考える道徳への転換に向けたワーキンググループ 第3回ワーキンググループにおける主な意見(未定稿)

【育成すべき資質・能力について】

○ 資料に掲げられている資質・能力の三つはすべて重要であると思うが、個別の知識・技能と、思考力・判断力というのは、ある意味では技術的な部分で、道徳教育において一番問われるのは学びに向かう力・人間性だと思う。

○ 資質・能力の三つの柱は重要であるが、その中で分節をして、これが大切だからここを育成しなければならないというような話をし過ぎると、評価の観点として捉えられかねない。これらはあくまでも評価の観点ではないということを強調しなければならない。

○ 資質・能力を学習活動に着目する捉え方は、学習過程と資質・能力を一体として捉えることができ、この資質・能力の三つの柱というのはすごく腑に落ちるような形で受け取ることができた。この資質・能力の三つの柱が切り口となって、目指すべき方向で授業改善が図られるのではないかと考える。

○ 三つの柱の整理に道徳性をどうやって入れるかと考えると、学びに向かう力・人間性等は道徳性にすごく関わりが深いだろうと思う。また、このことと観点別評価や道徳性の評価をどうするかということであるが、三つ目の柱については、論点整理の中に「これらは観点別学習状況の評価になじむものではないということから」と既に書かれているため、三つ目の柱に当たるということは、観点別評価にはなじまないということとも整合性がとれる。

【現代的な諸課題を踏まえた道徳教育の充実について】

○ 今後、正答のない課題についてどのような扱いをしていかなければならないかということを考えていくことが非常に重要であると考える。正答のない課題についてそれでも自分なりの答えを考え、議論していく中で、自覚を深め多様性を知るというような道徳の時間になればいいと考えている。

○ 例えば生命倫理の問題、臓器提供の問題などについて、これを提供する、提供しないというような議論をするのではなく、その際に想定し得る様々な問題、例えばレシピエントやドナー側に立ったときに、どのようなリスクや、あるいはどのようなメリット・デメリットが起こり得るだろうかというような視点で多様な意見を交わすことによって、自分の問題として解決をしていくという授業展開にしていくことが重要。

○ 問題解決となると、必ず答えを出さなければならないというように我々は思いがちであるが、道徳の授業においては解決に向けて合意形成することを目的とするような時間ではないということを、教師がしっかり認識することが重要だと思う。

○ 発達段階に伴って、現実的社会に起こり得る問題ということを扱っていくことが重要。例えば法教育や裁判員裁判の問題、選挙法の問題、臓器提供の問題など、正答のない課題、社会問題、しかしながら、これまで知識を得る機会が少なかったことに対して、子供たちも、あるいは教師自身も考えていくことができるような場の設定や、そしてそうした問題を道徳としてどう捉えられるのかという可能性を考えた上でそれらを扱った授業を展開していく必要があると考えている。


○ 平成27年7月に出されている学習指導要領解説特別の教科道徳編の中には「問題意識」という言葉が複数回出てくるが、その問題意識の持たせ方について、今回具体的に、実現されていないこと、理解が不十分なこと、あるいは葛藤があること、対立があることと、このように四つ例示されている。これまで授業の中で、その問題意識が余り意識されずに授業がなされてきており、こうしたことを意識して授業改善を行うことも「考え、議論する道徳」への転換を図る上では非常に重要であると考える。

【「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)の視点からの道徳科の指導改善について】

○ 主体的・対話的で深い学びというのがアクティブ・ラーニングの視点からの授業改善につながるものであるが、平成27年3月の道徳の学習指導要領の改訂においても、その中で「主体的に学ぶことができるようにすること」や「言語活動の充実」に関することが書いてあり、これは「主体的な学び」、「対話的な学び」につながるものであると考えている。

○ アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善として整理されている説明の中に振り返るということがあるが、これは、例えば自分たちの生活を振り返るということよりも、学習そのものを振り返るという視点の言葉であるということを意識することも大切であり、それが道徳科の問題解決的な学習につながっていくと考える。

