと、原子の構造とか、分子構造とか、そういったものの構造的な理解ができていないがために、Cu2マイナスとかというふうに、結構進学重点の学校の中でも、そういうのを見たりするわけですね。これは何かということです。
つまり、エッセンシャルなものについての意味理解と言っているものは、これはスパイラルに展開すると。補助線みたいなものですね。だから、目次といったものがあって、それをもとに本文を読むと、その中でいろいろと肉づけされていく。だから、その肉づけの仕方というのは、その一人一人において結構多様性もあるわけですが、でも、やっぱり本質的なところがあるから大きくはぶれないというところです。
ですから、概念を学ぶというのは、最初にセットして終わりじゃなくて、常にそれでいろんな例とかで自分なりに肉づけしていくことによって一冊の本になっていきますよと。そういうスパイラルな学びであるということが、これがエッセンシャルなものがエッセンシャルなものである理由であるし、先ほど、専門的なことで言うと、「構造」とはそういうものなんですね。常にスパイラルに展開するもの、幼稚園であったら、幼稚園の子なりに確率的な見方ってあるわけです。どっちが起こりそうか。それが数値化していくという形で、構造がより精緻になっていくというふうな、これがエッセンシャルということですね。今のようなことで言いますと、結局、先ほどの汎用性ということで言うと、それだけを実体化して扱うということになってしまうと、ちょっと違うかなということでもありますし、ゴール型云々とかということで幾つかのイグザンプルを扱うということで言うと、まさに今のような学び方。だから、いろいろやっていく中で気づいていく。だから、ポイントは、結局のところ、いろいろとやる中で、結局一緒やんというふうに、そういう一般化するような学び方を、子供たちもそうですし、先生方もできるようになっていくということが大事なのだろうなというふうなことになります。
取りあえず、今のところはこんなところで。
【貞広主査】 ありがとうございます。
【今井委員】 ちょっとだけ補足させていただいていいですか。
【貞広主査】 どうぞ、今井委員。
【今井委員】 そのバリエーションの問題なのですけれど、やっぱり今の教え方って、中心のとってもいい例だけを与えて、それで分かるでしょうという。でも、子供というか、人間は、どんどんすごい過剰一般化というのをするのですね。だから、例えば、分数、こんな難しいんですけど、教科書で一番分かりやすい丸いケーキとかピザを3つに分けたら3分の1ですよ。でも、子供たちは、それだけを見せられると、分数、3分の1って、ケーキとか丸いものを3つに分けることが3分の1だなというふうに思ってしまう。そうすると、四角いものに一般化できないんですね。あるいは、液体、ジュースとかにも一般化できないんですよね。
なので、やっぱりすごく大事なのは、分かりやすい中心だけではなくて、これ、発達段階にもよるんです。発達段階にもよるけど、できるだけ中心から外れた例も例示して、そして、結局、だから、3分の1ってどういう意味なのということを考える、そこがすごく大事だと思うのですね。
やっぱり今までの教科書の作り方って、いい例しかなくて、そうすると、すごくそれが過剰一般化というのを、それは人間誰もがすることなんですけれど、その過剰一般化をすごく誘発しているというか、そういうものになっているということなので、バリエーションと言ったときに、いろんなバリエーションがあるのはいいんですけど、気をつけないといけないのは、中心だけではなくて、周辺も入れるということがすごく大事なことだと思います。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
バリエーションの意味の捉え直しをいただいたところでございます。ありがとうございます。
事務局と打合せをした時点で、もういきなり2回目でクライマックスで、先生方、お話しになりたいことたくさんあるんじゃないかというふうに言っておりまして、予想どおりという感じで。
