考える道徳への転換に向けたワーキンググループ (第2回、平成28年6月9日)における主な意見(未定稿)

【道徳教育及び道徳科を通して育成する資質・能力について】

(小・中・高等学校の道徳教育を通じて育成する資質・能力について)
○ 文言から学校段階ごとの違いをどのように付ければよいのかということが、具体的な道徳教育や授業のレベルの中で見えにくい。

○ 数値による評価はしないということを鑑みれば、教師が積極的にその子供の言動に意味付けをしていく、子供の中にあるエピソードをよく見ていく必要があると考える。その切り口が資質・能力ではないかと考える。

○ 資質・能力というものが、小・中・高等学校の道徳教育をつないでいく切り口になるのではないか。そしてその切り口が、カリキュラムを接続しながら形成していく起爆剤になるのではないかと思う。

○ 多面的・多角的に考える資質も非常に大事だが、その一方で、実はそうではない判断をすべき局面もあるということに配慮しておかなければ、全ての場面で必ず多様性を認めなければならない、ということになってしまうような印象を持った。

(資質・能力の三つの柱との関係について)
○ 道徳の指導方法の工夫・改善の視点として、この資質・能力の表をどのように活用すればいいのかという説明をしていかなければ、現場の先生方は混乱するのではないか。

○ コンピテンシーの育成という視点を重視するが故に、道徳教育、道徳科の特質が、合理的、効率的、ともすると功利的に捉えられる危惧がある。学校現場の中で、資質・能力が身に付いているかどうかということがもし道徳性の評価につながるとすれば、道徳の特質からかなり乖離(かいり)するのではないか。道徳科の構造をこのような形で表現するというのも一つだが、特別の教科であるからこそ、他教科と差別化した表現が考えられないだろうかという思いもある。

○ 今回の整理では、手段としての資質・能力という整理だけではなく、目標として養うべき道徳性が盛り込まれたように感じる。しかし資質・能力の整理を指導の改善につなげるためには、もう少し表現の工夫が必要ではないか。また、白黒で印刷してもぱっと見て分かりやすくすることも大切である。

○ この資質・能力の表が道徳教育を示しているのか道徳科を示しているのかを、この中でもう少し共通理解できるようにする必要がある。

○ 人間性より道徳性の方が大きい概念であるように見られる不安がある。

○ 資質・能力を合理的に切り分け過ぎているように感じるため、協働的に社会を作っていこう、社会に関わっていこうというベースが是非言葉として表せたらいいと思う。

○ 表にまとめると、どうしても三つの資質・能力がそれぞれ切り離されているように思える。実際に思考をする中で腑(ふ)に落ちる、といった場面のように、この三つは重なり合うこともあるのではないか。また、それぞれの資質・能力で整理するだけでなく、それらを統合した目標の部分も、特に道徳科の場合には重要であるように思う。

○ この表は、特に道徳教育の全体計画の作成に落としていくときには非常に分かりやすいのではないか。その一方で、三つの資質・能力の構造は単純な横並びというわけではないと思う。道徳教育ではこの構造が特に重要であると思われるため、この構造がどういうものかについてうまく表現したい。

○ 道徳の徳は行うことによって形成されると思う。単なる問題解決だけではなく、その人に対して自分がどう貢献できるのかという方向を考えることが人間性、学びに向かう力になると思う。学びに向かう力、人間性がどこに向かうか、そこに優しさや社会貢献といった意識が働いているかどうかということが重要ではないか。

○ 高等学校では、小学校、中学校を踏まえて、社会に直結するような道徳性を養うという視点で、その知識や技能、思考・判断・表現力、学びに向かう人間性等を捉え直す必要があるかと思う。

【高等学校における道徳教育について】

(高等学校教育全体を通した道徳教育について)
○ 高校は特に学校間の差が大きいため、「内容を網羅するのではなく、各学校の生徒や地域の実情に応じて重点化した目標を示す」というのは非常によいやり方ではないか。また、継続性を考えたときには、道徳教育推進教師のようなポストを用意して、成果をきちんと把握できるような仕組みをつくることが重要だと思う。

○ 実際に計画は立てても、推進するリーダーやコーディネーター、ファシリテーターがいないために動かないということを避けるためにも、高等学校段階でも道徳教育推進教師などを任命することとしてはどうか。

○ 生徒の実態を反映させるという意味でも、高校は小中から連続したものであり、かつ社会に直結したものだという捉え方が必要だと考える。様々な○○教育が学校現場に入ってきていることもあり、高校で道徳を積極的に取り入れるには、他の科目とリンクさせるような取組も必要ではないか。その一例として、単元指導計画の部分に、道徳的なアプローチのモデルのようなものを示すと、やりやすくなるように思う。

○ 広島県では毎年、各高等学校の道徳教育を担当する先生方を集めて研修を行い、高等学校における道徳教育のイメージを具体的に持っていただくような取組を進めている。一部ではなく各校の先生方に集まっていただくことで、学校全体を巻き込み、学校全体で道徳教育を進められるようにしている。

○ 高等学校が小・中学校の目標にならうということにするとなると、発達の段階が下に下りるという印象になるかもしれないが、中学校段階ではかなり人間としての完成形、方向性を示せるような指導をしており、高等学校段階でも、学習指導要領上、例えば、中学校の目標や内容を参考として示すような形にしていくのが、適切な方向の一つではないか。

(新科目「公共(仮称)」について)
○ 子供が主体的に道徳的価値を捉えて、自己との関わりの中で振り返っていくためには、自分の生き方に対する課題をまず自分で把握することが必要だと思う。それがないと、言葉だけで理解したつもりになる授業になってしまう。どのように自らの体験や悩みを振り返り、対話を通じて互いを高め合うことができるのかというところを大事にした「公共(仮称)」の授業を成立させていただきたい。

○ 全体計画の上でも、例えば、「公共(仮称)」を道徳教育の中核的な指導場面として大きく取り上げたりしながら、小学校、中学校で行ってきた道徳教育が高等学校につながっているような形で見せていけるとよいのではないか。

○ 「公共(仮称)」に関して、中学校では道徳科でこういう指導をしてきているので、それを踏まえて高校でこのように取り扱ってはどうかといった提案もあればよいと思う。

○ 「公共(仮称)」を道徳教育の中核的な指導場面として位置付けるという方向はよく分かるが、これは各学級担任が行うものではないため、その意味で中学校の道徳とは構成上大きな違いを感じる。

○ 今回、「公共(仮称)」が提示されることにより、各学校で道徳教育に関する学習内容が充実されると考えられる。高等学校の普通科においても、必修という形できちんとこれらの学習内容が保証されるということは、社会へと円滑に移行する上で非常に重要な部分だと思う。

(その他)
○ 知的障害特別支援学校では高等部に道徳の領域があり、学校や発達段階に応じて取り組んでいるため、高校の道徳教育を考える上で参考になるのではないか。

○ 公正や幸福について考えたときに、格差や貧困など、いわばそれに全然そぐわない現実が現に社会の中に存在している。現実の問題に対する視線を養う、少なくとも意識させるように道徳教育がなされれば、社会に出ていったときに、何か有意味な視点を培ったということが言えるのではないか。


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