○ 「深い学び」ということであるが、それまでは分からなかったことが分かるようになれば、学びは深くなったということだろうと思う。分かるということ、学ぶということは、どの教科においてもあるが,やはり教科によって違いがあるのではないか。道徳で学びが深くなるというのはどういうことかというと、例えば行為は同じでもその理由が異なるということに注目して研究をしたコールバーグという人がいる。コールバーグは、発達段階とも関連付け、例えばいいことをしても、褒められるからいいことをする場合と、いいことであるからという普遍的な基準を自分の中に持っていいことをする場合と、いろいろな理由があるとした。
コールバーグの理由付けが正しいのかどうかというのはまた別問題ではあるが、そうやって理由が変わってくる、理由が深化するという点は道徳の非常に大きな特徴の一つだろうと考える。

○ 道徳教育は、今までも子供の道徳性を高めていくということでやってきた。しかし、授業研究の際には、今日の発問がどうだったか、資料提示の仕方がどうだったか、また、先生の問い返しがどうだったかというような、教師の側に立った振り返りなどが多かったことも反省点の一つではないか。今日の授業は子供にとってどうだったかという視点を持つことも重要。

【道徳科の評価の着実な実施について】

○ 年度当初に自分の有様や課題を考え、課題や目標を捉える学習を行うことや、ポートフォリオで蓄積して、全体的に一年間で学習状況を振り返っていくというのが、残念ながら今までの道徳の授業ではあまり行われてきていない。これまでは35単位時間の授業が個別にそれぞれ存在するという、つながりが意識されない授業が多かったが、これからは、これらを一体的に考えていくことも重要。それがポートフォリオとかファイルとか、そういうものを年間を通じて活用した指導や評価につながっていくと考える。

○ 専門家会議の報告書では、何をどう評価していくかというところで、一面的な見方から多面的な見方へと広がっているか、自分自身との関わりの中で考えを深められているかという2点が例示として挙げられているが、ではこれをどう指導要録に書き込んでいくかといったときに、学校としてはもう少し踏み込んだところが知りたいとなる。こんな書き方でというような例示が出されると、学校としても非常に参考になるのではないか。

○ 評価ということに関して、総合的な学習の時間では評価する際に、一時間、一週間、又は一か月を通して自分がどのように成長したかということを自分で評価するという場面を設定している事例がある。道徳の時間でも自己の内面の変化を自分で評価してみる。そしてそれを、教師が見て評価するという手段が可能なのではないか。

○ 個人内評価に加えて、考え議論するという部分でいけば、自己評価や協働的に話合いをしていく中で行う、相互評価もあっていいのではないかと考える。

○ 行動の記録は、十分満足できるものに「○」を付すこととなっているが、今までの評価に対する受け取りから「○」がないとどうしても教師は不安になる。「○」がないからといって決して悪い評価をしているわけではない。そうしたことを子供たちや保護者、あるいは教師が理解していく必要がある。

【考える道徳への転換に必要な支援や条件整備について】

○ 条件整備の一つとしては家庭・保護者の理解も必要。一学期、二学期、三学期、あるいは前期、後期などで累積されたものが要録に反映されていくことになると思うが、こうしたことを、家庭・保護者にもよく理解していただけるような整備をしていく必要がある。

○ 指導資料や好事例の発信などが、子供の側に立って構成されたり、示されたりすることも重要。これから期待される条件整備の一つではないかと考える。

【その他】

○ 子供たち一人一人と関わりを持ちながら学級をうまく経営していく一つの手段として、道徳の授業は担任にとって非常に重要な役割を担う時間と言えるのではないか。

○ 道徳の目標の文章については、過去から長く使ってきた文章に修正を加えて現在の形になっていると理解している。その中で、道徳的判断力とか、心情とか、意欲、態度という言葉が使用されその定義についても解説で触れられているが、倫理学や哲学の研究者がこういう説明、定義を読んでも全く理解ができないと思う。ある種の仲間内だけで通用する言葉になってしまっていると言っていいのかもしれない。言葉というのは、それを使っていろいろなことを話し合うための道具であるため、分かりやすく適切な示し方にする必要があり、それがモラルでもあるのではないか。

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