御存じでしょうか、委員の皆様、会議の終了時刻予定18時でございまして、お一方3分を守っていただいても、ぎりぎり入るか入らないかという実態でございます。大変申し訳ありませんが、ここまで研究者の委員の方々の御発言が続きましたので、できれば現場のお立場で御参画いただいている委員の方を優先的に御指名をさせていただければと思います。申し訳ありません。
内田委員、お願いいたします。
【内田委員】 ありがとうございます。全高長の内田でございます。
非常に密度濃い内容で、勉強させていただいたと同時に、なかなかこの先、山が高いなというふうな気がしております。
余白、理解、活用というキーワードは非常に有効かつ重要というふうに思っておりまして、現場で教員が教える際も、自分が教員として面白いことを生き生きと子供たちに伝えることが、最終的な子供の興味・関心を引き、また、豊かな発想につながると考えております。そういった上でも、やり方を網羅主義から一般化するということは非常に大切だと思いますし、これからの議論がそういった方向でまとまっていくことを期待しております。
一方、こういった議論になりますと、毎回のことですけれども、学習指導要領で項目が増えたとか減ったとか、共通性のくくりではなくて、そういった増減、知識の部分の焦点化というところがあって、そういった誤解をいかに防いでいくかというところについては、考えていかなければいけないなというふうに改めて思いました。
同時に、それぞれ家庭で学習する時間というのは、正直、子供たちどんどん減っている現状がありまして、網羅主義ではないのだけれども、どう子供たちに自分たちがやりたいこと、学びたいこと、そして、将来必要なことを学ばせていくかという視点も必ず盛り込んでいかなければいけないなというふうに改めて感じたところであります。
あと、データ分析というのは非常に重要なところだと思うのですけれども、戸田市で教育ダッシュボードを活用されたというところで御紹介いただきましたが、東京都でも教育ダッシュボードを活用して取組が始まっているところなのですが、要素が非常に多くて、こういったたくさんの要素をどうやって分析しているのかというところについては、戸ヶ﨑委員にお伺いできればなと思っている次第です。
すみません、よろしくお願いいたします。
【貞広主査】 では、ダッシュボードやデータの使い方については、後でまた戸ヶ﨑委員にお答えいただきたいと思います。
では、続きまして、野口委員、お願いいたします。
【野口委員】 ありがとうございます。野口です。
戸ヶ﨑委員、石井委員、すばらしい御発表ありがとうございました。
幾つか3分でなるべくまとめさせていただきます。
余白、理解、活用、本当におっしゃるとおりだと思います。特にこの中核的な概念を多様な子供たちが学ぶためには、先生たちが試行錯誤していく必要があり、そのためには余白がないと難しいと思っています。
前回発言したとおり、今のシステムの問題は、通常の学級とは別の場に行かないと自分に合った学びが得られないという教育課程の構造になってしまっているということであるとお伝えしましたが、そういった観点からも、今回御提案いただいた中核的な概念を構造化するということに賛成します。
石井先生の資料で、中核的な概念について、つまりこういうことをつかんでほしいというゴールテープを広く取るという説明がわかりやすかったです。現状の狭いゴールテープを切れない子は、別の場で別の内容を学ぶしかないとなっているので、中核的な概念を設定しゴールテープを広く取ることによって、多様な子供が共に学ぶ授業を確実につくりやすくなるのではないのかなと思います。
知的障害のある子供も含めて、多様な子供が学ぶ教室において、全員が共通する中核的な概念のもと、柔軟に、個々に合わせた内容や方法、順序で学ぶことができるような指導要領にしていくのがいいのではないのかなと私は捉えました。
先ほどの戸ヶ﨑委員から、Response to Interventionの取組の紹介が少しありました。私の専門ですので、少し加えさせていただきたいと思います。
中核的な概念への多様な子供のアクセスを保障するためには、教師がその集団の多様性に合わせて、果たして自分がやっている授業がよかったのかどうかというのを確認する必要があると思います。それがまさにこのResponse to Interventionという多層型支援システムという仕組みだと思います。
今日例に挙げられていたカナダのブリティッシュコロンビア州でも、同じカリキュラムのページにResponse to Interventionの解説があるので、ぜひ御覧いただけたらと思いますが、インクルーシブ教育を推進している多くの国で取り入れられている手法です。
Response to Interventionでは、まず第1層支援として、通常の学級における指導や支援を、多様な子供がいることを前提として、ユニバーサルにしていくというところから始めます。具体的には、情報の提示方法を多様化したり子供たちが表現する方法も、あらかじめ選択肢を用意しておくということです。第1層支援を実施した上で、先ほどダッシュボードの話がありましたが、データを参照しながら、子供の実態に応じて1層支援のみでは十分ではない場合に2層支援、3層支援という形で支援を追加していくという方法です。
現在は、先生が通常の学級において何となく気になる子供はすぐに特別支援の対象になりやすいのですが、このRTIのシステムは、まず第1層支援として、そもそもの今の授業づくりとか学級経営の在り方が、本当に多様な子供がいることを前提とした包摂的なものになっているかということをチームで検討していくというシステムです。
例えば、私が五年ほど関わらせていただいている戸田市立喜沢小学校でRTIミーティングをして、4年生で割り算の単元の計画を立てる時に、まずは子供たちが3年生のとき割り算どうだったのかなというところを振り返ります。子どものデータを見ながら、全体の傾向として割り算の中でも特にここが難しかったね、じゃ、4年生で始めるときは、まずはここから始めようとか、こういう教え方がいいねというような形で、ミーティングの参加者全員が同じデータを参照して、その集団にとって最適な授業の在り方をチームで話し合い検討します。す。
中核的な概念への多様な子供のアクセスを保障するためには、このような方法が活用できるのではないでしょうか。
さらに、同じRTIミーティング内で通常の学級の中でできる第3層支援である個別的な支援についても話し合います。チームの中には特別支援教育担当の先生もいて、RTIミーティングは誰も取り残されない授業のための作戦会議そのものです。
こういった取組が具体で中核的な概念を示したときに行われると、学校現場では活用されやすくなるのではないのかな、こういった仕組みとセットでお伝えしていくというのではないのかなという一つの御提案です。
すみません、最後です。長くなりましたが、ユーザビリティとアクセシビリティの向上というところも賛成です。前回の学習指導要領の改訂において、各教科ごとに障害に応じた配慮事項というのは示されていますが、参照されていないため、実際に障害のある子にどう対応したらいいか分からない。デジタル化により参照しやすくしていただけるといいのかなと思います。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
研究者の先生方には大変申し訳ありませんが、この後、神野委員、髙島委員、澤田委員の順番で御意見を伺いたいと思います。
神野委員、どうぞ。
【神野委員】 よろしくお願いします。
発表していただいた先生方の話、すごい勉強になるとともに、私も予習させていただいてきたので、非常に議論等々にもついていけたなと思う一方で、戸ヶ﨑委員の話にも書いてある抽象的な表現や難解な用語が多いので現場がよく分からないという話には、どうしてもまたなってしまうのかなと。戻った後、私が熱く、うちの現場の教員に、こんな話したんだよということを一所懸命しゃべったときの反応を考えると、そんな感じなのかななんて思ってもいました。
そんな中で、今言ったこういう議論というものをどのように実現していくべきかという中で、私なりに、論点は外れてしまうかもしれないけど、少し皆さんに共有させていただきたいなと思ったのが、やっぱり昨今の生成AIが、AIエージェントとなって、一人一人の人々に寄り添ってくるようなやり口というのはどんどん出てきていますね。何だったら、この新しい生成AI教科書みたいなものが仮にできたとしたら、その生成AI教科書は対話的だと思うんですよ。教科書と対話できちゃうと思うんですね。
今の生成AIみたいなものを、仮に検索システムも交えて使ってしまうと、これは世の中の情報を引っ張ってきてしまいますから、ハルシネーション等々を起こしまくるのですけど、そうではなく、検定教科書の中身のみ持ってくるというようなやり方とか、あとは、先ほど言っていた過剰一般化を犯さないために、様々な事例を出せるようにするとか、そういうような使い方をしていくと、実はめちゃめちゃ対話的に、子供たち自身がある問いというものを追究するようなやり口というのを環境的にはつくり得ると思うのです。例えば、そういう話とかをしっかり混ぜていくと、概念として非常に難解な話というものが、現場に落ちることまでの接着点みたいなものをつくり得るんじゃないかななんていうのをちょっと思いました。
もう一つ、そういった中で、やはり今井先生もおっしゃられていましたけど、まさに学び手自体が自走していくということをしっかり考えていかなければいけないという中で、今の学習指導要領の総則の中に、個に応じてという部分が非常に薄いなというふうに感じています。そういった意味で、やはり個別最適、個に応じた子供たち自体の学びである、そういうことをより強めていくというようなメッセージも非常に重要なのではないかなというふうに思っていまして、そういう文脈の中で、私はこれは賛否両論あるかもしれませんが、一方的な宿題の廃止、禁止ぐらいまで踏み込むべきなのではないかというふうに思っています。
これ、誤解されないように言っておきたいんですけれども、宿題をただ禁止したいという意味ではありません。一方的なというふうにつけているのも、要は、子供たちに一律にただ同じものを、しかも子供たちには何の話も聞かずに出すという形でやったときに、どうしても先生方はやってこない生徒を怒ってしまったり、罪悪感を持たせちゃったりしちゃうわけですね。そうではなく、君にこの課題がすごく大切だと思うんだな、君は今こういう勉強をしているからこういうことやってみたらいいんじゃないかという一言があるだけで、全然その学びが誰のものになるかって変わっちゃうと思うんですよ。そういった意味で、少し踏み込み過ぎと言われるかもしれないけれども、ある意味、この指導要領に込めている思いを、それぐらいに具体的な形でも書いていいんじゃないかというようにも思いました。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
髙島委員、どうぞ。
【髙島委員】 芦屋市長の髙島です。
神野委員が宿題の話をされましたが、芦屋市では、最近宿題をどうしようかという話を子供主体でやっているんですね。児童会長選で、宿題廃止を公約に掲げた児童がいまして、その結果何が起きたかというと、当選後にその子が職員室中の先生と話し始めた、対話をしたと。それによって、先生側も、宿題って何のために出すんだっけということを改めて考えています。やはり、まず対話を始めるところからスタートしていくことが大事なんじゃないかなと、神野委員の話を聞いておりました。
さて、今回提示されている構造化というのは、すなわち、なぜこれを学ぶのかというところに改めて向き合うということなのではないかなと考えます。何を学ぶのか、どのように学ぶのか、これはもちろん重要なのですが、学校現場で子供たちと話していると、最も多く出るのは、何でこれやっているのという質問なんですよね。何で算数のこの分野をやっているのかよく分からないとか、何で古文のこれをやっているか分からないということをよく聞きます。
残念ながら、やっぱり子供に意図が伝わっていないということだと思うのです。その結果かは分かりませんが、芦屋市の子供たち、学力は非常に高いんですが、学びへの意欲は全国平均を下回っています。まさに「なぜ学ぶのか」が問われているのではないかと思いますので、なぜ学ぶのかを考えやすくなる、そのきっかけになるのではないかという点においても、この構造化の方向性には期待しています。
今回の議論は在り方全般についてということで、中身以外の話をちょっとしたいと思います。
前回、検討過程が伝わるような議論の発信を期待したいという旨を申し上げました。みんなが何でこの学習指導要領なのかを理解することが、質の高い学校教育をみんなで実現するために必須だと考えるからです。このみんなというのは、現場の最前線で尽力されている先生方、教師はもちろんなのですが、子供、保護者、地域の方、そして、これは忘れられがちなのですが、地方自治体の首長部局、職員も含むと思います。
今日、実は芦屋市議会で施政方針演説を行ったのですが、誰もが安心して学べる環境づくりと学びの質の向上の2点が必要だと述べた上で、教師の努力と熱意への過度な依存はできないということを強調しました。
質の高い学校教育の実現というのは、先生だけでやるものではない、応援団を増やしてみんなで実現するものだと思います。だからこそ、今回何で改訂するのかという意図の部分が、多くの一般の方々、ふだん学校にあまり関わっていない人に伝わるということが大事なのではないかと思っています。
ただ、現在は、先生にすら満足に伝わっていない状況があると思います。先日、ある市の教育委員会の方から、学習指導要領の改訂って伝言ゲームだよねと言われました。文科省、都道府県教委、市区町村と、徐々に伝言されていくうちに、説明時間もどんどん短くなっていって、気づけば何のために変わったのかよく分からないまま、授業を形だけ変えてみたりとか、一切変えなかったりという現状があると聞きました。
内容が分かりやすく伝わるというのはとても大事だと思います。その意味で、今回の中核的な概念や方略に基づいた構造化というのは歓迎です。一方で、なぜ構造化したのかというところがやっぱり伝わらないと、結局一緒ではないかと思います。
芦屋市では学校現場の対話を大事にしています。これは児童生徒同士、先生同士はもちろん、先生と児童生徒の間でも同じです。今回のこの改訂というのは、格好の材料なのではないかなと考えて、我々教育委員会でも取組を進めているようなのですが、一方で、あまり伝わっていないという自治体の話も、現状聞いています。だからこそ、やっぱり過程の発信ですが、そして改訂後にも、なぜ改訂したのかを分かりやすく説明する。これは地域の方に対しても、地方自治体の首長部局に対しても、分かりやすく伝わるということが大事なのではないかと思います。
なぜ学ぶのかというのを考えやすくなるように、かつ、なぜ改訂したのかが伝わりやすいように、ぜひこの「なぜ」というところにこだわって、指導要領の改訂を進めていただければと思います。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
では、澤田委員、お願いいたします。
【澤田委員】 先生の幸せ研究所の澤田です。
3点で申し上げます。
私自身は、幸せな学校が増えればということで、コンサルタントとして、働き方改革と学び方改革は一体的なセットと考えて、学校や自治体の支援にこれまで取り組んできました。その際、特に学び方改革という点では、資質・能力から逆算した学びづくりとか、学習者主体の学びづくり、あるいは、一コマ一コマ授業からの脱却や、教科書網羅主義の見直しといった視点を大切にしてきました。
こうした授業づくりを初めは大変だという先生たちもいますが、始めてみることで一番多く上がる声は、知的興奮で輝く子供たちのあの表情を知ってしまったら、もう元には戻れないというもの、そして、単元などある程度のまとまりを見通した授業準備に負荷はかかるんだけれども、一コマずつの準備が不要になって、結果的にはゆとりが生まれたというものです。
ほかにも、ある程度経験してくると、子供の学びの自走が育つと実感できたとか、あるいは、教師が教え疲れるのではなくて、子供が学び疲れるような授業になったという声もあります。
こうした授業づくりは、教師の働きがいと働きやすさ、そして、業務負担軽減のいずれにもポジティブな効果があると実感をしています。
今回の構造化やデジタル活用で、教科書・教材からすぐにアクセスできたり、教科間の関係が分かったりするという学習指導要領という考え方は、こうした視点から大変有意義であると期待していますし、そうしなければいけないと考えています。
経験の浅い教員でも、さらには、理想的には、子供たちや保護者や市民でも学習指導要領を見ればイメージがわくような構造化をすべきですし、記述の一つ一つが分かりやすく見やすくあるということが重要です。また、できれば記述や表形式は箇条書きで見やすいというだけではなくて、見たくなるような工夫、例えば、デザイン性も含めて検討してはどうかと思います。
いずれにしても、分かりやすく使いやすい学習指導要領という今回の趣旨に常に立ち戻りながら、決して構造化すること自体が目的化して分かりにくい記述となることがないように、また、現場の先生の働き方や働きがいに直結するようなものになるように検討していただく必要があると考えています。
以上です。
【貞広主査】 では、続きまして、山本委員、お願いいたします。
【山本委員】 ありがとうございます。
今日の構造化の議論については、本当に賛同できるだけではなくて、まさにこういった議論を学校の先生方に届けたいなと思っているところなのですが、私からは、義務教育9年間の中で、その半数以上を占めているのが初等教育に関わっている教員ということで、その初等教育に関わっている教員たちにいかに今日のような議論を届けるかということも同時に考えていく必要があるのかなというふうに考えています。
実は、小学校の学習指導要領というのは、解説だけを全教科並べてもこの一つの机が全部埋まるぐらいの量になって、それを日本中のどのくらいの教員が読み解いているのか。では、せめて学習指導要領本体だけを読もうとすると、本体のほうはどちらかというと、今日のような教科の本質を捉えた中核的な概念のようなことよりは、中身が網羅的に書いてある。だから、今日メタコンテンツという話も出たんですけれども、どちらかというと、メタコンテンツというよりは、何年生ではこれを習わなければいけないというメッセージが、やっぱり教員たちがどうしてもその単元をつくっていくときに、漏らしてはいけないという発想に変わっていくのかなと。
そういう中では、私からは2つお話ししたいと思うのですが、1つは、今日の冒頭、事務局のほうからもあったのですけれども、コード化ということをしっかりとふだん使いができるようにやっていく必要があるのではないか。今までは指導要領という本を読むか読まないかという話だったんですけれども、それぞれの内容、または項目、または小中で分けた、そういったものが全てコード化されていれば、必要に応じていろんな場面でそれを読む、本がなくても、そこにアクセスできると。
もっと言えば、今日の奈須先生とか石井先生の話が、コードを押すと、そのまま動画で流れるとか、そんなことまで含めて、やっぱりそのコード化というのをいろんな場所で使えるようにしていくというのが一つ大事かなと。
もう一つは、初等教育から見た構造化の問題というところでは、やはり私がずっと初等教育に携わってきて、教科の本質を捉える概念という、もっと言えば、教科のその特異性、その教科がどんな資質・能力をつけようとしているのかといったところがなかなか伝わりづらい。そういったことを伝えるためには、やはり小学校は小学校、中学校は中学校という指導要領の形になっているので、どうしても中学校のその先を見ることというのが、小学校の教員には少ないと思うのですね。なので、小学校の教員も中学校の指導要領が、もっと言えば、算数、数学というのは、全然その概念で考えれば、全く違う概念に算数の世界から数学の世界に移り変わっていくはずなんですけれども、そのゴールイメージを持っていないから、結局公式を覚えさせるような小学校の授業になってしまう。そこのところが、ちゃんと小学校の教員も中学校の指導要領が、コードなのか、そういったところで見れるようなものであるとか、あと単元、授業づくりのイメージの中で、単元をどうやってつくるかって、指導要領とか子供の実態から始まって、単元・教材の構想とあるんですけれども、ここのところこそ、戸ヶ﨑委員が言っていましたけれども、本質的な問いで単元を貫いていく、単元をつくっていくということをやはりメッセージとしてしっかり伝えていくべきではないかと。
そこがコンテンツになって、単元の10時間とかそういう中で何を押さえるかという話になってしまうので、それぞれがつながらない知識になっていくわけですけれども、そもそも問いというものがあれば、それを問いかけられた相手は、その問いに対して答えを考えるという行動になるわけですよね。
ところが、コンテンツというものを伝えようとすると、常にやはり教える、または伝えるという行為になっていってしまうので、その本質的な問いで単元を捉え、さらに教師にデザインをさせるというのであれば、デザインをまずつくってチャレンジして、それを評価して、さらにアップデートしていくという、そのデザイン、チャレンジからアップデートまでの余白というものをやっぱり担保する時間がないと、なかなかそういう行動にもならないのかな。
私がここのところずっと見ている学習指導要領の中で、最近本当にすごく丁寧に書かれていて、それは教科調査官の皆さんにも本当に頭が下がるなと思うのですが、丁寧にやればやるほど、やはりその教師はそれを何とか伝えようという行動になってしまうのかなと。だから、あるところは概念で、あるところは表で、あるところは丁寧に、その軽重をしっかりかけてコード化していく。それで、いつでもどこでも好きなところのコードでコンテンツが、中身が見れるようにしていくということが一つ大事なことかなと思いました。
すみません、以上です。
【貞広主査】 ありがとうございます。
この後なのですが、18時をめどと考えますと、手を挙げてくださっている方、または気を遣って手を下げてくださった研究者の先生方皆さんに発言の機会を確保することはできないかと思います。
実は第3回も、堀田委員や学校からのヒアリングはございますけれども、同じテーマを扱いますので、こちらで今日の御意見について御発言いただくことができます。
また、今日の議事録に意見を残したいという御希望であれば、資料を御提出いただければ議事録のほうに残してくださるということですので、申し訳ありませんが、この後、青海委員と前川委員に御発言をいただき、本日は会議を終了させていただきたいと思います。手を挙げてくださっている委員の皆様、私の会議の進行が悪くて大変申し訳ありません。
では、青海委員、どうぞ。
【青海委員】
戸ヶ﨑委員、石井委員、今井委員、事務局の皆様、事前の資料の御準備、御丁寧にありがとうございました。
先に忘れないうちに「たつじんテスト」の資料、びっくりしました。資料には、中位層、下位層、上位層、この人数が均等になるように、3層に層分けしたと記述してるのですけれども、その上位、中位、下位というのはどういう到達度・習熟度の生徒なのか。後で教えていただきたいと思います。
さて学校現場では、学習指導要領は文字による記述が多いこと、内容を理解して納得するのに時間がかかること、また、改訂当時はどこが変わったのか、移行された内容や新しくなった内容はどうなのかというところには大変関心がありますが、その後、引き出しだとか机のブックスタンドに立てたまま、開かれるのは教科書、こういう様子が散見され、確かに学習指導要領の現場からの遠さは実感しております。
教員にとって、教科書は、学習指導要領を踏まえて、教科用図書検定調査審議会において検定基準に合格しているという安心感がありますので、これを教えれば間違いないと考え、教科書をどう教えるかになってしまいます。
教科書が厚くなったとか、丁寧過ぎるという少しマイナスのイメージについては、生徒にとっては、文字が大きくなったり、図や表、写真が増えたり、見やすく解説も丁寧で親切という声もあったり、また多様な子供たちにとっても、自学自習できる、誰にでも分かりやすくなったという教科書会社の努力も評価する側面があってもいいと思います。
検定調査は、学習指導要領に基づいて、基準はここで言いませんけれども、それにきちっと準拠していなければいけないのと、余計なことを書いではいけないとか、かなり厳しい基準が実はあって、それをもとに、私、審議会委員だからこんなことを言っているのですけれども、そんな捉え方もあります。
今日の3つの論点にもありましたけれども、学習指導要領が現場の教員のためということを考えたときに、教師にとって分かりやすいこと、便利であり使いやすい記述・記載であること、単元などのまとまりで授業デザインがしやすいこと、自由にできること、いわゆるより深い学びを実現する授業のイメージを持てるようにすることが、戦略としては必要なのかなと思います。
先にお話しいただきました石井委員の資料9、10ページの構造化案のような表形式について、このようなイメージに可能性をすごく感じ賛同いたします。このように可視化すると、資質・能力の柱ごとの深まりですとか、一体的な育成について、それから、事務局から出された資料にありました「タテ」の関係と「ヨコ」の関係などについてもクリアできるのではないかと思います。
このように内容のまとまりごとに、何を学ぶか、つけたい力は何なのかという幹になる部分、これを明確にして、ベクトルの方向は同じだけれど、そこへ向かう手段とか学び方、授業をデザインする方法にはそれぞれ多様な筋道、自由度があるとすることは、授業をする側、私たち教員にとって、これはとても面白くて、高度専門職である教師冥利に尽きると思います。これは余白を持つということにもつながると思いますし、教員の指導力向上にもつながると思います。
さらに、便利さから言うと、先ほどもお話ありましたけれども、探究活動の手がかりとか、問いの例とか、それから、中学校で言いますと、小学校や高校の系統図の部分とか、どこを目指してどのように扱われているかというのを瞬時に見られるとか、また、学習指導要領の解説なども、デジタル技術を活用して容易に俯瞰できると利便性が増すのではないかと思われます。
以上です。
【貞広主査】 ありがとうございました。
内田委員の戸ヶ﨑委員への御質問も含めまして、個別の御質問については、事務局のほうから御回答いただければと思いますので、お願いいたします。
では、最後に、前川委員、お願いいたします。
【前川委員】 すみません、発言の機会をいただいてありがとうございます。
今日の議論というのは、諮問文でいうところの各教科等の中核的な概念を中心とした目標・内容の一層分かりやすい構造化がなぜ学習指導要領にとって必要なのか、また、教師の授業づくりにとって必要なのかという点で、随分勉強させていただきましたし、恐らくこれを傍聴している現場の先生方にとっても、大変勉強になったのではないかなというふうに思います。
学習指導要領のこの議論は何のためにしているのかと考えますと、授業を変えるためにやっているんだというふうに私は思っておりまして、その意味でも、今日の戸ヶ﨑委員、石井委員の御発表、資料を私は事前に見させていただきましたので、大変参考になりました。
申し上げたいことは、授業を変えるときに、児童生徒観に基づいた良質の働きかけが深い学びにつながるというふうに私は思っていまして、その良質の働きかけをするためには、授業の中に教師が、この発問をするか、こちらの発問をするかという選択ができる余白がある。そのためにこそ、私は中核的な概念の構造化というのは非常に重要だと思います。
また、前回発言させていただきましたが、これからの教育を担う若い先生方に学習指導要領を理解していただくために、冗長さとか複雑さの改善によって、それに向かわせる。教科、学年等を横断した俯瞰しやすさの向上、ぜひともこれには手をつけていただきたいというか、ここに賛同したいというふうに思っています。
最後に、今日の議論をはじめ、この学習指導要領の構造化、このこと自体がある意味教育の構造改革につながるのかなというふうに思っていまして、これが教科書に反映されたり、あるいは、現場の教員の意識、授業改善に反映されることを我々もしっかりと取り組んでまいりたいと思いますし、ぜひ期待したいと思います。
【貞広主査】 ありがとうございます。
本日は、全ての委員の皆様に発言の機会を確保できず、大変申し訳ありませんでした。時間が参りましたので、本日の議事は以上とさせていただきます。
なお、先ほども申し上げましたが、本日の議題につきましては、次回の第3回も同じ議題を掲げておりますので、そちらのほうで御発言いただくこともできます。また、本日の議事録にぜひ意見を残したいという場合は、事務局にお申し出いただければ残してくださるということですので、そのようなことで、御寛恕いただければと思います。申し訳ありません。
そして、次回も続きますということですので、今これを全国で御覧いただいている学校現場の先生方、次回に続くという会でございますので、ぜひ次も御覧いただいて御意見をいただければと思っているものでございます。
それでは、以上をもちまして、閉会といたします。
本日は長時間にわたりまして、どうもありがとうございました。
―― 了 ――
電話番号:03-5253-4111(代表)